2016年6月号

「Die Brücke 架け橋」第688号 平成28年 6 月 1 日発行(隔月刊)公益財団法人日独協会
Japanisch-Deutsche Gesellschaft
架け橋
2016
6
表紙のことば:ハンブルクアルスター湖畔の桜と新市庁舎
Zum Titelblatt: Kirschblüten am Alstersee mit dem
Neuen Rathaus im Hintergrund
3 度目のドイツ滞在中に 1 か月間ハンブルクに住む機会
Bei meinem dritten Aufenthalt in Deutschland hatte ich die Gelegenheit, für einen Monat in Hamburg zu wohnen. Schon vor
zehn Jahren, als ich das erste Mal in Deutschland war, habe ich
hier in Hamburg gelebt. Warum ich mir damals Hamburg ausgesucht habe? Nun, noch bevor ich geboren wurde, lebte mein Vater vor 35 Jahren in dieser Stadt. Das ist einer der Gründe, warum ich angefangen habe, mich für Deutschland zu interessieren.
Als ich klein war, habe ich mir oft ein Fotoalbum eines ehemaligen Kollegen meines Vaters in seinem Zimmer angesehen.
„Wo liegt wohl Deutschland?“, habe ich mich damals gefragt
und damit das erste Mal über Deutschland nachgedacht. Mein
Hamburgaufenthalt dieses Mal ist vermutlich das letzte Mal, dass
ich mich länger in Deutschland aufhalte und manchmal überlege
ich, ob es wirklich der Zufall war, der mich hierher geführt hat.
Vor zehn Jahren hatte ich viele Schwierigkeiten mit der Sprache,
ich konnte meine Meinung nicht richtig ausdrücken und es lief
nicht immer alles optimal. Als ich dann zurück in Japan war, war
ich jeden Tag so beschäftigt mit der Arbeit, dass mir manchmal
alles zu viel wurde. Doch ich denke, dass ich es ohne die Erfahrungen in Deutschland nicht bis hierher geschafft hätte.
Während ich nun am Alstersee sitzend über all das nachdenke,
genießen die Leute den aufblühenden Frühling nach einem langen Winter: Sie spazieren unter den Kirschbäumen und erfreuen
sich am Regenbogen über dem Springbrunnen – dieser Anblick
wird wohl immer derselbe bleiben. Der Frühling in Deutschland
ist sehr ruhig und gemütlich, aber gleichzeitig vermisse ich die
blühenden Kirschblüten in Japan. Deren Schönheit habe ich vermutlich erst richtig wahrnehmen können, weil Deutschland
ebenfalls eine große Anziehungskraft auf mich ausübt.
Kanako Suzuki
があった。初めてドイツに 1 年滞在したのは今からちょう
ど 10 年前。当時は、ハンブルクを訪れることすらなかった。
なぜ、ハンブルクに 10 年越しに滞在することにしたかと
言うと、約 35 年前、独身の父親が3年間住んでいた街だっ
たから。実は、
それこそ私がドイツに興味を持ち始めたきっ
かけであった。幼い頃、父の部屋に入っては見ていたドイ
ツの思い出アルバム。
「ドイツってどこにあるんだろう。」それが最初にドイツ
について考えたこと。そして、恐らく私の人生で最後にな
るドイツ長期滞在中にハンブルクに住めることになったの
