紅花のすべてゑ - 山形県立博物館

特別企画展
紅花のすべてゑ
一紅花と最上川-
山形県立博物館
1
紅花絵巻
幅35.5師、長き775仰の絵巻で、す。畑づくり、
種まき、 間引き、 花摘み、 花の取引き、 花餅
づくり、 花餅の取引き、 そして船積みと、 最
上紅花の生産から取引きまで、 作業順に生き
生きと描かれています。 六田村(東根市)出
I身の画家青山永耕筆といわれます。
特別企画展
紅花のすべて展
- 紅花
と 最上 川
-
6月1日(火)�8月8日(日)
1982
主催 山 形 県 立 博 物 館
協賛 山形県観光キャンベーン推進協議会
あいさつ
本館は、
昭和46年 4 月 の開館以来、
郷 土山
形の自然や歴史 に関する 優れた情報セ ンター
として、
また広範な生涯学習の場として、
大
きな役割を果してまいりました。 昭和56年に
は、
開館10周 年を記念する 多彩な行事を開催
し、
本館10年の歩みと展望について、
皆さんをはじめ、
県民の
関係各位から貴重なご意見
を賜わりました。 これを節目として、
ますま
す博物館機能の質的充実をはかつていく所存
でございます。
本図録は、 県民総参加による 「紅花の山形
路」 大 キャンペーンに参加し、
山形県観光キ
ャンペーン推進協 議会の協 賛をえて、
紅花を
はじめ最上川舟遂に係わる 資 料を含ダ入
、紅
花のすべて砂 について紹介する ことを目的と
して開催した特別企画展を総集した ものです。
この資 料が山形の文化や風土と深くかかわっ
ている 紅花を、
きらに探求してし、く手がかり
になる ことを願っております。
特別企画展を開催する にあたり、 貴重な所
蔵 品を快く出品くだきる など、
ご協 力いただ
いた関係各位に深く感謝申し上げる とと もに、
今後と も本館の発展に一層のご教示を賜わリ
ますようお願いいたします。
昭和57年8月
山形県立博物館長
館長 大
友
義
助
ベニバナ豆知識
0ベニバナの原産地
ベニバナは中央アジアある いはエジプトが
原 産地といわれている キク科植物の耐冬性一
年 草で、 茎の高きが 1 m内外、
上旬、
7
月
茎
頂にアザミに似た鮮黄色の頭花をつけます。
古くはノ〈ビロ ニア 人やへブライ 人 も栽培して
いたことが知られています。 中国には 3世紀
の初期にシルクロードを経て渡来し、
わが国
には推古天皇の時代に高句麗から僧曇徴によ
って もたらされたといわれています。
o最上紅花の風土
出羽の特産、
最上紅花は、
最上川沿いの村々 で、
主に村山地方 の
さかんに栽培されてい
ました。 この地方 は奥羽山脈と出羽山地に固
まれた典型的な内陸盆地で、
夜と昼の温度差
が激しいために、 特に、 夏期になる と最上川の
本流をはじめ、
そ こに流入する 大 小 河川の沿
岸は毎朝濃い川霧がたちこめ、
朝露の結ぶと
ころです。 このような気象 ・ 風土が良質の紅
の含有量を多くする といわれており、 村山地
方 が紅花栽培の最適地に育った大きな要因と
されています。 最上紅花の栽培のようすは、
天明 8年 ( 1788)に書かれた紀行文「東遊雑記」
*紅花の主な用途
から も克明にうかがうことができます。
0紅花アラカルト
薬になる 紅花酒一風乾した紅花20 gと氷砂
糖 120 g、
そ れにホワイトリカーを混ぜて、
1 - 2 か月 間栓をして放置 しておくと、 赤昧
をおびた大 変美しい酒 ができます。 そ れを布
でこして紅花をとりのぞいて保存し、
サカズキ 1杯ずつ晩に飲むと、
1 日に
血行がよくな
ります。
山形県の県花一昭和29年 にNHKが全国的
に 「郷 土の花」 を選定した際に、
山形県では
「べにはな」 が選ばれたことから、 本県を表
徴する 花として親しまれています。 昭和57年
着色剤、 染用、 美術用
県の花として正式に県が定めました。
2 -
2
紅花屍風 (横 山華山筆)
〈県指定有形文 化財〉
絹本着色の六曲一双の扉風で、 縦154側、 横35 70mです。
京都の紅花問屋伊勢屋理右衛門 の依頼て\京都の画家横 山華山が
文政 6 (1 823 ) 、 同 8 年に描し、た もので、
右半双は江戸近郊、
は仙台大河原 地方 の紅花生産風景です。
この扉風は祇園 祭の時に伊
勢屋の1苫頭に飾られ、 町 中の大評判となりました。
- 3一
左半双
3
紅花屍風(青山永耕筆)
く県指定有形文 化財〉
紙本着色の六曲一双の扉風で、
縦156側、 横3540mで‘す。
右半双に紅花栽培や花餅づくり、 左半双には花餅の荷造りや紅花
船の敦賀入港、
京都の紅花問屋と、
最上紅花の生産から取引 ・ 運送
まで生き生きと描かれています。
青山永耕は六 田村(東根市 ) 出身の狩野派の画家て\幕末頃の作
品といわれています。
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172 紅地橘樹木鶴亀文様祝い童着
ま工染の木綿地に、 インド更紗の立木
手(生命の樹) の文様を宇品、ています。
身丈1470m、 桁6 0 0m。江戸時代後期。
169 紅地平絹胴服
〈重要文化財〉
上杉謙信が着用した身丈115. 0 側、 桁54.5仰
の胴服です。 これだけ時代を経た ものとして
は比較的槌色が少ない ものといわれます。
173 紅地重ね下着
紅花は体を日差める 効果があり、 多く
衣裳の裏地や下着に も染められました。
一5一
179 紅綾地竹刺繍文様打掛
上方 で芝居 衣裳として使われておっ
た ものが、 地元、 黒森歌舞伎 衣裳として
求められた ものです。 賞を多く含んだ
紅花で染められたと思われます。 身丈
1 7 0 側、 桁59.5om。 江戸時代後期。
175 紅紗綾型地牲丹ニ 山水模様打掛
当時の紅染の中心である 紅絹とは異なる も
のです。身丈150 師、 桁720m。江戸時代後期。
18 1 紅紗綾型地四季ニ雲型文様小袖
京 ・ 畿内の公家の女官遠に好まれた
形の小袖ですが、
次第に商家の娘達に
用いられ、 やがて、
紅花商人などによ
って山形に も持たらされました。 身丈
148 0冊、
桁58.5om。 江戸時代後期。
- 6
〈山形に映える紅花〉
*出羽の特産
最上紅花
江戸時代には、 漆 ・ 桑 ・ 楢・ 茶を四木、
麻 ・ 藍 ・紅花を三草とよび、
重要な商品作物として、
各地でさかんに栽培されました。
村山地方 や置 賜地方では、
ヒ川 沿いの村々 では、
じまっており、
し、
紅花 ・ 青苧 ・ 漆が特 産物として知られ、
なかで も、
室町時代末には紅花栽培がは
江戸時代中期以 後には「最上千駄」 と称されて、
全国生産額の半分以 上を生産
品質 もすぐれ、 「最上紅花」 と もてはやされました。
4
紅花絵巻
諸国産物見立相撲番付
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可
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室て
本願寺教如請取状
天 正年間(1573-92) 初期に、
本願寺から
明4
7 紅花目 方覚附帳
谷地岩木地区の門 徒に出された志納金品の受
領書です。 志、納品の中に紅花がみえ、
山形の
紅花生産を伝える 最古の史料です。
-
最上紅
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東 の関脇に 「出羽
花」 とあります。
6
村山地方 の最
紅花がさかんに栽培されました。 すでに、
