アンカラと - トルコ大使館 文化広報参事官室

アンカラと
アナトリア中央部
儀式のシンボル、アンカラのアナトリア文明博物館
アナトリア
中部
峡谷に切り裂かれ、火山が聳えるアナトリア中部の黄土色の高地は、
トルコの中核地帯です。小麦畑に覆われ、ポプラ並木に縁取られた起
伏の激しい大草原は、孤高なる威厳を保っています。
アンカラ城塞
チャタルホユックの洞窟壁画、
アンカラのアナトリア文明博物館
この高地は、人類の文明の発祥地でもあります。チャタルホユックでは、紀元前 8000 年の集落跡が発見され
ました。また多くの文明の故郷であり、東と西の文明のせめぎあう歴史的な戦場でした。ビザンチン帝国、セル
ジュク王朝、オスマン帝国もこの地での主導権を握るために戦い、ここを統治しました。アナトリア中部は、ア
レキサンダー大王やティムールのような偉大な征服者による侵略がなされてきた地なのです。
古代より一万年もの歴史の間に、この地に生きる人々は、自分達の劇的な暮らしぶりを芸術に反映し続けてき
ました。それはチャタルホユックの生命力溢れる絵画や、セルジュク王朝の建築物の確固としたライン、最近で
はアタテュルク廟の印象的な近代的建築方式にも伺い知ることができます。
ネヴシェヒル、カッパドキア
アンカラ
アンカラの都市はアナトリアの中央部に位置し、標高 850m の広大なアナトリア高原の東端にあります。こ
の地域には非常に肥沃な小麦畑があり、北東には森が広がっています。北はチャンクルとボル、西はエスキシェ
ヒルに接し、南にはコンヤとアクサライ、東にクルクカレとクルシェヒルがあります。
アンカラ
この地域の歴史は青銅器時代のハッティ文明から始まり、紀元前 2000 年のヒッタイト、フリギア(紀元前
10 世紀)
、リディア、ペルシアに受け継がれ、その後のガラテヤ人に続き、ケルト人がアンカラに最初の首都
を作り上げました(紀元前 3 世紀)
。アンカラはその頃“いかり”
(海を愛するケルト語の最も古い単語の一つ)
を意味するアンキュラと呼ばれていました。
この都市はその後、ローマ帝国、ビザンチン帝国の支配下となり、セルジュク王朝のスルタン、アルプアルス
ランが 1071 年にマラズギルドの戦いにおいて戦勝し、トルコ民族にアナトリア大地進出への扉を開きました。
彼は 1073 年、軍事的に重要な位置にあり、天然資源も豊富なアンカラを、セルジュク・トルコの領土に併合し
ました。この地はローマ時代には文化、交易、芸術における重要な中心地であり、またオスマン帝国時代におい
共和国第 2 代国会議事堂
ローマ浴場遺跡
ては、シルクロードを東に向かう隊商達の重要な交易地として栄えます。しかし 19 世紀までにその重要性は次
第に失われてゆきました。
再度この地が重要性を取り戻したのは、ムスタファ・ケマル・アタテュルクがこの地を独立戦争を指揮するた
めの基地に選んだ時でした。独立戦争における重要な役割と戦略的な立地条件により、トルコ共和国が樹立した
際、1923 年 10 月 13 日にここが首都と制定されました。
ムスタファ・ケマル・アタテュルク
アタテュルク廟
見所
アタテュルク廟:アンカラ市内のアヌトテペ地域の高台に、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(トルコ共和国
創立者)の廟が聳えています。1953 年に完成したこの建造物は、古代・現代の建築上の観念を融合させた素晴
らしい作品で、現代のトルコ建築物を代表する傑作といえます。中には博物館があり、アタテュルクの立派な銅
像や、直筆の書、手紙、遺品の他、彼の人生及び共和国の樹立において重要な瞬間を記録する写真も展示されて
います。アタテュルク廟は年中無休で、博物館は月曜日休館です。夏の夜には光と音のショーが開催されます。
