第三章 異界からの訪問 第一節 「傘の御託宣」

第三章 異界からの訪問
第一節 「傘の御託宣」
『西鶴諸国はなし』における異界から人間界へ訪問してくるものは実に多彩
である。人が化す幽霊や人を化かす異類など、異界に属しながら人間界に出没
し、人を脅かし、危害を加える一方、時として祭りあげられるものである。人々
はこれらの異界からの来訪者たちと接触したり交流したりすることを通し、共
同体を活性化させ、新しい刺激を求めようとする。こうして異界との回路を保
ち続けることで境界の流動・更新が発生し、境界両側の秩序の再構成をもたら
すのである。
「傘の御託宣」は、
「愚か村」31という民話の話型を踏襲しながら、肥後の隠
れ里で田舎の人々の飛んできた傘を神として祭り上げる無知ぶりが描かれた一
篇である。
慈悲の世の中とて、諸人のために、よき事をして置は、紀州掛作の、観音
のかし傘、弐十本也。昔よりある人寄進して、毎年張替て、此時迄掛置也。
いかなる人も、此辺にて雨雪の降かゝれば、断りなしにさして帰り、日和の
31
「愚か村」の話について、米屋陽一氏は日本民話の会編の『ガイドブック日本の民話』(講
談社、1983)において論じた。米屋氏によれば、「人々の交流がさかんに行われ、にぎやかで
した。そして、いつも新しくめずらしい品物や情報がはいってきました。それにくらべて、町
から遠くはなれた村や山間部の村には、それらはなかなかはいってきませんでした。ですから、
村の衆がときおり町にでて、新しいものめずらしいものに出会ったとき、ついつい知らぬまま
おろかな行為をしてしまいます。町衆は、そういう村の衆の無知や失敗を高らかに笑ったので
した。そして、その村の衆の生活の場である特定の村をさして、
「おろか村」とよんだのでした。
このおろか村のおろか者を笑った一連の笑い話を「おろか村話」とよんでいます」という。
25
時律儀にかへして、壱本にてもたらぬという事なし。
「慈悲の世の中」であるがゆえに、昔から紀州掛作観音の寺に貸し傘が寄進
され、毎年張り替えられ、誰も雨や雪が降りかかるとさして帰るが、天気のよ
い時に「律儀にかへし」
、一本でも足りなくなったということがなかった。冒頭
に掲示された話の背景は、寺はいわゆる人と神が接する境であり、この観音の
見守っている秩序整備の世界において物事は理想的な状態を保ち、人々も礼儀
正しい行為を実践している。
しかし突然に「神風」が吹き上げ、一本の貸し傘は飛んでいき、神仏の加護
を受けている、秩序のある文化的な世界から、外界との交渉が断絶した「肥後
の国の奥山、穴里」という「無仏の世界」に落下した。
此里はむかしより、外をしらず住つゞけて、無仏の世界は広し、傘といふ
物を、見た事のなければ、驚き、法躰老人あつまり、「此年迄聞伝へたる様
もなし」と申せば、其の中にこざかしき男出て、
「此竹の数を読に、正しく
四十本也。紙も常のとは各別也。かたじけなくも、是は名に聞し日の神、内
宮の御しんたい、爰に飛せ給ふぞ」と申せば、恐をなし、俄に塩水をうち、
荒菰の上になをし、里中山入をして、宮木を引、萱を刈、ほどなふ伊勢うつ
して、あがめるにしたがひ、此傘に性根入、五月雨の時分、社壇しきりにな
り出て、やむ事なし。
この見慣れない物体に対し、里中の「法躰老人」
、つまり物知りたちが集まっ
て「此年迄聞伝へたる様もなし」と話し合っている時、その中の「こざかしき
男」が進み出て「此竹の数を読に、正しく四十本」あるから「日の神、内宮の
御しんたい」
と認定した。
明らかに伊勢神宮の内外宮の末社数を間違えたのに、
里人はこの男の一知半解な発言で傘は伊勢内宮の御神体に違いないと判断し、
「俄に塩水をうち、荒菰の上になをし」
、さらに「里中山入をして、宮木を引、
26
萱を刈、ほどなふ伊勢うつして」社を建て敬い申し上げる。この後、知識の普
及していない地域に落ちた傘は、傘としての機能を失い、人間に使われるもの
から人間に命令を下す存在に変貌していった。
御託宣を聞に、「此夏中、竈の前をじだらくにして、油虫をわかし、内陣
迄汚はし。向後、国中に一疋も置まじ。又ひとつ望は、うつくしき娘を、お
くら子にそなふべし。さもなくば、七日が中に車軸をさして、人種のないや
うに降ころさん」との御事、
(後略)
祭られた傘はいつの間にか「性根」が入り、まず社の竈の前を不潔にした油
虫を「国中に一疋も置まじ」と言いつけ、さらに「うつくしき娘を、おくら子
にそなふべし」と託宣を下した。娘達が涙を流して嫌がると一人の後家が身替
りに志願し、社に上がる。しかし一晩待たされたあげく、
「何の情もなし」と予
想がはずれた。腹立った後家は社殿の中に駆け込み、傘を引き破って捨てた。
「傘の御託宣」は、飛ぶ傘、愚か村、神霊化と託宣、人身御供など多くの民
話原型を複合し、それを後家の言動に帰結して全篇が構成された32。西鶴は庶
民の愚昧から発想を獲得し、傘の連想により話を発展させ、最後に哄笑の世界
に集約した。表面的に卑俗な笑いの対象となる傘は、作品の滑稽さを加味する
以外、傘の「御神体」が後家により見事に粉砕されてしまうという結末自体は、
どのように評価すべきであろうか。近藤忠義氏によれば、これは神の権威への
人間の勝利と見られ33、また白倉一由氏は、後家の行為には中世的な神々を否
定し近世的な人間を肯定し、人間を信ずるという価値判断がうかがえると説い
た34。
もともと傘に入った「性根」というものは、話の流れにしたがって披露され
るのではなく、
「こざかしき男」
によって語られたり賦与されたりするのである。
32
33
34
浮橋、前掲注 25 論文に同じ。
近藤忠義等著『日本文学講座第 4 巻―近世の文学』
(河出書房、1951)
白倉一由『西鶴文芸の研究』
(明治書院、1994)
27
この傘の不思議さは実は人間によって創出されたので、いわゆる神性には人性
も混入してしまった。それゆえ人身御供まで御託宣の名目のもとに行われるこ
とになり、清潔と献身を要求する利己本位の姿勢から、神仏ではなく人間とし
ての欲望がうかがえる。この傘から脱化した「神」は、人間を守護する天職を
忘却し、人間の奉仕だけを目指している存在に化し、神仏なのかばけものなの
