房前隆史(「健全な社会そして国家へのまわり道」)

<長編エッセイ>
健全な社会そして国家へのまわり道
房 前
隆 史*
*不動産鑑定士
キーワード: 新自由主義、イデオロギー、実践
要約
25 年前の学生時代を振り返り、学問的な興味の確認と戦後経済の概観を行った。
その上で、思想や理論が社会構築や国家構築のためにどのように実践され、どのよう
に成功し、どのように失敗したかを検証した。
特に、新自由主義の同意形成がどのように行われ、その実践がどのように行われたの
かを観察するとともに、現実社会にどのような害悪をもたらしたかを検証した。
そして、新自由主義の実践は実はマルクスのいう資本主義のイデオロギーを顕在化さ
せる結果を招くことになったのではないかと考えた。ところがこれに対し、マルクスも
エンゲルスもプロレタリアート革命や自由の王国を唱えただけで、具体的な処方箋は持
ち合わせていない。
結局、ケインズの需要政策ないし社会民主主義的な政府の関与は、資本主義のイデオ
ロギーを緩和させることにより一応の成功をおさめたといえるのであり、未来を展望す
るにあたっても、このスタンスを維持するしかないと考えるに至った。
そして、健全な社会、健全な国家を実践するためのキーワードは、①経済成長、②オ
ーバーマネジメントの除去、③勤労者のプライド、④地域のコミュニティの形成、であ
ると結論づけた。
参考文献
小室直樹「日本人のための憲法原論」(2006、集英社インターナショナル)
丹羽春喜「経済体制と経済政策」(2003、税務経理協会)
猪木武徳「戦後世界経済史」(2010、中公新書)
F.A.ハイエク(嘉治元郎・嘉治佐代 訳)
「個人主義と経済秩序」
(2008、春秋社)
デヴィッド・ハーヴェイ(渡辺治 監訳)
「新自由主義」
(2009、作品社)
金森久雄・香西泰・加藤裕己「日本経済読本(第 18 版)」(2010、東洋経済新報社)
岩井克人「会社はこれからどうなるのか」(2009、平凡社ライブラリー)
1.25 年前を振り返る
25 年前といえば、1987 年 12 月、私は東京の大学に入学して初めての年末を迎え、久し
ぶりに故郷大分に帰る支度をしていた頃である。
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思えば、それまで大学に入学することばかりを考えていたので、世界史や社会思想にふ
れる機会もなく(高校の社会科は日本史履修。倫理は履修したが、受験に関係ないのでほ
とんど無視。)、先輩諸氏、そして東京近郊で育った同輩諸氏がすべて左翼に見えるほど、
私にとっては新しい思想が目の前に現れ、脳を刺激される毎日であったような気がする。
法社会学のサークルに入っていたのだから、法律そのものよりも、法と社会との関係に
興味が行き、法律は社会制度の 1 つにすぎないので、社会を通して法律を見なければ意味
がないという考え方に至るのはむしろ当然の流れであるのだが、そんな中で最も新鮮なも
のとして私の脳を刺激したのはやはりマルクス思想であった。
しかし、マルクスがらみの著書を読み進めていくうちに、マルクス思想の内容とその実
践の方法にギャップを感じ、短絡的にマルクス思想を批判の対象としてしまった。折しも、
新自由主義が台頭し、自己調整的市場経済こそ世界を救うという雰囲気、日本国内のバブ
ル経済が引き起こした「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の雰囲気が当時の日本の空気を
支配していたこともあり、マルクス思想における資本主義のイデオロギー批判など豊かな
世界には通用しないとしてその後はまともに相手にしなかった。
当時は、実践の方法を誤っているソ連・東欧・中共という「現象」を批判することを、
マルクス思想を批判することと混同していたのだろう。その証左に、1989 年 11 月、ベル
リンの壁が崩壊してから、自分の中に批判の対象を失ったという空虚感が蔓延し、真理の
追究に自信が持てなくなった自分がそこにいた。壁の崩壊は、マルクス思想の実践として
のソ連・東欧の政治が破綻しただけの話であり、マルクス思想そのものが崩壊したのでは
なかったにもかかわらずである。
そして、1991 年 1 月に湾岸戦争が勃発。このあたりから自己調整的市場経済が暴走を始
