架橋19 1999 夏 目 次 ○小 説 檻と草原・・・・・・・・・・・・・・・・・・・磯貝治良 ○散文詩と短歌 あおあらし・・・・・・・・・・・・・・・・・・卞 元 守 厳寒の中国国境地帯からの便り・・・・・・・・・梨花美代子 ○エッセイ すべての河は海へ流れる・・・・・・・・・・・・朴 燦 鎬 村松武司追懐・・・・・・・・・・・・・・・・・間瀬 昇 わが継母・・・・・・・・・・・・・・・・・・・津田真理子 ○コラム ○会録 ○あとがき 檻と草原 いそ かい じ ろう 磯 貝 治 良 1 、 、 、 古いモノクロ写真に似た教室に充満しているのは、育ち盛りのけものが発散させる、肉 ほて 、 、 、 体の熱り。それにはふさわしい臭気が付着して、まぎれもないけものの体臭が教室を満た している。 かたき 、 肉体の熱りも体臭も、彼らに固有の言葉を持っていた。沈黙が 仇 であるかのように、け 、 、 ものたちは私語と、嬌声と、罵声と、嘲笑で、教室を満たす。それでも満足できず、突拍 子もなく歌声までが起こる。要するに、教室とは、稚拙ながら混沌の謂なのだ。 、 、 、 教師は、教壇にいる。ただし、けものたちの喧騒が彼になにほどか影響をあたえること はない。彼は達意の境地を偽装して、ひたすら貸借対照表の作り方を板書してみせるだけ だ。黒板にむかう彼の後頭部を、ときに背後から飛んできた紙つぶてが命中したとしても、 気付かぬふりを装うだけの芸は会得している。 こうして教室の、風変わりな秩序はできあがる。 ま せ この倒錯した秩序は、馬瀬一郎にとって青天の霹靂に似ていたので、まるで野獣小屋に 投げ込まれた田舎うさぎみたいに身が竦んだ。ところが一か月もすれば、うさぎは変身す る。現にいま、初老の簿記教師が黒板に向かう背にパチンコ玉を命中させて喝采を浴びた 、 、 、 のは、彼だった。教師は黙契どうりにけものの悪戯を無視する。 馬瀬一郎が、名古屋の私立高校へ進学したのは一九五三年の四月。漁港の町の中学を卒 業して、知多半島にある高校の受験に失敗し、急遽、名古屋の高校を受験したのだ。 受験の日、まず一郎を驚かせたのは、大正時代に創立されて伝統と歴史があり、野球部 の存在が有名な学校の木造校舎が、あちこち板塀は破れ、廊下を歩けば軋み音を立てるこ とだった。二階へ通じる階段は薄暗く、教室や廊下の窓は、随所にガラス代りの厚紙を貼 きずあと ってある。校舎は、暗鬱な体を横たえて傷痕の痛みに喘いでいるふうだった。 一郎が入学するなり度胆を抜かれたのは、一年生クラスにしてすでに教室には約束ごと ヒ エラ ル キー のように暴力の階層集団が形成されていたことである。階層集団の頂きに君臨しているの は、ホワイトとかダイマルとかの符牒で呼ばれる悪党であって、すでにプロフェッショナ ルやくざの風体を漂わせている。符牒で呼ばれる悪党の周縁ないし下層には、ヒロとかサ グルッペ ダとかテツとかの疑似符牒で呼ばれる小悪党が集団を形成している。そういった暴力の階 層集団の底層を形成しているのが、辛うじて戸籍名を維持している多数者集団なのだが、 、 、 、 彼らもまたけものじみた体臭と熱りを発散させ、風変りな秩序の構成員であることにかわ りない。 一郎は、竦んだ四肢が日に日に弛み、着実に野獣小屋に溶け込んでいく自分を感じてい 、 、 、 た。一か月余のあいだに一郎の内のけものは着着と生長しつつあった。一郎が上級生数人 の呼び出しを受けたのは、そんな時期だった。 放課後、一郎はクラスの誰にも打ち明けずに単身、L形校舎の東外れにある倉庫へ向か った。倉庫は鉄路沿いの土手に接して、そちらへ傾きかかっている。かつては何に使われ すた ていたのか、現在は廃れた空き屋になっていて、上級生たちの溜り場になっている。そこ では喫煙ばかりではなくヒロポンが射たれたりもするという噂を聞いている。 倉庫の扉を軋ませて開けると、薄暗い中に上級生が屯ろしてタバコの廻し喫いをしてい る。地面なりの床に尻を下ろしたり、壊れ椅子に掛けたりして、四人いる。 一郎の姿を見るなり咄嵯に立ち上がった四人の表情に、単身で現れた相手への驚きが一 瞬、掠めた。 がん 「てめえ、おれのダチに眼つけたろ?」 ね 椅子に掛けたのが一郎を睨めつけたときには、一人が扉の前に立ちはだかり、ほかの二 人は一郎の両脇を固める位置に移動した。椅子に掛けたまま口をきいたのは、薄色の伊達 眼鏡を掛けている。制服の釦すべてを外して威嚇の姿勢だ。 一郎は返事のかわりに、周囲に視線をめぐらす。壁際にがらくたが積まれているほかは リング一つ半くらいの空間なのを確かめる。伊達眼鏡が椅子から立ち上がった。一郎が気 持のなかでファイティングポーズを取ろうとしたときだった。両脇の二人に左右の腕を逆 げそばん 捩じに抑えつけられ、正面から足蹴が股間へ飛んできた。 「汚ねえぞ。いちごろ(一対一で闘うこと)でやったりや」 咄嵯に急所だけは外して、一郎は叫んだ。思わず漁港の町の言葉がついて出る。 伊達眼鏡が、一郎の腕を離すよう二人に目配せした。二人は一歩退き、右側のが制服の 上衣を脱ぎ捨てて構えた。 一郎は相手の虚を突いて四肢を躍らせ、遮二無二左右のパンチを繰り出した。正確な間 合も距離も測る余裕などなかった。ナックル・パートが相手の顔面を確実にとらえる。そ の感覚に促され、打ちつづけた。どす黒い快感が体のうちに走り、恐怖が消えていくのを 感じる。一郎は得体の知れない獰猛な感情に衝き動かされた。五里霧のうちに右、左、右 ……体ごとぶっつけるように連打をぶち込みながら、鼻面めがけて頭突きをかませた。相 手の体は脆く沈み、壁に背を打ちつけ、積まれたがらくたの上に崩れ落ちた。振り返ると、 伊達眼鏡がそれを外すなり襲いかかろうと構えていた。 きびす 一郎は瞬時に 踵 を返した。背を向けるなり、外へ走り出た。背後で怒鳴る声を聞いたが、 意味は聞き取れなかった。 校庭の裏沿いに駆け抜け、教室の棟と講堂とを隔てる渡り廊下まで来て、走るのを止め た。校庭へ抜ける通路を過ぎ、プールサイドへ出たところで、胸の動悸が激しく摶ってい ることに気づいた。 。両手の拳と股間のあたりに疼くような痛みが走る。鼻に手をやると、 、 、 人指し指のはらに血が薄く付いた。おれの顔は血の気を失って蒼褪めているにちがいない …… 一郎はそう思った。 翌日、登校しても、きのうの連中からは何の反応もなく、午前中、事件は鳴りをひそめ ていた。教室はいつもと変わりなく喧騒に溢れている。一郎はいつになくその空気に嫌悪 を感じた。拳の痛みはきのうより酷くなって、体の節節にも軽いそれが残っている。 教室の雰囲気が一変したのは午後になってからだ。情報はどこからどう伝えられたのか、 クラスの噂が一郎の耳にはいるころには、すでに伝聞はデフォルメされ、一郎が二年生四 人を相手にして瞬時に叩きのめしたという類の虚伝の様相を呈していた。 情報の伝令役は水泳部のサダにちがいない。きのうの四人組が水泳部の二年生であるこ と、かれらがクラブの番張りグループであること、それら諸諸の情報を一郎に伝えたのは サダであったからだ。注進するふうに告げるサダの表情には媚びの気配が浮かぶ。 、 、 、 放課後、何人かのけものが一郎を囲んで顔を並べた。彼らの顔にはサダと同じ表情があ った。 おれのまわりに怪しい悪の輪が出来ようとしている…… 一郎はそう感じた。 、 、 、 育ち盛りのけものたちであれば、その集団の形成と生長ぶりは目を瞠るものがあった。 集団は、まずクラスを制圧し、それを皮切りに学年全体の支配権を掌握。夏休みをむかえ る頃には上級生からさえ暗黙の承認を得て介入をゆるさないほどの勢力に成長しようとし ていた。 そうなれば集団はひっきょう、野獣小屋をぶち破って外部の世界へ行動範囲を求める。 一郎たちが数人、多いときには十名をこえる徒党を組んで、学生の往来が激しい駅の構内 や百貨店を徘徊し、スケートリンクやお好み焼き店に屯ろするようになったのは必然のな 、 、 、 りゆき。そこでは他校のけものとの暴力沙汰、カツアゲ(恐喝)、売名合戦が付きもの。小 、 、 、 競り合いの域を出ない喧嘩の繰り返しにしても。伝聞だけは確実に流されるのがけものた ちの世界。そうして外部世界での支配力と虚名は徐徐に高まる。一郎が、特異なニュアン スをふくむ、イチローの符牒で呼ばれるようになるのに、時間はかからなかった。 それでも彼は、一郎とイチローの使い分けだけは怠らず、学校の授業をサボタージュす ることはめったになかった。徒党を組んで外部世界を徘徊するのは放課後のこと。そのあ たりが、チンピラの本流から外れてアマ集団とみなされる由縁だった。 一郎が授業を怠らない理由は、教室での居心地が悪くはなかったからにすぎない。殊に、 、 、 、 金ちゃん担当の英語、もんた担当の国語の時間は、勉強する気持が起きる。 大学を卒業して一郎たちの入学と同時に赴任してきた金ちゃんは、ほかの教員から、金 子先生、と呼ばれている。しかし、生徒のなかにそう呼ぶ者はいない。入学最初の授業の 折、「金哲史」と黒板に板書して自己紹介したかちだ。彼は、キンテツシとそれを読んだ。 それで「金ちゃん」と呼ばれることになったのだが、梅雨も盛りの蒸し暑い日、下着のラ ンニングシャツ一枚にステテコ姿のままスリッパをつっかけて教室にあらわれ、拍手喝采 を浴びたりして、そんな人柄がまた「金ちゃん」を定着させるのに寄与しだ。 大学では英文科ではなく哲学を専攻したということで、カントとかデカルトとかニーチ ェとか、一郎たちにはチンプンカンプンの方向へ脱線する。誰かが、 「何んだ、それ? 洋 モクの名前か」と茶茶を入れて、金ちゃんはたちまち赤面した。大きな体を持て余すふう に教壇で立ち往生している金ちゃんの顔が、みるみる憤怒の表情に変わる。とはいっても、 血の気ののぼった顔を、困惑と羞恥とが微妙に交錯する、特異な怒りだ。特異な憤怒の表 情を浮かべて、金ちゃんは茶茶を入れた奴の席へ行き、ためらう様子もなくスリッパを脱 ぐと、そいつの横面を張り飛ばした。教室が、どッと沸いた。反感の雰囲気はない。畏敬 のこもったどよめきだ。 いちもく よ 一郎は、そんな金ちゃんに一目置くようになっていた。一目置く理由はその一件だけに因 るのではない。金ちゃんの授業の時、ヒロ(達城英徳)をはじめ星山、徳山、木村、大山、 新井といったクラスの朝鮮人生徒たちが、なぜか神妙にしている。その不思議に気づいた ころから、一郎は金ちゃんに一目置くようになっていた。金ちゃんの英語授業が、生徒の 水準に合わせてか、中学一、二年生で習った内容であるのも、一郎は気に入った。その授 業は一郎によく解った。 、 、 、 、 、 、 もんたの国語の時間も、一郎は気に入っていた。もんたが在野にあって江戸軟文学の権 威であり、ラジオに出演してその方面の講話もするという噂が、なにほどのことなのかを 一郎は理解していない。しかし、見事な口髭をたくわえ、和服に袴を着けて雪駄履きで教 室へ現われる異形の人物に、一目置かないわけにはいかなかった。授業にも魅力がある。 、 、 、 教科書は全然、使わない。島崎藤村の『破戒』などをけものどもに輪読させる。文庫本の それを二頁ほど朗読させては隣へ廻すのだが、その際に決まってコメントを付す。「流暢に 読むだけが能ではない。君の朗読には間が欠けとる」。朗読には自信あり、とばかりにトチ 、 、 、 リも漢字の読み違いもなく一気に読み終えて内心、鼻にかけている一郎に、もんたはそう 言った。 、 、 、 もんたは国語の授業に作文をよく書かせる。一郎は作柄に小説の趣を工夫して一篇を書 、 、 、 き上げる。勢い込んで待ち受けたもんたからの講評は、しかし肩透かしを食わせるものだ った。「文章に装飾は不要。君の文章には不潔な思い上がりがある」「原稿の書き順に誤り あり。名前は題名のあとに一、二行空けて書くこと」。返ってきた作文用紙の空白部分に、 、 、 、 もんたの堂堂たる太字ペンの筆跡でそのように書かれてあると、内容はそっちのけに一郎 の気分はよかった。 、 、 、 威風堂堂たるもんたにも、時に不遇への鬱積を稚気のうちに吐露することがある。前の 、 、 、 時間に騒ぎまくってその余韻がけものたちを野放図にしていたときだ、次の授業が始まり、 、 、 、 もんたが教室に登場した。誰が合図を送るでもなく、「もんた、もんた。もんた、もんた」 、 、 、 の大合唱が起こった。もんたが呆然としたのは、数秒の間だった。 、 、 、 「ばかもん!」そう怒鳴ったとき、もんたの顔は怒髪天を突かんばかりの形相に変わり、 、 、 、 ね 炯炯たる眼光を放ってけものたちを睨め廻した。そして、わしは本来、このような場所で 餓鬼どもを相手に授業など講じているものではない、新聞社や出版社が先生、先生と頭を 下げてくる、有名な学者なのだ――そのような意味の言葉を吐き捨てるなり、教室を出て 行ってしまった。 一郎は、なりふり構わず憤怒の形相をあらわにし、捨てゼリフみたいに内心の鬱屈を吐 、 、 、 露したもんたに、妙な親近感を覚えた。 、 、 、 もんたの国語や金ちゃんの英語の時間のほかにも一郎が敬意を払う授業は、桜井が担当 する社会科だ。桜井は、教室で生徒の席に着いたなら最前列あたりが恰好の小男。痩身な うえ、胃腸病みたいに蒼白の顔をしている。その蒼面には強い癇癪性の相が表われている 、 、 、 のに、けものどもがどんなに授業妨害の挙に出ても、意に介さない。痩身短躯に似合わず 野太い声で「女工哀史」について、アメリカ占領軍に犯された農婦について、その類の話 ばかりを語って聞かせ、授業のベルが鳴る五分前には決まってさっさと教室を出ていって しまう。 一郎がそういう授業に魅かれて社会科が好きになったというのではない。桜井に一自置 リ ンチ いているのは、彼が軍隊に行ってたとき、上官に反抗して凄まじい私刑を喰らい、左耳の 鼓膜を破られて聞こえないという噂を聞いてからだ。 ある日、ホワイトとダイマルが彼らの兄貴分とかいう男を学校へ連れてきた。男は白ず くめの背広とズボンを着けて白のエナメル靴を履き、授業中の教室を覗いては廊下を徘徊 した。手には木刀を下げている。時時それを振り下ろす仕種を見せたりする。午後のかか なり りあたりに姿を現わし、二時間ほども粘っている。職員室は鳴をひそめるばかりで、男を 排除しようとする教員は、いない。 ちょうど一郎たちの教室では桜井が社会科の授業をしていた。徘徊中の白ずくめが通り かかって廊下から教室の窓を開け、覗くふうにした。そのときだ。桜井が間髪入れず教室 を飛び出すなり、白ずくめに向かって校舎から退去するよう命じた。廊下の真ん中で二人 の押し問答がつづく。それはほんの短いあいだだった。桜井が凄まじい剣幕で叫ぶなり、 白ずくめの背広の襟を柔道の組手みたいに掴んだ。一度は戦争で死んだ命だ、おれを殺し てみろ――桜井はそんな言葉を叫んだのだった。彼は、襟首を掴んだまま白ずくめの体を 攻め立て、廊下の端へ追い込む。自分の眼線が相手の胸の位置にしか達しない小男が、白 ずくめの木刀男を攻め立てる図は、どこか滑稽でもあったけれど、桜井の剣幕は到頭、相 手を校舎の外へ追い出してしまった。 桜井は教室へもどると、いつもよりいっそう蒼白な顔のまま授業を再開した。そのとき に もく 以来、一郎は桜井と社会科の授業に二目置くことにした。 一郎が授業を怠ることなく登校したのはそんなわけで、教室の時間が苦痛ではなかった お がわ からだが、期末試験の一週間ほどまえ彼は珍しく午後から授業をサボタージュした。緒川と いう町の祭りに行くためだ。 緒川は一郎が通学に利用する国鉄武豊線の途中にあって、グループのメンバーであるト シハルの家がその町にある。トシハルは、徒党を組んで百貨店を徘徊するときなど、エレ ベーターガールに「おねえさん、エレベーターの切符売り場はどこですか」と、糞真面目 もん とぼ に訊ねたりする頓知者だ。恍けた才気にたけているうえ悪行をする度胸もなさそうに見え ひょうきん る剽 軽 者が、なぜグループの尻にくっついて行動するのか、一郎にはよくわからない。時 時、遊びのアイデアを提供するのが、自分の役割と心得ているらしい。 トシハルの誘いにのって一郎、いやイチローは授業をサボり、ヒロ、サダら数人と連れ 立って緒川の町へ乗り込んだのだった。 名古屋から二十キロほど離れた、小さな町。祭りといっても山車が出るわけでも御興が 練り歩くわけでもない。そのかわり神社の境内で馬駆けの神事が行われる。 駅前から低い山稜の方向へむかって神社に近づくと、舗装されていない道の両側に田舎 の祭りに馴染みの露店が並んでいる。紡績工場が並ぶ町のこと、町通りには浴衣着の織子 たちの姿があって、それなりに祭りの華やぎである。 そこへ、襟高の学生服のボタンを外し、裾幅の広いラッパズボンをピラピラさせた高校 生が数人、登場する。初夏の陽射しを浴び、肩で風を切る心づもりなのだろう、底厚のラ バーソールで砂道を蹴立てて行く姿は、異様でさえある。浴衣着の織子には目もくれず、 通りを神社のほうへ。さしあたり硬派の構えなのだ。 神社の境内では、張り巡らされた柵に見物人が群がり、一周二百メートルに満たない柵 の中を馬が駆けている。馬体を造花で飾り、駆けるたび飾りの鈴を勇ましく鳴らすが、い ずれも馬車屋か農家から日当付きで駆り出された駄馬にはちがいない。二、三周ごとに交 、 、 、 替するきまりらしいが、一周もせずに高く嘶き、前脚を蹴上げ、廻れ右をして、いま来た 花道へ舞いもどってしまうのがいる。観衆のなかには竹の棒を手にした若い衆が随所にい て、馬が眼前を通るたぴ上半身を柵から乗り出しては、馬体をところかまわず打擲するの だ。竹棒を振り下ろすとき、若い衆の顔は興奮のため醜悪に紅潮する。ところが数頭いる 馬のうちに一頭、愚直にも柵際いっぱいに沿って駆けるうえに四周も五周も馬場を廻るの がいて、そいつは惨酷な見物人のひときわ高い歓声を浴びながら目に涙をためて走った。 イチローたちは、残虐な感情を体のすみずみにまで孕ませたまま、神社の境内をあとに した。揃いも揃って残忍な表情に醜く汗を滲ませ、冷酷な笑いさえ浮かべている。力まか せに何度も振り下ろした竹棒の感触が掌に残っている。 露店の並ぶ通りを駅のほうへ引き返す途中、通りすがりの男に彼らが声をかけたとき、 そんな感情がまだ体のほてりとなって残っていた。 駅の方向からこちらへやって来る男は、派手な柄のアロハシャツを着て足駄を履き、右 手に一升瓶をぶらざげている。足もとが少し覚束ない。酒気を帯びた顔に一筋の頬キズが あり、眉毛に墨をひいているのに気づいたのは、男が目近かに来て擦れ違いざま、ヒロが 声を掛けたあとだ。 「にいさん、一人で機嫌ようしとらんと、ぼくちゃんたちにも一杯、飲ませたりゃあ」 行き過ぎかけて男は振り向いた。男が顔色を険しくして何か言おうとしたとき、トシハ こら ルが取りなすふうに素早く間にはいった。トシハルが、勝五郎さん、堪えて、行ってくだ きびす さい、というふうなことを言い、それで男が 踵 を返そうとしたときだった。 「にいさん、ちょっと顔貸したりゃあ」 言うなり駅の方向へ歩き出したのは、イチローだ。男は、おー、と応じて、気合を入れ る歩調でイチローと肩を並べる。あとから従っていく、トシハルが困りはてた表情をして いる。 駅舎の裏手、雑草の生える線路脇に、保線工事の工具類を入れるらしい小屋があって、 その蔭でイチローたちと男は向か一い合った。 男とヒロのあいだにやりとりが始まろうとしたとき、いきなりイチローの体が躍って、 男の手から一升瓶が落ちた。不意をつかれた相手は物置小屋の板塀に音を立てて背を打ち つけ、ずるずると腰から沈んだ。トシハルとサダが駆け出し、イチローとヒロもあとを追 った。イチローが男に殴りかかってから逃げ出すのに、十秒の間もなかった。 それから十分後、イチローたちは、トシハルの家に雁首を並べていた。トシハルの家は、 こ うば 家内工場の規模ながら織布の仕事をしていて、二階家の住居は工場と棟つづきになってい る。そこの居間で、イチローたちは最前の一件を笑い話にしながら祭りの馳走を食べた。 家族が祭り見物に出払っているのを幸いに、酒を飲み、その勢いに乗じて春歌を唄う。イ チローは、祭礼の日でさえ家でおおっぴらに酒を飲んだことはない。だから、家人が留守 とはいえ、酒をふるまうトシハルに驚いた。ヒロやサダも酒を飲み慣れているふうだ。ど もん こで覚えるのか、皆、春歌も歌い慣れている。イチローは自分だけが漁港町育ちの田舎者な 、 、 、 うえ、ひどく幼稚に思えた。けれど、そんな劣等感はおくびにも出さず、春歌に手拍子を 合わせた。 ところが、笑い興じた武勇談も、酒も春歌も、たちまち吹っ飛んでしまった。家人が帰 あいくち って、例の男が、怒り心頭に発する形相で、匕首を持って町通りを徘徊し、報復のために イチローたちを探し廻っている、というのだ。仲間にトシハルがいた以上、男は早晩、こ の家にもやって来るだろう。 家人の忠告によって、イチローたちは玄関に脱ぎ捨ててあった靴を手に手に二階へ避難 した。身を潜めて難の去るのを待つあいだに、イチローたちは男の素姓を知らされたので ある。男は四代目緒川の勝五郎と名乗って、この町で唯一、侠客を自負している人物だと いう。 案の定、四代目侠客は、イチローたちが潜む家へやってきた。階下で声高のやりとりが 何分か続いたが、家人の奮闘あって男は退散した。陽が沈み、イチローたちはその家を抜 け出した。夜陰にまぎれて隣の駅まで歩き、そこから名古屋方面と武豊方面とに別れて汽 車に乗った。 なり 一件があってのち、徒党のあいだに暗黙の気配がながれた。しばらくは鳴をひそめて自 重しよう。ところが。一週間と経たない間に、そんな暗黙の意思は雲散した。一件が見事 、 、 、 に脚色され。由緒あるやくざと渡り合って叩きのめしたという伝聞が、けものたちのあい 、 、 、 だに広まったからだ。けものたちの世界で虚伝は不可思議な伝播力をそなえている。イチ う あく ぶ ローの虚名は時に「早撃ちのイチロー」などと形容されながら、悪振る高校生のあいだに 、 、 、 浸透した。およそけものたちが徘徊する場所で、徒党は畏怖と服従と羨望のまなざしを向 けられるようになり、一種の権力宇宙を形成する。 日日、伝聞が広がるうち、イチローは薄色付きのサングラスを掛けるようになる。硬派 やに トレードマーク を気取る彼にしてみれば、脂下がるつもりはないけれど、ともかくそれはイチローの 標 徴 となった。サングラスの奥でそれらしく光る目つき相応に容貌もまた、どこか作りものめ まがまが 、 、 、 いて凶凶しく変容するのが不思議だ。そしてイチローの体からは、ほんもののけものの臭 なま いが生ぐさく漂いはじめる。 夏休みにはいって徒党の行動圏が県外に仲びると、彼らの虚名が広範囲にわたっている 事実が証明された。 鈴鹿山系に位置する御在所岳。その内麓にある湯の山峡は、名古屋から近鉄電車を乗り 継いで約二時間。イチローたちはそこのバンガロー村でキャンプを楽しむことにした。 言い出しっぺはトシハル。それに徒党の常連であるヒロとサダが顔を揃える。ところが、 キャンプには徒党メンバーとは水と油の顔ぶれが彼らのクラスから合流した。村井のおじ さん(この級友は中学を卒業すると長野県や新潟県で山の工事飯場を転転としながら十年 近く働いたあと、高校に進学。高校一年生ですでに二十歳代なかばの年齢なので、そう呼 ばれる) 、五東サーチャ、福山弘洙、それに北原白秋の詩集だかを小脇にかかえて廊下を歩 く癖のある夫馬敬成までが加わっている。いずれも東方商業高校一年B組では珍しく並の 向学心を持ち、性情穏和な連中なのだ。 声をかけたのは、トシハルであるらしい。その誘いに彼らが乗った理由が謎だ。クラス の風紀を改革するために、村井のおじさんを先頭に虎穴にはいろう、との魂胆でもあるま い。教員室が黒幕になって彼らを差し向けたとも考えにくい。イチローたち徒党の虚名に 心服して、というのはさらに考えにくい。ともかく理由は謎のまま、徒党と良識派は二つ のバンガローに分かれて、キャンプにはいった。 最初の日、すでに何かを予感させるように、湯の山峡に雷鳴が轟き稲妻が走り、凄まじ い雨がキャンプをおそった。 御在所岳の内麓にあたる湯の山峡は、樹液の匂いが空気にまで染み込んでいそうな樹樹 によって四囲を囲まれている。小さな渓谷の底みたいに視界を閉ざされて山系を望むこと はできないけれど、ときに樹木のあいだを渡る風が山稜の真近かなことを知らせる。その 樹樹のあいだを、風の通い道を空けるふうに縫って、渓流(といっても普段は細い疏水ほ どの流れだ)が走っている。バンガローはその渓流の両側に並んでいる。密集とも点在と も違う、頃合の並び方で、二十個ほどは建っていようか。それぞれの側のバンガローを往 き来するのに丸木橋もあるが、石場を伝って足も濡らさずに渡れる個所が随所にある。 イチローたちが陣取るそれはバンガロー村の上手にあって、下手のあちこちには大小さ まざまのグループが見える。ほとんどが高校生らしき群れで、なかに男女混合のグループ もいる。 型通りキャンプの真似事が進んで、樹木におおわれた山峡のどの方向に陽が沈んだのか も見当がつかないまま夕昏れて、闇が濃くなりはじめた時分だった。未知の町で打ち上げ られる祭り花火に似た音が、北東の空から聞こえはじめた。なぜか童話的なその音は、イ チローたちを油断させたが、幽かな閃光が一度、闇の空を走ると、急に激しい響きに変わ った。雷鳴は、山稜を一足飛びに幾つも越えて、たちまちに近づいてきた。笛鳴が轟き、 間合いを置かず稲妻が高みの闇を裂く。閃光が黒い樹木のあいだを突き走るようにおもえ たとき、雨はすでに樹樹を打ち、バンガローを叩き、地軸を揺るがして、凄まじい形相だ った。 雨の凄さは地をも揺るがすものだということを、イチローは初めて知った。闇が光を放 スパーク つ、ということも知った。凄まじい音を立てて降りしきる雨が、漆黒の空間に放電して、 仄白い光を放つのだ。 イチローたちがバンガローのなかで声を飲み、闇が放つ仄白い光を見つめていたときだ った。床高一メートルほどの小屋の入口に、ずぶ濡れの髪もおどろな蒼白の顔が二つ、突 然、現われた。イチローたちは度胆を抜かれたが、次の瞬間には二人を小屋の内へ引きず り上げていた。彼女たちが叫んだのが、雨音に掻き消されてよく聞き取れなかったとはい え、助けを求めていることはすぐ判ったからだ。 豪雨は三十分ほども降りつづいたろうか。イチローたちは、二人の少女をバンガローの 奥に保護するふうな心意気で座らせ、自分たちは吹き込む雨に半分、体を濡らしながら、 時を過ごした。二人が名古屋から来た中学生であること、教師に引率された男女三十人ほ どのグループで下流のバンガローに泊まっていること、夕暮れまえにルール破りの児戯心 から二人だけで山歩きをこころみるうち日が沈んでしまい、篠突く雨に見舞われて、よう やくこのイチローたちのバンガローに辿り着いたことなど、時を過ごすあいだに途切れ途 切れに聞き知った。 地面から一メートルほどあるバンガローの床高、三分の一あたりまで水が浸水してきた や 頃、雨は嘘のようにピタリと止んだ。降りやんだとおもう間もなく、樹樹のあいだ、振り 仰ぐ暗黒の空に手がとどくかとおもえる低さで星が瞬いている。床下を浸していた水も、 肉眼でとらえられるほどの速さで干いていった。 豪雨から解放されたイチローたちは、さきほどまで彼らを慄え上がらせていた恐怖に意 、 、 趣返しでもするように、期待していたキャンプファイヤーがふいになったことを口口に罵 った。女子二人のまえでそんなふうに恰好をつけているのだということに、彼ら自身が気 づいていた。 昼間、細ぼそと流れていた渓流は、依然、激流に豹変したままだ。二人が激流の向こう 側にあるキャンプへ渡るのを諦めたので、彼女たちはイチローたちのバンガローで夜を明 かすことにした。夜中、イチローが何かの気配に気づいてサダのほうへ顔をめぐらすと、 二人に隣合わせて寝ているサダの手が彼女たちの一人の下腹部をまさぐっていた。サダの 手がすでに女の子の着衣の内側にすべりこんで、しきりに動いているのに、彼女のほうは 拒むでもなくおとなしくしている。イチローはいきなり半身を捩って、効き腕の左拳で思 い切りサダの顔面を殴りつけた。 朝、小屋を出ると、樹樹の枝葉が強烈な陽差しを散らして、山峡の空気は緑と銀色に染 じか まっていた。青空が眩い光そのものになって直に降り注いでいるようだった。夜の濁流も すっかり干いて、渓流はもとのささやかな流れに戻っていた。 緑と銀色に染まる、不思議な空気を一息に吸いこんで、トシハルが誰にともなく訊ねた。 「夜中に、悲鳴みたいな声、聞かなかった?」 イチローが殴りつけたときサダが大袈裟に上げた呻き声のことを言っているのにちがい ない。イチローは空とぼけて生返事をしながら、サダを見た。サダは鼻の孔に紙を差し込 んでいる。サダが呻き声を上げたとき、女の子は驚いて寝呆けたふうに上半身を起こした が、そのときサダの鼻から血が滲んでいるのに気づいて詰めてやったものにちがいない。 二人は、彼女らが一夜、帰らず、下流のキャンプ場では大騒ぎになつているだろうに、 すい お礼のために朝の炊さんを手伝うと言ってきかなかった。サダに児戯されたほうが特に熱 心だった。彼女は中学三年生とは思えない大人びた艶めかしさを全身に漂わせて、甲斐甲 斐しく立ち働く気配だった。イチローたちは大いに喜んだけれど、結局、二人は彼女らの キャンプへ急ぎ帰ることになった。隣のバンガローから良識組が来て一部始終を聞き、村 井のおじさんがそれを主張して退かなかったからだ。良識組の五東サーチャと福山弘洙が 二人を送っていった。イチローたちはぶつくさ愚痴りながらも、村井のおじさんには楯突 きもできず、自分たちで飯盒炊さんの準備に取りかかった。 湿った枝木を苦労して燃やしつけ、ようやく飯を炊きはじめてしばらく経ったときだっ た。渓流沿いの道を懸命に走ってくる福山とサーチャの姿が、イチローたちの目にはいっ た。石伝いに渡る余裕さえ失っているのか、水しぶきを散らしながら二人が流れを渡って くるとき、サーチャの顔に出来立ての痣が浮かび、血も散っているのが見えた。 サーチャは怯えたふうに表情を強張らせ、興奮して、下流のほうにキャンプを張る十人 ほどのグループにやられたことを告げる。福山は無傷なせいか、落ち着いている。二人が 女子中学生を送っていく途中、彼女らのキャンプから少し手前(上流)にいた高校生グル ープが冷やかした。二人はそれにはかまわず行き過ぎて、中学生二人を彼女らのバンガロ ーに届けた。案の定、キャンプでは二人の仲間が消えて一晩中、大騒動だったらしい。サ ーチャと福山は引率教員に事の顛末を説明すると、早早に引き返す。途中、最前の高校生 たちグループの傍を通りかかったとき、ふたたび彼らが二人をからかった。こんどは黙っ て過ぎ去るのも悔しくて、サーチャが一言、返した。小心・内気の性格がそのまま風態に あらわれているサーチャのこと、とても威勢よい啖呵とはいかず、ふにゃふにゃと口をと がらせたにすぎないだろう。それなのに、たちまち数人に襲いかかられて成すがままにや られてしまった。福山が見かねて割ってはいり、渡り合ったけれど、多勢に無勢、深手を 負うより先にと逃げてきた。 福山とサーチャが顛末を報告しているあいだにも、イチローは駆け出した。ヒロ、サダ、 トシハルがつづいた。石伝いに飛んで四人が渓流を渡った頃、村井のおじさんたち良識組 があとを追う。 イチローたちは駆けながらも道道、恰好の棒を拾ったり枝を払ったり、武装する。目的 、 、 、 のグループはすぐに判った。イチローたちけものの徒党と似たり寄ったりの風態で、十人 ほどがバンガローのあたりに群れている。 喊声こそ上げなかったけれど、その気合でイチローたちは群れに殴り込んだ。誰彼かま うことなく、遮二無二、棒を振るった。相手の肉体を打つ手応えに煽られて、野性の臭い を体じゅうから撒き散らす。イチローの手にした棒が折れた。棒きれを投げ捨てると、彼 は、右、左、右、左の呼吸で休みなく目のまえの相手にパンチを浴びせた。 不意を喰らった群れは、ほとんど抵抗する暇もなく蹲ったり、背を向けて散った。そん ひる ななかに一人、ズボンのポケットからジャツクナイフを取り出して構えたのがいる。怯む 気持がイチローの姿勢に出かかったとき、横合いから棒を構えたヒロがそいつに詰め寄り ながら叫んだ。 「てめえら、トーホーのイチローを知らんか」 一瞬の間があって、ジャックナイフを構えたのが両手を垂れた。 十人ほどの連中が地面に膝を屈して並び、やくざ映画まがいに土下座の場面を現出した のは、それから三、四分あとのことだ。ちょうど良識組が渋渋、あとを追ってきて顔を揃 えた頃。すべてヒロの演出である。 「五東、おまえをやったやつを好きなだけ殴れ」 ヒロがサーチャを促した。サーチャが立ちつくしたままなので、ヒロは三度、同じ言葉 を繰り返して煽った。サーチャは、罪は自分のほうにあるといつたふうつきで、俯向いた まま後退りした。 ヒロが土下座の一人を蹴上げたとき、イチローは訳もなく腹立たしくなって腫を返し、 歩き出した。 イチローの夏休みは、キャンプ場の事件を墓標に葬られ、過ぎた。 、 、 、 新しい学期が始まると、けものの徒党はいっそう図に乗って、悪臭を撒き散らし、傲慢 にふるまった。湯の山峡のキャンプ場で一戦を交えた高校生は名古屋から六〇キロほど離 れた隣県の私立高校生だったのに、 「トーホーのイチロー」の虚名がそのあたりまで「鳴り ひびいている」 (仲間のトシハルの表現)のを知って増長したのだ。授業を抜ける日がふえ た。カツアゲ・カッツン・カツラギ(いずれも脅迫して金品を奪うことの隠語)の手口が 傍若無人になった。行動範囲が岐阜、四日市、浜松など他県にひろがった。 そんな日日、イチローの変化が仲間たちを驚かせた。彼は、徒党を組んでする行動に嫌 悪を覚え、単独行動に転じたのだ。仲間たちにとってそれは突然の異変に思われたけれど も、イチローにはそれなりの経過があってのことだった。キャンプでの一件の折、すでに 降伏状態の相手を一列に土下座させ、ヒロが鼬の最後っ屁みたいに足蹴を食わせたとき、 無性に嫌悪を覚えたのが、異変の始まりだ。ヒロは汚ねえことをする……。あのときそう 、 、 、 、 、 、 感じたのが、付きまとっている。不思議なのは、彼が単独行動に転じたからといって、けもの の習性から抜けようと決意したわけではないことだ。単独者であることが、いよいよけもの の本性を発揮させるかにみえた。 ちょうめい よー、長 明 君じゃ、あーりませんか……。イチローは、時計と貴金属売場が並ぶ二階の 通路をぶらぶらするうち、婦人服売場のマネキン人形のむこうに五、六人の高校生の群れ を見つけて、腹のうちに呟いた。 この日も、四時間の授業をきっちりと受けたあと、市街の中心にある百貨店を一人、徘 徊していた。カモを物色していたわけでもないのに、先方からネギをぶらさげて登場した という按配だった。それで内心、北叟笑んだ、その気分のままに呟いたわけ。 、 、 、 国語の時間にもんたが、鴨長明という鎌倉時代の歌人の話をしたのは、つい二週間ほど 、 、 、 前のことだ。なんの変哲もない授業内容だったのに、けものたちは由緒ある歌詠みの名に だけは臭覚鋭く食いついた。何かの拍子にカモにされる級友がいると、以来、長明君、と 呼んで囃すことになった。 学生帽をあみだに被ったり、服のボタンを外したり、ラッパズボンのポケットに手を突 、 、 、 っ込んだり、思い思いにけものの風情を演出する長明君たち。その群れへ、イチローは近 づいて行く。 「よー、長明君たち、こんなところで何よたっとるの」 群れに体を突き入れるなりイチローは言う。不意を食らって、群れに動揺が掠める。そ れは一瞬のことで、四囲に殺気が走った。イチローが殺気立つ気配を四方に感じながら向 ね き合った正面に、なんだ、こいつ、と睨め返す顔がある。そいつが群れの中心であること はすぐに解った。上背はイチローより低く、ずんぐりとした体に、学生服の着方が妙にき っちりとしている。帽子の被り方までが進学校の生徒みたいに几帳面だ。とりたてて凄味 があるというのでもないのに、沈着さが変に圧迫感をあたえる面貌だ。 これまでに出会ったどいつとも異質な感じの相手は、無言でマネキン人形の傍を離れて 歩き出す。一階へ降りる階段をイチローは相手に肩を並べるようにして下りる。群れはそ のあとをぞろぞろとついてきた。 二人が踊り場に立ったときだった。相手の体が不意に床に屈んだと思うなり、壁際に置 かれていた痰壺を掴んだ。イチローが顔面に強烈な陶器の一撃を喰らったのは、次の瞬間 だった。がきッと鈍くひびく音とともに痛覚が頬骨をつらぬいた。瞬時、めまいが走る。 それでもイチローの体は反射的に四肢を躍らせ、薄ぼんやりとかすむ視界に写る相手の顔 まと 面をめがけ、左右の拳を放った。パンチが確実に的の固い部分をとらえるのがわかった。 こめかみ 顎か、顳顬か、眉間か……。呪文みたいに唱え、シュッ、シュッ、シュッと連打の呼吸で 鼻をならし、パンチを繰り出す。痰壺の一撃は、それきり二度と来ない。 とばり 夏の太陽をまともに見たときのような、帳 のかかった仄白く乱射する視界に一筋、二筋、 赤いものが滲むのを、イチローは見た。相手の眉の上骨あたりが切れたのだ。 血だ……。 明晰な夢のなかでのようにそう思ったとたん、イチローの体は金縛りにあった。何者か が背後から彼の両腕を羽交い締めしたのだ。イチローの頬骨にふたたぴ激痛が蘇ったのは、 二つの体が隔てられたときだった。 喧嘩の仲裁にはいったのは、三人の大学生だった。彼らは、粗野な学生が集っているこ とで知られる大学の、応援団員であると同時に空手部員とかで、たまたま百貨店内を徘徊 していて、現場に遭遇したらしい。百貨店の警備貝も駆けつけて、警察へ通報すると言い 張るのを、大学生たちはなかば脅すようにして退散させた。イチローと相手はその場で左 右に分かれた。 漁港の町へ帰ると、イチローは家へ着くまえに篠原病院へ寄った。頬骨の痛みが激しく 顔の皮膚を伸縮させるのさえままならないほどだった。骨に異常はなく全治十日間ほどの 打撲という診断だ。もと軍医で麻酔も射たずに傷口を縫うことで知られる篠原さんが、執 拗に原因を問い質したけれど、イチローは、硬式ボールの強烈な打球を捌きそこねて、ま ともに顔面に食らったのだ、と言い張った。 格闘の相手が何者だったか、それを知るのに数日とかからなかった。翌日、腫れあがっ た頬に大きな湿布ガーゼを貼ったまま登校し、いつになく神妙に(頬骨がずきずきと痛ん で口を効くさえ苦痛だったからだが)午前の授業を受けて昼の放課時間、ヒロとサダが久 しぶりに教室にあらわれて、きのうの相手が国本だと告げたからだ。 国本は二年ほどまえ少年院暮しを経験し、 「ガクインのクニ」と呼ばれて県下全域に知ら れる、屈指の学生やくざ。きのうきょう成り上がりのイチローも噂は重重、知っていた。 、 、 、 侮れないのはけものたちの情報ネット、ヒロとサダはいちはやく出来事をキャッチして忠 告にきたというわけだが、二人の様子にどこか不自然な気配がある。親切ごかしの端端に、 イチローを脅かすふうな、同情するふうな、口吻が感じられる。案の定、ヒロが最後に伝 令の言葉を告げた。 、 、 「きょう三時。クニが中央線の土手に来る。一対一でなしつけるそうだ」 そう告げるヒロの顔に、徒党を組んでいたときには見せたことのない、皮肉な笑いがあ った。 四時限の授業が終わり、ヒロの告げた時刻に合わせて、グラウンドの東をはしる鉄路沿 いの土手へ行くと、千種橋の袂あたり、土手が左にゆるく傾斜して橋脚の陰になった低地 にクニが一人、待っていた。サングラスで隠して、そのためにかえって目立ってしまう大 きな絆創膏が左目の上に貼られている。それ以外、几帳面な帽子の被り方、制服の着こな しなど、きのうと変わっていない。 二人の距離が近づくほどに、意外にもイチローの動悸が高まった。対峙する位置に立っ たとき、先に口を切ったのはクニのほうだった。 「おれのことはヒロから聞いたろ? 、 、 おれもねす噛んどる身だから難しいことは言わん。 一言、詫び入れてくれたら、それで済ます」 クニの表情に怯えの影もなく、沈着そのものだ。両手を制服の両ポケットにゆったりと した姿勢で突っ込んでいる。イチローの動悸は自分でも収拾つかず、いっそう激してくる。 イチローが内心の怯えを偽るふうに冷笑を浮かべたときだった。クニがいきなり、ポケ ットから手を抜き、右手にしたものをカチッと鳴らして鮮やかな仕種で一閃させた。咄嵯 にイチローは背を向け、駆け出した。クニの手で陽差しに映えて光るそれが弧を描く瞬間 だった。 土手の傾斜を一気に駆けのぼり、電車道に出ようと橋のほうへ向かったとき、どこに待 機していたのか、四、五人の群れが橋の袂に現われた。行く手を遮ろうとするのを遮二無 二、四肢を躍らせて走り抜いた。気がついたときには、市電の停留所だった。 「あツ、馬瀬君」 名古屋駅方向へ向かう電車を待って、制服の群れのなかに五東サーチャがいた。学生服 の群れのなかで頭ひとつ抜けて長身の福山弘洙が一緒だ。顔面蒼白のイチローを怪訝そう に眺めた福山が、驚いたぶうに言った。 「背中が切れとるぞ」 その言葉がイチローを驚かせた。福山に促されるまま制服の上着を脱いでみると、その 中心あたり縦一直線に三十センチほどが見事に裂かれている。 「これは本気じゃないな、ただの脅しだ。剌す気なら突いてくるはずだ」 福山は、ジャックナイフでやられたのを先刻承知しているふうな口振り。さきほど驚い てみせたのが芝居だったかのように、落ち着いた物言いだ。 電車に乗ってからも、イチローはいまさっきの出来事について一切、話さなかった。福 すいしゃ 山に促されるまま、 「水車」近くの停留所で電車を降り、バラック建てのあいだにバタ屋や 簡易旅館が並ぷ狭い路地をついていった。路地をわざとのように幾つも曲がって、傾いた 長屋の角に出る。福山は、その一軒の薄暗い玄関に立つ。彼に手招きされ、開けっ放しの 敷居を跨ぐと、土間の右手の上がり端で四十歳くらいの小さな顔の人がミシンを動かして いる。 「アヂョッシ、これ縫ったってや」 福山が、イチローから制服を受け取りながら声を掛けると、天井からぶらさがった裸電 球一個の光のなかで、洋服屋がいま気づいたふうに顔を上げた。その容貌がどことなく、 入学して一か月ほど教室に顔を出したきり現われなくなって今はプロのやくざの道で修業 に励んでいると聞く、ホワイトに似ている、いや、福山やヒロとも似てなくはない、とイ チローは思う。 洋服屋は、ミシン機に掛けていたジャンパーらしきのの片腕を横によけ、福山から背中 の割れた学生服を受け取ると、終始、無言でそれにミシンを入れた。縫い糸の跡は隠しよ うもないが、制服はなんとか恰好がついて五分とかからずにイチローの体にもどった。 「ありがとう、アヂョッシ」 福山が言って外に出るのについて、イチローも薄暗い土間を出た。服の直し賃はどうな っているのだろう? イチローは一応、訊ねてみようと思ったけれど、黙っていた。その ことをまるで意に介するふうもない福山の様子に乗っかったのだけれど、金もなかった。 「アヂョッシ」と呼ばれた洋服屋は最後まで、刃物で切られたことが一目瞭然の学生服の キズについて問わなかった。そればかりか、終始、一言も口をきかなかったのだ。そのこ とが、あの裸電球一個とミシン機一台の薄暗い場所で仕事をする人によく似合っていた、 などとイチローは思う。 一着きりの学生服なので、イチローは翌日、背中に刃傷きずのあるそれを着て登校した。 沙汰の一部始終はクラスの皆に知れわたっているはずなのに、そのことに触れる者はいな かった。洋服屋に案内してくれた礼を、と気にしたけれど、福山がそんなこと憶えてもい ないふうな様子なので、結局、切り出せずに一日の授業は終わった。 軟式野球部の練習でも冷やかして帰ろう。教室でトレパンに着替えていると、五東サー チャが蒼褪めた顔ではいってきて、正門を出た道路向かいの砕石置場にクニたちの一団が 待ち伏せている、と注進した。 「クニは蝮みたいなやつだ」 居合わせた福山弘洙が、苦いものでも吐き捨てるふうに言った。国本をよく知っている 口吻なので、イチローはおやッと思う。イチローは福山の忠告を容れて、校舎の裏手にあ る塀をこえて逃げることにした。 日曜日を間に挟んで次の日、放課後の教室にヒロとサダが現われた。一週間前、やはり 突然に二人が登場したときのことを憶い出して。イチローは警戒した。案の定、不愉快な や ア ジ ト 知らせをもたらした。あす、やまだ家(名古屋駅の裏にあってチンピラ学生たちが溜り場に している、お好み焼き屋)へ来いと言うのだ。ホワイトの仲立ちで、クニとイチローの手 打ち式をすると言う。その時間を指定したあと、ヒロは一週間まえ伝令役で現われて口上 を伝えたときと寸分違わない、皮肉な冷笑を浮かべて付け加えた。ついてはクニを納得さ せるために三千円が必要だ……。 イチローは最初、ヒロの要求を拒否した。隠微な押し間答のすえ、結局、それを承知し た。