サハラ砂漠縦断

エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
冒険てなんだ?いつも俺達の肉を熱くさせ、そしていつも俺達の身体を駆けめぐりそのことを想って止まないこの衝動は
なんだ。この情動はなんだ。俺達の身体をいつもそうさせ、なにかいつも身体を動かして、俺達の身体を完全燃焼させる。
危険への挑戦、そんな言葉じゃあかたずかない。しかし、俺達はこの止まない鼓動が好きだ。このどうしょうもない押さ
え切れぬ衝動がたまらなく気持ちいい。俺達がこれから生きていく上で決して欠く事のできないもの。言葉の一つ一つに
は極限が満ちている。大地を駆けめぐる柔らかいカ。きれいに晴れた星空が俺達のテントを照らし、その星空は見たこと
もないほどの数で、焚き火や、ランタンなんて必要ないそんな夜も更け、朝になったら俺邊は気ずくのだ。これから未知
なる世界へ行くのだと。おさえきれぬ衝動の中でいまにも動き出して誰にも止められなくなってしまいそうな身体を感じ
その中で、不安と、戦い、自らの身の危険を肌で感じ一瞬よぎる感覚の本能。あきらめるな、胸の奥に凝り固まったその
精神を生かそう。そして鍛えよう、俺達の冒険はまだ始まったばかりだ。そうなのだ、これから行く世界に未知なのだ。そ
れはきれいに舗装された道じゃないかもしれない。いつだって晴れてるわけじゃない。飲める水がすぐにいつもあると限
らない。下りばかりじゃない。暖かい日ぱかりじゃない。いつまでも明るくはない。しかし、俺達全員に平等に与えられ
た最高のこの世に一つしかないものがある。それは、どんな逆境にも耐えうる、どんな過酷な状況に対しても必ず、俺達
を励まし、勇気ずけ、時には心のよりどころになる。それは俺達のアドペンチャークラブという絆だ。シェラフを持って
動き出せ。もう、どんな過酷な状況にも俺達は耐えられる。そして、いつも俺達は挑戦し続ける。俺達は諦めないんだ。そ
の向こうにやっと見えてくるのが、きっと,冒険だろう。挑戦し続けよう。アフリカとは(アフリカ好きのラテラの社員
からメールをもらった)最近の情報は無いのでよく確認したほうが良いと思いますが、僕が行っていたころよりスーダン
の内政が変わっていない筈なので、僕の情報です。
(古いです。もう9年も前になるけど、ケニア3ヵ月、スーダン1ヵ月、
ウガンダ3週間いました。貧乏旅行でかなり僻地にも行きました)スーダンの内情を知っていますか?砂漠地帯の北部と、
サバンナと湿地を中心とした南部は宗教による争いを継続しているはずです。北部はイスラム教を法律としているヌビア
人を中心とした政府側、南部はカソリックの様々な部族を中心としたゲリラ側です。もちろん、
陸路の国境としては閉まっ
ているはずです。多分通れるのは、国連の物資を補給する車と近隣の住民だと思います。これは、ボーダーがあるケニア
側、ウガンダ側でも同じでしょう。強盗団が多く、僕が行っていたころ、国連の車もよく襲われていました。あと南部に
入る白人は見つかったら殺されると聞いています。
(国連の人も殺されていました。
)ここからは、個人的な意見です。危
険な地域を旅行するのであれば、徹底的に,調査が必要です。何年もかかるはずです。それが出来ないんであれば、危険
なことはやめたほうがいいと思います。僕が10ヵ月のアフリカ滞在で知り合った友人が二人現地で死んでいます。二人と