めたような気がする。この戦争にマルクス思想は関係ない。しかし、アメリカが独裁国家
であるイラクに勝利したという事実が、全体主義の敗北の象徴となり、その翌年、マルク
ス思想の実践としての全体主義国家ソ連の崩壊と相まって、思想としての新自由主義、経
済理論としてのマネタリズムやサプライサイドの経済学を暴走させる要因になったとも考
えられる。
第二次世界大戦およびその後の歴史を振り返ると、全体主義対個人主義の戦いで個人主
義が順当に勝ち進んできた様子を見ることができる。大戦では全体主義国家日本、ドイツ、
イタリアが敗れた。石油ショックでは全体主義ではないが、社会民主主義がその実践の限
界を露呈した。そしてイラクが敗れ、ソ連が崩壊した。その意味では、個人主義の急先鋒
である新自由主義が次なる実践を余儀なくされ、その結果社会が不安定になり、サブプラ
イムローン問題などの害悪をまき散らしながら世界経済を停滞させ、今に至っているとい
える。健全な社会、健全な国家の実践は実に難しい。
2.今を考える
(1)思想や理論の実践
社会や経済の諸問題への切り込みを行い、問題が正しく認識されたとする。次に、その
問題を解決してあるべき姿に持っていくという行為あるいはスタンスについて、妥当性を
検証することはとても難しい。学問を実践することの難しさである。
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思想や理論の実践の難しさについては、先人も悩んできた。マルクスは資本主義のイデ
オロギーを批判し、資本主義の崩壊を唱えたが、共産主義革命後のプロレタリアート独裁
がどのような世界であるかには言及していない。
マルクス主義は、なぜか西欧諸国では社会民主主義にとって代わられ、当時資本主義後
進国であったソ連・東欧で実践された。資本主義の発達からかけ離れた地域でまともなマ
ルクス主義の実践などできるはずはないのだが、共産党指導者が指導者自らのために間違
った共産主義を実践した。ソ連・東欧の崩壊については前述した。
要するに、イデオロギーの批判はできたけれども、あるべき姿への実践は困難であった
ということである。
一方、ナチズムの実践は民族浄化というおぞましい結果をもたらした。この実践の裏に
は、ニーチェの「強者の哲学」や、カール・シュミットの決断主義が控えているが、議会
制民主主義に対する不信、あるいは決められない議会への闘争の実践として、ナチズムの
実践に妥当性があったかと問われれば、その実践に妥当性があったと主張できる人間を私
は寡聞にして知らない。
(2)一応成功した過去の社会実践
これまで、実践という点において一定の成功をおさめた思想、理論は、プロテスタンテ
ィズムとケインズのいわゆる「一般理論」だけである。
プロテスタンティズムの実践は古典派経済学につながっていく。17 世紀にジョン・ロッ
クは、よく働き、富を増やし、社会全体に貢献する人間の存在と、人間社会のトラブルを
調整・解決する政治システムの存在こそ、自然状態の調和を担保するものであるという社
会契約説の文脈の中で、知恵を使って世の中の富を増やすことは社会全体のためになるこ
とであるとし、近代資本主義の理論的根拠を引き出した。同時に、政治権力あるいは国家
の有無とは関係なく、人間の自由な経済活動により経済は発展していくものであり、私有
財産も、政治権力あるいは国家が作られる前から存在したものであるのだから、権力とい
えどもこれらに干渉してはならないという重要な結論を生み出した。その後、アダム・ス
ミスが国富論の中で、経済の自由放任を唱え、ロックの重要な結論を社会科学的に証明し
た。
この背景には、プロテスタンティズムの倫理と実践がある。ウェーバーはエートスとい
う言葉を使って、プロテスタンティズムの倫理と実践が資本主義経済の基礎を形成したと
説明している。プロテスタンティズムが修道院から解放され、行動的禁欲(この場合の禁
欲は「働くこと」ぐらいの意味)の奨励が世間一般に浸透し、市井の人々は皆、与えられ
た職(天職)を一所懸命に行うことが神の意志に従うことになるのだと考えるようになっ
た。さらに、カルヴァンの予定説では自分が救済されるかどうかは神のみぞ知ることにな
