アメリカへの準備 藤田保健衛生大学 林 直樹 ミネソタ大学への留学の話は,2009 年の日本放射線技術学会総会の放射線治療分科会の会場において 保科正夫放射線治療分科会長が小生に声をかけてくださったことに始まる. いつものように学会会場において先生方の話を聞いていると,照明が落ちた会場の中で突然肩を叩か れた.振り返るとそこに保科先生がいらっしゃって,開口一番「林君,アメリカを見てみないか?」と の一言であった.急な話の展開にその時メモを取っていたペンを落としそうになったのだが,会場を出 て保科先生に詳しい話を伺うと,学会から米国ミネソタ大学への会員の派遣を検討しており,応募をし てみないかとのことであった.もちろん,候補は小生のみではなく,できれば若手の会員の中から選び たいとのことであった. 当時,小生は自己の研究の関係で米国の文献を読む機会が多く,米国の実態はどのようなものか大変 興味があった.アメリカへは学会関連で数回の渡航経験があるものの,大学研究期間に滞在したことは 無く,米国滞在の希望があったため,迷うことなく応募する旨を伝えた.その後,暫くこの件に関して 進展が無かったが,2009 年の秋季学術大会(岡山)において具体的な話をし,2010 年の渡航を見据えて応 募することとなった.この段階からミネソタ大学とのやり取りが始まった. 正式なやり取りとしては,この段階からアクションを起こすことはフライングなのであるが,短期で あろうと留学の場合は各種書類のやり取りが多いことと,小生にとって初の留学であるため早めに手続 き を 開 始した の で ある. ミ ネ ソタ大 学 に は長年 米 国 で医学 物 理 士とし て 活 躍され て い る Yoichi Watanabe 先生がいらっしゃるので,Watanabe 先生を通して連絡を取ることにした.Watanabe 先生は 小生に丁寧に準備するべきものは何かを教えてくださった.長年米国にいらっしゃるからか,メールの やり取りは英語で行われたが,小生に課された試練と思い(ただ単に英語能力を問われていたのかもしれ ないが),情報を収集することに努めた.後にこの経験が大きな役割を担うことになる. 2010 年 1 月下旬になって,応募していた留学申請が通ったとの旨を技術学会より頂いた.数ある候補 の中から小生が選ばれたことは本当に運がよく,他に希望されていた候補の方には申し訳ない思いが頭 をよぎったが,職場の上司の言葉もあって,その方々やサポートしてくださる方のためにもしっかりと やり遂げなくてはという思いに変ったことを覚えている.そして,この段階から書類申請が慌しくなっ た. まずは,ミネソタ大学との書面上のやり取りをはじめるための事前書類の送付が必要であった.小生 は予め書式を作ってあったため,職場上司からの推薦状や CV(英語での経歴証明書),身分証明書の写し などは早々に準備でき,学会に提出した.その後,学会から技術学会長と分科会長の推薦状の依頼・発 行を行っていただき,これら一式をミネソタ大学に送付することが出来た. Fig. 1. DS-2019 を発行してもらうためのフォーマット ミネソタ大学への書類の送付後直ぐに,大学の事務の方から小生にメールが届いた.メールには申請 書類を確認したとの旨と DS-2019 や Sevis 関連の作成のための情報を記入することと記載され,3 つの Word と Excel 形式のファイルが添付されていた.DS-2019 は正式に留学を受け入れるというための書 類であり,後にビザを発行するために重要なものである.DS-2019 のフォーマットは本当に細かい個人 情報の記載が必要で,言い回しや記述方式は日本のものとは異なり,独特な形式であった(Fig. 1).小生 はこの大学事務の方と何度かのメールのやり取りをしながら進めていった.ここで,事前の Watanabe 先生との英文メールでのやり取りの経験が大きな手助けとなった.そして約 1 ヶ月半にも及ぶ大学事務 および Watanabe 先生とのメールでのやり取りの中で Table.1 に示すような留学計画が決定した.本稿 では和文で記載したが,ミネソタ大学とのやり取りではこの表は英文で書かれている.そしてこの内容 に沿って DS-2019 の作成がなされることになった. その後暫く待機の時期が続き,2 ヶ月ほどが経過した 2010 年 5 月にミネソタ大学から 1 通のメールが 届いた.内容としては留学受け入れを許可するが,研究実施のために研究費を送付して欲しいとのこと であった.小生は技術学会にこの旨を伝えたが,学会からその料金を送付することは想定していなかっ たとのことで,競技の末,学会から補助される留学研修奨励金の中から自身の裁量で配分し運用するこ ととなった.