教室に残っている誰彼なく、なかば恐喝めいた方法で金を借りて三千円をヒロに渡し た。イチローのうちにクニとの「抗争」を長びかせることへの不安があった。 や やみ やまだ家は、名古屋駅裏の「闇市」通りを一本北へはいった路地にある。戦後九年目に はいって、通りのほうは、 「マーケット街」と呼ばれるようになって様相をいくぶん変えは じめているが、路地のほうは簡易仕立てのアイマイ屋や連れ込み旅館が立て込んで一種不 穏な雰囲気を保っている。やまだ家はその一角、去年(サンフランシスコ講和条約の結ば れた年)までアメリカ兵専門の娼婦宿だったホテルと質屋とのあいだに挟まれて、あった。 けむ 「お好み」を焼く安っぽい油の臭いと煙っぽい空気が立ちこめる店内には、派手な装い 、 、 、 のお姐さんがちらほらいるほかは、学生服のけものたちがひしめいている。 「手打ち式」の 、 、 、 情報はすでに知れわたっているのか、けものたちの視線がそれらしき反応を合んでイチロ がん 、 、 、 ーに向けられる。イチローは眼を切る構えを演技してけものたちのあいだを抜け、梯子段 ふうの階段を二階へ上がる。屋根裏部屋を改造したふうな、天井の低い二階は、裸電球の し け 光が弱く、八畳ほどの湿気た畳敷きを黄色く染めている。座卓が三個、嫌に陰気臭く置か れているばかりで、部屋に誰もいない。イチローは三個の座卓の一つを選んで胡坐に座っ た。 ホワイトが、まるでイチローの登場を見計らったふうなタイミングで現われた。すでに その道のプロフェッショナルであることを誇示するふうに派手な花柄シャツの上に白のブ レザーを着け、裾の広いズボンも白ずくめだ。ホワイトは部屋にはいるなりイチローに一 瞥をくれたきり、イチローが座っているのとは別の、奥まった位置の座卓を前にした。 ホワイトがそこに座るか座らないかの間合いでクニが登場した。きょうも制服を几帳面 に身に着けている。サングラスは外しているが、左瞼の上の絆創膏はふたまわりほど小さ くなって、まだ貼られている。そういえば、イチローのほうは頬の上のそれを取って来た。 クニは、ホワイドがそうしたのと寸分違わずイチローに一瞥をくれ、座卓の前に悠然と尻 を下ろした。ホワイトが座っているのと同じ座卓、壁を背に中央の位置だ。 「イチロー、こっち来いや」 トイメン ホワイトが声を掛けたのに従ってイチローが席を移すと、そこはクニの対面。ホワイト が土俵上の力士を合わせる行司の位置である。 「国本もガクイン卒業したら東京の大学へ行くことになっとる」ホワイトは意外と軽いノ リで口を切った。 「それにおまえもガクインのクニとは知らずに喧嘩売ったようだ。そいだ 、 、 から国本も一部始終腹に納めてなし切ってくれると言っとる。まあ、上には上がある、と いうことだ」 ホワイトが話すあいだ、イチローはクニと対面の位置で座卓から二歩離れて、それを聞 く恰好になっている。そう指示されたわけでもないのに、なかば行きがかりのようにそう なっている。そんな立場をいまさら変える勇気もないと観念しながらも、イチローは自分 の位置に屈辱を感じた。 ふん、手打ち式というから厳かな儀式でもあるかと思ったのに、なんだ、これは……。 イチローが腹の内で毒づいたのは、屈辱感への腹癒せにすぎなかったけれど、それを見透 かしたようなホワイトの言葉に彼は驚いた。 、 、 、 「イチロー、詫びのしるし示したれや」 イチローはホワイトのほうではなく、クニの顔を見た。クニの眼に表情の動く気配さえ ない。 イチローが畳に両手をついて、へたばった蛙みたいな恰好で頭を下げるのに、数秒の間 があった。そして、さらに数秒。顔を上げたとき、座卓のむこうから弧を描いて飛んでき たものが、目のまえの畳に落ちた。クニが投げてよこしたジャックナイフ。千種橋の袂で 学生服の背中を縦三十センチ、一直線に切り裂いた、あれだ。 イチローは顔面から血が干いていくのを感じた。体を固くしていると、ホワイトが笑い をふくんで言う。 「そんなもんで指は落とせん。形だけつけたらええ」 イチローはリング上で百戦錬磨のランキングボクサーに立ち向かう気合でジャックナイ フを右手に拾う。カチッと鳴らして飛び出した刃で左小指の第二関節の上を掃いた。その 瞬間、両眼をつむったと思ったけれど、盛り上がった肉の皮膚が一センチほど横に裂けて、 赤いものが滲むのは見えた。 「ま、ええだろう」 ホワイトがそう言って、ポケットから取り出したピンク地の女物のハンカチを投げてよ こした。 終った……。イチローは胸の奥のほうで一息つく。手と口を使ってハンカチで傷口を縛 っていると、ホワイトが最後通牒みたいに言った。 、 、 、 、 、 「クニに三千円、おとしまえつけたってくれ。それで全巻の終り」 左手小指のハンカチにうっすらと滲む血が、ふいにどす黒く色を変えたように、イチロ ーは思う。 かね 金は、ヒロに……。とっくに渡してあると言おうとして、イチローは口を噤む。クニに 金を渡す日を、その場で約束するのがやっとの思いだった。 は ヒロの野郎! 三千円をどう工面するかを考える余裕もなく、ヒロに見事、嵌められた や 悔しさに腹わたを煮えくりかえらせて。イチローはやまだ家をあとにした。 名古屋駅へ来ると、イチローはむしゃくしゃする気分の遣り場のないまま駅のコンコー 、 、 、 スを徘徊したが、 「長明君」らしきけものは見つからない。仕方なく列車に乗って漁港の町 へ帰ることにした。冬の陽は昏れている。左手小指が、遣り場のない鬱憤を煽るふうにズ キズキと痛む。 最後部の車輛に乗ったイチロ一は、顔なじみを物色しながら前の車輛へ移る。二両目と 三両目の連結部へ差しかかったとき、そこに四人の高校生がいた。いずれも、イチローが 通う東方商業とは対抗関係にある私立商業の校章を着け、野球部員であることが左右両側 のデッキいっぱいに置かれているバットケースと野球用具入りのバッグでわかる。三人は 見たこともない顔だが、一人は漁港の町の中学校の先輩・百合野だ。 イチローは三年前の春のことを咄嵯に思い出す。中学に進学した早早、百合野ら三人の 上級生に裏山の一の谷に呼び出され。「挨拶」されたことを。イチローが足もとを遮る幾つ わ ざ ものバッグを故意とらしく蹴って跨いだとき、 「おー、馬瀬。野球部やっとるか」 イチローが振り返ると、茶化すふうに笑う百合野の顔がある。 、 、 、 「それがてめえと何の関係ある?」 イチローが相手の顔を見据え、言う。 「先輩にそんな口きいて済むんか」 百合野が返す。 相手の言葉が終わるか終わらないかだった。イチローはいきなり百合野の顔面に左右の まと 拳を叩き込んだ。左手の小指に激痛が走る。それは左のフックが的を的確にとらえたこと の証明だった。数発のパンチで、百合野の体は進行方向左側のデッキ扉に背をぶち当てた。 イチローは体ごとぶっつけるようにして右膝のゲソバンを相手の下腹部へ入れた。うッと 呻いて蹲まるのに、さらに足蹴を飛ばす。革靴の尖端が、がきっという音と反動の感覚さ えともなって百合野の額を捉えるのが判った。 イチローはその感覚に残忍な満足を覚え、睡を返してその場を去った。 自分自身への得体の知れない嫌悪がおそってきたのは、先頭車輛のデッキ扉のところへ 来て、窓外の風景を眺めたときだった。悔恨とも虚無感ともつかない嫌な気分が、胸の奥 のほうでうごめく。中学生の頃、二階の窓の外に夕昏もの気配が漂いはじめたときなど、 理由もわからぬまま怯えとも寂寥感ともつかない拠りどころのなさにしばしば見まわれた ものだが、イチローはその記憶を蘇らせた。 列車が漁港の町に着いたとき、どこか途中の駅で降りたのか、百合野の顔はホームのど こにも見えなかった。 漁港の町の派出所から一郎の家に巡査が訪ねてきたのは四日後、冬休みにはいったすぐ の日だった。 うち 「家の一郎が何か、したのかなん」 父が「木綿の仕事」で浜松へ行っていて留守なので、応待にあたった母が心配気に訊ね るのに、駐在は、 「いや、息子さんにちょっと聞きたいことがあってなん」 と言葉を濁した。 一郎はおとなしく駐在のあとについて、漁港へ通じる白い坂道を反対方向へ登って行っ た。坂を登りきつて、駅舎の手まえに駐在所がある。 「おまえ、百合野弘を知っとるな。傷害で訴えてきとる」 木の机を間に挟んで駐在が向かい合わせに掛け、書類数枚を綴じたファイルをそこヘポ イッと置くなり、口を開いた。一郎は吃驚した。喧嘩は喧嘩、それに負けたからといって チンコロ 警察へ密告するなんて、想像もできないことだった。 駐在は三十歳そこそこの若い人。駐在は、百合野の顔の傷が診断轡では全治十五日間と なっており、特に額の裂傷がひどい、と告げた。一郎が傷害の事実を認めると、駐在はあ からさまに顔をほころばせ、当の事件にはそれきり触れず、ほかにも暴行事件を起こして いるだろうと、執拗に糾しはじめる。その間合いの巧みさに、一郎は湯の山峡キャンプで の乱闘、国本との一件など、つい告白しそうになる。口をひらく直前、脳裏に閃めくもの があって、彼は思いとどまった。最後まで「余罪」追及には口を噤み、駐在が読み上げる 調書(百合野弘の証言)に右手の拇印だけ捺して、派出所を出た。 それで片はついた、と一郎は思っていた。 本署の半田警察から不意打ちみたいに出頭命令がきたのは、年をこえて三学期が始まっ て間もなく。一郎は学校を休み、寒風のなか自転車に乗って、家から四キロさきの半田署 へ行った。去年、同じように一人、自転車を飛ばして高校受験の発表を見に行った道だ。 一郎の父と似た年恰好の担当官は、取調べというより説教だか雑談だか判らない調子を 楽しむふうに五分ほど話をつづけ、ここでも書類二枚に栂印を捺させられた。ただし、さ すが本署だけあって、町の派出所とは違い、おまけが付いた。左右の横顔と正面、合わせ て三枚の顔写真を撮られたうえ(一郎は神妙な気持でカメラに向かった) 、左右両手十本の 指さきに墨のような液体を塗られて順繰りに指紋を採られたのだ。 ず 取調官と交替した鑑識の係官は、医師みたいに白い上っ張りを着けている。擦り落ちそ うな眼鏡を人指し指でしきりに気にする係官に指を一本一本取られるうち、一郎は中学卒 業の一か月ほど前、保健室で遭遇した光景を憶い出す。あのとき、三年生全員が身体検査 の日みたいに順番に並んで、白い上っ張りを着けた「警察から来た人」から指紋を採られ たのだった。 半田警察署で指紋と写真を取られてのち一か月半ほどのあいだ何の沙汰もなかった。今 度こそ一件落着にちがいない。一郎がそう信じた矢先のことだった。名古屋の家庭裁判所 から呼び出しがかかったのは。 「書類送検」とかが、どうかしたらしい。 家裁へは、一人ではなく初めて父に伴われて行った。父は今度の一件について直接、一 郎に何かを言うことはほとんどなかった。町の派出所から駐在が来た日のタべ、 「木綿の仕 事」から帰って母からそれを知らされると、粗雑なデッサンを描くほどの気のなさで一郎 に事情を訊ねた。一郎もまた、父のそれに応えるふうな投げやり気分で、適当に説明する。 聞き終わると、 「一郎は野球に熱中しとった頃が、一番だったなん」と言ったきり、きょう まで小言らしき言葉はもらしていない。 名古屋の家庭裁判所では、判事だろうか、鼻のあたまがやけに赤い白髪の人が、半田警 察の担当官とは少し威厳を保っているのが異なるきりで内容はほとんど変わりばえのしな い、説教とも繰りごとともつかない言葉を繰り返して、十五分ほどで放免された。判事だ ろう人が喋っているあいだ、隣で父がしきりに頷きながら聞いているので、一郎のほうは それを聞かないことにした。 家裁へ出頭して数日後、一郎は放課時間に職員室へ呼ばれた。職員会議などの開かれる 部屋――教員の藤田六助と女子事務貝がそこでキスをしていたという噂がある――へ行く 、 、 、 と、待ち構えていた生徒指導のかなた(本名・藤田六助、授業中にカール・ブッセの「山 のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う……」という詩をやたら朗読したがるので、その 渾名が付いた)が、闇雲に一郎の行状について問い質した。彼のほうからは具体的な事件 について口にせず、これまでに一郎が行った喧嘩の経歴を述べよ、と、口頭試験みたいな ことを言う。駐在が行った「余罪」追及と瓜二つの手法なのだ。 「学校は君が起こした事件の全貌をキャッチしている。だけど、改悛の情の証明として、 馬瀬自身の口からそれを聞きたい。これは君のためだ」 、 、 、 かなたの言葉を右の耳から左のそれへ聞きながしながら、一郎は再三の手口に馴れて余 、 、 、 裕綽綽。ヌンチ(目つき)に険を尖らせてかなたを睨み返し、適当に追及をかわすと、ふん、 うそぶ この女たらし、便所の中でマスでも掻いとれ……腹の内でそう 嘯 いて職員室を出た。 三学期も終わりに近い日、一郎は武豊線の列車で、たまたま百合野と顔を合わせた。。座 席を五つほど隔てて視線が合った。あの馬鹿、おれのまえに顔、出すな……。一郎が腹の 内で毒づいて一睨みしたきり、あらぬ方向へ視線を外らしたのに、百合野のほうから怯え た表情を浮かべて座席を立ち、近づいてくる。 もん 「おれは、そんなつもりなかったのによ、家の者が警察へ行っちゃったもんで……」 百合野が弁解がましく言うのに、一郎はそっぽを向いたまま床へ唾を吐いた。一郎が手 出しをしないとわかると、百合野の顔で怯えは照れ臭そうな笑いに変わった。 一郎が百合野に殴りかからないのは、我慢してのことではなかった。不思識と彼のうち から怒りが消えている。報復の意思は沸いてこない。そんな自分に向けてのように、一郎 は百合野が立ち去った床に、もう一度、唾を吐いた。それですべて吐き捨てたというよう に。 2 それが二年生に進級したことと関係するのかどうか、一郎の行状にはっきりと変化がみ 、 、 、 られるようになった。彼の体からけものの臭いが日日、消えていく。 国本との一件と家裁送りになった傷害事件とは、一郎自身がそれと意識しないままに精 神的影響をあたえたにちがいない。改悛の情などではなかったけれど、彼を気弱にしたこ 、 、 、 とはたしかだ。しかしほんとうのところ、一郎からけものの体臭が消えはじめた理由は、 あの得体の知れない空虚感が舞いもどってきたことにあるようだ。小学生の頃、中学生の 頃、時と所をかまわず彼をおそった、拠りどころのない寂寥感が、いくぶん様相を変えて、 舞いもどってきたのだ。いや、この一年ほどのあいだ肉体からやたら野放図に発散させた ニヒリズム バリエーション 暴力そのものが、すでに虚 無 の一 変 型 だったのかもしれない。 だから、CCの「求愛」はたまたま一郎の変化と時期が見合っただけのこと、それが何 か彼の変容に影響したというのではない。 名古屋駅から広小路通りをはしって千種橋へと向かう市電のなかで、妙に粘りつく視線 を感じて振りむくと、混み合った車内で反対側の乗降ドアあたりからこちらを見ているC Cの顔があった。五月初旬、朝の通学時だ。一郎はかすかに濡れっぽく光をためて笑いか そむ けているCCの目から顔を背けたけれどCCとの奇妙な関係はその日から始まった。 翌日も同じ時刻の電車にCCが乗っていて、やはり幾分うるんだ目を一郎に向けている。 CCの位置は反対側ドアを離れてきのうより一郎のほうへ近づいている。一郎はきのうよ り露骨にそっぽを向く。さらに二日、同じような情景がつづいたのだが、そのたびにCC と一郎の距離は縮まって、つぎの日(土曜日)には、CCは一郎の体に触れる位置に立っ ていた。事実、電車が揺れるたびCCの体はそれに便乗するように一郎の体に密着し、そ の瞬間、粘っこい手が一郎の腰をまさぐった。二度それが繰り返されたとき、一郎は鞄で その手を力まかせに払った。払いざま振り返った鼻さきに、媚びをふくんで笑いかけるC Cの顔があった。 千種橋で電車を降りると、CCが愛想のように笑いを浮かべて話しかけるのを無視して、 一郎は学校へつづく道をぞろぞろと向かう同級生たちの群れにまぎれこんだ。 普通科で化学を、商業科で保健体育を担当しているCCが一郎たちの教室へ顔を出すの は週に一回きり。しかも保健体育の授業はサボるのに恰好の時間なので、こちらの名前さ え知られていないのでは、と一郎は思っている。 「CC」の由来が化学の授業の際、容量単 位のCCを気障たらしくドイツ語でツェーツェーと発音するので訛って付けられたものだ という程度の知識はあるが、それだけのことだ。おまえなんかにオカマされる筋合いはな い……。一郎は腹のうちでそう毒づいて、校門をはいるとき追いついたトシハルの背中を 鞄で思いきりどづいた。 、 、 、 二年生になって、けもの仲間で学校に残ったのは、一郎のほかトシハルだけだ。ヒロも サダも進級と同時に、退学とも自然消滅ともつかないかたちで、いなくなっていた。一郎 の転身と相侯ってイチロー軍団は解体したわけだ。そこで、中学時代野球部にいてサード で鳴らしたと自称するトシハルが一郎に持ちかけたのが、軟式野球部へはいろう、という 誘いだ。なぜ硬式ではなく軟式か? 二年生途中からの入部では硬式野球部のレギュラーポジションを獲得する見込みは、百 、 、 、 、 、 パーセント零。近年、県大会ベスト8進出がようやくのていたらくとはいえ、戦前、春の センバツ甲子園で優勝三度の歴史を有して、その方面では名門校なのである。軟式野球部 のほうなら、落ちこぼれの屑ばっかり、ちょろこい(訳ない、簡単だ)もんだ、というの がトシハルの言い分。 きょうもそのことでトシハルが何度も一郎の席へ来たけれど、おまえ一人ではいったら ええ、そう突樫貪に撥ねつけた。中学の頃、野球三味に耽った日日が憶い出され、軟式な 、 、 、 らやってもええな、と内心では思いつつ、その気持はおくびにも出さないで、授業の終わ りまぎわにもやってきたトシハルを突っぱねた。 ふ ま ゆき なり 夫馬敬成が例によって藤村だか白秋だかの詩集を小脇に一郎のところへやってきて、C Cが呼んどる、と告げたのは、土曜日午後の時間を持て余して体育館で卓球部の連中相手 にラケットを振り廻しているときだった。一郎は、目をうるませるようにして笑いかける CCの顔を思い浮かべ、無視する。夫馬が来たり往ったり繰り返すうち、彼自身、CCの しつっこさに辟易しているのか、ほとほと困り果てた様子なので、一郎は根負けして職員 室へ行った。 、 、 、 一年生の三学期終わり頃、かなたに呼び出されたときと同じ会議室にCCはいた。あの ときは椅子に座らされて「事情聴取」をされたのだが、CCはテーブルを挟んで立ったま ま、一郎に掛けろとも言わない。 「馬瀬、このごろ真面目になったで、先生も嬉しいぜも」 CCがいきなり名古屋弁を使ってそう言うので、一郎は不審な気がする。濡れっぽく光 をふくむ眼差しは、電車のなかで一郎を見つめていたのと変わりないが、媚びるような笑 いはCCの顔にない。そこそこ生徒に対する教師の面相になっている。 「進級問題を審査する職員会議では馬瀬の進級の是非が、えろう問題になってよ。渋井先 生なんぞ退学まで主張してまって。馬瀬の成績がええのは、ありやカンニングしとるんだわ、 とまで言っとった。生徒指導の藤田先生も馬瀬の行状を並べてまって、通学列車でタバコ 喫っとるいう卒業生からの報告や、他校生に恐喝まがいの喧嘩ばっか売っとるいう噂を並 べるんだわ。さいわい藤田先生も具体例はよう出さなんだで、先生も反論できたんだわ」 CCが牛の涎繰りのように喋るのを聞くうち、一郎は腹のなかで舌を立てる。ふん、カン トクの野郎、あのときのことをまだ根に持っとるんだ……。カントクとは渋井の通称で、 軟式野球部の顧問をしている彼は禄すっぽ野球のコーチもできないのに部員に「監督」と 呼ばせて悦に入っている。一年生の二学期頃、体育の時間に一郎がカントクの指示に背い て一悶着、起こったことがある。一郎の生意気な態度にたまりかねたカントクが先に一発 喰らわし、あわや殴り合いになる寸前、村井のおじさんや福山弘洙らが仲にはいって分け たのだ。 、 、 、 、 、 、 かなたの野郎、おれに鎌かけたんだ……。渋井を嘲けるついでに、一郎はかなたにも腹 、 、 、 の内で毒づく。三か月まえ、生徒指導のかなたが職貝室へ呼び出して「事情聴取」したの は、傷害事件さえ知らないで、進級の是非を判断するために裏を取ろうとしたのらしい。 、 、 、 一郎はCCの名古屋弁に面喰らうと同時に、しだいに込み上げてくる笑いを、かなたと カントクへの敵意によって堪えた。ところが、そちらに気を取られているうち、喋りつづ けるCCの様子がしだいに可怪しくなってきた。恩着せがましく繰り出す口吻が、どこか 訴えかけるふうな、切なげな口調さえ帯びはじめたのだ。厚い両唇のあいだから言葉とい っしよに粘粘とした液状のものが滴るようだ。 「先生は馬瀬を立ち直らせたい一心で、擁護に努めたんだで。他の先生方を必死で説得し て、進級を認めてもらったんだわ。だから、これからは真面目になって勉強してほしいん だわ。将来、大学へ進みたかったら、先生が学費の面倒、全部、見てやってもええ。一郎、 わかる? 先生は一郎に何かしてあげてやーと思っとるんだで」 CCは喋るうち何かの感情にとらえられているのか、湿っぽく光をためた目をいっそう キラキラとうるませて一郎を見つめつづける。朝、電車のなかで腰に触れた手の粘っこい 感じが一郎の体に蘇ったのは、そのCCの顔をまともに見てしまったときだ。なんのこと はない、年上の女が若い男を口説いとるみたい……。そう思ったのが先か、CCに背を向 けたのが先か、一郎は何も言わず会議室を出た。 体育館へもどると、卓球部の主将を相手にラリーの応酬を始めた。でえりゃあ、名古屋 弁……。目鼻立ちは端整なのに妙に垂れ下がった印象をあたえるCCの顔にむかって腹の たま 内で吐き捨て、球との角度も無視してラケットを叩きつけた。 新しい月をむかえると、朝の登校電車のなかだけではなく、下校時にも、軟式野球部の 練習が終わるのを見計らったように、CCは一郎の前に現われるようになった。一郎が部 しな 員たちと別れて一人になると、CCは風のようにあらわれて撓やかに身を擦りよせる。 「一 郎」そう呼ぶと、相変わらず目を湿っぽくうるませて、学生服を新調してやろう、靴を買 ってやろう、欲しい本はないか、と囁く。一郎が答えずにいると、かすかに不安げな表情 うち を浮かべて、一度、先生の家へ遊びに来るように、と付け加える。 一郎はCCの誘いには諾とも否とも答えないことにしていたけれど、学生服でも靴でも、 そんなに買いたいのなら買って貰ってもいい、と思った。そしてCCが自宅の地図を描い た便箋を差し出したとき、それを受け取った。 一郎が軟式野球部を数か月で退部したのは練習のために下校が遅くなってCCに付きま 、 、 、 とわれるのを嫌ったからではない。入部の理由が、けものから足を洗えというCCの忠告 に従ったわけでも、トシハルの再三にわたる誘いに乗ったわけでもないように。 一郎が軟式野球部にはいったのは、CCから職員室へ呼ばれた日の数日のち。監督の渋 井に一矢酬いてやろう、との魂胆からだった。 軟式野球部は硬式の部とは違って(硬式野球部のグラウンドは学校から市電を使って四 ラ イト 十分ほどの郊外丘陵地に、れっきとしたそれがある) 、校庭のグラウンドで練習をする。右翼 レ フト は塀際に雑草が茫茫と生えているとはいえ、かなりの距離がある。ところが左翼は野手の 定位置とほとんど背中合わせに、もう中央線路沿いの土手だ。だから一年生部員が土手の 上に横並びして打球が鉄路の側へ越えるのを防がなくてはならない。バックネットも常設 のそれはなくて、練習のたびに簡易ネットを張ったり片づけたりしなくてはならない。漁 港の町の中学校に比べてさえ、グラウンドの面積は三分の二に満たないのだ。 一郎は入部して早早に意気阻喪してしまった。それでも表面上、真面目に練習に励んだ のは、所期の目的があったことのほかに、バッティングピッチャーに指名されて三年生レ ギュラーたちをいきなりキリキリ舞いさせ、気をよくしたからである。中学の頃、得意の ストレート カ ーブ ウイニングショットにしていた、直 球 とは緩急差の大きい縦に落ちる曲球が、レギュラー たちのバットを面白いように空を切らせたのだ。一郎のドロップが唯一、通用しないのは、 シャープ 硬式野球部にはいってもクリーンアップ間違いなしと評価されるほど鋭利なバッティング センスを有する四番の水田くらいのもの。一郎がどんなに力んでもかわしても、水田のバ ボール ットは的確に 球 をとらえて左翼席つまり土手へ運んだ。 ピッチング 一郎の投 球 を喜んだのは、監督の渋井だった。折から投手陣の弱体に頭を痛めていたカ エ ース ントクは、一郎を主戦格に抜擢した。対外試合の初戦で好投すると、正真正銘のエースと して一郎を公式戦に登板させ、東海大会のための予選を勝ち抜いた。夏休みにはいってす ぐ岐阜市民球場で開催された東海大会には県代表二校のうちの一校として出場した。 一郎の転落が突如として、急峻な坂道を転げ落ちる具合に始まったのは、東海大会を境 にしてである。その日、開会式を終えたあと、東方商高は二試合目の出場なので試合まで に間があった。一郎とトシハルは球場を抜け出して、隣接するテニスコートや陸上競技場 をぶらぶら冷やかして廻る。試合が終わったら旨くチームから抜けて金華山で遊んで帰ろ う、などと作戦を練りながら。 頃合、球場へもどってみると、東方商高および対戦相手の静岡商高いずれも試合前のシ ートノックを終えて、プレーボールを待つばかりだった。カントクが眉間に青筋を立てて 怒ったことは言うまでもない。一郎は先発投手から外されたばかりか、九人のメンバー表 に名前さえ載っていない。もともと補欠選手のトシハルは言うに及ばず。それでも最終回、 辛うじて一郎に出番が来た。七回表二死走者二、三塁、スコアーは静岡5点、東方3点。 一打同点のチャンスにカントクは一郎をピンチヒッターに指名したのだ。カントクは、ベ ンチをあたためさせられていた口惜しさをここで一番、おれに晴らさせようというわけだ ろう、おれの発奮を期待するというわけだ……。そう思いながら一郎は左バッターボック スに立ったのだが、どうにもそれに応えるほどの気分が昂揚してこない。そればかりか、 ふん、恰好つけやがって、といった邪念が沸いてきて、ファウルボールを二本打つうち、ボ たま ールカウントはたちまち2ストライク2ボール。そして五球目、アウトコース低目の球を アンパイアー ボールと判断したのに 主 審 のジャッジは「ストライク!」。ものの見事な見送り三振。 岐阜市民球場の大会を初戦敗退して三年生が退部すると、一、二年生の新チームで夏休 みの練習は再開された。当然、一郎はエースを引き継いで練習に熱を入れなくてはならな いのに、そうはならなかった。東海大会でベンチをあたためさせられたことを怨んだわけ でも、最終回の絶好のチャンスにあえなく三振したことに落胆したわけでもない。一郎の 体から野球への情熱が急激に萎えていた。 、 、 、 、 、 よ 一郎の理由なき反抗が卑劣ないやがらせとなってあらわれたのは、一種の焦りに因った。 野球部を退部するまえに、入部のさいの所期の目的である、監督の渋井への憂さを晴らさ くう なくてはならない。遺恨晴らしはまず、カントクのバットを空に舞わせることから始まっ た。 カントクはなぜか練習の冒頭にみずからバッターボックスにはいって三十分近くフリー たま バッティングするのを習性にしている。誰がどんな緩い棒球を投げてもボールが前に飛ぶ のは三球に一打くらいの腕前。前方へ飛んだ球が内野手の頭を越える確率は多く見積もっ ても十球に一打。一郎がバッティングピッチャーをつとめて十球十回空振りさせるのに苦 労しない。一郎がピッチャーズプレートに立つと、カントクは絶望的な表情をあらわに示 し、十球十回の空振りを繰り返すが、一郎のほうからプレートを離れるまでバッターボッ クスから去ろうとはしない。ピッチャー交代を命ずることもない。彼には彼の面子と矜持 があるのだ。 バッティング投手をつとめて憂さを晴らすと、一郎は練習中、これ見よがしに投げやり な態度に終始する。グラウンドを何周かするランニングに始まって、フリーバッティング、 シートノック、ピッチング練習。それらどの場面にも一人、だらだらと不貞腐れた動作の 一郎の姿がある。部員たちが顔を顰めはじめるのに時間はかからなかった。一郎の思惑で 、 、 、 、 、 はカントク一人を標的とするいやがらせのはずなのが、部員の結束を危うくさえしはじめ たのだ。 「馬瀬、野球やる気あるのか? やる気ないならやめろ」 監督の渋井が練習中に一郎を呼んで言った。 「ありがとうございます。それでは退部します」 一郎は即座にそう答えると故意らしく深深と頭を下げ、グラウンドをあとにした。トシ ハルも数日後、一郎との義理を果たすように野球部を退部した。 一郎が、やなせ歌乃栄と再会したのは、軟式野球部をやめてしばらくのち、夏休みの終 わりに近い頃だった。否、正確にはその前に会っていたらしい。彼が野球部にはいって間 もなく、ある県立高校のグラウンドで行われた対外試合のあと、その試合を観戦していた 女子高生のなかに湯の山のスケがいた、とトシハルが興奮気味に言った。去年の夏休み、 湯の山峡のキャンプ場で豪雨に見舞われた日、ずぶ濡れになって、一郎たちのバンガロー へ迷い込んできた二人の中学生(現在は高一になっているはず)のうち、妙に大人びて艶 っぽい表情をみせた、あの子にちがいない、とトシハルは言い張るのだ。そのあとも二度 ほど、その子が一郎たちの試合を観に来ていたと、トシハルがそのたび手柄顔に告げたげ れど、一郎は気づかなかった。気づかないままに、トシハルの言うことが本当かもしれな いと思いはじめていた。 野球部をやめたからといって、一郎が野球から切れたわけではない。「草野球あらし」が しばらくつづいた。知多半島でも半田一帯は草野球が盛んで、漁港の町だけでも八チーム ほどがあってリーグ戦みたいなことをしている。一郎が所属するのは、次兄のサーやん率 いる「レッド・タイガース」赤い虎だ。サーやん率いる、とはいっても、本人が監督を自 認しているにすぎなくて、チームのメンバーが一致して認めているわけではない。一郎を レッド・タイガースにスカウトしたのは次兄であること言うまでもないが、一郎がトシハ ピッチャー サー ド ルを誘って二人で投 手 と三塁手を固めた。 リーグ戦とはいっても、参加しているのは町の小さな鉄工場、印刷会社、醸造会社、煉 瓦工場などの従業員チームに漁師チーム、それにレッド・タイガースみたいな寄せ集め有 志のクラブチーム。だから現役花盛りのエースと三塁手を有するレッド・タイガースは抜 群に強い。そればかりでなく、このチームは中学や高校時代に野球部を経験した顔ぶれを 何人か揃えている。勝って当たり前の陣容なのだ。 ところが時時、結束だけが取り得の従業貝チームに敗れる。メンバー一人ひとりが手前 勝手な方向を向いてチームプレーを無視するからだ。さらに、監督を自称するサーやんが 試合の終盤には決まって二塁の守備につくのも敗因の一つ。サーやんは判で捺したように ボール 、 、 エ ラー 凡ゴロをトンネルし、凡フライを捕らえそこねて 球 がでこを直撃するといった失策を連発 バ ック する。しかし最大の問題は投手の一郎にある。野手を信頼せず、自負心ばかりが先行して 三振を取ろうと力むので、一人相撲を取って自滅ずる。そのうえ、審判を無視してストラ イク・ボールの判定まで自分で意のままにしようとする。審判はそのとき試合のないチー ムの誰彼(主に年長者)が努めることになっているのだが、そのジャッジを不服として一 郎は再三、マウンドを離れて文句を言う。挙句、グラブを地面に叩きつけると審判の胸倉 を掴んで殴りかからんばかりの挙に出る。対戦相手からの猛烈な抗議があって試合が中断 するうち、一郎は退場を命ぜられるまえに自分からマウンドを去ってしまう。 「一郎は凄い。大人相手にちっとも臆するところがないで」 町に一軒だけある喫茶店でコーヒーを飲みながら、CCが感心したふうにそう言って一 郎を驚かせた。 その日、CCは担任でもないのに「家庭訪問」とかいって一郎の家を訪ねてきて、父に 伴われ小学校のグラウンドへ来ていたのだ。担任の生徒の家を隣町に訪ねてそのついでに なま 一郎の家に寄ったと説明したらしい。一郎はCCの弁明に生ぐさい樹液のにおいを嗅いだ。 やなせ歌乃栄が一郎の野球を観に半田中学のグラウンドに現れたのは九月の下旬頃、さ きの一件よりあとの日曜日だった。そのとき一郎は、自分の目で彼女の姿を確かめた。 その日、半田市内の地区選抜軟式野球大会が開かれて一郎は漁港の町チームの投手とし て第一回戦に先発したのだが、現役高校生選手を揃えた相手チームの打線にめった打ちさ ノックアウト こ れ、五回ともたず K O されたのだった。「湯の山キャンプの女」の視線を意識して、ピッ チングに冷静さを欠いたのかもしれない。 試合が終わって服を着替え、帰るとき、正門の脇に女子高の制服を着た、顔に見覚えの 、 、 ない子が立っていて、一郎に手紙を渡した。手紙を受け取るとき、一郎にはある直感があ った。家に帰ってから封を開いて、直感が当たっていたのを知る。便箋三枚に、湯の山峡 キャンプでの出来事のほかに、 「東方のイチロー」にまつわること、彼女が在学する県立高 校のグラウンドで見たのを最初に、一郎の出場する野球試合を数回、観にきたことなどが、 、 、 、 、 レポート 端整な筆跡で書かれている。どこにもなよなよとした感情吐露が感じられず、報告みたい タ ッチ な筆致の手紙だった。末尾に、日時と場所を記してデートの申し込みがあって、ラブレタ ーと知れる。やなせ歌乃栄という名前を、一郎は手紙によって知った。 手紙を受け取った次の日曜日、一郎が国鉄半田駅へ行くと、約束の午後三時には間があ ったけれど、やなせ歌乃栄は駅舎の外壁に身を添わしてどこか人目を避けるふうに待って いた。スカートは制服のそれだったが、上衣はおとなしい雰囲気ながら長袖の袖口に飾り のある白いブラウスを着ている。 デ ート 一郎にとっては生まれて初めての一対一の逢引だった。それで緊張していたわけではな いけれど、二言三言、立ち話を交わすと、やなせ歌乃栄のほうが先導する恰好で二人は駅 舎を離れた。 「このまえの試合、残念だったね。ばかばか打たれちゃって」 一郎の肩のあたりでやなせ歌乃栄が顔に人なつっこい笑いをはじかせて言う。冗談を言 って揶揄ったみたいだが、そうではないらしい。口をきくたび彼女はそんな表情を一郎に 向ける。 「どこへ行く?」 一郎は相手をはぐらかして、逆に問い返す。 かり やど 「雁宿公園」 それだけ答えるのに、やなせ歌乃栄はもう意味ありげな笑いをつくる。 やっぱり……。一郎はそう呟いて、前方に木木におおわれて現われた高台を眺めた。 簡易舗装の道路が左右に分かれて先は間道みたいな並木道へと通じる四叉路に来たとき だった。一郎には突然といった感じだったが、交差路角の写真館脇から一台の自転車を引 いた二人連れが現われた。私服を着ているけれど、高校生らしい。 「てめえ、東方の馬瀬か」 がん 二人のうち赤いジャンパーを着たのが喧嘩腰に言う。一郎は眼を切り返しながら黙って いる。 「ちょっと、顔、貸したれや」 赤いジャンパーが一人、口をきく。いまにも襲いかかってきそうな異様な殺気が四肢か ら漂っている。それは一郎を不気味に圧迫したが、彼はたじろいではならないと自分を演 じた。 相手と数語、やりとりを交わすうち、傍でしきりにセーターの袖を引くのに一郎は気づ く。やなせ歌乃栄だ。彼女の顔は、あの人なつっこい笑いからは想像もつかないほど怯え ている。 一郎は咄嵯に漁港の町の神社を指定し、日時まで決めてそこヘー人で出向くことを赤ジ ャンパーに約した。その場しのぎの空約束だった。 二人連れと別れると、 「あれ、誰か知ってる?」 やなせ歌乃栄が蒼褪めた顔そのままに訊ねる。 「さみだれの鉄よ。噂は聞いたことあるでしょ」 一郎が首を横にすると、彼女は告げた。その綽名なら、勿論、噂で知っている。一郎よ あいくち り三歳くらい年長のはずだ。高校一年生のとき、喧嘩相手を匕首で剌して少年院で長く過 ごしたはずだ。 「あさって、あの人とほんとうに会うの?」 やなせ歌乃栄がまた、怯えた表情そのままの口吻で訊ねる。 一郎は、約束通り神社の境内へ行くつもりなどなかったけれど、彼女には何も答えず、 並木のあいだの道を歩いた。 緩い傾斜地に灌木が密生した高台からは、雁宿公園の何かの碑や散歩道が眺められた。 公園に隣接する広い池一には西に傾きはじめた陽の光がまともに当たって、水面を淡い朱 色に輝かせている。きらきらと燦めく一面の光の粒子が、風に散る微細な花屑のようだ。 一郎とやなせ歌乃栄は、そんな情景を高台の傾斜地に腰を下ろして眺めていたが、話は はずまなかった。一郎は内心の動揺を誤魔化すふうに与太話を口にしたりもするが、やな せ歌乃栄は人なつっこい笑いを蘇らすことがない。笑顔を作ろうとすれば、それは無残に 半べそ顔になってしまうのだ。 一郎が柄にもなく心のうちで逡巡を繰り返したすえ、欲望だけに促されるふうに彼女の 肩を抱き寄せたとき、やなせ歌乃栄はようやく笑顔を取りもどして一郎に身をあずけた。 母乳のようなにおいが彼女の首筋のあたりから立って、一郎はそれをかすかに嗅いだ。 そのときだった、不意に背後で声がした。囃すような罵るような声は傾斜地の上のほう から潅木の林を突き走るようにして耳にとどいた。一郎が振り仰ぐと、高台の頂きあたり 灌木の陰から少年の顔が二つ、覗くのが見える。その顔に少年らしからぬ憎悪の面相が浮 かぶのに気づいたとき、やなせ歌乃栄が弾かれたように立ち上がった。有無を言わせず一 郎の腕を掴むと、彼女は凄まじい力で引っ張って野道を下りる。彼女の蒼白な顔にふたた び恐怖の影が掠めていて、一郎は何がなし背後の声が単なる少年たちの児戯ではないこと を感じた。 一郎とやなせ歌乃栄は、誰かに追われているような気分を味わいながら。来るときとは 別の道をたどって駅へもどった。結局、二人はそこで早早に別れ、一郎は汽車に乗って帰 った。 やなせ歌乃栄がきのうと寸分違わない服装をして駅舎の前で待っていたのは、翌日の夕 方、一郎が学校から帰って漁港の町に着いたときだった。 夕昏れはすでに闇の気配をあたりに漂わせている。それでも顔を合わせた瞬間、やなせ つ 歌乃栄の顔に何か不幸に遭遇したあとのような憔悴した表情が見てとれて、一郎は胸を衝 かれた。これから先の行動がすでに決められてでもいるように、二人は駅舎の横の坂道を 登る。左に折れ、鉄路に架かる橋を渡るとき、やなせ歌乃栄の白いブラウスの肩から背に かけて無残に汚れているのに、一郎は気づく。雑草の生えた地面にでも仰向けに倒れたの じ にちがいない、青染みた草液と土くれの跡がありありとついている。一郎はそれを払って やろうとして、手をひっこめた。ブラウスの汚れに一郎が気づいたと知れば、彼女は泣き 出すだろうと思ったからだ。 職員室と二、三の教室のほかは灯りの消えた中学校を左手に抜け、一の谷へ下る野道に 差しかかったとき、やなせ歌乃栄は突然、一郎の体に彼女のそれをぶっつけるようにして 腕を取った。彼女が横ざまに一郎の胸に顔を埋めるとき、母乳みたいなにおいがした。き のう、風に散る花屑のように光の粒子を燦めかせる池の水面を眺めながら灌木の高台で嗅 、 、 、 いだのと同じにおい。あたりが闇に閉ざされ、大気が澄んでいるせいか、そのにおいは少 し濃密に感じられた。 一の谷へ下る野道の途中、雑木林のなかへ誘ったのは、どちらが先だったか。木木の間、 枯草が散りたまった上にブラウスもスカートも着けたまま、やなせ歌乃栄が横たわったの は、一郎が母乳のにおいを嗅いで数分のちだった。一郎が気押される気持のままズボンの ベルトを外すまえに、やなせ歌乃栄は自分で下衣を脱いだ。一郎は胯間が勃起しているの かどうかさえ覚東ない、変な感じだ。彼女のなかへはいろうとして巧くいかず、悪戦苦闘 しているうち、彼女の指が一本一本、丁寧に動く感じで一郎のものを誘なう。それでも確 かな挿入感はなく、やなせ歌乃栄の下半身が上下に揺れ動くのだけを感じるうち射精した。 いや、射精したはずだ。母乳のにおいではなく、樹液に似たにおいがその瞬間、夢のなか でのように鼻を衝いたのだから。 夢のなかのようだった……。 やなせ歌乃栄の乗る汽車を駅で見送ったあと、漁港へ下る坂道を歩きながら、一郎はも う一度そう思う。ついさっき見た、闇のなかにも黒黒と浮き出た陰毛の記憶だけはなまな ましく脳裏に蘇らせながら。胯間のものがやなせ歌乃栄のなかにはいらなくて悪戦苦闘し ているとき、ふと目にはいった陰毛は、剥き出しの白い下腹部を鮮やかに彩って臍のあた りまで幽かな線条を曳いていた。 一郎はあの日以来、やなせ歌乃栄と会っていない。いや一度だけ、トシハルの住む町の 祭りに行ったとき、町通りをぶらぶらと歩いていて彼女を見たように思う。道沿いの二階 家にあかあかと電灯が灯って男女数人の影絵のはしゃぐ姿が障子越しに映っていた。一郎 が通りかかったとき、窓際から外を眺めていた影が身を隠すようにスーッと離れた。消え る瞬間に見た、あの横顔の陰影はやなせ歌乃栄だったにちがいないと一郎は思っているが、 それきりだ。 一郎がCCの家へ行くことになったのは、やなせ歌乃栄と体を合わせた日から二か月近 くのちだった。 CCは口先の約束だけではなく、靴とかセーターとかを実際に買ってくれた。家人には 内緒らしい。ところが、一郎のほうは家で内緒にしておくわけにはいかなくなった。新し い靴やセーターを買う金などあるはずはない。父と母は当然、不審がって問い質す。一郎 は、友達に借りている、とか言葉を濁すが、いつまでそれが通用するわけでもない。その うち冬の季節をむかえ、CCがオーバーコートを買ってくれるにいたって(彼が御用達の 洋服屋ヘー郎を連れて行き、オーダーで仕立てさせた高価なものだ) 、家の者を誤魔化しき れなくなった。 岩井先生のお宅へお礼に行く……。父がそう言い出して一郎は慌てた。一生徒のために 教師が物を貢ぐような真似をするのは可怪しいと察したのにちがいない。善意のプレゼン トとしては度を過ぎている。 一郎は懸命に父を止め、礼には一人で行くと言い張った。父は不審は拭えないままに一 郎の言い分を聞き入れた。それで一郎は、母が茄でてくれた地場産のわたり蟹十匹ほどを 衣類箱の大きなのに入れて手土産に、CCの家を訪れることになったのだ。 「岩井巌雄」 し も く まち CCの家は撞木町と呼ばれる、寺社の並ぶ町筋にあって、木の門構えにはそう書かれた 表札がかかっていた。太い門のもう一方には「清風荘」と書かれた、古びてはいるが一見 由緒ありげな大きな木札がある。 「清風荘」というのは、官公庁あたりの役人が宿泊したり宴会まじりの会合を行ったり する寮みたいなものらしい。門構えをはいって西側に植木や置き石のある庭を石畳を踏ん で行くと、それらしき古色然とした和風造りの建物がある。玄関を上がると、障子張り和 室いくつかに沿って長い廊下が陰気につづいている。奥まったあたりの二部屋がCC家族 の住居に当てられているらしい。二部屋に接して一番奥が厨房の気配だ。 一郎はCCに従って手前の部屋にはいったのだが、ついいましがた見たCCの顔が脳裏 から去らない。玄関の呼鈴を押して間もなく現われたCCは、そこに立っている一郎を見 るなり、驚愕の表情を浮かべた。困惑とも喜びとも名状しがたい様相で顔面の肉がぐにゃ りと大仰に動いたのだった。ぞの瞬間、一郎はわたり蟹十匹を上がり框に置いてそのまま 背を向けたいと思ったほどだ。 部屋に顔を出したCCの姿は、どことなく夫と似て下半分が長く垂れた容貌の人で、大 柄だった。どうやら彼女が寮の委託管理を任されていて、CCが高校教員のかたわらそれ を手伝っているらしい。四、五歳の娘がいることは、その子が母親にまつわりついて現わ れたことで知れた。 CCの妻は蟹の礼を何度も言い、家はどこか、お父さんの職業は何か、といった類の質 問を浴びせては、しきりに語りかける。一郎は早早に辞することばかりを考えていたが、 食事を馳走になって帰った。宿泊者に供するそれは、一郎が生唾を飲むほどの大層なもの だった。 一郎は結局、CCの妻の前でオーバーコートや靴の礼を口にしなかった。玄関先で見た CCの表情はとっくに消えて、彼は平穏な顔にもどっていたけれど、妻の前で礼は言わな いほうがいいと一郎は思ったのだ。 その日が解禁であったかのように、一郎はCCに誘われるまま「清風荘」を訪ねること になる。そして初めてそこで泊まった夜、床のなかで人の手が彼の胯間をまさぐるのを感 じた。一つ部屋に妻、娘、CC、一郎という並びで寝ていて、一郎はそこそこ眠りに沈ん でいたので、胯間のものをまさぐる指先が最初、怯ず怯ずと、次第に大胆になるのを夢の うつつ なかの感覚で感じていた。それは夢とも 現 ともつかない間に去ったけれど、目醒めたあと の一郎は勿論、CCの手が侵入してきたのだったことを知っている。 