か、だんだんわかりにくくなってきたのである。この堕落した「神姿」を通し、
「慈悲」への皮肉はいっそう明確に目に映り、傘というものは絶対神聖のはず
の神の示現が、俄かに現世的、極度に人間臭い次元に降下してくる35。
「紀州掛作の、観音のかし傘」の中の一本として出場したこの傘は、もとも
と「慈悲の世の中」の人々に使われていた普通の生活用具であったが、ある日
突然に「神風」に吹かれて飛び上がり、遠く肥後の国の山奥の、穴里という昔
から外界と没交渉なところに落ちた。この後「こざかしき男」の付会と里人の
畏敬によりつつしんで祭られ、なんとなく「性根」が入って「御託宣」まで下
した。この怪異発生の過程を観察すれば、人間の不思議さに注目すべきである
と考える。
発見された時点では一本の寄進の傘にすぎなかったが、
「御しんたい」
として祭り上げられ、人身御供の要求が満足されないと「七日が中に車軸をさ
して、人種のないやうに降ころ」そうとするという、実際にばけもの的存在を
人の世に引き込んでしまったのは、人間の仕業なのである。つまり本話では傘
の怪異は自然に発生したものではなく、人間の手により作り出されたものなの
である。
最後に、後家の手により簡単に消滅された傘は、この瞬間に恐怖と威圧の神
から再び無生物の状態に戻り、この空間と聖賎両方の越境の旅も終了した。傘
の解体による怪異の解体で、結局読者の前に呈示されるのは神力の威勢という
より、むしろ神という仮面の背後にある神性の脆弱性というほうがよかろう。
確かに本話は強大な人間力の展示であるが、人間によって付与された神力はま
た人間によって終結されたという話の展開では、生半可な知識を振り回すとい
35
江本裕「西鶴の面白さ―名篇を読む」
(
『別冊国文学』第 45 巻、1993)
28
う行為に含まれている人間のこざかしさとそこから生じた人間のばけもの性へ
の再認識という意味も宿されているのである。
29
第二節 「雲中の腕押」
「元和年中に、大雪ふつて、箱根山の玉篠をうづみて、往来の絶て、十日計
も馬も通なし」という冒頭に書き出されるように、話の背景は冬の人跡まれな
世界であり、静かな雪国である。この箱根の「鳥さへ通はぬ峰」に庵を結んで
いる短斎坊という百余歳の木食僧がいた。この深山という世間と隔絶した無人
の境で隠居し、穀食を避ける短斎坊は、どう見ても凡人ではないような雰囲気
を持っていると感じさせる。
短斎坊の庵室に「むさしの相手になつて」
「木葉をつらぬき肩に掛、腰には藤
づるをまと」う「人間とはおもはれ」まい男が時々訪れ、十六むさしの相手に
なった。ある時、この男は火打石を出して判官義経にもらったものと言い、あ
まりにも時代が違うので短斎坊は驚いたが、
「我こそ常陸坊海尊」とこの男は名
乗った。常陸坊海尊は、義経の近臣であり、もとは園城寺の僧であったとされ
る。義経最後の衣川合戦の直前に、近くの山寺を拝みに外出して行方不明にな
った。その後、難を逃れた常陸坊海尊は生き残って不老不死の身となったと伝
えられ、
海尊伝説という形で久しい時代にわたって語り継がれてきたのである。
不思議に思った短斎坊は「すぎにし弁慶は、色黒くせいたかく、絵にさへおそ
ろしく見ゆる」と尋ねれば、常陸坊海尊は「それは大きに違ふた、またなき美
僧」と答え、絵本など一般では弁慶が恐ろしいというイメージを否定した。さ
らに義経と家臣たちに対し、個性豊かな人物評を下した。
よしつねこそ、丸顔にして、鼻ひくう、向歯ぬけて、やぶにらみにて、ちゞ
みがしらに、横ふとつて、男ぶりは、ひとつもとりへなし。只志が大将で、
其外は、片岡が万にしはひ事、忠信は大酒くらい、伊勢の三郎は、買掛りを
済さぬやつ、尼崎・渡辺・ふくしまの舟ちん、侍顔して一度もやらず。熊井
太郎は、一年中びくにずき。源八兵衛は、ぬけ風の俳諧して、埒の明ぬもの。
駿河二郎は、めいよな事の、夏ふゆなしにふんどし嫌ひ。亀井は、何をさし
30
ても、小刀細工がきいた。鈴木・つぎのぶは、棒組にて、一生飛子買ふて暮
す。兼房は浄土宗にて、後世願ひ。此外ひとりも、ろくな者はなかつた。
ここで常陸坊海尊は、義経をはじめ、義経の愛人であった静御前や、片岡八
郎以下の一群の家来たちの人々に知られていない意外な一面を暴露し、徹底的
に嘲笑したり皮肉ったりしたのである。この海尊によって描かれる義経一門の
諧謔的風姿は、美化された英雄譚の真実と言うより、むしろ虚実混同の笑い種
と見なすほうが妥当である。源平の頃をいろいろ語る常陸坊海尊は、話の信憑
性を証明するため「誰ぞ証拠人ほしや」と言っていると、源氏の武将猪俣の小
平六が突然に現われ、二人は昔の軍物語を回想した後、常陸坊海尊が「今に平
六、力の程は」と聞くと、
「さのみ替らじ」と猪俣の小平六は直ぐに片肌を脱い
だ。常陸坊海尊も「うでまくりし」
、腕相撲をし始めた。二人は負けず劣らず「三
時あまりももみあへば」
、勝負判定の役を担っている短斎坊は「中に立、両方へ
力を付て、かけ声雲中に、ひゞきわたつて」
、三人ともに雲の中に消えていき、
「此勝負しつた人もなし」
。この煙の立ち昇るように悠然と昇天した一幕で、こ
の三人の仙人としての正体が判明する。小見出しに掲示された本話の骨子であ
る「長生」にも符合しているのである。
周知の海尊伝説を下敷きにしながら、西鶴は箱根の峰にある短斎坊の庵室に
海尊を出現させ、また猪俣の小平六も呼び寄せ、仙人の長生不死の姿を軽妙に
描いた。ここでは西鶴による伝承の更新・再生がうかがえる。しかし、伝承を
巧妙に利用しつつ、
そこから独自の世界へ展開していった西鶴は、
「雲中の腕押」
の創作に際して常陸坊海尊の口を通して義経主従の異色の人物評を聞かせる理
由は何であろうか。この疑問に対して堤精二氏は、常陸坊海尊が義経以下の従
者たちを評する段落は、歴史上の人物あるいは古典作品中の人物を自分達と同
次元にひき下し、そこに卑近なおかしみを求める俳諧的な手法であると説いた
36
。また江本裕氏は、義経以下の一党に対する評判が、むしろ半ば独立して英
36
堤、前掲注 7 論文に同じ。
31
雄化され、唯美化されているこれらの武将の軍物語を突き崩して相対化して見
