植物細胞の膜電位から糖尿病諸症状の発症機構まで

医学フォーラム
447
医学フォーラム
「私の歩んできた道」
―植物細胞の膜電位から糖尿病諸症状の発症機構まで―
滋賀医科大学名誉教授(生理学)
北 里
宏(昭和 33年卒)
《プロフィール》
霞蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊
俄
峨
峨
昭和 6年1
2
月 4日生(神戸市葺合区)
峨
峨
本籍
熊本県
峨
峨
学歴
峨
峨
兵庫県立第一神戸中学校
昭和1
9
年 4月~昭和2
0
年 7月
峨
峨
(戦災により昭和 20年 7月熊本県立熊本中学校に転校)
峨
峨
熊本県立熊本中学校(転入)
昭和2
0
年 7月~昭和2
3
年 3月
峨
峨
熊本県立熊本高等学校(編入) 昭和2
3
年 4月~昭和2
5
年 3月
峨
峨
東京理科大学・物理学科
昭和2
6
年 4月~昭和2
9
年 3月
峨
峨
京都府立医科大学
昭和2
9
年 4月~昭和3
3
年 3月
峨
峨
職歴
峨
峨
東京中央鉄道病院(実地修練)
昭和3
3
年 4月~昭和3
4
年 3月
峨
峨
京都府立医科大学付属病院嘱託(非常勤)
峨
昭和3
4
年 7月~昭和3
5
年 2月 峨
峨
峨
京都府立医科大学・助手(生理学) 昭和3
5
年 2月
峨
京都府立医科大学・講師(生理学) 昭和3
9
年 2月~昭和5
2
年 3月 峨
峨
峨
米国メリーランド大学客員教授
峨
峨
1970年 9月~ 1971年 9月
峨
峨
(昭和4
5
~4
6
年)
峨
滋賀医科大学・教授(生理学)
昭和5
2
年 4月~平成 9年 3月 峨
著書
峨
峨
興奮性膜の一般生理(南江堂,昭和4
2
年)
峨
峨
我蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊蚊牙
大学受験にいたるまで
神戸三宮から北に向かい布引の滝近くで東に
曲がり,少し進んだところに雲中小学校という
市立小学校がある.その少し山側のところで私
は生まれた.昭和 13年の神戸大水害のときに
山の傾斜地では山津波が起こったので,危険だ
ということから,その後もっと平たい所へ転居
した.昭和 19年兵庫県立第一神戸中学校に入
学した.翌昭和 20年,6月 5日の神戸大空襲の
際にその家は焼失した.殆ど無一物となった.
私たち一家は両親の故郷である阿蘇外輪山北側
の山奥にある小さな町に戻り,私は熊本市内の
県立熊本中学校に転校することになった.とり
あえず市内の親戚の家から通学させてもらっ
た.転校したとは言っても校舎は既に空襲に
よって消失しており,残っている事務棟で転校
手続きをしているときにも艦載機が来襲し,機
448
医学フォーラム
銃掃射があった.授業はなく農業動員の毎日で
あった.終戦を迎えたのはこの親戚の家の玄関
先でのことである.空は抜けるように青かっ
た.転校手続きを済ませた日から 1ヵ月ほど後
に,やっと寄宿舎入寮が許された.戦争は終
わったが,寮では起床ラッパと共に起き,消灯
ラッパに従って寝る生活であった.一つの部屋
に学年が異なる 4名の生徒が割り当てられてい
た.夕食後は自室で勉強するものと決められて
いた.当時は中学 4年修了者には高等学校受験
資格があり,高等学校受験に向って勉強する上
級生の姿を見て日々を送っていた.上級生の中
には予科錬とか陸軍幼年学校から戻ってきた人
たちも多く,中には荒れている人もいた.この
頃の食糧状態は極めて悪く,また激しいインフ
レーションが起こり,月々高くなる寮費を失職
状態にある父に頼むのが心苦しかった.米の配
給量が極めて少ない中,寮は生徒に弁当を持た
せなければならず,弁当にお粥を入れるわけに
はいかないので,朝夕の食事は限りなく重湯に
近いお粥であった.折角作ってくれた弁当も,
朝食を終えて食堂から自室に帰ると,空腹に耐
えかねてすぐにそれを食べ,空弁当を持って学
校に出掛ける毎日であり,昼食時が苦しかっ
た.寮生の栄養状態は悪化し,身長は全く伸び
ず,絶えず下痢が続く状態であった.3年生の
終わり頃,父は知り合いの家に頼み,私をそこ
に下宿させ,少しはましな食事が食べられるよ
うに取り計らってくれた.この頃,米を持って
いると闇米とみなされた.母は大切な米を風呂
敷に包み,私の為に故郷の山奥からバスと汽車
を乗り継いで私の下宿まで持ってきてくれる途
中,汽車が肥後大津を過ぎたあたりで警察官の
車内検査に遭った.母は正直ですから米ですと
言ったところ,直ちに大事な米は没収された.
母は泣く思いであったろう.父と母には感謝し
ても感謝しきれない.
神戸の中学同級生は四散してしまったが,熊
本では良い友達と良い師に恵まれた.荒唐無稽
と思われるかもしれないが,戦争に負けたので
俺はアメリカに行き,大統領になるとか,ロシ
アに行き首相になるとか言う者もいた.歴史の
先生からは幕末の一橋慶喜の話をよく聞かさ
れ,ドイツ語の手ほどきも受けた.中学 4年生
のとき,旧制中学は新制高校に切り替えられ
た.この頃の同級生とは今でも交流を続けてい
る.受験に際しては,特に明白な目標はなかっ
た.何となく数字発祥の地であるインドの哲学
を学ぼうかと一時は思った.しかしその一方,
生活の資を得なければならないとも考えてい
た.母は,人は誰でも食い扶持を持って生まれ
てくるものだ,と言って励ましてくれた.とも
かく東京に出たかった.そんな漠然とした目標
しか持っていなかった私に父は寛容であった.
結局,国公立並に授業料の安い東京理科大学の
物理学科に進学することにした.
終戦後間もない頃,汽車は常に満員状態で
あった.席は全て 2人づつ向いあった形になっ
ており,席を取れない人は床に寝転んでいる状
態であった.しかし和やかであった.汽車の中
には,旅なれた人間と自認する人がいて,私の
ような若者に気軽に話しかけてくれた.東京か
ら熊本に帰る汽車の中で会った人もその様な人
であった.その方は医者であった.何を話して
いたかは今となっては思い出せないが,話を聴
いているうちに私も医者になろうという気に
なった.当時,医学部に入学するには,大学の
教養課程において医学部受験に必要な科目を履
修することになっていたが,幸い,医学部受験
に必要な科目は全て修得していたので,医学部
を受験することにした.小学校の頃,一度遠足
で伏見に来た事があるきりで,京都という町を
知らなかったので,今度は京都に行ってみたい
と思い,京都府立医科大学を受験した.
学部学生時代
入学後直ぐに基礎医学の講義が始まった.解
剖と生化学それに生物理化学(生物物理化学)
の講義は熱心に聴いた.この 3科目において
は,知識欲は大いに満たされた.生理学では刺
激と興奮という言葉が頻回に出現したが,これ
らの実体が明確に定義されることはなかった.
