【参考資料】ハイブリッド経済社会考

参考資料
ハイブリッド経済社会考
2010/04/1 田村新吾
新しい時代の胎動は昭和30年ごろから始まっていた。縄文時代から約1万年
弱、人類は世紀をまたぐ周期で生活価値の変遷を経験してきた。神への畏怖な
ど、安心を求め、自然に食を求めてきた中世までの時代。手工業から機械工業
発達により唯物論が台頭し、モノを生かして心身の快楽を求めてきた近世。さ
らにモノが主体となり、自動車、家電、果てはロボットなど、より便利を追及
してきた挙句、顕在需要は飽和し、潜在的嗜好心をあおる潜在需要追及の時代
へ、そして本来対価であるはずの金銭が金銭を生む貨幣経済に価値をおく現代
へと変遷してきた。これに拍車をかけたのが米国金融であり、ウォール街であ
った。ここにきて心のバブルがはじけ、経済が破綻した現在、経済の復興と心
の復興が将来への命題となっている。
これからの新しい文明への胎動は、ここ数百年の間に得られた科学的便利と、
一方で失われてきた人間関係の復興との良い面の複合化の波であり、これを筆
者は「ハイブリッド経済社会」と呼ぶことにする。
日本における新しい胎動の始まりは、近年では人間指向からモノ指向への大き
な分岐点となった昭和30前後に始まり出したと考える。戦後復興10年目で
いよいよ高度成長の坂を上り始めた時、現在の自殺やウツなどの精神的病の遠
因が始まった。当時の生活の変化を振り返ろう。
新興住宅としての「団地」が雨後の筍のごとく建設され、モダンな家族のあ
こがれとなった。いわゆる団地族の発生である。団地は、鉄の扉で閉鎖され、
従来の戸建てにあった「縁側」がなくなり、行商人やご用聞きが立ち寄る場面
が失われた。縁側で親と他人の会話を庭で遊ぶ子の耳にも入ることで、知らず
社会知識も身についたのである。また、情報豊富な行商人は息子の仕事の斡旋
から、娘の結婚相手も紹介もしたのである。鉄の扉の始まりは子供が「鍵っ子」
となり、鍵をあけた家には個室に分かれ、他人との接触はおろか、家族との断
絶も始まりだした。
家庭で重要な団らんはコタツやストーブのまわりにあった。これらは一カ所で
暖を取ったため自動的に家族が集まり、そこで今日あった出来事が父母の耳に
入った。そのコタツやストーブもやがてエアコンに代わることによって集まら
なくてもすむようになった。その後家族を一室に集めたのはテレビの普及だっ
た。しかし、これも価格が下がり、パーソナル化することで各部屋に置かれる
ようになり、またまた団らんの機会が失われた。さらに、情報はテレビからの
もの一色となり、家庭差、地域差がなくなった。しかし、テレビは諸刃の刃で
あった。テレビは真実を伝えるというより視聴率を上げることが至上命令であ
り、ウケを狙った娯楽番組、政治批判番組で、画一的な情報脳の子供たち、画
一的な意見の個性なき群衆の生産時代へと進んだ。さらに、戦後の悲惨を忘れ
るために広がった笑いを良しとした番組構成が、十分生活の安定が得られるよ
うになっても続き、その果てがおバカ番組で視聴率を煽り、笑い以外は悪とい
う過剰お笑い時代を形成、その陰で、一人生き甲斐を失った人たちが笑えない
自分に支えを失い空前の自殺ブームを形成していった。小学生の約30%がウ
ツ症状であり、ネットカフェをねぐらにする若年ホームレスの増加、その内年
間約1000名が餓死しているのが今日である。彼らの身に何が起きているの
か?理由はあまりにも単純で、どうしていいかわからない、だれに相談してい
いかわからない症候群が原因と聞く。くだんのモダン団地も55年を経た現在、
エレベーターもなく、配管も錆び、子もいない高齢者施設と化している。つま
り、団欒という一語の中に、家庭生活の情報価値がハイブリッドされ情操、知
識が育まれていたのが、パーソナル化、個室化の中で分離していったのである。
生活変化のもう一つの側面は食である。冷蔵庫の普及は、冷蔵を越え、家庭用
500リットルの食料庫となり、毎日の食料庫であったはずの八百屋、魚屋、
酒屋は衰退し、文字通りスーパーマーケットが食料庫を満杯にすべく、多めの
束ネギ、袋単位のジャガイモ、そして安いからといって予定もない肉や魚介類