せ、義経郎等のけたはずれな当世化により、徐々に西鶴の世界へ導いていくと
主張し、
「雲中の腕押」は広く流布していた常陸坊海尊の生存伝説に忠実に従っ
ているだけのものではなく、一種飛躍の試みでもあると論じた37。
前述の両氏は、常陸坊海尊による義経らの逸話が語られる段落について創作
技法の面から論述を展開した。もし西鶴の創作意図から分析してみれば、この
部分はどのような意義を持つのであろうか。まず厳しく言うと、このエピソー
ドの語り手である常陸坊海尊は、義経主従戦死の場に居合わせず、まさに敵前
逃亡者と言っても過言ではないであろう。しかし、どこから見ても不忠者であ
り裏切り者であり、完璧ではない常陸坊海尊に対し、庶民はかえって微妙な親
近感を生じたのである。義経や弁慶などのような非凡な英雄より、臆病で凡庸
な常陸坊海尊に共感を持ちやすいからである。この常陸坊海尊の口から吐露さ
れたいわゆる義経らの真実の姿は、読者の立場から見れば、プライベートの自
分と共通点が非常に多く見られるからこそ、幻滅ではなく逆に感情移入を促す
ことになるのである。
西鶴は「雲中の腕押」において「世を夢のごとく暮し」
、木食僧でありながら
仙人の気質を帯びる短斎坊、庶民的な口調で義経たちの逸事を談論する仙人常
陸坊海尊と「命ながらへ」る猪俣の小平六という三人を登場させ、仙・凡の間
に存在する境界の曖昧模糊化により話の面白みを増やした。仙人はここで単に
現実世界を離脱し、仙界を気ままに遨遊するものではなく、いつか雲上から降
り下り、どこにでも姿を現わすような身近な存在になったのである。それゆえ
人々は仙人の出現を期待したり楽しんだりすることができる。好奇と愛着に満
ちた民衆の目に映った伝説上の人物は、現実に生きたが、語り継がれる中で歴
史的な時間軸から脱出して伝説の時間軸に入り込み、時と共に変貌し修飾され
ながら、庶民感情の中で徐々に成長し、永遠の生命を得たのである。人々に愛
されている常陸坊海尊は、時間・空間を超越する存在として文学作品の世界で
37
江本裕「
『西鶴諸国はなし』と伝承」
(
『西鶴研究―小説篇―』所収、新典社、2005)
32
の「長生」を獲得した。西鶴は本話を通して表現しようとしたのは、有限の時
空を超える人間の想像力の無限性であると考える。
33
第三節 「狐四天王」
「狐四天王」という話は人間の狐への何気ない悪戯をきっかけとして展開さ
れ、最後に狐の「恨」による復讐という形で結末を迎える。
諸国の女の髪を切、家々のほうろくを破せ、万民をわづらはせたる、大和
の源九郎ぎつねがためには姉也。としひさしく、播磨の姫路にすみなれて、
其身は人間のごとく、八百八疋のけんぞくをつかひ、世間の眉毛おもふまゝ
に読て、人をなぶる事自由なり。
「諸国の女の髪を切、家々のほうろくを破せ」
、人々の日常生活に侵入し、大
いに困らせた大和の源九郎狐の姉にあたる於佐賀部狐は、見たところ人間その
ものの姿をして八百八匹の手下を使い、世の人の心を読み取って化かしなぶる
ことなど自由自在であった。この冒頭の叙述により、本話に登場する狐は単純
な動物として扱われるではなく、動物の世界と人の世を容易に行き来したり、
人間をばかにしたりする行動上の自由と、人の姿に変えたり人の心を察知した
りする特異の能力を備えるものとして描かれている。
ここで霊性を働かす狐は、
皮肉ではあるがいじめられても仕方のない「万物の霊」である人間より優越的
な存在なのである。
しかし、この狐の優勢は姫路の本町筋で米屋を営む門兵衛という人により破
壊された。ある日、門兵衛が人里離れた山陰を通っていると、白い小狐が集ま
っているのを見かけた。
「何心もなく」小石を投げつけたら、たまたま一匹の小
狐に当たって死んでしまった。門兵衛はかわいそうなことをしたと思っただけ
でそのまま家に帰った。
「里ばなれの山陰」という人跡まれなところ、つまり自
然界という動物の勢力範囲に闖入した唯一の人間としての門兵衛は、何気なく
安心しきって本来の姿を現わした無防備な狐を石で殺した。この「何心もなく」
した行為は無意識な行動であるからこそ、人の心を読める狐に覚知されなかっ
34
た。狐にとって少しも脅威ではない人間がふと狐の一群に傷害を与えたが、門
兵衛は人間の世界では自分よりはるかに下の動物である狐一匹がたまたま死ん
でしまったぐらいにしか思わずに「ふびんとばかりおも」って帰った。門兵衛
の無関心な態度が、まもなく災難を招くことを、彼はまた気付かなかった。
門兵衛が誤って小狐を殺した夜、彼の屋敷の屋根で何百人もの女の声がして
「お姫さま、たまたま野あそびましますを、命をとりし者、其まゝはおかじ」
と罵るとともに、雨のごとく石を打ちつけてきた。白壁も天窓の蓋も破られた
が、見ると、つぶては一つも残っていなかった。一つの石で命が奪われた「お
姫さま」の於佐賀部狐のため、狐の一族はこれに比べて何百倍の石の雨を門兵
衛の家に落下させ、これから展開しようとする一連の報復行動をあらかじめ宣
言しておき、後に来る災厄を予告した。ここで狐の持つ霊力と仕返しに対する
執念がうかがえ、これから石で引き起こされた狐の復讐の三幕劇が人の世とい
う舞台で上演されるのである。
翌日の昼前に、門兵衛の店を訪れた旅の僧にお茶を振舞っていると、取り締
まりの同心のような大男が二、三十人も乱入し、
「御たづねの出家を、何とてか
くし置けるぞ」と弁明も何も聞き入れず、亭主と内儀を取り押さえ、むりやり
頭を剃って坊主にした。その後、同心も旅僧も尻尾のある狐の姿を現わして逃
げ去った。狐は僧侶という一見無害な人物を装い、門兵衛夫婦の警戒心を解い
てから不意を突き、犯人隠匿という虚構の罪で懲罰を加えた。ここで注目すべ
きなのは、狐が門兵衛夫婦に罰を与えた後、わざと「尾のある姿をあらはして
にげかへる」
という行動を取る意図であると考える。
狐が僧侶も大男でもなく、
その場で狐の本来の姿に戻り、狐の本性を見せるという行為の動機は、門兵衛
の「何心もなく」小狐を撃殺した無意識な行動を思い出させようとすることに
ある。つまりこの第一幕の復讐劇は、イントロダクションの「お姫さま、たま
たま野あそびましますを、命をとりし者、其まゝはおかじ」を受けて「尾のあ