朝、顔を合わせたとき、一郎は内心、面映いばかりであったが、そんな自分が馬鹿みた いに、CCのほうはこだわりのないさっぱりとした顔をしていた。 そういうことがあってのちも、一郎はCCに誘われるたび「清風荘」を訪ね、泊まった。 まさかそのたび振る舞われる馳走に目が眩んだわけでもないけれど、CCの誘いを拒むほ どの嫌悪感は一郎のなかになかった。CCの手はあれきり一郎の胯間に侵入してこない。 一郎がCCに誘われ、彼の娘と三人で東京へ行くことになったのは、年が明けて間もな い冬休みだ。CCに取り立てて用件があってのことではなく、一泊の東京見物。なにがし か不穏な予感がなくはなかったが、生まれて初めて訪れる東京が一郎の気持を動かした。 一郎は、CCが買ってくれたセーターを着、革靴を履き、オーバーコートを着けて――つ まりCCの貢ぎ物で全身を包んで、特急列車に乗った。CCと娘が並んで座席に掛け、一 郎はそれに向かい合わせて駅弁を食べたりして、半端な家族旅行の雰囲気のうちに東京駅 へ着いた。 東京駅に近い宿泊施設(それは旅館ともホテルとも違って「清風荘」と同種の官公庁関 係の施設らしい)にチェックインすると、はとバスで都内見物に向かう。国会議事堂とか、 皇居前の二重橋とか、晴海埠頭とか、一郎には何の興も催させない退屈な時問が過ぎて、 名古屋を発つまえの興奮はすっかり醒めたけれど、東京のどまんなかでCCが連発する名 古屋弁は異様であり、結構、新鮮でもあった。 宿泊施設にもどったのは夕方、東京見物のフィナーレに日劇でラインダンスを観たあと。 舞台を見ているうち、一郎は秘かに胯間のものを勃起させたり萎えさせたりしたが、それ を隣座席のCCに覚られないようにした。ダンサーたちの踊りを見ているうちに、やなせ 歌乃栄の剥き出しの下腹部に生えていた陰毛を憶い出したのだ。夜目にも白い肌を黒黒と 彩っていたものの記憶は、なつかしさに似た激情を一郎の体に蘇らせた。 CCの様子が急に可怪しくなったのは、三人が宿での夕食を終えたころ。その兆候はす でに東京見物をするうちからあって、一郎が気づかなかっただけかもしれない。思いがけ ないCCの言葉が一郎にそう感じさせる。 「一郎は冷たい。先生のこと、考えとれせんで、淋しい」 不意の言葉に一郎は、何のことかと面喰らった。しんと静まりかえった部屋に、CCの 言葉が粘っこい光沢を放つ塊みたいに浮いている。宙を漂うそれを一郎は怪訝に眺めた。 CCの目が濡れっぽく光ってきたのは、彼がそれにつづけて繰り言みたいな調子で、東 京見物のあいだ一郎の態度がよそよそしかったと訴えはじめたときだ。先生と一緒なのが 少しも楽しそうでなかった、話しかければ避けてるみたいだった……。うるんだ視線でそ う訴えはじめて、CCは傍にいる娘にいま気づいたというふうに、口を喋んだ。 娘のまりこは五歳だが、父親の様子から常ならぬ何かを敏感に察知しているらしい。い まにもCCの腕に縋りつかんばかりに不安げな表情を向けている。それでCCが繰り言を よ 止したので、一郎は辛うじて焦眉をひらいた恰好だ。役所関係の宿泊施設なのでこれとい いんいん った室内調度もなく閑散とした部屋に、陰々とした空気が流れる。それでもまりこが目醒 めているうちは、まだ救われていた。 寝具が三式、川の字並びに敷かれ、端のそれでまりこがスヤスヤと寝息を立てはじめた とき、CCはふたたび繰り言の続きを始めたのだ。年上の女が若い男を口説くのに似た、 あの口吻。それがきょうはいつになく露わに、切迫している。 やがて、訴えかける口吻に男女の痴話ごとめいた言葉が混じりはじめ、CCのうるんだ 眼にはっきりと涙が溜まるのを、一郎は見た。涙は一筋、花の茎を伝う雨露の雫みたいに こぼ 見事な軌跡を曳いてツツーッと頬を零れた。 一瞬、CCの顔が幻のなかの女の人のそれに錯覚されて、一郎は体じゅう緊張するのを 覚えた。CCに済まない……。なぜそんな気持が沸くのか、不思議なままに一郎は胸を締 めつけられた。 それなのに次の瞬間、一郎の右拳がCCの頬を殴りつけていた。CCが蒲団と蒲団のあ いだをにじりよって一郎の手を握ろうとする直前だった。殴りつけて、自分で驚いた。一 、 、 、 、 瞬、何が起きたのかと疑い、意思と肉体がずいぶんちぐはぐなのに気づき、あらためて驚 きに打たれた。 一郎がさらに顔面を打ったのに、CCは成されるがままに身をかばう仕種もみせず、悲 しそうな表情を一郎に向けている。その視線を見返すのがなぜか怖くなって、一郎は蒲団 に潜りこんでしまった。どの喧嘩のあとにも経験しなかったほどに気持が昂って、眠れそ うにないまま傍に座りつづけるCCの気配を感じていたが、それでも一郎はいつか眠って しまった。 じ 翌朝、CCの顔にはうっすらと青死にした血の痣ができていて、一郎は目をそむけた。 CCのほうは痛みがあるのかないのか、気にしているふうもなく、いつか「清風荘」で一 け れん 郎の胯間に侵入してきた夜のあとと同じように、外連なく彼に接した。それがまた一郎を 戸惑わせた。同時に、妙に神妙な気持になった。 東京から帰って後、一郎は三年生に進級するまで「清風荘」で泊まることはしなかった。 3 鈍い闇におおわれて、湾のうちは重たげに海面をうねらせている。あたりにひびく夜の 音が、風の音なのか、水底から沸き上がってくる地の音なのか、よくわからない。姿の見 えない海鳥の啼き声が、ときどき空の高みで闇を切り裂くのだけが、妙に明晰だ。 闇のなかで濃密に体をつつむ潮の匂い。潮を運んでくるのは沖のうねりなのだから、音 は波濤のそれにちがいない。沖の波を運んでくるのは風。風と、波濤と、水底の地の音が、 夜の音となって体をつつむのだ。 、 、 、 夜の海は、闇が厚いので、湾のむこうに広がる沖合と空のはざまもはっきりしない。遠 いさりび く距離を保って漁船の漁火が溶けているので、そのあたりが境界と知れる。闇のなかで滲 んで燦めく漁の火のほか、風の姿も見えないが、夜の海は鳥の顔に似ている。波のうねり が緩慢に鳥の表情を変える。 それを確かめるのが目的であったかのように、一郎は埠頭を離れる。駅舎のほうへつづ く坂道を造り酒屋の塀や屋敷の森に沿って行きながら、一郎は「鳥の顔」は孤独だったと 思う。涙を流しているように見えたのは、海面に溶ける漁火のせいだったろうか……。そ んな感情が沸いて、たちまち彼は自分を嫌悪した。 家に着くと、寝るまえにノートに記した。 今日の海は荒い波が一生懸命、防波堤を洗っていた。波は沖合から大きなうねりをつく って俺のほうへ来る。闇の中を俺の目の先まで来て、手を取りたい様子だ。だが、無念そ うにまた引き返していった。 (「若き日」ノート) 一郎が夜、海を見に漁港へ行くようになったのは、十日ほど前、三月の休みにはいって からだったが、大学ノートに随想らしきものを書きはじめたのは、CCとの東京行きから 帰ってそれほど経っていない日だった。一郎自身、自覚していたかどうかは怪しいけれど、 口説き寄るCCを殴ってしまったことは彼自身をも傷つけたにちがいない。 それで懺悔の表白に衝き動かされてノートに向かったのかもしれないが、理由は判然と しない。はっきりとしているのは、一郎の内に何か急激な変化が怒っているらしいことだ。 、 、 、 変化の様相はいまだ具象的ではないけれど、これまでけものの肉体から発散されていた精 気が、何かを求めて、薄ぼんやりと仄暗い内部のほうへ移りはじめているのは、はっきり している。一郎自身あずかりしらないところで、幼い頃から形状さだかでないまま鮮明に ニヒ リ ズ ム 刻印されていた虚無感が、知のそれに目醒めはじめたということかもしれない。 、 、 一郎は大学ノートの表紙に万年筆で「若き日」1と書いた。いますこしましな表題はな いかと考えたが他に思い浮かばなくて、それをCCから贈られた万年筆のせいにして諦め た。そして最初の頁の一行目から書き始めた。 俺は半年前まで喧嘩をしない日は不愉快だった。この頃は違う。喧嘩をしなければその 日一日楽しい。仮令、喧嘩に負けても口惜しいとは思わないだろう。今までのように生意 気な人間を見たからといって全身の血が騒いで殴りたくなるということもないだろう。あ れは俗に言う暴力だ。CCを殴ってしまったけれど、あれを暴力放棄宣言にしよう。 (「若き日」ノート) ところが「暴力放棄宣言」は一か月と持たずに破られた。 「俗に言う暴力」を事もあろう 、 、 、 おき はじ に長姉に向けてしまったのだ。燃えつきるまえのけものの燠火が一瞬、爆けるといった具 合であったけれど、一郎はしたたか後悔におそわれた。打ちのめされる思いで、彼はノー トに向かった。文に題目を付したのは、このときが初めだった。 賢姉と愚弟の仲 男はいま薄暗い納戸の部屋で「俺は世界一の馬鹿者だ」と思っている。そのいきさつは こうだ……。 男の家族は兄弟姉妹八人だ。二十三歳の姉と十六歳の男とは賢姉と愚弟であるにもかか わらず特別、仲がよい。ところが今日、二人はささいなことが原因で口論になった。母親 が「夕飯のおかずの魚が足りなくなっている」と姉に告げたのが事の始まりだ。時に母親 役もこなす賢姉がミシンを踏むのを止めて「××(愚弟の名前) 、あんたが食べたんじゃな い?」と隣の部屋に声を掛けた。愚弟はその部屋で小学校三年生になる末弟と相撲を取っ てふざけあっていた(そういうところが愚弟の大ボスの由縁)。 賢姉が同じことを繰り返したが、愚弟は白ばっくれてドタンバタンと続け、三度目の声 で初めて賢姉のほうへ顔を向けた。犯人は「自分だ」と白状しているような目つきで。賢 姉はそれを見て、「ああ、やっぱり」という顔をした。愚弟は気分がムカつくのを感じた。 「きっと俺か?」そう言って愚弟は賢姉のほうへ歩み寄る。 「何時もあんただから今日もあ んたでしよ」賢姉の言葉は愚弟のトサカを強烈に刺激した。図星をつかれた後めたさに愚弟 は逆上し、気がつくと賢姉がミシンに向かって掛けている椅子を蹴飛ばしていた。賢姉が サッと逃れたので、椅子を振り上げ、土間へ投げ捨てた。賢姉は恐怖の表情を浮かべ「父 さんに言いつける!」と口走った。それを聞くと愚弟は「おまえ、自分で喧嘩のタネまい といて二言目には親爺、親爺だ。自分で問題起こしたら自分で責任もって解決せよ!」賢 しらにもそんな屁理屈を叫んで姉の顔を殴打した。愚弟は「しまった」と思った。それで も気丈な賢姉に睨み返されると今にも二発目を見舞わんばかりの形相をした。 賢姉は愚弟を睨みつけたまま「なぜわたしがこんな目に合わなくてはならないの? × ×はすぐ暴力で誤魔化そうとするんだから」と詰った。愚弟はまたしても「殴られるより 侮辱のほうが俺には腹が立つ」と恰好つけて強弁した。おのれの非を誤魔化すときの愚弟 の常套手段だ。この愚弟はおのれが悪を成して追いつめられると賢しらな態度を演技して 逃れようとする。虚偽の男だ。 結局、姉弟喧嘩は母親が仲にはいって一段落ついた。母親が仲にはいってくれたとき愚 弟は「救われた」と思った。 男はいま暗い部屋で「俺は世界一の卑怯者だ」と思いながら、追い払っても迫い払って も眼の前の闇に浮かぶ賢姉の顔を眺めている。ふっくらとした白い肌の賢姉の顔には頬の 上あたりに赤むらさき色に充血した痣ができている。明日の朝、姉貴に詫びよう、と男は 思っている。 (「若き日」ノート) 一郎はなぜ折折の出来事をノートに書きとめはじめたのか本当のところは解っていない けれど、そうすることで自分のなかの排泄物を吐きだそう、鬱屈感から救われようとして 、 、 、 いるのには薄薄、気づいている。長姉への愚かしい暴力も、けもの軍団を離れて友を失く したことの稚拙な孤独感と鬱屈が招いた、最後の火花だったのかもしれない。そして夜の 海を見に行くという行為も、その延長にあると言えなくはない。 二年生最後の休暇のあいだ。一郎は夜の海ばかりを眺めて過ごしているような気がする。 、 、 、 それがけものから脱皮するための儀式みたいなもの――ありていに言えば、束の間の虚無 と寂寥に憧れる孤独ゲームであるにちがいない。一郎自身、それを薄薄、意識している。 なま ところが、ゲームのはずの孤独遊びが、休暇も終わりに近い日、妙に生ぐさい椿事を招 たた くことになった。夜な夜な、海を見ていたゆえの崇りだろうか。 だ し その日、一郎が隣町の山車祭りに行くことになったのは、駅で偶然、ヨシダカツトシと 会ったからにすぎない。正午少し過ぎ、名古屋へ行こうとする一郎と反対方向の半田方面 へ行こうとするヨシダとはホームで顔を合わせた。小学校、中学校を通じて少年なりに親 密な関係にあった二人は、一郎が半田高校の入試に失敗して名古屋の私立高校へ行き、ヨ シダが半田商業高校へ入学したことですっかり疎遠になっていた。それで互いに懐かしさ を覚えた。 シン ソン ホ 互いの近況や、一年下でヨシダの隣家に住んでいた申聖浩が半田高校へ通っていること など、取り留めなく言葉を交わしているうち、漁港の町の駅で擦れ違う上り・下りの列車 が同時にホームへはいってきて、一郎はヨシダに誘われるまま下り武豊行きジーゼル車に 乗ったのだった。 隣町で列車を降りると、二人は祭りの出店で賑わいをみせる駅前通りをぶらぶらし、途 中、神社の境内に並ぶ山車を見たりして、ヨシダの友人の家へ行った。友人はヨシダの半 田商高のクラスメートで、その家を訪ねる約束がしてあったらしい。一郎はヨシダに促さ つ れるまま従いていった。 友人の家は駅前通りの外れ近くにあって、酒店だった。母親らしき人が店にいて、ヨシ ダは挨拶するなり勝手知った家といったふうに奥へ通る。障子の向こうではすでに人声が 騒めいてる。部屋にはいると、赤く染った顔が四つほどいっせいに一郎たちを振り向く。 「ヨ シダ、遅いぞ」とかの声が上がって、はしゃいだ雰囲気が、一瞬とぎれる。傍の一郎に向 けられた視線に戸惑いが掠める。 「友だちの馬瀬君」 祭りの馳走が並ぶ座卓のまわりを譲り合うようにして明けられた席につきながらヨシダ が一郎を紹介し、瞬間、しーんとした空気が一座に漂う。トーホーのイチロー……。誰か がそう呟いたように一郎は思う。 一郎はぎこちなく笑いを浮かべて面面を眺めたきり、それで挨拶とする。見知った顔は ない。いや、その場に女子が一人いて、見慣れた制服姿ではないが、見覚えの顔がある。 容貌も体つきも、美形すらりというのではないが、ポチポチッとしたコケティッシュな感 じ。言葉を交わしたことはなく、通学の列車で顔を見知っている以上のことはないけれど、 おとがわ 名前が乙川美恵、名古屋の私立女子高・椙原学園に通っている――といった程度は高校生 のあいだの噂で知っている。一郎の目が彼女のそれと合って、乙川美恵は人なつっこく 、 、 、 えくぼをつくって頭を下げた。 まだ一年生の頃だったか、誰かに「椙原の乙川はイチローに気がある」と冷やかされた 記憶があるが、一郎は、まさか、と思っている。 「イチローさん、飲んで下さい」 家の主であるヨシダの友人がちょっと大人びた口吻で言って、一升瓶の酒を湯呑み茶碗 につぐ。その直後、店のほうから母親が彼を呼んだ。酒の配達注文がはいったらしい。友 人はそれが当たり前のように嫌な顔もみせず座を立った。それからも同じことがたびたび あって、彼は席を外した。父親が死んでいて彼が親爺役をやっているのだ、とヨシダカツ トシの耳打ちで知った。 一座の面面は半田商高のクラスメートと中学時代、仲のよかった同級生たちらしい。家 の主がしばしば席を外すのに、遠慮会釈もなく飲み食いして、一郎の登場でしーんと沈ん だ空気もたちまち吹き飛ぶ。飲み食いといっても、飲むほうは遅れてきたヨシダと一郎が 代わる代わる一升瓶の集中砲火を浴びる恰好で、次次と湯呑み茶碗を満たされる。男子に たち 倣って乙川美恵も、何の外連もない様子で一郎とヨシダに酒を注いだ。彼女は飲めない質ら しいけれど、まわりの雰囲気に酔って色白の顔を淡紅色に染めている。顔色に合わせたわ けでもないだろうが、ピンクがかったカーデガンを着て、赤とベージュがチェック模様に なった派手柄のスカートを履いている。制服姿からは想像できない女の雰囲気だ。 湯呑み茶碗の酒を十杯近くも明けた頃だろうか。それまで何ともなかったはずの意識が 突然、ぐらッとして、急に気が遠くなっていく。その瞬間の感覚ははっきりと憶えている のに、それからあと、意識はとぎれとぎれに切断され、夢のなかで幻を見ているようだっ 、 、 、 、 、 た。ちょっかいを出す程度に酒を飲むことはあっても、こんなふうに本格的に飲酒するの は初体験であり、酒がどのようなものかも知らないままの泥酔だった。誰彼になく饒舌に 何かを喋りかけているのが、遠い遠い意識の涯で覚えられていたけれど、それも不意に幕 が下りるように消えてしまった。 それからあとは真っ暗闇に不思議な映像が脈絡なくあらわれたのをそこだけ鮮明に思い 出されるだけである。 タクシーに乗せられていて、隣に乙川美恵がいて、彼女のスカートが鮮やかに目に映り、 「エロティックなスカート……」と口走って、それを聞いた彼女と運転手が笑ったこと。 たぶん漁港の近くに来たときだったろう、タクシーを下り、乙川美恵が制止するのを振り 払って駆け出し、 「海が呼んでる、海が呼んでる」と叫びながら、水のなかへはいって行っ たこと。泣き声で呼びとめている乙川美恵の声。それを聞きながらズボンを濡らして股の あたりまで海へはいったこと。そして家の二階部屋で乙川美恵が敷いてくれる蒲団に、何 か懇願しながら横になったこと。 まるで死んだように眠って、翌日正午過ぎに目を醒ましたとき、意識はまだ薄明のなか に漂っていたけれど、ズボンを履いたままの下半身の冷たさが鮮烈に肌に染みた。目は醒 ましたけれど起き上がれないままふたたび一晩、意識の闇を漂って翌朝、粥を運んできて くれた長姉が、咋夕、乙川美恵が見舞いに来てくれた、と告げた。 乙川美恵がもう一度、訪ねてきたのは、その午後。彼女が持ってきてくれたソフトクリ ームを二人は部屋で食べた。彼女は、スカートのことをエロティックだと言っだのが面白 かったと言って笑い、海へはいっていったときの彼女の恐怖については何も言わず、三十 分ほどで帰っていった。 一郎はそれ以後、夜の海へ行くのをピタリと止めた。 数日の後、友人の家で泥酔状態のまま喋っていた一郎が、乙川美恵に醜女呼ばわりしな がら愛情告白めいたことを言っていた、とヨシダカツトシから知らされた。一郎は恥ずか しさに体じゅう赤くした。 アルコール。泥酔。醜態。狂乱。 間抜けにも調子に乗って浴びた酒量が冷酒一升。直ぐには廻らぬ酔いに安心したのが身 の破滅。執念深く内攻していたアルコールの毒液が時の進行とともに肉体の隅隅まで。是 はいかんと気付いた時には後の祭り。正体なし。己が醜態にもお構いなく、優しい忠告の 言葉にも「俺の文学は自意識の文学。心配するな」とは冷汗一〇〇リットル。「文学」など とはどこから来た言葉か。 海の野郎、生意気にも俺を呼びやがって。俺の生命を欲しがるとは笑止千万。「やめて、 やめて」の号泣にも耳を貸さず、波濤のなかへ二歩三歩。肉の冷たさにハッと愕き飛び出 せば、思わず抱きつく女の優しさ。あの時、胸まではいっていたら、見事、心臓麻痺でお 陀仏か。恐怖と快感に俺の心は愚劣にも戦慄歓喜するのだ。総て鬱屈からくる破滅的欲望 か。許せ、許せ、 。天下の道化師の悲喜劇を。これもあれも俺の文学の破廉恥な顕現なり… …。あれ? また「文学」だ。突拍子もなく、こいつどこから顔を出すのか。 (「若き日」ノート) 一郎自身、自覚していない韜晦が、そのような脚色的、屈折した文章をノートに書かせ た。 4 「馬瀬も仲間にはいれせんか」 夫馬敬成がそう言って一郎を誘ったのは、三年生に進級して間もない日だった。 土曜日の放課後、プールサイドに一本だけ植えられた桜の木にもたれて、校庭のほうで 軟式野球部の数人がキャッチボールをしているのを眺めていたときだった。このまま帰ろ うか、それとも練習が始まるまで野球部のやつらとキャッチボールでもして時間を潰して から帰ろうか、そんなことを考えていた。授業が終わってしまえば、連れ立って行動する 相手もなく、時問を持て余してしまう。三年生になって初っ端からそんな状態がつづいて いる。乙川美恵と連絡しあって駅で待ち合わせることもできるけれど、自分のほうから彼 、 、 、 女を誘う気持は起こらない。けものをやってた頃とはすっかり様相を変えてしまった日日 に戸惑う。だからといって、後へもどるつもりなど毛頭ない。演技みたいに、孤独、と呟 いてみて、なにか自分がいっぱし成長しているように錯覚する。 いちひら 満開に咲いた桜が、思い出したように間遠に花びらを一枚一枚、足もとに散らすのを踏 んでそこを離れようとしたとき、夫馬が近づいてきたのだ。 「なんの仲間か」 一郎は突慳貪に聞き返す。一年ほど前、夫馬がCCの伝令で呼びに来たときのことを思 い出す。以前の一郎にたいしてならその一言で夫馬は退散したのだろうが、いまは臆する こともない。 「文芸部をつくることになったんだ。それで馬瀬にもはいってもらおうということになっ た」 夫馬の言葉に、一郎は驚いた。一瞬、相手の眼を盗み読む姿勢になる。こいつ、まさか ……。泥酔事件のあとノートに気持のままを書きつけるうち、唐突に「文学」などという 言葉が飛び出したのは、つい十日ほど前のことだ。 一郎は動揺を隠して夫馬の説明を聞くことにした。文芸部の準備メンバーは現在のとこ ろ夫馬敬成、村井のおじさん、五東サーチャ、福山弘洙。夫馬を除いては全貝が三年B組 の同クラスだ。B組というのは商業科の特別クラスで就職対策のために学年二〇〇名の成 績上位五十人が選抜されて編成されている。一郎がこのクラスにはいっているのは、成績 順位としては資格に問題はないとしても、従来の行状からしてCCが巧く按配してくれた からであろう。最近の「悔悛」ぶりも考慮されたのかもしれない。 それにしても、藤村だの白秋だのの詩集を小脇に持ち歩くのが趣味の夫馬は解るとして、 ほかのメンバーに文芸趣味があるとは一郎には寝耳に水である。牽強付会すれば、村井の おじさんは中学を卒業して高校へはいるまで長野や新潟でトンネル工事などの現場を渡り 歩いてきたので、その日日の体験が小説の題材に恰好と言えなくもない。五東サーチャ(本 名・定男)は父親が山口誓子門下のセミプロ俳人とかで本人もノートの落書に五七五をも じる癖があるから文学マニアなのかもしれない。福山弘洙は彼自身、無芸のはずだが兄が 東方の卒業生で早稲田大学露文科へ進み(この高校から早大を合格するなど前代未聞に近 いこと) 、文芸同人誌に本名・萬済洙の名で作品を発表しているというから、かすかながら 文芸方面の血が流れているのかもしれない。 というわけで一郎は黙って夫馬の説明を聞いていたのだが、もう一人、夫馬のクラスの トシハル(渡部年春)の名前を付け加えて挙げたので、さすがに白けた。一郎が自分のこ とは棚に上げて露骨に怪訝な表情を向けると、渡部は短歌のほうの筋がいい、と夫馬が断 、 、 、 言した。なるほど、けものの仲間では珍しく彼には頓知と洒落の才質があった。短歌の筋 というより、あれは川柳の筋であろうが、文芸方面の一種ではあるのかもしれない。 「なんで俺が文芸部にはいらないかんのだ」 一郎は夫馬の話を闘きながら、相変わらずぶっきらぼうに訊ねた。 「文学」という得体の さだかでないものに心を動かされているのが、なんとなく気恥ずかしい。心の内を夫馬に 気取られまいとして、そういう言い方をした。 「ノロさんが、馬瀬を誘え、と言っとるんだわ」 「なんで俺がノロに誘われないかんのだ」 「ノロさんが文芸部の顧問になってくれるんだわ。なんか知らんけど、ノロさんは馬瀬を 買っとるようだ」 「ノロは簿記の先公だろ? 文学のことが解るのか」 夫馬は一瞬、言葉に詰まった。 ノロさんこと野呂大海は大学を卒業して一郎たちの入学と同時に就任した簿記担当の教 員。その名のごとく茫洋とした性格と風態の、一メートル八十センチ、八十五キロの大男。 づら 容貌が俗に言う馬面なので一時、ホースフェイスとか渾名されたけれど、生徒のあいだで 横文字はなじまず、ノロさんに定着した。三年B組、一郎のクラス担任である。メンバー の大半がこのクラスなので、ノロさんに白羽の矢が当たったのか。英語担当の金ちゃん(金 哲史)と風姿、性格いずれも似て、二人は仲がよい。金ちゃんは文学部哲学科卒業なので、 こちらが文芸部顧問というのなら、まだしも納得がいく。 夫馬は一郎の問いには答えずにはぐらかして、とにかく来週の月曜日、放課後にB組の 教室で打ち合わせをするから残ってほしい、そう言って去っていった。 文芸部なんて蒼白い顔の気障な野郎か、女子が集まるクラブだ、そんなふうにも思った けれど、月曜日、授業を終えたあと、一郎は教室に残った。内心では衝き動かされるもの があって、ちょっと冷やかしてやろうとその気持を言いくるめたのだ。 顔を揃えたのは、予定通りの顔触れにもう一人、一郎とも夫馬とも別のクラスの「変人」 こと古見皓也。 「変人」の由来は、一郎には付き合いもなく不明だけれど、例の泥酔事件を 起こした隣町から通っているので、通学列車のなかで本を読んでいる姿を見たことはある。 東方の生徒で本を読みながら通学するとは変なやつだな、と思った記憶がある。B組には いっていないということは、勉強家であるはずがなく、学課とは関係ない本を読んでいる のにちがいない。そういえば、あいつ、映画のシナリオを書いているそうだ、という噂を 耳にしたことがある。それで、 「変人」なのだろうか。 顔を揃えた六人が六人、一郎が誘いに乗ってきたことを歓迎するふうだ。それでも内心 は半信半疑なのが、複雑な面持ちから隠しようもなく察せられる。ところが、ノロさんの 態度は幾分、違っていた。 「よお、馬瀬、颯爽と登場だな」 教室に現われるなり、ノロさんは言った。冷やかし半分の口吻に満足感がこめられてい づら るのが、馬面をおおう笑みから解る。机一つを囲んで椅子に掛けた七人とは外れて、木椅 子に巨体をどたッと預けたノロさんは、部員たちが語り合うあいだほとんど口を挟まなか ったけれど、始終、満足そうな表情は消さなかった。 村井のおじさんが自然の成り行きみたいに進行役になって、皆が文芸部の規則だかを交 交、語りはじめたとき、一郎が口を挟んだ。 「規則なんか、どうでもええ。文芸部つくって、何するんだ」 「創作活動するんだわ」 夫馬が応じる。 「そんなこと解っとる。何、書くんだ?」 「そりゃ、小説が本命だわ。詩や俳句もある」 「短歌もええがや」 夫馬の言葉に次いだのはトシハルだ。 「古見君は映画の脚本を書いとる。そういうちゃんとした創作作品だけでなくても、随筆 とかコントなんかもいい」 トシハルの意見を受けて言ったのは、福山。 「書くだけではマスターベーションと一緒だ。批評しあわなあかん」 一郎は主張のための主張といった気味合いに言う。座がちょっと白けかかる。 「確かに合評は大事だな」 村井のおじさんが取り成すように言い、ノートに「合評の重要性」と書く。一郎は理由 もなく挑戦的になっている。そのことに気付いていて、自分で自分に煽られるように、さ らに言い募った。 「合評だけでは駄目だ。発表せな意味ない」 一郎だけが浮き上がっている感じがあって、しばらく誰も口を聞かない。ノロさんも忠 告めいた言葉は挟まない。やがて、たまりかねたふうに口を開いたのは、夫馬だ。 「雑誌を出すのは、確かに目標の一つだけど、まだ先の話だわ」 一郎もこの顔触れで雑誌が出せるとは思っていない。彼自身、何かが書けるのか雲を掴 ひ むような状態で、自信などない。それで、このあたりが退き際と口を閉ざしたのだが、た ちまちシッペ返しを喰らってしまった。村井のおじさんが提案し、異議を唱える者が誰も いなくて決まったことなのだが、とにかく各自が何かを書いて提出しあおうということに なったのだ。一郎としてそれに反対することは意地にもできない。 数日、あれこれ考えて、ようやく「犬を殺した男」という題名が浮かんだ。主人公の男 が道を歩いていて、吠えかかってきた野良犬を蹴り上げる。野良犬が驚いて車道へ逃げ出 した拍子に、走ってきたトラックに轢かれ死んでしまう。そのあと男をおそった心理の葛 藤をモノローグで追って小説ふうに仕立てようというわけだ。男の行為と心理にかさねて 、 、 、 一郎自身の暴力的な性情を語るつもりなのだ。彼なりの、けものとの別れ、を作品に込め たいのらしい。 おそらく小説を書けるのはメンバーのうちに誰もいないだろう。この作品を面面の前へ 突きつけて顔色をなからしめてやろう。傲慢にもそう考え、力みかえって書き上げた、四 百字詰原稿用紙二十四枚の作品は、どう贔屓目にみても「小説」とは程遼く、告白めいた 作文の域を出ていない。一郎自身が駄作と認めざるをえない代物。 忸怩たる気分を持て余すうち、一郎は計画を変更する。散文詩ふうの小品を書くことに する。それなら垢が目につかないかもしれない。計画変更というより、数で勝負とばかり に二篇を提出してやろうというのだ。 数日まえの夕暮れ時、漁港から衣浦湾に沿う堤防を歩いていて、ふーッと目に浮かんで きた情景がある。一郎はそれを言葉が浮かぶまま心象風景を語るように書いてみる。 夕暮の疲憊、灰色の海があって、堤防の向こうを年老いた夫婦が堆肥を満載した大八車 を押して行く。ユルユルとした畸形の移動だ。古びた生が、彼らの影を励ましている。 運河には白っぽい夕靄が一面のヴェールを流していた。夕闇の匂いが、疲れ切ったぼく の肌に疼いた。ぼくの肉体は、忠実に虚無を分泌している。堤防の向こうでは、堆肥を積 んだ車が故障でも起こしたのか、二つの物体の影が寄り添うように蹲っていた。彼らには 休息が必要だったのかもしれない。 漁船が湾に入って来た。漁師たちは、みな赤錆びた鋼鉄のように疲れ切っている。粘っ こい艪の軋みだけが、異端のように活きていた。ぼくは呆けたように、次に来るスッパイ 虚脱を待っていた。老婆が死者の微笑を待つように。 ハゼ釣り帰りの四人の子供たち、ぼくに、グッバイを言って駆けて行った。 その時、被害者はぼくであり、彼らは未来の被害者であった。再びやって来た虚脱感に、 ぼくは微笑んで応えてやった。 子供たちは、モグラモチのように夕闇の中に消えて行った。 夜明けには邂逅があり、夕暮には別離があった。すべて物体は、クラゲのように流れ、 非人間的な老夫婦の影も動き出した。 ぼくだけが、動かずに石の上に坐っていた。蒼白くなった猫背の旅人は、神のように動 かなかった。 書き終わると一郎は、いくらか興奮した気分をひきずったまましばらく考え、 「猫背の旅 人」と題を付けた。文の初めにそう書くとき、気取った感情を覚えたのに彼は気づかない。 自分の文章に誰かの模倣がありはしないか気になりはしたけれど、模倣するほど木を読ん でいるわけでもないので心当たりはなく、安心した。 作品を持ち寄ろうと約束のその日、文芸部全員が放課後、B組の教室に集まった。ノロ さんも顔を出して、さてどんな代物が登場するか楽しみ、といった面持だ。まず提出作品 を各各が朗読することにする。 全員、尻込みするうち夫馬がおだてられてトップバッターに立ったが、読み上げた詩は 藤村だか白秋だかの模倣らしい抒情的な言葉の羅列、甘い恋愛調の詩だ(島崎藤村の詩も 北原白秋のそれも禄禄、読んだことのない一郎にいずれの模倣なのかは解らないが、彼は そう確信する) 。夫馬につづいて五東サーチヤが俳句五句、村井のおじさんが手記、トシハ ルが短歌三首、福山弘洙が随想を、それぞれ朗読する。 村井のおじさんの手記は長野県のダムエ事現場で働いたときのことを書き、その土地に ゆかりの葉山嘉樹というプロレタリア作家についても触れたもの。葉山嘉樹という名を一 郎は初めて聞いたのだが、へえー、さすが村井のおじさんだ、と訳もなくその手記に感心 する。 福山の随想は「ハルモニの涙」という題で祖母のことを書いている。祖母が死ぬ数日前、 日本人を怨んで遺言みたいに語った話が書かれていて、一郎は小学生の頃の思い出を蘇ら せ、意表を衝かれた。漁港の町でヨシダカツトシと仲のよかったあの頃、ヨシダの家の隣 シン ソン ホ に住んでいた申聖浩を訪ねたことがある。申は一学年下だが、勉強が得意だったのでヨシ ダと二人、彼に夏休みの宿題を頼んであって、それを貰いに行ったときのこと。一郎が雑 草のなかの野道を登って行くと、傾斜地の途中に立つ申の家から老婆の繰り言とも歌とも 知れない声が聞こえてきて、それは不思議な経験として一時、一郎の心に刻まれていた。 福山の朗読を聞き、あのときの嘆きとも憤りともつかない老女の声を鮮明に蘇らせて、一 郎は平手で頬を払われたように意表を衝かれたのだが、それだけではない。日頃の福山の 素振りからは感じることさえできなかった彼の、何かほんとうの心を知らされたように思 ったのだ。 意表を衝かれたのは福山にだけではない。トシハルの短歌にも一郎は驚かされた。 ひしくと孤独に迫る室の灯今日より明日へ移る静けさ あさめし 生きてゐるこの一言がうれしくて朝餉食べて登校す 人人を乗せて電車の過ぎゆけばレールに夏の陽は輝けり これらの作品がどれほどのものなのか一郎に解るはずもないが、夫馬が言ったようにトシ ハルが短歌の才能あるとは信じられないことだったので意表を衝かれたのだ。 古見皓也はやはり映画のシナリオを提出した。ただしこれは千円札五十枚ほどはあろう かという厚みの原稿綴りなので朗読するわけにもいかず、あとで廻し読みしようというこ とになり、一郎に順番が廻ってきた。一郎はどちらを先に読もうかと迷ったすえ、まず「猫 背の旅人」を朗読した。 彼が読み終えると、奇妙にしーんとした空気が面面をつつみ、誰も感想を言おうとしな 、 、 、 い。けものをしていた一郎の行状から想像もつかない作風に呆気にとられたのか、あるい へ た は下手を言って噛みつかれてはかなわないと警戒しているのか。一郎はそのいずれとも取 らず、皆が沈黙しているのは彼の散文詩に感心してのことにちがいないと勝手に決め込ん で、 「犬を殺した男」を朗読することにした。際前のは軽いジャブみたいなもの、これから が本格的なストレートパンチといった気味合いで読み始めた、犬がトラックに轢かれるま でのストーリイ展開の部分は軽快に舌が回った。ところが主人公の心理描写にはいって独白 体がつづくうち、一郎はとたんにとちりはじめる。声に出して読んでいると黙読したとき とは違った気恥ずかしさが沸沸と身内に沸いてきて、とうとう彼は作品の途中で朗読をや めてしまった。 何事か起こったのか、一同がそんな表情を一郎に向ける。四方から見つめられて一郎は、 柄にもなく俯き加減の気分になった。それでも「レフェリーストップ」と、ぶっきらぼう に言うなり、セコンドがリングヘタオルを投げるように手にした原稿用紙の綴りを机の上 に放り投げた。 「なかなかいいぞ。馬瀬、つづけろ」 「うん、面白いがや」 ノロさんとトシハルが口口に言う。気まずい雰囲気を払うつもりか、慰めか。間違って も掛け値なしの讃辞とは思えない。 わ ざ 一郎はそれには応えず、故意とらしくあらぬ方向へ視線をやった。 教室の窓から射し込んでいた陽差しはいつの間にか弱まって、校舎の外は昏れる気配だ。 再度、各自が作品を書き持ち寄って、きょうのも含めたなかから選択して、夏休みまでに ガリ版刷りの冊子を出そうという話がまとまって、文芸部の集まりは散会した。 約束の日までにあたらしく作品を書いて提出するかどうかはわからない、と一郎は思っ ている。村井のおじさんの手記や福山弘洙の「ハルモニの涙」やトシハルの短歌に意表を 衝かれたのは確かだけれど、みんな俺が求めているものとは違う。俺は小説を書きたい、 ちゃんとした小説を。ちゃんとした小説とは何か、よくは解らないけれど、すくなくとも 朗読の途中で恥ずかしくなって立ち往生してしまうような愚作ではない、れっきとした小 説だ。雑誌を出すことにも気を惹かれるけれど、そのまえにほんきで「文学」を勉強しな くては……。 一郎は、他人の前では口が裂けても言えないことと思いつつも、神妙にそう思う。 文芸部の集まりから帰って、一郎はノートに次のような文章を書いた。 文学は人生ではない、現実でもない、しかし人生であり、現実である。文学は虚構であ 、 、 、 、 り、夢であって、しかし虚構でも、夢でもない。文学とは人生と現実を、別の方法で生き ることだ。俺はそういうのに魅かれる。だからその道を行くことにする。 書きついできた「若き日」ノートはすでにすべての頁が埋められていたので、一郎は二 冊目のノートの最初の頁にその文章を書いた。「文学」を勉強すると意気込んでみても、そ れの正体は皆目、訳わからず、当てずっぽうに言葉を並べているうち、そういう文章がで きたのだ。読み返してみると、なんだか「文学」について気の効いたことを言ったような 気になる。的外れでもかまわない、おれはこの線で行こう、と思い決めて「別の方法で」 、 、 、 、 の五文字に傍点を付け、気持のふんぎりとした。 二冊目のノートの表紙には「愚人録」と記した。 一郎は二度目の提出日には作品を出さないつもりでいた。ちゃんとした小説を書くまで は文芸部からも離れようと思っていた。それなのに雑文一つを提出し、さきに提出した「猫 背の旅人」と合わせ雑誌に乗せることを承諾したのは、ノロさんの強い奨めがあったから だが(ノロさんは「犬を殺した男」も掲載するように奨めたが、それは拒んだ) 、一郎の気 持としてそれが、文芸部への別れの挨拶のつもりだった。 あらたに提出した雑文は、冬のある日、ノートに書きとめてあったのを、原稿用紙に写 し換えたもの。 まっしろ 漁港の町Kに、積雪があった。雪の降ることさえ稀な、温暖なその土地に五センチの積 雪は、将に奇跡だ。部屋の窓から眺められる白の世界は、鉄路の痕跡さえ消して一面に広 がっている。総ての汚物を潔白にするその世界は俺にとって羨望そのものである。 坂道も田畑も家家の屋根も、まっしろ。樹木は総て枝葉にたっぷりと白塊の重量を感じ て頭を謙虚に垂れ、草花は太陽の灼熱をのがれて雪に抱擁され、ひそやかに微睡んでいる。 人も通らぬ道はその故に一層、白の世界を際立たせている。 雪の白さは酷薄だ。潔白の惨酷だ。それでも雪は白いことに意味がある。 ノートでは、文章の最後に「俺はその白さと戦う」という一行が書かれていたのを、一 郎は雑誌に載せるとき削除した。雑誌の名前は喧喧諤諤のすえ。 『夜の太鼓』と名付けられ た。一郎が提案の誌名だ。 文芸部に顔を出さなくなって一郎が一人、始めたことは、毎日一冊、文庫本の小説を読 み切ることだった。一日一冊読書イズムと彼が名付けたそれは、一郎自身のアイデアでも あったけれど、氷やのKちゃんの助言がヒントになった。 「いーくん、小説を書こうとおもったら、まず名作を死にもの狂いで読まなあかん」 誰からか(たぶん次兄からだろう)一郎が身体派から転向して「文学」に関心を持ち始 めていると伝え聞いたKちゃんは、一郎の家の縁側に掛けて梅雨空から束の間、差し込む 陽の光を眺めながら、そう言った。 漁港の町で氷造りを営む家(とはいっても父親が戦死して現在は廃業している)の息子 であるKちゃんは、一郎の次兄サーやんと同級生。無二の悪友という形容がぴったりの二 人は、一緒に半田商高へ進学し、一年間通ったきりで退学したのも一緒なら、隣町の紡績 工場に住み込みで勤めたのも一緒。そこを辞めて定職にもつかずボクシングジムを覗いた 、 、 、 、 りしながらぶらぶら暮らしているのも一緒。唯一、異なるのは、Kちゃんが見果てぬ夢を 迫う文学青年ということだ。 、 、 、 氷やのKちゃんは一郎に何かと気を使ってくれる。けもの筋の情報にも地獄耳みたいに 、 、 、 通じていて、一郎が学生やくざの国本と喧嘩をして(その結果が彼にけものの別れを決意 させる一因ともなったのであるが) 、ジャックナイフで学生服を切り裂かれたときも、いち はやく家を訪ねてくれて、自分が高校時代に着ていた学生服を貸してくれた。 Kちゃんがなぜ「文学」という夢を追うようになったのか、一郎は知らない。いまは廃 業した氷やの家を訪ね、天井の梁が剥き出しのまま斜めに張り渡された天井裏みたいな二 階へ上がると、部屋には座机が一つあって、所狭しと本が積まれている。本棚にもぎっし りと並んでいて、それらはすべて「文学」関係の本なのだ。 『近代文学』という雑誌もバッ クナンバーを欠かさず揃えて並んでいる。漁港の町で、そういう種類をこれだけ持ってい る人は、他に存在しないにちがいない。Kちゃんがどこかに小説を発表したという噂は聞 かない、日頃の行状からして原稿用紙に向かっている姿も想像しにくい。それでも一郎は、 この天井が頭にくっつきそうな屋根裏部屋へ来ると、Kちゃんは「文学」をやっている人 だ、と信じることができる。現に小さな古ぼけた座机の上には、びっしりと文字の書き込 まれた原稿用紙が積まれているではないか。 「いーくん、小説が巧くなりたかったら、まず自分の好きな作家の文章を死にもの狂いで 原稿に写すことだなん」 「死にもの狂い」はKちゃんの口癖だ。Kちゃんがそう言って机の上から取って見せてく れた原稿用紙には題名のところに「深夜の酒宴」とあり、その傍らに「椎名麟三」と記さ れている。それに文章がびっしりつづく。 「わしは椎名麟三と花田清輝を全部、書き写すつもりだでなん。小説は椎名、評論は花田。 この二人の文章を書き写しとると、傑作を書けそうな自信が沸いてくる」 氷やのKちゃんは、体格とよく吊り合って角刈りにして堅固そうな、それでいて女好き のしそうな目鼻立ちの顔を天井に向け、言う。照れくさそうにそれを言うかとみれば、顔 は真面目そのものだ。 一郎は、Kちゃんのその言葉は聞きながすことにする。なんだか眉唾ものの気がするの だ。好きな作家の小説を書き写して傑作が生まれるなら、世界じゅう傑作だらけになる。 Kちゃんは自分を励ますために夢のようなことを言って法螺を吹いとる……。一郎は皮肉 にそう思う。 それでも、Kちゃんがあとにつづけて言った言葉は半分、真実かなあ、と思った。 「何事も経験だんな、いーくん。人間の経験が必要だなん。苦しみとか、喜びとか、虚しさ とか、涙とか、いろいろ経験せなあかん。それから社会とか、女とか、遊びとかも、しっ かり経験せなあかん。読書も、小説を書くことも、経験のうちだで、その経験も積まない かん」 Kちゃんの言葉が半分、納得できたからといって、一郎に人間とか、社会とか、女とか、 遊びとかの経験がどんなものか、それを積むにはどうすればよいのか、解っているわけで はない。ともかく手っ取り早いところで読書という経験を積もう。それで、相手の輪郭が 見えてきたら小説を書こう。あと半年もすると就職という問題が舞い込んで、卒業すれば いずれ働くことになるだろうが、そちらは行き当たりばったり、出たとこ勝負にまかせて、 いまは「文学」なのだ、一郎はそう心に決めた。 文庫本は自分で買い求め、単行本のように値の張るのは氷やのKちゃんから借りて、一 郎は夏休みまで一日一冊読書イズムに没頭した。夏休みにはいると木曽駒高原でキャンプ をすることになって、いったん中断したけれど、気がついてみると文庫本四十三冊、単行 本五冊の合わせて四十八冊を読んでいた。そして一冊読み終えるごとに、その感想を「愚 人録」に書き込んだ。十数行の短いものから大学ノート数頁にわたるものまで、さまざま。 たとえば―― 『暗い絵』 野間宏の作品には初めて接した。此の『暗い絵』は、日支事変勃発前の日本の学生たち の、否、野間自身の母国を愛するが故の左翼運動と、野間自身の思想を節節、表わしてい る。それは若者の新鮮な正義と果敢な思想で在り、真実の理想を目的として其処に得られ る平和的な進歩を追究して居る。冒頭、怪奇なヴリューゲルの画に依って己れの苦悶が暗 示される形を描いているので在るが、それは飽くまで自棄糞にならず真剣に苦闘する野間 の何か貧弱では在るが純粋な懊悩への挑戦で在る。この純粋なと言うのは、生一本に何か を求める野間の正常な見地からの挑戦を言うので在る。俺の如き無頼漢には野間の如き純 白な正統派の真剣思想、其の道化も虚偽もない生の思想は、俺にとってはデカダンとニヒ リズムから抜け出す為に絶対必要で在るのだが、俺が俺独自の像を創造する為には野間の 感化は必要ないような気がする。革命の問題に無知だからかも知れないが「正しさ」の思 想は俺から遠く離れて居る。懊悩との戦いは俺を魅きつけて止まないのだが……。 中山義秀 実に詰まらない文学もあればあるものだ。読んで損した。 『テニヤンの末日』こんなもの は高校生の或る種の感傷を野戦地に於ける生活に託した丈のものであって、何の意味も快 楽も苦悩も与えない。将に愚劣な通俗小説の最右翼と言った感である。作者の思想も主張 も人生観も何もあったものではない。唯、作者の体験に稚拙な感傷を加えたものを内面省 察も何もなく描いた丈だ。単純すぎる愚作である。俺でさえも突っ込んで是正し得る箇所 が幾つもある。 梶井基次郎 私は面を喰った。清浄麗麗として沸き出で流れ行く如き詩情。その文学のなかに詩人梶 井基次郎を彷彿させるに充分である。亦、詩情文学に於いて有り勝ちな情緒吐露的欠陥も 見当たらない処に梶井文学の偉大さ、幽玄性が見られる。彼の文学には、己れの一人以外 は扱い得ないと言う処に純粋さが見られる。