すわこ文化村 第2回企画「大丈夫であるように Cocco 終わらない旅」 感 想(すべて) ○ アメとムチのどちらも受け入れて生きなければならないこの日本の矛盾を 前に、何ができるのかと煩悶する辛さ、苦しさが伝わってきて、胸がいっぱ いになりました。 生きたくても生きられない人のことを、頼まれたわけではないけれど、引 き受けて、生きていかなければならない理由がどんどん増えていくと語って いた彼女が、その後、消極的な「生」の拒否である拒食症に陥ったのは何故 でしょうか?その理由を知るのが辛いです。 (茅野市 女性 1954 年生) ○ 東京に行かないと見れないと思っていました。是枝監督が大好きで、Co ccoの絵本も好きで、映画もすばらしくて幸せです。心から感謝していま す。諏訪地方にこのドキュメンタリーを上映する有志が存在することに驚き かつ感動しています。 (岡谷市 男性 S33 年生) ○ 良くは分からないけど、Coccoちゃんを取り上げてくれた事に感謝し ています。 彼女の 今 を観られた事は、ある意味収穫であります。 やっぱり彼女は病んでいて、その中で敏感に反応したものに素直に 歌 というツールを使い発信していっている、その必死な「うったえ」が心にし みていきました。 もっと地元を愛して知らなければいけないとも感じました。 (諏訪市 女性 1964 年生) ○ 商品ではない、消費されるだけでない歌の「ことば」の力を感じました。 「生きろ!」…沖縄のおばあ達が生き残ったことを申し訳なく思うこと、 生きることを許されている間は、生きること、 「父と暮せば」と重なりました。 ラスト…どうするんだ∼という感じ。 (諏訪市 男性 1960 年生) ○ Coccoのドキュメンタリー映画と話を聞いて見に来たのだが、メッセ ージ性のある映画で、結構、自分の中で重いものであった。しかし、このよ うな機会でないと見る事もなかったかも知れないし、非常に良かった。 自分も平和に生きているだけで、何かしなければと感じた。 ○ 元々CoccoのFANだったので、とても興味があったのですが、東京 で、見るチャンスを逃してしまったので、今回見れて、本当に良かったです。 Coccoは 何も出来ていない と言っていましたが、彼女の歌で、と ても癒されてきたし、とても楽しくなったし、 生きている って素晴らしい ことなんだと実感できたことがたくさんあったのです。 沖縄の悲しい傷あとや、今までこの国が受けてきたことは、例え戦争を知 らない私たちの世代や、これから生まれてくる子供にも伝えていかなければ いけないことで、決して忘れてはならない事実なんだと思うと、とても強い 責任感と使命感を感じました。それと同じように、日本が他国にしてきたこ とも、日本人は忘れてはならないことだと思います。 ○ 自分の考えや意見、思い(想い)を、小さな力であっても外へ発信してい くことは、凄く大切であること。 沖縄や六ヶ所村のことを、知っているようで知らないことが多かった。で も、一番悲しいと思ったのは、 「自分には関係のないこと」「自分には害のな いことだから」と自分が良ければいいと思う、その気持ちが情けなく、悲し いと思った。自分の周囲の事を考えると、私は反省することがいっぱいある と思った。 (茅野市 女性 S50 年生) ○ 有刺鉄線に、ていねいにていねいに短冊を結んでいくCoccoの手が印 象的でした。私にも何かできることはないのか、家に帰ってゆっくり考えた いと思いました。見ることができて良かったです。ありがとうございました。 ○ 何ヶ月か前に、何かの新聞で読んで、見たいと思っていました。 Coccoのこと知れてよかった。そのCoccoに大勢の人が心を寄せ てることも知れてよかった・・・。 今、Coccoさんはどうされているのでしょう・・・?どうかひとりで 背負わないでゆっくりと―時には立ち止まっていい・・・と言ったのはあな たですから。無力感も感じますが、仲間もいて、それでも何とかできること もあると思って私もやっています。 ○ ○ 全国の様々な問題が取り上げられていて、とても考えさせられました。 (富士見町 女性 1985 年生) 一度だけでは拾いきれないほど、たくさんのものをもった作品だと思いま した。彼女に接していると自分が透き通っていくような。 Coccoが大丈夫でありますように・・・。 ○ Coccoのことがわかってよかった。 (富士見町 女性 1953 年生) ○ 彼女ほど地のまま活動しているアーティストも珍しいと思う。 