る姿をあらはしてにげかへる」という呼応している形で門兵衛の小狐誤殺の記
憶を喚起させようとするデモンストレーションである。しかし、罪悪感を一切
35
持ち合わせない門兵衛は、この時点で「何心もなく」小狐の命を奪った所為に
対し、反省や後悔の気持ちはまったく持っていないので、門兵衛が気付くまで
やり続けようと狐たちは決めた。
第二幕の狐の復讐行動は門兵衛の親族にまで及んだ。実家に帰っていた門兵
衛の息子門右衛門の嫁が、門右衛門に化けた狐と四、五人の連中に「我他国の
跡にて、かくし男あらはれたり。命はゆる」すと咎められ、言いも終わらぬう
ちに頭を剃られてしまった。さらに狐は自身の潔白を訴えた嫁に「おのれ証拠
を見せん」と言いながら、嫁を引っ張って遠く山の中まで連れて行った。そこ
で五人が立ち並んで「是は二階堂の煤助」
、
「鳥居越の中三郎」
、
「かくれ笠の金
丸」
、
「にはとり喰の闇太郎」
、
「野あらしの鼻長」と、巧みに狐の性癖で作られ
た戯名を次々と名乗った後、
「狐四天王」
と表明し、
狐の正体を現わして逃げた。
ここでいたずらを繰り返した狐が本来の姿に戻って消えたということの意味は、
やはり第一幕と同じように狐である復讐を人間に見せ付けようとしたわけであ
る。
第三幕はまたその次の日、
正午ごろに大きな葬礼の行列が通った。
「導の長老、
はた・てんがいをさし掛け、たまの輿ひかりをなし、孫にいはゐを持せ、一門
白衣の袖をしばり、町衆は袴・かたぎぬにて、野墓のおくるけしき」であった。
門兵衛の親里に人を遣わして「夜前頓死いたされ候。御なげきあるべしと、す
こしもおそく御しらせ申なり。すぐに墓へ御こしあれ」と門兵衛急死の消息を
連絡した。慌てて駆けつけた門兵衛の父親に向かい、
「親類」が「さてもさても
夢の世や、若ひを先に立て、おもしろき事もあるまじ。是にて法躰ましませ」
と勧め、俄か坊主にしてしまった。父親が姫路に帰ると、門兵衛は生きている
が、妻と二人とも坊主頭になっていたのである。狐たちは仕返しのため、門兵
衛の家屋に石の雨を落下させた予告をはじめ、犯人隠匿という虚構の罪から門
兵衛の息子門右衛門の嫁への誣告や門兵衛の作り葬礼まで行い、最も忌避され
ている訃報で「お姫さま」を殺した門兵衛本人だけではなく、ほとんど一家全
員に懲罰を加え、最後に「髪ははへずしておかし」という哄笑を誘った一句で
36
終わった。ここで狐の恨みの深さは多少ブラックユーモアを混ぜた筆調で描か
れている。
「凡ソ狐ハ多寿、数百歳ヲ経ル者多クシテ皆人間ノ俗名ヲ称ス、大和ノ源九
郎狐、近江ノ小左衛門ノ如シ、
(中略)人ヲ惑シ仇ヲ報ヒ、亦、能ク恩ヲ謝ス」
(
『和漢三才図会』三十八)38という狐に対する描写は、俗信として狐が霊力を
使い、人に迷惑をかけたり報復したりする動物であったことに裏付けられる。
「狐四天王」は西鶴はこのような素材を話の中に嵌め込み、滑稽味を添えて敷
衍した一篇である。
「世間の眉毛おもふまゝに読て、人をなぶる事自由なり」と
いう叙述から本話の狐一族は単に平凡な動物ではなく、超能力を備える異類で
あるとうかがえる。もともと「なぶる」という言葉は強者が弱者をからかった
り苦しめたりする行為を指し、
平等な対決を表すわけではないのである。
「異類」
となった狐は人間を上回る異能を有するので、人間が頂点にある秩序の中で人
間に支配されている「動物」として位置づけることができない。しかし、門兵
衛は何気なく小狐を無残に殺した後、死体をそのまま放置してしまい、
「ふびん
とばかりおも」いつつ去っていった。ここで門兵衛は、自分が誤殺したのは異
類性を持つ狐であると全然気付いてなく、ただ人間があくまで優位性を保って
いる人間秩序の中の動物として認知し、
これと同じ扱いをしているわけである。
一方、狐にとって門兵衛という人間は「お姫さま」の命を奪い、まさに異類界
にとんでもない大混乱を起させたが、門兵衛は何とまるきり気にしなかった。
侮辱され軽蔑されたと感じている狐たちは、
「お姫さま、たまたま野あそびまし
ますを、命をとりし者、其まゝはおかじ」という「恨」により復讐を次々と発
動しようとするのである。門兵衛本人をはじめ、息子の妻や父親などの近親者
までも丸坊主にされた。この一連の仕返しから狐の復仇心の強烈さと執着がう
かがえる。しかし、最初はずる賢い方法で人間をうまく騙したが、結局全員を
坊主頭にしたというワンパターンな復仇手段の裏側に潜んでいるのは、人間の
38
この引用は宗政五十緒・松田修・暉峻康隆校注・訳の『新編日本古典文学全集 67―井原西鶴
集 2 西鶴諸国ばなし・本朝二十不孝・男色大鑑』
(小学館、1996)の「狐四天王」頭注による。
37
「何心もな」い残酷への非難であると考える。不意に小狐を殺害した後、門兵
衛は「ふびんとばかりおもふてかへる」
。この人間の無意識と残忍さに本当の怖
さがあり、人間の悪魔性がうかがえる。それゆえ狐たちは、人間に坊主の慈悲
心を思い出させ、確実に殺生の罪を反省させようとして仕返しに、門兵衛一家
を坊主頭にさせたわけである。
本話で西鶴の創作手法は狐の仕業を怪異としてではなく哄笑的な発想で捉え、
滑稽感を帯びる筆致で綴ったのである。堀切実氏の説によれば、結局全員丸坊
主にされたという画面は、いずれにしても対象となる人間の一種の肉体的な欠
陥を突き放した形で眺めることにより生ずる〈笑い〉と考えられる39。もとも
と無意識による殺生への報復は弱化され、最後に「おかし」と笑い話として収
束された。人間と動物は本来互いに尊重し合うべきなのに、優越感を持ってい
る人間はいつも自分以外の生命を軽視する傾向がある。確かに狐はいたずらを
したり迷惑をかけたりして人間に自分の悪行を気付かせたが、人間を殺さなか
った。これに対し、意味もなく小狐を撃殺してしまった人間のばけもの性がい
っそう明らかになる。
「狐四天王」は、狐の利口ぶりで窮地まで追い込まれた人
間の信じられないほどの愚かさを徹底的に皮肉ったと同時に、人間と動物との
交渉に存在する人間の傲慢さをも指摘している。
39
堀切実「
『西鶴諸国咄』における〈笑い〉の種々相―笑いの複合性と語り口―」
