これからの社会 −コンピュータとネットワークの進展がもたらすもの− 東京情報大学総合情報学部環境情報学科 教授 玉置 彰宏 はじめに 半導体を含むコンピュータ関連の技術進歩が、これまで我々の生活を大きく変えてきた。 我々は今、その技術進歩の結果を大きく享受している。 新しい世紀に入っても、そのコンピュータの技術進歩はまだ止まりそうにない。一方で ネットワークの技術進歩は、コンピュータのこれまでの技術進歩を大きく上回りそうな気 配にある。これらが相まって、我々の生活はこれまで以上に大きく変わる可能性がある。 しかしこれから起きるかも知れない変化は、これまでのような我々が単に結果を享受する だけではすまないものになる可能性を持っている。 このペーパでは、まずコンピュータとネットワークの両方の分野で今起きている技術進 歩を概観し、ついで、これらの技術進歩よって生じる可能性を持つ我々の生活の変化につ いて考えてみたい。 これから起きるかも知れない生活の変化が我々にとって必ずしも望ましいものでない場 合には、それに備えて何らかの準備をすることが必要と私は考える。このペーパの目的は、 その場合にこの問題を考えるための素材を提供することにある。 ムーアの法則 1990 年代にインテルの会長を務めたゴードン・ムーア氏が、1960 年代中頃に半導体の 集積度の向上について述べた言葉は、今「ムーアの法則」として広く知られている[1]。 当初ムーア氏が述べた言葉は、次のようなものであったという。 「半導体の集積度は 18 ヶ月から 24 ヶ月で2倍になり、価格は変わらない。」 この「18 ヶ月から 24 ヶ月」の部分がその後「18 ヶ月」だけになり、「価格は変わらな い」の部分は忘れられて、今ムーアの法則は次のような言葉で表されることが多い。 「半導体の集積度は、18 ヶ月毎に2倍になる。」 1 18 ヶ月、つまり1年半で2倍になるとは、3年で4倍、4年半で8倍、6年で 16 倍、 7年半で 32 倍というように増加し、15 年で 1,000 倍を超える。 これが、ムーア氏がこの内容を論文として発表した 1960 年代から今に至るまで、40 年 ほどの間続いている半導体についての技術進歩の実体である。そして半導体の専門家は、 さらにこの傾向は少なくとも 2015 年頃までは続くという。 図1は、インテルのホームページからダウンロードしてきたものである。この図では、 縦軸は1つのマイクロプロセッサ上のトランジスタの数を対数目盛で表し、横軸は西暦で の年である。そしてこの図上のほぼ直線上に描かれた点とそれに関連する文字は、インテ ルが発表したそれぞれのマイクロプロセッサの名称、それが発表された時点と、そのマイ クロプロセッサの1つのシリコンチップの上に置かれたトランジスタの数を示している。 この点が対数目盛のグラフでほぼ直線上にあるということは、この間「ムーアの法則」が 成立し続けてきたことを表している。 図1 ムーアの法則(インテルのホームページより) ある言葉 ここに、一つの言葉がある。 私はこの言葉をある本で読んだのだが、その本の名前も、著者の名前も、たいへん残念 なことに思い出すことができない。それはともかく、その言葉とは次のようなものである。 「半導体の集積度が1の時、コンピュータは企業に来た。半導体の集積度が4桁になる と、コンピュータは企業の中の部門まで来た。半導体の集積度が7桁になると、コンピュ 2 ータは我々の机の上に載った。半導体の集積度が 10 桁になると、コンピュータはどこに でも存在するようになる。」 第一段階から第三段階まで この言葉には、少し補足が必要かも知れない。 「半導体の集積度が 1」とは、トランジスタをそのまま使ってコンピュータを作ってい た 1960 年(昭和 35 年)頃のことである。そのころのコンピュータは 第2世代 と呼ば れ、IBM の 7090/7070 や、ユニバック(現ユニシス)の UNIVACⅢなどがこれに当た る。この頃日本では、東京電力、野村證券、東洋高圧、小野田セメントなどの先進企業が 率先してこれらのコンピュータを導入していた。まさにコンピュータは、企業まで来た訳 である。 「半導体の集積度が 4 桁」とは、1つのシリコンチップの上に 1,000 個以上のトランジ スタが置かれていた 1975 年(昭和 50 年)頃のことである。その頃デジタル・イクイップ メント社(DEC。今はヒューレッド・パッカード社の一部になっている)が PDP11 など のミニコンピュータの名作を作り、アメリカではメーカの研究所や製造部門、大学などが 競ってこのコンピュータを導入していた。コンピュータは企業の中の部門まで来た、と言 うことができる。 「半導体の集積度が 7 桁」とは、1つのシリコンチップの上に 100 万個以上のトランジ スタが置かれていた 1990 年(平成2年)頃のことである。図1から明らかなように、1980 年代の終わりに発表した 486 と言うマイクロプロセッサで、インテルは1つのチップの上 に 100 万個のトランジスタ搭載を実現した。私ごとで恐縮だが、私は 1989 年初めにイン テルの 80386 を搭載したコンピュータを購入した。その時私の机の上に、文字通りコンピ ュータが載ったことになる。 ちなみにこの時、私はこのコンピュータを入手するために 80 万円ほどのお金を払った。 小型の自動車なら買えた金額だった。私がこのコンピュータを秋葉原で買ったとき、私が 結婚している相手は私が店頭でそのお金を払うのを見ていた。 「 こんなに大金を払うのだか ら、この人はこのコンピュータを一生使うのだろう」と、彼女はその時考えたという。し かし私はそのコンピュータを、3年あまりで手放した。彼女は今でも、あのコンピュータ は何だったのかと私に聞く。 