彼の苦悶し告白する文学は、社会を相手取り 他者を相手取って居るのではない。飽くまでも彼一個を対象として呵責し慰安して居るの である。其処に世間態をはばからぬ掛け値なしの純粋な心情の告白が見られるのである。 彼の自己苦悶の対象は具体的には彼の病身にあるのであるが、それ以上の苦悩の種がある ようだ。それは自分自身の存在への確信と言うものを失った悲哀のデカダン思想、其処か ら来る虚無。其処に、幻滅に悶えながら尚も生きようと努める、その矛盾から来る実存的 告白文学が成立したのではないか。 梶井の文学を徹底的なデカダンスとするのは些か偏見のような気がする。何故なら彼の 中でデカダンと見得るものは、初期の生活であり、書かれた小説のみであって、彼の思想 の根元を成すのは決してデカダンでも何でもなく、唯、幻滅の為に些か不貞腐れたと言う 丈なのであり、生活と作品に見られるデカダン臭も或いは絶望から来る一時の感傷に過ぎ ないのかも知れない。高尚な描写のなかに庶民的な対象を捕らえて居るのは、高尚な人格 が庶民的感情に馴染もうと努める姿のようである。かと言って上流なものへの嫌悪とも思 えない。 清冽なリリシズムのなかに混ずる唯一つの虚構が見出されるとしたら「のんき患者」の テーマである。其処に描かれる病人梶井は悲嘆し懊悩して居ながら、あの題名を付した処 は唯一つの悲しい虚構反駁で甚だ悲惨である。亦「瀬山の話」の結末は圧巻であり、彼の ニヒルに対する悲しい告白とも言える。傑作は矢張り「檸檬」に尽きる。 「城のある町」は 落ち着いた作品だが迫力なし。 「ある心の風景」病身の苦悶。 「闇の絵巻」写実描写の妙。 「交 尾」見出された明るさ。 最後に、梶井の全編を貫く観念的なニヒル探究は実存感覚から来たものであるから観念 的な侭でよいように思う。 『愛の渇き』 戦後派アプレ文学の天才が遺憾なく本領を発揮した小説。此処には現代人の愛の枯渇と それに殉ずる情痴の本性と言うものが露わされ、現代のエゴイズムの隠された正体が三島 由紀夫によって赤裸裸な形でもって臆することなく描かれて居る。しかし此処に見られる 三島哲学は二重にも三重にもひねくられた形で何か異常な論法であり、納得行かない。此 の作品で三島が欲求したのは、三郎の愛情の渇きであり、情慾の対象は固定されるもので なく異性一般にだらしなく向けられると言う、アプレ・ゲール的心理を貫くことであって、 三郎の誠実な人間性がそれに反駁するのである。亦、悦子の異常な愛情であり、直接三島 に通ずる苦悩の告白である。亦、弥吉を媒介に描かれる三島の淡い資本家への嫌悪であり 老人の醜い情痴を描いて居る。謙輔を通してアプレ人種の独特な思想を否定して居乍ら、 反面、三島はそれを肯定し、羨望して居る。亦、浅子、千恵子二人の女性によって女の無 知、不躾、盲目的服従などへの軽蔑を物語っている。三島が描破したものは総てが現代の 風俗であり、現代的思想である。悦子の空虚な苦悶。探求最中はそれと気付かず、気の付 いた時は何と空虚な悩みであったろう。そして感情に反射されるのは唯々、疲労丈と言う 現代人の、現代文学の虚無も表われて居る。敏感な感性による三島の逆説的哲学は魅力で ある。技巧的にも女性の主人公を扱って異質の妙味である。しかし現代を描くのは俺も目 ざす処だが、三島の現代は小説すぎて嘘っぽい。三島は才能はあっても傲慢だ。結局、大 衆を蔑にしている。だから苦悩が空虚なのだ。従って俺は三鳥を勉強しても仕方ないだろ う。 一郎は辞書を引き引き(難解な漢字を多く使うのはそのせいであるが、難解な文字を覚 えようとして辞書を引くのでもある)、読後感をノートに書き込む。二冊目のノート「愚人 録」はたちまち埋め尽くされて三冊目にはいり、そのノートは「諧謔録」と名付けられた。 ノートが空白になる木曽駒高原でのキャンプは、夏休みをむかえて間もなくの七月末だ った。これは文芸部と、時を同じくして作られたばかりの演劇部とが合同で行ったもの。 演劇部の顧問になった英語担当の金ちゃん(金哲史)と、文芸部顧問の簿記担当ノロさん 、 、 (野呂大海)とが、うまの合った仲なので合同キャンプになったわけだが、村井のおじさ んが腕を揮ってガリ切りした雑誌『夜の太鼓』に短文二篇を載せたきり文芸部から気持の 離れている一郎がそれに参加したのは、ノロさんからの強力な誘いがあってのことだ。 金ちゃんとノロさんに引率された(というよりも二人も含めて皆、仲間といった雰囲気 だが)総勢十五名ほどは、木曽駒高原で二日間のキャンプを張り、そのあと国鉄中央線で 北東へ廻り、山梨県側から富士山に登って、さらに熱海へ向かって一泊。日程としてはち ょっと贅沢なバカンスとなったけれど、何の変哲もない高校夏休みの一齣だった。それで シ ーン も一郎の心に刻まれた場面がなかったわけではない。 木曽駒高原でのキャンプの夜、キャンプファイヤーを楽しみながら演劇部の連中が目下、 稽古中の『火山灰地』の一場面を演じ、文芸部の連中が『夜の太鼓』に載せた詩や俳句な ど朗読して、それが一区切りしたとき、ノロさんが「おーい、集まれー」と大声で呼んで 皆をテントの前へ集めた。何のことかと顔を揃えると「金子先生が皆に話したいことがあ づら る」と言う。茫洋とした風貌のノロさんが、馬面をいつになく強張らせている。 「ぼくが朝鮮人であることは、皆も知っているな」 金ちゃんがそう言って切り出した話は、こうだ。 東京の武蔵野とかいうところに間もなく「朝鮮大学」ができる。日本に住んでいる朝鮮 青年が(そのとき金ちゃんは日本による植民地支配に触れて簡略に、なぜ朝鮮人が日本に いるかを説明した) 、勉強する大学だ。金ちゃんは来年四月から教員としてその大学に赴任 する。英語ではなくマルクス主義哲学を教えることになっている――概略、そういうこと だった。 「みんな、三年間、ありがとう」 金ちゃんはそう言って話を締め括った。 金ちゃんの言ったことの本当の意味が一郎に充分、理解できたわけではない。漁港の町 シン ソン ホ 、 、 、 の友人ヨシダカツトシや申聖浩、そして刃物沙汰の喧嘩にまでなった国本、一緒にけもの軍 団をやっていたヒロのことが、頭に浮かんで消えた。いま傍らに立っている福山弘洙のほ うをチラッと見やると、固い表情の横顔が目にはいる。いつもの糞真面目な様子と特別、 変わっているふうではない。 それっきりのことだったのだが、一郎は気持が深い底のほうへ沈み込むような、神妙な 気持を味わった。まだ半年以上も教室で顔を合わせるはずなのに、感激屋の金ちゃんが別 れの挨拶をするみたいに目をうるませていたせいかもしれない。そう思いつつ、否、そん な認識ではおれは愚かだ、とも一郎は思う。 富士登山では頂上をあとわずかにして、一郎はリタイアーしてしまった。体力には一行 の誰よりも自信のあるはずなのに突然、彼自身にも理由のわからない感情が沸いて、頂上 まで行って何の意味がある、と思い、登るのを止めてしまったのだ。 「馬瀬、おまえは人生を中途半端にしてしまう人間だ。人生の中途半端は悲しいぞ」 頂上から下りて山小屋へもどったとき、金ちゃんが他の者には聞こえないように一郎に 言った。金ちゃんが顔を間近かに寄せるようにして言いかけたとき、一郎が予想したのは、 ひねくれ者という言葉だったので、虚を衝かれて胸のうちが蒼褪めるのを感じた。 そんなことはあったけれど、おおむね変哲のないバカンスが終わろうとする最後の日、 偶然の出来事があった。富士登山のあと熱海へ出て一泊した日、宿の夕飯がすむと、一郎 は一人で町へ出た。町通りをぶらぶらするうち一軒の遊戯場にはいり、スマートボールを して遊んだ。簡単に金を擦られて表へ出たときだった。 明かりがいくぶん弱くなった通りを往き交う浴衣着の観光客に混じって、趣の少し異な る男女連れが遊戯場のほうへ歩いて来る。男はアロハシャツを着て、女のほうは黄色いポ ロシャツに赤っぽいチェック柄のスカートを被いている。大人っぽい服装だが、二人とも 高校生の雰囲気だ。 遊戯場前の明かりのなかで擦れ違いざま、 「あッ」 と声を上げたのは一郎だったが、それは女が振り向きざま「あッ」と言ったのと同時だ った。乙川美恵だ。 乙川美恵は驚いたままの表情で、 「グループで来てるの。箱根へ行った帰り」 と言う。 グループだろうとアベックだろうと、おれの知ったことか、と一郎は内心、毒づく。親 戚の従兄とか言わないだけ上出来だ……。 一郎が目顔で合図して行き過ぎようとすると、乙川美恵が「ちょっと待って」と叫び、 連れの男に何か言い置いて追って来た。一郎と肩を並べるようにして歩きながら彼女は、 彼がなぜここにいるのかなど訊ねる。一郎は気乗りしないふうを装ってそれに応える。一 郎のほうから話しかけることもしないけれど、言葉を交わすうち乙川美恵の表情は明るく なっている。 「海を見る」 彼女が不意にそう言ったのは、町通りを外れかかって左手に灌木の疎林があらわれたと き。相手の反応にはお構いなく彼女が林のなかの野道を行くのに、一郎も従いて行く。疎 林は深いものではなく、二十メートルほども行くと崖際に出て、眼下はもう潮騒の音が間 近かな海岸。岩場を洗う波が沖へ広かっていて、黒っぽく光沢を放つ海は動物の背のよう にうねっている。波のうねりぐあいといい、暗い色合いといい、漁港の町の夜の海とは違 う、そう思いながら沖合の漁火を眺めているうち、寄り添う乙川美恵の体から樹乳に似た 匂いがしたので、一郎は立ったまま彼女を抱いた。彼女の唇にロを寄せ、数秒合わせてす ぐ離した。乙川美恵が一郎の顔を見つめて人なつっこく笑いかけたので、一郎はさきほど より激しく唇を合わせ、彼女の舌をまさぐりながら息が切れそうになるまでそれを続けた。 乙川美恵は、一郎が勝手に想像していたような露わな反応を見せなかったが、彼の舌を巧 みに操って小さな声をもらす。唇を離してからも彼女は少し体をくねらせるようにして一 郎の胸に抱かれたままでいた。 「きょうは帰る」 不意に乙川美恵が言って、二人は海岸を離れ疎林を出た。 彼女が泊まっている旅館は一郎たちの宿の脇道を登った先の高台にあった。 「名古屋へ帰ったら連絡するからね」 別れぎわに乙川美恵は握手の真似ごとみたいに一郎の手を取って言った。 キャンプ旅行から帰って、熱海での約束通り乙川美恵から電話がかかったとき、一郎は 彼女の意を即座に承諾して、翌日、乗り合わせる列車の時間を決めた。漁港の町にもどっ て五日間、彼は連絡を心待ちにしていたのだ。 一郎はキャンプ旅行から帰ったら「星男」という題の小説を書くことにしていた。夜に なると星ばかりを眺めている男が、そのうち孤独に耐えかねて星空に幻想の女を見るよう になり、恋をする。恋情は夜ごと募って、男はとうとう肉体に異変を感じ、夢とも、現実 とも、想像とも、狂気ともつかぬ異次元感覚のなかで、妊娠する――という話だ。処女懐 ヒ ント 胎に着想を得た、童貞懐胎の物語のつもりなのだ。 主人公が身体に異変を覚え懐胎する場面を、できるだけリアルに描きたい、と一郎は思 っている。けれど何の知識もないので参考になる本を乙川美恵から借りたい。それで彼女 からの連絡を待ちわびていたのだ。乙川美恵からならそういう本を借りても可怪しくない、 なぜか一郎はそう思った。 翌日、午後一番の名古屋方面行き列車に乗り合わせて、二人は名古屋駅から広小路通り を納屋橋まで歩き、なごや松竹で井上靖原作の『あすなろ物語』という映画を観た。映画 の最中、まず一郎の腹がダーグー鳴り出し、しばらくして隣の席で乙川美恵の腹がそれに 応じるふうに、少し小さく遠慮げに鳴り出す。一郎は昼飯を食べずに来たのだ。どうやら 乙川美恵も同様らしい。二人は互いを気にしあって我慢しながらも、腹の虫に抗しきれず 合槌の打ち合いっこみたいに腹を鳴らしながら、映画を見終えた。 映画館を出ると、乙川美恵は篭から放された鳥のように決活になって、映画のなかの場 面をあれこれ喋る。一郎も檻から放たれた気分でそれに応じ、ときどき笑ったりしながら、 帰りも名古屋駅まで歩いた。構内の地下にある日本食堂で、一郎は中華そばと丼めしを食 べ、乙川美恵は中華そばだけを食べた。 そ っぱ 帰りの列車のなかで乙川美恵が、少し反歯の唇をひらき、これも上向き加減の鼻をふく らませ、黒目の大きい愛くるしい眼を輝かせて、嬉しげな笑顔を向けるたび、一郎は映画 館での腹の虫鳴き競べを思い出した。こいつ、照れ隠ししとるんか、と心のうちでわざと らしく皮肉を呟いたりもしたが、車中で隣り合わせて話しているうち、ラブ・フレンドの 気分になっていた。一郎が妊娠の本を貸してほしいと言ったのは、そんなときだった。乙 川美恵は理由も聞かず、いたずらっぽく笑ったきりだ。 漁港の町に着いて、二人は一緒に駅で降りた。陽が西に傾きはじめ、日差しはいくらか 弱まっていたけれど、一郎も乙川美恵も鼻のあたまにうっすら汗を浮かべ、鉄路の上の橋 を渡ったさきの野道を登っていった。中学校の裏山を過ぎて野道が一の谷への下りに差し かかると、あたりは急に陽が沈んだようになる。あたりをおおう灌木の林が深くなるのだ。 林へはいったときだったか、その少し前だったか、二人がどちらからともなく手を取り合 ったのは。 野道を外れて、いっそう薄暗くなった薮にはいったとき、一郎は一年前をチラッと思い 浮かべたが、その記憶を打ち消すように乙川美恵の体を抱きしめた。ここは、一郎がこれ までに一度だけ女性と体を交えた場所、いや交えたと言えるのかどうか、夢のなかの体験 のようにやなせ歌乃栄と体を交わした同じ場所。その記憶に煽られるように一郎は乙川美 恵の体を抱きしめた。 熱海でのときと同じように、一郎は息が切れそうになるまで彼の唇を乙川美恵の唇に合 わせる。乙川美恵はあのときより少し大胆に舌を交わらせ、胸のふくらみを躍らせて一郎 を刺激した。二度、三度、唇を合わせ、胸のふくらみを躍らせるうち、乙川美恵の息づか いははっきりとした声に変わっている。 抱き合い、唇を合わせたまま二人の体がずるずると崩れるように枯葉の地面に倒れて、 一郎がズボンのベルトに手を掛けたとき、思いもかけない衝撃が下半身をはしり、一郎は 衣服のなかで射精していた。勃起しきった胯間にズボンの上から乙川美恵の指が触れて、 その瞬問だった。 一郎が膝を地面についたまま乙川美恵の体を抱えるようにして動かなくなったので、彼 女は不安そうな表情を向けた。それでも何かに気づいたにちがいない。 たけのこ 「 笥 みたいな匂い」 乙川美恵も一郎に抱かれて動かないまま、そう呟いた。 三日後、乙川美恵から本を渡したいと電話がかかったとき一郎は、彼女が昼間に会いた いと言うのに否を言って、夜九時に会うことにして、漁港から西へ行って彼女の住む隣町 むかやま との中間あたりの向山の海岸を指示した。乙川美恵はなぜそんな時間なのか訊ねなかった。 向山の海岸は衣浦湾に面して石垣の防潮堤がつづいている。一郎は日曜日の午後など、 そこまで歩いて石垣の上に寝そべり本を読むことがあるので、きょうも家から海辺の夜道 を歩いて行った。乙川美恵は約束通り、高圧電線の鉄塔を数メートル離れて海のほうへ湾 曲した防潮堤で待っていた。自転車で来たらしく、新しいそれが月の光に照らされて鉄塔 の脇に置かれている。 防潮堤が明け方のように白く輝いているのは、月光のせいだ。そこから眺められる海に 漁船の影は見えなかったけれど、ほとんど波の立たない海面は銀色に燦めいて微細な魚鱗 がひしめくように光の粒子を放ち、沖合まで広かっている。月の光とも、海からの光の反 射とも、見分けがつかない感じの明かりの下で一郎が乙川美恵から受け取った本は『妊娠 のしくみ』という表紙の冊子ふうのものだった。婦人雑誌の附録か何からしい。 「月夜の海なんて、初めて」 石垣の上に肩を寄り添わせて腰を下ろし、沖で少しずつ光の粒子を移動させているよう におもえる魚鱗の群を眺めながら、乙川美恵が言う。声の調子に興奮した気持が込められ ている。すぐ足もとのほうで石垣を洗う波の音が、地を食う虫の呟きみたいに跳ねている。 「美恵の、裸かが見たい」 一郎がその音を打ち払うように言う。 「星男」の主人公が星空に女の幻想を見る場面を描 きたくて、それを言うために彼女を夜、海辺に誘っだのだが、一郎はその理由を口にしな い。そういう目的だけのためではないからだ。 乙川美恵は電話のときと同じように理由は質さず、ブラウスのボタンを外し、スカート を脱ぎ、下衣を取った。 「離れて、立って」 一郎の声は上ずった。乙川美恵は爪先立ちするように石垣の上を歩いて、全身が一郎の 視界に納まる位置に立った。 月光の下で、裸身はいっそう白く浮かび上がり、生なましく、それでいて塑像みたいに も見えた。一郎は凄く真剣な気持になって息をのんだ。目のまえに立っているのが乙川美 恵であるのはたしかなのに、なんだか幻の裸体みたいな錯覚に陥った。これまで体験した ことも想像したこともない、異様な美しさ、と一郎は思う。 いつまでも見つめつづけていたいと思ったとき、 「いーくんも裸かになって」 乙川美恵が下腹部に添わした手を微かに動かして、言った。 一郎は一瞬、虚を衝かれ、迷った。そして、傍らに脱ぎ捨てられている彼女の衣服を拾 い上げ、近づいて行った。 「ありがとう」 わざとぶっきらぼうに一言、言うなり、一郎は乙川美恵の胸と下半身に下衣を着け、上 衣を着せた。気持がそのまま手伝って手がふるえた。 一郎が衣服を着せ終えると、乙川美恵は全身をぶつけるように彼の体に抱きついた。美 恵が言うまま裸かになっていたら、俺はこいつのなかにはいっていた。それはきっと、あ の幻みたいな美しさを犯すという感じでしかできなかったろう。そうしなくてよかった… …。 そんな気持が沸いて、一郎は乙川美恵の体を思い切り抱き締めた。胸のなかで乙川美恵 が啜り泣いていた。啜り泣く声に「うれしい」と言う言葉が混じったように思うが、空耳 だったかもしれない。 自転車の二人乗りをして、一郎が隣町の家まで乙川美恵を送って行き、帰りは歩いても どった。家に着いたのは十一時に近かったが、気持が昂って寝られず、一郎はノートを書 くことにした。 美恵、お前が可哀想で仕方ない。俺のような色魔の虚言に巧く乗せられて、俺の顔を見 れば楽しそうにし、俺の甘言を耳にすれば嬉しそうにし、今夜はまた俺の中の邪念とも知 らず裸身をさらして呉れた。それにしても、なんと美しい裸身だったことか! 玄な裸体だったことか! なんと幽 俺も一生懸命お前に惚れようと努めて居るが、どうにも駄目だ。今の侭ではお前が不憫 だ、顔を合わすのが苦痛な程、悲憐だ。それでも俺はお前の肉体が欲しいのだ。離し度く ない。卑怯だ、俺は卑怯だ、自分ながら吐気を催す程、卑怯な人間だ。これが俺の我侭な 性癖ならばお前に足蹴にされようと手打になろうとも、黙して頭を垂れるしかない。俺も 何時迄も此んな不実な人間でいたくはないのだ。 美恵、お前を家まで送って帰る道々、俺は月を眺めながら歩いて来た。お前の白い裸身 を照らした時、煌々としていた月が何時の間にか柔らかく傘をかぶって居た。そいつが俺 を見て微笑みかけたようだった。美恵、お前の笑顔にそれはよく似ていた。そして、こう 語りかけるんだ、一郎、書け、書け、読め、読め、学べ、学べ、と。そうだ、書いて、書 いて、読んで、読んで、学びまくってやるぞ、俺は。 (「諧謔録」ノート) それだけ書くと排泄のあとのように気持が幾分。落ち着いて一郎は床にはいった。それ でも眠りつくまでにしばらく悶悶とした。 夜中、一郎が夢精して目を醒ましたのは、何時頃だったろうか。数時間前に海辺で観た のと寸分違わない乙川美恵の裸身が現われて、息を殺すようにしてそれを眺めているうち 夢はいったん消えた。時の経過は定かでないまま再び見た夢のなかで、一郎は乙川美恵と 体を交していた。息苦しさに耐えている感覚がスーッと途切れて、乙川美恵のなかに彼の 胯間がはいった瞬間、射精していたのだった。 目醒めたあと、あのように鮮明な性交を夢に見たのは初めてだ、と一郎は胸の鼓動を覚 えた。勿論、女のなかにはっきりと現実感をともなってはいった場面も初めての体験だ。 三日前、名古屋で映画を見ての帰り、一の谷の林で乙川美恵と唇を合わせていて射精して しまったのだが、これまでデイトの経験はあってもそういうことはなく、あれも初めての ことだった。 それやこれや思って、一郎は自分が乙川美恵に惚れているのを感じた。 一郎は何かに取り憑かれたように四日間、原稿用紙に向かい、 「星男」八十二枚を一気に 書き上げた。夢中で書きすすめるうち、彼は一種の自己陶酔に陥りもした。誰も真似ので きない独創的な小説を書いている気分をしばしば味わった。主人公が身体の異変におそわ れ童貞懐胎する場面も、乙川美恵から借りた『妊娠のしくみ』を巧く活用できた、その個 所より前、主人公が星空に美しい女の裸身を幻想する場面も、月光の下の乙川美恵の裸体 をイメージしてリアルに描写できた、一郎はそう感じながらペンをすすめた。 ところが書き上がって一週間と経たないいま、彼は原稿八十二枚を燃やそうかどうしよ うか迷っている。何度も読み返すたび、 『妊娠のしくみ』を活用した懐胎場面はどこか不自 然に思え、月光に白く浮き上がった乙川美恵の裸身を現実の印象そのままに描いたはずが、 作りもののマネキン像にも見えてきて、そうなると作品の一から十までが色褪せ、みすぼ らしく痩せ細って、主人公の像からして木偶にしか見えない。書きすすめるうちたびたび 一郎をとらえた陶酔は、急転、自己嫌悪に変わってしまったのだ。それで乙川美恵から小 説を読みたいと電話がかかっても、会うのさえ断りつづけている。 一郎が自信喪失に陥った理由は、それだけではない。芥川龍之介と太宰治の感化が見え ストーリイ 、 、 見え。文章や物 語 はそれほどでもなく模倣はないと確信できるけれど、作品の着想のもとを 成している思想あるいは人生観想らしきものに芥川と太宰をミックスした影響が歴然とし ている―読み返すたびその感じは鼻につき、一郎の自信を打ちのめす。「星男」に付した ペンネーム 作者名からして愚の骨頂。それを考えついたときは意にも介せず、なかば得得と記したの だが、彼にはいまそのペンネームは、愚劣な罪悪にも思える。あくた・おさむ―― 一郎は 「星男」の作者名をそう記したのだ。 一郎が芥川脂之介と太宰治に強く魅かれたのは、一日一冊イズムと銘打った読書のなか で彼自身、共感してのことでもあったが、それだけではない。文芸部の夫馬敬成が島崎藤 村だの、北原白秋だの、佐藤春夫だの、武者小路実篤だのを喜んで勿体つけているのに、 訳は分からないまま強い反撥があった。あんなの、なよなよして「文学」とは違う、一郎 はそう思っている。 そんな折も折、氷やのKちゃんが例の本に囲まれた屋根裏の部屋で言ったのだ、 、 、 、 、 、 、 「いーくん、文学をやろうとしたら、まず文学のはしかにかからなあかん。文学のはしかに は、芥川と太宰が一番だなん」 一郎は「文学」とは泥水を啜るような、手首にヤッパを当ててスーッと引いたあとに滲 んでくる血を嘗めるような、そんな感じのものと勝手に決め込んでいたので、Kちゃんの 言うことになんとなく共感できた。 「デカダン」とか「ニヒル」とか「自死」という言葉が、 無性に一郎を魅きつけた。 それで畢竟、芥川龍之介と太宰治へのオマージュが一郎のノートを多く埋めている。 私は太宰治を文学者として師の一人に仰ぐ、と同時に懐かしい嫌悪を感じる。私の現在 の文学観は太宰と彼の作品に依るところ大である。それは暗黒と頽廃と虚無と虚構が渦巻 くカオスの坩堝に妖しくのた打ち廻る、卑俗の文学なのである。それは太宰の羞恥と潔癖 を取り除いた場合にのみ彼の文学と相等しい性質を有するものなのである。 果たしてこの性格は私独自の産物であるのか。太宰の影響と感化から来る、卑しい模倣 であるのか。出来得るならば私の生来の独自性と信じたい。事実、私の血統は太宰に通ず る血統にあると思う。その証拠として私自身、現在の思想に実に満足して居る。寧、幸福 感さえ抱きかねないで居る。 しかし血統は血統として認める他方、太宰の感化の一層熾烈であった事を否定出来ない。 何んとなれば「人間失格」 「斜陽」 「晩年」「走れメロス」等に接した時の私の躍動は言語に 絶するものがあったからである。このような経験を見出したという事は、太宰の文学に通 ずる血統の片鱗が確かに私の血と肉の中に埋蔵せられていたに違いない。太宰の傑作から 駄作に至る迄、私の心を奪わぬものは無い。確かに人間の卑劣、愚昧と言った甚だ不健全 な性情ばかりを捉え諧謔したものではあるが、太宰程、赤裸裸に人間の生態を描いた作家 は居ないように思われる。それは人間の悪性ばかりを追求した人問観ではあったが、それ に太宰程、誠実に挑戦した作家は前代未聞であろう。 勿論、彼の文学は下品であり、高尚であるとは言えない。しかし、それも人間の一面を 余りに深く見すぎたが為に志賀(直哉)のような高尚さがなくなってしまったのではない だろうか。所詮、人間等という存在は頽廃動物であり、人間の形成する社会は頽廃社会で あるのだ。故に人間と社会を愚昧なほどに見つめた太宰の文学がデカダン文学となったの は、当然の理である。彼の不貞腐れでも何でもない。太宰の死は彼の文学の帰結としての、 これも亦「作品」なのである。 私は太宰の文学を憎み、そして太宰の文学を愛する。私は太宰の文学を嘲笑い、そして 太宰の文学を崇敬する。 (「諧謔録」ノート) 芥川文学は何時かは朽ち落ちるだろう。しかし、その魂は永遠の生命となって生きつづ けるだろう。このような曖昧模糊とも皮肉ともつかぬ評言は、卑怯者の成し得る処ではあ るが、芥川龍之介を最も適切に評した諷刺的表現であり、彼自身が得意とし、好む処であ ろう。 芥川文学を捕らえて、態のよい通俗小説なり、と戯言を叩く輩も居るようだが、其奴ら は芥川文学に埋蔵せられた、或る意味を解せぬからである。 彼の文学を三部に分類する事ができる。一部は歴史物によって特徴付けられるものであ り、鼻、芋粥、偸盗、地獄変、好色、藪の中、蜘蛛の糸、奉教人の死、枯野抄、庭、等等 である。二部は現代の時世を背景に牛耳る諷刺文学であり、或る阿呆の一生、手巾、舞踏 会、お時儀、一塊の土、蜃気樓、西方の人(キリスト教論)等等である。三部は旺盛な虚 構空想力を駆使した、多少、ノイローゼ気味の文学であり、河童、を頭目として、歯車、 MENSURAZOILI、南京の基督、等等である。 是等らに一貫するのは、超現実的なタッチで以て人間の現実を捕らえた、熾烈極まるア イロニーと諷刺なのである。それは恵まれた機智と特有の文才によって、一種独特という より寧、抜群の天才的文学の妙味を創造しているのだ。 芥川の死については、私の理智をしてはとても高嶺の花ではあるが、昨今の私自身の心 境からして彼を神経の異常に導き、死へと誘惑した何物かが判るような気がする。それは 文学という怪異な業に侵された人問が共通に逢着する、現実と理想、善と悪、生と死、等 等の矛盾に対する懊悩から来だのではないだろうか。そうした苦患が感受性に富んだ天才 を耐え難く剌激したからではないだろうか。 にもかかわらず芥川が矢鱈と不貞腐れてデカダン文学にならなかったのは、彼の理智の 豊富と高邁な頭脳を物語るのではないだろうか。亦、反面ではデカダン思想に没入し切れ なかった事が彼の苦悩を大きくしたのではないだろうか。死への行路を彼の文学が余儀な くさせたとしたなら(私はそれを確信している) 、天賦の才こそ罪悪と言わなくてはならな い。亦、芥川が生涯を通じて偶像として唯一、崇拝したイエス・クリストは、彼の祈願を 裏切ったユダとなるのである。然らば、イエスに裏切られた芥川こそ、悲憐の徒と言わな ければならない。と同時に、自殺を否定するキリシタンとしての彼がその禁を破った事も 亦、裏切者と呼ばれて仕方ない。将に複雑怪奇な巡り合わせである。故にこそ芥川の文学 は熾烈にして真実なのであるが。 処で附録的な存在として芥川の思想を如実に語るのが“侏儒の言葉”の数数である。 「人生の悲劇の第一幕は、親子となった事に始まって居る。 」 私は彼の言葉をこう言い換えよう、人類の悲劇の第一幕は、人間が言葉の芸術を得た時 に始まった―― (同ノート) 俺は愈愈、人生の疲労を感じる。文学も、女も、生き甲斐も全てに疲労困憊している。 此れは一体、十七歳にして既に人生の倦怠なのであろうか。 人生の倦怠期で在るなら荒波を越える絶好のチャンスで在る。しかし俺にはそんな生や さしいピンチではない気がする。どうも此の侭、瀬戸際まで追いやられてしまう気がして ならない。最悪の終幕への予感が不安と焦燥に己が心を周章狼狽させる。確固たる思想も 持たぬ俺が何の文学か、何の道徳か、社会にプロテストする何の思想が在ると言うのか。 指先から脳髄まで腐り行く肉体一つしか持たぬ俺がデカダンとニヒルを気取るさえ笑止な のだ。芥川が、太宰が、安吾が、何の慰安になろう。 しかし、これは自業自得ではない。人生の悲劇が成せる業だ。人間の宿命の悪戯であり、 運命の嘲笑なのだ。 (同ノート) 喜劇の舞台に立つピエロは悲しい。 悲劇の舞台に立つ道化は滑稽だ。 悲しい喜劇と滑稽な悲劇の、一人二役の主人公―それが俺という存在なのだろうか。 (同ノート) そんな種類の文章が書きつらねられていたノートを、一郎は数頁にわたって容赦なく破 り棄ててしまった。 「星男」の原稿は結局、次に気に入った小説が書けたとき燃やそう、と 今は思いとどまって古封筒に納め、本棚の上へ置いたので、その身代わりみたいにノート を破いたのだった。それで芥川龍之介と太宰治の感化から「さよなら」をするつもりであ った。 、 、 、 だからといって一度、罹ったはしかの痕がおいそれと消えるわけではない。痣は、孤独 と死を憧れる観念ゲームとして、一郎の皮膚に残った。痣のまわりには「デカダン」 「ニヒ 、 、 、 ル」といった言葉のつぶつぶがにきびみたいに細かく散って、彼を疼かせた。 挙句、刻印された痣から肉体が腐敗しはじめ、孤独のうちに死に至るのだ、という妄想 にさえ時に捉われる。一郎自身には勿論、死の観念が妄想とか憧れとかのゲームという自 覚はありえい。死との(無自覚な)ゲームは、乙川美恵との交際のきっかけとなった隣町 の祭りの日、泥酔して海へはいって行った、あの頃すでに始まっていたのだろう。それが 読書という経験のなかで次第に夢想的に、観念臭を強めて、一郎を捉えているのに違いな い。 遺骸の崇拝は、人間の普遍的な愚行である。 (シャルル・リシエ『人間論』 ) 今の俺は、死ぬより仕様のない人問だ。それにも拘わらず、此の俺を生かして居るもの は、一体、何だろう。 (椎名麟三『運河』 ) 四冊目のノートの最初の頁の冒頭に、一郎はその二行を書いた。以来、読みあさる本の どこかで死に関するアフォリズムに出会えば、それをノートに書き写し、頁を埋めていっ た。そして彼自身のアフォリズムもまた、随所に記された。 生と死の関係は、単なる矛盾観念であって別々のものではない。表が生なら裏は直ちに 死であり、死が表なら裏は直ちに生であるのだ。二つのものの間に中間項は許容されない。 従って、生と死の徹底的な闘争のなかで、それらは一つのものになる。 (「虚伝録」ノート) 人は宿命に逃れるか、死に逃れるか、いずれにしろ卑俗であり、怯儒であり、そして崇 高であり、人生と棺桶の関係に似て一つのことなのだ。 (同ノート) 死と笑いに何の差違もない。 (同ノート) 生きていてよかった、と思う人があれば、彼は人間的ではない。 生きていて残念だ、と思う人があれば、彼は卑劣だ。 非人間的でもなく、卑劣でもない人生は可能か? 可能だとすれば中間者のみがその権 利を得る。中間とは生と死の境界。人間的な人問とは生と死の境界で抗争する(生きる) 者の謂だ。 (同ノート) 人間は苦しくなつたら海へ行けばいいのだ。海へ行けば気が晴れるか、さもなくば死が 呼んでくれる。要するに、其処で全ては決せられる。 最も処分し易いのは、人間の生命だ。 (同ノート) 或る男の死を伝えられた。 瞬間、悪寒が背筋を走った。 しかし、それは束の間の本能的な怖れに過ぎなかった。夕陽が西の空に沈み闇が世界を 支配するまで嘆き続けるには、死は余りに脆弱にすぎた。 死の恐怖は理性に勝てない。死の意識は四六時、影のように付き纏うので、すっかり人 間の理性を鍛え上げてしまうのだ。鍛えられた理性は、死と言う決定的現象に対してさえ、 倦怠を覚えてしまう。 (同ノート) 死の観念ゲームは、一郎にとって孤独への憧れと一卵性双生児の兄弟に似ていた。 一郎が文芸部を離れてからも、夫馬敬成らは何かと彼に接触したがったけれど、避ける ことにしていた。 「文学」は孤独という境遇と精神からしか生まれない、それでなくては人 間の魂に触れるような、切実で、苛酷な「文学」など創れるはずはない、と思っていたか らだ。乙川美恵とも会わないことにしているのは、そのためだ。時に抑えがたい欲望にお そわれながら、それに耐えることに一種の自己陶酔を覚えてもいた。 小学生の頃、夕昏れどきの風に枝葉を揺らす樹樹を窓の外に眺めながら、薄暮のどこか らともなく訳もなく迫ってきた不安や怯え、虚無感がそうであったように、孤独や死の観 念にともなうニヒリズムもまた、彼自身どうすることもできない切実な感情であると思っ ている。一郎にとって、そこに嘘はないのだ。それでいて、時に虚無への憧れ、一種ゲー ムの感覚に薄薄、捉えられることもある。そんなとき彼は、半ば目醒めかけた自意識ごと ニヒリズムという夢魔の淵へ引きずり込んで身を沈めた。 一郎にとってゲームであるかないかは関心のうちではなかった。ニヒリズムを避けるた めに何か代替物を、たとえばヒューマニズムといったものを求めるようでは駄目なのだ、 とことん虚無の感覚に耐えて、そこから生まれてくる何かでなくては「文学」とはならな い―そんな気分だけが妙に確信めいて一郎にあって、ニヒリズムはそのために必要だった とも言える。 二学期が始まって一と月も経たず、そんな状態のうちに修学旅行がやってきた。六泊七 日、九州の旅。一郎は車中では一人、学友たちとは別の車輛で本を読み、宿泊や見学など 団体行動でも、孤独の楽しみが損なわれるのを嫌悪するふうに過ごした。 一九五五年九月二十六日 列車、欣喜雀躍する学友ら乗せて名古屋駅を出発。小生は何の興も覚えず。列車が福山 に差し掛かりし頃、車窓に白き月あり、初めて感傷と興趣を覚える。一日、他に感興なし。 九月二十七日 早暁六時、眠りより醒めると窓外に雲の彼方の日の出を見る。色彩の光輝を知る。 博多にて下車。何の興趣もなく時は過ぎ、再び車中にあつて退屈の旅に疲労を覚える。 窓辺に身を倚らしめて一人、孤独を楽しみ、二葉亭を読み居るとき、一人の女性、傍に坐 せり。素朴な風貌と質素な制服、賢明にして芯強き容姿から地元の女性と察せり。その彼 女、しばしばこちらに視線を配り、些が彼女に興味を覚える。軈て、どちらからともなく 会話の端を発し、言葉すすむうち興に乗り、話題は文学のこと、社会への関心、就職問題 に至り、工業高校で唯一人の女子である彼女は都会に憧れると言い、小生は自然を好むと 応える。軈て、肥後浜と標識のある駅で下車し、永松ヱイ子と名を告げて彼女は去りぬ。 諌早より雲仙に向かうバス車中も彼女の面影去らず、何故か気分昂揚して友らの前に狂 態の芸を演じる。 九月二十八日 雲仙“ことぶき館”をバスにて出発。バスは朝明けの旅愁を誘うなか嶮阻な仁田峠の山 道を走る。さながらイースタン活劇に似て、一大スペクタクルとスリルを一時、満喫する。 仁田峠の展望台からの眺望、朝靄の彼方に遠く聳える山々の波も亦、荘厳なり。しかし他 はさして見るものなし。 昼近く長崎に到る。市内観覧するも平和公園の塔以外、心満たすものなく落胆。但し一 寸したトラブル起こる。集合時刻に遅れる者多数あり、教師怒りて以後外出を禁ず、と言 う。小生ら教師を罵る。 風雲をはらみ、質素ななかにも港の情緒におう長崎をあとにして列車の人となる。単彩 に続く窓外の景色は映画フィルムに似て、何処までも広広涼涼たる田園の連なり、そして 背景を成す低き山波。 『浮雲』の続きを開き、時に窓外の風景を左見右見(とみこうみ)し つつ熊本に着く頃、読了せり。 熊本にては“惣進館”なる旅館に投宿。件のトラブルは教師の計らいにて落着するも、 気持の煩い暗き影を落し、外出三十分ほどで帰宿。何の興もなく宿にて今日を見送る。 されど今日は小生十八歳の誕生日、この日を客地に迎えるも何かの因縁か。 九月二十九日 熊本の一夜は何物も小生に与えず、唯、日本の現実の悲哀の一端を見たのみ。そは観光 客を求めて駅前に立つ娼婦らの往来なり。この夜の眠り浅し。 宿を発って熊本市内一周。荒廃の中に栄枯盛衰の夢を語る熊本城、情緒誘う水前寺公園、 いずれも人の賑わい喧しく些かの感興にとどまる。 熊本を立ち、列車は坊中へ。坊中より阿蘇を望むも折から接近する台風の余波によりプ ラン変更。学友ら落胆し、小生はさしたる関心なし。 坊中を後に雨中を別府へ。別府駅より此の夜の宿“観海寺錦園”へと向かう二十分間、 小生が旅行中、初めて目を瞠るバス・ガールに遭遇せり。美声にして容貌また美の極限。 小生のみあらず、車中の全員歓呼の声。 宿に着くなり気分爽快、元気溌刺、珍しく夫馬、福山、五東、村井、トシハル、古見ら 友と談笑せり。それも束の間、入浴、夕食後、台風 22 号の到来に備え、全員、教師の指示 により避難演習する。小生これを見て愚の骨頂と嘲笑、数名を誘ってサボタージュする。 詰まらぬ生への執着が可笑しい。 九月三十日 台風一過、目醒めれば宿の窓外に見える木木の青葉は艶々と濡れ、秋の朝の風に揺れて いる。 宿を発って別府地獄巡りに向かう。海地獄、鶴見地獄、坊主地獄、鬼山地獄、その怪異 な現象は小生の心を魅了、修学旅行中最大の印象となる。殊に鶴見地獄の原始人動物? の 奇怪さ、海地獄の天地自然の魁偉に驚愕する。 折からの霧雨の中、地獄巡りを終え、愈愈帰路に着く予定が台風の余波に依る連絡船欠 航の為、帰省は一日延期となる。別府にて更に一泊。 十月一日 愈愈、帰路の時来る。波止場へ向かうバスを待つ時、奇遇にも漁港の町Kに在所を持つ という男に会う。齢の頃 40 あたりか。小生の知るKの住人のことを尋ねる。男からKの住 人への伝言を聞き、港へ向かう。途中、高崎山に寄り狼たちと遊ぶ。台風の恩恵に依り大 いに愉しむ。猿の世界にもボスからフンドシ担ぎまで階級社会あり一驚。 帰路は“錦丸”と称する一五〇噸余の汽船。埠頭を出帆するとき数多の見送人あって手 を振り、一種の感傷を知る。“錦丸”は軽快に波を捌き、軈て島々を後に瀬戸内海へ。瀬戸 内の島島の情景は絶佳にして小生のひねくれ心と孤独癖を洗う。亦、船べりにせり昇り来 る波しぶきの涼味も格別。 軈て夜となり月が浮かぶ。昨日の望月に変って今宵の月はやや不正円ではあるが、月明 かり煌々たる船上の一夜は否応なくロマンティックな境地に誘う。小生一人、最上甲板に 出てデッキに身を倚せ、月下の孤独を愉しむ時、夫馬敬成現われ、会話する。 小生、題を発して、人生に幻滅して死を選ぶ者を落伍者と称び、無為に生きのびて死す 者を木偶の徒と称ぶ、いずれ五十歩百歩の人生なりと言う。夫馬答えて日く、人生に於い て死を選ぶ者は現実の見苦しさに忍び得ぬ最も良心的にして美しい心の持主なりと言う。 そして純粋の徒なりと言う。小生日く、没良心的に、不純に、醜く生きて、正と邪の矛盾 を乗り越え人生を全うする者あるに、矛盾に耐えかねて死を選ぶは只の弱きに過ぎず、死 は逃走に非ず生の亜種にして積極的選択で在るべき、と。此れは矛盾方程式的解決法なれ ど、人は他に死と闘争する方法を持たず、と。夫馬、小生の論に納得せず。彼の思考はロ マンティシズムとセンチメンタリズムの交配種の如し。 話題は転じて彼女の話となる。夫馬は現在交際する彼女以外に女性を知らず、唯ひたす ら彼女の為に生を捧げたい、と言う。されど彼は彼女を充分に把握出来ず、彼女と唇を合 わせる事はおろか愛を囁きし事もなし、と言う。小生、乙川美恵との交際を語り(やなせ 歌乃栄と体を交した事は話さず) 、肉を欲望せぬ愛は心をともなわぬ交際に等しく、肉体と 精神の合体こそ異性への愛なりと主張し、夫馬に彼女把握の手練を伝授し激励する。夫馬 納得せず、彼女に求めるは快楽に非ず幸福なりと反論する。夫馬は余りに純情なり。快楽 と幸福は矛盾せず双方の絶対必要要件なり。 船室に戻り、読みかけの漱石を開く。名古屋へ着くまでに『こころ』を読了せねばなら ない。 十月二日 正午過ぎ、列車は名古屋駅に到着。修学旅行終了せり。 (「虚伝録」ノート) 、 、 、 、 一郎の修学旅行記は以上のようなものであるが、彼はあのことをそこになぜ書かなかっ たのだろう。言葉で記す必要もないほど鮮烈な記憶として一郎の内に刻み込まれるはずの ものだからなのか、それとも出来事が一郎の心に与えた、ほんとうの体験が文章にするこ とによって損なわれると感じて、それを避けるためになのか。 あのことーそれが一郎の心を激しく動かしたことには間違いない。他人には変哲もない 些事にすぎないかもしれぬそれは、ある精神の出来事として彼に刻印された。 台風 22 号に遭遇した夜、 別府の宿でのこと。 夕食のあとの自由時間が過ぎて消燈まぎわ、 同室のトシハルが突然、苦痛を訴えて呻きはじめた。肛門に手をやり、蒲団の上を転げ廻 らんばかりの痛がりようだ。五束サーチャが教員を呼びに走る。ノロさん(簿記担当・野 、 、 、 呂大海)とあなた(英語担当・藤田六助)がやって来て、トシハルのズボンとパンツを脱 がす。そして一郎たちが見たものは、トシハルの肛門から親指ほどのあたまを出している、 いぼ ピ ン ク 兇兇しい肉の塊り。巨大な疣は、くすんだ淡紅色(一郎の目にそう見えた)をして呼吸を しているように見えた。 、 、 、 同室の五人が息を飲んだのは言うまでもないが、駆けつけたノロさんとあなたも、蒼褪 めてうろたえ、手を供く。恐れとも照れくささともつかない、一種言い難い沈黙に囲まれ て、トシハルは下半身さらけだしたまま蒲団の上で呻いている。 廊下にスリッパの音がして皆が振り向くと、部屋にはいってきたのはCC(化学・保健 担当・岩井巌雄)だった。CCは狼狽するふうもなく甲斐甲斐しくといった感じでトシハ ルに指示して、彼を四つん這いにさせる(そのとき一郎はCCから胯間をまさぐられた日 の記憶をちらツと思い出した) 。CCは落ち着いた仕種でシャツの袖を捲り上げると、ブー ッと一呼吸して右手の親指を兇兇しい肉塊に当て、グイッと一気に押し込んだ。その瞬間、 トシハルは悲鳴を上げたけれど、あとはぐったりと蒲団の上に横たわり、静かになった。 CCは、一郎が手にしていた宿のタオルを取ってトシハルの額に浮かぶ汗を拭き取り、 二言三言、言葉を残して部屋を出て行った。 、 、 トシハルの様子は見る見るもとの彼に戻った。 同室の連中が揶揄まじりに歓声を上げ、拍手までしてトシハルを照れさせるのに、一郎 は和することもせず黙然としていた。CCに負けた、と思う。しかし、その衝撃は不快な ものではなかった。 うつつ その夜、戸外に激しい風の音を聞きながら、一郎は夢とも 現 ともっかず、体をまさぐる ように這う手の感触に気づいていた。妙に暑苦しく寝汗をかいていたのだが、手の執拗な 動きを拒むこともせず、どこか自分がそれに甘えてさえいるのを覚えるうち汗が快くひい て、手は掻き消えるように去っていった。CCが部屋に忍んできて一郎の下着を取り替え ていったのだ。 翌朝、CCと顔を合わせて腋を擽られるように面映ゆかったけれど、一郎はCCにつら れ、笑顔を返していた。 5 修学旅行から帰って一か月近く経っている。そろそろ卒業後の進路問題が取沙汰されは じめた。進路といっても商業科生徒にとって進学するケースは稀であって、百人中九十九 人が就職問題。それも相互銀行とか信用金庫、百貨店を狙える者は選ばれたる者であって、 大半が合資会社△△商店といった中小零細企業や繊維問屋に勤めるか、家業を継ぐ。花屋 とか料理屋、製菓商などへ“奉公”に行く者も少なくない。一郎にはそれらのどれもが他 人事のようで、先行きが皆目、見当もつかない。「文学」をやりたいと思うと、「進路」が 真っ暗になるのだった。 CCから呼ばれたのは、そんな折だった。そして職員室の隣の会議室でCCの話を聞く なり、一郎は仰天していた。机を挟んで向かい合ったまま相手の顔をまじまじ眺めるが、 CCが冗談を言っているとは思えない。 一郎が呆気に取られたまま口も聞けないでいるので、CCはもう一度、進学の話をして、 それにつづけた。 「愛智大学の特待生試験が一月にあるから、それを受けなさい」 CCが事もなげに言うので、一郎はもう一度、仰天した。大学受験の準備など小指の先 ほどもしていない。まして、二・五流あたりの私立大学とはいえ、特待生試験など思いも 及ばないことだ。 「受験科目は英語、国語、社会の三科目だから、今日から二か月半、猛勉強に打ち込めば 何とかなる。一郎なら大丈夫。万一、特待が駄目でも奨学生に廻して貰える」 CCは、これまで一郎を眺めるとき決まってみせた、あの目をうるませ訴えるような表 情とは別の、強く説得的な視線を注いで言いつづける。いつもの名古屋弁でないのが、不 思議だ。 