【初出は早稲
田大学教育学部編『学術研究』第 33 号(1984)
。後に『読みかえられる西鶴』所収(ぺりかん
社、2001)
】
38
第四節 「姿の飛のり物」
本話は寛永二年の初冬、摂津国の呉服の宮山に誰かが捨て置いた女乗物があ
ったというところから始まる。これを見つけた柴刈りの童子が町の人に知らせ
ると、大勢の者たちが集まってきた。駕籠の戸を開けると、年のころは二十二、
三に見える都風の美女が乗っている。その姿を言えば、
黒髪をみだして、すゑを金のひらもと結をかけ、肌着はしろく、うへには
菊梧の地無の小袖をかさね、帯は小鶴の唐織に、練の薄物を被き、前に時代
蒔絵の硯箱の蓋に、秋の野をうつせしが、此中に御所落鴈・煎榧、さまざま
の菓子つみて、剃刀かたし見へける。
この女性の黒髪の「すゑを金のひらもと結をかけ」るという髪型は公家方の
風俗であり、着用の「菊梧の地無の小袖」は、天皇家の表紋の菊と裏紋の梧が
施された着物であり、模様は当世風ではないので、この女性が公家方の様をし
ていることを示す。また帯の「小鶴の唐織」は中国製の織物であり、日本には
極めてわずかしか輸入されていないので、この女性が天皇家にゆかりのある高
貴な身分の持ち主であると判断できる。さらに女性の「前に時代蒔絵の硯箱の
蓋」の中に「御所落鴈・煎榧、さまざまの菓子」という宮中の甘味が盛られて
いた。衣食から見ればこの女性は普通の身分の女性ではなく、どうも洗練され
た格好をした上品な貴女のようである。しかし、身の上をいろいろ尋ねたが、
女は黙って一言の返事もしなかった。さらに、
「目つきもおそろしくて」
、人々
は我先にと家に帰ってしまったが、やはり気になり、
「今宵そのまゝ置なば、狼
が浮目を見すべし。里におろして、一夜は番をして、朝は御代官へ、御断りを
申べき」と再び山に登ってみると、思いがけない出来事が起こっていた。その
駕籠は一里南の瀬川という宿場の砂地に移動していた。ここで「狼」は表面的
に動物のことを指しているが、その後の展開を考えれば、悪い男という隠喩も
39
含まれ、話の伏線として隠されているとも言える。
既に日も暮て、松の風すさまじく、往来の人も絶て、所の馬かた四五人、
此女良をしのび行て、うき世の事どもを語りつくして、
「情」といへど、取
あへずましませば、荒男の無理に、手をさしてなやめる時、左右へ蛇のかし
らを出し、男どもに喰付て、身をいためる事、大かたならず。何れも眼くら
み、気をうしなひ、命を不思義にのがれ、其年中は難病にあへり。
すでに日も暮れて松を吹き渡る風もすさまじく、
往来の人影も絶えたこの時、
地元の馬方四、五人が危険を顧みず、駕籠の女のところに忍んで行き、しばら
く浮世話などをした。女は相手にしなかったので、荒くれ男たちが無理やり手
ごめにしようと襲いかかると、
女に異変が起こって
「左右へ蛇のかしらを出し、
男どもに喰付」いた。あまりにも突然に襲われたため、みんな目が眩んで気を
失ったが、命だけは不思議に助かり、その年いっぱい難病に苦しんだ。ここで
男のいたずらに対し、女は最初の気品のある姿を一変し、妖怪のような存在に
化けて懲罰を加えた。この豹変の背後にある原因は、最初に述べたこの女の「黒
髪をみだして」いる姿とつながっていると考える。おそらくこの女は以前に男
性とかかわる不幸な境遇にあってからこうなってしまったということが暗示さ
れている。そういう女性に馬方が言い寄り、いたずらをしようとする瞬間に、
馬方のような身分のいやしい「荒男」にひどい目に遭わされたので発狂して死
んだこの女は、異常になった体験が再現されそうになったこの時点で「左右へ
蛇のかしらを出し、男どもに喰付」いてしまったわけである。さらに蛇のかし
らを出してくるイメージは乱れた黒髪と重なっているので、女の髪の毛が蛇に
なって馬方に噛み付いたという異類としての行動も連想できる。そもそも「往
来の人も絶」えた無人の環境で一挺の女乗物が放置され、その中には若くてき
れいな女性がいるという状態は、死んでも成仏できなく、異類になってこの世
に出現している女がわざと荒男たちを引き寄せる罠であると言っても過言では
40
ないと考える。乱暴な男に対して不愉快な感情を抱いているので、いたずら男
をこの世からすべて消し去り、復讐を達成しようとするこの女の心理は推測で
きると考える。
その後、駕籠はまた頻繁に移動し、
「片時も定めがたし」
。後には乗っている
女も姿が変わり、美しい少女になったり八十余歳の翁になったりし、あるいは
顔が二つになったり目鼻のない姥になったりして見る人ごとに姿は違っていた。
この極端な変身ぶりにより「飛のり物」の怪異の正体を知った人々はこれを恐
れ、夜になると村の往来も絶え、大いに世間の妨げとなった。このことを知ら
ない旅人が夜道を行くと、不意に駕籠の棒が肩に乗って離れなくなり、奇妙な
思いをした。少しも重くは感じなかったが、一町ばかりも行くと急に疲れが出
て足も立たなくなるという難儀な目にあった。この不思議は慶安年間まで続い
たがいつの間にか絶え、
「橋本・狐川のわたりに、見なれぬ玉火の出し」と里人
が話していた。
「姿の飛のり物」は、表題が掲示されたように話の主眼は「飛のり物」の怪
異にある。初段の怪異の潜伏、中段の怪異の発生と末段の怪異の展開という三
部曲により構成されたこの話は、常に場所を変え、姿を変えていた「飛のり物」
を中心に広がっていった。駕籠という一見普通な乗り物はどのような象徴的意
味を備えているのであろうか。周知の通り、駕籠とは人を乗せて人力で運ぶ乗
り物であり、昔の女性は外出、あるいは嫁入りの時に必ず女乗物で行ったので
ある。駕籠といういわゆる移動できる閉鎖空間は、外界と隔絶したので女性を
保護したりする一方、女性の行動を干渉して行動も規制し、完全な自由が獲得
できなかった。
しかし本話は駕籠の本来の機能をずいぶん超え、人力ではなく自力で移動で
き、あちらこちらへ飛びまわして人々を驚かせた。またこの駕籠に乗っている
女も、もとの「都めきたる女良」の容姿から「左右へ蛇のかしらを出し、男ど
もに喰付」いた悪相に転じ、
「世のさまたげとな」った。駕籠はこの話で女性を
