東京海洋大学における海洋ブロードバンド通信システムの開発 Development of the Maritime Broadband Communication System in TUMSAT 東京海洋大学 大津皓平・庄司るり 1. はじめに 近年「ユビキタス時代の到来!」とネットワークの世界では言われている。すなわち、陸上では高速・大容量のブ ロードバンド通信が一般的となり、インターネットやメールの利用が急速に普及してきて、最近ではリアルタイムの 動画像伝送による TV 放送のようなことも考えられてきている。また、2004 年 5 月からは飛行中の航空機内でもイン ターネット接続が可能となり、陸と空の世界ではブロードバンド通信が広がってきている。 ところで海上と陸上の通信あるいは海上と海上の通信すなわち船陸間通信あるいは船船間通信の世界はどうで あろうか?これらの通信は残念ながら豪華客船や豪華ヨットなどを除いて未だに必要最小限の通信に限られてい る。実用的な通信速度は 64Kbpsで、動画像情報のリアルタイム伝送は困難であり、また通信費用は約 2,000 円 /1Mbyteと非常に高価である。近年、運航管理や航行支援 等に関する様々な提案(1), (2)がなされているが、その多くは 低価格、高速・大容量の双方向通信の基盤技術を前提とし ており、このような技術の構築が切望されている。 東京海洋大学(Tokyo University of Maritime Science and Technology 、以下TUMSATと記す)では、海上における高 速・大容量通信の実現を目指して、2002 年から「海洋ブロ ー ド バ ン ド 通 信 プ ロ ジ ェ ク ト 」 ( Maritime Broadband 図 1 東京海洋大学練習船汐路丸 Communication Project、以下MBBと記す)を開始し(3)、これ 汐路丸の概要 全 長: 49.9 (m) 船 幅: 10.0 (m) までにインフラの整備やコンテンツの検討を行ってきた。図 喫 水: 3.8 (m) 排水量: 425 (ton) 1に示すTUMSATの練習船汐路丸を使用した実験や数回 のデモンストレーションを通して、本プロジェクトの有効性が立 証されてきている。ここでは、MBBの概要とMBBを利用した 船舶の運航支援の新しい形態について紹介する。 2. 海洋ブロードバンド通信プロジェクトの概要 本プロジェクトは、通信衛星を使用して、陸上と同様のブロ ードバンド環境を海上にユビキタスに提供することを目的とし て、NTT コミュニケーションズ(株)、JSAT(株)、(株)三井造船 昭島研究所、(株)第一電気および住友電工(株)の共同研究 インターネット として開始された。 図 2 の概念図に示すように、このMBBプロジェクトで構築 TUMSAT したネットワークは、東京海洋大学練習船汐路丸と独立法人 図 2 MBB 概念図 航海訓練所銀河丸に設置した衛星自動追尾アンテナと陸側 の地球局に設置した地上用アンテナとが衛星通信によって結ばれている。 また、地球局と TUMSAT あるいは航 海訓練所(横浜)との間は、光回線を用いた VPN(仮想プライベートネットワーク)で結ばれている。船上のユーザ はこの環境を使ことによって地球局経由で TUMSAT や航海訓練所との通信やインターネットサービスを利用でき る。 MBB では、東経 150 度の赤道上、36,000km 上空の静止軌道上に配置されている JCSAT-1B(Ku バンド帯) の通信衛星を使用している。現在の通信可能範囲は日本周辺海域であるが、今後通信可能範囲は拡大される予 定となっている。アンテナシステムは、自動的に衛星の捕捉・追尾を行うシステムであるが、他の衛星への干渉電 波送信を防止するインターロック機能を追加することで、より安定した通信を実現している。現在、船から陸へは 1Mbps、陸から船へは 2Mbps の通信速度が実現されている。現在までこのネットワーク網を使って船と陸の間でさ まざまな実証実験を行っているが、特に高速・大容量の真価が問われる画像伝送についても画像に不自然な動き のないビジュアル環境が実現されている。 3. MBB により提供可能なコンテンツ 外航海運において、船上では乗組員の少数化とグローバル化、陸上ではオーナー会社とオペレータ会社の分 離化とフリート管理が進んでいる。また内航海運においては、乗組 員の不足と福利・厚生問題が深刻化し、装備の近代化と統合的な 船舶管理が求められている。海運業界における様々な問題解決 のために、海陸協調運航の必要性が高まってきており、船陸間通 信はその重要な要素である。ここでは、このような高速・大容量の 船陸間通信である MBB により提供可能なコンテンツの例を、これ まで実現したこのネットワークの実証実験をもとに考えてみよう。た だし、ここで考えるコンテンツの例はあくまで商業用の船舶との間 の例で、軍事用あるいは娯楽用の例は省くことにする。 図 3 インターネット利用例 3.1 船舶職員への福利・厚生面 乗組員に対する福利・厚生としては、遠隔医療、娯楽の提供、家族とのコミュニケーション等への MBB の利用が考 えられる。乗組員の傷の鮮明な映像や TV 電話などで患者の顔色を見ながら疾病に対する助言を与える等、船上 においても有効な医療援助が可能となる。