現代社会における音楽の役割 岡本 眞(福岡ミューズ音楽院院長) 音楽とは a. 音楽の発祥と発展 儀式(政治、宗教、医療)、舞踏、歌謡、伝達手段、劇音楽等 キリスト教 世俗音楽 楽譜の確立 バロック音楽 理論の確立 バッハの息子達 モーツァルト ロマン派の音楽 理論の拡大解釈・破壊⇒新理論 現代音楽 ジャズ ポップス 商業音楽 音楽は、人類の登場と同時に何らかの形で発祥していたと思われます。言葉が、いつからどのよ うに使われるようになったのかと言う事については、私は、正しく認識していません。しかし、 人間は、言語の発生よりも前に、音高やリズムの違う声、また、楽器の起源となる道具を使って、 意思を伝えあっていたに違いありません。それが、音楽の起源と言えるものかどうかは分かりま せんが、音楽の発祥と発展について簡単に説明してみましょう。 この話を始めるにあたって、最初に、申し上げておかなければならないことがあります。それは、 私は、ふたつの音楽大学に通いましたが、ただの演奏家であり、「音楽史」や「音楽理論」の科 目の専門ではないため、音楽の歴史や楽理を深く学んでいないということです。楽曲や演奏を経 験する中で背景として知り得た、音楽の歴史や理論の一般的な知識を、更に、私の想像力を膨ら ませて、極めて個人的見解としてこの先の話をさせていただきたいと思います。 人間が集団生活を始めると、儀式や原始的な宗教や医療の分野でも音楽が利用され、平行して舞 踏や歌と言われるものも発展していきました。伝達手段では、声だけでなく音の出る道具を使い、 音程やリズムを変える事によって、より多くの人たちに様々な意思伝達行為を行なっていたので しょう。娯楽としての歌謡や舞踊も自然発生的に現れ、発展していったと思われます。 1 古代ギリシャ文明では、竪琴やパンフルートという楽器が存在し、既にピタゴラスが現代の12 音階に当たる音律を理論的に証明していました。この時代に盛んだった劇にも音楽が用いられて いた事は、書物によって分かっています。また、ギリシャ文明に楽譜は存在しなかったにもかか わらず、様々な音階旋法が理解され、使い分けられていました。楽譜や録音が残っていないため 正確には分かりませんが、イオニア旋法、リディア旋法など後にキリスト教会や地域特有の音階 として使われる音階名が存在していました。ただし、現代、私たち使っている旋法とは、呼び名 は同じでも実際には違った音の配列であった可能性があります。 ギリシャ等で発展した音楽文明は、キリスト教に取り入れられ発展を続けます。キリスト教は前 世紀の政(まつりごと)で使ったように、音楽を布教のための道具として利用していきます。中 世には、そのころ形を成したグレゴリオ聖歌を正確に書き残し、伝えるために楽譜の模索が始ま ります。4線譜や6線譜やもっとたくさんの線や図形を使って、音楽を書き残す事が試みられ、 16世紀頃、今の五線譜や音符が出来上がりました。この五線譜の発明こそが、現存の音楽や音 楽理論の確立に大きな役割を果たしています。そして、バロック期のヨハン・セバスチャン・バ ッハ(1685—1752)の登場によって、音楽の完成形が出来上がります。この頃には、キリスト 教の音楽も頂点を迎えますが、副産物として舞曲や民謡等の世俗音楽も学術的な理論に裏付けら れ、クラシック音楽としての形を整えます。 バッハの息子達も、バッハが完成させた音楽理論を更に進化させますが、複雑になり過ぎたせい か、その音楽は、次世代に受け入れられたとは言えませんでした。それに変わって、モーツァル トのようなシンプルで分かりやすい音楽が、一般の人々に浸透していきます。このスタイルが現 代のポップスやジャズ、ロック、歌謡曲の原型になっていると思われます。 モーツァルトのクラシック音楽は、ベートーベンやショパン等に引き継がれますが、19世紀に ワーグナーやブルックナー等によって巨大化と複雑化を重ねて、20世紀には、「ルールを壊さ ずには作曲家のアイデンティティが発揮できない」とばかりに、作曲家独自の音階や理論を生み 出します。現代では、多くの進歩的な現代音楽は複雑化と奇抜性を増して、一般に理解されにく い音楽となっています。私は、現代音楽界の行き詰まった状況に危機感を持って見ていますが、 奇しくも現代社会の政治や経済の、出口や行き先を失った様子に似ていると思わざるを得ません。 20世紀以降の音楽の評価については、100年後、200年後の聴衆にまかせることにします が、これが、私の考える音楽の発祥と現代までの発展についての簡単な流れです。 b. 音楽の役割 現代の音楽界が行き詰まった状況にあるとは言え、私たちは先人たちが残した音楽は、人間の心 や体に大きな影響を与えるのも事実です。そして、医学や心理学の分野では、心や脳への影響の 解明への研究、努力が始まっています。そこで、現代社会において音楽が担う役割について、考 えてみました。 ・音楽とゆとり 2 家庭や人が集まる場所に音楽があるということは、心や生活にゆとりを感じさせてくれます。仕 事や生活に追われているばかりでは、なかなか音楽を聴いてみようと言う気持ちにはなれません が、音楽のある環境を経験した人は、音楽のある環境の心地良さが分かるようです。私の知る建 築家は、「音楽がある家庭は、玄関やリビングに花が飾ってあるようなもの」と言います。生活 に追われているだけでは、中々、花を飾る、花を育てる、花を求めるなどということに気が廻ら ないものです。音楽も同じで、仕事や生活に追われているだけでなく、現代社会のようなテレビ やラジオに依存した生活をしていると、自分の趣向する音楽を持っていても、生活時間帯のほと んどがメディアの流す一方的な音で飽和状態になってしまい、ゆとりのある音楽環境とは言えな くなってしまいます。花を選ぶように、音楽を選ぶゆとりのある気持ちを持つ暮らしぶりをお勧 めします。 また、音楽を生活に取り入れると言うことは、相乗的にゆとりを生むと言うことにもなります。 私は、そんな心のゆとりが、生活の良いリズムを作り出してくれるものと信じます。さまざまな 施設や公共の場所や待合室等で BGM としての音楽を流すと言うことはごく当たり前のことに なっていますが、この現象はゆとりや和みの効果の証明であり、それを効果的に活用しようと言 う社会現象の現れでもあります。 ・感動を伴った音楽 音楽との接し方には、「聴く」だけでなく、 「演奏する」「歌う」などがあります。そんな音楽に 触れる機会を多く持つことによって、音楽に深い興味や知識を得て、質の高い音楽に触れた時に は感動を体験することになります。この感動とは、かつて体験をしたことのない驚きであり、喜 びでもあります。心を動かされ、心地よくなり、気持ちが明るくなります。そして、生活もに活 気が生まれ、仕事や人生にやる気が出てきます。特に、私のような音楽家や音楽愛好者において は、音楽への深い探究心がわき上がり、音楽を深く理解しようという思いが募ります。感動は、 人の気持ちだけでなく、人生観や体調や病状さえも変えてくれるのです。 私の実体験ですが、学生時代からの仲間で NHK 交響楽団のコンサートマスターの山口裕之氏と 演奏会を行なったとき、印象的な出来事がありました。オーケストラと私たち2人が共演する演 奏会で、私と山口氏は、若い頃、共に学んだ共通の芸術感が一気によみがえり、演奏している私 たち自身が興奮するほどの楽しい演奏ができました。 そして、演奏会の翌日、私の自宅に1本の電話がありました。前日の演奏会の聴衆の中のひとり の女性からでした。その女性は、私には面識のない方ですが、彼女は家庭の深刻な問題で病院に 通う程のノイローゼにかかっているとのことで、その心の病の影響で全身に発疹が表れていたそ うです。彼女の話は、 「昨日の演奏会を聴いて感動しました。そして、今朝起きた時、からだ中 の発疹が治っていました。ありがとうございました。」と言う内容でした。ご本人の喜びぶりが、 受話器を通して手に取るように感じられました。この話は、私たちの演奏が素晴らしかったと言 う自慢話ではありません。また、聴衆のひとりが作り上げた大げさな作り話でもないものと信じ ています。聖書や伝説等に出てくる「奇跡」のような話でした。もちろん、ご本人にお会いして 確かめた訳ではないのですが、事実でないとしたら、見ず知らずの人が私の住まいを調べてわざ 3 わざ電話をして来るでしょうか。感動を伴った音楽には、こんな力があると、私は確信します。 ・音楽と癒し 音楽の持つ癒しの力と言うものは、皆さんにとって一番身近な音楽の効果ではないでしょうか。 クラシック音楽に限らず、ジャズやポップス、歌謡等の分野の音楽からも癒しの恩恵を感じるこ とは多いと思います。1日の始まりに聴きたい音楽、仕事に疲れた時に聴きたい音楽、家族や仲 間と一緒に聴きたい曲、寝る前に聴きたい曲等、誰もが生活の中で心を穏やかにしてくれる音楽 があると思います。 また、苦しい時、悲しい時に音楽が救ってくれることもあります。歴史上の多くの作曲家たちが 大事な人を失った悲しみを音楽に詠ったように、悲しみを音楽に重ねる人は多いようです。声を 上げて泣くことや同じ状況の人と悲しみや苦しみの感情を共有することにより、その精神的苦痛 から解放されることはよくあることですが、そんな時に音楽を聴くことも効果的です。どんな曲 がどんな心境の時に救ってくれると感じるかは個人差があると思いますが、同情心や共感という ものが心に響くと言うことだと思います。 私が、若い頃に失恋で悲しみに暮れていたとき、当時、たまたま練習していた曲があります。2 0世紀イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913—1976)の独奏曲「6つのメタモルフ ォーズ」の第3曲「ニオベ=Niobe」です。ニオベとは、ギリシャ神話の登場人物で、15人の 自慢の子供たちをゼウスの雷により目の前で次々と殺されてしまった母親、として描かれていま す。母親にとって我が子の死は最大の悲しみに間違いありませんが、ブリテンは、悲しみに泣き 暮れるニオベの姿と心境を曲にしています。激しく泣く様子は、ブリテンの作曲技法により深い 共感を呼び起こします。私は、悲しみに暮れていたその時にこの曲を演奏してみると、この曲に 強いシンパシーを感じ、涙は自然に溢れ出し、曲を演奏し終えた時には笑顔が出るほど、気持ち がスッキリとしました。そして、この時のこの曲の演奏は、自分自身でも最高のパフォーマンス ができたと感じました。この演奏をたったひとりの練習室で、誰にも聴いてもらえなかったのは 残念ですが、音楽の持つ不思議な力を感じた瞬間でした。 私は、不眠症やうつ病等、日々のからだのリズムや精神の回復力のバランスをコントロールでき なくなった人への音楽効果について興味を持っており、この分野の研究に大きな期待を抱いてい ます。一般的な情報として、不眠症における睡眠薬や鎮静剤、うつ状態においては抗うつ剤、精 神安定剤の投与が行なわれていると思われます。当然ながら、人によっては副作用や依存症の問 題も予想ができます。そこで、脳や精神などの手助けになるようなことが、副作用のない音楽の 力でできないだろうかと考えています。 最近、私が研修でニューヨークに滞在した際、時差補正のために現地の人が「メラトニン」と言 うサプリメントを用意してくれました。メラトニンは私の体の中で見事に働いて、時差を全く感 じない睡眠時間を供給してくれました。日本では販売されていないもののようですが、後で調べ .. てみると、メラトニンは脳の松果体から分泌される眠りを司るものだそうです。また、年を重ね てメラトニンの分泌が減少してくると、眠りのリズムを保てなくなる人が多いと言う話を知りま 4 した。このような人に、このサプリメントはとても有効ではないかと思います。 実は、メラトニンと同じような事が、私には、音楽を鑑賞しているときに起こります。私は、例 えば、モーツァルトの曲を集中して聴いているときに、どうしようもない眠気に襲われます。た とえ、演奏会の最中でも、まぶたを開いているのが困難なほどの睡魔が襲ってくることがありま す。多くの人のデータを採った訳ではありませんが、私のような人は音楽の世界にもたくさんい ます。もしかしたら、モーツァルトなどの音楽は、脳内の何かに作用し、メラトニンの分泌を促 しているのではないかと思うほどです。 音楽と人間の脳や神経の関係についての研究は各方面で行われているようですが、モーツァルト の曲や高周波数と言う漠然とした括りでは、説得力がありません。