ユビキタス・コンピュータ 「半導体の集積度が 10 桁になる」とは、1つのシリコンチップの上に 10 億個以上のト ランジスタが乗ることを意味する。これは図1から推察されるように、2005 年(平成 17 年)から 2010 年(平成 22 年)頃に実現するものと思われる。この時には、コンピュータ はどこにでも存在するようになると、先ほどの言葉は述べている。この状態のコンピュー タを、「ユビキタス・コンピュータ」という。 3 「ユビキタス」とは、むずかしい言葉である。三省堂から出ている「新クラウン英和辞 典(第 5 版)」によれば、これは『至る所にある』というような意味を持つ形容詞とある。 つまり「ユビキタス・コンピュータ」とは、文字通りどこにでも存在するコンピュータを 指す。 それでは、ユビキタス・コンピュータによって何が実現するのだろうか。重複を恐れず に数え上げれば、私は次の4つのことが実現すると考える。 一つ目は、可能な範囲で全てのものがコンピュータで制御されるようになるということ。 二つ目は、専用の機能を持つコンピュータが作られるということ。三つ目は、コンピュー タが小型で、単機能になるということ。そして四つ目は、新しいタイプのコンピュータが 作られるということである。 この四つについて、以下で少し見てみたい。 全てのものがコンピュータ制御に 全てのものがコンピュータで制御されるという現象は、既に始まっている。 例えば今我々の身近にあるものでいえば、全自動の洗濯機はコンピュータで制御されて いる。すすぎの水の汚れ具合をチェックして、もっと洗う必要があるのか、洗濯をやめて も良いのかといったことなどを判断している。 自動炊飯器も同様である。自動炊飯器はもっと以前からあったが、1990 年頃に我々のお ばあさんが持っていたご飯の炊き方のノウハウを取り込んだ、すばらしい炊飯器が作られ た。我々のおばあさんのご飯の炊き方のノウハウは、この炊飯器をコントロールしている コンピュータに継承されている訳だ。洗濯機や炊飯器だけでなく、今はエアコンもコンピ ュータで制御されている。 自動車がたくさんのコンピュータを持っているのは、容易に想像できる。燃料の噴射は ずっと以前からコンピュータで制御されていた。ブレーキも同様である。最近日本ではあ まり見かけなくなったが、アクセルを踏まなくても一定の速度で自動車を走らせることが できる、日本では「オート・ドライブ」と呼ばれていた装置もコンピュータで制御されて いた。少し前の話だが、トヨタのセルシオで 60 個、カローラで 30 個のコンピュータが使 われているという話を聞いたことがある。 これからこの現象が、もっと進むだろう。今はまだ普通ならコンピュータ処理の対象外 になっている窓やカーテンの開閉、室内の照明の点滅なども、我々が望めばコンピュータ 制御にすることは、何の困難もない。「普通なら」とわざわざ書いたことには意味がある。 1980 年代の終わり頃、国内に「トロン」と呼ぶプロジェクトがあった。そのプロジェクト が「電脳住宅」と銘打って、こういう家を実験的に造ったことがある[2]。そして今アメリ カのシアトルの郊外にあるビル・ゲイツ氏の自宅にも、こういう装置が付いているとのこ とである。 近い将来、今の我々の想像も付かないところで、このような形でのコンピュータ化が一 層進むことになるだろう。 4 専用の機能を持ったコンピュータ ポケットから携帯電話を取り出して「これは何か」と聞くと、ほとんど全ての人が怪訝 な顔をしながら「携帯電話」と答える。勿論これは正しい。しかし携帯電話の中には、ハ ードウェアとしてプロセッサとメモリがあり、ソフトウェアもオペレーティング・システ ム(OS)とアプリケーション・プログラムが入っている。このように見てみると、これは 立派なコンピュータである。 「人と人の間の通信」という専用の機能を持ったコンピュータ だ。近い将来は、「人とコンピュータの間の通信」も担当するようになるだろう。 コンピュータの台数が限られて高価だった頃、コンピュータは汎用の機能を持っていた。 ソフトウェアを変えて、いろんなことに一台のコンピュータを使っていた。我々はまだ、 パーソナル・コンピュータをそんな風に使っている。しかしコンピュータそのものが安く なり、たくさん台数が普及してくると、機能の専用化が始まる。 1920 年頃アメリカで、家庭用のモータが売り出された。そのモータをミシンや扇風機、 ジューサなどに取り付けるアタッチメントも、そのモータと一緒に売られていた。進んだ 家庭ではそのモータ1つといくつかのアタッチメントを買って、いろんな使い方をして生 活を楽しんだという。この頃のモータは数が少なく、たいへんに高価で、汎用の機能を持 っていた訳だ。 今、モータはどうか。ノートパソコンでも、ハードディスク、CD-ROM の読み取り装置、 フロッピーディスクぐらいは内蔵している。それぞれに専用のモータが付いているから、 ノートパソコンでも3つくらいのモータを内蔵していることになる。 「ことになる」という 言葉を使ったのは、我々がもはや直接モータを見ることはないし、意識することも無いか らである。モータの専用化が、このような状況の変化をもたらした。コンピュータも同じ ことになる。 携帯電話は通信に特化した、専用のコンピュータだと書いた。そのような見方をすると、 コンピュータ制御の炊飯器は、ご飯を炊くという専用の機能を持ったコンピュータと捉え ることもできる。自動車は人や物を高速で、遠方まで運ぶコンピュータ、エアコンは室内 の温度と湿度を快適な状態に保つコンピュータということになる。結局、全てのものがコ ンピュータ制御になるということと、専用の機能を持ったコンピュータが広がるというこ とは、同じ現象を違う角度で捉えただけの話ということになる。 専用化によって、何が起きるだろうか。汎用品に比べると、専用品はずっと使いやすい。 ナイフで果物の皮をむくより、ピラーを使う方がもっとむきやすい。