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2004 年度第 1 回朝食会
環境を考える経済人の会 21
環境を考える経済人の会 21
2004 年度第1回朝食会(通算第 51 回)2004.5.27
ゲスト:宮崎信之氏(東京大学海洋研究所教授)
大塚万紗子氏(IOI 日本事務局長)
テーマ:海の哺乳動物を脅かす海洋汚染の現状
三橋規宏
本日のゲストは、IOI 国際海洋研究所という国際 NGO で日本の事務局をな
さっている大塚万紗子さん、それから世界の海でどのようなことが起きているのかとい
うことをお話いただくために、東京大学から宮崎信之先生にお越しいただいております。
「海に平和を」とトーマス・マンの三女、エリザベス・マンさんが
設立した国際海洋研究所
大塚万紗子
今日は大変貴重な会にお招きいただきありがとうございます。国際海洋研
究所(International Ocean Institute)の日本事務局長をいたしております大塚万紗子と申
します。どうぞよろしくお願いいたします。
International Ocean Institute(IOI)というのは、1972 年にマルタ共和国で設立されまし
た。何をしているかと言いますと、国連海洋法条約やアジェンダ 21 の精神に基づいて
海洋管理(Ocean Governance)の実現を目指して、深海底も含む海洋、及び沿岸域管理
に関する教育研究、そして実践を行っております。
IOI を 立 ち 上 げ た の は エ リ ザ ベ ス ・ マ ン ・ ボ ル ゲ ー ゼ ( Elisabeth Mann
Borgese:1918-2002)教授で、ノーベル賞作家のトーマス・マン(Thomas Mann:1875-1955)
の三女です。
1945 年にトルーマン宣言(アメリカ大統領トルーマンの「大陸棚の地下および海床
の天然資源に関する合衆国の政策、大統領宣言第 2667 号」
「公海水域における沿岸漁業
に関する合衆国の政策、大統領宣言第 2668 号」)が発令されました。各国はそれまでは
3海里を領海としていました。それはちょうど大砲が届く距離ということで3海里だっ
たのですが、この領海を海底の生物・鉱物資源を利用する為の権利として、延長しよう
という宣言です。それに刺激されていろいろな国が、うちは何十海里にするとか何百海
里にするなどと言い始めたので国連で海洋法を整備しようということになりました。
1967 年にマルタ共和国の国連大使、アービド・パルドー(Arvid Pardo)という方が国
連で 4 時間に渡る大演説をして、海洋及び深海底を人類の共有財産(Common Heritage of
Mankind)として考えてはどうか、という発言をされたわけです。
エリザベス・マン・ボルゲーゼさんという方は、それまでナチスに追われてドイツを
出て、スイスに行ったりアメリカに行ったりして生活をしていらっしゃったわけですけ
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れども、そういった中で人類が平和裏に、世界が一つになって世界連邦のような形で生
活出来たらということでずっと研究をしていらして、世界憲法というものを起草する委
員会にも入っていらっしゃいました。そうした中から、「海」が新しい世界構築の視点
になり得るということをその時に気づかれたわけです。つまり、万物が流れていく、万
物がつながっている、影響を与え合うという海が、それをメディアとして考えた場合に、
主権とか所有権、また国境といった考え方、つまり陸地的な考え方と異なる新しい視点
をもたらすのではないか、という考え方です。そこから IOI を立ち上げました。
彼女はこの IOI を立ち上げる前に「PIM=Pacem in Maribus(海に平和を)」という会議
を催しました。毎年開催される Pacem in Maribus 会議の運営と、その時ちょうど地中海
の環境管理が大変問題になってきましたので、国連開発計画(UNDP)が行っていた地
中海の環境管理プロジェクトの運営をしていく母体として、1972 年にマルタ政府の協
力を得て IOI を設立しました。国連海洋法条約の前文には、
「海洋の諸問題は相互に密
接な関連を有し、かつ、全体として考慮する必要があることを認識し」ということが書
いてあります。そういった、海を見る基本的な視点もこの会議から生まれたと言われて
おります。
国連海洋法条約が発効して、開発途上国では海洋管理の専門家がいないままにいきな
り先進国と同じスタートラインに立つわけです。そのようなことに対して、教育が必要
であろうということで、1979 年からは世界各地で実践的な教育研修を行っています。
また、アジェンダ 21 の第 17 章に「海洋、閉鎖性及び準閉鎖性海域を含むすべての海
域及び沿岸域の保護、及びこれらの生物資源の保護、合理的利用及び開発」というのが
あるのですが、それは IOI の方で起章しておりまして、アジェンダ 21 は拘束力を持た
ないと言われていますけれども、それを出来るだけ拘束力を持たせる為に国連海洋法条
約と内容を連動させて作っています。
IOI の主な活動としましては、国際会議の開催、海洋年鑑の発行、教育訓練コースの
開催、それと実践的な部分としては沿岸地域の持続可能な開発ということで、インドな
どでエコ・ヴィレッジ・プロジェクトを行っております。また、情報の伝達を速やかに
していきたいということで、インターネットを利用したグローバルな IOI バーチャル大
学の設立を模索しています。
IOI の日本支部は、1993 年に富山県高岡市で PIM ⅩⅩⅠ(第 21 回 Pacem in Maribus 会
議)が開催されたのを契機に 1994 年に横浜市立大学との連携のもとに設立されました。
最近の主な活動としては、2003 年3月の第3回世界水フォーラムでセッションを開催
しました。「水は巡る、森、川、海、空…」ということで、水循環とその研究に果たす
海洋と海洋科学の役割、皆様ご存知の畠山重篤さんの著書「森は海の恋人」に見られる
ような総合的な環境へのアプローチを世界に発信していくということをいたしました。
2004 年の 2 月にはそのフォローアップのセッションを行い、2003 年〜2004 年にかけて
今現在ですけれど、吉野川の流域をモデルに水系、地質、水の管理、それからそこに住
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む人々の文化、歴史などを総合的に学べるインターネットサイトの制作をしております。
来年には、畠山さんと共に宮城県の気仙沼地域をモデルに、水の総合管理についてのサ
イトを制作していきたいと思います。
IOI の活動の中で、海の環境のお話を伺う機会が何度となくありましたが、一番刺激
的で深刻だと思いました話が、今日、宮崎先生からお話しいただくお話です。宮崎先生
をご紹介したいと思います。
宮崎先生という方は昭和 21 年のお生まれで、東京大学の海洋研究所の教授でいらっ
しゃいます。京都大学、東京大学をご卒業されまして、琉球大学、国立大学博物館動物
研究部などを経て、現在、東京大学海洋科学国際共同研究センターで教授をなさってお
ります。ご専門分野は海性哺乳動物の生態と形態、海性哺乳動物を主にした海洋汚染と
いうことで、数多くの学会に出席されており、多数の論文を発表されています。それで
は、宮崎先生よろしくお願いいたします。
