ロシアの歴史と特異な文学の使命:世界に出遅れたロシアの歴史の特殊

ロシア文学
講義内容
(1)ロシアの歴史と特異な文学の使命:世界に出遅れたロシアの歴史の特殊性とそれ
に由来するいびつな文学の使命感、
(2)近代的自意識の地獄:自意識という呪われた問題を暴き立てたドストエフスキー
の作品に秘められた重苦しくも切実な意味、
(3)ロシア的荒唐無稽とナンセンスのはじけ方:重厚・長大・深刻ばかりが目立つロ
シア文学だが、なかには途轍もなく軽佻浮薄でナンセンスな作品もあったして……。
ロシア文学の起源
キエフ・ルーシの成立
ロシア国家の原型であるキエフ・ルーシが成立したのが九世紀。すでにその頃には豊かな
口承文芸(フォークロア)が存在した。まじないや農耕儀礼歌、婚礼の歌、葬送歌、神話的
言い伝え、ブイリーナと呼ばれる一種の英雄叙事詩などが盛んに歌われ語られていた。そこ
にはロシアがキリスト教化されるまえの民衆の異教的世界観が色濃く反映され、そのため教
会が成立してからはしばしば弾圧された。しかしこの口承文芸の伝統は弾圧の目をかいくぐ
り今日まで生き延びた。ただし、それらが文字に記録されるのは遅く、一般にロシア文学と
いう場合には、988 年のウラジーミル公によるキリスト教受洗をもって始まりとし、11 世紀
から 17 世紀末までを中世ロシア文学と一括するのが通例だ。
キリスト教の導入
文学の発展に不可欠な文字の成立はキリスト教導入を契機とする。ビザンティンから派遣
されたキリルとメトーディという二人の宣教師によって今日のロシア文字の原型であるキリ
ル文字が考案された。見逃してならないのは、ギリシャ語を母胎にしたこの文字の考案がそ
の後のロシア文化の大枠を決定したことだ。西ヨーロッパから隔絶したビザンティン、それ
を経由したギリシャの影響が深くロシアに刻まれることになったのである。
ロシア中世文学は年代記(レートピシ)を中心に発展した。そのため文学とは言っても、
かなり今日の文学とは様相が異なる。なによりもここで重視されたのは事実であって、フィ
クションではない。この姿勢はロシア文学全体をも貫いている。ロシア中世文学の権威リハ
チョフは、「中世ロシア文学においては架空の話はきわめて尐ない。17 世紀に至るまでは、
かつて起こったこと、あったとされる事実だけが語るにたる事柄であった」と書き、宗教改
革の際に旧教徒たちがみずからの過去を守るために集団焼身自殺を図ったことを例に、ロシ
ア民族にとって過去がいかに重いものかを説いている。
ベルジャーエフ「ロシアの運命」から
(ロシアの精神は)つねに黙示録的であり、ニヒリスティックである。
古来、ロシアは何か偉大な使命をおびているとか、ロシアは特別な国で世界のどの国にも
似ていないという予感があった。
ロシアは世界の現実のなかでまだいかなる役割もはたしていなければ、まだ本当の意味で
ヨーロッパ人の生活にも参与していない。偉大なロシアは今もなお、世界やヨーロッパの生
活のなかでは孤立した辺境のままにとどまっており、その精神生活は孤立させられ、閉ざさ
れている。ロシアはまだ世界を知らず、ゆがんだままの世界のイメージを受け入れていて、
世界にたいするその判断もいつわりに満ち、表層的でしかない。ロシアが有する精神的な力
はまだ、ヨーロッパ人の文化生活にとって内在的なものになっていない。西側の文化的な人
間にとって、ロシアはいまだまったく超越的な国であり、ときにその神秘性によって引きつ
け、ときにその野蛮さでおぞけをふるわせる、どこか無縁な東洋(の国)のままである。
私たち自身にとってもロシアはいまだ解けない謎である。ロシアは矛盾に満ちており、二
律背反的である。ロシアの魂はいかなる主義主張にもあてはまらない。
(詩人の)チュッチェ
フは自分のロシアについてこう語った。
ロシアは理知ではわからない
共通の尺度では計れない
ロシアは一種独特の体つき
ロシアはただ信じうるだけ
ロシアの生活の矛盾はつねにその反映をロシア文学やロシアの哲学思想のなかに見いだし
てきた。
底なしの深みと見晴るかす高みが、ある種の俗悪さや、みすぼらしさ、尊厳の欠如、奴隷
根性と結びついている。人びとに寄せる無限の愛、真にキリスト的な愛が、人間嫌いや、残
忍さと結びついている。キリスト(大審問官)の名による絶対的な自由の希求が奴隷の従順
さと野合している。そもそもロシアがそうではないか?