を買わせ、賞味期限との合わせ技で食料庫を生ゴミの生産基地にしていった。
さらにアイデアある日本人によって、竹編みの買い物かごに代わって、ビニー
ル袋が発明され、燃えないゴミ生産社会をも形成していった。
昭和30年以前の長屋族の朝は、路地で七輪に炭を入れ、鍋の湯を沸かすこと
から始まった。煙が出るので外でやる。そんな主婦がみな出てくるから、朝の
挨拶とお互いの消息確認の七輪コミュニケーションタイムが毎朝の行事であっ
た。ちょうど湯が沸くタイミングで、決まって自転車の豆腐屋が来る。そこで
豆腐を切って湯に入れ、油揚げを刻んで湯に加えて味噌を溶いた。あわせて納
豆も買い、包みの経木を開くと納豆菌の爽やかな香りが食欲をそそった。カラ
シも溶きカラシで鼻にツンときた。そして床下のカメから出した糠づけのタク
ワンや白菜が食卓に並んで用意が出来た。ご飯も釜の飯である。まずいはずが
ない。まさにグルメの朝食時代であった。母親が食事の準備をしている間に、
子供たちは布団を上げ、掃除をして卓袱台(ちゃぶだい)を広げ、食器を並べ、
いつでもメインディシュが運ばれてくるのを待った。一部屋が寝室からリビン
グルームへ、そしてダイニングルームに変わる瞬間である。このように一部屋
がTPOに応じて変貌する混合型ルームが一般的で、これは小さい日本の中で
スペースを有効に活用したわけであるが、結果的には家族の共同作業による結
束を強め、見えない生活教育、道徳教育が施されていたのである。
今のスーパーマーケットの納豆に香りはなく、キュウリ、トマトからも朝露を
帯びた香りはなくなっている。1970年代に発生したハンバーガー・チェー
ンにより、強いソース味の味覚の画一化が進み、ついに味覚も、嗅覚もきかな
い現代の無覚人類量産時代となった。
子供の生活も、朝の母のまな板の音で目を覚まし、夕方には家々の夕餉の秋刀
魚の焼く匂いに乗ってNHKラジオの新諸国物語のテーマ曲が聴こえるとみな
脱兎のごとく帰宅したものである。時計などなくても五感で時間を把握してい
たのである。遊びも草相撲や、石蹴り、ままごとなど創造的グループ遊びでチ
ームワークと工夫する脳を成長させたのである。個室のテレビゲーム時代へと
変遷するにつけ柔らかいはずの子供の脳が画一脳になり、15歳も越えるとカ
ラオケ団らんによる仲良し依存、同じ意見が安心の社会形成が進んだ。その同
質化が道をはずすと集団暴行、集団自殺、集団殺人と動物界でも例を見ない集
団行動が発生しだした。どうしていいかわからない症候群の子らが一度迷い道
に踏み込むと常軌を逸した自己瓦解行動に陥ることが実証され続けている。
家庭風呂の普及は、銭湯を衰退させた。銭湯は「浮き世風呂」として地域の社
交と地域情報交換の場であり、ひと風呂浴びたあとの居酒屋では地域活性談義
に花を咲かせていた。現代では、自治会の場で紋切り型の挨拶と主題賛成のあ
と散会という表面交際社会と化し、凶悪な事件のたびに「いつも挨拶する子で
した。信じられません。」程度のコメントしか出来ない共同体となった。風呂な
らまだ良いが、不規則生活の上、軽いシャワーで済ます女性が増え、ミニスカ、
生足と相乗して、冷え性が増加し、腰痛、不妊症と少子化時代を邁進している。
ここで、江戸時代に若干思いを馳せる。士農工商は単に政治の武士、食料の農
民、生活環境建設の職人、商売の商人というだけでなく、その属性を見ると、
武士は武士道、哲学の研究と実践者、農民は天文、地質、化学、算術など百の
知識人(百姓)
、職人は技能者、商人は商品の世話を商う人たちであった。しか
し、現在では序列が逆転し、あたかも商工農士となり、商いも米国型拝金主義
による金融取り扱いの商業が幅をきかせている。しかし、江戸時代の商人は経
営者であった。大商人はお金をツールとして使うが、拝金主義ではなく、伊藤
忠を生んだ近江商人の買い手良し、売り手良し、世間良しの「三方良し」、二宮
尊徳の余剰利益は世間に還元の「分度推譲」のように人間関係を高める哲学が
そこにあった。左甚五郎などの名職人は大商人に囲われて技や芸を磨いた。い
までいうエンジェル投資である。江戸の商人のしぐさが、今でも越川禮子を中