イルカやアザラシを調査することで海中化学物質の蓄積・濃縮を追う
宮崎信之
おはようございます。只今、ご紹介に預かりました東京大学海洋研究所に所
属しております宮崎と申します。
私の専門は海の哺乳動物でして、イルカやアザラシ等の生物がいったいどのような生
活をしているのだろうか、われわれと同じ哺乳動物が海という環境でどのように形など
を変化させてきているのだろうかということの研究が私の主な仕事です。ドクター論文
ではイルカの社会構造などを調べた研究をしてきましたが、一方で、1976 年から愛媛
大学の立川涼先生、それから今は愛媛大学沿岸環境科学研究センターの田辺信介先生を
はじめ、化学の専門家と一緒にイルカやアザラシという海の生物を使って地球環境を眺
めてみてはどうだろうか、ということで研究をしてまいりました。
当初は、日本の社会は環境の問題に対して非常にネガティブでして、私の恩師もその
ような研究はやめた方がいいのではないかという話をしたこともあります。しかしなが
ら、将来、これは日本だけではなく世界で非常に重要になるだろうということで、はじ
めたわけです。皆様方ご存知の 1992 年のリオ・サミットをきっかけにして、ようやく
環境という問題に対して世界の人たちも理解を示してくれるとともに、日本の人たちも
理解をしてくれるようになってきました。今日はその中から、私が研究してきた一部を
ご紹介させていただきたいと思います。
最初は日本の周辺海域で調査し、博士号を取得してからは少しずつエリアを広げ、ベ
ーリング海、南極海、地中海、インド洋などに出掛けて調べてきました。1990 年から
ロシアのバイカル湖の調査を開始し、その後、バイカル湖を中心にカスピ海、北極海と
いうユーラシア大陸で調査をしてきました。2000 年からは、日本学術振興会(JSPS)
のご支援によりアジアを中心とした多国間プログラム(沿岸海洋学)が動きつつあり、
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それをお手伝いさせて頂いております。
人工有害化学物質による海洋汚染、およびこれらによる生物の影響というものを明ら
かにするために、化学物質がいったいどのように地球環境の中に存在しているのだろう
か、そしてそれに最もふさわしい生物指標は何だろうかということを考えました。
海の哺乳動物は私たちと同じ哺乳動物です。スジイルカでは、お母さんが 1 年間お腹
の中で赤ちゃんを育て、生まれたら 1 年半の間授乳し子供たちの成長を支えていくとい
うようなことで、比較的人間の生活パターンに似ています。それに、寿命が長くて、例
えば種類によってですが 50 歳くらいまで生きる、あるいはそれ以上にもなるというこ
とです。単に寿命が長いとか、あるいは人間と同じ哺乳動物というだけではなく、海中
の食物連鎖の最高位にいるわけです。したがって、化学物質が海洋中に微量に存在して
いても、それが食物連鎖によってどんどん濃縮されていくということが予測できます。
私たちは、この濃縮のプロセスを解明しようということから、研究を始めました。化学
物質が高濃度に海の哺乳類に蓄積しているとすれば、生物の中で何か起こってもおかし
くない。例えば免疫力の低下、繁殖機能の低下、形態の中でいろいろな問題が生じるの
ではないか。次のステップでは、そんなところにフォーカスを合わせて研究をしてまい
りました。これらの研究を通して、やはり日本だけではなく国際的ネットワークを使っ
て研究を展開していくことが非常に大事だということを認識し、国際協力のもとにルー
プ的に研究を発展させてきました。
PCB や DDT によって免疫力が低下し、大量死した各地のイルカ、アザラシ
この資料は、宮崎県の青島海岸にカズハゴンドウイルカが 135 頭うち上がったという
情報を受けて、私たちが現地へ出向き一個体ごとに丁寧に調べて、今日お話するような
情報を得るべく努力をしてきた様子です。次に、海の哺乳動物に一体何が起きているの
だろうかということについて簡単に話をさせていただきたいと思います。英語の資料で
申しわけございません。1960 年代〜70 年代にかけて、バルト海でアザラシが大量に死
んでしまったというレポートが出てきました。その理由は何かということですが、PCB
とか DDT という有機塩素系化合物によって、どうも免疫力が低下しているらしいとい
うことが分かってきました。そうこうしている内に、アメリカの沿岸でも同様な現象が
起きているということが分かってきましたし、セントローレンス川では 1970 年代に
5,000 頭いたシロイルカ(ベルーガ)が 500 頭まで数が減ってしまったという報告があ
りました。一体これは何だという話になってきました。そして、私が財団法人地球・人
間環境フォーラムとお付き合いするようになった 1990 年から、ロシアのバイカル湖を
中心に、アメリカ・ロシア・日本・ベルギー・英国・スイスの6ヵ国で国際共同研究を
始めました。このバイカル湖でも 1987-88 年にアザラシが大量に死んでしまいました。
生息数が4万頭くらいいるのですが、そのうちの 8,000 頭が死んでしまったということ
が起きてきました。それから、カスピ海でも同じような問題が 1997 年以降たびたび起
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きているということが分かってきました。つまり、海の哺乳類が大量に死んでしまって
いる現象が北半球の閉鎖海域で頻繁に起きているということが分かってきました。では、
地中海はどうか言いますと、地中海も 1990 年〜1992 年にかけてイルカが大量に死んで
しまったということが分かってきました。このようにイルカとかアザラシというのが大
量に死んで海岸にうち上がってしまうと、人間に非常にインパクトがあり、「海で何か
起きているのではないか」と言うことで研究が始まってきたわけです。
先程も少しお話しましたけれども、DDT とか PCB というのは、芳香族塩素化合物で
す。これはミラー(S. L. Miller)が人工的に作り出してノーベル賞をもらったわけです。
どうしてこういうことになったかと言いますと、石油産業で生み出された化学物質はい
ろいろな目的で利用されているわけですが、残留物としてこの芳香族の化学物質が余っ
てしまいました。それからソーダ産業は、海水(NaCl)からソーダ(NaOH)を生産し
ますが、その際に塩素が余ってしまいます。この塩素をどのように利用していくかとい
うことに高い関心がもたれていました。この余った物同士上手く組み合わせることによ
って、人間にとって非常にプラスになることは何か、ということでミラーが考えついた
のが DDT という人工化学物質です。これは皆様方ご存知のように第2次世界大戦の後、
日本の衛生状態が非常に悪い時はこの白い粉を頭などにかけて、殺虫剤として利用して
きたわけですが、実は長い間使ってきますと、またいろいろな問題を引き起こしてきま
す。PCB というのもまさにそうで、芳香族に塩素をくっつけると、塩素のつく位置によ
って 207 種類くらいの構造式が違っている異性体や同族体が生まれるわけです。今日は
話題を限ってこの3点(PCB、DDT、BHC)について絞ってお話させていただきたいと
思います。
これは、バルト海でのアザラシの大量死の状況を示したものです。バルト海では、自
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然界にいる初期の個体数(initial population size)が半分になってしまったということが