っているので、人々は自分が救済されることを信じて働き続けるしかない。また、よく働
いて他人が求める財やサービスを提供することはキリストが教える隣人愛を実践すること
になる。この場合、適正利潤を得るのはよいが、暴利をむさぼるのは隣人愛にならない。
カルヴァンは元々富の蓄積を否定していたが、倫理の実践には適正利潤の追及は不可欠と
いう流れが形成されたのである。
ケインズについては、彼の「雇用・利子および貨幣の一般原則」こそ世界救済の書であ
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るという経済学者もいるほど、20 世紀前半以降の経済社会を実践してきた。1930 年代の前
半、欧米の主要な資本主義諸国では、軒なみ労働人口の 3 割もが失業するにいたったほど
の、惨憺たる状態に陥っていた。ドイツでは、前述のナチズムによる実践が行われていた
が、その他の欧米資本主義諸国では、「不況克服のために財政・金融政策はいかにあるべき
か」という問題に対し、彼の一般理論が大きな意義を担うようになっていた。これにより、
景気の激変を緩和し、高い雇用水準を維持しつつ、経済をスムーズに発展させるという実
践が 1960 年代までなされた。
(3)そして新自由主義の実践
①総論
一定の時間がたち、財政負担が大きくなるにつれて、その社会民主主義的な政策が批判
され、それまで端に追いやられていた新自由主義(その背景に、マネタリスト、合理的期
待形成論学派、サプライサイド経済学派がいることは前述した。
)へと移行した。
1973 年の石油ショックに続く長期景気低迷においては、有効需要を増加させるケインズ
主義的な景気対策が全く功を奏せず、それどころか、景気も良くならず、失業も減らない
のに、インフレだけは続くというスタグフレーションに陥ってしまった。ここにケインズ
批判や福祉国家批判が脚光を浴び、イギリスではサッチャー政権、アメリカではレーガン
政権、日本では中曽根政権が新自由主義政策を実施した。
M・サッチャーは、1979 年から 90 年までの間に、労働組合対策、インフレを鎮静化、
国債の償還に努め、個人ベースの厳しい競争に基づく自由主義経済を再構築し社会を活性
化しようとする政策を展開した。アメリカではR・レーガンが 1981 年 1 月に第 40 代大統
領に就任し、政権の座にあった 8 年の間に、レーガノミックスと呼ばれた経済改革を行っ
た。日本でも、中曽根康弘が 1982 年から 87 年まで首相として、公企業の民営化をはじめ
とするいくつかの大きな自由主義的改革を遂行している。
彼らが行った、自由化ないし規制緩和は、法定の独占企業として参入障壁に守られ競争
から隔離・保護されてきた産業が、政府が「ゲームのルール」を変更することによって競
争にさらされたことを意味する。また、労働者の権利保護を組織的に標榜してきた労働組
合も、自由な労働市場を確立するという政府のスタンスの下に弱体化させられた。彼らは
自由化することによって、経済効率を競争によって確保することを目的としていた。また、
公企業の民営化については、消費者の選択肢を増やし、企業間競争を促すことを目的とし
て遂行された。
しかし、30 年余にわたる自己調整的市場経済の発展は、果たして我々を幸福にしたのだ
ろうか。
自己調整的市場経済の浸透により、株主利益の向上が企業の至上命題となり、投資マネ
ーが収益性と効率性を求めて暴走している。その結果、サブプライムローン問題→リーマ
ンショックに伴う世界経済の混乱を招いているのが現実である。
現段階では、新自由主義は、ケインズのアンチテーゼの域を超えていない。それどころ
か、政府が何をやっても経済がよくなることはないという政策ニヒリズムに陥る危険性を
孕み、決して幸福であるとはいえない。
②イギリスの実践
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新自由主義を語るには、ハイエクとフリードマンに触れる必要があるが、ハイエクにつ
いてはアンチ集産主義的な色彩が濃くて哲学的に深すぎるイメージがある。したがって実
践が難しく、ハイエク信奉者のサッチャーですら、自らの新自由主義政策においてハイエ
クを実践できていない。まずハイエクは、人間は大して偉いわけでもないのに、人間は何
