Borderless Life 03 平松宏之 国際社会で活躍する日本人たちは、 自分しか頼るものがない世界で、 どのように自分をプロデュースしていったのか。 彼らの経験と力強い生き方から、 新時代を生き抜く勇気とヒントを学んでゆく。 HIROYUKI HIRAMATSU 己を持ち、表現することが 新しい文化の創造につながる 絵画を入り口として愛した国の文化を理解し、表 現する手 段として、フランス料 理のシェフを目指 したのだ。国内の一流ホテルを経て、本場フラン スに学ぶ。それは料理の世界では、平松氏以前 から見られた武者修行のありかたであり、その意 かのミシュランから、 オーナーシェフとして史上初めて星を獲得した日本人がいる。 味では、昔からコスモポリタンを数多く輩出してい 食という究極の異文化を、彼の地で認めさせるに至った秘密は る分野である。 日本人の血でも文化でもない。己を知り、 それを表現したことだった。 しかし、平松氏の修行は、たんにフランス料理 の腕を磨くだけにとどまらなかった。フランス文化 Text: Akira Yokota Photograph: Yukio Yoshinari の根底をなす真理を、 その中で学んできたのである。 50歳。20代にフランスで修行し、帰国後の日本 「あそこでは、血は関 係ないんです」というのが フランスで星を得たシェフ でフランス料理はもちろん、カフェやイタリア料理 それだ。 のレストランを20店あまり成功させてきた実業家 「フランスは、 もともと移民の多い国です。ゴッホも 『日本の名 店 』といったランキングに、外 国 人 でもある。それだけの店を任せられる人材を育て、 ピカソも、みんな外国人。そうした人々の個性が集 の寿 司 職 人の店が推されたら、大 変なニュース そしていまもなお、パリを含む多くの店のメニュー まることで、 フランスの文化を生み出してきたんです」 になるだろう。フランス料理界で圧倒的な権威を を自ら考え、厨房にも立つ。 だからといって、誰もがポッとそこへ行って受け 持つ『ミシュラン・レッドガイド』から日本人オーナ 彼はフランスへの進出を「里帰りなんですよ」 入れてもらえるわけではない。 ーシェフが星を得るとは、そういうことだ。まさに快 と表現した。 「自分が20年前に学んだことを、逆 「フランスでは、個を持っていないと認めてはもら 挙を成し遂げたのである。 に表現しに行ってるんです」と。 えない。己を持ち、己を表現し、己を認めさせること。 パリ、セーヌ河畔のその店「レストランひらまつ もともと、平 松 氏は少 年 時 代のフランス文 化 それができなければ確立された個人として住むこ サンルイ アンリル」を率いるのは平松宏之シェフ。 への憧れから料 理の道に進んだという。文 学や とはできないんです。逆に、それさえできればフラ FIND Vol.20 No.4 2002 3 パリのサンルイ島は歴史的建造物が立ち並ぶ地区。 「レス トランひらまつ サンルイ アンリル」も18世紀の建物にある パリの店は、天井の梁と古い石壁を生かしたモダンなデザイン ンス人 以 上にフランスに認めてもらえる。サッカ い込めと言っています。そうしてしゃにむにしがみ わせるフュージョンと呼ばれるスタイルが一 世を ーのフランス代表チームの英雄、 ジダンのようにね」 ついた結果、己が見えてくるんです」と。 風靡しました。 ちなみにジダン一家はアルジェリア出身である。 料理の世界には万国共通の厳しい徒弟制度 いま、フランス料理界はそうした大きな変化が が生きている。とにかく師を信じ、付き従うことが 終わり、新しいものが出てこようという時期にあり 修行 。平松シェフの厳しさも、この世界ではつと ます。そんななかで、当のフランス人の若 者たち 自分にはこれしかないと信じる に知られている。それは、長い歴史の中で確立さ は目標を見失い、夢を持ちにくくなっている。けれ れた自己発見プログラムでもあるのだろう。 ど日本人にはまだまだフランス料理に対する憧れ かし、 それがいかに困難なことかは誰にでも分かる。 また平 松 氏は、 「仕 事は真 剣にやる遊びなん や勤 勉さがありますから、都 合よく使われている しかし、平松氏の答えは簡単だ。 です」とも言う。 「違いは責任があるかないかだけ。 面があるんです」 己を持つ、 と言葉にするのは簡単なことだ。し 「 僕はフランスにいるとき、自分を日本 人だと どちらも真剣にやらないと楽しくないんです」 そうした日本 人の若 者たちは、本 場での修 行 思っていなかった。かといって、フランス人という 今回のパリ進出にあたっては、2年近くの時間 に夢をかけ、必ずしも良いとは言えない 待 遇に わけでもないし、国際人でもない。ヒラマツ・ヒロ をかけている。その間には、煩雑な手続きや規制 甘んじている。平 松 氏 のパリ進 出には、日本で ユキでしかない。