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山ち
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系町
袴支
えず子
13
14
享保15年(1 7 30) に著わされた
山形風流松之木枕
最上紅花の
江戸時代後期に著わされた山形
生産法や山形の花市場の活況をつ
城下 の名所 案内記です。 花市にわ
ぶさに伝えています。
く七 日 町などが紹介されています。
と推定される もので、
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8 -
はなあらいざる
*紅花商人の活躍
紅花は、
口紅の原 料である とと もに、
東などとならぶ代表的な染料用植物で、
とくに京染め
には欠くことのできない ものでした。
天童 ・ 寒河江 ・ 谷地などには紅花を取引 きする 商人が多数生まれ、
山形をはじめ、
花を買い集めて京都の紅花問屋に送り、
りさば、き、
村々 から紅
上方 からは、
木綿 ・ 塩 ・ 繰綿などの商品を仕入れて売
商人たちは、
航海安全や商売繁昌を祈る 石灯能を寺社
大いに栄えました。
遠い京都との取引きには危険 も多く、
に奉納する など、
家門 の繁栄を願し、ました。
備盛物
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鑑札( 表と裏)
20 紅花
24
東講商人鑑
東講は商人の旅の便宜などのために
組織された もので、
東講商人鑑には、
講に加盟した商人たちの屋号 ・のれん・
商売内容などが掲載されています。
城下町山形や港町酒 田のほか、
在郷
町の商人 も多数参加しています。
27
鑑
印
30銭箱
29
鑑
印
箱
31千両箱
37 紅花仕切帳
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38
41
i差中 かっぱ'
42
江戸の商人に紅花を送
る にあたり、 定飛脚問屋が荷物を預った
旨、
記した ものです。
48 紅花送り 状
奥州南部黒沢尻の商人が、
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荷物預り手形
山形の商人が、
船迎え用前かけ
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道中磁石
山形の商人
買入れの荷を、 最上大石田に送った事を
記した もので、 山形の紅花商人の商業圏
の広さがうかがわれます。
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⑧⑥金銀差引帳
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京都火災後、 再開可能となった紅花
と もに、
羽州天童
京都室町の商人伊勢屋源助から、
紅花仕切下書帳
53.54
山形大学附属 図書館には8 0 余点
最上屋文書
多数の山形商人と取引きをしま
りの荷宿で、
した。 部厚い仕切帳や金銀差引帳などから取
紅花商引札
56
年始書状
49
、ニ〉
の商人宛に出されたものです。 新年の挨拶と
の相場が記されています。
. の最上屋文書が架蔵 されています。 京都の商
人最上屋喜八は最上紅花の買付人として指お
引 きの盛んな様子をうかがうことができます。
〆/
58
長明燈
大阪の住吉神社に永 寿
講が奉納した高さ約7 怖
の石灯龍です。
永寿講は、 紅花や繰綿 ・
太物を扱った山形十 日 町
57 紅花灯範
の豪商佐藤 利兵衛家が
大阪の住吉神社に「諸国紅花荷主中」
と 「京都紅花屋中」が奉納した、
一
族を集めて組織した商売
高さ約
上の協 業体で、 寄付台帳
6.7mの石 灯龍です。廻船の難破に苦しん
だ荷主や問屋たちが、 航海の安全を祈り、
永 寿講誌による と、 山形・
費用を出しあって奉納しました。
京都・ 大阪などの商人46
人がこの灯箆建立に参加
し、 大阪天満宮に も灯龍
を奉納しています。
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永寿講誌
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航海安全を祈り、 山形近在の商人30
余人が大阪で造り奉納した ものです。
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御石
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75 紅鑑 札(表と裏)
山形に も紅をつくり、 売っ
山形の紅犀
ていた紅屋がありました。 「東講商人鑑」
には“最上名産千歳紅
三 日 町紅屋久太
郎" や“最上名産玉紅
七 日 町槌屋勘右
ェ門 " などの名ヵ、みえます。
そ して、
\ザ/戸・
78
仲真契約議定書
79紅屋仲間回章箱
紅
屋仲間の議定書 もつくられました。
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81万控帳
87紅箱
89ガラス容器入り花餅
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82.83紅売帳
80 のれん
84紅擢諸色帳
〈空E 花
の
道〉
*紅花と羽州街道
羽州街道は、 桑折で奥州街道から分れ、 金山峠を経て山形に入り、 上 山 ・ 山形 ・ 天 童 ・ 新庄
を通り、 雄 勝峠を越えて秋田に出ました。
楢下をはじめ14の駅と 3 つの補助駅が置 かれ人夫 や馬が常備されて、 江戸時代の山形では最
も重要な街道でした。 参勤交代の大名や、 三山参詣の道者をはじめとする 旅人、 物資を運ぶ馬
などが往来しました。
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紅花は、 大石 田河岸までは、 羽州街道を駄送される のがしきたりで、 また、 最上川 を下さな
いで、 江戸に駄送される こと もありました。
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紅花送手板と護符
94
紅花送手板控
山形から飛脚便で江戸まで駄送され、
江戸からは海路大阪に、 そ して京都ま
で送られた ことがわかります。
「道中安全 ・ 海上無難」 のお守り札のついた
紅花送手板です。 山形の荷主から、 大石 田 ・
酒 田 ・ 敦賀 ・ 山中 ・ 海津 ・ 大津の各問屋に宛
てた もので、 濡らしたリせずに大至急送る よ
うに依頼しています。 荷物に添えた概算経費
から運賃や蔵敷料を差しヲI\.、て継ぎ送ってい
る こと もわかります。
97
96
東講定宿帳
98
懐中重宝記
Ji3 712j ‘!tF7
Jえ�j /身;
沼会仁 践 ,江一樹
一対向ヤ砂市 "" ,..;.r町Jfi; '
荷駄賃定制 札
?抱牛込ふ子 巴
大石 田の橋本の高札場に掲げられていた、
縦4 7 側、 横138仰 の命Ij札です。 最上川 最大の河
岸大石田から土生田 ・ 尾花沢 ・ 名木沢各駅ま
102
での人馬荷駄貨などが記載されています。
- 14
道中記
*紅花と最上川
山形を11流する 最上川 は、 江戸H寺代から明治時代にかけて、 批 も軍.要な物資輸送路でした。