でもできるという前提で論じられる個人主義など嘘っぱちだと言っている。そのあと競争
が行われることの意義の深さを説明している。しかも、現実に経済活動をしている個々の
人々に目を向け、競争が行われる過程における知識の伝播と資源の適正配分の実現につい
て説明している。そして何よりも「「自由」企業と競争的秩序」の中で、企業と従業員の関
係について次のように述べている。
「私はこれまで意識的に、競争を有効にするために何が
必要とされうるかということを雇用者の側についてのみ述べてきた。
(中略)しかしながら、
多くの点においてわれわれの課題のもっとも重要であり、もっとも困難であり、かつもっ
とも取り扱いの難しい部分は、労働政策、もしくは労働組合政策についての適切なプログ
ラムを作成することにあるのであって、この点を思い違いをしてはならない。自由主義的
見解がもっとも不整合的な、またもっとも不幸な発展を示したのはこの分野においてであ
ったし、また今日の真の自由主義者たちのあいだにおいて、最大の不確実性と曖昧さが存
在するのもこの分野においてであると私は信じている。
」と。この表現は労働組合の不当な
合法化への反動の文脈からきたものではあるが、新自由主義者にとって厄介な存在である
労働組合を彼は決して無視していない。適切な労働政策が何であるかについての言及もな
いが、実践が最も難しい分野であることをはっきりと示すくだりである。この点について
も、サッチャーは実際の新自由主義政策において労働組合をつぶしただけで、ハイエクの
哲学を実践してはいない。
③アメリカの実践
フリードマンはどうか。市場原理を大いに採り入れるべきとしたことについてはハイエ
クと同じであるが、企業(会社)と従業員の関係に配慮したハイエクとは違い、企業(会
社)の目的は株主の利益に資することだとはっきり述べている。政策ニヒリズムの権化で
ある。アメリカはそれを実践してしまったため、企業(会社)は短期的な利益ばかりを求
めて株主の機嫌をとっている。投資家はルール違反さえしなければ、あるいはルール違反
がばれなければ何をやってもよいという気持ちで市場に参加してきている。挙句の果てに
サブプライムローン問題→リーマンショックである。
いうまでもなくアメリカは民主主義の国である。したがって、新自由主義政策を実施し
ていくためには、かなり広い範囲にわたる民衆の政治的な同意の形成を必要とした。人々
がある主張に対して同意するかしないかを決めるのは、その国または地域の歴史的なコン
テキストを経て養われた共通認識に訴えるものであるかどうかということである。歴史的
に積み重ねられた結果であるにすぎないため、それが正義かどうかはわからないのである
が、まさに歴史的に積み重ねられたことをもって尊しとされるものに訴え、総論的あるい
は理念として賛成せざるを得ない状況を作り上げる必要があったと考えられる。
このことについて、デヴィッド・ハーヴェイは著書「新自由主義」で次のように述べて
いる 。
「伝統や文化的価値観に訴えることは、この全体にわたって大きな比重を占めている。
少数のエリートの経済権力を回復させる企図をあからさまに出せば、おそらく十分な民主
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的支持を獲得しえないだろう。だが、個人的自由の大義を前進させるための計画的な試み
という装いをとるならば、大衆的基盤に訴えることができるし、階級権力の回復という狙
いを偽装することもできる。またいったん国家機構が新自由主義的なものに転換してしま
えば、その権力を用いて、説得や取り込み、買収、脅迫を行い、その権力を永続化する上
で必要な同意の風潮を維持することができるだろう。」
個人的な自由の追求はアメリカの国是のようなものである。したがって、個人的な自由
を至上のものとする政治運動などは、新自由主義に取り込まれやすいし、実際にアメリカ
における新自由主義の同意の形成に大いに利用された。また、大企業やエリートたちも勝
ち逃げを図るため、自由な市場でますます儲けることができる新自由主義の政策にうまく
乗っかった。
一方で、個人的自由という価値と、社会的公正という価値はしばしば衝突する。