おそらくそれは、世界のどこでも の壁など、乗り越えねばならない数多くの困難が 育んだ技 術やセンスでも、本 場で勝 負できるの そうでしょう」 あったはずだ。 だという、彼らへのメッセージが込められている。 禅 問 答のように聞こえるかもしれない。しかし しかし、それについて彼は多くを語らない。おそ 「僕がフランスに渡った時代には、そこで修行を それは彼の本心だ。事実、今回のミシュランの星 らくその苦労は、彼の言うところの真剣な遊びと してくればある種の特権階級になれた。けれどい 獲得にあたって、 「フランス文化と日本文化の融 して、すべて楽しんでしまったからなのだろう。 まは違います。大学と同じで、行くのはいいことだ 文化とは本来 楽しいもの たことが正しいかどうか確 認したり、次の自分の が、それが必須ではない。むしろ、自分がやってき 合した料 理」などとステレオタイプに表 現したが る地 元メディアに対しても、平 松 氏は堂々と「こ ために、向こうのシェフなどと交流したりといった れはヒラマツ・ヒロユキの料理です」と答えている。 「日本では、フランス料 理はなんだか格 式 張っ じつは今、 フランスの有力なレストランの多くは、 たものと考えられているけれど、本 来それはラテ 修 行 中 の日本 人スタッフなしでは成り立たない ンの、視 野 の 広い世 界なんです。2 ∼ 3 時 間 の 状態なのだという。 パリの店には、日本で育った弟子のなかから、 トップクラスが派 遣されている。そこで彼らが通 食 事の時 間をいかに楽しむか。それは絵でも音 「フランス料理には、大体50年サイクルの大き 用すれば自分の実力に自信が持てるし、また続 楽でも同じことでしょう。いろいろなスタイルが な波があるんです。5 0 年前、フェルナン・ポワン く者たちはそこへ行くという目標ができるのである。 あっていい。 が『 地 方 色を出そう』と主 張したのをきっかけに それだけではない 。この 店は、フランスの 食 そして料理というのは、自分がうまいと思ったも ヌーベル・キュイジーヌが生まれ、そして最近、和 材 や 料 理 のアンテナとしても機 能し、さらに日 のを提供するもの。その味を気に入るかどうかは 食とフランス料 理のように異 質なものを組み合 仏 の 文 化 交 流 のかけ 橋 になろうという壮 大な 第三者の評価です。自分がうまいと思えるものを 思想もある。フランス料理界の第一人者としても、 作るためにどうすればいいかは、日本 人だからと 実 業 家としても、考え抜いたうえでの 出 店なの かフランス人だからではなく、自然に分かることな である。 んです」 「文化というのは人の心を豊かにし、悦ばすもの もちろん、何をうまいと思うかは、育った土地の です。教科書に載っているような難しいものでは 文 化が影 響するかもしれない。しかし料 理とは、 ない。だからそれを発信する者も、お手本を忠実 シェフ自身の価値観を源に創造されるもの。そこ に再 現するだけではなく、そこに自分なりの何か には常に、己が表現されている。 を加えて新しい、楽しいコンテンツにしていくこと では、その表現すべき己をみつけるためにはど が必 要です。それが本 当の文 化であり、僕の仕 うすればいいのか。 事だと思っているんです」 「背伸びせず、無理せず、自然体でやることです 話すほどに引き込まれるような豊かさと魅力を よ」と平松氏は言った。 「自然体で、今、目の前にあることを一生懸命や る。弟 子たちには、自分には料 理しかない、と思 4 ことに意味があるんです」 感じさせる平 松 氏の個 性 。おそらくそれこそが、 国境を越えて喝采を浴びる彼の料理の源そのも のに違いない。 FIND Vol.20 No.4 2002 Borderless Life 03 HIROYUKIHIRAMATSU PROFILE 平松 宏之 ひらまつ・ひろゆき フランス料理シェフ ㈱ひらまつ 代表取締役社長。 1952年、神奈川県生まれ。高校卒業後、 料理の世界に入り、ホテルオークラでシェ フとして働きながらYMCAで飲食業経営 を学ぶ。78年に渡仏し、数々の有名店で 修行した後81年に帰国。82年、東京・西 麻布に「ひらまつ亭」をオープン。88年、 広尾に移転し「レストランひらまつ」と改名。 以後、 カフェやイタリア料理など多数の系 列店を経営し、94年オープンした「カフェ・ デ・プレ表参道」は、 カフェ・ブームのきっ かけにも。2001年、パリに「レストランひ らまつ サンルイ アンリル」をオープン。現 在も、東京・広尾、福岡・博多、パリの3店 の厨房にオーナーシェフとして立つ。 URL http://www.hiramatsu.co.jp 5
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