アメリカ金融危機と「新自由主義」

<グローカルの眼(72)>
アメリカ金融危機と「新自由主義」の問題点
小倉英敬
9月15日にアメリカで証券大手4位のリーマン・ブラザーズが破綻して以来、アメリ
カ発の金融危機が世界に広がった。10月第一週にはニューヨーク株式市場のダウ平均株
価が2000ドル以上下落するなど、全世界の株式市場で株価の暴落が発生した。株価暴
落は、米欧日の中銀10行による資金供給の倍増、アメリカ政府による住宅抵当公社2社
に対する公的資金投入策の発表、及び不良資産買い取りを目的とした「緊急経済安定化法
(金融救済法)
」の成立を経てもとどまることがなかったが、10月10~11日にワシン
トンで開催されたG7財務相・中銀総裁会合が『行動計画』を発表し、その枠内で欧米各
国が金融機関に対する公的資金直接注入の具体策を発表したことによって、同13日には
ニューヨーク株式市場における株価暴落は止まった。しかし、その後も実体経済への影響
に対する懸念から、14日以後株価は再び不安定状態に陥っている。
本稿では、今回のアメリカ発の金融危機の世界的な深刻化の推移、およびその影響につ
いて整理しておきたい。
1.サブプライムローン問題
今回の危機の発端が、2007年8月に発覚したサブプライムローン(信用力の低い個
人向け住宅融資)の焦げつき問題にあることは周知のとおりである。これをきっかけとし
てアメリカの金融界の膿が一気に噴き出し、1929年に発生した世界恐慌以来最大の金
融危機に発展した。本年半ばの段階では、サブプライムローンの焦げつきによる損失の規
模が不透明である一方で、その余波はある程度おさまったとの楽観視する向きもあった。
他方で、実体経済への影響はこれから出ると指摘する向きもあった。いずれにせよ、アメ
リカの政府当局や金融関係者が、その広がりを軽視し、根本的な解決を先送りしてきたこ
とが大きな要因であろう。
2007年5月17日にバーナンキFRB(連邦準備制度理事会)議長は「サブプライ
ム市場から経済全体あるいは金融システムに対し、深刻な波及効果があるとは予測してい
ない」
、また同議長は同年7月19日にはサブプライムローンによる損失は全体で500億
~1000億ドルに達すると示唆していたに過ぎない。明らかに、アメリカ金融当局の最
高指導部においても事態の過小評価が存在していたことは否定できない。損失規模につい
ては、2008年10月7日IMFが1兆4050億ドルと発表している。
昨年8月にサブプライムローン問題が発覚して以降、金融界における資金不足問題が顕
在化したため、11月にはシティグループに対して政府系ファンドであるアブダビ投資庁
が75億ドルを投資したほか、後にはシンガポールの政府系ファンドも追加投資をしたほ
か、12月には中国の政府系ファンドである中国投資有限公司がモルガン・スタンレーに
50億ドルを出資するなど、サブプライムローン問題に発して生じた資金不足という事態
を前に政府系ファンドの進出が目立った。今後も中東産油国や新興諸国の政府系ファンド
の出資が拡大することが予想される。
サブプライムローン問題を背景として危機が現実味を帯びたのは、本年3月に証券5位
のベアー・スターンズ(資産規模1600億ドル)が破綻した時点であったが、この際に
はJPモルガン・チェースが救済合併したために危機が回避された。また、7月には住宅
金融のインディマック・バンコープ(資産規模320億ドル)が破綻、連邦預金保険公社
(FDIC)が介入して預金者一人当たり10万ドルを保護するなどにより危機の拡大を回
避した。
このような状況を前に、7月13日ポールソン財務長官がサブプライムローンに直接関
係した住宅公社であるファニー・メイ(連邦住宅抵当公庫)とフレディ・マック(連邦住
宅貸付抵当公社)の2社(資産規模は2社で5兆ドル)に対する公的資金の投入を発表し
ていたが、具体化は遅れた。
2.リーマン・ブラザーズ破綻以後の危機の急進展
9月7日、政府はファニー・メイとフレディ・マックに対して公的資金を投入して政府