起きたわけです。その原因をいろいろ調べたのですが、長い間その原因はなかなか分か
りませんでした。しかし、死亡個体から高濃度の PCB とか DDT が検出されました。こ
のバルト海のメスのアザラシでは子宮が閉塞するという現象が起きていました(左図)
。
つまり子供が生まれにくくなってきているという現象が出てきました。その結果、自然
界の個体数が半分になってしまったというわけです。
ヨーロッパの研究者は非常にしっかりとした研究組織を作っており、海岸にうちあが
ったアザラシの標本はすべて博物館に保管しています。ご覧いただいているのはスウェ
ーデンの博物館に保管されてある健全なアザラシの頭骨です。ところが最近は、下顎が
ボロボロになったアザラシや、それから上顎がボロボロになっているアザラシが出現す
るようになってきました。そして、1950 年代ごろからの過去のデータをずっと調べて
いくと、1960 年後半〜1980 年にかけて頭骨の形成不全個体が 60%くらいになってきて
います。種の存続が非常に厳しい状況になっているということが、これによって分かっ
ていただけると思います。
授乳を通して母から子へ移行する化学物質
どうしてこのような現象が海の哺乳類に起きるのか。
この写真は学生時代に水中撮影用カメラのニコノスで私自身が潜って撮ったスジイ
ルカです。写真にあるようにお母さんの乳首を子供が突っついてオッパイを飲むという
習性のあるイルカです。私はこのイルカの博士論文を書きました。この生物学的なデー
タをもとに海の環境モニタリングをしたら一体どうなるかということで、1976 年から
研究を始めたわけです。
どうしてこのような海の哺乳動物が指標として有効かと言うと、年齢が正確に推定で
きるからです。歯を縦断面に切って脱灰(だっかい:薄切を容易にするため、石灰を取
り除く操作)して染色すると、木の年輪と同じように年輪が1年に 1 回ずつ内側に形成
される、あるいはセメント質の年輪が形成されるということがわかります。年令と体長
の関係を調べるときれいな成長曲線が得られ、成長が正確に追えるわけです。このスジ
イルカでは 48 歳くらいが一番高年齢でした。この調査では、雌雄は勿論のこと、さま
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ざまな年令や成長段階、さらにはさまざまな性状態の個体から標本を得ることが出来る
ので、この特性を使って環境モニタリングを実施しようということです。
この試料を使って、どのように生物の体の中に化学物質が蓄積しているのだろうかと
いうことを調べました。その研究をしている時に、シャムツイン(頭が二つで胴体が一
つ)の赤ちゃんがお母さんの体から見つかりました。
その前に、このイルカはどのような一生を送るのかということを簡単に説明いたしま
す。生まれてからオッパイを 1 年半くらい、長期間飲み続けます。この授乳期間は比較
的人間に近いです。9歳くらいで性的に成熟してそれからメスは3年に 1 度ずつ子供を
産んでいきます。ですから、下図は絶対年齢と PCB という化学物質の濃度を示してい
ますが、上がオス、下がメスです。そうすると、この図を見ていただくとお分かりのよ
うに、ちょうど性的な成熟に達した後のところでオスとメスとで大きな違いが出てくる
ことが分かってきました。お母さんが子供を出産する、妊娠期間 1 年間、それから授乳
して子供を育てるというところが、成熟したオスとメスとの大きな違いです。ですから、
出産と授乳ということによってこの化学物質の濃度がこれだけ違うということが分か
ってきたわけです。
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もう一つは、生まれて間もない若い個体に非常に値のばらつきがあるということです。
最初、私はこのデータが間違っているのではないかと思い、共同研究者の化学分析をや
っている先生に対してブラインドテスト(目隠しテスト)を何回もやったのですが、や
はりこのデータは正しいということが分かってきました。これはどういうことかと言う
と、メスは 9 歳で子供を産むようになりますが、最初に生まれた子供と2番目以降の子
供(2番目以降、3年に1回ずつ生まれる)、その違いがこういう所に現れているとい
うことが分かってきたわけです。
では、このような化学物質が母体から胎児にどのくらいの割合で移行するのかと言う
と、大体4%〜9%です。この移行率で先の現象は説明できないということで、さらに
オッパイ(ミルク)を通して母体から子供にどれくらい移行しているかということを調
べてみました。物質によって多少違うのですが、70%〜90%がミルクを通して母体から
子供に移行するということが分かってきました。したがって、お母さんの体の中に蓄積
した化学物質は出産をして授乳をすることによって、体から失われていく(排出される)
ということで、成熟したメスの個体に蓄積している化学物質の濃度は低いということが
分かります。一方、成熟したオスはそのままずっと体に蓄積したまま死んでいくという
ことで、この違いが出てきているということです。さらにこの研究を通して、最初に生
まれた子供が非常に高い値を示していて2番目以降の子供はそれ程でもないというこ
とが分かってきたわけです。この研究成果を発表してから、最近になってようやく人間
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の女性でも最初に生まれた子供に非常に高濃度にこのような化学物質が蓄積している
ということが、ようやく証明されるようになってきました。私たちが指摘した現象が十
数年の時間差があって、初めて人間社会にも認められたということであります。
食物連鎖によって海水の 100 万〜1,000 万倍の化学物質がスジイルカに蓄積
次にお話しますのは、こういう化学物質がいったい地球環境の中でどのように動いて
いるのだろうか、あるいは、生態系の中にどのように蓄積されていくのだろうかという
ことについて、簡単にお話をさせていただきたいと思います。
スジイルカの中に非常に高濃度で化学物質が蓄積しているということが分かったわ
けですが、一体どうしてそうなるのだろうかということです。上図の「E」がスジイル
カ(Striped Dolphin)ですが、スジイルカがその餌生物であるイカ(D)とかハダカイワ
シ(C)、それからイカとかハダカイワシの餌になる動物性プランクトン(B)、それか
ら海水(A)ということで調べてみますと、これはロガリズム(対数)でとっています
ので、1 目盛りが 10 倍、100 倍、1,000 倍をあらわしています。そしてこのような化学
物質が海水に存在しているのは非常に微量だということが分ります。しかし、それが食
物連鎖を通してイルカに蓄積した時には、100 万倍から 1,000 万倍でイルカの体に蓄積
するということが分かってまいりました。この図は、大変時間がかかってプロットしま
した。私たちが最初に調べた時には大学の研究室にある分析器の精度が悪く、イルカの
ように高濃度に汚染された動物くらいしか値が得られなかったからです。1970 年代に
なって企業の努力によって分析機器が非常に発達しまして、だんだんと生態系の下の方
にまでスポットを当てることが出来て、ようやくこのような現象が分かってきました。
私は日本近海のスジイルカを中心にして、このような現象を明らかにしたわけですが、
