第3回「祭司の祈り・賛美礼拝」の報告 【1】祈祷課題 今月の祈りの中心は、祭司として首都圏が大地震の危険をとりなす私たち自身の、心の奥底(霊の所)にある断層を癒していただく事でした。 ☆日本に対する預言・・・「揺り動かしが日本に起こり、それによって人々はへりくだりひざまずくであろう。この揺り動かしは日本の産業を変えるであ ろう。日本は過去からの深い傷と関係のある fault(断層、過失、短所)の上に建てられている。」 2005 年チャック・ピアス(WWGMより) 日本に大地震をもたらす断層である過去からの多くの過失・短所とは、霊的な意味では、歴史の始まりより深く根付いた偶像礼拝であったり、普 通の庶民層での殺人・暴行・虐待・傷害・罪・汚れ・・・、日本人特有のいじめ「村八部」、部落や士農工商に於ける人種差別、権力者の横暴、第二 次世界大戦での東南アジアに於ける婦女暴行・略奪・虐殺・・・、そして韓国での神社参拝の強制・氏名や言語剥奪・・・です。 目に見え、耳に聞こえ、体で感じる現象は、霊的な現実の現れです。多くの異なる断層と亀裂の丌安定な土台に、日本は建っているのです。 登る日 「揺り動かしが 日本に起こり、 それによって 人々はへりくだ りひざまずくで あろう。この揺 り動かしは日 本の産業を変 えるであろう。 日本は過去か らの深い傷と 関係のある fault(断層、過 失、短所)の上 に建てられて いる。」 人間と教会(幕屋)の三要素 ①霊(至聖所・講壇付近) ②魂;心(聖所・礼拝堂全体) ③体(庭;建物全体を含む) 霊 魂 (心) ★祭司の条件(心に断層のない祭司) 「アロン(祭司)に告げて言え。・・・誰でも、身に欠陥のあ る者は近づいてはならない。盲人、足なえ、あるいは手 足が短すぎたり、長すぎたりしている者、あるいは足や 手の折れた者、せむし、肺病でやせた者、目に星のある 者、湿疹のある者・・・・。」レビ21:17-20 体 (05.チャック・ピアス) 3.14 WWGM しかし、キリストの頑丈な一枚岩に立っているはずの、私たち祭司(クリスチャン)の心の奥底にも、それぞれ相反する幾つもの岩のような思弁が あり、その境界に多くの断層があります。それは、先祖伝来、家族や自分が信じていた偶像であったり、子供の頃から受けてきた教育(この世の知 恵・知識)、人物や本や方式から受けた情報、テレビなどから得たきらびやかな価値観、自分独自の性格や考え方から出た人生観、正義感、劣等 感、優越感、心と体でおかした数々の罪や汚れ、人に付けられた傷、不えた傷・・・・が、解決されないままあり、私たちを苦しめています。 神様ははっきり、「身に欠陥のある者は祭司になれない」と言っています。これも外側でなく霊的な欠陥の事です。しかし傷も、しわも、罪も、汚れ も一切ないお方は、真の大祭司イエス様だけです。イエス様は贖いの小羊として傷も罪も一切なく聖かったのですが、大祭司としても完全でした。 ですから私たち祭司全員は先ず、主の御前にひざまずいて謙り、自分自身の心の断層になっている「傷の癒し」から祈らなければなりません。自 分の記憶で感知している傷だけでなく、聖霊様が示して下さって、日々に心の奥底から浮上して来る傷や、知らずに犯した罪、知らずに不えた人 への傷、まだ悔い改めていない多くの罪・汚れがあります。ですから、私たちは聖霊様が先導する「悔い改め・傷の癒し」の祈りが必要になります。 同じく私たちには、日本の大昔からの罪や断層を認識する事は丌可能です。歴史を調べてそれを知る事も重要ですが、人間の頭はそれらの知 識を全て収容できません。ですから、私たち聖霊派の祭司の働きが今重要です。異言によるとりなしの祈りが丌可欠な時代となっています。 ★「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようも ない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」ローマ8:26 私たちが自分の知性によって悔い改めをする時、「後悔」になりがちです。聖霊の導く悔い改めは、「癒しの油」を伴っているので、深く悔い改め る時、御霊の大いなる慰めで、霊魂が輝きます。ですから、私たちの祭司としての祈りは、主の霊が私たちの霊の所に注がれ、心が悔い改めて、 天国からの慰めで満ち、それが私たちの周りに広がって行くのです。イエス様が、私たち祭司の師「大祭司」として、私たち弟子(真の祭司・真の使 途・聖い花嫁・・・レムナント)を、宝石のように大切に胸に抱いてとりなして下さる前、先ずご自分の為に祈って示された「手本」を見習いましょう。 ヨハネ17章「大祭司の祈り」 ①ご自分の為②弟子の為③未信者の為 神の力 ↓ 霊 ↓ 心(魂」 ↓ 体(言動) ↓ 世界 「波紋の祈り」 ①自分 ②配偶者・子供 ③親・兄弟・親族 ④教会・クリスチャン ⑤友人・知人・隣人 ⑥地域 ・近隣・町・市・県 ・地方(当祈祷会では首都圏) ・特別に東北地方 ・日本 ・世界中 ※上記右側の図【霊・魂・体の三部分】はペン-ルイス夫人著「魂と霊(Soul and Spirit)」からです。素晴らしい内容なので、是非お読みください。 http://www.ogccl.org/book4.html 他の、福音の真髄が語られた古典の信仰書も、「オリーブ園」http://www.ogccl.org/ から読めます。 【2】今月のメッセージ「至聖所に至る三つの門」 このように、私たち祭司が、御霊による祈り、御霊による賛美、御霊による礼拝、御霊による信仰生活に導かれる為には。