エリシャの最後 旧約単篇 列王記の福音 エリシャの最後 列王記 11~13 章(朗読 13:20-21) 預言者エリシャにまつわる列王記の記事は、前回にも触れましたように、 桁外れの奇跡物語に満ちています。私たちが取り上げた物語……シリアの将 軍ナアマンの重い皮膚病を「ヨルダンの水に七度身を沈めよ」と命じて清め てしまった有名な故事のほかにも、4 章には急死した少年を、自分の体で蔽 うようにして暖めながら主に祈って生かしてしまう有名な話があります。こ の人の中に神の命の力が宿って恐るべきエネルギーを発散していた。あれは 驚異の人と言う外なかった……というショッキング・ストーリーとしてこれ が残された訳です。この 13 章 21 節の挿話などは、その恐るべき力がエリシ ャの死後もなおその骨に残っていて、触れた死人を立たせた! ということで すが、我々が見て「これは迷信一歩手前ではないのか……」とショックを受 ける位の物凄さです。もちろんその立ち上がって息を吹き返した男というの は、間もなく死んだか、かなり長生きして死んだかは別として、結局また死 んだのですから、まあ現在陛下が注射で命を保っておられるのと次元的には そう変わらないでしょうが……。記事の中心点はやはりあのエリヤの後の何 十年かの間、エリシャという器の中から生ける神の力が、とめども無く涌き 出ていたという証なんですね。 列王記のなかではエリヤ=エリシャというコンビのリレーは、まるで一人 の人の事業のようにつながっていて、エリヤが預言してし残したことを、エ リシャが仕上げをしたり、最後の確認をしたりしてから去るのです。その事 業は、さかのぼって見ると、列王記上の 19 章あたりで始まったと言えますか。 ホレブの洞穴の外でエリヤはあの「静かにささやく声」を聞いて、この後の 世界歴史を動かす三人の人に油を注げと命じられます。ダマスコのハザエル、 ニムシの子イエフ、シャファトの子エリシャ。 -1- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 でもエリヤが存命中にできたのは、後継者になるエリシャに油を注いだだ けですね。ダマスコのハザエルに主の意志を伝えることになるのは次のエリ シャです。実際に油を注ぐシーンはありませんけれど、カッと目を見開いて ハザエルを見詰めながら、エリシャが泣いたという印象的な場を前回に読み ました。それに 9 章でイエフに油を注いでイスラエルの王に立てるのも、エ リヤじゃなくエリシャ、しかも代理の若者を使ってです。思うにこの時すで にエリシャ自身、体力が衰えていたか、病気が始まっていたものか。とにか く、こうして立てられたイエフが、アハブの家を最終的に根絶やしにする役 割を果たします。ホレブの洞穴の外で始まったものがやっと終わるのですね。 これはエリヤ=エリシャという、二人で一人の人間がさせられていると見ま しょうか。 アハブとイゼベルの血統が絶やされるのは、二人がイスラエルにバアルの 宗教を持ち込んで国中を、今で言うとセックス企業のマーケットにした罪を 問われたものです。神殿で娼婦と交わるのが聖なる祭りであるような宗教。 それを導入して、イスラエルの信仰と倫理の根本を崩してしまったのがアハ ブ王とイゼベル王妃です。このイゼベルはシドン王の娘でしたから、元々嫁 入り道具と一緒にバアルとアシェラを持ち込んだのでしょう。アハブはそれ に抵抗できなかった。これは永遠の悲劇、信仰者の悲劇です。神についての 考え方、人生の価値や目的に関する基本姿勢が全くちがうものを、生ける神 への信仰と両立させようとした。 このバアル礼拝が単に、拝む神が違うとか、儀式の仕方がいかがわしいと 言うだけでなく、人間の品性や目的まで破壊してしまうという話が、ナボト のぶどう畑の事件です。正義を曲げてまで欲しいと思った土地を手に入れる。 そのためには最も汚いデッチ上げの裁判をやらせて、無実の人を処刑してし まう。エリヤ=エリシャ・チームの事業はその粛正にもかかわります。「犬 の群れがナボトの血をなめたその場所で、あなたの血を犬の群れがなめるこ とになる。……イゼベルはイズレエルの城壁の中で犬の群れの餌食になる。」 -2- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 それを宣告したのはエリヤですが、それを確認することになるのは、エリヤ から外套を着せられ、油を注がれたエリシャです。私たちは前回までのとこ ろで、アハブ、イゼベルと相次いで非業の最期を遂げたのち、イスラエルに 残っていたアハブの血筋の者たちが一人残らずイエフの手で絶やされて、バ アルの神殿が破壊される所まで読んだ訳です。石柱まで運び出して火で焼い た。神殿を破壊した跡は便所にした。 こうしてアハブの罪は、サマリアの北王国に関するかぎり、裁きは完結し て、アラムのハザエルの台頭でイスラエル王国は衰退の一途をたどるという 10 章 32 節以下で閉じられるのですが、今日の箇所は舞台はエルサレム、南 のユダ王国にまで残ったイゼベルの宗教が粛正される場面になります。