では地球規模で見たらどうかということで、私はベーリング海から日本周辺、それから
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南極海まで調査に行って、あるいは私の共同研究者が現地に行って調査をして集めてき
たものを見てみますと、この資料のようになるわけです。
これはベーリング海、日本沿岸、それから南極海にいるウェッデルアザラシも含めて
示しています。赤い丸が海水中に存在している化学物質、PCB、DDT、BHC の濃度で
す。青の棒グラフはそこに生息している海の哺乳動物の体に蓄積している濃度です。こ
れでお分かりのように、青の値と赤い値はパラレルに変化しているということが分かり
ます。海水を分析するのは当時とても大変だったわけですから、海の哺乳類を材料にし
て調べれば比較的地球環境のモニタリングをするには有効であろうということです。次
に北半球と南半球を比較してみると、北半球は圧倒的に汚れているということが分かり
ます。しかも北半球の中緯度海域、つまり太平洋でいうと日本の周辺が最も汚れている
ということがこのデータで分かります。最初にお話しましたが、バルト海、地中海とい
った北半球の閉鎖海域でアザラシやイルカが大量に死んでいるということが、まさにこ
の現象からも説明が可能になってきました。先進諸国というのは北半球の中緯度海域に
存在していて、そこからいろいろな化学物質が流されていき、その結果その周辺海系の
調査をすると、閉鎖海域に非常にダメージが大きいということが分かってきたわけです。
熱帯域で使われた化学物質が大気に移行、南極海や北極海に大きく影響
私は日本人なので、日本の環境が国際的なスタンダードと考えてしばらく仕事をして
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いたのですが、実はそうではありませんでした。例えばインドに行くと、水田に BHC
という農薬(殺虫剤)を撒いて生産性をあげようと努力しています。これがもし日本の
沿岸であれば、河川を通って海洋中にその化学物質のほとんどが流れて行くわけですが、
インドなど暖熱帯域に行くとほとんどの化学物質が大気に移行してしまうということ
が分かってきました。南インドでは、水田にまかれた BHC の 90%以上が大気に移行し
てしまうということです。
先進諸国がこういう化学物質は非常に害があるので使用禁止したわけです。ところが
余った化学物質がインドや熱帯域で安く入手されて使われる。その結果、先進諸国の人
たちは自分たちの環境を汚さないで済むと考えていたのですが、実はそうではなくて、
熱帯域で使われたものは大気によって運ばれて、また自分たちの環境に戻ってくるとい
うことが分かってきたわけです。
上図は地球規模の大気の輸送を示していますが、基本的に熱帯域で使われた化学物質
が、北半球に行くとちょうど中緯度海域に1度海洋中に溶け込む場所があります。さら
に軽いものは、北極海まで移るということです。したがって、南極海や北極海という比
較的人間活動が盛んでない場所でもこれらの化学物質に汚染されているということが
分かってきたわけです。もしそうだとすれば、海の哺乳動物に何か問題が起きてなけれ
ばいけないだろう、何かそういうことがもっときっちりと調べられる必要があるだろう、
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ということです。
それで、ヨーロッパの研究者は先程お話したように、骨の形成異常を発見したり、子
宮が閉塞しているというようなことを発見したのですが、私たちも日本沿岸のイシイル
カを使って、イシイルカの性成オスの性的な活性を調べようということで、テストステ
ロンの濃度と化学物質の濃度を比較してみたわけです(下図)。
これによると、ネガティブな関係が見られました。つまり、こういう化学物質によっ
て汚染されたイシイルカの成熟したオスの性的活性が減少するということが明らかに
なったわけです。これは 1987 年の私たちの研究成果です。その後、いろいろな医学界
の方たちとこの議論をしたのですが、日本の医学界は非常に腰が重くて関心を示さなか
ったのですが、ヨーロッパの研究者は人間の精子の数とか、精子の動きの活発化とか形
とかをいろいろと調べて、1992 年に 30 年前の若い人と現代の若い人との間では、精子
の数が半分になってしまっているということを報告しました。つまり、私たちがイルカ
で明らかにした現象が、ようやく5年後に人間でも同様の現象が起きているということ
が実証されたわけです。
40m以上の透明度のあるバイカル湖の化学物質汚染
このようなことを私は研究してきているわけですが、今日は、地球・人間環境フォー
ラムのアレンジメントということもありますので、バイカル湖のアザラシについてお話
します(事務局注:財団法人地球・人間環境フォーラムではバイカル湖での研究者によ
る調査研究を支援しています)
。
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私たちは、1990 年に国際共同研究としてバイカル湖の研究を始めました。
「ここ(バ
イカル湖)にアザラシがいるので、宮崎も加われ」ということで参加したわけです。バ
イカル湖のアザラシを調べていきましたら、やはりカスピ海にもアザラシがいる、北極
海にもいるということで、このユーラシア大陸の動物を使いながら、「どうしてこうい
ったところに、こんな海の生物が棲むようになってしまったのだろうか」、
「その環境は
どのような状態なのだろうか」ということの研究を 1990 年から始めました。
このバイカル湖にアザラシがいるというのは非常に面白い現象です。「どうしてこん
な海の哺乳類がこんなところに棲息しているのだろうか」という疑問から研究をスター
トさせました。私たちはミトコンドリア DNA とか頭骨の形態とか、いろいろな可能性
のある形質を使って、カスピ海のアザラシとバイカル湖のアザラシとそれから北極海の
アザラシとの類縁関係を調べていました。ちょっと分かりづらいかも知れませんが、結
果から申しますと、これらの 3 種は共通の祖先から分かれたものです。カスピ海のアザ
ラシがカスピ海に閉じ込められたのは約 64 万年前、それから北極海のアザラシからバ
イカル湖のアザラシに分化したのは約 38 万年前です。
ちょうど 40 万年前に地球は温暖化が起こりまして、北極海の南限がバイカル湖の近
くまで来ていました。ワモンアザラシの一部の集団がバイカル湖に入って生活をしてい
たのですが、地球環境が寒くなるに従ってバイカル湖へ閉じ込められてしまったという
ことが分かってまいりました。近年、タマちゃんの一件がありまして、東京の沿岸にも
北方系のアゴヒゲアザラシが来遊したことが報道されております。つまり、野生動物と
いうのはいかに自分たちのポピュレーションを広げていくかという属性があり、その一
部が(若いオスだと思いますが)、日本にも来てウロウロして戻らぬというような生活
をしているわけです。バイカルアザラシも似たようなことで、湖に閉じ込められてしま
ったということだと思います。
私はバイカル湖の研究をする時、透明度は 40m以上で非常に水がきれいで、本当に
美しい湖だと思っていたわけです。ところが、アザラシが大量に死んでしまうというこ
とがあったものですから、アザラシの体に蓄積している PCB とか DDT とかの化学物質