アナトリア文明博物館:アンカラ城門の近くにあります。古いキャラバンサライ(隊商宿)を美しく改造した建
物内には、旧石器、新石器、ハッティ、ヒッタイト、フリギア、ウラルトゥ、ローマ各時代の出土品やリディア
王朝の財宝物等、歴史的価値のある貴重な品々が展示してあります。
(月曜休館)
アタテュルク廟
アタテュルク廟
アタテュルク廟内博物館
民族学博物館:タラットパシャ通りのオペラハウスの向かい側にあります。民芸品、セルジュク時代やオスマン
時代のモスクからの素晴らしい品々が展示されています。
(月曜休館)
アタテュルク廟
アナトリア文明博物館
絵画彫刻美術館:民族学博物館の近くにあります。19 世紀末から現在までのトルコの芸術作品のコレクション
が収納されています。個展用のギャラリーもあります。
(月曜休館)
独立戦争博物館:ウルス広場に程近い場所に位置する、トルコ共和国の最初の国会であった建物です。独立戦争
の際、作戦会議が行われ指揮がとられた場所であり、当時を記録した様々な写真や記念品が展示されています。
また、ここにはトルコの歴代の大統領の彫像も陳列されています。
(月曜休館)
共和国博物館:独立戦争博物館の近くにあり、共和国第 2 の国会が置かれた場所にあります。共和国樹立初期
の重要な出来事を記録した展示が紹介されています。
(月曜休館)
クババ女神、アナトリア文明博物館
アナトリア文明博物館
儀式の象徴、アナトリア文明博物館
アタテュルク邸博物館:この博物館はチャンカヤの大統領官邸の敷地内にあり、アタテュルクが共和国樹立後に
移り住んだ建物です。アタテュルクが生活していた時代のままの状態で保たれ、当時の様々なイベントを記録し
た写真が展示されています。
(日曜と祝祭日のみ開館。開館時間―13:30 ~ 17:00)
自然歴史博物館:アンカラ市内、
エスキシェヒル通りの MTA(天然資源調査発掘研究所)の構内にある博物館で、
世界の革新的な進化の記録が紹介されています。
(祝祭日休館)
戦争の神、
アナトリア文明博物館
航空博物館:エティメスット地区にあり、各種小型・大型航空機の模型や、
飛行機と空の写真が展示されています。
(月曜・火曜休館)
TCDD(トルコ共和国国鉄)野外蒸気機関車博物館:ジェラル・バヤー
ル大通りにある鉄道駅構内で、
歴代の蒸気機関車が陳列されています。
(月
~金曜日開館)
TRT(トルコ・ラジオ・テレビ放送協会)博物館:オラン地区のトルコ
国営ラジオ・テレビ放送協会本部ビルの中にあり、トルコのラジオ放送の
歴史や当時の写真、古いラジオ等が展示されています。
(月曜日、水曜日、
金曜日開館。開館時間―11:00 ~ 15:00)
地図博物館:ジェベジ地区の国防省地図総司令部の建物内にある地図の博
物館で、
古い地図から最新のものまで展示されています。
(火曜、木曜開館。
開館時間―9:00 ~ 12:00、14:00 ~ 17:00)
メフメット・アーキフ・エルソイ博物館:ハジェテペ大学の中央キャンパ
スに位置します。かつてこの偉大な詩人はトルコ共和国国歌である独立行進
曲の歌詞をこの家にて創作しました。博物館内には沢山の彼の詩が展示され
ています。
(月~金曜日開館。開館時間―10:00 ~ 12:00、14:00 ~ 16:00)
絵画彫刻美術館と民族学博物館
気象学博物館:カラバ地区のサナトリウム通りに位置し、トルコの気象学の歴史が紹介されています。(土日祝
休館)
教育博物館:ベシュエヴレル地区のアンカラ・ガーズィ大学にあるトルコ共和国の教育の歴史と教育科学につい
ての博物館です。
(週末のみ開館)
玩具博物館:ジェベジ地区にある玩具の博物館で、木製や金属製、陶器や紙などでできたあらゆる玩具が展示さ
れています。
(水曜日と金曜日のみ開館。開館時間―10:00 ~ 17:00)
民族学博物館
