物質の構造

物質の
物質の構造
これから色々な物質系を紹介し、それらの構造がどの様になっているかを考察する。物性を研究す
る上で、物質を構成する原子・分子の幾何学的構造を知ることはその基本あるいは出発点である。 回
折実験 が原子・分子レベルで物質の構造を研究する手段として持つ重要性は今日益々増大している。
回折実験は使う波の種類によって、X 線回折、電子(
電子(線)回折、中性子(
中性子(線)回折の三つに大別され、さ
らにそれぞれにおいて、対象とする物質系の状態により、結晶、非晶質、液体、気体などに分かれる。
一口に回折と言っても、その内容は実に多様である。ここではこれらについて詳しく解説しないので、
アトキンスの 20 章を参照せよ。
2・3 結晶の
結晶の構造
結晶を特徴づけるものは、構成原子が規則正しく配列しているという幾何学的構造である(構成要
素が分子の場合はその配向にも規則性がある)。現実の結晶には必ず表面が存在する。しかし、結晶の
十分内部には表面の影響は及ばないから、結晶についてその内部の状況を考察するときには、表面の
存在、効果は無視してよいであろう。また、実際の結晶中には不純物原子が混入していたり、原子の
空隙(本来あるべき位置に原子が存在しない)などがある(これを格子欠陥あるいは格子不整という)。
これもその存在割合が小さければ、結晶そのものの性質に大きな影響を与えないであろう。表面や格
子欠陥のない結晶は完全結晶 と呼ばれる。2・3・1 では完全結晶について考える。格子欠陥や表面の構
造についてはそれぞれ 2・3・3、2・3・4 で考察する。結晶状態ではない固体、すなわち非晶質固体(アモ
ルファス)については、2・5・2 で考察する。
2・3・1 結晶格子(アトキンス 20・1、20・2)
結晶の物性を考察するためには結晶構造を記述する方法を理解しなければならない。ここではこれ
を詳しく取り扱う時間がないので、必要最小限にとどめる。
a 結晶学の
結晶学の基礎
結晶を構成する粒子(原子、分子、イオン等)はある周期性を持って配列している。結
晶は三次元の物体であるので、この周期性は独立な 3 方向それぞれにある。この 3 方向の
周期をそれぞれの長さとする三つの独立なベクトルを a1、a2、a3 とすると、結晶の周期性
は
T = ma1 + na2 + pa3 (m、n、p は整数)
(1)
で表される並進ベクトル
並進ベクトル(格子ベクトル
格子ベクトル R ともいう)によって定められる。また、a1、a2、a3
は基本並進ベクトル
基本並進ベクトルまたは基本格子ベクトル
基本格子ベクトルという。結晶中の電子の分布、あるいは電子
が感じるポテンシャルエネルギーなどの物理量 f(r)は結晶内の位置ベクトル r の関数であ
るが、周期性により
f(r + T)= f(r)
(2)
が成り立つ。
整数 m、n、p の任意の組み合わせ(m, n, p)によって作られる並進ベクトル T を位置
- 83 -
ベクトルとする点の集合を格子、一つ一つの点を格子点という(アトキンス図 20・1 参照)。
従って、格子は空間における規則正しい周期的な点の配列である。また、格子点の位置に
必ずしも原子が存在する必要はない。三次元格子を空間格子、二次元格子を平面格子と呼
ぶ。
基本並進ベクトル a1、a2、a3 で張られる平行六面体は、結晶内に周期的に配列している
最小領域、最小単位である。この最小単位の平行六面体を単純胞あるいは単純格子と呼ぶ
(アトキンス図 20・2 参照)。格子点とはこの単純胞の代表点である。言い換えれば、1 個の
格子点に 1 個の単純胞が割り当てられる。ところで、結晶の持つ対称性を考慮すると、空
間格子中の最小単位の六面体としては、単純胞よりも別の(格子点を結んだ)六面体をとる
方がよいことがある(アトキンス図 20・3 参照)。この場合、その六面体の側面や内部にも格
子点を含むことになる。このような六面体を単位胞あるいは単位格子と呼んでいる。つま
り、単純胞は単位胞に含まれる。この単位胞を作る三つの独立なベクトルも基本並進ベク
トルあるいは基本格子ベクトルと呼ぶことにするが、a、b、c で表すことにする。実際の
結晶構造は、格子点の配列の他に単位胞中の原子の配置(これを構造単位と呼ぶ*1)が与
えられて定まるものである(アトキンス図 20・1 参照)。つまり、
空間格子+構造単位=結晶構造*2
基本並進ベクトル a、b、c の大きさをそれぞれ a、b、c 軸
c
の長さといい、これらの軸のなす角度をα、β、γで表す。
すなわち、b 軸と c 軸のなす角がαで、a 軸と c 軸のなす角
がβで、a 軸と b 軸のなす角がγである。また、a 軸と向き
β
α
a
合う面を A 面、b 軸と向き合う面を B 面、c 軸と向き合う面
b
γ
を C 面という。a、b、c、α、β、γを与えれば、単位格子
の形が決まる。これらを格子定数という。
一般に、結晶は少数のよく発達した面によって囲まれている。これらの面と軸との関係
は面指数または Miller(ミラー)指数と呼ばれる三つの整数で定義される(アトキンス 20・9 参
照)
。これは括弧の中に入れて(hkl)のように表し、(hkl)面と呼ぶ。結晶の内部に任意の原
点を取り、a、b、c に比例した軸をとる。一つの結晶面を延長して軸と交わる点を a1、b1、c1
とすると、a/a1、b/b1、c/c1 は必ず簡単な整数比をなすことが知られている。
a/a1 = h、 b/b1 = k、 c/c1 = l
(h、k、l は整数)
(3)
これを有理指数の
有理指数の法則という。この整数 hkl は上述の面指数に一致する。面がある軸と交
わらないとき、すなわちその軸に平行なとき、対応する指数は 0 となる。例えば、a 軸に
平行な面は(0kl)、b 軸に平行な面は(h0l)、c 軸に平行な面は(hk0)となる。また、A 面は b
軸、c 軸に平行なので(100)、B 面は a 軸、c 軸に平行なので(010)、C 面は a 軸、b 軸に平
行なので(001)となる*3。もしある面が結晶軸と原点に関し負の側で交わるとき、その指数
は負となり、指数の上に負号を付けて(h k l)のように表す(アトキンス図 20・9、20・10 を参照
*1 アトキンスでは構造の要素と呼んでいる。
*2 数学的には結晶構造は空間格子と構造単位のたたみ込
たたみ込みである。
*3
( 200)面というとき、この面上には格子点や原子のないことがあるから、その場合は( 200)面は
(100)面に平行で面間隔がその 1/2 である仮想的な面と考えた方がよい。
- 84 -
せよ)
。対称性により等価な面は指数に{ }をつけて表す。例えば、立方晶系の(100)、(010)、
(001)、(100)、(010)、(001)は等価であり、{100}と表記する。結晶中の方向を表す指数[uvw]
は、その方向を持つベクトルの結晶軸方向の成分と同じ比をなす最小の整数の組である。a
軸は[100]方向であり、- b 軸方向は[010]方向である。対称性により等価な方位は指数に
<>をつけて表す。例えば、立方晶系の[100]、[010]、[001]、[100]、[010]、[001]は等価
であり、<100>と表記する。
☆ 対称性
物体にある操作を施した結果が元の状態と見分けが付かなくなったとき、同位した
同位したといい、その操
作を対称操作 という。結晶格子はいろいろな対称操作によって自分自身に重ね合わすことができる。
典型的な対称操作は格子点を通る軸の周りの回転である。この軸の周りに 2 π、2 π/2、2 π/3、2 π/4、2
π/6 ラジアンずつ回転させて、2 π回転する間にそれぞれ 1 回、2 回、3 回、4 回、6 回同位したとき、
この軸をそれぞれ 1 回、2 回、3 回、4 回、6 回対称軸あるいは回転軸という。結晶にはこれ以外の対
称軸、例えば 5 回対称軸はない(2・3・2 参照)。一般に対称操作にはそれに対応する対称要素と呼ばれ
る点や線や面が存在する。回転に対応する対称要素が回転軸である。結晶点群とは、このような対称
操作の集合である。これに含まれる対称操作は、鏡映あるいは反射ともいう(対称要素は 鏡面あるい
は対称面ともいう)、反転 (対称要素は対称の
対称の中心、または 対称心ともいう)、回映 (対称要素は回映
軸)あるいは回反(対称要素は回反軸あるいは回反心ともいう)のどちらかである。全部で 8 種類の
対称操作がある。それは 1 回、2 回、3 回、4 回、6 回回転、鏡映、反転、4 回回映あるいは 4 回回反
である。点群について、詳しくはアトキンスの 12 章を参照せよ。
上記のように結晶が持つことのできる対称性には制限があるので、単純胞の形は 7 種類
しかないことが導かれる。これを晶系という。この七つ晶系は対称性によって分類される
が(アトキンス表 20・1 参照)、その結果、単位胞の軸と角に関して次のような制限が生じる。
晶系
単位胞の軸と角に関する制限
三斜晶系
a ≠ b ≠ c、α≠β≠γ
単斜晶系
a ≠ b ≠ c、α=γ= 90 °≠β
斜方晶系
a ≠ b ≠ c、α=β=γ= 90 °
三方晶系(菱面体晶系)
a = b = c、α=β=γ< 120 °≠ 90 °
正方晶系
a = b ≠ c、α=β=γ= 90 °
六方晶系
a = b ≠ c、α=β= 90 °、γ= 120 °
立方晶系
a = b = c、α=β=γ= 90 °
格子点の配列、すなわち格子の対称性の観点からは、自然界に存在する結晶には 14 種
類の空間格子しかないことが知られている。この 14 種の空間格子を Bravais(ブラベ)格子
という*1(アトキンスの図 20・8 参照)。Bravais 格子の単位胞が単純格子でないとき、つまり、
格子点を二つ以上含むとき、それを複合格子と呼ぶ。ある一つの格子面の中心に格子点が
*1 このため、一般に Bravais 格子のことを空間格子と呼ぶ。
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ある複合格子を底心格子(格子点 2 個)といい、それが A 面であるときは記号 A で、B
面であるときは B で、C 面であるときは C で表す。全ての面の中心に格子点を持つ複合
格子を面心格子(格子点 4 個)といい記号 F で表す。単位胞の中心に格子点を持つ複合
格子を体心格子(格子点 2 個)といい記号 I で表す。晶系によっては軸の選び方を変えれ
ば同一になるものもあるので、全ての晶系でこれら 5 種類の複合格子が存在するわけでは
なく、結局 14 種類が独立な空間格子となる。単純格子は記号 P で表す。また、三方晶系
の菱面体単純格子は特別に R と書く。特に、立方晶系の P は sc(単純立方格子)、I は bcc
(体心立方格子)、F は fcc(面心立方格子)という記号を使うことが多い。
結晶点群とは、結晶全体を不変に保つようなある点の周りの対称操作の全ての可能な組
み合わせのことである。これは全部で 32 あることが知られている。点群は巨視的な対称
性ともいわれ、マクロな物性を支配している対称性である 。これに対して、空間群は微
*1
視的対称性といわれ、必ずしも物性とは、点群ほど直接には結びついていない。しかし、
単位格子の対称性は空間群によって記述されるので、ここで紹介しておこう。
結晶のように同じ単位格子が繰り返されている場合、ある対称操作を何回か行ったとき
元の点に戻る必要は必ずしもない。隣の単位格子の等価な点あるいは同一単位格子内の等
価な点に移っても良いわけである。このような隣の単位格子の等価な点あるいは同一単位
格子内の等価な点に移る対称要素として、らせん軸
らせん軸と映進面がある(説明略)。点群の対
称要素に、Bravais 格子とらせん軸、映進面を加えて作った対称性の組み合わせを空間群
と呼び、これは 230 あることが分かっている。
b 代表的な
代表的な結晶構造
2・1・4 で紹介した 4 種類の結晶についてその結晶構造を具体的に見てみよう。
(1) イオン(
イオン(性)結晶(アトキンス 20・6)
イオン結合は結合に方向性がないので、半径比の
半径比の規則が成立することが多い。
(ⅰ) 塩化セシウム
塩化セシウム構造
セシウム構造(アトキンス図 20・37)
空間格子は単純立方格子(sc)である。単位胞あたり 1 分子を持ち、単純立方格子の隅 000
と体心位置 1/2 1/2 1/2 とに原子がある*2。各原子は異種原子の作る立方体の中央に位置で
きるので、最近接の数すなわち配位数は 8 である。
(ⅱ) 塩化ナトリウム
塩化ナトリウム構造
ナトリウム構造(
構造(岩塩構造)
岩塩構造)(アトキンス図 20・38)
*1 例えば、1・3・1b で紹介した圧電性を示す結晶は中心対称性を持たない点群(21 ある)に属してお
り、焦電性を示す(すなわち強誘電体になる)結晶はこの 21 の中で極性を持つ点群(極性点群、10 あ
る)に属している。そのため焦電性を持つ物質は同時に圧電性を示すが、圧電性を示す物質は必ずし
も焦電性を示すとは限らないのである。
*2 単位胞中の原子の位置座標を原子座標といい、これは各軸の座標成分を 0 ~ 1 の分率で表す。原点
にある場合は 000(これは 111 と等価)、体心にあれば、各軸について半分の位置にあるので、1/2 1/2 1/2
と表記する。
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格子は面心立方格子(fcc)であり、構造単位は互いに立方体の単位格子の体対角線の
半分の距離だけ離れた 1 個の Na 原子と 1 個の Cl 原子から成り立っている。各原子は最
近接に異種の 6 原子を持っている。
(ⅲ) 閃亜鉛鉱構造(アトキンス図 20・39)
格子は面心立方格子であり、構造単位は互いに立方体の体対角線の 1/4 だけずれている。
各原子の周りには、等距離の所、正四面体の角の所に 4 個の異種原子がある。この二つの
面心立方格子が作る格子を一つの単位格子とすると、これはダイヤモンド構造と同じであ
る。つまり、この構造はダイヤモンド構造の結晶格子の中の炭素原子を、交互に Zn と S
で置き換えたダイヤモンド置換型構造である。β型の炭化ケイ素 SiC(2・3・3c 参照)もこ
の構造である。
(ⅳ) 酸化物イオン
酸化物イオン結晶
イオン結晶の
結晶の構造
多種多様な種類がある酸化物の結晶型を理解するためには次の事実を知っておくと助け
になる。O2-はイオン半径が 1.32 Åで、金属イオンのイオン半径 0.6 ~ 0.8 Åに比べて非常
に大きい。従って、酸化物では酸素イオンが面心立方格子または六方最密格子を形成し、
その隙間に金属イオンが入り込むという構造を持つ。最密格子中の隙間には 2 種類ある。
一つは 4 個の O2-イオンによって四面体的に囲まれたいわゆる四面体位置であり、もう一
つは6個の O -イオンによって八面体的に囲まれた八面体位置である。最密格子を形成す
2
る O2-のこのような隙間は沢山あるが、その中のどの隙間にどのように金属イオンが入る
かによって、様々な結晶型の酸化物が実現する。
(2) 共有結合(
共有結合(性)結晶(アトキンス 20・7)
共有結合の特徴はその強い方向性である。ダイヤモンドの空間格子(ダイヤモンド構造
ダイヤモンド構造)
は面心立方格子である(アトキンス図 20・43)。単純胞の構造単位は面心立方格子の各格子
点に関して、000 と 1/4 1/4 1/4 の位置にある 2 個の等しい原子からできている。従って、
単位胞は 8 個の原子を持っている。ダイヤモンドの構造単位が 1 個の原子だけでできてい
るような単純胞を選ぶ方法はない。各原子は 4 個の最近接と 12 個の第 2 最近接原子を持
っている。
(3) 金属結晶(アトキンス 20・5)
金属は結合に方向性はなく、単原子金属の場合は大きさの等しい球をできるだけ密に詰
めるような構造をとる。それは主に面心立方格子(fcc =立方最密充填 ccp)、六方最密充
填(hcp)、体心立方格子(bcc)である。このうち fcc と hcp は最密構造である。bcc はこ
れらと比べて充填率は少し下がる(アトキンス 20・5(a)参照)。六方最密構造の持つ六方晶系
格子の単純格子は、1 原子ではなく 2 原子から成る構造単位を持っている。
(4) 分子(
分子(性)結晶
不活性気体分子は単原子分子であり、電子分布は球状である。分散力も交換斥力もとも
に方向性がないから、これらの結晶では球を密にパッキングした構造、すなわち fcc また
- 87 -
非整合結晶と準結晶の違いは、前者の対称性が結晶の対称性に属するのに対し、後者は属さないこと
である。従って、準結晶の一般的な定義は『基本ベクトルの数が次元数より大きく、結晶では許され
ない対称性を持つ構造』となる。
b 非整合結晶(
非整合結晶(不整合結晶)
不整合結晶)
結晶の結晶たる由縁は、結晶格子の並進周期性にあり、アモルファスなどの周期性のない構造とは
明確な対比をなしている。ところが、三次元的な長距離秩序がありながら、少なくとも一方向に並進
周期性が欠けている構造が見つかっている。結晶格子が持つ空間的な基本周期 a とは異なる周期 a0 を
超周期というが、この超周期と基本周期の比 a/a0 が有理数の場合、整合構造といい、「整合している」
あるいは「整合相である」と称する。この比が無理数の場合には非整合構造または不整合構造という。
しかし、有理数と無理数の数学的な違いを実際の現象の上で必ずしもはっきり区別できるわけではな
く、整合相の場合は、1/2 あるいは 1/3 のように分母の整数が小さい数の場合がしばしば問題となる。
基本周期を持つ相をノーマル相といい、ノーマル相から非整合相への相転移を不整合相転移と呼ん
でいる。また、非整合相から整合相への相転移は整合・
整合・非整合転移あるいはロックイン転移
ロックイン転移と呼ばれる。
この相転移近傍での非整合相においては、空間のほとんどの領域で整合構造が見られるが、所々に欠
陥が入り、全体としての平均的周期が非整合になる。この欠陥が ディスコメンシュレーションと呼ば
れるもので、整合・非整合転移を連続的に記述する際の重要な概念となっている。通常不整合相は、温
度、圧力、組成比などの限られた範囲で出現し、周期 a0 はそれらの関数として変化し、やがて整合相
に転移することが多い。
☆ 電荷密度波・
電荷密度波・スピン密度波
スピン密度波
金属の伝導電子の電荷密度が格子の周期と異なる周期で空間的に変調されている場合、電荷密度波
(CDW)が形成されているといい、その状態を電荷密度波状態と呼ぶ。CDW の周期が格子周期の整
数倍の場合は整合 CDW、整数倍でない場合には非整合 CDW と呼ばれる。CDW 形成の起源としては、
電子 -格子相互作用または電子間の Coulomb 相互作用が考えられる。電子 -格子相互作用に起因する
CDW の形成は Peierls 転移(2・1・4h 低次元結晶 参照)に伴うもので、電子-格子相互作用によって結
晶に周期的な歪みを伴って電子構造が変化し CDW が発生する。低次元伝導体(2・1・4h 低次元結晶 参
照)などで CDW は見出されている。 電子間の Coulomb 相互作用が相対的に非常に強い場合には、電
子間の Coulomb 斥力の効果をできるだけ減じるために、電子は空間に一様に分布するよりも局在しよ
うとして、結果的に CDW が形成されることもある。電子の電荷密度の代わりに、電子のスピン密度
が格子の周期とは異なる周期で空間的に変調している状態はスピン密度波
スピン密度波(SDW)状態と呼ばれる。
電子間の Coulomb 相互作用が強い場合に SDW が生じる。金属クロムに関して最初に観測され、その
後多くの金属性化合物、銅酸化物、有機伝導体において観測されている。
2・3・3 格子欠陥(
格子欠陥(格子不整)
格子不整)
結晶を構成する粒子が、乱れもなく完全に周期的に配列している結晶を完全結晶という。
実際の結晶は完全結晶ではなく、様々な乱れが存在する。この乱れは場合によって、無秩
- 89 -
他には何ら欠陥を有しない結晶でも、熱平衡においては常にある割合の空格子点が存在
する。なぜならば、エントロピーは構造の不規則性の存在により増大するからである。最
密構造の金属では融点のすぐ下の温度での空格子点の割合は 10- から 10- 程度である。与
3
4
えられた格子点が空格子点である確率は、熱平衡に対する Boltzmann 因子 exp(- EV / kBT)
に比例する。ここで、EV は結晶内部の格子点から表面上の格子点に原子を移すのに要す
るエネルギーである。N 個の原子があるとすると、空格子点の平衡数 n は Boltzmann 因子
n/(N - n)= exp(- EV / kBT)
(4 )
で与えられる。もしも n ≪ N ならば
n/N ≒ exp(- EV / kBT)
(4')
-12
-5
である。EV ~ 1 eV、T ~ 1000 K とすると、n/N ~ e ~ 10 。空格子点の熱平衡濃度は温
度の低下につれて減少する。
同様な式はイオン結晶に対しても導かれる。結晶に含まれるイオン対の総数を N、n 個
の陽イオンと n 個の陰イオンが結晶表面へ移動して、n 対の Schottky 欠陥を作る方法は
[ N!/( N - n)!n!]2 通りあるから*1、欠陥ができたために増加するエントロピーΔ S は、
Boltzmann の原理に基づいて次のようになる。
Δ S = kBln[N!/(N - n)!n!]2
(5)
1 対の陰陽イオンを結晶内部から表面まで移動させるのに要するエネルギーを ES とする
と、それによる結晶の内部エネルギーの増加は nES である。結晶の欠陥形成による
Helmholtz の自由エネルギーの変化量Δ A は、
Δ A =Δ U - T Δ S = nES - kBT ln[N!/(N - n)!n!]2
( 6)
温度 T で、この結晶が平衡状態にあるとすると、(∂Δ A/∂ n)T = 0 の条件より
n/N ≒ exp(- ES / 2kBT)
(7)
を得る 。この式を使って NaCl 結晶の n を計算してみよう。ES ~ 2 eV、T ~ 300 K とす
*2
ると、n/N ~ 10- 。N ~ 10 /cm であるから、n ~ 10 /cm となる。
17
22
3
5
3
☆ 熱膨張(1・2・2c 参照)
温度の上昇に伴って格子振動が激しくなると、結晶の体積は膨張する(熱膨張)。このような膨張で
は結晶格子が保持されているから、X 線構造解析では格子定数の増大として観測される。しかし現実
の結晶では、バルクの膨張率が格子定数の変化による値より大きくなることがしばしば起こる。これ
は Schottky 欠陥が発生したためにバルクの体積が増大した結果である。このような欠陥生成による膨
張は実際に融解前駆現象として観測されている。
(2) Frenkel 欠陥
完全結晶の中にある 1 原子を格子間間隙へ移動して、n 個の格子間原子と空孔から成る
欠陥を Frenkel(フレンケル)欠陥という(図 2(No.8))。結晶内の格子にある 1 原子を格子間
間隙へ移動するに要するエネルギーを EF、結晶中の原子の総数を N、結晶中にある全格
*1
N
Cn = N!/(N - n)!n!は、N 個の同じ物の中から重複なく n 個選び出す組み合わせの数である。たと
えば、a, b, c の三つから二つを選び出す組み合わせは、ab、ac、bc の 3 種類あるが、3C2 = 3 である。
*2 Stirling(スターリング)の公式 lnx!≒ xlnx - x、および N ≫ n の条件を使う。
- 91 -
子間間隙の数を Ni とすると、Frenkel 欠陥を作るときの Helmholtz の自由エネルギーの変
化量は
Δ A =Δ U - T Δ S = nEF - kBT ln[N!/(N - n)!n!][Ni!/(Ni - n)!n!]