管理下に置くことを発表した。しかし、事態の悪化を防ぐことがは不可能であった。9月
15日、証券4位大手のリーマン・ブラザーズ(資産規模6390億ドル)が破綻したこ
とをきっかけとして、金融機関の破綻が連続して事態は深刻化した。当初は、リーマン・
ブラザーズに対しても公的資金投入が行われるかと思われた他、リーマン・ブラザーズ自
身もバンク・オブ・アメリカに救済を求めたが、救済措置はとられなかった。他方、同日
バンク・オブ・アメリカは経営不安状態にあった証券3位のメリルリンチ(資産規模1兆
200億ドル)に対して救済合併を行うことで合意に達した。翌16日、FRBが保険最
大大手のAIG(資産規模1兆ドル)に対して最大850億ドルの公的資金を投入すると
発表し、リーマン・ブラザーズに対する対応と大きな相違が示された。
このような大手金融機関の破綻はアメリカ政府に危機感を抱かせたと見え、9月19日
に、ポールソン財務長官は、金融危機の深刻化を食い止めるため、金融機関が抱える不良
資産を買い取る仕組みを抜本的に強化する方針を発表した。また同時に同長官は、ファニ
イー・メイとフレディ・マックの2社に対して最大200億ドルの公的資金を投入して救
済し政府管理下に置くことを正式に発表した。2社は全米の住宅ローン残高12兆ドルの
半分近くを保有または保証しており、債務総額は2社で1兆6000億ドルに達すると推
定されている。主要金融機関の不良資産の買い取りと同時に、これら住宅抵当公社2社を
公的資金の投入によって救済を具体化することで、ブッシュ政権はサブプライムローン問
題に発した金融危機の決着を図ろうとした。
9月21日、FRBが米証券首位ゴールドマン・サックスと2位モルガン・スタンレー
が、FRBの管理下に置くことを容易にする銀行持ち株会社となることを承認したと発表
した。この措置は証券上位2社が破綻することを回避するための措置と思われる。
そして、9月24日夜、ブッシュ大統領がテレビ演説を行って「金融経済安定化法案(金
融救済法案)
」を議会に提出すると発表して国民の理解を得ようとした。同大統領は、「ア
メリカ経済は異常な時期を迎えている」、「アメリカは深刻な金融危機のさなかにある」、
「金融パニックが起き、さらに多くの銀行が破綻する可能性もある」と事態の深刻さを訴
え、
「長く苦痛を伴う景気後退を迎えることになるかもしれない」と国民の注意を喚起した。
しかし、その間にも金融機関の破綻が連続した。ブッシュ演説の翌日の9月25日、貯
蓄貸付組合最大大手のワシントン・ミューチュアル(資産規模3097億ドル)が破綻、
これに対してJPモルガン・チェースが事業買収し、預金保護策をとったため預金者の混
乱は避けられた。さらに、29日には大手銀行シティグループ(資産規模2兆1876億
ドル)が破綻した全米6位の大手銀行ワコビア(資産規模8124億ドル)の銀行業務を
救済合併すると発表するなど、大手金融機関の破綻が連続した。しかし10月3日、ワコ
ビアは銀行大手7位のウェルズ・ファーゴ(資産規模6090億ドル)と合併することで
合意したと発表している。
このような金融機関の連続的な破綻に対して、9月29日に日米欧の10カ国の中銀が
連携してドル資金の供給を拡充するため融通枠を6200億ドルへの倍増を決定した(日
銀は1200億ドル供給)
。これによって、事態は沈静化するかに思われた。しかし、同日、
下院が「緊急経済安定化法案」を反対多数(賛成205票、反対225票)で否決したた
め、金融危機の沈静化策は具体化しなかった。下院では共和党員の3分の2が反対したが、
その背景には金融機関を救済するために国民が負担を負わされることに対する国民の当然
の不満があると言われる(国民一人当たりの負担額は2300ドル)
。私的利益を追求した
金融機関の後始末に公的資金を投入することに対する批判が存在することは健全な傾向で
あろう。
9月30日午前、株式市場が始まる前にブッシュ大統領が下院における「緊急経済安定
化法案」の否決を踏まえて緊急声明を発し、
