平成19年度 私(夫・父)の家事・育児・介護体験記 優秀賞 追杉 裕和さん

平成19年度
私(夫・父)の家事・育児・介護体験記
優秀賞
追杉
裕和さん(立石1丁目)の体験記
昨年(2006年)のゴールデンウィーク明け、妻が原因不明の高熱と発疹で入院して
しまった。看護師である妻はパートで働いていたため、2歳の娘は立石駅前保育所に預け
ていたが、さあ大変、退院まで私が一人で面倒を見ることになってしまった。
朝、普段より30分早く起床。顔を洗って、朝ごはんの準備を始める。妻はオムレツに
コーンやツナを入れたりとバラエティがあったが、面倒なのでしばらくはチーズオムレツ
を続けることにする。キュウリを切り、トマトの皮を剥いてパンをトーストして、と独身
生活が長かったのでこの程度はお手のものだ。娘を起こし、オムツを替えてあげる。手を
洗わせてから
「いただきます。
」
幸い母親がいない事をあまり不思議に思っていないようだ。
食後、歯を磨き、顔を拭いて、体温を測り、保育園の連絡ノートを書いてから二人で出
発。保育園まではいつも一緒に行っていたので、普段と変わらない。保育士さんに事情を
説明し、お迎えの時間が遅くなるかもしれない旨お願いする。朝はこれで終了、会社に向
かう。
会社の上司にも事情を説明し、しばらく退社時間に融通を利かせてもらえるようお願い
する。自ら3人の男の子の父親でもある課長は心配し、快諾してくれた。いい上司だ。
私の勤めている職場はフレックス勤務ではないのだが、1時間ほど早く上がらせてもら
う。家に帰り、洗濯物を片付け、軽く掃除をして買物に行く。冷蔵庫には妻が買った生協
のおかずや食材が入っているが、野菜以外はよく分からない。特に冷凍食品は日持ちもす
るだろうから触らないことにする。娘は納豆とひじきが大好きだ。この2つと何かおかず
一品でしのぐ事にする。
ご飯とお風呂のタイマーをセットし、味噌汁の出汁をとったところで保育園に娘を迎え
に行く。帰り道、手をつないで歩きながらまだ幼い娘は色々とお話をしてくれる。よく分
からない事も多いがとても楽しい。家に着き、娘を一人で遊ばせておいて、父親はご飯の
支度。食べるのが遅い娘を叱り、励まし、食べさせてあげる。終わると歯磨きをして、お
風呂。寝付きの悪い娘を叱り、なだめ、最後はやっぱり叱って眠らせると、父親はおもむ
ろにベッドから起き出し、洗濯を始める。洗濯物を干し終えるとやっと少し自分の時間が
持てる。コーヒーを飲みながらTVを見たり、パソコンを触ったりする。しかし明日もあ
るのでいつものように夜更かしはできない。
3日程こんな生活を続けたところ、妻の退院が決まって「ホッ」とした。その日は早め
に夕食を済ませ、娘を背負って自転車で病院に行った。感染症でない事が分かったので、
妻は久しぶりに娘を抱っこ。娘も妻も本当に嬉しそうだ。名残惜しいがあまり長居もでき
ず、
「バイバイ。
」家に帰ってお風呂に入れてやると、今まで頑張っていたのか娘は「カー
タン、カータン」と泣き出した。不憫に思ったが仕方がない。ずーっと泣き止まない娘を
抱っこして何とか寝かしつけた。翌日、明日は妻が退院という日は娘を連れて外食して、
自分を労った。
1週間ほどのことだったが、母親というものの大変さを身に沁みて味わった。と同時に、
父親一人でも何とかできるのかなという自信もついた。
父親というのはゴムで髪の毛をうまく結んでやれないし爪を切ってやるのも怖いなど、
色々どうしようもない人間だが、そういう面で保育園の保育士さんたちに協力を頂けた事
は本当に感謝している。
平成19年度
優秀賞
私(夫・父)の家事・育児・介護体験記
桑原
尚彦さん(亀有2丁目)の体験記
この募集を見た時、少し恥ずかしい気もしたが書いてみようかと思った。それは我が家
は今、中三(女)
、中一(女)
、小六(男)
、小四(男)と子どもを育て、比較的うまく家庭
がいっている。何より私が幸福感をとても持っているし、一つでも多くの家庭が同じよう
に幸せを感じ、たくさんの子どもを育てて欲しいと思ったからだ。
私たちは、恩師の紹介で少し年齢がいってから結婚をした。私が三十五歳の時だった。
その時思ったことは月並みだが、
「この嫁さんは幸せにしたい。
」というものだった。
結婚するとすぐ子どもに恵まれた。年がいってからの子でもあり、かわいく思えた。そ
して、もっと子どもが欲しかった。子どもを多く授かると大変だと聞いていたが、あまり
気にしなかった。それより自分と愛する人の子が生まれてくる、それがあまりにも神秘的
であり、感動的であった。何もない(何も無くはないが、
)ところから愛の結晶として、ま
さに宝が生まれてくる。しかもあんな精密な生き物としての赤ちゃんが…。これは当たり
前の事ではあるが、反面、奇跡とも思えることである。
長女が生まれるとかわいいので私も世話をした。一年ほどして次女を妊娠した。特に意
識したわけではないが、家内が大変そうなので自然と手伝うことが多くなった。今にして
思えば、私が多く手伝ったので家内も四人も生んでくれたのだと思う。
家内も働いていたので二人で決めた事は、とにかく早く気付いた方がそのやらなければ
ならない事をする、である。早い話がプップの世話である。ほのかな臭いがプーンとして
くる。子どものお尻に鼻を近づけて確認する。放っておけばお尻が赤くなり、痛がってよ
く泣くようになる。夜も眠れなくなり、被害甚大である。それよりもやはり、いつまでも
お荷物をしょったままではかわいそうである。男の私でも平気で便器に手をつっこんで布
オムツを洗う。不思議と汚いとは思わない。時には勢いあまっておつりが水しぶきとなっ
て顔にはねる。でも、
「かかっちゃった。
」くらいに思うだけである。自分でも不思議だっ
たが、やはり愛の力は偉大である。
そして次に、子どもの風呂である。子どもの年が近いので大変である。出産直後の一ケ
月ほどは家内の母親が上京して助けてくれたので、とても感謝であった。しかし、いつま
でもそうできる訳もない。ここでスーパーマン、私の出番である。少し時間の自由のきく
集金業務をしていたので、夕方いったん帰り、子どもたちと一緒に風呂に入り、それから
又、寒い中でもミニバイクで集金に行くのである。今考えるととても出来そうにないが、
やはり当時は若かったのと、子どもかわいさから必死だったのだろう。時々家内と二人で
懐かしく思い出す。
休みの日に子どもたちと散歩したりしていると、犬を連れているおばさんからも励まさ
れる。
「うちも子ども四人いるの。これから大変だと思うかもしれないが、何とかなるものよ。
子どももちゃんと知っていてお金のかからない道を行くわよ…。
」などと。
子どもはやはり宝であると思う。今はいろいろな社会現象の中で、心の痛む事件を耳に
する。やはり夫婦がお互い幸せにしてあげたいと思い、為に生き合うところに幸福の種が
生まれると思う。自分だけ幸せになろうと思ったら幸せになれない。我ら人間、人の間で
のみ生きられ、人を幸せに…と思うところに私の幸せもあるように思う。