は、偶然なのか必然なのか。
初めてドイツに1人でやってきたときは、自分の意見を
上手く言えず、色々なことが上手くいかず苦しんだことが
多々あった。日本に帰国してからは、目まぐるしく忙しい
日々に嫌気がさすこともあった。それでも、またこうして
ドイツにやってくることができたのは、その苦しみや痛み
があったからではないか。
そんなことを考えている間にも、満開の桜の下を散歩す
る人々が行きかい、アルスター湖の噴水に虹がかかる。そ
んな風景は今も昔も変わらないのだろうか。
長い冬が明けたドイツの春はとても穏やかで、何よりの
んびりしている。この雰囲気の中にいることが心地よくも
あり、日本の桜が恋しくもなる。それは、きっとドイツに
魅力があるからこそ気付けた日本の美しさかもしれない。
鈴木 香奈子
目 次
ページ/ Seite
INHALT
Berliner Luft
出原 悠 / 織田 正雄 / 山﨑 加津子 / 金谷 誠一郎
1
Berliner Luft
Hisashi Idehara / Masao Oda / Katsuko Yamazaki / Seiichiro Kanaya
ドイツ経済の動き
2
Tendenz der deutschen Wirtschaft
3
Das goldgelbe kühle Nass mit dem schneeweißen Schaum
Folge 19: Die Bierhauptstadt München, Teil 1
Dr. Koichi Matsuzawa
伊崎 捷治
黄金の琥珀に純白の泡
∼ Vol.19 ビールの都、ミュンヘン< 1 >∼
松沢 幸一
Shoji Isaki
特別寄稿 アルトゥール=リヒャルト・ウェーバー
青柳 正俊
4
シリーズ:ドイツの若者と社会参画
第 2 回 ドイツにおける青年経済団体の実態
―青年会議所を事例として
6
Serie: Deutsche Jugendliche und ihr soziales Engagement
Teil 2 Wirtschaftsjunioren in Deutschland
- Am Beispiel eines Juniorenkreises
Kichiro Shimada
8
Gespräch: Zwei Übersetzerinnen sprechen über „Er ist wieder da“
Minako Yoshikawa / Kaoru Moriuchi
嶋田 吉朗
対談「翻訳者が語る『帰ってきたヒトラー』」
吉川 美奈子 / 森内 薫
Beitrag: Arthur Richard Weber
Masatoshi Aoyagi
Die Kulturkiste: Filmbesprechung
文化の玉手箱 ドイツ映画レビュー
10
Yuko Ikeda / Hiroshi Tanaka / Clara Kreft / Denny Sachs
池田 祐子 / 田中 洋 / クララ・クレフト / デニー・ザクス
ケルン便り 第 4 信
「ノーベル賞に見るドイツの科学力 外伝:
ヨセフ・フォン・フラウンホーファー(2)
」
デニー・キンドル
久保田 隆 11 Post aus Köln 4
Die Wissenschaftsforschung in Deutschland und ihre Nobelpreisträger
12 (Extraausgabe): Josef von Fraunhofer (2)
Atsuhiko Ii
井伊 篤彦
デニー・ザクス 13 Denny Kindl
協会活動
14 JDG-Aktivitäten
会員のひろば/ドイツ関連情報いろいろ
16 Aus dem Mitgliederkreis / Die Informationen
コラム【驚いてン Sie!?】
Takashi Kubota
鎌田 タベア 17 „Odoroiten Sie!? “
Denny Sachs
Tabea Kamada
ドイツ経済の動き 第 39 回
安定成長を維持する経済
年金の大幅引き上げの陰
 内需に支えられる経済
世界の経済にはなかなか明るさが見えてきませんが、4 月下旬にドイツの主な経済研究機関が発表した経済情勢分析と 2017 年まで
の見通しによると、ドイツの今年の経済成長率は 1.6%、来年は 1.5% とまずまずの成果が見込まれています。
世界経済が低迷する中で、輸出の増加に期待できないドイツ経済ですが、今年も高率とはいえないまでもプラスの成長が見込まれる
最大の要因は、個人消費を中心とする国内需要が引き続き堅調に推移するとみられることです。個人消費が増加するのは、ここ数年の
雇用の拡大が今年も続くとみられ、これに伴って賃金もさらに上昇する傾向にあるためです。2016 年の雇用者数は約 50 万人増加し、
2017 年も約 39 万人増加するとみられていますが、それはもっぱら難民を含む移民の雇用が増加することによるものです。こうした傾
向から、2016 年の失業者数は前年比で約 60 万人減少するものの、その後は難民として正式に受け入れられても職に就けない人が増加
するため、2017 年は 282.2 万人へとやや増加するとみられています。賃金については、最低賃金制の導入、正規雇用の増加、高率の