ロシアは世界でいちばん非国家的な国であり、いちばんアナーキーな国である。そしてロ
シアの民衆は、かつて一度もみずからの国土を組織しえたことがない、もっとも非政治的な
民衆である。
ロシアの民衆は自由な国家や国家における自由よりはむしろ国家からの自由、この地上の
秩序の患いからの自由を望んでいるかのようだ。ロシアの民衆は男性的な建設者となること
を望まず、その性質は女性的、つまり国家的な事業において受け身で従順なものである。そ
れはつねに花婿、夫、上に君臨してくれる者を求めている。ロシアは従順で女性的な国(大
地)である。国家権力との関係において受け身の、何ものをも受け入れる女性--それがロ
シアの民衆とロシアの歴史の特徴である。
非国家的なロシアの民衆にとって、国家権力とはつねに外からやってくる原理原則であっ
て、内なる原理ではなかった。権力が内から(ロシアの民衆から)生み出されたことはなく、
それはまるで花婿が花嫁の許にやって来るように、外からやって来た。それがために、そう
した権力はしばしば、異国の、何やらドイツの支配者のような印象をもたらす。ロシアの急
進主義者もロシアの保守主義者もひとしく、国家は「彼ら」であって、
「われわれ」ではない
と考えてきた。ロシアの歴史に騎士道がないこと、この男性的原理がないことは、いかにも
特徴的なことである。
(一方で)ロシアは世界のなかでももっとも国家的な、もっとも官僚的な国である。ロシ
アにおいては何ごともすべて政争の具となる。ロシアの民衆は世界でもっとも強大な国家を
生み出し、最大の帝国を生み出した。
スラブ派にしろ、西欧派にしろ、いかなる歴史哲学も、なぜこのもっとも非国家的な民が
このように強大で強力な国家を生み出したのか、なぜこのもっともアナーキーな民が官僚主
義に従順であるのか、なぜ精神において自由な民(自由な精神を持った民)が自由な生活を
望んでいるように見えないのか、その謎を解きえていない。この神秘はロシアの民衆の性格
における女性的原理と男性的原理の一種独特な関係と結びついている。同じ二律背反がロシ
アの生活全体を貫いている。
ロシア人たちは自分たちがロシア人であることをほとんど恥じているように見える。ロシ
ア人にとって民族的誇りほど無縁なものはない。
ロシアは世界で一番民族主義的な国であり、
(……)自分だけが唯一の招かれたるものとお
ごり、全ヨーロッパを滅亡の運命にある堕落した悪魔の申し子として排斥する国である。ロ
シア人の謙譲の裏はロシア人の異常な自負心である。
東洋と西洋の調停者の位置を占め、東洋=西洋であるロシアこそ人類を統一へとみちびく
大いなる役割を演ずべく召命されているのである。
メシア意識は選ばれたる神の民であり、そこにメシアが出現し、その民を通じて世界が救
済されなければならぬという意識である。(……)すべての民族は世界における自己の召命、
自己の使命を有しているが、ただひとつの民族だけがメシア的目的に選ばれうるにすぎない。
メシアの自覚と使命をもつ民族はメシアがただひとつであるように、ただひとつである。メ
シア的自覚とは世界的な超民族的なものである。
ロシア文学を支える信念:ことばへの信頼
ブハーリンの妻アンナ・ラーリナの記録から
彼は 1937 年 2 月 27 日に逮捕され、未来の党指導者に伝えるよう私に手紙を託した。私の
逮捕、家宅捜査が懸念された。手紙が露見し、彼の最後の言葉が党に届かぬことを恐れ、ま
た手紙が露見した場合に、私が弾圧にあうだろうことを恐れたために、ブハーリンはその手
紙を暗記する私に求めた。しっかり私が手紙を記憶したことを確認すると、手書きの手紙は
破棄された。収監と流刑の歳月、私はお祈りを唱えるようにこの手紙を反復暗誦した。それ
でこの手紙はそっくりそのまま私の記憶のなかにとどめられたのである。
ブハーリンの遺書
