文明の衝突 -イラク戦争は欧米と非欧米間の文明の衝突を表わす証拠なのかD.K.Y(韓国) 電気系 C コース 要旨 9・11 テロ後に米国とその同盟国が行った武力対応は、今の世界が文明の衝突に向かっているという主 張を巻き起こした。Huntington の主張は、湾岸戦争は天然資源をめぐる 2 つの文明の衝突であり、イ スラムの欧米文明に対する理解が文明の衝突を加速化していると見ている。それに対して Chomsky は 湾岸戦争は米国の覇権主義による一方的な戦いであると主張している。Huntington の文明衝突論は結 局欧米の偏頗な認識から来た二分的な思想であると思う。これは、まさにサイドの文明衝突論への批判 と一脈通じているのである。 キーワード 1. 文明衝突論 2. 世界覇権主義 3. オリエンタリズム 4. 文明の断層 5. 危機の解除 欧米文明と非欧米文明の衝突 9・11 テロの後、米国とその同盟国による大規模の武力攻勢がアフガニスタンでイラクに行われた時、 一部の人たちは‘欧米文明と非欧米文明の衝突’を思い付いただろう。「文明の衝突」の著者である Samuel Huntington が 9・11 テロ事件と欧米世界の対応について、LA Times Syndicate の‘Global Viewpoint’誌と最近行ったインタビューを見ると、このような社会的心理が見える。(質問者は編集 長の Nathan Gardels だった) Q:9・11 テロ事件後の事態はどの程度まであなたの‘文明衝突’論に当てはまるのか?われわれは今孤立された少数 の過激武装テロリストと戦争中なのか、それとも膨大な文明的背景を持つテロリストと戦っているのか? A:ビン・ラデンは欧米文明、特に米国との戦争を宣言した。ビン・ラデンは今イスラム世界の同調を呼び掛けている が、もしイスラム世界が彼らを支援しようとするなら戦いはすぐ文明間の衝突になる。現在の様子を見ると、イスラム 世界は深く分裂されているようだ。 イタリアのジャーナリストであるオリアナ・ファラチ(Oriana Fallaci)は“我らか、それとも彼らか。” と叫びながら欧米世界が政治的なイスラム教徒たちから自らを守らなくてはならないと主張して社会 的なセンセーションを引き起こした。 果たして、イラク戦争(あるいはアフガニスタン戦争)は欧米文明と非欧米文明の衝突の始まりを表す 証拠なのか。それを確かめるためにはまず、<文明衝突論>を分析する必要がある。 文明衝突論の概要 Huntington が「文明衝突論」の概要を始めて出したのは、1993 年「Foreign Affairs」誌に発表した“文明 の衝突”という論文である。この論文の中で彼は、脱冷戦時代に世界は民族国家間の争いではなく‘文 明を区分する文化的な線’によって決められると主張した。同じ価値を共有する集団が他の集団の価値 と衝突するということである。いわば、キリスト教の欧米世界とイスラム、儒教、スラブ等々の世界の 対決というのがその主張だ。彼はこのような主張を 1996 年発刊された「文明の衝突(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)」でもっと強力に披瀝している。ハーバード大の教 授で米国の対外政策の決定に直・間接的に影響を与えた政治学者の単純かつ刺激的な主張は確かに国際 的に大きな反響を引き起こした。 まず、Huntington が分類する人類の文明は中華(Sinic)、ヒンズー(Hindu)、日本、イスラム、ギリ シャ正教、欧米、ラテンアメリカ、アフリカの相違した 8 個である。このような文明はお互いに友好や 協力よりは‘競争関係’を基本としているというのが文明衝突論の前提である。このような競争関係の 前提から文明を構成する成員たちのアイデンティティが形成され、他の文明との戦略的な協力も可能で あるということだ。このような文明観は、Huntington が力が支配する国際関係を前提とし、国際関係 が力を調整する政府がない無政府状態であることを前提とする‘現実主義者’であることに基づくので ある。 強力な社会は普遍化し、弱い社会は特殊化する。東アジアの漸増する誇りが欧米に比肩できるような新たなアジアの 普遍性を生み出した。‘アジアの価値は普遍の価値であり、ヨーロッパの価値はヨーロッパの価値だ’と 1996 年マハテ ィル総理はヨーロッパの首脳たちに宣言した。(以下略) そして、上記の文明の間には価値観とアイデンティティにおいて共存することができないくらい深い断 層があるため妥協と話し合いによる争いの解決は難しい。文明の衝突はまさにこのような文化的断層か ら始まるという Huntington の主張は‘欧米文明に対する非欧米文明への挑戦’にまで拡張される。 Huntington は非欧米文明の中で欧米文明に対してもっとも威嚇的なのはイスラムと中華文明であると 明示している。このような主張からイラク戦争を見ている一部の人たちが“文明衝突論”を思い浮かべ るようになったのではないか。 湾岸戦争-Huntington の立場 1996 年に発刊された<文明の衝突>に今のイラク戦争に関する内容はないが、湾岸戦争に対する彼の主 張がある。イラク戦争が‘終わらなかった’湾岸戦争の続きであることを顧慮し、間接的に Huntington の立場を考察して見ることにしよう。 Huntington はこうまとめている。 湾岸戦争は冷戦後に初めて起こった、天然資源をめぐる二つの文明間の戦争だった。どちらが世界最大の埋蔵原油を 支配するのかが、この戦争にかかっていた。自国の安全保障を西欧の軍事力に依存しているサウジアラビアとアラブ首 長国政府が支配権を握るか、それとも原油を西欧にたいする武器として使用でき、また実際に使用すると思われる独立 した反西欧政権が支配権を握るのかの争いだった。