心に「江戸しぐさ」として伝承されている。そのエッセンスは「惻隠の情」で
ある。これは相手に対する深い情愛で、まわりの空気を読み、迷惑に立ち入ら
ない振る舞いのことである。ビジネスという英語が明治時代に上陸した時、当
時の日本人はこれを「経営」と訳した。経営は本来仏教用語で人間としてある
べき一筋の道の意味である。現代では対面商売が薄れ、ネット販売、証券取引
と人の顔が見えない経済が広がったことにより、哲学、生き方の軸が細くなっ
てしまった。これが上位についているがごとく見えるから問題なのである。バ
ブル(泡)時代とは言いいえて妙である。
「国家の品格」がベストセラーになる
ように、精神面の支えになる哲学の復興も大きな課題である。
教育面でも、江戸時代の寺子屋は、元来ボランティアであった。向こう三軒両
隣の助け合い風土の中で生まれた制度である。先生は金がないが、生徒はみか
んや餅でお礼をする。机は自宅から運び込む。並べ方は自由である。先生はほ
ぼ真ん中に座り、6歳から12歳ごろまで個別授業。部屋の隅で悪ガキが相撲
をとっている絵も残っている。まさにハイブリッド授業の中で個性の引き出し
が主であった。明治以降、乱世を怖れた時の政府が、規律指向の中で日本独特
のユニフォーム教育を推進してきただけである。もしかすると寺子屋方式は現
代の米国の個性教育より進んでいたかもしれない。クラーク博士が「少年よ大
志を抱け」といったのは、世界に羽ばたく大きな志を持てと言ったのではなく、
「徳のある人となれ」(産経新聞 2010.3)ということだったそうである。
平成ハイブリッド文化は人がつくる
この55年以上に及ぶ社会の構造変化を一本のカンフル剤で治すのは至難であ
ろう。そこで良い面をモザイク化するハイブリッド構成で、新しい平成文化の
形成を提案するものである。その第一義は「人」である。人が社会を形成し、
産業を興し、生活を豊かにするという本義に立ち返ることである。昔の良い点
悪い点の情報は最多人口の団塊の世代が証言者となれば良い。
三つの潮流が時代を導く
さて、新時代のハイブリッド経済論について述べたい。
まず、地球温暖化問題、不況による産業の改廃の中から芽吹きつつある産業の
潮流をマクロに括れば、
「グリーン産業」、
「ヘルス産業」、
「新ライフ産業」の三
つに集約されよう。この潮流を幹として、その枝に従来の産業名を連ねること
が出来る。言い換えれば従来の産業の将来を展望する時、この潮流に合流して
いくと考えると良い。
グリーン産業の中核はエコロジーである。エコロジーを一言でいうと何かと学
生に問われた時、「ゴミを出さない、作らない、以上。」と答えている。全生物
界で不燃ゴミを出している動物は人類だけであろう。地球にやさしいという前
に、ゴミをアウトプットしないことをすべきであろう。エネルギー問題も、最
後は火さえあれば生きていけるから大きな問題とは考えていない、というのは
言い過ぎだろうか?ある落語家がポツリと私に言った。エアコン、レンジ、電
磁調理器、LEDライトの時代になってくると、生まれてから成人になるまで
火を見たことがない人類が現れるのではないか?その人が初めて火を見たとき、
わからず手を突っ込み大火傷を負うのではないか、それが心配だと。返事に困
った。動力用エネルギーも必要最小限の利用と化石燃料に風力、波力、原子力
を加勢させたハイブリッド化が進む。ポイントは科学のための科学ではなく、
天然に沿った上での科学のあり方が問われ、それが産業化されていく。天然に
沿うという意味では、観光産業も従来の人工社会の反動として需要が増す。
ヘルス産業は、単に高齢化社会云々ではなく、全体に蔓延している毒食、ミネ
ラル、カルシウム不足などの身体面と、精神面の劣化から来る脳不全の問題の
解決産業である。あるいは武士道、論語のような精神的支柱教育や江戸しぐさ
のようなマナー教育に至るまでの精神的健康も含む心技体の健康産業と言って
もよい。筆者が尊敬する札幌の学校の女性校長は化粧品を使ったことがないと
いうが、とても肌が綺麗で美しい方である。自然食材を主にしたバランス良い