鉛筆を削るのでも、 ナイフより鉛筆削りの方が簡単である。ナイフという汎用品よりも、ピラーや鉛筆削りと いう専用品の方が、はるかに使いやすい。 今のコンピュータは汎用の機能を持っているため、たいへんに使い方が難しい。使い方 が難しいため、使い慣れないとなかなかうまく使えない。そう多く使う機会を持てない人 は、いつまでたってもうまく使えるようにならない。大学の先生方は高い知能を持った人 たちの集まりと捉えることができるが、その大学の先生にも今のコンピュータをうまく使 えない人が多い。コンピュータが使えないと、今の社会ではいくつもハンディキャップが できる。これを「ディジタル・デバイド」と呼ぶ。言い換えると、ディジタル・デバイド 5 はコンピュータの使い方が難しいために起きる現象である。コンピュータが専用の機能を 持つようになり、使い方が易しくなると、ディジタル・デバイドそのものは自動的に解消 するだろう。そしてそれは、そう遠い先の話ではないだろう。 コンピュータが小型で、単機能になる いま作られている最も小さなコンピュータは、1つが1平方ミリメートル以下で、それ にはアンテナだけが付いていて、電源も他の媒体も何も付いていないという。それが動く エネルギーは、他のコンピュータがそのコンピュータ宛に無線で問いかけるメッセージを 通して得る。そしてそのメッセージで「君は何?」と聞かれると、そのコンピュータは作 られたときに埋め込まれた 128 ビットの情報を答える。これをキーにして別途作られたデ ータベースを読めば、それは卵が 10 個入ったパックだと分かる。 こういうコンピュータがスーパ・マーケットなどで売られている全ての商品に取り付け られるようになり、併せて私自身が別のコンピュータを身につけて、そのコンピュータが 間接的に私の銀行の口座番号を告げるようになると、スーパ・マーケットではレジが無く なる。つまりスーパ・マーケットがあるゲートを用意し、そのゲートを通るときにゲート に取り付けられたコンピュータが、私がカートに取り込んだ商品に「君は何?」と聞き、 別のコンピュータが私に「あなたの口座番号は?」と聞いて、両方の答えを基に、私が買 う商品の購入代金を私の銀行口座から自動的に引き落としてスーパ・マーケットの口座に 振り込むことができるようになる。そうすると、今のようなレジが必要なくなることにな る。このようなコンピュータを、RFID(Radio Frequency IDentity)と呼ぶ。今のとこ ろ RFID は、ユビキタス・コンピュータの代表選手である[3]。 これは1つの例だが、このようにコンピュータは小型で、単機能なものに変わる。同時 に、たいへん安くなる。それによって、いろんなところで、今とは違う状況が生まれるこ とになる。例えば、教室の入り口にこのようなコンピュータを取り付けると、先生はどの 学生が授業に出席しているかをわざわざチェックする必要が無くなる。パスポートにこん なコンピュータが付けられると、国際空港などでの入出国の手続きの仕方が様変わりする だろう。 国際線の飛行機に搭乗するときに預ける手荷物に、RFID を付ける実証実験が成田空港 などで既に行われた。私はこれまで三回、国際線の飛行機で目的地に着いた時に人間と手 荷物が生き別れになった経験を持っている。これで、四回目が避けられるようになること を期待している。 新しいタイプのコンピュータ ユビキタス・コンピュータの4つ目の例として、新しいタイプのコンピュータがあげら れる。 例えば、身につけるコンピュータが既にある。これは「ウェアラブル・コンピュータ」 6 と呼ばれている。我々は既に、多くのものを身につけている。服やめがね、腕時計、ある いは補聴器などがそうである。ウェアラブル・コンピュータでは、これらのものがコンピ ュータの本体になったり、入出力装置になったりする。日本 IBM は素通しのめがねの上 にコンピュータの出力を映し出し、機械の保守をするときに視線を機械とマニュアルの間 を往復させなくても良い仕組みを作った。こういうことで良いのなら、これを応用する局 面は無数にあると言えるだろう。ある大学の先生は、将来はコンピュータを着て暮らすこ とになると予言している[4]。 JR 東日本の Siuca カードをコンピュータと捉えれば、これは既にカード型のコンピュ ータである。Suica カードそのものの機能も近い将来もっと向上するだろうが、同じよう な機能のカードがさらに普及することも考えられる。 コンピュータを身体に埋め込むことも、将来は行われるようになるかも知れない。今心 臓に病気を持っている人が身体に埋め込んでいるペースメーカは、コンピュータと呼ぶに はシンプルすぎるのかも知れない。しかし例えば、糖尿病患者の中には毎日インシュリン を注射しなければならない人たちがいる。一日に一度血糖値を計って、その結果を基に必 要なインシュリンの量を計算し、自動的に血管に注入するようなコンピュータができると、 そのような人には恩恵があるのかも知れない。 今コンピュータと言えば、我々はデスクトップとノートブックのコンピュータを想像す る。そのコンピュータにはキーボードが付き、マウスなどのポインティング・デバイスが 付き、ディスプレイが付いている。この形のコンピュータが急になくなるとは思えないが、 この形以外の形をしたコンピュータが急速に広がるだろう。新しいタイプのコンピュータ には、そのようなコンピュータが増えることになるだろう。 「考える」コンピュータ これ以外の分野でも、コンピュータは今大きく変わりつつある。ここでは「考える」コ ンピュータと「自律的に動く」コンピュータ、およびコンピュータの処理能力の 爆発 について取り上げてみたい。 1997 年(平成 9 年)5 月に、IBM 製の「ディープブルー」と名付けられたコンピュー タが、チェスの試合で当時の世界チャンピオンに勝った。