「緊急事態にある」と繰り返して説明し、問題
は公的資金を投入することの是非ではなく、国民生活を防衛することであると述べ、
「緊急
経済安定化法案」への理解を訴えた。その上で、連邦預金保険公社による預金保護の最低
額を25万ドルに引き上げた修正案をまず上院に提出し、10月1日に賛成74、反対2
5で可決され、3日に下院で賛成263、反対171で可決された。
このような、金融危機の進展の中で、資金不足を背景として日本の三菱UFJフィナン
シャル・グループ、三井住友フィナンシャル・グループ、みずほフィナンシャル・グルー
プのメガバンク3社に対して、モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスから増資
の引き受けが要請された。みずほフィナンシャル・グループはモルガン・スタンレーから
の要請を拒否する一方で、みずほコーポレート銀行がメリルリンチに出資を決定した。三
菱UFJフィナンシャル・グループはモルガン・スタンレーに出資を決定、他方三井住友
フィナンシャル・グループに対して要請したゴールドマン・サックスは個人投資家である
ウォーレン・バフェットの投資会社が52億ドル提供したため、要請を取りやめた。他方、
野村ホールディングスは、破綻したリーマン・ブラザーズのアジア・欧州・中東部門の買
収を決定している。このように、日本の大手金融機関が、アメリカの金融危機をきっかけ
として金融機関への出資を拡大している。しかし、その規模は数十億ドル規模にすぎず、
政府系ファンドが提供できる能力と比較すると、規模は小さい。
他方、ヨーロッパもサブプライムローン問題の影響を大きく受けている。2007年8
月、ドイツの銀行IKBの経営不安が浮上して、政府系金融機関が支援。同年8月、ドイ
ツの州立ザクセンLBが経営危機に陥り、他の州立銀行が救済買収した。同年9月にはイ
ギリスの中堅銀行ノーザン・ロックが450億ドルの負債額を出したため約100年ぶり
に預金取りつけが発生、2008年2月にイギリス政府が250億ポンドで国有化した。
2008年8月、デンマーク中銀がロスキルド銀行を救済買収。9月、経営危機のイギリ
スの銀行HBOSを大手イギリス銀行ロイズTSBが救済買収した。
アメリカにおけるリーマン・ブラザーズの破綻以後、ヨーロッパにおける金融機関の破
綻も連続した。9月28日にはベネルクス3カ国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)
が112億ユーロを投入して金融大手のフォルティス(資産規模は欧州16位)を部分国
有化、9月29日、イギリス政府が中堅銀行ブラッドフォード・アンド・ギングレーを部
分国有化、同日にアイスランド政府が大手銀行グリトニルの株75%を買い取って国有化、
また同日ドイツ政府が不動産金融大手ハイポ・リアル・エステートに500億ドル規模の
緊急資金支援を決定した。同30日、フランス・ベルギー系の大手銀行デクシアに対して
フランス、ベルギー、ルクセンブルグの3カ国政府が総額64億ユーロの公的資金を投入
すると発表した。このように、金融危機はヨーロッパにも波及し、国有化が顕著な現象と
して生じている。
3.
「新自由主義」経済モデルの廃絶に向けて
10月10~11日、ワシントンでG7財務相・中銀総裁会合が開催され、金融機関に対
する公的資金の直接注入、預金保証の強化などからなる『行動計画』が発表された。それ
を受けて、8日に8大手金融機関に850ドルの公的資金注入を発表していたイギリス政
府が12日に4大銀行に600億ドルの資金注入を発表、13日にドイツ政府も金融機関
に対する公的資金の直接注入の実施を発表、14日にはアメリカ政府が金融機関9行に対
して「緊急経済安定化法」の枠内で2500億ドルを注入することを発表した。
このような欧米主要国による公的資金の直接注入策の発表を受け、10月13日のニュ
ーヨーク株式市場の終値は、8日営業日ぶりに反転して936.42ドル上昇し9387.