不満は次第につのっていった.しかし,神経生
理の講義では,少なくとも神経線維における興
医学フォーラム
奮と呼ばれている現象の実体は“活動電位”と
呼ばれる一過性の膜電位変化であることが教え
られ,不満の一部は解消した.これは私にとっ
て信頼するに足る重大な知識であった.病理学
では病気発生の仕組みを聞かせて貰えると大い
に楽しみにしていた.しかし,期待に反して,
この分野は全くの形態学であった.与えられた
知識は火事場の検分所見のような病的形態学所
見のみであった.もっとも,後になってこのよ
うな知識も病気の成り立ちを考える上で必要な
ものであることが分かったが,何分,学生で
あった頃には落胆の気持ちの方が強かった.
3回生(京都では 3年生を 3回生という.当時,
医学部には専門課程しかなかった)になり,臨
床分野の講義が始まった.この年の夏,下宿に
いては退屈なので音楽部の部室にいた. 同級
生の薗君がそこにやってきた.しばらくして,
“ちょっと,心電図室にいってくると”と言って
彼は部室を出たが中々帰ってこない.しびれを
切らして,私も心電図室に出掛けた.そこで仁
木偉瑳夫先生に初めてお目にかかった.これは
運命としか言い様のないものである.心電図の
波形から損傷部位を推定する作業は興味深いも
のであり,夢中になって一所懸命勉強した.し
かし,心電図の波形の変化を Vo
l
umeCo
nd
uc
t
o
r
中における電流の変化で説明するだけでは満足
できなかった.私が活動電位発生の仕組みを知
りたがっていることから,仁木先生は Ho
d
g
ki
n
と Hux
l
e
yの論文を読むと良いが少し難しいの
でその前にシナップス電位に関するものを読む
といいとおっしゃられ,Ec
c
l
e
sの Phy
s
i
o
l
o
g
i
c
a
l
Ba
s
i
so
fMi
ndという本を貸して下さった.確か
に,シナップスに関する話は微分方程式を含ま
ないので活動電位発生に関する話より遥に分か
り易かった.これは Ho
d
g
ki
nと Hux
l
e
yが Ec
c
l
e
s
と共に No
b
e
l
賞を共同受賞する前のことである.
仁木先生は患者さんにも大変親切な方であっ
た.先生が滋賀県にある国立八日市病院の院長
として赴任されるまでの間,先生を慕って心電
図室には多くの学生が出入りしていた.仁木先
生は学生の他に臨床検査技師の面倒もよくみて
おられた.
449
卒業後の進路および選んだ研究
東京中央鉄道病院で卒後研修(インターン)
を受けた.その頃に,東京大学・薬理学教室の
江橋節郎先生の筋収縮を弛緩させる Caキレー
ト剤 EDTAの話をきき,筋小胞体というものに
初めて関心を持った.インターン終了後,仁木
先生のお誘いもあり,先生の許で働かさせて
貰った.付属病院の改築が進行し,心電図室は
臨床検査部へと発展していった時期である.そ
んなある日のこと,仁木先生は第二生理学教室
が助手を求めており,そこは電気生理を専門と
する教室であるので活動電位の研究を進めるこ
とができる.推薦してあげるので,応募しては
どうかとおっしゃられた.私は研究というもの
をこれ迄したことはなく,また将来,人の前で
講義をすることは出来そうもないと言って,一
旦断ったが,講義は出来るようになると強く勧
められ,最終的には,生理学教室の助手にさせ
て頂いた.先生は私の将来を考えて下さったの
だ.生理学教室に移るに当たって,仁木先生は
心電図室の電気刺激装置と微小電極用カソード
フォロワー前置増幅器を持たせて下さった.ま
た,実験は一人でするものだ.それは彫刻のよ
うなものであると教えられた.後ほど,仁木先
生はご自身が彫られた私の印章を下さった.
第二生理学教室は中枢神経の電気生理学を専
門分野としていた.私に課せられた仕事は大脳
皮質の De
nd
r
i
t
i
cPo
t
e
nt
i
a
l
と呼ばれる電気現象
の記録であった.De
nd
r
i
t
i
cPo
t
e
nt
i
a
l
は,大脳皮
質表面を電気的に刺激し,そのごく近傍の細胞
外から記録される電気現象であり,錐体細胞樹
状突起の活動電位の集合であると考えられてい
た.実験にはウサギが用いられた.私はせめて
細胞内記録だけでも成功させようと,実験の度
に夜が白々と明けるまで粘ったが,人工呼吸下
では脳がどうしても動くので,安定した記録に
は成功しなかった.とりあえず,様々の薬物の
効果に関する細胞外記録のデータをまとめるこ
とにしたが,苦しい日々であった.苦しかった
もう一つの大きな原因は実験に動物を用いなけ
れ ば な ら な い こ と で あ っ た.そ の 頃,CAT
450
医学フォーラム
(Co
mput
e
ro
fAv
e
r
a
g
eTr
a
ns
i
e
nt
)という装置が
第二生理に導入され,これを用いて大学院学生
と共に光誘発電位と脳波のα波との関係を非観
血的に調べた.そうした頃,第二生理学教室教
授の岩瀬教授に渡米の話があり,1年間アメリ
カに滞在されることになった.第二生理教授不
在の間,第二生理学教室は第一生理の監督下に
置かれた.第一生理の吉村教授は p
H測定法に
おいて名を為された方である.この教室に細胞
内p
H測定技術を習得する為に京都大学第三内
科から平川千里先生が来られた.平川先生はフ
ルブライト奨学生としてハーバード大学に留学
した経験を持つユーモアに富んだ明晰な秀才で
あった.セミナーで顔を合わせ,話をさせても
らえるのが嬉しかった.私は中枢神経系の研究
から離れ,膜電位固定装置の作製に取り掛かっ
た.平川先生は作製した微小ガラス p
H電極を
用いて細胞内 p
Hを測定するのに適した巨大細
胞を探し,淡水藻である Ni
t
e
l
l
aに辿り着いた.
Ni
t
e
l
l
aについてはさまざまな研究が阪大・
理学
部の神谷研究室において進められていた.平川
先生は神谷研究室に行き,そこで Ni
t
e
l
l
aを用い
る実験法を学んで来られた.平川先生は細胞内
p
Hを測定するのに対電極として通常のガラス
微小電極を用い,記録用電極として先を封じた
p
H感受性ガラス電極を用いられた.液胞内の
p
Hは 6.
8ほどであった.これは世界で初めて直
接測定された細胞内 p
Hの値である.一方,私
は Ho
d
g
ki
n& Hux
l
e
yの論文に載っている回路
図を参考にして,膜電位固定装置を組み上げ,
Ni
t
e
l
l
aを用いて性能テストを行い,この膜電位
固定装置を用いて得た幾つかの実験結果を長野
の学会において発表した.この頃,NI
Hの田崎
一二先生が三崎の東京大学臨海実験所に来られ
て,イカ巨大神経線維について医科歯科大学の
渡辺先生および当時大学院学生であった竹中さ
んと一緒に実験されることを聞き,平川先生と
共に実験の様子を見に行かせてもらったことは
楽しい思い出である.
