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大坂の陣400年天下一祭
大坂の陣400年天下一祭ホームページ⇒ http://www.osakanojin400.com
「大坂の陣400年プロジェクト」について
「大坂の陣」をテーマとして大阪城に関連するイベントを集中開催!
コアイベント期間
大坂冬の陣400年
2014年10月~12月
大坂夏の陣400年
2015年4月~9月
2014~2015年を通して大阪を盛り上げ
民間企業のアイデアと投資を入れて「お祭り」を具体化
● 「大坂の陣400年」プロジェクト実行委員会
(大阪市、大阪府、大阪観光局、大阪市博物館協会、在阪マスコミ、鉄道事業者、経済団体、大阪21世紀協会、歴史街道推進協議会、各区等)
大阪城内コアイベント
「大坂の陣」をテーマとした
府域・大阪市内エリアでのイベント
コーディネート事業者
(㈱電通)
※合同プロモーションで盛り上げ
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大坂の陣400年天下一祭とは
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大阪都市魅力創造戦略においては、大阪城まちづくり400年、道頓堀川開削400周年、天王寺動物園100周年といった様々な節目にあたる
2015年を、大阪文化観光創造のシンボルイヤーと位置付け、様々なイベントを実施することとしています。
中でも大阪城においては、大坂冬の陣から400年となる2014年、大坂夏の陣から400年となる2015年を「大坂の陣400年」と位置付け、この両
年に大阪城や大坂の陣に関連するイベントを集中開催し、民間企業のアイデアと投資を入れて、「お祭り」を具体化し、大阪の魅力を発信する
ため、「大坂の陣400年プロジェクト」を立ち上げました。
本プロジェクトの実施のため、大阪市、大阪府、大阪観光局に加えて在阪テレビ局、新聞社、鉄道事業者や経済界等に参加していただき、大
坂の陣400年プロジェクト実行委員会を立ち上げ、「大坂の陣400年天下一祭」を銘打ち、大阪城公園内でコアとなるイベントを展開するほか、
本プロジェクトへの参加事業を募集し、大阪城だけでなく、市内及び府域エリアはもちろん、大阪府外にも数多く存在する大坂の陣ゆかりの地
などにおいても、大坂の陣をテーマとしたイベント等を開催するとともに、共通のロゴマークやキャッチフレーズを活用した合同プロモーションを
展開し、盛り上げてまいります。
城を主体とするフェスティバル
中国の兵馬俑が初めて日本に来た大阪城築城400年祭。オープニングパレードが御堂筋パレードとして恒例のものとなったように、
一過性ではなく継続して新しい祭りを生み出すようなフェスティバルに。
世界中から観光客に来ていただけるフェスティバル
英国スコットランドで開催されるエジンバラフェスティバルのように、世界から注目され、世界各国の人が日本に行く時は是非とも大阪
城に行ってみたいと思えるようなフェスティバルに。
大阪の新しい姿をしめすフェスティバル
大坂の陣から400年ということで大阪の歴史を振り返り展開することは当然だが、見せ方や活かし方については従来にない新しいア
イデア、方法で展開したい。また昨年大阪城公園西の丸庭園で行ったフリースタイルモトクロスの世界大会のように、従来の大阪城
では想像もできなかったような新しいイベントも盛り込み、新しい大阪の姿をしめすようなフェスティバルに。
これら3つの「フェスティバル」を目標として、 2014年、2015年に向け、大坂の陣400年の機
運を高めて盛り上げていく。
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コアイベント主な企画提案
大坂 食の陣
大阪城天守閣・展望台でタイムスリップ
SAMURAIテーマパーク
3
今後のスケジュール
2013年度
(平成25年度)
4月
実行委員会
7月
10月
2014年度
(平成26年度)
1月
7月
4月
8/14 第1回実行委員会
10月
2015年度
(平成27年度)
1月
7月
10月
1月
適宜開催
冬の陣
400年
コアイベント
4月
夏の陣400年
募集期間