を調べてみましたら、非常に濃度が高いということが分かったのです。いったい、どう
してこんなことが起きるのでしょう。
バイカル湖というのは周りが森林地帯で、その木を使ったパルプ産業がバイカル湖南
部で行われています。水が無いとパルプ工場は稼動できませんから、バイカル湖のほと
りに作ったのです。ここからコプラナーPCB、ダイオキシンの仲間ですが、そういう化
学物質が排出されているらしいということが私たちの研究でわかってきました。ロシア
側は、自分たちは非常にきちんと廃水処理作業をしているので大丈夫だと言っているの
ですが、アザラシに蓄積している化学物質や濃度から推測すると、どうもそうではない
らしいということが分かってきたわけです。
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妊娠率が 30%しかないカスピ海のアザラシ
もう一つ、カスピ海の話をさせていただきたいと思います。カスピ海は 39 万 km2 で
日本の面積よりも広い湖です。ここには、バイカルアザラシに近縁なカスピ海アザラシ
が生息していて、私たちはこのカスピ海アザラシを調査しました。ご存知のようにカス
ピ海というのは 1991 年、ロシアが崩壊する前までは旧ソ連とイランの2国で囲まれて
いました。しかしながら、1991 年にロシアが崩壊してからは、アジェルバイジャン、
カザフスタン、トゥルクメニスタン、それからイランとロシアの5ヵ国で囲まれるよう
になった所です。1991 年までチョウザメはきちんと捕獲がコントロールされていたの
ですが、旧ソ連が崩壊してから、キャビアを取るため無法なチョウザメの捕獲が盛んに
されまして、チョウザメの個体数が激減しているということが分かってきました。
西側の石油業者が入り込んでカスピ海の底の石油の埋蔵量を調べてみましたら、中東
の3分の1以上あるということが分かってきました。ですから、一気に海底から石油を
掘り出すという努力をされているわけです。問題は、一つはこのプロセスの中でどうし
ても石油が漏れてしまうということです。もう一つは、近年、カスピ海の水位が2〜3
mくらいまで上がってきているということで、かつて使用していた井戸で、乾いていた
所にもう一度水が入り込んでしまったということです。カスピ海の汚染が非常に問題に
なってきたということで、世界銀行は、こういう企業に融資すると同時に環境をモニタ
ーしなさいということを言ってきたわけです。
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そこで、ロシア側の協力を得てカスピ海の環境調査を実施しました。必ずしも石油の
問題とはちょっと関係ないのですが、人工有害化学物質の PCB や DDT などの濃度と年
令の関係を示しました。前頁のグラフです。赤丸がメスで、青丸がオスです。先程のス
ジイルカでは、9歳くらいで成熟した後、オスはずっと化学物質を蓄えるが、メスは出
産、授乳を繰り返すことによって体の中の化学物質の多くを排出するということだった
のですが、カスピ海のアザラシは、成熟に達しても子供の産めないメスが増えています。
ちなみに、ちょっとこのグラフでは分かりづらいかも知れませんが、この赤丸を黒枠で
かこんだのは妊娠しているメスで、そのメスはどんどん子供を産んで排泄をしていると
いうことで濃度が低いわけです。
このグラフは、成熟年令に達しても子供が生まれないメスが増えてしまっていること
を示しています。妊娠率が 30%を切ります。通常の成熟したアザラシですと 80%〜90%
の妊娠率で、毎年子供を産むくらいの繁殖力を示しているのですが、非常に繁殖力が悪
くなってきたということが分かってまいりました。やせ細ったアザラシも出てきて、た
とえば、肝臓などにも癌化した組織が検出されているとか、死んでしまってもういちど
子宮の中に吸収されている胎児が出てきているとか、そういう現象が起きだしているの
です。
このようなことですから、カスピ海アザラシにいろいろな問題が起きているだろうと
いうことが分かるわけですが、一つは免疫力が低下している現象が起きています。低下
すると一体何が起きるか。私たちの調査で見ると、ジステンバーウイルスに感染してい
る個体が増えてきたということが言えます。大量死の前の 1993 年では、その感染率は
非常に頻度は低く7%程度だったのですが、1997 年に大量死が起きた後には、生き延
びたアザラシの 90%くらいの個体がウイルスによって侵されていました。つまり抗体
を持ったことで生き延びてきたということが分かってきました。
カスピ海アザラシの体内に蓄えられていたインフルエンザウイルス
ヨーロッパ、英国の調査チームも一生懸命やっていて、われわれと同じ現象を得るこ
とが出来たということなので、どうも私たちの研究成果は確からしいということが国際
的に認められるようになりました。さらに、もしジステンバーウイルスに感染して死ん
でしまうということがあるのならば、他のウイルスによる感染も影響を受けているので
はないか考えました。そこで、ちょうど、ユーラシア大陸のインフルエンザウイルスが
どうなっているのかということを研究している北海道大学の木田先生と共同でインフ
ルエンザウイルスの研究をさせていただきました。ご存知のようにインフルエンザとい
うのは、人間社会で、人間同士で感染するものがあります。それから鳥の世界で、鳥同
士で感染し合うというのがあります。木田先生の説でいきますと、野生のカモの結腸(肛
門の近くの腸)にあらゆるタイプのインフルエンザAのウイルスがあって、カモが、シ
ベリアの北方で餌を食べて、そして冬に南方に来て糞をする、その結果、南方のニワト
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リは感染してインフルエンザになるということで、これまでにも香港やベトナムなどで
いろいろな問題が起きているわけです。人の世界で広がっているインフルエンザは人の
中だけ、野生動物の世界のインフルエンザは野生動物だけの世界と考えられてきました。
ところが、豚というのは鳥のウイルスと人間のウイルスを両方交差するという生物です。
ですので、鳥インフルエンザの問題でもそうですが、鳥から人間に移る時に豚が感染し
ていると非常に危険だということで、ここをどう抑えるかということが非常に問題にな
っていました。幸いにも日本の場合には上手く止めることができたので、鳥から人間に
インフルエンザのウイルスが移らなくて済んだのですが、将来的にはこういうことが起
きるということを常に考えておくことが大切です。
つまり私たちは今まで、人間の社会のことだけを考えてきたのですが、そうではなく、
人間も野生動物も地球上に生きているわけなので、その中でどのようにわれわれがこの
ような問題に対して対応していくかということが大事だということを考えなければな
らない時期にきているのです。
私たちはカスピ海のアザラシについて、このインフルエンザウイルスも調べてみまし
た。1979 年にバンコクで発見された人間(の社会)に感染して世界中に広がったイン
フルエンザAのウイルス(H3N2)が、人間の社会に広がった後、姿を消したのですが、
いったいどこに行ったのか分からなかったのです。ところがそのウイルスが、カスピ海
のアザラシの体内にアクティブな状態でずっと蓄えられていることが分かってきまし
た。つまり、おそらく当時カスピ海アザラシは人間からインフルエンザに感染して、か
なり死んだりして、生き延びた個体がそのウイルスに対する抗体を持ってきたのです。
