断片化された場所と開かれた社会 フェリックス・シュタルダー 起こった、マイクロ・プロセッサーの発展にある。情報のフローを創出し処理できる技 ころとしているために、信頼を築き連絡を容易にするためには、はっきりとした内なる文 術を社会的制度の中に組み入れるための推進力と牽引力が作り出されたのである。 化を打ち立てる必要があるのである。企業の合併がしばしば失敗するのは、経営者 徴である妥協のエンドレス・ゲームにおける準拠枠として機能した。しかしこの共同体 性は、徐々に空間的断片へと侵食されている。国家が市民の生活から撤退し、自分 フローの空間は大規模に拡張した。この過程で、これらの制度が作用する物理的環 がすでに存在する二つの文化を超えた新しい「企業文化」を作り出すことができない でやりくりさせていることが、この侵食を推し進めている。かくして人々は――あるとき 境もまた、 フローの空間の論理によって再編されていった。この論理の基調となるの ためのように思われる。この過程を通じて、ネットワーク間での文化の差異化が進行 は自発的に、あるときは強いられて――新たなコミュニティへと移住し、自由民主主義 は、それが場所をもたないこと――その物理的構成要素は、 まだ明らかに場所に基づ する。これは統合あるいは「コミュニティ」や「チーム」の創出のプロセスとして、ネット の根幹である妥協と合意に対してしだいに無責任になっていく。 いているとしても――である。データ・センターでさえどこかに場所を占めている。それ ワークの内側から現われてく るものである。ネットワーク行為者の誰もが逃れることの ア ク タ ー これが今日のわれわれが立っている場所だ。民主主義というものが、世界的に政 人間は同時に三つの環境の中を生きている。生物的環境、人工環境、情報環境で を操作する人々もまたどこかに自分の家がある。つまり、主要な金融センターがいまだ できない物理的空間という点から見ると、これは社会的行為者が互いに分断され、 し 治の唯一の正当なかたちとして定着したまさにそのとき、その実際の制度は深い危機 ある。分析的に見ればこれらを区別することができるが、実際上は分けることができな にニューヨークやロンドン、東京といったところにあるのは偶然ではないが、世界的金 だいに孤立化するプロセス――同じ物理的空間をシェアしているかもしれないにもか に直面している。この危機への対処として解される二つの潮流がある。一つは、権威 い。われわれの家の建て方は、文化によるだけでなく身体によっても規定されている。 融市場の力学を、これらの場所と結びつけて説明することはできないのである。同じ かわらず――として現われる。このプロセスはかなり進行しており、分離されたグルー 主義の再出現である。それは妥協や合意を排除し、代わりにセキュリティを持ち出し これら三つの環境の関連性は流動的で、そのときどきで違ったかたちに反映しあった 論理は、例えば服飾品の生産にも導入されている。北イタリアでデザインされ、スリラ プだけでなく、強く連結されたグループにもあてはまる。実際この二つのグループはよ てその権力を正当化する。それは断片化された空間にまたがって作用するのだが、 さ り影響しあったりしている。今日の混乱した状況の多くは、これら三つの環境の再編 ンカで製造され、ニューヨークで市場に出る。ローカルに経営され、 グローバルにコン く似ている。 いろいろな点で、人々は以前に比べて「より連結され」 コ ネクト ているわけではない。 らに言えば、特定の場所の統治のために規則を選択的に変更する能力が、この新し という点から理解することができる。それは、情報技術がどこにでもつながるインターネ トロールされるフランチャイズの店を通じて世界中で販売されるのである。ここに生ま むしろ権威的なプロセスの特徴であったコネクションが(カウンターカルチャーの中で いかたちの権力の中心的テクニックである。その最も極端なケースは、キューバのグ れているのは、 きわめてダイナミックで変動が激しく、 もはや物理的な近接性に基づく さえ)、 フローの空間の中でしだいに作り出され、維持されている。 トランスローカルな アンタナモ湾に作られた無法地帯である。しかしもっと日常的にも、市民的自由が―― き起こされたものだ。以下の論考では、 このプロセスによって物理的空間がいかに影 のではなく、人や建物までをも含む機能ユニットの論理的な組み込みに基づいた、 フ コネクションを作り出すこの能力のもう一つの側面は、場所の空間の中で作り出され 例えば学校の周りでの飲酒、集会、 あるいは単にその「恐れ」があることについて―― 響を受けているのかについて、そしてそのことが開かれた政治システムとしての社会 ローの空間を通じた新しい社会地理学なのである。さまざまなユニットの物理的な所 るそうしたコネクションが弱められるということである。他者が物理的に現前しているか 制限される特別な行政地帯が、世界中の都市で増殖している。どこにでも出現しうる の未来に突きつける課題について考察する。 在は、いろいろなネットワークに埋め込まれたプログラムに対してそれぞれの場所がど らといってつきあう必要はない。むしろ、場所(と人々)は回避することができ、フロー これらの地帯の中では、例外的な状態が恒久化する。この傾向は、権力の行使にお 時間と空間は人間の活動にとっての根本的次元である。