日本周辺水域における淡水カジカ類の分類学的再検討

博士(水産科学)藤井亮吏
学位論文題名
日本周辺水域における淡水カジカ類の分類学的再検討
学位論文内容の要旨
淡水カジカ類はカサゴ目カジカ上科のうち、北半球の河川・湖沼などの淡水
域に生息する魚類の総称で、カジカ科のカジカ属、ヤマノカミ属、ハリダシカ
ジカ属などと、バイカル湖固有のComephoridae科およびAbyssocottidae科
に属するカジカ類からなり、世界で12属約70種が知られる。日本には約8種
の淡水カジカ類が生息し、古くから川魚料理の食材として用いられ、近年では
水産養殖の対象魚種にもなっている。その一方で、それら本来の生息域である
河川清流域の荒廃に伴って稀少化しつっある。
淡水カジカ類に関する分類学的研究は、Linnaeus(1758)以来、Jordanand
Starks(1904)、Berg(1949)、Watanabe(1960)、中村(1963)、Sideleva(1982)
など多くの研究者により行われてきたが、これらの魚類が著しい多様性を示す
ことから、それらの分類の全容は未だ十分には解明されていない。特に、日本
産カジカ属魚類の学名に関しては、本来、行わなければならなかったタイプ標
本に基づく検討が行われていないため、著しく混乱した状態が続いている。近
年、日本においては淡水カジカ類を対象とした生態学、集団遺伝学に関する研
究が精力的に行われた結果、主にカジカ属魚類の種あるいは個体群集団に関し
て多くの注目すべき知見が蓄積されてきた(水野・丹羽,1961;Kurawaka,
1976;Goto,1980;岡崎・小林,1992;岡崎ほか,1994など)。しかし、これ
らの知見をふまえた形態学的な研究、および総合的な分類学的研究はほとんど
行われてこなかったのが現状である。
【目的】
本研究は、日本周辺水域に生息する淡水カジカ類を対象として、そ
れらの生態学、分子系統学などの最新の知見をふまえて、形態学的な再検討を
行い、各夕クソンの分類学的形質を明らかにするとともに、国際動物命名規約
に則って学名の検討を行い、日本周辺の淡水カジカ類の分類を確立することを
目的として行われた。
【方 法】
本研 究では、日本列島、千島列島南部、サハリン、およびアムール
川水 系か ら台湾 に至るアジア北東域に分布するカジカ属、ヤマノカミ属および
ハリ ダシ カジカ 属の魚類を日本周辺の淡水カジカ類と定義し、本研究の過程で
採集 され た標本 およ び国 内外 の研 究機 関に 所蔵 され てい る標 本の 合計約 1100
個体 を扱 った。 形態 学的 解析 は本 研究 で設 定し た22の計 数形 質、 55の計 測形
質の 合計 77形質 に関 して 行っ た。 また 、海 外の 研究 機関 に保 管さ れてい る15
名義 夕ク ソンの タイプ標本に関しては自ら調査を行い、夕イプ標本の観察がで
きな かっ た8名 義夕 クソ ンに つい ては 原記載 の情報を用いた。学名は、国際動
物命 名規 約第4版(ICZN, 1999)の 各条 項に則 して検討した。標準和名は今後の
混乱 を少 なくす る方 向で 検討 した 。
【結果】
本 研 究 の結 果 、 日 本周 辺水 域にお ける 淡水 カジ カ類 とし て3属 13
種2亜種 を認め 、各 夕ク ソン を形 態学 的特 徴に基づいて記載・定義し、形態形
質に基づく新たな分類検索表を提示した。
本 研究 で認 められた各夕クソンの学名と標準和名、および今まで汎用されて
いた各種の学名との関係を別表に示す。
本 研究 で 明 ら か に さ れ た主 な 新 知見 につい て以 下に要 約す る。
(1
)キビレカジカ
朝 鮮半 島の 主に 黄海 流入 河川 の上 流部に 生息 する キビ レカ ジカ には 、従来
く'ott
us p
oeci
lopus
あるいはその誤った綴りであるC
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.ooe
cilo
pt
eru
sという学
名が 用い られ てきた。しかし、本種は側線が完全であること、腹鰭の最も内側
の軟 条が 長い ことなどによりC. poecilopusとは明瞭に識別される。また、本
種は 既知 のカ ジカ属魚類のいずれとも一致せず、本種に相当する名義夕クソン