大石田をはじめ、 寺津 ・ 清水、 須川 沿いの船町なとーの河岸や船着場ヵ、設けられ、 自制のやノl、腕阿
南合が上 り下 りしました。
米をはじめ、 大豆、 小豆などの穀物や、 紅花 ・ 青苧 ・ 煙111などの特産物が積み下され、 塩 ・
木綿 ・ 縦約1などが積み登せられました。
'i"で も高価な・約一花は、 三難所をさけて大石固まで駄送され、 大石田で船積みされて澗閉まで
積み下されました。
106
大石
田町絵図
長さ2310問、 幅57.5仰 の絵 図です。 立ちならぶ白壁の蔵や家並み、
最_I-川に浮かぶ多数の川 船など、 大石田河岸の繁栄ぶ りがうかがわ
れます。 究政4 年(1792)に設置 された川 船御役所 や天保元年
(18 30 )
に焼失した乗船寺と浄願寺の本堂 も描かれています。
107
松川舟運図廃風
縦5 7.5側、 横231仰 の六 曲一双の扉風て、す。 右半双が糠の目から新
戸(荒砥) まで、
左半双が正部(菖蒲) から左沢までと、
最上川上流の
川 の様子や沿岸の村々 、 米沢藩の船屋敷などが描かれています。
一 15-
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亭
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必対飼町
貯
Fぞ:縛摘草
注s
108
羽州川通絵図
長さ1l.8m、 幅 28仰 の折畳み式の絵図です。
糠野目・ 左沢聞に設置 された米沢藩の船屋敷・
米蔵など 、
最上川 上流の様子がわかります。
109
最上川絵図
長さ9. 8問、 幅 55仰 の絵図です。 谷地か
ら清川 まで、 最上川 中流の川の様子や沿
岸の村々 がくわしく描かれています。
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最上川谷地押切渡δ相沢迄絵図
長さ8. 0m、
幅 67.50怖 の乾と、
,. ・
長さ7. 0怖 幅
67. 5仰の坤の 2巻からなっています。 乾が谷
地から清水まで 、 坤が本合海から清川までと、
最上川中流の川 の様子や沿岸 の村々 などがく
わしく描かれています。
新庄 藩士岩間作右衛戸が描いた ものです。
111
111絵 図
長さ8.7怖 、 幅27仰 の絵図です。 船町か
ら酒 固まで、
須)11と最上川 中下流の川 の
様子が描かれています。
- 16一
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113
船頭鑑札(表と裏)
119
122
ぐ
かねずり
だ
一 17 -
とも擢(柄欠損)
128
126
船曳き綱
船曳き肩掛け
130
131
129
かぎなわ
船箪笥
132
船ランプ(内用)
137 箱
- 1 8一
膳
船ランプ(外用)
143
平
笠
144
ゃん ざいみの
145 わ ら製手袋
146 わ らじ(乳4個) 147 わ らじ(乳2個)
148
船宿看板
150
川船押絵絵馬
(縦73側横
、
95側)
- 19-
*紅花と酒田湊
酒田は、
戦国時代の終 りごろには、
路が聞かれる と、
日本海側指お りの港でした。 江戸時代に入って西廻 り航
最上川 舟運と海運を結んで一層栄えました。
最上川 を下される 米 ・ 紅花 ・ 青苧や、
上方 や北固から海船で もたらされる 塩 ・ 木綿 ・ 塩引 な
どの商品を扱う荷問屋や大商人が多数あらわれました。
最上川 を下された紅花は、
酒 田で、海船に積み込まれ、
越前の敦賀で陸揚げされて、
経て京都まで運はfしました。
禁風持鴻内五主将点
152
153
出羽庫内酒田風景
酒田+景のうち日和山眺望
154
- 20
酒田湊絵馬 (縦69師、横97=)
琵琶湖を
156
方角石
廻船の船頭たちは、 こ
の方 角石 で風の方 向や 日
和を見て出航を
決めました。
l諸廻船安全」 を祈願して建
立された もので、 高さが 3
m
余あ ります。 子ìl互に酒田をは
じめ西廻航路の寄港地の廻船
問w.の名前のほか、「 川船方中」
と も刻まれています。
157
船玉大明神
船の形をした台座に
のっている 高き 195仰
の石 碑です。 船の守り
神として建てられ、 信
仰されてきました。
21 -
158
船型准肱観音
159 万福丸十歩一之図
山形十 日 町の豪商、
の設計図で、
村居清七家の持船万福丸の1 0 分の l
縦85側、 横 3.0 1nの板額です。 村居家は約花や
縦約; ・太物等 を扱う商人で、 7 0 0 -8 0 0 石積の万福丸と万代
丸の 2般の船を所 持して大いに栄えましずこ。
161
162
北前船模型
163
164
北前船碇
船絵馬 (縦38側、 横50om)
船絵馬 (縦57側、横69om)
165
船絵馬(縦75師、 横95om)
- 22-
〈紅 花 ロ マン〉
*紅 花 染
赤は太陽の色を表わすといわれ
力の象徴として、
衣裳に用いられました。
この赤色染料としては、 紅花 ・ 蘇芳 ・ 茜などがあ りますが、
特にま工花は、
紅の もつ医学的な
効果から も多く求められました。
かつて山形で も、「最上紅」 や「紅木綿」 ・ 「紅花染」などが作られておりました。 しかし、
紅花の多くは、
め上げられ、
花餅状に乾燥され、
一部は、
京都や江戸に送られました。 そ れは、 豪華な約染衣裳に染
紅花商人達によって山形に持ち帰られました。
171
170
紅縮緬鎧下着
身丈 64師、
毛艶鞍覆(附属品
上杉謙信が、
く重要文化財〉
のーっといわれています。
裏裂
には紅染の麻が使われています。
紅地串紗
鞍・鰍・面繋・紐・号|綱)
天文19年(1550 ) に将軍
足利義輝から与えられた 7 つの許し もの
桁41.5仰 の綿入れの鎧下着です。
上杉景勝が用いたと伝えられる もので、
174
最上
23
174
紅地鳥紗
183
182
宮参り用頭巾
紅地松竹梅ニ鶴亀文様振袖
191
188
紅縮緬重ね下着
紅倫子地白鷺雪持
竹模様振袖
江戸時代中期頃には存
在したといわれる 小倉芝
居(上山市)の衣裳です。
かなり痛んでいますが、
寛文模様で手染めの最後
頃の ものと思われます。
江戸中期。
192
藍麻地菊水五紋単衣ニ
紅麻重ね祝い着
193
子供腹掛
176
177
紅木綿四季花扇面模様四つ身童着
紅麻夏着
与
197
196
201
内裏雛
古代享保雛の系統と考えられる
もので女雛の袴などに妊染が見ら
箸入れ
れます。
202
紅板入り懐中化粧道具
- 25
紅猪口入り化粧道具
*歌に詠まれた紅花
紅花は古く、
万葉集や古今集などに も詠まれ男女の燃える 情熱や女性のあでやかさなどが、
紅の色で表わされましたr
江戸時代、
山形が紅花の主産地になる と、 地元では、
産地ならではの歌が多くうたわれ、
そ
れは、 「紅花摘み唄」や 「紅花染め唄」などの民謡として、 現在までうたい継がれています。
また、 魔よけ、厄よけとして効用があったといわれる 、
ど、 紅花の多様な用途が、
紅花衣裳を着せてのお宮参りの俳句な
うたの中に もしのばれます。
')'
206 紅花摘み唄
昭和 2 年の全国産業博覧会演
芸館で演じられた、
芸妓遠の紅
花摘み舞踊がきっかけとなり、
山形の民謡研究家が、 村山一円
を調査し収集した ものです。
この歌は、 昭和 7年頃、
NH
K仙台放送局から全国に紹介さ
れ、
207 紅花染め唄
紅花摘み唄と同じ経過で収集されま
したが、
特にこの歌は、 最上結花の里
において も、