(8)
である。Schottky 欠陥の場合と同様な計算により、温度 T で平衡に存在する欠陥の数 n は
次のようになる。
n ≒(NNi) exp(- EF / 2kBT)
( 9)
1/2
(3) 空格子点
以上の計算からも分かるように、有限温度においては空格子点の生成はエネルギー的に
は不利でもエントロピーの利得により、自発的に起こる。すなわち、完全結晶の状態より
も、空孔が存在する方が熱力学的に安定なのである。結晶中には通常、Schottky 型、Frenkel
型の両欠陥がともに存在するが、常に一方の型の欠陥が優勢に存在している。ある結晶が
いずれの型の欠陥をとるかは、両欠陥を形成するときの自由エネルギーの大小によって決
まる。Schottky 欠陥は、構成原子のイオン半径と分極率があまり違わない、例えば、ハロ
ゲン化アルカリや金属などに見られる。一方 Frenkel 欠陥は、構成イオンのイオン半径と
分極率に大きな差がある、例えば、ハロゲン化銀のような化合物に見られる。
2 価の元素を付加的に含むハロゲン化アルカリ中には空格子点が存在する。KCl の結晶
を CaCl2 の制御された量だけ含ませて成長させると、結晶の密度はあたかも各 Ca2+ごとに 1
個の空格子点が作られたかのように変化する。Ca は格子点の中に入り正規の K の位置を
2+
+
占め、二つの Cl-は KCl 結晶の二つの Cl-の位置にはいる。電気的中性の要求から金属イ
オンの空格子点が一つ生じる(図 3(No.9))。実験結果は KCl に CaCl2 を加えると結晶の密
度が減少することを示す。空格子点ができないものとすると、Ca は K よりも重くて小さ
2+
+
いイオンであるから、密度は増加するはずである。
(4) 結晶中の
結晶中の原子の
原子の拡散
いったん空孔が作られると、空孔に隣接しているイオンや原子がその空孔へ移動するた
めには、結晶格子の熱振動を考慮すると、ほとんどエネルギーを必要としないであろう。
このように結晶に欠陥が存在すると、イオンや原子がそれを通して移動することができる。
これが固体内で拡散が起こるメカニズムである(図 4(No.9)参照、拡散については 1・4・3 を参
照)
。固体内に不純物原子や空格子点の濃度勾配があると、それらの固体内での流れが生
じる。平衡状態では不純物や空格子点は一様に分布する。固体内の一方の種類の原子の正
味の流れは、この原子の濃度の勾配と Fick の法則(1・1・2a 参照)によって結びつけられる。
拡散に関する重要な情報はすべて拡散係数 D の中に含まれている。この拡散係数の温
度依存性は、
D = D0exp(- Q/RT)
(10)
という形で表されることは、種々の結晶(金属やイオン結晶、共有結合結晶など)におけ
る多数の拡散実験で証明されている。ここで、D0 は頻度因子あるいはエントロピー項、Q
は拡散のための活性化エネルギーと呼ばれている。また、式(10)はしばしば拡散係数につ
いての Arrhenius(アレニウス)の式と呼ばれている。
- 92 -
☆ 固体電解質(
固体電解質(イオン伝導性固体
イオン伝導性固体)
伝導性固体)
イオン性結晶の場合、イオンの拡散によって電気伝導(イオン伝導)が起こるので、これはイオン
伝導体である 。このとき、高いイオン伝導性を示す固体を特に固体電解質といい、固体電解質の中で
*1
も特に伝導率の高いものを超イオン導電体
イオン導電体という。固体電解質の伝導率は金属や半導体のような電子
伝導体のそれと比較して一般にかなり小さい。さらに 電解質溶液*2 の伝導率と比較しても小さいのが
-1
普通である。例えば、5 % NaCl 水溶液の 298 K における伝導率は 6 S m である。これに対して、固
-6
-1
体電解質の伝導率は 10 S m 程度である。しかし、超イオン導電体では、その伝導率が電解質溶液な
-1
-1
みの 10 S m 以上という値を示す。
固体電解質(イオン伝導性固体)は、金属や半導体などのような電子伝導性固体の場合とは異なり、
①直流電流により電極界面で化学反応を生じる。
②伝導イオン種に各種のものがある。固体電解質はイオン伝導に寄与するイオンに基づいて、銀イオ
ン 伝導体、銅イオン
銅 イオン伝導体
イオン伝導体、ナトリウムイオン伝導体
ナトリウムイオン 伝導体、プロトン伝導体
プロトン 伝導体 、リチウムイオン伝導体
リチウムイオン 伝導体など
と呼ばれる。
③これらの伝導種の移動度が一般に小さいので、伝導率が高くない(1・3・2 式(33)参照)。これは電子
に比べてイオンは大きさも質量も非常に大きいためである。
④電極の種類により電極インピーダンスが大きく異なる。
などの特徴を持つ。また、同じイオン伝導体でも電解質溶液や溶融塩などのような液体と比較して、
⑤一般に伝導種はその固体を構成する各種イオンのうち唯一種類である。これは伝導種以外のイオン
は固体の結晶構造を維持しているためである。
⑥電子伝導が混入する場合がある。例えば、酸化物イオン
酸化物イオン伝導体
イオン 伝導体 とは酸化物イオンが電気伝導を担う
固体のことであり、これには電子伝導性を全く持たないものと、電子と酸化物イオンの混合伝導性
混合伝導性 *3
を示すものとがある。前者は固体酸化物型燃料電池の電解質材料として注目され、活発に研究されて
いる。
⑦伝導に方向性(異方性)を持つ。
⑧伝導体が完全には均質でない場合がある。
⑨電極との接触抵抗が一般に大きい。
などの特色を持っている。
固体電解質は材料開発の観点からは、固体電池や センサー 等への応用が期待されるので、現在盛ん
に研究されている。電池の材料として固体電解質を用いる利点は、溶液を用いないため液もれの心配
がなく保存性に優れていることと、高温でも使用できることである。固体電解質を用いるガスセンサ
ーの原理はガス濃淡電池であり、濃度既知の系を参照極とすれば、その電池の起電力よりもう一方の
系のガス濃度が得られる。例えば、酸化物イオン伝導体である安定化ジルコニウムを用いた酸素ガス
センサーは、自動車の排気ガス中の酸素ガス濃度を検知するのに使用されている。イオン伝導体はそ
れ自身の機能も興味深いが、適当な電子伝導材料と組み合わせることにより様々なデバイスとして機
能するので、実用上重要である。電池、電解合成、コンデンサー、センサーなどではイオン伝導体の
性質がデバイス全体の性能に大きく関係している。最近ではデバイスの小型化や信頼性との関連で、
*1 イオン伝導の測定は格子欠陥を調べる重要な手段である。
*2 電解質溶液におけるイオン伝導についてはアトキンスの 21・6 ~ 21・8 を参照せよ。
*3 イオンと電子性担体(電子、ホール)の両方が電荷を運ぶような材料を混合導電体という。
- 93 -
固体電解質に注目が集まっている。
近年では高分子固体電解質(
高分子固体電解質(イオン伝導性高分子
イオン伝導性高分子)
伝導性高分子 )やイオン伝導性
イオン伝導性ガラス
伝導性 ガラス・
ガラス・ アモルファスなど多種
の固体電解質が生まれている。一般にガラス(2・5・2 参照)は電気絶縁体である。ガラス中にもナト
リウムイオンやリチウムイオンのような荷電担体は存在するが、移動度が極端に小さく、実質的には
イオン伝導度がきわめて小さくなる。そのため通常の酸化物ガラスでは電気伝導はほとんど観測され
ない。ところがガラスは乱れた構造を持つため、結晶に比べて大きな隙間を持つので 、構成成分をう
*1
まく選択すれば、イオンが移動する上で有利な状況を作ることができるのである。超イオン伝導状態
を示すガラス、すなわち超イオン伝導
イオン伝導ガラス
伝導ガラスもある。電子伝導性高分子と比較して、イオン伝導性高
*2
分子は現時点ではまだ充分に実用化に耐えるほどのものはできていないが 、将来のテクノロジーを支
える材料になることは確実であろう。電気伝導率の式(1・3・2 の式(33)参照)からも分かるように、
伝導率を上げるためにはイオンの数密度と移動度が大きければよい。しかし、イオンの数を増やすと
静電的な相互作用が強くなり、イオンの移動度は低下する、というようにこの二つの要因は相反する
面を持っている。現在は液体状の系にはかなわないが、かなりの所までイオン伝導度が高められた高
分子フィルムが作成されている。今後さらに安定性に優れ、高イオン伝導性の高分子が開発されるこ
とであろう。電解質溶液が高分子フィルムになれば、イオン移動が重要な役割を担っている装置(例
えばセンサー)や素子を小型・薄膜化できる*3。コンピュータや情報端末もさらに薄く、小型化される
であろう。
☆ 超イオン導電体
イオン導電体
超イオン導電体のイオン伝導機構は上記のような格子欠陥を介した単純な拡散運動ではなく、格子
振動やその非調和性が関連したより複雑な機構であると考えられている。超イオン導電体では、イオ
ンのような大きな粒子が固体中をあたかも液体中におけるように運動し拡散するのであるから、その
固体の原子的構造には相当の乱れがあるであろう。また、この乱れは構造欠陥による位置的なものに
加え、熱運動の異常性をともなった時間的なものにも起因していると考えられる。また、層状構造あ
るいはトンネル構造をしている系(2・3・5b 参照)は、格子欠陥を使うのではなく、層やトンネルの隙
間をイオンが動くことによって高い伝導性を示すことができる。代表的な超イオン導電体はα-AgI で、
銀イオンが電気伝導に寄与している。
☆ (化学)
化学)電池(アトキンス 7・6)
化学反応の際に放出される化学エネルギー、あるいは物質の物理変化の際に放出される放射エネル
ギーを直接電気エネルギーに変換する装置を、それぞれ化学電池 、物理電池と呼んでいる。物理電池
には原子力電池(アイソトープ発電器)、光電池(2・1・2d 参照)、太陽電池、熱電子電池(2・3・4c 参照)
などが含まれる。また生物活動の結果得られるエネルギーを利用した生物電池は化学電池の一種であ
る。
充電することにより何度も繰り返し使用できる化学電池を 二次電池 (、蓄電池)といい、これに対
*1 任意の物質の密度をアモルファス状態と結晶状態で比較すると、前者は数%密度が小さい。
*2 現在導電性高分子といえば、電子伝導性高分子である(1・3・2 参照)。
*3 高分子固体は望みの形に整形するのが容易なので(2・5・3d 参照)、薄膜状の電池などを作ることが
できる。
- 94 -
して充電して反復使用できない化学電池を一次電池という。一次電池が充電できないのは、電池反応
が完全には可逆的でないためである。一次電池にはマンガン
マンガン乾電池
マンガン乾電池、アルカリ乾電池
アルカリ乾電池、リチウム電池
リチウム電池、
酸化銀電池、 空気電池 等がある。二次電池としては従来鉛蓄電池 とニッケルカドミウム(
ニッケルカドミウム( ニカド)
ニカド) 電
池 が一般にはよく使われていたが、最近では水素吸蔵合金を電極材料(負極)とするニッケル水素電
ニッケル水素電
*2
池*1 やリチウムイオン電池
リチウムイオン電池 が急速に普及している。前者は 1 回の充電での駆動時間がニカド電池より
長く(=高容量である)、後者は起電力が鉛蓄電池の倍ほどもあるという特徴を持つ。
化学電池にはこの他に最近注目されている燃料電池(アトキンス I25・3)がある。閉じた系内で電池
反応を行う普通の化学電池と異なり、燃料電池は外部から正極に酸素または空気等の酸化剤、負極に
水素、メタノール、炭化水素等の燃料ガス(反応物)を補給して化学反応を起こし、生成物(H2O、CO2
など)を逐次外部に取り出し連続的に長く使えるようにした気体電池の一種である(アトキンス図 25
・49 参照)。正極と負極の間には電解質を置き気体の直接燃焼反応を防ぐ。電解質の種類によって、ア
ルカリ水溶液型、リン酸水溶液型、溶融炭酸塩型、固体電解質型、固体高分子型等に分けられる。燃
料電池は一般に小型軽量であるが、電極反応が遅く、大きな電流密度で電流を取り出すと電圧が下が
ってしまう。そこで、電極反応を速くするために、電極の表面積を大きくしたり(多孔性物質を電極
にする)、電極表面に触媒を付けたりする。酸素用触媒には銀、ニッケルなど、水素または炭化水素用
触媒には白金、パラジウム等がある。また、温度を高くすることが著しく有効なので、溶融塩や固体
電解質を用いて数百度の高温で使う高温燃料電池もある。水を電気分解すると酸素と水素が発生する
が、最も単純な水素-酸素燃料電池はこれと反対の反応を行う。従って、有毒ガスをほとんど排出しな
いクリーンなエネルギーとして、燃料電池は現在その開発が活発に行われている。例えば、水素を燃
料とし、燃料電池を動力とする自動車の開発が盛んに行われている。このとき、燃料水素は水素吸蔵
*3
合金の利用が考えられている 。この燃料電池自動車は効率が内燃機関の 2 倍以上で排気ガスがクリー
ンなことが特徴である。さらに、燃料電池は化学エネルギーを直接電気エネルギーに変えるので、高
いエネルギー変換効率が期待される。特に、固体電解質型燃料電池は高温で用いることができるので、
エネルギー効率の点でさらに優れている。火力発電では、小規模になると効率が低下するのに対し、
燃料電池による発電では効率が低下しないので、小規模分散型発電所にも適している。そのため燃料
電池は水力、火力、原子力に続く第 4 の発電として注目されている。最も開発が進んでいるのは、水
溶液電解質を用いる方式である。アルカリ水溶液型は宇宙開発装置用に実用化されている。リン酸水
溶液型は電力用に開発が進められている。いずれも素電池の出力電圧は 1V 以下なので、直列積層化が
必要であるが、1kW 程度の移動用電源から数 MW の大型システムまでが実用あるいは開発されている。
(5) 色中心
純粋なハロゲン化アルカリ結晶は可視領域全体にわたって透明である。本来は透明な物
質中に種々の作用によって、(例えば、不純物を導入したり、余分の金属イオンを導入し
*1 小型コードレス機器に多数使われている。また、ハイブリッド自動車
ハイブリッド自動車などの動力として最適な電池
とされている。
*2 デジタルカメラ、携帯電話などに使われている。現段階で最も小型で高性能な二次電池といえる。
*3 現在開発途上である家庭用の燃料電池では、水素は天然ガスを改質器を通すことで得られている
(そのため家庭用燃料電池の開発はガス会社主導で行われている)。しかしこれでは二酸化炭素が副生
成物として発生するので、環境上問題がある。クリーンな水素ガスの供給が急務である。
- 95 -
たり、X 線、γ線、中性子線、または電子線を照射したり、高温で電解したりする事によ
って、)局所的な電子準位が生じ、着色することがある。この着色の原因となる局所構造
を色中心、または着色中心という。広義には不純物によるものも含めるが、通常は格子欠
陥によるものを色中心という 。
*1
典型的な色中心はハロゲン化アルカリ結晶の独立した一個の負イオン空格子点に捕らえ
られた一個の電子より成る F 中心で、可視領域に幅約 0.2 eV 程度の F 吸収体と呼ばれる
吸収スペクトルを示す(図 8-5(No.5))。F 中心は普通結晶を過剰のアルカリ蒸気中で加熱
するか、X 線で照射することにより作られる。例えば、NaCl を Na 蒸気中で熱すると NaCl
結晶は黄色に着色する。余分のアルカリ原子があると、それに対応する数の負のイオンの
空格子点が作られる。完全周期格子の中の負イオン空格子点は孤立した正の電荷と同じ働
きを持つ。すなわち、それは電子を引きつけて捕らえることができる。その結果、余分な
アルカリ原子の価電子は負イオン空格子点に捕らえられる。この補足された電子はほとん
ど空格子点に隣り合った正の金属イオンの上に分布している(図 8(No.9))。その結果、電
子が局在することによりそのエネルギーは量子化され(=エネルギー準位が生じ)*2、電
子は光を吸収して励起状態に上げられる。F 中心はハロゲン化アルカリ結晶の最も簡単な
電子捕獲中心で、この他にも種々の中心がある。
純粋な ZnS(2・3・1b(1)(ⅲ)、2・3・3c 参照)を 500 ℃以上に熱すると、紫外線に対して蛍光
を放つようになる。これは S の空格子点の存在に起因している。もし ZnS を少量の Cu と
ともに約 1100 ℃まで熱すると、結晶は 530 nm にピークを持つ輝いた黄緑色の蛍光を出
す。Zn:S の発光スペクトルは残光時間が 2 時間程度であり、長残光蛍光体(1・5・4 参照)
のひとつである。これは Zn の空格子点が Cu によって占められることに起因している。
これは不純物に局在した電子が光や電子線、X 線などにより励起されると、励起状態の電
子が元の基底状態に戻るとき、余分のエネルギーを光として放出しているのである。各種
の蛍光体はこの性質を利用したもので、照明、画像表示、放射線検出
*3
など広い技術に応
用されている。固体レーザーではこの発光過程を利用して光の増幅を行っている。
(6) 不定比化合物(
不定比化合物(ベルトライド化合物
ベルトライド化合物)
化合物)
例えば遷移金属の酸化物、硫化物には、成分元素の比率が簡単な整数比にならない、す
なわち定比例の
定比例の法則に従わないものがある。このような化合物を不定比化合物あるいはベ
ルトライド化合物
。不定比の原因は格子欠陥である。化合物 MX についていえば、M
ルトライド化合物という
化合物
または X が一定比よりも過剰に格子間に入る場合(侵入型)か、M または X の位置に空
格子点がある場合(空孔型)に不定比となる。
*1 2・1・2d で紹介した不純物準位(ドナー準位、アクセプター準位)のように、結晶中に存在する不純
物のうち、母体結晶の物性に影響を与えるものを不純物中心という。
*2 このようなエネルギー準位を局在準位という。
*3 放射線が発光物質に衝突して発する光を計測する装置をシンチレーション計数管
シンチレーション計数管という。このとき
の発光現象をシンチレーション 、発光物質をシンチレーターという。代表的なシンチレーターとして
は、Tl をドープした NaI、CsI がある。
- 96 -
(7) 固溶体と
固溶体と合金
独立した元素または化合物として存在する 2 種の物質 A、B が固体で互いに溶けた状態
のもの、つまり固相の溶体を固溶体という 。塩類の固溶体を特に混晶という。固溶体は
*1
置換型と侵入型に大別できる。
置換型固溶体:成分原子が任意の割合で混ざり合う固溶体を全率固溶体という。大きさが
*2
同じ程度の原子同士が作る固溶体は、全率固溶体であることが多い 。このとき各成分原
子は共同して一つの結晶格子を作る。つまり、その結晶格子は成分 A の結晶格子の A 原
子が不規則に B 原子によって置換された形とも考えられるし、成分 B の結晶格子の B 原
子が A 原子に置換されたものと考えることもできる*3。
侵入型固溶体:(2・3・1b ☆結晶中の隙間 参照)大きさの異なる原子同士が作る固溶体は、任
意の割合ではできず、どちらかが微量に含まれているものしかできない。このとき、微量
に含まれている原子は主成分原子(溶媒)の作る結晶格子の隙間に存在している*4。侵入
型固溶体は多くの場合、母体の原子と原子とを強く引き締める役をするので、もとの金属
よりも融点と硬度は高くなる。
侵入型固溶体とよく似たものに侵入型化合物がある。これは侵入型固溶体と同様に、金
属の結晶格子の間隙に H、B、C、N などの小さな非金属元素が侵入したものである。侵
入型固溶体の場合多くはもとの金属の結晶構造がほとんど変わらないのに対して、侵入型
化合物では母体となる金属元素の結晶構造と侵入型化合物の金属原子の配列とは多くの場
合異なる。従って侵入型化合物はその名の示す通り、多くの場合はっきりした結合による
定比例化合物である。この点が不定比の固溶体と区別される。
☆ 合金
固溶体は多くの合金などにおいてその例が見られる。合金は 2 種以上の金属をそれぞれの融点以上
の温度で混合したものを冷却して凝固させたものである。一般的なはんだはスズと鉛の合金である。
金属は合金にすると、機械的強度、電気伝導率、融点、腐食性などが変わる。実用される金属は特別
な場合を除いて、 2 種またはそれ以上の多くの金属を混ぜ合わせて合金とし、それぞれの目的に適し
た性質を生かして用いるのが普通である。合金の種類は目的によって実に多種多様である。使用目的
に従って分類すると;構造機械材料(鉄合金、アルミニウム合金、チタン合金)、加工器具材料(鉄合
金、銅合金、アルミニウム合金)、導電材料(銅合金、アルミニウム合金)、磁性材料(鉄合金、ニッ
ケル合金、コバルト合金)、工具材料(鉄合金、タングステン合金)、低融点材料(鉛合金、スズ合金、
ビスマス合金)。
*1 液相の溶体は溶液である。固体に気体または液体が溶解して固溶体を作ることもある。
*2 全率固溶体になるためには、原子半径の差、結晶構造、電気陰性度、相対原子価の条件について完
全に満たされている必要がある。
*3 純粋な結晶でも、それを構成する原子 A と同じ大きさの原子 B、C・・・が僅かではあるが含まれてい
る。これは、混合によるエントロピーの利得があるからで、このような場合は原子 B、C 等は不純物と
呼ばれる。特にこの場合は置換型不純物という。
*4 純粋な結晶でも、このような原子が不純物として僅かに含まれている。このような不純物を侵入型
不純物という。
- 97 -
固溶体合金も置換型合金と侵入型合金に大別される。しかし、合金は必ずしも固溶体とは限らない。
金属間化合物と呼ばれる物質群も合金に含まれる。金属間化合物とは、2 種類以上の金属元素が簡単
な一定の整数比で結合した化合物で(固溶体合金の場合は、一定の整数比にならない)、その組成比は
普通の場合の原子価とほとんど関係ない(より幅広い値をとる)。例:CuZn、Cu5Zn8、CuZn3、Ni2Mg、Nb3Sn
等。Cu と Ni、Au と Pt などは全率固溶体を作る。Al と Cu、Cu と Sn、Mg と Ag などは混和の割合に
より、固溶体、共融混合物、金属間化合物、あるいはそれらの混合物になる。
(8) 規則規則-不規則格子(
不規則格子(秩序秩序-無秩序格子)
無秩序格子)と超格子構造
Cu と Au は周期表の同族に属し、いずれも面心立方格子の結晶で、その原子半径の差
は 15%以内であるから、これらは全率固溶体を作る。この固溶体では、Cu と Au の間に
化学結合力はあるが、金属間化合物を作るほどに強くはない。このような場合、ある温度
(転移温度)以上では原子配列が無秩序な置換型固溶体として存在するが、転移温度以下
では、原子配列に規則性のある固溶体を作る*1。このような規則性のある固溶体の結晶格
子を規則格子または超格子という。一般に、格子定数 a の二次元格子上に 2 種類の原子 A、
→| a |←
B を互いに隣り合わないように並べると、
● A 原子
○ ● ○ ● ○ ● ○
左図のような配列ができる。A 原子または
○ B 原子
● ○ ● ○ ● ○ ●
B 原子のみに着目すれば、それぞれ格子
○ ● ○ ● ○ ● ○
定数√ 2a の別々の格子上に並んでいるが、
● ○ ● ○ ● ○ ●
全体の配列は、2 種類の結晶格子の重ね合
○ ● ○ ● ○ ● ○
わせた格子から成っている。このような格
子を超格子または重格子といい、その結晶構造を超格子構造、超構造、あるいは規則格子
構造と呼ぶ。また、超格子を組み立てている各原子ごとの格子を、副格子あるいは部分格
子 という。この秩序格子と無秩序格子の間の相転移は秩序-無秩序転移(2・2・2a 参照 )の
一例である。超格子構造は多くの規則合金、金属間化合物あるいは鉱物などで見出されて
いる。異なる物質を規則的に層状に積み重ねて作られる人工結晶を超格子と呼ぶことがあ
る。人工結晶は金属、イオン結晶をはじめ多くの物質でその作製が試みられており、特に
薄膜成長技術の進歩が著しい半導体では良質の人工結晶である半導体超格子が作製されて
いる(2・5・4f(1)、2・6・3 参照)。
b 転位(アトキンス 25・1)
1・1・1 で弾性について考察したが、多くの固体の純粋な結晶は非常に可塑的であり、非
常に低い応力のところで弾性限度に達する。多くの場合、結晶が塑性変形を起こすとき、
すなわち変形が元に戻らないとき、結晶格子の中のある面に沿って、両側の結晶が相対的
にすべりを起こしている*2。このすべりの起こるときは、結晶の一部が一体となって隣接
部に対してずれるのである。すべりが起こる面はすべり面
すべり面と呼ばれている。ずれていく方
向をすべり方向
すべり方向と呼ぶ。小さな Miller 指数を持った結晶面、例えば、面心立方金属におけ
る{111}面とか、体心立方金属における{110}、{112}、{123}面などのような結晶面に沿っ
*1 合金の場合特にこれらを規則合金、不規則合金と呼ぶ。
*2 すべりは塑性変形の一つの型であり、すべり以外の型もある。
- 98 -
て変形が起こる。すべり方向は原子の最も密に並んだ方向に起こる。
刃状転位:図 3(No.10)には 1 原子間距離のすべりがすべり面の半分で起こっているが、
右半分では起きていないような単純立方格子を示す。すべっている部分とすべっていない
部分との境界を転位という(つまり、転位は線状の格子欠陥である)。その位置は、図 4
(No.10)に示されているように、結晶の上半分に余分に挿入された垂直な半平面をなす原
子面の端である。単純な刃状転位はすべり方向に直角に、すべり面上をどこまでも続いて
いる。
らせん転位
らせん転位:らせん転位は結晶のすべった部分とすべらない部分の境界を示す。刃状転位
の境界はすべり方向に垂直であったが、らせん転位の境界はすべり方向に平行である(図 7、
図 8(NO.10)、アトキンス図 25・3 参照)
。らせん転位は結晶をナイフで途中まで切り込んで、
切り口に平行に一方を 1 原子間距離だけずらせることによって作られたと考えることがで
きる。らせん転位があると、連続して並んだ原子面は変形してらせん面の形となる。これ
が転位の名前の起源である。
他の型の転位は刃状転位とらせん転位を集めて構成できる。
この転位が結晶中を移動することによって塑性変形が起こると考えられる。固体結晶の
塑性的、力学的性質は転位理論を用いて説明することができる。転位が運動する機構を図 6
(No.10)に示す。すべり面の一方の側の原子を他の側の原子に対して動かすと、すべり面
に沿った原子は隣の原子から斥力を受け、すべり面の向かう側の原子から引力を受ける。
これらの力は第一近似では互いに打ち消し合う。もし結晶を作る原子間の結合力が方向に
より大きくは変わらないならば、転位を移動させるのに必要な外部応力は非常に小さいで
あろう(=エネルギーをほとんど要しないであろう)。転位が結晶の中を端まで通過する
ことは、結晶の一部がすべりによる変位をするのと同じことである。転位があると、極め
て容易にすべりを起こすことができるので、結晶は非常に可塑的になる。従って、材料の
強度を増すためには転位の移動を阻止するような手段を講じなければならない。鋼鉄やジ
ュラルミンの場合には結晶中に析出物を生じさせ、それによって転位の移動を阻止させて
いる。また、ホイスカーと呼ばれるひげ状の結晶は転位を含まない完全結晶で、転位がな
いから曲げても、容易には塑性変形を起こさず、輪ができるように曲げることができる。
☆ 結晶成長*1(アトキンス 25・1)
結晶表面がミクロのレベルで見ても完全に平坦な場合には、溶液中から結晶の表面に到
達した粒子はそのまま表面上に留まることはできず、表面上を動き回った後、やがて溶液
相中へと戻っていく。表面に衝突した分子の表面滞在時間τは温度が下がると滞在時間が
長くなる。
τ=τ 0exp[Δ adH/RT]
粒子が結晶に組み込まれるためには、結晶表面上にステップ(段差のある部分)やキンク
*1 溶液から結晶が析出する過程は、①結晶の核が形成される過程と、②それ以後の成長過程とに分け
られる。固体と液体の境目(固液界面)は、結晶の成長や溶解が起こる唯一の場所である。結晶の核
の形成機構(結晶がはじめて溶液相から出現する機構)やその後の成長機構は、界面で起こる現象
(界面化学;2・5・4 参照)と深く関わっている。①について 2・4・2c で考察する。
- 99 -
(ステップの折れ曲がり位置)が必要である(アトキンス図 25・2 参照)。結晶成長で粒子が
結晶相に取り込まれたというのは、キンク位置での粒子の取り込みを意味する。原子は面
の上よりも、階段状のところの方が強く結合しやすい。なぜならより多くの原子と相互作
用をすることができるからである。
転位の有無が結晶成長を制御する要因となる場合がある。結晶の成長に不可欠なステッ
プのでき方には二種類ある。一つは結晶表面上で粒子が平面上の集合体を作るものであり、
その縁がステップとなる。この平面上の集合体を二次元核という。一方、ステップはらせ
ん転位によってもできる。平坦面は二次元核の生成と成長とが繰り返されることによって、
一層ごとに成長する。これを層成長という。理想結晶の結晶成長の理論によれば、気相か
らの結晶成長においては、理想結晶の完全な表面に新しい単分子層(二次元核)を作るに
は、かなりの過飽和度が必要であり、時間がかかる。しかし、もしらせん転位があれば、
新しい層のための核株を作る必要がない。すなわち、食い違いの起こっている端のところ
で、らせん状に結晶が成長する。この成長機構を渦巻成長と呼ぶ。この機構による成長速
度の計算値は実測値と一致した。自然において、低い過飽和度の下で成長した結晶のほと
んど全部は転位を持っていると思われる。転位がなければ成長しなかったはずだからであ
る。らせん状の成長図形が非常に多くの結晶において見いだされている(アトキンス図 25・5
参照)
。
c 積層欠陥(
積層欠陥(積層不整)
積層不整)
結晶の原子配列を、特定の結晶面に平行な原子面が規則的に積み重なった状態であると
見るとき、その積み重なり方に生じたくるいが積層欠陥である。典型的な積層欠陥は最密
構造の結晶中に見られる。アトキンスの図 20・34 にあるように、ABAB・・・という層構造
をしているのが hcp で、ABCABC・・・という層構造をしているのが fcc である。このとき
例えば、・・・ABABABCBCBC・・・あるいは・・・ABCABABCABCA・・・というような層ができ
ているとき、これを積層欠陥という。その結果これらは hcp と fcc の混合物になる。この
例からも分かるように、積層欠陥は層状構造を持つ物質に多い。層状物質としては例えば、
グラファイト(図 4.40、4.41(No.10)を参照せよ)、CdI2、Co、SiC、ZnS、雲母、年度鉱物など