広い範囲にわたる同意の形成を実現するには、社会民主主義を標榜する左翼の人間をど
う取り込むかあるいは、この勢力をどのように弱体化するかを考えなければならなくなる。
しかしながら、新自由主義の敵は、
「ケインズ主義福祉国家」あるいは社会へ介入する国
家権力であり、これは左翼の敵とある意味共通であったことから、左翼の連中は、鋭く新
自由主義を批判することができなかった。そして、結果的に彼らが本来敵視すべき大企業
やエリートたちと同じ土俵に乗せられてしまうのである。
労働者に対するアメリカ政府の飴と鞭の政策も実に巧みなものであった。アメリカ政府
には、新自由主義を浸透させるにあたり、市場経済にとって邪魔になる労働組合をつぶし、
労働者を新自由主義政策に組み込む必要があったからだ。
福祉国家における労働組合は、労働者の人権を守ることを役割としているので、これを
つぶすことは、労働者を裸にして社会に放り出すことになる。労働者にとってはとんでも
ない鞭となるものである。しかしながら、ハーヴェイはいう 。「重要なのは太い「鞭」を
使用することだけではなかった。なぜなら、集団的な行動様式と手を切らせるために個人
としての労働者にたくさんの「飴」を与えられたからである。組合の厳格な規律や官僚的
構造は格好の攻撃対象となった。フレキシビリティの欠如は、資本にとってだけでなく、
しばしば個々の労働者にとってもかなり不利なものだった。労働過程におけるフレキシブ
ルな専門化と勤務のフレックスタイム制を求める高尚な要求は、新自由主義のレトリック
の一要素となった。それは、個々の労働者にとって魅力的になりえたし、とりわけ、強力
な組合がしばしば恩恵を独占している構造から排除されていた者たちにとってはそうであ
った。労働市場におけるより大きな自由や行動の自由は、資本家にとっても労働者にとっ
ても利益になると大いに宣伝された。ここでもまた、新自由主義的価値観がほとんどの労
働者の「常識」にたやすく組み込まれた。」
かくして、アメリカは新自由主義の同意形成に成功した。
これは、経済理論としても、マネタリズムと合理的期待形成論とサプライサイド経済学
といった反ケインズの理論をごっちゃまぜにした怪しげなものであるし、政治信条として
も個人主義とその自由を標榜しながら、実は大富豪と大企業とエリートの権益を守ること
を主目的とするものであることも分かる。
④日本の実践
例に漏れることなく、日本も新自由主義政策に加担し、電電公社、専売公社、国鉄が民
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営化され、それぞれNTT、JT、JR各社となった。また、官民協調の産業風土のなか
でもともと規制の多い我が国であったが、さまざまな分野で規制緩和が進められた。
70 年代までの日本企業の資金調達は銀行を通じた間接金融の比率が高かったが、80 年代
には証券市場を通じた直接金融の比率が急上昇した。銀行は従来の顧客を失う一方で、規
制のため新規分野への進出が遅れ、土地担保融資の拡大にのめり込んだ。プラザ合意後の
円高不況下で金融緩和政策をとっていたことと相まってバブル経済が生み出された。資産
価格の上昇は、資産効果を通じて内需の拡大に寄与した。しかし、バブル経済による一時
的な繁栄は政府と金融機関から危機感と構造改革への意欲を奪った。
やがてバブル経済は崩壊。その後、日本経済は「失われた 10 年」とよばれる長い低迷期
に突入した。96 年にはじめられた「日本版(金融)ビッグバン」も規制緩和や銀行・証券・
保険業務の相互乗り入れなど一定の成果を上げたが、97 年の金融危機への対応と、遅々と
して進まない金融機関の不良債権処理が最優先され、総じて改革は進まなかった。
そんな中、2001 年 4 月に発足した小泉内閣は、
「構造改革なくして景気回復なし」を旗
印に、公共事業削減など厳しい財政支出抑制策をとる一方で、資本・労働市場その他の規
制緩和、郵政民営化、特殊法人改革など各種改革に取り組み、民需主導の景気回復を実現
した。
ところが 2008 年のリーマンショックによる世界不況下、財政再建は棚上げされ、雇用対
策や経済刺激策が優先された。その後、自民党から民主党へ政権交代し、新政権が混乱を
