高齢者が担う社会運動の展開可能性に関する考察

高齢者が担う社会運動の展開可能性に関する考察
キーワード:高齢者運動,現代の社会運動,高齢者協同組合,顕在化要因,社会的地位
人間共生システム専攻
狩野 友里
1.はじめに
は、片桐(1994)の定義によると、「公的な状況の一部な
どの社会においても、周辺部に置かれ社会的弱者とな
いしは全体を変革しようとする非制度的な組織的活動」
りやすい層が存在する。その典型例は、女性や障害者、
を指す。1960 年代頃までの社会運動は、労働階級と資
少数民族、高齢者などである。これらの層は、その属性
本階級の間の闘争を中心としていたが、1970 年代以降
によって生み出される偏見や差別といった不利益に曝
には、階級闘争という枠組みでは捉えられない「新しい
されてきた。しかし同時に、不利益から生み出された不
社会運動」の登場が注目を集めた。
当感を基に、人々は社会運動という集合行為を用いてそ
1980 年代に入ると、社会学領域において社会運動の
の改善・解決を図ってきた。日本について考えると、女
停滞・衰退論が提示されるようになる。しかしそれ以降
性や障害者の間からは地位の解放や差別の撤廃を求め
の社会運動論を追ってみると、停滞の内実は運動の変化
る社会運動が活発な動きを見せた。その一方で高齢者か
にあると考えられる。この変化を踏まえて現代の社会運
らはこのような動きが見られなかった。
存在していた可
動を捉えると、以下のような特徴が挙げられる。
能性はあるが、少なくとも女性運動や障害者運動のよう
①属性に基づく社会的格差や、生活世界の植民地化を構
に社会的な認知を受けたものはないのである。
では、なぜ日本では高齢者による社会運動としての高
齢者運動が顕在化しなかったのであろうか。現在までの
研究を見ると、これに対して明確な回答を示せるものは
ない。社会運動論の主導的な立場にある社会学において
造的要因とするものが多いこと。
②アイデンティティの承認や意思決定への参加方式を
争点として運動が形成されること。
③短期的な達成目標の根底に、自己に関わる多様なレベ
ルの自律という共通した理念が見出せること。
も、女性運動や障害者運動の研究が進められてきた一方
④統一の運動体よりもネットワーキングを用いること。
で、高齢者運動に関する研究は殆ど見つけることができ
⑤公的な集合行為と、生活レベルにおける実践の両者が
ない。アメリカで生まれたエイジズムや高齢者のアドボ
サイクルを描く形で運動が展開されること。
カシーといった概念が日本でも注目を集めたにも関わ
らず、高齢者運動については未開拓な領域にとどまって
草の根レベルの行為
公領域の集合行為
きたと言えるのではないだろうか。そこで本研究では、
(1)システムの緊張
高齢者運動が日本で顕在化しなかった背景及び理由を
(2)不満の共有化
社会学的視点から解明することを目的として設定する。
(3)理念・変革意図の形成
更にそれを踏まえて最終的には、今後の日本における高
(4)運動組織の形成
齢者運動の展開可能性への考察を行う。
(1´) システムの緊張
文化モデルの創造
→ネットワーキング等
(7´)新たな価値・
(5)目標達成のための
2.現代の社会運動
高齢者の社会運動を考えていく上で、
まず社会運動と
はどのような概念であり、近年の社会学領域においてど
のように位置づけられているかを確かめる。社会運動と
(7)新たな価値・
社会過程
文化モデルの実験
(6)受容あるいは拒否
<8>場の誘発性
<9>促進要因
<10>抑制要因
図 1.現代の社会運動の過程モデル
図 1 は、これまでに提示されてきた運動総過程論を参
照しながら、現代の社会運動の運動展開過程を筆者がモ
たすという認識を共有し、高齢者の積極的な動員を図っ
たのである。
デル化したものである。これらの特徴は、欧米諸国の社
もう一方の特徴は、当時の高齢者運動が「仮目標」と
会運動論から導き出したものであるが、1990 年代以降の
「理念目標」を有していたことである。プラットによる
日本における社会運動についても基本的に共通している。 と、仮目標とは「短期的に達成可能な具体的目標」を指
更に日本に顕著な特徴としては、事業体と運動体の両側
し、
理念目標とは
「達成のためには長期的な闘いを要し、
面を含み、非営利組織(NPO)などの継続性をもった運
長期的取り組みによってのみ実現されるであろう広い目
動に変化してきていることが挙げられる。