音楽の持つどんな要素が、人 間のどんな部分に働きかけ、脳や体にどんな影響を与えるのか、厳密な科学データとして示して くれる科学者の登場を待ち望んでいます。 このように、音楽は、確かに人の脳に何らかの影響を与える力を持っていると考えられます。音 楽と脳の関係に注目して、医学や心理学の研究機関の動きを見守って行きたいと思います。その 日のために、私たち演奏家は、日々、技術と芸術性を高め、その研究の成果に答えられる音楽力 を身に着けたいと思います。 ・ 人間交流と音楽 一般論としての音楽の一番の役割は、音楽が人間交流のツールであると言うことです。コンサー ト、オペラ、ミュージカルやバレエは当然ですが、映画やドラマ、あらゆるテレビやラジオの番 組やイベント、最近では、スポーツにも音楽は不可欠なものになっています。また、サロン、パ ーティ、各種催し等、人が集まる空間を演出し、和やかに、華やかにできるのも音楽の持つ力で あります。また、「音楽に国境はない」と言う言葉の通り、ピタゴラスが証明した自然界に存在 する音階は世界共通である上に、五線譜の発明や録音やデジタル技術の発達によって、音楽はよ り身近なものとなり、人間交流の主役にさえなろうとしています。 19世紀から20世紀初頭にかけて、パリを中心に繰り広げられたモダンな「サロン」と言う集 まりには、文学者、学者、芸術家等の文化人が集い、その「サロン」の中心には、必ず生の演奏 があり、音楽家がいました。ショパンやリスト、サン・サーンス、ドビュッシー、サティなどが 関わっていたようです。サティは、 「家具のような音楽」を唱え、空間を美しく演出し、自然で、 生活になくてはならないものとしての音楽を目指しました。21世紀では、サティが考えた以上 に、音楽は庶民の生活にも根付いてきて、彼が訴えた「家具のような音楽」から「家族や親友の ような音楽」へと存在感を増しています。 このように、音楽は人類の発祥とともに現れ、人間の文明とともに発展し、更には音楽の進歩に よって人間の心や生活スタイルに大きな影響を与え、人間と寄り添って存在感を大きくしてきま した。また、これからは、医学や様々な学術分野の研究の進歩とともに心や脳や体への影響につ いて、音楽の役割が大きくなっていくことに期待します。 5 脳の発達と音楽の学習 私は、前号の紙面で音楽の生得性と習得性について述べさせていただきましたが、「ヒトの教育 の会」での講座を体験する中で、井口潔先生の「脳の発達と人間教育」の考え方と「音楽の学習」 が、パズルがはまるように重なっている事を強く感じています。ここまでに挙げた音楽の役割を 果たすべく、音楽をより深く理解するための基本的な音楽学習について述べてみたいと思います。 a. 幼児期の音楽学習 人は、生後6ヶ月頃に親や家族の声を聴き分けるようになります。この頃に音程や音色を判 断する手段を身に付けるものと思われます。つまり、音の感性に関わるニューロンが活動を 始めているのはないでしょうか。もちろん、胎児の時代や生まれてこれまでの経験の積み重 ねがあって、形として現れ始めるのがこの時期だと思われます。 音楽教育的には、この頃から3歳くらいまでにできることは、ただ、ひたすら音をインプッ トすることに尽きると思います。この時期に音の名前や音楽の理屈を教えることは、一般的 にはあまり大きな成果をあげる事はできません。演奏技術や理論的な学習においても、筋力 や理解力の理由から効果的であるとは思えません。 3歳頃から音の名前を覚えることができますが、最初は、理論として音の順番や高低を正確 に覚える訳ではありません。ドレミ等の階名で曲を歌えるようになったとしても、それは、 メロディと一緒に歌詞としてのドレミを覚えているに過ぎません。その証拠に、同じ曲のメ ロディやリズムの一部分を変えるだけで、正しい階名を歌うことはできなくなってしまいま す。この時期、音感としての階名を身につけるには、歌詞としてのドレミを色々な曲で何回 も繰り返し歌っている間に、自分の頭の中でドレミの規則を見つけると言うことです。 一方、音を聴いたり歌ったりすることと平行して、鍵盤や楽譜などの、目からの情報が加わ ると比較的早く音感が身につくと言うことも明らかです。鍵盤や楽譜といった、景色や図形 のような目に見える形の音楽を同時に学ぶと、音楽理論としての音階や音感を身に付けるこ とに大変役立つと言うことです。ですから、ピアノの学習者は常に鍵盤を見て、弾いた音と 比べているため、一般に他の楽器の学習者より絶対音感が早く身につきます。音符に色をつ けたり、指などの番号で音を覚えると言うことも効果的ですが、これには弊害があり、色が なくなったり、指のポジションが変わってしまったとき、混乱を起こしてしまうケースがあ ります。 それでも、4−5歳で絶対音感が身に付き、楽譜も大人並みに読めるようになる子供がいま す。モーツァルトがそうであったように、その子は特別で、大いに音楽学習を積み重ねて欲 しいと思います。逆に、たいていの子供たちは、この時期に音楽の仕組みを完全にマスター できず、また、音楽的な表現をすることができません。しかし、悲観することは全くありま せん。たとえ、5歳で音感の顕著な結果が現れていなくても、また、音楽演奏の分野で他よ り劣っていたとしても、そのまま順を追った正しい学習を続けさえすれば、10歳から12 歳頃までに絶対音感や読譜能力はでき上がるものです。例外がない訳ではありませんが、遅 い場合でも中学生頃までには絶対音感は、たいてい身に付きます。そして、更に、その後の 6 学習の積み重ねによって、大音楽家になる可能性も大いにあります。 b. 小学生の音楽学習 全国には、本格的に音楽に取り組んでいる幼稚園もたくさんあります。ただし、音感や演奏 面に顕著な成果が上がっている園児、また、そのように見える園児は多くありません。たい ていの場合、在園中に音楽的な成果が表れないことは、前述の通りです。でも、それは、大 人が欲しがる成果が表に現れていないだけで、音楽の力は体の中では確実に育っています。 .. .. 6歳頃より、義務教育でも知識や理屈を学び始めます。数学的、言語的、身体運動的、空間 的な認識学習等を積み重ねながら、物事の成り立ちや仕組みを理解し始めます。