富山の自然と歴史~ナチュラリストの視点から

記録のまとめ 1
講師
佐藤
武彦
(立山ナチュラリストガイド)
演
題
: 富山の自然と歴史~ナチュラリストの視点から~
日
時
: 平成 13 年 5 月 24 日(木)
郷土・文化研究
富山県ナチュラリスト協会副会長
1 年のほとんどを立山で過ごす。立山では多くの人を案内し、自然や歴史を説明している。
NHK等多くのマスコミ関係の取材に協力するなど、全国的にも有名なナチュラリストである。
◆キーワード(話の内容から)
・「遊び心」「余裕」をもたせることが、子供の個性を育てる。
・雲上の世界での学習は嫌なことを忘れさせる。
・国際人の基本とは、自分の故郷、自分の国をいかに人に語れるかである。
・自然を自分なりに楽しむことが大切。
・本物の自然には新しい発見がある。本物の自然体験を与えてやるのが先生方の仕事。
・私も山を案内するときは必ず下見をする。自分が目で見て確認し、納得してこそ、発
見したことを人に言うことができる。
・自然観察とは自分の目で見て自分の頭で考えて推理することである。
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講演(要旨)
(1) プロローグ
今ほど先生と紹介をしていただいたが、本当は立山の自然とともに楽しく仕事をしているだけ
で、先生と呼ばれるようなことはやっていないので、そのつもりで話を聞いていただきたいと思
う。
今日はこのようにネクタイをしているが、平素はまずすることがなく、年に 2 ~ 3 回ぐらいで
ある。昨日は、県立保育専門学校での立山の体験学習の事前研修に行ってネクタイをし、今日も
ネクタイをする。このように、2 日連続でネクタイをすることは珍しいことなのである。また、
山の靴はあるが、市内ではく靴を持たないので困ることがある。
今から名刺をみなさんにお配りするが、何の肩書もないので、「立山ガイド」「立山ナチュラ
リストガイド」という名称を勝手につかっている。プロかどうかというのは、仕事が来て初めて
言えるのであって、仕事がなければプロでも何でもないのである。
(2) 生い立ち
まず、自分自身の生い立ちから話をさせてもらう。その方が、私がなぜ立山にこだわって生き
ているかわかってもらえると思うからである。
私の両親は富山の出身であるが、幼い頃は父親の仕事の関係で全国を 2 年ごとに転勤していた。
生まれたのは九州小倉である。2 年しかいないので、ほとんどそのころのことは何もわからない。
京都山科にいた時、父親が亡くなった関係で、私が小学校に入るまでに父親の故郷の親戚に預
けられた。故郷と言うのは、尖山の麓の座主坊新村というところで、戸数 12 軒の小さな村であ
った。私には、兄弟が7人いるが、実はここに来て始めて自分には兄がいることがわかった。そ
れまで、兄弟が7人もいるので、あちこち分散されて預けられていたのである。
(3) 小学校入学とその生活
いよいよ、小学校に入ることになった。岩峅寺の小学校の方へ入らせるつもりで預けられたと
思う。今から考えると、この小学校に入る前後の記憶というのが、自分の生活の中で強く思い出
として残っている。
片道 4 キロちょっとある座主坊新村から小学校に通うまでの道中、お腹がすいているのである
が道草をしながら通ったことがいまだにイメージに強く残っている。
その集落には電気も水道もない。今から考えると、なんとリッチな生活をしていたものかと思
う。また、雪が降れば学校に行かなくてもよかった。集落の中央に、小さい坂道があり、それが
即席のスキー場になるのである。祖父は大工をしていたので、自家製のスキーを作ってくれた。
それで遊んでいればいいのである。着ていくものは学生服一枚あるだけだったので、濡れてしま
うと、次の日学校に行くときは乾かして着ていくわけである。
水道がないということで、山頂から竹の樋を引いてそれを飲料水にしているわけである。その
飲料水に毒が入っているかどうかというのは、アブラハヤ等を泳がしておけばいいのである。そ
れが元気なうちは、人間が飲んでも差し支えないだろうということである。また、電気が無いと
いうことは夜になれば勉強しなくてもいいということである。今の子供たちは大変である。朝か