この時点で,研究費を自身の口座から Wire transfer でミネソタ大学へ送金する手順を踏 むこととなったのだが,小生は Wire transfer を経験したことが無かったので,その手順に手間取った ことを覚えている.詳しいことは本稿では触れないが,これらの流れを円滑なものにしていかないと多 くの会員が学会の海外留学制度を利用できないのではないかと感じた.今後の課題であろう.しかし, 個人で留学申請をする際にはこれらを全て自己責任で行わないといけないため,大変な作業であると推 察される.帰国してから改めて認識したが,米国は良くも悪くも学歴社会である.留学受け入れの際に も個人の学歴や著名人の推薦というものが大きな意味を持つことが分かった.個人で留学を計画されて いる方は,これらの点に留意されたい. Table.1 米国短期留学計画の概要 ミネソタ大学への留学計画 留学受入機関 ミネソタ大学放射線治療部 (Department of Therapeutic Radiology, University of Minnesota) 留学目的 ミネソタ大学における放射線治療の実態把握と研究の遂行 受入身分 外部研究員(Visiting Fellow) 派遣予定期間 2010 年 7 月 23 日-8 月 28 日 目的の詳細 1. ミネソタ大学放射線治療部門の医学物理室に所属し,業務内容や放 射線治療の流れ,各職種の役割を把握すること. 2. 強度変調回転照射の検証のためのポリマージェルを用いた三次元評 価法の有用性に関する研究. (ラジオクロミックフィルムとの比較を追加) さて,研究費を送金した約 1 ヵ月半後の 6 月下旬に DS-2019 が届いた.これによってビザの申請が可 能となったわけであるが,7 月中旬には渡航の予定であったため,ビザ申請から受領までが 2 週間から 1 ヶ月かかることを鑑みると,本当にぎりぎりの状態であった.小生は早速その週に有休を取得し, DS-2019 を持って米国領事館へ向かった.米国領事館では簡単な面接と身分確認がなされる.面接はも ちろん英語であるが,ここでは簡単な自己紹介や渡航内容について紹介が出来れば乗り切ることが出来 るといわれている.実際小生も簡単な挨拶と自己紹介,ミネソタ大学の場所,研究内容と研究経験につ いて 2 分程度の面接で済んだ.このように記述したが,緊張していてあっという間に終わったので恥ず かしながら正直あまり覚えていない.ちなみに小生は大阪の米国領事館で面接を行った. そして領事館での手続きが終了してから 2 週間,渡航予定のまさに 1 週間前にようやくビザが届いた. ビザの種類は J-1 ビザであり,学業や研究のために使用されるビザである.ここで,渡航先で給料がも らえるような場合は J ビザではなく B ビザを取得することになる.ちなみに,3 ヶ月未満の滞在の場合 はビザの取得は本来必要無いのだが,小生の場合は病院で研究を進めるため,手続き上で J ビザを取得 しておくほうが望ましいということなったため取得した.J ビザの中で J-1 は当事者,J-2 は配偶者など が対象である.小生は単身で渡米したため,J-1 のみで大丈夫であった.もしも J-2 の申請をしていたら 間に合わなかったかもしれない. このような経緯を経て 7 月 17 日,いよいよ渡米の運びとなった. <渡航する前に準備したことのまとめ> 1. ミネソタ大学に事前に送付した各種書類 ・派遣員推薦状(日本放射線技術学会会長,放射線治療分科会会長,職場の上司) ・CV(英語記載による履歴書,論文等業績一覧) ・身分証明書類(パスポートの写し,学位記,免許証) ・貯蓄証明書(銀行に発行を依頼する.滞在中の生活は問題ないかの確認のため) 2. ミネソタ大学とやり取りをして作成する書類 ・DS-2019(ミネソタ大学での受け入れを証明する書類) ・J-1 ビザの取得(完成後の DS-2019 を持って米国領事館で申請) ・SEVIS 関連書類(学術交流生の保険のようなもの) ・留学費用送付証明書(事前に研究費を Wire transfer で送金する必要があった) ・その他,研究に関わる書類(研究計画書・承諾書・倫理委員会関連(必要時)など) 3. 研究及び留学に関連する情報の収集 ・ミネソタ大学から送付された論文を精読 (Phys Med Biol や Med Phys などを中心に 100 ページくらい)
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