私は容赦なく目的に向かって進むプロレタリアートの斧の下に頭を垂れて、この世から去
ろうとしている。中世さながらの手法に訴え、巨大な力を有し、組織的な中傷を捏造し、大
胆にしかも動揺することなく突きすすむ地獄のようなメカニズムを前に、私が感じているの
は自分の無力さにほかならない。
(……)
18 歳で入党して以来、つねに私の人生の目標であったのは、労働者階級の利益、社会主義
の勝利のための戦いだった。今日「真実(プラヴダ)」という聖なる名を冠した新聞は、私、
ニコライ・ブハーリンが十月革命の成果を無に帰せしめ、資本主義の復活を画策したとのお
ぞましい虚偽を掲載している。これは前代未聞の傲岸さ、真っ赤な嘘である。それは、ニコ
ライ・ロマノフが資本主義や君主制度との戦いにその生涯を捧げたというに等しい傲岸で無
責任なものだ。
(……)
私は決して裏切り者などではなかった。レーニンの命のためなら迷うことなく自分の命を
差し出しただろう。私はこよなくキーロフを愛し、スターリンに反旗を翻すような考えはま
ったくなかった。党指導者の新しい若く誠実な世代にお願いする、どうか私の手紙を党中央
委員会総会で読み上げ、この私の名誉を回復し、党に復籍せられんことを。同志諸君、共産
主義に向かう晴れやかな行進であなた方が掲げる旗には、私の血の一滴もしみ込んでいるこ
とを銘記されたい。
(遺書全体を 3 分の 1 程度に省略)
ロシア文学早わかり
涙と屍の上に建てられたペテルブルグ
それもペテルブルグという都会のなせるわざだ。なにしろ、この町はピョートル大帝が、
1703 年に強権でただの沼地にいきなりおっ建てた町で、建設の犠牲になった労働者は 10 万
人とも 20 万人ともいう。18 世紀の歴史家カラムジンがいうように、
「ペテルブルグはまさし
く涙と屍の上に建てられた町」なのだ。だから、この町は根無し草の空中楼閣だとか、悪魔
に呪われた町だとか、建てたときと同様やがて忽然と消えるだろうと噂が絶えなかった。魑
魅魍魎が跋扈し、夢ともうつつともつかぬ幻想が暗躍するのも当然だ。
惑わしのペテルブルグ
ゴーゴリの『ネフスキー通り』の主人公は街で見かけた美女のあとを追いかける。その神々
しい女性が入っていったのは、あろうことか売春宿だった。ゴーゴリの主人公はこのいとわ
しい現実に絶えきれず、喉をかっ切って自殺する。
「おお、このネフスキー通りを信じてはい
けない!(……)すべてが欺瞞なのだ、すべてが幻であり、見かけとはちがうのだ!」とは、
ゴーゴリの締めの言葉だ。
人工都市ペテルブルグ
ゴーゴリにつづくドストエフスキーの作品もたっぷりペテルブルグの毒気をはらんでいる。
人間を天才と凡人に分け、天才には社会の規範を越えることができるという理論のもとに殺
人を実行する大学生の抽象論とその破綻を描いた『罪と罰』や、知力・腕力・美貌をそなえ
た主人公を中心に革命運動を戯画化しながら、尐女凌辱から自殺の教唆という戦慄すべき人
間の暗部をあぶり出した『悪霊』
、都会の片隅で空想にふける青年の淡い出会いを描いた『白
夜』は、華美な外観とは裏腹に悪魔的な力をひめたペテルブルグという地霊がなければ成立
しない。そんなペテルブルグをドストエフスキーは『地下室の手記』のなかで、
「地球上でも
っとも抽象的で人工的な都市」と呼んでいる。
100 年を一挙に駆け抜ける
ところで、ロシア文学が登場するのはおそく、19 世紀に入ってからのことだ。しかしその後
一世紀でプーシキンからレールモントフ、ゴーゴリ、トゥルゲーネフ、ゴンチャローフ、ト
ルストイ、ドストエフスキー、チェーホフといった名だたる作家を輩出した。ヨーロッパ諸
国に大きく立ち遅れたロシアだが、わずか百年でルネサンスからロマン主義、リアリズム、
象徴主義、モダニズム、アヴァンギャルドと、ヨーロッパが何世紀もかけてたどった道を驚
くべきスピードで駆け抜けたのである。