紅染めが行われていた事
を示唆しています。 事実、
湯殿山参り
の道者達が求めた山形の商品の一つに
花染布が見られます。
- 26-
大きな反響を呼ぴました。
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※書は宝崎幸雄氏によります。
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*清風と芭蕉
鈴木八右衛門 ・ 清風は、
紅花大尽といわれた豪商であり、
た。 商売で江戸を往来する うち、
また、
すぐれた俳人でもありまし
芭蕉とも交わったと思われます。
元禄2年(1689) 3月27日(現5月中旬) 江戸千住を出立した芭蕉は、
入り、
堺田越えから出羽田に
5月18 日尾花沢に清風を訪ねました。 芭蕉は 『奥の細道』 の中で、 「か
山万伐峠を越え、
れは富める ものなれど志いやしからず・一日比とどめて長途のいたはり、
さまさまにもてなし侍
る 」 と紹介しています。
i今
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ずし
218
6可
金銀貸入帳
鈴木清風家の商業活動
島田屋
をしのぶことのできる 唯一の、
4:
元禄(1 688-17 04) 頃の帳簿で
す。 紅花商人への貸付金が紅花
み
rし
芭蕉句碑(涼しさを
我が宿にしてねまる なり)
がみられます。
2 17
219
220
や紅花代金で精算されている の
鈴木清風句短冊
念通寺本堂
元 禄1 0年 (1697) 、鈴木清風が独力で建
立し、
境内地や山門 ・鐘楼などは他の有
222
力商人によったといわれています。
- 28
芭蕉句碑 (眉はきを悌に
して紅の花)
*紅花の源流をたずねて
山形新聞社 ・ 山形放送は、
社の八大事業として昭和52年「紅花の道を探る 」海外調査団をイ
ンド ・ アフガニスタン ・ エジプトへ派遣し、
花の原種の確認、
紅花の利用など、
紅花の原種 ・種子を求め調査、
取材しました。 紅
多くの成果がありました。
域の文化 ・
、
昭和 田年には 「中国 ・ 西域の文化を探る 」訪中取材団をシルクロードに派遣し西
歴史を取材しました。 特に本県特産のブドウ ・ 結花を中心に、
中国の農業の現状をつぶさに取
材会しました。
223
r紅花の 道を探る」海外調査団
ンベイ ・テリー ・ カブール・
、
調査団はボ
カイロ・アスワンを踏査しました。ボンベ
イ ・アスワン市内では種
、
子と花びらが市
場で売られており、 カブール郊外では、
野生の “ベニバナ" を確認しました。 エ
ジプトでは、 種子をコルトンといい食用
油に、
花は、
オッスルと呼び、
食品着色
料として利用されています。
インド・ボンベイ市内のクロホード市場
224
r中国・西域の文化を探る」訪中取材団
取材団は、
点の西安、
泉、
北京から、
シルクロードの出発
河西国廊の玄関口である 蘭州、
ウイグル自治地区、
トルファン、
酒
ウルム
チを踏査しました。 ウイグル自治地区では、
農業科学院の王兆木技師が、“ベニバナ" の実
物を持って訪れてくれました。 食用油や食用
紅として利用される だけで、
染料としては利
用していないということでした。
農業科学院の王兆木技師 とベニバナ
225
トルコの紅花
トルコには、「チャクル ・ ディケ
ニ」 と呼ばれる 紅花に似た野草が
あり、
花 一
紅ト
イ
駒
一
タ
レ
ノ
ス
パルケシル県の紅花
鎮痛剤として使われていま
す。 栽培されている 紅花は、
パル
ケシル県を中心とする 刺のある も
のとイスパルタ県を中心とする 刺
のない ものです。 いずれ も輸入品
です。
(紅花はいま〉
*よみがえる紅花
江戸時代末から明治時代にかけて、 安価な中国産紅花や西欧からの化学染料の輸 入により、
最上紅花は次第に衰退して行きました。 ただ、 伊勢神宮式年選宮祭や明治神宮造営式などでの
求めもあり、
細々とではある が生産されてきました。 しかしその後、 太平洋戦争時の食糧増産
運動などによって、
紅花栽培は完全に姿を消してしまいました。
戦後、 最上紅花の復興を求める 人々によって、「最上紅花保存会」・「山形紅花振興会」 や「紅花
栽培組合」 などが結成されました。 また、
米沢における 紅花染の実用化が、 県に担当課を設置
させる 大きな力となりました。 こうして、 再び、
山形を代表する 花、 最上紅花がよみがえる こ
とになりましTニ。
228 紅花高合勘定帳
最上屋文書の一つです。「近来異国δス
カレッドト申す新紅追々持渡り大流行・一」
と、
外国産の化学染料の輸入によって京
229
都の紅花問屋や紅屋が苦しんでいる 様子
が記録されています。
紅花畑(昭和46年
山形市出羽地区)
30
伊努神宮式年祭用紅花染見本裂
*紅花染のできるまで
かつて、
山形は紅花の生産地でしたが、 収
穫された紅花のほとんどは、 京都や江戸に送
られ地元での紅花染の発達はみられませんで
した。 ただ「紅花扉風」 や 「紅花絵巻」 など
に描かれた、
花餅作りを見る と、 そ の途中に
出る 賞色染料を使ったり、 一部染料で木綿や
麻を染めたことがうかがわれます。
戦後、 紅花復興の動 きが高まる 中で、 かつ
て京都などで染められた紅花染が、
難をのり越え、
幾多の困
最上紅花の主産地の一つであ
った米沢市に復活しました。
230
紅花染衣裳
〈紅花あれこれ〉
紅花は昔から染料 ・薬用・食用など、 広く用いられてきました。 エジプトやインドなどでは、
いまなお食用油として、
また料理の色づ、けなどにつかわれています。
最上紅花は江戸時代からさかんにつくられ、
染料や口紅の原 料として京都や江戸に送られ
て、 人びとにうる おいを与えてきました。
山形では、 今で も紅花染をはじめ、 食品や工芸品などに紅花がつかわれ、
また商品名などに もつかわれており、 広く県民に親しまれています。
233
紅 花墨
233
- 31
紅花の種子
デザインとして、
展示資料目録
番号
1
2
3
4
5
6
7
8
9
資
料
名
点数
者
陽
東根市
武田
山形市
山形美術館
紅花罵風(背山永耕筆l{県文〉
山形市
河北町
山形市
長谷川吉内
今回 信一
山形大学附属
博物館
諸国産物見立中1:1撲番付
最上手1所:?',J1È名物番付
(元i古元年)
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本願寺教如請取状
紅花目方党附帳
(文久 元年)
河北町
河北町
紅花日記帳(明治8年)
直作紅花摘集中長(明治1 0年)
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山形風流松之木枕
紅花の話
紅花地蔵 〈写真〉
紅花地蔵お札
花餅作り道具
もとはんぎり
はなあらいざる
ざる
ておけ
べにばなせいろ
山形市
山形市
山形市
1
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佐藤
玉井
岩淵'1
宥正
一戊
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八幡神社)
(上山市
自自
本
中山町 中山町立歴史
民俗資料館
名
ろ う そ く 入れ
衣裳染型紙
紅花仕切帳(署長氷7 年)
道中かっぱ
点数
2
山辺町
1
1
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紅花荷物預リ手形(天保5年)