それが 20 年間ずっとアクティブにアザラシの世界で広がって、感染し合って、アザラ
シの世界で生き延びてきているということが分かってきました。したがって将来、今度
はアザラシから人間にもかかる可能性があります。ということは、20 年前に人間で抗
体を持っている人もいるのですが、その後生まれた人たちはその抗体を持っていないと
いうことで、もしこういうウイルスが人間の社会に戻ってきた時には、今度また大問題
が起きるだろうということが予想されます。
もう一つは、今まではインフルエンザにはAとBとCがあって、Aは人間だけではな
く野生動物にも感染することもあるが、BとCは人間だけだと言われていたのですが、
実は、カスピ海アザラシはBも持っているということが分かってまいりました。インフ
ルエンザや SARS の問題を議論する時には、人間社会だけではなく野生動物も含めて対
策を練っていかなければいけないだろうと思っています。
ちなみに、これはまだ論文として公表していない話です。バイカルアザラシはどうな
っているのだろうか、北極海のアザラシはどうなっているのだろうと考えて調べてみま
すと、バイカル湖のアザラシも古いタイプのインフルエンザを持っている、あるいは、
北極海のアザラシも持っていることがわかってきました。つまり野生動物はずっと持っ
ているのだということで、視点を変えた調査が極めて大事であるということになります。
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このようなことで、このような野生動物を通して地球規模の海洋汚染の状態とか、地球
規模で起きているウイルスの問題というものから、私たちが直面している環境は大変厳
しいということを改めて認識させられました。
情報コレクター、ロガーによって解明されてきた
海中での哺乳動物の行動
それから、もう一つは、先程お話したのは数種の化学物質だけですが、自然界ではか
なり多くの化学物質が存在していて、そういう化学物質との復合汚染には一体どのよう
に対応していくのか、ということが次の問題として非常にクローズアップされています。
私たちは海の幸を利用して生活をしてきた、特に日本はそういうところは恵まれて生活
をしてきたわけですが、これから、やはり安全で、健康な食品をどのように確保してい
くか、それにはどうしたらいいか、さらに海洋国家・日本が世界の中でどのように環境
保全に対して取り組んでいくかということが大事なのではないだろうかと考えます。次
の世代に何を残していくか、またその教育なども大事だろうということです。
私たちがこういう話をしても、日本の政府は腰の重い部分があります。是非、各分野
の第一線の方々がこういう問題に理解を示して頂いて、日本として国際社会にどのよう
な役割を果たしていくかということを考えていただきたいと思っていす。私たちは海洋
環境に関する国内の研究・教育の整備、国際的な環境のモニタリング体制の確立、ネッ
トワークを構築してお互いに情報交換していく、それから、包括的な環境保全に関する
政策・立案に積極的に協力していくということを、やってきているわけです。国連大学
とも共同で研究を進めてきています。そういうことで、21 世紀の最大の問題、最重要
課題として、海洋環境の保全というものに対して積極的に貢献していくということが大
事なのではないだろうかということです。
私はこれまでお話してきたような研究をしてきましたが、今日は財界のトップの方が
来られているということなので、少し海の環境の研究に対してトピックスを簡単に紹介
させていただきたいと思います。お手元にパンフレットをお配りしておりますが、海の
環境をどのようにこれから捉えていくかということです。これまで私たちは、サテライ
トで海の表面の情報を得ることができるようになりました。あるいは、船を使って調査
する、あるいはステーションを使って調査するということで研究してきましたが、もう
一つ別の視点が面白いだろうということで、バイオロジングサイエンスというものを、
世界に向かって展開しています。生物にロガー(情報コレクター)をつけて、そしてそ
の情報を元に地球規模での海の環境をモニタリングしていくということです。
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これはペンギン、アザラシの子供、それからペンギンの群れですが、これは、今年の
The Proceeding of the Royal Society, Biology letters (2004)で発表されていて、ちょうど、火
星の岩をとってきたというトピックスと同じように、海の環境を調査するというのは最
も面白いと分野だということで、英国の人たちも非常に関心をもっているわけです。ち
なみに左から 2 番目の写真は、ウェッデルアザラシのお母さんの背中にカメラをつけて
撮った、後ろから追いかけて泳いでくる子供の写真です。左は、ペンギンの背中に付け
たカメラで撮った仲間のペンギンの写真です。右から 2 番目はアザラシの背中に付けて
撮ったクラゲの写真です。非常に日本のエレクトロニクスの技術レベルが高いものです
から、こういう素晴らしい写真が撮れるようになってきました。こういう生物は、例え
ばゾウアザラシなどをみると、成熟オスでは水深 800mを頻繁に潜って、カリフォルニ
アからアリューシャン列島まで行ったり来たりしているということで、そこにいろいろ
な情報を撮る機械を装着して情報を集めていくと、地球規模で面白いデータが取れるよ
うになってきました。また、水温とか塩分だけではなくて、明るさ、クロロフィル(生
物精査の基準になる)、プランクトンの量など、いろいろな情報を得ることができるよ
うになってきました。パンフレットで見ていただくと分かるのではないかと思いますが、
このロガーは直径2cm、長さ5cm くらいの大きさで、数秒間隔でデータがとれる非常
に性能の良い素晴らしいロガーです。これは日本のエレクトロニクス技術の賜物です。
アザラシにつけたり、ペンギンにつけたり、それからサケやヒラメにもつけて、海洋の
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未知な情報を、生物を通して得ていこうという動きが世界で生まれつつあります。
日本のロガー技術でバイカルアザラシの行動が明らかに
簡単に説明いたしますと、アザラシにつけて写真を撮ると、この海の生物精査ができ
ます。いろいろな生物がいるわけですが、この海の情報は画像画面として入手すること
ができます。それから、海の中でアザラシが3次元的に動くルートが分かるようになっ
てきました。ご存知のようにペンギンというのは一斉に氷の上から海の中に入って、出
てくる時も一斉に上がってくるのですが、水の中ではしかも餌を食べ分けているという
ことが分ってきました。さらに、羽ばたく動きと深さの両方を撮ってみました。ペンギ
ンというのは鳥ですので、潜る時はなかなか体が沈まないので一生懸命羽ばたいて潜っ
ていき、それから、水の中で餌を食べている時には餌を追っかけているような羽ばたき
を何回かしている。ところが、上がってくる時には何もしないで身を任せて上がってく
るということが分かりました。生理的にいきますと、例えば、鳥というのは体温が一定
だと言われていたのですが、体の外側と内側の体温を比較してみまると、海に潜って餌
を追っかけている時はできるだけエネルギーロスを少なくするということで、体の中の
体温は下がってきているということが分かってきました。