そのチャンピオンはロシア人で、 名前はガルリ・カスパロフという。 ディープブルーとカスパロフの試合は、これが初めてだった訳ではない。その前の年に 一度対戦し、その時は引き分けだった。IBM の技術者達はその後ディープブルーのソフト ウェアを大幅に手直しして、1997 年の試合に臨んだ。そして見事に勝利を得た[5]。 コンピュータは、道具の1つである。道具とは、我々人間の能力が充分ではない場合、 あるいは我々がその能力を持っていない場合に、その能力を補うものとして作られる。例 えば起重機は、我々より重いものを持ち上げることができる。自動車は我々より速く走り、 人や荷物をたくさん運ぶことができる。飛行機は飛ぶことすらできる。電話は我々の声が 届かないような遠方に、我々の声を届けることができる。だから道具は、それが使われる 領域では、人間より優れている。 7 コンピュータは、計算や検索などに適した道具と考えられてきた。そしてこれらの分野 では、既に人間の能力をはるかにしのいでいる。しかし「考える」ことは人間だけにでき ること、あるいはコンピュータ以上に人間が得意とすること、と考えられてきた。今回の このディープブルーの勝利は、この「考えること」についてもコンピュータは人間以上に なれることを示したものと言える。これは画期的なことと、私は考える。 勿論コンピュータの考え方は、人間の考え方とは全く異なっている。コンピュータは考 える場合、一言で言えば「しらみつぶし」の方法を取る。しかし方法が異なることなどは、 どうでも良い。自動車の走り方は、人間の走り方と異なる。電話での声の伝わり方は、自 然界での我々の声の伝わり方と異なっている。要は結果が良ければよいのであって、方法 は問題ではない。 今はまだ、 「考える」ことでコンピュータが人間を凌いだのは、チェスの試合で、しかも 一度だけしかない。この勝利の後、ディープブルーはチェスから引退してしまった。人間 はディープブルーに直接リベンジする機会を失った訳である。この後「ディープフリッツ」 という名前のコンピュータがディープブルーの跡を継ぎ、カスパロフの次の世界チャンピ オンであるウラジーミル・クラムニク氏と 2002 年 10 月にバーレーンで対戦した。この時 この両者の対戦は、引き分けだった[6]。 しかし後で述べるように、近い将来コンピュータの処理能力の 爆発 が起きるだろう。 そしてその時には、 本因坊 の称号がコンピュータに与えられると言う事態が生じること になるだろう。 「自律的に動く」コンピュータ 二つ目は、人間が指示しなければ動かないコンピュータではなく、 「自律的に動く」コン ピュータの話である。 今ソフトウェアの世界で、エージェントの研究が盛んである。本来エージェントとは「代 理人」の訳され、ある人に代わってその人に必要な一切のことを行う人を意味する。ロサ ンジェルス・ドジャースの野茂英雄投手のエージェントはダン野村氏である。野村氏は野 茂氏の意向を受け、野茂氏に替わって球団等と一切の交渉などを行い、野茂氏が満足でき るように取りはからう。そして野茂氏は、最後に契約書にサインするだけで OK というこ とになる。ソフトウェアのエージェントはこの人間のエージェントのように、ある人に替 わって、その人のために自律的に何かを行うソフトウェアと定義される。 私は仕事で、よく関西に出向く。関西に行く前に、私はインターネットで乗り物とホテ ルの予約をする。乗り物もホテルも、よほどのことがない限りいつも同じ予約を入れる。 もし私のコンピュータにエージェント・ソフトが入っていたら、私は彼にいつ関西に行く かを伝えると、彼が私に替わって乗り物とホテルの予約をしてくれる、そうなる日が来る ことを、私は期待している。 もっとエージェントが賢くなると、エージェントは私の行動パターンを調べて、私が指 示する前に関西行きの手配をしてくれるようになるかも知れない。単に関西行きの手配だ けではなく、私がネットワークとコンピュータを使って日常的に行うことを全部、自動的 8 にやってくれるようになるかも知れない。 人が今のようにコンピュータに指示をしていろんなことをするのではなく、コンピュー タが自律的に動く世の中がすぐに来ることが期待される。 コンピュータの処理能力の 爆発 チェスでカスパロフに勝ったディープブルーは、並列処理ができるコンピュータだった。 ディープブルー1台の中に 256 個のプロセッサが内蔵されていて、これらのプロセッサが 同時に並行して処理を行い、1つの問題を解く。それが並列処理のコンピュータである。 1つの仕事を何人かで分割して並行して行うことができれば、早く終えることができる。 これは我々の常識である。この常識をコンピュータの世界で実現するものが並列処理コン ピュータと言える。ディープブルーが持っていたプロセッサの数は 256 個だったが、我々 は今 4,096 個のプロセッサを持っているコンピュータを入手することができる。 しかしこれまで、並列処理を実行できるコンピュータを作るためには、特別のハードウ ェアとソフトウェアを設計し、開発しなければならなかった。並列処理は難しい技術だっ た。ここにきて、新しい技術でこれが急速に変わりそうな状況にある。新しい技術の名前 を「グリッド・コンピューティング」という。 グリッド・コンピューティングとは、 「ネットワークで接続された多数のコンピュータの 資源を活用することで、大規模な処理能力を実現するためのアーキテクチャ」と定義され る。この定義にはむずかしい言葉がたくさん使われているが、要はインターネットにつな がった普通のコンピュータの空き時間を利用して、これまで以上の台数で並列処理を実現 しようとする技術である。 