学位論文内容の要旨

博 士 ( 獣 医 学 ) 渡 邊 一弘
学 位 論 文 題 名
イヌの根尖部a
p
i
ca
ld
e
l
ta
の形成と歯周疾患に対する
エナメルマトリックスタンパクの歯周組織再生効果
学位論文内容の要旨
近 年 , 小 動 物 歯 科 学 は 急 速 に 発 展 し , 重 要 な 獣 医 療 の 一 専 門 分 野 と し て 考 えら
れるよ うになった .従来, 小動物歯 科学はヒ トの歯科 学で用い られている方法を
そのま ま適用する 場合が多 くみられ ている. しかしな がら,ヒ トと小動物の歯お
よび歯 に関わるさ まざまな 環境にお ける差異 は明らか であり, この差異を理解す
ること が,小動物 の歯を疾 患から守 り,さら に歯科疾 患の治療 をする上で正しい
手技を 選択する基 礎になり 得ると考 えられる ・
イ ヌ の 歯 科 疾 患 に お い て , 根 尖 病 変 に よ っ て 臼 歯 歯 根 部 の 眼 窩 下 部 や 犬 歯 歯根
部に歯 瘻を形成す る場合が ある.こ のような 病態が発 生する様 々な要因のーっと
し て , イ ヌ の 根 尖 部 に 存 在 す る apical deltaの 構 造 が 指 摘 さ れ て い る . apical
deltaと は , イ ヌ の 歯 根 尖 部 で 根 尖 分 岐 が 放 射 状 に 広 が り 歯 髄 か ら の 血 管 や 神 経
が複雑 に走行した 管腔であ る.この 複雑な構 造は,通 常の根管 治療で感染歯髄を
完 全 に 除 去 す る こ と を 困 難 に し て い る . apica
l de
ltaの存 在 率 に つい て は ,様 々
な報告 があるが, イヌの永 久歯は萌 出した直 後では根 尖が未完 成で閉鎖しておら
ず,さ らに歯の種 類によっ て萌出時 期が異な るにもか かわらず ,イヌの加齢にと
も な う 根 尖 の 完 成 と apical delta形 成 の 関 係 に つ し ヽ て の 報 告 は な い .
イ ヌ の 根 尖 部 に 感 染 を 伴 う 根 尖 病 変 が み ら れ る 場 合 , 抜 歯 を 選 択 す る こ と が多
いが, 歯牙を保存 するため に根尖部 病変の外 科的除去 を目的と して根尖切除術を
行う場 合がある. しかしな がら,こ の治癒形 態は修復 であり, 再生は期待できな
い.歯 科における 再生とは ,新生セ メント質 ,新生歯 根膜およ び歯根膜に付着す
る新生 歯槽骨の再 生で,こ れらの付 着機構が 歯牙の保 存に重要 な役割をもち,さ
ら に こ の 再 生 に よ っ て 形 成 さ れ た 組 織 は再 発 に対 し て ,よ り 抵抗 性 を 示す .
一 方, ヒト の歯 周疾 患に おいては,歯周組織再生を期待する方法として,エナ
メル マト リッ クス タン バク (EMP)を用 いた ,歯 周組 織の 発生様式を模倣して破壊
した 組織 を再 生さ せる 方法 があ る. 歯周 疾患 によ り露 出した歯根表面上ヘEMPを
適 用 し た 場合 ,歯 周組 織の 付着 機構 の再 生に っなが る一 連の 事象 をス ター トさ
せ , 歯 周 組織 再生 環境 を提 供す ると され てい る.し かし なが ら, イヌ に対 して
EMPを臨床応用した報告はない.
こ れら のこ とか ら, 本研 究では,イヌの歯の根尖の完成とapical delta形成の
関係 を明 らか にす るた め, ビーグル犬の永久歯の萌出時期における全歯根およぴ
歯周 疾患 で抜 歯し た様 々な 成犬の歯根について組織学的に観察した.さらに,ヒ
トの 歯周 組織 再生 治療 に用 いら れる EMPを イヌ の実 験的 根尖切除術に適用し,根
尖部 の再 生を 組織 学的 に検 討するとともに,自然発症の歯周疾患が認められたイ
ヌの症例にEMPを応用し,その臨床的効果を検討した.