標」を指す。そしてメディケア運動に対応させた場合に
は、医療ケアに対する不安の中で形成されたのが、前者
3.高齢者の担う社会運動
の仮目標にあたるとした。一方後者の理念目標にあたる
(1)アメリカにおける高齢者運動
のは、依存的で貧しい集団としてではなく、重要な社会
日本では顕在化していない高齢者運動であるが、アメ
貢献をする集団として高齢者の認識を再確立するという、
リカでは 1960 年代を中心に活発な動きを見せた。
そこで
アメリカ社会の規範や価値観の基本的な再建である。つ
アメリカの例について、①1960 年代前後の社会全体とし
まり理念目標とは、非物質的ニーズの不充足から生み出
ての動き、②全米で最大規模の高齢者の運動体と言われ
された目標として位置づけることができる。
る AARP の具体的な運動展開の二つの観点を用いて、社
<AARP の高齢者運動としての特徴>
会運動としての特徴を検討する。
AARP は校長職を退職したエセル・パーシー・アンド
<1960 年代の高齢者運動の展開>
ラス氏が、
退職者のための組織として 1958 年に設立した
プラット(1976)によると 1950 年代のアメリカでは、
ものである。現在では全米の 50 歳以上人口の 2 人に 1
シニアセンターを中心とした高齢者の組織化、労働組合
人を会員とする最大規模の高齢者組織に発展を遂げた。
における退職者組織の形成、高齢者の圧力団体の形成と
設立の最も大きな要因は、高齢者向けのグループ保険の
いう 3 つのルートによって高齢者の組織化が進められた。 提供であった。当時のアメリカでは、高齢者は保険上の
これが大きな動きとなって現れたのが、1960 年代初期か
リスクが大きいという理由から、一般の高齢者が加入で
らのメディケア運動であった。メディケアとは、高齢者
きるような民間の保険が存在していなかった。アンドラ
を対象とした公的医療保険制度であり、この法案の議会
ス氏は、グループ保険という形で保険会社に提案し、40
通過を求めて、高齢者自身が大規模な運動を展開した。
社以上と交渉を重ねた結果、一社との間で契約を実現し
医療関係の利益団体の強力な抵抗にも関わらず、1963 年
たのである。
に法案通過を達成したことにより、この運動は大きな注
目を集めたのである。
上記の保険を始めとして AARP では、高齢者の声を広
く集め、
既存のものでは対応できないニーズに対しては、
プラットは、アメリカの高齢者運動を概観して、2 点
組織自らが解決策を生み出してきた。その一方で、メデ
の特徴を指摘している。ひとつは、高齢者の間に存在し
ィケア運動への参加や、1960 年代を通じて雇用における
ていた不当意識が、運動を生み出す構造的要因となって
年齢差別の禁止を求める運動など、政策領域でも活発な
いた点である。この不当意識を生み出していた原因は、
活動を行ってきた。その手法も、専属のロビイストによ
大別すると 2 種に分けられる。ひとつは経済的支援や福
るロビイングに加え、会員が一斉に議員に電話をかけ要
祉、医療ケアといった物質的ニーズである。そしてもう
求や意見を伝えるなど、強い影響力を持つ。
ひとつが、社会的役割や価値、尊厳といった非物質的ニ
更に AARP では、独自のシンクタンクを持ち、全米の
ーズである。これらのニーズの不充足状態が高齢者の間
高齢者に関わる調査研究のデータを集め、政策提言及び
に不当意識を生み出し、それが集合化されたために大き
新しいプロジェクトやサービスの開発につなげている。
な社会的影響力を持ったのである。
(2)日本における高齢者運動-北海道高齢者協同組合
ただし、非物質的ニーズの不充足から生み出された不
現在までの日本を見る限り、アメリカのような顕在的
当意識は、運動の初期段階では高齢者自身にも十分に認
な高齢者運動は存在していない。しかし、顕在化はして
識されていなかった。それを意識化させ、運動につなげ
いないが、高齢者運動としての要素を持つ団体は生まれ
たのは、各運動組織のリーダーであった。当時の運動の
始めている。本研究では、そのような団体の運動展開に
リーダーは、高齢者自身の運動への参加が、物質的ニー
着目することにより、顕在化しにくい要因を探ることが
ズに加え非物質的ニーズの充足にとって重要な役割を果
できるのではないかと考えた。ここでとりあげるのは、
北海道高齢者協同組合(以下、北高齢協)である。高齢
その連合会が加盟している高齢社会 NGO 連携協議会の 2