である(2・3・5b 参照)。
多形間の結晶構造の違いが一次元的であると見なせる場合、すなわち同一の層構造の積
層様式が異なることによって多形が生じる場合をポリタイプ(多型)という。これは積層軸
方向に長い反復単位を持つ長周期構造を持つという特徴がある。最もよく知られている例
は硫化亜鉛(ZnS、2・3・1b(1)(ⅲ)、2・3・3a(5)参照)である。そこでは 150 以上のポリタイプ
が確認されている。その最も長い周期は 360 層にも及ぶ。炭化ケイ素(SiC、2・3・1b(1)(ⅲ)
参照)では 45 種以上の積層周期を持っている。このような長い結晶構造周期をもたらす
機構は、そのような長距離力があるからではなく、結晶の成長核にある転位に現れるらせ
ん階段に関連している。
- 100 -
2・3・4 固体の
固体の表面構造*1(アトキンス 25 章)
結晶は平坦な多数の面で囲まれており、規則的な形をしている。結晶の一つ一つの表面は、ある特
定の原子面が切り出されてできている。安定な結晶は 表面自由エネルギー
表面自由 エネルギー
*2
を最小にする形(これを
平衡形 という)を持つ。結晶のブロックを二つに分割すれば、そこに二つの表面ができる。表面を作
る(すなわち化学結合を切断する)に要する付加的な仕事が表面自由エネルギーである。平衡形は表
面自由エネルギーが最小となるように決まるとすると、物質ごとに決まった形状の多面体が定まる。
ところで、同一体積で表面積を最小とする形状は球である。結晶が球形にならないのは、面指数によ
って表面エネルギーが異なること、すなわち結晶を構成する原子が規則的な配列をしていることによ
る。規則的な原子の配列を持たない液体は球形の表面が実現している。
a 表面再構成と
表面再構成と表面緩和
固体の表面や界面の性質は内部と著しく異なり、表面に特有な興味ある現象が観察され
る。近年固体の表面構造に関する研究が活発であるが、その理由はその研究を進める上で
の実験技術の向上による面もあるが(これまで技術的に表面の研究が困難であった)、触
媒に代表されるように、表面の物性が基礎的にも応用的にも非常に重要だからである。表
面や界面の持つ多彩な機能は、種々の応用技術に用いられてきた。例えば、不均一触媒、
半導体素子、電子線源、結晶成長、コロイド、核融合炉壁など、枚挙にいとまがない。最
近の先端技術では、極めて微細化した構成要素を組み合わせて素子を作ることが多い。こ
のような系では表面の性質が重要な役割を果たすようになる。それにも関わらずこれまで
表面の研究があまり活発ではなかったのは、表面の効果は非常に小さいからである。結晶
中の原子の総数を N とすると、表面に現れる原子の数は N のオーダーで、N が小さいと
2/3
き(例えば微粒子)は表面の効果は大きいが、N が大きくなると表面の効果は結晶全体と
比べて N- と小さくなり、検出が大変になるのである。
1/3
ここで問題にする表面とは、数原子層程度の領域の表面で、かなり秩序だった構造を持
つものである。通常、我々が目にする物体の表面は、もっと深くまで乱れた構造をとるの
が普通である。そうした現実表面あるいは実在表面の研究は重要であるが、もっと簡単な
清浄表面について表面の本質を明らかにすることが、表面研究の基礎となる。
清浄表面の研究の発展は、超高真空技術、清浄表面作成法をはじめ、原子スケールでの
表面の性質を探る多くの実験法の進歩*3、理論計算の進歩に支えられてきた。精密科学と
*1 これは界面の物理的・化学的現象を扱う界面化学(界面科学)の一部であり、これについては 2・5・4
で考察する。触媒を含めて固体表面の構造や機能を主に研究しているのが表面科学で、界面化学の一
つの分野ではあるが、最近ではこれだけで大きな研究分野になっている。
*2 液体や固体の状態が安定相であるとき、それらが気体にならないのは、凝集状態の方が自由エネル
ギーが低いからである。言い換えると、液体や固体はその構成粒子が粒子によって取り囲まれている
方がエネルギーが低い。この意味で液体や固体の表面に存在する粒子は、その周囲を完全に取り囲ま
れていないので、中の粒子よりもエネルギーが高い。この表面粒子の余分なエネルギーが表面自由エ
ネルギーである。
*3 これらについてはアトキンスの 25・2 を参照せよ。現在表面の研究で非常に活用されている走査型
トンネル顕微鏡
トンネル顕微鏡(アトキンス I9・1)の開発に対して、1986 年ノーベル物理学賞が贈られた。
- 101 -
しての表面研究の歴史はまだ浅く、未解決の問題も多いのである。
超高真空中で可能な限り欠陥や不純物を取り除いた理想的に清浄な表面といえども、そ
の原子配列は結晶内部のものと異なることが多い。しかも表面構造は面方位、表面の作成
方法、温度などによっても変化する。原子スケールで見た表面構造は、表面の様々な性質
を左右する支配的な因子である。したがって、表面構造を探る実験法は表面を理解する上
で重要である。表面構造を決める実験法は大きく分けて、回折法、顕微鏡法、電子分光法
がある。回折法としては特に電子回折が有力な測定手段である。電子分光法とは、物質に
何らかの手段によりエネルギーを供給して、物質から放出される電子または物質と相互作
用した後の電子のエネルギー分布や角度分布、それらの励起源(光や電子など)のエネル
ギー依存性などを測定することによって、物質のエネルギー状態に関する情報を得る研究
手段である。実例の紹介がアトキンス 25・2 にあるので見てみよう。
もし表面が清浄ならば、最上層は再配列(再構成ともいう)していたり、時には再配列
していなかったりする。再配列していない表面では、表面の第 1 原子層と第 2 原子層間の
面間隔が、本体内の平行な原子面間隔に比べて縮小していることがどちらかといえば多い*1
(拡大する場合もある)。これは表面格子の緩和あるいは表面緩和と呼ばれている(図 3
( No.11)左下参照 )
。このとき、原子は表面において、本体内の単位格子を表面に投影した
配列の構造を持っており、原子間距離だけが本体と異なっている。
このことは原子の変位が新しい表面基本単位格子を作る再配列構造とは対照的である。
再配列が起こると、表面原子の変位は一様ではなく、そのため、表面の二次元格子の単位
胞が結晶内部に比べて大きくなり二次元超格子構造が生じる(図 3(No.11)参照)*2。金属で
は時々、しかし非金属ではほとんど、この超格子構造を形成している*3。表面再配列は表
面において切断された共有結合あるいはイオン結合の再配置の結果であると考えることが
できる。共有結合によって形成されている結晶においては、表面ができるときに、飽和し
ていない化学結合が空間内に残される 。このとき、隣り合った原子が互いに近づいて、
*4
残された価電子が化学結合を作るならば(=ダングリングボンドが減少するならば)、す
なわち、歪みエネルギーにうち勝つだけ結合エネルギーの利得があれば、全エネルギーは
下がるであろう。このとき原子の移動距離はときには 0.5 Åにまで及ぶことがある。
表面近くの電子の状態は結晶内部のものとはかなり違っており、表面における原子配列
構造と密接に関係している。表面の様々な再構成構造の起源も、表面の
表面の電子状態の安定化
に求めることができる。表面における化学反応、例えば原子の吸着、分子の解離などを支
*1 表面は 2 原子分子と結晶本体の構造との中間物と考えることができる。2 原子分子における原子間
距離は結晶本体における距離よりも小さいので、表面原子の間隔が縮小するのは合理的である。
*2 元々存在する結晶構造(この場合は結晶内部の格子)にさらに重なって秩序構造(この場合は表面
格子)が形成された格子なので、これは超格子である(2・3・3a(8)参照)。
*3 金、白金、イリジウム、モリブデン、タングステンの金属表面、あるいはシリコン、ゲルマニウム、
ガリウムヒ素などの多くの半導体表面では超格子が作られる。
*4 このように表面層の原子は結合の相手を失った状態になり反応性に富んで不対電子が占める結合を
持つ。この結合をダングリングボンドという(図 4(No.11))。ここには不純物が捕らわれやすいし、強
い吸着が生じやすい。
- 102 -
配するのも、表面の電子状態である。
b 表面の
表面の指定と
指定と表面格子
固体表面を頭の中で作り出すには、無限に大きい結晶をある格子面に沿って二つに分け、
無限に離せばよいわけで、つまり結晶の表面は格子面で指定される。一般に結晶の表面は
例えば W(100)のように記述される。まず W でタングステンの結晶であることが指定さ
れ、特に何も述べられていなければ、最も安定したα相の W、すなわち bcc 構造の(100)
面が表面を形成していることを述べていることになる。
表面においてはそれに垂直な方向の並進対称性は失われているので、表面では二次元の
対称性である。この面内の基本並進ベクトル(これは結晶の基本並進ベクトルである)を a1、
a2 とする。再構成が起こっている表面では単位格子の大きさが異なるので、その基本並進
ベクトルを b1、b2 とする。よく用いられる記号は 2 種類ある。第一のものは、b1 と b2 が
なす角が a1 と a2 のなす角に等しい場合に用いることができる。記法は b1、b2、a1、a2 の大
きさを b1、b2、a1、a2、そして b1 と a1 の間の角度をθとして(b1/a1 × b2/a2)R θと書く。例
えば、図 1.2(No.11)は W(100)表面で起こっている再構成であるが、表面格子はこの記法
では明らかに(√ 2 ×√ 2)R45 °ということになる。もう一つの記法は、新しい単位格子
の基本並進ベクトル c1、c2 を a1、a2 と同じ方向に取り、c1 = ma1、c2 = na2(m、n は整数)
となる m、n を用いて p(m × n)と書く(p:単純格子)。このようにしてとった単位格子
は必ずしも最小単位格子とは限らず、面心に格子点がある場合があり、そのときは c(m
× n)と書く(c:面心格子)。単純格子の場合は p を省略することが多い。また、(m × n)
の括弧を省略することもある。例えば、Si(111)7 × 7、Si(111)2 × 1、Ge(111)2 × 8、Si
(100)c(4 × 2)のように記述する。
三次元 Bravais 格子は 14 種類あったが、二次元 Bravais 格子は 5 種類に大別される。二
次元の単位格子の基本格子ベクトルを a、b とし、a、b のなす角をγとすると、正方(|a
|=|b|、γ= 90 °)、直方、面心直方(|a|≠|b|、γ= 90 °)、六方(|a|=|b|、γ= 120
°)、斜方(|a|≠|b|、γ≠ 90 °)である。
c 電子の
電子の密度分布と
密度分布と仕事関数
導体または半導体の一様な表面の仕事関数 W は、電子の Fermi 準位(2・1・2 参照)と真
空中の準位との間のエネルギー差として定義される(アトキンス 8・2(a)参照)。真空中の準
位とは表面から十分遠方に静止している電子のエネルギーである。言い換えれば、表面か
ら電子を一つ取り出すのに必要な最小のエネルギーを仕事関数という。ここで、電子を取
り出す位置は、表面からの距離が格子間隔に比べてはるかに大きいが、結晶の大きさより
は小さいとしておく。
仕事関数は表面の物理的・化学的性質を決定づける重要な量である*1。表面を構成する
*1 特に熱電子放出、光電子放出、接触電位差などの現象について重要である。金属や半導体が加熱さ
れると、固体内部の電子が外部に放出される現象を熱電子放出といい、放出される電子を熱電子とい
う。物質に光を当てたとき、光励起された物質内電子が表面から外部に放出される現象を光電子放出
(外部光電効果ともいう)といい、放出される自由電子を光電子という。
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原子の電気陰性度と仕事関数との間にはおよその相関関係が認められる。しかし、相関は
ばらつきが大きく、結晶表面によって値が異なる。これは仕事関数が表面原子の価電子状
態を反映する一方で、表面における電子のミクロな密度分布で決定されるからである。電
子密度が比較的高い金属では表面の電気 2 重層 のポテンシャルで電子が表面内に閉じこ
*1
められ、それによって仕事関数が支配されていることが分かる。結晶面によって仕事関数
が少しずつ異なるのは、原子スケールで見た電荷分布が表面構造によって異なるからであ
り、表面における電気二重層の強さが表面にある正電気を持つイオン殻の密度に依存する
からである。
仕事関数 W は絶対零度における光電子放出のしきい値に等しい。もし h νを入射光子
のエネルギーとすれば、放出電子の運動エネルギーを EK として、Einstein の式は h ν= W
+ EK となる。また、熱電子の放出率は仕事関数に指数関数的 exp(- W/T)に依存する。
d 固体の
固体の吸着現象
固体表面のごく近くに原子が接近すると、原子と表面を構成する原子のオービタルの間
に重なりが生じ、共有結合力が働く。電子の密度分布が原子と表面との中間領域で増加し
て、吸着原子のイオン芯を表面に引きつけるためである。このような吸着のエネルギーは
水素原子の場合、2 ~ 3 eV 程度であり、共有結合の機構は通常の分子で見られるものと
本質的に同じである。このような吸着を化学吸着という。
希ガス元素や閉殻構造の安定な分子は、固体表面との間にオービタルの重なりは生じな
いので、化学吸着は起こらない。このような粒子は van der Waals 力によって、表面の遠
方で弱く束縛される。これを物理吸着と呼ぶ。分子によっては表面の遠方で物理吸着して
いるが、表面に接近すると原子に解離して化学吸着することがある。これは解離吸着と呼
ばれ、遷移金属の表面でしばしば観察される。金属が錆びるという現象は、金属の表面に
酸素分子が化学吸着(、解離吸着)して酸化物ができる現象である。
e 吸着と
吸着と触媒作用(アトキンス 25・3 ~ 25・7)
吸着という現象は一般的には次のように定義される。『気相または液相中の物質が、そ
の相と接触する他の相(液相または固相)との界面において、相の内部と異なる濃度を保
って平衡に達する現象』従って、界面活性剤が水の表面に膜を張る現象も吸着である。界
面の濃度が大きくなる場合は正吸着、小さくなる場合は負吸着という。吸着の逆現象は脱
着という。これに対して、吸蔵は気体や液体分子が一団となって固体の内部に入り込む、
取り込まれる現象(例えば水素吸蔵合金)である。また、吸着と吸収の違いは、吸着はあ
くまでも表面あるいは界面での現象であるということである。吸着現象において、吸着さ
れる物質を吸着媒あるいは基質、吸着する物質を吸着質という。吸着質は気体の他に液体
もある。身近な例で考えてみると、シリカゲルという吸湿剤は水分子を吸着させる。脱臭
剤は活性炭に臭いの分子が吸着する。活性炭はまた水道水の精製のために、浄水器に使わ
れている。
*1 表面のイオンは一方は真空と接し、他方は基層の原子と接していて、非対称の環境の中にいるので、
電気二重層が発生する。
- 104 -
固体表面は非常に化学的に活性な状態であり、他の物質を吸着しやすい状態にある。こ
れをミクロレベルで考察すると、上述の d のように考えることができる。これに対して、
吸着現象を熱力学的に考察すると、吸着が自発的に起こるためには、吸着による自由エネ
ルギー変化が負でなければならない。そのためには、吸着によって気体のエントロピーは
必ず減少するので、その減少を上回るだけのエンタルピーの減少がなければならない。つ
まり、吸着はエンタルピー効果によって起こる、ということがわかる。解離吸着の場合は
エントロピーが増大するので、エントロピー効果によって吸着が起こる。
吸着は上述した物理吸着と化学吸着に大別されるが、その区別は必ずしも厳密ではない。
物理吸着では吸着質は吸着後も元の個性をそのまま保持しており、吸着力は基本的に van
der Waals 力である。従って、吸着エンタルピー
吸着エンタルピーΔ adH は小さく、吸着質の上にさらに吸
着質が吸着する多層吸収が起こる。これに対して、化学吸着においては、吸着によって吸
着質分子は解離したり、吸着分子と電子を共有する。吸着力は従って、化学結合力である。
吸着エンタルピーは比較的大きく、単一層吸収までしか起きない。吸着エンタルピーの値
はアトキンス表 25・1、25・2 を参照せよ。例えば水素分子 H2 の吸着を考えてみると(M
は吸着媒である)、
物理吸着
M + H2 → M・H2
化学吸着(解離吸着)2M + H2 → 2M・H
H2 分子のまま吸着する
(11)
H 原子として吸着する
(12)
表面がどれだけ吸着質に覆われているかは被覆率θで表す。
θ= V/V ∞
(13)
ここで、V は吸着された吸着質の体積で、V
∞
は完全な単分子層に相当する吸着質の体積
である。吸着質同士に相互作用があるため、一般に吸着エンタルピーは被覆率に依存して
変化する、Δ adH(θ)。任意の被覆率における吸着の標準エンタルピー変化を吸着等量エ
吸着等量エ
ンタルピーという(アトキンス例題 25・2 参照)。
(1) 吸着平衡(アトキンス 25・4)
吸着速度あるいは脱着速度は被覆率の変化速度 d θ/ d t で表す。吸着質の脱着速度と気
相分子の吸着速度が等しくなった状態を吸着平衡という。吸着平衡にある系に対して、一
定温度の下で、一定量の吸着媒に対する吸着量 V が圧力 P の変化に伴ってどのように変
化するかを表すのが吸着等温線である。気体吸着の理論式として以下の二つが著名である。
Langmuir の吸着等温式:化学吸着により単分子層が形成される場合の理論式
。実際には、
吸着等温式
固体表面上の気体の吸着は吸着気体分子が凝縮を起こすのが一般的で、従って単分子層を
越えて吸着するので、この式が成立する範囲は限定される。吸着平衡にある系に対して、
以下の仮定をする(前提として、固体表面に吸着点が一様に分布しているとする)。
仮定Ⅰ:脱着速度は被覆率θに比例する。
d θ/d t =- kd N θ
(25・3b)(14)
ここで、kd は速度定数、N は吸着点の総数である。これは吸着質間に相互作用がないと仮
定することを意味する。
仮定Ⅱ:吸着速度は気体の圧力 P と吸着質によってまだ覆われていない表面の割合(1 -
θ)に比例する。
d θ/d t = ka PN(1 -θ)
(25・3a)(15)
- 105 -
つまり、吸着されていない表面では場所によらず吸着エンタルピーが一定(=吸着点が全
て等価で互いに無関係)で、吸着されている場所に気相分子が衝突しても吸着されないこ
とを仮定している。吸着平衡では脱着速度と吸着速度が等しいので、式(14)、(15)より次
の Langmuir(ラングミュア)の吸着等温式が得られる。
θ= KP /(1 + KP)= P /(K -1 + P) K = ka /kd
(25・4)(16)
圧力が小さいとき、θ∝ P あるいは、V ∝ P となり、圧力が大きくなると、θ~ 1、つま
り V が飽和する、というように化学吸着の実験結果を再現している(アトキンス図 25・5 参
照)
。アトキンスの例題 25・1 を参照せよ。
BET の吸着等温式:多分子層が形成される場合の理論式。
V/Vmon = cz /{(1 - z)(1 -(1 - c)z)}
z = P/P*
(25・8)(17)
ここで、Vmon は単分子層で覆われたときの吸着質の体積、P*は測定温度における気体の飽
和蒸気圧である。また、c は近似的に exp{(E1 - EL)/RT}に等しい。ただし、E1 は多分子
層と考えられる吸着層の第 1 層における気体 1mol の吸着エンタルピー(つまり固体表面
と吸着分子の結合の強さ)、EL は気体の液化エンタルピー(つまり気体の凝集力、言い換
えれば、吸着分子間の結合の強さ)である。吸着分子の面積が分かれば、Vmon を求めるこ
とによって固体の表面積を計算することができる(アトキンス例題 25・3 参照)。この式は一
般に 0.05 < z < 0.35 の範囲で実験と良く一致する。しかし、低圧では吸着度を過小評価
し、高圧では過大評価してしまう。すなわち、圧力が低い z ≪ 1 のとき、V/Vmon ~ cz /(1
+ cz)なので、cz ≪ 1 のときは V/Vmon ≪ 1 で、cz ≫ 1 のときでも V/Vmon ~ 1 であり、圧力
が低いと単分子層までしかできないことになる。圧力が高く z ~ 1 のとき、V/Vmon ~ 1 /(1
- z)≫ 1 となり、かなりの多分子層ができることになる(アトキンス図 25・19 参照)。
液体の吸着等温式(溶質の固体吸着媒への吸着)としては、Langmuir の吸着等温式が
しばしば液体の吸着にも有効である。その際には、式(16)の P を c(溶液中の溶質の濃度)
に置き換えて用いる。
θ= Kc /(1 + Kc)= c /(K
-1
+ c)
K = ka /kd
(18)
Freundlich の吸着等温式:溶液中での吸着に対する経験式。
y = k c1/n
(19)
ここで、y は単位吸着媒に吸着される溶質の重量で、k と n は経験的パラメータである。
指数 1/n は吸着の強さの尺度となる。式(19)の両辺の対数をとると、
lny = lnk +(1/n)lnc
(20)
となるので、lnc に対して lny をプロットすると、直線の勾配から(1/n)が、切片から lnk
が求められる。Freundlich( フロイントリッヒ)の式は気体の吸着等、その他の多くの吸着系
にもうまく適用できる。気体の場合は c の代わりに圧力 P を使う(アトキンス 25・4(c)参照)。
(2) 触媒作用(アトキンス 25・6、25・7)
プラスチック、合成繊維、肥料、農薬などの薬剤といった化学製品を工場で作る反応の
大半は触媒作用を利用している。消化、代謝などの生体中で進む化学反応の多くも、酵素
などの触媒を助けを借りて進んでいる。また、NOx、SOx、CO、炭化水素などによる大気
汚染を防ぐためにも広く触媒が用いられている。触媒はエネルギー問題、環境問題などに
対する重要な研究分野の一つでもある。新しい触媒が開発されることにより、従来使えな
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かったものが有用な資源となったり、環境に有害な物質が取り除かれたり、エネルギーの
節約・有効利用が可能になったりするからである。
これまでにも指摘したように固体表面の原子は化学的活性が高く、特異的な機能が期待
できる。その中で重要なものの一つが触媒作用である。固体表面に化学吸着した分子は、
化学変化を受けて気相中や液相中にある状態とは著しく異なっており、特異な反応性を持
つようになる 。従って、このような化学吸着種を用いる化学反応
*1
*2
は、気相や液相中の
反応とは著しく異なっており、その反応生成物や反応速度も違ってくる。例えば、アンモ
ニアの合成において、反応性に乏しい窒素分子がある温度以上になると、解離して鉄の表
面に吸着するようになるので、水素がそれと容易に反応してアンモニアを作ることが出来
るようになるのである。この性質を利用した触媒作用を、特に固体触媒作用あるいは不均
一系触媒作用、その反応を固体触媒反応あるいは不均一系触媒反応という。均一系触媒反
応に比べて生成物からの触媒の分離や再処理が容易であるため、実用的には触媒反応の大
半がこの固体触媒反応である。触媒の性質は触媒活性(触媒作用の尺度)と触媒の
触媒の選択性
で評価される。固体触媒を用いる触媒反応では反応の座が触媒表面に限られるので、触媒
活性を評価するためには触媒の表面積を知らねばならない*3。また、吸着剤等の能力を比
較するときも表面積測定が必要である。このとき BET の吸着等温式を用いて固体の表面
積を評価することができる(最も良く用いられる方法)。
具体例をいくつか見てみよう。O2 と H2 は直接反応しにくいが、金属銅に O2 を吸着さ
せ(=銅は酸素によって酸化され酸化物ができる)、
2Cu + O2 → 2CuO
(21)
次に H2 を導入すると(=銅表面の酸化物は水素によって還元され元の銅に戻る)、
CuO + H2 → Cu + H2O
(22)
酸素と水素の混合気体だけでは全く反応しないのに、金属銅が共存すると反応が進む(=
銅の表面で酸素による酸化と水素による還元が繰り返されて水ができる)。
不均一系触媒反応の機構については、Langmuir-Hinshelwood(ラングミュア-ヒンシェル
ウッド)機構と Eley-Rideal(イーレイ-リディール)機構がある(アトキンス 25・6 参照)。
水素と重水素との反応
H2 + D2 → 2HD
は、種々の金属表面の触媒作用を受けるが、例えば清浄なモリブデン表面上での低圧(~ 10
-6
mmHg)での反応は LH 機構に従う。すなわち、水素分子と重水素分子は表面に吸着後
原子に解離し、表面上で HD が生成し、それが表面から離脱する。ところが、ニッケル表
面上での低圧(~ 10-7 mmHg)における反応では ER 機構に従う。すなわち、この場合も
水素分子と重水素分子は表面に吸着後原子に解離するが、この吸着種(H と D)と気相に
ある水素分子や重水素分子との衝突により HD が生成する。
*1 物理吸着は固体触媒反応においては重要な効果はない。
*2 このように反応の起こる場所が相界面にある化学反応を不均一系反応という。
*3 反応速度論的には、吸着質は気相分子よりもはるかに小さな活性化エネルギーを持つようになる。
従って、不均一系反応の反応速度は界面の面積に関係する(しばしば比例すると仮定される)。そのた
め、触媒はその表面積を出来る限り広く保つように工夫されている。
- 107 -
ところで、全ての気体が固体表面に化学吸着するわけではない(アトキンス表 25・4 参照)。
例えば、H2 は鉄、ニッケル、コバルトなどの遷移金属に限られる。N2 は鉄、ルテニウム
等ほんの一部に限られる。触媒活性は化学吸着の強さに依存するが、吸着質と吸着媒の結
合が強すぎると、他の反応物分子が吸着質と反応できなくなるか、吸着質が表面で動けな
くなるかのどちらかの理由で、かえって触媒活性は低下する。例えば、金属アルミニウム
は酸素と触れると強く結合し、酸素は原子状に解離して表面に酸化物(あるいは表面吸着
酸素)ができる。しかしそのできた酸化物は非常に安定で水素により還元されにくい。従
って、水素と酸素の混合気体がアルミニウムに触れても、触媒作用は生まれない。銅表面
のように酸化と還元の両方が適当な速度で進む条件下で始めてこの反応の触媒作用が生ま
れるのである。無触媒の場合と異なった反応経路、より容易に反応が起こる経路が触媒に
よって提供され、その結果として反応の活性化エネルギーは低下している。
このような酸化還元の繰り返し反応は、排気ガス中の有毒なガスを除去する触媒作用に
も見られる。実用化されている触媒反応は次の二つである。
NO + CO + Hydrocarbon → N2 + CO2 + H2O
(23)
NO + NH3 + O2 → N2 + H2O
(24)
(23)の反応は自動車の排気ガスに含まれる NOx、CO、炭化水素を同時に除去しようとい
う技術で、三元触媒法と呼ばれている。触媒としては Pt や Rh 金属をモノリスというアル
ミナ・シリカ・マグネシウムなどから作られる蜂の巣状の担体に付けたものが用いられて
いる。(24)の反応は工場や発電所のボイラーからの排気ガス中の NOx の除去に用いられ、
触媒としては V2O5、WO3、TiO2 系のものをムライト質*1 の蜂の巣状担体に付けたものが使
用されている。地球規模の環境汚染は深刻な問題であり、このような有毒な物質の除去触
媒の開発は重要である。
触媒作用において、反応の選択性は最も重要なポイントの一つである。例えば、水素と
一酸化炭素の気体からは、触媒を選ぶことにより、メタノール、メタン、ガソリンなどを
選択的に作ることができる。一例としてメタンを原料として合成ガス(H2 + CO)を経由
してガソリン成分の炭化水素を作るフローチャートを示す*2。
CH4 + H2O
Ni
CH4 + CO2
→ CO + H2 →
CH3OH →
Cu-Zn-Cr
gasoline
(25)
ZSM-5(2・3・5b 参照)
Ni-Mg
同じ反応物からいくつかの異なった種類の反応生成物ができ得る場合、触媒によってその
選択性が異なり、ほしいものだけを作る技術が求められる*3。自然界では酵素反応がそう
*1 ムライトは高温下で安定な唯一のケイ酸アルミニウム化合物。化学組成は 3Al2O32SiO2 - 2Al2O3SiO2
の範囲が可能
*2 石油代替資源として石炭・重質油・天然ガス・バイオマスからの人工石油の製造技術の開発が活発
に行われている。
*3 1・5・1 のキラル触媒を参照せよ。また、選択性を上げることは、資源の有効利用、環境問題とも関
連してくる。不必要なものが副生成物として出来ると、それだけ主生成物の量が減るだけではなく、
副生成物の処理に余計なエネルギーや手間がかかるようになるからである。
- 108 -
である。触媒によって異なった反応経路を通って特有な反応生成物ができてくる。これま
でに作られたことのない新しい物質が、新しい触媒の開発の結果得られ、新しい化学工業
が創生された例は少なくない。
以上をまとめると、触媒活性と選択性を支配する因子は反応物と触媒が形成する反応中
間体の構造とその安定性である、といえる。反応中間体は不安定すぎると生成しにくいし、
逆に安定すぎると分解しにくくなり、いずれにしても触媒活性を下げる結果となる。反応
の選択性はどのような形の反応中間体が作られるか(=どのような反応経路を通るか)で
決まってくる。
☆ 光触媒
光触媒反応とは、触媒あるいは基質の光吸収によって起こる触媒反応である。例えば、光合成は光
*1
触媒反応である。ここでは TiO2、SrTiO3、ZrO2、NaNbO3 などの酸化物半導体
を利用した光触媒反応
を紹介しよう。化石燃料は太古の植物が 炭酸同化作用によって太陽エネルギーを貯蔵してくれたもの
である。このような光合成を人工的に行うことのできる可能性を秘めている光触媒が、上記酸化物半
導体に Pt などの貴金属を分散担持したものである。これらにバンドギャップに相当する光を照射する
*2
と、半導体内部に生成する電子と正孔による水の光分解で水素と酸素が発生する 。もし可視光での水