色々なもの を学ぶなかで、音楽に必要な能力も身に付けていきます。このような環境の中、音感の学習 と言うものは、特に、急いで、結果を出すものではなく、良い教師が、正しい順番で、積み 残しなく進めて行けば、学習者によって得意不得意の部分はあっても、標準的な絶対音感は 成就します。 絶対音感が身につく様子は2タイプあって、学んだことが、順次、少しずつ、成果として身 について行くタイプと、10歳頃以降、ある日突然、奇跡が起きたようにでき上がるタイプ があります。どちらが良いと言うことではありませんが、後者は、感動を覚えるほどに劇的 です。昨日まで、絶対音感とは縁がないと思われていた子供が、突然、天才になったような 衝撃があります。脳の中にバラバラに存在していた大量の音の素材と理論が、何かをきっか けに、一瞬にして結びつき、整列し、ネイティブとも言える絶対音感習得者が完成します。 どうしても見つからなかったパズルの一片が見つかり、今まで滞っていたすべてのパズルが 一気に並んだと言う感じです。 演奏技術の学習では、小学生の頃は、素直であると同時に、できない事やむずかしい事に立 ち向かう気力が充分とはいえません。つまり、「言って分かる」と言う次元ではないと思っ た方が良いでしょう。だから、教師や親等の周りの大人たちの力が必要になります。レッス ンでは、「手取り足取り」になることは当たり前です。出来るまで何度もやり直す、分かる まで何度もやり続ける、と言うことの繰り返しです。教師は、次のレッスンまでの練習スケ ジュールを細かく作らなければなりません。音楽教師は、子供のレッスン、初心者のレッス ンには特に時間を費やし、体力を消耗します。大人にとっては、簡単なことを学んでいる様 に見えますが、子供にとっては宇宙の大怪獣と格闘しているようなものなのです。鉄道の駅 名や世界の国旗を覚える天才少年をテレビ等で見ることかありますが、音楽を奏でると言う ことは、もっと複合的でむずかしいことなのです。幼児や小学生の子供を担当する音楽教師 は、相当な覚悟と準備を持って子供たちのレッスンに望んでいるのです。 一方、親は子供に音楽を習わせ始めた以上、責任を持って、それを見守らなければなりませ ん。学校から帰って、ひとりで勝手に練習をして、良い具合に仕上げて、次週のレッスンの 準備ができ上がっている、と言うような小学生がたくさんいるとは思えません。親はせめて 練習の時間だけでも設定してあげる必要があります。そして、遠くからでも良いので聴いて 7 あげましょう。練習内容に口出しをする必要はありませんが、「誰かが聴いているのだ」と いう環境を作ってあげることは大事です。なぜなら、音楽は、自身で楽しむだけではなく、 最終的に、人に聴かせることが前提だからです。人に聴かれているという緊張感を与えてあ げることは、将来の晴れ舞台の良い練習になるだけでなく、すべての学習や生活習慣の糧と なるでしょう。そして、たまには、感想を言ってあげることも大切でしょう。 c. 思春期以降の音楽学習 小学校高学年から中学生の時期は、音楽を続けて行くのに一番難しい時期と言えます。環境 的には、塾やスポーツ、中学生になれば部活動など、スケジュール的にタイトになってくる 時期です。 また、自我が目覚め、自分の趣向が強く表面に現れてくるのも、この頃です。音楽を続ける のかどうかを考え、音楽の好みもハッキリと主張するようになります。これまで、教師から 与えられたテキストや曲を素直にこなしていた生徒が、このテキストは嫌い、この曲を弾き たいなど、音楽学習のカリキュラムや教師に対して自分の主張を表現するようになります。 また、中学生や高校生になると、漠然とであっても将来のビジョンが持てるようになります。 この時期に、音楽学習を始めてみようという人もいるでしょう。音楽既習者においても、こ のまま、今まで学習した音楽を続けて行くのか、どんなジャンルの音楽がやりたいのか、プ ロの音楽家を目指すのか、趣味だとしたらどうなりたいのか、今までの学習を生かして違う 楽器に挑戦するのか、いずれにしても、この頃には、自己の責任で長期的な展望の音楽学習 に転換し、生涯に関わる音楽観を持ち始めることができます。大げさですが、この音楽観を 継続、維持していくための覚悟を持ち、決断することとなります。 前項まで音感の話をしてきましたので、ここでも音感についてお話ししましょう。中学生や 高校生で初めて音楽を学習する人でも、音楽を聴いたことがないと言う人はいないはずです。 現代の社会では、ほとんどの人は、生まれてから継続的に音楽を聴いてきているし、いろい ろな歌も歌ってきたことは間違いないと思います。ですから、ある程度と言うよりかなりの 量の音がインプットされており、もしかしたら、3歳から始めた音楽学習者よりも、インプ ットされた音の量は多いことだってあります。この年令で楽譜を読み、基本的な音楽理論を 理解するようになることは至って簡単です。あとは、今までインプットされた音感と楽譜が 結びつけば音感ができ上がります。運が良ければ、中学生や高校生からでも絶対音感は身に 付きます。 その理由は、現代社会では、デジタル化された絶対ピッチの音楽が街中にあふれているから です。現代の若者たちは、幸運なことに、生まれた時からデジタル音源を聴き続けています。 それは、絶対ピッチの音をたくさん聴いてきていると言うことです。ピタゴラスの時代から あった音階とはいえ、1970年代までは、国によって、地域によって、音楽の分野や楽器 の種類によって、様々な音程ピッチで音楽が演奏されていました。今は、音程ピッチが子供 8 にも分かるような数値化され、世界共通のピッチが普及しています。このことは、音楽の発 展において、バッハが平均率調律を広めたような革命的なことです。さらに、国際交流や異 文化交流により、様々な分野の音楽が共通の音感とピッチを持つようになってきました。1 980年代に普及したデジタル音源はまたたく間に世界を席巻し、現代日本の社会では、音 楽のない家庭と言う存在は、皆無に等しいと思われます。 ですから、音感のインプットということは、ほぼ、全員に施されているでしょう。義務教育 では、調律されたピアノや電子音源に合わせて歌を歌ったことでしょう。大人と一緒にカラ オケに行く事もあるでしょう。