61ドルに達した。14日の東京市場も1171.14円上昇し9447.57円に達し
たが、翌15~16日には実体経済への影響に対する懸念が拡大し、ニューヨーク株式市
場が再び下降するなど、今回の金融・経済の克服のためには、今後株価の安定化、金融市
場の混乱の克服、実体経済への影響の最小化などが実現されねばならないが、たとえ株価
安定化が達成されたとしても、実体経済への影響がどれほどの規模に拡大するかは依然不
透明である。
このような金融危機がアメリカに発して世界に波及していることの根本的な原因として、
回収には多大な困難が予測された低所得者向けの住宅ローンが大量に発行され、それが他
の債券と混ぜ合わされて新しい金融商品として販売されたことに対して規制措置が取られ
なかったことにある。言わば、1980年代以降、アメリカだけでなく国際社会の大半に
おいて支配的となった「新自由主義」モデルの下では、アメリカの金融当局が「規制」と
いう健全措置をとることができなかったのである。それは、本年3~7月に原油・原材料・
食料穀物の商品先物取引市場における価格が上昇した時に、投機資金の参入を規制できな
かった国際金融秩序の在り方にも共通する欠陥である。
国際商品先物取引に関しては、7月7~9日に開催された洞爺湖サミットにおいても具体
策が講じられなかったものの、規制措置が必要であるとの認識が示され始めた。金融市場
の規制に関しては規制強化の主張がドイツやイギリスで展開されている。9月22日、イ
ギリスの労働党大会においてダーリング財務相は金融危機の再発を防ぐため金融規制を強
化する必要があると表明。同財務相は、銀行システムの監視強化、監視機関の権限強化、
透明性の確保、信用格付けの改善などの実施を主張した。
また、23日にブラウン・イギリス首相は、同労働党大会において自由化一辺倒の市場
原理主義
の誤りが誰の目にも明らかになったと強調し、経営陣の責任の明確化、投機で
の成否に基づかない報酬制度の導入、世界規模野基準・監督体制の構築などの金融システ
ム改革の方向性について提案した。
さらに、アメリカにおいても、26日にオバマ民主党候補及びマケイン共和党候補の双
方が、金融業界の利益優先主義を批判し、規制強化策を主張した。
他方、9月23日に開催された国連総会一般討論演説において、ラテンアメリカの反「新
自由主義」政権のルラ・ブラジル大統領が「金融投機家が世界経済を脅かせている」、「深
刻な問題はその場しのぎでは解決できず、予防と規制のメカニズムによって国際金融に完
全な透明性をもたらす」必要性を強調した。また、フェルナンデス・アルゼンチン大統領
は、アメリカ初の金融危機は「カジノ経済」がもたらした結果であると指摘し、新自由主
義の経済モデルを見直す「歴史的好機だ」と主張した。ルラ大統領は、「投機の無政府状態
を阻止する権威が存在しない」と述べ、「完全に新たな基盤を持つ気候に再構築しなければ
ならない」と語った。
今回の金融危機の原因に関して種々の論評が行われている。9月25日にはシュタイン
ブリュック財務省が「アングロ・サクソン型資本主義」を、9月26日付イギリス『イン
デペンデント』紙が「過去20年にわたってアメリカで発展し、一部はイギリスでも取り
入れられた資本主義の特定の形」を10月2日付『サンケイ新聞』が「米英流の市場主義」
を、10月10日付『ワシントン・ポスト』紙が「アメリカ型資本主義」を、それぞれ危
機の原因として指摘している。表現の違いはあれ、それらが「新自由主義」経済モデルを
指すことは明らかである。
「新自由主義」経済モデルが支配的になって早28年が経過して
いる。これほどまでの金融危機が生じたことを契機として、
「新自由主義」の廃絶を目指し
て、その選択肢を模索するための本格的な議論を開始すべきである。アメリカでは「緊急
経済安定化法案が成立したものの、金融機関が多額の増資を行えるか、金融再編の中で生
じる企業倒産による失業者増加をどのように回避できるのか、消費の冷え込みをどのよう
に脱却するのか等々、今次金融危機の実体経済への影響は甚大である。
(常磐会学園大学教員、10月16日記)