中東工科大学博物館:中東工科大学構内にあり、
考古学的な出土品や民族学の展示があります。
(月~金曜日開館。
開館時間―9:30 ~ 15:30)
アタテュルク邸博物館
ペンベキョシュク博物館
トルコ農業銀行博物館:農業銀行ウルス支店内にある博物館で、美しい建築物の中に硬貨や紙幣のコレクション
が陳列されています。
(月~金曜日開館。開館時間―8:30 ~ 17:30)
民族学博物館
歴史的建造物とモニュメント
アンカラ城:ごつごつとした溶岩が突起する地の上に建つこの城は、ガラテヤ人によって建築が始められ、ロー
マ帝国時代に完成されました。その後、ビザンチン帝国とセルジュク朝によって修復や増築が行われています。
城の位置する地域はアンカラで最も古い地区で、城壁内には伝統的な建造物が数多く見られ、緑も豊かで心休ま
るところです。アンカラ地区は、紀元前 2000 年頃のハッティとヒッタイト時代にワインが発祥した地として知
られています。最近、この地域の伝統的な建造物が修復され、地元料理や多国籍料理、ワインを味わえるレスト
ランに改装されているところもあります。
ローマ劇場:この遺跡は、城の外からステージと舞台裏を見ることができます。ここで発掘されたローマ時代の
彫刻はアナトリア文明博物館に展示されています。客席部分は現在発掘中です。
ユリアヌスの柱
ローマ浴場遺跡
アブディ・イペックチ公園
アウグストゥス神殿:この神殿は街のウルス地区にあります。西暦 10 年にガラテヤ人の王ピラメネスがアウグ
ストゥスを祀るために建設したもので、2 世紀にローマ人によってアンカラのアクロポリスに建て直されました。
「アンキュラ時代のモニュメント」として非常に重要で、基部にはアウグストゥスの言葉が刻まれ、壁にはラテ
ン語とギリシャ語で彼の偉業が記されています。5 世紀になると、ビザンチンによって教会に改造されました。
アンカラ、カレイチ地区の古い民家
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アンカラ城塞
ローマ浴場跡:ウルス地区のチャンクル通りにあります。フリギダーリウ
ム(冷浴室)
、テピダーリウム(微温浴室)
、カルダーリウム(高温浴室)
があり、ローマ浴場の典型的な特徴を備えています。この浴場は、医学の
神であるアスクレピオスを讃えるため、カラカラ帝(3 世紀)の時代に作
られました。現在では基礎部分と 1 階部分のみが残っています。
共和国のモニュメント:1927 年にウルス広場に建立されました。アタテュ
ルクとトルコ国民が独立戦争で自由を勝ち取ったことを記念するモニュ
メントです。
栄えある未来を讃えるモニュメント:ギュヴェン公園にあるこのモニュメ
ントは 1935 年に作られ、
「誇りを持ち、
よく働きそして自分を信じなさい」
というアタテュルクの国民への言葉が刻まれています。
ユリアヌスの柱:ウルス地区にあるこの柱は西暦 362 年に建てられまし
た。ローマ皇帝であったユリアヌス帝の来訪を記念して作られたといわれ
ています。高さは 15 メートルで、
柱頭には木の葉の飾りが施してあります。
勝利のモニュメント:1927 年にスヒエ地区のザフェル広場に建立された、
軍服を着たアタテュルクのモニュメントです。
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コジャテペ・モスク
ハッティ・モニュメント:1970 年代にスヒエ地区に建てられました。この印象深いモニュメントには、ハッティ
の神のシンボルが飾られ、古代アナトリアの人々を讃えています。
モスク
ハジュ・バイラム・モスク
ウルスのアウグストゥス神殿の隣にあり、15 世紀にセルジュク様式で建造されたモスクです。その後、16 世
紀にシナンによって修復され、18 世紀にキュタフヤ・タイルによる装飾が加えられました。このモスクは、隣