(天保8年)
(謀氷4年)
iili行手形(辰年)
出判l傾(未年)
紅花送り状(嘉氷元年)
年始書状
御尋付以書付奉申上候
(安政4年)
仕切帳(慶応4年)
仕切帳(天保4 -13年)
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2
(文久3年)
⑤⑥金銭差引帳(安政4年)
紅花商引札
長明燈(文久 2年l {写真〉
長明燈(元治元年l {写真〉
灯能(安政6年) 〈写真〉
狛犬(天保5年)
62
63
紅花灯箆(天保7年l{写真〉
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綿屋札(天保6年)
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紅花鑑札(弘化元年)
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佐藤利兵衛
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山形市
佐藤和l右衛門
山形市
佐藤利兵衛
山形市
佐藤利右衛門
山形市
佐藤利兵衛
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74
75
76
77
78
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山形市
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山形市
佐藤利才7衛門
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須藤
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(京都市
〈写真〉
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(山形市
狛犬(嘉永3 年)
〈写真〉
1
灯能(安政6年)
〈写真〉
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1
山形市
花餅用紙袋
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紅鑑札(嘉氷元年)
紅花秤
中工屋仲間規定控(慕永元年)
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山形大学附属
図書館
山形大学附属
博物館
(大阪市 住吉神社)
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術l石燈能二拾歩一仕様之図
御駒犬五歩一仕様之図
1'1:名琶敬筆長明燈題字
駒犬・鳥居見積書
氷寿講扇頒
氷寿講誌(文久3年)
伊勢神宮奉納大々神楽記念額
(慶応2年)
拓本
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門
山形市
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紅花仕切 下書帳
(天保1 1年)
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60
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山形市
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道中総石
船迎え用前かけ
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55
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河北町
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塩鑑札(安政2年)
五十集捌所札(安政4年)
御払米鑑札(安政5年)
東議商人鑑(安政2 年)
東講定宿 帳(安政6年)
東講料金皆納札
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35
36
37
38
48
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安 楽 寺
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(俊一応2 年)
(慶応3年)
(慶応4年)
(明治4年)
(明治5年)
(明治 6年)
(明治 7年)
(明治 9年)
紅花日記帳(明治10年)
紅花 目 方 日 記 ( 明治1 1年)
紅花摘日記帳(明治1 6年)
資
番号
紅花絵巻
うす
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
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紅花扉風(横山草山筆l{県文)
紅花日記帳(元治元年)
(元 治 2 年)
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所
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社)
(山形市 鳥海月山岡
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所宮)
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社)
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門)
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山形市
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(天保 9 年)
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( 宝暦 1 3年 )
( 宝暦 1 3 年 )
( 文政10年)
組 1E送手板控
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荷駄u定制 札 ( 正徳 元 年 )
1 1 1 1 1
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東講定宿帳 ( 安政 6 年 )
百晶
山形市
者
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11
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132
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山形市
水 口 久兵衛
河北町
今回
山形市
信一
丹野信一郎
山形市
山 形大学附属
山形市
博物館
渡辺 信 三
懐中重宝記
五海 道 中 細 見記
諸方独案 内 道 中 記
大 日 本 道 中 行程細 見記
本