歴史の発展は社会の加 れほど貢献できるかによって決定される。事業全体から見れば、要求されるサービスを の空間を通じたそれらの活動という点からすれば、見えないものとされる。この新しい いて断片化を進めることによって、社会の開かれを深刻に弱体化させる。もう一つの、 速と拡大(減速と縮小の時代をはさんでの) として読み取ることもできる。われわれは 工場が競争力をもって提供できる限り、その製造地が中国なのか、スリランカなのか、 排除の形態はすべての領域にあてはまるが、特定の近隣にもまたあてはまる。あらゆ より希望がもてるが困難な民主主義の実践の危機への対処は、ローカルなものの再 少ない時間でより多くの空間を管理することを長いあいだに学んだ。この「時間 = 空 ブルガリアかといったことは、問題とされないのである。要するに、機能的距離と物理 るスケールで機能しているのである。 創出である――領土的、文化的な統一という視点からではなく、差異が乗り越えられ 間圧縮」を可能にするのに大きな役割を果たしたのは技術であった。 17世紀以来 、 的距離との関連が崩れているということだ。しかしこれは距離の終焉ではない。非線 都市において、 これはグローバルな均質化とローカルな多様化という二重のプロセ るような地盤としての。そこで必要とされているものは、特定のネットワークの内部で 流通するだけでなく、あらゆるネットワークを横断できるような文化的コードである。基 キ ヤ パ ッ トへと拡張することで、われわれの文化の容量が果てしなく膨張したことによって引 メトロポリス 都市は大都市へと成長し、世界経済が誕生し、全地球は相互に連結された。これに 形なパターンへ再構成されているということなのである。 スを通じて現われる。マクドナルドは地球上のあらゆる街にあると言ってよい。しかし、 大きく関わったのが通信と輸送の発達であり、 もう一つが会計学の発達である。だが このように、ある内部の領域が存在する。例えばソフィアでは、その発展の軌跡は、 その隣に何の店ができるかを予言することはしだいに不可能になってきている。地上 本的人権のリニューアルは、文化的表現の幅を縮小するのではなく拡張するために 重大な意味をもつこの発展も、空間の基本的な定義や特徴にまで触れるものではな ブルガリア全体の発展と一致していない。振興する経済の中の他の自由貿易地域 には多くのグローバルとローカルがまるでランダムに混じりあっている。その結果とし フローの空間を活用することによって、場所の空間における民主主義を再創出する、 かった。 マニュエル ・ カステルに倣えば、 時間共有の物質的基盤として空間を定義す によって決定されているのだ。実際、自由貿易地域の思想はまさに、ある場所がその てあるのは、密集地帯にごたまぜにされた文化とその物理的表現である一種のパッ このプロジェクトの第一歩となるものなのかもしれない。 [訳=白井雅人] ることができる。リアルタイムに触れあうためには、人は同一の空間上にいなければな 地理的環境から分断されていることを示している。その「ホスト国」とは異なった規則 チワーク、そして高速交通ネットワークによって結びつけられた不規則に広がる大都 らないわけだが、それはつねに一つの場所のことを意味していた。そのとき空間は、あ のセットによって、法的拘束力をもって統治されるのである。このことは本来まったく 市圏である。これらの地域はほとんどの場合、あまり計画性なく現われるか、 まったくそ る一つの場所の隣に次の場所があるというように、場所の連続として考えられていた。 新しいものというわけではない。船積み港は、貿易や商業を活性化させるため、つね れがないこともある(ロンドンやパリやアムステルダムを含む、 どの方向にも数時間内 実際、時間 = 空間圧縮とは場所と場所のあいだの相対距離の縮小を意味している にある種の免税措置という自由を謳歌してきた。しかし慣習的にこれらの脱領土地域 で横切ることのできる地域のことをどのように呼ぶべきか)。これらのパッチの上で生 のだが、その関係は、相互作用における時間のずれとして表わされる距離によって特 は領土の境界に位置しており、それらの地域間での移動を容易にしていた。今日これ 活し、そのあいだを移動する人々――分離されたものも連結されたものも――は、 きわ 徴づけられるという点には変わりがなかった。時間と空間をより広範に、すばやく、確 らの地域は領土中に点在し、国家の統治と領土的全体性を大いに弱体化させている。 めて自然に固有の文化を築いており、それがしだいに全体としての地理的な場所と 実に飛び越えることが可能になっても、より近い存在とはより早く相互作用すること これが1990年代初頭以来 の、商業主導のグローバリゼーションの結果である。くだ の関係をもつことなく、 この新しい断片化された現実に対応することを可能にしている。 Manuel DeLanda, A Thousand Years of Nonlinear History, New York: Swerve, 1997. ができ、距離に比例して時間差も大きくなるという前提は基本的に変わらなかったの って現在を見てみよう。リアルタイムにトランスローカルに事業を行なう能力は、 きわめ したがってこの新しい「コミュニティ」あるいはネットワーク中心の文化の焦点は、外 Michael Hardt and Antonio Negri, Multitude: War and Democracy in the Age of Empire, New York: である。