運送したり行動制限したりする乗物と言うより、かえって怪奇を助長する装置
41
に変えたのである。この女の「あるべき姿」からの脱却と後に来る駕籠の異変
を挑発するのは「荒男」の行為である。
「無理に、手をさしてなやめる」男に対
し、蛇を出させて懲罰した反応は、極限の心理状態における女が逼迫された末
に取った反撃なのである。恨みにより可憐な少女は恐怖の妖女へと変身し、一
連の不思議な出来事も展開した。ここで怪異へのスイッチを押すのは荒男の不
作法であり、言い換えれば人間のばけもの性こそ怪談を次々と爆発させる導火
線であると西鶴は示唆した。
この女乗物は街道の所々に飛び行き、人を悩ましたという不思議な現象は、
「慶安年中迄はありしが、いつとなく絶て、
『橋本・狐川のわたりに、見なれぬ
玉火の出し』と、里人の語りし」
。この怪異の消失は、おそらく年忌行事と関連
付けられるのであろう。年忌とは、回忌ともいい、死後一定の年数を期して行
われる死者の供養の儀礼であり、原則として死者の命日(死没した月日)に行
われる。その日は親戚や知人たちが集まり、僧侶を招いて追善法要を行なう。
特に一年目を一周忌(ムカワリ)といって重視し、それ以後はかぞえで三回忌・
七回忌・十三回忌・十七回忌・二十五回忌・二十七回忌・三十三回忌に、年忌
法要をつとめるのが慣例である。浄土真宗の地域では五十回忌、百回忌を行な
っているが、通常は三十三回忌を「弔い上げ」と称し、それ以後は年忌法要を
行なわない40。冒頭の「寛永弐年冬のはじめに、津の国池田の里の東、呉服の
宮山、きぬ掛松の下に、新しき女乗物、誰かは捨置ける」という怪異発生の序
曲から「慶安年中迄はありしが、いつとなく絶て、
『橋本・狐川のわたりに、見
なれぬ玉火の出し』と、里人の語りし」という怪異の終章までは、寛永二年(一
六二五年)から慶安年中(一六四八年から一六五二年まで)までのおよそ四半
世紀の期間を経ている。この二十数年の長さは何を表わしているかといえば、
この女の無残に死んだ後の霊は、成仏する前にこの世にまだいろいろな恨みや
憤りとかを持ってさまよい続け、不特定な男性に対して片っ端から懲らしめて
やろうとする。しかしまもなく最終の年忌である三十三回忌を迎える時は、追
40
福田アジオ等編『日本民俗大辞典(下)
』
(吉川弘文館、2000)
42
善供養のおかげで今まで解消しえない怨念がだんだん薄れていき、最後に名残
りとして「玉火」というものに化し、成仏への道をたどっていった。
43
第五節 「紫女」
筑前の国、袖の湊といふ所は、むかし読ぬる本歌に替り、今は人家となつ
て、肴棚見え渡りける。
「紫女」という一篇の冒頭部により、話の背景は筑前の国袖の港という所に
あるとわかった。昔の和歌に詠まれた様子とは変わり、今は人家が次々と建ち
並び、魚屋の店も数多く出ている。この港町情緒が溢れているにぎやかな地域
では、周囲としっくりしなく、一人暮らしの男がいた。
磯くさき風をも嫌ひ、常精進に身をかため、仏の道のありがたき事におも
ひ入、三十歳迄妻をも持ず、世間むきは武道を立、内証は出家ごゝろに、不
断座敷をはなれ、松柏の年ふりて、深山のごとくなる奥に、一間四面の閑居
をこしらへ、定家机にかゝり、二十一代集を明暮うつしけるに、折ふしは冬
のはじめ、時雨の亭のいにしへを思ふに、物の淋しき突揚窓より、やさしき
声をして、
「伊織さま」と名をよぶ。
磯の生臭い風をも嫌い、三十歳過ぎるまで妻を持たず、世間向きには武士と
して振る舞いながら内心は仏道修行を念頭に置いているこの男は、市井の隠者
といった雰囲気を持った人物である。この隠者は松柏の茂っている深山のよう
な庭の奥に静かな居処を造り、心静かに歌道を学んでいたが、ある日この外界
と隔絶した閑居の窓からやさしい声で「伊織さま」と名を呼ぶ者が現れた。今
まで一回も名前が出てこない「伊織さま」という主人公は、この時点ではじめ
て正体が明かされたが、彼の名前を呼び出したのは声しか聞えない不明な存在
なので、伊織の庵に謎のような雰囲気が漂っている。
ここで伊織の前に来たのは、
「いまだ脇あけしきぬの色、むらさきを揃へて、
さばき髪をまん中にて、金紙に引むすび、此美しき事、何ともたとへがた」い
44
絶世の佳人である。その美人が「しどけなき寐姿、自然と後むすびの帯とけて、
紅ゐの二のものほのかに見え、ほそ目にな」り嬌態をみせる。不覚にも「年月
の心ざしを忘れ」た伊織は「只夢のやうになつて、うつゝをぬかし」
、仏道者と
しての矜持を失って完全に誘惑された。その後逢瀬を重ね、
「又の夜になる事を
待兼、人には語らず契を籠て」いるが、二十日もしないうちに伊織は次第に衰
弱していく。かねて懇意にしていた薬師道庵がこれを見とがめ、このままでは
命も長からずと診断した。すると伊織は一部始終を打ち明け、しばらく考えた
道庵は、
是ぞ世に伝へし、紫女といふ者なるべし。是におもひつかるゝこそ、因果
なれ。人の血を吸、一命をとりし事ためし有。菟角は此女を切たまへ。さも
なくては、やむ事なし。又養生のたよりもなし。
とこれこそ紫女の仕業であると告知した。そこで驚いた伊織は心を取り直し、
「いかにもいかにも、しるべもなき、美女のかよふはおそろし。是非今宵、う
ちとめん」と覚悟し、紫女を抜き討ちに斬りつけようと決意した。伊織の意向
をあらかじめ察知した紫女は「袖を顔に押当」
、
「さてもさても、此程の御情に
引かへられ、我をきりたまはんとの御心入、うらめしや」と相手の無情を嘆き
ながらそのまま姿を消しそうになった。その面影を追いかけて行くと、橘山の
奥の樹木が深く茂った洞穴に入ってしまった。その後も紫女は執心を残し、化
性の姿で出没したので、国中の僧侶を集めて供養したところ、再び現れなくな
り、伊織も危うい命を助かった。
本話の典拠については、早くから『御伽婢子』巻三に載る、中国明代の怪異
小説集『剪燈新話』巻二の「牡丹燈記」を翻案した「牡丹灯籠」であると近藤
「牡丹灯籠」の梗概は次のようである。京都五条に住む荻
忠義氏は指摘した41。
41
近藤忠義『日本古典読本 9―西鶴』
(日本評論社、1939)
45
原新之丞は最近妻を失った。七月十五日、盂蘭盆の夜、二十歳ばかりの美女が