賃上げを背景に、全産業で見た今年の 1 人あたりの賃金は 2.8%、来年は 2.6% の上昇が見込まれています。このほか、エネルギー価
格の低下によって購買力が向上していることも消費が増加するとみられる要因です。
国内の需要が増加する要因としては、そのほかに、難民受け入れのための施設や住宅の整備、一般教育や語学教育、職業訓練のため
の設備や人材の確保などを目的に政府による多額の投資が行われることなどが挙げられます。それでも、国全体の財政は 110 億ユーロ、
GDP 比で 0.4% の黒字が見込まれています。
 年金の大幅上昇の中で高まる制度改革論議
ところで、ドイツではこのように賃金・給与が上昇し、雇用も拡大しているため、今年 7 月からは年金も大幅に引き上げられること
になりました。ドイツの年金制度は日本と同じように世代間扶養方式ですが、年金積立金は支給額の 1.5 ∼ 2.0 か月分だけで、加入者
の保険料はほぼそのまま年金受給者にわたる仕組みです。2016 年の場合は前年の賃金・給与の上昇率が大きかったこと、年金保険加
入者数と年金受給者数の比率が改善したこと、保険料率が引き下げられ、現役の手取り所得が増加したことから、年金の引き上げ幅は、
西部ドイツで 4.25%、東部ドイツで 5.95% と大幅なものとなります。これは日本の年金生活者から見ると羨ましいような話ですが、
ドイツでも先行きは安心できないようです。
実は、ドイツでも少子高齢化を背景に、2000 年代の初めから公的年金の役割を減らし、財政負担を軽減する方向にあり、年金水準(現
役世代の平均所得に対する年金の割合)が当時の 50% 余りから 2030 年に 44.4% 低下する見込みです。政府はそれを補う方策として、
積立型の企業年金や個人年金への加入を奨励してきました。しかし、その後の動向をみると、就労年数が足りなくて年金を満額受け取
れない人や所得が少なくて企業年金や個人年金に加入できない人も多く、将来、年金では暮らしていけない高齢者の貧困が増加する懸
念が高まっています。そのうえ、最近は欧州中央銀行もゼロ金利政策を導入し、企業年金や個人年金の魅力が失われ、大きな問題となっ
てきました。このため、年金問題は早くも次の連邦議会選挙(2017 年)の争点として挙がっており、問題に対して先手を打っていく
ドイツの議論の行方が注目されるところです。
伊崎捷治(当協会会員、元ベルリン独日協会副会長)
月 刊 音 声 教 材(無料)
2
再出版された。
この小説に邦訳がある
日独交流の黎明期を描き出した商人ウェーバー
青柳 正俊
(新潟日独協会理事)
ことは案外知られていな
いのかもしれない。
『ド
イツ商人 幕末をゆく』
(坂
井 洲 二 訳、1997 年、 新
Arthur Richard Weber - Beschreibungen eines Händ-
潟日報事業社)は、現在
lers zur Aufbruchszeit des japanisch-deutschen Aus-
絶版ではあるが古本は容
tausches
Masatoshi Aoyagi
易に入手できよう。
(Vorstandsmitglied der JDG Niigata)
ウェーバーは日本居留
の後半を新潟で過ごし
た。成功への意欲に燃え
ロマン派の作曲家でも名高い社会学者・経済学者でもない。
町の開港後の一番乗りを
るであろう人物である。
果たし、その後8年近く
アルトゥール・リヒャルト・ウェーバーは 1841 年に北ドイ
をこの町で過ごした。彼
ウ ェ ー バ ー(
「OAG Nachrichten Nr.58, Okt.
1941」から転載)
ツの町アルトナで生まれた。アルトナは現在ハンブルクの一地
の先駆のおかげで新潟の外国交易はドイツ商人の独壇場となっ
区であるが、当時は一つの町としてホルシュタイン公国に属し
た。その商人の数は他の開港場と比較すれば微々たるものでは
ていた。10 歳にして父親と死別したウェーバーは、やがて商
あるが、彼らは結構稼いでいたらしい。
人としての修業を積んでいった。そして 1863 年、有力な貿易
今から2年ほど前、私はウェーバーの生涯を探った本をある
会社であったクニフラー商会の一員として来日し、1876 年ま
ドイツ人研究者とともに執筆し、日独両国で出版した。その共
での約 14 年、幕末から明治にかけての日本で交易に携わった。
著者ペーター・ヤノハ氏は長年にわたりシュレースヴィヒ=ホ
商人としてのウェーバーは、開港五港すべての町での居留を
ルシュタイン州独日協会の会長として両国交流に尽力された方
経験したことくらいが、他の商人よりも少しばかり目立つくら
である。ヤノハ氏は地元の日独交流に関する史実を広く渉猟す
いの人物である。ところが、彼はなかなか筆が立った。小説か
るなかで同郷のウェーバーのことを知り、その足跡について新
ら論文、旅行記、新聞論説まで、生涯に様々な文章を残した。
潟日独協会に照会してきた。それが私たち二人のプロジェクト
なかでも日独交流史の一面を綴った体験小説を後世に残した。
の発端であった。遠い距離をはさんでの共同研究は、“Arthur
この小説がまた抜群におもしろい。
Richard Weber – Ein norddeutscher Kaufmann zur Zeit der Meiji-
『Kontorrock und Konsulatsmütze(商人服と領事帽)