接した墓所に葬られているハジュ・バイラム・ヴェリを称えて建設されたものです。
ハジュ・バイラム・モスク
アスランハーネ・モスク
13 世紀、城塞のそばに建てられたセルジュクのモスクです。ここでは、セルジュク様式タイル貼りのミフラ
アスランハーネ・モスク
ミナレットの先端につける三日月形の装飾を作る職人
ブ(メッカへの方向を示す礼拝用の壁がん)や、木の柱を使った珍しい二重列柱などが見られます。
アーヒ・エルヴァン・モスク
ウルス地区の城塞近くにあり、14 世紀後半から 15 世紀初めにかけて完成されました。
繊細に彫り込まれたクルミの木製の説教台は必見です。
アラーッディン・モスク
城郭の内側に建てられているモスクです。クルミの木製の説教台には、このモスクが 12 世紀のセルジュク王、
アラーッディン・ケイクバッドによって建てられたとの文章が刻まれています。
アスランハーネ・モスク
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ハーリカラル・ディヤル公園(ガリバー公園)
イェニ(ジェナブ・アフメット)モスク
16 世紀の有名な建築家、シナンによって建築されたアンカラでも最大のオスマン様式のモスクです。白い大
理石作りの説教台とミフラブ(礼拝用の壁がん)
、全体にアンカラ・ストーン(赤色斑岩)が使用されたモスク
そのものが、巧みな職人技を示した芸術品です。イェニ・モスクはウルジャンラル通りにあります。
コジャテペ・モスク
近年建造されたオスマン古典様式の巨大なモスクで、4 つのミナレットを持っています。1967 年〜 1987 年
にかけてコジャテペ地区に建立され、その大きさと場所柄からランドマークとなっています。
公園
アルトゥン公園
アンカラには気持ちよく過ごせる公園や公共の広場がたくさんあります。アタテュルクが樹木や自然を大切に
ハーリカラル・ディヤル公園(ガリバー公園)
ギョクス公園
するよう提唱していたため、共和国設立当時から作られていたものです。
主な公園には、ゲンチリック公園(遊園地もある)
、植物園、セーメンレル公園、アナヤサ公園、クール公園、
アブディ・イペックチ公園、ギュヴェン公園、デメットエヴレル公園、ジェムレ公園、カレ公園、アヌト公園、ギョ
クス公園、ハーリカラル・ディヤル公園(ガリバー公園)
、クルトゥルシュ公園(アイススケート場)、アルトゥ
ン公園(イベント広場)などがあります。
アタテュルク・オルマン・チフリィ(アタテュルク農園および動物園)は、現在賑やかに発展している市街地
にあり、
一日中楽しく過ごせる場所です。今はギリシャ領のテサロニキで生まれたアタテュルクの生家の復元や、
素敵なレストラン、カフェがあります。ここで味わえる農園特製の美味しいビールや、昔ながらのアイスクリー
ム、ヨーグルト、ミルク、ミートロールなどはとても人気があります。
植物園とアタクレ
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芸術と文化
アンカラはオペラ、バレエ、ジャズ、モダンダンスの中心地で、有名なプレジデンシャル・シンフォニー・オー
ケストラの本拠地でもあります。また、野心的な作品を上演する劇場もたくさんあります。公営、私営のギャラ
リーでの展覧会に加え、アタテュルク文化センターでも沢山の展覧会が催されています。国内外の映画を上映す
る映画館も多く、さまざまなテーマに沿ったフィルム・フェスティバルも年間を通じ数多く開催されます。
毎年 4 月と 5 月には国際芸術音楽フェスティバルが開催され、トルコや諸外国の第一線の音楽家たちの公演
が行われます。4 月 23 日のチルドレン・フェスティバルも盛大で、
世界中各地の子供たちが参加します。アルトゥ