*3
の分解が可能になれば 、太陽エネルギーを水素ガス(水素エネルギー)という化学エネルギーに変換
して、燃料という形で太陽エネルギーを貯蔵することができる(2・1・4d 参照)。これは太陽光をエネ
ルギー源としているという意味では光合成と同じなので、上記のシステムは人工光合成と呼ばれる。
光触媒(特に TiO2 )はこの他にも、紫外線を吸収し活性酸素を発生することにより、水中および空気
中の、あるいは付着した汚れ(有機物など)を分解したり、バクテリアを殺菌するなど、抗菌、脱臭、
防汚などの効果があるので、大気浄化、浄水に利用できる。例えば、病院の壁のタイルの表面を酸化
チタンの薄膜で覆うと、病院内の細菌を殺し、脱臭もしてくれる。高速道路のトンネルの中に使うと、
排ガス中の有機物だけでなく、NOx や SOx も分解する。さらに酸化チタンに光照射すると著しく水濡
れ性(2・4・2b 参照)が良くなる光励起親水化現象を示し、曇り止め、セルフクリーニング効果がある。
これらの機能を利用した製品は実用化されている。
2・3・5 包接化合物
シリカゲルや活性炭は吸着剤として身近な存在であるが、これらに共通な特徴は同じ体積の固体と
比較して、その表面積が非常に大きいということである。ここでは表面の働きが重要な結晶について
考えてみよう。
a 包接化合物(
包接化合物(クラスレート化合物
クラスレート化合物)
化合物)
2 種の分子が適当な条件の下で結晶を作るとき、一方の分子(これをホストという)が
トンネル形、あるいは層状または立体網状構造のクラスターを作り(これを包接格子とい
*1 TiO2 は歯磨き粉、化粧品、塗料などに白色の顔料として用いられている。
*2 価電子帯の電子が伝導帯に光励起されると、生成した価電子帯のホールと伝導帯の電子が、それぞ
-
+
れ OH を酸化し、H を還元する。
*3 例えば TiO2 は紫外線で励起されるので、これが可視光で働くようにするための研究が行われている。
- 109 -
う)、その隙間に他の原子や分子(これをゲストと呼ぶ)が入り込んだ(これを包接され
包接され
たという)構造ができることがある。これを包接化合物あるいはクラスレート化合物
クラスレート化合物とい
う。ホストとゲストの間には著しい分子間力は作用せず、単に空洞の大きさと中に入る分
子の大きさが適合するかどうかが化合物生成の重要な条件となる。したがって、分子比は
厳密に一定の値を示さない(=不定比な)こともある(つまり不定比化合物となる)し、
ゲストは希ガス元素や二原子分子など小さな分子に限られる。
水分子や極性基を持つ有機分子が水素結合の網目構造を作り、その中に種々のゲストを
含む場合や、錯体の配位子が空洞を作りゲストを含む場合が代表的な例であるが、シクロ
デキストリン類やクラウンエーテル類などのように*1、1 個の分子自身が空洞を持ってい
て、その中に種々の分子やイオンを含むものもある。包接化合物として最初に知られた例
は、ヒドロキノン分子 HOC6H4OH が水素結合で作るかご形空間にメタノールが包接され
ている CH3OH・ 3HOC6H4OH である *2。図 15・ 96( No.11)にヒドロキノン-アセトニトリル
(3:1)の結晶構造、図 15・98(No.11)にシクロデキストリン-ヨウ素の構造を示す。
最も我々に身近な物質である水も包接化合物を作る。(気体)
気体)包接水和物(ガスハイドレ
ートとも呼ばれる)と呼ばれる化合物は、水がゲスト(室温程度で気体もしくは揮発性の
液体)を規則的に取り込んで結晶化した包接体である。外観は生成条件にもよるが、シャ
ーベット状であることが知られている。包接水和物結晶は、水素結合から成る結晶格子と
幾つかの空洞からできており、この空洞の中にゲストが取り込まれる。空洞が占有される
割合は温度と気相のゲストの分圧によって大きく変化する。水は氷となるときにアルゴン
やメタン、炭酸ガスなど比較的小さな気体分子を閉じこめて気体包接水和物となるが、こ
の中で最近新しいエネルギー資源として注目されているのが、メタンハイドレートである。
ハイドレートに含まれているメタンガスは、標準状態でハイドレートの体積の約 170 倍も
ある。これは低温高圧条件下でのみ存在し、天然にも同様の条件を満たす極地の永久凍土
の下部や深海の海底地層中に存在することが分かっており、その埋蔵量は日本周辺だけで
も日本の天然ガス消費量の 100 年分といわれている。効率よく安全にガスを取り出す技術
が確立されれば*3、膨大な未利用エネルギー資源の活用に大きく近づくことになる。また、
メタンを燃焼させたときにでる二酸化炭素の量は石油、石炭、天然ガスなどの従来の化石
燃料(長鎖炭素化合物)よりも少ないので、それらに代わるクリーンなエネルギー資源と
もなりうる。
b 多孔質化合物・
多孔質化合物・層状化合物
ゲストが出ていくと包接格子が壊れてしまうものもあるが(CH3OH・ 3HOC6H4OH がそ
うである)、包接格子だけでも安定に存在しうるものがある。結晶中に一次元や二次元の
*1 これらは現在超分子と呼ばれている。これについては「アドバンスト物理化学」で詳しく扱う。
*2 CH3OH・3HOC6H4OH を一つの化合物と考えれば、これは分子錯体と呼ばれる分子間化合物の一種で
あり、その意味で包接錯体という名称も用いられる。
*3 これが大きな問題である。メタンハイドレートは温度や圧力に極めて敏感な物質で、温度が上がる
か圧力が下がればハイドレートは瞬時にガス化し爆発を起こす危険性がある。
- 110 -
均一な微(小)空間(細孔や層)を持つ多孔質結晶 や層状結晶は、多岐にわたる分野で既
*1
に工業的に利用されているが、さらに広い分野で素材(機能性材料という言葉が使われる)
として利用されつつある(触媒、天然ガスや水素ガス等の気体吸蔵材料 、合成の場
*2
*3
と
しての利用等)。多孔質結晶は無定形多孔質 と比べて、細孔の構造、化学組成、化学的
*4
性質が均一で制御しやすいという特徴を持つ。代表的な多孔質結晶としては、ゼオライト、
モレキュラーシーブ(分子ふるい
分子ふるいともいう)、層状ケイ
層状ケイ酸塩
ケイ酸塩等がある。
シリカゲルは SiO2・nH2O で示され、平均細孔径は 5 ~ 40 nm(つまりナノスケール)。
乾燥剤や吸着剤としてよく利用される。アルミナは酸化アルミニウム Al2O3 のことである
が、広義には水和物 Al2O3・nH2O も含む。優れた乾燥剤である。ゼオライト(図 1、2(No.11)、
アトキンスの図 28・1 も参照せよ)は一般式 M2/nO・Al2O3・xSiO2・yH2O(M = Na、K、Ca、Ba、n
は価数、x = 2 ~ 10、y = 2 ~ 7)で表される化合物の総称。細孔径も 0.3 ~ 0.8 nm の各
種があり、細孔構造も一次元的な物から三次元的な物まである*5。モレキュラーシーブは
一般には合成ゼオライトの商品名であり、均一な細孔径を有する無機多孔性物質である。
細孔径より小さい分子は細孔内に吸着し、大きいサイズの分子は吸着しないので、その名
のとおり、混合物を分子の大きさによって分離することができる。
層状構造を持つ物質としては、すでにグラファイトなどを取り上げたが(2・3・3c 参照)、
この他にヨウ化カドミウム CdI2、 ZnS、 SiC、雲母、粘土鉱物などがある。粘土鉱物は二
次元層状化合物である。層は負に帯電しており、陽イオンを層間に吸着する。金属イオン
の場合には、イオン半径によって吸着の強さが決まる。有機分子イオンの場合には、官能
基と粘土面との相互作用や分子間の相互作用によって吸着構造が決まる。粘土面自身の触
媒作用や層間に触媒イオンを入れ込むことによって、反応性や選択制あるいは生成物の立
体規制など特色ある触媒作用を実現できる。
c 層間化合物(
層間化合物(インターカレーション化合物
インターカレーション化合物)
化合物)
インターカレーション化合物
層間化合物、挿入化合物あるいはインターカレーション
化合物も包接化合物の一種と考
えることができる。ある種の層状物質では、その平面状格子層を広げて、その間に他の原
子、イオン、分子が挿入され、母結晶(層状化合物)と新しい化合物を形成する。この現
象をインターカレーションといい、侵入種をインターカラントという。また、インターカ
レーションによって生じた化合物を層間化合物という。例えば粘土はその層間にいろいろ
*1 細孔はそのサイズにより、マイクロポーラス(2 nm より小さい細孔)、メソポーラス(2 nm ~ 50 nm
の範囲の細孔)、マクロポーラス(50 nm 以上の細孔)、と分類されている。
*2 例えば水素ガスを安全な形で貯蔵する手段として、金属(2・1・4d 参照)や多孔質物質、次の c で紹
介する層状物質(例えば炭素材料)等へ水素ガスを吸蔵させておく方法が盛んに研究されている。
*3 マクロな反応容器としてビーカーやフラスコを利用するように、分子の反応を扱うナノサイズの反
応容器としてゼオライトの細孔空間が利用できる。近年、このナノスペースを利用した光化学反応の
研究が活発になっている(2・6・2 ナノテクノロジー参照)。
*4 細孔の大きさが不均一な化合物。シリカゲル、アルミナ、多硬質ガラス
多硬質ガラス、活性炭等がある。
*5 前節でメタノールからガソリンを作るときの触媒 ZSM-5 はゼオライトを用いている。その細孔の大
きさが反応の選択性を左右することが出来るのである。
- 111 -
な物質を取り込むことができる。層を形成している原子と挿入された原子が化学結合して
いない場合もあるが、その間に電荷の移動や電子の授受が起こる場合もある。後者の場合
はもとの層状化合物とも挿入された化合物とも違う物性を示す。半導体に入る不純物種の
ように、インターカラントにも母結晶に電子を与えるドナーと、電子を受け入れるアクセ
プターとがある。いずれの場合も生じた層間化合物は、母結晶に比べて金属的良伝導性を
備えるようになる。もともと絶縁体、半導体、半金属の層状結晶が、制御されたインター
カレーションによって任意の伝導度の層間化合物になるという意味で、これらは合成金属
と呼ばれ、物質開発の一分野として研究されている。層間化合物は形状選択性を持つ触媒、
リチウムイオン二次電池の電極材料*1、超伝導材料などに用いられる多機能の機能性材料
である。このような性質はインターカレーションによって発現するのである。
代表例として、グラファイト層間化合物
グラファイト層間化合物(図 4(No.12))を紹介しよう。これは層状物
質であるグラファイトの炭素層の間に種々の原子や分子が侵入して作られる化合物で、合
成金属の代表的な物である。グラファイト自身は金属ではないが、グラファイト層間化合
物は金属的電気伝導を示す。そしてアルカリ金属-グラファイト層間化合物の中には、数 K
という極低温で超伝導を示す物が知られている。一般にグラファイトと挿入物質の間には
電荷移動が生じ、これが層間化合物の安定化に寄与するとともに、その物性を決定してい
る。このグラファイト層間化合物は、物質工学的には、銅線より電気抵抗の小さい線材、
選択制の良い化学反応の触媒、水素燃料の貯蔵材料、軽量大容量の固体電池等への応用が
研究されている。また、グラファイト、ダイヤモンドに次ぐ炭素の第三の同素体としてフ
ラーレン*2 が近年発見されたが、これもインターカレーション化合物を作り、K3C60 は超
伝導体(転移温度 19.3 K)になることが知られている。化合物ではカルコゲン化合物
カルコゲン化合物 TX2
(T は遷移金属、X はカルコゲン元素 S、Se、Te)が典型例である。
2・4 液体の
液体の構造*3
物性に関して考えたとき、結晶と比較して液体に特徴的なことは、例えば電気伝導率のような係数
がスカラー量であるという点である。一般に結晶中ではこれらはテンソル量であるが、液体中では分
子運動の平均化効果によりスカラー量となる。液体中で分子は並進、回転、振動の運動を行っている
が、並進、回転運動は気体中と比較して、かなりの束縛を受けており、また、この束縛の程度も液体
の種類によってかなり異なる 。分子運動という点で結晶と液体の大きな相違点は、並進運動(拡散運
*4
動といってもよい)に見られる。結晶中の原子の拡散については 2・3・3a(4)で触れたが、液体中ではこ
の拡散運動が顕著である(アトキンス 21・9 ~ 21・12 参照)。
*1 グラファイトが使われている。
*2
C60 や C70 をはじめとする一群の球殻状の炭素分子の総称。この発見に対して 1996 年にノーベル化
学賞が送られた。
*3 ここでいう「液体の構造」とは、基本的には液体中のある一つの分子のまわりに他の分子がどの様
に配置しているかということである。
*4 液体中の分子の運動を実験的に調べる方法についてはアトキンスの 21・5 を参照せよ。
- 112 -
2・4・1 動径分布関数(アトキンス 17・6)
物質は固体、液体、気体という存在形態を持つが、これについては別の分類の仕方もあ
る。固体は自らの形態を維持できるが、気体と液体は維持することが出来ない。容器に入
れる必要がある。そういう意味で気体と液体は同じであり、これらは流体と呼ばれる。相
図を見ても、液体と気体の相境界には臨界点が存在し、臨界点以上では液体と気体の区別
はない(定義上は気体である)。一方、密度に注目すると、固体と液体は密度にそれほど
の差はなく、粒子間相互作用が強く作用している。それに対して気体は密度が固体や液体
と比較してかなり小さく、平均して粒子間相互作用の影響はかなり小さい。この意味で固
体と液体は同じ系であり、凝集体(Condensed Matter)と呼ばれる。
液体は分子間相互作用の観点から見れば固体に似ており、分子間距離、密度、圧縮率な
どの物理量は固体の値に極めて近い。従って、分子の流動性は液体中に空孔があることに
よって生じるものと仮定し、液体を流動性を持った固体類似の物質と見なす近似法がとら
れた*1。一方において、液体は分子間に長距離の相関がないこと、臨界点が存在すること、
有限な粘性率を持つことなどむしろ濃厚な気体に類似しているとも考えられる。 van der
Waals 状態方程式を液体へ拡張することにより、気体類似の近似法は液体の分子論的アプ
ローチの先駆けとなった。
このように液体は気体と固体の中間的な状態であるために、分子論的な取り扱いが難し
く、歴史的に見るとその分子論的な研究は気体や固体と比較して遅れていた。1970 年代
以降、科学技術の進歩により物理的手法の測定精度や解析技術が発展するにつれて、液体
の構造を分子レベルで見ることができるようになった。その結果、液体はミクロには決し
て均一な構造をとっておらず、分子間相互作用に支配された不均一な短距離秩序構造 を
*2
とっていることが明らかになってきた。また、これらのミクロな構造は、液体の持つマク
ロな性質、例えば沸点、融点、密度、誘電率、粘性率などに反映されている。液体のミク
ロ構造(原子間距離、配位数、三次元構造、分子配列など)は X 線や中性子回折法によ
り決定することができる。特に、1970 年代後半から、液体の
液体の回折法に様々な発展がなさ
れ、液体の構造研究が飛躍的に発展した。
液体には短距離秩序が存在するので、局所的には構造を持っている。例えば、室温にお
ける水の局所構造は、X 線や中性子回折により、ほぼ氷の構造に近い四面体構造をとって
いることが分かっている。水の構造の特徴は、配位数が氷の場合の 4 より僅かに増加して
4.4 になっていることである*3。この事実は、水分子がモノマーとして四面体構造の空孔に
*1 液体を分子と空孔との集まりと考えるモデルを空孔模型という(図 1.8(No.12)参照)。これはより
一般的には格子模型と呼ばれるモデルの一つで、格子模型とは空間の格子点上に粒子もしくはスピン
などを配置することに基づいて統計理論を構成するモデルである。格子気体、溶液や合金などの溶体
の格子模型、磁性体論などがその例である。
*2 ミクロなスケールで見たとき、物質全体に秩序、周期性があることを長距離秩序がある、物質全体
にわたっては秩序はないが、局所的には秩序がある場合は、短距離秩序があるという。
*3 水は氷より密度が大きい。一般に結晶は融解して液体になるとその密度が小さくなるが、水は例外
的に大きくなる。氷が水に浮いているという現象は実は極めて特殊なことなのである。
- 113 -
は入り込んでいるためと解釈されている 。水の分子内構造は 25 ~ 200 ℃の範囲で大きな
*1
変化は認められず、固体及び気体中の構造とほぼ同じであることが分かっている。このよ
うに水中でも水分子のまわりには氷の時とほぼ同様に 4 個の水分子が水素結合で結ばれた
四面体構造をしている。ただこのような構造が結晶のように三次元的にずっと続くのでは
なく、距離が遠くなるにつれて乱れが生じ、数分子先では水分子の配置はランダムになっ
ているのである。このように局所的に存在する規則的な分子の配列(つまり短距離秩序構
造、局所構造)が「液体の構造」である。
X 線や中性子の回折実験 から得られる重要な物理量が動径分布関数 g(r) (あるいは
*2
*3
二体相関関数ともいう)である(アトキンス図 17・14 参照)。回折実験で得られる液体の構
造とは、時間的空間的平均構造であるということを注意しておく。このような液体の構造
を決めるのはもちろん分子間相互作用である。液体中では各分子は並進、回転、振動とい
った熱運動を激しく繰り返し、その相互位置を絶えず変化させているが、時間的空間的平
均をとると近接の分子間には、その相互作用により微視的構造が存在するのである。言い
換えれば、(回折実験から得られる)「液体構造」とは確率的に最も起こりやすい平均構造
である*4。液体は時々刻々変化しているので、回折実験で分かることは、注目する原子の
周りに平均して何個の原子がどのくらいの距離に存在するかという情報である。従って、
二体相関関数は原子間距離 r のみの関数である。X 線の回折強度のフーリエ変換が二体動
径分布関数を与える。しかし、これは厳密には単原子液体の場合にのみ当てはまることで、
多原子分子の液体になると近似的な意味での動径分布関数しか求まらない。
動径分布関数は液体構造に対する知見を与えるほかに、液体の様々な物性に対する知見
も与えてくれる。単原子分子のような球対称の構成要素からなる液体(つまり単純液体)
では、二つの分子間のポテンシャルエネルギーを V2(r)とすると、この系が N 個の分子か
らなる場合、その内部エネルギー U は
U =(3/2)NkBT +(N ρ/2)∫ V2(r)g(r)4 π r dr
2
(24・25)(1)
となる。ここでρ= N/V は平均数密度である。右辺の第 1 項は平均運動エネルギーであ
り、第 2 項は全ポテンシャルエネルギーである。内部エネルギーから様々な熱力学諸量が
導出されるので、g(r)が分かっていれば、様々な物性値を計算することができる。言い換
えれば、液体の物性を決めているのは、二つの分子間に働くポテンシャルエネルギーと分
子の分布を表す動径分布関数であるということができる。
1970 年以降、計算機シミュレーション
計算機シミュレーション(アトキンス 17・6(b)(c)参照)が液体の構造や物性
*1 水は我々にとって最も身近な物質の一つであるが、それにも関わらず液体の水の構造論は未だ統一
的でない。上記の構造モデルは混合モデルと呼ばれている。
*2 液体に X 線を照射すると、X 線散乱強度は物質によらずどれもよく似たパターンを示す。すなわち、
その不規則な分子配列のため、 ぼやけた 回折(これをハローという)が 少数観測される(これは比較
的鋭い第一ピークとそれに続く二、三のピークによって構成されいる)。
*3 これは、液体中の任意の 1 個の分子に原点をとったとき、そこから r 離れた点に別の分子が存在す
る確率を表す。
*4 瞬間的にはミクロな構造が平均構造からずれているかもしれないが、そのずれ(=ゆらぎ)は僅か
であろう。このあと 2・4・3 で紹介する超臨界流体ではこのずれが甚だしい。
- 114 -
の研究に用いられるようになった。計算機シミュレーションでは液体の三次元構造の情報
が得られる。すなわち、回折法から得られる構造因子や動径分布関数の実験値(これは一
次元情報である)とシミュレーションの結果(三次元情報)を比較することにより、より
信頼性の高い 2 体ポテンシャル V2(r)を決定し、液体の三次元構造を推定することができ
る。
☆ 相関関数
一般に、物理量 A 、 B に対して、平均値<AB>を A と B の相関関数(厳密には二体相関関数)という。
この値が大きければ、A と B は相関がある、小さければ相関がないと表現する。2 点 r、r'に対応する
物理量 A(r)、B(r')に対しては<A(r)B(r')>という空間相関関数が定義される。異なる時刻 t、t'に対して
は<A(t)B(t')>という時間相関関数が定義される。A = B のとき特に自己相関関数という。動径分布関
数は空間自己相関関数<A(r)A(r')>である。つまり、任意の時刻において r という位置に原子が存在す
るとき、r とは異なる r'という位置に原子を見出すことができるかどうか(すなわち原子の位置に関し
て空間的な相関があるか)という情報を動径分布関数は与えてくれる。液体における粒子の位置は時
々刻々変化しており、このように不規則に変化する物理量を取り扱うとき、相関関数という物理量が
重要になる。
2・4・2 液体の
液体の表面構造*1(アトキンス 18・7、18・8)
a 表面張力(アトキンス 18・7(a))
液体はその表面積を小さくしようとする傾向がある*2。液面に微小線分を考えるとき、
この両側の液面は、それぞれの面積を小さくしようとして互いに張力を及ぼし合う。単位
長さ当たりのこの力γを表面張力という。表面張力が生まれる原因を定性的に考察してみ
よう。
分子論的考察:液体内部の分子と表面の分子のおかれている環境の違いに注目する。前者
は平均してあらゆる方向から均等に引力(液体分子間の相互作用)を受けている。これに
対して、後者は平均して液体内部に向かう(=引っ張られる)力を受けている。従って、
液体表面の分子は内部に進もうとする(=引っ張られる)。
熱力学的考察:液体の表面は内部よりも自由エネルギーが高いので*3、表面分子が液体内
部に行くと系の自由エネルギー変化は負になる。つまり、自発的に表面分子は液体内部に
進もうとする。
その結果、液体内部に存在する分子の数を増やそうとする傾向が生まれ、それは巨視的に
は液体の表面積をできる限り小さくしようとする力(、傾向)を生む。これが表面張力で
ある。同体積で表面積が最小の形は球形であるが、これは表面自由エネルギーが最小の状
態である。実際に我々が目にする液面の形は、表面張力と重力の兼ね合いによって決まる。
*1 これは界面の物理的・化学的現象を扱う界面化学(界面科学)の一部であり、これについては 2・5・4
で考察する。
*2 2・3・4 における考察から推測されるように、一般に液体であれ、結晶であれ、その表面積が大きく
なることはエネルギー的に不利である。
*3 この過剰の自由エネルギーを表面自由エネルギー
表面自由エネルギー(=表面張力×表面積)という。
- 115 -
液体内部の分子を表面に引っぱり出して表面積を増やすためには、外から仕事をする必
要がある。温度一定で、「液体の表面 S を単位面積広げるのに必要な仕事 w」を表面張力
γという(アトキンス図 18・20 参照)。
γ = dw/dS
[18・36](2)
あるいは、「液体表面上に仮想した単位長さの線分を移動させるのに必要な力」を表面張
力という。液体の表面積を無限小量 dS 増やすために加えられた仕事は、表面に過剰の自
由エネルギー(表面自由エネルギー)dG あるいは dA を生む。このとき、
dG = dA = γ dS
(18・37)(3)
の関係がある。従って、表面張力は表面自由エネルギー
表面自由エネルギー密度
エネルギー密度と見なすことができる。表面
張力の単位は、N m-1(= J m-2)である。表面張力は液面の接線方向に働く。
表面張力の原因は液体分子間の相互作用なので、それが強いほど表面張力も強くなる。
アトキンス表 18・5 を見よ。水は水素結合があるためベンゼンやメタノールより分子間力
が強い。液体金属である水銀はさらに強い力が働いている。
b ぬれと毛細管現象
ぬれと毛細管現象(アトキンス 18・7(c))
固体表面を液体で覆うことをぬれという。これは、固-気界面を固-液界面に置き換える
ことである。固体、液体、気体の接触するところで、(気体に対する)液体表面の接平面(、
液面に引いた接線)が固体となす角を接触角θと呼ぶ。θが鋭角のとき、この液体は固体
をぬらすといい、θが鈍角のときはぬらさないという。例えば、ガラスは水銀でぬれない
が、水でぬれる。水銀はガラスをぬらさないが、銅をぬらす(アマルガムを作るから)。
ある液体が任意の固体表面をぬらすかぬらさないかは、分子論的には次のように考えれば
よい。液体分子同士の相互作用を I1、液体分子と固体表面との相互作用を I2 とする。I1 > I2
のとき = 液体の表面張力が勝つとき、ぬれない。I1 < I2 のとき = 固体表面に液体が広
がろうとする(表面張力に逆らって液体の表面積が増える)とき、ぬれる。つまり、ぬれ
るかぬれないかは、液体分子間の相互作用と液体分子と固体表面との相互作用の大小関係
によって決まる*1。
γ lg
気
θ
γ sg
液
γ sl
固
平坦な固体表面上に液体がレンズ状に接するとき、次の Young の式
γ sg =γ sl +γ lg cos θ
(6・20)(4)
が成立する(あるいはアトキンス図 18・24 のようなメニスカスの場合にも成立する)。こ
こで、γ sg、γ lg、γ
sl
はそれぞれ固体-気体、液体-気体、固体-液体の表面張力である。
γ sl -γ sg はぬれによる自由エネルギー(密度)の変化であり、それは接触角を測定するこ
とにより求められる。γ sl -γ sg =-γ lg cos θなので、接触角が 90 °以上の時は、γ sl
-γ sg > 0 となり、自由エネルギーは増大するので、ぬれない。
*1 ガラスの容器に入れた水と水銀を宇宙空間に持っていくと、水銀は球体になるが、水はガラス容器
の内側に張り付いて、容器の真ん中に球形の空間が出きる。これは水銀では I1 > I2 であるが、水はガ
ラスに対して非常に濡れやすく、I1 < I2 であるから。
- 116 -
接触角が小さいほど(自由エネルギーの減少が大きく、自発的に)ぬれやすい。表面を
ぬらしやすい(ぬらしにくい)液体の接触角は小さい(大きい)。ぬれやすい(ぬれにく
い)表面を作るために、表面を洗浄する(コーティングする)。表面を洗浄すると、I2 を
大きくすることができるので、I1 < I2 となる。表面をコーティングすると、I2 が小さくな
るので、I1 > I2 となる。車のワックスはぬれにくい(=水をはじく)表面を作る。水をは
じくレインコート、傘などは、水にぬれにくい(撥水性の)繊維で作られている。
固体を液体の表面に浮かべるとき、固体表面が液体によってぬれるかぬれないかが、固
体の浮き沈みに影響を与える。水より比重の大きな物質は浮力だけでは水には浮かない。
例えば、硬貨が水に浮くのは、硬貨の表面が水にぬれないときである。このとき表面張力
は液面の接線方向に働くので、物質を浮かせるように作用する。アメンボはこの表面張力
の力を利用して水に浮かんでいる。
平衡状態において、界面がある形や面積を持つ現象を総称して毛細管現象という。例え
ば、毛細管上昇、メニスカス、毛細管凝縮等がある。毛細管上昇のメカニズムは次のよう
に説明される。ガラス等の表面を液体がぬらすと、その結果液体の表面積が増大するので、
その増大を押さえようとして(液体の表面積をできる限り小さくしようとして)液面が上
昇する。固体表面を液体がぬらさないときは、液面が下降する(毛細管下降)。つまり、
毛細管上昇は表面張力と同じ原因による。毛細管上昇を分子論的に説明すると次のように
なる。固体表面と液体分子との相互作用により液体表面近くの分子は固体表面に吸着する。
このとき液体分子間の相互作用のために液体内部の分子も引っ張られ、結果として液体表
面が上昇する。液体分子間の相互作用が強いほど表面張力は強いので、表面張力の強い液
体ほどよく上昇する。つまり、液体分子間の相互作用が強いと、重力に逆らって分子間相
互作用によって液体分子を引っ張り上げることができるのである。管の半径が大きすぎる
と引っ張り上げなければならない液体の量が大きくなりすぎるので、重力に逆らって表面
を上昇させるのに非常に大きなエネルギーが必要となり(液体分子間の相互作用が非常に
強くなければならないので)液面の上昇は起きない。
従って、毛細管上昇を使って液体の表面張力を測定することができる(毛細管上昇法)。
毛細管表面を液体がぬらしているとき、液面が dh だけ上昇すれば 2 π rdh 液体の表面積
が減少するので、表面自由エネルギーはγ× 2 π rdh だけ減少する。体積がπ r2dh で密度
がρの液体を重力(重力加速度 g)に逆らって高さ h まで持ち上げることによる位置エネ
ルギーの増加分はπ r2dh ×ρ× gh である。この二つのエネルギー変化(液面の上昇に伴う
表面自由エネルギーの減少と位置エネルギーの増加 )が釣り合ったとき平衡状態に達する。つ
まり、液面がそれ以上上昇すると液柱を引き上げるための力学的エネルギーが、液体の表
面積の減少による自由エネルギー減少よりも大きくなってしまうところで平衡に達する。2
π r γ dh =π r2 ρ ghdh。従って、
γ= r ρ gh/2
(18・40)(5)
となる。
c 核生成(アトキンス 18・7(b)、18・8)
界面というものは、相転移(2・2・2b 参照)あるいは溶液から結晶が析出する現象(2・3・3b
☆結晶成長 参照)などを考えるときにも重要であることが分かる。液体が結晶化(、凝固)
- 117 -
するとき、あるいは気体が凝縮(、液化)して液体になるとき、それらの初期段階では微
小な結晶片あるいは液滴(これを小滴という)が液体中あるいは気体中に生まれる(した
がって、界面が発生する)。この様な微小な結晶片や液滴を核と呼ぶ。結晶化や凝縮等は
この様な核生成(、核形成)とそこからの成長の二段階に分けて考えることができる(2・3
・3b ☆結晶成長 参照)
。これは液相が固相に凝固する場合に限らず、固相が新固相に相転移
