2012年 4月 205号

第 205 号
おとずれ
平成 24 年(2012) 4 月 15 日
カトリック登別教会(イエスのみ心) 発行
059-0012 登別市中央町 7 丁目 15 番地
Tel. 0143-85-2726
Fax 0143-85-2790
主キリストは
復活された。
アレルヤ、
アレルヤ!
世界のカトリック巡礼地(16)
ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂
ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂は、スペイン・サラゴサのカトリック
教会の聖堂。「柱上の聖母」こと聖母マリアに献堂されている。ローマ教皇ヨハネ・
パウロ2世によって「スペイン系の人々の母」と讃えられた。この聖堂は史上初めて
聖母マリアに捧げられた教会とみなされている。
地元の言い伝えによれば、この聖堂の歴史は、12 使徒の一人でスペインにキリスト
教をもたらした聖ヤコブの前に聖母マリアが姿を現したという逸話に始まる。これは
聖母の被昇天以前に聖マリアが出現した唯一の例として知られる。
多くのスペイン王や他国の支配者と聖人たちが、この「柱上のマリア」に奉献した。
聖ヨハネ、聖テレサ、聖イグナチオ・ロヨラ、福者ギヨーム・シャミナードらが顕著な
人物である。ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂は、サラゴサ市内にある2
つのバシリカのうちの一つである。近隣にはサルバドール・デ・サラゴサ聖堂がある。
ピラール聖堂はバロック様式で、
現在の建物は 1681 年から 1872 年の間に建てられた。
柱上の聖母の出現
古くからの地元の言い伝えでは、キリストの十字架刑と復活の後、ヤコブはスペイ
ンに福音書をもたらしたが、伝道に失敗し意気消沈してしまった。紀元 40 年 1 月 2
日、彼がエブロ川の岸辺で深く祈りを捧げていると、神の母が彼の前に出現し、自分
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自身を模した小さな木像と碧玉の柱を与え、彼に教会を建てるよう命じた。
“この地は私の家となる、この像と円柱はお前の建てる祭壇と建物の名前と
するように。
”
最初の礼拝堂
出現から1年後、ヤコブはマリアを讃える小さな礼拝堂を建てる準備を整えた。最
初の教会は処女マリアへ捧げられた。エルサレムへ戻った後、彼は 44 年頃にアグリッ
パ1世によって処刑され、12 使徒で最初の殉教者となった。彼の弟子数名が彼の遺体
を引き取り、スペインの最終的な埋葬地へ連れ帰った。この最初の礼拝堂は、他のキ
リスト教建造物の多くと同様に間もなく壊された。しかしマリア像と円柱はサラゴサ
市民が守って無傷のままであった。
聖堂の変遷
その後、現在の聖堂の位置に多くの聖堂が建てられた。聖ヤコブの建てたちっぽけ
な礼拝堂はコンスタンティヌス帝時代にバシリカに似た建物となった。その直後にロ
マネスク様式に建て替えられ、その後ゴシック様式、ムデハル様式に改築された。そ
の後、ペドロ・デ・リブラナ司教の時期にロマネスク様式で建てられた。このロマネス
ク様式の聖堂で今も残るのは、南壁のティンパヌム(アーチ下の半円壁)である。
1434 年の火事でロマネスク様式の聖堂は損傷し、ムデハル・ゴシック様式で再建さ
れた。今では聖歌隊席とダミアン・フォルメントが造った石膏の祭壇衝立を含む数箇
所だけが無傷のままあるいは修復されて残っている。
現在の聖堂
現在の広々としたバロック様式の
聖堂は、1681 年にスペイン王カルロ
ス2世により建設が始まり、1686 年
に完成した。1725 年、サラゴサの協
議会が聖なる礼拝堂の外観変更を決
め、建築家ベントゥラ・ロドリゲス
に設計を依頼した。彼は現在の高さ
130m、幅 67m の大きさに一変させ、
11 の小尖塔と 4 つの大塔を加えた。
現在最も観光客が訪れる箇所は、ロ
ドリゲスが 1754 年に建てた、聖母マリアの像を納めた礼拝堂のある東部分である。礼
拝堂周囲は、
フランシスコ・デ・ゴヤの描いたヴォールトやドームに囲まれている。1936
年から 1939 年までのスペイン内戦の間、3つの爆弾が聖堂に落とされたが、どれも不
発であった。
ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖母子像
聖母子像は後期ゴシック様式の木像で、金箔が張ってあり、約 38cm の高さがある。
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聖母は戴冠し、右腕に抱いた幼子イエスの