』と題さ
Restauration”
(2014,Iudicium Verlag/München) と『 新 潟 居 留
れたその本には、彼が日本で出会った様々な出来事や人物が生
ドイツ商人 ウェーバーの生涯』(2014 年、考古堂書店/新潟)
き生きと描かれている。たとえば、薩摩藩士がイギリス人を殺
という2冊の本に結実した。各地の日独協会関係者の皆様に手
傷した生麦事件の後、緊迫する横浜居留地で各国の外国人が激
にとっていただければ幸甚である。 しく議論し合う様子や、維新前夜の長崎で外国商人が命がけで
さて、私たちの共同執筆は、結局のところウェーバーが紡ぎ
商談にからむ宴席にのぞむ様子。そうした幕末の印象的な場面
出した豊かな文章を実話と架空とに切り分ける作業であった。
が、生々しく、それでいて時には多少コミカルに綴られている。
それはまた、ウェーバーの実人生と夢想や願望との境目を見極
また小説では、彼の上司クニフラーをはじめ多くの商人たち
めようとすることでもあった。
や横浜領事フォン・ブラントなどの実在のドイツ人たちが感情
彼のフィクションにはどうやら一つのパターンがあることが
豊かに会話を交わしている。函館のゲルトナーや新潟のシュネ
わかってきた。例を挙げよう。
『商人服と領事帽』で、
ウェーバー
ルといった幕末裏面史の登場人物たちも、何やら本音らしき打
は自分のことをシュレースヴィヒ出身としている。デンマーク
ち明け話をウェーバーに漏らしている。実体験をベースに荒唐
により近い自分を描きたかったのであろう。この小説のなかに
無稽な挿話を巧みに配しているところが、『商人服と領事帽』
は、フォン・ブラントがウェーバーをデンマーク人としてよそ
の独特の魅力である。
者と見なしつつもプロイセンへの彼の恭順を求め、ウェーバー
この小説が今日までたどった道もまた数奇であった。ウェー
がこれを毅然と拒絶する場面がある。ウェーバーは小説で出身
バーは 1886 年、すなわち彼のドイツ帰国から 10 年後にハン
地を欺くことで、自らの微妙な帰属意識とそこから生じる疎外
ブルクでこの本を出版した。しかし時の流れとともに彼の著作
感を強調したかったに違いない。また、彼の2作目の小説
は忘れ去られてしまい、入手することさえ困難となった。とこ
『Überseer daheim(航海者、故郷へ帰る)
』は、帰国後のウェー
ろがその本を、横浜のドイツ人クラブの一員が第一次大戦末期
バーの物語なのだが、そこでは彼が帰国した時、母親はすでに
の野戦病院で偶然にも見つけ出して、クラブに寄贈した。そし
死んでいたことになっている。しかしヤノハ氏の調査によれば、
て、長年 OAG 会長をつとめた日独交流史の研究家であるクル
実際にはこの時点で母親は存命であった。作家ウェーバーは帰
ト・マイスナーが、1939 年に新たに刊行して再び世に広めた
国後の自分の孤独を演出したかったのであろう。
のであった。1973 年、OAG 創設百周年を記念してこの著作は
4
るウェーバーは、この港
私が紹介するウェーバーは、むしろ知る人がかなり限られてい
要するにウェーバーは事柄を強調して劇的効果を高めたかっ
たのである。1939 年版の序文でマイスナーは「ウェーバーが詳
え去ってしまうことへの、ウェーバーの追慕の念であった。そ
しく書き記したことは、たいていはすこし割り引いて理解して
う、発展する日本に少し窮屈さを感じてきてしまったことが、
おいたほうがよいかもしれない」としている。もっともである。
おそらくは彼が日本生活に見切りをつけた理由なのであろう。
彼が紡いだこうした物語のうちの、新潟に関する挿話を謎解
1877 年、ドイツに戻ったウェーバーは親戚が営む農場にと
きしていくことが私の主要な関心事である。それを私は今でも
りあえず落ち着き、まもなく結婚して新しい生活を始めた。し
継続している。最近一つの成果があった。
『商人服と領事帽』
かし彼の人生はここで暗転する。日本で得た財産を元手とした
の後半のかなりの部分は、片やウェーバーと、片や彼の同国人
会社経営や株式投資は散々な失敗に終わった。産業化と激しい
で商人兼新潟名誉領事であったライスナーとの、度重なるもめ
社会変動が急速に進む新しいドイツで、ウェーバーは社会から
ごとの挿話である。二人の深い確執は信頼できる史料によって
落伍していった。そして彼は自分の失敗をユダヤ人の仕業によ
も確認できる。しかしウェーバーが「ライスナーはラウジッツ
るものと考えた。こうした彼の帰国後のいきさつは、だが彼の
出身である」と書いたのは、明らかなでっち上げであった。私
小説『航海者、故郷へ帰る』によってしか知り得ない。したがっ
の追跡調査では、ライスナーは間違いなくクレーフェルト出身
てその信憑性には疑問が残る。
であった。作家ウェーバーは、ライスナーをドイツ東部の内陸
もっとも彼の反ユダヤ感情だけは確かなようだ。ヤノハ氏は
地出身とすることで、このライバルを権威主義的だが商売は覚
ウェーバーによる3冊目の著書を見つけ出した。1893 年に出版
束ない人物に脚色したかったのであろう。クレーフェルトは
されたこの本は小説ではなく露骨な反ユダヤの扇動書であった。
18 世紀から絹織物業が発達したライン左岸の商工業の町であ
また、同じ年に創刊されたハンブルクの反ユダヤ新聞でも、彼