ン公園では、年中楽しい催しが繰り広げられています。
絵画彫刻博物館
ショッピング
旅行者が好む昔ながらの商店は、ウルス近くのチュクルクチュラル・ヨクシュにあります。銅細工職人(バク
ルジュラル・チャルシュス)の通りは特に有名で、銅製品に限らず、宝石、絨毯、衣類、骨董品、刺繍品など、
古い物から新しい物までいろいろなものが見つかります。
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アタクレ
城門に向かって丘を登ると、香辛料、ドライフルーツ、ナッツなどあらゆる種類の食品を扱う商店が建ち並び、
新鮮な物を大量に購入できます。
クズライ、クルムショッピング・モールのあるトゥナル・ヒルミ通り、チャンカヤのアタクレ・タワーは、近
代的なショッピング・エリアです。アタクレ・タワーの最上階(125m)からは、街全体が見渡せ、壮大な眺め
が楽しめます。また、回転レストランもあり、360 度の風景が気軽に楽しめます。ウミットキョイ地区のガレ
リアデパート、ビルケント・センター、ソーウトオズ地区のアルマダデパート、アクキョプルのアンカマルデパー
ト、
バトゥケントのカルフール SA など買い物にはもってこいの近代的なショッピング・モールも数多くあります。
アタクレ・モール
サマンパザル
刺繍をあしらったスカーフ
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カラギョル湖
アンカラの均衡
アンカラからコンヤ方面に 25km 南下すると、ギョルバシュ湖があります。美しい風景で知られ、湖岸には
美味しいレストランもあります。アンカラの 15km 南西にあるインジェクは、アンカラ市民に人気の行楽地で、
果実の木々や緑の生い茂る場所やピクニックエリアがあります。
ピクニックには、カラギョル湖もおすすめです。この湖へはアンカラから空港への道を 68km 北上し、チュブッ
ク方面に曲がります。
市を取り囲む形で存在する、チュブック(チャンクル高速道路沿い 15km)
、クルトゥボアズ(イスタンブー
ル高速道路沿い 50km)
、バユンドゥル(クルクカレ高速道路沿い 15km)の 3 つのダムは、水泳やピクニック
に最適です。レストランもあり、バユンドゥルには設備の整ったキャンプ施設もあります。その他にアンカラに
はサルイェル、ケシッキキョプリュ、ヒルファンル、アサルテペ、チャムルデレなどのダムがあります。
クルトゥボアズ・ダム
ギョルバシュ湖
散策を楽しむには、3 つの森林があります。市の南、クルシェヒル高速道路沿い(54km)にはベイナム森林、
北のイスタンブール高速道路沿い(82km)にはクズルジャハマム ソーウクス国立公園があり、この道をさらに
行くと(110km)チャムコル森林があります。ピクニックに適した美しい場所がたくさんあり、都会の喧噪を
逃れるには理想的です。
エルマダー山(標高 1,855m)は、アンカラから 23km に位置し、市街からもその姿が臨めます。この山に降
る初雪が冬の到来を告げると、リゾート地ではスキーやウィンタースポーツのシーズンがはじまります。
カラギョル湖
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エルマダー山 スキーリゾート
温泉
アンカラ地方には、クズルジャハマム温泉(北へ 80km)
、ハイマナ温泉(南へ 72km)
、アヤシュ温泉(北西
57km)
、ドゥトゥル温泉(85km)
、チュブクのメリクシャフ温泉(30km)
、ポラトゥルのマルキョイ温泉(80km)
の 6 つの温泉施設があります。どこも快適な設備が整い、ストレス解消に最適です。温泉には、リラクゼーショ
ン効果だけでなく、さまざまな効用があります。
