「神田昌典」の素①

「フォレるしくみ!」2005 年 5 月 27 日号より掲載
「神田昌典」の素①
−如何にして作られ、何を想うのか−
遂に(早くも?)、創刊2号目にして、神
が30代だったと。
田昌典先生のインタビューを掲載させてい
ただくことができました。
神田:うん。でも、すごくいい時代。30
本当にお忙しい中、なんと2時間もお時
代っていうのは、自分で何かをやるってい
間を下さり、神田先生の過去、そしていま
う人もいるし、それもいいと思うんだけれ
考えていることを語っていただき、さらに、
ども、どちらかというと「よい経験を積む」
(フォレスト出版)リーダーズクラブの会
ということが、すごく大事だと僕は思う。
員さんからの声に答えていただきました。
「ある組織に入って理不尽なことをす
それではどうぞ!
る」ということが、よい経験になって、そ
の後の大きな成長につながっていくという
ところはありますよね。
■『思い知らされた30代』
いまの30代というのは、狭間にいると
クッシー:現在、リーダーズクラブの中心
思うんだけど、六本木ヒルズの社長さん達
世代は30代なのですが、先生にとって
みたいな人を見ちゃうとね。
30代はどのような時代だったのですか?
「俺もなにかしないと女の子からモテな
い」みたなところってあるでしょ。すると
神田:僕の30代は、ワールプールという
焦りが多いよね。
「このままでいいのか」
「そ
アメリカの会社の支社長をやっていた時で,
れともなにかやらなくちゃならないのか」。
それはもう死にそうでしたよ。
焦りが多い中で、やっぱり自分の方向性を
売れない冷蔵庫を、1台1台売っていて、
その時は、冷蔵庫を1台売って、粗利が何
キチンと見極めるためには、本を読むのが
いい。
と2万円。ところがIT系の人たちは、ケ
ータイ電話・PHS端末を無料で配って1
万円くらい貰えていたんです。
「なんと参入する業界を間違えると大変
でも、いろんな本があるし、そこでキチ
ンとした方向性を打ち立ててあげるってこ
とが、大事なことだと思っていますね。
なんだ」と、思い知らされていた時期です
ね。
クッシー:神田先生の30代で「これは最
悪だったけど、経験しておいて良かったこ
クッシー:
「思い知らされた時代」というの
と」ってありますか。
© 神田昌典
「フォレるしくみ!」2005 年 5 月 27 日号より掲載
契約を取ってからはじめて、コンテナ3
神田:それはもう、冷蔵庫を売っていたこ
本くらい電子レンジを仕入れてきたかな。
とだね。最悪な状況だったよ。
韓国なんかで大手メーカーに掛け合って、
当時は日本がまだ「有望な市場」と言わ
OEMで商品を作ってもらったりして。
れていて、中国はまだ立ち上がっていなか
組み立ててもらうのは楽だけど、作っても
ったんですよ。
らうとなると商品のデザインであるとか、
でも、僕が入社した少し後に中国市場が
オープン。
「これは面白い」ということにな
って、みんなの目が中国に向いちゃったの。
電子レンジの機能であるとか、段ボール箱
のデザインを考えなくちゃならないでしょ。
それにPL法を通らなくちゃけないから、
アジア本社として数十人入社予定の日本
その使用書も考えなくちゃならない。保証
人がいたんだけど、僕だけが残ったんです
書でしょ。さらに輸出入業務でしょ。それ
よ。残ったというか僕だけが面接を受けて
から倉庫業務。品質点検。アフターサービ
いて、他の人たちは面接も受けていなかっ
スの構築。全国のね。人がいない中で、全
た。それで気づいてみたら日本支社長にな
部やらないといけないわけですよ。
っていて、日本市場をゼロから立ち上げな
きゃいけない。サポートは何もない、商品
クッシー:最悪ですね。
すらない、だからお金もない、あるのは事
務所だけ。
■ 『大人になるということ』
クッシー:三重苦ですね。
神田:最悪ですよ。ほぼ一人で、何か
神田:そうですよ。そこから始めないとい
ら何までやらなくちゃいけなかったからね。
けない。そして、結局はどんどん中国、シ
そして、品質問題が起こった時には、MB
ンガポール、インドに市場を奪われて、
「日
Aまで取りながら、大手スーパーから返品
本は閉鎖」っていう話になって・・・。
された洗濯機を、倉庫まで行って、PP
僕はその時、子供が生まれたばっかりで、
バンドっていう紐を切って、箱から出して、
29歳くらいだったかな。そもそも、外務
洗濯機の下に溜まっている試験用の水を抜
省でリストラされて、29歳で転職を
かないといけなくなったんですよ。それを
2回している人なんかに、次はないじゃな
中国人労働者を使ってやってね。
いですか。だからもうしょうがないからね。
半年で閉鎖になるって時に、アジアの事
クッシー:中国人ですか。
業部長に「とりあえず半年くれ。精算措置
をやるから」といって、その半年間、精算
神田:だってコスト計算すると、日本
措置をせずに、実は営業をやってたんです
人の労働者ではあわん!となるわけですよ。
よ。DMから何から全部出して、商品もな
そうしたら、今度は現場監督を派遣して
いのに量販店から契約とって。(笑)
いる派遣元が、給料を払わない、って問題
© 神田昌典
「フォレるしくみ!」2005 年 5 月 27 日号より掲載
が起きて、
「とりあえず神田さん来てくれ」、
「今日あいつは現金持っているから」と言
われて、その派遣会社に5・6人で行って、
その現金を差し押さえたりもしたね。
クッシー:ヤクザな商売してましたね(笑)
神田:でも、そんなことをしてても、次の
日には一兆円企業の CEO とビデオ会議です
よ。プレゼンテーションをしてね。そんな、
すごく大変な時期はありましたよ。
でもやっぱり、誰にでも自分の能力以上
の責任を与えられてしまって、辛いんだけ
どやり遂げることによって、次の時代が
開かれていくという時期があるんですよ。
2年ぐらいね。それを多くの人は逃げちゃ
う。あまりにも辛すぎて。それは本当に辛
いけど、それを抜けてしまうと、すごく大
人になっていると言う時期があるんですよ
ね。だから僕は、周りの先輩たちが、
「そう
いうことが必要なんだよ」って、20代か
ら30代の人達に言うのって大事だと思う。
一番大切な時期ですよ。
クッシー:やはり、神田先生も能力以上の
責任との戦いを超えられたっていうのが、
独立したときに役立ったんですよね。
神田:やっぱりそうゆうトレーニングを積
んだから、独立しようと思ったわけですよ。
(次回へつづく)
「フォレるしくみ!」2005 年 5 月 27 日号
より掲載しました。
フォレスト出版
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© 神田昌典