来すなか、景気が若干上向き、雇用も若干安定の兆しを見せつつも、国債残高の累積は止
まるところを知らず、今日に至っている。
資本市場を見ても、株主利益の向上という至上命題の下、投資マネーが暴走している。
これにリーマンショック後のアメリカにおける景気回復の低迷や、ヨーロッパ諸国のソブ
リンリスクの顕在化が加わり、その投資マネーも暴走どころか行き場を失って彷徨った後、
最近では消去法で円が買われて急激な円高を招いている。
ところで、株主利益とは一体何なのか。株式が買われて株価が上がっても、その企業の
キャッシュフローがよくなるわけではない。キャッシュフローがよくなるのは、株式を安
く買って高く売った投資家だけである。これら投資家は黙って参加して黙って逃げただけ
であり、企業の利益に貢献などしていない。このようなお金の流れは、確率と統計の理論
に基づいて形成されており、ここには企業が生み出すべき付加価値の向上を実現させると
いう、経済成長の根幹の部分に対する積極的な関わりは見られない。所詮、確率と統計で
はものを創り出すことはできず、実体経済に対しては無力である。にもかかわらず、企業
の経営者はこれら投資家の動きに翻弄され続けている。
以上が、新自由主義の実践である。これにより、健全な企業、健全な社会、健全な国家
が実現されたか。企業は疲弊するばかり、社会は不安定になるばかり、国家は弱々しくな
るばかりである。
3.未来を考える
岩井克人によると、資本主義には、①商業資本主義の時代、②産業資本主義の時代、③
ポスト産業資本主義の時代があり、そのいずれもが「差異性」から利潤を生み出すもので
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ある 。①の時代においては、地理的に離れた二つの市場において、一方の市場で安く仕入
れ、他方の市場で高く販売する方法で売買の価格の差異を追求した。②の時代においては、
労働生産性と実質賃金率との間の構造的な差異性に依拠した。③の時代、すなわち、産業
資本主義が依拠していた労働生産性と実質賃金率との差異性に依拠できなくなった現在、
我々には差異性を意識的に創り出すことによって利潤を生み出していくことが必要になっ
ている。資本主義経済において追求すべき利潤は差異性からしか生まれないのである。
ポスト産業資本主義の時代を迎えた今、ポイントになるのが人間の英知の差異である。
企業(会社)経営でいえば、人的資産あるいは人的資本への有効な投資が、儲けの源にな
ると考えることができる。
新自由主義は確かに企業(会社)経営者の自由を保障した。しかし、その自由が従業員
(労働者)まで還元されることはなかった。経営者は人的資産、人的資本が儲けの源であ
るにもかかわらず、従業員(労働者)の労働力を「自由に」安く買い叩いている。それで
も労働者は生きていくために、その買い叩きに耐え、存分に知恵を絞らされる。
これは、マルクスのいう資本主義のイデオロギーに酷似している。むしろ、労働生産性
の向上の多くが資本家階級に搾取されるという本来のイデオロギーよりたちが悪い。人間
の知恵は外から見えにくいため、本当に搾取されているのか検証が難しいからである。
資本主義のイデオロギーは確かに存在するのである。ケインズの需要政策にしても、社
会民主主義的な政府の関与にしても、実は資本主義のイデオロギーを緩和するための実践
だったから一定の成功をもたらしたのではないだろうか。
そんな中、新自由主義が台頭し、次々と規制緩和が実践された。このことは大富豪と大
企業とエリートの権益を保護し、一般労働者との格差を拡大させた。これに世界的な経済
の停滞(この停滞は、経営者、投資家の「自由な」暴走がエンロン、ワールドコム、サブ
プライムといった害悪をまき散らした結果である。
)も相まって、まさに資本主義のイデオ
ロギーが顕在化しやすい環境を作り上げてしまったのではないかとも考えることができる。
かつて、マルクスやエンゲルスは、資本主義が究極に達すると、プロレタリアート革命
が起こって、自由の王国が誕生すると言ったが、その革命がどのようなものであり、自由
の王国がどのようなものであるかということについて言及することはなかった。
これは、マルクス思想の実践が難しいことの証左であるとともに、実はマルクスもエン