館
山 形 市 金沢
道中記
庄 内 ヨ リ 江戸へ道中記
山 形 県下 眼鏡橋之真景
本
宏一
松 川 舟EE 図 扉 風
羽 州 川 通絵 図
米沢市
山形市
最上 川 絵 図
山辺町
東町公民館
宮坂考古館
長井政太郎
稲 村七郎左衛
門
最上川 谷地押切i度 5 柏沢迄絵
図
(延享 3 年 )
膳
箱
袷むず り
股づ|
平笠
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わ ら 製 手袋
わ ら じ (手L 4 i副 )
11
(宇L 2 イ凶 )
船宿看 板
棒秤
川 両首相ド車全革全馬
奉納船
出 羽 庄 内 楢 悶 風景
酒 田 十景
酒 田 淡絵 !13
常イ主主苔 ( 文化10年) (写真〉
方 角 石 〈写真〉
船玉大 明 和I! ( 慶応、 元 年 ) (写真〉
船型 准抵観音 〈写真〉
万 福 丸十 歩一之図 ( 天保 1 4 年 )
167
荏草 ・ 多業粉{卸 払 目 録
( 正1:<1.' 4 年 )
紅 花 ・ 新庄米等売 目 録
立川町
清河 八郎記念
168
精 送 り 手形
謙吾
館
船絵馬
船絵馬 ( 安政 7 年 )
謙吾
山形市
松[U Ã之助
山 形 iIï
山形市
山形市
柴「円
山形市
松 田 Ã之助
大江 町]
山形市
柴田
酒田市
酒 田 市立資料
謙吾
松 田 真之助
柴 悶 謙吾
巨
海
院
謙吾
館
本
館
酒田市 白鳥神社
( 酒 田 ,11 日 和 山 公 園 )
(酒 田 市
稲祈 神 社 )
( 酒 旧 市 天正寺)
山形市 山 形 大学附属
博物館
致道博物館
熊野神社
白 鳥神社
宮古
( 正徳 年 間 )
謙吾
紅縮緬鎧下着 〈重文〉
毛艶鞍覆
紅地橘樹木鶴亀文様祝 L 、 童着
市
- 33 -
紅地平絹 胴 服 〈重文〉
鶴
1
169
170
17 1
172
山形市
市
柴田
船絵馬 ( 明 治30年)
館
柴田
米
山形市
北前jj{}lí)Ë
北前船模型
山形市
町市
山形市
館
柴田
山 形 大学F付属
万 福 丸 十 歩一之 図 復 元 凶
f�f河 八郎記念
市
本
館
山 形 市 柴 田 謙吾
山 形 市 松 田 真之助
立 川 町 清河八郎記念
山形市
信一
立 川 !IIT
沢 H H岡
l
ぐだ
ご ざ帆 ( 断 片 )
かねず り
( 外用)
弓桜ち ょ う ちん
船H寺百十
おひっ
本
あぎ き お
1 1 1 1 2
l 11
石突き
11
謙吾
船 ラ ン プ( 1人1 m )
中 酒
お も て 惚 ( 未完成 品 )
と も 材E
柴田
餓
今回
山形市
N岡 H山 田 H
大郷ノl、学校
博物館
4
f
摺
て
も Hち
お
う
118
119
山形市
河北町
自
飼
鵜
小
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内《dυ
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1よ
ハU
n〆“内〆“n,-n〆h“-内F
1 14
1 15
116
117
致道博物館
謙吾
かぎなわ
自由百I�i'j
111 1 1 1 1
川絵図
通行手形 ( 亥 年 )
船頭鑑札 ( 卯年 )
1 1 2
1 11
112
113
鶴岡市
可AaaT唱1司A
型
信式
・企zq,
ハ闘
相伎
110
153
154
155
156
157
158
159
柴田
山 形 i1ï
山形市
山形市
ほ ん じ ょ It
単衣むず り
152
山 )f� 市
船曳 き 綱
139
1 40
141
142
151
者
松 田 真之助
柴 問 謙吾
松 l迫 真之助
王L合すず
149
蔵
点数
船曳 き 肩掛け
138
1 43
144
145
146
147
148
名
ω 1 1 1 1 1 1
(上山市)
大石 田 町
137
車十
資
ハV-E-9-免uwa匂rBρhu
nhupnvpnv氏uRupnvρb
106
107
108
109
借下 〈写真〉
大石 田 町 絵 図
133
134
135
1 36
150
館
( 明 治 1 4年 )
1 05
番号
141i141A3ABI--ふTA--1i1i1ょ1An414
au
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‘ 。
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の
11
万控帳 ( 万延 元 年 )
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 11 1
3
0
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7
紅屋仲 間 回 章箱
}リ1
点数
e
咋
資
番号
山 形大学附属
博物館
上杉神社
致道博物館
資
番号
1 73
1 74
1 75
料
名
点数 |
ま工地重ね下着
1
紅I也 吊 紗
6
紅紗綾型 地牡丹 ニ 山 水模様打
l
持ト
1 76 I 紅木綿 四季花扇面模様四 つ 身
所
山形市
童着
2
紅I也組み紐房 飾 リ
2
1 79
紅綾地竹刺繍文様打掛
l
180
181
|
約締緬地桜木文様肌着
l
紅紗綾型 地 四 季 ニ 雲 型 紋様小
l
中由
1 82
1 83
184
11
宮 参 1) 用 頭 巾 (鈎付 き )
l
(銭な し )
l
185
紅花模様の裂
l
186
:蔦 �模様布団地
l
187
紅縮緬紅葉 ニ桜散 し 文様振袖
紅縮緬重ね下着
l
188
189
紅1也袋物
190
紅平絹地牡丹模様振袖
藍麻地菊水五紋単衣ニ紅麻重
存会
山形市
大場
上山市
l
1 93
子供腹掛
194
麻 の 葉模様童着
195
紅花染木綿
1 96
1 97
箸入れ
198
紅猪 口
3
199
みや こ 紅
2
200
小町紅
2
内裏雛
山村
天童市
須藤
205
紅花絵茶碗
紅花摘み日貝 〈紅花和紙〉
〉
紅花染め唄 〈
l
"
m
214
|
本
5
山 形 俳 譜風土記所収の 俳 句
5
2
紅花 目 方覚附帳所収の俳句
〈短冊〉
215
紅花摘み 歌 テ
216
紅花染め歌 テ ー プ
217
218
219
220
鈴木清風句短冊
芭 蕉 句 碑 「 涼 し さ を …J(写真〉
221
芭 蕉 句 碑 「 眉 は き を 」 拓本
プ
念通寺本堂 〈写真〉
l
キ ミ
11 1111
I 11
舗 11
山 形新聞 ・ 山 形放送
I
山形市
高橋
信敬
I
山形市
一属
図書館
9
山形市
岩消l
慎
42
I 米沢市
鈴木
孝男
ぞく
半古
そ の他
231
摺
232
化学肥料
紅花研究資料
233
花
各 国 の 紅花の種子
清雄
I I
;5
一
試験 場
35
米沢市
馬場
肇
紅花色素彩色版画
紅花抽出色素
坦
幸治
慎一
そ の他
2
米沢市
川 村利 三郎
235
紅 と り 図原図
紅花染衣装
2
236
紅花染反物
5
米沢市
米沢市
山村
猪俣
尚紅
234
兵助
重治
重治
5
米沢市
新田
秀次
紅花染衣裳
2
米沢市
渡部
久子
239
紅花染衣装他
20
山形市
大場
キ
20
山形市
笹原
節子
由紀
"
240
H
11H
11N
H
11
11
241
紅花染衣装
10
米沢市
山田
242
紅花染 舟 紗 ( 生徒作品 )
27
山形市
山 形 大学教育
243
菓
山形市
学 部 附属 中 学校
側十一屋
247
248
