6)性同一性障害と当事者支援

N―238
日産婦誌64巻 9 号
生殖・内分泌 クリニカルカンファレンス
GID
(性同一性障害)
と産婦人科医
6)性同一性障害と当事者支援
川崎医科大学健康管理学
関
座長:岡山大学大学院保健学研究科
明穂
中塚 幹也
はじめに
性同一性障害当事者は,身体の性と心の性(性自認)
とが異なることに起因する種々の悩
みや問題を抱えている.これに対して,医学的にはホルモン療法や手術療法などを行うこ
とで,身体を希望する性別に近づける治療が行われている.また,性別適合手術などによ
り一定の要件を満たせば,戸籍上の性別を変更することも可能となっている.このように
希望する性別に近づけることは,性同一性障害当事者の悩みや問題の解消のために,非常
に大きな意味を持つものである.とはいうものの,必ずしもすべての悩みや問題が解決す
るわけではない.
性同一性障害に対する診療は,精神科医を中心としたチーム医療として行われており,
悩みや問題についても精神科医が中心となって対応することが基本である.しかし,ホル
モン療法などの身体的治療が開始されると,特に問題がなければ,精神科での診療は年1,
2回程度となることが多い.一方,婦人科へはホルモン療法などのために,数週間に1回
程度の頻度で受診するケースも少なくない.種々の悩みや問題についての相談が,頻回に
受診する婦人科医に持ち込まれることが稀ではないのが実際である.そのため,性同一性
障害に対する診療を担当する婦人科医も,当事者の悩みや問題と,それらに対する対応に
ついて理解しておくことが望まれる.
医療,法律では解消しがたい悩み,問題
1)身体的,法的側面
ホルモン療法,手術療法により,性同一性障害当事者の身体を希望する性別に近づける
ことができるものの,生来の性別による二次性徴の一部は修正困難である.生物学的男性
から女性への移行(Male to Female:MTF)
では,ホルモン療法により乳房の発育はみら
れるが,二次性徴の結果であるのど仏や眉骨隆起,低音化した声,ひげや体毛は変化しな
い.一方,生物学的女性から男性への移行(Female to Male:FTM)
では,ホルモン療法
により声の低音化,ひげや体毛の発育は認められるが,平均的な男性に比べて低いことの
多い身長や,発育した乳房に変化は起こらない.MTF のひげや体毛は脱毛によって,ま
Social and Self-help Support for Persons with Gender Identity Disorder
Akiho SEKI
Department of Health Care Medicine, Kawasaki Medical School, Okayama
Key words : Gender identity disorder・Self-help group・Self-help support
今回の論文に関連して,開示すべき利益相反状態はありません.
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た,FTM の乳房は乳房切除術によって修正できるが,骨格や体型,身長,あるいは MTF
における声の修正は困難であり,希望する性別として周囲から認知されるのが難しいケー
スも存在する.
また,性別適合手術を受けても生殖機能までは得られないため,パートナーとの間に自
分の子どもを得ることはできない.非配偶者間人工授精によって児を得たとしても,現状
では,嫡出子として戸籍上に記載することもできない.このように,生来の女性や男性に
完全に移行できるわけではなく,決して埋めることのできないギャップに直面し,悩んで
いる性同一性障害当事者も少なくない.
2)日常生活,周囲との関わり
身体的にも書類上でも希望する性別に移行できたとしても,移行するまでの過去を変え
ることはできない.希望する性別であれば当然経験しているはずの,子どものころからの
さまざまな体験を持っていなかったり,経験に乏しかったりするために,
「日常生活の中で
の何気ない会話の中で,どう取り繕うかに困った」といった話を聞くことは稀ではない.
また,服のセンスやメイク,普段のちょっとした動作やしぐさ,話し方など,さまざまな
ところでの経験不足やぎこちなさも,当事者の悩みとなることが多い.さらに,女子校や
男子校に通っていたために,進学や就職の際に履歴書をどうするかといった問題も生じて
くる.
また,性別の移行中はもちろんのこと,身体的にも書類上でも性別を移行したあとでも,
家族や職場,学校,地域社会での受け入れが問題となることは少なくない.性同一性障害
については,世間一般でも比較的よく認知,理解されているところではあるが,一般論と
してではなく,実際に当事者に直面した際の対応も良好であるとは必ずしもいえない.
家族の場合は世間体を気にして,また,職場や学校ではトイレや更衣室の使用といった
現実問題に直面して,拒絶反応を示す人も稀ではない.職場や学校の中には,戸籍上の性
別の移行前であっても希望する性別で受け入れる施設もある反面,他の職員や学生などか
ら苦情が出るかもしれないなどの理由で,受け入れがたいとする施設もある.特に,性別
の移行途中では外見などが必ずしも整わず,本人にとっても施設側にとっても悩みは深い
ところであり,また,そのために職を得ることが難しいという話もしばしば聞かれる.
当事者への支援
前段で概観したように,身体的にも書類上も希望する性別に近づくことができるように
なってはいるが,それだけでは解消しえない悩みや問題を性同一性障害当事者は抱えてい
る.精神障害やアルコール依存などの当事者についても,同様に,医療などだけでは解決
しがたい問題を抱えているが,医療施設や保健所などによる支援プログラムや,当事者自
身による自助支援活動が行われていることはよく知られている.性同一性障害についても,
専門職と当事者自身による支援活動が展開されているので,以下にその活動状況について
述べる.
1)専門職,専門施設による支援活動
岡山大学病院ジェンダークリニックでは,性同一性障害当事者に対する生活支援プログ
ラムとして,メイクアップやファッションに関して,化粧品メーカーや下着メーカーの講
師による講習会が開催されている1).また,NPO 法人などによる相談やカウンセリングな
どの支援活動も行われている2)が,検索した範囲では現在のところ全国で数団体が行って
いるのみである.