食生活をされているという話である。岩崎輝明氏は身土不二、全体食を勧める
「食事道」の提唱者であるが、正しい食生活と適度な運動ある生活をしていれ
ばメタボ対策の機能性食品や、荒れた肌を化粧する用も減ってくるはずである。
機能性食品という言葉も昭和30年以前は聞くことは稀な現代用語のひとつで
ある。長野県の大塚貢先生は父兄の猛反対を押してミネラルとカルシウム豊富
な給食を導入し、不良中学を偏差値日本一にした功績者であるが、他校では反
対が強すぎて普及に至っていないと嘆く。強いソース味、インスタント味に慣
れた子や親にバランス食を定着させるにはまだ時間が必要のようである。栄養
バランスと毒のない食が潮流になるにつれ和食、洋食、中華という区分が薄れ、
ハイブリッド化された新料理が増えるだろう。一方、医療の方も、抑制は西洋
医学、再生は東洋医学とハイブリッド化された統合医学、和合医学が潮流とな
っていく。
新ライフ産業とは、太陽、風力発電、商用電源のハイブリッド電源とデジタル
コミュニケーション時代に合わせた住宅、家庭用品などのハードの変化と、生
活様式などのソフト面の変化も含めた時代適応に関連する産業で、人間関係、
人の心重視が裏にあることは言を待たない。例えば、ロハスハウスなどエコ中
心の生活の箱と、団欒、縁側など人間コミュニケーションを指向した中身がハ
イブリッド化され注目されていく。教育面でも筆者が属しているソニー学園湘
北短期大学は、教職員、学生父兄が一体のハイブリッド教育をめざしている。
つまり教育も生活の一環であり、学生達が立派な社会人としての分別をつける
ためには、授業だけでなく課外活動、ボランティア活動も同じ目線で捉えてい
るのである。これはまた創立者のソニーの創業者井深大の理念に基づいている。
学ぶというのは人から与えられるものではない。学ぶとは自分で疑問を持つこ
と。自分で課題を持ち、それを解決すべく考えること。そして、自分の意見と
して発言できることと言っている。仕事と生活あるいは学業と生活が、信頼さ
れた上下の中でひとつになっていることが理想と述べている。
以上の産業に関係する業種は潮流に乗っている反面、競争激化の中で、特徴あ
る差別化が求められる。例えば、デフレが続く今日、多くの企業は商品単価を
下げざるをえずコストダウンが流行している。しかし、単にコストダウンに
走るだけでは消費者は満足せず、品質的に顧客満足を維持した上で低価格化が
問われる時代になっている。例えば、ニトリの倉庫販売のように流通経費を大
幅に削減して価格は下げても質を下げないような工夫であるとか、わけあり商
品といって品質が変わらない切り落としの神戸牛、あるいは規格外野菜などが
大事になっている。というより、これらは昭和30年以前では当たり前であっ
たので、新しい考えではなく過去の良い習慣の再利用といった方がいいだろう。
ハイブリッド経済の三要素は人間関係を深める
この55年にわたる唯物主義と拝金主義の末、プライムローンを引き金にした
バブルが崩壊した。これからは拝金の行き過ぎをバランスした健全な経済を考
える必要がある。筆者が提案する経済は、
「自然経済」、
「貨幣経済」
、
「互助経済」
の3つが混在したハイブリッド経済である。
自然経済とは自給自足である。自宅の垣根くらいは自分で直そう。運動にもな
るという具合である。貨幣経済は自分の作れないものを貨幣を対価として入手
することである。互助経済は、ボランティアないし物々交換である。高齢者の
家のひさしは若者が直せ。その代わり若い奥さんには高齢者が編み物を教える
ごとくである。自給自足を拡大した地産地消における貨幣の役割は、物々交換
の時間差、手間の差を一時的に貨幣で対価代用しているといえる。この場合、
地域的金券でもなりたつであろう。自然経済と、互助経済の特徴は、人の顔が
見え、人の交流が見える点である。一方、貨幣経済が拝金主義に陥った結果、
金が金を生む金融社会を生み、ネット取引など客の顔が見えにくい市場経済を
生んだ。今後の社会では、このハイブリッド経済を人間中心で運用する方法を
工夫する必要が出てくると考える。
投資もハイブリッドで起業しやすくなる