女童に牡丹花の燈籠を持たせて通るのに気付き、その女を誘って契りを結ぶ。
毎夜女は通って来るが、これを隣家の翁が壁の隙間から覗いて見ると女にはあ
らず白骨であった。このことを翁に告げられた新之丞は、女が幽霊であること
を知り、東寺の卿公という修験者から魔除けの札をもらい門に貼ったところそ
れから女は来なくなった。五十日ほど経て、女の墓所の万寿寺を通り、門内を
見るに、女がたちまち出現して新之丞を墓に引き込み殺してしまった。その後
二人の幽霊が出現するので新之丞の一族の者が弔いの納経をすると、二度と現
れぬようになった42。
妖しい美女と通じていた男は自分さえ気付いていないうちに精力が吸いとら
れ、他人に見咎められるという経緯は「紫女」と「牡丹灯籠」の共通の眼目と
も言えるが、この二話の相違点を言えば、女が供養されて成仏した「紫女」で
は「救済」が強調され、一方、女の骸骨と情交する陰惨な怪談「牡丹灯籠」の
重点は「恐怖」に置かれるという趣向が見られると考える。
一方、紫女の名の出典については、多寿にして淫婦化する狐を紫と称したこ
とは『字彙』をはじめ『下学集』
(元和本)などにも記載され、広く知られてい
た43。また紫女が山中の洞穴に入り込むという結末部からも、女の正体は狐の
類であると連想することができる。しかし、森田雅也氏は当時の読者が「紫」
としただけで「狐」を連想できたかと言うと、それは極めて難しかったと思い、
紫女のばけものとしての正体が現われた段落「ぬきうちに(中略)洞穴に入り
ける」を見ても「橘山」が狐の名所であれば別であるが、
「木深き洞穴」だけで
正体が狐と断定することは牽強であると指摘した44。つまり西鶴も承知の上で
42
宗政、前掲注 38 書の「紫女」頭注参照。
『字彙』の「狐」の項には「獣名 鼻尖尾大 善為妖―魅 性―淫多疑 死則首丘 名山記狐者
先古之淫―婦其名曰紫 化為狐 多自称紫」のごとき説明が付いている。また『下学集』
(元和本)
にも「多疑之獣也 古之淫婦也 其名紫々化為狐也」という語釈が見られる。
【
『字彙』
、
『下学集』
からの引用は、元持典子の「
『西鶴諸国はなし』巻三の四―「紫女」の素材と方法―」
(
『国文橘』
第 24 巻、1998)による。
】
44
森田雅也「
「年をかさねし狐狸の業ぞかし」考―西鶴と出版統制令に関する一考察―」
(関西
学院大学日本文学会編『日本文芸研究』第 54 巻第 4 号、2003)
43
46
「木深き洞穴に入りける」としたのであり、この話を特に狐の怪異話として形
成する意志はあっても、読者にまで狐に限定して読んで欲しいというところま
で企図はしていなかったはずであると森田氏は分析した。確かに本話の文脈か
ら見れば、
「木深き洞穴に入りける」という一句は獣の棲む場所を暗示し、狐の
性質をうかがわせるが、一方でこのような洞穴は山賊・鬼のような非日常的人
間の住む場所と考えられてもきた。したがって狐とはっきり断定できる段落は
ないとも言える。むしろ想像をたくましくするならば、この洞穴こそ紫女の死
の場所=異類化した場所ではないのではなかろうか。要するに西鶴はこの一篇
の発想を「牡丹灯籠」という異類との情愛譚から獲得し、さらに当時の現実に
即しながら古典的な素材を全く新しい当世風の幽霊譚に巧みに織り込んで「紫
女」を構成しようとしたのである。
本話の中心部は言うまでもなく紫女が伊織に近寄ろうとする段落である。こ
こで紫女が伊織のところに訪れてきたのは「今なる鐘は九つなれば、夜もふか
し」という午前零時のあたりであり、昔の時間から言うと、
「九つ」というのは
まさに日の入から日の出までのど真ん中にある時である。換言すれば「夜もふ
かし」
というような最も夜の深い真夜中なのである。
この時点はある意味で
「陰」
から「陽」に向かっていく転換点であり、つまり陰陽交代の境目とも言える。
それゆえ九つという時間帯はいつも怪異発生の舞台であるとされ、異類出現の
時刻ともなる。しかしもともと陰の存在である異類は、九つという陰と陽の転
換点を過ぎてから、時間は陰が陽に迎え始めるので消えなければならない方向
に向かっていく。この時陰陽両方にもいられる人間と違い、闇の世界に出没す
るかぎりエネルギーが頂点に達せる異類は不安になり、日が昇ると退場時刻の
到来とも見られるので、人間世界を脅かして陽を陰に引き戻そうとするわけで
ある。異類の活躍する夜という楽園を閉鎖させる力学として夜明けが必要であ
ると想像され、こうしたいわゆる禁忌は怪談展開の重要な基軸をなしている。
したがって「紫女」は、まさに夜に潜伏する女の幽霊が境界を越えてこの世に
飛び込んでき、
「死」という形で昼に活動する人間の男の「生」を次第に侵蝕す
47
るという人間の心の暗部に迫る根源的な恐怖を伝達した一話なのである。
「人の血を吸、一命をとりし事ためし有。菟角は此女を切たまへ。さもなく
ては、やむ事なし」という紫女に対する描写から、伊織に出会う前にすでに他
の人間を殺害してしまったことがわかる。古くから血というものは生命の根源
として見なされてきた。
「人の血を吸」う紫女は人間に害悪を与え、
「一命をと
りし事」を望んでいるというより、むしろ人間の血や生気を吸うなどの手段で
幽霊から人間へ復帰しようとするわけである。つまり紫女の血に対する渇望は
まったく甦生への期待を反映しているともいえよう。確かに伊織も最初に日常
の精進を捨て、紫女の色気に一度迷ってだいぶ衰弱してしまったが、伊織を取
り殺すことはとうてい紫女の目的ではないのである。紫女が伊織の庵室に闖入
してきた動機は、むしろ伊織は「仏の道のありがたき事におもひ入、三十歳迄
妻をも持ず、世間むきは武道を立、内証は出家ごゝろ」を持っている修行者だ
からである。もしも伊織が自分にずっと惚れてくれたら、成仏という最終の願
いが実現できると紫女は確信し、それゆえ伊織を積極的に誘惑した。
その後、伊織が愛欲を断ち切ろうとする心構えを敏感に察知していた紫女は、
「さてもさても、此程の御情に引かへられ、我をきりたまはんとの御心入、う
らめしや」と悲痛を吐露しながら、そろそろ夜明けにさしかかろうかというと
ころ、急いで「木深き洞穴に入りける」