する場合(固相間転移)にも、あるいは、相転移の他にも溶液中から結晶が析出してくる
過程にも当てはまる。相転移や結晶の析出において速度論的に最も時間がかかる過程(こ
れを律速段階という)は核生成である。つまり、ある程度の大きさの核ができるまでに時
間がかかるが、一度そのような核ができてしまえばそれが成長するのにさほど時間はかか
らない。核形成過程では、核となる凝集体や下地となる固体の表面自由エネルギー密度が
重要な役割を果たす。
液体が結晶化するには過冷却状態を、気体が凝縮するには過飽和状態(過冷却状態でも
ある)を、溶液から結晶が析出するには過飽和状態を必要とする。つまり、核生成とその
成長はある程度の過冷却度あるいは過飽和度の下で初めて進行する。核生成理論は、蒸気
が凝結して液滴になる過程が最も簡単であり、それ以外の場合にも拡張して適用されるの
で、まずこれを考えてみよう。
過飽和の状態では、かなりの密度で蒸気分子が存在しており、偶然に少数の分子が集団
(クラスター)を作る確率が高くなる。ところで、平衡蒸気圧は一定温度の場合、液滴の
大きさに依存する。すなわち、小滴の平衡蒸気圧は、その温度における平坦な液面の飽和
蒸気圧よりも高くなる*1。蒸気圧が高いということは蒸気に成りやすいということなので、
このようなクラスターはできてもすぐに分解、気化してしまう。しかし、過飽和度がさら
に高くなると、この様なクラスターができる確率がさらに高くなり、したがって、そのよ
うなクラスターが近距離にいくつかできる可能性もでてくる。その結果、それまでのクラ
スターに比べてかなり大きな小滴ができる可能性がでてくる。この様な小滴は蒸気圧がそ
れほど高くないので、安定に存在しうる。これが核である(凝縮相が液相の場合は凝結核
凝結核、
結晶相の場合は結晶核という)*2。そしてこの現象を自発的核生成、あるいは均一核生成
という。
液体が凝固して微小な結晶片が出来る場合あるいは溶液から結晶片が析出する場合も同
様で、そのような結晶片は融けやすいあるいは溶けやすいのでなかなか成長しない。過冷
却あるいは過飽和が進行するとより大きな結晶片、すなわち結晶核が生成するようになる。
*1 液滴が小さければ小さいほどその蒸気圧 P は高くなる。これは、表面張力γを持った曲がった表面
は平坦な表面より余分な圧力を受ける(式(7)を参照せよ)ためその蒸気圧が上昇するからである(要
するに、分子が凝縮相から絞り出されて気体として逃げ出すわけである)。液体が半径 r の小滴として
分散しているときの蒸気圧は次の Kelvin の式で与えられる。
P = P*exp(2 γ Vm/RTr)
(18・45)(6)
ここで、P*は平坦な液体表面の蒸気圧、Vm は液体のモル体積である。
*2 その半径が臨界核半径 r*より大きな凝集体は、半径が増すほど系全体の自由エネルギー変化Δ G が
減少するため、成長が持続する。結晶核が形成されたというのは、凝集体の半径が r*を越えたときの
ことである。r*より小さい核ができてもΔ G は増大してしまう。
- 118 -
この様に過冷却という現象が起こるのは、転移点では核が生成できないので、熱力学的に
不安定な状態がそのまま存続してしまい、過冷却状態の下でなければ自発的核生成が起こ
らないからである。
身近な凝結、凝固過程としては霧や雲の発生、降雨があげられる。霧や雲というのは微
小な液滴または固体から成る。地面に接しているものを霧(極薄い霧を靄という)、空に
浮かんでいるものを雲と呼んでいる。地表面付近にある空気塊が冷えると(例えば放射冷
却によって)水蒸気の飽和蒸気圧が下がって、空気中の水蒸気は過飽和の状態になる。あ
るいは地表面付近の空気塊中にそれと接している水面から水蒸気が蒸発して空気塊中の水
蒸気が過飽和の状態になる。一方、水蒸気を含んだ暖かい空気が急上昇すると、上空は気
圧が低いので上昇した空気は断熱膨張して冷却する。膨張すれば上昇した空気の蒸気圧も
下がるが、温度の低下による飽和蒸気圧の低下の方が大きいので、過飽和の状態が実現さ
れる。しかし、一般にはこれらの状態では自発的核生成は起きず、空中に浮かんでいる塵
(これが凝結核になる)の周りに水蒸気が結露して水滴に成長する。これが霧あるいは雲
である。人工的に雨を降らせるときに使うヨウ化銀 AgI の煙は、氷の結晶核生成の触媒
である。氷の結晶はヨウ化銀結晶にエピタキシー成長*1 する。この様な外的原因による核
生成を不均一核生成という。過飽和溶液の結晶析出に際し、器壁に生じる結晶核は、多く
の場合器壁の固体表面における不均一核形成に基づく。
1 年の「化学実験」で溶液を加熱するとき、突沸をさけるために沸石を入れた。液体中
に少しも気体が溶けておらず、また容器も清浄なとき、沸点に達しても沸騰せず、液体の
温度が沸点を超すことがある(必ずしもこの条件を満たしていなくてもこの様な状態にな
る)。これを過熱という。過熱された液体の内部に爆発的に蒸気の泡が発生する現象を突
沸という。この突沸という現象を考えてみよう。沸騰は液体の内部からその蒸気が発生す
る現象であるが、液体内部に気泡(空洞)ができるということは、気-液界面ができると
いうことであり、液体の表面積が増えるということなので、表面張力が発生する。液体表
面が平面でなくて曲がっているときは、表面張力のために界面の両側に不連続的な圧力差
を生じることになる。最も簡単な半径 r の球面境界の場合、どちら側が液体であるかによ
らず、いつも凹側の方が
Δ P = 2 γ/r
(18・38)(7)
だけ圧力が大きくなる(アトキンス図 18・21 参照)*2。つまり、表面張力を持つ曲がった表
面は、(表面積を小さくしようとするため)その曲率中心に向かう力を生じるのである*3。
沸点で発生する気泡の r は非常に小さいので、気泡内の圧力(飽和蒸気圧、これはそのとき
の大気圧である )よりも非常に強い外圧を気泡は受けることになる。その結果発生した気
*1 ある結晶表面に他の結晶相が特定の方位関係を保って成長する現象をエピタキシーという。エピタ
キシーは半導体工学において、薄膜形成技術に利用されている(2・5・4f 参照)。
-4
-5
*2 式の導出はアトキンス根拠 18・6 を見よ。この式は r が 10 ~ 10 m より小さい場合には適用しない
方が良いであろう。
*3 ゴムは表面張力を持っている。ゴム風船をふくらませるとき最初に一番力がいるのは、r が一番小
さい状態なので、Δ P が最大だからである。風船が大きくなるに従って、膨らませ易くなるのは r が
どんどん大きくなっていくため、Δ P がそれに従って小さくなるからである。
- 119 -
泡はすぐにつぶれてしまい、成長できない。沸点よりもさらに温度が高くなると(過熱状
態)、発生する気泡の蒸気圧は大気圧より高くなるのでやがて自発的核生成が起こる。一
旦気泡にかかる圧力よりも大きな蒸気圧を持つ気泡ができると、気泡は膨張する。その結
果気泡内の圧力は下がるが、気泡が大きくなるため(気泡が浮いて表面に近づく効果も加
わって)気泡に掛かる圧力も小さくなるので、その結果気泡は膨張を続けて大きな気泡と
なる。これが突沸である。
2・2・2c でとりあげたスズは、金属性の白色スズが半導体の灰色スズに転移するには- 40
℃まで冷却しなければならない。平衡の転移温度は 13.2 ℃であるが、灰色スズの核生成
が進まないと転移しない。13.2 ℃以下で熱力学的に安定な状態は灰色スズであるが、速度
論的に白色スズも安定に存在する。
2・4・3 超臨界流体(アトキンス I 4・1)
1990 年代に入って、超臨界流体が「第二の溶媒」として注目を浴びている。物質の抽
出分離や化学反応の多くは液体の中で行われるが、超臨界流体の特異な抽出・溶解能力と、
反応媒体として有効性が注目を集めているからである。
物質の三態というと、気体、液体、固体であるが、気体とも液体ともつかない状態があ
る。それが超臨界流体である。純物質の相図を図 1(No.12)に示す。固体と液体を分ける
融解曲線は、現在のところ上限はないとされるのに対し、気体と液体の相転移線である蒸
気圧曲線は臨界点(アトキンス 1・3(d)参照)という終点を持つ。臨界点は液体と気体の区別
の無くなる点と定義され、この温度・圧力以上の状態にある流体を超臨界流体と呼ぶ。
超臨界流体の代表的な物性値を、気体や液体と比較して表にまとめた。
物性
-3
密度(kg m )
気体
超臨界流体
液体
0.6 ~ 1
200 ~ 900
1,000
-5
-5
10 ~ 10
-4
10-
粘性率(Pa s)
10
拡散係数(m2 s-1)
10-5
10-7 ~ 10-8
10-9
熱伝導率(W m-1 K-1)
10-3
10-3 ~ 10-1
10-1
3
超臨界流体はまさに気体と液体の中間に位置している。これらの値は物質による変化の幅
も表しているが、同時に一つの物質においても、僅かな温度・圧力の変化でこれらの値を
簡単にかつ大幅に変えることができることも示している。このことが超臨界流体の特異な
物性と密接に関係している。これを密度を例に考えてみよう。液体の溶媒としての特性は、
分子間相互作用によって決まる。分子間相互作用は分子種の個性によることはもちろんで
あるが、もう一つの支配因子は分子間距離といえる。通常の液体は非圧縮性であり、その
密度を大きく変えることは不可能であるが、超臨界流体は大きな密度変化すなわち分子間
距離の変化を一つの溶媒で担うことが可能であり、溶媒としての性質(例えば溶解度)を
自在にコントロールすることができる*1。これが超臨界流体が「第二の溶媒」として注目
*1 密度を変化させることが出きるということは、その誘電率(極性)も変化させることができるとい
うことである。例えば、超臨界水は圧力を変化させて密度を制御するだけで、比誘電率が約 6(無極性
溶媒に近い)から通常の水の値の約 80 まで変化させることが出きる。
- 120 -
を浴びている理由である。上記の表を見れば分かるように、超臨界流体は密度は液体に近
いが、粘性は(気体とほぼ同じで)非常に低く、拡散性も(気体に近くて)高いので、優れた
輸送物質性(1・3・3 参照)を示し、小さな細孔にも容易に浸透する。このような性質から、
超臨界流体はコーヒー豆からの脱カフェイン、ホップ中のアロマ成分の抽出、たばこの脱
ニコチン化などの抽出溶媒や、クロマトグラフィ-の分野で工業的に用いられている。さ
らに、環境保全技術へも利用されており、例えば排水中の汚染物質の抽出・分解除去、汚
泥の分解、石灰および重質原油の分解処理、廃プラスチックの分解・再利用などが挙げら
れる。粘性が低く拡散性が高い(さらに熱伝導も良い)という性質は、反応に好都合な条
件を提供しており、反応場としても興味深い。
超臨界流体の構造を分子レベルで見てみよう。図 2(No.12)は超臨界状態の模式図であ
る。構成分子は均一に分布しているのではなく、分布の密な領域(クラスター)と疎な領
域とからなり、ゆらぎの非常に大きな状態である。このクラスター生成が超臨界流体の特
異な物性を決めている。この図はスナップ・ショットであり、個々の分子は激しく動き回
り、集合・離散を繰り返している(=時間的空間的にゆらいでいる)。一般に粒子数が莫
大な系の巨視的な物理量(例えば温度、体積、圧力等)は、熱平衡状態においてはそのゆ
らぎは非常に小さい。しかし、超臨界流体は平衡状態であるにもかかわらず、このゆらぎ
が甚だしいのである。
もう少しこの密度ゆらぎについて考えてみよう。臨界点近くでは、
κ T =-(1/V)(∂ V/∂ P)T
[2・44](8)
で定義される等温圧縮率(1・1・1(a)の式(6)参照 )が無限大に近づく。つまり、圧力が少し
変わることによって、体積が大きく変化する、密度が大きく変化するというわけである。
流体の密度が大きくなると、各々の分子は次第に他の分子の存在を感じ始める。すなわち、
分子間相互作用が働くようになってくる。そして、図 3(No.9)に示すように、流体の挙動
はこの分子間相互作用の大きさと、系の全エネルギーの大きさとによって決定される。系
の温度が低い(=系の全エネルギーが小さい)と、相手分子はポテンシャルの谷から出る
ことはなく、互いに一定距離で結びついた構造をとる(液体状態)。温度が高くなると(=
分子のエネルギーが大きくなると)、分子間相互作用を感じるものの、それに束縛される
ことなくポテンシャルの谷の上を自由に運動する(気体状態)。エントロピー項を無視し
て言うと、ほとんどの分子が互いのポテンシャルに束縛された状態が液体状態であり、束
縛されていない状態が気体である。臨界点より少し温度の高いところでは、分子同士がポ
テンシャルの谷の入り口付近をふらふらと動いて、自由運動をしたり束縛されたりしてい
る。従って、部分的に束縛状態に入った構造(これがクラスター構造である)をとりやす
く、系の密度ゆらぎが非常に大きくなる。臨界点の上部で少し圧力をかけてやると、束縛
構造が広い範囲にわたって急に発達し、流体の体積は小さくなる(=密度が大きくなる)。
これが大きな圧縮率の原因である。すなわち、臨界点に近づくにつれてクラスター構造が
成長することが、いろいろな物性値の異常な振る舞いの鍵になっている。
- 121 -
2・5 ソフトマターの
ソフトマターの構造
ソフトマターという言葉は 1990 年代に入って使われるようになったが、これとほぼ同義語の複雑流
体 という言葉はそれより少し前から使われていた。このように新しい言葉、概念であるので、ソフト
マターという言葉の定義は人によって多少異なるが、基本的には 高分子 、液晶、コロイド 、アモルフ
ァス、 生体物質などの系を意味している。大雑把な言い方をすれば、これらは結晶と比較して柔らか
い物質なので、ソフトマターというのである。これらに超臨界流体(2・4・3)や液体金属(2・1・5b)な
ども加えて複雑流体と呼ぶこともあり、対象は多岐にわたっている。ソフトマターに共通する重要な
特徴の一つとして、その構成分子が比較的大きいことが挙げられる。つまり、これらはナノスケール
の大きさの系であり、 特異な
特異な立体構造を有するものも多い。また、結晶と比較してこれらの系では何
らかの 乱れを持っていることも共通した特徴である。高分子、液晶、コロイドなどは互いに関連深い
ので、(例えば、高分子溶液はコロイド溶液であり、濃度が高くなれば液晶になる)これらをソフトマ
ターとして一緒に考察することは有意義であると考えられる。
2・5・1 液晶と
液晶と柔粘性結晶
a 中間相
以下に紹介する柔粘性結晶と液晶は、結晶と液体の中間的な状態という意味で中間相(メ
ソフェイズともいう)と呼ばれ、液体でも固体(結晶)でもない第 4 の状態であると見な
すことができる*1。
結晶はそれを構成する粒子が規則的、周期的に配列している状態である。これを配置の
配置の
(長距離)
長距離)秩序があるという。粒子が分子のように形を持つ場合は、その向きも規則性、周
期性を持っている。これを配向の
配向の(長距離)
長距離)秩序があるという。結晶とはそれを構成する粒
子に配置と配向の長距離秩序がある状態である。これに対して、液体はそれを構成する粒
子に配置と配向の長距離秩序が無い、無秩序な乱れた状態である。ただし、2・4・1 で指摘
したように、全く無秩序というわけではなく、液体状態でも短距離秩序は存在する。
分子の重心の配置に関しては長距離秩序を持つが、分子の配向に関しては長距離秩序を
持たない結晶を柔粘性結晶という。言い換えれば、柔粘性結晶は分子配列に関しては結晶、
分子配向に関しては液体である。四塩化炭素やシクロヘキサノールのような球状に近い形
をした分子の結晶*2 が、柔粘性相を示すことが多い。この種の結晶は分子自身の対称性が
悪くても、その配向の乱れによる時間的、空間的な平均対称性の増大のため分子の平均構
造は球対称となり、その結果大抵の柔粘性結晶では金属結晶のように面心立方格子または
体心立方格子をとる( 2・3・1b( 3)参照 )。柔粘性結晶は非常に柔らかく、手で押しただけで
も容易に変形し、手を離しても変形したままの形を保ち、極端な場合は自重で変形、流動
する。つまり、弾性が無くなり塑性のみを示すようになる*3。
これに対して、分子配向の長距離秩序を(少し)持つが、配置の長距離秩序を(ほとんど)
持たない結晶を液晶という。棒状の形をした分子が液晶相を示すことが多い。例えば、p*1 第 4 の状態と呼ばれるものにはこの他にも、アモルファス(2・5・2)やプラズマ(1・3・2)、粉体(2
・5・4d)など幾つかある。
*2 分子結晶の他にイオン結晶でも柔粘性結晶が見つかっている。
*3 英語で塑性は plasticity、柔粘性結晶は plastic crystal と言う。
- 122 -
メトキシベンジリデン p-n-ブチルアニリン(MBBA)は
CH3O-C6H4-CH=N-C6H4-CH2CH2CH2CH3
のような細長い分子で、294 K 以下では固体であるが、294 K ~ 314 K まで液晶である。
柔粘性結晶は鋭い X 線回折ピークを与え、明確な融点を示すという点で多分に結晶的性
格を保有しているが、液晶は全く液体的である*1。つまり、普通の液体同様の流動性を示
す。しかし、光の屈折率が方向によって異なる 、つまり光学的異方性という結晶の特性
*2
を示す点で普通の液体とは異なっている(複屈折については 1・5・1b 参照)。その意味で液晶
を異方性液体と呼び、普通の液体を等方性液体と呼び区別する。MBBA は 314K 以上で等
方性液体となる。液晶の示す光学的異方性は、液晶が分子の配向に秩序を持つことに起因
している。
このように柔粘性結晶と液晶は固相と液相の中間的な状態であるので、中間相と呼ばれ
るのであるが、これらの系に共通していることは、これらの相に転移するときのエントロ
ピー変化が大きいため、融解におけるエントロピー変化が小さい、特に液晶の場合は非常
に小さいことである 。これは、液体状態になるときに獲得するエントロピーを、それ以
*3
前の相転移で獲得してしまうためである。
分子の配向に乱れがあるということは、ある瞬間に結晶全体を見たとき、各分子の配向
がバラバラだということである。このとき、任意の分子の配向に注目したとき、それが時
間と伴に変化しない(動かない)とき、これを静的な
静的な乱れという。これに対して、分子の
配向が時々刻々変化する、つまり分子が重心の回りで回転するとき、これを動的な
動的な乱れと
いう。その意味で、分子または分子イオンの配向が、一義的に定まっている秩序構造から
比較的乱れた構造(柔粘性相では完全に乱れている)への相転移を回転的相転移、柔粘性
相を回転相と呼ぶことがある。つまり、回転的相転移は回転運動に関する融解現象であり、
秩序-無秩序転移である。この意味において運動状態で固体、液体、気体を定義すると次
のようになる。固体とはそれを構成する粒子の並進運動と回転運動が強く制限されている
(したがって、粒子は平衡点の回りで振動(格子振動)している)状態、液体とはそれらの制限
が弱い(しかし、完全に自由に並進、回転はしていない)状態、気体とはそれらの制限が無視
できる(実質上自由に並進、回転している)状態である。
b 液晶(アトキンス I 6・1)
液晶状態を発現させる方法は二つある。MBBA のように物質の温度を上げることによ
って(相転移し)液晶状態が得られるとき、それはサーモトロピックな液晶であるといい、
水とか有機溶媒と共存させることによって液晶状態が得られるとき、それはリオトロピッ
*1 液晶の X 線写真は液体のそれとは少し異なり、写真上には多数の斑点が集まった回折リングが生じ
る。等方性液体になると、斑点は全て消失して少数のぼんやりしたリング状の回折写真になる。
*2 古くは液晶の実験的研究はもっぱら偏光顕微鏡によって行われていた。液晶を偏光顕微鏡で観察す
ると、普通の液体であれば暗黒であるはずの視野が明るくなる。このことから、液晶が光学的異方性
を持っていることが分かる。
*3 正確には、液晶相に転移する(すなわち分子の位置に関する長距離秩序が失われる)温度を融点、
等方性液体になる温度を透明点(液晶状態は白濁して不透明である)という。
- 123 -
クな液晶 であるという。液晶は大きく分けて 3 種類に分類される。正の光学的一軸性(1
・5・1b 参照)を示し粘性率が小さいネマチック液晶
ネマチック液晶(N)、負の一軸性を示すコレステリッ
*1
ク液晶(Ch)、そして光学的には一軸性あるいは二軸性で粘性率の特に大きいスメクチッ
*2
ク液晶(S)である(アトキンス図 6・33 参照) 。MBBA はネマチック液晶である。液晶相
間の相転移も起こる。例えば、温度を上昇させると、結晶相→スメクチック相→ネマチッ
ク相→等方性液体、のような相転移を逐次起こす物質もある。
これらの液晶の中で一番無秩序な状態にあるのはネマチック液晶で、液晶を構成してい
る棒状分子は時々刻々その方向を激しく変えており(動的な乱れ)、その方向も全てそろ
っているわけではないけれども、任意の体積内の分子の平均的方向が存在する( 図 1.2
(No.10)参照 )
。このような平均的方向が存在するというのが、液晶の長距離的な配向秩序
の意味である。この平均的方向を示す単位ベクトルを配向ベクトル
配向ベクトルという 。ネマチック
*3
液晶では配向ベクトルと光学的異常軸が一致している*4。また、分子の配向がどの程度そ
ろっているかを表す量が配向の
配向の秩序度 S である。液晶中にある大きさを持った領域を考え
て、その中に含まれている N 個の棒状分子が配向ベクトル n とθ j の角をなすとして
S =(1/N)∑ j =1N(3cos2 θ j - 1)/2 =(1/2)<3cos2 θ- 1>
(1)
のような平均値を配向の秩序度という。結晶の場合は S =1、等方性液体の場合は S = 0
である。図 1.2(No.13)ではおおよそ S = 0.6 である。一般に液晶の状態を記述するには配
向ベクトル n(の場所による変化)と秩序度 S とを用いる。
液晶を構成する分子が不斉炭素原子を含むとき(つまり光学活性分子のとき)、コレス
テリック液晶となるので、コレステリック液晶はキラルなネマチック液晶(N
*
)といわ
れることもある。コレステリック液晶は層状構造をしており、各層の配向ベクトルが少し
ずつ異なってらせん構造を示す(図 1.5、図 2.1(b)(No.13)参照)。配向ベクトル n が- n と同
等であることから、物理的性質はらせんのピッチ P の半分 P/2 を周期として変化する。従
って、コレステリック液晶を P/2 を層の厚さとする層状構造と考えることができる。また、
ネマチック液晶とは異なり、配向ベクトルと光学的異常軸が垂直である。コレステリック
液晶は熱力学的にはネマチック液晶とほとんど差異がない。それにも関わらずコレステリ
ック液晶は顕微鏡下に見られる模様、粘性、光学的性質においてネマチック液晶と著しい
差異を示す*5。配向ベクトルがらせんを巻くことによって(従って層状構造をなすことに
*1 例えば、濃厚な石鹸水はスメクチック液晶になる。リオトロピック液晶は細胞膜などの生体細胞に
よく見られるが、高分子の場合が多い。つまり高分子溶液(2・5・3e 参照)はコロイド溶液(2・5・4 参
照)であり、濃度が高くなると液晶になる。高分子そのものがサーモトロピック液晶になる例も知ら
れている。
*2 液晶相の同定・分類には X 線回折法が最も有用な実験法である。
*3 この配向ベクトル自身も時間的、空間的に緩やかに変動する(=ゆらぐ)。このゆらぎの空間的周
期(=波長)が可視光の波長程度(数百 nm)なので、液晶は光を強く散乱し白濁して見える。これに
対して等方性液体で起こる光の散乱(Rayleigh 散乱、1・5・3 参照)は密度のゆらぎによって起こる。
*4 ネマチック液晶が光学的に正の一軸性である原因は、棒状分子では軸方向の分極率が垂直方向の分
極率より常に大きいからである。屈折率、分極率、誘電率の関係については 1・5・1 を参照せよ。
*5 らせん軸方向に直線偏光が入射されると、偏光面が回転する。すなわち旋光性を示す。
- 124 -
よって)これらの差異が生まれるのである。
スメクチック液晶は最も秩序のある液晶で、層状構造をしている。つまり、ネマチック
液晶に、分子の重心が層内しか動けないという制限が生じたのがスメクチック液晶である。
このとき、一次元的に(層の法線方向に)配置の長距離秩序があると見なすことができる。
層の厚さは分子の長さ(あるいはその 2 倍)程度であり、分子の重心は層内では全くラン
ダムに配列している。言い換えれば、層内の分子の重心が液体的であるわけで、その意味
でスメクチック液晶の構造は「二次元液体」と見なされる。しかし、分子は層内で様々な
配列をしており、それによってスメクチックはさらに数種類に分類される(図 2.1(No.13)
参照)
。分子が層に垂直なとき(これをスメクチック A 相 SA という)は光学的には 1 軸性
(異常軸は層の法線方向)であり、傾いているとき(これをスメクチック C 相 SC という)
には 2 軸性である。
円板状の分子が液晶相を示すことがあり、これらはディスコティック液晶
ディスコティック液晶と呼ばれる(図
2.5(No.13)参照)
。ディスコティック液晶のネマチック相は ND と表記される。この他に、分
子が柱状に積み重なり、この柱が平行に並んだ柱状相があり、これを D と表記する。
液晶状態での分子の配列や配向は、磁場、電場、圧力、温度、純度などの影響を敏感に
受け、また、液晶と他の物質との接触界面の状態にも依存する。特にコレステリック液晶
の薄層の干渉色はこれらの要因により鋭敏に変化する。そのため、液晶ディスプレイ、サ
ーモグラフィー、非破壊検査、温度指示器、超音波強度分布測定、圧力検知器、ガス検知
器など、液晶は多彩な方面に応用がなされている。また、この様な材料素材としての用途
の他に、液晶の配向性という特徴を利用して、立体規則性高分子の合成の場として、液晶
を溶媒に用いることがある。
2・5・2 アモルファス
a アモルファスとは
アモルファスとは
実際に我々の身の回りにある固体は必ずしも結晶ではない。むしろ、結晶ではない固体
の方が多いかもしれない。ガラスのようにそれを構成する粒子の配置の長距離秩序も配向
の長距離秩序もない固体をアモルファス、あるいは非晶質固体といい、そのような状態を
アモルファス状態
アモルファス状態(単にアモルファスということもある)、あるいは非晶質状態という。
炭素の同素体として、これまでダイアモンド、グラファイト、フラーレンをみたが、アモ
ルファスカーボンはこれらと同じ化学組成、すなわち C で表されるが、形や性質が違っ
ている。石英は組成式は SiO2 でその結晶は水晶と呼ばれ(2・2・2c 参照)、石英ガラス
石英ガラスは同
じ組成 SiO2 であるがアモルファスである。アモルファスは熱力学的には非平衡な状態で
あり、熱力学的に安定な固相はあくまでも結晶相である。非平衡状態であるアモルファス
の温度を上げると、それを構成する粒子の運動速度が速くなり、平衡状態である結晶相に
転移しようとする。これをアモルファスの
アモルファスの結晶化という。アモルファスを作る方法の一つ
は液体の急冷*1 であるが、急冷速度によって色々の段階の不規則性を持つアモルファスが
*1 シリコンやゲルマニウムのように、固体状態が半導体で、その液体状態が金属である物質は急冷に
よってガラスを作ることができない。それは急冷の際に、両相の急激な性質の変化によって多結晶化
してしまうからである。
- 125 -
できる可能性がある。つまり、少しずつエネルギー状態の異なるアモルファスができてい
ることになる*1。エネルギー状態の高いアモルファスを加熱することにより、よりエネル
ギーの低いアモルファスに変えることができる。この現象はアモルファスの
アモルファスの安定化と呼ば
れる。アモルファスが結晶に変わるには、粒子の位置、配向の大幅な変化が必要であるが、
アモルファスが安定化するには僅かな変化でよいので、結晶にはならないが、アモルファ
スでより安定な状態に移ることが可能になる。
ミクロのレベルで考えると、アモルファスも液体と同様に分子の配列や配向に長距離秩
序はないが、短距離秩序はあると考えられている(図 3.5(No.13)参照) 。アモルファスの
*2
構造モデル*3 としては、図 3.5(No.13)に示すような、不規則網目構造モデル
不規則網目構造モデルと微結晶モデ
微結晶モデ
ルがある。しかし、組成によって決まった結晶構造をとる結晶と違い、アモルファス状態
はいろいろな段階の不規則性をとる可能性があることを考慮すると、全てのアモルファス
がどちらかの構造のみをとるとは限らない。あるアモルファスは不規則網目構造を、別の
あるアモルファスは微結晶構造をしているかもしれない。同じ組成のアモルファスでも、
あるアモルファス状態では不規則網目構造で、それとは不規則性の段階が異なる別のアモ
ルファス状態では微結晶構造をしているかもしれない。
代表的なアモルファス材料であるアモルファス半導体
アモルファス半導体として分類されるものには、アモ
ルファスシリコンとアモルファスゲルマニウムがあるが、アモルファスシリコンを使用し
た太陽電池(2・1・2d 参照)は電卓などに組み込まれて既に市販されており、今後も太陽発
電の最適な材料として開発されるであろう。この例のようにアモルファスは機能性材料と
して近年応用開発が盛んである。なぜアモルファスが材料として優れているかを考えてみ
よう。物質の機能特性の多くは本質的には化学組成によって決まり、アモルファスである
か結晶質であるかに依らない。これは化学組成によって化学結合の特性がほぼ決まり、そ
れが機能特性を左右するからである。したがって、結晶に見られる機能特性はそれと同じ
か似た組成のアモルファスにも見られると考えてよい。次に実用材料としての製造特性を
考えてみよう。単結晶でも多結晶でも機能性の結晶を大きな形に作ることは容易ではない。
これに対して、アモルファス状態なら、大きいブロック、広い面積の膜、長いリボンある
いは繊維状で均質なものというように望みの形態を容易に作ることができる*4。したがっ
て、機能特性が結晶より少し低くても実用価値はより高いことが多い。化学組成を広い範
*1 エネルギーが最低の状態(=平衡状態)は一つしかないが、それよりエネルギーの高い状態(=非
平衡状態)はいくつも存在する。
*2 したがって、アモルファスと液体の X 線回折強度はよく似たパターンを示す。この場合も重要な物
理量は動径分布関数である。
*3 動径分布関数から得られる情報は一次元なので、そこからアモルファスの三次元構造を類推するた