が存 在し ない ことが明らかになった。これらのことから、キビレカジカをカジ
カ属の未記載種と判断した。
( 2)エ ゾハ ナカ ジカ およ びハ ナカ ジカ
エゾ ハナカジカとハナカジカに関しては生態学的あるいは集団遺伝学的な多
く の情 報が蓄積されきたが、それの分類形質あるいは命名法上の問題について
は 十分 には検 討さ れて こな かっ た。 これら2種を形態学的に検討した結果、両
種 は尾 柄高の尾柄長比などによって識別されることが明らかとなった。また、
夕イプ標本および原記載の調査の結果、 工ゾ ハナ カジカに相当する名義夕クソ
ンはC
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879
、 C. amblystomopsis Schmidt, 1904
およ びC. eme胎n〇 wLindberg, 1927で あり 、ハ ナカ ジカ に相 当する名義夕
ク ソンはC. p
o口L以Gdnt
her,1873
およびC
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Snyd
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911であっ
た。学名の先取権の原理(ICZN
,1999
,A
rt
.2
3)により、エゾハナカジカの学名
と し て C. refnffを 、 ハ ナ カ ジ カ の 学 名 と し て C. p〇 口 uxを 採 用 し た 。
(3)
カジカ種群
カジ カ種群に は、従来カ ジカと呼 ぱれてい た魚類に ついての 生態学的・遺伝
学的 な研究か ら明らかと なった3型 (大卵型=河川型、中卵型二二日本海側・瀬
戸内 海側・九 州の河川の 両側回遊 型、小卵 型=太平 洋側河川 の両側回遊型)と
ウ ツ セミ カ ジカ と 呼ばれて いた琵琶 湖の湖沼型 の4型が含 まれる。 これらの う
ち 前 3型の 間 に は遺 伝学的に 種レベル に相当する 分化が認 められ、 ウツセミ カ
ジカ は小卵型 と遺伝的に は同一の ものであ るとされ ている。 しかし、これらの
魚類 について の形態学的 な研究は ほとんど なく、分 類学的取 り扱いも未だ結論
が 出 され て いな い 。これら のカジカ 種群を形態 学的に検 討した結 果、4型は 胸
鰭軟 条数、尾 柄高の頭長 比、総脊 椎骨数な どによっ て識別で きることが明らか
にな った。こ の形態学的 な解析結 果に従来 の生態学 的・遺伝 学的な知見を加味
し て 4型の 分 類 階級 を検討し た結果、 大卵型、中 卵型、お よび小卵 型・湖沼 型
はそ れぞれ別 の種の階級 に相当す るタクソ ンであり 、小卵型 と湖沼型は同一種
の 別 亜種 に 相当 す る タク ソ ンで あ る と判 断 され 、カジカ 種群には 3種2亜種が
含ま れるとの 結論を得た 。一方、 夕イプ標 本および 原記載の 調査の結果、それ
ぞれ に相当す る名義夕ク ソンは、 可能性が あるもの も含め、 大卵型にはCott
us
iaponicus Okada,1960、 C.japonicus Watanabe,1960およ びC.oカjnje
nSjS
Wat
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e,19
60、中卵型にはく;.メa.p〇n
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960
、小卵型にはC
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m鱈 e門 d〇 r. mD6derleinmSteindachner&D6derleinおよび C.丿a.p〇 門jcuS
Okada. 1960で あり 、 湖 沼型 に は相 当 す るも の はなかった 。これら のうちC.
´‘卸〇・n
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s(1
76
9)がイヌゴチに与えた学名C〇ff
us
メapo
nたu
sの一次
同名であり無効である(ICZN
,1999
,Art
.57.2)。したがって、大卵型にはC
.