る。憎々しいライスナーが洗練されたライン地方の商人では
は編集長として激しい論陣を張っていた。そうした熱心な著述
少々都合が悪かったのではないか。
のあげく、ウェーバーはすぐさま一転して沈黙に入った。その
しかし、こうした謎解きだけがウェーバーの書き物の魅力で
後の彼の動向は、ヤノハ氏の旺盛な探索をもってしても不明の
はない。彼が切り取った当時の日本の断片と、そこに生きる彼
ままにとどまった。ウェーバーは 53 歳で早くも引退生活に入っ
自身の姿には、そうであったのだろうな、いや、そうであった
たようであった。ヤノハ氏はこうした彼の没落を「ウェーバー
に違いない、という不思議な説得力を持って現在の私たちに
にとって反ユダヤ主義への逃避は、故郷で新たな人生を見つけ
迫ってくるものがある。
出そうとしたが、それに失敗し、その失敗の原因を自分自身以
たとえば居留地の情景である。長崎はオランダ商館長を中心
外に求めた末にたどり着いた好都合な逃げ道であったのかもし
とした家父長的な古い習慣が残る居留地で、ウェーバーにとっ
れない」と総括した。その後、1920 年にハンブルクで死去する
ては居心地のよい場所であったようだ。多くの友だちもできた。
までの 25 年間のウェーバーは、歴史の暗がりに紛れてしまった。
一方の横浜の最初の印象は、荒っぽい商人たちがうごめく殺伐
ヤノハ氏と私は、ウェーバーに関して一つの結論らしきもの
とした町であった。ウェーバーは長崎とはずいぶん違うこの居
に至った。彼は「はざま」の人物であった。それは、現実と夢
留地の雰囲気を描く。
「ここでは、わたしに好意をもって接し
想の、あるいは成功と没落の、さらには古き時代と新しい時代
てくれることなどない。だれもが自分の直接的な利益だけをや
のはざまであった。波乱に富み、かつ充実した日本での彼の人
みくもに追求し、手強い抵抗にあってそれが無駄だとわかった
生は、帰国後、時代のはざまに足を取られてしまい、暗がりの
ときだけ、やむなく一時的に妥協する。商売のためだけに存在
なかに落ちていった。しかしそうした暗がりのなかから、やが
するこの居留地では、個々人が争うなかで風変わりとしかいい
て偶然と先人の努力とが折り重なって一冊の本がすくい上げら
ようがない頑なな性格がつくりあげられてしまう」
れた。その本こそ、黎明期の日独交流を映し出すウェーバーの
ところが、その横浜が急速な変化を遂げていく。新潟に居留
著作であった。
しているあいだもしばしば横浜を訪れたウェーバーは、そのた
びにここが近代的な街へと変貌していく様子に目を見張る。し
かし彼は、そのことを単純には是認していない自分にも気づい
ていた。「古き良き日本」を尊ぶ心情が彼にはあった。
帰国を控え横浜を一時訪問した際、ドイツ人商売仲間たちと
交わした会話で、小説のなかのウェーバーはそうした心情を吐
露した。
「何百年もかかってつくりあげたものが、いっぺんに
なくなってしまうのは、残念なような気がしないか。それもゆっ
くり変化するのではなく、突然変わってしまうのだから、よい
結果が出るはずもない。日本人に感心した封建制度の長所、つ
まり主人への忠節とか、武士道とか、高貴な心情とか、礼節と
か、家族に対する一途な献身とか、そういったものが突然枯れ
てしまい、さてそれに代わって出てくるものといえば、花が咲
くまえにしぼんでしまうような温室育ちの蕾じゃないか」
それは、文明度などではなく、清らかな精神と行いにおいて
ウェーバーの生涯と著作分析を綴ったヤノハ氏と私の共著
彼に気高い美しさを感じさせた、あのかつての日本が急速に消
5
Die Kulturkiste
ドイツ映画レビュー
今年 5 月、6 月
君
日本公開さ
くれた
ッ
=文化の玉手箱=
ドイツ映画のうち 3 作品
つい
、日独男女 4 名
レ
ュー!
フ
池田 病から逃れるための安楽死を認めてしまうと、病と闘う選択をした人を非難することに
ならないか?と脊髄反射的に考えたのは、日頃「周りに迷惑をかけてまで長生きしたくない」
という年寄りの言葉を聞いているせいかもしれない。でもこの映画の主人公の「自力で生活で
きない状態で生きているのは嫌だ」という主張は、周囲への気遣いというよりは本人のプライ
ドの問題で、むしろ我儘だ。周囲はそれを四苦八苦しながら受け入れる。本人が決意するに至
る過程や、協力者として登場する母親がこの決断を受け入れる過程などは直接描かれていない
が、セリフや表情の端々から読み取れて切ない。最後の方で流れる劇中歌が素敵で自分の葬式
で流してほしいと思った。
涙腺崩壊度★★★★★
田中 刻々と迫るハンネスの死の時に対し、皆がそれぞれの思いを抱き、ぶつかりあいながらも
最後の自転車旅行は続く。自由意志の死を前にした無力さ、理解はしていても受け止めきれな
いという心の葛藤がリアルに映し出されている。 生 をい
受け止め べ
度★★★★
©2014 Majestic Filmproduktion GmbH / ZDF
クララ 故郷を離れると、その政治、社会問題、話題の本や映画の情報から遠ざかってしまう
ため、本やドイツの新聞をできるだけ多く読み、ドイツ映画が日本公開されれば、必ず見に行
監督:クリスティアン・チューベルト
きます。今年は傑作ばかり、実り多い年です。今年の夏は、飛行機に乗らなくても日本の映画
配給:ショウゲート
館でドイツを満喫しよう!