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2)当事者自身による自助支援活動
性同一性障害に係る当事者団体は,インターネット上で検索した範囲では2012年4月
現在で約40団体が活動を行っている3)4).その中には,性同一性障害のみを対象とした団
体のほか,性同一性障害や同性愛なども含めたセクシュアルマイノリティ全般を対象とし
て活動している団体も少なくない.これらの団体のほとんどは定期的に例会を開催し,そ
こに参加した当事者同士の出会いと交流を図ることを中心とする,セルフヘルプグループ
としての活動を行っている.
一般に,精神障害やアルコール依存,あるいは難病,自死遺族などのいわゆるマイノリ
ティとされる当事者にとって,同じ境遇,同じ体験を持つ当事者同士が日常生活の中で出
会う機会はほとんどない.このため,多くのマイノリティ当事者は自分が直面しているさ
まざまな困難や問題に対して,一人で思い悩まざるを得ない状況にある.これに対して,
セルフヘルプグループの例会に参加することで,同じ当事者と出会い,つながりを持つこ
とのできる意味は非常に大きいとされる5)6).
性同一性障害などセクシュアルマイノリティの当事者にとっても,その状況は同様であ
る.セルフヘルプグループへ参加した性同一性障害当事者の感想として,
「一人ではないこ
と,仲間がいることがわかって安心した」との言葉がしばしば聞かれる7).
また,医療職だけでなく,家族や親しい友人などにも話しづらかったり,十分には理解
されないのではと話さないでいたりする悩みや想いも,同じ体験を経てきた当事者同士の
間であれば,忌憚なく話をすることができ,普段は心の奥に隠していた思いも分かち合う
ことができる.そして,例会を通して蓄積されている他の当事者の経験が,参加者が一人
で思い悩んでいた問題の解決に役立つことも少なくない5).
さらに,セルフヘルプグループの例会へ参加することにより,自尊感情が高められる効
果も期待される.性同一性障害の当事者は子どものころから性別違和感を自覚しているこ
とが多い.しかし,その気持ちが一般に常識とされているものと食い違っていることを認
識して表に出さないようにしていたり,あるいは逆に,それを表に出すことによっていじ
めの対象となったりといった経験から,自己肯定感に乏しく自尊感情が低いことが多い.
それが,セルフヘルプグループの例会で同じ当事者と出会うことを通して,ありのままの
自分を認めることができるようになっていく.また,日常生活の中では見出しがたいロー
ルモデルとしうる当事者と出会うことも可能となる.
なお,セルフヘルプグループの活動を通して,当事者が抱えている問題自体が解決され
るわけでは必ずしもない.しかし,セルフヘルプグループの活動に参加し,同じ体験を持
つ当事者と出会い,その体験とそれに伴う気持ちをお互いに分かち合うことを通して,さ
まざまな困難を乗り越えていくための勇気と希望,自信を得ることができる.そして,こ
のようなセルフヘルプグループの機能は,同じ体験を有する当事者同士の交流を通して発
揮されるものであり,専門職などからの支援活動によっては得ることはできないという特
徴がある8).
まとめ
性同一性障害当事者の抱える問題の解消に向けて,医療の果たす役割は極めて大きい.
しかし,医療だけでは解決しえない悩みや問題を性同一性障害当事者が抱えていること,
そして,それに対してどのように対応しうるかについて十分に理解しておくことが,性同
一性障害に対する診療を行う医療者に望まれる.特に,性同一性障害当事者自身による自
助支援活動の意義は大きく,医療者側は当事者団体との連携も図りつつ,性同一性障害当
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事者の悩みの軽減と生活の質の向上に向けて対処していくことが,今後必要であると考え
られる.
なお,当事者団体の中には一般市民へ向けての啓発活動などを中心に活動していて,当
事者に向けた自助支援活動は行っていない団体もある.また,専門家による活動ではない
ために,すべての団体で的確に自助支援活動が行われているとは言い得ない可能性もある.
このため,連携を図る際には,事前にその当事者団体の活動状況を把握することが必要と
考えられる.
なお,当事者団体についての情報は,
「岡山大学病院ジェンダークリニック受診者と家族
4)
の会」が2012年3月に発行した「GID"
トランス全国交流誌2012」
に詳しい(http:"
"
oug
ccircle.web.fc2.com"
JSGID2012"
sub5̲2.htm)
.
今後,当事者団体による自助支援活動や専門職などによる支援活動と医療とが連携する
ことにより,性同一性障害当事者が抱える悩みや問題が少しでも軽減されていくことを期
待したい.
《参考文献》
1.岡山大学病院ジェンダークリニック 生活支援プログラム.http:"
"
www.okayamau.ac.jp"
user"
g-clinic"
seikatsushien.html
2.NPO 法人 SHIP.http:"
"
www.ship-web.com"
Top.html
3.関 明穂, 中塚幹也. 性同一性障害当事者による患者会および自助グループの活動.
産婦実際 2012;61:903―907
4.岡山大学病院ジェンダークリニック受診者と家族の会(編)
.GID"
トランス全国交流
誌2012.
(http:"
"
ougccircle.web.fc2.com"
JSGID2012"
sub5̲2.htm)
5.岡 知史.セルフヘルプグループ.東京:星和書店,1999
6.岩田泰夫.セルフヘルプグループへの招待.東京:川島書店,2008
7.野原ナオコ,みずほ,とうま,他.岡山大学病院ジェンダークリニック受診者と家
族の会 設立と現状.GID 学会雑誌 2011;4:53―54
8.高松 里.セルフヘルプ・グループとサポート・グループ実施ガイド.新装版.東
京:金剛出版,2009
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