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ミダスの記念碑 ヤズルカヤ、エスキシェヒル
アンカラからハイマナ高速道路を 60km ほど行ったデレキョイに近いギャウルカレシにはヒッタイトモスクの
野外遺跡があり、墳墓と 2 体のヒッタイト神のレリーフを目にすることができます。
アンカラ西部
アンカラ近郊のエスキシェヒルとアフヨンカラヒサルには、アナトリアでも最も重要なフリギア時代の遺跡が
あります。
アンカラより南西、
エスキシェヒル高速道路を通って 105km の位置にあるヤッスホユック(ゴルディオン)は、
フリギア王国の首都でした。またアレクサンダー大王がゴルディアン・ノット(ゴルディオンの結び目)を断ち
切ってアジア遠征の鍵を手に入れた場所でもあります。ここからは、触れるもの全てを黄金に変えたと言われる
ミダス王の古墳墓へ行く事も出来ます。
近くには現在発掘中の古代都市ゴルディオンと小さな博物館などもあり、
ちょっとした見所となっています。
ミダスの古代都市、エスキシェヒル
ゴルディオンの古代都市の壁、ポラトル、アンカラ
アンカラ―エスキシェヒル高速道路をさらに行くと、フリギアの信仰の重要な中心地であった、バルルヒサル
(ペッシヌス)があります。
最も重要な施設は、フリギア文化での信仰の中心であった地母神キベレを祀った神殿です。小さな野外博物館
には、興味深い彫刻や墓石があります。
アフヨンカラヒサルとエスキシェヒルの間に位置するミダスの都市(ヤズルカヤ)には、岸壁を削って作られ
た二つの巨大な門があり、壁がんには、当時キベレ地母神像が納められていました。
この辺り一帯は、石墓や洞窟めいた穴が開けられた砂岩などがみられます。この場所から下にある谷までは、
地下通路が作られています。
シヴリヒサル、エスキシェヒル
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アスランタシュ、エスキシェヒル
アスランタシュとアスランカヤは両都市ともフリギア時代の信仰の中心
地でした。アスランタシュはアフヨンカラヒサルから 34km 北に位置し、
堂々たるライオン 2 頭のレリーフがあります。アフヨンカラヒサルから
52km のアスランカヤには、神殿とライオンのレリーフが残っています。
また、近くのドアンルカレ、キュムベット、デヴェボユヌまで足を伸ばせ
ば、フリギア時代の他のモニュメントも見られます。
を代表する 3 つの博物館は、それぞれ訪れる価値があるものです。考古
学博物館ではこの辺りの出土品や彫刻などが展示されており、海泡石パ
イプ館では数々のパイプやその他の海泡石による工芸品が展示され、ア
タテュルク文化博物館ではアタテュルク本人の写真や、個人的な所持品、
海泡石で作られた品々といったものが見られます。エスキシェヒル周辺の
鉱山では、世界最高品質の海泡石が産出されます。
エスキシェヒルは紀元前 1000 年頃にフリギア人たちによってポルスク
川の岸辺に築かれました。代表的な建築物として、
13 世紀のアラエッディ
ン・モスクや、16 世紀のクルシュンル・モスクなどがあります。この街
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海泡石のパイプや海泡石の工芸品は、市内の土産物屋などで売られています。
湧水湖に囲まれたサカルヤバシュは美しい公園に囲まれた地帯で、爽やかな空気と新鮮な魚料理を求めて、多
くの旅行客がここを訪れます。
シヴリヒサルの魅力は、数々の典型的オスマン風の家並みが、在りし日の優雅な雰囲気を今に伝えているとこ
ろにあります。もとは隊商宿であった 13 世紀のウルモスクや、アレムシャー霊廟も訪問する価値のあるところ
です。絨毯やキリムの目利きの人なら、シヴリヒサルのキリムが格別なものであることに気付くでしょう。