衛星放送の受信やインターネットの利用、そして家族とのコミュニケーシ ョンなどの船舶職員に対する娯楽や情報の提供も、陸上の生活と遜色のない環境を船上で実現することが可能で ある。図 3 は、実験中の汐路丸船上の写真で、左上は船内の教室におけるインターネット利用、右上はカメラとヘッ ドセットを用いた陸上とのネットワーク・ミーティング、左下は TV 電話による TUMSAT との通話、右下はディジタル FAX の写真である。これらの使用は陸上と同様に快適であった。 2 安全運航 今まで入手困難であった航行中の船舶からの詳細な情報を陸上で入手し、船陸間で情報を共有することで、効 果的な陸上からの支援が期待できるようになる。特に「見張り」業務は、船舶の安全運航にとって非常に重要である が、図 4 に示す船外映像例のように陸上から任意の方向にカメラの方向を変化させたりズームさせながら得られる 図 4 「見張り」支援のための船外映像 船外の鮮明な映像を用いて陸上から「見張り」支援をすることにより、船員の負担を軽減しながら航行の安全性を高 めることが可能である。 また、詳細な船体情報、機関情報を陸上で監視(モニタリング)することで、詳細な解析やわずかな変化をとらえ ることも期待できる。図 5 に船体情報、図 6 に機関情報のモニタリング画面を示す。図 7 は、TUMSATの井関教授 図 5 船体情報監視画面 図 6 機関情報監視画面 図 7 方向波スペクトルの推定 が開発している船体応答の統計的予測機能を備えた船載型安全運航支援システムにおいて推定された方向波ス ペクトル、方向分布と波スペクトルである(4)。 陸上から船舶へ提供する情報としては、各種の気象・海象情報、ウェーザールーティング情報、航行情報、漁 業情報および船舶交通情報等があり、航行の安全性、効率性高める航行支援情報である。TUMSATの東京湾レ ーダサイトプロジェクト(5)で得られる船舶交通の状況や予測および交通管理に関する情報の提供も目指している。 3.3 船舶の遠隔操船支援 Start 航行中の船舶から船体・機関および周囲の状況に関する正確なデータ が入手できれば、それらのデータをもとに陸上からの遠隔操船支援が可能 となる。図8は、陸上局において遠隔操船支援のため指令値を設定している 画面と、汐路丸の遠隔操船の結果例である。この例は、B/T (Bow thruster) を用いて 2 地点間の平行移動操船を行った時の航跡である。3.2 で述べた 船舶や周囲の状況を監視しながら、陸上から遠隔操船を行うことも可能とな るため、将来は経験豊富な支援者が船舶の操船を陸上から行うことも考えら End れる。また TUMSAT で研究されている最適航路選定、最短時間自動離着桟、 誤差2m以内の航路トラッキング制御プログラムと組み合わせることで、航海 図 8 遠隔制御画面と航跡例 全般にわたり遠隔支援が行えるようになり、船員の負担軽減および安全性の 向上が期待される。 船舶管理の面でも MBB の利用は、作業の短縮や負担軽減に有効である。鮮明な映像や動画により故障の状 態を陸上に伝えられれば、専門家の意見を得ることも出来、修理や交換がスムーズになり、船上での作業軽減が 考えられる。また、伝送されてきたデータを統計的に処理しながら保存することにより1船1船固有の船舶性能が陸 上において把握できるようになり、シーマージンや船体、舶用機器の信頼性解析などに役立てることができよう。 災害時の現場の映像は、言葉では伝えきれない正確さ、臨場感を伝えることが出来るため、MBB を利用した 現場映像のリアルタイム伝送は、救難や防災にも有用である。 3.4 MBB を利用した e-Learning 汐路丸 TUMSAT 本学では、海事教育の新しい形態として、MBB を利用 ・Archive server ・Deliver server した e-Learning の検討を始めている。海上の船舶からの映 像や操船状況、実験の様子等をリアルタイムに伝送し、大 インターネット School A 学での講義に使用することで、理論と実際を組み合わせた 教育を行うことが出来る。操船シミュレータ、機関シミュレー School B Mobile Phone PDA タ等と併用すれば、陸上において船上と同じように揺れる 操船シミュレータ Laptop Tablet PC 環境の中で臨場感溢れる遠隔実習も実現可能であり、複数 Projector e-learning at off-campus DVD/S-VHS の遠隔地において同一の船舶乗船の模擬体験が出来るよ うになる。特に練習船を持たないアジアの海事教育機関に 図 9 海洋 BB を利用した e-Learning 構想 対しては、陸上のインターネット回線と連携した遠隔実習を 提供することができる。国内外を問わず、同レベルの海事教育を行うことが可能となるため、費用および効果の面 から有益である。また船員にとってはキャリアアップや生涯教育のために、陸上と同様な e-Learning 環境も提供可 能である。 PDP 4. MBB のデモンストレーション 2004 年 3 月に開催された産学連携知財フェアでは、晴海 沖の本学練習船汐路丸と品川の会場間で、10 月には中国の 大連海事大学において、動画像伝送遠隔操舵のデモンストレ ーションを行った。