第二生理の岩瀬教授がアメリカから帰ってこ
られたので,私は中枢神経の電気生理に戻りま
すと申したところ,Ni
t
e
l
l
aは植物ではあるが,
一旦始めたからにはそれを続けなさいとおっ
しゃられた.Ni
t
e
l
l
aの膜電位は負方向へ極めて
大きく,活動電位も発生する.膜電位と各種イオ
ンとの関係を系統的に調べ始め,細胞外 K+ 濃
度を高くすると脱分極が起こることを確かめ
た.次に細胞外液に塩化アンモニウムを加える
と脱分極することに気付いた.このようなこと
をしている私を岩瀬先生はロックフェラー奨学
生に推薦して下さった.1965年春,東京で国際
生理学会が開催された際に,以前から細胞膜の
イオン透過性について独特の見解を幾つも J
.
Ge
n.
Phy
s
i
o
l
.
に発表されている Mul
l
i
ns教授に
会い,1966年の 9月,1年間の奨学金を得て
Mul
l
i
ns教授の許に旅立った.アメリカに旅立
つに先立って,それまで膜電位について考えて
いたこと及び Ho
d
g
ki
nHux
l
e
yの膜電位固定実
験結果ならびに膜電位依存性イオンチャネルに
基づく活動電位発生の数学的モデルに至る過程
をモノグラフの形にまとめ,その原稿を出版社
に渡した.
Bal
t
i
mor
eで道が定まる
メリーランド州 Ba
l
t
i
mo
r
eに在る Ma
r
y
l
a
nd大
学医学部 Bi
o
phy
s
i
c
s講座での研究生活は膜電
位固定装置の作製から始まった.Dr
.
Mul
l
i
nsの
研究室にはいって一番驚いたことは,講座の構
成は日本とほぼ同様であったが,教授である
Dr
.
Mul
l
i
nsを Pr
o
f
e
s
s
o
rと呼ばないことであっ
た.膜電位固定装置の作製に当たって Dr
.
Mul
l
i
ns
は隣りにある生理学講座の Dr
.
Ad
e
l
ma
nを紹介
して下さり,そこで初めてオペアンプというも
のを見た.オペアンプはアナログコンピュータ
の演算素子であり,いわば直流増幅器である.
安定した膜電位固定装置を作るには安定した
直流増幅器が必要である.日本では安定した直
流増幅器を作るのに大変苦労したが,オペアン
プを用いれば,その問題は簡単に解決される.
Dr
.
Mul
l
i
nsの研究室には He
wl
e
t
t
Pa
c
ka
r
dのオ
ペアンプがあった.これは非常に安定したもの
であった.その頃はまだアメリカでも町に電気
部品屋があり,そこに出掛けては必要な部品を
買い揃え,膜電位固定装置を組み上げた.オペ
医学フォーラム
アンプを組み込んだ新しい膜電位固定装置は極
めて満足すべきものであった.
塩化アンモニウムを細胞外液に加えると
Ni
t
e
l
l
aは脱分極することから,NH4+ が細胞内
へ流入するのではないかと思ったが,塩化アン
モニウムは溶液の p
Hを下げるようにも働く.
したがって細胞外液の p
H低下が K+ 透過性を
+
低下させ,K 透過性の低下が脱分極を惹き起
こしたとの考えも否定できない.この点を確か
める為に,Tr
i
s緩衝液およびその他様々な緩衝
液を用いて細胞外 p
Hと膜電位との関係を調べ
る事から実験を開始した.その結果は真に驚く
べきものであった.膜電位は細胞外 p
Hを低下
させると,1p
H低下する度にほぼ 58mVの割合
で脱分極方向へ変化した.その頃の常識では,あ
るイオンの透過性が他のイオンに対する透過性
より圧倒的に高ければ,膜電位はそのイオンの平
衡電位とほぼ等しくなるというものであった.
すなわち,以上の所見は Ni
t
e
l
l
a細胞膜の H+ 透
過性は極めて高いと考えさせるものであった.
一方,放射性 Kを取り込ませた Ni
t
e
l
l
a細胞につ
いて膜電位を固定して行った Kフラックス測定
からは p
H低下による K+ 透過性の低下は殆ど
認められなかった.問題はもう一つあった.細
胞内外液の H+ 濃度から計算した H+ 平衡電位
の値は-30mV程度であるにもかかわらず,細
胞内外の電位差である膜電位の値は-160mV
もある.細胞膜の H+ 透過性が極めて大きけれ
ば,膜電位は H+ 平衡電位に等しくなる筈では
ないか.しかし,H+ 平衡電位と膜電位との差
は極めて大きい.この問題について何日も考え
込んでしまった.
膜電位が H+ 平衡電位の変化に従って変化す
ることから,細胞膜の H+ 透過性は極めて高い
ことは間違いなかろう.然るに,膜電位の値は
H+ 平衡電位より遥に負である.膜電位が H+ 平
衡電位より負であれば,H+ は受動的に細胞外
から細胞内へ常に流れ込んでいるはずである.
H+ が持続的に細胞内に流れ込んでいれば,細
胞内 H+ 濃度は次第に高くなり,やがて H+ 平
衡電位は存在する膜電位と等しくなる筈である.
理屈は堂々巡りをした.ある日,Ni
t
e
l
l
a細胞膜
451
には H+ を常に排出している起電性 H+pumpが
存在するであろうとの考えが浮かんだ.起電性
pumpが働いていれば,定常状態では pumpによ
り運ばれる電流と受動的に流れるイオンによっ
て運ばれる電流の総和はゼロである.ところ
で,もし pumpによって運ばれる電流が膜電位
とは無関係であれば,起電性 H+pumpが働いて
いる Ni
t
e
l
l
aの膜電位は現象的には次の式で表さ
れるというのがその骨子である.
(1
)
1年間の滞米期間はどんどん終わりに近づき,
気持ちは焦っていた.こうした中,何とか 6月
頃には論文原稿の初稿を書き上げることができ
た.Dr
.
Mul
l
i
nsに原稿を見てもらった.原稿が
真っ赤になるほど文章は直されていたが,論旨
はそのままであった.最終原稿をまとめるにあ
たって Dr
.
Mul
l
i
nsに共著にすべきかどうか訊ね
たところ,この仕事は君自身の i
d
e
aで進めたも
のであり,奨学金も自分で取ってきたのである
からこの論文は君個人のものである.ヨーロッ
パの Pr
o
f
e
s
s
o
rはおそらく自分の名前を入れる
であろうが,私はその様なことはしない,と
おっしゃられた.Dr
.
Mul
l
i
nsはイギリスから独
立を勝ち取った誇り高いアメリカ人であった.
J
.
Ge
n.
Phy
s
i
o
l
に送ったのは 8月の末頃であっ
たように思う.その際,Dr
.
Mul
l
i
nsは編集者宛
ての手紙を副えてくれた.帰国の際に,大変お世
話になったと感謝の言葉を述べたところ,彼は自
分の為すべきことをしたまでのことであると
おっしゃられ,更に驚いたことには,po
s
i
t
i
o
nを
用意しておくので再び来るように,と言って下
さった.帰国して目にしたものはインターン問
題から発した大学紛争の前夜であった.やがて
紛争が始まり,大学は封鎖され,研究どころでは
なかった.府立医大における紛争は京都府の特
殊性から特に激しかった.1970年,今度は家族
を連れて,再度 Ba
l
t
i
mo
r
eを訪れた.Dr
.