(以下略) そして彼は、イスラム教徒たちが湾岸戦争を欧米とイスラムの対決と定義したことこそ、湾岸戦争が 文明の衝突に広がった原因であると主張している。 湾岸戦争を欧米とイスラムの対決であると定義したイスラム教徒たちの理解がイスラム世界の内部分裂を弱めて、猶 予させた。イスラム側の長年にわたった対立は欧米との緊迫な対立の前でその重要性を失ってしまった。戦争期間中イ スラム政府と団体は欧米から離れる方になっていた。アフガン戦争と同じく、湾岸戦争はこれまで互いに戦ったイスラ ム教徒を和解させた。(以下略) 要するに、始まりはイラクとクウェートとの戦いだったが、次第に天然資源をめぐって二つの文明が 衝突するようになっていったのである。 湾岸戦争-Chomsky の立場 Noam Chomsky は 1995 年「言語理論の論理構造」という論文で学界の脚光を浴びた以後、もっとも 権威のある世界的な言語学者としてよく知られている。彼は米国のベトナム戦争を強く批判したことを 始め、国際問題での強大国の不法で不当な横暴を持続的に告発して‘世界の良心’と言われている。 Chomsky の辛らつな批判(新自由主義に基盤を持った今の世界秩序に対する批判)は彼が著述した様々 な本に見つけられる。その中の一つ、「不良国家(Rogue States)」から湾岸戦争に対する Chomsky の 立場を読んでみたい。Chomsky はこう語っている。 “米国の利益に対する脅威”がイラクの手前で放置することはできなかった。サダム・フセインは当時(ドイツが統一 した頃)には米国の友達、貿易上のパートナーだった。しかし、彼の地位は数ヶ月後、急変してしまった。(中略)クウェ ートから撤収するといったイラクの提案を米国国家安保会議は 8 月中旬頃から検討し始めた。しかし、この案は結局拒 否されてしまい、公開も禁じられた。確かな理由は、米国は公開されなかったイラクの提案が“危機を解除”するかも しれないのが怖かったのである。(以下略) ここで見れば分かるように、湾岸戦争の理由はたった二つ-“米国の利益”と“危機の解除”に他な らない。米国の利益とはもちろん石油を指している。ではここで言及された“危機の解除”は何か? ソ連の解体以後(つまり脱冷戦時代)米国は軍事力を使用する名分をなくなってしまった。そこで米国 は、ブッシュ大統領の言葉を借りると、悪の軸(The Axis of Devil:キューバ、イラク、リビア、北朝鮮 などの第 3 世界)を敵として決め、自ら全地球的な“危機”を造成したのである。これについて Chomsky はブッシュ政府(父ブッシュ大統領)の説明を直接引用している。 ブッシュ政府の説明を見てみよう。 “新しい時代にも我々の軍事力が前と同様に全地球的な平衡を維持する核心的な支 えになると予想される。しかし、軍事力使用の名分をもうソ連から探すことはできず、おそらく第 3 世界から探し出さ なければならないだろう。この新たな相手は新しい能力と接近法を要求している。” さらに Chomsky はイラクのフセイン政権が湾岸戦争前まで米国の持続的な支援を受け、クルド族 (Kurudistan)を虐殺した事実を暴露しながら、米国の世界支配への論理を強く批判している。 文明衝突論に対する批判の声 Chomsky の湾岸戦争に対する意見を見ると、湾岸戦争は文明の衝突よりむしろ米国の世界覇権主義 の証拠に近い。Huntington は脱冷戦時代において、米国を脅かす勢力であるイスラムと、中国と日本 に代表されるアジアを牽制するため、米国を始めとする欧米勢力が結束せざるをえないという必要性を 正当化しているのではないか。もう一つの批判は、欧米の東洋に対する理解が客観的どころか、偏頗で あるということである。 米国コロンビア大のエドワード・サイド教授は 1978 年(今は古典になったあの有名な)「オリエンタリズ ム」で欧米の東洋に対する理解の中に潜んでいる偏向された(ずれた)認識を徹底的に解剖した。彼は欧 米の東洋に関する広い範囲の知識こそ欧米の政策を合理化する土台として作用したと見た。欧米はいつ も東洋に関する客観的な知識に基づいて東洋に対する支配政策をやってきたと主張しているが、まさに その知識の体系こそ客観的どころか長い歴史を経て蓄積された偏頗的な理解の総合であるとサイドは 指摘している。 結論 Huntington は「文明の衝突」で Michel Dibdin の小説「Dead Lagoon」の中の一句を引用している。 “真の敵がいないと、真の仲間もいない。我々じゃないものを憎まないと、我々のものを愛するなんてありえない。” これは Chomsky が批判する今の米国と相当似ている。“我らじゃないと敵”という二分法的な考え方 が結局、欧米側と非欧米側に分けて‘対立させる’Huntington の文明衝突論を生み出したのだろう。 このような理論に便乗して、もう始まってしまった‘文明の価値を守るための戦争’の説得力を失わせ るために必要なのは何か?それは地域、文化、国境、性別を越えた他人への理解ではないだろうか。 参考文献 「文明の衝突(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)」 Samuel Huntington 著,イ・ヒジェ訳,1997 「不良国家(Rogue States)」 Noam Chomsky 著,South End Press,2000 「テロの帝国アメリカ-海賊と帝王-(Pirates And Emperors,Old And New)」 Noam Chomsky 著,海輪由香子外訳,明石書店,2003 「オリエンタリズム(Orientalism)」 Edward W. Said 著,パク・ホンギュ訳,2000
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