方に優しい眼差しを向けている。幼子イエ
スは右手で聖母の衣を掴み、左手には鳥を
留まらせている。
聖母子像は、アラゴン王フアン2世の
妃・ブランカ1世が病の快癒を感謝し、寄
進したものとされている。制作年代は 1435
年頃で、聖像彫刻家フアン・デ・ラ・ウエル
タの手による。
聖母子像が立つ柱はジャスパーで出来て
おり、紀元 40 年に聖母が出現して以来、そ
の場所は変わっていないとされている。直
径は 24cm、高さは 170cm あり、ブロンズと
銀で出来たカバーで覆われている。
聖母子像は、普段は下半身から柱の頂部
にかけてマントで覆われているが、このマ
ントは毎月 2 日、12 日、20 日に外され、像
柱上の聖母子像
の全身を見ることができる。この三つの日
付は、毎年 1 月 2 日に祝われる聖母御出現の祝日、10 月 12 日に祝われる柱の祝日、5
月 20 日に祝われる聖母戴冠の祝日に、それぞれ因んでいる。
(Wikipedia-ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂およびアンティークアナスタシア 神戸トア
ロード「柱の聖母」から抜粋引用)
今月のセラピー
よく味わって食べましょう。
食べ物は滋養のためばかりではなく
おいしく味わうためにも
与えられているのです。
*
*
*
人と話をしているときに、
次に何を言おうかと
考えないようにしましょう。
心のままにしていれば
思いは、自然に浮かんできます。
*
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*
静修の場をつくりましょう―家庭に・・・
職場に・・・心の中に・・・
*
*
*
「よく味わって食べましょう」
(ライナス・マンディ著、R.W.アリー画、目黒摩天雄訳:
「ゆったりと生きるセラピー」(サンパウロ)より転載)
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☆ ☆☆ 昨 日 ☆☆☆ 今 日 ☆☆☆
明 日 ☆☆☆
4 月 1 日(日) 受難の主日(枝の主日)、11:30 ミサ(宋神父)、世界青年の日
5 日(木) 聖木曜日(主の晩さん)、16:00 ミサ(宋神父)
6 日(金) 聖金曜日(主の受難)(大斎、小斎)、16:00 受難の式(宋神父)
聖地のための献金日
7 日(土) 聖土曜日、16:00 ミサ(宋神父)
8 日(日) 復活の主日、11:00 ミサ(宋神父)、お祝いパーティ
10 日(火) 宋神父、定期休暇のため韓国へ一時帰国(5 月 15 日(火)まで)
11 日(水) 10:00 聖堂掃除
12 日(木) ミサはありません
15 日(日) 復活節第 2 主日(神のいつくしみの主日)、10:00 ミサ(ケン神父)
19 日(木) ミサはありません
22 日(日) 復活節第 3 主日、10:00 ミサ(ライヤ神父)、新年度総会
25 日(水) 10:00 聖堂掃除
26 日(木) ミサはありません
29 日(日) 復活節第 4 主日、10:00 合同ミサ(室蘭教会)、12:30 ブロック会議
登別教会ではミサはありません
5 月 3 日(木) ミサはありません
6 日(日) 復活節第5主日、10:00 ミサ(ヘルメス神父)
10 日(木) ミサはありません
13 日(日) 復活節第6主日、10:00 ミサ(ケン神父)
15 日(火) 宋神父、韓国からお帰り
16 日(水) 10:00 聖堂掃除
17 日(木) 10:00 ミサ、13:00 病院訪問
20 日(日) 主の昇天、10:00 集会祭儀、14:00 苫小牧地区連絡協議会(苫小牧)
22 日(火) 韓国シンジョン教会女性巡礼団 80 名来道(函館)
24 日(木) 10:00 シンジョン教会女性巡礼団歓迎の合同ミサ(東室蘭教会)
27 日(日) 聖霊降臨の主日、10:00 ヘルメス神父叙階 50 年記念ミサ(苫小牧
教会)、12:30 祝賀会(G.ホテルニュー王子)
31 日(木) 聖母の訪問(祝日)、10:00 ミサ
『編集後記』
今年は例年より早く、4 月早々に聖週間、8 日に復活の主日を迎えました。復活の
主日ミサ後にはお祝いパーティがあり、
宋神父さんが準備された七面鳥や鶏の丸焼き、
ご婦人方が用意された数々の料理に舌鼓を打ちました。宋神父さんとご婦人方に心か
ら厚くお礼申し上げます。
森田重昭さんは、今月 19 日から1週間、東日本大震災復興支援のため昨年4月に
設立された札幌教区サポートセンター(岩手県宮古市)のボランティアとして活動され
ます。健康には十分留意されて任務遂行のほどお祈りします。
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