Mul
l
i
ns
は客員教授の席を用意して下さっていた.1年
間を再び Ni
t
e
l
l
aを用いる実験で過ごして帰国し
たところ,大学紛争は収まっていたものの,大
452
医学フォーラム
学からは有能な若い研究者が数多く失われ,ま
た国立大学と公立大学の研究費の差はますます
大きくなっていた.そうした中,生理学会・若
手グループの中から生まれた大学共同利用研究
所を作ろうとの声が学会の要望として認めら
れ,この研究所の設立に業務専門委員として,
多少,関与することになった.現在,岡崎にあ
る国立共同研究機構生理学研究所がそれである.
この頃,生物系の研究所の新設計画と並行し
て,北は旭川から南は宮崎まで,7つの医科大
学が新設されることになった.滋賀医大もその
中の一つであり,ここに推薦して頂いた.大学
では実験も満足にできなかったので,1975年晩
秋から 1976年にかけて冬の間 4ヶ月をスェー
デンのカロリンスカ研究所の Fr
a
nk
e
nha
e
us
e
r
教授の許でアフリカツメガエルの有髄神経線維
の膜電位固定実験に従事した.カロリンスカ研
究所に滞在中に,ベルリン自由大学の Si
e
g
e
l
教授の招待を受け,K+ チャネルの K+ 親和性と
I
ns
t
a
nt
a
ne
o
usI
Vr
e
l
a
t
i
o
nについて講義する機
会を得た.1976年春に帰国した.
pumpに関する論文は世
Ni
t
e
l
l
aの起電性 H+界的にかなりの反響をもたらした.ところで,
Ni
t
e
l
l
a細胞膜の K+ 透過性が必ずしも無視出来
る程低くないことが気になっていた.その頃,
東京大学理学部の田澤研究室からは,Ni
t
e
l
l
aの
+
pumpが細胞内の ATPによって駆動される
Hことを示す直接的な実験結果が報告された.こ
の報告を受けて,先に示した式の第 2項を詳細に
再検討した.H+pumpによって運ばれる H+ 電
+
流は,Hpumpの内部抵抗を(g
H)
p
umpで表し H 次の式で表
pumpの逆転電位を(Epump)
r
e
v表すと,
され,
(2a
)
静止状態では受動的に流れる H+ 電流と H+pumpによって運ばれる電流の総和はゼロであ
ることから,次の式が導き出される.
(2b
)
この段階で,
(Epump)
TP濃度との関係を明
e
vと A
r
らかにしようと試みた.
H+ の排出と ATPの加水分解とが共役してい
+
れば,膜電位が(Epump)
r
e
vに等しいときには H を
細胞に押し戻そうとする力と ATPが加水分解
しようとする力(傾向)とは釣り合い,H+pump
によって運ばれる電流はゼロとなるので,ここ
pumpの逆転電位と ATP/
ADP濃度比と
から H+の関係を示す次の式が導き出せる.
(2c
)
ただし,上式の nは ATPが 1分子分解する度に
輸送される H+ イオンの数であり,KATPは ATP加
水分解の平衡定数である.⊿GoATPは生化学の
本に-7.
3Kc
a
l
/
mo
l
と記載されているので,これ
24
×105 mo
l
e
s
/
l
と
から計算すると KATPの値は 2.
なる.
(2c
)式を(2b
)式に代入すると,膜電
位と ATP/
ADP濃度比との関係を示す式が得ら
れる.
(2d
)
すなわち最初の式(1
)の第 2項は上式(2d
)の
第 2項の内容を持つことが明らかとなり,これ
で,細胞膜の H+ 透過性が K+ 透過性に較べて
必ずしも圧倒的に高くなくても,膜電位は細胞
外液の p
H変化に従って-58mV/
p
Hの割合で変
化することが理論的にも理解できるようになっ
た.すなわち,この論議は,K+ は起電性 H+pumpの働きによって決まる膜電位と細胞外 K+
濃度の両方に平衡するように分配されること,
言いかえれば,細胞内 K+ 濃度は細胞外 K+ 濃
度と膜電位の変化に従って受動的に変化するこ
とを示している.なお,Ni
t
e
l
l
aは植物であるの
で,ATPは細胞内の葉緑体において光合成に
よって合成される.
Ni
t
e
l
l
aに起電性 H+pumpが存在することを
報告した頃,生化学の分野では,ミトコンドリ
アにおける ATPの合成に関する P
.
Mi
t
c
he
l
l
の化
学浸透説が注目を浴びていた.P
.
Mi
t
c
he
l
l
も
Ho
d
g
ki
nおよびHux
l
e
yと同じく英国の人である.
医学フォーラム
化学浸透説はミトコンドリア内膜を貫く H+ の流
入が ATP合成反応を駆動するというものであ
る.Mi
t
c
he
l
l
の説は言葉の新しさからも注目さ
れた.しかし,H+ の流入と ADPの燐酸化反応
との共役を化学浸透という充分に定義されてい
ない言葉で表した故に,事柄の理解に混乱が生
じていた.ADPと無機燐酸から ATPが合成さ
れる反応は確かに ADPと無機燐酸との結合中
間物質から水が抜け出す反応であるので,これ
は一種の浸透現象のように見える.しかし,
ATP合成反応では溶質の濃度差が溶媒である水
を動かしているのではない.ADPと無機燐酸か
ら ATPが合成される反応の背後には電気化学
的な現象がある.
Ni
t
e
l
l
aでは ATPの加水分解の際に放出される
pumpを駆動する.ところが
エネルギーが H+ミトコンドリアでは H+ の流入が ATP合成反応
を駆動する.したがってミトコンドリアにおけ
pumpの逆転のようなもので
る ATP合成は H+あろうと思った.後に,その反応の場の構造は
それほど簡単なものではないと考えるに至った
が,これについては私自身が未だ充分な実験結
果を持っていないので,ここでは述べないことに
する.しかしとも角,H+ の駆動力である H+ 電
気化学ポテンシャル勾配がどのようにして発生
したかについては,理論的に解析することが可
能であった.一言その最も重要な点だけをかい
つまんで述べると,ミトコンドリア内膜を貫く
電子伝達系は電子の通路であろうということで
ある.ここから次の論議を発展させることがで
きた.
電子の通路である電気良導体では電位勾配に
従って電流は流れる,すなわち,電子の流れのな
いとき,電子伝達系の電子通路には電位勾配はな
い.電子伝達系を流れる電流がゼロである場合,
電子伝達系/溶液界面を貫く電流もない.電子
伝達系と溶液間の界面では電子良導体は酸化還
元反応の触媒の働きをし,界面における電子伝
2H+ 酸化
達系の電子良導体と溶液との間に H2/
還元電位が発生する.電子伝達系のマトリクス
側の界面および細胞質側の界面電位はそれぞれ
電子伝達系終末の H2分圧とその電子伝達系終
453
末に接する溶液の H+ 濃度に依存する.電子伝
達系のマトリクス側界面にはシトクローム酸化
酵素が存在するので,H2は酸素と結合して水
となり,H2濃度は低い.つまり,電子伝達系マ
トリクス側界面の H2分圧はマトリクスの酸素
分圧に依存する.一方,電子伝達系の細胞質側
e
nz
y
me
Q
界面の H2分圧はその部分の還元型 Co
(ub
i
q
ui
no
ne
)の濃度に依存する.Ub
i
q
ui
no
neに
結合している H2は遠くの解糖系および TCAサ
イクルにおいて発生したものである.解糖過程
において発生した H2およびマトリクスに存在
する TCAサイクル系において発生した H2はマ
トリクス内の NAD+ と結合して NADHとなり,
マトリクス内を濃度勾配に従って内膜のマトリ
クス側界面まで受動的に移動し,これらの H2は
NADH脱水素酵素を介して ub
i
q
ui
no
neに渡さ
れ,内膜を貫く ub
i
q
ui
no
ne鎖を通って電子伝達
系の細胞質側界面まで拡散してくる.したがっ
て,電子伝達系の細胞質側界面における H2分
圧は解糖系および TCAサイクルの H2供給能に
依存することになる.