第1章では,イヌの永久歯における根尖の構造とapical deltaの形成について検
討 し た . 同腹 のビ ーグ ル犬 7頭を 6∼ 9か月 齢ま で1か 月毎 に全 歯根 が揃 うよ うに
抜 歯 し た . 歯 根 中 央 部 の HE染色 標 本 に よ り, 根尖 を根 尖未 閉鎖 のタ イブ I(non
apical delta),未成熟なダイブII (
fewapic
al d
elta
),成熟したタイプIIIA(lo
w
apical delta),夕イプIIIB (hi
gh a
pica
l de
lta)
に分類した.さらに,附属動物病
院で 歯周 疾患 によ り抜 歯し た33症例 (12犬 種, 年齢 :4∼15歳)の314歯根を研摩
標本 によ って 同様 に調 査し た.その結果,ビーグル犬の6か月齢では,夕イプIが
半数以上(53 010)を占め,7か月齢では,ほとんどがタイプI
IIB(76%
)であり,夕イ
プ I∼ IIIAは わず かで あっ た. 8およ び9か月 齢では ,全 てが タイ プIIIBで あつ
た.歯周疾患で抜歯した歯根については,夕イプIおよびIIは全く観察されず,ほ
とん どが タイ プHIB (950'/0)であった.以上の結果から,根尖は閉鎖後,急速に
apical deltaを形成し,少なくとも8か月齢のビーグル犬は組織学的には根尖が全
て閉鎖し,apical deltaが存在する.また,4歳以上の多くの犬種においてもタイ
プIIIAまたはIIIBの成熟夕イプのapical deltaが存在する.ヒトにおいては,根管
経由 の治 療が 施せ ない 場合 として根尖分岐の存在があげられるが,イヌのapical
deltaは さら に複 雑な 構造 である こと から ,イ ヌの 根管 治療においては,この構
造を 十分に 考慮し た上で の治療が 必要で あると 考えら れた・
第 2章 では ,根 尖病 変の 除去を 目的 とし た外 科的 歯内 療法である根尖切除術を
実 験的 に 行っ た イ ヌの モ デル に 対 して , 歯周 組織 再生治療 に用いら れるEMD(エ
ム ドグ イ ン@ ) を根 尖部に注 入し,根尖 部歯周組 織再生に おけるEMPの 効果を組
織学的 に検討した ・
ビ ー グ ル 犬 5頭 (No.l∼ No.5: 雄 4頭 , 雌1頭, 年 齢: 1歳 2か 月 齢 ∼2歳 7か 月
齢 ,体 重 9∼ 13kg)に 対し , 全身 麻 酔 下で 左 右の 上顎第四 前日歯頬 側近心根 およ
び 上顎 犬 歯根 の 根 尖を 外 科的 に 切 除し , さら にそ れ以下の セメント 質も除去 し
た . こ れ ら の 部 位 に EMDを 左 ・ 右 のい ず れ か一 方 に注 入 し て, EMP群と し , 他
方を対 照群とした . 12週間後 ,組織を 採取し,光学顕微鏡下で観察し,根尖切除
部位に おける欠損の大きさ(切除線から新生組織までの距離),新生セメント質お
よ ぴこ れ と新 生 骨を 結ぷコラ ーゲン線維 の有無を 評価した .その結 果,EMP群で
は対照 群に比べて 切除部位 の欠損が 縮小化し ていた. 新生セメ ント質の形成は,
EMP群で は 10例 中 8例 で, 対 照群 で は 10例 中 4例で 認 め れた . し かし な がら , 新
生 セメ ン ト質 と 新 生骨 と を架 橋 す るコ ラ ーゲ ン線 維の存在 は,EMP群で 10例中7
例 に 認 め ら れ た の に 対 し , 対 照 群 で は 1例 も 認 め ら れ な か っ た .
以 上 のこ と か ら, EMP群で は 根 尖切 除 後 の根 尖 部歯 周 組 織の 再 生が 顕 著 であ
り ,イ ヌ にお け る根 尖切除術 に対するEMPの 応用は, 付着機構 の再生に 有効であ
ること が示唆され た・
第 3章 で は, イ ヌ の歯 周 疾患 の 2症 例 に対 し てEMPを適用 した.症 例1はシェ ツ
トラン ドシープド ヅグで, 左右上顎 第四前日 歯部の頬 側歯槽骨 の吸収と根尖部の
骨 吸収 を 認め , 症例 2はビーグ ルで,左下 顎第一・ 二後日歯 間の垂直 性骨吸収 を
認 めた . これ ら に 対し , 歯肉 弁 を 形成 し ,露 出 歯 根面 に EMDを適 用 した . その
結 果, 歯 肉の 上 昇, 臨床的ア タッチメン トおよび X線写真に よる骨レ ベルの上 昇
が 認め ら れ, イ ヌ の歯 周 疾患 に 対 する EMPの応 用 は 有効 で あ ると 考 えら れ た.