も日本をでてから2∼3年径ている旅行者だったのですが、やはり計画に無理があったのです。僕が思う「冒険」の理念と
は、出来ないことを、無計画に無理に行うことではなく、出来そうもないことを、綿密な計画と、調査で自分の身体の安
全が確保されたときに、自分だけの責任で、的確に行動をし成功させる、ことだとおもっています。
(父からのめ一る)エ
ジプトはとりあえずとして、スーダンはイスラム教圏とキリスト教圏にわかれ民族的にも南北で異質な疑似国家だと思い
ます。内戦が絶えません。国土は広大ですが、
「冷戦」と「帝国主義的分割」にさいなまれた国だとおもいます。アフリカ
には、
”人のなりわい”とか”民族のよって成り立つもの”が、だれかが、勝手に決めた「線」で分断された証拠が、地図
上にみえます。エジプトとスーダンの国境線しかり。あのような人工的な国境はアジアには只一つ朝鮮半島にしかありま
せん。エジプトからハルツームには行けるとおもいます。同じ文化圏ですから。南スーダンは厳しいと思います。僕は、ア
フリカは収奪された大陸だと思う。
(高校の時の先輩からのメール)おいおい、正気か?チャリンコを日本一周するために
使うというのは聞いたことはあるけど。アフリカで移助手段に使う奴なんて聞いたことないぞ。それは僕の想像できない
領域だ。田崎に待っているのは確実な死ではないのか?まて、今なら間に合う。
「僕は行きません。
」と、部長にでも言う
んだ。万が一命は助かっても、学校に戻ってはこれないだろうよ。人生まだまだじゃないか。もっと生きようよ。つまら
ないことだってあるかもしれんけど、経験していない楽しいことは山ほどあるはずだぞ。やめとけ!うううう、悲しいぞ。
(ラテラ社員ヘの返信)返信まことにありがとうございます。シビアな話。まことに勉強になりました。僕は、社会人では
ありませし、まだそうありたくはありません。ですのでこう言った話は本当に勉強になります。企画については何度も塗
り替え塗り替え、時には、じゃあ仕方ないからモロッコにするかなどとがんばってやってるわけです。しかし、日本で入
る情報が少なく結局最後には、行かないと分からないといった感じなってしまいます。スーダンの内情については、いろ
いろと調べました。しかし、やはり、日本人にはあまり宗教というものが理解できないのです。今回の計画で行うことに
なったとして。現地に入り、危険すぎて、この冒険的活動が、もし万が一、帰国と言うことになってしまったら(という
かかなり時代が悪いのでその確率はかなり高いことは自覚しております。そんなことでスボンサー依頼するな!とお思い
でしょうが、その点は、実情を知らない馬鹿な学生と思ってください。すみませんでした。なんども繰り返しますが、本
当に勉強になりました。
)その国の情報をとことん二ヶ月間、冒険的誇れる後輩達のためにレポートしてきたいとおもって
おります。その決定をするとき悔しいでしょうが、勇気を持って決断を下すのが、冒険者としての責任だと思っておりま
す。
(僕の声)俺は行く、なぜならそこにアフリカがあるからだ !! 計画書から抜粋
サハラ砂漠縦断
文、田崎 基
73
エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
サハラの旅 ∼第一章∼
カイロからバハレイヤへ
赤茶けた大地にそそり立つピラミッド
仰ぎ見てもなお頂上は天の彼方 旅人を乗せたラクダは、
かつて世界中の黄金を運んだ.