「至聖所の御座の前で の祈り、参議、礼拝、信仰生活」に至っている事が重要です。私たちの為に、イエス様が十字架上で息を引き取られた時、この至聖所への垂幕 が裂かれたので、私たちはいつでも、どこでも、この至聖所の御座の前で、祈り、賛美し、礼拝し、御霊に満たされ、天からの声(預言を含む)を受 ける事が出来ます。 しかし、私たちが世をとりなす時、心の奥底に癒されていない傷があっては、大祭司のイエス様の身丈に達した、本物の祭司としての資格があ りません。旧約聖書時代、大祭司となれるのはレビ族だけで、しかし、レビ族であっても一般の祭司は。至聖所に入る事は許可されていませんで した。大祭司であっても、年に一度でした。それも、様々な規定を守り、主に義とされて主の御前に出なければ、その場で即死したのです。 私たちは今や、ルターの言う「万人祭司」に留まらず、至聖所で民の為にとりなす身分へとなっているのです。民と自分の知っておかした罪はも ちろんの事、知らずに犯した罪の為にも祈るのです。ですから、聖霊を受けた祭司が、本当に必要です。 私たち信仰者(クリスチャン)は、教会の教職であるか信徒であるかに拘わらず、この至聖所での礼拝を捧げる事が出来ます。ルターは、教職 でなくても、万人が「祭司」であると言いましたが、祭司にも色々あります。真の祭司としての働きは、イエス様の身丈に至って、我々の師「大祭司 イエス様」のようにとりなすか、否かにかかってきます。実際にはまだ心に疥癬があっても、十字架上の聖なるイエス様の中にすっぽりと入っていな ければなりません。 二ヶ所の義認①救いの門②至聖所の入り口(垂幕) クリスチャンの人生と言うか、信仰の旅路には三つの門があって・・・・、 ①広く開けられた救いの門(約 19m)、救いを表わす「祭壇」と、聖めの「洗盤」 ②五本の柱の間、イエス様の身幅のように狭い推定 60-70cmくらいの狭い門。 この中の聖所は、「試練と訓練の荒野」、「信仰者の心の旅路」、「心」です。 そして、「通常の礼拝」を表わし、御言葉を表わす「パンの机」、聖霊の光を表 わす「燭台」、祈りの香の香りを天まで立ち上げる「香壇」があります。 ③ ② ① ①救いの門 ②狭い門 ③垂幕 ③は、旧約の大祭司が潜って入った、イエス様が十字架の時に上からまっ二つ に裂いた「垂幕」です。真の神を信じる者は、肉体が死ぬか、再臨で天の御国 に行きます。肉の心が十字架で死ねば、心の中に御国が来ます。 この順序は、「クリスチャンの生涯」の順序ですが、大祭司は、②の聖所に入 る前、洗盤と狭い門の間で、聖なる大祭司の装束をまといます。これが、イエス 様が十字架前、「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなた がたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にと どまっていなさい。(ルカ 24:49)」と命じられた、聖霊のバプテスマです。 黙示録1章と5章だけで「イエス・キリストは私達ちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私達を王国とし、ご自分の父であ る神の為に祭司としてくださった」(黙示録 1:5-6)と、十字架の目的が記されているように、三位一体の神様は明らかに、ただ十字架の血の贖い によって救われた段階の幼い信仰の神の子、神の民と、神の御心を知ってとりなす「イエス様の身丈(ガラテヤ 2:20)」に至っている祭司との二種 類の信仰者の存在を予見しています。①十字架の血は神の子を生み出し、②十字架の道を辿って③十字架の死に至る時、祭司が誕生します。 そのような二種類のクリスチャンの存在を、ある時には弟子と群集、ある時には聖い花嫁として天国の宴会に招かれる信仰者と、宴会場には 入れないただの天国の住民として表わしています。また、旧約聖書時代には、特別に油を注いで用いた王や預言者、神の民を導いたモーセのよ うな特別な人物が、神の民イスラエルとは別に存在していました。それが「レムナント」と呼ばれる「数尐ない、残りの民」です。 「あなたがたも、賞を受けられる ように走りなさい。」Ⅰコリント 9:23 「小羊の宴会」 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれ 招かれた者は幸いだ た者は幸いだ、 、と書きなさい。」 と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。 と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。(黙19) ★羊飼い ★羊飼いの妻 夫であるイエス様 ・謙遜に仕える ・命を捧げて愛す 死垂幕(境界線)命 肉の死垂幕(境界線)勝利 毎 日 の 十 字 架 ・ 垂 幕 を 裂 く ②「もはや私が生き ているのではなく、 キリストが私の内に 生きておられる のです。」 ガラテヤ2:20のライン ①「私はキリストと ともに十字架に つけられました。」 この、至聖所の垂幕である肉の思い十字架に付けてを死なせ、イエス様の身丈へ至った者がレムナント(真の弟子・賢い5人の付き人・キリストの 聖い花嫁・小羊の宴会・天国での冠・神の御心を知ってとりなす祭司・・・)です。日本のクリスチャンは、この垂幕を裂く使命があるのです。(続)
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