これらのデモンストレーションにより、インタ ーネット VPN が構築できれば、国外においても国内と同様の 図 10 シンポジウムでの通信実験 アプリケーションが使用可能であることが確認できた。12 月に は TUMSAT において「次世代海洋ブロードバンドシンポジウム」を開催し、本学越中島会館と東京港浦安沖に錨 泊中の汐路丸および晴海に着岸中の銀河丸を結んだデモンストレーションを行った。図 10 は講演時の写真で、汐 路丸からの船外映像伝送と銀河丸との TV 電話による会話を同時に行っているところである。汐路丸の各所に遠隔 制御可能なカメラとマイクを配置し、会場から汐路丸の映像と音声の切り替えや制御を行った。映像、音声とも明瞭 であり、船内・外の様子を監視するには十分の伝送品質であった。 5. 衛星追尾アンテナの開発 このような船陸間通信では揺れながら移動する船上で衛星追尾可能なアンテナが不可欠である。要求される性 能は受信はともかく送信にいたっては衛星に対して船首角、縦揺れ、横揺れに対して 0.2 度以内の精度を持って いなければならない。本学では独自に図11(?)のようなルーネベルグアン テナと呼ばれるレンズアンテナを用いた衛星追尾アンテナを開発している。 このアンテナは現在ルネQとして市販されている半球型のアンテナで複数 衛星を同時に送受信できる。このアンテナが開発されれば船上で「スカパ ー!」を楽しむことができるだろう。 6. まとめと将来展望 MBB は、陸上では当たり前になってきたブロードバンド通信環境を海上 で実現することにより、船舶運航のあり方に新しい展開を与えるものである。 今回は、TUMSAT の共同研究プロジェクトである MBB の概要と MBB を利 図 11 ルーネベルグアンテナ 用したコンテンツを紹介した。実船実験から、船上でのインターネット環境の 利用、陸上における船舶情報監視、遠 隔操船の実施、船舶交通情報の利用等 の有効性が、数回のデモンストレーショ ンにより、MBB 利用の有効性が確認で きてきた。 現在、船舶交通の輻輳する海域では 海上交通センターが安全な航行を支援 している。将来的には、図 12のような 「船舶運航支援センター」を設立し、船 舶から得られる情報と陸上で得られる情 報を統一的に管理し、航行全般に対し て有効な運航支援を行っていくことも考 図 12 将来の船舶運航支援センターの想像図 えられる。 海上通信技術は陸上に比べ大きく遅れていたが、MBB の利用により陸上と遜色のない通信環境が得られるよう になった。今後はこのシステムを用いたコンテンツ、すなわち今までとは全く異なる運航形態、船舶監視、運航管 理および e-Learning による新しい海事教育のあり方について、さらに研究を進めていく予定である。 参考文献 (1) 萩原秀樹他:INMARSAT データ通信を用いるウェザールーティングシステムの研究-コンテナ船における実 船実験-, 日本航海学会論文集第 86 号, pp.141-151, 1992. (2) Nobukazu Wakabayashi, et al.:Sailing Data Transfer and Display System Using Wireless LAN in the Bridge and its Application to the Navigation Support System. Proc. of IAIN2003 11th International Association of Institutes of Navigation World Congress (Berlin, Germany), CD-ROM: pp.1-13, 2003. (3) 大津皓平他:衛星を利用した海洋ブロードバンドプロジェクトについて, Navigation (日本航海学会誌), No.158: pp.24-28, 2003. (4) Toshio Iseki and Kohei Ohtsu:REAL-TIME MONITORING OF SHIP MOTIONS BASED ON MARITIME BROADBAND SYSTEM, Proc. of The 4th International Congress on Maritime Technological Innovations and Research, Barcelona-Spain, 2004 (5) 庄司るり他: 東京湾における船舶交通観測レーダネットワークシステムの研究, 日本航海学会論文集第109 号, pp.69-78, 2003 (3) 大津皓平他:衛星を利用した海洋ブロードバンドプロジェクトについて, Navigation (日本航海学会誌), No.158: pp.24-28, 2003. (4) Toshio Iseki and Kohei Ohtsu:REAL-TIME MONITORING OF SHIP MOTIONS BASED ON MARITIME BROADBAND SYSTEM, Proc. of The 4th International Congress on Maritime Technological Innovations and Research, Barcelona-Spain, 2004
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