企業投資も同様に考えることが出来、貨幣経済学では、資本金は貨幣になる
が、ハイブリッド経済では、「租雇調知」となる。租は金銭、雇は人(労務)、
調は反物つまりモノという荘園時代の税法が参考になる。そして知は経験知で
ある。例えば、販売会社を起業しようとしたとする。営業経費をまかなう資金
提供者、事務所、什器、パソコン類の提供者、パソコン環境を立ち上げてくれ
る技能者、事業のアドバイザがいれば立ち上がるであろう。庸調知に関しては、
他に本業があるか、年金生活者の協力を求めれば可能である。但し、庸調知も
金額相当の額を決めて記帳しておき、利益配当の対象としたら良いと思う。こ
この記帳が重要で、これを明確にしておかないと後で突然の辞退や利益争いの
種になる。組織形態は祖庸調知 LLC でもいいし、地域ぐるみでルールを作り、
地域活性に役立てもいい。産学ベンチャーでは、学はまさに調(研究成果)、知
(学問知識)の提供者になるであろう。
ここで産官学の官の助成金の扱いについて私見を述べる。
官の金は税金である。つまり民の金である。助成金とは、民の金を民のための
仕事に投資するという祖であるから個人的祖よりある意味で大切に扱うべきで
ある。つまり、助成金ありきの起業とは、正しく考えると重い責務を負う覚悟
が必要であり、逆に身勝手に考えると助成金頼りの事業モデルとなり、成果が
出なくても痛手を感じない使いっぱなしとなる。あるべき姿は、祖庸調知の投
資額に不足する分を官から育英資金として提供を受け、利益発生時点から5年
以上かけて無利息分割返済するなど企業体力強化に甘えを与えない方法を取る
べきだろう。この場合、途中で倒産した時は損金とする。現状のように金額が
先に立つとそれを使いきる計画論になるし、また運用ルールも固体化し、書類
代のように可視的な科目には適用されるが、サービスのような不可視的な科目
は認められないなど、事業理由ではなく官の管理理由で規定が出来、箱モノ林
立、不稼動カタログの山を築く間抜けな無駄遣い行動に陥る。
事業モデルもハイブリッド、新規参入しやすい時代に
つぎに事業戦略のハイブリッド化について述べる。
デジカメを例にあげれば、チップが手に入ればカメラ会社以外もデジカメが出
来る。携帯電話にカメラが付き、電気屋で売られる。電気屋では、ヤマダ電器
がトップだが、2,3位にビックカメラやヨドバシカメラなどカメラ店由来が
電気店を牛耳る。そのビックカメラもいまや大型スーパーであり、ワインも売
っている。このように異業種同士のハイブリッド化が進み、メーカー系列の業
種店よりも顧客の顔が特定できる業態店に取引現場が集中し始めた。
一方、比較購買にも変化が現れ、車の購入を見合わせ、100日間世界一周の
船旅に出かけるとか、反対に旅行を控えて、任天堂Wiiを買う。あるいは、
ビールの売上げが下がる代わりにエステ、癒しサロンの利用客が増えるなどの
現象が起きている。これは市場競争の対象が、同業間の代用品競争から、異業
に財布の金を回す代替品間の競争に変わろうとしていることを示す。
以上から得られる課題は、最終カスタマーはだれか?その彼らはどんなコトを
求めているかにまで洞察する必要が強まっている。筆者はこれをエースカスタ
マー(必需客)を絞れ、モノよりコトに注視せよと勧めている(「実践的MOT
のススメ」慶応義塾大学出版会)。ハイブリッド事業構造では特に忘れてはいけ
ない視点である。これらはまた従来の商習慣が変わることにもつながり新規参
入、新規成長のモデルが出来うる時代ともいえる。
市場のハイブリッド化で見かけ需要は増える
市場戦略面でもハイブリッド化が進んでおり、国内、海外というマクロな括り
から、日本、ブリックス、中東までもがひとつの市場となり、その中で所得別、
嗜好別にラインアップを形成する時代が来つつあるともいわれている。
このようなハイブリッド市場に対応する製品作りは各個対応ではコストに無駄
が出やすく、コアデバイス、コアシステム、コアソフトを中心に置き、応用機
能をそれに付加するというプラットホーム設計がコストのカギを握る。
ハイブリッド経済勝利の方程式
変化と混合のハイブリッド経済社会で勝利するには、
1.