参加事業
参加事業実施期間
4
4
(参考)大坂の関係史跡一覧①
1
伝 淀殿墓
2
鴫野古戦場跡
3
本多忠朝物見のいちょう
4
北区太融合寺町 太融寺境内
現在の大阪ビジネスパーク(OBP)にあった淀姫社境内から、明治10年に出土した人骨を埋葬した
墓
城東区鴫野東3丁目
城東小学校内
城東区中浜2丁目
白山神社境内
冬の陣のとき、本多忠朝が陣を置いたところと伝え、忠朝はこの大いちょうの木に登り、豊臣方の
動きを偵察したという。
本町橋
中央区本町橋・本町1丁目
冬の陣のとき塙団右衛門がこの橋から打って出て徳川方の蜂須賀隊に夜討ちをかけた。
5
豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地碑
中央区大阪城 大阪城山里丸
6
薄田隼人物見の松
西区立売堀4丁目
7
薄田隼人の墓
天王寺区生玉寺町
増福寺境内
道明寺合戦で壮絶な討死を遂げた薄田隼人正兼相の墓
8
三光神社
天王寺区玉造本町
幸村が築いた真田出丸の跡地と伝え、境内には幸村が大坂城との連絡用に掘ったという
「真田の抜け穴」が残る。
9
円珠庵
天王寺区空清町
境内の「鎌八幡」に、幸村が戦勝祈願をしたと伝える。
10
心眼寺
天王寺区餌差町
幸村・大助の菩提を弔うために創建されたと伝え、かつては境内に「真田幸村鎧掛の松」があった。
11
安居神社
天王寺区逢阪1丁目
幸村が壮絶な最期を遂げたと伝え、境内に「真田幸村戦死跡之碑」が建つ。
12
本多忠朝の墓
天王寺区逢阪2丁目
一心寺境内
夏の陣、慶長20年5月7日の決戦で、毛利勝永隊と激突し、討死した徳川方の大名本田忠
朝の墓。
13
松平正勝の墓
天王寺区逢阪2丁目
一心寺境内
夏の陣、慶長20年5月7日の合戦で、徳川方青山忠俊隊に属し、明石全登隊と戦い討ち死
にした松平正勝の墓。
14
林吉忠の墓
15
篠山十四勇士の墓
16
茶臼山
17
御勝山
生野区勝山北3丁目
18
桑津古戦場跡
東住吉区桑津3丁目
夏の陣の時の合戦場。「大阪陣戦歿将士慰霊塔」が建つ。
19 柴田正俊の墓
東住吉区桑津4丁目
もと福島正則の家臣で、夏の陣のときこの地で討ち死にした柴田正俊の墓。
天王寺区逢阪2丁目
一心寺境内
天王寺区逢阪2丁目
一心寺境内
天王寺区茶臼山町
天王寺公園内
冬の陣最大の激戦地となった鴫野合戦の古戦場
秀頼と淀殿は、山里曲輪の焼け残りの櫓に潜んでいたが、慶長20年(1615)5月8日に自害し、豊
臣家は滅亡した。
豊臣方の勇将薄田隼人正兼相が徳川方の様子をさぐるために登ったと伝える松。枯死し
て現存しない。
夏の陣、慶長20年5月7日の合戦で、徳川方高木正次隊に属し討ち死にした林吉忠の墓。
夏の陣で戦死した篠山藩士14人の墓。
冬の陣のときには家康が、夏の陣のときには幸村が本陣を置いたところ。
もとの名称は岡山。冬の陣、夏の陣とも秀忠が本陣を置き、徳川方が勝利を得たことから、陣後
「御勝山」と称されることとなった。
5
5
(参考)大坂の関係史跡一覧②
20
樋ノ尻口地蔵
平野区平野東2丁目
21
全興寺
平野区平野本町4丁目
22
安藤正次の墓
平野区平野東1丁目
夏の陣で亡くなった徳川秀忠の旗本安藤正次の墓。
23
願正寺
平野区平野東2丁目
安藤正次が陣所とした寺で、正次所用の「岩突きの槍」が伝来する。
24
志紀長吉神社
平野区長吉長原2丁目
25
真田幸村休息所跡
平野区長吉長原4丁目
26
平井家
交野市星田2丁目
27
忍陵神社
四条畷市岡山2丁目
28
中村四郎右衛門宅跡
東大阪市豊浦町
枚岡中央公園内
夏の陣のとき慶長20年5月6日に、家康が宿泊したと伝える中村四郎右衛門宅の旧地。
29
権現塚
東大阪市豊浦町
夏の陣のとき慶長20年5月6日に家康が一泊した中村四郎右衛門宅旧地の一画で、家康
陣所となった由緒を記す「恩蹕遺趾碑」が建つ。
30
飯島三郎右衛門の墓
東大阪市岩田町3丁目
若江合戦のとき木村重成に従って出陣し、山口重信に討たれた飯島三郎右衛門の墓
31
木村重成本陣跡
東大阪市若江南町1丁目
夏の陣の若江合戦で重成が本陣を置いたところと伝え、重成の像が建つ。
32
蓮城寺
東大阪市若江南町2丁目
若江合戦で戦死した木村重成の菩提寺。
33
山口重信の墓
東大阪市若江東町6丁目
若江合戦のとき井伊直孝隊に属し、戦死した徳川方山口重信の墓。