めには、三次元の構造モデルを立てなければならない。この事情は液体の場合と同じである。
*4 結晶はその物質の特有な面や稜ができるが、アモルファスは特有な形を持たない。結晶が物質に特
有な形を持つのは、原子が規則的に配列しているから(=面指数によって表面自由エネルギーが異な
るから)である(2・3・4 参照)。これに対して、アモルファスでは原子の並び方が不規則であるから、
方向によって原子が並びやすいとか並びにくいということはなく、従って特定の原子が並んだ原子面
が自然にできることはなく、特定の形をとることもない。
- 126 -
囲で、しかも連続的に変化できるが、これもアモルファスの大きな特徴である。これは要
求に応じて性質を修正することができることを意味し、アモルファスの価値を高めている。
アモルファス太陽電池
アモルファス太陽電池、磁気テープ(アモルファス磁性体
アモルファス磁性体) 、光ファイバー
光ファイバー(ガラスフ
ァイバー)等の材料固体としてアモルファスが近年大いに注目されかつ実用化されている
*1
のは、この様な理由による。
b ガラス転移
ガラス転移
液体を冷却すると過冷却して凝固点より低い温度で凝固する。このとき冷却速度を非常
に速くすると、過冷却状態を越してガラス状態
ガラス状態と呼ばれるアモルファス状態が実現される
ことがある(アトキンス図 19・23、図 1.1(No14)参照)。この温度領域では結晶状態が熱力学的
平衡状態なので、過冷却状態もガラス状態も熱力学的には非平衡状態であるが、その状態
があたかも平衡状態のように安定に実現されるのである*2。過冷却状態からガラス状態へ
移ることをガラス転移
ガラス転移、その温度をガラス転移温度
ガラス転移温度 Tg という(アトキンス 19・9 参照)。例
えば、アモルファスセレンを考えてみよう。セレンの融点は 220 ℃である。液体のセレン
を冷却し融点より低い温度まで急冷すると、液体は結晶に成らず過冷却液体となり、約 31
℃のガラス転移点以下でアモルファスになる。ガラスは代表的なアモルファスであるが、
アモルファスでもガラス転移を示さないものもある。
過冷却液体は粘性の大きい液体であり、ガラスはその極限としての固体状態である。分
子のレベルで見ると、液体、過冷却液体、ガラスへの変化は連続している。液体状態にお
いて高速で並進、回転運動をしていた分子は、温度の低下とともにその運動速度をどんど
ん減少させていく。その速度の減少は液体の粘性の増大(=流動性の減少)という形で巨
視的に現れ、やがて水飴のような状態になる。過冷却液体の温度が凝固点よりもかなり低
くなると、このような状態になる。さらに分子の運動速度が遅くなり、分子の運動が止ま
っているといってよいほどの状態 になると、巨視的には液体の粘性が非常に大きくなり、
*3
ついには流動性が無くなり、固体状態と区別できなくなる(というよりも固体になる)。
この状態がガラスである。従って、ガラス状態では分子はその配置の長距離秩序も配向の
長距離秩序も持たない状態で運動が凍結しており、静的に乱れた状態であるといえる*4。
このように、巨視的には大きく異なる液体、過冷却液体、ガラスという状態も、ミクロの
レベルでは分子運動の速度が異なるだけで、その他に違いはない。
これまでの説明で分かるように、過冷却液体からガラスへの変化は連続的に起こるので、
*1 アモルファスは異方性がないので、磁化しやすいという利点がある。
*2 熱力学的非平衡状態から平衡状態である結晶状態に移る速さが非常に遅いため、速度論的に安定化
されている(2・2・2 参照)。
*3 これを運動が凍結したと表現することがある。しかし、この状態でも分子の運動が完全に止まって
いるわけではない、運動周期が非常に長くなっただけである。
*4 液体状態は分子の配置と配向が(ナノ秒あるいはピコ秒のオーダーで)時々刻々変化して、動的に乱
れた状態である。
- 127 -
ガラス転移温度は測定手段に依存して異なる値を持つ 。これは普通の相転移が熱力学的
*1
平衡状態にある二つの相の間の移行であるのに対して、ガラス転移は過冷却液体とガラス
状態という非平衡状態の間の移行であるからである。従って、通常の相転移とは区別して
考えなくてはならない。
柔粘性結晶を急冷すると、分子の回転運動が凍結した状態が実現することがある。これ
はガラス性結晶
ガラス性結晶と呼ばれ、分子の配置の長距離秩序はあるが、配向が無秩序のまま運動が
凍結した状態である。これに対して、液晶を急冷して得られるガラス性液晶
ガラス性液晶は、分子の配
向に少し秩序はあるが、配置が無秩序なまま運動が凍結した状態である。
☆ 光ファイバー
光ファイバーは、屈折率の異なるコアと呼ばれる芯と、それを覆うクラッドと呼ばれる鞘の二重構
造になっている。コアには屈折率の高い物質が、クラッドには屈折率の低い物質が用いられる。この
屈折率の異なる材料を接合し、その界面で全反射を起こさせることによって光を伝えている。光が屈
折率 n1 の媒体から屈折率 n2 の媒体へ入射する際、反射と屈折が起こる。このときの入射角をθ i、反
射角をθ o、屈折角をθ r とすると、
n1sin θ i = n2sin θ r
θ i =θ o
が成り立つ。屈折角が 90 °以上になれば、屈折は起こらず、全反射することになる。屈折角が 90 度
になるような入射角は臨界角と呼ばれ、
sin θ r = n2 /n1
より導かれる。コアの n1 がクラッドの n2 に比べて大きくなるほど臨界角は小さくなる。n2 / n1 > 1 な
ら、全反射は起こらない。
一般的な長距離伝送用光ファイバーは、高純度の石英ガラス(シリカガラス)でできている。コア
部の直径が 5 ~ 10 μ m 程度、クラッド部の直径が 125 μ m である。コアはゲルマニウムやリンを含
ませることによって屈折率を上げ、クラッドはホウ素やフッ素を含ませることによって屈折率を下げ
ている。石英ガラスからなる光ファイバーの場合、1300 nm 付近及び 1500 ~ 1600 nm の波長に対して
透明度が高いため、光源としてはこれらの波長が適している。この場合、光源としては半導体レーザ
ーなどが用いられる。短距離伝送の場合は、発光ダイオードなどが光源として用いられる。短距離伝
送の場合にはプラスチック製光ファイバーが用いられる。プラスチック製は吸収率が高いので、短距
離伝送にしか使えないが、安価である。
2・5・3 高分子(アトキンス 19 章)
a 高分子の
高分子の分類
1 種または数種の構造単位(これを単量体あるいはモノマーという)が繰り返し結合し
たもの、すなわち重合したものが重合体(ポリマー)であり、重合体も含めた分子量が 1
*1 分子運動が止まっていると見なされる運動の速さが、測定方法によって異なるからである。一般に
ガラス転移点はこのような緩和現象を示す。すなわち、あるタイムスケールで測定したガラス転移温
度があるとすると、それよりも速いタイムスケールで測定するとガラス転移温度は高温側に、遅いも
ので測定すると低温側にずれる。緩和時間より測定時間が長ければ、運動が凍結されたとは認められ
ないが、緩和時間が測定時間よりも長くなると、運動が凍結されたと見なされるのである。
- 128 -
万程度以上の化合物が巨大分子(macro molecule)である。高分子(polymer)は巨大分子
と同じ意味で用いられている。
高分子は合成高分子と天然高分子に大別できる。合成高分子は重合反応により高分子化
した重合体である。代表的なものとしては機能性高分子があげられる。これは主鎖と側鎖
中に反応性の高い官能基を持っており、それにより色々な物性を示す。広義には酵素のよ
うな高度な反応性を持つ生体高分子も機能性高分子に含まれる。例としては、伝導性高分
子(1・3・2 ☆伝導性高分子 参照)、高分子触媒 、高分子膜、感光性高分子、イオン交換樹脂
イオン交換樹脂
などがある。天然高分子の代表的なものとしては、生体高分子(タンパク質
タンパク質、核酸、多糖
*1
類など)などがある。
これとは別に、高分子はその形態から、鎖状高分子(線状高分子)、架橋高分子、網状
高分子等にも大別できる。架橋高分子は鎖状高分子の間が架橋結合で結合されたもの。網
状高分子は溶剤に溶けず膨潤するのみで、ゲル(2・5・4g 参照)になるものが多い。
b 高分子化合物の
高分子化合物の一般的特徴(アトキンス 19・1 ~ 19・6)
高分子を構成している単量体が任意の一つの高分子の中でどの様に並んでいるか、モノ
マーどうしの結合の角度や性質がどの様になっているかを想像してみよう。低分子化合物
は同じ分子を比較したとき、基本的に原子の並びや結合は全く同じであるが、高分子の場
合は同じ高分子化合物を持ってきても、低分子化合物のときと同じ意味で、それらが分子
レベルで全く同じであることはまずない。高分子の場合、分子のレベルで見たときモノマ
ーの並びや結合の様子にはいろいろなものが存在できる。つまり、高分子化合物は分子の
レベルで見れば基本的に大変不均一なのである。例えば、鎖状高分子の溶液を考えた場合、
溶液中で高分子は溶媒の種類にも依存して多くの異なった配座をとる。このように高分子
化合物はその構造単位が同じでも、分子量や構造などが異なるいろいろな分子の混合物で
あると見なすことができる。このため高分子の性質はある分布を持つようになり、平均的
に見る必要が生じる。平均分子量で表すことが代表的であり、分岐や立体配置や立体配座
など結合位置・形式の異なる構造的な不均一、共重合体や誘導体での組成の不均一、立体
規則性の相異・不均一などもある。これらは試料によっても異なるので、同一名称の高分
子でもその性質、用途などが非常に異なることがある*2。従って、高分子化合物の分子量、
構造、組成等を理解するためには統計的な処理が必要になる*3。
また、多くの高分子の化学的性質は対応する低分子と本質的に同じであるが、物理的性
質は低分子と大きく異なって高分子の特徴となっている(アトキンス 23・2 ~ 23・4 参照)。例
えば、鎖状分子は各種溶媒に溶解して高分子溶液となり、低分子溶液とは異なる種々の性
質を示す。
*1 酵素反応のように、反応の選択性、分子認識能を持つ。
*2 このようなばらつきがあるのは合成方法に由来しているので、合成法を工夫し、さらに、分子量の
異なるものを分離することを行えば、一定分子量の高分子を得ることも出きる。如何に分子量を揃え、
構造の決まった高分子を合成するかは、現代の高分子化学の大きな課題ともなっている。
*3 高分子は統計力学の重要な研究対象に一つである。アトキンス 19・8 参照。
- 129 -
☆ 平均分子量
平均分子量には数平均分子量と質量平均分子量がある(アトキンス 19・1 参照)。前者は浸透圧法(ア
トキンス 5・5(e)参照)により、後者は沈降平衡法(アトキンス 19・4(b)参照)、粘性率測定法(アトキ
ンス 19・6 参照)、光散乱法(アトキンス 19・3 参照)により決定できる。高分子の分子量を測定する最
も直接的な方法は質量分析によるものである(アトキンス 19・2 参照)。しかしながら、最近までこの
手段は試料を気化させるのか困難であるためにうまくいかなかった。2002 年度のノーベル化学賞を受
賞した田中氏は、この分野に対する貢献(レーザー脱離
レーザー脱離イオン
脱離イオン化法
イオン化法)が認められて受賞した。
☆ 立体配置と
立体配置と立体配座
立体配置(コンフィギュレーション)と立体配座(コンフォメーション)という言葉は有機化学で
も使われているが、高分子科学でもほぼ同義に使われている(アトキンス p.713 参照)。すなわち、立
体配置は化学結合を切ってつなぎ変えない限り移し替えることのできない立体異性体の原子配置を意
味し、立体配座は単結合の回転によって立体的に異なった構造(トランスとゴーシュ)ができるとき、
この回転にあずかった単結合周辺の原子あるいは置換基の空間配列をいう。
c 高分子の
高分子の高次構造(アトキンス 19・7 ~ 19・8、19・10 ~ 19・12)
高分子、特にタンパク質や核酸のような生体高分子を理解するとき、高次構造と呼ばれ
る立体構造が重要になる*1。これについて考えてみよう。生細胞の主要な成分をなすタン
パク質は、α-アミノ酸どうしがそのアミノ基とカルボキシル基との間の脱水で重縮合し
たポリペプチドで構成された分子量が 1 万以上の高分子である*2。各種のアミノ酸(天然
には 20 種類ほど存在する)がペプチド結合
ペプチド結合 -CO-NH- によって結合して鎖を作っており、
このポリペプチド鎖の端から端まで、セグメント(構造単位)である各種のアミノ酸がど
の様に配列しているかという化学構造をタンパク質の一次構造と呼ぶ*3。
単一のモノマーから構成されるポリマーは、ランダムコイル(モノマーとモノマーの結合
の周りで自由に回転できる。アトキンス図 19・20 参照)と呼ばれる立体構造をしているが、同一
アミノ酸からなるホモポリペプチドは CO・・・HN 水素結合によりらせん状のαヘリックス
(α-らせん構造
らせん構造、アトキンス図 19・28 参照)や層状のβシート(β構造、アトキンス図 19・30
参照)など一定の立体構造をとる。タンパク質においてもαヘリックスを形成しやすいア
ミノ酸が集まった領域はその構造をとる。このようにタンパク質のある領域が局所的にと
る立体構造をタンパク質の二次構造という。このような特殊な二次構造をとるのも結局は
*1 高分子の物性は高分子の形態や配置すなわち幾何学的構造に極めて強く影響される。例えば、ポリ
エチレンという同じ高分子鎖からなる材料が、構造の違いによってビニール袋から高強度繊維まで力
学特性が驚くほど変化する。
*2 アミノ酸が数個結合した分子はペプチドと呼ばれ、多数結合したものをポリペプチドという。アミ
ノ酸の数が約 50 個以上になるとタンパク質
タンパク質と呼ばれるが、ポリペプチドとタンパク質の間に明確な境
界があるわけではない。
*3 ポリマーの場合このセグメントは一種類のモノマーであり、例えばポリエチレンではモノマーであ
るエチレン -CH2CH2- をセグメントとして、一次構造を-(CH2CH2)n-の様に表記する(アトキンスのコ
メント 19・1 参照)。
- 130 -
一次構造すなわちアミノ酸の配列順序によって決定されることが分かる。実際のタンパク
質ではこのような二次構造の領域が折り畳まれて(これをフォールディングという)立体
的な構造を作り上げる。それには一次構造の上では遠く離れた位置でも、アミノ酸側鎖の
疎水性どうしの相互作用 、あるいはイオンどうしの静電的相互作用、またはシステイン
*1
側鎖のメルカプト基(-SH)間に酸化的に形成されるシスチンのジスルフィド結合(-S-S-)
などによって、そのような折り畳まれた立体構造ができあがる。これをタンパク質の三次
構造という(アトキンス図 19・13 参照)。さらにある種のタンパク質ではヘモグロビン のよ
うに三次構造をとった複数の分子が非共有結合でさらに会合して集合体を形成する。この
*2
ときのポリペプチド鎖の相対的な立体配置をタンパク質の四次構造という(アトキンス図 19
・14 参照)
。二次、三次、四次構造を総称して高次構造という。
高次構造という空間構造はセグメント間の水素結合、疎水結合などの非共有結合で維持
され、これは酵素で見られるようなタンパク質の機能と深く関連している。タンパク質が
持つ残基の解離状態はこのような相互作用のあり方を変えてしまうことがあり、結果とし
て高次構造を変化させる(e 高分子溶液を参照せよ)。ペプチド鎖を切断することなく(つま
り一次構造を保ったまま)高次構造を破壊することをタンパク質の変性というが、変性は
ほとんどタンパク質の失活をともなう。二次レベルでの変性は、水素結合を壊すことによ
ってもたらされるが、例えば加熱によってこれは起きる。タンパク質を加熱するとαヘリ
ックス構造からランダムコイルに似た構造になってしまうが、これをヘリックスヘリックス-コイル
転移という(アトキンス I 16・1、I 22・1 参照)。これは相転移と同じく協同現象であり、一種
の分子内融解と考えることができる。髪の毛のパーマネントウェーブでは、髪の毛のタン
パク質に変性が起きている。この場合は四次レベルで再組織化が起きている。変性は化学
的に起こすこともできる。強度の酸性によって引き起こされるものを酸変性、アルカリ性
によるものをアルカリ変性
アルカリ変性という。タンパク質の残基の解離性とその高次構造は相互に依
存し、不可分の関係にある。
d 高分子固体(アトキンス 19・9)
高分子も分子が配列することにより結晶化を起こすが、低分子物質の結晶化に比べて一
様性にかけ、多くの場合高分子鎖の全部ではなく一部のみが結晶領域を作る部分結晶化で
ある。また、結晶の融解は本質的には一次相転移であるが、低分子のようにはっきりとし
た転移点を示さない。さらに高分子固体は基本的にアモルファスであるから、低温でガラ
ス転移が観測される。図 3・38(No.14)に高分子の凝集状態を模型で示す。
図 5.1(No.14)に高分子鎖の結晶化過程を示す。結晶化の初期には(a)から(b)のように分
子鎖の配列が始まり結晶核が形成される。結晶はこの核から成長するが、やがて(c)のよ
うに高分子鎖の折りたたみによってできた板状の結晶領域(これをラメラという)が形成
される。そして結晶化がさらに進むとラメラが分岐を繰り返しながら三次元的に成長し、
*1 疎水性相互作用(アトキンス 18・4(g)参照)は「物理化学Ⅱ」で既出であるが、高分子、特に生体
高分子の高次構造を考える上で大変重要である。
*2 ヘモグロビンは赤血球の主成分で酸素運搬に関わるタンパク質。4 個のミオグロビン様の鎖状高分
子からできている。
- 131 -
(d)のような球晶を生じる 。図 5.5(No.14)に模式的に示したように、球晶ではラメラが半
*1
径と垂直方向に配列され、しかも放射状に伸びている。また、ラメラは幾重にも重なり合
い、成長していく方向に軸がねじれていることも知られている(図 5.5(b)(No.14)参照)。た
だし、ラメラは独立に存在するのではなくそれらの間には両者にまたがる分子鎖も共存し
ている(図 3・30(No.14)参照)。つまり、1 本の分子鎖は結晶領域(ラメラ)と非晶領域にま
たがって存在する、このように高分子鎖の結晶化は低分子のそれとは異なり、分子の一部
が配列するに過ぎない。これが結晶性高分子固体で、結晶領域だけでなく鎖の構成単位が
無秩序に分布した非晶領域が存在するし、これらの中間的な相も見受けられる。これは高
分子鎖が長いという高分子の本質的な特徴からくるものである。
低分子の結晶化は普通溶液から行われるが、高分子の場合は溶液のみではなく、融液か
らも結晶化する。溶液からの結晶化では、条件を選べば単結晶も生成する。例えば、ポリ
エチレンをキシレン溶液から結晶化させると、単結晶が得られる。単結晶といっても、低
分子物質が作るような大きな結晶が得られるわけではなく、結晶の厚さが分子鎖の長さを
越えることがないため、10 nm からせいぜい数 10 nm 程度で、大きさが 1 ~数 μ m ほど
の非常に小さな板状晶である。電子線回折の実験から図 5.3(No.14)に模式的に表されてい
るように、長い鎖が単結晶の厚みに相当する一定の長さでおりたたまれ、ラメラと類似の
構造になっていることが見出されている。これを 折 りたたみ鎖結晶
りたたみ 鎖結晶 という( 図 3・ 38( b)
(No.14)参照 )
。一方、融液からの結晶化では単結晶を得ることは難しい。通常は多くの微
結晶からなる結晶領域と非晶領域が混在した状態で結晶化が止まる。しかし、融液からの
冷却による結晶化が高圧下で行われると、ポリエチレンなどで見られるが、分子が互いに
平行に配列され伸びきっている結晶が得られる(図 3・38(c)(No.11)参照)。これは伸びきり
鎖結晶と呼ばれ、高分子鎖の秩序化の極端な例で折りたたみ結晶と対比される。
非晶領域の詳細な構造がどの様なものであるかという点については現在でも見解が分か
れているが、結晶性高分子の物性を理解するのに便利な尺度として、結晶化度という量が
用いられている。この量は高分子固体を完全結晶と完全非晶の混合物と考え、それらの割
合を重量あるいは体積分率で表したものである。結晶化度の決定方法は、密度法、X 線法、
赤外吸収スペクトル法、融解熱法、比熱法、吸着法など多くの方法がある。ただ、これら
の方法で得られる結晶化度は、同一の試料についても値が一致しない場合がある。これは
現実の高分子固体の構造が完全結晶と完全非晶からはなっていないため、そして測定手段
によっては結晶あるいは非晶と見なす量が異なるからである。また、結晶化度は結晶の作
り方、条件によっても大きく違ってくる。
高分子固体は機械的、化学的に強いものが多く、熱可塑性*2、熱硬化性*3 によって成形
*1 このように板状の構造単位が一定の規則に従って集合してとる構造をラメラ構造
ラメラ構造という。生体膜を
はじめとして生体組織ではラメラ構造をとる部分が多い。
*2 加熱すると軟化し、塑性変形しやすくなり、外力によって容易に変形し、変形したまま冷却し外力
を取り去るとそのまま固化することが繰り返しできる性質。そのため熱可塑性樹脂は成形加工しやす
く、様々な用途に用いられている。
*3 加熱により硬化し、不融不溶となる性質。熱硬化性樹脂は重合度が低いときは粉末または液状であ
るが、硬化剤を加えて加熱すると、立体的な網目構造になり固化する。
- 132 -
加工し、各種の合成樹脂 、プラスチックとして利用され、延伸、配向によって強度の高
*1
い糸状、膜状となるので、多くの種類の繊維*2、フィルムとなっている。つまり、固体高
分子は基本的にアモルファスなので、高分子固体も望みの形態を容易に作ることができる
ので材料として利用価値が高い。また、ゴム弾性
ゴム弾性、(「物理化学Ⅱ」5・4b 参照)、粘弾性(1・1
・2 参照)を示すものがあり、それらは高分子独特の性質で、広い用途に利用されている。
アモルファスと固体高分子そして液晶は機能性材料として(特に小型化、軽量化、薄型化
のための材料として)、近年ますますその用途が広がり、現在そして将来的にもその開発
は活発に行われていくであろう。
☆ 高分子の
高分子の構造と
構造と物性
ポリエチレンはエチレンの重合体である。しかし、同じポリエチレンといっても透明で引っ張れば
伸びるものと、白く不透明で伸びにくいものがある。この違いは高分子の構造に由来している。従来
のポリエチレンは直鎖状で、鎖が並んで結晶化した部分が多くなり、光が反射されるので不透明とな
る。これに対して、高圧下で重合すると、不規則な重合やラジカル転位が起こりやすく、枝分かれが
多くなる(高圧法)。したがって、高分子鎖の結晶化している部分が少ないため、低密度で、溶液と同
じように透明であるし、引っ張るとずれて伸びやすい。
共重合 とは一種類のモノマーだけでなく、他種のモノマーと一緒に重合することであるが、この共
重合により高分子の性質が大きく変わる。例えば、エチレンに少量の n-アルケンを混ぜて共重合する
と、直鎖状の高分子の中に、 n-アルカンに由来する短い鎖の枝分かれを意図的入れることが出きる。
これはそれほど圧力を高くしなくても出きるので、上述の高圧法よりも低コストで、しかも、分子量、
分子量の分布、枝分かれの鎖長と分布などを制御することにより、その物性(融点、軟化温度、耐熱
性、強度、耐試薬性、透明性、柔軟性など)を色々変えることが出きる。
☆ 架橋
天然ゴムに硫黄を加えて反応させる加硫は架橋反応であり、これによりゴム弾性が付与される。ス
パンデックスなどの高弾性繊維も、ブロック共重合体中で物理的架橋のために広範囲の弾性回復性を
持つようになっている。形状記憶高分子も物理的架橋の結果である。形状記憶ワイシャツは、縫製後
に化学処理で架橋反応を起こさせ、洗濯した後アイロンかけをしなくてもしわのない形に戻すことが
できる。毛髪のパーマネントウエーブも架橋反応の応用である。これは、毛髪中の S-S 結合をセット
剤(還元剤)で切って-SH 基にした後、再び酸化して S-S のジスルフィド結合を作るものである。
e 高分子溶液
一般に高分子は水には溶けず、有機溶媒に溶けやすいというイメージがあるが、分子内
*1 熱可塑性樹脂としては、ポリエチレン、ポリ塩化
ポリ塩化ビニル
塩化ビニル、ポリ酢酸
ポリ酢酸ビニル
酢酸ビニル、ポリスチレン、メタク
リル樹脂
リル樹脂などがある。熱硬化性樹脂としては、フェノール樹脂
フェノール樹脂、尿素樹脂(ユリア樹脂)、メラミン樹
メラミン樹
脂、アルキド樹脂
アルキド樹脂、シリコン樹脂
シリコン樹脂などがある。
*2 縮合重合による合成繊維としては、ポリエステル系繊維
ポリエステル系繊維、ポリアミド系繊維
ポリアミド系繊維(ナイロン 66 など)
がある。付加重合による合成繊維には、 ポリアクリロニトリル 、ポリプロピレン、ビニロンなどがあ
る。
- 133 -
に-OH 基、-COOH 基、-CONH2 基等を持つと、例えば、ポリビニルアルコール、ポリア
クリル酸、ポリアクリルアミドのように水に溶けやすくなる。溶質が高分子である溶液は、
高分子の大きさがコロイド粒子の大きさなので、分子コロイド
分子コロイドの一つである(コロイドに
。一般に高分子が溶解したコロイド溶液
ついては次節 2・5・4 で考察する)
コロイド溶液は熱力学的に安定で
あるので、高分子溶液(高分子コロイド
高分子コロイドともいう)は安定な系である。生体の構成成分の
多くは高分子なので、高分子溶液は生命科学の視点からも大変興味深い系である 。
*1
高分子が解離基を有していると、電解質としての性質を持つことになる。これを高分子
電解質あるいはイオン性高分子
イオン性高分子という。低分子の電解質溶液に関する記述(アトキンス 5・9
参照)は、基本的には高分子電解質についてもあてはまるが、高分子としての性質が事態
をより一層複雑にする。一般に水溶液中で高分子は巨大な電荷を持つマクロイオンあるい
は高電荷イオン
高電荷イオンと反対符号の小さな電荷を持つ多数の(低分子の)対イオンに解離する。例
えば、ポリスチレンスルホン酸はマクロアニオンと多数の対イオン H+に解離する。マク
ロイオンの鎖に沿う電荷の線密度は極めて高く、鎖を包む筒状の空間に入った対イオンが
獲得する静電エネルギーは熱エネルギーの数倍にも達する。従って、対イオンのかなりの
部分はこの筒状空間に捕らえられるので、対イオンは必ずしも高分子電解質と完全に独立
して動くのではなく、高分子イオンにかなり束縛された形になる(図 2・41(No.14)参照)。
また、高分子のコロイドイオンは互いに隣接する多数の電離基を持つので、それらが相互
に影響を及ぼし合いながら分子全体としての電離状態やその形状(高次構造)が変化する。
例えば、弱性の解離基の解離しやすさそのものも、周囲の(高分子鎖上の)解離基が既にイ
オン化しているかどうかに依存することになる。従って、高分子電解質の電離定数、ある
いはその溶液の粘性率などは、低分子の電解質に比べて複雑な挙動を示す。
高分子電解質の場合は、上述したように対イオンのかなりの部分は高分子鎖の周りの筒
状空間に捕らえられ、より外側の空間に効果を及ぼす高分子鎖の有効電荷は、化学論的な
電荷の 10 ~ 20 %程度に低下する。この現象をイオン凝縮
イオン凝縮という。高分子電解質の鎖は、
この有効電荷とそれに見合う対イオンの静電相互作用により、中性高分子と比較して一般
にきわめて大きな広がりを示す(=膨張している)が、低分子塩を添加すると最終的には
中性高分子の広がり程度まで収縮する。高分子電解質を軽度に架橋したゲルは、温度や溶
媒変化により特異な膨張・収縮挙動を示し、高吸収性の材料として重要である。架橋され
た高分子固体が液体に浸されたとき、大量の液体を吸収して体積を顕著に増大させる現象
を膨潤という。このとき、架橋によって作られた三次元網目構造の間に多量の水が含まれ
ている。膨潤状態にある固体をゲル(2・5・4g 参照)という。液体を吸収した結果固体の
性質を失ってしまうと、その高分子固体はその液体に溶解したという。溶媒や温度の変化
によるイオン性高分子ゲルの体積変化は、倍率にして数百倍、数千倍に及ぶ。このような
性質を持つ高吸収性高分子は、女性用生理用品、紙おむつなどに利用されている。架橋が
多すぎると、吸収力よりも、架橋で分子鎖の広がりを制御する力の方が強くなって、膨潤
しなくなる。高度に架橋したゲルは、ソフトコンタクトレンズ、イオン交換樹脂として広
*1 生体成分のかなりのものが解離性の残基を有しており、また生体の液成分の大半が緩衝作用を示す。
そして一つの分子の上に二つ以上の酸解離基を持つものも少なくない。つまり、細胞内は電解質溶液
状態(あるいはコロイド溶液状態、液晶状態といってもよい)と考えることができる。
- 134 -
く利用されている。また、高分子電解質は水溶液中で大きな広がりを持つために溶液粘度
を高める能力が大きいので、粘度上昇材としても利用されている。
f 接着
SP 値(溶解度因子の略)のよく似た固体*1 と接着剤はぬれやすい。
SP 値=(凝集エネルギー密度)1/2
ここで、接着という現象の一般的な凝集力(接着力)というものは、主として分子間力で
あるとしてもよいと考えられる。
接着剤は流動体でなければならない。流動体として塗られた接着剤は、くっつけられた
後で固化し強さを持たねばならない。固化した後で分子間力により機械的強度を持つため
には、接着剤は高分子の重合体でなければならない。言い換えると、分子量がおよそ数万
以上でなければ、必要な強さがでないということである。こうして、接着剤はプラスチッ
クそのもの(天然高分子も含めて)ということになる。全ての高分子化合物が接着剤とな
る可能性を持っている。接着剤やそれを使う技術が高分子化学とともに歩んでいる理由が
そこにある。
流動体が固化するとは。(1)高分子物質を溶媒に溶かしておいて、塗った後で乾かして
やる。(2)高分子物質を加熱して流動体として塗って、接着させると冷えて固化する。ホ
ットメルト形接着剤。(3)液体の単量体を塗っておいて接着した後、界面で重合反応を起
こさせ重合体として固化させる。
ここで問題となるのは、どの場合でも固化と同時に収縮が起こることである。可塑剤や
充てん剤を加えて内部流動性を増やすと、常識とは逆に、接着強さが大きくなることがあ
るのは、接着層内での流動がいくらか可能になって、ひずみが小さくなるせいである。
接着強さは一般に時間とともに増大するが、これは次第に溶剤などの不要物がなくなる