カラオケのキー(調)は変更できますが、音程ピッチは44 0Hz〜442Hz で統一されていて、キーが変わってもピッチは一定です。この環境の中で 育ってきた中学生や高校生は、絶対音感を身につける素地を持っています。中学生や高校生 まで海外生活をした人たちが、ネイティブに近い現地語を話せるように、たとえ小さい頃か ら特別な音感教育を受けていなくても、17−18才くらいまでに適切な音感学習を施せば、 音感は身に付く可能性があります。20歳くらいまでは、音感を身につける余地を残してい ます。絶対音感が獲得できなくとも、相対音感は高い確率で身に付くはずです。さらに、目 的があって音楽を始めるならば、なおさら、学習に力が入り、その音感習得の確率は上がる はずです。 ただし、せっかく身についた音感能力も、20歳代までの間に中途で音楽学習をやめてしま った場合、消えてなくなってしまうこともあります。音楽学習や演奏経験の中断により、一 度身についたと思った絶対音感は、失われる可能性があります。音感を維持するには、何ら かの形で、また、ある程度のテンションを持って、音楽との接点を持ち続けることが大切で す。 ここから先は、次項の「音楽教師のスキル」に関する項と重複しますが、思春期の生徒への 指導について、指導者の立場について述べさせていただきます。学習する側の対象者は、こ の指導者の立場を知ることによって、その逆のアプローチを考えてみてください。そして、 その立場に相応しい教師と出会うことも大事だと思います。 生徒が思春期を迎えると、教師は圧倒的な音楽力と指導力でリードすることが必要になりま す。例えば、今まで学習してきた音楽を続けて行く場合、生徒に対して、教師の技術力や経 験に裏打ちされた音楽観のレベルの高さ、音楽の芸術性の奥深さを見せつけなければなりま せん。会話力やカリスマ性も大事です。この時期、幼少期や小学生のように、手取り足取り のレッスンを施す必要はありません。できないことに対して、言葉で説明することが有効で す。これくらいの年令になれば、曲の解釈や演奏について、自らの力で完成に向かう気持ち が芽生えます。教師は、経験と技術力のノウハウを、音楽の熟練者としての説得力によって、 音楽の完成へ導く努力を惜しまず実行します。練習の方法や短期的、長期的なプランを提示 することもひとつの役目です。細かな時間割を決めてあげるのではなく、どんな目標のため に、何ができるようになるために、どのような努力が有効かを示すことができれば、練習ス ケジュールは自分でも考えることができます。教師は、自分の経験や知識に裏付けされた揺 るぎない真実を、自信を持って伝えることが大事です。 9 10才頃になると、管楽器や声楽、大型の弦楽器等の学習が可能になります。ピアノを学習 していた生徒が声楽や管楽器の学習を始めるケースも多いと思います。また、生徒がこれま で学習をしていない音楽分野、例えば、クラシック音楽を学習してきた生徒が、ポップスや ロック、ジャズ等の分野や他の楽器に興味を持った場合、教師は、その分野の専門家と連携 を取って、良い形で音楽学習が続けられるよう導きましょう。音楽的に、芸術的に、学習者 が大事なことを見失わないように、音楽界の先輩としてしっかりとバックアップします。 d. 大人の音楽学習 大人と子供の音楽学習の一番の違いは、学ぶことを自分で選べるということです。教師から 与えられたものを素直に吸収することが大事だった成長期と違い、プロを目指す学習者にし ろ、アマチュアの愛好家にしろ、自分で目標や方向性を決める事ができます。 子供の頃から何らかの形で音楽を学習していた人は、楽譜が読めたり、絶対音感や相対音感 を身につけていたり、また、楽器を演奏することができるでしょう。大人の音楽学習の形は、 自身が一番興味を持てる形で音楽を継続していくことが良いと思います。ただ学習をすると 言うより、生涯を通した目標やテーマを持つことが音楽との良い付き合い方でしょう。演奏 することに興味がある人は、音楽のソサエティ等を通して仲間を作ることも良いでしょう。 合奏を経験したり、色々な音楽について対話する仲間を持つことも音楽の世界を拡げるため には大事です。先に述べた通り、音楽は人間交流の道具でもあります。音楽を活用して、自 らの世界や価値観を拡げてもらいたいものです。 また、演奏法や楽曲の理解を学術的に掘り下げることは、大人にとって得意な領域です。音 楽は、そもそも、簡単な理論を基に作られています。「楽典」と言う高校生程度の理論を学 ぶことは、容易いことです。楽器店で「楽典」と言う教科書を買ってくれば、基本的な理論 は独学でも充分理解できることです。少しの音楽理論や歴史的背景を基に色々な角度から音 楽を解釈することは、文学に深く触れるような楽しさや喜びがあります。 また、別の項でこれから音楽を学習したい、楽しみたい、と言う方のための提案を述べてい ますので、参考にしてください。(ボレロプロジェクトの項) 音楽の教え方と学び方 これまで、一般的な音楽の有様を述べてきましたが、この項では、音楽の正しい、また、あ るべき学び方について述べていきたいと思います。そのために、教える側に何が必要か、そ の方法論を述べ、学習者の効率的な学習方法について付け加えたいと思います。さらには、 音楽学習をする子供を持つ親の理想的な姿を提案したいと思います。 a. 音楽教育者のスキル ① 真実だけを伝えること 10 音楽教育者の一番のスキルは、「真実を伝える」ということです。私は、一貫してこの事 にこだわって教えてきました。最近の教育界では、「褒めること」が教育者の使命のよう に、学習者への気遣いに重きが置かれています。しかし、その根底には真実を教えると言 う前提が必要であり、児童・生徒のご機嫌取りに終始する最近の教育風潮には賛同できな い点を感じています。本当に良くできた時、成果が上がった時には、大いにほめて欲しい ものです。教師は、自身が学習、努力して得たものを、真実として伝えることに真剣でな くてはなりません。 ② 現場の人間であると言うこと 音楽教師にとって、次に大事なことは、音楽の現場の人間であり続けることです。この意 味は、演奏や研究のフィールドで、自分なりの最前線に居続けるということです。