今なお、砂漠に眠る
ファラオの財宝を探しにいこうぜ
・・・自分のなかにあるんだよ・・・
(隊員)
隊長、外相:児嶋 基史
食糧、装備:田崎 基
記録、医療:中西 嘉尊
(活動場所・地域・期間)
エジプト・アラブ共和国
ナイル川の西に広がる大砂漠
サハラ砂漠東端―リビア砂漠
97.8.29∼97.10.1(34日間)
(目的)
砂漠気候という苛酷な環境とアフリカという冒険色の濃い大地を、
自転車という金銭的に安価な移動手段によって、ある一定の距離を走る。
そして、
「冒険とは」という永久の課題に一歩近づこと。
(活動場所の状況)
道路は一部を除き舗装道路。平坦な道や微妙に傾斜している道が多い。ほとんどが、デーンと、気が遠くな
る程はてしなくまっすぐな道が続いている。実際、気が遠退いていく。この地域には紅海から北東の風が常に
吹いている。日中は、アスファルトがチーズのようになってしまうほど熱く、明け方は絶対一回は目が覚めて
しまうほど寒いという砂漠気候である。
74
鉄道が通っており、
20kmおきに駅や屋根つ
きのベンチがあった。
きっと乾きすぎた我々のこ
とを助けるため神様が建てたに違いないと思われ
るレストハウスが中間点にあり、そのレストハウ
スでコーラを飲んだ。
「この世にこのような物が
あっていいのだろうか」
という疑問を抱いてしま
うほどうまかった。外にでると、エジプト人たち
が、
七∼八人群がっていて、
すいかやトマト、
チー
ズ、パンなどを「旅人よ、食っていけ」と勧める
ので(アラビヤ語で)いきおいよく食いこんだ。
やがて、オアシスに着き、ベットでの睡眠をむ
さぼった。
バハレイアオアシスでは、3ポンド50ピアスト
ルの宿に泊まった。
1ポンドは日本円で40円弱
だ。つまり、一泊約140円である。結局、バハ
レイアでの宿が一番安かった。部屋は、窓がひと
つ付いていて、アウトサイドバスと書いてあって
部屋の外に風呂がある。
たいていの宿ではこのよ
うな造りとなっている。
扇風機が天井に付いてい
るかどうかなどは少しづづ異なる。
一番のポイン
トは網戸である。網戸があると、昼間は蝿があま
り入ってこないし、
夜は蚊が入ってこないのでか
なり助かる。蝿はそのうち気にならなくなるが、
蚊の方は、刺される度に「マラリア」と、囁かれ
ているようでいつまでたっても慣れるものではな
い。しかし、あまり、日本の蚊よりかゆく感じな
かったのはどうしてであろうか。
どこのオアシスでもマンゴジュースが露店で
売っていて、かなりおいしい。各オアシスによっ
てサトウキビが入っているものと、
入っていない
ものがあって、好みがあるとは思うが私は入って
いない方がうまく感じた。約60円でコップ一
杯。
出発です.田崎(左)の髪に注目!
カイロ∼バハレイヤ間にて.一杯のシャーイが・・・
パスポートチェックは、なん箇所も
月 日 走 行 距 離 平均速度 走 行 時 間 最高速度
9.4 78.70 18.3 4.18.01 42.1
9.5 120.87 22.4 5.32.21 39.7
9.6 134.55 27.1 4.57.06 43.6
9.7 55.08 21.3 2.35.05
63.4
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エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
サハラの旅 ∼第二章∼
バハレイヤからファラフラへ
中西君のモンベルに送ろうとした写真は、
ここ
に採用されました!
途中に何もなく、休む所がない。しかし、休ま
ないわけにはいかず、そのなにもないそして、あ
からさまに炎天下なところで休むのであった。
急
な下り坂が2つある。
砂漠で休んでいると通りが
かりのおじさんが、バナナひとふさをくれた。バ
ハレイヤオアシスでターバンを買った。3人で頭
にまいてみると、実にあやしい感じになった。
ファラフラオアシスの宿はシーズンオフで一軒
しかやっておらず、
他の四つのオアシスの中でも
一番小さいオアシスだった。
その一軒しかやって
いなかった宿というのは、街の中心地から1キロ
ほど離れていて飯を食べに行くにもコーラを飲む
にもその度に出かけていかなければならなかっ
た。他のオアシスと違って、縁石などを造り始め
ていて実に開発途上といった雰囲気のあふれるオ
アシスであった。しかし、ここのオアシスは常に
強い風が吹いていて植物は他のオアシスより極端
に少ない。植林をたびたび見かけたが風が強すぎ
てあまりうまく行ってないように思えた。
ダクラからカルガへ
ダクラ∼カルガ間は、途中に何もなく休む所がな
い。ちょうど中間あたりから実に不愉快な向かい
風が常に吹いている。風が強くてテントがとばさ
れた。十数メートル暗闇のなか、テントを追いか
ける中西は、サンダルも脱ぎ捨てて必死だった。
カルガオアシスでは、エジプト人の結婚式に参
加することになり、ビールを飲んだせいか、すご
く盛りあがってしまった。中西の一皮むけた姿を
かいま見てしまった。
スポーク故障
月 日 走 行 時 間 平均速度 走 行 時 間 最高速度 9.17 137.01 21.9 6.15.26 40.7 9.18 71.05 14.4 4.54.11 35.0 これだ!これだ!これだ∼!
