新編集講座 ウェブ版 第66号 2016/12/15

堂島最後の日
大阪本社移転の思い出
■新編集講座 ウェブ版
第66号
2016/12/15
毎日新聞社 技術本部長(元・大阪本社編集制作センター室長)
三宅 直人
この 「新編集講座ウェブ版」 の第41号「母と私の堂島物語」でも取り
①
上げたように、毎日新聞大阪本社は、24年前の 1992 年 12 月 12 日、
完
成
直
後
の
堂
島
社
屋
古風で重厚な堂島の旧社屋=写真①=に別れを告げ、最先端のビルで
ある西梅田の新社屋へ移転しました。当時、私は大阪本社整理部
(現・編集制作センター) の中堅編集者。移転日も旧社屋で紙面制作に
当たりました。この目で見た「堂島最後の日」のドラマを振り返ります。
■ 博物館のように重厚な玄関
堂島の旧社屋は 1922(大正 11)年に完成しました。私が東京から
大阪に転勤した 87 年の時点で既に築 65 年。周囲に立ち並ぶ近代的
なビル群とは雰囲気の異なる、クラシックな造りでした。
博物館のような重厚な玄関=写真②、昔のフランス映画に出てきそ
(
左
)
②
(
右
)
③
重
厚
な
正
面
玄
関
古
風
な
エ
レ
ベ
ー
タ
ー
うな手動式エレベーター=写真③=など、味がある建物です。堂島で
何十年も働いてきた先
輩諸氏には、私よりず
っと深い思い入れがあ
ったと思います。
時代の流れで本社を
移転・新築することに
なり、92 年暮れのこの
日を迎えました。
■ いざ、最後の夕刊
大阪本社発行の夕刊
は、
「新社屋発」と題し
た移転のドキュメント
を連載していました。
12 月 12 日の「堂島最後の日」も連載は続き、午前中の社内の様
子が描かれています=図④。本社 OB で作家の井上靖さんが記者時代
に使っていた机で感慨にふける学芸部記者、たばこを吸いながら原
稿に鉛筆で修正を加える地方部デスク……。今は職場禁煙やパソコ
ンでの原稿修正は当たり前で、フリーアクセス(固定した机を割り当て
ず、空いている席で仕事する方式)も進んでおり、隔世の感があります。
夜勤だった私は、お昼ごろ出社。中に入る前、堂島社屋=写真⑤=
の付近を歩き回り、建物や周囲の光景を目に焼き付けました。
(上)④ 92/12/12 夕刊社会面(大阪)
(下)⑤ 移転直前の堂島社屋
■ 「紙洪水」の職場
整理部は、記事の価値判断を行って扱いを決め(つまり「整理」
して)、見出しを考え、紙面を組み上げるのが仕事です。
それは今も変わりませんが、職場の環境は激変しました。85 年に
起きた日航機墜落事故当夜の整理部の記録が残っています=写真⑥。
ワープロやパソコンが見当たらず、新聞やゲラ(試し刷り)、メモなど
紙類があふれ返っています。コンピューター組み版は始まっていた
ものの、原稿は紙に印字して中身を確認する時代でした。
(上)⑥ 85/8/12 日航機事故の日の整理部
その組み版は、別室で作業していました。整理部が一角を占める
編集局は、天井の高い広々とした空間だったので、一部を中2階の
ように区切って作業室を設置したのです=写真⑦。作業の様子は整理
部本体にテレビで中継されていました=写真⑧、もたもたしていると、
直通電話が鳴り、部長やデスクから「遅い」と叱られたものです。
■ 昔を語り、肩を組み、泣き出して
堂島最後の朝刊作業が始まりました。夕方ごろから他本社転勤者
や OB らが続々と来社。大声で昔の思い出を語る、肩を組んで社内
を練り歩く、感極まって泣き出す……。テレビニュースの取材班も
(上)⑦組み版作業室
(右)⑧作業状況を映す
テレビ(上部)
撮影を始め、社内は騒然とした雰囲気になりました。
大阪本社の朝刊には、
「デスクです」という、編集の
舞台裏を描くコラムが連載されていました。この日は
「さようなら堂島」がテーマで、1人は暗号を織り込
む凝りようです=図⑨。整理部では、社内配布の「号外」
を作成しました。コピーして配っただけですが、見出
しを考えたり紙面をデザインしたりするのは本職なの
で、写真やイラスト入りの力作が完成しました=図⑩。
もっとも、内輪の話に気を取られミスをしては話に
なりません。当番社員は騒ぎから離れ、紙面作りに集
中しました。午前2時すぎ、無事に最終版の編集を終え、堂島での
新聞制作は終了しました。はしゃいでいた方々も、眠り込んだり帰
宅なさったりで、静かです。夜勤の人間だけで乾杯しました=写真⑪。
■ 今も残る正面玄関
24年が経ちました。あの 92 年は、東海道新幹線で「のぞみ」が
運転を始め、バルセロナ五輪で岩崎恭子選手(当時1 4歳)が金を獲得
(上左)⑨92/12/13 朝刊社会面(大阪)
(上右)⑩社内配布用に作成した「号外」
⑪
最
終
版
終
了
後
に
乾
杯
し、甲子園で松井秀喜選手が5打席連続敬遠にあった年です。この
年に生まれた赤ちゃんが大学を卒業し本社に就職しているわけで
すから、堂島時代を知らない社員が増えたのも無理ありません。
社屋の跡地には「堂島アバンザ」という高層ビルが建てられ、旧
正面玄関が保存されています=写真⑫。出張で大阪に行った際、現地
を訪れました。ソウル五輪(88 年)や昭和天皇崩御(89 年)、ソ連
崩壊(91 年)……。ここで作った紙面の数々が脳裏をよぎりました。
⑫
堂
島
ア
バ
ン
ザ
と
旧
社
屋
玄
関