者協同組合とは、
労働者の協同組合を母体として生まれ、
つが主となる。要求内容や必要度に応じて、ネットワー
高齢者が主体となれる社会を高齢者自身の手で創出する
クの使い分けを行っている。
ことを目指すものである。
「仕事」
「生きがい」
「福祉」を
活動の 3 つの柱としている。具体的な取り組みは各地域
4. 高齢者運動の顕在化要因
によって異なるが、本研究ではその中でも①組織目標に
(1)運動の顕在性を左右する要素
おいて高齢者が主体として生きる社会を目指すことを掲
上述したように北高齢協は、現代の社会運動としての
げ、②その目標達成の中心に高齢者自身の実践を位置づ
要素を持ち、全国レベルでの活動も行っている。では、
けたという点で、高齢者運動としての可能性が強いと判
何故高齢者運動として顕在化しにくいのだろうか。そこ
断した北高齢協を事例として選出した。そして、現地で
で、アメリカの事例との比較分析を行い、顕在化を左右
インタビュー調査を実施した結果、高齢者運動として以
する要素として、以下の 2 つを抽出した。
下のような特徴が明らかになった。
<公領域における集合行為の頻度>
<客体的地位への不満>
現代の社会運動の特徴のひとつとして、政策や公的機
北高齢協の設立を促したのは、多くの高齢者の間に存
関への要求・提言といった一時的な集合行為と、日常レ
在していた、生きがいや自立、尊厳の欠如から派生する
ベルでの実践を通じた解決策の実行の両者を含むことを
不満であった。それらの不満を形成していたのが、高齢
上記で指摘した。ここでは、前者を「公領域における集
者が何かの「客体」としての地位に置かれていることで
合行為」
、後者を「草の根レベルにおける実践」と表現す
ある。つまり北高齢協は、高齢者という属性に基づいて
る。AARP 及び北高齢協の運動展開は、いずれもこの両者
付与された社会的地位への不満を共有して高齢者が集合
を含む点で共通している。
化を図ったものとして捉えることができる。
<長期目標に基づく形成>
アメリカの例と違い、北高齢協は短期目標にあたるも
のが明確ではなく、理念目標の下に形成されたという様
相が強い。設立時には「自らの人生を主体的に生き抜く」
という目標を掲げており、高齢者が他者によって規定さ
れた生活を送るのではなく、自らが選択・決定して創り
出すという理念目標を基に形成されたことが窺える。
北高齢協
<運動と事業の複合体>
北高齢協は、
運動体と事業体の両方の側面を併せ持つ。
運動目標が、法制度の確立といったように短期で達成し
得るものではなく、日常レベルでの持続的な実践を通じ
図 2.北高齢教とAARP の運動の展開過程
※図の見方
対構成員
てしか目指し得ないものであるため、その実践を事業と
北高齢協では、介護保険の指定事業者として福祉サー
ビス提供を行う他、
公的な職業訓練講座を受託している。
する方向
解
決
策
の
実
行
レベルの
実践
公領域の
を強く持っていたのに対して、北高齢協は対等な関係に
<ネットワークによる運動展開>
啓
発
・
提
言
・
要
求
集合行為
旧来の社会運動が、対政府や対行政という敵対的な様相
立った上で提言を行っていくという姿勢が強い。
会員を動員
草の根
して行っているのである。
<行政との協働関係>
AARP
対社会
*縦軸は運動行為の方向を表し、横軸は運動行為
の方法を表す。
北高齢協は、日常の生活レベルでの実践を通じた運動
を常態としている。しかし、法制度の改革など公的な場
図 2 は、
北高齢協と AARP の運動展開を図式化したもの
での集合化の必要性が生じた場合には、全国的ネットワ
である。北高齢協は、草の根レベルでの実践を常態とし
ークを用いた運動も展開する。全国的ネットワークは、
て、必要に応じて公領域での集合化を図る。一方 AARP
高齢協の全国組織である高齢者生活協同組合連合会と、
は、草の根レベルの実践と公領域での集合行為がそれぞ
れ別のサイクルを描き、両輪のような形で運動が展開さ
要とする物質的ニーズの不充足が次第に生じ始めている
れている。公領域に関して述べると、毎年高齢者の声を
と考えられる。これは近年の日本社会が、構造的に高齢
集めて集約し、提言につなげている。このように公領域
者運動を顕在化させる可能性を高めていることを示すも
における集合行為の頻度の高さが、AARP の運動としての
のではないだろうか。
顕在性を高めていると考えられる。