。紫女のこの行動はある意味でわざと伊
織を自分の死の場所まで誘導していくわけであり、紫女の正体に気付いた伊織
は慈悲心の持ち主であるので、紫女が今まで出会った情欲しか考えなかった男
とはやはり違った。伊織は自分の命を保つだけではなく、さらに仏教の力を借
りる「国中の道心者あつめて、吊」い、紫女を成仏させた。むしろ伊織にとっ
て紫女は危害を加える異類ではなく、ただ不幸な女の死霊なので、お経を読ん
で紫女を助けたわけである。
この伊織と紫女の間に存在するいわゆる特殊の信頼関係は非常に意味深いと
考える。最初に欲望で発動された伊織の感情は、最後に紫女を成仏させる善心
に変転した。伊織と紫女の関係には迷いと恨み、同情と未練などの気持ちが混
48
入し、恋の多面性をうまく反映する。ここで試みに鷲巣繁男氏の男女の愛に対
する独特な論点をここに適用したならばどうなるのであろうか。
元来、男にとつては女が、女には男が、神話的存在である。われわれが人
間一般を考へる時、女と男の間の絶対的深淵を考へない。そしてまたその深
淵を愛といふ観念で充たしてしまふため、深淵を深く考へない。だがひとた
び「愛の意味」について考へる時、限りない虚無の中に落ちる45。
本話では、伊織と紫女の人間と異類の恋は、まさに「女と男の間の絶対的深
淵」の極大化する好例とも見られる。
「人間=男」にとって「異類=女」は、永
遠なる不可解性を持っている「神話的存在」であり、こうした異色の恋に逢着
すれば、伊織の前に現わしているのは危険と歓悦の両面性を兼ね備えた愛の原
質なのである。一時的に落ちた伊織は友人薬師道庵の勧告にしたがい、最初の
「出家ごゝろ」を取り戻そうとし、紫女との情愛も破局を迎える。しかしその
後伊織は「国中の道心者あつめて」まだ妄執を抱いていた紫女を弔い、成仏さ
せた。ここで恋というもともと伊織と紫女を沈ませた危険の海は有情の浪にな
り、成仏の彼岸まで紫女を運んでいった。一見「奇談」であるが、中身は「綺
譚」であるこの一篇は、伊織と紫女の間に展開する人間と異類の境界を越える
恋を描き、その中から真実の愛も見事に浮かび上がってくるのである。
45
鷲巣繁男「夢―あるひは愛と存在の地下劇場」
(
『すばる』第 12 号、1973)
49
第六節 小結
深山と荒海、野原と密林など、人里離れした地域は、古くから未知で神秘な
世界とされてきた。人々はこうした異界に取り囲まれながら生きているが、そ
こに棲む得体の知れぬ存在に対し、
不可解さを感じてきた。
したがって人間は、
それらの異類の姿を想像して描写することにより、恐怖心を抑え、好奇心を満
足させようとする。このような題材は、文学作品においていつも扱われ、異類
が時として支配と征服、あるいは嫌悪と恐怖の対象として描かれるとともに、
異類と人間の情愛や葛藤も常に着目されるのである。
『西鶴諸国はなし』における人間と異類の交渉が迫真の筆致で活写される話
は多く見られる。
「傘の御託宣」では、肥後の国の奥山にある隠れ里で「こざか
しき男」の付会と里人の畏敬により、飛んできた傘は神として祭り上げられ、
なんとなく「性根」が入って人身御供の「御託宣」まで下した。ここでは神性
に人性が混入し、神仏ではなく人間としての欲望がうかがえる。この傘は神仏
なのかばけものなのか、だんだんわかりにくくなってきたのである。また「雲
中の腕押」では、箱根山の「鳥さへ通はぬ峰」にある短斎坊という百余歳の木
食僧の庵室に訪れてきた常陸坊海尊という「長生」の仙人は、庶民的な口調で
義経一門の諧謔的風姿を嘲笑したり皮肉ったりしたのである。
以上の二話では、
人間界に越境してきた傘の神と仙人がどう見ても人間臭いような気がする。西
鶴は、作品の中で神仏、仙人を人間と同じ次元に引き下ろし、本質的に共通点
があると強調することにより、人・神の間に存在する境界を曖昧模糊化させ、
話の面白みを増した。
人間と異類が接触している時、人間のばけもの性は時々怪異へのスイッチを
押し、怪談を次々と爆発させると西鶴は示唆した。
「狐四天王」では、門兵衛の
狐への「何心もな」い悪戯をきっかけとして話が展開し、狐の「恨」による復
讐が発動された。門兵衛本人をはじめ、息子の妻や父親などの近親者までも丸
坊主にされた。ここにおいて人間と動物との交渉に存在する人間の傲慢さが指
50
摘されている。また「姿の飛のり物」では、
「荒男」の不作法に挑発された「飛
のり物」の怪異が描かれ、
「左右へ蛇のかしらを出し、男どもに喰付」いた光景
は、この女は以前に男性とかかわる不幸な境遇にあってからこうなってしまっ
たということが暗示されている。
「紫女」では、伊織という一人暮らしの男が「仏
の道」を離れ、
「人の血を吸、一命をと」った紫女の美貌に魅了されて次第に衰
弱していった。ここで人間のばけもの性は磁石のように、異類を吸いつけ、越
境を誘発したと考える。
果たして、異類とは一体何なのであろうか。一度変身を経た異類はどこまで
が人間であり、どこからが異類なのであろうか。人間から見れば、異類は疑い
なく異類であるが、もし見方を反転すると、異類から見れば人間こそ異類なの
である。異類というものを解釈して分類する権力を握る人間は、自らの優越性
を確保するなどの理由に基づき、人間と異類の間に壁を立て、
「人:ばけもの」
という対立構造を創出した。しかし、西鶴はいつも人とばけものの間に介在し
ている境界を打破し、
「人はばけもの」を視座に据え、
「人=ばけもの」という
新しい図式を提示した。
「人=ばけもの」により打開された人間と異類が接続さ
れる通路は、
『西鶴諸国はなし』の話を越境の果てへ引き連れていくのである。
この特異な双方向性により、異類の持つ獣性の中の人性と、人間の持つ人性の
中の獣性が注目された。
人間のばけもの性と異類の怪奇を取り合わせることにより、人間の心の暗部
や影の領域にあるばけものの棲み処を見出そうとするのは、
『西鶴諸国はなし』
の異類譚の趣向とも言える。本書における人間らしい神・擬人化された異類の
姿は、ある程度人間の複雑化を反映している。異類はまさに人間の想像力の結
晶であり、真の人間の姿を映し出す鏡でもあると考える。
51