1980年代 のあるとき、これが変わった。加速の量的発展がその限界に達し て不均衡にだが、社会全体を通じて広められた。小企業、犯罪組織、社会運動、そし 的なコミュニケーションではなく内的なコミュニケーションにある。コミュニティの形成 たのだ。しかしそれは、ポストモダニストたちが「最終状態」として予言したような空間 て個々の人々でさえも、比較的容易にグローバルなネットワークを作ることができる。 ア ク タ ー こうして、 これらのネットワーク内の社会的行為者がよりどころとするような場所はしだ は――「コミュニティ」が事実上つねにポジティヴな意味をもつ数少ない概念の一つ である限りにおいて――手段であるよりは一つの目的となる。 Harold A. Innis, Empire and Communications, Oxford: Clarendon Press, 1950. いにそのローカルな環境から切り離され、人や商品、金、文化のトランスローカルなフ この状況は、権力をもつものが民衆に対するその行為に責任をもち、すべての人の Marshall McLuhan and Eric McLuhan, Laws of Media: The New Science, Toronto: University of Toronto まったく新しい種類の空間の出現である。 ローに影響されるようになる。このようなネットワークはきわめて特殊なものである。まず、 基本的人権が尊重されるような政治的システムとして明瞭に理解される「開かれた フローの空間のコンセプトは、即時的な電子情報のフローに基づく時間共有のた それらは変化する要求やみずから選択した目的の求めに、その構成員をたやすく順応 社会」のプロジェクトに対して、大きな課題を突きつける。歴史的に、開かれた社会の めの新しい物質的基盤の出現を示している。それは19世紀中ごろの電信に始まり、 させることができる。それらのネットワークはみずからの共有文化に適合する人々と協 タイム・シエアリング の消滅ではなかった。われわれが目にしているのは、 この歴史的不連続についての最 ・・・・・・ 初の、 だが最も洞察的な分析者カステルによって、 フローの空間と正しく名づけられた、 [邦訳=グレゴリー・ベ イトソン『精神の生態学』佐藤良明訳、思索社、1990年 ] Manuel Castells, The Information Age: Economy, Society and Culture vol. I: The Rise of the Network Society, second edition, Oxford: Blackwell, 2000. ための制度的な基盤とは、自由民主主義であった。これは一つの領土に住む人々は 同すればよいことになる。第二に、文化的特殊性が、選択肢の一つではなく、ネットワ ある種の価値、 あるいは少なくともある種の経験を共有するという仮定に立脚している。 機から逃れるために資本主義企業がみずから行なったリストラクチャリングと並行して この共同体性は、統治体を結びつける膠である。それは開かれた政治プロセスの特 066 068 067 David Harvey, The Condition of Postmodernity: An Inquiry into the Origins of Cultural Change, Oxford, UK: Blackwell Publishers, 1989. [邦訳=デヴィッド・ハーヴェイ『ポストモダニティの条件』吉原直樹監訳、青木 書店、1999年 ] ークされた組織にとっての機能的要求となる。指揮統制ではなく、順応と協同をよりど 065 Giorgio Agamben, State of Exception, trans: Kevin Attell, Chicago: University of Chicago Press, 2005. Gregory Bateson, Steps to an Ecology of Mind, New York: Ballantine Books, 1972. Penguin Press, 2004. 長い時間をかけて形成されてきた。しかしその真の基礎は1970年代 、深刻な経済危 064 参考文献 069 Press, 1988. [邦訳=マーシャル・マクルーハン+エリック・マクルーハン『メディアの法則』中澤豊訳、NTT 出版、 2002年 ] Paul Virilio, “Speed and Information: Cyberspace Alarm!,” CTheory, August 27, 1995. John E. Wills Jr., 1688: A Global History, New York: W. W. Norton, 2001. [邦訳=ジョン・ウィルズ『1688年 ――バロックの世界史像』片柳佐智子他訳、原書房、2004年 ] 謝辞 本テキストの執筆にあたっては、 クリスチャン・ヒュブラーならびにアルミン・メドッシュの意見を参考にした。 070 071
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