34
木村重成の墓
35
山口弘定の墓
36
木村重成奮戦地碑
37
高塚地蔵
八尾市泉町1丁目
八尾合戦のとき、この地蔵堂の陰から豊臣方の吉田内匠が藤堂隊に突っ込み討死した。
38
常光寺
八尾市本町5丁目
夏の陣の八尾合戦で長宗我部盛親隊と激突し、壮絶な討死を遂げた徳川方藤堂高虎隊
6
の将士71人の墓所があり、位牌も祀られる。
八尾市幸町6丁目
西郡公園内
八尾市幸町6丁目
西郡公園内
八尾市幸町6丁目
西郡公園内
幸村が家康を狙ってここに地雷をしかけたという。
幸村の仕掛けた地雷が爆発した際、家康の身代わりとなった樋ノ尻口の地蔵尊の首がここ
まで飛んだといい、今も「首地蔵」の名で大切に祀られる。
幸村が道明寺合戦から退却の途中で立ち寄り、軍旗や刀剣を奉納して、戦勝を祈願したと
伝える。
幸村が志紀長吉神社に戦勝祈願をした際、しばし休息した場所と伝える。
夏の陣のとき慶長20年5月5日に家康は平井家に1泊したと伝え、一画にその由緒を記した
「神祖行営旧趾之記」と題する石碑が建つ。
夏の陣のとき慶長20年5月5日に、秀忠はかって当社の近くにあった高橋家に一泊したと伝
える。
若江合戦で井伊直孝隊と戦い、討死した木村重成の墓。
木村重成の妹婿で、若江合戦で戦死した山口弘定の墓。
若江合戦の激戦地に建つ碑。
6
(参考)大坂の関係史跡一覧③
長曽我部盛親物見の松
40
徳川家康馬繋ぎの楠跡の碑
41
来迎寺
松原市丹南3丁目
42
奥田忠次の墓
柏原市片山町
道明寺合戦のとき後藤基次隊と戦い、家臣ともども討死した奥田忠次の墓。
43
後藤又兵衛奮戦地碑
柏原市片山町
道明寺合戦の激戦地に建つ碑。
44
後藤又兵衛碑
45
吉村武右衛門碑
46
山田十郎兵衛の墓
柏原市玉手町
47
小松山古戦場跡
柏原市玉手町
薄田隼人碑
羽曳野市誉田7丁目
道明寺合戦で討死した豊臣方の勇将薄田隼人正兼相の碑。
大坂夏の陣奮戦場碑
羽曳野市誉田7丁目
道明寺合戦の激戦地に建つ碑。
48
49
八尾市久宝寺2丁目
夏の陣のとき長曽我部盛親隊はこの地にあった大きな松の上から八尾方面の敵状を偵察
したと伝える。
幸村の仕掛けた平野の地雷火から逃れた家康は、竹渕村の塩川家の大楠に馬をつなぎ、
藪の中に身を隠したと伝える。
徳川方の将高木正次の菩提寺。正次が幸村隊と戦ったときに分捕ったと伝える六連銭文
の塗桶と馬杓が残る。
39
八尾市竹渕5丁目
柏原市玉手町
玉手山公園内
柏原市玉手町
玉手山公園内
堺市堺区南旅篭町東3丁
南宗寺境内
堺市堺区柳之町東2丁
月蔵寺境内
道明寺合戦で、奮戦の末討死した後藤又兵衛基次の記念碑。
道明寺合戦で、後藤又兵衛隊に属して戦い、又兵衛の首を敵に奪われないように深田に
埋めたと伝える吉村右衛門の碑。
道明寺合戦で、後藤又兵衛を討ち取りながら、自らもこの地で戦死した山田十郎兵衛の墓。
十郎兵衛は、松平忠明の家臣。
子松山は、道明寺合戦のとき後藤又兵衛隊が占拠し、徳川方の伊達隊を迎え撃ったという
記念碑が建つ。
家康は幸村の猛攻から逃げる途中槍で刺され、南宗寺に到着したときは既に絶命していた
と伝えられる。
50
伝 徳川家康の墓
51
伝 大野道犬の墓
52
樫井古戦場跡
泉佐野市南中樫井
53
搞団右衛門の墓
泉佐野市南中樫井
樫井合戦で、奮戦の末戦死した豊臣方の勇将搞団右衛門の墓。
54
観音寺
泉佐野市南中樫井
搞団右衛門の菩提寺で、位牌を祀る。
55
淡輪重政の墓
泉佐野市南中樫井
和泉の土豪で、豊臣方につき、樫井合戦で戦死した淡輪重政の墓。
56
坂田庄三郎の墓
泉佐野市南中岡本
樫井合戦で戦死した搞団右衛門の家臣坂田庄三郎の墓。
57
法福寺
阪南市鳥取
大野治長・治房の弟で、夏の陣後に捕らえられ、堺で刑死した大野道犬の墓と伝える。
樫井合戦は、慶長20年4月29日に戦われた夏の陣の前哨戦で、徳川方の和歌山城主浅野
長晟隊と、豊臣方の大野治房隊が激突した。
豊臣方に与して大坂城に入城した紀州の郷士山口兵内の妻お菊の菩提寺で、彼女の木像
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が安置される。お菊は、陣後徳川方に捕らえられ、斬首されたという。
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