「家で相談します」 一郎はようやくの思いで神妙な言い方をした。 「もし特待が駄目になったら、先生が学費を出してもいいからな」 一郎が丁寧に頭を下げて部屋を出ようとするとき、CCの甲高い声が聞こえた。 家で相談することを、一郎は一週間ほども迷っていた。進学の話は彼の気持を激しく衝 き動かしている。皆目、見当もつかず闇におおわれていた目の前が急に開けて、燦めくよ うな風景が現われようとしている、そんな心境でもあった。 それはそうだけれど……。特待生試験は何としても荷が重い。不合格になった場合、た とえ奨学金を得られたとしても現在の家の経済状態からして進学が可能か。父の本職であ る「しるし書き」 (酒樽の菰かぶりに商標デザインを描く仕事)は、数年前から徐徐に復活 、 、 、 してきてはいるが、とても十人家族(八人の兄弟姉妹)のたつきには心許なく、繊維関係 の闇ブローカーを兼業につづけている。長兄、次兄は本人たちの自業自得とはいえ商校を 、 、 、 、 中退して、家計の負担にこそなれ、助けにもならないぶらぶら暮し、兄たちの学歴を一挙 に飛び越えて大学へ進むなど、一郎には想像もできないことだった。 一週間前、CCから話を聞き終えて部屋を出る間際、背を打った言葉が、脳裏にへばり ついている。つい、その言葉のほうへ擦り寄りそうになる気持を、一郎は自己嫌悪に迫ら れながら強く払いのける。いくら学費の援助だからといって、金銭を恵んで貰うような、 否、金で囲われるのに似た境遇が、受け入れられるものか……。 あれやこれや考えあぐねて、一郎は父に進学の話を切り出しそこねていたのだった。二 度ほどCCから催促を受けたけれど、うやむやな返事しかできなかった。 CCから子犬箱ほどの風呂敷包みを渡されたのは、そんな折。包みをひろげると、英和 辞典、国語辞典など辞書類のほか、英語の単語集その他、入試用の参考書がどっさりと出 てきた。あとの面倒は先生が見てやるから受験準備に取りかかれ、ということか。一郎は すっかり焦って、その夜、父に話を切り出した。 お にい 「愛智大学を受けやええがん」父は晩酌の酒を前に言った、「大っきい兄(次兄)も、高校 、 、 、 とう も全うできず中退してしまったで、おまえはその分、代わりにようけ学校へ通えばええ。父 ちゃんも一人くらい大学生の息子の顔が見たいでなん。大学生とはどんなもんか、楽しみに しとるが」 父の返事があまりに呆気ないので、一郎は複雑な気持になった。 父が小学生の頃、尋常から高等小学校を通じて漁港の町でも有名な「勉強の出来る少年」 だったという噂は、いまだに町の大人たちの口から聞かされる。文字の読めない祖母など ひで 「英(父の呼称)はいつも蠅叩きばっかりだった」と自慢する。「蠅叩き」とは、その文字 の形状から推測して祖母独自の言い方であって、成績票の「甲」のことだ。一郎の中学生 時代、父が英語や数学の知識を伝えてくれるのに、小学校しか卒業していないのにどこで 覚えたのだろう、と一郎は不思議に思うことがあった。偶にする一郎の勉強に付き合いな がら、父は職人仕事の家業を継ぐために、行きたい「上の学校」へも行けなかった無念を それとなくもらし、子どもたちに期待する口振りでもあった。 、 、 、 、 「岩井先生から――」銚子の口をおちょこに傾けながら、父はつづけた、 「おまえを進学さ せてほしいという手紙が来た。すぐ承諾の返事を出してある。わしはおまえのほうから言 い出すのを待ってただでなん。なんといっても、本人の意思が大事だで」 父の口振りは、いつも晩酌の時にとりとめのない話をするのと変わらない。CCが風呂 敷包み一杯の参考書を渡したのは、父からの返事を確かめたうえでのことだったのだ。 特待生が駄目だった場合(その可能性は百パーセントに近い) 、どうするのか、家の経済 は大丈夫なのか、一郎はそれを訊ねようか迷った。でも、素直な気持で、言わないことに 決めた。そのかわりに意思表示のつもりで、飯台のこちらから手を伸ばして銚子を取り上 げ、父を促した。一郎の酌を受ける父の表情は、妙に若若しかった。 大学進学が決まると、一郎はCCから贈られた参考書や単語集をたよりに受験勉強を始 めた。商業科なので受験の役に立つ科目などほとんどなく、授業中を参考書と首っぴきで 過ごした。クラスメートたちは異物が教室にまぎれこんだふうに白けていたが、教師は勿 論、事情を知っていて注意することはない。学校への列車往復二時間も、英単語の暗記な どに当てた。 ところが家ではどうしても受験勉強に手がつかない。一人部屋にいると、無性に「文学」 の本を読みたくなり、 「星男」を焼き捨てて悔いのない新しい小説を書かなくてはならない、 と焦る。そちらの比重が受験勉強などよりはるかに強くなって、一郎のうちで心のバラン スが崩れてしまう。 内心の鬱屈を打ち払おうと、一郎はノートに向かう。 青春の充実と快楽を得るには二通りの方法あり。一つは学問の探求に身を捧げ、友と談 諭する喜びあり、他方は若さのシンボル、異常なファイトを以て身体により暴力と反道徳 の限りを尽くす快楽にあり、私が経しは後者なり。そは決して青春の喜びに非ず、狂気に 似た快楽に過ぎず。青春というシユーズのはき違い也。青春前期は私の最も惨めな懺悔な り。しかし、友みな社会に出ずるに私は大学を志す。そして真の青春の快楽は私の未来に 待つ。私の青春はいったん散りて後に来る。愛智大学は私の志す大学に非ず、唯、己の人 間性向上と人生充実の基として、独自の力を得るが目的なり。校名、評判など問うことな し。私が専攻するは文学なり。学舎を出たのち文学が社会的経済的地位の為、役立つか否 か、たとえ役立たずとも文学の道を学ぶ決意は確固たり。専攻が文学の為、警察と共に最 も軽蔑せし教師に落ちる事あっても、私の決心は不動なり。文学の道、行くはその道の他 になし。 大学・進学! 学校のレベルは問わず。信念は余が胸にあり 進め、学の道 そは文学の道にして、人生学の道なり 余が学問の目的あり、人間的知の向上 故に人生快楽にあり 学! そは余が人生の快楽にして苦悩なり 学! そは不朽の生命なり 学! そは幸福への唯一の道なり (「虚伝録」ノート) 俺が勉強するなんて事は一体、何故なのか。明日の命を知れぬ俺が、さあ進学だ、さあ 文学だ、とは一体全体、何の戯れか。朝に道を悟れば夕に死すとも悔なし、と言う訳か。 俺にそのような殊勝な思想が在るのか。とすれば俺自身の死の予感は虚構だとでも言うの か。違う、断じて違う。俺には死へ向かう要素が整って居るではないか。腐敗して行く肉 体、愚鈍な才能、自尊心の過剰、思想の滅裂、是らは全て死の魔手であること歴然ではな いか。既に死の宜告に等しいではないか。だからこそ俺は死の予言なぞと言う大冒険を敢 えて強行したのだ。虚構などではない、戯言などではない。俺の苦悩、懊悩、煩悩、戦慄、 決して他人には分かるまい。此の肉体の腐り行く不安を、此の思想の虚無の苦しみを、此 の才能の愚劣の絶望を。 是らの俺を取り巻く汚辱の渦は決して俺から去るまい。否、去り行かなくともよい。何 、 、 、 時までも、何処までも、俺に付き纏うがいい。俺にはきさまらに復讐する勇気もなければ、 そのつもりもない。あの冬の空のアドバルーンのように只管、漂い、滅ぶを待つのみ…… (同ノート) 師走に近くなって一郎が教会へ通い始めたのは、理由がある。彼の様子にただならない ものを察してか、夫馬敬成から誘いがあり、彼の友人の紹介で名古屋城に近いプロテスタ ントの教会へ通うことにしたのだ。 一郎は日本文学にばかりこだわっていては虚無や頽廃から脱皮できないと思い、スタン ダール、ジイド、バルザックなどフランス文学、トルストイ、ドストエフスキーなどロシ ア文学。シェークスピア、エドガー・アラン・ポー、スタインベック、ヘミングウェイな ど英米文学の本を買い集め、読み始めていた。世界文学を学ぶためには「神」の問題をま ず理解しなくてはならない、そう思って夫馬の忠言を受け容れたのだった。 私がイエス・クリストを愛し人生の糧として崇拝するためには、クリストを知り、その 教義の悉くの知識を得なくてはならないのだろうか。私にはクリストに就いての何の知識 もない。無知そのものだ。世界文学を学ぶためにも無知は許されない。しかし、クリスト を愛し崇拝するのに必ずしも教義の知識は不要と思う。信念である。クリストを愛し崇拝 する信念さえ在ればクリスチャンたり得る。此の見解は無知な私の自己擁護に過ぎぬかも 知れないが、正当であると信ずる。異議を称える輩一〇万に、肯定する私一人としても、 譲歩はしない。寧、張り合いを持って闘うだろう。私の信念は理論や学説ではなく、私個 人の完璧なる想念に過ぎないが、また完璧なる正当性でもある。 、 、 、 、 しかし、世界文学を理解する為には神(クリスト)に就いての知識を得なくてはならな いのだ。 (「虚伝録」ノート) 以上のような文章を一郎はノートに記したけれど、そのことだけが教会へ通おうとした 理由ではない。むしろ別の理由に現実味があった。 、 、 、 、 、 、 、 、 大学へ進むのなら、自分をそれらしくしなくてはならない。俺の体にはまだけものの臭 いがどこか染みついていて、他人には直ちに嗅ぎとられてしまうかもしれない。この臭い を消し払い、進学校の生徒らがどことなく備えている(一郎はそれを嫌悪し、同時に羨望 してきたのだった)知的雰囲気を身につけなくてはならない―そんな想いが教会という場 所で叶えられるのではないか、彼にはそう思えたのだった。 ところが、日曜日ごと礼拝に通ううち四度と行かず彼は失望した。そこに来るキリスト 教系の高校の生徒たちは何と取り澄ましていることか、それは一郎に違和感をあたえる以 上に不快にした。知的雰囲気とは違う、と彼は思う。教会は男子高生か女子高生を上品に ナンパする場になっていて、礼拝が始まるまえなど庭のあちらこちらで取り澄まし顔のデ 、 、 、 イトの約束が交わされている。けものの荒ぶりが感情を刺激するのに、一郎はようやくの 思いで耐えた。 クリストの教えるところが余りに現実とマッチせざる故、教会を去った友人が居る。彼 リアリスト は現実派なのだ。彼は教会を志す者は経済的余裕を持つブルジョア的アッセンブリであっ て、プロレタリアを主義とする自分に執っては教会はブルジョアセンチメンタリズムに過 ぎず、社会変革を阻害するものなり、と主張した。 私はその論に賛成しながらも、クリスト的正義を以て腐敗した現実と闘う為にこそ俺は 教会に通う、教会に通う事が目的ではなくイェス・クリストの思想を学ぶためなり、と敢 えて反論してきた。しかし、最早やその信念は幻滅した。クリストの思想は手離し難いが、 教会に得るもの無し。 ゲーテ日く「学問と芸術を持たぬ者は宗教を持て」と。私は「学問」と「文学」を目ざ している。 「宗教」の必要は必ずしも無い。 (「虚伝録」ノート) 教会へは今日を最後に、もう行くまいと心に決めて礼拝に出たその日、東京から来た偉 い牧師(赤岩栄と紹介されたように思うが一郎に確かな記憶はない)が説教を行った。説 教の途中、一郎は突然、挙手して質問した。教会で経験した違和感について早口に述べ、 日曜日も働かなくてはならないため礼拝に来られない友人のいることを訴え、キリスト教 が社会と現実の変革に寄与しうるかを質した。質問というより抗議の口調になっていた。 説教の最中に発言するなど教会ではありえないことなのか、非難の視線が四囲から突き刺 してくるのを一郎は感じた。牧師もまた一瞬、顔を曇らせた。しかし、気を取りなおすふ うに懇切な調子で一郎の発言に応えた。一郎は体じゅうがかーッと上気していて、牧師の 言葉がほとんど頭にはいらないまま過ぎた。 一郎が教会を出て、葉のすっかり枯れ散った銀杏並木をしばらく歩き、バス停に向かう ときだった。背後に靴音がして、それが自分を呼んでいるように感じたので、彼は振り向 いた。すぐ背後に女性が迫ってきている。 一郎は瞬時、息をのむふうに目を瞠った。彼より二、三歳年上だろうか、あるいは私服 に赤っぽいコートを着て髪を背のほうへ長くしているので大人っぽく見えるのかもしれな い。実際は彼と同じ高校生のような気もする。一郎が目を瞠ったのは、その女性の透き通 るような印象にだった。目鼻立ちが整っているという以上に、端正な聡明感が漂っている。 磨かれた石像のように額が美しかった。少し病的な感じさえするほどだ。 透き通るような印象は、その容貌からだけではなく、細身の容姿全体からも醸し出され タイプ ているのだ。一郎がこれまでに出会った経験のなかにはいない 型 の女性。ラブレターを貰 ったり、公園で話し合ったりの程度をふくめ交際した女性は言うまでもなく、街路とか電 車のなかとかで見かけたことさえない、ハッと胸を衝かれる美しさだった。教会に通って いるにちがいないその女性に、一郎は二度と教会へは足を運ぶまいという、ついさっきの 決心が揺るがされるのを覚えた。 「あなたが牧師さんに言ったこと、私も同感だわ」 一郎と肩を並べる位置に来るなり、彼女は少し息を弾ませて語りかけた。彼のほうは彼 女の印象に気押されるままにいて、瞬間、何のことかと戸惑った。 「わたしも教会に疑問を感じているの。あそこはなんだか嘘の感じがする。それで迷って るの、あと洗礼を受けるばかりなのに」 彼女は容姿の印象とは違って、単刀直入な言い方をした。 「ぼくはまだ礼拝は三度目だけど、そんな気がする」 一郎はやっとの思いでそれだけ言った。「ぼく」なんて言葉を使うの、何年ぶりだろう… …。 「あなたの発言に励まされたわけじやないけど、わたし、教会やめる」 二人はバス停に着いていた。一郎が名古屋駅方面の標識のところで立ち止まると、彼女 は行き先が違うのか、そのまま行き過ぎようとする。一郎は一瞬、憑かれたような気分に なり、彼女の名前を訊ねていた。どことなく児戯っぽい笑顔と、小さな声が返ってきた。 遠去かって行く赤いコートと、その背に垂れて小さく揺れている髪を眺めながら、一郎 は、なぜ名前を訊いたりしたのだろう、と顔が火照るのを感じた。そのくせ一方では、住 所も訊ねればよかった、と密かに悔やんだ。 そのとき彼は、彼女とふたたび邂逅する日が来ようとは夢にも想像しなかった……。 それで家に帰ると早速、ノートに向かい、住所を訊かなかった無念を晴らすように過剰 な思いを込めて書き記した。彼女の姿はそれから何日も頭を去らず、誇張されたオマージ ュがノートを埋めた。 神坂ねんこの容姿が俺の想念を奪って放さない。彼女の面影に今夜は悩まされるにちが いない。彼女の威力とも言うべき美しさが、文学思想に、学問に、試験の心得に、全て行 き詰まりを感じている俺には、恐怖とも不安ともつかぬ情感を誘う。あらゆる意欲を無慙 にも奪い去ってしまう魔界があるとすれば、亦、俺の人間形成への意思を破壊するものが 在るとすれば、それは彼女に違いない。それで居て、俺の心は彼女の形姿ばかりを追って いる。 「お前でも女に参る事があるのか」もう一人の俺が嘲笑する。そうだ、俺自身、不可 解なのだ。俺が今まで惚れて来た女は全て性欲の対象として肉を目当てに惚れたのだ。愛 もなく情欲を遊ばせて来たのだ。しかし彼女、神坂ねんこ丈は愛の対象として思い切り愛 し度い。願わくば愛され度い。仮令、憧れであったとしても構わない、俺は彼女を永遠に 愛し抜いてやるんだ。 (「虚伝録」ノート) あの瞳! あの唇! あの額! 全てが俺の脳裡で日に日に鮮明になり、俺を噛み殺す ようだ。 未だ且て俺の心に真剣な恋愛の対象として宿った女は居なかった。その事実に関して俺 は実に高慢だった。処がその天狗鼻は今、へし折られようとしている。否、神坂ねんこの 美と魅力によって既にへし折られてしまったのかも知れない。彼女の美は魔性の美だ。俺 が斯ように女を讃美するとは、奇跡だ。俺は今まで女に賞讃を呉れてやろうなぞとは思い もしなかった。それが男の性としての勝利を証し立てるものと確信して来た。しかし遂に 俺は敗北した。俺は彼女に負けた。 だが俺の高邁ぶった自尊心は敗北を否定したがっている。痩せ我慢を嘘吹きたがってい る。何んと哀れな自負心ではないか。エゴの愚かさを知りつつも尚、自意識に執着する憐 れさは俺の持病だろうか。破滅も、挫折も、失脚も、全てがこの持病から生ずるに違いな い。この悪疫の為に彼女の肢体は何時か俺の情欲の対象に変り果てズタズタに汚される。 そんな不安が時として俺の脳髄を攪乱する。その不安は亦、熾烈な戦慄となって俺の肉体 を打ちのめす。なのに未だ未だ自尊心とエゴの精は俺の血肉の間に喰い入って消えようと はしない。俺は笑う、彼女の面影を醜く変形させる時、俺の自滅を笑う。笑って笑って、 笑い狂う。 私は彼女を愛し度かった。 しかし彼女は私に愛される資格がなかった。 何故なら、彼女は私を愛して居なかったから。私と出会い、二時間後には私の存在すら 忘れてしまったから。 (同ノート) 神坂ねんこ、貴女は永遠に私の恋人だ。心の中の恋人だ。 俺は貴女を自分のものにしようとは思わぬ。何故なら、その方が貴女も幸福であり、俺 自身も安堵出来るから。貴女の純潔は俺の手の中に入った時、失われるだろう。その時の 不幸が俺は悲しい。俺は貴女の肉体と心を何時までも生来のものにして置き度い。貴女と 俺の間に交渉が始まるなら、屹度、俺は貴女に毒牙と魔の手を伸ばすだろう。貴女が俺以 外の男と交渉を持ったとしても、俺は嫉妬などするまい。寧、祝福しよう。 唯唯、俺は貴女を憧憬し、心の恋人として永遠に人生の糧となって欲しいのだ。 (同ノート) 神坂ねんこへのオマージュあるいは一人相撲の葛藤がノートを埋め始めて間もない。あ る日のことだった。乙川美恵から電話があって、翌日の帰校途中に名古屋駅の大時計下で 会う約束をした。彼女とはここ一か月以上、偶然、車中で顔を合わせて語り合うことはあ っても、デイトらしきことはしていない。 大時計の下で先に待っていた乙川美恵は、一郎を見るなり満面で微笑みかけ、赤いリボ ンを結んだ小さな包装紙の箱を差し出した。 「万年筆……」 そう言って、乙川美恵は照れたふうに笑う。 クリスマスのプレゼントのつもりだろうか……。一郎の予測は外れた。 「受験勉強の役に立つ?」 冗談でも言ってしまったように、乙川美恵はクスッと笑う。 大学進学の話を彼女にしたのは二週間ほど前、列車で偶然、会ったときだったろうか。 そのとき彼女は不安そうな表情を浮かべ、「い一くんは私から離れていくかもしれないね」 と、一人言みたいに言った。高校を卒業したら小さな商事会社の事務員になることが内定 している彼女と、学生の一郎とでは、きっと別の世界の人間になるだろう、という意味ら しかった。 あのときの淋しげな様子は、きょうの彼女にみじんも感じられない。 明日からは冬休み。プレゼントの礼にラーメンでも奢って、映画を見ようか。一郎はそ う思ったけれど、受験勉強中だから……と恰好をつけて、そのまま列車に乗った。ほんと のところ、一郎は体が火照るほどの情感に衝き動かされていたのだ。 二人はデッキの傍に立つたまま、手を握り合って街街の向こうに沈む夕陽を眺めた。列 車が漁港の町に着くと、乙川美恵が「受験勉強は?」と怪冴な顔をするのに構わず。一郎 は彼女の手を取って一緒に降りた。 冬の陽はすっかり没している。鉄路に架かる橋も、雑木のあいだを緩やかにのぼる中学 校裏の野道も、一の谷へつづく灌木の林も、闇の中だった。夜気をふくんで草いきれが匂 い立ち、一郎の気持をいっそう掻き立てた。一郎はロを聞くのももどかしげに野道を行き、 そ 灌木林へ外れるなり、乙川美恵の体を抱きしめた。 「痛い」 乙川美恵が甘えるふうに言い、一郎は煽られるように彼女を抱く腕に力を込めた。コー トを突き抜けて、いつか月光の下で見た彼女の裸身を抱いている錯覚を覚えた。叫び出し たいような感情が一郎の体を掠め抜け、激越な抱擁はつづいた。 一郎は通勤帰りの乗客も疎らになった列車で隣町まで乙川美恵を送り、歩いて家に帰っ た。下にセーターを着ているとはいえ学生服だけなのに、三キロほどの道道、冬の風は冷 たくなかった。 さ その夜、一郎は昂ぶる気持の冷めないまま、ノートに向かった。 俺は男だ。従って異性とは皆、女だ。俺が女に興味を抱くのは当然、何ら勁物的行為で はない。大いに然るべき原則なのだ。唯、其処には限度あり、と言うのか。情欲にも限度 あり、と言うのか。 一体、俺が苦しまなければならないのは何故なのか。肉体の腐敗から来る不安? 情欲の強慾に対する群易? 才能の低劣に依る幻滅? 思想の虚無? エ ゴ 自我の愚劣? 己が ど れを竝べ立てても悪臭忿忿たる悪疫ばかり。その悪臭に俺は酔っている! 是では俺の肉体も精神も、全て救われぬは理の当然。今更、何を齷齪狼狽するか。全て 運命、宿命なり。それなのに俺は滑稽千万にも運命と一戦交えようと企てている。 宿命に挑む男の図ほど滑稽な図は在るまい。 俺は思う、エロスの本能の前に人間の理性など何処まで通じ得るものか。零。そうだ、 零以上でも以下でも在るまい。弱い理性、強い肉體、其れこそ人間生態の方程式みたよう なものだ。是も、虚無のみに依拠する俺の観念の主張なのか。 我々は肉慾の享楽が如何に大きいかを知っている。肉慾の後に来る良心的苦痛など往往 にして忘却される。愛を証明するのに肉体の力が余りに大きいからに違いない。 (「虚伝録」ノート) 新しい年が明けて受験の日が近づくにつれ、一郎の様子に険難な雰囲気が漂い始めるの が、家人はおろか周囲の者にも知れた。彼自身、特待生試験に合格するとは信じていない、 奨学金給付生として入学すれば上出来と思っている。それなのに過剰な自負心が禍いして か、内心どこかに幻想が忍び込んでいて、彼を落ち着かせないのだ。 それで些細な原因で人を殴ったりした。学校からの帰途、駅の待合室で名古屋の会社に わる 勤める中学の二年先輩と顔を合わせた。一郎がかつて悪をやってたのを知る先輩は、参考 書など開いている彼を見るなり、軽い揶揄まじり声をかけた。「ほお、近頃は恰好が違うじ 、 、 、 やない。いつからガリ勉になったの」 。聞くなり、消えていたはずのけものが目を醒まして、 一郎は衆目のなかで相手を殴りつけたのだった。 試験の日が目の前に迫るにつれて、彼の焦燥感は募るばかりだった。 愛智大学の特待生試験が、愈々、四日の後に迫った。 一体、俺自身に自信が在るのか無いのか、判らない。相手は特待なのだ、余程手強いの は必須だ。今の俺には自分自身の力が未知なのだから、何処まで行けるかも未知なのだ。 ふん、滑って元元、受かれば大儲け。是しきの些事にクヨクヨ狼狽するとは野暮の骨頂。 ニヒリストの面子が泣くというものさ。 まあ、試験官の鼻の穴でも覗いて来るか。頭の体操と洒落込むのもよし。駄目で元元、 俺には俺の風しか吹かぬさ。台風にはなるまい。欠伸でもして、寝るとしよう。骸骨の夢 でも見るさ。 (「虚伝録」ノート) 試験日四日前のノートには、一郎の心境とは裏腹に、そんな文章が記された。 以後、受験については一切、書かれず、石原慎太郎「太陽の季節」が芥川賞を受賞した ことについての感想、前進座公演によって歌舞伎を初めて観た印象、 「港ぎわに来て、船を わるな」という教師の言葉などが書かれたのみである。そして試験当日の日付には織田作 之助の「夫婦善哉」と「アド・バルーン」についての読後感が書かれていて、受験につい ては何も記されていない。 一九五六年一月二十九日、愛智大学特待生試験は実施され、数日後、不合格の知らせが 家に届いた。 通知の末尾には、育英会奨学金の受給資格者として入学を認める旨、付記されていた。 大学受験前の二か月余、一郎はそれと意識しないままに自分を抑制していたのにちがい ない。入学が決まると、ふたたび乙川美恵と神坂ねんこへの想いがぶり返して、彼は欲望 と憧憬とのあいだの葛藤ゲームに引き込まれ始めた。 乙川美恵への肉欲と神坂ねんこへの憧憬とのあいだで引き裂かれる、この葛藤こそ、肉 、 、 、 体と魂のたたかい、欲望と理性とのしのぎの削り合い、そんな人間の深淵の営みであるか 、 、 、 のように、一郎は思いなした。そして、この闘いとしのぎの削り合いこそが、熾烈な「文 学」の舞台なのだ、と一種、恍惚のうちに信じ込もうとしていた。 一郎が九米はんと偶然、会ったのは、一種の一人相撲に酔っているそんな頃、卒業の日 までもう二週間余りに迫っている日だった。 九米はんは中学の頃の国語教師で、授業のときは生徒によく作文を書かせる、文学青年 だった。皆の前で決まって一郎の作文を褒めて、勉強嫌いの彼を国語の時間だけ唯一、好 きにさせた。一郎たちが一年生のとき朝鮮戦争が勃発するとその話を、三年生のとき大須 事件という騒擾事件が名古屋で起きるとその話を、授業そっちのけで中学生に語り、クラ スメートの幸造はんだったかが「九米はんはアカだげな」と耳もとに囁いたのを憶えてい る。 一郎が半田高校の受験に失敗し、その発表を見に行っての帰り、自転車で追いかけてき て「馬瀬、絶望したらいかん。人生は九インニングあるでなん」と声をかけたのも、九米は んだった。 東海道線の上り列車を大府駅で武豊線に乗換えると、九米はんが車内にいて、一郎は懐 かしさを覚えた。九米はんが去年の四月から大府の中学校に転勤したことを、向かい合わ せの座席に掛けて知った。 終点の武豊駅まで帰る九米はんと、途中で降りる一郎とは、二十分余りの間あれこれ話 した。一郎が愛智大学へ進学することになって文学を学びたい旨を話すと、九米はんは表 情を綻ばせ、 「愛智大学は社会意識の高い大学だでなん、文学するには打って付けかもしれん。人間は、 社会化された私、というから、社会の問題を抜きにしては人間を描く文学もほんものじや ないでなん。個人の肉体や精神にも、その悩みや喜び皆ふくめて、社会が反映しているでな ん」 そう言って、教室で生徒たちに向かい久米正雄だったか菊池寛だったかに似ていると自 慢していた円い眼鏡の顔を紅潮させた。中学生時分に作文指導した教え子が文学を志すと いうので、興奮しているらしい。生徒たちの輪にはいれば目につかないほど小柄な体で一 緒に巫山戯あっては、まっさきに興奮するところが、九米はんにはあった。 社会化された人間? 肉体や精神にも社会が反映……。九米はんが言ったことは、誰で も知っている当たりまえなことのように思える。その一方で、これまで虚無とかデカダン 、 、 、 とか「文学」のはしかに罹っていた一郎にとっては、不意を衝くような言葉でもあった。 彼が少し気を突っぱらせるふうに、いま「世界文学」に目を向けたいと思っている、と 言うと、 「うん、それも大事だなん」九米はんは即座に応えたが、ちょっと小首を傾げる仕種をして 言い直した、 「日本の戦後文学を読むことが先決だなん。特に第一次戦後派」 確信ありげに言うなり、ノマヒロシ、ハニヤユタカ、タケダタイジュン、シイナリンゾ ウ、ハナダキヨテル、ナカムラシンイチロー、ウメザキハルオ……と、名簿でも読み上げ るふうにスラスラつづける。呪文か何か唱えているようでもあった。次いで間も置かず、 それぞれの作家の代表作らしき題名を同じ口調でズラリ並べた。 一郎は幾分、心地よいような微妙な気分でそれを聞いていたが、急に列車が停車して体 が前のめり傾いたふうに、我に返った。九米はんが不意に語調を変えて、聞き慣れない人 物の名を挙げたのだ。 「馬瀬、外国文学にはいっていくなら、きょうびはアルベール・カミュとジャン・ポール・ サルトルを読まないかん。フランス実存主義が現代文学の潮流になるでなん。ドイツの作家 では、フランツ・カフカ」 話を体言止めで切るのは、事を断言するときの九米はんの癖だ。 最前、体がカクンと前のめりになるふうに我に返ったのは、予告だったらしい。謎合わ せみたいに列車が漁港の町に着いた。 一郎はカバンを手に慌てて座席を立った。 「本が要るときはいつでも家へおいでや」 出口へ向かう一郎の背に九米はんの声が弾んで聞こえた。 駅舎から漁港へ下る坂を行く道道、一郎は、九米はんと「文学」の話なんかしなければ 、 、 、 よかった、と後悔する。彼がいま熱中している、肉体と魂のだたかい、欲望と理知のしのぎ の削り合い、それこそが「文学」の根源だと思っていたのに、その確信がはぐらかされそ うになる。 「社会」なんて伏兵が不意打ちに飛びかかってきて、頭の中を引っ掻き廻されそうな予感 さえする。サルトルだの、カミュだの、カフカだのに至っては、まるで闇討ちだ。 それなのに一郎は、未知の何かに誘われるような、不思議なときめきも覚えた。言い知 れぬ不安を覚えるのに、どこか期待感にとらえられて、不可解な胸の鼓動を覚えた。 芸術は独創であるときにのみ、価値を持つ。 それは個の内面でのみ活動し、生命を孕み、息づくものなのだ。倦くまで個性的の産物。 そこを原基としてこそ客観的、且つ普遍的の芸術が生まれて来るのだ。 従って、芸術は二つの世界を持つ。一つは個性的なものであり、一つは普遍的なもので ある。 何故なら、人間の個性の内部には、必然、人間全般のものがあり、それの表現が、客観 化された芸術であるからだ。芸術は客観から個性へ向かうものではない。必らず、自己か ら外部へ向かわなくてはならない。従って、芸術は、恒に、排他的にならざるを得ない。 以上の如く、個性的のものと客観的のもの、自己と普遍、内部的と外部的――それらは 対立にして一対の概念であり、両者の間に介在するのが、 「社会」という芸術的媒介である。 一郎が家に帰って、ノートの最初の頁に書いたのは、以上のような文章だった。ノート は五冊目にはいっていて、新しいそれに題を付けようと考えたけれど、うまく思い浮かば ず、とりあえず表紙は空白にした。 文芸部のメンバーがB組の教室に集まって卒業旅行の相談をしたのは、卒業式があと五 日に迫る日の放課後だった。一郎は夫馬敬成に誘われて初めて顔を出したのだが、相談は ずいぶん前からしていて、行き先は決まっていたらしい。夫馬がノートに書かれた旅行ス ケジュールを読みながら説明した。三泊四日、山陰の旅。志賀直哉の『城の崎にて』ゆか りの地と鳥取砂丘、そして日本海の荒波を見るのが、旅の目玉らしい。 夫馬がスケジュールを説明しおえて、細かい打ち合わせにはいろうとするときだった。 「山陰旅行は取り止めにして、政治見学にしたらどうだろう」 村井のおじさんが唐突に口を切った。 政治見学? 何? それ。五東が素っ頓狂な声を挙げた。いや、一座全員の驚きだった。 誰彼から不審の声が挙がって、なかには、国会でも見学するのか? と冗談めかして言う のがいる。 「そうじゃないよ、桜井さんから話があったんだ……」 村井のおじさんは真顔で応え、事情を説明した。 社会科担当の桜井悟は、授業中に反戦とか平和とかの言葉をよく口にし、日本の近代史 は朝鮮とか中国とかアジアへの侵略の歴史だった、というのが持論だ。戦争中からそれら しき思想を抱いていたのか、左の耳が聞こえないのは海軍兵学校時代に教官の強烈なビン タを喰らったためだという噂がある。 一郎が桜井悟に一目置くようになったのはそういう彼にではなく、一年生の時、ちょっ 、 、 、 とした出来事があってからだ。ある日、けものの世界では名の知れたテンプラ学生が学校 に現われて、木刀をこれ見よがしにしながら授業中の廊下を徘徊した。職員室は鳴りをひ そめ、ヤクザ学生を追い出そうとする教師は誰もいない。そのとき桜井悟が授業を中断し 廊下へ出ると、背丈が相手の肩ほどしかない小柄な体じゆうに裂帛の気合を漲らせて、あ っという間にそいつを校舎の外へ追放してしまった。 その桜井さんが「政治見学」の件を村井のおじさんに持ちかけたというのだ。卒業の記 念に、東京の砂川でたたかわれている米軍基地反対闘争に参加しよう、と。 一郎は話を聞いて驚いた。他のメンバーがいっせいに驚いたのとは、まったく別の理由 で――列車のなかで久米はんと偶然会って、 「文学」と「社会」との密接な関係について聞 いてから、まだ十日と経っていない。いま、その「社会」の問題を象徴するような「政治」 が突然、目の前に現われたのだ。 久米はんも桜井さんも、特徴的に小柄な人だ。うんと体の小さい人間は思想も似通うの だろうか……。一郎は馬鹿なことを考えながら、咄嵯に村井のおじさんの提案に賛成した。 「社会」への義理が半分、桜井さんへの共感が半分、一郎の気持を促したのだ。 一郎の意見表明が、卒業旅行打ち合わせの場を混乱させた。彼と村井のおじさん二人に たいし、あとの五人全員が猛烈に反駁した。卒業旅行を全面中止するか、砂川基地闘争へ の参加者と分裂して実施するか。事態が収拾つかなくなるまえに提案を白紙撤回したのは、 中学を卒業して十年近くダムや隧道の工事現場で働いて苦労人の二十五歳高校生らしく、 村井のおじさん自身だった。 卒業式の二日後に名古屋駅から夜行列車で出発することなどを決めて解散する直前、夫 馬がノロさんの言伝てを一郎に告げた。打ち合わせが終わったら職員室へ顔を出して欲し い、という。一郎に心当たりはない。 職員室隣の会議室へ行くと、二、三十人用の椅子がある部屋に、ノロさん(野呂大海) だけでなくCC(岩井巌雄)もいて二人、どこか暗い表情で一郎を迎えた。 「卒業旅行、決まったか」 ノロさんが晴れない表情のまま訊ねる。 そんなことより用事は何か、一郎がそう思いつつ山陰へ行くことが決まった旨、答える と、ノロさんは、ほお、豪勢だな、と表情とはちぐはぐな声を挙げる。そして用件を早く切 り上げたいとでもいうふうに、一郎に椅子もすすめずつづけた。 「馬瀬、努力賞に決まった。おまえのために特別に設けた賞だ。成績からすれば、優秀賞 、 、 十人に選ばれて当然だが、何しろまえがあるからなあ。岩井先生も俺も粘ってはみたんだが、 職員会議で退学問題が議題になったことのある生徒に優秀賞はやれんといケ意見が大勢で なあ。二人の力ではどうしようもなかった。まあ、気を悪くせんで……」 ノロさんがさらにつづけようとするのを、一郎は遮った。 「いいです、解っていますから。ありがとうございます」 全然、期待していなかったといえば嘘になる。卒業式には全校生から十人が選ばれて賞 状を受け取ることになっていて、彼は常時、四、五番あたりに付けていたので間違いない と思っていた。傷害事件を起こして家庭裁判所送りになったりしたとはいえ、高校生活の 後半一年半ほどは、何かと教師に楯突くことはあっても、無難に送ってきた。もはや時効、 そう思って優秀賞に期待をよせてもいたのだ。 「なんとも思っていませんから」 こもごも 交交、言葉を変えては慰めるノロさんとCCにそう言うと、一郎は頭を下げて会議室を 出た。 二人の言葉に情がこもっているだけに涙ぐみそうになったが、その感情に悔しさが混じ っているのに彼は気づいていた。カバンを取りに教室への廊下を行くあいだ、子どもみた いに目に涙をうるませていたCCの顔が思い出されて殊勝な気分になる。そんな自分に彼 は腹を立ててもいた。 教室では夫馬が待っていた。こんな場合に待っとるなよ、馬鹿……。一郎は腹の内で毒 づいた。 帰りの列車のなかで、一郎は唐突に、以前に見た夢を思い出した。半年以上も前だろう か、シャルル・リシェの『人間論』を熱中して読んでいたとき、そのなかの一行の文章に 刺激された夢だった。見渡すかぎり青青とした草原が風になびいていて、その風景のなか を豚と山犬が一頭ずつ懸命に駆け廻っている、それだけの奇妙な夢だった。 鮮やかな色つきの夢なのが印象的だった。それを思い出した瞬間、昏れなずむ列車の窓 外を夢と同じ幻の情景が掠めすぎた。 家に帰ると、一郎はシャルル・リシェの言葉をノートに記した。 人間は豚よりも山犬よりも愚劣で兇暴なのだ。 その一行を書き込んだあと、空白のままになっていた五冊目のノートの表紙に「檻と草 原」と題を付した。 体育館に並べられた椅子の最前列、右側はじっこに掛けて壇上を眺めているあいだ、一 郎は舞台で演じられる拙劣な芝居でも観ているような気分になった。校長の話、在校生代 表の送る言葉、卒業生代表の答辞と式がすすむうち、その感じは錯覚というより現実感を ともなって、募ってくる。優秀賞十人の名前が次次と呼ばれ、一人ひとり、壇上に上がっ ては校長から賞状が渡される。 「努力賞、馬瀬一郎」 舞台の袖に立って教頭が呼ぶ。 一郎は椅子から立ち上がり、観客なのに突然、演技を命じられたふうに、木造りの取付 式階段を上がる。五段上がって向かい合った目の前に立派な机を隔てて校長の温和そうな 顔がある。先に頭礼すべき一郎がそれをしないので、校長は顔を曇らせ、賞状に手を置い たまま差し出しかねて、ちぐはぐな恰好になる。一郎はいっこうに頭を下げる気配がない。 堪りかねて校長が差し出した賞状を右手で受け取り、礼はせずに廻れ右をする。廻れ右と の連続動作で賞状を二枚に破り裂き、幾分、蒼褪めた顔でそれを折り畳んで学生服のポケ ットに入れた。賞状を破つたあと初めてそのことに気づいたというように、顔から血の気 がひいたのだ。 演壇から下りるとき階段を一段一段、踏む足が微妙にふるえた。 これで半端ではない卒業ができた……。 ふるえる気持にあらがって、一郎は芝居のセリフみたいに心のうちで呟いた。胸のふる あ す えを、明日のほうで待ち受けている未知の何かへの予感、と信じこもうとしている自分が 可笑しかった。 あおあらし ビョン 卞 ウォン 元 ス 守 おもて カタン カタン カッタン 風に巻きあげられ 表 のブリキの郵便受けが 打ちつける音 だ なぜか尋常でない今日の風だ 風のつよさだ もう足掛け六年も あと 広いばかりで暗い朽ちかけた古い農家に ひとり籠もっている 後 か らだ 先三回もの(交通)事故と重度の心筋症で身体も心も病み萎えていた そんな私に 見切 りをつけるように ひとりひとりと娘は嫁ぎ とうとう女房も出ていきよった もとはといえばみんな自分 のせいで 自分の生来の短気直情のせいなのだが 一つの病いというべきか 上にも うだ ぎない 季節はめぐり いまとなってはこの性分はどう仕様もないもう 我執を囲うので来る友もなくひとりきりの住いだが どこかの空で『四季』が奏でられ ひ なた わらび どこかの日向の山では 蕨 が せり 清流には芹 こんな身 四月は去り五月がはじまるよ よもぎ 土手には 蓬 かと思うがもう想い出にす 荒れ放題の庭にも探せば咲いている花もあろうか 陽気(異常気象)でそろそろ 床の下からムカデがやって来る時節だそんな不安ではない ルルルルル ルルルルル し じま ビョン ひとりっきりの静寂を破って 「 卞 さまでしょうか こちらはピョンヤンコレクトコール つな ですがお繋ぎしましょうか?」 このような瞬間に 私は雷に撃たれた子犬のように正体 を失ってしまう 「いや卞はいま留守しているから 切りますよ」 どうしていつも おい こうなってしまうのか声だけでも聞いてやってはどうだ めい 弟からか甥からかどの姪からか 彼の地の異常気象はながく居座り 餓死者の群が散るサクラのようだと ルルルル ルルルル あれはどの 飢餓の嵐が吹き荒れ あれは時ならぬ悲鳴ではない か…… ガチャガチャ ガッチャン てくるので家ごと揺れる 南からおそろしいほどに強い風が一団となって体当たりし どうしても郵便受けが気になって んとまっ青な空なんだ 雲一点もない はじけ 表に出てみると 爆 けるようにまばゆい 空だ おお な こんな空を風が浪 から のように寄せてくるのだ さそ 郵便受けが空なのをたしかめると私は歩いていた。風に誘われ るように押されるように うしろから押し上げられて 風に吹かれて歩く 脚の傷みも 忘れたように梅林を歩いていた 風が渡ると梅は繁りはじめた葉蔭に小さな青い実を隠し ていた私は自分がなんとなく歩けることがうれしくて子どものようにひとりはしゃいでい た。目のまえに大樹があった 身をなげだして けやき 欅だ 見上げればけやきは降りそそぐ光に耀やく大空に ゆっさゆっさと水浴みしているではないか ひるがえ いっせいにさわめき 翻 る 大きな浪のうねりだ またひとつ 前方に居並ぶ小高い樹林は ドーンと風が来ると ど こから来たのか八重桜とおぼしき無数の花びらや木っ葉が梢の空に吸いこまれていく なんだろう 樹林を抜けて広い公園のプロムナードにはいったとき 意外な物音をきいたような気がした なんだ 耳をすませば かすかな不安が胸をよぎった 風の流れに乗ってとぎれとぎれにきこえてくるのは こ 心臓の鼓動と相打ってくる リズムだ なつかしくも元気なリズ ムだ クンタタ ケ クンタクンタ ブアーン ジン 農楽だ タン ケ野遊会”だ ではないか タクンタ ケンケケケンケ サムルノリのリズムではないか とりどりの音色のリズムの合奏だ 奇妙な戦慄となり たのか クンタタ チャンゴ 数年まえから話合ってきた あ これは ケングァリ そうだ“ハム この地域では初めてのワンコリア同胞野遊会 言い出しっぺの一人ではなかったか――このおれも はじめての実が結ばれたのだ ズムを切り刻みながらカラフルな一団となって チャンゴ ブク 低い山かげから響いてくる軽やかなリズムが 胸ぐらを捉えてだんだんに近づいてくる 二つの国の一つの民族 ケケケケケケ すっかり忘れてたボケ 四種の打器が三拍子のリ 風に吹かれて舞いながらやってくる チャン 長鼓のひとりは 張 、もう一人は韓国からの長期留学生の羅、いまひとりはウリハッキョ(民 族学校)卒業生 ケングァリは柳 打器の男はみな 頭に白の長い布を結び ョッキにバジを着けているがジン(ドラ)の女の子もおなじ衣装だ ジャーンで途切れた かと思うとまた新たな高揚をめざしてひそやかにケングァリが鳴りはじめ げブク(鼓)がひきしめ やっぱりやつらだ張や柳 やっぱり好きなのだ ぞっこん好きなのだ しく柳のケングァリ(鉦)が鳴りはじめ 舞手がまわる 舞いつつまわる 色とりどりのチョコリ・チマ うす紅 カラーのチ 長鼓が盛りあ 羅ら 好きでなければやっておれるか 負けじと長鼓が追いはじめた 水色えんじ そら あか けたたま 四物のまわりを あお 黄色 白と 老若の女たちはうきうきと軽やかにそして優雅でなければ ならない ノリのリズムはまず舞い手の脚もとを打ち ればならない そよ 手は指先までもしなやかに微がせ 魂のうち舞いあがらなければならない 手をひろげた女たちは 一瞬のうちに腰背肩と律動しなけ 動きは一瞬もとまってはならない 風がチマ・チョゴリをつつみふくらませ 天上にむかって舞いあがろうとする鶴だ 鶴の群れだ 脱 いま両 舞いつつ まわる輪はプロムナードを風に吹かれて風下に移っていく、いつの間にか群は消え遠くで びっこ ブワーンと最後にジンが鳴った 一緒に行きたいと思ったが 跛 を引いてはさまにならない 小高い芝生にひとり坐ってタバコに火をつけ大きく吸った どけるように すると 満腔の謝意を肺腑の隅までと いがらっぽい涙がゆっくり出てきた なぜなんだ 民族って ど うしてこんなに哀しいものなのか――ではない おれはどうして哀しいのか き み 「トンム」と呼ばれた 気がした よせよ今更 あんどん トンムでもなかろう か〈只のお人好し〉とか 昔は委員長と呼んだ人もいたっけ〈昼間の行燈〉と わ ら 若い者らが嘲笑っていたっけ〈いいではないか民主主義なら大 衆路線でいけるじゃないか〉 それもお笑い草で 夢でしかなかった 可能性としてはあ った筈だ ふとふりむくと うしろに誰かが屈みこんでいる 夜明けの行燈のような 肥ってはいても毛深い顔がま っ白でも イウォンジャン す ま ん が それは委 員 長 その人だった「미안하지만 下に 老より子 供が立ってい るだろう 日 本 名 同 胞 イルボンイルムのトンポを探している ちょっと 좀 きいてくれ 보 소 」「むこうの道の大きな柳の木の しらいし 白石 とかいう人 で こっ ちの大城さん という どんなもんだか」私は立ちあがった 昔ならいの 忠実さか 「同胞たちばどこにいるんです?」 あ きまった当てがあるわけではないが ぬことではない そのむかし 大城さんが裵さんであるなら まるで当てになら 町はずれに豚を飼ってた一家があった 母親と兄弟三人が 暮らしていたが生計のための養豚はオモニと中学を出たばかりの次男が 集めたり豚舎を洗ったりしていた それも 帰国事業がはじまると オ モニ リヤカーで餌を 長兄と弟は民族運勁に熱心で家に居つくことはまれで オモニを連れてさっさと帰国してしまった を訪ねた時彼は言った「おれは政治のことは何も知らん 居残った彼 兄弟たちにきいてくれ」彼が当 の人物だろう 民族団体の世間もせまいものだ 「委員長」の指示どうり公園の奥まったところの広場に焼肉の焼ける香ばしいにおいが せり あ え も の ふた ただよい 芹たんぽぽのような季節のナムルもちらほら 同胞たちは大体に二手に分かれ てたむろしている おり 韓国教会を中心に集まった人は牧師とその家族を囲むように陣どって もう一方は青年 婦人 老年会の面々が車座になっている けているその中心に裵さんがいた がおこった まわりにむかって にぎやかに杯をかたむ 一言彼が何か言うと どっと笑い バブルが弾けて同胞企業が青息吐息の窮地にあるなか彼のみは盛況だという 何時からはじめたのかパチンコ業が当って他の仲間が次々と店をたたんでいくのを尻目に 伸ばしてきた噂はほんとうのようだ 例のようだし ここ数年 おみやげ持参で共和国への親戚訪問は恒 学校や青年たちにもあたりがよいと評判だ のこの民族祭の費用も大半彼の負担のようだ 私の耳にも入ってくる 今日 彼のみは着実に人間営業しているようだ 彼のまわりに人が寄ってくるのもあたりまえ まんなか いま会場の真中のカラオケで ヤン サ ン ド 陽山道(民謡)を唱っているのはヤンサンド婆さん のまわりで五、六人の老女が舞っている はもっといい声だった さと春』がおこり それが終ると きじ 婆さん 雉のような声でうたっている むかし こんどは教会の人たちのなかから韓国童謡『ふる 知る人ぞ知るで全員の合唱となった の女性の手にわたり そ それからマイクはニューカマー 韓国の民主化闘争のなかでうたわれた金民基フォークソング アチムイソル 『 朝 露 』アルトの落着いた声が響きわたるとひとりふたりと手拍子が加わり 全体の手拍 子が そして拍手でおわった。