殊に、 リサイタルを開いたり、全国ツアーをやるということではなく、自分にふさわしい目的を 持って研鑽を積むということです。すべてのピアノ教師が、バッハとベートーベンとショ パンとラフマニノフを見事に弾きこなし、高度な解釈で理解していなければならないとい うことではないということです。子供向けの曲集「ブルグミューラー」やシンプルな奏法 のエリック・サティの作品のスペシャリストであることも、音楽教師の貴重なスキルと言 えます。音楽教師にとって、生徒が自分より上手になるということは恥ではなく、誇りな のですから、ブルグミューラーやサティを通して音楽の技術や音楽性を伝えることに魂を 注ぎ込めば良いのです。 音楽教師はこのふたつの心構えを持って、これからあげる項目を、ぜひ、実践して欲いと思いま す。 ③ 語彙や比喩をたくさん持つこと 音楽の表現は、とても言葉で置き換えることが難しいものです。また、技術的なことでさ えも、筋肉や息の状態や頭の中の様子を目で見せることができません。指を動かすために はどこにどれだけの力を入れているか、その力はどこから来るのか、息はどこにどれだけ 入り何の力で出てくるのか、その時、何を意識し、頭では何を考えて演奏しているのか等々、 教師が実践で示しても分かりにくいことばかりです。だから、教師は言葉でそれを伝えな ければなりません。そのためには、学習者に伝わる一番良い言葉を選ばなければなりませ ん。ひとつの表現で伝わらなければ、ほかの表現を探します。教師自身も生徒の環境や経 験や価値観をすべて分かっている訳ではありませんから、どの言葉が生徒にヒットするの かは手探り状態です。ですから、そのためには、たくさんの表現方法やたとえ話を持って いなければなりません。そして、生徒の環境や理解力を察知し、なるべく、身近で、分か りやすい表現で伝えることが大切になります。 ④ 技術や理論は順番通り進み、積み残しをしない 音楽の学習は、決して複雑な理論や特殊な技術を身に付けることを目的としていません。 基本的な知識や技術があれば、個々の楽曲への対応は、基礎に基づいた工夫や努力で出来 11 ていくものです。だからこそ、初心の頃に学んだことや基本的な技術が大事になってきま す。 人は上達すると、初歩で学んだ簡単な教えを忘れがちになります。初心の時に習ったこと や幼稚と思える簡単なことは、当然出来るべきこと、当たり前のことなのですが、頭の隅 っこに置かれ、過去の遺物のように扱ってしまいがちです。たとえ、今、挑んでいる課題 に一番大事なことが、ごく初期に習ったことに起因しているのに、そのことに気づかず、 がむしゃらな奮闘努力に終始してしまうことがしばしばあります。すべての高度な技術は、 もちろん、初歩の簡単な技術や理屈の上に成り立っていることが分かっていても、そのこ とを思い出そうとはしないのです。 また、特に技術面の習得においては、正しい順番で、一歩ずつ、階段を上っていかなけれ ばなりません。とても向学心が高く学習能力がある人ほど、つい、学習のスピードが加速 してしまい、頭で理解しただけのことを身に付いたことのように勘違いしてしまい、先へ 進みたくなってしまいます。簡単なことでも、本当に体に刷り込まれるまで、繰り返し練 習しなければなりません。しっかりと身についたことを確認して、初めて先に進むことが できるのです。 また、声楽や管楽器のアマチュア学習においては、自己流や間違った解釈で学習している のに、上級者の領域に達したと勘違いしているケースが多いようです。その人たちは、結 局は、たくさんの点で積み残しが発生しています。部活動等のアマチュア基準で演奏力を 評価されたり、他より優れた能力を持っていると思ってしまっている演奏者の場合は、特 に厄介です。そのような生徒の場合、初心者にもどって一からやり直さなければならない のです。 ⑤ 生徒の才能を見つける 音楽には、音程感、音色感、ハーモニー感、リズム感、テンポ感、叙情感、読譜力、暗譜 力、多岐にわたる各種身体能力、それらを複合的に機能させる力等、さまざまな能力が必 要です。それらの能力を総合的に使うことで演奏ができ上がります。教師は、その能力の 各生徒の得意、不得意を見つけ、それぞれの能力を伸ばしてあげることが役目です。 得意な能力は、演奏における個性として、学習者の自信となります。褒めて延ばすのは、 この分野です。不得意な能力は、劣等感にもつながりますので、焦らず、時間をかけて学 習することが大切です。この不得意な能力は、マイナスイメージを強く感じてしまうと、 恐怖心を持ったり、自信のない演奏となり、他の得意な能力をも邪魔します。生徒には不 得意と感じさせないことが大事です。不得意なことを早くできるようにするために、何百 回も練習する、出来るまで練習を続けるというような、結果を急ぐことは、得ではありま せん。難しい、出来ないと言うイメージを強く植え付けるだけの愚かな行為です。その結 果、本番で不得意部分を演奏する際には、今までに練習で重ねて来た失敗の回数分に比例 した悪いイメージが頭の中を支配し、失敗や自信のない演奏となることが多いようです。 最近は、フィギュアスケートの競技が注目されていますが、 「練習で失敗するジャンプを、 本番でトライしても成功した試しがない」と言うのと同じです。何百回練習したとか、出 来るまで根性で練習したということは、誠実で勤勉な日本人の美徳とされていますが、音 12 楽の世界では、出来ることを積み重ねていき、その土台の上に可能性があることを乗せて いくと言うことが、グローバルな方法論となっています。 ここで勘違いして欲しくないことは、楽曲の完成度をあげるために、また、暗譜等の必要 性において何百回、何千回、何万回練習することは、決して間違った練習法ではないとい うことです。間違えのないようご理解ください。 ⑥ 音楽教師は、最高の学習者であれ これは、どんな分野、何の世界でも共通ですが、音楽大学を卒業したから、コンクール等 で良い結果を得たから、その音楽家が完成されたということではないということです。常 に新しい技術や新しい解釈に貪欲であるべきです。もちろん、新しいことだけでなく、古 くからの技術や理論も含め、決して完成形のないパフォーマンス力を向上させることが、 音楽家として、そして、音楽教師として必要なことではないでしょうか。