そりゃ、一青窈など、現代においても独特の路線を歩む歌手も居るが、彼 女は何か根本的に違うと思った。歌う事が彼女の生き様そのものというか、 そんな感じがとても感動した。 (岡谷 男性 H3 年生) ○ 中学生の頃、Coccoがデビューし、なぜ、こんなに苦しそうに歌をう たうのかずっと気になる存在の人でした。沖縄出身で、沖縄が好きというの は知っていたけれど、Coccoがここまでの思いを持ちながら、生きてい ることがわかり、胸に落ちました。上映していただきありがとうございまし た。 ○ 是枝さんの映画なので観に来ました。 ドキュメンタリー出身の監督さんなので、やはり見ごたえがありました。 タテタカコさんなんかもそうですが、是枝さんってこういう感じの人が好 きなのかなあ…と。見る方には結構重いんですが。 映画の中に「やっと一つやりおわったけれど、まだまだ全然できてない」 というシーンがありましたが、そういう思いがないと前に進めないのかな、 とも思いました。 ○ good 生きるうえで、いつも考えて迷う、立ち止まる、すすむ、考える、感じる。 それが、この映画の中にもあった。私は私でいい、と思えた。 このまま、迷いながらでも死ぬために生きる。 (1978 年生) ○ はじめまして、Coccoさんは名前しか今まで知らなかったですが、と ても明るく強い人ですね。正直、反感もあったけど。とてもいいところもあ るんだなと思いました。 ○ Coccoさん江 デビュー当時からのファンです。長野県に住んでいる男です。 四谷区民ホールでの「ひめゆり」上映会に参加しました。同席してらした、 宮城さん(ひめゆり)があの後うちの娘の修学旅行(沖縄)時、平和講習会 で講師をつとめられると知り、宮城さんにお手紙と長野の花を自分で写した 写真を渡してくれと娘に頼みました。宮城さんから後にお返事をいただきま した。こんな出会いと宮城さんに喜んでもらいたいと思い、手紙を書いた自 分、そんなきっかけをくれたあなたに感謝しています。ありがとう。 ○ Coccoさん、読んでくれてるか? 貴女の Voice は神様からの Gift だと思って疑わないよ。その Voice があな たの「たましい」を開放してくれることを祈っています。 (ちなみに私の小6の夢は「世界が1つになること」でした。 『島の唄』私も 親友をガンで亡くしているので、その子があっちで聞いてくれているといい なと思いながら泣きました・・・。 『ジュゴンの見える丘』M ステで聞いて、忘れられなかった唄です「すべて が正しいやさしいであれ」という歌詞と最後の○○○。がなんとも心をゆさ ぶり泣きました。 (諏訪 女性 1964 年生) ○ Coccoのツアードキュメンタリーだから、これを見ても六ヶ所村や辺 野古のことはわからないかな。でも多くの人はどちらも知らない、知ってい てもどこか違う国の出来事のように思っている。このビデオでCoccoの 力で少しでも多くの人が、この問題を知り、自分達の問題であることに気付 くきっかけになれば良いと思うし、それを願います。 ○ Coccoのサイトで一番最初に知って、見てみたかったのですが、よう やく実現しました。とてもうれしく思います。 Coccoさん、私はあなたのファンで良かった。いろいろな考えが頭を よぎってうまくまとまりませんが、もっと沢山のあなたの歌を聞いてみたい と又思いました。 (男性) ○ Coccoさんという方を初めて知りました。 拒食症の治療…と聞いてショックでしたし、又、健康に戻って音楽活動が できるようになっているのか(なるのか)気になりました。 「何もできない」と泣いていたけど、どうして?と少し腹がたちました。 アーティストってひとにぎりの人たち(才能があり、又、それを理解、伸ば してくれる環境があって)しかなれないのに、あんなふうに会場にお客さん がいっぱい来てくれて歌きいてくれて…なのにどうして「何もできない」な んていうのか?又、どうしてファンの手紙を燃やすのか、私には共感できま せんでした ○ 私はCoccoというアーティストが好きでしたが、この諏訪という地域 でこういう企画をした人がいた事にビックリした。意外だった。だから有難 う。 (1980 年生) ○ 共感できることが沢山あった。自分のできる事、1つ1つ続けて行こうと 思ったし、色々なことを1つ1つ知らなければと思った。そういう人が増え ていきますように。 (高森町 女性 1972 年生)
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