ら晩まで勉強しなければならない。ただ言えるのは、もちろん頭の柔軟なときに一生懸命勉強す
るということは大事なことだと思うけれども、やはり、どこかで「遊び心」「余裕」をもたせる
ことが、子供の個性を育てることにつながるのではないかと思う。
小学校に入学してからも転校し、富山市内小学校、中学校、高校と進んだ。
(4) サラリーマンとなって
高校卒業から10年間サラリーマンをしていたが、やはり心のどこか片隅に、自分自身が自分ら
しく生きようというのがあって、それがほとんど見つからなかった。勤務が立山開発鉄道の方に
移り、最初は駅の勤務だった。美女平駅、弥陀ヶ原駅、室堂駅である。3年間、駅の勤務をして
いた。立山開発鉄道では、鉄道以外にも弥陀ヶ原ホテルと美女平ホテルを経営しているが、しば
らくそちらの方へ行って来いということになった。そのときに、本社の営業課長が、ホテルのサ
ービスとしての早朝のバードウォッチングとかアルペンルートの関連企業のいろんな企画など、
率先して私に声をかけてもらい、いろいろさせてもらった。駅にいる頃は、まだバスガイドさん
もおられいろんな山の話を説明していた。
(5) 雷鳥調査
たまたま、冬の雷鳥調査に声をかけてもらって、厳冬期(2 月・3月)に、室堂の方に入らせて
もらい、冬の雷鳥調査をした。今までは、頭の中で雷鳥の世界というのはおぼろげに分かってい
たつもりだったが、本物を見ると言われていることの半分はそうかもしれないが、半分は正確で
はない話が伝えられていると思った。実際、自分の目で見ると、「あれっ」と思うことが結構あ
った。そのころは、佐伯富男さん(第 1 回南極越冬隊員)も元気であった。朝 3 時頃室堂に入る
と、雷鳥は鳥目ではないので、真っ暗闇でも雷鳥は飛び回るのである。調査では、雷鳥に合わせ
て生活する。だいたい朝 4 時ごろの真っ暗な中、ヘッドライトをつけて調査に出るのである。朝
から晩まで調査をやるのである。夜になるといよいよ雷鳥談義が始まる。皆さん、お酒が好きで
ある。私も好きであるが、下界では聞けない、山でなければ聞けない話を聞かせてもらえる。そ
うすると、1 週間程なのであるが、雲上の世界にいると下界のやっていることをほとんど忘れて
しまう。
(6) 会社をやめて
たまたま、本社に用事があったときに、上司が「最近、聞いているとあなたは、何か本来の自
分の仕事を忘れているのではないか。もう少し、自分のために仕事をした方がいいのでは」と言
われた。上司はよくできた人なので、遠回しにやんわりと私のやっていることを軌道修正した方
がいいだろうと、言われたわけである。それが、ルンルン気分で山から下りてきて、リッチな気
分で下りてきた途端に下界の、俗の世界の話を聞かされると、私も深い考えもなく「そうだね」
と言って納得すればよかったのであるが、あんまり考えずに会社を辞めてしまった。その時 40
歳で、「40 歳で迷わず」と辞めたわけである。そのころは、自分なりになんとなくイメージ的に、
立山は昔のような団体登山をする人も多いが、これからは自然志向派の方々が結構のんびりと自
然を味わいたいという方がおられるので、私のようなレールに乗らないような人間がいても、多
少はどうにかなるのかなと漠然とした思いで会社を辞めたわけである。
自分には女房も子供もいたが、「あなたは辞めるときこう言った」と女房が言うのである。そ
れは「2 ~ 3 年我慢してくれれば、何とか飯を食えるようになるだろう」と。言ったことは覚え
ていなかったが、女房は結構執念深く覚えているみたいで、いまだに言われる。ただ、言えるの
は、1 年 365 日ある。アルペンルートはいかんせん冬は営業できないので、4 月~ 11 月までであ
る。まともに働いても 200 日ほどある。しかも、体ひとつでやっているので、だぶった仕事はで
きないわけである。今は1年間で 100 日位、仕事らしい仕事をしていると思う。後の 100 日はボ
ランティアなのか、仕事なのか、サービスなのかは分からない。後 100 日位はほとんど自分の好
きな時間つまり「遊び」という感じである。ただ言えるのは、その「遊びの時間」があるからこ
そ面白いわけです。
(7) 文化と国際人について