制作:2014 年 ドイツ
「君がくれたグッドライフ」は一昨年欧州行きの飛行機の中で見て、笑顔で号泣していたら、CA
「年に一度、持ち回りで行き先を決め自転車での旅 から「大丈夫ですか」と声をかけられてしまいました(笑)
。主人公と、
笑顔が溢れる仲間は素敵。
に出る 6 人の仲間たち。今年ハンネスとキキの夫 そして何より私が大好きな J・フォーゲルも出演しています。
友情を深めたい度★★★★★
妻が選んだ行き先に仲間は難色を示す。実は ALS デニー 尊厳死という、とても重いテーマを扱う映画である。中心的な人物は表情豊かで信頼
(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたハンネスが尊
できる人々、それと対照的に、幾名かの脇を固める人物の印象が弱く、演技も微妙で何度か悲
厳死の許される国ベルギーへの人生最後の旅を望
しい雰囲気が損なわれた(少なくとも自分には)
。非常におもしろいが、残念ながら時折、全体
んだのだ。真実を知った仲間たちとの旅が始まる…」
の印象が曖昧な部分がある。
しかしそれもドイツとベルギーの美しい風景が帳消しにしてくれる。
5 月 21 日㈯よりヒューマントラストシネマ有楽町、
風景美しさ度★★★★★
YEBISU GARDEN CINEMAほかでロードショー。
ヴ
監督:ゼバスティアン・シッパー
配給:ブロードメディア・スタジオ
制作:2015 年 ドイツ
ベルリンの街で出会ったスペイン女性と 4
人の青年に降りかかる悪夢のような一夜。わ
ずか 12 ページの脚本、通りかかった一般人も
巻き込みつつ全編 140 分を 1 カットで撮影し
た新感覚クライムサスペンス。5 月 7 日㈯よ
り渋谷シアター・イメージフォーラム、シネ・
リーブル梅田ほか全国で順次ロードショー。
池田 野生動物は有毒な食べ物や危険な場所を本能的に避けて生き延びているけれど、都会の
人間もまた関わっちゃいけない人や場所、イベントなどを避けて生きている。そういう危険を
察知する嗅覚を致命的なほどに麻痺させる病がある。それは孤独と将来展望の喪失。仲間を失
うくらいなら社会から逸脱する危険も厭わないほど、孤独とは若者にとって恐ろしいものだと
語っている映画。そしてそれは SNS に支配されている現代の日本の若者が抱いている恐怖と
同じものなのかもしれない。
心
す 度★★★★★
田中 90 年代、
『トレインスポッティング』はスコットランドでどん詰まりの生活を送る若者
『ヴィクトリア』ではこの閉
たちを映し出したが、そこにはユーモアと微かな希望があった。
塞感はより切羽詰まった、ヨーロッパ全体の問題として描かれている。全編ノーカット撮影に
より虚飾を排し、リアリティを徹底的に追求する姿勢は、ドイツ的誠実さによるものか。
朝ま 駆け抜け 度★★★★
クララ この映画は様々な映画祭の賞を総なめしました。2 時間越えのワンショットは映画史
を変えるに違いないでしょう。全キャストの情熱がみなぎり、見終わってもハラハラ感がなか
なか終わらない傑作。
ハ ハ 度★★★★★
デニー ノーカットで撮影された傑作。ヴィクトリアはベルリンで新しい人生を探していて、
どのような犯罪行為もいとわない。その動機は次第に明かされていく。すべて、「人生を他人
にゆだねるか、敷かれたレールから外れ本当の幸せを探すか」をめぐる問題だ。映画はドイツ
の現実と、首都の美しくない側面も描き、ベルリン訛りも聞こえてくる。主人公はドイツ語を
理解しない移住者なので英語が多く使われるが、それはそれで面白い。外国人がどうやって首
都文化に溶け込んでいくかを知ることができる。
薦め度★★★★★
池田 コメディー映画のつもりらしいことは BGM などで察せられる。でもほとんど笑えない。
ヒトラーが有能過ぎる。チャップリン的なお笑い演出はあるけれど、むしろサイコホラー的恐
怖を増すための、餡子に塩みたいな隠し味レベル。一番怖いのは一般人の反応。徹底的に反ナ
チズム教育を受けているはずのドイツ人たちは逆にそのせいで無防備になっているのではない
か?「独裁者は人気者の顔をしてやってくる」という土井たか子氏の名言を思い出した。
背筋凍結度★★★★★
田中 ヒトラーではない時間は何をしているのかと問われ、
「あなたも常に自分自身では?」
と返すヒトラー。家庭、職場、友人関係など私たちは日々様々なシーンに合わせた「自分」を
生きているが、一方でそれらすべてが唯一で同一の「自分」であるとは確信できずにいるため
に、人々はヒトラーという揺るぎない強固なアイデンティティへと惹きつけられ、そして彼を