<行政に対する要求形式>
では今後の日本における高齢者運動はどのような展開
を見せるのか。
その方向性として以下の点が指摘できる。
次に、公領域において用いる要求形式に着目してみる
①通常は草の根レベルの実践を行う各地域の高齢者団体
と、北高齢協は行政との対等な立場での提言を基本とす
が、既存のネットワークを活用して公領域の集合行為
る。一方 AARP は、要求や抗議といった直接行動が多い。
を行う。
これは数が影響力に反映されるため、より多くの人を引
②既存の高齢者団体を支えている他世代を排除するので
き込んで運動が展開される。これにより、顕在性が高め
はなく、高齢者の自律性を重視した上での世代間の協
られるのである。
働によって展開される。
(2)構造的要因
ただし以上の結論は、北高齢協の一事例から導き出した
以上で挙げた 2 つの要素は、運動展開における手法の
という点で、限定的な仮説に留まる。この仮説を基に複
違いに過ぎないとも言える。そこで次に、それらの要素
数の高齢者運動の事例を用いて比較検討をする中で、よ
を規定する構造的な要因について考察を行った。そして
り普遍的なものとしていくことが今後の課題である。
北高齢協の AARP の運動の構造的な違いが、
両方の社会の
中で高齢者の置かれた社会的地位にあると考えた。先述
主要参考文献
したように、アメリカの場合、高齢者運動を生み出した
アルベルト・メルッチ,1997,
『現代に生きる遊牧民−新
構造的要因は、物質的ニーズ及び非物質的ニーズの不充
しい公共空間の創出に向けて−』
(山之内靖・貴堂嘉
足の両方であった。端的に言うとこれは、アメリカの高
之・宮崎かすみ訳)
,岩波書店
齢者が経済的にも周辺的な地位に置かれていたことを意
味する。このような物質的ニーズは、法制度の確立によ
社会運動研究会編,1999,
『社会運動研究の新動向』
,成
文堂,
る充足が最も望ましく、運動も必然的に政策領域に重点
朴容寛,2003,
『ネットワーク組織論』
,ミネルヴァ書房
が置かれる。
Enrique Larana,Hank Johnston,and Joseph R.Gusfield,1994,
一方日本の場合を考えると、高齢者は非物質的なニー
ズの不充足による不満は生まれる反面、経済面や法制度
といった物質面では比較的充足されてきた。そのため、
運動の重点は、非物質的ニーズの充足に置かれることに
New
Social
Movements
From
Ideology
to
Identity ,Temple Univwrsity Press
Henry J.Pratt,1976,
The Gray Lobby,The University of
Chicago Press
なる。この非物質的ニーズとは、高齢者の社会的役割や
伊藤るり,1993,
「<新しい社会運動>論の諸相と運動の
価値、一言で言えば高齢者のアイデンティティの承認を
現在」
,
『社会科学の方法 第Ⅷ巻 システムと生活
意味する。その充足にとっては、法制度の確立はあまり
世界』
,岩波書店
意義を持たず、高齢者自らがその役割を表明し、新たな
価値を創出していくことが求められる。つまり、草の根
レベルの実践が重要な意義を持つのである。
以上のことから、運動の顕在性を左右する要素とは、
高齢者の置かれた社会的地位という構造的要因によって
規定されるという結論を導くことができる。
梶田孝道,1988,
『テクノクラシーと社会運動』
,東京大
学出版会
川口清史・富沢賢治編,1999,
『福祉社会と非営利・協同
セクター −ヨーロッパの挑戦と日本の課題−』
,
日
本経済評論社.
中西正司・上野千鶴子,2003,
『当事者主権』
,岩波書店
塩原勉,1976,
『組織と運動の理論』
,新曜社
5.日本における高齢者運動の展開可能性
近年の日本の状況に目を向けると、年金の受給開始年
齢の引き上げが開始され、年金受給額の抑制や高齢者医
療費の自己負担割合の増加といった政策が検討されてい
る。つまり、アメリカの高齢者と同様に、近年の日本の
高齢者を取り巻く状況にも、政策領域での集合行為を必
杉山光信,2000,
『アラン・トゥーレーヌ−現代社会のゆ
くえと新しい社会運動』東信堂
高田明彦,1985,
「草の根運動の現代的位相」
,
『思想』
,
岩波書店,pp.176-199.
矢澤修次郎編,2003,
『講座社会学 15 社会運動』
,東京
大学出版会.