ある作家が、「文化とか文明の発達というのは、いかに無駄な時間を費やしたかによる」とい
うのである。そうだと思う。時間とか金を考えていたら、絶対そんなものできるわけがない。残
された文化というのは、先人が長い時間を金銭にとらわれずにやったからこそ、文化が残されて
いるのであると思う。
それから、今はよく「国際人」とか言われる。国際人の基本とは、自分の故郷、自分の国をい
かに人に語れるかだと思う。そういう点では、私はなんともいい環境にあり、立山があったおか
げでいろんな勉強をさせてもらっている。
(8) 歩くスキー
学校ではスキー学校をやられると思う。私も粟巣野でスキー学校をやっている。だいたい、富
山県の人は 1 日午前中 2 時間、午後から 2 時間、とにかくリフトに何回も乗せてほしいというこ
とである。アルペンのリフトを使ったスキーだけである。スキーの原点というのは、歩くスキー
だと思う。スキーというのは誰にも教えてもらわなくても、滑って止まることができる。スキー
は今、文部科学省などでも、スキーの先生はきちんとカリキュラムを組んで検定を受けなければ
駄目だということになっているが、私はそうじゃないと思う。本来スキーというのは、子供に歩
くスキーを履かせておけば、何も言わなくても基礎を学ぶのである。誰も教えなくてもいいので
ある。
よくスポーツ、スポーツと言うが、私の思いでは遊びの延長がスポーツだと思う。自分自身が
楽しくなければならない。県のスキーの研修で来る人は、「歩くスキーというのは疲れるもんだ
けれども、受けなければ単位が取れないので、やろうか」と、やる気が全然ない。無いというか
疲れる、それは基礎が出来てないから疲れるのである。回転ばっかりやっているから疲れる。私
自身がそうであった。私もスキーというのはリフトに乗って、ガンガンスピードで滑るのがスキ
ーの魅力だと思っていた。
置県百年のときに結構イベントがあった。立山では森林浴、バードウォッチング、歩くスキー、
写真教室。私も講師となってやらせてもらったが、歩くスキーをやると全国から来られる。雪の
無い所の人ほど、雪の魅力というものを感じられるらしい。歩くスキーも興味を示される。
私も歩くスキーを始めた頃には転んだりした。転んで始めてスキーの奥の深さがわかるのであ
る。今まで、アルペンでは転ばずにかっこよく曲がったつもりが、歩くスキーをはいた途端に思
いっきり転ぶわけである。ところが、スキーの私の先輩であるプロスキーヤーたちは、さすがに
歩くスキーを履いても転ばずにリフトの上から一番下までスイスイとパラレルで滑ってくる。歩
くスキーであっても、パラレルでやる。そうするとますます面白くなる。こういうこともできる
んだと。最低限の道具さえあれば何でも出来る。スキーというのは昔は生活の道具として使って
いたのであるから。
最近、登山でもタイムを計る。タイムを計った途端にもう何も見えなくなってしまう。いかに
自分自身が楽しみながら、いろんなものを使うかというのが基本であると思う。いかに自然を自
分なりに楽しんでいるかが大事だと思う。自分が楽しくないことは人に薦めないほうがいいと思
う。
(9) 立山ガイドとナチュラリスト
私の肩書はナチュラリストになっているが、ナチュラリストというのは博物学者とか自然愛好
家という意味らしい。県では、たまたま立山黒部アルペンルートができて全線開通したのが昭和
46 年で、全国からたくさんの観光客が来た。そこで、立山の豊かさをお互い共有しようというこ
とで、県がナチュラリスト制度を認定することになった。資格ではなく、認定しただけなのであ
る。一応研修された人については認定し、認定を受けたナチュラリストがボランティアで山に入
って、山に来られた方と一緒に山を楽しみましょうということなのです。学校の先生の中でも、
夏休みを利用してボランティアで活躍しておられる人もおられる。
環境省の方で、平成 3 年に国の調査書「自然体験活動推進方策検討調査」というのがあり、自
然を利用していろいろ体験活動をしようというわけである。当時いくつか候補地があがり、その
中でも、立山では長い間、立山ガイドが山を案内した伝統があるということで、北海道と立山の
2 か所に予算がつき報告書が出された。この報告書が出ると、山に来た方がのんびりと自然を楽
