外務省 国際社会協力部 人道支援室長 あ い ぼ し こ う い ち 相星孝一 れていたことにも示される通り、日本政 府にとって人道支援の中で難民支援は一 貫して大きな柱となってきました。特に 1990年代に入り、冷戦の終結を受けて長 難日 民本 支と 援 ギャ難民帰還地域、また、先日、緒方貞 年の部族・民族対立が表面化、世界各地 子総理特別代表とともに訪問したアフガ で紛争・人道危機が発生し、難民問題は ニスタンにて、UNHCRの活動の現場を 地球規模での課題となりました。そして 自分自身訪れ、現場の担当者や難民・帰 緒方国連難民高等弁務官の就任も受け 還民から直接話を聞く機会を得て、改め て、日本は海外における難民支援に積極 てUNHCRが直面する様々な課題に対す 的に取り組んできています。このような る理解を深めることができました。 日本政府の立場は緒方国連難民高等弁務 官退任後も変わりはなく、日本経済が厳 外務省人道支援室とは 人道支援室は12名の室員より構成さ れ、国際社会協力部(国連行政課、専門 機関行政室、人権人道課、地球環境課、 しい状況の中にありながらも、昨年秋以 降、アフガン難民・国内避難民のために 1億ドルを超える支援を実施しました。 また、UNHCRとの間では海外におけ 気候変動枠組条約室)に属し、UNHCR る難民支援に際して日本の政府開発援助 をはじめとする国際機関などを通じた人 ODAとの連携も強化すべく、国際協力 道支援、および国内での難民支援に係わ 事業団(JICA)とUNHCRの間の定期的 る業務を担当しております。私が1983年 な政策対話や人的交流に加えて、現地の 私は外務省に入省後、本省では経済協 に外務省に入省した際、最初に研修生と 大使館、JICA事務所とUNHCR事務所 力局、アジア局、経済局、在外公館では して国連局企画調整課(注:その後の機 の間の対話の強化にも努めてきておりま アルジェリア、フランス、韓国に勤務し、 構改革で現在は存在しません)という部 す。 昨年4月に現在のポストに着任しまし 署に配属されたのですが、当時、同課で た。それまで、難民問題ないしUNHCR は限られた人員ながら人権、難民、環境、 を直接担当したことはありませんでした 国連行財政、社会問題、薬物問題など、 が、湾岸戦争の際のクルド難民支援、カ 非常に多岐にわたる分野を担当しており 本国内での難民支援については従来、必 ンボジア和平・復興プロセスでの難民帰 ました。今から振り返ってみると、それ ずしも高い関心が向けられていませんで 還支援など、難民支援とも関わりの深い がほぼ国際社会協力部の原型であったと したが、瀋陽総領事館事件を契機に国内 部署で勤務したこともあり、UNHCRの 言えます。20年近い歳月が過ぎ、いずれ での難民受け入れ体制が改めてクローズ 活動には以前より関心を持っていた次第 の分野も業務が飛躍的に拡大し、現在の アップされました。長期間にわたる難民 です。現職に就いてから、ジュネーブの 体制に至っているわけです。 認定審査、難民認定制度の透明性、条約 ンプ、あるいはミャンマー西部のロヒン 海外における難民支援と比較して、日 難民とインドシナ難民に対する処遇の差 UNHCR本部での協議に加えて、パキス タンのペシャワール近郊にある難民キャ 国内における難民問題 日本政府の難民問題への取り組み 昨年3月まで当室が難民支援室と呼ば 異、政府全体としての難民問題全般を取 り扱う枠組みの不在など、様々な問題が 指摘されています。また、そ もそも日本の場合、難民認定 者数は増加傾向にあるもの の、いまだ他の先進国と比較 すれば大幅に少ないとの点も あります。すでに法務省にて 難民認定制度の見直しに向け た専門部会が発足するなど、 体制の見直し・整備に向けた 動きが出てきておりますが、 今後とも難民認定申請者の増 加が予想されうる中、早急な 対応が求められています。 (2002年7月31日記) 筆者撮影。 緒方貞子総理特別代表とともに、訪れた アフガニスタンの帰還民の様子。 14 AUGUST 2002
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