©2015 Mythos Film Produktions GmbH & Co. 選び出してしまったのである。散りばめられた笑いの裏側には、再び起こりうる悲劇の可能性
KG Constantin Film Produktion GmbH Claussen がほのめかされている。
笑え け 笑え い度★★★★★
& Wöbke & Putz Filmproduktion GmbH
クララ ヒトラーが現代ベルリンに甦り、ドイツ社会に物真似芸人だと思われます。お笑い番
組や映画に出演する独裁者に対する人々の反応を見て、
自分が笑うことに躊躇してしまいます。
監督・脚本:デヴィッド・ヴェンド
自分 怖く
度★★★★★
配給:ギャガ
デニー 警告的な社会批判。ドイツの文化や歴史を少しでも知っていればたくさんのジョーク
制作:2015 年 ドイツ
を笑えるだろう。しかし虚構だと思っていた大部分が、世界の現実に符合していると気づくと
ヒトラーが現代に蘇り、メディアの力でお笑い芸 笑えなくなる。街の人々はヒトラーに右翼的な意見を吐き出すが、いつしかこれらの人々は俳
人に仕立てあげられ有名になり発言力を得ていく、 優ではない、そして彼らの言う非人道的な意見が本音なのだと気づく。映画は私たちを楽しま
というベストセラー小説の映画化。6 月 17 日㈮より せ、強い印象を残し、不安にさせる。
社会批判度★★★★★
帰って たヒ
ー
TOHO シネマズシャンテ他全国順次ロードショー。
10
評者:池田 祐子 会報誌編集員
田中 洋 会報誌編集員/神奈川大学・日本女子大学非常勤講師
クララ・クレフト ライター
デニー・ザクス 日独協会研修生・インスタグラマー
ケルン便り
第4信
当協会会員・ケルン在住
▽
久保田 隆
▽
桜祭り
去る 4 月 23 日土曜日、ボンの桜祭り(Kirschblütenfest)に行ってきました。ボンの中心街の北西に
位置する旧市街(Altstadt)には、ヘーア通り(Heerstraße)を中心に桜の木が立ち並んでおり、ちょう
どこの時期満開を迎えます。並木道の桜はソメイヨシノではなく、
(ボン在住の友人いわく)八重桜の
一種で、色の濃い花びらが幾重にも重なり、その 1 つひとつが大きな花のようにも見えます。通り沿い
には地元の人による蚤の市(Flohmarkt)や屋台なども出ており、時間帯によっては、立ち止まって写
真を撮る余裕もないほど賑わっていました。春になると活気を取り戻すという点では、草花も人間もそ
う変わらないのかもしれません。
▽
ケルン発のチョコレート
「ケルンの観光スポットといえば?」と聞かれて、
(おそらく大聖堂の次に)チョコレート博物館
(Schokoladenmuseum)の名前を挙げる人は多いのではないでしょうか。ライン川に浮かぶ船のような
形をしたこの博物館は、1993 年にオープンし、2006 年からは、スイスのチョコレートメーカーである
リンツ(Lindt & Sprüngli)の協力のもと運営されています。それ以前にこの博物館を支えていたのが、
ケルンのチョコレートメーカーであるシュトルヴェルク(Stollwerck)です。このシュトルヴェルク社
が 3 月 31 日、177 年の歳月を経て、ついにケルンの地を去ることとなりました。1839 年(天保 10 年!)創業の同社は、1972 年に
ハンス・イムホフ(Hans Imhoff)氏によって買収された際にもケルンを離れることはなく、ケルンのチョコレート会社であり続け
たのですが、
2011 年にベルギーのバロニー(Baronie)社の傘下に入ったことをきっかけに、
ベルギーへと移転することになりました。
もっとも、自身もケルンっ子であるイムホフ氏が遺したチョコレート博物館は、これまでどおり営業を続けるようですので、ケルン
にお越しの際にはぜひお立ち寄りください。なお、リンツは、ケルンから電車で一時間弱のところにあるアーヘン市内に工場直営店
を構えていますので、ケルンのチョコレート博物館と併せて日帰りでの観光が可能です。
大晦日の襲撃事件(その 3)
前回は、主に事件後初の刑事裁判についてお伝えしましたが、それらの裁判では、世間を騒がせた女性に対する性犯罪ではなく、
窃盗罪の責任が問われたにすぎませんでした。その後、5 月 6 日に初めて性犯罪に関する事件の裁判が行われました。被告人は 26
歳のアルジェリア人男性で、大晦日の晩にケルン中央駅構内で仲間とともに女性を取り囲み、臀部に触った上、携帯電話を盗み取っ
たとされ、ケルン区裁判所(Amtsgericht)に起訴されました。判決では、盗品等蔵匿罪(Hehlerei)などについては立証されたものの、