カメにロガーを付けてみると、カメは爬虫類ですので周りの温度と同じ、つまり、自
分で温度調節する機能はないと言われていたのですが、実はそうではなくて、カメは泳
いでいる時には体の中の温度が上がっているというようなことが分かってきました。
今まで未知だった動物に対してこういう新しいロガー、カメラロガーを使うことによ
って非常に面白い研究が展開されるようになってきました。この研究は、国立極地研究
所と私のところの海洋研究所が共同で今、このプログラムを立ち上げて研究を始めまし
た。日本はこの分野では先端的なのです。それで、現在アメリカやヨーロッパの人たち
もこの機械を使って盛んにデータを集めていて、競争でやっています。私たちは、例え
ばこのロガーと大学院生をドイツの南極隊に派遣して共同研究をしたり、あるいはアメ
リカのカリフォルニア大学に派遣して共同研究をしたりして、先程紹介したような結果
を得てきているわけです。
バイカルアザラシにカメラとロガーの両方をつけて、リリーサー(自動切り離し装置)
をつけて回収して見てみると、バイカルアザラシが一体、水中でどのように潜っている
のだろうかということがわかってきました。400mくらいだと頻繁に潜っている、そう
いう時にアザラシはどういうスピードで餌を追っかけているのだろうか。昼と夜とでは
潜水行動が大きく違うというようなことも分かってきました。特に昼間、餌を追っかけ
ている時はスピードアップしている。昼間のある時間に、一気にスピードを上げる、そ
ういう時の体の向きなども明らかになりました。実際、アザラシが 40 度上に向いて餌
を追っかけているということが分ってきました。このように、データロガーとカメラロ
ガーの情報を組み合わせることによってこれまで推測の域を出なかったことが実証さ
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れるようになってきました。
これは、日本から世界に発信している最先端の研究ですが、是非、皆様方にこのよう
な研究に関心を持っていただいて、ご支援していただければ大変ありがたいと思ってい
ます。ご静聴まことにありがとうございました。
三橋
宮崎先生、ありがとうございました。
いくつかご質問があれば伺いたいと思いますが、その前に一つ、これは日本の役所とし
てはどこが中心でやっているのですか?
宮崎
私たちは文部科学省に属しておりますので、文部科学省からの予算を頂いてやる
ということになるわけですが、予算が非常に限られていて、そういう点ではなかなかや
りづらい部分があります。是非、民間の方々にご理解いただけると大変ありがたいと思
っていす。
三橋
マイクロデータロガーというのは、価格的にはどれくらいの物なのですか?いろ
いろな生物にお付けになるのですよね?
宮崎
これは、実は非常に小さいカンパニーが手作りでやっていて、私の要望に応じて
やっているのですが、1台 40 万円〜50 万円くらいです。アメリカやヨーロッパの人た
ちには「もっとたくさん作って安く世界に売れ」と言われているのですが、なかなか生
産が間に合わないということです。カメラも付けると、1セット 200 万円くらいになり
ます。
三橋
これはある程度、量産は可能なのですか?
宮崎
もう技術は確立していますので量産は可能なのですが、小さな会社がやっていて、
われわれの希望に沿っていろいろと技術開発してくれているものですから、なかなか大
量生産までいってないというところです。
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三橋
このロガーは日本で作られていて、海外で作られた物ではないのですか?
宮崎
これは日本オリジナルです。私たちのアイデアを取り入れて「リトルレオナルド」
という小さな会社の社長さんが理解して下さって、作ってくれた物です。今、世界が最
も注目しているジャンルです。これでも小型化されているのですが、もしこれがさらに
小型化されると、海の生物のあらゆるものに付けて情報を得ることができるということ
で一気に世界に広がっていくと思います。今はアザラシとかペンギンとかヒラメとかに
つけて調べているのですが、さらに小型化すると小さい魚までつけていられるというこ
とで、そうすると、そういう生物を通して海の世界、世界中の海の情報がどんどん入っ
てくるということで、全く新しいサイエンスが展開できるということだと思います。バ
イオロジングサイエンスというのは、われわれのネーミングです。この言葉がもう今、
世界で普通に使われるようになりました。
三橋
では他に、ご質問ございませんか?
谷口正次
是非教えていただきたいのですが、今、ロシアの極東のハバロフスク州辺り
で、違法伐採で相当森が消滅しつつあって、それが宮城県気仙沼の畠山重篤さん(牡蠣
の森を慕う会代表)と同じような感じで、日本海の豊かな水産資源が影響を受けている
のではないかとか、あるいは原子力潜水艦の問題とか、何かその辺で教えて頂けること
があればお願いします。
宮崎
只今の質問で、一つは、私は今日、お話しようかどうか悩んでいたのですが、実
は放射能の汚染というのが非常に深刻な問題です。ロシアは 1970 年代にアメリカに追
いつけ、追い越せということでその技術を確立して、あらゆる所にいろいろな施設を作
りました。例えば、われわれは北極海へ行きますと北極海の灯台のエネルギーはストロ
ンチウム(Strontium)を使った原子力電池です。それが今、半減期を迎えて(28.8 年で
半減期)、処分に困ってしまっているのです。それで、陸の所にどんどん捨ててある状
態です。
それから、ご存知のように潜水艦は海の中に捨てているわけです。そういうことで、本
当にそれでいいのかという議論が、今、国際的にされています。皆様方もニュースでご
存知だと思いますが、実は日本海にもどんどん捨てているということです。エリツィン
大統領の時に顧問であったヤブルコフという私の友達(科学アカデミーの生態学委員会
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の議長)ですが、その人がようやくロシアの核汚染(核放射能汚染)の実情を明らかに
しまして、その内容が 2003 年に Marin Pollution Bulletin に記載されました。この情報に
よると、日本海も非常に危険な状態であるだろうということです。ですから、このよう
な環境問題を国際的にどのように対応していくかということで、ロシア側からは共同で
いろいろと対応策を考えようではないかと要求が出ております。国連大学にもその役割
を担ってもらいたいという要請があったと聞いております残念ながら、日本も国連大学
も重い腰を上げておりません。それから、サハリンでは石油が見つかっており、日本の
石油企業も一生懸命石油を掘り出すよう努力しており、パイプラインをどのように設置
するかといった課題については様々な計画がたてられておりますが、その環境の問題、
特にオイルスピルの問題などが十分に対策がとられておりません現在、このような汚染
が非常に大問題になっております。アメリカのゴア前副大統領はその調査に対して積極
的で、アメリカの研究者はロシアと一緒に研究するようにして研究資金を得ていたので
すが、ブッシュ大統領になってからはそういうことは続かなくなり、非常に困っている
というようなことを聞いております。このようなことで、今まさに核汚染と石油汚染と
いうのが重要な問題になってきているということです。
三橋
他にいかがですか?