月 日 走 行 距 離 平均速度 走 行 時 間 最高時速 9.9 141.60 26.5 5.20.06 61.5 9.10 41.75 22.3 1.52.02 39.3 ついに、ついに、ついに!栄光のゴールです! 母なるナイルよ!ありがとう!
サハラの旅 ∼第三章∼
サハラの旅 ∼第四章∼
ファラフラからダクラへ
カルガからアシュートへ
数kmの未舗装道路があり、砂丘で道が埋まり
そうになっている。ファラフラから90km地点
にレストハウスがあり、手前70km地点に村が
あった。その村でコーラを満足するまで飲んだ。
中間地点にレストハウスがある。途中には見上げ
るほどの峠があり、そこでも絶えず不愉快きわまり
ない暴風が吹いている。
カルガ∼アシュート間では、
こじまさんの誕生日を祝った。
小島君誕生日、おめでとう!
月 日 走 行 距 離 平均速度 走 行 時 間
最高時速 9.13 131.25 20.9 6.16.07 43.8
9.14 116.44 21.5 5.24.41 35.0 9.15 59.38 20.2 2.55.47 34.0 76
月 日
9.20
9.21
9.22
走 行 距 離 平均速度 走 行 時 間 最高速度 80.37 13.7 5.51.24 31.3 03.59 17.7 5.50.33 27.1 59.82 18.2 3.16.23 34.5 77
エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
チャリ用装備
MTBツーリング用装備
各種アーレンキー
パニアパック (60リットル程度はあった方がよい)
(自転車用のものでセットになって
いるものが使いやすかった。
)特殊
なものはパーティで1ッコ。使用
頻度の高いものは1人1ッコ。
各種スパナ
(これも自転車屋さんで売っている
もの。
)使用頻度の高いものは1人
1ッコ。ペダルレンチのようなの
はパーティで1ッコ
1人1セット
タイヤ(「耐磨耗」が適していると思われる。スリックタイヤでも特に
問題はなかったと思われる。が、ブリロのセンターリッジの20を使用
した。
)
スペアには1人1本
チューブ(スーパーチューブが適していると思われるが、普通の安い
MTB用の物で一回もパンクしなかった。
)
1人3コ
空気入れ
(自分の自転車に使えるか、自分が
使いやすいかが勝負。盗まれたの
で、離れる時は取り外していった
方がよい。
)比較的壊れやすいし使
い慣れてる物がやはり良いので1
人1コ。
チェーン切り
(使わなかったが、持ってた方がよ
い。
)パーティで1コ。
スポーク
(持っていかなかった。しかし、ス
ポークは切れた。応急処置で済ま
せた。
)持っていっても調整の仕方
などが極めて難しいので、付けら
れない。
ワイヤー
(使わなかった。が、持っていくべ
き。
)パーティで1セット。
ニップル回し
(使った。持っていくべき。
)
パーティで1コ。
78
(その他)
水は一日に3リットル以上飲む
ので、ポカリスエット等の粉があ
ると飲みやすい。ビニール製の水
タンクは、大量に水を運ぶことが
できるので、便利だった。テントは
持っていったが、外で寝るほうが
涼しく、フリースにシュラフで十
分。生水を飲むことがあるので、
浄
水薬(ピュア等)が必要。また、抗
生物質や整腸剤も念のために持っ
ていくべきである。マラリヤ対策
として、現地でクロロキンという
抗マラリヤ剤を購入、
しかし、
飲ん
だのは最初だけだった。蚊取り線
香も必要。火器は1ッコ持って
いった。
これが、
我々の最大の喜び
を生んだのだった。
格好は、長袖、長ズボン。つばの
大きい帽子とサングラスで走るこ
とが望ましい。靴は軽くて、メッ
シュがたくさんある物が適してい