性的強要罪(詳しくは、本年 2 月号掲載の「第2信」をご覧ください)に関しては、被告人が犯人グループの輪の中にいたことが証
明できないとされました。その結果、執行猶予付きの自由刑 6 月が言い渡されるにとどまりました。もっとも、犯人はドイツに不法
滞在していたため、滞在法(入管法)の規定に基づき、入国者収容(Abschiebungshaft)のための施設に移送されるようです。
さらに、ケルンからライン川を北に下った先にある州都・デュッセルドルフでも、大晦日の晩に同様の事件が多数発生しており、
これまでに 100 件以上の被害届が提出されているそうです。4 月 11 日には、市内で起きた事件に関する最初の裁判がデュッセルドル
フ区裁判所で開始されました。被告人は 33 歳のモロッコ人男性で、性的強要の罪などに問われていました。5 月 11 日に下された判
決では、
(性的強要罪ではなく)危険な傷害の罪(gefährliche Körperverletzung)と暴力による侮辱の罪(tätliche Beleidigung)などにつ
いて、執行猶予の付かない自由刑 1 年 7 月が言い渡されました。
このように、司法による事件の全容解明はまだしばらく続きそうですが、警察による治安対策は功を奏しつつあるようです。事件以
来、ケルンの中心街、特に中央駅や大聖堂の周辺では、警察官の姿を目にすることが明らかに増
えました。また、
窃盗犯のたまり場になっているとされる市内のバーやカフェへの立入調査
(Razzia)
が実施されているほか、中央駅前の広場には毎日、午前中から深夜にかけて Sicherheitsmobil(直
訳すると「保安自動車」
)というトラック型の詰所が設置されるようになりました(中央駅の構内
には以前から連邦警察〔Bundespolizei〕の詰所がありますが、それとはまた別です)
。そこでは、
数名の警察官が問い合わせへの対応や被害届の受理などを行っています。その結果スリの数が半
減したそうですが、現在の人員体制を維持するのは困難との見方もあるようです。これ以外にも、
街灯を増やして街中をより明るくすることをレーカー(Reker)市長が政策として掲げるなど、治
安対策には余念がないようです。もっとも、スリをケルンから追放できたとして、よその街で同じ
ことが起きてしまっては意味がありませんから、州と連邦(国)とが連携して、犯罪の背後に潜
む社会問題──外国人の不法滞在の問題や罪を犯した外国人の処遇の問題など──の解決策を練
る必要がありそうです。
<桜祭り>
・
桜祭
ーム ー
http://kirschbluetenfest-bonn.de/
<ケ ン発のチョコ ート>
・ ュ
ェ ク社 工場移転につい
http://www.ksta.de/koeln/nach-177-jahren-schokoladenfabrik-stollwerck-kehrt-koeln-endgueltig-denruecken-23810648 3 月 31 日付 Kölner Stadt-Anzeiger 電子版
・バロニー社
ーム ー
ュ
ェ ク社 ロゴを探
み ください。
http://www.baronie.be/
・アーヘ にあ
工場直営店
ー
http://www.lindt.de/shops/werksverkauf/
<大晦日の襲撃事件>
・事件後初 性犯罪に関
裁判につい
http://www.ksta.de/politik/angeklagter-von-sexueller-noetigung-freigesprochen-24011344HYPERLINK 5 月 6 日付 Kölner
Stadt-Anzeiger 電子版
・ ュ セ
フ
初 裁判につい
http://www.derwesten.de/nrz/region/westfalen/erstmals-muss-ein-silvester-grapscher-ins-gefaengnis-aimpid11818979.html
5 月 12 日付 Neue Ruhr Zeitung/Neue Rhein Zeitung 電子版
・警察官
員を
め
事件後 治安対策につい
http://www.ksta.de/koeln/silvesternacht-mehr-polizei-praesenz--weniger-diebstaehle-in-koeln-23856264 4 月 9 日付 Kölner
Stadt-Anzeiger 電子版
※上記
情報
い
れも 2016 年 5 月 17 日現在
も
で
。
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