鈴木正一郎
幸吉
238
237
幸治
246
249
250
251
念通寺)
252
(尾花沢市
養泉寺)
253
館
千歳 山 )
紅絹
(尾花沢市
本
者
紅染麻布
245
11
( 山形市
I I
I
蔵
紅花染 テ ー ブルセ ン タ ー
244
尾花沢市
金銀貸 入帳
所
紅花染衣裳
"
〈短冊〉
松尾芭蕉の俳句 〈短冊〉
館
"
l
6
紅花研究資料
紅花研究ノ マ ネ ノレ
紅花笠宮
1
東桜集所収 の 俳 句 〈短冊〉
230
岩洲
紅花絵湯谷
最上 川 柳所収の 川 柳 〈短冊〉
+
伊勢神宮 式年祭用 紅花染見本
裂
工藤
204
5
:
山形市
須藤
22
228
酒田市
工藤
万葉集所収の和歌 〈短冊〉
4
景写真資料
一腕帳 ( 明 治 1 5 年 :
手描 き 紅
べに粉
天童市
�
2
料
エ ジ プ ト ・ 市場での紅花売光 I
佐藤利兵衛
中目沢
I
227
山形市
酒田市
水蛙集所収の俳句 〈短冊〉
ト ル コ の紅花収穫光景写真資
福島
1
l
225
山形市
紅 入 り 化粧道具
11
8
中取材団 写真資料
ト ル コ の紅花標本
真嶋
203
206
207
208
209
210
21 1
212
224
小倉芝居衣裳
天童市
20 1 紅板入 り 懐 中 化粧道具
202 - 紅猪 口 入 リ 化粧道具
9
芭蕉句碑「眉 は き を J
酒田市
l
3
「紅花の道 を 探 る 」海外調査団
写真資料
「 中 国 ・ 西域の文化 を 採 る 」 訪 I
229
保存会
米沢市
ね祝い童精
1
稲 村七郎左衛
r,
点数
名
(写真〉
222
226
黒森歌舞伎保
山辺町
紅倫子1也 白 鷺雪持竹模様振袖
191
1 92
広 谷常 治
料
223
"
酒田市
紅I也松竹梅ニ鶴亀文様振袖
11
1111
H
H11
11
H11
H
11
H
11
資
番号
者
佐藤利右衛門
寒河江市
1
178
11
HH
11
1111
1111
11
11
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HH
11
11
蔵
254
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子
山形市
側松風屋
山形市
備1i割I 菓 子 司
大国堂
山形市
側高橋製 菓 カ
ステーラ
山 形 市 山 十大屋
山 形 市 側佐藤松兵衛
商庖
山形市
山形市
側杵屋本庖
山 形 製薬側
天童市
側舞鶴堂
東根市
結城製薬
村 山 市 大泉豆糖庖
大石 田 町 (掬 う ろ こ や
料
資
番号
名
,占、数
月T
蔵
者
総本山
255
染
了
番号
300
河北町
河北111] 莱 友 会
河北町
301
302
�,l すと き 1) 本命Ií
米 沢 d,
JJj杉山
務花
307
山 形 県 史 ( 農 業編 中 )
山 形 県 立 L;(I �ll館
鮒 後 Tiも 製麹i工
308
309
山 形 の j耳、 æ ( 後編 ) ( 川 崎浩 良 )
河北!日l
11
米沢市
中I l f[ 立
304
259
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If[; 同 市
港!豆 * イ 舗
260
め ん �li
山 形 rlj
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303
山 ;];1 文 化 史 料
( 梅津吉 泣 )
( L 1 J Jf; ilj )
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H
天童 dj
HiH'l1製組側
310
干布村 郷土 史
(丸山
263
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\処羽 製組側
311
河 北 出 l の 文 化財
II
264
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米沢,Ij
手打 ち う と ん
312
尾 花沢 , Ii の研 究
築 聖T
313
柴崎家文書 ( そ の ー )
11
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11
271
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11
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( 1五 :/UKTl j )
山 形 rlj
側 九 八や た ら
ィ責
314
天 童 d j 史 制 築 資 料 第 六号
山 形 dj
側渡辺近七尚
315
米沢 市 史
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316
白 府 Iß] 史
"
11
卜巻
l 山 ilj 史
日Ij巻 iて
山 形 d】
附丸一 | 大出
317
山形市
山 形 製薬附
318
天 茸: 市
三干ClíH1H旨州
319
天童 dj
日 新薬 品 附
320
や ま がた の 魁 史
米沢 dj
米 沢 和 花 興業
321
山形 市 9.: H(�長
附
322
山 形 rli æ 史料制
323
山形,1, 史 史料 制
11
( 武 EH 111{政 )
J 山 郷土 史 抄
」 山繁 昌 記
11
11
H
下
主ji林 日 記J
東根,!i
山 形 をお 回裏側
村 山 dj
11
日J 木 酒 造
寒河江市
275
11
河」仁田]
JJK 犀 酒 造
(資)
利] 図 柄 泣 ( 資 )
276
天主主 dj
見 羽 製 麺(tt)
山 If;T!i
山 形 製薬側
326
明 治村 史
278
茶
羽、
漆
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山形市
本家長 門 屋
327
河 北町 の 歴 史
279
木工品
米沢 市
三平[1 物産
328
西恨村 史談
H
280
鋳
物
山形市
側カネシ千
329
H
277
11
3
'j川本 H 記ー 卜
324
山 形 TIi 史
' 1 ' 巻 ( jli世 編 )
325
山形m史
別巻 2
( 生活文化制)
1
11
H
qJ 巻
11
281
"
山形市
330
282
H
附 菊 地 製 作所
水郷寺津 史 ( 丸 山 茂 ・ 大 木村n
ヲミlií の 生 い た ち
山形市
嗣後藤鋳造所
331
梨郷村史
H
283
11
山形市
山 正 鋳 造附
332
袖 崎の郷土誌
N
284
11
山形市
鋳 金工芸長谷
川雄山 ・ 恵久
333
( 袖 崎郷土 史 研 究 会 )
イ 王郷土�,:�
11
街li度港発鐙
334
羽 前 米 沢 宮 内 j酉 問 屋文書資料
H
285
H
286
287
こけし
11
288
人
山形市
米沢市
形
H
289
11
290
三和物産
山形市
側カネシチ
上山市
11
291
335
米沢市
山 Jf; 司1
11
( 伊藤長太郎)
相 田 H青山華
i仕上:n日大 蔵 村 史編集 資 料 第 2
H
集
シ タ ラ 卓王巨 製
336
小屋家 ・ 皆 川 家文書
三泉 村誌 ( ー )
作所
337
山 形経 済 志料
11
11
( 山 形商工会議所)
高林堂
338
日 本産 業 史 大 系 3
東北地方