近代合理主義への冷水
しかもロシア文学がユニークなのは、成立の当初から特異な使命に目ざめていた点にある。
ロシアが遅れて登場したのはロシアが行き詰まったヨーロッパを救済するためなのだと彼ら
は考えた。この尊大な自負から自分たちは世界に向かって独自の言葉を吐くのだという使命
感が生まれた。このことはロシア文学がヨーロッパ近代文明の危機のなかで胚胎されたこと
を意味する。自意識の地獄にあがく、ドストエフスキーの『地下室の手記』の主人公が「よ
くよく考えれば、二二が四というのは、生ではなくて、死のはじまりだ」と語るのは、ヨー
ロッパ合理主義に浴びせた冷水だったのだ。
理知では分からない
実際、ロシアにとって合理主義ほどそぐわないものはない。哲学者のベルジャーエフがい
うように、ロシア人はその精神において「二律背反、不気味な矛盾」を抱え持っている。ロ
シア人は天使のように善良かと思えば悪魔のように残忍でもある。細やかな神経を発揮する
一方で桁外れに粗暴だ。無限の自由を希求し国家を否定するかと思えば専制国家にやすやす
と屈する。極端な自己否定がある一方で我執を主張して恥じない。民族の融和を唱える口か
ら平気で他民族を迫害する。ドストエフスキーの小説はこのロシア的性格をどぎつく描き出
したものだが、
『カラマーゾフの兄弟』のイワンが「人間の魂は広すぎる。できれば尐し小さ
くしてやりたいくらいだ」というように、この両極に引き裂かれた精神はロシア人にとって
も不気味だった。
「ロシアは理知ではわからない/共通の尺度では計れない/ロシアは一種独
特の体つき/ロシアはただ信じうるだけ」と詩人のチュッチェフが歌ったように、ロシアの
荒野同様に広大無辺で形式を持たない精神をロシア人は畏怖すると同時に、そこに何らかの
意味を見いだそうとした。
先行する「理念」
ロシアではつねに「現実」より「理念」が先行した。
「ロシアの人間は思い出に生き、実際
に生活するのを好まない」
(チェーホフ)というように、実際ロシア人は過去と未来に生きて
いた。立ち返るべき生活は過去か、来るべき未来にあった。そのはざまの現在はつねに普請
中だ。無常観ともいえるこのメンタリティーはわれわれ日本人の感性にちかい。日本でとり
わけロシア文学が好まれるのは、この心情的なちかさによるのだろう。
ともあれ、ロシア人にとって現状は否定されるべきものでしかなかない。こうした現状に
たいする不満、危機意識は未来への問いかけをいっそう過激にした。ロシア文学が革命的に
なったのはそのためだ。やがてそれは終末論と黙示録の色彩をおび、救済論に行き着く。文
学が教訓的になり預言者的になるのも仕方のないことかもしれない。
愚直なる過激さ
ゴンチャローフの小説にぐうたらな地主を描いた『オブローモフ』という作品がある。主
人公のオブローモフは日がな一日ベッドに横になったまま、かたくなに活動を拒みつづける。
朝目を覚ましてベッドから起き上がるまでに文庫本で 100 ページを費やす悠長さ。動き出す
気配のない主人公はひたすら「思い出」に浸っている。過去に生きるロシア人そのものであ
る。その主人公が、まわりであくせく動き回る人間をみて独りごちる--「あれじゃ、いっ
たいいつ生活をするのだろう」
。なんという倒錯、愚直さ、過激さだろう。いや、きっとロシ
ア文学の魅力はこの愚直なまでの過激さにあるにちがいない。
文学の過大な責任
「ザチェム(何のために)」とはロシア人が日常的に用いる言葉だが、彼らはこの疑問を
何よりも自分自身に向けた。何のために自分たちは存在するのか、何のために生きているか、
何のための進歩なのか、何のための人生なのか……。この無限に増殖する根源的な問いに答
えるのがロシア文学なのだ。
だが、この問いはまた文学が文学のなかに安住することを許さなかった。ロシアでは文学