ミトコンドリア内膜には膜を貫く電子伝達系
および ub
i
q
ui
no
n鎖の他に H+ チャネル蛋白も
存在する.この H+ チャネルのマトリクス側終
末には ATPa
s
e活性を持つ共役因子が結合して
いることが Ka
g
a
wa&Ra
c
k
e
rによって報告され
+
ていた.H の流れも電流を運ぶので,H+ チャ
ネル・
共役因子系と電子伝達系とが閉じた電気
共役
回路を形成することになる.H+ チャネル・
因子系が H+ を殆ど通さない条件下では,この
電気回路を流れる電流はゼロに極めて近く,し
たがって電子伝達系を流れる電流もゼロに極め
て近くなる.この条件下では電子伝達系の電子
の通路には電位勾配は生じていないので,この
場合の膜電位は電子伝達系のマトリクス側界面
電位と細胞質側界面電位との和となる.さら
2H+ 酸化還元反応はそ
に,両界面における H2/
れぞれ平衡状態に達しているので,この場合の
膜電位はマトリック側と細胞質側との H2濃度
比に依存する項とマトリクスの H+ 濃度と細胞
質の H+ 濃度との比に依存する項とを加え合わ
せたものとなる.マトリクスと細胞質の H+ 濃
454
医学フォーラム
度比に依存する項は H+ 濃淡電池の平衡電位と
同じ形になることに注目して欲しい.念のた
め,以上のことを数式で示すことにする.
電子伝達系/
溶液間界面における下記の H2/
2H+
酸化還元反応が平衡状態に達していれば,
電子伝達系 /
溶液界面における溶液と電子伝達
系終末との間に次の式で表される電位差が発生
する.
(3a
)
Ψ ETは電子伝達系終末の電位であり,Ψ solは電
子伝達系に接触している溶液の電位である.
Co
ns
tは上記の反応の平衡定数に依存する定数
である.上式を用いると,マトリクスの電位,
i
,は次
すなわちミトコンドリア内の電位(Ψ sol)
のように表され,
(3b
)
(3e
)式を書き換えると,次のようになる.
(3f
)
ところで,H+ に働く駆動力は膜電位から H+
平衡電位を差し引いたものである.したがって,
(3f
)式から H+ 平衡電位を差し引くと,H2濃度
比に依存する項のみが残る.
(Drinving Force acting on H+)I=0 =
RT [H 2 ]i
ln
2 F [H 2 ]o
(3g
)
ATPが合成されている状況下では,H+ チャ
ネル・共役因子系を通って H+ がマトリックス
に流れ込み,同時に H+ の流れが運び込んだ電
流と同じ大きさの電流が電子伝達系を通って外
向きに流れる.その電流の大きさを Iで示し,電
子伝達系のコンダクタンスを g
e
l
e
c
t
r
o
nで示すと,膜
電位は I
/
g
だけ変化し,その分だけ
H+ に働
e
l
e
c
t
r
o
n
く駆動力は減少する.一般的に,ATPが合成さ
れている状況下における H+ に働く駆動力の大
きさは次のようになる.
細胞質の電位,すなわちミトコンドリア外の電
,は次のよう表される.
位(Ψ sol)
o
(3c
)
一方,膜電位はミトコンドリア内の電位(Ψ sol)
i
からミトコンドリア外の電位(Ψ sol)
oを引いたも
のであり,
(3d
)
(3d
)式に(3b
)式および(3c
)式を代入する
と,c
o
ns
t
は消去され,また,電子伝達系の電子通
=
路を通る電流がゼロに極めて近ければ,
(Ψ ET)
i
(Ψ ET)
oとなるのでこれらも消去される.した
がって,電子伝達系と H+ チャネル・
共役因子系
からなる閉回路を流れる電流がゼロである場合
の膜電位 E0は次の式で表される.
(3e
)
(3h)
+
上式における g
H は膜を貫いて移動する H に関
するコンダクタンスである.
前に述べたことではあるが,マトリクス側の
H2濃度は酸素分圧に依存し,細胞質側の H2濃
度は解糖系および TCAサイクルの H2供給能力
に依存するので,全体として,H+ に働く駆動力
は,電子伝達系マトリクス側界面(内側界面)
の酸素分圧と電子伝達系細胞質側界面(外側界
面)へ H2を供給している系の供給能力とのこ
の 2つにのみに依存することになる.この水素
分圧比に由来する力が ADPの燐酸化反応を駆
動する.すなわち,ADPの燐酸化反応を駆動す
る力は H+ の電気化学ポテンシャル差である
が,電 子 伝 達 系 の 内 外 両 界 面 に あ る 2つ の
2H+ 酸化還元電池が膜電位を形成している場
H2/
合には,H+ に働く駆動力である H+ の電気化学
医学フォーラム
ポテンシャル差は電子伝達系の内外両界面の
H2濃度のみに依存する形となる.このことを
明らかにした.
H+ の流れと ATP合成反応との共役の場の構
造については鞭毛を動かす H+ モータとの類似
が考えられる.
滋賀医大における研究
1974年秋に滋賀医大は設立され,1977年 4
月,この新設の医科大学に赴任した.新しい教
室を立ち上げるにあたり,エネルギー代謝の観
点から,膵β細胞の活動を中心に研究分野を広
げていくことにした.同時に,膜電位依存性イ
オンチャネルのゲート機構解明と褐色脂肪細胞
の脱共役現象の解明をも目指したが,この 2つ
の分野は充分に発展させることができなかっ
た.この分野に従事した教室員の方々には,誠
に申訳なく思っている.
膵β細胞の細胞内電位を記録することは神経
細胞内から記録する場合とは比較にならないほ
ど難しかった.ランゲルハンス島内に詰まって
いる内分泌細胞は小さい上に強固に固定されて
いないので,これに電極を刺入するには先端が
極めて細い鋭利な微小電極が必要であった.電
極が細ければ細いほど,電極を溶液で満たすこ
とは困難であった.しかし電極の材料となるガ
ラス管を厳密に吟味することによってこの問題
は克服できた.マウス膵β細胞から苦労して記
録した電気的活動は息を呑むほど美しかった.
細胞外 g
l
uc
o
s
e濃度が 50mg
/
d
l
(2.
8mM)であ
るとき細胞は静止状態にあるが,細胞外 g
l
uc
o
s
e
濃度を 50mg
/
d
l
から 100mg
/
d
l
に高めると,細胞
は緩やかに脱分極し,その上に s
pi
k
eが群発する.