以 上 の結 果 を まとめ ると,イ ヌの根尖は 少なくと も8か月齢 で全てが 閉鎖し,
apicaldeltaを形成 する.した がって, 根管治療 にあたっ ては,こ の構造を十分
に 考慮 す るこ と が 必要 で ある と 考 えら れ た. この 根尖部の 病変を除 去する根 尖
切除術 にEMPを応用す ることtま ,根尖部 歯周組織 の再生に 有用であ り,自然発症
の歯周 疾患に対し ても臨床 的に有効 と考えら れた.
学位論文審査の要旨
主査 教授 藤 永 徹
副査 教授 橋 本 晃
副査・教授 大泰司紀之
副査 教授 岩 永敏彦
学 位 論 文 題 名
イヌの根尖部ap
i
ca
ld
el
ta
の形成と歯周疾患に対する
エ ナメルマ トリック スタンパクの歯周組織再生効果
イ ヌ の 歯 根 尖 部 に は apical deltaが 存 在 し 、 こ の 構 造 が 根 尖部 膿 瘍の 病態 を複
雑 に す る と 考 え ら れ て い る 。 し か し 、 イ ヌ の apical deltaの 存在 率 には これ まで
定説 は顔 かっ た。
申 請 者 は 、 ま ず イ ヌ の 加 齢 に 伴 う 根 尖 の 閉 鎖 と apical delta
形 成 の関 係を 検討
す る 上 で 、 apical deltaを そ の 形 態 か ら 、 根 尖 が 未 閉 鎖 の タ イ プ I(non apical
delta)、 未 成 熟 な タ イ プ II (few ap
ical delt
a)、お よび 成熟 して 閉 鎖し たタ イプ
I
IIA (
low apic
al d
elta
)と タイ プIIIB (hi
gh a
pica
l de
lta)に分類した。ビーグル
犬 の 6か 月 齢 で は 、 夕 イ プ Iが 半 数 以 上 で 、 8か 月 齢 に な る と 全 て が タ イ プ IIIBと
な り 、 12犬 種 の 成 犬 で は 、 全 て が タ イ プ IIIAま た は IHBで あ っ た 。
次 に 、 歯 周 組 織 再 生 に 用 い る エ ナ メ ル マ ト リ ッ ク ス タ ン パ ク (EMP)を 実 験 的
根尖 切除 術に 適用 して 歯周組 織再 生効 果およぴ歯周疾患の自然発症例に対する
臨 床 的 効 果 を 検 討 し た 。 成 犬 の 根 尖 を 切 除 し て 、 そ の 欠 損 部 に EMPを 注 入 し た
EMP群 で は 、 対 照 群 に 比 べ て 欠 損 部 が 有 意 に 縮 小 化 し 、 新 生 セ メ ン ト 質 の 形 成
が 多 く 認 め ら れ 、 そ れ と 新 生 骨 を 架 橋 す る コ ラ ー ゲ ン 線 維 は 、 EMP群 の み に 存
在し た。 さら に、 歯根 周囲に 骨吸 収を 有する症例に対し、歯周外科処置を行い
EMPを 塗 布 し た 結 果 、 歯 肉 の 上 昇 、 臨 床 的 ア タ ッ チ メ ン ト お よ び X線 写 真 に よ
る 骨 レ ベ ル の 上 昇 を 確 認 し 、 イ ヌ の 歯 周 疾 患 に 対 す る EMPの 有 用 性 が 認 め ら れ
た。
以 上 の よ う に 申 請 者 は 、 イ ヌ の 根 尖 部 に お け る apical delta
の 形 成時 期を 明ら
かに し、 さら に、 根尖 部病変 を除 去す る根尖切除術およぴ自然発症の歯周疾患
に適用したEMPの有用性を示した。この結果は、獣医歯科医療における根尖部
病変や歯周疾患の治療法の発展に大きく貢献するものと判断された。よって審
査員一同は、渡邊一弘氏が博士(獣医学)の学位を授与される資格を有するも
のと認めた。