ると思った。
今回の自転車での旅はでは、三人ともパンクはしなかったが、田崎
のパニアやスポークが壊れるということがあった。BBなどに砂が入
り込み、ジャリジャリとペダリングの度にいっていたが、根本的なメ
カのトラブルはなかった。怪我もゴール近くで転倒したが、大事には
至らなかった。
結果的に計画していたルクソールをゴールとせずにアシュートに向
かったわけだが、自転車と路面のコンディションを考えた上、正解で
あったといえよう。しかし、政治上の問題を多く抱えている国故どち
らにしても危険であったことは否めない。実際、帰国後一ヶ月あまり
たったころ恐れていた危険、すなわち無差別殺人が行われた。
このことに対して、我々も、できる限りの情報収集はやったつもり
ではあるが、結局最後には行かなければ分からないという答えにたど
り着いてしまうのである。特に、こういった第三世界と呼ばれる国々
では多々あることのようである。しかし、やはり、行く前に現地の情
報を入念に調べていくことは必須であると思われる。それ以上に現地
に入ってからの情報収集も怠ってはいけないとおもわれる。
79
エジプトサハラ砂漠を MTB で横断
(特別注意情報)
エジプト国内では、1992年の
夏頃からイスラム原理主義過激派
に よる政府要人への暗殺未遂事
件、外国人観光客や治安当局者に
対する襲撃事件等、テロ事件が散
発する状態が続いており、93年
4月より渡航情報が発行されてい
ます。エジプトへ渡航を予定され
ている方は下記の諸点に留意し、
在エジプト日本国大使館、旅行社
等により最新の情報を入手するな
ど、安全対策に万全を期するよう
お勧めします。
アスワン、ルクソー
ル、アブシンベルを除く上エジプ
トナイル川沿い の地方都市への入
域は可能な限り避ける。
又、アスワ
ン、ルクソール、アブシンベルでも
その中心的観光地から離れた場所
には行かない。
更に、
カイロからル
クソールに赴く際には陸路水路で
の移動は極力避ける。大カイロ地
区でもテロ事件が発生しているの
で、滞在中は身の回りの安全に十
分配慮し、また、
常に新聞、
テレビ、
現地在住の人等より治安情報把握
に努める。
エジプト大使館情報による
無駄話のコーナー
できました。しかし、駄作です。実は、僕は、報告書を書く役でなく
て、書くのは中西だったんですよ!!!!しかし、彼は、きちんと
やってくれないので、ぼくがうううう、かなり、私むかついてるわけ
で、いっしょにやるならやるでそれもいいですがもう少し、きちんと
やってほしかったんですけど。つまり、僕はかなりくやしいというか
うううううううううううというか
でも、たっきーさんにこんなこといっても意味ないっすよね
仕方なイッスよね
実はこのエジプト報告は田崎氏が自宅で作成したものがEメー
ルで、私(滝川)に届けられたもので、その時一緒に添えられ
ていたメッセージが上記のものである。そこでさっそく私は下
記のようなメールをだした。
え∼、これだけ∼。みじけ∼。3ページってとこだね。
この数時間後のインターネット部室ノートに次のような投稿が
寄せられていた。
ちきしょう 投稿者:愛車はズーク 投稿日:12月01日(月)
どうせ短いですよ
いいんだどうせ、ううううう
そうやってみんな、いじめるんだ
だってホントは、僕が書くんじゃなくて
中西がやるはずだったのを
なんかしらないけど
おしつけられて、そこまでやったんです。
でもいいいや、言い訳にすぎないし
はああ、もう帰ろ、って家にいるんだけど
ほんと、帰りたくなるよ。
うっきーーーーーーーーーーーーーーー
(そして、かえっていった)
しかし、私の天才的編集術によって、8ページにまで水増し
させることに成功したのだ。だから、やたら写真が多いのだ。
文句はいわないのが賢明だ。
撤収!
80