細胞外g
l
uc
o
s
e濃度を更に高くすると,s
pi
k
e群の
持続時間は長くなり,それと共に,s
pi
k
e群と
s
pi
k
e群との間の休止期は短くなる.細胞外
g
l
uc
o
s
e濃度が 400mg
/
d
l
以上になると,s
pi
k
e群
とs
pi
k
e群との間にもはや休止期は認められず,
s
pi
k
eは発生し続ける.このような s
pi
k
e群パ
ターンがどのようにして生じるのか,これを当
初の主な研究対照とした.
最初に s
pi
k
e発生の際に如何なるイオンが流
455
入するかを調べる為に細胞外イオン組成を変え,
2+
感
電気的活動の変化を調べる実験と共に,Ca
受性蛍光色素をβ細胞に取り込ませ,顕微測光
2+
濃度を継時的に測定
装置を用いて細胞内 Ca
する実験をも行った.細胞外 g
l
uc
o
s
e濃度を 50
2+
mg
/
d
l
から 200mg
/
d
l
に変えると,細胞内 Ca
濃
度は一旦僅かに低下した後,s
pi
k
e発生に対応し
2+
濃度が急上昇し,休止期に細胞内
て細胞内 Ca
2+
Ca
濃度は緩やかに低下することが確かめられ
2+
濃度は
た.すなわちs
pi
k
e群発生中は細胞内Ca
2+
上昇し,s
pi
k
e発生が抑制されると細胞内 Ca
濃
2+
度は低下する.このことは s
pi
k
e発生と共に Ca
が細胞内に流入することを示すものである.さ
らに驚くべきことは,細胞外 g
l
uc
o
s
e濃度を 200
+
濃度を 25mMに
mg
/
d
l
としておき,細胞外 Na
下げると,s
pi
k
e群と s
pi
k
e群との間の休止期は
消失し,s
pi
k
eは連続して発生し続けたことであ
る.この所見がその後の発展の端緒となった.
2+
+
は細胞外の Na
と交換する形で
細胞内 Ca
細胞外へ排出されることは多くの細胞で認めら
れている.そこで,β細胞にも Na
/
Ca対向輸送
系が存在するかどうかを調べるために,細胞外
+
+
+
を Li
あるいは Tr
i
s
で置換してみた.細
Na
+
2+
胞外 Na を 25mMまで下げると,細胞内 Ca
濃
度は持続的に上昇し,高いレベルに達すること
が分かった.このことは明らかに Na
/
Ca対向輸
2+
送系によって細胞内 Ca が細胞外へ排出され
+
ることを示すものである.Na
が流入すると,
+
細胞内 Na 濃度は上昇する.このことと先程述
べた電気的活動の変化との関係を考えた.細胞
+
濃度の上昇は Na
/
Kpumpにおける ATP
内 Na
の消費を増加させることは既に知られている.
そこで,ATP消費速度の上昇が細胞の電気的活
動に何らかの影響を与えるのではないかと思い,
Na
/
Kpumpの特異的阻害物質である o
ua
b
a
i
nを
加えた場合の電気的活動の変化を調べることに
した.
細胞外 g
l
uc
o
s
e濃度が 200mg
/
d
l
である場合,
o
ua
b
a
i
nを加えると,あたかも細胞外 g
l
uc
o
s
e濃
度を高めたかのように,s
pi
k
e群の持続時間は長
くなり,s
pi
k
e群と s
pi
k
e群との間の休止期は短
縮すると共に脱分極方向へ移動し,遂には休止
456
医学フォーラム
期は消失し,s
pi
k
eが連続的に発生することが認
められた.Oua
b
a
i
nは Na
/
Kpumpを抑制するこ
とによって ATP消費速度を低下させるので,こ
の実験所見は,ATP消費の減少が細胞内 ATP濃
度を上昇させ,細胞内 ATP濃度の上昇が脱分極
を惹き起こすと考えさせる.細胞外 g
l
uc
o
s
e濃
度が 150mg
/
d
l
である場合には,o
ua
b
a
i
n投与に
よって惹き起こされる s
pi
k
e群と s
pi
k
e群との間
の休止期短縮の進行速度は g
l
uc
o
s
e濃度 200
mg
/
d
l
の場合より遅く,また休止期が完全に消
失することもなかった.このことは ATP合成
速度が低ければ,ATP消費を抑制しても細胞内
ATP濃度の上昇速度は遅いことを示すものであ
ろう.ATP合成速度はミトコンドリアにおける
H2供給速度に依存するので,細胞内 NADHレ
ベルを測定することにした.細胞内 NADH濃度
はこの分子の蛍光を利用することによって測定
することができる.細胞外 g
l
uc
o
s
e濃度が上昇す
ると,細胞内 NADHレベルが上昇することが確
かめられた.また更に,Oua
b
a
i
nを細胞外液に加
えることによって s
pi
k
eが連続的に発生している
ときに,解糖系の阻害剤である Ma
nno
he
pt
ul
o
s
e
を加えると,再分極が起こり,s
pi
k
eの発生は完
全に抑制された.このことは,ATP消費を抑制
しておいても,ATP合成が阻害されると,細胞
内 ATPレベルが低下し,細胞内 ATP濃度の低下
が再分極をもたらすことを強く示唆する.しか
し,この論文には多くのことを書き過ぎた.論
文はあまりにも s
pe
c
ul
a
t
i
v
eであるとの理由で,
J
.
Phy
s
i
o
l
にr
e
j
e
c
tされた.
細胞内 ATP濃度を継時的に測定できないか,
いろいろと考えた.ATP感受性蛍光物質である
Luc
i
f
e
r
i
nLuc
i
f
e
r
a
s
eを細胞内に取り込ませると
ATPが消費され,細胞内 ATP濃度が低下するる
おそれがあった.細胞内 ATP濃度を継時的に
測定するのに苦慮している頃,心筋細胞に ATP
感受性 K+チャネルが存在することが生理学研
究所・
入澤研究室の野間助教授(当時)によって
報告され,その翌年,膵β細胞にも ATP感受性
K+ チャネルが存在することが英国の Co
o
k&
Ha
l
e
sによって報告された.そこで,ATP感受
性 K+ チャネルの活動を指標として細胞内 ATP
濃度の変化を継時的に調べることにした.
実験には細胞外から細胞膜にパッチ電極を密
着させて K+ チャネル電流を記録するパッチク
ランプ法(Ce
l
l
a
t
t
a
c
he
dmo
d
e
)を用いた.幸い
+
なことに,記録される K チャネル電流は殆ど
全て ATP感受性 K+ チャネルであった.Oua
b
a
i
n
+
を細胞外液に加えると,K チャネルの開確率は
徐々に低下し,o
ua
b
a
i
nを取り去ると,K+ チャ
ネルは再び開閉を繰り返すことが確かめられ
た.