宮城利久
海の中には NaCl ですから塩素イオンがたくさんあるわけですね。いわゆる
有機塩素化合物というのは自然界の中でも何らかの条件が揃うと、合成されるものなの
でしょうか?私はそのようには思ってないのですが。それから、いろいろ世の中には
PCB を使った変圧器などの機器(今、PCB は使っていませんが)を、その使用条件の
中でもそういった塩素化合物というのが何らかの拍子に合成されるようなことという
のはあるのでしょうか?
宮崎
自然界では基本的には合成されません。いろいろと人為的に圧力をかけたり温度
調節をしたりして、芳香族の化学物質に塩素をいかにくっつけるかということは、すご
く技術的に大変だったのだと思います。それが確立したので、ミラーはノーベル賞をも
らったわけです。ですから、自然界の中で自然に生まれるということはほぼ無いだろう
と思っています。したがって、人為的に作られた化学物質などで、今度は生物がそれに
対して、進化の過程でそのような科学物質に遭遇したことが無いものですから、それに
対する抵抗力というのは非常に弱いということが分かってきて、いろいろな問題を引き
起こしてきていると考えています。
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ご存知のように塩素をどう対応するかということで、第1次世界大戦、第2次世界大
戦でも、毒ガスとかいろいろとドイツやらも含めて塩素の使い道を模索していたわけで
す。そのような模索の仕方が一方であって、もう一方ではミラーのように芳香族との化
合物にくっつけて新しい殺虫剤を作る。そういう点ではミラーは非常にいい視点で仕事
をされたわけですが、長期間、化学物質が使われた時にどのように生物に影響を与える
かということは予測してなかったのではないかと思います。
三橋
どうもありがとうございました。他にございますか?
海野恵一
今日はどうもありがとうございます。非常に耳新しいというか、非常に感銘
を受けました。私は、今までどちらかというと、商売にしても環境にしましてもいろい
ろと勉強してきていますのは、一番近い、隣の中国なのです。「企業を中国へ」という
ことで、毎月中国へ行っています。しかしながら、あの国内というのはどう見ても化学
物質による河川の汚染とかいうことがあって、特に日本海を挟んでいますので、直接影
響が無いとは言っても実際には黄砂が来たり、飛来鳥が来たりということがかなりある
と思うのですが、それについては、どのようにお考えになっていらっしゃるのかといこ
とが1点と、もう1点は、先程のロガーの話ですけれども、ある意味で私のやっている
専門領域なのですが、最近 IC チップが1個もうじき1円くらいになってしまうと思い
ますが、今のお話を伺っていますと 40 万円〜50 万円。その辺がブレイクするようにな
ってしまうのではないか、あと2〜3年で数千円の世界になってしまうのではないのか
なと思っていますが、先生もご存知ではないかと思いますが、どのように思っていらっ
しゃるのでしょうか。
宮崎
ありがとうございます。今出た二つの質問の、後ろの方から答えますと、正にそ
うです。ですから、最初に作るときは非常に手間ひまかけてお金をかけて作られて、こ
のアイデアはどんどん生かしていければいいということで、是非、そういう関心のある
人たちがジョイントして頂けると、日本から世界に発する非常に新しい産業が生まれる
のではないかと思っています。今のタイミングを逃しますと、アメリカも今、NSF
(National Science Foundation)に申請していますし、ヨーロッパでも EC にお金を申請
しております。ところが日本政府はすごく腰が重くて、われわれはファンドがなかなか
取れないことがあって、そういった意味で企業の方々が前向きに取り組んでいただけれ
ば、日本から世界に発信する新しい分野を生み出すことができます。
それから最初のご質問ですが、まさにおっしゃる通り、中国というのは非常に大事な
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国なわけです。私は太平洋と日本海とを比較して同じ生物を使って環境をモニタリング
しているのですが、日本海は非常に汚れています。それは、国はなかなか特定できない
のですが、中国がかなり農薬を使って農作物を作っているということが分かっています
ので、たぶんその影響が出てきているのだろうということです。ただ、ご存知のように
今、中国はなにしろ日本の以前のバブルの時期と同じでして、産業第一であって、環境
については非常に対応が遅い。実は私のところの研究者で中国の研究者が来ていまして、
博士号を私の所で取って今、中国で活躍されていますが、そういう若い世代の優秀な研
究者に中国でがんばっていただいて、中国政府の中で環境を考えていただくというチー
ムを作っていただいて、そしてわれわれとのネットワークで、国レベルの問題ではなく
て国を超えた形での環境保全というもののシステムを作っていけると大変いいのでは
ないかと思っています。環境問題の解決には、国同士というよりは、国際的な共同監視
体制を構築するなど、もう少し視点を変えた形でのアプローチが重要になってくるであ
ろうと思っています。
それからもう1点は、おそらく大学などにも行かれて視察されていると思いますが、
今は中国は教育に積極的に資本を投入しています。土地がたくさんあるので、大学の施
設なども非常に立派な物が出来ています。私も先日行って見て来ましたが、これは何年
かするとハード面では日本は追い越される可能性があると思っております。そうなると
日本では、いかに優秀な人物を育てて世界に輩出し、国際的に勝負していくかというこ
とが問われているわけです。日本の大学もそのようなところに力を入れた研究とか教育
を実施する必要性を痛感しております。
三橋
どうもありがとうございました。
今日は宮崎先生に非常に衝撃的なお話を伺って、その割には海洋汚染を食い止めるよう
な国際的な枠組みというのは非常に弱いような感じがして、引き続きどんどん悪化して
いるような感じもするのですが、何とかして行かなければいけないと思います。
どうもありがとうございました。
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