既にグリッド・コンピューティング応用のプロジェクトは開始されていて、宇宙から受 信した電波を分析し地球外生命体を発見しようとする SETI@Home プロジェクトや、オ ックスフォード大学が行っている癌(ガン)の治療薬の発見プロジェクトなどがある[7]。 ここには、ディープブルーのような特殊なコンピュータは必要としない。インターネッ トにつながった、たくさんの普通のコンピュータがあればよい。普通のコンピュータの中 にあるプロセッサの処理能力は、ムーアの法則に従って伸び続ける。それと併せて、グリ ッド・コンピューティングの技術で並列処理の対象になるコンピュータの台数が急速に増 える。この両方が相まって、ごく近い将来コンピュータの処理能力の 爆発 が起きるだ ろう。 本因坊 の称号をコンピュータが奪ってゆくと私が言ったことの背景には、このグ リッド・コンピューティングの技術がある。 ギルダーの法則 コンピュータの話はひとまず置いて、次はネットワークの話に移ろう。 アメリカに、ジョージ・ギルダーという人がいる。新しい技術の動向などをたいへん分 かりやすい言葉で話すのが得意な人で、ウォール街などでも人気があるという。その人が 9 「光ファイバーの帯域幅は、半年で2倍に広がる」と言っている。これを「ギルダーの法 則」と呼ぶ[8]。 半年で2倍とは1年で4倍だから、2年で 16 倍、3年で 64 倍というペースで増加する ことを意味し、5 年で約 1,000 倍になり、15 年で何と 1,000,000,000(十億)倍を超え る。図2に、ムーアの法則とギルダーの法則の比較を示す。ギルダーの法則での増え方は、 ムーアの法則よりはるかに速いことが分かるだろう。ムーアの法則ですら我々の生活に大 きな影響を及ぼしてきた訳だから、ギルダーの法則に従うものが我々の生活に及ぼす影響 の大きさは、ちょっと想像を絶すると言える。 10,000,000,000 100,000,000 1,000,000 10,000 100 1 0 3 6 ムーアの法則 図2 9 12 15 ギルダーの法則 ムーアの法則とギルダーの法則の比較 「ネットワークの帯域幅が広い」とは、ネットワークを通して多量の情報を送受信でき ることをいう。今日本では ADSL や光ファイバーが猛烈な勢いで普及している。それによ って、我々は今ネットワークの帯域幅の広がりをまさに毎日のように実感している。昨日 まではうまくできなかったことで、今日は簡単にできることが多くある。ギルダーの法則 が成立し続けると言うことは、この傾向が将来にわたってずっと続くということを意味す る。 今はまだ情報は、紙の上に印刷されてその紙を送るという形で届けられるものが多い。 新聞や雑誌、書籍、手紙など、いくつでもこの形のものをあげることができる。つまりビ ット(情報)とアトム(この場合は紙)が分離していない訳である。しかしそのうち、ビ ットの形にできるもの、つまり情報は、全てネットワークを通して送ることができるよう になる。別の言い方をすれば、ビットとアトムが明確に分離されるようになるだろう。 インターネットの進化 今更言うまでもないことだが、ここ数年間のインターネットの普及は凄まじい。総務省 の推計によると 2002 年(平成 14 年)末での日本のインターネットユーザの数は既に 6,942 10 万人(日本の人口の 54.5%)になっており(図3)、5年後の 2007 年(平成 19 年)末に は 8,892 万人になると見込まれている(図4)。 図3 インターネット利用人口及び人口普及率の推移(「平成 15 年版情報通信白書」より) 図4 将来のインターネット利用者数(「平成 15 年版情報通信白書」より) このように一見順調に見えるインターネットだが、実は根底にたいへんやっかいな問題 を抱えている。それは、現在のインターネットにはそれに接続できるコンピュータの台数 に制限がある、ということである。 コンピュータをインターネットに接続するためには、IP アドレスと呼ぶアドレスを全て のコンピュータに付けなければならない。全てのコンピュータにそれぞれ固有のアドレス を付けることで、インターネットの側からするとそれぞれのコンピュータを別のものとし て識別できることになる。ところがこの IP アドレスの数が不足することが明らかになっ ており、すでに一部で IP アドレスのやりくりが始まっている。今はまだ常時接続されて いるコンピュータの数が少ないので、このやりくりで効果が出ている。しかしそれには限 度があり、根本的にこの問題を解決しなければ、インターネットに必要なだけコンピュー タを接続すると言うことが、その中にできなくなる。 いささか技術的な話になって恐縮だが、これを具体的に言うと次のようになる。これま 11 でのインターネットで使われていた規格は、IPv4(インターネット・プトロコル・バージ ョン4)と呼ばれている。これには IP アドレスとして、32 ビットが用意されている。32 ビットでは、最大 40 億以上のものを識別することができる。つまりこれまでのインター ネットでは、最大 40 億台のコンピュータを接続できる訳である。 40 億というのは、充分に大きな数のように思える。しかし今世界の人口は既に約 58 億 人になり、40 億を超えている。世界中の人が全て1台ずつコンピュータを持つようになれ ば、IP アドレスの不足は明らかである。さらに先進国の中には、携帯電話まで含めて一 人で複数台のコンピュータをインターネットに接続している人がいる。こうなると、IP ア ドレスはますます不足する。しかも IP アドレスの割り当て方にうまくない部分などがあ って 32 ビット全部を必ずしも有効に使えず、IP アドレスの不足が既に始まっている。 これを抜本的に解決するためには、IP アドレスの桁数を増やせばよい。既に転換が始ま っている IPv6(インターネット・プトロコル・バージョン6)では、IP アドレスに 128 ビットが用意されている[9]。