ゲルスも革命など起こってほしくなかったのではないかと勘ぐりたくもなる事実である。
新自由主義の実践は資本主義のイデオロギーをことさらに顕在化させる結果となった。
このイデオロギーに対し、マルクスもエンゲルスも騒ぐだけ騒いで結局処方箋は提供でき
ずに終わった。
それでは、残された途は何か。我々は結局のところ、この資本主義のイデオロギーを緩
和し続けることによってしか、健全な社会、健全な国家の構築はできないのではないか。
キーワードの一つは経済成長である。現在の経済政策として金融緩和ばかりが叫ばれて
いるが、政府は自分が何もできないから、金融政策を叫んで日銀を焚き付けているに過ぎ
ない。マネタリーベースを増やしたところで、これが市中銀行にとどまっていたら何にも
ならない。市中銀行もいわゆる金融円滑化法の下で金融当局にかなり厳しくやられている
ようだが、そもそも銀行が返済されるかどうか分からない貸出金を実行するはずがない。
また、マネタリーベースを増やしすぎることによる円の信認の毀損も気になる。国民の財
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布のひもが緩むような政策を打ち出せない政府の無力は困ったものである。
次に、企業(会社)の内向きな経営からの脱却である。会社の存続が危ぶまれると、労
働者の生活も脅かされるというのはよく分かる。しかし、会社の生き残りのために社内が
社会主義化、全体主義化するのも考えものである。10 年計画をたて、それを実現するため
に 5 年後までに何をやる、そのために 1 年後までに何をやるなんて計画を平気で立てさせ
る。先のことなど分かるはずもないのに経営が勝手なことばかりいうので、将来のイメー
ジが湧かない労働者はアリバイ工作に躍起になる。金科玉条ばかりが飛び交い、労働者は
それを理解することすらできない。ソ連の崩壊の縮図のようにも見える。会社のオーバー
マネジメントも考えものである。もともと何もできないサラリーマンの集まりが会社組織
である。そんな人たちが過度にマネジメントされれば、何か斬新なことにチャレンジしよ
うなんて考えるはずがない。与えられた仕事以外は一切引き受けず、挙句の果てにはスピ
ード感のない会議ばかりが増えて、仕事と責任のなすり合いが始まる。こうして知性もイ
ノベーションも欠如していく。
予定調和に頼りすぎる傾向も何とかしたい。予定調和の形成にかかる負担は大きい。確
率と統計に偏りすぎたオーバーマネジメントもさることながら、保険の横行もベンチャー
精神をそぐようであまりよいものではない。それどころか、自分が死んだ方が家族が潤う
のではないかと思わせるような保険商品もある。また、ソ連の崩壊も、計画経済がもたら
す予定調和に頼りすぎた結果ではないだろうか。
働く意志、あるいは勤労者のプライドが減退するような制度は改善されるべきである。
人的資産、人的資本が儲けの源になるのであれば、人間の英知を搾取するようなことをし
てはならないということは前述した。また、最低労働賃金が生活保護より少ないというの
もよくない。ならば生活保護を減らしてセーフティーネットを脆弱にしてもよいのかとい
う批判を免れることはできないが、結論的には生活保護を減らすしか解決の途はないよう
に思える。
「働かざる者食うべからず。」である。
最後に、地域のコミュニティの形成である。ストレスを金で解決するという発想から少
し距離を置きたいものである。やはり、自然や人とのふれあいから、自分が生きているこ
とを再確認する機会を得ることは必要である。経済成長とは逆行するものの考え方かもし
れないが、果てしない経済的な欲望から距離を置くことは未来の展望には必要なことのよ
うに思える。もちろん、地域の良好なコミュニティの形成のために地場産業、地場企業の
繁栄は必要かもしれないが、それとて、会計上の利益やキャッシュフローを最大化するこ
ととは別の、地域のための目標を模索してこそ存在意義があると考える。
健全な社会、健全な国家への実践はかくも難しい。しかし、不健全の原因はそれなりに
見えており、あとは一歩踏み出す勇気だけなのかもしれない。 (2012.12.9)
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