2.
進化に淘汰されない適応技術の装備
マクロ指向からリアル指向で具体的に状況を観る目
3. 自社のドライビングフォースを認識し、ブレナイ計画を持つ視点
4. 顧客洞察(エースカスタマー注視)を徹底する眼力
5.
(自社商品を買わなければならない人は誰ですか?)
ハイブリッド事業モデルの中での自社の優位席の確保(センターピン)
が必要であると考える。
ハイブリッド経済が軌道に乗ると、人に出来ること、人のためになること、人
がなすべきことという人間中心の経済論、社会論が基軸となり、昭和30年以
前の良き点を見直し、現代の良い点と混合させたモザイク的解を求める方向に
なる。
空想のハイブリッド社会見学
参考までに、そのようなハイブリッド社会の一端を空想として紹介する。
マンションは住人の将来の高齢化を意識して3階までとし、マンションとはい
え共通路とベランダをデザインし直し「縁側」のあるベランダとする。隣家と
はベランダの“垣根”を介して世間話が出来、それを耳にする子供に社会知識
が入る。
また、狭いベランダでも可能な壁面活用のベランダ菜園で日常野菜が採れる緑
ある生活体となる。池と風の環流を構造的に設計し、熱を排出するエアコンの
省エネ化を実現する。沖縄の名護市役所にその原型を見ることができる。
風の環流があるマンションでは一酸化中毒の心配がなくなり火鉢が使え、煮炊
きの出来る団欒家庭が復興する。
衛生面、透明性の必要性、防水など必需性があるものだけにビニール袋、プラ
スティックスを使用し、その他は紙や木材を見直す。紙や木材は、他の用途に
転用できたり、変形あるいは加工が容易なので多用性がある。やがて、完全燃
焼の家庭用超高熱炉が開発されると、端切れになった紙くず、木屑も燃料にし
て煮炊きが出来るようになる。その後わずかに排出されるダイオキシンの残量
は、排出口のバイオフィルターをつけることによって無毒化され、空中に排出
される。このフィルターは後述するレビオ肥料開発の副産物として発明される
可能性がある。これは重要な技術で、燃えるゴミはすべて燃料になるわけだか
ら国家プロジェクトにしてもいいほどである。炉に残った灰は肥料として回収
業者に渡される。
冷蔵庫も使い方が変わり、主にビールや西瓜を冷やすために使われ、食料保存
用には、北大I教授由来の完全無菌蠅帳が保存容器として普及する。
スーパーマーケットは昔の計り売り、一本売りに戻り、必要以上の食材は渡さ
ない損益計算をする。それでも出る家庭からの残飯、残菜などの残滓は、町内
に置かれたレビオポストに捨てられ、バイオ肥料「レビオ肥料」となって畑に
還元される。この工程の要点は、レビオポストに残滓を捨てると、内蔵された
低速のローターが撹拌し、鉄分を付加しながら化学反応を起こし、さらに加工
することで良質な肥料が出来る。農作物はエグミが少なく、体に吸収されやす
い作物が生産されるだけでなく、副作用としてダイオキシンなどを抑える効果
があることも報告されている。
教育面では小中一貫となり、中学卒業で社会人一般の基礎学力が修得され第一
次就職者となる。15 歳、元服の年齢である。高短大も一貫となり、十代後半の
創造性のピーク期に個性あふれる創造教育、創造型専門教育を施し建設的な成
人期を迎える。大学法人は真理の探究か、産学ビジネスの開発現場となり、自
立した経営体となる。教育は全体として、個性尊重、創造性育成、国家国際の
自問の場とし、修了後は他人に左右されず自らの意見を述べる立派な人格者と
なる。平成の寺子屋と呼ぶ者も出てくる。
以上はすべて江戸時代から昭和30年頃まで存在していたライフスタイルを現
代と近未来語に翻訳したにすぎない。また言い換えれば、自然界は元来ハイブ
リッドであり、人類が業務、研究の都合で勝手に分類してきたに過ぎず、その
分類の境目に多くの無駄と不具合が生じてきたと考えても良いと思う。
以上がハイブリッド経済社会の骨子であり、諸氏の議論をお待ちする次第であ
る。
了