128 ビット(2進数 128 桁)を全部うまく使うと、10 進数 で 38 桁の数字を表すことができる。つまり IPv6 に切り替えることで、38 桁の数のコン ピュータをインターネットに接続できるようになる訳である。我々におなじみの一番大き な数は「兆」だろうか。その兆は、10 進数でやっと 13 桁でしかない。兆の一万倍を「京」 と呼ぶが、京でもやっと 17 桁である。38 桁とは、一京の一京倍の、さらに十万倍くらい の数である。 我々が今、 「32 ビットの IP アドレスが小さすぎる」という議論をしているように、将来 我々の子孫は 128 ビットの IP アドレスが小さいという議論をするときが来るのかも知れ ない。「20 世紀の終わりから 21 世紀の初めの人は、なぜ IP アドレスにもっと多くの桁数 を用意しなかったのだろう」と、その人達は言うのかも知れない。しかし今、私には 128 ビットの IP アドレスは充分すぎるように思える。ユビキタス・コンピュータの時代にな ってもこれだけの桁数があれば、我々がネットワークに接続したいと考える全てのコンピ ュータを接続することができるだろう。 IPV4 から IPV6 への切替には、こういう意味がある。ただ、なぜ4の次が6なのかと言 うことについて、私は知らない。 ユビキタス・ネットワーク ユビキタス・コンピュータの意味については、既に述べた。そのユビキタス・コンピュ ータが相互に通信しあうことができるネットワークをユビキタス・ネットワークと呼ぶ。 これは今のインターネットを基に、さらに一層発展したものになると思われる。 具体的には、光ファイバーを含むこれまでの有線のネットワークに加えて、ごく低出力 で高周波の無線によるネットワークが重要な位置を占めると考える。 ユビキタス・コンピュータの時代には、コンピュータは人間の指示から離れて、自律的 に稼働するようになると述べた。ユビキタス・ネットワークは、このような自律的なコン ピュータ間の通信が主流を占めるネットワークになるだろう。 12 SOHO コンピュータとネットワークの技術の進歩に伴う変化について、これまで述べてきた。 ここからは、これらの変化が我々の生活や仕事に及ぼす影響について考えてみたい。 最初は、SOHO の話から始めたい。SOHO とは、「Small Office/Home Office」(スモ ールオフィス/ホームオフィス)の頭文字をとったもので、ICT(情報通信技術)を活用 して事業活動を行っている、ごく小規模の事業者のことを指す。つまり SOHO とは、ネッ トワークとコンピュータを駆使して、自宅などこれまでの「オフィス」ではない場所で仕 事をすること、と言っても良い。 個人的な話で恐縮だが、私は一時期片道 2 時間 15 分(往復 4 時間半)の長距離通勤を 行っていた。その頃、私はなぜ毎日オフィスに行くのだろうかと考えたことがある。毎日 オフィスに行く理由は3つあった。1つ目は、オフィスには上司と部下がいた。上司から は仕事の指示を受け、報告をする、部下には仕事を指示して、報告を受ける、ということ を行っていた。オフィスに行かずにこれらを行うことは、当時は不可能だった。2つ目は、 オフィスには仕事を進める上で不可欠な資料が紙の形でファイルされていた。本やマニュ アルもオフィスにあった。オフィスに行かずにそれらにアクセスすることも、当時は不可 能だった。3つ目は、オフィスには仕事を行う環境があった。机があり、電話があり、コ ピー機や FAX があった。生意気にも、一時期秘書もいた。社内便で紙のメールが定期的に 届き、出張や経費の精算なども紙の伝票を使ってオフィスで行っていた。 ネットワークとコンピュータの進歩で、これらの作業が全部オフィスに行かなくてもで きるようになった。電子メールや電子会議システム、グループウェアなどが、オフィスに 行かなければならないと言う制約を取り除いた。つまり、オフィス以外のところで仕事を することが可能になった。これによって、SOHO が実現することになった。 アメリカでは既に SOHO で仕事をする人は 4200 万人の規模に達しており、その多くは、 ソフトウェア開発、広告その他の企画・クリエイティブ業務に代表される専門的・技術的 職業従事者たちであると言われている。日本では、独立系の 10 人以下の企業体を SOHO と定義すれば、総務省が 2000 年に行った推計ではすでに国内約 500 万事業所(内法人: 188 万、個人:315 万)があり、約 1500 万人以上が就労していて、SOHO に関わる事業 維持経費市場は約 21 兆円規模と推定されている。日本での仕事の内訳は、主にクリエイ ター、フリーランサー、ベンチャー、各種の有資格者、在宅ワーク等が対象になるとのこ とである[10]。 この SOHO の実現によって、通勤が無い世の中が実現するかも知れない。日本では奈良 時代に、すでに通勤していた人がいるという記録が残っているそうである。とすれば、日 本では少なくとも 1,300 年にわたって通勤が行われていたことになる。しかしその頃通勤 していた人数は、非常に限られていた。何千万人という人が毎日朝自宅から職場に向かい、 夕方はその逆方向に人が流れるというのは、人間の長い歴史の中でも 20 世紀後半から 21 世紀初めの特異な現象であると言えるだろう。これが無くなることで、我々はいくつもの 無駄を省くことができる。 13 あるいは 50 年か 100 年後に我々の子孫は 歴史 を勉強して、「20 世紀の終わりから 21 世紀の初めには、『通勤』と称してたくさんの人が毎日電車や自動車で、自宅と遠くの 職場の間を朝晩行き来していたんだって。なんて無駄なことをしていたんだろうね」と話 をするのかも知れない。通勤だけでなく、E-Leaning の普及で『通学』も無くなるのかも 知れない。 