こと、固化の進むことなどの他に、接着剤の分子自身がミクロブラウン運動をして(もち
ろんガラス転移点以上の温度で)ひずみのないようになることが最も大きい要因である。
したがって、接着でもなますということ、一定温度以上に放置するということが行われる。
接着の最後の問題は耐久性である。最大の敵は水分だという説が多い。
2・5・4 界面・
界面・コロイド
a 界面化学と
界面化学とコロイド化学
コロイド化学(
化学(界面科学と
界面科学とコロイド科学
コロイド科学)
科学)
一般に二つの相(液-気、液-液、液-固、固-気、固-固)の境界面(これを界面あるい
は表面と呼ぶ)の物理的、化学的現象を扱う物理化学の一分野を界面化学(より広い意味
では界面科学)という。二相の界面には界面エネルギー
界面エネルギーがあり、そのために界面は各相の
内部とは異なる物理的、化学的現象(界面現象*2)が示される。界面化学の取り扱う内容
としては、例えば、界面活性剤(洗剤)の洗浄作用、固体表面上への吸着(2・3・4d、e 参照)、
固体表面の 触媒作用 ( 2・3・ 4e( 2)参照 )など身近な現象が数多くある。既に 2・3・4、2・ 3・5
で金属や多孔質化合物への吸着について紹介してあるが、これらの吸着現象も界面化学に
*1 吸着される固体を被着体と呼ぶ。
*2 例えば、吸着、界面電気現象、触媒作用など。
- 135 -
含まれる。
実際に存在する系ではその界面や表面での性質がその系全体の性質や挙動に対して重要
な影響を持つことが多いので、近年界面化学が工業的にも学問的にも重要視されるように
なっている。特に、電子精密機器、セラミックス、高分子材料などの素材化学(材料化学)
の発展や精密化に伴って、それらの物質表面での性質や反応性が大きく問題となってきて
いる。さらに、生物化学においても、細胞膜内外での反応や白血球、赤血球などの血清中
の挙動など生体内における多くの現象が、その界面での性質や反応性に関与して働いてい
ることから、界面化学的に生体系を考えることが試みられている。分散系あるいはコロイ
ド系では界面が異常に発達しており、界面エネルギーが支配的影響力を持っている。界面
化学は元来コロイド
コロイド化学
化学の基礎分野であったが、現在ではその範囲を超え独自の学問分野
となっている。
b 分散系
一つの相にある任意の均質な媒質中(これを分散媒という)に、任意の大きさと状態の
微粒子(これを分散質という)が散在している(これを分散という)系を分散系という。
分散系は分散質の大きさによって、粗粒子分散系、コロイド分散系
コロイド分散系、分子分散系に大別で
きる。
(1) 粗粒子分散系:分散質の粒子径は 10-6 m (= 104 Å)以上で、分散系は不透明である。
分散質は明確な相を形成しおり、この場合は分散質を分散相と呼ぶ。
(2) コロイド分散系:分散質の粒子径は 10-9 ~ 10-6 m (= 10 ~ 104 Å)で*1、これはさらに
分散コロイド
分散コロイド、ミセルコロイド、分子コロイド
分子コロイドの三つに分類される。
分散質が液体であるコロイド分散系をコロイド溶液
コロイド溶液(ゾルとほぼ同義語)といい、Tyndall
現象を示さない普通の溶液をこれと区別するときは特に真の溶液と呼ぶ。これも分散コロ
イド溶液、ミセルコロイド溶液、分子コロイド溶液に大別できる。
9
(3) 分子分散系:分散質の粒子径は 10- m(10 Å)以下で(つまり普通の分子、原子、イ
オンのサイズ)、分散系は透明であり、Tyndall 現象を示さない。
粗粒子分散系は明らかに不均一な状態であり、分子分散系は均一な一つの相を形成して
いる状態である。この均一な状態と不均一な状態に至る中間状態として、どちらとも区別
できないような状態がコロイド状態
コロイド状態、コロイド分散系である。従って、コロイドの状態は
均一ではないかもしれないが、はっきりと不均一であるとも言いきれない状態である。
c コロイド分散系
コロイド分散系(アトキンス 19・13)
親水コロイド
コロイドと
疎水コロイド
(1) 親水
コロイド
と疎水
コロイド
水との親和性の大きいコロイドを親水コロイド
親水コロイド、小さいコロイドを疎水コロイド
疎水コロイドという
*2
。親水コロイドは疎水コロイドと比較して表面自由エネルギーが低いので、安定に存在
*1 この大きさの微粒子をコロイド粒子
コロイド粒子と呼ぶ。
*2 水の中のコロイドが普通であるが、アルコールやベンゼンなど有機溶媒中のコロイドもある。これ
らは非水コロイド
非水 コロイド と呼ばれている。この場合は、有機溶媒との親和性によって、親液コロイド
親液 コロイド 、疎液
コロイドと区別される。
- 136 -
できるのである。一般に、親水コロイドを作るのは容易で、溶質を水に溶かせば自然にで
きる。これに対して、疎水コロイドを作るのは難しい。これは(表面積を小さくしようと
して、)分散せずに凝集して沈殿してしまいやすいからである。ちょうど良い条件で作ら
なければならないし、またできたとしても不安定である。例えば無機コロイド
無機コロイド、これは水
中に金属や金属酸化物などの無機物質がコロイド粒子となっているものであるが、これを
例に考えてみよう。水酸化鉄コロイドを作る場合、沸騰水中に塩化鉄(Ⅲ)水溶液の少量を
一度に加える。
Fe + 3Cl-+ 3H2O → Fe(OH)3 + 3Cl-+ 3H
3+
+
コロイド粒子
ヨウ化銀コロイドを作る場合は、KI 水溶液と AgNO3 水溶液で濃度の低い方を高い方へ加
える。逆にすると沈殿が生じる。
KI + AgNO3 → AgI + K++ NO3コロイド粒子
疎水コロイドは熱力学的平衡状態にないので不安定である。例えば、ヨウ化銀コロイドは
数日もたつと少し沈殿し始める。
Fe(OH)3 の場合、微結晶(コロイド粒子)は未反応の Fe3+または生成した H+を結晶の表
面に吸着して帯電し、微結晶どうしの凝集を防止する。ヨウ化銀 AgI の場合は、微結晶
の表面にあまっている Ag+あるいは I-が吸着して(これらのイオンの方が K+または NO3-よ
りも AgI に対して親和性が大きい)、微結晶に電荷を与えて安定化する。
(2) 分散コロイド
分散コロイド(または粒子コロイド
粒子コロイド)
分散媒
分散質
気体
液体
液体
固体
*1
分 散 系
固体
エアロゾル(気体コロイド
気体コロイド)・・・霧、雲、スプレー
気体コロイド
エアロゾル(気体
コロイド)・・・煙、ほこり
気体
泡
液体
固体
エマルション(乳濁液)・・・バター、牛乳、マヨネーズ
サスペンション(懸濁液)・・・塗料、汚水、泥水
気体
軽石、スポンジ、海綿
液体
水を含むシリカゲル
固体
合金
溶けにくい物質を分散安定化させることにより溶解させることができる。例えば、油は
水に溶けないが*2、そこに乳化剤を入れると、油を水中で安定に分散させることができる*3。
*1 気体どうしは完全に混ざり合うので、気体中に気体が分散する系は存在しない。
*2 オイルドレッシングを激しく振る(=エネルギーを加える)ことで、水と油が混ざり合ってエマル
ションにすることができる。しかし、エマルションはエネルギーの高い非平衡状態なので、すぐに二
相に分離して元に戻ってしまう。
*3 乳化剤は普通、両親媒性物質(e 界面活性剤を参照せよ)である。油滴の方に疎水基を向け、その
結果油滴は界面活性剤の親水基により表面を取り囲まれるので、水中に安定に存在できるようになる。
- 137 -
安定なエマルションを作るためには、適切な乳化剤を選定することが第一に重要であるが、
作り方の手順も重要である。エマルションは不安定であり、やがて水と油に分離してしま
う。例えばマヨネーズや牛乳は日が経つと分散していた油成分が凝集してしまうが、これ
は日常経験することである。
エマルション
分散質
乳化剤
墨汁
スス(炭素の微粒子)
ニカワ(タンパク質の一種)
牛乳
乳脂肪
カゼイン(タンパク質の一種)
マヨネーズ
食用油
卵黄(レシチン*1)
塗料は色素を顔料という微粒子にして、高分子溶液中に分散させたもので、均一で丈夫
な色の膜が得られる。この場合は安定なコロイドを作ることが重要であるが、逆に廃水の
ように望まないのに安定になってしまっているコロイドもある。汚水処理では安定なコロ
イドをいかに凝集させるかが重要となる。一般に凝集剤を入れることにより、分散してい
る微粒子を凝集沈降させて取り除く(下記の☆ コロイドの凝集 参照)。コロイド粒子の分散
安定化および凝集の問題はコロイド化学の重要なテーマの一つである。
☆ コロイドの
コロイドの凝集
疎水コロイドは少量の電解質などの添加により、粒子の凝集が促進される。これはコロイド粒子と
反対電荷を持つイオンが粒子に吸着し、粒子の電荷を中和し粒子相互の電気的反発を減少させるため
*2
である 。親水コロイドでも多量の電解質を加えると、沈殿を生じることがある。この現象を塩析と呼
*3
んでいる 。これは親水コロイドに水和していた水分子が電解質に水和するようになったため、コロイ
ド粒子同士がむすびつきやすくなった結果である。
親水コロイドを疎水コロイドに添加すると、少量では凝集しやすくし(高分子凝集剤の作用)、もっ
と加えると逆に安定化し電解質を加えても凝集しなくなる(水汚染の場合)。このような疎水コロイド
の安定化の目的に利用される親水コロイドを保護コロイド
保護コロイドといい、その安定化作用を保護作用という。
保護作用の発現は疎水性粒子に吸着してその表面を親水化するためと考えられているが、学術的には
吸着した親水性高分子層の立体反発効果として説明される。上記の墨汁は炭素のコロイド(疎水コロ
イド)に保護コロイドとしてニカワを加えて乳化したものである。
(3) ミセルコロイド(または会合コロイド
会合コロイド)(アトキンス 19・14(a))
水溶液中で数十個ないし数百個の比較的小さな分子(両親媒性分子)が、親水基を水相
側に、疎水基を内側に向けて集まって集合体(これを会合体あるいはミセルという)を作
*1 レシチンはリン脂質
リン脂質である。リン脂質は両親媒性物質で、脂肪酸側鎖が疎水性、リン酸エステルが
親水性を示す。
*2 浄水場では泥水の負コロイドを沈殿させるために、陽イオンの価数の大きい硫酸アルミニウム Al2
(SO4)3 を電解質(凝集剤)として使用している。
*3 豆乳はコロイドである。そこににがりを加えると豆腐が出きるが、これは身近な塩析の例である。
石鹸を作るとき、石鹸水(コロイド溶液)に多量の電解質を加えると塩析により石鹸が析出してくる。
- 138 -
り、コロイド粒子の大きさになっているものをミセルコロイドという 。石鹸水は身近な
*1
ミセルコロイドの例である。ミセルコロイドになるためには分散質がある濃度(これを臨
界ミセル濃度
ミセル濃度という)以上になる必要がある。ミセルの形状について、球状ミセル
球状ミセル(アト
、層状
キンス図 19・39 参照)
層状ミセル
円筒状ミセル
棒状ミセル
ミセル、円筒状
ミセル、棒状
ミセルなどいろいろな構造が推定
されている*2(図 3-16(No.15)参照)。また、温度によってミセルの形は変化する(図 2.3(No.15)
参照)
。生体中にもミセルコロイドは存在する(生体コロイド
生体コロイド)。乳化剤の例からも分かる
ように、ミセルはその中に油性物質や固体微粒子を取り込むことが出来る。逆に、油性液
体中で親水基を内側に、疎水基を外側に向けて水生物質を安定に存在させることも出来る。
これも乳化作用であり、このときできる集合体は逆ミセルと呼ばれる。
(4) 分子コロイド
分子コロイド
高分子は分子そのものがコロイド粒子の大きさになっているので、コロイド性を示す。
従って、分子コロイドは高分子コロイド
高分子コロイドあるいは高分子溶液とも言う。デンプンを水に加
えて温めると透明な溶液になる。これは Tyndall 現象を示し、コロイドであることが分か
る。この場合はミセルコロイドと違って濃度に関係なくコロイド溶液になる。高分子が生
体高分子の場合は特に生体コロイド
生体コロイドと呼ばれる。生体コロイドは動物や植物などの生体内
に存在するコロイド物質であり、例えば、リン脂質分子とタンパク質の集合体から成る生
体膜は代表的な生体コロイドである(f(3)機能性生体膜を参照せよ)。その他、生体内には赤
血球、リンパ球、ホルモン、酵素など様々なコロイド状物質が存在して、それぞれ特有の
機能を発揮している。生体コロイドの多くは親水コロイドであり、そのほとんどが分子コ
ロイドかミセルコロイドである。
d 粉体
固体の表面については既に 2・3・4 で簡単に触れたが、物質の表面積を大きくするには、
物質を 2・3・5b でみたように多孔質にするか、細かくすればよい。固体物質の細分化した
状態が粉体であるが、その大きさによって粉体の呼び方は異なる*3。大きさや重量の差異
は粉体の物性に強く反映するので、粉体において粒度は非常に重要な物性値の一つである。
また、粉体粒子のサイズを小さくしていったとき、粒子の物理的・化学的性質が急に変化
したり、あるいは特異な性質が現れた場合、その変化時点を境にして小さい方の粒子を超
微粒子と呼ぶ。粉体は工業的にも日常生活においても種々の状態で利用されている。例え
ば、メモリー材料としての磁性粉、顔料、研磨剤、トナー、触媒、吸着剤などは、粉体粒
*1 ミセルの中で両親媒性分子の疎水基が集まっているのは、疎水性相互作用であって、その方が系全
体のエントロピーが増大し、自由エネルギーが低下するからである。つまり、両親媒性分子が水中に
分散しているより、ミセルとなっている方が溶媒のエントロピーは増大し、ミセルを作ることによる
エントロピー減少を補って系全体のエントロピーは増大するのである。
*2 ミセルの形態は界面活性剤溶液が示す数々の現象を説明する際に都合のよいように、その形を推定
しているのである。
-3
-6
-5
-7
-7
-9
*3 おおよそ粉体は 10 ~ 10 m、微粉体は 10 ~ 10 m、超微粒子は 10 ~ 10 m(つまりナノスケー
ル)程度の大きさのものを指す。超微粒子はナノ粒子
ナノ粒子とも呼ばれる。2・6・1b 超微粒子参照。
- 139 -
子が分散した状態で利用されている。焼結体 としての利用には各種電子材料、構造材料、
*1
建築材料、耐熱材料などがある。また、両者の中間状態である粘結体や圧粉体としての利
用は、歯磨き粉、化粧品、医薬品などがその例である。
固体物質の形状を積極的に変化させ粉体として利用するのは、物質の処理や取り扱いな
どの単位操作面で有用性があるからであり、一種の機能化である。しかし一方、固体の粉
体化は付着・凝集性を増加させその結果汚染や変質を起こすなど、その取り扱いや処分を
困難にするというデメリットも含んでいる。
e 界面活性剤
溶媒に溶質を溶解させたとき、溶液の表面張力が純溶媒のそれよりも減少するとき、そ
の溶質は界面活性物質と呼ばれ、増大するときは界面不活性物質と呼ばれる。界面活性分
子の分子構造に共通する特徴は、それらが極性のある部分(親水基)と、極性のない部分
(疎水基あるいは親油基)から成ることである。このように一つの分子の中に親水基と疎
水基を持つことを、両親媒性があるという。このような分子は両親媒性分子と呼ばれ、水
の内部よりも表面にいる方が安定で、その結果表面に集まり膜を作る性質を持つ。2 相の
界面における物質の濃度が相内部のそれと異なる場合に、その物質は界面に吸着されたと
いう。界面の濃度が相の内部よりも高ければ正吸着、低ければ負吸着という。膜は気-液
界面で界面活性剤が界面に正吸着されたのであり、吸着単分子膜と呼ばれる。単分子膜の
形成とその性質は界面活性剤分子の親水基の水に対する親和力と疎水基相互間の凝集力に
より左右され、これらの兼ね合いにより様々な形態の膜となる。
なぜ界面活性剤*2 は水(純溶媒)の表面張力を下げるのだろうか?界面活性分子の親水
基と液体表面の水分子の間に引力相互作用が働くため、表面水分子が液体内部に引き込ま
れる力が実質的に減少し、その結果表面張力が下がるのである。シャボン玉がなぜできる
のか考えてみよう。水に界面活性剤を加えて石鹸水を作ると、界面活性剤により水の表面
張力が下がったので、水が薄膜状に広がる(=表面積を大きくする)ことができるのであ
る。
なぜ界面活性剤(洗剤)は汚れを落とすことができるのか?洗剤を加えると水の表面張
力が下がるので、水は繊維をぬらしやすくなる(これを浸透作用という。2・4・2b 参照)。
その結果、繊維に接触している汚れの面積が小さくなる=汚れが除去しやすくなる。この
ような状態で機械的仕事(洗濯機槽での水のかき混ぜ、手によるもみ洗い等)によって汚
*1 固体粉体の集合体が融点直下あるいは一部液相を生じる温度に加熱した場合に、焼き固まってより
緻密で強度の大きい多結晶体になる過程や現象を焼結、その結果できたものを 焼結体 という。粉体中
の微粒子の表面エネルギーが高いため、粉体は熱力学的には非平衡状態である。焼結は系の表面エネ
ルギーを減少する方向に物質移動が起こり、すなわち粒子集合体の総表面積を小さくするように粒子
間に結合が生じるのである。
*2 界面活性剤は水に溶解したときの分子のイオン性により 4 種類に分類される:アニオン界面活性剤
アニオン界面活性剤
(親水基がアニオンになる)、カチオン界面活性剤
カチオン界面活性剤(親水基がカチオンになる)、両性界面活性剤(溶
液の pH により、親水基がアニオンまたはカチオンどちらかになる)、中性界面活性剤(水溶液中でイ
オンに解離しない)。シャンプーや石鹸はアニオン界面活性剤、リンスはカチオン界面活性剤である。
- 140 -
れが繊維から除去される。繊維から除去された汚れを界面活性分子が包み込んで水の中に
分散させる=ミセル(コロイド)を作って安定化する。これによって汚れの再付着が防がれ
る。お湯を使うと汚れが落ち易くなるのは、温度が高いほど(水分子の熱運動が激しくな
るため、分子間相互作用が平均的に弱められその結果)表面張力が下がるからである 。
*1
界面活性剤を水に混ぜると、表面に単分子層を作るが、溶液内部でも分子どうしが会合
して集合体を作り始める(図 3-14(No.15)参照)。臨界ミセル
臨界ミセル濃度
ミセル濃度(cmc)と呼ばれる濃度を
超えると、界面活性溶液の性質、例えば、表面張力、電気伝導度、粘度、浸透圧などの急
激な変化が認められる(アトキンス図 19・40 参照)。このとき溶液は Tyndall 現象を示し、溶
液中にコロイド粒子(これがミセルである)が存在することが分かる*2。これらのミセル
が空間的に規則的に並んである長距離秩序を持ったのが液晶である。つまり濃度が増すと
コロイドから液晶になる(図 2.3(No.15)参照)。
f 膜
(1) 薄膜(アトキンス 19・15)
分子を分子スケールの厚さの組織体として配列する方法は幾つかあるが、配列できる多
くの場合は、それらの分子は長鎖の両親媒性構造をとっている。すなわち、二つの性質の
異なる相が接している界面を利用して分子の配列が制御される。分子が両親媒性の構造を
とっていない場合には、多くの場合単分子膜になるよりは三次元結晶構造になってしまう
*3
。つまり、単分子膜状に並ぶよりも三次元結晶構造を形成してしまった方が、熱力学的
に安定なのである。2 相の界面において、両親媒性構造の分子が自発的に配列した場合は、
自然に熱力学的に安定な構造になる。例としては、上述した吸着単分子膜があげられる。
これに似た構造の膜に、不溶性単分子膜とか展開単分子膜と呼ばれる、空気-水界面や油水界面の分子膜がある。吸着単分子膜は界面活性剤の作用機構の研究上は重要であるが、
これを固体基盤上に移行して累積することは困難であるので、分子配列の観点からすれば、
展開単分子膜ほど利用価値がない。吸着単分子膜は水溶性分子が自発的に界面に吸着する
が、展開単分子膜は、膜形成物質の水への溶解度がほとんどなく、揮発性の有機溶媒溶液
から水面上に展開されるという特徴がある。展開されて有機溶媒が蒸発した後に、不溶性
*1(参考)水-空気界面での水の表面張力(10
-2
-1
N m )の温度変化:7.56(0 ℃)、7.28(20 ℃)、6.62
(60 ℃)、5.89(100 ℃)。
*2 正確には臨界ミセル濃度以上になっても温度がクラフト点
クラフト点と呼ばれる温度以上でなければ、コロイ
ド溶液にはならない。
*3 高真空中で単結晶の下地上に蒸着膜を成長させると、下地の結晶の規則的な原子配列の影響を受け
て、単結晶状の薄膜が成長する現象があり、これを広い意味でのエピタキシー成長
エピタキシー 成長と呼んでいる。こ
のようにして基盤結晶表面に薄膜の半導体や金属などの結晶(これらは超格子構造を持つ)を作る方
法を分子線エピタキシー
分子線エピタキシー法
エピタキシー法(MBE 法)という。MBE 法を用いて作られた新物質の多くは熱力学的に非
平衡状態にあるが、かなり安定なものがある。溶液から析出させた結晶、電気炉の中で成長させた結
晶、また天然の結晶は平衡状態である場合が多いが、MBE 法による結晶は非平衡状態である場合が多
く、人工格子と呼んでいる。人工格子には準結晶(2・3・2a 参照)が多く見出されている。また、半導
体超格子では種々の興味深い現象が観測されている(2・6・3 メゾスコピック系 参照)。
- 141 -
単分子膜が水面に残る 。このような方法で安定な不溶性単分子膜を形成するためには、
*1
膜分子の親水性、疎水性の適当な強さと両者のバランスが必要である。展開単分子膜を適
当な固体基盤上に移行、累積した分子膜組織を Langmuir-Blodgett(ラングミュア-ブロジェッ
ト)膜あるいは LB 膜と呼ぶ。このとき、膜を任意の層数だけ固体基盤上に移しとること
ができる。こうして得られた多分子膜層を累積膜と呼んでいる。
膜形成物質の有機溶媒溶液中に固体基盤を浸漬するだけで、膜物質が固体基盤上に自発
的に分子膜組織を形成するとき、この膜を自己組織化膜あるいは SA 膜と呼ぶ(アトキン
*2
ス I 19・3 参照) 。SA 膜の特長は、固体基盤の表面と膜物質間に化学結合が形成されてい
ることで、単に固体基盤上に物理的な力で組織化されている LB 膜と比較すると、化学的、
力学的な耐性が高く、また耐熱性も格段に高い。ただし、分子の配列の秩序性で比較する
と、LB 膜の方が高い。さらに、LB 膜では多層累積が容易であるが、SA 膜での多層の組
織膜を形成するには、膜分子設計に工夫が必要である。
自発的に分子組織膜を形成するもう一つの例が二分子膜である。これも両親媒性構造の
膜分子が、水中で自発的に形成される。シャボン玉の黒膜や生物の細胞膜はこの二分子膜
の典型である。二分子膜が、平面状のラメラ構造をとるか、ねじれたリボン状になるか、
あるいは閉じた小胞状のリポソーム(アトキンス図 19・41、図 6.16(No.15)参照)あるいはベシ
クル((3)機能性生体膜参照)になるかは、膜構成分子の形状に大きく依存する。
(2) 超構造薄膜
分子間相互作用を利用して二次元分子集合系をエネルギー的に安定化し、高度に高次構
造が制御された膜を超構造薄膜と定義する。超構造薄膜では、分子の二次元空間分布がナ
ノスケールで制御されているので、マクロスコピックに制御して作られた従来の機能材料
に見られない量子効果機能、環境応答機能や超高密度の情報の記録・記憶、分子機械など
未知の新機能の発見が期待できる(2・6・3 ナノテクノロジー参照)。
生体組織では、進化の結果として精密に設計された低分子・高分子化合物が特異な相互
作用を行っており、これが生命活動という高度な物質機能を実現している。高度な人工機
能を有する超構造薄膜を開発していくためには、生体分子の持つ優れた機能を巧みに利用
することが重要であり、近年、生物の持つ機能を工学的に応用する研究が盛んに行われて
いる。自己組織化能を持った分子ディバイスの構築には、ナノスケールで分子の空間分布
を制御する必要がある。すなわち、材料表面を原子あるいは分子レベルで二次元マトリッ
クスの構造制御を行うとともに、二次元マトリックス表面で生体を構成する細胞、タンパ
ク質、核酸、脂質などの成分を意図的に配列させる技術の確立が要求される。
(3) 機能性生体膜(アトキンス 19・14(b))
全ての生物の基本単位である細胞には、種々の膜状構造体が存在している。細胞の一番
外側を囲む形質膜、またミトコンドリア、小胞体およびゴルジ体などのオルガネラ(小器
*1 化学実験で「ステアリン酸の断面積」という実験を行ったが、そこで両親媒性物質であるステアリ
ン酸の展開単分子膜を作製した。
*2 両親媒性分子は膜やミセルを自己組織化する能力を持っている
- 142 -
官)もみな膜で囲まれている。細胞のこのような膜状構造体は、総称して生体膜と呼ばれ
ている。生体膜の厚さは 6 ~ 10 nm である。生体膜は脂質(特にリン脂質分子*1)とタン
パク質の集合体から成る。二重層(アトキンス図 19・42 参照)のそれぞれのリン脂質分子は、
膜の表面に位置する 1 個の極性(親水基)の頭部と膜の中央に伸び出す 2 本の長い非極性
(疎水基)の尾部から成る。2 層の非極性の尾部どうしは膜の中で互いに向き合って分子
間相互作用によって二重層を保持している。タンパク質はあるものは単に膜表面に結合し
ているだけだったり(表在性)、他のものは、膜内に一部分が埋もれている(内在性)。大
部分の内在性タンパク
内在性タンパク質
タンパク質は膜を貫通しているので、膜貫通タンパク
膜貫通タンパク質
タンパク質とも呼ばれる。内在
性タンパク質はリン脂質の海に氷山のように浮かんでいるので、このような膜構造モデル
は流動モザイクモデル
流動モザイクモデルと呼ばれる(アトキンス図 19・43、図 6.17(No.15)参照)。つまり、生体
膜は化学結合のようなリジッドな結合ではなく、疎水性相互作用によって分子が集合した
ものである。このため膜には流動性があり、膜内部での分子の移動、膜の破裂、再構成、
膜を通した低分子の移動が可能なのである。
生体膜の第一の機能は、外界との区画を形成することである。また、細胞が生きていく
ためには絶えず特定の物質を取り込み、代謝産物の不用のものを細胞外へ排出しなければ
ならない。このために、膜を通した物質の輸送の制御が巧みに行われている。そのさい、
特定の分子を認識するレセプター(受容体)
*2
が膜表面に存在し、その情報を膜内に伝える
機構も存在する。要するにこれは情報収集のためのセンサーであり、一般的には種々の化
学物質(リガンド)を受容して、その情報を細胞が解読できる信号に変換し、最終的に適
切な細胞応答を導く。すなわち、膜タンパク質の細胞質側および細胞外側には、特定のシ
グナル分子に特異的な受容体の部位があり、シグナル分子がこの受容体で認識されると、
内在性タンパク質は変形し、特殊な機能を果たすことができるのである。受容体の種類は
組織や細胞によって異なっており、特定の刺激や物質にしか反応しない。ペプチドホルモ
ンなどが特定の組織で作用するのはこのためである。さらに、細胞間の
細胞間のコミュニケーショ
ンには、細胞膜上の糖鎖がアンテナの役割を果たしている。この膜中にタンパク質、糖鎖、
脂質が高度に配列制御されて超分子複合体を形成し、種々の機能を発現している。
*1 リン脂質は水中で濃度、温度、イオン組成などの適当な初期条件を与えると、容易に単層二分子膜
より成る閉鎖小胞、リポソーム を形成する。リン脂質は生理的条件下で安定な液晶状リポソーム膜を
形成する。一般に、層状ミセルは二分子膜とも呼ばれ、その二分子膜が中空の袋状に閉じたものをベ
シクルという。何重にも重なってタマネギ状の構造をしたものを多重層ベシクルという。天然脂質で
作られるベシクルのことをリポソームという。ベシクルは通常熱力学的には安定な構造ではない。
*2( 受容体) 要するにこれは情報収集のためのセンサーであり、一般的には種々の化学物質(リガ
ンド)を受容して、その情報を細胞が解読できる信号に変換し、最終的に適切な細胞応答を導く。す
なわち、膜タンパク質の細胞質側および細胞外側には、特定のシグナル分子に特異的な受容体の部位
があり、シグナル分子がこの受容体で認識されると、内在性タンパク質は変形し、特殊な機能を果た
すことができるのである。受容体の種類は組織や細胞によって異なっており、特定の刺激や物質にし
か反応しない。ペプチドホルモンなどが特定の組織で作用するのはこのためである(2・5・3c ☆分子の
構造と分子認識を参照せよ)
- 143 -
☆ Donnan 平衡(
平衡(膜平衡)
膜平衡)
コロイドイオンのような大きなイオンを通さない(、しかし低分子の
イオンは通す)半透膜によって隔てられている二種類の電解質溶液Ⅰと
溶液Ⅰ 半
溶液Ⅱ
Ⅱを考えてみよう。低分子の電解質から成る溶液Ⅰ、Ⅱに、例えば負の
低分子
透
低分子
固定電荷を持つ高分子電解質を溶液Ⅰの方に加えたとする(あるいは高
+ -
膜
+ -
分子電解質溶液Ⅰと低分子電解質溶液Ⅱを半透膜を通して接触させる)。
高分子-
溶液間のイオンの流れが定常状態に達したとき、この半透膜で隔てられ
た二種類の電解質溶液の間に成立する平衡を Donnan 平衡とか膜平衡という。このとき次式が成立す
る。
Ⅰ
a+ a-
Ⅰ
Ⅱ
= a+ a-
Ⅱ
ここで a+、 a-は低分子電解質イオンの活量である。このとき、このコロイドイオンは膜を通れないの
で電気的中性の条件から液相Ⅰではコロイドイオンと同じ符号の負電荷を持つ低分子イオンの活量(濃
度)が低くなる 。これを Donnan 排除という。その結果、この二種類の溶液ⅠとⅡで膜を通過できる
*1
低分子イオンに活量(濃度)差が生じ、膜を隔てて電位が発生する。これを Donnan 電位とか膜電位と
いう。膜を通過できるイオン J の濃度差によって生じる膜電位 EDonnan,J は、
Ⅱ
Ⅰ
Ⅱ
Ⅰ
EDonnan,J = (- RT / zJ F)ln(aJ /aJ )~(- RT / zJ F)ln(cJ /cJ )
で与えられる。zJ はイオンの電荷数(符号を含む)である。
非電解質高分子溶液の場合、重量モル濃度が大きくないので大きな浸透圧や沸点上昇などを示さな
い。しかし、電解質高分子の場合は多数の対イオンが存在するので場合によっては大きな浸透圧を示
す。また、低分子電解質が共存する場合は Donnan 排除により低分子電解質の濃度差が生じるため大き
な浸透圧が発生する。塩が高濃度で共存すれば、浸透圧Πは高分子電解質の価数に無関係に
Π=[高分子の濃度]RT
で与えられる。したがって、浸透圧の測定から高分子のモル質量を求めることができる。
*2
Donnan 平衡は生体高分子類の透析
