ー 児童生徒用書の解説

10 夜泣き石
l 児童生徒用書の解説
伝説はしばしば事物と結びっいて語られます。事物とは木であり、石・岩、水、塚、坂・峠、示巳重な
です。(日本伝説名彙より)夜泣き石は、石・岩、水(一→橋)、峠、竜王社と4つの事物を含み込んでいる
ひ▲うい
よりしろ
のです。神霊が木や石に憑依して顕現するという信仰にもとづき、その依代が伝説化したのです。みんな
でやって動かない石を、一人でやって初めて動くという不合理性を、不可思議性や精神性(真心をもって
いる)で昇華させるのです。竜王は水神です。雨を降らせるのも、雨を止めるのも竜王の力によるのです。
おたびし上
奥の院というのは寺院でいう本堂の奥にあるお堂です。御旅所は神社(本宮)の出先機関とも言うべ
く、祭礼で御輿が本宮から渡御して仮に鎮座するところです。しかし、竜王神社の場合、人里近い御旅
が本宮になり、もともとの本宮を奥の院と呼ぶようになったと考えられます。
彼岸船の起こりについては、竜王神社の渡御から始まったと考えるのが自然なようです。「夜泣き石」
「竜王神社」と自然災害、特にひでりの害や洪水と深い関係があります。関連資料として災害史をあげま
した。
ll道徳内容項目との関係(例)
1(2)より高い目標を立て、希望と勇気をもってくじけないで努力する。
2(2)だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする。
3(3)人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。
4(7)郷土の文化と伝統を大切にし、先人の努力を知り、郷土を愛する心をもつ。
川 補足資料
1 伝説「夜泣き石」のあらすじ
むかしむかし、萩原の備前で、夜になるとどこからともなくすすり泣く声が聞こえてきた。村人たちは
「だれがどこで泣いとるんじゃ」ときみわるがっていた。
そのうち、だれいうとなく、あれは石が泣いていると噂するようになった。ある夜のこと、和平という
年寄りが寝ていると、「わしは毎日苦しい思いをしている。それで毎晩このように泣いている。あんた、
ひとつわしを助けてくれんか。」という声がする。そこでわけを聞くと、むかしこの村を治めていた龍王
だというのである。あるとき石にされて、今では石橋にされ、みんなにふまれて、つらい思いをしている
というのである。その話を村人にして、みんなで石を動かそうしたが、動かない。
その夜のこと、和平に「和平や、おまえが村の人といっしょになって助けてくれるのはうれしいが、本
当の真心がなければ助けることはできない。おまえひとり、心をこめてやってくれ」と、夢のお告げがあ
た。和平は一人で出かけ、心に祈りながら石に手をやると、石はするすると動いたのだった。それからと
いうもの、石の夜泣きはなくなった。
そののち、石は村の神社に祭られ、毎年村中でお祭りをするようになったということである。このお宮
は「竜王社」、竜王の石は「夜泣き石」と呼ばれている。「夜泣き石]は今でも竜王社(奥の院)に祭られ
ている。
2 竜王神社(「熊野町の寺社めぐり」より)
祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水神である。享保5年(1720)の創立とも、もっと古
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く戦国時代ともいわれている。もとは奥の院で、その位置が深原に通ずる竜王峠にあり、険しい山道を登
らねばならないことから、村人は人里(萩原里地)に移したいと思っていた。神意をうかがってみると反
対されたのだが、春の彼岸には出てこられることになった。すなわち、奥の院から「おみこし」で御旅所
に渡られるようになったのである。やがてこの御旅所が萩原区の宮として盛大に祭られるようになったと
いう。「おみこし」は車で引いていたが、子どもの「引き舟」の行事として戦前まで続いていた0
資料として次のものがある。
奉再建本社一宇所願成就 寛政拾一年(1799)巳末歳秋九月
神主 庄屋 組頭などの名がある。
奉遷此所龍王社諸願成就 文政十一年(1828)戊子春三月
神主 庄屋 庭元 鍵預の名がある。
3 記録に残る熊野町の気象災害(「安芸熊野の自然誌」、憮野町史」より)
熊野では日照りの吾が4.5年に1回、風水害が10年に1回あるといわれている○
文政10年(1827)4月
集中豪雨により二河川が氾濫、川土手数カ所決壊。川角村大洪水
大風による家屋倒壊
熊野村・川角村に洪水
川角村洪水
川角村洪水1町6段余が砂入地となる。
文政13年(1830)5月
川角村洪水 5段6畝余が砂入地となる。
8月
川角村洪水 8段9畝余が砂入地となる。
延享2年(1745)6月
宝暦8年(1758)2月
寛政8年(1796)6月
文政4年(1821)8月
天保7年(1836)
熊野村が草書による凶作 餓死者500余人を出す。
明治8年(1875)
熊野が辛苦による凶作となる。
明治9年(1876)8月
台風により呉他の家屋11戸倒れる。
明治16年(1883)
昭和14年(1939)
熊野が早害に見舞われる。
早害により凶作となる。
草書により凶作となる。
豪雨と大洪水、初神・新宮・出来庭・川角の被害大
長雨により熊野川の堤防が決壊する。
早害により熊野町では大凶作となる。
昭和20年(1945)9月
枕崎台風で石嶽山田が崩れ、河川堤防の決壊、死者5名
昭和28年(1953)7月
豪雨により呉地川の土堰堤が決壊する。
早害により凶作となる。
草書による作物の被害大、平谷・城之堀・初神
明治27年(1894)
明治28年(1895)
明治40年(1907)7月
大正8年(1919)7月
昭和32年(1957)
昭和51年(1976)
lV 道徳学習指導案
主題名「夜泣き石」
1 内容項目
2−(2)和平はだれに対しても思いやりの心を持ち、相手の立場に立って親切にする0
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3一(3)自然現象(竜神)という人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。
4−(7)郷士の文化や伝統を大切にし、神社を守りつづけた先人の努力を知り、ふるさとを愛する心
をもつ。
2 資料名
①「夜泣き石」
「熊野川」熊野第一小学校編 創立百周年記念誌
②ビデオ「夜泣き石」 熊野町教育委員会編
③「熊野の気象災害」(補足資料3)
3 ねらい
「夜泣き石」の話は、熊野のふるさとが何度となく土石流で地形が変わっていったこと、災害を受
て人々が悲しんだという事実を秘めている。多くの災害の中でどのように生きたらよいのか、思いやり
やはんとうの真心の大切さを学ばせたい。
4 学習過程
学 習 活 動
支援と指導上の留意点
導 1この民話のできたころに熊野ではどんな
入
・「熊野の気象災害」(補足資料3)から日
災害があったのだろう。
照りの害や風水害の多いことを知る。
2「夜泣き石」のビデオを見て、熊野の災 ・この民話では、「石の泣き声」が中心になっ
展
害のことを話し合う。
ているので、それに焦点をあてる。
3和平の気持ちになって、石橋にされてい
開
・竜王の言葉を劇化して、動作をつけ発表
る竜王に語りかける言葉をグループでつ
させる方法もある。
くる。
終 4どうして2つ竜王神社ができたのか、写
末
・萩原の竜王峠の様子などを展望させる方
真を見ながら、そのいわれを調べる。
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法もある。