涙を拭いている者もいる 「裴さん」と 私は手招きした。 周りの人が気がついて知らせると気軽に寄ってきた り 下はソックスのままだ ノーネクタイのYシャツに腕はまく 首すじのところが赫らんでいる 「あなたむかし大城さんと いったっけ」 「道のむこう大きな柳の木の下にいる人があなたに会いたいとさっきから待っ てるよ」 社長と呼ぶといやがる人がいるので 裵さんと呼んだのだ 裵さんソックスの まま足早に 先になって歩いていく 「裵ですが」 「白石です お呼びして申訳けありません」 えら ひたい 鰓の張った顎と太い唇 せまい 額 と豊かな髪きつめの目が裵の特徴 それをたどるよう に まぶ おっ しゃ さも懐かしそうに眩しそうに微笑む老人「たしかむかし日本名を大城と仰言いました ね」白髪の顔全体がかがやいている「五〇年代から六〇年代のはじめ頃よ あなたのオモニさんのお世話になりました あなたの家で 兄さんの友だちの白石ですよ」裵さん 今に も抱きつかんばかりに手をひろげている「……」 「農楽にひかれてついて ここまで来たら 急に裵さんを思い出して なつかしくて逢いたくなりまして お兄さんたちやオモニ ク ニ 祖国で元気にやっておられますか して……」 て「違う あれからわたしは東北の田舎の方へこもってしまいま その時になって気がつくと 裵さんなんの異変か 人ちがいです」ひとこと残して背を向け レスラーの構えに硬直し いま来た方向に 小走りにかけて消 えてしまった じい 「爺よう ぼけたんか はよ行こ」 痺れをきらした孫 小学生の声 まらせた声を鼻の頭から出している のど 節のない笹竹のように手をぶらぶらさせながら喉でつ 白石さん 呆けたようにずうっと 裵さんの消えた あたりを眺めてた 家の近くまで来たとき がねぐらのあばら家は や 風は止み陽は山の端にさしかかってなにかためらっていた かげ 山陰の緑のなかに静まっていた がいキリンになって あお葉あおばの萌え木の梢を そのとき家の方から ルルル なっていた ふと ルルルル ああ もしかなうなら わ 首のな 日がな全山をめぐって食べていたい ルル……ルルと みると残照の消えかかった夕暮れの空を いつ果てるともない電信音が 数百万単位のケシ粒のよう あと な千里馬が駆け去っていくのをみた 百万単位の飢死者の隊列が その後を追っていた 厳寒の中国国境地帯からの便り り か 梨花 み よ 豆満江隔て荒野の果てに淡く北朝鮮の建物写りおり 二枚の写真は語らず 難民や孤児の凍れる河越えきしは 凍れる河走り隠れて来し子らに会いたり延辺自治州国境に添う地に 何回も国境を越えては帰されし少女黙しおりまた戻り来よ 孤児にあらずも話し聞けば宿舎につれ帰り風呂にも入れし 風呂あがりの少年は焼肉しっかり腹に入れ父にみやげの髭剃り欲しと 「医者になる」と云う少年中国で学び統一後の国に帰ると真顔なり 孤児実態調査カードしまい食べよ遊ばんよ動物園に来て 帰しやる少年の背を逐いつ いつの代も流出の民族なるか 千々に乱れくる己を抑ええずと 祖父は晩年を晋州で終えしが 「武器を売る国々あれば繰り返し」と細川謙三の歌に至りぬ 「繰り返し争ひてゆく民族あわれ」とありてまたも読みいつ こ 美代子 村松武司追懐 ま せ 間瀬 のぼる 昇 悼み偲ぶ書信などのなかから 昨年夏発行された『架橋』18 号に、村松武司との邂逅と別れについて書いた。それを二、 三の縁者、友人などに贈本したところ、あの人にもこの人にも読んでもらっては、という 輪がひろがり、言われるままにお送りした。ほとんど村松武司の出身校である京城三坂小 学校及び京城中学校同窓生に限られてはいたが、三坂小学校関係者について、諸石六郎氏、 杉原喜四郎氏のご助言ご配慮はありがたかった。そして、私の一文を読んで下さった方々 から丁重なお礼のお便りをいただいたが、すべてに彼を悼み惜しむ賛辞が述べられていて、 改めて惜別の強い思いにとらえられた。そしてこれらのお便りを私一人のものとしておく よりも、ここに発表することで、より深く彼を知っていただくことになるのではないか、 と考えた。榮子夫人、妹さんの花園園子氏以下、順不同に記していく。すべてお便りの全 文ではなく、摘記であることをお断りしておく。なお、前略、中略、後略などの挿入も省 略させていただいた。 夫人村松榮子様より 今度は架橋をお送り下さいまして有り難うございました。 「邂逅と永訣」読ませて頂きました。 薄れてきたと云いたいあの頃の村松のことを思います。 会合があって毎月通る青山通りから女子医大の青山病院の三階の窓を見上げます。 往きには灯がついている窓が帰りには消えています。 早速米子の花園に送らせて頂きました。 当時の新日文の文学学校の方にも送ります。 有り難うございました。 お仕事沢山なさいますように。 花園園子様(妹さん)より 間瀬様のおかき下さいました「邂逅と永訣」ながい文章を、息をつめて拝読いたしまし た。亡き兄のこと、編輯者として活躍していたころ、年に一度、私共の地に診察に参り(註、 ご主人は循環器系専門医、前号に書いたように、筆者と中学同期生) 、兄妹で夜おそくまで 皆生温泉の旅館に泊り、語り合ったこと、米子に診察にくる予定をたてていた矢先、狭心 症のため、すぐ東京女子医大青山病院に入院したこと、そして一年以上の病院闘病生活の さまざまな思い出がこみあげてきて泪を致しました。 死を予感しながら痩せ細って、瞳のいろが薄いグレーの様になり乍ら、かなしそうに私 をみつめていた兄が、今更、憐れで可哀いそうでなりません。いろいろなむつかしい病状 をもってはいましたが、院内感染が決定的な死のひきがねになった!! と私も主人の花 園も、今もって信じています。 でも天命だったのかも知れません。 花園直人とは京中時代、同期でいらっしゃいましたとか、御縁の深さを感じます。 本当にこの度はいろいろとありがとうございました。 ぜひ私からお礼を申し上げたく、花園に代わりまして筆をとらせていただきました。 心からお礼申しあげます。 佐藤智子様より 「架橋」をお贈り下さいまして誠にありがとうございます。 村松さまは、忘れ難い、素晴らしいご人格の方でいらっしゃいました。 京城三坂小学校同窓会誌の編纂に際して、おそばにいて少しのお手伝いのできましたこ とは、私の終生のひそかな誇りとなりました。 間瀬さまの御文でご病状もよくわかり、あらためて涙をこぼしました。 津崎至様より 「架橋」の寄贈、謹んで受け取りました。 一読……。 「村松武司との偶然の出合いと、それ切りの別れ」のいきさつを知りました。 村松はいい男でした……。 工藤泰治様より 村松武司さんとの出合いと別れについて、熱き思いの文章に感激いたしました。 村松さんは、三坂小学校、京中と私の先輩であり、村松さんの次妹の園子さん(花園直 人夫人)と小生の妻とは第二高女同級の親友という関係で、戦前、戦後を通じて小生は村 松さんのご教導をいただいてきたなかであります。 ただ一回のめぐり会いと数回の書簡に接するのみで、かくも暖く偲ばれる村松さんは幸 せな方です。 たしかに、いい男でした。 お二人の感性がピタリと合ったのではないでしょうか。 文学には無知でまことに不粋な私ですが、村松さんの純粋さと澄んだ感性には感じ入っ ていました。 院内感染が原因とかききましたが誠に残念なことでした。 ところで、在日朝鮮人作家を読む会というのも興味のある集いですね。 小生は在日朝鮮人の多くの方と交流していますが、色々なことを学びます。 朝鮮で生れ育ち、朝鮮語を身につけなかった植民者の子弟という変った存在のわれわれ をもっと見つめ直したいというのが、最近の心情です。 今後もなにかとご教示下さい。 嶋元謙郎様より 「架橋」をお送り下さいまして、誠に有難うございます。 村松さんのさまざまな文章に登場してくる「嶋元」とは、たしかに私に相違ありません。 三坂小、京中と二年後輩で、家も近所でしたので、小さい時から私淑していました。村松 さんは私に何かと期待していたようですが、私にその資質なく、 「ケンちゃんは凡人中の凡 人だなあ」と、村松さんを嘆かせたものです。また、それ故、新聞記者の道を選んだとい えましょうか。 年譜にはありませんが、村松さんが引揚げのあと上京したのも、東京に家のあった拙宅 に寄宿できたからで、一年余り一緒に寝食を共にしたでしょうか。そういうえにしゆえ、 東京女子医大に入院後も、青山分院や新宿の本院などへ五、六度お見舞いに伺いました。 私は村松さんの影響で「植民者の子孫」の立場から、朝鮮問題に取り組んで参りました ので、韓国の要人の知遇を受けておりました。それで「武兄ちゃん、病気が良くなったら、 一緒にソウルに行こうよ」と約束していました。というのもやはり京中の同窓生で社会党 の区会議貝で日朝協会の役員をしていた男が当時普通ならばVISAが出ないにもかかわ らず、私の保証で“特別”にソウルを訪問した前例があったからです。 「対馬にいって故郷の山河を見てきたけど、やっぱりソウルに行きたいなあ」というのが 村松さんの本音でした。 「私と一緒なら共産主義のパリパリでも大丈夫」と慰めたものでした。その約束を果せず、 村松さんはあの世に旅立ったのです。残念でなりません。 いま、こうして「架橋」を播くとき、あらためて過ぎし日々が想いおこされます。 本当に有難うございました。 角都城子様より “邂逅と永訣”読ませて頂きました。 有難うございました。 村松武司さんとは親しくして頂き、一緒に飲んだことも何度かあります。女性にだけで はなかったと思いますが、とても優しい方でした。一緒にいる人すべてを優しい心にして しまう方でした。 貴方と村松氏は同じ京城中学で、共有する部分も多く、短い間の交際でも中味の濃い交 流がおありだったのですね。 人の出合いというのは不思議であり、出合いはたくさんありますが、忘れられない仲に なってしまうのは、そんなにたくさんはないと思います。知り合ってからの長さではなく、 密度ですね。 村松武司さんは「朝鮮に行き、死ぬ迄かの地で暮したい」と、折りにふれおっしやって おられたのが忘れられません。早過ぎた旅立ちを本当に残念に思います。 。 くちぐちに“いい男”といい“優しい男”といい、 “一緒にいる人すべてを優しい心にし てしまう人”といわれる村松武司であった。そういう人物であったことをわかっていただ けると思う。彼とただ一度しか会うことができなかったことをまことに残念に思うが、そ れ以上にただ一度逢い得たことを、貴重なことに思う。 彼の没後編まれた著作集『海のタリョン』の巻頭に、哲学者であり評論家である鶴見俊 輔氏が「この人」と題した一文を書いて下さっている。その全文をつぎに引用しておこう。 「村松武司は、いばらない人である。指導者意識のない知識人である。 村松さんを私に紹介したのは、大江満雄さんで、大江満雄さんは、ライの詩人の作品を 本に編む仕事をしていた。この仕事に関心を持つことをとおして、私と村松さんのつきあ いが生じた。それもほとんど四〇年。村松さんは、あきない人だった。 いばらないこと、あきないこと、この二つの特色は、日本の知識人の中で、村松さんを きわだった人としている。 もうひとつは朝鮮にたいする関心である。これも村松さんの生涯をとおしてつづいた。 『朝鮮植民者』という、実父・実母・義父・義母の伝記は、日本人として書きにくいこと をそのままに書いた信頼できる本である。この巻末の著者が書いた思い出は朝鮮ですごし た中学時代にかけて、自分の中に残している自己像が、他人の中に残っている自己像とど のようにかけはなれているかについての文章で、植民者の悲哀を見事に表現している。彼 の生涯の活動は、この悲哀からわきでている。」 まことに穿った文だと思う。二つの国と二つの民族、二つの習俗を一つの身心におさめ さばき相剋しゆるし、きびしく己れを持して生きるためにはどれほどの葛藤とおおらかさ が要ったことだろう。それはかぎりなく悲哀に近いものにちがいないが、ひたりきること のできる悲哀ではなかった。彼のやさしさはその沼のなかから湧きでてきたものであった ろう。 彼の生涯を知っていただくために、つぎに年譜を記すことにする。村松武司著作集『海 のタリョン』巻末のもの、および一九九三年こ一二月発行の詩誌『騒』一六号(村松武司 追悼号)のもの、いずれも黒川洋氏作成のものに據り、ほとんど違えることなく転記させ ていただきました。 村松武司年譜 一九二四年(大正一三年) 7月 村松眞太郎の次男(姉、兄、妹二人、弟)として、朝鮮京城(現ソウル)に生まれ る。 一九三一年(昭和六年) 4月 京城三坂尋常小学校に入学。 一九三八年(昭和一三年) 3月 京城三坂尋常小学校を卒業。 4月 京城公立中学校入学。 一九四三年(昭和一八年) 3月 京城公立中学校卒業。出陣歌を詩として初めて書く。 一九四四年(昭和一九年) 秋・召集され、京城二十師団に入営。 12 月 朝鮮・満洲・ソ連国境(咸鏡北道阿吾地)に電探兵として転属。 一九四五年(昭和二〇年) 2月 甲種幹部候補生合格。 4月 兄・真一ビルマ戦線にて戦死。 8月 京畿道仁川郊外松島の電波兵器士官学校にて敗戦。 ソウルに帰還。 10 月 一家で下関に引き揚げる。 11 月 祖父(浦尾文蔵)と母引き揚げてくる。 一九四六年(昭和二一年) この年上京、福田律郎宅に寄寓。文化学院入学。井出則雄とともに純粋詩編集。 一九四七年(昭和二二年) 9月 『荒地』創刊。 一九四八年(昭和二三年) 9月 大江満雄に初めて逢う。この頃東京都足立区梅田に居住。 『造形文学』の発行所とな る。表の福田(編集) 、裏の村松(資金繰)として戦後詩のエポックを画す。 一九四九年(昭和二四年) 12 月 『造形文学』終刊。第二次『コスモス』創刊。 この年、日本共産党に入党。 一九五〇年(昭和二五年) この年、新日本文学会員となる。 9月 結核発病、喀血。 10 月 東大病院入院。 一九五二年(昭和二七年) 1月 市川の国府台結核療養所に入院、所内にパルタイを結成。 一九五三年(昭和二八年) 9月 『日本ヒューマニズム詩集』に「牧場の歌」発表。 一九五四年(昭和二九年) 5月 『思想の科学』創刊。 一九五五年(昭和三〇年) 5月 田川榮子と結婚する。 この頃、井出則雄の紹介で小山書店に入る。編集者、出版人としての薫陶を小山久二郎よ り受ける。氏の晩年まで親交続く。 11 月 『列島詩集』に「人間の橋」発表。 一九五六年(昭和三一年) 7月 『青年の文化』に「現代詩ノート」連載。 11 月 石川三四郎の葬儀で秋山清、鶴見俊輔、岡本潤、植村諦等と初めて逢う。 一九五七年(昭和三二年) 2月 詩集『恐ろしいニンフたち』 (同成社刊) 3月 チャタレイ事件有罪判決により小山書店経営難となる。 一九五八年(昭和三三年) この年、書評誌『BOOKS』の編集に携わる。 7月 現代詩の会発足・創刊。 一九五九年(昭和三四年) 10 月 合同詩集『川を海へ』(日本患者同盟刊)共編「道」掲載。 一九六〇年(昭和三五年) 5月 詩集『朝鮮海峡』 (小山書店刊)。 12 月 長男誕生・志門と名付ける。 河出書房新社へ入社。この頃、共産党を離れる(推定) 。 一九六一年(昭和三六年) この年朝鮮研究所設立、会員となる。『朝鮮研究』創刊。 6月 福田慎子追悼集(詩運動千葉支部刊)に「証言」を書く。 一九六二年(昭和三七年) この年、小山久二郎と共にダイヤモンド社へ移籍。 祖父・浦尾文蔵死す。 5月 詩誌『ぶらい』 (川内康範詩集)10 号より参加、18 号まで。 第三次『コスモス』創刊。 『亜細亜詩人』に参加し「詩語の方法感」発表。 『朝鮮研究』に「朝鮮植民者」連載開始。 一九六三年(昭和三八年) 1月『詩人会議』創刊。 4月 弟・繁樹死す。 7月『数理科学』創刊、のち編集長となる。健康会議の詩の選者となる。 この年朝鮮研究所理事となる。 一九六四年(昭和三九年) 11 月 井出則雄の後を引き継ぎ、ハンセン病療養所・栗生楽泉園の「栗生詩話会」『高原』 の詩欄の選者となる。 一九六五年(昭和四〇年) 6月 福田律郎死す。夏・詩人姜舜と初めて逢う。 12 月 詩集『朝鮮海峡・コロンの碑』(同成社刊) 一九六六年(昭和四一年) 12 月 第3次『コスモス』同人となり、作品を寄せる。 一九六九年(昭和四四年) 4月 義父・川田季彦死す。 『地球』47 号「純粋詩をめぐって」 (杉本春生) 一九七一年(昭和四六年) 3月 小林勝死す。 5月 第4次『コスモス』創刊に参加、編集同人となる。 一九七二年(昭和四七年) 3月『朝鮮植民者―ある明治人の生涯』 (三省堂)刊。 一九七三年(昭和四八年) 3月 栗生詩話会合同詩集『くまざさの実』編集(栗生園慰安会刊)解説。 9月『朝鮮研究』に「呉林俊の死」 。 一九七五年(昭和五〇年) 2月 ダイヤモンド社を退社・数理科学社を設立『数理科学』を編集する。夏・高史明と 草津ライ療養所栗生楽泉園を訪ねる。 一九七六年(昭和五一年) 5月 古川時夫歌集『身不知柿』 (梨花書房刊)解説。 『ライと朝鮮の文学』を出版すべく梨花書房を設立。 一九七七年(昭和五二年) 5月 詩集『祖国を持つもの持たぬもの』(同成社刊) 11 月 絵本作家文庫『安野光雅』 (すばる書一房刊)編集。 12 月 姜舜訳で現代韓国詩選I 中庚林詩集『農舞』(梨花書房刊)。 一九七八年(昭和五二年) 6月 父・武八急死す。 7月 現代韓国詩選Ⅱ 金洙瑛詩集『巨大な根』 (梨花書房刊) 一九七九年(昭和五四年) 3月 小林弘明詩集『闇の中の木立』(梨花書房刊)解説。 評論集『遥かな故郷―ライと朝鮮の文学』(皓星社刊) 7月 現代韓国詩選Ⅲ 申東曄詩集『脱穀は立ち去れ』 (梨花退房刊) 11 月『木馬』10 号「村松武司ノート」(森田進) この年新日本文学会千葉文学学校講師となる。 7月 現代韓国詩選Ⅳ 趙泰一詩集『国土・他』 (梨花書房刊) 8月 梁石日詩集『夢魔の彼方へ』 (梨花書房刊)解説。 9月 コスモス全国同人会に参加、報告(於、中野サンプラザ) 。 11 月 栗生詩話会合同詩集『骨片文字』編集(皓星社刊)解説。 一九八一年(昭和五六年) 2月 長谷川七郎詩集『熱い日の下で』 (梨花書房刊) 8月 現代韓国詩選V 李盛夫詩集『我等の糧・他』(梨花書房刊) 一九八二年(昭和五七年) 6月 藤楓協会三〇周年にあたり感謝状を受ける。 一九八三年(昭和五八年) 5月 『新井徹の全仕事』 (創樹社刊)任展恵と共編・解説―内野健児・新井徹の詩―執筆。 9月 香山末子詩集『草津アリラン』(梨花書房刊)解説。 一九八四年(昭和五九年) 1月 小山久二郎死す。 一九八五年(昭和六〇年) 6月 越一人詩集『遠い鷹羽』 (創樹社刊)解説。 一九八六年(昭和六一年) 1月 井出則雄死す。 10 月『数理科学』の編集室員が独立、村松は新人を育てながら『数理科学』を守る立場を とる。この年日本現代詩人会に入会。 一九八七年(昭和六二年) 7月 日本・アジア・アフリカ作家会議会員となる。 8月 志門、沖繩で弘子と結婚。『トラジの詩』 (同上編集委員会・皓星社刊)解説。 一九八八年(昭和六三年) 1月 孫(暁音)誕生。詩集『一九六〇年出発』 (皓星社刊) 。 9月 市川市文化講座現代詩を担当する。 10 月 藤田三四郎詩集『方舟の櫂』 (皓星社刊)解説。 11 月 秋山清死す。桜井哲夫詩集『津軽の子守唄』 (編集工房ノア刊)解説。 一九八九年(平成元年) 1月 秋山清追悼会(牛込出版クラブ)にて司会をつとめる。小林弘明詩集『ズボンの話』 (コロニー印刷所)解説。 10 月 第4次『コスモス』62 号終(通巻百一号) 11 月 第一回コスモス忌に参加。 一九九〇年(平成二年) 3月 『騒』創刊同人となる。 10 月 朝鮮民主主義人民共和国訪問。秋・『数理科学』編集長を退く。 一九九一年(平成三年) 4月 大江満雄の詩碑の祝いに四国へ榮子と共に旅行。 7月 香山末子詩集『鶯の啼く地獄谷』 (皓星社刊)解説。 10 月 大江満雄死す。 一九九二年(平成四年) 4月 再び朝鮮民主主義人民共和国を訪問。 6月 佐和田武夫詩集『うう・とうと』 (ライブ編集社刊)解説。沼津市の明石海人文学展 で講演。 8月 韓国を遠望する対馬に榮子と旅をする。栗生楽泉園・開園六〇周年祭。加藤三郎詩 集『僕らの村』 (皓星社刊)解説。 11 月 東京女子医科大学附属青山病院へ入院する。 12 月 心臓バイパス手術を受ける。 一九九三年(平成五年) 退院後腎不全を併発。人工透析のため新宿の石川病院へ入院。次いで腹部大動脈瘤手術の ため東京女子医科大学付属病院へ緊急入院。術後さらにMRSA感染による心臓内膿瘍手 術など、短期間に数次の大手術を受ける。 3月『海人全集』全3巻(皓星社刊)刊行。 7月 東京女子医科大学付属病院を退院する。 8月 28 日朝・東京歯科大市川病院にて人工透析後緊急入院するも、20 時 25 分永眠。未完 の第六詩集を『海の打令(タリョン)』と命名。 9月 26 日 信濃町・千日会堂「村松武司をしのぶ会」にて追悼。 わが継母――三十八度線からの帰国―― つ だ ま り こ 津田真理子 序章 父が再婚したのは私が二十六歳、継母と呼ぶ人は、父と同じ田舎の小さな小学校に赴任 してきた私より年上の教師であった。朝鮮からの引揚者であることは耳にしていたが、詳 しいことは知らないまゝ年月を重ねた。 そうした身の上について親しぐ話し合うようになったのは、父が他界した一年後に私も 夫を亡くし、お互い遺された女同士のいたわりや想い出が絆を深くしたからでもあろう。 継母にとっては痛みに触れる辛い過去でもあろう。しかし私は、朝鮮と日本の今までの 歴史を書物で知るのみでなく、母の経路を通しても当時の現実を生の言葉で知りたかった。 それぞれが置かれた立場で朝鮮人、日本人としてよりも人間としてどんな捉え方、考え方 い ま になるか、私自身の生活の中で当時と現今の自分をも見つめたかった。 記録に収めた資料と口述をもとに朝鮮で生活し、三十八度線からの帰国の生々しさを辿 っていく。 第一章 家族―朝鮮平壌にて 継母の名前を美保子という。日本を離れ京城(現在ソウル)で陸軍衛生准尉として勤務 していた父のもとへ海を越えたのは三~四歳の頃、一家五人祖母、母、姉で父は叔父に当 る人である。 其の後、弟三人、妹が産まれた。今、美保子の記憶にはっきり残っているのは小学校四 年生の頃、平壌に移り平安南道病院の看護婦養成所の教師になった父と共に新しい生活が 始まった、一九三七年からであろうか。 当時、二~三歳年下の全炳太という少年を日中雇って幼い弟二人の遊び相手をしたり、 きょうだい 買物の荷物運びを頼んでいたが、美保子にとっては 姉 弟のようでもあり、また友達のよう な感覚としてつき合っていた。名前を間くと「ゼン・ヘイ・タイ」と答える愛くるしい少 年であった。子供の頃は気にもしないでいたせいか、学校へ行っていたのかそれすら聞い たこともなかった。 美保子が朝鮮人と共学になったのは女学生になってからであったが、当時日本人の女学 校に入るのはヤンバン階級と呼ばれる娘さんが多かった。すらりとした美しい少女たちは 日本語にたけて溶けこんで生活していたが、何かさしさわりがある時は朝鮮の言葉でやり とりしているようにみえた。しかし朝鮮語に対する規定はなかった。 当時太平洋戦争と呼ばれ、日本がアジアへ向けて進出して権威を振るい、真珠湾攻撃に 突入していった時代である。姉はその一年前に帰国していた。 そんな中で美保子はハングルひとつ覚えることにも関心はなく、音楽が大好きなのに、 民謡も知らず、全く日本と変わらぬ日々の暮らしを送った。父親が軍部の上層部に属する 関係で日本人街に居たからでもあろうか。 だから、美保子一家が住む市街から離れたところに軒を並べて暮らしていた朝鮮人居住 地に足を運ぶこともなかった。夕陽はどこにも同じように静かに輝き、暮れなずむ道を歩 きながら平穏といえた。 一九四四年、師範学校生として教育実習に出るようになったが、日本語で育った朝鮮の 子供たちで何ら違和感もなかった。それよりも戦局は緊迫してきて有意義な少国民に育て 上げるために厳格な教育が行われていた。 “朝鮮人の国民学校”と呼ばれていたが、美保子たち実習生は学校の指示のままに従った。 或る初冬の寒い日、吹きさらしの風の当たる運動場の足洗場に数人が見えた。近づいて みると堅いコンクリートの上に正座させられている児童があった。まだ幼さのぬけない顔 で身を堅くして震えているのを横目で見ながら通り抜けた。教育実習の身では言葉ひとつ かけられず、足音を忍ばせて逃げるように去ったが、美保子は停年を迎える長い教育生活 の中で、忘れることのできない記憶となり、それを思い出す度に「ごめんね」と心の中で 謝っていた。 卒業して配属された日本人小学校は山の手にあたる高級住宅街にあった。そこで教鞭を とったが、やはりあの学校は特別な厳しさがあったのではないかと思っていた。 ともあれ、敗戦になるまでの美保子一家の生活は、当時にしてはかなり恵まれていた。 朝鮮人とのトラブルもさしてなく、全く日本で暮らすと同じであった。その半面、日本の 統治下に於ける朝鮮人の長い歴史の屈辱や恨みが吹き出ることさえ抑えられていたのであ ろうか。それは確実に三十八度線を越えることで苦難を砥めることになった。 敗戦――ソ連兵の進駐 一九四五年敗戦、当時まだ国民学校(小学校)と呼ばれていたが、そこの訓導になり、 一学期過ぎたばかりの八月十五日である。 父は応召という形で平壌陸軍航空庁医務室に勤務中過労で倒れ入院生活であった。 まさに生活は急変していった。当時一家は航空庁からも市街地からも遠く離れた官舎に 移り住んでいた。 敗戦の放送があった直後、天皇陛下はご退位、即、皇太子が後を継がれて戦争続行とい うデマが流れた。混乱の中で日本にもさまざまなデマに尾ひれまでついて人心を迷わせた が、朝鮮も同じであった。軍隊も病院も学校もすべてが空中分解した様な不安な数日が過 ぎた。 ふし 夜になると遠くで歌声が聞こえてくる。節は「螢の光」だけれど歌詞が聞きとれない。 時々「マンセー」という歓呼だけが響いてくる。日本の敗色が濃くなった頃から水面下で 準備されていた、朝鮮独立を祝う国歌と分かったのは後日になってからであった。 ともあれ、今後の身のふり方を考えなければと、先行きなど全くつかめない不安の日々 のなかで案を練った。美保子も今では家族の大きな支えの一員である。母がひと先ず家族 を連れて日本へ帰り、病身の父は一緒の帰国は無理なので自活できる美保子が残って世話 をしようという線であった。 しかし、その思いはくつがえされた。航空庁の方から指令があり、安全確保のため、庁 の近くの官舎に移るようにということである。引っ越しは三日後、荷物は最小限にという。 一家は俄に慌ただしさが加わった。 美保子は今まで大切にしていた大好きな紺の絹サージの生地も、いたわるように使って いたオルガンも、長いこと飼っていた鶏や、今まで生活必需品であったそれらも、ずっと 親しくしていた米屋を営んでいる朝鮮人のおじいさんにわんさと進呈した。子供たちもよ くなつき、米を配達する度に話しかける、心優しい人であった。 美保子はこれらの激しい変化にひたすら一生懸命身体を動かすだけで、ゆっくり別れを 惜しむ時間もなく、ましてや娘の感傷にひたっている余裕どころではない。唯、不思議に 思ったのは庁のお膝もとの官舎が何故空いたのかという疑問であったが、これも後日に判 った話だが、先見の明るい上官の発案でお手のものの技術で修理した軍用機に分乗し、ま っ先に帰国したのであった。すでに居住者もなく、勿論飛行機の影も形もなかった。 がっかりしている医務室関係者への更なる追い打ちが始まった。郊外で商店の無いこの 辺りで食糧は日を追って減っていく。そこへ、ソ連兵の進駐である。毛髪の違う兵士たち の姿を遠くに見ていた時点では物珍しさだけであったが、庁の糧秣倉庫から米袋を盗んで いく朝鮮人を、ソ連兵は笑いながら見逃しているように思えて焦立たしさが増していく。 それでいて、手のひとつも言葉も出せず傍観しているばかりである。そうした美保子たち の足元を見透かすように、あの柱時計とさつま芋一貫匁と換えようと持ちかける者もいた。 指令―移転から移転へ とうとう、予想していた命令が遂にきた。 「軍人は三日分の食糧を携帯して軍装し全員集 合すべし」敗戦後の武装に異様さを感じたが、妻子と別れを惜しんだり、大事な話しをゆ っくり語り合う時間もとれないまま、遂にそのままシベリア送りの帰らぬ人となったので ある。 美保子の父ひとり病臥中で出頭をまぬがれたが、老人と女子供のみが残されて初めて誰 もが事態の重大さに言葉もなく青ざめた。 一番、頼りにしていた頑強な男達の居なくなった官舎は少し広くなり心細さが増してい く。その男の不在を待っていたように、日夜ソ連兵が官舎を目指して来るようになった。 しかもその案内役は日本国民とされていた朝鮮青年であった。朝鮮人の生きる権利を日本 国の掌中に握られていた長い時代からの解放であり、これが敗戦というものだとしても、 女性に対する侮蔑がたまらなかった。 革の長靴のままで畳に突っ立ち、既にいくつもの時計をはめた腕で「ダバイ、ダバイ」 (下 さい)を連発し愛嬌たっぷりに要求してくる、水色の瞳、茶髪、毛深くて白い手、すべて が異様に映る。それよりも美保子は、畳に土足はやめてよ! という声すら出ないで、革 のトランクや万年筆など手早く渡し、一刻も早く此処から出て行くことを願っていた。日 本の社会人なら皆持っているであろう腕時計ごときが珍しいのかと、思いきり軽蔑の視線 を突き立てることで胸のつかえを下ろしていた。 「どの家に若い女がいるか、きっと見に来たんだ」 父の洞察と意見で戸締りは特に厳重にし、灯りが洩れないように窓には軍隊毛布を吊る し安眠できない夜を迎える。 怯えた様な日々を繰り返しながら、そしてソ連兵を恐れ軽視しながら、それでいて官舎 から出てトラックに乗りこむと一斉に歌いながら去っていくそのリズム感と声のよさにひ かれ、飛び出して見えなくなるまでその声を追った自分自身の心理に驚いていた。苦々し い当時は思い出してもやりきれないのに、今でもあのきれいな澄んだ歌声がはっきり耳に 残っている。 美保子にとっては音楽は宝であった。 見通しのつかない日常生活に様々な噂が飛び、町を歩いていた娘さんが連れ去られたな ど、両親の心配は並々ではない。どうやって守ってやるか毎日そのことを考えていた。折 も折、隣の若い軍医夫人をやはり案じて、遠く離れ住む親ごさんが迎えに来られることを 知り、美保子も市街地の浜町に住む叔母の家まで一緒に送ってもらうことになった。 とるものもとりあえず風呂敷包みひとつで転がり込んだ。其処は駐屯兵の姿もなく別世 界のような平穏があり、やっとこれで安眠できると息をついた。 しかし、そうはいかなかった。翌朝洗面をすませた裏口にひょっこり母の顔があるでは ないか。続いて父も弟たち皆が並んでいた。驚きのあまり声をかけるより先に「まあ美保 さん、昨日あんたを逃がしておいてよかったわね、夕んべは今までにない大挙でソ連兵が 襲ってきて……」 興奮した様子で話し続けた。病身とはいえ男がいるのはわが家だけという事は知られて いたので、別棟の官舎に住んでいた女の人たちが助けを求めて駆けこんできたのである。 咄嵯の出来事に何をどうすれば、と一瞬空白になった。しかしまごまごしている余裕は無 い。天井に目をやりどこか外れる所はないかと急かれながら当っていた。ふと屋根裏に通 じる仕掛けを発見すると、必死の表情で女の人たちをうす暗い裏部屋に押しこんでいった。 机の上にそこらにあるものを夢中で積み重ね、とにもかくにもかくまわねばならない、何 人居たのかさえ分からなかったが、終わりを確かめると急いで天井板を元に戻すや否や自 分は防空壕に飛び込んだのである。病身の細い腰まで水が浸ってきて、冷たさと恐ろしさ にがたくと震えながら、息を殺して立ち去るのを待つしかすべがない。物音が消えるまで の時間がひどく長く感じられた。よくぞ見つからなかったと、こんな身の毛が立つ恐怖に、 もう此処には住めない、脱出しようと一同は決心したのであった。 そして夜明けを待たずに御飯を炊き、おむすびを握る時間すらためらわれ、釜のまま布 に包み、やっと美保子が移ったばかりの叔母の家に辿り着いたのであった。一家八人は、 早くも着の身着のままの状態に陥ってしまったのである。 叔母の家に暫く厄介になったが、何といっても大家族で手狭になり、医院を経営してい る親戚方に移っていったが、この家もまた大家族なのに同じように快く受け入れてくれた。 誰もが自分の生活でいっぱいな時に、温かさを身に滲みながら、現実をじっくり考える余 裕など持てないまま、とにかく生きのびることであった。 疲労が重なったのか程なく病身の父が発疹チフスに罹ってしまった。頼りになる院内薬 局は朝鮮の国営病院にするために、全てが封印されていて薬がありながら使えない。ひた すら冷やすのみでここにも敗戦の苦悩と悲しさをひしひしと感じた。自然に癒えるのを待 つしかない。苦しそうな表情を覗きながら祈る思いで、何度となく氷をとり換えた。二週 間、耐え抜いてやっと命をとりとめた時は、手をとり合って喜んだ。 しかし、どこまでも追い打ちは重なった。またもや通達で国営病院の接収である。立ち 退きは明日中、全く待ったなしで日々が移動生活に思えて安住の場所など得られない。 再び別れを告げて桜町の妙心寺のお情けにすがることになった。本堂の脇の六畳一室の 家賃すら払える筈もない間借り生活が始まったのである。厳寒の忍び寄るその一室で借り た一個の火鉢がせめてもの暖房であった。それよりもなによりも働かなければ食糧もない。 今までは移動から移動でそれに追われ、医院に寄宿中も殆ど養ってもらっていたのであっ た。 厳寒――職探しと祖母の死 職を探すといっても経営者はすべて朝鮮人に代わっていて日本人は使われる立場に逆転 していた。今まで味わったことのない上下関係におかれていた。 美保子は先ず日本人会を訪ね、理髪屋を紹介してもらい掃除娘として働きはじめた。 開店十時前、練炭ストーヴに火をつける。燃えつかず煙りで涙を流しながら苦心したが その様子を見た若主人夫婦は、食物がなくて昼食にも帰れないのであろうと親切な誤解を していた。二階の私室に呼ばれ大きな焼魚を皿に載せると三人で一緒につついて食べよう としきりに誘ってくれる。別々に皿にとり分けて食事する習慣の美保子は、直箸で口にす ることができず、有難いと思いながらもとうとう手が出ず、嬉しさと申し訳なさとにうつ むき加減になっていた。困っている人はお互いで日本人だとか朝鮮人だとか思ったことは ないけれど、朝鮮人の中には反撥心を口本人に抱いている人がいたのではないだろうか。 お客さんが入るまでに、蒸しタオルの準備、床掃除、大鏡拭きなど、手の届かない時は 台の上に登って作業した。或る日、遊びに入ってきたソ連兵が「オウ・ヤポンスキー・マ ダアム」と派手なジェスチャーをしながら腰に手をかけた。羞恥と腹立たしさに身を堅くし ていたが、心優しい主人が上手にその場を助けてくれた。 理髪屋組合員に大豆の配給があると、こぼれ散った一合ほどを持って帰れと言ってくれ たり、その一合は尊い幸せな気分であった。ぽろぽろとこぼれる豆が真珠のように思えた。 ひともり 一日働いて得た十円は、市場で豆腐屋に並び、おからを一盛買えばそれでおしまいになる。 中学一年、小学校五年の弟たちも運動具店の使い走りや蕎麦屋の水汲みに精出し、牛乳 一本でも得るようにと頑張ったが、八人のお腹を満たす米は一日一合がやっとであった。 でも有難いことに朝鮮は雑穀が豊富で、唐もろこし、きび、粟などのお粥が常食で、酢醤 油をかけただけのおからも重要な蛋白源であった。飢えずに生きる、それだけの暮らしを 維持することに一家中懸命であった。 朝鮮の厳しい寒さがやってくる、一日も早く日本へ帰りたい願望がどんなに強くても、 三十八度線の境界があり、簡単には動けない。 十一月になり、どこの旅行者かと思える裕福そうな日本人の一団がどっと寺の本堂に宿 をとった。大連からの引揚者で帰国のために出発し、平壌の駅で下車させられたのも、や はりそのためであった。 その人達は一畳に三人のすし詰めで気の毒であった。少し日の射す天気になると境内に 出て服を脱ぎ裏返しては何かしている。シラミを払い殺そうとしていたことが父の気づき で分かった時にはすでに間に合わず、大急ぎで襖に目貼りをしたが、おそかった、シラミ は発疹チフスを媒介する。 やがて祖母、一歳の妹、三歳の弟と抵抗力のない順に罹患してしまった。先に発病し、 免疫性のできている父が遠く凍結している大同江まで行っては寒風にさらされ、氷を砕い ては運んだ。そのうち、母も美保子にも移ったのである。唯ひとり父が家族の看護に当た らなければならなかった。砕いては冷し、河に行き、家中病魔とのだたかいが続いた。 「白いママが食べたいのう」祖母は日本を偲び、帰国の日を待ち、白米に味噌汁の温かさ を望みながら、とうとう助からなかった。六十八歳の温かい心の祖母が平壌でしかも極限 の中で生命の火が消えた。妙心寺さんが白い仏飯を供え、皆で涙の流れるままに寄りそっ て泣いた。 遺体を菰に巻き、薪と共にリヤカーに積むと人を傭って数里先の竜山墓地に向かう父、 私たちは皆、高熱に喘いでいて付き添うことすらできない。孝心厚かった父がひとりで重 い足を運ぶ。その心中はどんなに辛かったであろうか。リヤカーに積まれた薪は凍った土 を弛めるためで、それから土葬にするのであり、火葬は許されなかった。 父のお蔭で治ったものの、二週間もの高熱は耳も聞こえにくくなり足元もおぼつかない。 こんな身体でも生き抜くための食糧を得るにはじっとしてはおられない。美保子は再び日 本人会を訪ねた。 モスクワに一時帰国していたロシア軍将校の邸宅に掃除に行ってくれと言われて、一年 先輩のK子と不安ながら門を叩いた。 広い住居に留守番役の朝鮮青年が出てきて仕事の指図をする。何となく心細く二人で肩 を並べて廊下を拭いていく。ややあって、「あなたはこちらを」とK子を連れて別なところ へ行ってしまった。まあ仕方ない、それぞれの部屋をするのだろうと思いながら懸命に拭 く手を休めなかった。 ややあってK子が慌てた様な、ちょっと妙な顔で「帰ろう」と言いはじめる。何のこと か分からないし、まだ仕事は終わっていないし、今日の日当のことも頭をかすめる。美保 子は否定しながらバケツの水を替えに水場に向かった。 「あなたは今度は二階を掃除して」と後ろから声をかけられ、真面目に拭いていた。邸宅 は拭くところが沢山あった。どんな暮らしなのだろうか。そんな思いがよぎっているとま たも背後で声がした。 「日本人は、いつになったら内地へ帰れるかわからない。そのうちソ連兵の餌食になる。 どうせそうなるなら、同じ東洋人の僕の方が……」 ここまで聞くといくら鈍感でも背筋が寒くなり、K子の顔色の原因がつかめた。道具は そのままに脱兎の如く駆け降りて「お姉さん、帰りましょう」K子の手を掴むと息を切ら せながら走った。日本人会の窓口で顛末を報告しつつ、ふたりは口惜し涙をいく筋も流し ていた。女であることの喜びなどみじんも考えられない朝鮮での日々、若い美保子は胸が 張り裂けるようで唇を噛んでいた。 一家中が罹患した発疹チフスは襖一つ隔てた本堂で言うに及ばず次々と移り大発生とな ってしまった。続々と強制入院させられ、ようやく命拾いして退院する時には、男女を問 わず丸坊主にさせられた。風呂とは全く無縁の生活で感染を防ぐために、よけいなものは 剃り落として清潔を保つ第一の条件でもあった。 しかし、ソ連兵の中にも時折坊主刈りの者をみかけたが、それは何らかの罰を受けだこ とのしるしであるらしい。それと考え合わせると釈然としない気がした。いつも頭を隠し ていなければならない女の姿は痛ましかった。 ところが、つるつる頭であろうと、本堂は女の巣窟とみなされ、暇をもて余しているソ 連兵の格好の標的にさらされた。 黄昏れ時ともなると「マダアム、ダバイ」とまとまってやってくる。つまり女狩りに現れ るのである。こちらは敗戦国であり、最悪の事態が起ころうと暴力での抵抗はできない。 自衛手段として目立たぬように見張り番を立てることにした。彼らの姿を認めた合図が伝 わると、皆が一斉に一斗缶やバケツを叩き鳴らし、 「ロスケー、ロスケー」と連呼するので ある。 一方、若い者たちは本堂の大きな御宮殿の下に逃げ隠れるために横手の方から、ぞろぞ ろと入っていく、真っ暗な板張りに前かがみになりながら「早くはやく、もっと詰めて」 と、足の裏に堅くなった鼠の粒々の糞に痛さを感じながら、めくらめっぽう前に進む。前 の人のお尻で頭が押し返されると行き止まりで仕方なくうずくまる。 動悸がおさまるにつれて外の気配に耳を澄ます余裕が少し出てくる。境内の外の民家も 共同戦線を張っているのが判る。この戦術はとても有効となった。ああまで騒ぎ立てられ ては、面映くてたじろがざるを得ないのであろう。ばつの悪さをおどけたジェスチャーで ごまかしながら、踵を返す姿が見えるような気がして、静まり帰った夜半、やっと自分た ちの部屋に戻っていった。 貧困、労働、身を守る、これらの繰り返しの日々は当てもなく続いた。疲れ切った家族、 日本人は顔を合わす度に不安と希望に揺れながら励まし合った。 第二章 祖国よ――焦燥の中で 一九四六年の二度目の冬を迎えるにはもう死に等しいとは皆同じであった。一体いつに なったら帰国できるのか、焦燥とした日々に顔色も悪くなり疲労が溜まる。ソ連のにべも ない「ニェット(ノー) 」の返事で全く三十八度線の封鎖は解けそうもない。 程度の差はあっても、追い立てられ住居を転々と移動し、家財もことごとく失って大半 が難民化していた。たとえ僅かの貯金も封鎖でおろせず、どうにかその日のパンを得てい るのがやっとであった。すべての人に極限状態が迫っていた。 しびれを切らして自力で南への脱出を試みる者もいたが発覚して命を落としたとの噂も 流れた。また、個人的に親交のあった朝鮮人を頼って舟やトラックでうまく抜道を導いて くれて成功した例も稀にはあったが、礼金だけを騙しとられただけで一層悲惨な目に遭う 者もあり、暗い日々が続く。 言葉を何ひとつ朝鮮語で喋ることのできない家族は、朝鮮人になりすまして通行するこ となどできた話しではない。 将来に全く希望が無くなった時、自暴自棄に陥りやすい。ぎりぎりの生活に置かれ、ど うやっても暮らしていくことが出来ず、帰国しても頼れる身寄りがない人たちは、遂にソ 連兵相手の娼婦になったり、朝鮮人と結婚する人たちも出てきた。その人たちは今どうし ているだろうか。安心して生きていける立場に置かれているだろうか、美保子は五十年余 り経た今ふっと思い出すことがある。 そんな中で、日本人会が粘り強く折衝を続けた結果、やっとのことで細々と南行きの乗 車が始まる気配が伝わってきた。しかし美保子たちの町内に番が回ってくるのはいつのこ とか、一筋の光りが見えたものの更に一日千秋の身を焼く日々は続いた。 終戦から丸一年過ぎた八月半ば、やっと美保子達桜町在住者に念願の乗車証明書が交付 された。売って換金すべき物は何一つ無いながらも、米と副食の干し鱈を調達した。よく 乾燥しているので、焼かずにそのまま千切ってたべられるのである。その他、病弱の父の ための毛布、釜と食器、箸、それにトイレ代用の空き缶が最低の必需品であり、生きてい くための財産であった。 いよいよ指定日の九月九日、久し振りに少しばかりはなやいだ気分で平壌駅に向かう。 母が末の弟を私がその下の妹を背負い、中一と小五の弟たちが荷持ち。父は弱いので救 急袋を肩から掛けているだけだ。 様々な苦難をなめたこの地を去る。足どりの軽い中にもお寺の片隅で日本を夢みながら 亡くなった祖母、竜山墓地の土饅頭の下にひとり残していく。再び訪ねることがあるだろ うか。後髪を引かれる思いで幾度となくその山の方向を振り返った。 やがて平壌駅が見えてきたが、その広場を埋めつくした大群衆に驚いてしまった。一体 これ程の人間がどうやって汽車に乗るのだろうか。よく見れば老いた病人を戸板に載せて 運んできた家族もいる。 