〇カ mjensjSの学名が 有効であり 、中卵型には相当する有効な学名はなく、また
小卵 型は湖沼型と同一種の名義夕イプ亜種としてC.mをen〔ゴ〇r.mmをe
nG細伽
の学 名が有効 である。中 卵型およ び湖沼型 は既知の カジカ属 魚類のいずれとも
一致 しないこ とから、中 卵型はカ ジカ属魚 類の未記 載種とし て、また湖沼型は
C.h皿 gencfの樹の未 記載亜種と して結論された。また、標準和名については、
大 卵 型 に カ ジ カ、 湖 沼型 に ウツ セ ミカ ジ カを 用 いる こ とを 提 唱 した 。
表.本研究により提唱された学名と和名,および今まで汎用されていた学名
本研究の結果 汎用されてしゝた学名
学
名
標
準
Genus Cottus Linnaeus, 1758
C. poecilopus Heckei, 1840
和
名
カ ジ カ 属
C. reinii Hilgendorf, 1879
C. poecilopus poecilopus
C. poecilopus volki
コウライカジカ 同左
アユカケ 同左
キビレカジカ
C. poecilopus
カンキョウカジカ 同左
工ゾハナカジカ C. amblystomopsis
C. pollux Gunther, 1873
ハナカジカ
e nozawae
C. ohmiensis Watanabe, 1960
カジカ
C. poll
ux
Cot
tus s
p. 2
カジカ中卵型(仮称)
C. poll
ux
C. h
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n カ ジ カ 小 卵型 皈称 )
Steindachner & Doderlein, 1884
C. poll
ux
C. volki Taranetz, 1933
Cc
zersk
ii Be
rg, 1
913
C. kazik
a Jor
dan & Star
ks, 19
04
Cot
tus s
p. 1
C. hangiongensis Mori, 1930
c. hilgendorfii subsp.
Genus Trachidermus Heckel, 1840
T. fasciatus Heckel, 1840
Genus Mesocottus Gratzianow, 19
07
M. haitej (Dybowski, 1869)
カ ツ セ ミ カ ジ カ
C, reinii
ヤ マ ノ カ ミ 属
ヤマノ カミ
同左
ハリダ シカジ カ属
ハルダシカジカ 同左
― 1321―
学位論文審査の要旨
主 査 教 授 仲 谷 一宏
副 査 教 授 山 本 弘敏
副査 助教授 後藤 晃
副査 助教授 矢部 衞
学 位 論 文 題 名
日 本周辺 水域における淡水カジカ類の分類学的再検討
淡 水カジ カ類はカ サゴ目 カジカ上 科のうち 、北半 球の淡水 域に生 息する魚類の総称で、
カ ジ カ 科の カ ジ カ属 、 ヤ マ ノカ ミ 属 、ハ リ ダ シカ ジ カ 属、 バイ カル湖 固有の2科に属 す
る カ ジ カ類 か ら なり 、 世 界 で12属 約70種 、日 本 で は約 8種 が知ら れてい る。淡水 カジカ
類 に 関す る分類 学的研究 は、Jo
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(1
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4)
、Ber
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Side
leva
(1982
)な ど があ る が 、淡 水カジカ が著し い多様性 を示す こと、夕 イプ標 本に基
づ く 検 討が 行 わ れて い な い 等の 原因 で著しく 混乱し ている。 更に、 近年のカ ジカ属魚 類
の 生 態 学 や 集 団 遺 伝 学 的 知 見 も 形 態 学 や 分 類 学 的 研 究 に 還 元 さ れ て い ない 。
本 研究 は 、 日本 列 島 、 千島 列 島南部 、サハル ン、お よびアム ール川 水系から 台湾に 至
る ア ジ ア北 東 域 のカ ジ カ 属 、ヤ マノ カミ属、 および ハリダシ カジカ 属魚類を 日本周辺 の
淡 水 カ ジカ 類 と 定義 し 、 分 子系 統学 などの最 新の知 見をふま えて、 これら淡 水カジカ 類
の 分 類 学的 形 質 を再 検 討 す るこ と、 そして、 夕イプ 標本の調 査に基 づき分類 を確立す る
こ と を 目的 と し て行 わ れ た 。本 研究 では約11
00個体の標 本の22
計 数形質、 5
5計測形 質を