電子商取引 電子商取引とは、ネットワーク上での電子化された商取引全般をさす言葉である。しか し最近は、一般家庭を含めインターネットが急速普及したため、インターネット上でのオ ンライン・ショッピングをさすことが多くなった。オンライン・ショッピングとは、消費 者がインターネット上のバーチャル・ショップ中の気に入った品物を Web や電子メール で注文すればで、商品が発送されるというものである。代金の決済には、「代金引替」「銀 行振込、郵便為替」「クレジットカード」などの方法が使われている[11]。 電子商取引には、企業間の取引を対象にした B2B(Business to Business)と、購買者 として個人を想定した B2C(Business to Consumer)の2つの種類がある。B2B の方は、 既に規模としては非常に大きくなっており(図5)、一方の B2C はまだ規模は B2B に比べ て小さいものの、このところ毎年規模が倍増する状態が続いている(図6)。 図5 電子商取引(B2B)市場の推移 ここで話題にしたいのは、B2C の方である。B2C によって、我々は欲しい時にインター ネットを通して手軽に買い物ができるようになる。別の言い方をすれば、これまでのよう にわざわざ都心などに出向いて買い物をする必要が無くなることになる。 つまり SOHO と電子商取引の実現で、通勤・通学や買い物などのために、大都市に出向 く必要が無くなることになる。 今、多くの人が大都市圏やその近郊に住んでいる。なぜその人たちはそこに住んでいる 14 のだろうか。家族の中に都心に通勤しなければならない人がいるから、ということを理由 にしている人が多いと思われる。通勤している人以外の人も、買い物などで都心に出向く ことが多い。しかし仕事や買い物などのために都心に出向く必要が無ければ、どういうこ とになるだろう。大都市やその近郊に住む必要が無くなるということにならないだろうか。 図6 電子商取引(B2C)市場の推移 仮にそうだとすれば、これから社会に大きな変化が起きる可能性がある。大都市から地 方に向けての人の移動が始まり、その結果大都市の地価の下落が起きたり、大都市の膨大 な人口を支えている産業が衰退するということが、あるいは起きるかも知れない。 ネットワークとコンピュータの進歩は、我々にこういう影響を及ぼす可能性がある。 ユビキタス・コンピュータとユビキタス・ネットワークの利用 SOHO や電子商取引の普及は、ユビキタス・コンピュータやユビキタス・ネットワーク とは直接の関係は無い。これまでのネットワークとコンピュータの進歩の結果、生じると 思われる現象である。 ユビキタス・コンピュータとユビキタス・ネットワークによって起きると思われる変化 については、今のところあまり素晴らしい話は出ていない。いくつかのことを既に述べた が、もう一度繰り返せば次のようなことが実現するだろうと言われている。 z 冷蔵庫に何が入っているかを、外出先から問い合わせができる z 冷蔵庫の中で牛乳が古くなってくると牛乳の容器が冷蔵庫にもっと温度を下げる よう要請し、牛乳の腐敗を防ぐ z スーパ・マーケットやコンビニのレジが無くなる z 国際空港などでの、入出国審査の形が変わる z 学校の授業で、出席を取る必要が無くなる いずれも、 「ユビキタス・コンピュータとユビキタス・ネットワークが実現されても、こ の程度のことしかできないのか、こんなことのために大騒ぎするを必要はない」と我々が 15 考えるようなものばかりである。これは結局、 「我々人間には創造力が充分には備わってい ない」と言うことの証明にすぎない。 我々の想像力の無さを、例えば映画で考えてみよう。映画が誕生した頃、カメラは客席 の一部に固定され、舞台全体を写しているだけだった。その頃には、 「編集」という考え方 がなかった。クローズアップも、ストップ・モーションやスロー・モーション、クイック・ モーションも、フェード・インやフェード・アウトもなかった。それがいずれ特殊撮影の 技術を取り込み、音を得、色を得、さらに巨大スクリーンも得て、コンピュータ・グラフ ィクスとも一体となり、今の映画になった。音はステレオになった。対象領域も舞台と共 有するものだけから、舞台を超え、さらにドキュメンタリーや教育関係にまで広がった。 デジタル化やマルチメディア化などを取り込んで、これからもまだ映画は変わり続けるだ ろう。 しかし映画が発明された頃の人には、今の映画は想像できなかっただろう。我々のユビ キタス・コンピュータやユビキタス・ネットワークの使い方のイメージは、映画が生まれ た頃の人が映画に対して抱いていたものと変わらないと言えるのではないだろうか。本当 にユビキタス・コンピュータとユビキタス・ネットワークを生かして使う使い方は、それ らが実現した後少し時間をおかないと我々には考えつかないもののように、私には思える。 コンピュータとその活用にともなう不連続 私は 1962 年(昭和 37 年)に大学を卒業し、プログラム作りの仕事を始めた。それから 40 年以上が経過した。この間に私は、コンピュータとその活用に伴う不連続を二回経験し た。 一回目は 1960 年代から 1970 年代にかけて起きたもので、「コンピュータが無かった状 態から、コンピュータを使い始めた状態へ」の変化と捉えることができる。そして二回目 は 1990 年代に起きたもので、 「少数の大型コンピュータから、ネットワークにつながった 多数の小型コンピュータへ」の変化と捉えることができる。この2つ目の変化は、 「ダウン サイジング」とか、「オープンシステム化」とかと呼ばれた。 私個人の経験から言えば、一回目の変化の方が大きかった。しかし私は幸いなことに、 プログラマの一人としてこの変化を起こす方に属していた。変化の影響を受ける立場では なかった。