細胞外液の g
l
uc
o
s
e濃度が上昇すると膵β細
+
胞の K チャネルが閉じることは既に報告され
ている.そしてこの K+ チャネルが ATP感受性
K+ チャネルであることも知られている.残る問
題は何が細胞内 ATP濃度を制御するかという
ことであった.私どもの研究室で得られた所見
+
流入が増加すると,細胞内 ATP濃度が
は,Na
低下し,また,ATP合成系が正常に機能してい
る限り,Na
/
Kpumpの働きを抑制すると,β細
胞内の ATP濃度が上昇し,解糖を抑制すると細
胞内 ATP濃度が低下するものであった.我々
は,この実験結果から,s
pi
k
e群パターンの出現
について次の結論を導いた.すなわち, 1)細
胞外 g
l
uc
o
s
e濃度が上昇して細胞内 ATP濃度が
高くなると,ATP感受性 K+ チャネルが閉じ,
脱分極が起こり,その脱分極の上に s
pi
k
eが連
続して発生する. 2)Spi
k
e発生と共に細胞内
2+
2+
Ca
濃度が上昇し,細胞内 Ca
濃度の上昇は
+
濃度の上
3Na
/
Ca対向輸送系を介して細胞内 Na
+
昇をもたらし,細胞内 Na 濃度の上昇は Na
/
Kpumpにおける ATP消費を増加させ,その結果,
細胞内 ATP濃度が次第に低下し,ATP感受性
pi
k
eの発生
K+ チャネルが開き再分極が起こり,s
は停止する. 3)Spi
k
eが発生しない休止期に
+
濃度は徐々に低下して
おいては,細胞内 Na
ATP消費速度が低下する結果,細胞内 ATP濃度
は次第に上昇に転じる.その変化速度は解糖系
および TCAサイクルにおける NADHの生成速
度に依存する. 4)細胞内 ATP濃度が上昇して
脱分極が起こると,再び s
pi
k
e群が発生する,と
いうものである.
同級生の滋賀医大解剖学講座・越智淳三教授
医学フォーラム
の指導を得て電顕を用いて調べてみると,膵β
細胞内には i
ns
ul
i
nを含む分泌顆粒が密に存在
しているが,ミトコンドリアの密度は低い.ま
た,分泌顆粒内物質は開口分泌によって細胞外
へ放出されていることを示す像が得られた.放
出された i
ns
ul
i
nは血行を介して筋および脂肪
細胞膜表面の受容体に働き,細胞膜における
g
l
uc
o
s
e輸送担体の数を増加させる.このこと
は Ko
noおよび Cus
hma
nにより報告されている.
β細胞における分泌顆粒膜・細胞膜融合は細胞内
2+
Ca
濃度の上昇によって惹き起こされ,細胞内
における分泌顆粒移動に細胞内 ATPが関与する
ことは,スウェーデン Lund大学の Dr
.
Ro
r
s
ma
n
と私どもの教室員との共同研究による膜容量測
定実験によって確認することができた.
次に,如何なる場合に高血糖状態が持続する
かを考えた.Spi
k
eが連続して発生し続ける限
2+
り,細胞内 Ca 濃度の高い状態が持続する.正
2+
常ならば,細胞内 Ca
は 3Na
/
Ca対向輸送系を
+
介して細胞外へ排出され,この際に流入した Na
+
+
が細胞内 Na 濃度の上昇をもたらし,細胞内 Na
濃度の上昇が Na
/
Kpumpにおける ATP消費を
増加させるので,やがて細胞内 ATP濃度が低下
し,再分極が起こり s
pi
k
e発生は停止する結果,
2+
無制限に細胞内 Ca 濃度が上昇しつづけるこ
とはない.ところがたとえば過食によって細胞
外g
l
uc
o
s
e濃度の非常に高い状態が持続すると,
ATP合成速度の高い状態が持続し,s
pi
k
eは発
2+
/
Ca対
生し続け,流入した Ca の大部分は 3Na
向輸送によって排出され続けるが,Na
/
Kpump
+
排出速度が充分でなくなれば,細胞内
の Na
2+
2+
は元来,
Ca 濃度の高い状態が持続する.Ca
燐酸と結合して難溶性の燐酸カルシウムとなり
沈殿する傾向が強いイオンである.したがっ
2+
て,異常に増加した細胞内 Ca
が細胞内構造物
に沈着する可能性は高い.これがいわゆる膵β
細胞の疲弊と呼ばれる現象の実態であろう.
2+
がミトコンドリア内に流入
β細胞内の Ca
し,そこに沈着すれば,ミトコンドリア膜に損
傷が起こり,ATP合成機能は損なわれ,細胞内
ATP濃度は低下する.一旦,ATP合成能が修復
不可能なほどの損傷を受ければ,もはや細胞内
457
ATP濃度が上昇することは不可能となり,脱分
極が起こることはなく,s
pi
k
e群は発生せず,し
たがって i
ns
ul
i
nは放出されない.こうなれば,
筋および脂肪組織における g
l
uc
o
s
e取り込みが
減少し,消化管において吸収された g
l
uc
o
s
eは
血液中に長く留まり,高血糖状態が持続する.
この場合でも経口糖尿病薬とされる s
ul
f
o
ny
l
ur
e
a
剤によって ATP感受性 K+ チャネルを閉じさせ
ると,s
pi
k
e群を発生させて i
ns
ul
i
nを放出させ
ることは出来る.しかしこうすることによって
一時的には血糖値を下げることは出来ても,多
少でも ATP合成能が残っているミトコンドリ
アの更なる損傷を招くことになるであろう.こ
れは病に疲れた人を鞭するようなものである.
心すべきである.糖尿病で認められる高血糖症
状の背景には i
ns
ul
i
n分泌の減少があり,i
ns
ul
i
n
分泌減少の背景に膵β細胞のミトコンドリに燐
酸カルシウムの沈着があると考えられる.病理
組織の上でもこれが証明されることを願ってい
る.
持続的な高血糖状態は門脈血から肝細胞に流
れ込む g
l
uc
o
s
eの量を増加させ,肝細胞におけ
る脂質合成が増加して血中の脂質濃度が上昇
し,末梢組織細胞に流入した脂質はβ酸化を受
け,過剰に生成したアセチル Co
Aから有機酸が
生じ,有機酸の一部は細胞外へ拡散する.有機
酸の解離により生じた H+ は血中に充分量の
HCO3- が存在する限り,血中の HCO3- と結合
して肺に運ばれ,CO2ガスとなって肺胞から体
外へ排出されるので,動脈血が酸性化すること
はない.しかし,持続的な有機酸の生成は血漿
HCO3- 減少をもたらし,血漿 HCO3- 濃度が数
mM程度まで低下すると,動脈血は急に酸性化
する.血漿 HCO3- 濃度が極度に低下すると,
Kus
s
ma
ul
呼吸と呼ばれる呼吸促進が起こる.
呼吸促進は頚動脈小体および大動脈小体にある
H+ 受容器細胞の脱分極によるものであろう.
ところで,高血糖状態が持続すると,末梢知覚
障害も起こる.知覚障害が神経線維の脱分極に
よるとはとても考えられない.これが気がかり
であった.この段階まで進んだときに停年を迎
えた.
医学フォーラム
458
現在の関心事
糖尿病の所謂三大合併症状の一つとして末梢
知覚障害が知られているが,この症状の出現機
構はまだ完全には明らかにはされていない.こ
の末梢知覚障害は表面電位の変化によるもので
はなかろうかと長らく考えていた(注:表面電位
は,膜に接する溶液のうち,膜表面に直接に接している
部分と膜表面から遠く離れた部分との間の静電的な電
位差である.
