【視点・論点Ⅱ】 自治体経営 (1) 漸進的な満足化原則と顧客主義 (1)行政における「経営」の概念 「経営」は、資本主義・自由主義の中での企業活動を対象とする概念として一般的に受け止めら れており、利潤追求や売り上げ拡大の手段と認識されることが少なくない。とくに、戦後の日本で は、米国経営学の影響を強く受け、経営の言葉は「企業」を対象とした概念として広く定着してい る。しかし、経営の国語的な意味は、「規模・方針を定めて事業を行うこと。また、その組織」で あり、行政の組織、そこで活動する職員の行動メカニズムを対象としても「経営」たる概念は本来 的に十分成り立ち、また必要不可欠な概念になりつつある。より具体的に行政における経営の概念 を定めれば、「行政に投入された資源(人・資金等)を有効に活用する行動メカニズムとその組織」 と言うことができる。 では、なぜ行政には経営的概念が欠落していたのか。また、逆になぜこれからは必要となるのか。 その理由は、「行政可能性の無限化」から「行政可能性の限定化」への変化にある。 (2) 「無限化」から「限定化」へ、「満足化」から「最適化」へ 戦後のインクリメンタリズム(incrementalism:増分主義)体質の中では、行政のやれることは無 限であり、行政には何でもお願いできるという意識が住民や地域そして政治にも強まった。その背 景に、経済社会の専門化、分業化現象があることは本レポートでも既に指摘したところである。こ うした意識の高まりに応えるため、行政も努力し拡大し続けてきたのが実態である。すなわち、「行 政可能性を無限化」する認識が、官民そして政治においても主流となっていたのである。その実現 に向けた努力は、人や資金などの資源を追加投入し、過去から少しずつ前進し、既得権に大きな変 動を及ぼさない手法、すなわち「漸進的な満足化」の手法が中心であった。とくに地方自治体では、 国からの財源移転に依存する中で、少しずつ資源を追加投入し、少しずつ満足度を積み上げて行く、 いわゆる「満足化の原則」の中で、受益と負担が乖離する財政錯覚の現象が深刻化した。 以上のような資源の追加投入を基本とする「増分主義体質」においては、「経営」という概念は 成立しない。なぜならば、経営の概念は、投入された資源を一円でも有効に活用することであり、 追加的ニーズを追加的資源投入で実現することではないからである。追加投入型の増分主義では、 資源制約がない中で資源の有効活用ではなく資源の追加枠の確保が行政そして政治の行動様式と して根底に形成される。そこでは、行政は住民の満足を最大化することが命題となる。 今日、経営の概念が行政に求められているのは、追加の資源投入が困難となり、限られた資源の 中で住民のニーズに応えて行かなければならない状況となったからである。追加枠の確保、すなわ ち追加資源の投入が困難となる状況に至って初めて「経営」の概念は成立する。つまり住民の満足 の最大化を限られた資源を活用して実現する、いわゆる「最適化」を求めなければならないからで ある。「個々の満足度の漸進的積み上げ」から限定された資源の中での「最適化」を求める姿勢へ、 すなわち「行政可能性の限定化」への転換である。そこに初めて「限られた資源を如何に有効に活 用するか」の「経営」の概念が成立するのである。 「PHP 政策研究レポート」 (Vol.6 15 No.72)2003 年 6 月 【視点・論点Ⅱ】 自治体経営 (1) (3)顧客満足と公共サービス編成 留意すべき点は、民間企業の経営における「顧客主義」と行政組織の経営に求められる「顧客主 義」との性格の違いである(「顧客主義」の詳細については、本レポート 2002 年 10 月【視点・論 点】 「顧客主義の意味」参照) 。 民間企業の経営に求められる「顧客主義」では、その特色の第1は、リピーターを重視する点に ある。民間企業の経営では、自ら提供する商品やサービスの需要者のターゲットをある程度絞り込 み、その上で一人でも多くの固定客をつかむことが命題となる。これに対し、行政組織の経営では、 リピーターを重視した顧客主義を展開することはできない。役所に多く来てくれる住民、多くの公 共サービスを享受している住民を固定化し質の高いサービス提供に努めれば、公共性は従来以上に 歪み、財政危機も一層深刻化する危険性があることは多言を要しない。それだけでなく、大多数を 占める「無言の住民」(silent majority)がもつ潜在的公共サービス需要は認識されず、いわゆる 「声の大きい住民」への公共サービスが優先される結果ともなる。 特色の第2は、潜在需要の掘り起こしにある。消費者の求める商品やサービスは何かを市場調査 等によって把握し、眠れる需要を喚起して自社の販売の拡大に結び付けて行くことである。行政組 織の顧客主義でも、ある面では潜在需要の掘り起こしが必要となる。従来の行政による押し付けの サービスではなく、「住民が求める公共サービスとは何か」を掘り起こし、住民の視点に立ったサ ービスを提供することが公共経営に求められる大きな課題となっているからである。しかし、民間 企業の場合、掘り起こした潜在需要に対して価格等の要因によって需要量を直接コントロールする ことは可能である。これに対して、行政組織の経営の場合、掘り起こした潜在需要に対して価格等 により需要量を直接コントロールすることが極めて困難な場合が少なくない。市場価格で需要供給 が調整されることを基本とする民間サービスの場合、供給側である企業、需要者である消費者共に 選択性を有し、市場への参入、市場からの撤退も自由である。これに対して、公共サービスの提供 では、供給者である行政側に自主的な選択性は乏しく、参入、撤退の自由もない。単に潜在需要を 掘り起こせば、従来以上に行政の肥大化と国民・住民の行政依存が深刻化しかねない。 (4)満足度の供給者 行政における経営の視点から積極的に顧客主義を定義づければ、「地域価値」を最大に引き上げて 行くことといえる。官民パートナーシップで築き上げた地域価値を最大限に引き上げることを目的 とし、その中で住民の視点からニーズをとらえ適切に対応することである。個々の住民ニーズに対 応することで経営を行っても、地域全体としての最適性が確保されていることにはならない。しか し、さらに本質的な問題点として、公共サービスについて「満足度」を供給するのは行政だけでは ないとの認識をもつことである。公共サービス編成では、公共サービスの行政独占、すなわち「官 独占」を排除することが大きな目的となる。つまり、公共サービスの提供を行政だけでなく、民間 企業や住民にも担える仕組みにすることが目的となる。そこでは、公共サービスを通じた住民の満 足度を高めるのは、行政に加え公共サービスの提供を担う民間企業、住民である。したがって、住 民は満足度の受容者であると同時に供給者であるとの認識が不可欠となる。 「PHP 政策研究レポート」 (Vol.6 16 No.72)2003 年 6 月
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