11
河北町
双鈴舎
292
御殿 ま り
餓岡市
上野
293
陶器 ・ 陶製品
11
山 形 m-
294
安倍平吉窯
河北町
山 形 タ イ ル工
業側
340
山 形 陪i工会議所史 ( 上巻 )
11
295
ろ う そ く
鶴岡山
富 樫由民燭庖
341
最上t医沿 革誌
11
296
飽
和
山形市
上山市
岡文昇堂印刷
土屋
日1\
342
長井市
樋渡
343
幕末維新期 の 研 究 ( 石井孝編 )
や ま が た 明 治零年
山形市
シ タ ラ 卓r;j( 製
344
山 形 商 業 史 話 ( 後藤嘉 )
や ま が た 経 済 風 土雑記 ( 11 )
297
き長
紙
298
ベ ー ノ マー フ ラ ワ ー
299
壁かけ
ブロ ーチ
壁かけ
作所
*.fii
富美
の ,;,
339
( t也方 史 研 究協議 会 )
11
羽 前f也万 史 の研 究
( 伊豆 田 忠 悦 )
中 山 町 史 編 集 資料
- 35 一
側 ア イ / íi':: 也l
H
11
H
( 川 崎浩 良 )
262
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千,Il( _- (
H
11
市 r T d� 培 セ ッ ト
I!Ú\ 呂 敷 ・ テ ー ブ ノレ ク ロ ス
のれん
11
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者
305
306
257
あ めや 攻 守 山
森 谷 製 ノ マ ン 件。
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食 器
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山形山
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ワ ソ ベン
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256
261
点数
名
料
資
品九 l 集
11
11
11
三利J物,ii
後藤
留吉
番号
名
料
資
345
最 仁 川 流域 の 歴 史 と 文 化
工藤定雄教授還暦記念論文集
346
348
( 今 回 信一 )
最上利 花 史 の研究 ( 今 回 信一 )
改訂
(今回 信 ー )
349
最上川 ー 歴 史 と 文 化 ー
347
点数
所
H
山 形博物誌
天輩出泉夜話
352
上山 見 |却 随 筆
353
手戦
354
( 朝 日 新聞 社 )
日 本 の年輪
思 い 出 の ま ま に 固 定! の 県 政
"
"
( 山形新聞社)
( !ll! 湯 六 十 周 年記念 出 版 )
下
( 上 山 市史編集資料
355
No.l9 )
,
伝統 の わ ざ と 美
( 真壁
雑記
仁編)
東 北民俗 資料集 ( 四 )
357
失 わ れ ゆ く も の の 記 ( 水上勉)
358
359
�d と 絞
( 真壁 仁 )
郷土の あ ゆ み 山 形 県
360
1;1 木 Ti話
( 岩崎敏夫 編 )
"
"
"
(赤塚長一郎 )
"
"
( 阿部 惣七)
361
米沢風土記 ( 第 三 集 )
362
地方記者 山 形 双 六 ( 高 山 左 近 )
363
364
や ま が た 植物記 ( 結城嘉美 )
な ん じ ゃ も ん じ ゃ 江 戸 時代
"
"
( 安孫子藤 吉 )
356
HH
N
H
H
N
H
"
( 読売新聞 山 形 支 局 )
35 1
者
山 形 県 立 図 書館
最上最1 花 史料
350
蔵
"
"
の 1'1 然 と 産物 を さ ぐ る
( 若松 多 八 郎 )
365
366
"
"
"
"
( 尾花 沢 市 )
尾花沢風土記
( 山形 県 )
山 形 の I�n
( 今 回 信一 )
367
べに ぱな閑話
368
�� ー伊勢半百七十年 史 ー
( 沢 田 亀之助制)
369
判 1Ë幻氾!
( 真壁
370
奥州道
371
染織 と 生 活
372
�d 花染
373
最上 川 の 文 化 を 尋 ね て
二
"
"
"
"
"
仁)
江戸 時 代 図 誌 8
No. 2
日 本 の 染織18
番号
資
名
料
点数
所
蔵
者
( 東根工業高等学校図 書 館 )
374
375
大口恨ベ ニ 花 込場実践記録集
!
( 大高 根 地 区 公 民 館 )
第 7 回 日 本学 生科学賞
今'・校'i't 1 位 入 賞 記 念 誌
376
( 米沢 市 立 第 二 中 学校 )
最上利 花 ( 観光資源保設 財 団 )
377
紅 花 に !刻 す る 調査資料
昭和 55 年度
山 形 県立図的館
"
"
"
( 県 図主主特産謀)
378
最上最T 花資料 展 ( 県 立 図 書 館 )
379
ふ る さ と の染料植物
380
紅花の作 り 方
"
"
( し ばた は じ め )
"
( 県 利 花生産組合連 合 会 )
381
"
まI:ft思 し 、 イ寸 片 々 記
( 佐 藤 八 兵j:;tj)
382
"
や ま が た 向 1':入、 と 文 化
( 桜l 倉 亮 吉 )
383
"
山 形 県 関 係 文献 日 銀 ( 未l 花 )
384
中1 花今昔日己
385
奥十H南f1lif,
(巣
! 立図書館)
( 馬 場 肇)
利 花物語
米沢市
山形市
!日場
桜辺
E在
信ニー
山村
1-l\ j長
前it!ii
fí'i
!古j 利
f万iJí
( lblit!ii 忠助 )
( 講談 社 )
匂 3&7 , 紅花納 発経過 ( 緒 俣 尚 紅 )
ト ル コ (7) �JjË
388
( 件当橋信敬 )
389
統 ト ノレ コ の 利 花 ( 高 橋信敏 )
390
未I:fË
( 佐 T(!長 ノ\. -fo,j�j)
391
( 桜井 き く )
紅 花 �J(tj� の 話
386
上杉家伝
開 米衣装凡
392
ベ ニ バナ 研 '先 ノ ー ト
393
(i,度育|げを 三 )
ベ ニ バ ナ 海 外捌査旅行 の 莱
394
( 山 形ギ1ílifJ )
山 形 県 史談
(津田信吉
395
山 本 清一郎)
日 本J也誌略 二 ( 師範学校編)
396
補�Pl車問先本
397
小学読本
398
山 形 県 地理R{!:"
399
女 子 耳目科
巻二
良平初 歩
完
全
植物教科書
( 藤井健次郎 )
米沢 r \i
米 沢 r! ï
山 形 rIï
H
"
本
"
自ii
"
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"
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N
※ 太字番号の資料 は 写真 を 掲載 し て い ま す。
以 上の資料所蔵 者の外に、
次の方 々 から、
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紅花の す べ て 展
発行 日
昭和57年 8 月
じ
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プ
山 形 県 立博物館
行ー
山 形市霞城町 1 番 8 号
(0236)45 - 1 1 11刊
TEL
正日
席 IJ
ア ベ 印 刷 株 式会社
山 形 市船 町 8 2 番地
(0236 )81 - 1951附
TEL