この アタルヤという皇太后、実はアハブとイゼベルの娘で、サマリアのイスラエ ル王国からエルサレムのユダ王国へ嫁入りして来ていたのです。ソロモンの 後で一度分裂した南北両王国がアハズヤとヨラムの時に一緒になってアラム 人と戦ったりしているのは、共通の敵を持ったからだけじゃなく、叔父=甥 の関係でもあったからでした。そのアハズヤの母アタルヤが、母親のイゼベ ルの家から持ち込んだバアルの宗教が、サマリアからエルサレムに輸入され ていたのです。皇太后アタルヤは親類のライバルを全部暗殺して権力を握る のですけれど、一人だけ殺しそこねた王子を擁立する祭司ヨヤダのクーデタ ーで倒される第 11 場、いや 11 章です。 1.アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのを見て、直ちに王族をすべて滅 ぼそうとした。 2.しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバ が、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中から ひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。人々はヨアシュ をアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。 3.こうして、アタルヤが 国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。 4.七年目に、ヨヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵からなる百人隊の長 たちを神殿にいる自分のところに連れて来させ、彼らと契約を結んだ。彼は -3- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 主の神殿の中で彼らに誓いを立てさせ、王子を見せて、 5 こう命じた。…… 前王の異母弟ヨアシュを戴いて、大義名文もある訳です。 9.百人隊の長たちは、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い、おのおの安 息日が出番に当たる部下と非番に当たる部下を引き連れ、祭司ヨヤダのもと に来た。 10.祭司は主の神殿に納められているダビデ王の槍と小盾を百人隊 の長たちに渡した。 11.近衛兵たちはおのおの武器を手にして、祭壇と神殿 を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めた。 12.そこでヨヤダ が王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡した。人々はこの王子 を王とし、油を注ぎ、拍手して、「王万歳」と叫んだ。 13.アタルヤは近衛兵と民の声を聞き、主の神殿の民のところに行った。14. 彼女が見ると、慣例どおり柱の傍らに王が立ち、その傍らには将軍たちと吹 奏隊が立ち並び、また国の民は皆喜び祝い、ラッパを吹き鳴らしていた。ア タルヤは衣を裂いて、「謀反、謀反」と叫んだ。 15.祭司ヨヤダは、軍を指 揮する百人隊の長たちに、「彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行 こうとする者は剣にかけて殺せ」と命じた。祭司が、「彼女を主の神殿で殺 してはならない」と言ったからである。 16.彼らはアタルヤを捕らえ、馬の 出入り口を通って王宮に連れて行った。彼女はそこで殺された。 17.ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間で も契約を結んだ。 18.国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に 破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。 祭司ヨヤダは主の神殿の監督を定め、 19.更に百人隊の長、カリ人、近衛兵 および国の民全員を率いて、王を主の神殿から連れ下り、近衛兵の門を通っ て王宮に導き、王座につけた。 20.こうして、国の民は皆喜び祝った。アタ ルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。 12 章 1.ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。 2.イエフの治世第七年 にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名を -4- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 ツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。 