は神学でも哲学でもあり、政治学、社会学でもあった。文学は社会問題に解答を与え、人々
に進むべき道を示すべきものだった。
「人生の教師」としての文学の誕生である。これはロシ
アにはヨーロッパ型市民社会が成立せず、議会による世論の形成がないための不幸なのだが、
文学に課せられたこの重い責任にゴーゴリは発狂し、
『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』
を残したトルストイですら、一時文学を放棄したほどだ。
まとめ:ロシア文学の特徴
・ロシア史をつらぬく女性的原理
・文学は文学として自立しえず、文学はつねに文学プラス・アルファ→ロゴセントリズム
・ヨーロッパ型の市民社会が成立せず、議会による世論の形成という社会システムの欠如→
文学に「人生の教師」の役割
・
「ザチェム(何のために)
」
:自分たちは何のために存在するのか、世界史のなかでどんな役
割を担うのか→根源的な問いにこたえる文学
補足:
ロシアの中世文学
『原初年代記』
『原初年代記』と『イーゴリ遠征物語』はこうしたなかで生れた。キエフ・ペチェルスキ
ー修道院の学僧ネストルらによって編まれたとされる『原初年代記』(1113 年)は、ノア洪
水ののち三人の息子が世界を三分した時代から説き起こし、ルーシの建国から 1110 年までの
歴史を伝えている。ただし古い歴史には年代の言及がなく、年代記の記述法がとられている
のは 852 年以降である。
事件の記録のほかに伝説や説話、言い伝えなど古層の口承文芸の名残をとどめている点で
貴重であるだけでなく、誇り高い国民的自覚に基づくその姿勢はその後のロシア文学の精神
に通底するものである。
『イーゴリ遠征物語』
『ローランの歌』や『ニーベルンゲンの歌』と並び称される『イーゴリ遠征物語』
(12 世
紀末)は文字どおり中世文学の白眉といえる。ロシアの地を脅かしたトルコ系遊牧民ポーロ
ヴェツに対して、南ロシアの侯イーゴリが 1185 年行なった遠征の史実に基づくこの物語は、
イーゴリの出陣から捕虜に至る経緯、妃ヤロスラーヴナの祈りを挟んでイーゴリの脱出と帰
還までを歌っている。作者は明らかではないが、この物語にはキリスト教化される前の異教
の神々が言及されるなど、キリスト教文学の枠をはみ出し、アニミズム的自然観を随所に垣
間見せている。そして流麗な修辞と見事な詩的統一は、12 世紀末にすでにロシアがヨーロッ
パに匹敵する詩的達成を見ていたことを証している。なかでも
ロシア文学の起源
ヤロスラーヴナの嘆き
ドナウの岸べに漂ひくるは かのヤロスラーヴナの声にやあらん。
人しれぬ杜 のごと しののめにむせび啼くなる。
「われ、ほととぎすと身をなして ドナウの河をかけり行かん、ーー
海狸の袖を流れにひたさん。かくて、かのカヤーラのほとり、
背の公の八つ裂きのむくろに残る 血しほ吹く傷をのごはん!」
(神西清訳)
と、歌いだされるヤロスラーヴナの嘆きは瑞々しい人間的感情にあふれ、中世抒情詩の一
つの頂点をなすものだ。さらに作者はドラマティズムを高めるために事実をねじ曲げさえし
ている。年代記に特有な即物的な事実の記述から大きく一歩を踏みだしたわけだ。
軽み、あるいは超ナンセンス
ある日オルロフが摺り潰したえんどう豆をたらふく食って死んだ。それを聞いてクルイロ
フがこれまた死んだ。スピリドノフは勝手に死んだ。スピリドノフの お内儀さんは食器棚か
ら落っこちて、これまた死んだ。スピリドノフの子供たちは池で溺れて死んだ。スピリドノ
フの婆さんは呑んだくれてあの世にいった。ミ ハイロフは髪をすかさないのでカイセンに罹
った。クルグロフは両手に鞭を持った婦人を描いて気が狂った。ペレクレストフは電信で 4000
ルーブルの金を手 にして、横暴になり、職場を首になった。
善良な人々もしっかりとした生活は送れないものだ。(ハルムス)