による精製や、生体膜、イオン交換膜における膜電位の
膜電位の発生を
考えるとき、あるいはイオン交換樹脂内外のイオン分布を考えるとき重要になる。生理学的には細胞
膜内外の膜電位が問題となる。細胞膜はその内側に膜を透過しない多くの分子を含んでいるばかりで
なく、 能動輸送によって特定のイオンを膜外に排出する機構(イオンポンプ)があるため、それらの
総和としての膜電位の値はその細胞の状態を表す重要な量である。
☆ イオンチャ(
イオンチャ(ン)ネルと
ネルとイオンポンプ(アトキンス I 21・2)
+
+
2+
-
イオンチャネルは、生体エネルギーを使って膜内外に貯えられたイオン(Na , K , Ca , Cl など)の
大きな流束を発生させることで、脳・神経の信号伝達を行う生体システムである。イオンチャネルは
生体膜を貫通する筒状タンパク質(これを特に チャネルタンパク質
チャネルタンパク 質と呼ぶ)で、生体膜にイオンの通
Ⅱ
Ⅱ
*1 低分子イオンの電荷が正負で等しければ電気的中性則により溶液Ⅱでは a+ = a- である。溶液Ⅰで aⅠ
Ⅰ
が小さくなれば、上記の平衡式より a+ が大きくなり、ⅠとⅡで低分子イオンの活量に差が生じるこ
とが分かる。
*2 半透膜を用いコロイド溶液等から溶液中に存在する塩類などの低分子物質を分離除去しコロイド溶
液を精製する操作を透析 という。人の血液(コロイド溶液)は腎臓で透析されている。人工透析は半
透膜のチューブを通して血液中の老廃物を取り除いている。
- 144 -
*1
路を造っている 。その機構は①特定の刺激(化学物質、膜電位、機械刺激、温度など)に応じてチャ
+
+
ネルを開閉し、②選択的にイオンを透過させる(K チャネル、Na チャネルなど)という二つに集約さ
*2
れる 。
イオンチャネルはイオンを高濃度の領域から低濃度の領域へと、濃度勾配(正しくは電気化学ポテ
ンシャルの勾配)に従って透過させる。イオンが流れると濃度勾配が無くなるので、平常時の濃度勾
+
+
配(細胞内液には K イオンが多く存在し、外液には Na イオンが大量にある)に戻すためには、イオ
ンを濃度の低い領域から高い領域へと運ばなければならない。このような輸送を能動輸送 といい、こ
れを行うのがイオンポンプである。イオンポンプは アデノシン三
アデノシン三リン酸
リン酸(ATP)
*3
を加水分解する酵
+
素(ATP ase)である。ポンプ酵素
ポンプ酵素 Na-KATPase は、全 ATP の約 30 %を消費して細胞内に K イオンを
+
取り込み、Na イオンを汲み出し、膜内外にイオンの濃度勾配を形成している。
神経細胞(ニューロン)が外部信号を受けてイオンを透過させる孔(チャネル)を開くと、膜を介
して大量のイオンの流れが発生し、その近傍に局所的な電位の変化が誘起される(=電位パルスの発
生、このときの膜の状態を興奮という)。さらにこれが隣のチャネルを開き、電位変化が次々に波とし
て神経細胞の生体膜(神経繊維)に沿って伝えられる。すなわち、刺激によって興奮が生じると、そ
の部位の膜内外の電位が逆転し、隣接する部位との間に電位差が出来、その結果流れる電流(活動電
11
流)が刺激となって隣接部に次々と興奮が伝えられる。脳は 10 (千億)個の細胞の間にこの様な回路
を張り巡らせた情報処理機構であり、イオンチャネルはその基本機能を担う素子である。イオンチャ
ネルは疎水性の高いバリアーを形成して生命の単位となる細胞を構成する生体膜を、たくさんの溶媒
*4
水で取り囲まれたイオンを高速で流すことによって、脳の信号伝達に用いているシステムである 。
g ゲル
寒天やゼラチン(の粉)は温水に溶かせば分散してゾルになるが、これを冷却すると流動
性を失って(、固化して)ゲルとなる。一般にコロイド粒子が独立した運動性を失って、
集合して固化した状態をゲルという。ゲルはアモルファスである。ミクロに見れば、ゲル
とは高分子、低分子やコロイド粒子系が架橋により三次元の
三次元の網状構造をとり、その中に、
例えば水などの流体(、溶媒)を含む(あるいはこれを水が浸透したと表現する)物質の
一つの状態である。また、三次元網目だけをゲルと呼ぶこともある(例えばシリカゲル)。
模式的には図 3.1(No.15)に示すような構造をとっていると考えられる。
ゲルを構成する因子である、網目鎖、架橋、流体の違いに基づいてゲルには色々な名称
がついている。網目鎖が有機物の場合は有機ゲル
有機ゲル、無機物の場合は無機ゲル
無機ゲルと呼び、原料
が天然物のときは天然ゲル
天然ゲル、合成されたものでは合成ゲル
合成ゲルと呼ばれる。架橋点が共有結合
で出来ているときは化学ゲル
化学ゲル、イオン結合や水素結合で出来ているときは物理ゲル
物理ゲルと呼ば
れる。流体が水のときはヒドロゲル、有機溶媒のときはオルガノゲル、水や有機溶媒を失
ったゲルをキセロゲル(これは流体が気体であるとも見なせる)という。
*1
2003 年度のノーベル化学賞はこのイオンチャネルの機構の原子レベルの解明に対して贈られた。
*2 この様な機能を人工的に模倣することによって、新しいイオニクス素子
イオニクス素子を構築する研究が進められ
ている。
*3 ATP は生体内のあらゆる吸エルゴン反応に自由エネルギーを供給するのに使われる。
*4 この他にシナプスを介した興奮の伝達がある。
- 145 -
ゲル化するためには、架橋する必要がある。これには共有結合、イオン結合、あるいは
分子間力などを利用する方式がある。共有結合による架橋は一番強固であり、一般に合成
高分子ゲルに多い。イオン結合による架橋は、例えば陰イオンを持つ高分子電解質にカル
シウムのような陽イオン物質を添加して、静電的に結合させることによりゲル化を起こさ
せる。また、正負の電荷の異なる高分子電解質を混合して、ポリイオンコンプレックスを
生成させてゲル化することも出来る。この形式の架橋は pH やイオン強度を変えることに
より、ゲルとゾルの転移が可能になるため、ゲル形成は可逆的である場合が多く、医薬分
野、センサー、メカノケミカル素子など多方面への展開が期待されている。分子間力によ
る架橋は天然の多糖類やタンパク質から得られる寒天やゼリーなどの天然高分子ゲルに多
く見られる。ゲルを構成する高分子間の水素結合、分子配向、へリックス形成などの高分
子高次構造によってゲルが形成される場合が多い。この場合も加熱、pH などの環境条件
を変えることによりゲル -ゾル転移を可逆的に起こすことが可能であり、上記と同様に多
方面への応用が考えられている。
水などの流体はゾルの時は分散媒であったが、ゲル中では三次元網目に閉じこめられる
ことにより流動性を失い、一方その網目は水を含まないときに比べて非常に柔らかくなる。
このとき、網目に含まれる液体の量は網目の化学構造、網目と流体の種類や性質、温度な
どの外的な条件により様々に変化する。言い換えれば、それらをコントロールすることに
より、性質の異なるゲルを作ることができる。
ゲルの身近な例としては、食品としては寒天、ゼラチンの他に、豆腐、こんにゃく、プ
リン、かまぼこ、ゆで卵、ソーセージなどがある。また、ソフトコンタクトレンズもゲル
であり、生体内の目の角膜や水晶体、硝子体、胃壁などの表面の粘膜、関節などの結合組
織(軟骨等)もゲルである 。工業製品としては写真フィルム、高吸水性樹脂 、保冷剤、
*1
*2
イオン交換樹脂などがある。
☆ インテリジェント化製剤
インテリジェント化製剤による
化製剤によるドラッグデリバリーシステム
によるドラッグデリバリーシステム
生体高分子を模して機能性高分子材料を合成し、生体内に入れるなど医療分野へと応用する場合、
生体にとっては異物であるため拒絶反応が起こらないように、生体と親和性を持つようなものにしな
ければならない。また、それらの形状も様々で、固体や繊維状、膜状、流動性を持つゾルからゲルま
で多様である。特にその中でも 高分子ゲル
高分子ゲルは高含水性を持つことから、高度に水和した表面が形成さ
れるため、ゲルとタンパク質や細胞の表面との界面では非特異的相互作用
*3
が小さくなり、吸着が抑
制され、異物反応が起きにくくなる。高分子ゲルの特徴は含水性が高いというだけでなく、酸素透過
*1 これらがゲルであるということは、高分子ゲルを医用材料として利用できるということである。具
体的には、人工関節、人工筋肉、人工眼、ドラッグデリバリーシステムなどがある。
*2 この樹脂は紙おむつなどの実用品として一般によく知られている。主流となっている物質は架橋ポ
リアクリル酸ナトリウムである。このポリマーが示す性質は高分子電解質であることと、架橋高分子
であることの相乗効果から生まれる(2・5・3e 参照)。この他にも、湿布薬や土壌保水剤などにも利用さ
れている。
*3 物質と特定の組織や細胞との間で働く特異的相互作用に対して、不特定の組織や細胞との間で働く
相互作用を非特異的相互作用という。
- 146 -
性が高く、ゲル中では物質の透過・拡散が容易ということである。このような特長を生かして、その
一部として現在ではインテリジェント化製剤
インテリジェント化製剤の開発がなされている。
体内で異常をきたしている部位は、正常時と比べてある種のシグナルを発している。例えば、化学
物質の放出や pH の変化、温度(体温)変化などで、これらのシグナルに応答する薬剤がインテリジェ
ント化製剤
ント化製剤である。インテリジェント化製剤は、異常部位のシグナルを検知することで、薬物を放出
して治療を行い、体が正常に戻ることも検知して放出を停止するオートフィードバックシステムを持
つ。例えば、アクリルアミド-ブチルメタクリレート共重合ゲルとアクリル酸の交互浸潤網目ゲルは、
低温でアクリルアミドとアクリル酸の水素結合形成によるゲルの収縮、高温で水素結合の解離による
ゲルの膨潤が観察されており、このゲルの内部に解熱剤を充填しておけば、体温の上昇にともなって
解熱剤を放出、正常体温近くなると放出を停止する、制御可能解熱剤の可能性が広がる。副作用のな
い薬剤はほとんどないので、必要な部位に、必要なとき、必要な量だけ投与することが出来れば、副
作用も少なく効果的な治療ができる。この ドラッグデリバリーシステム(薬物送達システム、 DDS)
はインテリジェント化製剤を用いることにより可能になる。
2・5・5 乱れのある系
れのある系(ランダムな
ランダムな系、無秩序系)
無秩序系)
完全結晶はそれを構成する原子あるいは分子等が規則的に配列している。これに対して
気体は粒子の配列が全く不規則である。不規則という代わりにランダム、つまりでたらめ、
乱れ(ている)あるいは無秩序と言い換えてもよい。液体はこの中間的な状態であり、ほと
んどランダムではあるが、全くでたらめというわけではない。ソフトマターと呼ばれる物
質も程度の差はあれ、分子配列の完全規則性が乱れているものである。この乱れとかラン
ダムとか無秩序ということについて少し考察してみよう。
2・3・3 格子欠陥で考察したように、結晶といえども実際にはなにかしら乱れを持ってい
る。我々のまわり(自然界)を見渡してみても、乱れているあるいは無秩序であることの
方が一般的で、規則的、あるいは秩序のある方が例外である。我々がいま考えている乱れ
は巨視的なものではなく、ミクロなレベルでの乱れである。このような乱れは一般に図 1
( No.16)のように分類される(この分類に対応する説明を表 1( No.16)に与える )。図 1
(No.16)の上段の二つの図は完全結晶を表し、そのうち右の図の方は、共有結合の場合の
ように化学結合の手(この図の例では 1 原子あたり 3 本)が明確に定義できるものを表し
ている。図の(a)で示される乱れは、セル型
セル型の乱れまたは置き換え型の乱れと呼ばれる。
これは原子の位置そのものは規則的であるが、格子点を占める原子の種類がランダムな場
合である。この種の乱れは固溶体のところで考察した(置換型固溶体)。(b)は原子の位置
そのものがランダムになったもので、構造型の
構造型の乱れまたは位置の
位置の乱れと呼ばれ、このよう
な系を構造不規則系と呼ぶ。液体や液晶、アモルファスの構造モデルとして有用である。
(c)で示される型の乱れは、アモルファス半導体の構造モデル(不規則網目構造モデル、2
・5・2a 参照 )として提案されたもので、原子の位置に乱れがあるという点で、構造型の乱
れの一種であるが、共有結合の手のなすネットワークが、系の巨視的な物性の理解に重要
な役割を果たすと考えられるので、時に(b)と区別してトポロジー型
トポロジー型の乱れあるいはネッ
トワークの
トワークの乱れとして分類されることが多い。(d)は何か適当な物理量(例えば電子の感
じるポテンシャル)の等高線を模式的に表した図である。(d)で表されている乱れは、連
- 147 -
続的な
続的な乱れで、実際にはかなり巨視的なスケールで現れるものである。
このような構造上の乱れは、それに留まらず系の電子状態に影響を及ぼし、種々の興味
ある現象を示す。例えば、既に半導体の不純物効果(2・1・2 参照)などについて考察した。
その他にも幾つかの例を参考までに挙げてみよう。
(参考)結晶に含まれる不純物などの影響によって不規則になったポテンシャルが電子に働く場合、
この乱れがある値を超えると、電子の波動関数が空間的に局在する現象が起こる。これを Anderson 局
在 という。これは電子の波動関数が不規則ポテンシャルによって散乱された結果、散乱波の干渉効果
(量子力学的干渉効果)によって起こるものと考えられている。Anderson 局在のために金属から絶縁
体に転移する現象を Anderson 転移という。
競合する相互作用(これをフラストレーションという)が存在するランダムな磁性体において、あ
る一定温度以下で現れると考えられる長距離秩序のない一種の磁気的秩序相をスピングラスという。
例えば、希薄磁性合金では磁性原子のスピン間距離がランダムであり、スピン間に働く相互作用は正
値(強磁性)のものと負値(反強磁性体)のものが混在し競合するため、全ての相互作用についてそ
のエネルギーを最小にするようなスピン配置は存在しない。つまり、スピングラス状態では個々の磁
気モーメントの安定な向きは一つではなく、無数の準安定状態がほぼ縮退しており、温度が下がるに
つれてその数が増大し、いわば無限の分岐を繰り返していると考えられている。それに対応して緩和
時間が非常に長くなっている。つまり、スピンの凍結状態(ガラス状態)である。それでこれをスピ
ングラスという。
2・6 分子集合体の
分子集合体の構造
これまでに、結晶と液体という原子や分子の凝集形態を考察してきたが、原子や分子ようなミクロ
なスケールのものと、結晶等のマクロな凝集体の中間的な領域の大きさ、すなわち ナノメートルの大
きさを持った系が近年注目されている。どんどん物質を小さくしていったときに、物質の示す性質は
変わらずにいるだろうか?例えば、鉄釘をマッチの炎で燃やそうとしても全く燃えない。しかし、ス
テンレスウールのたわしにマッチの炎を近づけるとパチパチと線香花火のように燃える。スチールウ
ールの線の太さはかなり細く、そのため大きな表面積を持ち、酸化の反応速度が異常に大きく燃える
のである。ここではミクロな系とマクロな凝集状態(これをバルクの
バルクの状態という)の中間状態と見な
すことができる分子集合体について考えてみよう。
2・6・1 分子集合体-
分子集合体-ミクロと
ミクロとマクロの
マクロの架け橋-
a クラスター
数個から数千個の同種または 2 種以上の原子または分子が凝集して形成される、径にし
てナノメートルの領域にある原子集団または分子集団をクラスターという。クラスターは
単一の分子とマクロな凝集状態の中間状態と見なすことができ、両者の橋渡しとなる情報
を提供する。そのため近年クラスターに関する研究が盛んに行われている(クラスター化
クラスター化
学と呼ばれることがある)。クラスターは微視的な性質と巨視的な性質両方を示すと同時
に、その安定性、反応性、幾何学的な形など、種々の性質がそのサイズによって大きく変
化し、しかもその変化は一様ではないという特徴を持っている。特にそこに含まれる原子
- 148 -
数が特定の値から 1 個変わるだけで、その性質が大きく変わるような場合、特定の原子数
をマジックナンバーと呼ぶ。
クラスターを形成する原子によって、Ar などの希ガスクラスター、B、C、Si、S、P な
*1
どの非金属クラスター
非金属クラスター 、Pb、Fe、Co、Rh、Pt などの金属クラスター
金属クラスターなどに分類される。
さらに、正あるいは負の電荷を持つクラスターイオン、クラスターを含む化合物であるク
ラスター化合物
。凝集エネルギーは様々であり、希ガスクラスターは van
ラスター化合物などに分類される
化合物
der Waals 力、炭素クラスターは共有結合によって作られている。後者の場合、クラスタ
ー中の原子間の結合は二つの原子間に電子対を割り当てることにより説明される場合もあ
るが、ホウ素のクラスター化合物などのように 1 原子当たり 3 あるいは 4 個の原子軌道を
用いて作られるクラスター全体にわたる結合(多中心結合)を用いて説明される場合もあ
る。クラスターの構造には多面体の各頂点に原子が存在する閉じた多面体型と、頂点の一
部の原子が欠けた開いた多面体型とがある。また多面体の内部にも原子が存在する場合も
ある*2。
正イオンまたは負イオンを核として複数個の原子または分子が凝集してできる電荷を帯
びた集合体はクラスターイオンであり、したがって、水溶液中(一般的には溶媒中)のイ
オンとそれに水和(溶媒和)した溶媒はクラスターイオンを作っていると見なすことが出
来る(溶媒和型クラスター)。クラスターイオンの構造、物性及び反応性に関する研究(つ
まり物理化学的研究)は溶液化学、コロイド化学、生化学、触媒化学、プラズマ科学、あ
るいは大気現象など、イオンが関連する広い分野に基礎的な知見を与える。
b 超微粒子(
超微粒子(ナノ粒子
ナノ粒子)
粒子)
クラスターと超微粒子を厳密に区別することは出来ない。少なくとも数個程度の粒子が
凝集して集合体を作っているとき、これをクラスターとは呼ぶが超微粒子とは呼ばないで
あろう。したがって、超微粒子も単一の分子とマクロな凝集状態の中間状態と見なすこと
ができる。微粒子自体はコロイド化学の一分野として長い間研究されていたが、その体積
が小さいため電子構造にはバルクの固体には見られない特異性が現れるという性質によ
り、近年ではこの後で考察するナノテクノロジー(2・6・2)やメゾスコピック系(2・6・3)
の一つとして注目されている(その場合は超微粒子というよりもナノ粒子という言葉を使
われることも多い)。たとえば、量子サイズ
量子サイズ効果
サイズ効果や量子閉じ
量子閉じ込め効果といった現象が観測
され、これらは超微粒子の光学的性質に影響を及ぼす。例えば、1980 年代後半から、半
導体ナノ結晶における量子閉じ込め効果ならびに金属ナノ結晶の表面プラズモン
表面プラズモンに基づく
光吸収が、三次非線形光学効果の観点から注目され*3、活発な研究が行われてきた。また、
超微粒子では比表面積が非常に大きくなるため、固体内部とは大きく異なる化学結合の状
態が支配的となり、格子振動や融点などがバルクの固体と比べて変化する(格子振動のソ
フト化、融点の低下)。磁性体の超微粒子では、磁気モーメントの配列と磁化の向きに関
係する特徴的な構造が見られるようになる。
*1 C60 フラーレン等は炭素クラスターと見なすことも出来る。
*2 メタンハイドレートなどの包接化合物(2・3・5a)で、包接格子はクラスターと見なせる。
*3 半導体ナノ結晶では励起子吸収における振動子強度の増大が大きな三次非線形感受率に寄与する。
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超微粒子では比表面積が非常に大きいため、粒子を構成する原子のうち表面層に存在す
るものの割合が非常に大きくなる。表面層の原子は粒子の内部に存在する原子とは異なり、
一部の化学結合が欠如するなど特異な状態となっている。そのため、熱エネルギーによる
原子の振動の変位は結晶の内部より表面において大きく、格子振動における振動数は比表
面積の大きい超微粒子では体積の大きい結晶と比べて小さくなる。このような現象を格子
振動の
振動のソフト化
ソフト化という。固体の温度を上げていくと、固体を構成する原子の熱振動は活発
になり、融点では熱エネルギーが化学結合に打ち勝って、原子がゆるく結合した液体状態
へと相転移する。超微粒子では大きな比表面積を反映して原子間の化学結合力が小さくな
っているため、低い温度で液相への転移が起こる。このような融点の
融点の低下は超微粒子の大
きな特徴の一つである。
強磁性体の体積が減少すると、同時に磁区の大きさも減るが、磁区の大きさが減る割合
は強磁性体の体積が減少する割合よりも緩やかであるため、体積の小さい強磁性体では磁
区が一つしか存在しない状態が現れる。これを単磁区と呼ぶ。単磁区構造では磁壁の移動
が起こらないので、磁気異方性が大きい場合には、磁化の向きを変えるためには外部から
大きな磁場を加える必要がある。言い換えると、保持力が非常に強くなる。単磁区の強磁
性体の体積がさらに減少すると、磁気異方性エネルギーも減少するため、磁化を一定方向
に向けておくことが困難になり、ついには熱エネルギーの影響により磁化の向きが無秩序
な方句を向いて揺らぐようになる。この状態を 超常磁性 ( superparamagnetism)という。
磁化の向きに基づく二つの状態の間には、磁気異方性エネルギーと外部磁場によって決ま
るエネルギー障壁があり、超微粒子になるとこの障壁が低くなるため、熱エネルギーによ
って磁化は二つの状態の間を行き来するようになる。強磁性体の磁気メモリーとしての応
用を考えたとき、記録密度を上げるためには強磁性体を小さくする必要があるが、小さく
しすぎると超常磁性の影響により磁化の向きの固定が困難になる。
2・6・2 ナノテクノロジー
半導体素子の集積化が進み、各種の電子機器の性能がめざましく向上してきた。しかし、
個々の素子やデバイスを小さくしていくのにも限界がある。半導体素子は金属シリコンな
どに微量の不純物を入れて得られる n 型及び p 型半導体でできている(2・1・2 参照)。従っ
て、素子の大きさを極端に小さくすると、不純物の量が少なくなり過ぎて、半導体として
機能しなくなる。また、従来の半導体素子の製造方法である光リソグラフィー*1 は微細加
工の大きさを小さくするのにも限界が見えてきた。そこで近年、究極の素子(デバイス)
として原子や分子で構成された、(単)分子デバイス
分子デバイスが研究されている。例えば、酸化還元
あるいは光照射等の外部刺激に応答して自らの形を変える分子は分子素子(分子スイッチ
分子スイッチ
など)として利用可能である。
分子エレクトロニクス、バイオエレクトロニクス、
分子デバイス(分子素子):分子スイッチ、分子ワイヤー
分子機械(ナノマシン):分子ローター、分子ギア、分子シャトル、分子モーター
*1 マスクに刻んだ設計パターンを、光を用いて微小な固体チップ上に転写し、これをもとに微細加工
を行う方法。加工サイズが光の波長より小さくならないという限界を持つ。
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超分子を利用した分子(ナノ)ワイヤー(アトキンス I 20・2 参照)やスイッチングあるいは
*2
メモリーデバイスなども開発されている*1。このような分子エレクトロニクス
分子エレクトロニクス は、生体
分子(組織)や生体模倣分子を用いる場合にはバイオエレクトロニクスという分野とも関
係してくる。同様に分子機械(あるいはナノマシン)と呼ばれる分子レベルでできた機械
装置の開発も進められている。分子機械は外部からエネルギーを得て機械的動作をするも
ので、今までに分子ローター
分子ローター、分子ギア
分子ギア、分子シャトル
分子シャトルなどが研究されている。分子モー
分子モー
ターについては、生物界では生物モーター
生物モーターとしてよく知られているにもかかわらず、人工
的にはいまだ作られていない。超分子の特異な立体構造に起因する分子の微視的な運動や、
独特の電子構造に基づく電気伝導、磁性、光物性などは、超分子が微細な電子デバイスや
機械デバイスとして利用できる可能性を示唆している。
このような分子エレクトロニクス、分子機械など、ナノスケールの大きさの物質(ナノ
物質)を取り扱うとき、その基礎となる物質の作成方法や構造・物性を研究し、これまで
にない機能を持つ新しい材料やデバイスを作り上げるのがナノテクノロジーである*3。ナ
ノスケールの物質を作る場合*4、従来は大きいものをどんどん小さくしていった。これを
ボトムダウンと表現することがある。これに対して、現在ではボトムアップの方法、つま
り、原子・分子からナノスケールの物質を作る方法が研究されている。近年、原子レベル
の加工を可能にする方法として大きな注目を集めているものに、多方面からのレーザー照
射により原子の動きを止めてしまう レーザートラッピング や、走査型トンネル顕微鏡
(STM)、原子間力顕微鏡(AFM)などを利用する表面プローブ
表面プローブ加工法
プローブ加工法がある。これは STM、
AFM などの探針をピンセットのように用いて、原子・分子を操る方法である。しかし、
この方法は基本的に手作業であり、実用化に必須の大量加工に不向きという限界を持つ。
もう一つのボトムアップの方法は超分子の合成の所で紹介したが、原子・分子系に固有の
自発的な自己組織化能を利用する方法である。これは大量加工にも適合でき、化学的安定
性や自己修復能を付与できるという特徴を持つ。ただし、この方法にはまだ確固とした原
理・手法が確立されておらず、現在ではまだ手探りの状態である。しかし、超分子やナノ
テクノロジーといった原子・分子のサイズからみれば大きなものを作ろうとすると、生物
を模倣して、個々の分子を分子間相互作用を利用して集合化するという試みは、今後も続
けられるであろう。
2・6・3 メゾスコピック系
メゾスコピック系
*1 2・6 で超分子を取りあげるべきであるが、これについては「アドバンスト物理化学」で紹介する。
*2 必ずしも分子エレクトロニクス=分子デバイスというわけではない。分子エレクトロニクスはエレ
クトロニクスのための分子材料など、バルクの材料を研究する分野と、分子レベルでのエレクトロニ
クスを研究する分野に大きく分かれ、単分子デバイスの研究は後者の一部ということになる。前者を
有機エレクトロニクス
有機エレクトロニクス(2・1・2e 参照)と呼ぶこともあるが、有機 EL(1・5・3 参照)や有機トランジス
ターなどがこれに含まれる。
*3 日本の科学技術政策における四つの重点分野は、ライフサイエンス、IT、環境そしてナノテクノロ
ジーである。
*4 物質を加工してナノメートルサイズの構造を持つ材料を作製する手法をナノプロセッシングという。
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結晶をナノメートルのサイズにしたとき、言い換えれば、ナノメートル程度の大きさの
原子や分子の集合体を作ったとき、その電子状態や物性がバルク結晶には見られない特異
性を示すことは、既に古くから知られている。例えば、金属微粒子において電子のエネル
ギー準位がバンド構造を作らず離散的になり、それが低温で熱容量や磁性などに反映され
ることが知られている*1。ナノメートルの大きさを持つ対象またはナノスケールで起こる
現象を形容する際にメゾスコピックという言葉が用いられる。一般に、物体が固体といえ
るためには、伝導帯・価電子帯・禁制帯などの区別がはっきりしている程度には大きい必
要があるが、その条件は直径 2 ~ 3 nm のナノスケールの微粒子でも成り立つ。メゾスコ
ピック系といえるためには、その上で、電子の波動関数が系全体でコヒーレントである必
要がある。電子がコヒーレントであるということは、系全体が一つの波動関数で表される
状態にあることを意味している。電子波のコヒーレンスは他の自由度との相互作用(フォ
ノンや他の電子との非弾性衝突)によって壊されるので、物体の温度を十分下げる必要が
ある。その結果、微視的な系で観測された電子の量子力学的な性質がナノスケールの系で
も顕著となり(=電子の波動性の影響が表れ)、それに伴いコンダクタンスのような巨視
的な系に特有な物理量に量子化等が見出される。このように試料のサイズが電子の de
Broglie 波長と同じ程度まで小さくなると、電子状態に顕著な量子力学的効果が現れ(こ
れを量子サイズ
量子サイズ効果
サイズ効果と呼ぶ)、それが巨視的な物性として観測されるような系をメゾスコ
ピック系と呼ぶ。磁場などがコヒーレンスに影響を及ぼす現象が観測されるが、これを量
子干渉効果という。
また、メゾスコピック系の電子の運動やエネルギーは物質の次元性にも影響され、その
特長を生かした電子デバイスも作られている。分子線エピタキシー法(2・5・4f(1)脚注参
照)等の超薄膜結晶成長技術の進歩により、単原子単位の厚さからなる半導体ヘテロ
半導体ヘテロ構造
ヘテロ構造
*2
が作られるようになった。この超薄膜多層構造を半導体超格子という。そこでは、二次元
平面内に電子を閉じ込めた量子井戸が実現している。さらに、半導体超格子の表面を加工
することによって、de Broglie 波長程度の長さに電子を閉じ込めた擬一次元系である量子
細線や、金属および半導体の超微粒子や半導体超格子の表面を加工することによって、
de
細線
Broglie 波長程度の幅に電子を閉じ込めた 0 次元系である量子
量子ドット
量子点、
ドット(量子点
、量子箱と
もいう、アトキンス I 9・2 参照)という低次元系が実現されており、そこでは多彩な量子サ
イズ効果、量子干渉効果が観測されている。また、応用面でも量子井戸レーザー
量子井戸レーザー等のレー
ザーやオプトエレクトロニクス材料として注目されている。量子井戸や量子細線中ではバ
ルクの場合より電子と正孔の束縛が強くなり、励起子が室温でも安定に存在することが確
認されている。この室温励起子を発光素子や非線形光学素子に応用する研究が盛んに行わ
れている。
*1 これを久保効果という。これも量子サイズ効果の一例である。
*2 異なる物質からなる薄膜層を積層させた半導体。A、B 2 種類の半導体を AB と積層させたものを単
一ヘテロ構造、ABA を二重ヘテロ構造という。
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