そして、習得し た高い音楽観を次世代へ正しく伝えていくことが、音楽家、音楽教師としての役目だと思 います。 b. 音楽学習者の心構え 2011年に亡くなったコンピューター・メーカー・アップル社の創業者=スティーブ・ジ ョブズ氏は、スタンフォード大学での卒業式のスピーチで、卒業生たちに”Stay Hungry, Stay Foolish”と言う言葉を贈っています。「貪欲であれ、愚直であれ」と言う意味だそうで すが、私は、50年近い音楽人生の中で、名人、名演奏家と言われる人たちから同じような ことを学びました。70歳、80歳になった今でも、「もっと上手になりたい」「少しでも 早く弾けるようになりたい」「もっとブレスを長く続けたい」「バッハの楽曲をもっと深く 理解したい」など、巨匠と言われる音楽家たちが、子供のような純粋さで努力する姿を目に してきました。 私は、同じような意味の、「Be innocent」と言う表現で生徒や学生たちに、その意識を持 つよう訴えています。Innocent(イノセント)は、日本語では「無邪気な、無知な、無害の」 などの意味の形容詞として訳されることが多いのですが、私は、アメリカ人がよく使う表現 の「無垢な」という意味で、この単語を使います。自身の音楽や演奏の評価においては、「完 成」や「満足」と言う言葉はあまり聞くことがありません。聴衆として感動する演奏に巡り 会うことは多々ありますが、どんな世界的な超一流の演奏家でも100%完成した、満足の 行く演奏ができたと自信を持って言える人は、あまりいないと思われます。また、自分の演 奏に満足して、自分が世界一だと思ってしまったらお仕舞であるように、音楽に完成はあり ません。 プロ野球の大打者と言われるバッターでも3回に1回しかヒットが打てなかったり、スラン プで全く打てないことがあるのと似ています。最大の練習・努力の上、最高の集中力で打席 やステージに立っても、100%と言うことはないのです。巨匠と言われるプロの演奏家こ そ、常にアマチュアのようなピュアな気持ちで、音楽に挑んでいます。ましてや,学習者で あれば、正に「Be Innocent」です。 13 人間にとって、知識を得るということは道を究めるためのものですが、もしかしたら、人は、 知識を得ることで進むべき道や世界を狭くしてはいないでしょうか?知識はその人の世界 を拡げるためのものですが、果てしなく広がる知識の草原の中の一部分を知っただけで、悟 ったような気持ちになり、世界を狭くしてはいないでしょうか?新しい知識を得ることで、 思考のフィールドが広がり、更に、その向こう側にある未知のものを知りたいと思うこと、 そのための知識であって欲しいものです。学習者に限らず、プロの演奏家も、常に「無垢な」 気持ちで音楽の学習に望むことが大事です。無垢の先に真実があります。早合点な偏った知 識は非常に危険です。 「1を聞いて 10 を知る」ということは素晴らしいことですが、この言葉は理解力を評価す る言葉でであって、物事を成就させるには「10 を知って1を究める」という言葉がふさわ しいと思います。 c. 大人の音楽学習法と楽しみ方 大人になって、初めて音楽をやってみようという人は、演奏を聴くことなら難しくありませ ん。人生の中で、音楽を楽しんだことがないと言う人はあまりいないと思います。今の義務 教育では芸術系の科目が軽く扱われているのは事実ですが、何の音楽体験もないまま成人す ると言うことも考えられません。過去の音楽体験や、耳に入ってくる音楽への興味が全くな かったという人は、そう多くはないはずです。 成人が音楽学習を始めて、絶対音感を身に付けることは難しいことですが、楽譜を読めるよ うになることは簡単なことです。楽譜を読むことで難しいことは、何もありません。「ドレ ミファソラシド」の順番を覚えるだけのことであれば、1 日でもできます。繰り返し練習す れば、楽譜や音符に対して反射的に反応できるようになります。ひとりで学習することが難 しければ、街にはたくさんの音楽教室もありますし、要領よく教えてくれる教師やカルチャ ースクール等のソサエティもあります。「自分は楽譜が読めないから」と、音楽の入口を自 ら閉ざしているのは、非常にモッタイナイことです。楽器や声楽等を学習する過程では、必 ず、楽譜を1から勉強します。教科書通りに学習していれば、熟年者にも、自然と読譜力は 身につくものです。カラオケの歌詞を覚えるよりも、当たり前で簡単なことです。 14 大人の音楽の楽しみ方のひとつとして、私が提案する音楽未経験者の体験プログラムについ てご紹介させていただきます。 ボレロプロジェクトについて(About Muse Bolero Project) 大人も子供も、音楽未経験者や楽器未経験者がオカリナや打楽器などの簡単な楽器通して、 「演奏を聴く」「楽器を学ぶ」「合奏する」「演奏会に出演する」と言う、1 日完結型のイベン トです。プロの演奏を鑑賞し、初めて持つ楽器を練習し、メロディやリズムの合奏を体験し、 聴衆を前にしたコンサートに出演し、プロの演奏家たちとの感動の芸術体験をするというも のです。さすがに楽譜をマスターするまでには達しないまでも、クラシック音楽などの名曲 をステージで発表するまでの音楽プロセスを体験し、完結します。このような音楽への入口 を提供するのも私たち音楽家の役割と思っています。これに似た様々な体験イベントは各地 で開催されていますので、ぜひ利用して、気軽に音楽に親しんでいただきたいと思います。 ボレロプロジェクトのホームページは。 http://www.muse-music.com/bolero.html 子育ての中の音楽教育(親としてのポジション) ここまで、音楽教師の立場、音楽学習者本人の学習方法、音楽の接し方・楽しみ方について 述べてきましたが、実際に音楽に直接関わりのない立場の親が、音楽を学習する子供のため にできること、するべき役割について、いくつかあげてみたいと思います。 ① リスペクトを教える まず、親が子供の音楽教育のために出来る最初の役割は、 「リスペクト」を教えることです。 つまり、尊敬できる良い教師を見つけることです。尊敬できる音楽教師とは、前出の「脳の 発達と音楽教育」を良く理解し、「音楽教育者のスキル」の項で述べたようなことを実践で きる先生のことです。