比較福祉国家論からみた韓国の現状と課題――「後発性の利益と不利益」の観点から 東京経済大学経済学部・金成垣 1990 年代末あるいは 2000 年代初頭以降,日本の社会科学のさまざまな分野,なかでも 比較福祉国家研究の分野では韓国への関心が高まり,多様な研究が活発に行われるように なった。その背景にはいくつかの要因があったと思われる。 1 つ目の要因として何より,「IMF 危機」と呼ばれた 1990 年代末のアジア金融危機に韓 国が福祉国家化に乗り出したことがあげられる。すなわち,IMF 危機のさいに韓国ではこ れまで経験したことのない大量失業・貧困問題が発生し,それを解決するために政府の積 極的な政策対応が行われた。 「福祉国家の超高速拡大」や「福祉国家の成立」また「福祉国 家化」などといわれた状況であったが,そのような状況が多くの研究者の関心を引き起こ したにちがいない。韓国が福祉国家化したことによって,厳密な意味での日韓比較が可能 になったことが,その関心増大の具体的な要因となったといえる。 2 つ目の要因として,韓国の以上のような状況との対比で,日本の福祉国家の現状を問う 実践的な問題関心があったと思われる。すなわち,韓国が福祉国家化に乗り出した 1990 年 末 2000 年代初頭という時期は,日本では「失われた 10 年」が示しているように,バブル 経済が崩壊し,低成長・高失業時代に入りつつ,福祉国家を抑制するような政策基調が広 がっていた。しかし,この日本の状況とは対照的に,韓国では経済危機の真っただ中で積 極的な福祉国家化がすすめられ,それが注目を浴びた。同時にその背後にある問題として, 労働市場の柔軟化や雇用の不安定化,また少子高齢化や家族構造の変化等々,日本と似た ような社会問題が韓国にもみられ,それに対する韓国の政策的対応が興味深い研究テーマ となったといえる。共通の問題を抱えながらも,日本とは異なる政策方向性をもって,あ るいは日本より速やかにさまざまな改革を進めている韓国が,日本の福祉国家の現状と今 後の方向性を考えるさいの新しい参照群となったのである。 3 つ目の要因として,以上のような実践的な問題関心とコインの両面にあるものだが,西 欧中心の研究傾向に対する反省という学問的な問題関心もあった。それまでの福祉国家の 国際比較研究において西欧諸国がその主な対象国であったことはいうまでもない。それら 欧米諸国を中心とした比較研究のなかで,日本は「西欧にはないもの」をもった「例外国」 とされる傾向が強かった。しかし,1990 年代末以降に韓国(さらには他の東アジア諸国・ 地域)が福祉国家化したことにより, 「例外国」ではなく「例外国家群」が発見され,西欧 諸国と「例外国家群」との比較分析,またその「例外国家群」の間での比較分析を行うこ とができるようになったのである。実際,日本での「福祉レジーム論争」や韓国での「福 祉国家性格論争」にみられるように,韓国が国際比較研究の対象国に入ることによって, 従来の福祉国家類型論,とくに G. Esping-Andersen の福祉レジーム論の限界をめぐる 議論が活発化し,その限界を乗り越えるための新しい類型論の研究が活発に展開されるよ うになった。 以上のようなさまざまな問題関心とその相互作用によって 1990 年代末以降,韓国研究が 活性化するなか,とくに比較福祉国家研究において,韓国を「後発型」あるいは「後発国」 と位置づける後発福祉国家論が登場したことは注目に値する。 後発福祉国家論は何より,従来の比較福祉国家研究ではほとんど注目されることのなか った時間軸の視点を比較分析のなかに取り入れたことに重要な特徴がある。先発国と後発 国という福祉国家の歴史的展開における時間差の問題に着目することにより,従来の比較 福祉国家研究のもつ方法論的限界を克服し,その従来の議論から説明しきれなかった後発 国としての韓国福祉国家の歴史や現状また問題と課題などを究明しようとする点で,後発 福祉国家論の貢献は大きいと評価できよう。 本報告においては,この後発福祉国家論のこれまでの研究成果をふまえつつ,とくに「後 発性の利益/不利益」 (the advantages of backwardness/the disadvantages of backwardness)という視点から韓国福祉国家の現状と課題を考えてみる。 たとえば,後発国として韓国が経験して「後発性の利益」といえば,福祉国家化を進め ていく上で,先発国としての西欧諸国や日本の制度や政策の経験を学習することができ, その経験のうち最も効率の高いものを選択することができたことである。実際,1990 年代 末以降の福祉国家化のなかで,財政不安に苦しんでいる西欧諸国や日本の経験に学びなが ら,いわゆる福祉国家の「拡大」の技術ではなく「抑制」の技術を利用し,持続可能性を 高めるかたちで制度・政策の整備を行い,財政の安定化を実現することができた。これは 確かに「後発性の利益」といわざるを得ないが,しかしながらその一方で,その福祉国家 の「拡大」をスキップした福祉国家化の展開によって, 「低福祉・低負担」体系が整備され, その結果として国民生活が非常に不安定化してしまっているという「後発性の不利益」が 発生していることも指摘しなければならない。いうならば,政策レベルで「後発性の利益」 を享受することで,実践レベルで「後発性の不利益」がもたらされている状況ともいえる。 本報告では,後発国としての韓国福祉国家が経験している「後発性の利益/不利益」の 状況を各種データから明らかにしたうえで,その政策的インプリケーションと今後の展望 について考えてみる。
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