「生きて日本の土を踏ませてやりたい、お情で乗せてくれ」と哀願する人へ、証明書が無 い人は駄目だと冷たく手を振る任官。その心情が痛い程胸につきささっても可哀想と思っ ても、こればっかりは代わってあげられなかった。あの家族にも早く番が来ますようにと 祈るばかりである。 背中の妹をあやしながら、荷物持ちの弟たちもみんなのろのろと動き、証明書と実物の 照合がやっと終わってホームに出られる。 しかし、想像していた車窓のあの列車ではなく。無蓋車が黒々と連なっているのである。 まるで、石炭か牛馬同様に一行はその中に次々と押し込まれていく。力がまたしても抜け そうになったものの、これで帰国できると思えばこそ気力をとり戻しながら、苦難に満ち た平壌すら名残惜しい思いもあり娘心を熱くしていた。 さらば母校よ、牡丹台よ、庁の官舎よ、逃げ回り恐れ怒りも湧いたソ連兵、手渡した腕 時計を故郷の妻子に届けたかしら、喧噪も回想も一緒くたに満載した列車の中で美保子は 言いようのない涙を流していた。 一時間以上も待たされやっと動きだしたものの、一向に徐行が快速に切り換わらない。 小学校唱歌にある、 “森や林や田や畑、後へ後へと飛んで行く”であってほしいのに、意に 反して時には停まるばかりか、後戻りさえ加わる何となく嫌な予感に包まれていたら、駅 舎もなにもないただの広い野っ原に本当に停車してしまった。おかしい、何故、思う間も なく 「ここから先は歩いて行け」 「えっ? そんなの詐欺じゃない」いくら思っても抵抗はできない。呆然としながらもま たぞろぞろと降りるしかない。係官のぶっきらぼうの言葉が遠くなっていく。 二時間乗っていたとはいうものの、まだ何程も進んではいなかった。どうせ焦ら焦らし ながら運転では今更話しにもなるまい。群衆がまたまた列を作っていく。 よく見るとその野っ原に踏みつけて出来たような一筋の道があるのが分かり、はじめて 納得できたのである。そうか、そうだったのか先に出発した人達もみんなここで放り出さ れこうして歩かされたのであった。 歩きに歩いた。ただ黙々と一歩一歩を踏みしめるしかない。背中の弟たちがむずからな ければいいが、眠ると尚重くなる。父の体力は大丈夫だろうか。気になりながらも、黙り 勝ちになってしまう。 とある集落にさしかかった時である。顔役らしい朝鮮の男数人が立ち塞がり謝礼をくれ という。何の謝礼かよくわからなかったが、問答をくりかえす場合でも、立場でもない。 いくらかゆとりのあるらしい人達が求めに応じてくれて通過することが出来た。ところが 行く先々で申し合わせたように“通行税”として要求するのであった。度重なってくると もう出すものがない。すると隠し持ってはいないかと身体検査に及ぶ。私達一家のように 裸の者ばかりではなかったらしく、帰国後の生活に困らぬようにと、お金を着物や衿や靴 下の中に隠している数人が見つかってしまった。 「お前たちは我々朝鮮人を、そんなに悪い人間だと思っているのか」 理の通らぬ説教をさんざん聞かされ、その上当事者はリンチまでも受けた。 どんなに頑張ってみても一日に歩ける道のりは大体きまっている。果てしなく遠い草原 の道をぞろぞろと歩く集団、夕方入る集落には大きな草屋根のしつらえてある場合もある が、日暮れてそれすら見つからない時には、橋の下で一夜を過ごさなければならない。九 月下旬とはいえ夜露は身体に疲労を深める。父の身を案じつつ、川の水で米を洗い、石を 積んで竃を作り、薪も何かと拾い集めなければならない。およそキャンプの楽しさとは遥 かに異なった生命がけの野営である。何とか、口にできれば幸いなのであり、私達は歩い ているのか眠っているのか、身に着けたままの日々いつまで続くのであろうか。 或る雨の日暮、濡れそぼった疲れた足を運んでいた時、行く手に小屋らしいものがある のが目に入った。やれ嬉しやと、皆々、その中に駆け込んでいった。 すると、なんとそこには待っていたように若者らが一斉に現れたのにはびっくり。 「誰の許しを得て入ったか!」 と一喝するとやにわに屋外に押し出されてしまった。保安隊と名乗るその中の一人が演 説を始め出した。韓国併合などとお為ごかしを言って帝国主義をふりかざし、日本がいか に朝鮮民族を虐げてきたかを延々と並べたて、彼らの恨み、つらみは止まることがない。 侵略者とののしられるその言葉を、雨が滲み通り寒さに身も固く、足は棒のようになり ながら首うなだれて聞いているしかない。 「私達がそうしたわけじゃない、私達は朝鮮の人達と仲よく交ってきたのに」と心の中で 反論していた。 しかし、私の脳裡をかつての一光景がよぎった。教育実習で見た、朝鮮児童の受けてい た厳しい罰である。寒風吹きすさぶ洗い場のコンクリートの上に正座させられた姿を。あ れはまさしく、忠誠以て君に奉ずる皇国臣民に育てるためではなかったか。あの時、あの 少年の心に、眼前のこの保安隊と同じように、日本への憎悪が生まれなかったと果たして 言えるであろうか。 この責めは、私達日本人が等しく負わなければならないものだったのだ。美保子は、寒 さに震え疲れきった頭で、敗戦の重みと人間とは何か、日本の歩いた道は……ショックの 中に、しかし今は生きねばならぬ、現実に押し潰されないように。よぼよぼ、よたよたの 一団の中に歩を合わせて今日も歩く。 こうして十日余りのまさに行軍の移動のように苦難の道のりが続いた。鍋墨を塗って老 け顔に化ける必要もない程、充分に汚くなっていた。足にマメができようとも、それが破 れて痛んでも、お腹が悪かろうと、発熱しようと、落伍したら一巻の終わりとなってしま う。誰もが必死で生にしがみついているだけである。 三十八度線―故国よ 三十八度線に達するには容易なことではない、近づくにつれて山になる。広い土地は越 える場所によってそれぞれ違うであろう。平地あり、登り道あり、その苦しい道を何百人 とも知れぬ大集団が揺ら揺らと移動する。 いよいよ、境界線の手前に達した。 「ここからは、話し声を立てるな、子を泣かすな、いつ警備兵の発砲があるか知れないか ら、しっかり前の人に遅れないように登るように」 ’ その大きな声に緊張の空気が漂う。そこへ、商魂たくましい朝鮮人が、足弱と見るやす かて り寄って来て、法外な賃金でニッコに乗れとしきりに勧める。それをその日の糧とするの であろうが、最早無一文の美保子たち一家にとっては、どうにもならない。せめて病弱な 父だけでもと思いこそすれ、それもできない。力無く手を振るのみである。 いつ、パン、パーンという銃声が、この大移動の中から起こるであろうかと、極度に緊 張しながら、まさに胸突き八丁といえる急傾斜の山を登ること数時間、口をうるおす水も、 排尿もままならず、唯々気力で足を前へ出す。そんな歩みを続け、やっと峠に辿り着いた。 やれやれと息抜くことは出来ない、ここを下りなければ三十八度線を越えたとは言えな い。もう体力を使い果たして、お尻で滑るような形で、ずるずると降りていく。 ありがたいことは背中の妹や弟も泣かず、荷物持ちの弟たちも、まっ黒に汚れきり、空 腹であろうのに悲鳴の声もたてずにいたことである。私たち大人を一心に応援してくれる ようにさえ思われた。 中腹あたりまできたのであろうか、急に限下が開け、どよめきが起こる。 カーキ色をした天幕の集落が見えるのだ。おお、此処こそ南朝鮮だ。美保子達にとって 恨みの三十八度線を踏破したのだ。 「ウォー」と声にならない声が突き上がってくる。それからどう下りたか覚えがない。夢 中で滑り下りたのであろう、気がついたら広場に次々と立って集まっていた。 やがて日本人会長らしい人が迎えの挨拶をのべている。 「よくぞ脱出して来て下さいました」 一年振りに聞く言葉に、このひと言は身に滲みて、汚れきった顔に涙を流しながら、亡 くなった祖母や、シベリヤへ連れていかれた男の人たち、いまだに帰国できずにいる人た ちのことが、胸の中をよぎっていた。 幾十とも知れぬ天幕は米軍の管理下であり敷物もしつらえていて、やっと足を伸ばし安 眠できる場所であった。期待も持てないようになっていた心境の日々の中で、此処は至れ り尽くせりの労られ方に驚き嬉しかった。 足のマメが破れて赤く痛む傷の処置をしてくれたり、何といっても給食の出ることであ った。大きなイリコの入った、醤油色の濃い熱い雑炊の何たる美味しさ、みんなの顔に、 微笑みが浮かび、やっと人心地がついて、お互い健康状態を確かめ合う余裕ができた。美 保子にとって、この雑炊の味わいは忘れられないものとなった。 ここに四、五日いる間にも、毎日北からの脱出者を迎えていた。やがて先着の団体から 順番に米軍用トラックで仁川に移っていった。 仁川は、ソウルに近い港である。小学生時代に地理で習ったが、干満の差が大きいため、 満潮にならないと船が出入りできない。ここで潮待ちするための天幕は、百張りもあった のではと思う。 乗車準備としての検疫を受けるほかは何も用事がなくて、三度三度雑炊の給食を受け、 いわば米軍に養ってもらっているのである。 夜、厠に起きると、要所要所でアメリカ兵が立哨している。彼らは極めて紳士的で女性 に淫らな振る舞いをすることはなかった。それだけに北でのソ連兵の行状を思い起こすと き、美保子はその違いにアメリカとは有難い国だという印象を植えつけられたが、ひとり ひとりの人間としては一体どうなのであろうか。 九月末になっていた。米軍の輸送船LST96号が私たちの引揚船で、仁川を発ち、佐 世保に向かった。佐世保・日本の国、心の中で繰り返しながら船の揺れにも耐えた顔が、 ここかしこに窺える。 陸地らしい影が認められ、緑が刻々濃くなり、やがて一樹一樹鮮やかに眺められるよう になった感激は、もう言葉もなく例えようもない。 “遙けくも還りつるかな、国破れて山河あり”と、いわれるが、故国の姿はかなしいまで に美しく映った。 集団一行は上陸を前に検疫の結果、保菌者がいることで湾外に退き、一ヶ月も碇泊する ことになった。乗組員の人達、引揚者の飛び入りなどで演芸会を開いたりしながらも、一 ヶ月は、ここにきて、大変長く待たれたものである。 一九四六年、十月三十日、念願の第一歩を佐世保に美保子は家族七人とその土をしっか り踏みしめた。確実に日本を見た家族、あらゆる涙がごちゃまぜになっていつまでも肩を 抱き合っていた。 終章 三十八度線を越えて日本の土を踏むまでの一端にすぎないであろう。語りつくせないも のがあることも察しられる。 小学生の頃から子供心に朝鮮人を蔑視している、そのことへの疑問というか何故だろう と も の気持が、娘になり敗戦によってもたらされた様々の問題の中で、在日朝鮮人の親しき兄弟 を得て、更に深く考えるようになった私。 そして同じ年代の継母は朝鮮平壌で全く私には想像つかない生き方をしていた。 お互い朝鮮を朝鮮人をどの様に受けとり、理解し、生きてきたかはそれぞれであると思 う。ましてや、平凡なひとりの庶民としての継母が、敗戦に至るまでの平穏な日々と、敗 戦によってなめた苦難の落差は、すでに前文に書いたように怒りや悲しみが、特に若い女 性のぶつける羞恥の怒りが噴き出ている。 しかしそれでいて日本人としての罪の赦しの気持をふつふつと寄せて謝している姿をあ らわしている。 私は継母と向き合ったその時、国籍を問わず、すべて人間として他を侵してはならない、 生きる権利をつぶしてはいけないことへの、共通感があった。 環境、立場が違った時に私自身がどうなるか。人間の弱さが真理に向かってどう動いて いくか、という自分自身への大きな問いでもあった。 最後にこの記録をもとにして、拙ない私のペンで「架橋」に執筆掲載することを承諾し てくれた継母美保子さんに心からありがとうございます。 ○注―記録の中で変更した読み方( )内がもとの文 日本 (内地) 一九三七年(昭和十二年) 朝鮮人 (鮮人) ソウル (京城) 韓国歌謡史 1945-1980 すべての河は海へ流れる――番外・在日編 パク チャン ホ 朴 燦 鎬 希望と昏迷の中、相次ぐ組織の結成 一九四五年当時、日本に二百万名以上いた朝鮮人同胞は、八・一五解放の知らせを軍需 工場や炭坑、鉱山、発電所工事などの現場で聞いた。歓喜の涙を流しながら、声高く「万 歳!」を叫んだ彼らは、一路、祖国に向って帰国の途を急いだ。四五年九月から十二月ま での四カ月間に、正規ルートを通じて帰国した同胞数だけでも、約五十四万名にのぼった。 一九四五年十月、帰国者に対する支援、および当面日本に残留する同胞の民生安定のた め、自治団体である在日本朝鮮人聯盟(朝聯、聯盟)が結成された。朝聯は当初、共産主 義者から親日分子まで、左右を間わず挙族的に組織されたが、解放前から社会主義運動を 続けてきた、日本共産党(日共)党員でもあった左派系が主導権を掌握していった。 朝聯の左傾化に反発した民族主義系の青年たちは、同年十一月、朝鮮建国促進青年同盟 (建青)を結成し、朝聯と対峙した。建青では、盟歌として『建国行進曲』をうたった。 ム グ ン ファ ひ かり 無窮花三千里 陽光を受けて 建国の鐘の音は 我らを呼ぶよ 集まれ三千万 血湧く聖子神孫 約そう世界に 恒久平和を チャンベクサン 長白山霊峰は 大陸を支配し アプ ロ ッ カ ン 鴨緑江清い水 我らを育む 跳べよ三千万 勇敢な白衣同胞 祝おう今日の 祖国建設を 東半島の聖林の 厳かな空 四千年の歴史に 我らは躍る とどろ 轟 け三千万 雄々しい朝鮮民族 テ グク マ ン セ 誓おう永遠に 太極万歳を 一九四六年二月、無政府主義者と宗教活動家、朝聯離脱者が中心となって新朝鮮建設同 盟(建同)を結成した。しかし、建同は組織的に伸び悩み、同年十月に在日本朝鮮居留民 イ スンマン 団(民団)として再出発した。民団は韓国政府樹立直後の四八年九月、李承晩政権から自 治団体として認定され、同年十月に在日本大韓民国居留民団と改称した。民団は団歌とし て『在日本大韓民国居留民団団歌』を作った。 澄んだ空、花咲く小山 なつかしい祖国 胸に秘めて強く生きる われらは大韓の民 異境の風霜きびしくとも われらを阻む者なし 見よ、吹雪をついて 咲く梅の花 四千年を連ね来し 血筋と心 べ ダル 固く団結し強く生きる われらは倍達の民 正々堂々試練に克って 居留民団その名輝かせん テ グ ッキ 見よ、自由のみ空に はためく太極旗 『民団歌』の作詞者は、著名なエッセイストであり、朝鮮の詩歌を日本語訳した『朝鮮詩 キ ム ソ ウン ウジョンガプ 集』 『朝鮮民謡選』『朝鮮童謡集』などで有名な金素雲で、作曲者は兎鍾甲である。 兎鍾甲は日本帝国音楽学校出身で通名は夏田鈍甲。一九五二年度日本音楽コンクールの 作曲部門で首席入賞し、その後、NHK専属作曲家として活躍した。また六五年に『伽藍』 でTBS賞を受賞し、六七年には日本政府が募集した「二十一世紀の日本」の音楽部門で、 くだん 三楽章からなる管弦楽のための作品『昌慶』で最優秀賞に選ばれた。ところで 件 の『民団 歌』は、格調が高過ぎて普及しなかったといい、筆者も耳にしたことがない。 これらの組織の動向は、本国の政治状況を直截的に反映していた。建青と建同は、信託 統治問題をめぐって反対の立場を明らかにし、賛成の立場をとつた朝聯と対立した。また、 一九四八年の南朝鮮での単独選挙問題に対しては、民団が逸早く単選支持を表明し、朝聯 が単選に反対したが、建青内部ではその是非をめぐって路線闘争が繰り広げられた。 建青の路線闘争は、単選に反対していた主流派が勝利し、南北要人会議支持の声明を発 表したが、韓国政府樹立後、非主流派が巻き返して実権を掌握した。そして一九五〇年八 アンホサン 月二十九日、本国の大韓青年団長・安浩相(前職文教部長官)が参席する中で在日本大韓 青年団(韓青)と改称し、民団の傘下団体となった。六・二五動乱勃発直後のことであり、 有志たちは在日義勇軍を構成し、祖国の戦線へと向った。 これらの組織に先立って一九四五年九月、在日本朝鮮留学生同盟(学同)が組織され、 東京・新宿の朝鮮奨学会に本部を置いた(一九六七年四月十八日付の在日韓国学生同盟機 関紙「韓国学生新闘」によれば、学同の結成は一九四六年一月三日とある) 。朝鮮奨学会の 前身は、一九〇〇年、当時の大韓帝国から留学生が日本に派遣された折に設立されたが、 日本に併呑されるとともに朝鮮総督府の監督下に置かれた。四三年に財団法人となり、総 督府の朝鮮人同化政策の一環として、朝鮮人留学生を教化するための役割をになった。解 放後は民団、総聯、日本の三者からそれぞれ選出された代表が運営し、同胞学生に学資援 助をしている。 学同の目的は、 「祖国の完全独立に寄与するため学生の団結をはかる」こととし、当面の 課題として学生生活の不安と動揺の防止、帰国および残留問題の解決などを掲げた。しか し、左右勢力間の分裂抗争に学同も無関係たり得ず、南北双方での政権樹立が対立を決定 的なものにした。そして、一九四九年五月の定期総会を契機として学同は分裂し、右派学 生は同月、在日韓国学生同盟(韓学同)を組織して民団の参加団体となった(左派は従来 の名称を使用し、略称を留学同とした) 。 チョンチュン バ ン ラ ン ガ ここに、韓学同で永くうたい継がれてきた『 青 春 放浪歌』という歌がある。 く に こ おい ら 故郷のあの娘が 俺等を呼ぶよ こきょう 一日に十二回づつ 行きたい故郷 (繰り返し) エヘラ 行けなけりゃ エヘラ 休もうよ かぼちやのようなこの世を まあるく暮らそう 十五夜の月は 雲間に遊び 十九の娘っ子は 俺等の胸に 谷間にさらさら 流れる水は 恥かし純情の 歌声なのさ と し 歳月が流れ また流れてよ こ あの娘の初恋 熟していくよ 年が暮れて 新年が来れば ひとり住むあの娘を 訪ねる心 この『青春放浪歌』は、ある明大生が作ったと伝えられている。ところが、一九六〇年 チェフィジュン 代半ばに韓国の人気歌手・崔喜 準 が、曲調は多少異なるものの、よく似た内容の『兵士の キム ウン ハ 郷愁』 (金雲河作詞・金グァン作曲)という歌をうたった。 故郷の娘らが 俺等を呼ぶよ 一日に十二回づつ 行きたい故郷 エヘヤ 行けなけりゃ エヘヤ 休もうよ あの娘のチマの生地 買ってから行こう 『青春放浪歌』と『兵士の郷愁』の間に、どんな連関性があるのだろうか。かねてから 疑問に思っていたのだが、意外なところから解明の糸口が見つかった。一九九二年にソウ ルのシンナラレコードから、解放前のSP音盤を復刻したCD全集『留声器で聴いた歌謡 史』が発売されたが、筆者も関与したこの復刻CD集の中に、三七年に発売された『九十 キム ウンタン チョジャリョン 里峠』 (金雲灘作詞・趙子 龍 作曲・金龍煥唄)という、よく似た曲が収録されていたのだ。 夢にもふるさと 行きたい道は 歩いても九十里 坂越え行こう エヘヨ 行けなけりゃ テヘヨ 休もうよ 十二の峠を 休み休み越えよう 恋しい故郷の 水車まわるところ 住めなくてもふるさと 行きたいところ エヘヨ 行けなけりゃ テヘヨ 休もうよ アリラン アリアリ うたって行こう 故郷の娘らが 俺等を呼ぶよ 一日に何度も 行きたい故郷 エヘヨ 行けなけりゃ テヘヨ 休もうよ テ ン ギ 絹の束髪布を 買ってから行こう メロディーは、 『青春放浪歌』の原調といった感じを受ける。恐らく『青春放浪歌』の作 者は、幼い頃この『九十里峠』を聞いたことがあったのだろう。そして、長じて日本に留 学した作者は、郷愁にかられた時、昔の記憶をたどってこの歌を作ったのではなかろうか ……。 一方、朝聯は在日本朝鮮民主青年同盟(民青) 、在日本朝鮮民主女性同盟(女同、後に女 盟)などを傘下団体として勢力を伸張させ、日本各地で民族学校を設立した。当時、朝聯 では『民青歌』『追悼歌』 『独立の朝』『解放の歌』 『人民抗争歌』など、主に本国でうたわ れた。 “解放歌謡”をうたったが、在日音楽人が新しい歌を創作してもいる。当時。朝鮮学 校の音楽の時間に使われた教科書の一部は、次のようなものだった。 初等音楽(上) 〈一九四七・六〉 ・・・お日さま、白頭山、*春さがし、ともだち、桃、 どんぐり、チャッチャックン(赤ちゃんの手拍子) 、鳥が鳥がうたう、ままごと、 *すべり台、木の葉、雨、お正月、軍楽隊、時計.学童歌、*朝鮮の歌、解放の歌 初等音楽(中) 〈一九四七・九〉…*朝鮮の歌、学童歌、陽よ陽よ、春雨、星、春風、独 ハンガウィ 立万歳、踊ろう、ケグリ(蛙) 、*パンダル(半月)、ねんねんおころり、子守歌、お 盆 ちょうちん ツルミ (中秋)、こども行進曲、かぼちゃ提 灯 、ひばり、* 鶴 、母さん父さん、せんたく、 わき水、独立の朝、解放の歌 これらの歌のうち、*印をつけた童謡は、現在韓国でうたわれている同名の歌と同じで と き ある(ただし『朝鮮の歌』は『大韓の歌』、『鶴』は『タオク』 ) 。 解放を迎えるや在日同胞は、皇民化教育で奪われた民族の言葉と歴史を取り戻すため、 ソ ダン 日本各地で自主的な民族教育を始めた。朝聯は書堂(寺子屋)式の国語講習会を整備して 初等教育を始め、四六年十月には大阪、東京を中心に日本全国で中等学校、青年学校を開 設した。また建青、建同でも各地で講習会を発展させ、四六年三月に建国小・中・高等学 校を設立したのをはじめとして、五四年までに京都、大阪、東京を中心に民族教育を整備 した。 解放直後の在日朝鮮人の民族教育の高まりに対して、日本政府はしばらくこれを認めざ るを得なかった。しかし一九四七年五月、日本政府は“ポツダム勅令″で外国人登録令を 公布し、朝鮮人弾圧に乗り出した。そして同年秋、中国大陸で国民党軍が後退したのを契 機に、連合軍総司令部(GHQ)の対日占領政策が転換するや、これに乗じて民族教育に 対する弾圧を図った。 同年十月、GHQの民間情報局が「朝鮮人諸学校は、正規教科の追加科目として朝鮮語 を教えることが許される例外が認められる以外は、日本(文部省)のすべての指令に従わ せるよう日本政府に指令する」という方針を立てた。この指令に従って日本政府は、一九 四八年一月、在日朝鮮人の日本学校への就学義務を規定した文部省学校教育長通達を出す とともに、自主的な民族教育に対する弾圧を開始し、GHQの指令による学校閉鎖令を相 次いで出した。 これに対し朝聯は、猛烈な反対運動を繰り広げた。特に大阪、神戸では同年四月二十三、 二十四日、武装警官が民族学校を襲撃する“大阪・神戸朝鮮人学校事件”が発生した。四・ 二四阪神教育闘争といわれるこの事件で、三千名以上が逮捕された。大阪では民族学校の 生徒一名が射殺され、神戸には非常事態宣言が発布された。 この事件は、本国でも大きな憤激を呼び起こした。一九四八年七月六日付朝鮮日報は、 次のように報じている。 ウ リ ハッキョ ウ リ マ ル 日本政府が我々の学校 を閉鎖しようとしている不当な弾圧に対抗して、我々 の言葉 で ウ リ ク ル 我々の字を教えようという、解放民族としての正当な主張を敢然と掲げて立ち上がった在 日同胞の騒擾事件は記憶に新しいが、これにより米軍当局は騒擾関係者を軍事裁判に回付 し、我々の弁護士団派遣まで拒絶して、既報のように神戸軍事裁判で最高十五年という懲 役刑を言い渡した。これは、同胞たちの正当な民族的主張と行動に照らして余りにも苛酷 な結果で、朝鮮に対する過去の毒牙を再び整えようとする日本政府の謀略と、悪辣な手段 に左右された点のなきにしもあらず、という疑惑と義憤を禁じ得ないでいるのが、在日同 胞は勿論、国内同胞の心情であるが、今回の仕打ちに対して在日朝鮮人聯盟は次のような 談話を発表し、その不当なやり方に対する態度を表明し、再び波紋を投げかけている。… … 朝聯組織は、民族問題にばかり取り組んでいたわけではなく、日本の左翼運動の前面に 立って闘い、かつ支えていた、日共の行動部隊的な存在でもあった。朝聯指導層の大多数 が日共党員であり、日本革命に参加するという解放前からの路線を維持しながら、むしろ 日本人党員より積極的に迦動に邁進した。そのため、GHQと日本当局から暴力主義団体 とされ、一九四九年九月、 “団体等規制令”で解散命令を受けるに至った。 朝聯の解散後、左派勢力は、朝鮮戦争勃発直後に祖国防衛委員会(祖防委)を結成し、 傘下の祖国防衛隊(祖防隊)が反米基地闘争など激烈な非合法闘争を繰り広げた。次いで 一九五一年一月、在日本朝鮮統一民主主義戦線(民戦)を結成して組織再建を果し、五五 年五月には在日本朝鮮人総聯合会(総聯)を結成した。この時、日本革命に参加するとい う従来の路線を否定し、日共傘下から脱退して、北朝鮮の在外公民組織へと転換した。 解放後二十五年間の在日歌謡界あれこれ これらの組織は、左右を問わず大衆啓蒙運動の一環として歌舞団、劇団などを組織し、 キム ヨンギル チャンビ キム ムン ポ 活発な活動を展開した。特に朝聯では、金永吉、張飛、金文輔をはじめとした著名な音楽 家が、民主音楽家同盟などの文化団体を組織し、精力的に活動した。朝聯はまた、映画社 とレコード社も設けた。 チュンヒャン 一九四八年十月、朝聯は東宝と提携してオペラ『 春 香 』 (村山知義台本、高木東六作曲) き よこ を上演した。李道令役をテノール・金永吉が、春香役を大谷冽子がそれぞれ演じたこのオ ペラ公演は、日本オペラ史にも記録されている。 カンヨンチョル 解放後、日本の芸能界で活躍した在日同胞歌手としては、小畑実(康 永 喆 )が継統して チョ デ フ ン 多くのヒット曲を放ち、また牧博(趙大勲)がタンゴ歌手として活躍した。ジャズバンド としては、朝比奈五郎率いる「朝比奈五郎とダウン・ビート・オーケストラ」と、渡辺弘 率いる「渡辺弘とスターダスト」が、奥田宗宏(日本人)率いる「奥田宗宏とスカイブル ー」とともに“三つのビッグーバンド”と評され、コンボ楽団としては吉屋潤率いる「吉 屋潤とクール・キャッツ」が活躍した(元NHKアナウンサー・谷田部敏夫氏談)。解放前、 ペ ク マ ガン イムグンシク 大衆歌謡『夢見る白馬江』を作曲したピアニスト・林根植も活発な演奏活動をしたようだ。 一九五一年、菅原都々子が『連絡船の唄』をうたってヒットした。勿論これは、解放前 チャン せ ジョン カン ド ン ホ キョンナム に 張 世 貞 がうたって大ヒットした『連絡船は出て行く』の翻案歌謡である。姜東湖・慶 南 デ 大教授によると、この歌は動乱中にも拘わらず、韓国に逆流入してうたわれたという。菅 モ クポ 原は他に『アリラン』『トラジ』『木浦の涙』『片割れ月(花柳春夢)』など、朝鮮の歌を数 多くレコーディングしている。 『片割れ月』のSP盤には“陸奥明作曲”と記されているが、 キ ム へ ソン 元歌の『花柳春夢』の作曲者は、 『連絡船は出て行く』と同じく金海松である。 陸奥明は菅原の父親であり、韓国人だともいわれれるが、真偽のほどは知らない。陸奥 はその昔、 「浅草オペラ」で活躍していた歌手だったといい、彼女を一時、古賀政男の許に 養女に出している。また陸奥は、東海林太郎の『ああ草枕幾度ぞ』、田端義夫の『里恋峠』 などを作曲しており、戦後は娘のために『月がとっても青いから』を作曲して大ヒットさ せた。 一九八〇年頃までは、日本社会での朝鮮人に対する就職差別が厳しく、最高学府を出て も希望する職業には就けなかった。いきおい、自己の能力を充分に発揮させることの出来 る職場として、芸能界やスポーツ界を選ぶ傾向も多かった。成功した例も多く、紅白歌合 戦は同胞歌手なくしては成り立たないとさえ言われ、プロ野球でも、同胞選手だけで強力 なチームを作れると言われる。大相撲では、横綱・大関を何人か出している。 しかし、人気稼業であるが故に、自らの出自を隠すのが普通だった。解放前の永田絃次 チェスンヒ 郎(金永吉)や“半島の舞姫”と謳われた崔承喜らは別として、日本プロレス界の開拓者・ キムシンラく 力道山(本名・金信洛)ら、戦後の日本人を熱狂させ、青少年の尊敬を一身に集めた一世 も例外ではなかった。韓国人であることを自ら明かした例としては、プロ野球選手・張本 チャンフン 勲(本名・ 張 勲)ら、何人かの例外を除いては殆どいないというのが実状だった。また極 チェヨンウィ 真空手の創始者・大山倍達(本名・崔永宣)は、韓国の上古時代の国号であった“倍達” から日本名をとっているが、その事実を知る日本人は殆どいない。彼は、解放直後には チェメンホ 崔猛虎と称していて、建青が大韓青年団と改称した際の発議者だった。 アンマルチャ なお一九五八年、安本末子(安末子)の『にあんちゃん』がベストセラーとなり、後に 映画化された。この本は同年、韓国で『雲は流れても』と翻訳されて話題を呼び、翌五九 ユ ヒョンモク 年、兪 賢 穆監督のメガフォンで映画化された。 解放直後、関西地方で朝鮮人経営のレコード会社がいくつか出来たが、そのうち牧野レ コードが有名である。この会社は、昔のオーケーレコードと太平レコードの朝鮮盤を引き 継いだようで、主に朝鮮服店を通じて販売した。この他に白頭レコード、東洋レコード、 K・Iレコードといった会社があり、これらのレコード会社では、流行や新民謡新たに作 キム ヨン デ チョンヒャン イヒャンスク ヤン ボン フィ ホン ナン ってレコーディングし、販売した。専属歌手として金龍大、 丁 響 、李香淑、梁峰姫、洪蘭 フィ キム 姫らを擁していた。最も有名な歌は、一九五六年十一月にK・Iレコードで吹き込まれた金 テ ウン キム チ ュ パ パル ド ガンサン 泰雲作詞・金秋波作曲・李香淑唄の『八道江山』『八道美人』である。 わ が く に ウリナラ八道江山 津々浦々見物しよう キョン サ ン ド チ リ サン 慶 尚道に入れば 名山は智異山で ナク トンガン 名河は洛東江だよ (繰り返し) エーヘ エーヘエイヨ オルシグナ チョータ チョルシグ チョータ 名山たずね遊覧しよう ウリナラ八道江山 津々浦々見物しよう チェジュ ド ハン ラ サ ン 済州島に入れば 名山は漢拏山で チョンジェ ヨン 名勝地は 天 帝淵だよ ウリナラ八道江山 津々浦々見物しよう ハムギョン ド ペクトゥサン 咸 鏡 道に入れば 名山は白頭山で トゥ マンガン 名河は豆満江だよ ウリナラ八道江山 津々浦々見物しよう ピョンアン ド メンブサン 平 安 道に入れば 名山は猛扶山で テ ド ン ガン 名河は大同江だよ ( 『八道江山』 ) (繰り返し) エヘエヘエヘヤ エヘエヘエヘヤ イ ゴル チ ョ ゴル あの村この村に 美人さがし遊ぼうよ チョンラ ド 全羅道の娘は 腰付きがよくて チュンチョンド チョッカスム 忠 清道の娘は 胸 元 がいいよ (繰り返し) オルサ トゥドゥン ドゥングレ ドゥン~~~~ 美人さがそうよ カンウォン ド 江 原 道の娘は アプメプシ 前 姿 がよくて キョンギ ド ティッメプシ ファンへド ポドゥルホリ 京畿道の娘は 黄海道の娘は 平安道の娘は ハムギョン ド 後 姿 がいいよ 柳 腰 がよくて モクソリ 声 がいいよ ホ バ ク タリ 咸 鏡 道の娘は 南瓜脚がよくて ヌヌ ス ム 済州道の娘は 目笑いがいいよ ( 『八道美人』 ) K・Iレコードは牧野レコードの正式な会社名かも知れない。その後、K・I太平音響、 イムバンウル OK太平音響と社名を変えている。また東洋レコードは、パンソリ名人・林芳蔚 の唱で ス ク テ モリ ホ ナ ム ガ ピョんシチュン 『さんばら髪』 『湖南歌』 『縁水青山』 『片時 春 』などを吹き込み、発売している。 一九六五年六月、韓日会談が十五年目にして妥結するや、これを契機に、韓国の芸能人 が相次いで在日同胞慰問公演をするようになった。 妥結後初の公演は同年七月、東京の九段会館を皮切りに日本全国を巡演した「ソウルオ ペクニョンソル シム ヨン オク イ ウングァン ト ミ コ デ ールスターパレードー白 年 雪一行」だった。出演者は白年雪、沈蓮玉、李 殷 官 、都美、高大 ウォン ペク クムソン パク ソ チュン ヤンソクチョン 遠 、白琴線らを始めとする歌手陳と舞踊陳で、音楽を朴是 春 、司会を梁 錫 天 が担当した。 コ ボクス ファングムシム キムジョング ヒョンイン コ ウ ン ボン その後、一九七〇年代にかけて高福 壽 、黄 琴 心、金貞九、張世貞、 玄 仁、高雲峰らベテ ラン歌手を含む慰問公演団が相次いで構成され、人気歌手で慰問公演の舞台に立たない歌 手は、殆どいないほどだった。 イ ミ ジャ 一九六六年、トップ歌手・李美子がビクターレコードから、 『つばき娘』をはじめとする 彼女のヒットアルバムを日本語で出した。当時の日本では、一部の同胞以外に彼女の名前 は知られていなかったが、同年、本名で韓国公演をした小畑実の斡旋で実現したのだった。 彼女はテレビ出演もしたが、この時、問題が生じた。司会者が彼女を“リ・ヨシコ”と日 きょうじ 本語読みで呼んだのである。この事実が本国に伝えられるや、韓国人の矜持を損なった かも と物議を醸した。同年七月十一日になって韓国政府が動きだした。駐日大使館に対して、 げん こく イウォングク 東京オリオンズに入団し“源国”という名で登録された野球選手・李源國の件と併せて、 「事 実なら旅券を取り消し、本国に召還せよ」と訓令したのである。結局、李美子は本来の“イ・ ミジャ”と呼ぶことになり、李源國も本名で再登録することとなった。 パクチェ ラン 李美子のあと、朴載蘭など多くの人気歌手が渡日し、日本のレコード社と専属契約を結 んだが、パティ・キムを除いてはこれといった反応は呼び起こせなかった。 一方、韓国歌手協会を創設して初代会長を務めた白年雪が、日本歌手協会の幹部を招請 した。これに応えて一九六六年一月、東海林太郎会長と渡辺はま子副会長が女性歌手“森” を伴って訪韓し、韓国歌謡界の人士たちと友誼を深めたのは勿論、テレビ出演もした。渡 辺は当初、テレビで持歌をうたう予定になっていたが、出演直前になって駄目になったと 通告された(同年四月二日、東海林氏より直接聞く)。彼らはまた、ある日本調クラブで無 料でうたったのだが、辺りをはばかって小声でうたわねばならなかった(同年三月二十二 日付『日刊観光』 ) 。 私事でいささか恐縮であるが、筆者はこのことについて、一九八四年八月三十一日号『朝 日ジャーナル』に書いたことがある。ところが、 『演歌源流・考』 (一九八八年・學藝書林) という本を出した岡野弁という人物が、同書でこの部分を取り上げ、 「渡辺は“日本語の歌 は歌いませんでしたよ。そういう約束でしたから。しかし、私も東海林太郎さんも西欧の 歌曲、民謡が歌えますから、要請を受けて歌いましたよ。私は『オー ソレ ミオ』を歌 ったと思います“という」としつつ、クラブで小声でうたったという部分については、「渡 辺にこの事情を尋ねたら、一笑に付していた。(中略)『講釈師、見て来たような……』と いう感じが残って、残余の論の信憑性さえ失いかねない」と書いた。 “講釈師云々”の“… …”部分が、 “嘘を言い”であることは、言うまでもない。 筆者は確認のため『日刊観光』紙を探したが、どこに紛れたのか、見つからなかった。 一九九七年春、資料の中から偶然に同紙を見つけた筆者は、記事のコピーを岡野に送り、 「穏当さを欠く非礼な表現」であったことを認めるよう要求した。しかし彼は、簡易書留 で送ってきた返書で、 「記事は明らかに“伝聞”であり、不確かな情報」だとしてこれを拒 否し、筆者の取材・執筆手法などについて批判を加えた。そして、筆者が書面に記した「そ の折、森サカエが同行した事実をご存じか」という部分について、「森サカエと電話で話し た結果、 “東海林、渡辺の二人に同行した事実はない。……”という証言でした」としなが ら、 「大事な事なので、事実認識をしっかりしておきたい」と、証拠の提示を要求してきた。 筆者は、写真説明に東海林、渡辺両人とともに“新人歌手・森嬢”とある、一九六六年 一月二十七日付京郷新聞の記事を、東海林証言を記した当時の日記とともにコピーして送 り、表現の非礼を認めるよう、再度要求した。 「もし“森嬢”が森サカエでなければ、誰なのか知らせてほしい」とつけ加えたこの手紙 に、岡野からの返信はなかった。その後も再三にわたり書信を送ったが、現在に至るも返 事はない。なお彼は、七六年に出たLPアルバム『熱唱/李成愛―演歌の源流を探る』で、 “レコーディング・ノート”という解説を書いている。 一九六〇年代末、南北朝鮮の二曲の歌が日本で話題となった。その一つは六八年、フォ ーク・クルセイダーズがうたった『イムジン河』である。イムジン河は、京畿道を南北に 分断する軍事境界線に沿って流れる川で、漢字で臨津江と書き、北朝鮮では“リムジンガ ン”と発音する。 パク セ ヨン コジョンマク この歌は、北朝鮮の歌『リムジンガン』(朴世永作詞・高宗漠作曲)に松山猛が日本語の 歌詞をつけたものだが、レコード発売が決定されるや総聯が強力に抗議し、発売禁止にな った。総聯の抗議理由とは、元来の歌詞の内容を正しく伝えていない日本語の歌詞でうた イ グム オク うのは、許せないことだというものだった。そして一九六九年、別に李錦玉が翻訳した歌 詞のレコード『リムジン江』が、ザーフォー・シュリークの歌で吹き込まれ、発売された。 しかし今度は、民放連が二番の歌詞について韓国の立場を配慮し、放送禁止曲に指定した (三橋一夫著『禁歌の生態学』 ) 。 各種の『リムジンガン』を紹介する。 〈原詞〉 リムジンガン 清い水 流れて下りゆき 水鳥 自由に 川越え飛び交うが わが故郷・南の地 行きたくとも行けない リムジンガンよ恨みを のせて流れるか 川越え葦原に 悲しく鳥が泣き やせた野原では 草の根掘ってるが ヒョプドンポル え 協 同 野の穂の海 波の上に踊ってる リムジンの流れよ 分けられはすまい 〈松山猛の訳詞〉 イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥 自由にむらがり 飛び交うよ 我が祖国 南の地 想いははるか イムジン河 水清く とうとうと流る 北の大地から 南の空へ 飛び行く鳥よ 自由の使者よ 誰が祖国を 二つに分けてしまったの 誰が祖国を 分けてしまったの <李錦玉の訳詞> リムジンガン 水清く 静かに流れ 鳥は河を 自由にとびかうよ 南のふるさとへ なぜに帰れぬ リムジンの流れよ こたえておくれ 水鳥かなしく 南の岸でなき 荒れた畑に むなしくかぜがたつ 幸せの花咲く 祖国の北のうた リムジンの流れよ こたえておくれ 今一つの話題曲は、一九六九年の『サラハヌン・マリア』だった。この歌はパティ・キ サランハヌン ムの『愛するマリア』の翻案歌謡で、パティ・キム自身がうたってヒットし、TVの歌謡 番組のヒットチャートでトップを占めたこともあった。しかし放送局では、 “日本の歌でな い”という理由でこの歌を放送しなかった。その後、多くの日本人歌手が『カスマプゲ』 『釜 山港に帰れ』などをうたい、TVで放送されたことを考えると、隔世の感がする。なおこ の『愛するマリア』は、数年後、韓国で“盗作歌謡”の疑いで禁止曲となった。 四・一九に触発された韓青二十年の軌跡 イ スンマン 一九六〇年秋、李承晩政権を打倒した四月革命に触発された大韓青年団が、その路線を 百八十度転換し、在日韓国青年同盟と改称した(韓青) 。韓青と同様に路線転換を遂げた韓 学同は、六七年四月十八日付「韓国学生新聞」で、その経緯について次のように述べてい る。 その当時の韓学同は李承晩独裁政治に迎合し、学生による民主的組織といった面はほ とんど見られず、評価に値する運動というものは何一つ無かった。 このような韓学同を、真に祖国と民族の問題を考えその歴史を前進させていこうと民 族的、民主的学生組織に変革させたのは、一九六〇年の四・一九学生革命であった。そ れ故、今日の韓学同の実質的誕生は四・一九に求められる。 当時、両組織は、総聯の北朝鮮帰国運動に反対する“北送阻止闘争”を、民団とともに 展開していた。四・一九以後は、本国での統一運動の機運に呼応し、朝青、留学同との交 流を積極的に進めた。特に韓学同は、留学同と共同で“新入生歓迎会”を主催するように なった。 四・一九の波紋は、民団社会全体に及んでいった。一九六〇年七月に開かれた民団中央 臨時大会では、本国政府との関係は是々非々の態度で臨むこと、民団内部に「統一問題研 究委員会」を設けること、などの方針が決定され、新たな動きが生じたのである。 しかし、こういった雰囲気も、長く続きはしなかった。一九六一年五月に軍事クーデタ ーが発生するや、韓学同はこれに反発し、同月二十七日に全国大会を開いて「四月革命の 英霊に叛くもの」との“反軍事クーデター声明”を発表した。そして同年九月、軍事裁判 チョヨン ス で死刑が宣告された民族日報社長・趙鏞壽の救命運動を展開し、民団と対立した。民団は 同年十一月の韓学同全国大会で、配下のグループに“学同刷新委員会”組織させ、会場は 流血の混乱を招いた。さらに翌十二月には、韓学同幹部たちを停権に処した。韓学同は、 臨時全国大会を開いて処分に抗議したが、民団は同じ時刻に“学同再建委員会”を組織さ せた。こうして韓学同は、六三年六月の大会で統一されるまで、一年半の分裂を余儀なく された(前記「韓国学生新聞」 ) 。 御用団体的体質から脱皮を遂げた韓青は、民団の民主化を掲げていた勢力(有志懇談会)、 および韓学同とともに、民団の改革を目指していった。彼らは、韓日会談での“在日韓国 人の法的地位問題”が、在日同胞の歴史性を無視して非常に不利に扱われていることを指 摘し、法的地位問題に対する要求事項を掲げて運動を繰り広げた。 当時、韓日会談で法的地位問題がどのように論議されていたのか。韓国日報政治部記者 カン ボム ソク ササンギェ の姜範錫は「韓・日協商十三年の日誌」(一九六四年四月緊急増刊号『思想界』)で次のよ うに書いている。 在日韓国人の法的地位問題は、核心の永住権賦与範囲において、第二次世界大戦終結 以前から日本に居住七ていた、いわゆる“戦前範疇者”に属する在日僑胞に協定上の永 住権を与えるという所に双方が合意を見、その子孫に対しては、法的地位に関する協定 が発効する日までに出生した者に協定上の永住権を賦与する線で妥結したと伝えられて いる。また協定上の永住権賦与者に対する強制退去事由としては、①内乱・外患に関す る罪、及び騒擾罪を犯した者②殺人・放火などの凶悪犯③営利を目的とした麻薬犯④外 交上の重大利益を害した者など、おおよそ四つの項目に極限させることに合意している が、その量刑において日本側は七年、韓国側は十年以上を主張している。 (中略) 法的地位に関する交渉は第五次会談の時に大きく進展し、第六次会談に入って、六二 年末までにおおよその輪郭が形づくられた。 この合意内容でとりわけ問題になったのは、①協定発効後に出生した子孫が永住権賦与 範囲から除外されており、②永住権者に対する強制退去規定は不当だ、というところにあ る。 一九六三年七月、民主派の推す候補が民団中央団長に当選し、法的地位要求貫徹運動は 大きく進展していった。六四年二月には日本全国で民衆大会が開かれ、民団史上空前の運 動の高まりを見せた。しかし、同年七月の大会で民主派の現役候補は敗北を喫し、法的地 位についての民団の姿勢は、要求事項の“貫徹”から“嘆願”へと後退した。当時、韓日 条約が締結されれば“バラ色の明日”がやって来る、と宣伝されたが、要求貫徹運動に対 しては「朝総聯から資金を受け取っている」と、アカ呼ばわりが乱舞した。 一九六五年に入って韓青・韓学同は、 「もう二十年朝鮮を持っていたらよかった」と発言 した、日本側首席代表・高杉晋一の暴言(高杉妄言)に反発し、激しく抗議活動を展開し た。彼らは二月以降、連続的に集会を持って「子孫万代まで父母と同じ永住権を与えよ」 「永 住権賦与者に対する強制退去、絶対反対」などの要求事項を決議し、デモ行進を行った。 同時に、民団員に対しては法的地位問題に対する啓蒙活動を展開し、日本市民に対しては 広報活動を通じて訴えた。 この頃、当時の外務部長官が「在日僑胞は日本人に同化する運命に置かれており、その 方向で日本国民の配慮を要請するのが、法的地位問題解決のための韓国政府の結論だ」と 発言したと報道され(一九六五年三月十日付「産経新聞」)、 「棄民政策ではないか」という 反発を受けた。また法的地位問題の日本側委員・池上努は、その著『法的地位200の質 問』で「 (在日韓国人は)煮て食べても焼いて食べても自由」だと本心を吐いた。 韓日条約は同年六月二十日、在日韓国人の主張がほとんど反映されないまま調印された。 会談の最終段階でハンストに突入した韓青は、この日声明を発表して“不満”の意を表明 するとともに、継続して闘っていくことを宣言した。 一九六六年一月、法的地位協定発効とともに永住申請の受け付けが開始されたが、当局 が初年度に二十万名と予想した申請者数は、受け付け開始十ヶ月の段階で二万七四九名に しか過ぎなかった。その最大の原因は、 “永住権”と伝えられたものの実態が、実は“永住 許可”だという点にあった。実際、請者の一%を上回る二二一名の不許可者が出た上、七 十四名が申請取り下げに追いやられた。