)
.停年後は実験室を持たないが,講
義および実習の負荷が無く,また管理上の仕事
からも解放されているので,思考および計算実
験に専念できる.これは誠に幸せなことであ
る.膜電位依存性イオンチャネルのゲートが開
く速さおよび閉じる速さは細胞膜中の電位勾配
の関数である.膜電位は膜中電位差(膜中電位
勾配に膜の厚さを掛けたもの)に細胞内側表面
電位および細胞外側表面電位(注:すべてその
系の細胞内側の電位から細胞外側の電位を差し
引いたものを以って表すとする)を加えたもの
である.細胞外側の H+ 濃度が上昇すると,膜
表面の負の電荷を持つ固定電荷は電気的に中和
され,その結果,膜表面の負の固定電荷密度が
低下し,細胞外側表面電位が正方向へ変化する
ことは間違いない.細胞外側表面電位が変化す
ると,膜中電位勾配は変化するであろう.細胞表
面の固定電荷密度が変化することによる表面電
位の変化を求めるにあたって,Go
uy
Cha
pma
nn
式を用いた.膜表面に一辺 33Å 四方の正方形
内に 1個の割合で負の固定電荷が存在すると,
細胞外液のイオン総濃度(陽イオンおよび陰イ
オンの濃度を加え合わせたもの)が 300mMで
ある場合には細胞外側表面電位が-50mVとな
り,一辺 19Å 四方の正方形内に 1個の負電荷が
存在すると,表面電位が-100mVになることが
計算により求められた.次に,細胞膜を構成す
る極性脂質は主に燐脂質であることから,細胞
膜表面の極性基の p
Kaを 7.
2と仮定し,p
Hを横
軸とする解離曲線を描き,p
H7.
4であるときの
細胞外側表面電位の大きさは- 5
0mVであると
して,各 p
Hにおける表面電位の大きさを計算
した.当初,細胞外側の表面電位が変化しても,
膜電位は変化しないと漫然と考えていた.しか
し,暫く考えているうちに,膜電位依存性イオ
ンチャネルを有することを特徴とする神経線維
においては,膜電位が未だ変化していない初期
状態においても表面電位が変化すれば,膜中の
電位勾配が変化する.その結果,チャネルの
g
a
t
eの状態が変化し,Naコンダクタンスも Kコ
ンダクタンスも変化するので次の瞬間,もはや
膜電流の総和はゼロでなくなる.その結果,膜
電位は初期値から偏位する.膜電位が変化する
と,膜中電位勾配が変化し,各イオンコンダク
タンスもまた変化し,膜電流も変化することに
気がついた.したがって,膜電位が自由に変化
しうるような条件下では,表面電位が変化した
後,膜電位が定常的な値に達するまで,微小時
間ごとに新たに膜電位の値を求め,その膜電位
における各チャネル・
ゲートの変化速度を求め,
その変化速度からチャネルの開確率を計算し,
各イオンコンダクタンスの値を求める計算を繰
り返さなければならないことになる.膜電位依
存性チャネルの g
a
t
eの変化速度と膜中電位勾配
との関係を表す式には Ho
d
g
ki
nHux
l
e
yのもの
を用いた.細胞外側表面電位が 5mV正方向へ
+
変化すると,定常的な状態に達したときの Na
コンダクタンスの値は初期値と同様にほぼゼロ
であるが,K+ コンダクタンスは初期値より僅か
に小さい.K+ コンダクタンスの減少は脱分極
をもたらす.つまり細胞外側表面電位の正方向
への変化後に定常状態に達したときの静止膜電
位は初期値より僅かに脱分極側に位置するとい
う計算結果を得た.具体的には,細胞外 p
Hが
正常値である 7.
4から 7.
2に変化すると,細胞外
側表面電位は 7mV正方向へ変化し,定常状態
に達したときの静止膜電位は,初期値より 3.
3
mV脱分極側へ移動する.一方,膜電位の変化
から細胞外側表面電位の変化を差し引いたもの
が膜中電位差の変化であるので,定常状態に達
したときの膜中電位差は 3.
7mV負方向へ移動
したことになる.膜電位が脱分極方向へ移動し
ても,膜中電位勾配が負の方向に大きくなるの
で,あたかも過分極したかのように,活動電位
は発生し難くなる.つまり,細胞外 p
Hが 7.
2に
医学フォーラム
低下している場合には,正常 p
Hの場合にかろ
うじて活動電位を発生させることができる大き
さの外向き電流を加えても,活動電位は発生し
ない.それより大きい外向き電流を持続的に加
えると,活動電位は繰り返し発生するが,正常
p
H溶液中で見られる活動電位発生頻度に較べ
て,活動電位発生頻度は低い.活動電位発生頻
度の低下は感覚量の減少と知覚される.これが
末梢知覚障害であろう.なお,糖尿病が進行し
た際に,遠心性神経には障害がなく,末梢知覚
障害のみが現われることに関しては,求心性知
覚神経が末端付近では髄鞘を失い,神経線維膜
表面が細胞外 p
H変化の直接的な影響を受け易
くなることに由来すると考えられる.
地球の歴史において,生命は細胞の出現と共
に始まると言えよう.細胞は細胞膜を持ってい
るからこそ個として成り立ち,膜があるからこ
そ,非平衡の状態を保つことができる.非平衡
の状態から平衡状態へ落ち込もうとする傾向
(力)
,これが生命現象を起こさせる源泉であ
る.生体膜は脂質 2分子層を基本としている.
つまり,細胞が出現するより前に膜を形成する
能力を持つ両親媒性脂質が存在しなければなら
ない.更にまた,ATPの合成にしろ,糖の合成
にしろ,また蛋白の合成にしろ,触媒が必要で
ある.生体内における触媒の大多数は複雑な構
造をもっている.どうしてこのような複雑な物
質が細胞出現以前に既に存在していたのか,不
思議なことである.これらが他の星から来たと
説明しても,それは解決にはならない.宇宙に
は未知のものが多く残っている.もしまた生ま
れてくることができれば,このような謎を解い
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てみたいと想っている.
最後に次のことを書き添えておきたい.生
涯,大変お世話になった仁木偉瑳夫先生には甚
だ申し訳ないことをしてしまった.先生が 80
歳をお迎えになられたときにお祝いをしようと
思っている内にその機会を失ってしまい,とう
とう偲ぶ会を開くことになってしまった.為す
べきことをしなかったことが心残りである.過
ぎ去った時間は,取り返すことは出来ない.為
すことが出来る間に為すべきことを為さなけれ
ば,悔いは永遠に残る.
後輩へのことば
新しい技術は常に古くなる.新しいことをす
るには新しい方法を見つけなければならない.
このことを私は痛切に思う.同時に,現在利用
可能な技術は出来る限り使えるようにしておか
なければならない.方法の世界が狭ければ,思
考の世界も狭くなる.
もう一つ,Ev
i
d
e
nc
e
b
a
s
e
dMe
d
i
c
i
neという言
葉をよく耳にする.医学が科学である限り,根
拠に基づくのは当然のことである.しかし,そ
の根拠とする事象の起こる確率が 100%でない
場合,しかじかの確率でこれが起こるといった
結論だけで満足してはならない.その事象の起
こる確率がどうして 100%でないのか,これを
自然の原理に従って考えぬくことが大切であ
る.そこに発展の糸口がある.人間には推論す
る能力がある.それを大事にしたい.推論は個
人の戦いである.科学上の真理は多数決によっ
て決まるものではない.