しむというガイドシステムというものが計画された。しかし、県の方では、形が全然無かったの
で、立山のガイド協会を作ったらよいのではということで発足した。ナチュラリストの方は、最
初は富山ナチュラリスト研究会という名前だったのであるが、有料のガイドシステムというのを
発足するとなれば、名前を変えた方がいいだろうということで、富山県ナチュラリスト協会にな
った。立山ガイド協会(山岳ガイド)には、山の稜線とか冬などのハードな所をお願いする。底
辺のフィールドは、ナチュラリスト協会がするなどお互い仕事が競合しないようにしようという
ことになった。
資料スライド 「立山の自然と歴史」
・立山全景
・立山信仰、立山双六、立山曼荼羅、佐伯有頼、有頼柳、鷹泊の松
・登っていくルート、道元禅師の歌碑、江戸時代の石仏、旧登山道、弘法小屋の今昔
(荒谷直之介の絵)、弘法大師の石仏、旧道復元、追分の分岐点、役の行者、護摩壇、鏡石平、
姥石、天狗山荘の線彫りの地蔵、室堂山荘、33 番目の石仏発見、
玉殿の岩屋、地獄谷、振分川、赦免滝、懺悔坂、浄土山、浄土の祠、峰本社、山崎カール、別
山、剣岳と北極星
・雷鳥調査、岩本久則氏の雷鳥の絵、ロープウェー、雪の立山、風紋、みくりヶ池、室堂ターミ
ナル、雷鳥調査隊、テン、雷鳥、雷鳥のラッセル、風が吹いた時の雷鳥、寝ている雷鳥、集団
で出てきたオスの雷鳥、メスの雷鳥、丸山、天狗平(ダケカンバが冬の雷鳥の餌)、天狗山荘、
雷鳥の歩いたトレース、キツネ、富山大学室堂無人センサー設置、7メートルの雪を掘って調
査、前世紀の雪と今世紀の雪、美女平、弥陀ヶ原、愛山荘、大観台、ハイマツの中を調査、
雷鳥が食べられた後、黒部ダム、見張りの雷鳥、雷鳥ペアの抱卵、雷鳥の縄張り、食べられた
卵、7月の保護色の雛
・歩くスキー、みくりヶ池上でのスキー、テレマークスキー、御山谷のスキー、黒部ダム湖へ、20
km滑降可能、カルデラ、展望台(水芭蕉)、弥陀ヶ原付近、のんびり新雪スキー、道路の傍
を滑る、ぶな坂ぶな平、刈安谷の殿下杉、ボブスレーコース、熊の足跡、縄が池、砺波散居村、
歩くスキーの原点・・・子どものスキー
・雪形白竜大権現、大汝、忍者と兎、人魚姫二人、白いライオン、蛇
・立山杉、ブナの木、森林浴の森、ぶなの森から降り注ぐ光、ヤドリギ、ヤシャビシャク、栃の
木とキツツキの穴、ツキヨダケ、ツタウルシ、ミズキ、熊棚、ブナの木の熊の足跡、カモシカ、
サル、ウサギの死、立山杉の空洞、立山杉の股木、立山杉の穴・巨木・獅子の顔、ヒカリゴケ
(大川寺)、夕陽、星空、街の灯り
2
懇
談
質問
どのように自然とつきあっていけばよいのか教えていただきたい。
講師
若い時に本物の自然に触れ、どういうものか感じることが大切だと思う。そうすると下界の
自然というものがいかに人工的に変えられたものかということが見えてくる。本物の自然とい
うものは毎回毎回行くたびに新しい発見がある。私は17年間立山に行っているが、毎日感動が
あり見えてこなかったものが
だんだん見えてくる。「あれ
っ」と思うものが必ずある。
春夏秋冬を同じ所へ行って
みると自分の生がどこから来
たのか、自然から学ぶことが
たくさんある。そういうチャ
ンスを与えてやるのが先生方
の仕事ではなかろうか。私も
山を案内するときは下見をし
てこないとできない。自分が目で見て確認し納得して、その時、発見したことを人にも言うこ
とができる。自分が体験したことが本物なのだから人にも安心して教えることができるのであ
る。自然観察とは自分の目で見て自分の頭で考えて推理することである。人から教わることは
観察ではない。土砂降りで雷が鳴っているときに雷鳥は出てくる。お腹がすいたら出てくるの
である。それも初めて自分の目で見て言うことができるのである。
子供たちにはできるだけ早いうちに自然に触れるチャンスを持たせてほしい。そして指導者
も楽しんで教えることが大切である。私の小学校の記憶は遊ばせてもらったという先生が一番
記憶にある。心の豊かさや自分自身の世界を見つけるためには、無駄なことも必要である。
みなさんに質問するのは気が引けるのであるが、自分の目で見て自分で推理してください。
これは、香りがなかなかいい。一人 1 本ずつ当たると思う。これを良く見てほしい。何でもい