シヴリヒサルの近郊、ナスレッディン ホジャ村には、ナスレッディン ホジャ美術館があり、民芸品のほか、
頓知で有名な彼のエピソードや絵などが紹介されています。
セイイット・バッタル・ガーズィ・コンプレックス、
エスキシェヒル
海泡石のパイプ
ミダス王の墓跡
セイイット・ガーズィの丘には、13 世紀のモスクや「イスラムの戦士」セイイット・バッタルを祀る霊廟な
どが建っています。
ユヌス・エムレ村には、13 世紀の詩人、ユヌス・エムレの墓所があります。
彼の詩はいまでも広く知られ、その愛と慈悲のメッセージが色褪せることはありません。街では毎年 5 月に
ユヌス エムレを記念する行事が開かれています。また、彼の墓の近くにはその生涯と作品を讃えた博物館が隣
接しています。
ポルスク・ダム、エスキシェヒル
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ウルガス山、カスタモヌ
アンカラ北部
アンカラから 130km にある今日のチャンクルは、紀元前 3 世紀ガラテヤの植民地であったガングレアに由来
します。このあたりでは、最も古いもので紀元前 3000 年頃の文化生活の痕跡が確認されています。周辺には、
重要な墳墓群があり、チャンクル博物館では様々な文明の出土品が展示されています。
11 世紀の要塞であった遺跡からは市街を一望することができます。
トルコで最も偉大な建築家、シナンによって 1558 年に完成されたウルモスク(スルタン・スレイマン)は、
オスマン時代の文化を偲ばせるものです。
チャウンドゥル温泉での入浴と飲泉は、リューマチ、その他の炎症性疾患に効果があります。源泉は 54℃で、
湧出量は秒速 47 リットルあります。
市街地には 1242 年に建設された中世の病院施設、タシュ メスジット(ジェマレッティン・フェッルフ・ダァ
ルハディシ)があります。
ウル・モスク
チャンクルの伝統的な民家
チャンクルの北には美しいウルガズ国立公園とスキー場があり、公園内はプールやカフェが併設され、緑ある
憩いのエリアとなっています。
チャンクルより南西 15km のエルディヴァンそばのビュルビュルプナルは、緑のあふれる絵画のような素晴ら
しい景色が楽しめるピクニック・スポットです。
チャンクルの古い町並み
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12神の行進のレリーフ、
ヤズルカヤ、ボアズカレ、ハットゥシャシュ
アラジャホユック、チョルム
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アンカラ
北東部及び
東部
クルクカレは、アンカラから黒海までを結ぶ高速道路沿いに位置し、急速に発展しつつある産業の中心地です。
クルクカレを流れるクズルウルマック川(紅い川)は、古代よりハリスの名で知られており、川べりではのどか
な風景に囲まれたレストランなどで、午後の時間をのんびり過ごしたり、閑静なジェラル・バヤール公園を訪れ
たりすることができます。
クルクカレには銃器博物館があり、地元の銃工場で製造された様々なタイプの銃器類が展示されています。
高速道路の分岐点を過ぎて東へ向うと、アンカラより 217km 先にあるヨズガットへ至ります。ヨズガットは
18 世紀オスマン時代の人々によって建設された町で、チャパノールモスクとスレイマンベイモスクという二つ
の重要な建造物が残されています。
トルコ独自の魅力的な建築様式の例である 19 世紀のニザモール邸では、民芸品などが展示されています。ユ
スフ・カルスルオール邸考古学博物館では、ハッティ、ヒッタイト、フリギア、ローマからビザンチンに至る時
代までの出土品が見られます。市街から数キロ南にはチャムルック国立公園があります。