その頃のこの変化の影響を受けた立場の人の抵抗の激しさを、私は今でもまだ 思い出すことができる。 しかし二回目の変化も、決して小さなものではなかった。IBM という巨大な超優良企業 が潰れるかも知れないと言う瀬戸際まで追いつめられたことだけでも、二回目の変化の大 きさを伺うことができる。 そしてこれから、三回目の変化が起きる。三回目の変化は、 「限られた数のコンピュータ から、ユビキタス・コンピュータへ」、「限られたネットワークから、ユビキタスなネット ワークへ」、 「 汎用の機能を持ったコンピュータから、専用の機能を持ったコンピュータへ」、 「人間が指示して動くコンピュータから、自律的に動くコンピュータへ」、などの言葉で表 すことができる。 16 これは、2005 年以降に本格的に起きるものと思われる。 これからの社会 コンピュータとその応用についてこれから起きると考えられる三回目の不連続は、これ までの中で一番大きなものになりそうに、私には思える。そのためあらゆる分野で、根本 に立ち戻って考え直す必要があると私は考える。 例えば、ビジネスの世界ではコスト対効果の観点から見て、優れているものを使うのが 常道である。このためビジネスの世界で、これまでネットワークとコンピュータが常に人 の仕事を奪い続けてきた。東京証券取引所の立会場には、場立ちと呼ばれる人など 2,000 人を越える人たちが働いていた。今は何台かのコンピュータが、その人たちの代わりに有 価証券の売買を遂行している。コンピュータ化の影響を受けるのはオフィスの中などで働 いている人たちだけで、物を売る人は関係がないと一時期考えられていた。しかし電子商 取引の進展で、これからは物を売る人にも影響が及ぶ。 仕事の面で、我々はコンピュータとネットワークによってこういう変化を受けてきた。 ユビキタス化で、これらはどうなるのだろうか。仕事以外の個人生活の面では、どうなる のだろうか。我々は今真剣に考えなければならないと、私は考える。 例えば、これからも今までのようにネットワークとコンピュータが人の仕事を奪い続け ることで良いのだろうか。仮に資本主義の世界ではそれは仕方がないことと割り切るとし て、 「考える」ことまでコンピュータが人間をしのぐ時代になったときに、人間はいったい 何をすることができるのだろうか。仕事は単に生活費を得るための手段であるにとどまら ず、人に生き甲斐を与える重要な物だった。それをコンピュータに奪われたとき、我々は 何に生き甲斐を求めればよいのだろうか。 別の言い方をすれば、常に主役は道具や手段を有効に使うことができる『人』であるべ きである。道具や手段は、主役にはなれないし、なるべきではない。ネットワークは通信 の手段であり、コンピュータはいくら高速で有能であっても、所詮道具でしかない。我々 がこれらの道具と手段を使って、どんなことを実現したいと考えるかによって、結果が大 きく変わることになる。この大きな問題を、我々はこれから早急に解決しなければならな い。 注釈 1.ムーア氏がこの考えを述べた当初の論文(英文)が、インテルのホームページに掲載 されている。(ftp://download.intel.com/research/silicon/moorespaper.pdf) 2.一時期電脳住宅はいろんな書籍で紹介されていたが、今は次のホームページの内容が 良い。 (http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_TECH/BTRON/PROJ/HOUSE.HTM) 3.ユビキタス・コンピュータと RFID の両方について書かれたページでは、次のページ 17 が良い。(http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20055401,00.htm) 4.ここで述べた大学の先生とは、大阪大学大学院情報科学研究科マルチメディア工学専 攻の塚本昌彦助教授で、その先生の紹介が次のページに出ている。 (http://pcweb.mycom.co.jp/digitable/interview/2003/106/) 5.カスパロフ対ディープブルーのチェスの試合については、次の本に詳しい。 Michael Khodarkovsky, Leonid Shamkovich 著、 「人間対機械 チェス世界チャンピオ ンとスーパーコンピュータの闘いの記録」、毎日コミュニケーションズ、1998 年. 6.ウラジーミル・クラムニクとディープフリッツとのチェスの試合結果についての報道 は、次のページにある。 (http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002oct/20/K20021020MKE1Z100000059.html) 7.グリッド・コンピューティングとその応用についての情報は、次のページから得るこ とができる。(http://www.zdnet.co.jp/enterprise/0212/20/epn02.html) 8.ギルダーの法則についての情報は、次のページから得ることができる。 (http://www.nttcom.co.jp/comzine/archive/forum/may1.html) 9.IPv6 についての情報は、次のページから得ることができる。 (http://www.iij.ad.jp/IPv6/) 10.「日本 SOHO 協会のホームページ(http://www.j-soho.or.jp/)」より 11.「電子商取引推進協議会のホームページ(http://www.ecom.or.jp/)」より 以上 (2003 年(平成 15 年)9 月 2 日作成) 18
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