い。何か見えてきたか。次にこの骨は熊なんだけど、これは何の骨だと思うか。では、最初の
ものは、亜高山帯の弥陀ヶ原にある「あおもりとどまつ」、今では「オオシラビト」とも言う。
よく立山杉では区切れがあって冬成長が止まるので、1 年、2 年、3 年と。松は、年輪を切らな
くても、枝分かれしているので分かる。これが 1 年、2 年、3 年となれば、今年のは、どこに
あるか。今年、もし折れていなければ、今年の冬芽がどこかにあるはずである。この先っちょ
に、マッチの軸よりも小さいものがあるのである。それは、養分で守られているのである。そ
れが春になるとぱっと養分が落ちるのである。そうするとこれだけまた伸びるのである。それ
から、後ろにぼつぼつのものがある。これは、葉っぱではなくて、雄花である。ではこれは何
か。これは松ぼっくりのあとである。ここに、卵のような紫色の実がなってくのである。木の
一番上にしかつかないのである。自分の子供を遠くに旅立たせるために。雄花が下にあるから、
おそらく自家受粉するのであろう。
さて、もう亡くなられたが、芦峅寺の佐伯利雄さんという方に狩猟の話を聞くと、うさぎと
いうのは、野生の動物におそわれるのである。よくきつねが喰いにいくのである。だからうさ
ぎは、逃げるために後ろ足が発達しているのである。うさぎは、逃げる対策をこの足でしてい
るのである。
今学校では、鉛筆を削る時等、ナイフを持たせるとけがして危ないから持たせていないね。
学校で持たせることはだめかもしれないが、野外では、小刀 1 本なければ、生きていけない。
何もできない。昔は、筆箱の中に、小刀を入れていたものである。これで鉛筆削れなければど
うしようもないであろう。せめて鉛筆削るぐらいできなければ、せっかくの道具がどうしよう
もないのである。これは、キハダであるが、猟師は、自分でキハダを削って、胃が痛いときに
はなめるのである。(自分で削ってなめてみてください)
『富山ウォーキングガイド』が本屋さんにあると思うのだが、この本には歩く楽しみ方が書
いてある。また、鳥の世界を紹介した図鑑が出版されている。小学館から出ているこの図鑑は、
日本の鳥が全部手で描かれている。カラスからはじまっているので、分かりやすいものになっ
ている。『立山自然ハンドブック』では、私は、鳥の分野を書かせてもらった。また、自然と
の共生、野生とのつきあい方については、東京農大の先生が監修された、『丹沢自然ハンドブ
ック』である。これからの自然とのつきあい方というものを書いておられるので、それが参考
になるのかなと思う。
最近では、「エコツアー」というのがあって、自然に優しく、地方の伝統・文化も学びなが
ら、現地の方の案内で、自然をのんびり味わおうということで、「エコツアー」というものが
ある。
自然保護憲章というのがあるが、これを見るたびに、合点がいかない。自然保護憲章とは
「自然を尊び、自然を愛し、自然に親しもう。」みなさんどこかおかしいと思わないか。言って
ることが分かるのだが、順序が逆だと思うのである。まず「自然に親しむ」であろう。そうす
ると見えてきて、なんといいところだろうと愛着がわくわけである。だから、自然に親しんで、
愛して、尊ぶのであれば、私は、納得する。しかし、はじめから尊ぼうでは、なんでかという
ことがぜんぜん見えてこない。
最近は、自然との共生という表現で書かれているが、自然保護とか自然の保全とか。だから
自然と人間を不等号で示すのは、問題かもしれないが、生きているもの自然界すべて、人間と
対等であるということが自然との共生である。雷鳥が大事で、カラスが大事でないというのは、
それは、自然との共生でなくて、人間のエゴ以外何もない。カラスも生きるために一生懸命だ
ということで、自然を素直な目で見てやるべきだと思う。最近は、どんなものでも生きている
ものはすべて大事だと言うことで自然との共生である。自然に優しい利用の形態、できるだけ
自然に負担をかけなくて、それでも大きな自然に触れるチャンスがあるということが、縦軸
(自然との接触度)と横軸(自然への影響)の度合いに合わせて、ランキングしてあるわけで
ある。だから、自然と触れるのが大きく、自然への影響が少ないのが良いので、右上のランク
が良いのである。