尊敬と言うと、相当立派な人格者と言う印象がありますので、少し柔 らかく感じる「リスペクト」と言う言葉がふさわしいと思います。そして、親が、リスペク トする音楽教師である必要があります。 現代の教育環境で一番欠けていることは、教師だけでなく大人や他人へのリスペクトです。 公的な義務教育では、教師を選ぶことは難しいことですが、民間の教育システムでは、学習 者側が教育機関や教師を選ぶことができます。特に、音楽学習は1対1の個人レッスンが主 体となりますので、教師そのものを決めることもできます。親は、リスペクトできる教師を 探す努力を、惜しまずおこないましょう。 ② レッスンへの同伴について 音楽レッスンは、1対1の個人授業の形態で、レッスン場とレッスン時間は、学習の成果を あげるための密度の高い空間です。今、子供は何をやっていて、何が問題で、教師は何を与 えようとしているのかを、親は理解していることが望ましい姿です。それに、教師は、学校 15 のように、毎日の練習にまで目が行き届きません。たいていの場合、週1−2回のレッスン と週4−5日間の家庭での練習で音楽学習は成り立っています。レッスンで取り組んでいる 課題を、次のレッスンまでに、家庭学習で成果を上げなければなりません。 親は、時々でもレッスンを覗いてみる必要があります。そして、今、取り組んでいる内容を 知り、自分の子供には何が課題なのかを知ることが大事です。個人レッスンの時間は、生徒 の独占できる時間です。親も同席して、自由に発言や質問をすることさえできます。家庭で の指導やアドバイスをする必要はありません。課題を知っていて、見守るだけで良いのです。 子供は、レッスンを知っている誰かが、どこかで聴いていると思うだけで、緊張感と充実感 のある練習ができるはずです。 ③ 練習の習慣を身につける 毎日、自ら決めた時間に決まった量だけ音楽の練習をできる子供は、大勢はいないと思いま す。親は、音楽練習の時間を決めてやり、楽器の前に立たせるまでの導入をします。音楽の 練習を通して、規律のある生活、学習の習慣性を身につけましょう。小さな子供の集中力は、 そう長いものではありませんので、その子供に合った時間帯や練習量を決めてあげてくださ い。 まずは、毎日、何時に練習を始めるかを決めましょう。この習慣性を身に付ければ、他の一 般科目や興味のある事、スポーツの練習等にも多いに成果を発揮します。東京大学が日本の 最高学府と言う考え方には異論があると思いますが、東大生の50%以上がピアノ学習の経 験があるというデータがあります。幼児期より音楽の練習を積み重ねる習慣が、さまざまな 学習に役立っていることは確かだと思います。 ④ 家庭学習を見守る 音楽を学習している子供の親が、必ずしも音楽的な素養があるわけではありません。②の項 で述べたように、時々でも子供のレッスンに同伴し、子供の学習状況に興味を持つのはごく 当たり前のことだと思います。月謝を払っているからと、すべてを教師まかせでは良い成果 は上がりません。成果の前に、音楽と言う感性や心の学習へのアプローチとしては、あまり に寂しい親子の姿に見えます。音楽を理解するのに子供より劣っていたとしても、人生の先 輩、家族の教育担当者として、アドバイスをすることもできるはずです。音楽的なアドバイ スである必要はありません。 また、子供の精神状態や心の成長を見るには、最も分かりやすいのが音楽です。その日、そ の時の練習や演奏を聴くだけで、子供の精神状態は分かるものです。私が音楽家だからそう なのではないはずです。どんなレベルの音楽にも、その人の心や気持ちが表れるものです。 毎日でなくても、時々でも子供の練習を聴いていれば、音楽に現れる精神の変化は誰にでも 分かります。音楽は、言葉のいらない最良のコミュニケーション手段とも言えます。 ⑤ 始めたからには続ける 音楽の学習や楽器のレッスンは、3歳から5−6歳位に始めることが普通です。音楽の学習 は、親と教師の責任で、最低7〜8年は続けることをお勧めします。思春期以降は、学習者 16 が自主的に音楽を続けることも可能です。親の価値観や生活形態の変化、一時的な感情的な 理由で、音楽のスペースを閉ざしてしまわないでください。学習や練習を続けること、何ら かの形で音楽に触れていることで、技術的、音楽的な成果も継続して積み重なって行きます。 生徒の親御さんから、良くこんな言葉を聞きます。 「練習しないのならやめなさい」 「才能が ないようなのでやめます」「興味がなくなったのでやめます」等、3歳や5歳の時期に、音 楽を学習することを決めたのは親です。音楽の何たるかを、ある程度分かるまで続けさせる のは、親の責任です。違った言い方をすれば、音楽にしろ、他の習い事にしろ、スポーツに しろ、趣味にしろ、何か結果が出るまで続けるということは、何事にも通用する基本的な人 間力ではないでしょうか。 音楽を学び、それを、各々の形で身につけた人は、音楽学習の過程でそれなりの人間力を身につ けています。そして、音楽の持つ役割を理解し、自身の生き方や日々の生活に役立てられるもの と思います。 私のまわりの音楽家たちの人間力について述べるならば、表面的に決して力強い印象ではありま せんが、しっかりとした信念と個性を持ち、様々な困難を自力で乗り越える力を持っていると思 います。先人たちの残した芸術音楽と真摯に向き合い、深く掘り下げて完成をめざしたプロセス が、人間力を育んだのだと思います。そして、音楽家たちは、音楽の持つ「癒し」や「感動」を 人々に与え、「人間交流」の場でも大きな役割を果たしていると思います。 現代の、一見複雑に見える社会の仕組みや人間関係、そのなかで、音楽の役割は決して小さなも のではないと思います。 岡本 眞 福岡市生まれ。福岡県立筑紫丘高校、桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業後、米国ニューヨ ーク・ジュリアード音楽院へ留学。福岡女子短期大学音楽科・大分県立芸術文化短大音楽科で教鞭をと った後、現在、福岡ミューズ音楽院院長。 17
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