また「大韓民国政府の要請があれば、この協定の 効力発生の日から二十五年を経過する時までに協議」すると、曖昧に処理された三世、四 世問題(のちに“九〇年問題”と呼ばれる)を始めとした諸問題について、民団員が大き な不安を感じていた。この結果を憂慮した民団は、 “永住権申請運動”を強化する一方、当 局に対し協定の柔軟な運用を要望せざるを得なかった。 一九六八年三月、日本国会に外国人学校法案が上程された。この法案は、外国人学校で 日本の国益に合わない教育をしていると認められると、学校の閉鎖を命ずることが出来る というもので、立入検査や処罰などをも規定した抑圧的なものだった。韓青はこの法案の 問題点を指摘して反対運動を展開し、法案は日本国会での内部事情もあって廃案となった。 一九六九年二月には、出入国管理法案(入管法案)の国会提出が閣議で決定された。「外 国人観光客の激増と不良外国人による犯罪の取り締まり」などを理由として、出入国管理 令(入管令)を大幅に改悪したものであった。一九五一年に制定された入管令は、外国人 登録法(外登法)とともに、在日同胞に対する追放と抑圧、同化政策の法的装置として猛 威をふるってきたが、入管法制定により在留活動の規制を強化し、退去強制手続きの簡素 化を狙ったのである。 入管令改悪の動きに備えて学習していた韓青は、すぐさま反対闘争を展開した。韓青の 闘いは、民団員の理解と支持を受けて挙団的な一大運動として発展し、人管法案は同年八 月に廃案となった。 人管法は、一九八一年に至って“出入国管理及び難民認定法”として成立し、八二年一 月から施行された。これにより日本政府は、従前の“追放・抑圧・同化”を基本としてい た対在日同胞政策を、“同化政策”を根幹にしつつ、管理、抑圧する方向へと路線を転換し ている。これは、“坂中論文”の基本内容である、「進んで日本国籍を選択したいという心 が、自然に起こるようにする社会環境づくりに努めるよう」すべきだという方針を具現化 したものだった。 “坂中論文”とは、七五年に日本入管当局が論文募集した折に、 “優秀作” とされた坂中英徳の「今後の出入国管理行政について」に、坂中が加筆した論文の中の『在 日朝鮮人の処遇』をいう。 加えて一九八五年、国連の女性差別撤廃条約の批准に伴って国籍法を改訂し、男女を問 わず、日本人と結婚した同胞の子女が自動的に日本国籍を選択できるようにした。この問 題は、この頃から大幅に増えた同胞の“帰化”現象とともに、同胞社会で重大な問題点と して指摘されている。 一九六〇年代半ば、韓青中央本部の民団民主化路線と距離を置いていた韓青愛知本部で、 ヤン ワン オク 幹部の梁完玉が在日二世青年を率いて異色的な文化運動を展開した。同年輩の青年たちに 母国語を教えていた彼は、一九六六年、母国語による劇『祖国』を中心とする韓青愛知文 化祭を企画し、指導して成功させた。 サ ユ ク シン ウォンスッラン チュンヒャンジョン 次いで彼は『死六臣』 (六七年) 、 『元 述 郎 』 (七〇年)、 『春 香 傅』 (七二年)、そして韓 マ ウィテ ジャ ユ チ ジン 青三重本部で『麻衣太子』 (七一年)と、劇作家・柳致眞作の古典劇を相次いで演出し、好 評を博した。特に『死六臣』は六七年十一月、ソウルの国際劇場で“干害災民慰安公演” として上演され、第四回演劇・映画祭で特別賞を受賞した。 梁完玉には、それまで演出の経験は全くなかった。しかし彼は、『祖国』の練習中、専門 演出家の演技指導を受けながら演出法を体得し、次の『死六臣』 (共同演出)では立派に演 ヤンワンオク イ センミョンウル モユンスク 出をしてのけた。彼はまた音楽も能くし、良頑沃というペンネームで『この 生 命 を』 (毛允淑 の詩に何聯かを追加)を作曲した。また『オイヤ』などの自作曲は、愛知、三重の盟員た ちに愛唱された。 空はつれなや 焦がれるわが心知らず ニム 黙って去った君への想い 忘れよというのか オイヤ 忘れよというのか ニッリリ ニッリリ ニッリリヤ ニッリリ 笛を吹き オイヤ.泣かねばならぬのか 月影静けく 辛いわが心なぐさめ 満ちあふれる君への想い 拭えというのか オイヤ 拭えというのか アリラン スリラン アラリョ アリラン 笛を吹き オイヤ 泣かねばならぬのか 梁完玉は韓青を終えて、一時、民団愛知県本部の幹部として活動していた。民団を辞し キム ジ ハ チ ノ ギ た後、金芝河作の演劇『鎮悪鬼』の韓青愛知・三重本部連合公演を指導し、成功させた。 一九七五年のことである。この公演は、韓青が全国で繰り広げていた『鎮悪鬼』上演運動 の一環として持たれたもので、この作品には劇中歌『協同の歌』があった。彼は、他地域 公演で使われていた曲を聴いて創作意欲が刺戟されたようで、自ら作曲して逸品と評され た。 ワンマンで酒豪でもあった梁完玉は、練習中にも酒を友としながら演技指導をした。そ の後、一時、韓青時代の仲間たちと会社を設立したが、風聞によれば、酒で会社をつぶし たらしいという伝説を残した。七〇年代後半、関西地方に移り住んだと伝え聞いていたが、 最近の消息は、近しかった人たちもよく知らないという。 一九七〇年代に入ると韓青は、本国の公権力と真っ向から対峙していった。事の発端は、 七一年二月頃、公館筋から「 (有志)懇談会の有力メンバーが、総聯幹部と対話している録 音テープをとった」という噂が流れたことにあった。三月に入って駐日公使が、民団中央 委員会の席上で録音問題に言及し、 「いま公開すると(中央団長)選挙への干渉と誤解され る。選挙後に必ず公開する」と言明した。しかし、問題の録音テープは、大使館内で民団 中央幹部数名が聞いたとされるのみで、最後まで公開されなかった。韓青や民団東京本部 など民主派は、録音問題の真相報告集会を開いて糾弾した。 民団中央は同年七月、民主派の拠点である民団東京本部を直轄処分とし、翌七二年にか けて指導的人士たちを根こそぎ除名、停権に処した。そして七二年七月には、韓青、韓学 同に対する傘下団体認定取消し処分を強行した(民団はその後、青年、学生組織として、 新たに在日韓国青年会と在日韓国学生会を設けた) 。民主派は「民団自主守護委員会」を組 織し、処分に抗議する集会を開くとともに、韓青を中心に民団東京を死守していった。な キムデジュン お件の公使は、七三年に発生した金大中拉致事件にも深く関与した。 録音事件を契機として韓青は、本国の反独裁・民主化闘争に連帯する方向へと、運動を 拡大させていった。またこの頃には、韓青の構成員から一世がほぽ姿を消し、二・三世の 時代を迎えるようになった。 こういった状況の変化に伴って、既に『建国行進曲』は時代の流れにそぐわないと判断 キム ドク ヨン され、 『四月の若い獅子たち』という歌が新たに作られた(韓青幹部の金徳榮が作詞し、作 ソン モクイン 曲は一九九九年一月に他界した『木浦の涙』 『他郷ぐらし』の孫牧人に依頼したと伝えられ る) 。 ソウルの街よ 訊いてみよう 四月の空よ 答えてよ 正義の若き獅子 どこへ行き 五賊がのさばる 世になったか 祖国統一と 民族解放 肩に担った 若き獅子 血流し倒れようと また立って 前進を続ける 若き獅子 若き獅子 チョン ヘ リョン その他、韓青盟歌的な歌として、一九六〇年代に『韓青歌』 ( 丁 海 龍 作詞・梁完玉作曲) 、 チョルウ ペ クス 七五年に『韓青同の歌』 (鐵宇作詞・白水作曲)などが作られた。前者は一時、韓青愛知本 部でうたわれたが、後者は殆どうたわれなかったようだ。 一九七二年七月四日、南北両政権間で統一についての共同声明が発表された。韓青はこ の七・四南北共同声明を支持歓迎し、同年八月七日、在日本朝鮮青年同盟(朝青)と「南 北共同声明を熱烈に支持する在日同胞の大会」を開催した。また民団東京管内の大田、品 川、葛飾各支部では、七月から八月にかけて総聯の当該支部との共同支持大会を持ち、八 月十五日には民団東京本部と総聯東京本部が「東京全体同胞の大会」を共催した。この折、 両組織間で共同声明を支持する歌『祖国統一の新しい歴史をつくろう』 『祖国統一の大門を 開こう』が作られた。 祖国を愛する 血わく青春が 国土の両断を 見てらりょうか みんなそろって 立ち上がり 祖国統一の 歴史をつくろう 自主の旗立て 平和統一のため 思想・理念・制度の差を 乗り越えて 全民族が団結し 統一を成そう ( 『祖国統一の新しい歴史をつくろう』 ) 美しいわが国 錦繍江山三千里が 南北に両断され もう何年か 思想・理念・社会・制度 差異を超えて 国土を分けた 壁を崩そう 南北の共同声明 みんなで支持して 青史に輝く 統一を成そう ( 『祖国統一の大門を開こう」 ) 以後、一九七三年にかけて韓青と朝青は、主要地方本部で相次いで共同声明支持大会を 持った。 民族学校卒業者を中心とする朝青との共同行事は、韓青盟員に母国語習得の必要性を痛 感させた。韓国語教科書作成の機運が高まり、ハングル講習会も強化された。同時に演劇、 舞踊、伽仰琴、歌などの幅広い文化活動を展開し、多くの行事を企画、推進した。 一九七三年八月八日、金大中拉致事件が発生するや、韓青は救出運動の先頭に立った。 毎月八日の抗議集会ならびにデモ行進をはじめ、断食闘争、署名運動を積極的に展開した。 一九七四年十二月、韓青は金芝河作の『鎮悪鬼』を東京で上演した。母国語と演技の実 力が伴わない二世盟員たちではあったが、この弱点を克服しようと練習を重ね、本番では 熱のこもった演技で大きな反響を呼んだ。七五年に入って韓青は、各地方独自の『鎮悪鬼』 公演を持ち、多くの成果を収めた。金芝河の原詞を若干アレンジした劇中歌『協同の歌』 の歌詞を紹介する。 協同だ 協同だ 共同で耕し 共同で売りさばき 平等に分配し 平等に暮らそう (繰り返し) オチャ オチャラ オホ オホチャ オホラ オルサ オルシグ チョータ オホラ オルシグ オホチャ 協同だ 協同だ マウル 村 基金こしらえ 共同で働き 所得増大したなら 蔑視はされまい 協同だ 協同だ イ ノ ム チ ョ ノ ム トッケビノム こいつあいつ、 お化け あらゆる害悪兇計 みんなで打ち砕き 人間らしく暮らそう 協同だ 協同だ ムル ト ッ ケ ビ サル ト ッ ケ ビ ソエ ト ッ ケ ビ トン ト ッ ケ ビ 水お化け、米お化け、鉄お化け、金お化け 農民が暮らせぬは お化けのせいだよ 協同だ 協同だ 封建遺制、小農経営、不等交換、外穀導入 つぶせば農民生き 団結なしにゃつぶせぬ 協同だ 協同だ 協同から協業へ 協業して農民団結 団結して進めば 農民解放遠くない クリ イスンシン 『鎮悪鬼』は一九七四年、劇団民芸も公演した。民芸は同じく金芝河の『銅の李舜臣』も 上演している。 韓青は翌一九七五年十一月、金芝河の『苦行 一九七四』を構成劇とし、上演運動を繰 り広げた。これは、民青学聯事件で投獄された金芝河が、釈放後、東亜日報に連載した同 名の手記をもとにしたものである。 一九七六年には、LPレコード『地下抵抗の歌―金冠のイエス」(韓民統宣伝局制作)を ヤン フィ ウン 発盤した。このレコードのA面には、楊姫銀のうたった『金冠のイエス』 『小さな蓮池』 『幸 アチムイスル キム ミ ン ギ せの国』 『道』 『貧しい心』 『海』 『ソウルへ行く道』 『朝 露』 、B面には金敏基のうたった『と もだち』 『青空』 『風と私』 『誰が見たのか』 『花』 『多岐の道』 『その日』 『紙よ飛ばそう』な どが収録された。そして七七年六月、 『ソウルへの道・フェスティバル』公演をした。この 公演は〈新谷のり子 青同の若者たち ハン 韓国の抵抗フォークをうたう/金芝河と恨の世界(スライド)/韓 祖国をうたう〉といった内容で構成され、その後、日本各地で巡回公演 した。 チョンテイル 韓青はその他、一九七〇年に労働条件の改善を訴えて焼身自殺した、全泰壹の一代記を イ ソ ソ ン 劇化した『炎の叫び』の上演など、多彩な文化活動を展開した。また全泰壹の母・李小仙の 闘いをテーマにした映画『オモニ』 (一九七八年。韓民統制作)の上映運動を、日本各地で 繰り広げた。 クァンジュ 韓青は一九七〇年代後半から八〇年代にかけて、韓国労働運動と 光 州民主抗争の支援、 および再度の金大中救出などの民主化運動を展開した。 その後の組織内の事情はよく知らないが、韓青は一九九〇年に韓統聯(韓民統の後進) とともに北朝鮮を訪れ、多くのOBに衝撃を与えた。 相次いだ在日同胞の逮捕と金大中拉致事件 ソ スン キ ムポ 一九七一年三月、在日韓国人留学生・徐勝が金浦空港で連行され、 “北朝鮮スパイ”の疑 いで逮捕された。徐勝は京都出身で、東京教育大学在学中に韓学同で活動していた。平素 から在日同胞の境遇を直視しながら、真の民族意識を培う必要性を感じていた彼は、 “積極 的民族意識”を体得・確立して将来同胞社会に寄与しようと、大学卒業後、ソウル大の大 学院に進学したのである。 ソジュンシク 同じ頃、彼の弟でソウル大留学中の徐俊植も、同じ疑いで逮捕された。彼らは“在日僑 胞学生学園浸透スパイ団事件”の首謀者に仕立てられ、この事件は同年四月二十日に大々 的に発表された。第七代大統領選挙の一週間前のことだった。この事件は、①北朝鮮の指 パクチョンフィ 令を受けてソウル大に地下組織を作り、学生たちの軍事教練反対闘争と朴 正 煕 大統領三選 反対闘争を背後操縦して、政府打倒と共産主義暴力革命を企て、②金大中候補の選挙参謀 キムサンヒョン の国会議員・金相 賢 を通じて、金大中候補に不純な資金を渡した、というものだった。当 時金大中は、大統領三選を目指していた朴正煕の牙城に挑戦し、旋風を巻き起こしていた。 この事件は日本でも大きな波紋を呼び起こし、徐兄弟と親交のあった日本人を中心に「徐 兄弟を救う会」が組織された。また、徐勝が顔にひどい火傷を負った姿で一審法廷に現れ るや、その写真が全世界に報道されて衝撃を与えた。 一審判決公判で徐勝に死刑が、徐俊植に十五年刑が言い渡され、二審公判では徐勝は無 期刑、徐俊植は七年刑に減刑された。彼らは直ちに上告したが、大法院で却下され、刑が 確定した。徐俊植は一九七八年五月に刑期満了で出獄したが、その場で社会安全法が適用 され、再び刑務所に収監された。 徐兄弟事件以後、多くの僑胞留学生が相次いで逮捕された。また、留学生ばかりでなく、 現地企業で技術指導をしていた学者や技術者、さらには現役民団幹部に至るまで多数の在 日韓国人が逮捕され、死刑判決を受けた人も多かった。 相次ぐ在日韓国人の逮捕事件は、日本の市民にも大きな衝撃を与えた。在日韓国人政治 犯を救うための運動が個別的に展開され、やがて「在日韓国人『政治犯』を支援する会全 国会議」 「在日韓国人政治犯を救援する家族・僑胞の会」などが構成された。これら救援団 体では、 『告発』を始めとする在日韓国人政治犯をテーマとしたドキュメンタリー映画を制 作し、日本各地で上映運動を推進した。 こういった救援運動の中から、 『再会』『弾圧』など多くの歌が作られ、また在日韓国人 カンジョンホン そ の ひ が く る 政治犯の康 宗 憲が、獄中で作った『クナリオンダ』が紹介されてうたわれた。 自由のために 闘う道で 獄は不死鳥を 銃剣構えて はぐく 育む さえぎ 遮 ろうと われらの心を 折れはしない 民衆の心に 自由の種まこう 民主回復の その日が来る 統一のために 闘う道で 獄は青春を 燃え立たす 暗い風雨が 吹きすさぼうと たいまつ 高い松明 消せはしない 民衆の心に 統一の木植えよう 民主回復の その日が来る ( 『クナリオンダ』 ) 康宗憲は一九七五年十二月に逮捕され、七七年に死刑判決を宣告された。この歌は七九 パクビョンギュ 年七月、ソウルで開かれた朴 炳 圭牧師の釈放歓迎会の席上で、朴牧師により紹介され、出 席者に深い感銘を与えたという。 永い獄苦を舐めねばならなかった在日韓国人政治犯は、その後、大部分が釈放されて帰 日の道を選んだ。 一九七三年八月八日、七一年の大統領選挙で朴正煕に惜敗した国会議員・金大中が、東 京のホテルから白昼公然と拉致された。彼は、大統領選の時に負傷した脚の治療のため渡 日していた七二年十月、朴政権が宣布した維新体制を“総統制”だと非難し、亡命を決意 した。彼は海外で維新体制反対闘争を展開するため、日本と米国を往来しながら、韓国民 主回復統一促進国民会議(韓民統)の結成準備を進めた。この動きが朴政権の神経を逆撫 でし、KCIAにより拉致されたのだった。 拉致事件が発生するや、ともに韓民統結成の準備をしていた民主派人士と韓青は、直ち に金大中先生救出対策委員会(救対委)を構成し、事件がKCIAの犯行だと明らかにし た。韓国民主化陣営の内紛説や自作自演説が、民団社会を中心に蔓延している中、救対委 は抗議集会とデモ行進、署名運動を繰り広げると同時に、世界の各界各層に彼の救出を訴 えた。この時、彼の所持品の中から『わがこころの涙』と『歳月がくれば』という、米国 で作詞した二篇の歌詞が発見された。同年六月十六日、ダラス行の機内で書いたものだっ た。 こころの涙 果て知らず 自由を求める 友らの呻きが ナムサン ソ デ ム ン 南山と西太門に こだまして 馬山の義挙塔は 黒く被われ ス ユ リ 水踰里の英雄らが 慟哭している こころの涙 とめどなし こころの涙 果て知らず ひもじい子らが 教室に満ち やせた女工らが 血を吐いて 花の乙女らの 体を目当てに 他国の男ら 群れなし来ている こころの涙 とめどなし ( 『わがこころの涙』) と き 歳月がくれば 会いましょう 大きな広場で 踊りながら 旗を掲げて 万歳し 顔を寄せあい 抱きあって 歳月がくれば 会いましょう 涙と溜息 もうやめて さ だめ 運命を呪ったり したりせず 神は決して 死にません 歳月がくれば 会いましょう 立春の梅が はやく咲き 大地の夜明け 早まるよう い のち 生命のもだえを 断やさずに ( 『歳月がくれば』 ) パクチャン ホ 『わがこころの涙』には、同年九月に朴 燦 鎬が曲をつけたが、表立って発表されてはいな ハフンシク い。数年後、河勲植が『わがこころの涙』に作曲して発表された。また『歳月がくれば』 には、日本人音楽家の高橋悠治が作曲している。 拉致事件発生から五日目の八月十三日夜、金大中はソウルの自宅付近で、傷つき憔悴し あるじ きった姿で現れた。その日、東京では、 主 不在の中で韓民統日本本部が結成された。 事件の真相は、韓日両政府間でうやむやに隠蔽されたまま政治決着されてしまったが、 金大中はその後、一貫して反独裁・民主化運動の先頭で闘い抜いた。彼は何度も投獄され、 軍事裁判で死刑判決を宣告されるなど、あらゆる辛酸を舐めながらも、遂にこの苦境に打 ち勝った。 マン ス デ 金大中拉致事件の発生で日本全国が騒然としていた、ちょうどその時、北朝鮮の萬壽豪芸 術団が、日本朝鮮文化交流協会と朝日新聞の招きで訪日していた。彼らは日本各地で『血 の海』『花売る乙女』など、“革命歌劇”を中心とした「音楽舞踊アンサンブル」の巡回公 演をした。 李成愛の登場と韓国歌手の日本進出 む ね い た く 一九七〇年代後半、韓国の歌手・李成愛が日本語と韓国語で『カスマプゲ』をうたって デビューし、一躍人気歌手となった。韓国名をそのまま使った歌手としては、初めてのこ とだった。彼女は七一年、韓国でポップス歌手としてデビューし、同年の各種歌謡祭で新 人賞を受けた。地球レコードの専属歌手として、五年間で十枚のディスクを出している。 またラジオやテレビで、社会・教養番組の司会やDJを受け持っていた。 李成愛が日本歌謡界にデビューする契機となったのは、日本の歌謡関係者が、それまで の演歌歌手とは色合いの異なった、歌唱力のある歌手を韓国で発掘しようと計画したこと にある。ソウルを訪れ、李成愛の歌唱に注目した彼らは、一九七六年九月、彼女に韓・日 両国の歌十二曲をレコーディングさせた。韓国の歌は『カスマプゲ』『アリラン』『黄色い シャツの男』『木浦の涙』 『さすらい人の悲しみ』の五曲であり、一、三番を日本語で、二 番を韓国語でうたった(『黄色いシャツの男』は前半部が日本語、後半部分が韓国語の歌詞)。 ファンムンピョン また最後の一曲は、日本人作詞家が作詞した日本語歌詞に黄 文 平 が作曲した新曲だった。 これが東芝レコードから、LPアルバム『熱唱/李成愛-演歌の源流を探る』というタイ トルで発売された。 このディスクは、一時マスコミを通して話題になりはしたが、当初はさして大きな反応 も呼ばなかった。ところが、在日同胞の多い関西地方の有線放送から、『カスマプゲ』のリ クエストが急上昇し始めた。また李成愛も、在日同胞を主な対象としたリサイタルを日本 全国で繰り広げ、次第に日本の歌謡ファンの注目を集めるようになったのである。 彼女のオリジナル曲としては、第二集アルバムに収録された『納沙布岬』がヒットした。 日本の作詞家が、サハリンに住んでいる韓国人同胞の望郷の悲しみをうたった歌詞に、黄 パラ メ プチヌンピョンジ シン 文平が作曲したものである。韓国では、CD『黄文平メロディー』に、 『風に送る手紙』 (申 ドンウン 東運作詞)という題で収録されている。 海にただよう 鴎の鳴き声は ネニ メ 切ない君の むせび泣く声か 囁き交わした 君の声よ 聞こえていたのに 消えて行く 風よ海越え 君に伝えてよ 待っている心 待っている心を 島は見えても 便りは届かない むかしの姿 変ってないだろうか うつろに眺める 涙のサハリン 帰ってくるまで 達者でね 風よ海越え 君に伝えてよ 待っている心 待っている心を 演歌唱法特有のコブシなどを使わず、感情を抑えて淡々とうたう李成愛の歌唱は、日本 の歌謡界に新鮮なショックを与えた(後日、彼女もコブシを使うようになり、帰国時に本 国の新聞で批判されたりもした) 。また、このディスクが発売されてから、“演歌の源流は 韓国にある”という俗説が日本社会に広まっていった。 ナ フ ンア ミンへギョン 李成愛が大成功を納めるや、日本歌謡界は競って韓国の歌手を招いたが、羅勲児や閔海景 らがある程度活躍したくらいで、大きな成果は残せなかった。また当時の日本では、 “韓国 歌手なら演歌”という図式を描いていたため、心ならずも演歌ばかりをうたわされ、くさ っていた歌手もいた。 キム ヨンジャ チョ ヨン ピル キェウンスク 李成愛以後、日本で大活躍した歌手としては金蓮子、趙容弼、桂銀淑の三人が挙げられ る。全くの無名歌手としてデビューした金蓮子は、地道な活動の末にスターダムに乗り、 その実績をもって韓国でも活躍している。トップ歌手の趙容弼は、新たな市場開拓のため 立てた日本進出計画が当たり、大きな実績を残した。また“ビデオ型歌手”と呼ばれて人 気がありながら、スキャンダルで歌手活動を休んでいた桂銀淑は、日本で再起を期して成 功した。これら三人の歌手は、NHK紅白歌合戦にも出場した。 擡頭する在日二・三世歌手 ジョニー大倉 一九七二年、四人組ロックグループ「キャロル」がデビューし、またたく間に若者のア イドルとなった。 「キャロル」では矢沢永吉とジョニー大倉か人気を二分していたが、二人 とも在日同胞二世である。 パクウンファン ジョニー大倉は本名が朴 雲 煥 、一九五一年に静岡県沼津市で生まれ、生後三ヶ月で神奈 川県川崎市に引っ越している。ロックに熱中していた彼は、高校中退後、ロックミュージ シャンを目指して活動を始め、間もなく矢沢永吉らと「キャロル」を結成した。 一九七五年、 「キャロル」を解散しソロ歌手として再出発した彼は、同年、在日同胞問題 をテーマとした映画『異邦人の河』に主演した。この映画で音楽も担当した彼は、主題歌 『いつになったら』を作ったが、民族問題を扱ったため放送禁止曲となった。また、在日 韓国人政治犯ではないかという噂も立ったという。 一九七六年、彼は新たに「ジョニー・アンドーダーリン」を結成し、活発な演奏活動を 再開した。このころから、映画やTVドラマにも出演している。 また矢沢永吉は、日本を代表するロック歌手として活躍している。映画『異邦人の河』 イ ハ ク イン の監督をした李學仁は、これがデビュー作品であり、主演した日本人女優の大関優子は、 その後、佳那晃子と改名して成功した。 ペク 白 リョン 竜 クァンジュ 一九八〇年秋、在日同胞二世ロック歌手・白竜が『光 州 シティ』をうたい、注目を浴び た。彼は同年五月二十七日、戒厳軍が光州を制圧したという報道を見て、 “民主主義を取り 戻そうとしている光州市民に対するラブソング”というメッセージをこめてこの歌を作っ た。彼は、同年十一月発売予定だったデビューLP『シンパラム』に『光州シティ』を入 れようとした。ところが、レコード製作基準管理委員会で“日韓関係が微妙な段階にある から、この歌のレコード化は望ましくない”と判断され、レコードの作製は無期延期とな った。 チョンジョンイル 白竜は佐賀県伊万里市出身で、本名は 田 貞 一 。二十六歳だった一九七八年、沖縄で喜納 昌吉と会ってNHKの番組に出演したところ、そのシーンを見た音楽プロデューサーから レコーディングを勧められた。芸名の“白竜”は、朝鮮民族の別称である“白衣民族”と え と 自分の干支の辰からとった。 同年、ロックバンド「白竜バンド」を組んだ彼侭、 『アリランの歌』など民族音楽をアレ イ チョル ンジした曲を発表して好評だった。 「白竜バンド」は一九七九年九月七日、「李 哲 氏を救援 する同級生の会」に、 「喜納昌吉とチャンブルース」 「坂上紅竜バンド」らと出演し、『アリ ラン』 『糸車の歌』などをアレンジしてうたい、喝采を浴びた。 チェ ヤンイル 白竜は一九八四年、同胞二世映画監督・崔洋一の作品『いつか誰かが殺される』に出演 した。 “存在感のある稀有な俳優”と評価された彼は、その後、映画やTVドラマなどを中 心に活躍している。九四年から音楽活動を再開し、CDアルバムを出した。 あ つ き 木村充揮 ブルースバンド・憂歌団で、ボーカル兼ギタリストとして活躍した木村充揮は、独特の 唱法で人気を集めた。 パク ス スン 木村の本名は朴秀勝、一九五四年、大阪市でも在日同胞が最も多く住む生野に生まれた。 大阪市立工芸高校在学中から音楽グループ活動をしていて、卒業後の七二年には、折から ブルースブームが生じていた京都で活躍した。七四年に憂歌団を結成して全国的に活動を 開始し、 『おそうじオバちゃん』でレコードデビューしたが、一週間後に放送禁止歌となっ て、一躍有名になった。 その後、憂歌団は全国的にライブ活動を展開して幅広い支持を得、数十枚のアルバム発 表とともにTV、ラジオ出演などでも熱狂的な人気を博した。一九九八年末、結成二十五 年を期して憂歌団は解散し、木村はソロシンガーとして独立した。 彼はまた、毎年秋に開かれているワンコリアフェスティバルに、本名で参加している。 パク ソン フィ 朴聖姫 一九七〇年代末、異色のシャンソン歌手・朴聖姫がデビューした。 朴聖姫は東京出身で、韓国人の父と日本人の母との間に生まれ、六歳の時からピアノを 習った。高校入学後、民族を隠して生きることに悩み、二年生の時、授業中に本名宣言を した。家族も理解を示し、表札も“新井”から“朴”に取り替えた。 高卒後、東京芸術大学ピアノ科に進学した彼女は、フランス語が学びたくなって芸大を 中退し、上智大学の語学科に入学した。この頃、韓国語を習得している。その後、パリ大 学ソルボンヌ校に一年半ほど留学してフランス語を学び、またベルギー、ドイツにも滞留 した。 帰日後、フランス語通訳とガイドをしていたが、一九七八年、東京・西銀座の「蛙たち」 というシャンソニでシャンソン歌手としてデビューした。『私の心はバイオリン』などを、 情念をこめてうたう彼女の歌声は、聴衆の心をとらえた。 四カ国語を自在に話せる朴聖姫は、特定のジャンルに拘ることなく、シャンソン、カン ツォーネ、ドイツ・リートなど幅広い歌の世界を展開している。勿論、『鳳仙花』『窓の外 チョンジン の女』など、韓国の歌も好んでうたっている。彼女は一九八八年、 『ああ清 津 へ』という歌 を作詞し、中村八大の曲を得て発表した。この歌は、総聯の“帰国運動”で北朝鮮に行っ た、彼女の“大切な人”を思って作ったものという。その後、ドイツでフランクフルトに 滞在中、分断された祖国を思って『森よ語っておくれ』を作詞作曲した。 一九九八年九月三日、歌手生活二十周年を迎えた朴聖姫は、東京・天王洲アイルのアー ストフィアで「二十周年記念シャンソンリサイタル」を持った。 一九八〇年以降、在日朝鮮・韓国人であることを表面に出した女性歌手が相次いでデビ チョンウォルソン ューし、目覚ましい活躍をした。オペラのプリマードンナである 田 月 仙 、主にジャズ・ポ ップス系の歌をうたうジュリー・パク、そしてハスキーボイスで、自在に唱法を変化させ るジャズ歌手のケイコーリー(Keiko Lee)らである。 この外に、韓青活動に参加しながら声楽家を志望し、音大卒業後は在日韓国人政治犯救 イ チョン ミ キム ミ ン ギ 援活動に参加していたフォーク系歌手の李 政 美(カセットテープ『金敏基歌集』等) 、一九 チョンハ 九五年、四十八番からなる自伝的長編叙情歌『清河への道』を自作してうたい、深い感銘 パク ヨンイル パク ホ チョ パク イ を与えた新井英一(民族名=朴英一)らが、多彩な活動を繰り広げた。また朴保、趙博、李 チョホン チェ ヒョ 朝憲、蔡孝らを始め、本名でバンドクループや四物ノリを組み、活発な音楽活動を展開す る在日二・三・四世が次々に登場した。 ジュリー・パク パク チ ュ リ 京都出身で、本名は朴珠里。中学校時代に教師から差別を受けたショックから、卒業後 はソウルの高校に進学した。音楽が好きな彼女は、帰日後、大阪の中之島ロイヤルホテル の専属ジャズシンガーとなり、 “藤川”という通名で七年間活動した。ある日、このホテ ルに出演したパティ・キムが彼女のステージを見て激励し、 「韓国の歌はうたわないのか」 と訊ねた。これをきっかけに本名でうたおうと決意した彼女は、活動の場を東京に移し、 “ジ カン ジンファ キルオク ュリー・パク”を名乗った。一九九二年、キングレコード専属歌手となり、康珍化作詞・吉屋 ユン 潤作曲の『ハナの思い』 『黄金のイヤリング』で、東京とソウルで同時デビューした。同年、 彼女はNHKの第二回新人歌謡コンテストで準グランプリに入賞した。その後、テレビ、 ラジオなどで活躍している。 ケイコ・リー イ ギョンジャ 本名は李 敬 子 。一九六五年に愛知県半田市で生まれ、五歳の頃からエレクトーンとピア あ ぐ い ノを習つた。半田中学を経て阿久比高校を卒業後、名古屋のクラブで“山本”の通名でジ ャズやシャンソンのピアノ演奏をしていた。ある時、たまたま歌をうたってボーカルの 素質が認められ、ジャズシンガーに転向した。歌手として再出発するにあたり、一念発起 して本名の李敬子(リ・ケイコ)を名乗るようになった。 一九九〇年代半ば、東京のライブハウスにも進出して注目され、ソニーレコードにスカ ウトされた。一九九五年十月、初アルバム『Imagine』を出してメジャーデビューし、芸名 を“ケイコ・リー(Keiko Lee) ”とした。次いで九六年に『Kickin’It』九七年に『Beautiful Love』、九八年に『If It Love』、九九年二月に『WHAT A WONDERFUL WORLD』と、相次いで アルバムを出し、ジャズ専門誌『スウィング・ジャーナル』の人気投票で高く評価された。 デビュー翌年の九六年に女性ボーカル部門で一位、九七年には女性ボーカル部門一位およ びジャズディスク大賞ニュースター賞( 『Beautiful Love』 ) 、九八年にジャズボーカル賞を それぞれ受賞した。また何度か韓国を訪れており、テレビ出演もした。 彼女は楽器と対等に渡り合える稀な歌手といわれ、単にジャズ歌手というに止まらず、 他の分野のミュージシャンと競演しながら、幅広い音楽活動を展開している。自身も「共 演するメンバーが変われば、そのメンバーの長所を生かしたアレンジをするよう心がけて いますから、唱法も変わります」と語っているように、同じ歌でも、フィーリングに合わ せて自在に変化させながらうたう。 田月仙 コ リョ 一九九〇年代半ば、在日二世ソプラノ歌手・田月仙が、統一を念願する歌『高麗山河わ が愛」をうたって聴く人の胸を打った。とりわけ、祖国の分断により親戚と生き別れ、会 えないでいる人たちは、この歌を聴いて目頭を熱くした。 北や南 どこに住もうと いと みな共に 愛しい兄弟じゃないか。 西や東 どこに住もうと みな共に 恋しい姉妹じゃないか。 山高く水清い 美しい高麗山河 わが国 わが愛よ。 田月仙は一九五八年に東京で生まれ、民族学校に学んだ。高級学校卒業を前にして東京 芸大音楽科の受験を希望したが、各種学校と規定されている朝鮮学校の卒業者には、国立 大学の門は閉ざされていて断念した。桐朋学園短期大学部芸術科に進学して音楽を専攻し た彼女は、八○年、同研究科卒業とともに二期会に加入した。その後、準会員を経て正会 員となって数々のオペラに出演し、 『フィガロの結婚』『蝶々夫人』などで主役を演じた。 ピョンヤン 一九八五年、田月仙は平 壌 で開かれた「四月の春・親善芸術祝典」に招請されて出演し、 『血の海』中の歌と民謡『しだれ柳』などをうたった。また九四年には、ソウル定都六百 年記念行事の一環として「芸術の殿堂・オペラハウス」で上演された『カルメン』に、主 役・カルメン役として抜擢され出演した。この舞台で彼女は、韓国オペラ史上初めてフラ メンコを導入した演技が評価され、成功を収めた。同時に彼女は、南北双方の舞台に立っ た最初の在日二世芸術家として注目を浴びた。 ソウル滞在中。楽譜やCD、カセットテープなど、多くの資料を蒐集した田月仙は、中 でも『高麗山河わが愛』という歌に心惹かれた。 「南でも北でも」という素朴な詞(註:訳 詞では語呂の関係で「北や南」とする。 「東でも西でも」も同様)に感動した彼女は、この 後、この歌を永くうたい続けることになるだろうという予感がした。 彼女は、機会ある毎に『高麗山河わが愛』をうたった。 同時に、この歌の作者を探そうと手を尽くしたが、手懸りが得られなかった。 ノグァン ウク 一九九六年一月、彼女は盧光郁という、ワシントン居住の在米韓国人から手紙を受け取 った。この人物こそ、彼女が会いたがっていた『高麗山河わが愛』の作者だった。盧光郁 は、彼女が舞台に立つたびにこの歌をうたっているという噂を伝え聞いて感激し、感謝と 激励をこめて、自筆の楽譜を添えた手紙を送ってきたのだった。 奇しくも田月仙は、同年春、ロスアンゼルスの韓国人オーケストラ「Korean Philharmonie Orchestra」公演に、南北両方で公演した歌手として招請されて出演する予定だった。そし て同年四月、ロスアンゼルスでの公演を終えた彼女は、直ちにワシントンに疸光郁を訪ね、 感激の対面を果した。 ピョンアン ナ ム ド ナ ム ポ 盧光郁は一九二〇年代初に、平 安 南道南浦で生まれた。間もなく引っ越した以南の地で 育った彼は、音楽の勉強にいそしみ、解放直後には朝鮮音楽同盟の中央執行委員となった。 朝鮮戦争を経て一九五三年、休戦とともに、三十一歳の年で歯科を学びに米国に留学した。 盧光郁は、歯科医として安定した生活を送っており、米国の市民権も取っていたが、い つも祖国のことを思い浮かべていたという。そして、祖国統一を願う心を歌に託そうと『高 麗山河わが愛』を作ったのである。彼はまた一九七〇年代末に、一時、韓国民主民族祖国 統一海外韓国人聯合(韓民聯)に加入し、東京で開かれた会議にも参加している。 田月仙は、歌手生活十五周年を迎えた一九九六年、大晦日の夜から元旦にかけてのKB ヨ ル リ ン ウムアクフェ S送年特別番組〈開かれた音楽会〉の舞台で『高麗山河わが愛』を熱唱し、大きな反響を 呼び起こした。KBSには全国の視聴者から「楽譜があるか」「CDはないのか」という問 い合わせが殺到した。またこの番組は、全世界に散在している在外韓国人にも放映され、 大きな感銘を与えた。 彼女は一九九七年五月、光州民主抗争十七年に当って光州文化芸術会館で開かれた、ヌ リ文化財団主催の〈チョン・ウォルソン、チョン・テチュン統一音楽会〉に出演し、 『高麗 山河わが愛』をうたって喝采を浴びた。この舞台では、日本の歌曲『浜千鳥』を特例とし てうたった。また同じ五月、ソウルの「芸術の殿堂・リサイタルホール」で〈田月仙招請 独唱会〉を持った。 デビュー以来、多様な舞台活動を通じて多くの話題を残した、この時代の歌姫・田月仙。 今や声楽家として円熟の境地にさしかかった彼女は、今後の活動についての抱負をこう語 る。 さいわい、オペラ歌手としてインターナシヨナル的な活動が出来るので、歌を通して国 境や様々な垣根を超えて活動したいと思います。 世界各国の歌をうたいながらも、私自身が育んできた朝鮮民族としての魂を、文化芸術 を通して世界に伝えたいと思っています。勿論、これからも『高麗山河わが愛』をうたっ ていきますが、とりわけ、統一された祖国でうたえたならば、これに勝る望みはありませ ん。 〈あとがき〉 本稿は、韓国の『月刊オーディオ』誌に一九九六年四月号から連載中の、拙稿『すべて の河は海に流れる―韓国歌謡史 1945-1980』のエピローグ部分です。連載は自由気侭に 書かせて頂いています(編集部では、手短にしてほしいと思っている)が、昨年より同誌 は“IMF 寒波”の余波を受けて隔月刊となっており、 “連載中断”の通告を受けたこともあ ります。 そういった状況とは直接関係ありませんが、昨年春、一九六一年の五・一六クーデター の所で、筆が全く止まってしまいました。それで気分一新をと、番外篇として本稿を手掛 リキ けてみたわけです。少々力が入り過ぎたせいか、思ってもみなかった分量となってしまい ました。単行本になる時(なれば、の話!)には大幅カットしなければならないので、何 とか全文に陽の目をと、ここに日訳して掲載させていただきました。 なお、内容面や選曲に異論があるかも知れませんが、ここでは、筆者が所属していた韓 青関連を中心に、筆者が口ずさんだことのある歌に限ったことを付記します。総聯系の歌 の事情については、どなたかがまとめてくださればと思います。是非読んでみたいと思い ますし、特に阪神教育闘争、帰国運動などに際して作られた歌について知りたいと思いま す。 〈資料〉 パクチャン オ 朴 燦 午筆『解放後の大衆歌謡③』 (一九八〇年新年号『統一路』 ・韓青出版社・東京) 在日韓国青年同盟編『在日韓国人の歴史と現実』 (一九七〇年・洋々社・東京) チョン 鄭 チョル 哲 著『民団-在日韓国人の民族運動』(一九六七年・洋々社・東京) 鄭 哲著『在日韓国人の民族運動』 (一九七〇年・洋々社・東京) 梶山秀樹講演録『解放後の在日朝鮮人運動』 (一九八〇年・神戸学生・青年センター・神戸) 山根俊郎著『ガラスよ 屍を見て啼くな』(一九九〇年・長征社・神戸) チョ パク 内山一雄・趙博編『在日朝鮮人民族教育擁護闘争資料集Ⅱ-四・二四以降大阪を中心に』 (一 九八九年・明石書店・東京) 岡野弁著『演歌源流・考』 (一九八八年・學藝書林・東京) 三橋一夫『禁歌の生態学―練鑑ブルース考』 (一九八三年・音楽乃友社・東京) 徐勝著『獄中 19 年-韓国政治犯のたたかいー」(一九九四年・岩波書店・東京) LPアルバム『熱唱/李成愛-演歌の源流を探る』 (一九七六年・東芝EMI株式会社・東 京) 太田慎一演出 TV番組『ドキュメント 人間劇場-わが歌響け山河を越えて~ある在日 オペラ歌手の200日』 (一九九七年・テレビ東京系列放映・東京) 田月仙独唱『CDドキュメント~高麗山河わが愛』 (一九九七年・イ・ハギンセレクション 企画制作・東京) その他、韓・日両国の新聞記事など ある文学空問の予感 金石範さんの超大作『火山島』全七巻の完成は、その質量において 20 世紀の掉尾を飾る にふさわしい「文学的事件」だった。仲間の何人かはすでに読了しているけれど、 「読む会」 として皆でこれを読もう、というのが宿題のままになっている。 『火山島』が、現代史の闇ともいわれた韓国・済州島の「四・三」事態(一九四八年)を 描ききった長編であるのは周知のことだが、事件から五〇周年の昨年、八月の下旬に済州 市でそれを記念する国際シンポジウムが開かれたことは、あまり知られていない。題して 「21 世紀 東アジア平和と人権」 。 台湾、沖縄、日本そして韓国から約三百名が参加するという大がかりなものだった。各 地域の発題者が冷戦体制下における国家テロルの実相、歴史的意味、女性からの視点、学 術的意義、そして 21 世紀への課題など、多角的に論究された。 そこから浮かびあがったイメージは、東アジアという「民衆空間」の創造だった。それ は「東アジア文学空間」へとふくらむ予感でもある。(治) 『カラマーゾフの兄弟』と『ゴールドラッシュ』 小説が魅力なくなったなあ、と思うたびドストエフスキーを読み返すことにしている。 そのせいでもないだろうが、柳美里の『ゴールドラッシュ』を読んで最初に類推したの が、現代版『カラマーゾフの兄弟』ということ。 『罪と罰』との相似を挙げる評者が多かっ たが、そちらは思い浮かばなかった。 十四歳少年の「闇」を時代のそれに重ねて描いたこの作品は、作中人物のほとんどが通 名朝鮮人として登場―柳美里の〈在日〉とのスタンスが測られていること、 「金本」という 人物を造りえたことなど興味深いところだが、なんといっても現代神話としての「父殺し」。 父はフョードル、主人公かずきはドミートリイ、スメルジャコフ、イヴァンの混成、その兄 幸樹はアリョーシャ、響子はグルーシェニカなど連想する。 そんなカラマーゾフ家と弓長(張)家との絵合わせも、ちょっと楽しい。 (良) 会 録 第 241 回(1998・5・31)李正子『葉桜』 報告者・李家美代子 参加者 10 名 第 242 回(6・28)梁石日『血と骨』 報告者・加藤建二 参加者9名 第 243 回(7・26)金時鐘『草むらの時』 報告者・卞 元 守 第 244 回(8・27)マダン劇「四月、漢拏山」観劇 参加者 10 名 参加者1名 第 245 回(9・27)『架橋』18 号合評会 PARTI 報告者・張 洛 書 参加者6名 第 246 回(10・25) 『架橋』18 号合評会 PART2 報告者・劉 竜 子 参加者9名 第 247 回(11・22) 『架橋』18 号合評会 PART3 報告者・張 洛 書 参加者 10 名 第 248 回(12・20)一年をふりかえり 1999 年を望む望年会 参加者 17 名 第 249 回(1999・l・17)金達寿『わが文学と生活』 報告者・磯貝治良 参加者8名 第 250 回(2・28)金時鐘詩集『化石の夏』 報告者・卞 元 守 参加者8名 第 251 回(3・28)柳美里『ゴールドラッシュ』 報告者・劉 竜 子 参加者8名 第 252 回(4・25)徐京植『子どもの涙』 報告者・李 潤 一 参加者 12 名 第 253 回(5・9)山崎真『チマ・チョゴリの国から』 報告者・山崎 真 参加者 10 名 あとがき ▼在日朝鮮人作家を読む会はここ一年間、例会以外に目ぼしいことはしていない。そこで ありがたかったことを一つ。十八号掲載の北原幸子「この人の世の片隅で」がずいぶん多 くの方面から高い評価を得た。殊に、小説作品ではなく自分史である作品が、『文学界』同 人雑誌評で「文学」の原質をなすものとして紹介され、ベスト5に入れられたのは、ちょ っと“異剥”のことだろう。 ▼〈在日〉文学の世界としてトピックスは、梁石日『血と骨』が山本周五郎賞を得、柳美 里が凄い長編『ゴールドラッシュ』を発表したことだろう。また、「読む会」として宿題が ある。金石範の超大作『火山島』全七巻を皆で読み合うことだ。一巻を二回に分けて読み すすめたとして十四回、例会では定例の企画が挟まるので二年近くを要する。いい方法は ないものか。 ▼今号は一五〇頁を超えて、従来にない大部になった。散文詩、短歌、エッセイにふくめ 朴燦鎬さんの記録一〇二枚と磯貝の小説二四七枚が並んだため。前者は韓国の雑誌にハン グルで連載されていた「韓国歌謡史」解放後篇の未発表番外篇、後者は独立の一篇だが先 に発表の「漁港の町にて」 「青の季節」の姉妹篇。 ▼以下、昨年十二月の望年会でおこなった、恒例の「読む会」テキスト人気投票一九九八 年版である。 ①北原幸子「この人の世の片隅で」 (架橋 18 号)②磯貝治良「青の季節」 (同上)③梁石白 『血と骨』④金時鐘『草むらの時』鷺沢萌『君はこの国を好きか』覃島憲治『雨森芳洲の 涙』⑤卞元守「雪解けの頃」 (架橋 18 号) 『架橋』掲載作品がやたら上位を占めたり顔を出したりしているのは、他のテキストと違 ってそれらは投票者全員が読んでいるため。 (貝)
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