3.ヨアシュは、祭司ヨヤ ダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った。4. ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠 り、香をたいた。 こうして、かつてエリヤの口から語られたアハブの家への呪いはエルサレ ムにまで及んで、ことごとく事実になりますが、それでもなお一箇所だけ憎 むべき礼拝所は残って、高台の参詣者は絶えなかったらしいですね。一方ヨ アシュはイゼベルの血を聖なる都から粛正する事業に器として用いられただ けではなく、神殿の修復と改革まで行ったのですけれど、それがかえって祭 司たちの反感を買ったのか……。更に不幸なことに、12 章 18 節以下で神殿 の宝物を侵入者ハザエルに献上したことから、家臣たちの信望も失って、こ れもクーデターの犠牲になって倒れます。結局アラムのハザエルを迎え撃つ 自信も備えも無かったから、主の宮の金まで供出してエルサレムの安全の代 価にする外なかったのでしょうが、このヨアシュ失脚の間接的原因になって いるのが、あのエリシャが泣いて睨みつけながら王にしたダマスコのハザエ ルだったのです。とすると、今から読む 12 章 18 節から 13 章の初めまでの歴 史もエリシャが一枚噛んでいると言いますか、エリヤ=エリシャを通して主 が書かれた台本どおり、皮肉にも動いている訳です。ホレブでエリヤが油を 注げと命じられた三人の人物のドラマは、こうしてついにフィナーレになり ます。 18.そのころ、アラムの王ハザエルが上って来てガトを攻略し、更にエルサ レムに向かって攻め上って来た。 19.ユダの王ヨアシュは、先祖であるユダ の王ヨシャファト、ヨラム、アハズヤが聖別したすべての聖なる物、自分自 身が聖別した物、および主の神殿の宝物庫と王宮にあるすべての金を取り出 し、アラムの王ハザエルに送ったので、ハザエルはエルサレムを離れて行っ た。 20.ヨアシュの他の事績、彼の行ったすべての事は、『ユダの王の歴代誌』 -5- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 に記されている。 21.その家臣たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下 って行くヨアシュをベト・ミロで打ち殺した。 22.彼を殺したのは、家臣の シムアトの子ヨザバドとショメルの子ヨザバドであった。彼は死んで、ダビ デの町に先祖と共に葬られた。その子アマツヤがヨアシュに代わって王とな った。 13 章 1.ユダの王、アハズヤの子ヨアシュの治世第二十三年に、イエフの子ヨア ハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間王位にあった。 2.彼は主 の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブ アムの罪に従って歩み、それを離れなかった。 3.主はイスラエルに対して怒 りを燃やし、彼らを絶えずアラムの王ハザエルの手とハザエルの子ベン・ハ ダドの手にお渡しになった。 最後は預言者エリシャの死。これは、エリヤ=エリシャという超人的なチ ームの終わり……「二人で一人」だった神の人の生涯の締めくくりであると も言えます。ここではアラム王ハザエルもその役割を演じ終えて、舞台から 去ります。列王記のエリヤ物語は、ここでやっとエンドマークが出るのです ね。 14.エリシャが死の病を患っていたときのことである。イスラエルの王ヨア シュが下って来て訪れ、彼の面前で、「わが父よ、わが父よ、イスラエルの 戦車よ、その騎兵よ」と泣いた。 15.エリシャが王に、「弓と矢を取りなさ い」と言うので、王は弓と矢を取った。 16.エリシャがイスラエルの王に、 「弓を手にしなさい」と言うので、彼が弓を手にすると、エリシャは自分の 手を王の手の上にのせて、 17.「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開 けると、エリシャは言った。「矢を射なさい。」王が矢を射ると、エリシャ は言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクで アラムを撃ち、滅ぼし尽くす。」 18.またエリシャは、「矢を持って来なさ い」と言った。王が持って来ると、エリシャはイスラエルの王に、「地面を -6- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 射なさい」と言った。王は三度地を射てやめた。 19.神の人は怒って王に言 った。