解析し、夕イプ標本調査は1
5名義夕クソンについて実施した。
本研究の主要な結果は以下に述べるとおりである。
1. 日 本 周 辺 水 域 に お け る 淡 水 カジ カ 類 とし て 3属13種 2
亜 種 を 認め 、 各 夕 クソ ン を
記載・定義し、新たな分類検索表を提示した。
2
.朝鮮半島のキピレカジカには(ヽ/〇f
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(瓰d
疋ゆu
s
という学名が用いられてきたが、
本 種 は 側線 が 完 全で あ る こ と、 腹鰭 の最も内 側の軟 条が長い ことな どでc.以冶獄 )pU
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と は 別 種で あ る こと が 判 明 した 。本 種は既知 のカジ カ属魚類 とは一 致せず、 本種に相 当
一13
2
2
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する 名義夕クソンが 存在しないた め、カジカ属 の未記載種と 判断した。
3. エゾ ハ ナ カ ジカ お よ びハ ナ カ ジカ の 形 態を 検 討 した 結 果 、両 種 は 尾 柄高 の 尾 柄長比
など で識別 されるこ とが明 らかとな った。 エゾハナ カジカの 名義夕クソンはCo
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など、ハナカジカはc
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Gimther, 1873お よ び C. nC
励 wae
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911で、 先 取 権の 原 理 によ り 、 エゾ ハ ナ カ
ジ カ の 学 名 と し て c, re: む 箇を 、 ハ ナカ ジ カ の学 名 と し てc. p〇ロ L以 を採 用 し た。
4. カジ カ 種 群 には 、 生 態・ 遺 伝 学的 な 研 究か ら 大 卵型 、 中 卵型 、 小 卵 型と ウ ツ セミカ
ジ カ と い わ れ る 琵 琶 湖 の湖 沼 型 の4型 が 知ら れ 、 前3型 間 に は遺 伝 学 的に 種 レ ベル の 分
化 が 認め ら れ 、 ウツ セ ミ カジ カ は 小卵 型 と 遺伝 的 に は同 一とさ れている 。これ らは分類
学 的 に未 解 決 で あっ た が 、胸 鰭 軟 条数 、 総 脊椎 骨 数 など で識別 する事が できた 。分類階
級 は 大卵 型 、 中 卵型 、 お よび 小 卵 型・ 湖 沼 型は そ れ ぞれ 別の種 階級に、 小卵型 と湖沼型
は 同 一 種 の 別 亜 種 に 相 当 す る と 判 断 し た 。 大 卵 型 の 名 義 夕 ク ソン は Cb
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○ 舷 にiaや c.〇 わ mぬns趣 W
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abeなど が 、 中卵 型 は c
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が 、小卵
型 に は c. 1轡 ndC嚠 D6derlemお よ び CI趣 ) 〇 nを usokadaが あ り 、 湖 沼 型 に 相 当 す
るも のはな かった。 しかし 、c
. 血p
匸 )nをu
sはイヌ ゴチの 一次同名で無効であり、この結
果 大 卵型 に は c.〇 ん m絶懲 趣 が 有効 、 中 卵型 に は 有効 な 学 名が な く 、 また 小 卵 型は c
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().嚠の学名が有効である。中卵型および湖沼型は既知のカジカ属魚
類と 一致し ないこと から、 中卵型は 未記載 種、また 湖沼型は c
. わ盈貿n
d匸捫箇の未記載亜
種とした。
5
. 標 準 和 名は 今 後 の混 乱 を少な くする 方向で検 討し、新 たに用 いるべき 標準和 名を提
唱した。
以上 に よ り、 申 請 者の 研 究 成果 は 魚 類系 統分類 学および 水産学 の分野に 大いに 貢献し
た も のと 高 く 評価 さ れ 、審 査 員 一同 は 本 研究の 申請者が 博士( 水産科学 )の学位 を授与
さ れ る十 分 な 資格 を 有 する と 判 定し た 。
- 1323―