「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃っ て、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破 ることができない。」 20 エリシャは死んで葬られた。その後、モアブの部隊が毎年この地に侵入 して来た。21.人々がある人を葬ろうとしていたとき、その部隊を見たので、 彼をエリシャの墓に投げ込んで立ち去った。その人はエリシャの骨に触れる と生き返り、自分の足で立ち上がった。 22.アラムの王ハザエルはヨアハズの生きている間、絶えずイスラエルに圧 迫を加えた。 23.しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約の ゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今 に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった。 24.アラムの王ハザエ ルは死んで、その子ベン・ハダドが代わって王となった。 25.ヨアハズの子 ヨアシュは、父ヨアハズの手から奪い取られた町々を、ハザエルの子ベン・ ハダドの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を撃ち破り、イスラエルの町々 を取り返した。 一言だけ感想を述べて結びます。エリシャの最後についてです。エリヤが 初めて、エリシャが仕上げをした。いやエリシャは最後まで見届けて確認し たと申しました。聖なる神の事業をです。神の事業は必ず成る。それを見た のですね。彼の先輩は不幸にして見せていただけなかったが、後輩の彼がな ぜか結末まで見せていただくことになりました。国中を堕落腐敗させたイゼ ベルの宗教アハブ王の暴虐も、全部主がおっしゃった通りの結果に終わりま した。その憂うべき影響と連鎖反応は、隣の国のエルサレムまで含めて全部 取り除かれて、清められました。 先輩からの神聖な引き継ぎ事項で、ダマスコのハザエルに油を注いでアラ ムの王にしたとき、それにニムシの子イエフに戴冠させた時はどうでしょう。 主なる神はどうしてこんなことをさせなさるのか? 特にハザエルの時など、 -7- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 瞬きもせずにただ呆然とハザエルを見詰めて滂沱と涙したと言うのですが… …。イスラエルの若者たちの血を流すことになるこの人に、なぜ自分が油を 注いで祝福しなければならないのか? その彼の疑問は完全には解けなかっ たにしても、目の前で起こって行く歴史の一駒一駒の中に「主よ、そうだっ たのですか!」という謎解きも見たのです。国の不幸と同族の悲しみと、自 分に負わされた苦い不可解な使命と……。それが何であったかもあらかた見 て、主の計画とお心を垣間見て、満足して目をつぶるのです。20 節の「エリ シャは死んで葬られた」の後に私は、エリヤ先輩の所に行ったら、報告する 事は一杯あったんだろうなァ、と思いました。 私はエリシャなんかとは比べることもできない平凡な信徒ですが、時々、 自分もエリシャと同じように、主のお心の秘密を一部見せて頂いたんだなァ と感じて、生きていて良かった。信仰を続けてここまで来て良かったと思う ことがあります。「主よ、なぜですか!」と苦しさのあまり叫んだ謎の、答 えを示されて感謝することも何度かありました。 思えばわが若き日に、学生時代です、私はコヘレトの言葉をそのままに主 を仰ぎました。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」です(コ ヘレト 12:1)。日本のキリスト教の悲しさ。仲間の多くは聖書をほんの少 しかじっただけで去りました。「キリスト教というものは、せいぜい、これ だけのものだ」と考えてそれ以上求道の道を進まなかったのもいました。苦 しみと疑問の理由をすぐに見いだせないまま、目前の矛盾だけで失望したり、 怒ったりして、性急に去ったのもいました。聖書とキリスト教にあるのは解 けない難問と矛盾だけだと。 その中でなぜか私だけが、捕らえられてキリストにつなぎ留められました。 いま私は、決してエリシャほども多くの結末と謎解きを見た訳ではありませ んけれども、感謝をもって「主よ、そうでしたか!」と喜んでお答え申し上 げられることが、いくつも、いくつも、たまりました。ですから、あなたも -8- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved. エリシャの最後 時間をかけて、一生仕事として、確かめてごらんなさいと、確信をもってお 勧めできるのです。以上で「エリヤ=エリシャ」シリーズを終わります。 (1988/10/09) -9- Copyright えりにか社 2008 All Rights Reserved.
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