クズルウルマック川、クルクカレ
キュルトゥル公園、クルクカレ
初期ヒッタイトの主要な遺跡は、その殆どがヨズガットとチョルム市の間にあるチョルム地方のボアズカレ国
立公園に集中しています。
印象的な二重の城壁は、王の門、ライオンの門、イェル・カプ(地下トンネル)を廻り、ヒッタイトの都市ハッ
トゥシャシュであった現在のボアズカレを取り囲んでいます。
このヒッタイトの宗教都市には 70 以上の神殿が作られ、
「神殿の街」の名を冠していました。
ここでの最大の遺構は、嵐の神であるテシュップの神殿です。アクロポリスには、行政施設と王宮、ヒッタイ
ト帝国の公文書館が立ち並んでいました。ハットゥシャシュは紀元前 1180 年にフリギアの攻撃によって破壊さ
れましたが、その後の大掛かりな発掘調査により、城壁が大規模に復元されています。
ヨズガットの時計塔
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ヤズルカヤは紀元前 13 世紀に造られた岩造りのパンテオンで、ヒッタイトの神々や女神のレリーフが良好な
状態で残されています。
ボアズカレの北、チョルムへ抜ける道路沿いにあるアラジャ・ホユックは、青銅器時代にヒッタイト文明が繁
栄した場所でした。アンカラのアナトリア文明博物館に収蔵されている、ヒッタイトの金と青銅の素晴らしい出
土品は、この時代の王墓から発掘されたものです。
スフィンクス門のようなヒッタイト時代の建造物は、アラジャ・ホユックに残されています。チョルム郊外に
あるヒッタイトの重要な植民地であったアリシャルやマサトホユック、オルタキョイ地区のシャピヌヴァなどは、
チェケレキ川沿いの美しい田園地帯の中にあります。シャピヌヴァは、ヒッタイト帝国の中で第 2 の重要都市で
した。アブドゥッラーとカルグ台地の間に位置するハジュハムザ村では、地域独特の建築様式が興味を引きます。
チョルムの時計塔
伝統的な結婚式、イスキリップ、チョルム
ヒヨコ豆、チョルム
チョルムはアナトリア中部から黒海までを結ぶ道路上にある重要な都市です。そしてトルコ国内でも上質なヒ
ヨコ豆の産地です。歴史的に重要な建造物、13 世紀のウル・モスクや、19 世紀の時計塔などがあります。この
時計塔はミナレットの形で建造され、高さは 27.5m、直径 5.3m、8 面の基礎を持ち、81 段の螺旋階段があります。
メルズィフォンはアマスィヤから 49km 北西にある小さな町で、15 世紀のチェレビ・スルタン・メフメット・
メドレセシ(神学校)
、17 世紀のカラ・ムスタファ・パシャ・モスクといった、オスマン時代の建造物があります。
メルズィフォンから 22km のところにあるギュムシュハジュキョイもお勧めの場所です。19 世紀からの市場や、
15 世紀のハリリエ・メドレセシ、
18 〜 19 世紀のヤークプ・パシャ造幣所やマデン・モスクなどの見所があります。
ウル・モスク、チョルム
32
アマスィヤ
イェシルウルマック(イリス)川の峡谷には、紀元前 3 世紀のアマスィヤ遺跡があります。
ごつごつした岩の上に、オスマンの宮殿と秘密の地下道のある城跡が残っています。
街を見下ろす岩肌に刻まれたローマ時代の石墓は、夜になるとライトアップされ、素晴らしい眺望が望めます。
周囲の美しい自然景観と、壮麗な古代建築の遺産が相まって、アマスィヤはトルコでも有数の美しい街と賞賛さ
れています。
観光名所の中でも見逃せないのが、13 世紀のセルジュク時代のブルマル・ミナーレ・モスク、トルムタイの
墓、ギョクメドレセ・モスク、正面に愛らしいレリーフのある 14 世紀のイルハニドゥ病院、15 世紀のベヤズッ
トⅠ世モスクと珍しい八角形のカプ・アー・メドレセです。
33
イェシルウルマック川の北岸のハトゥニイェ地区(ヤルボユ)に建つ伝統的なトルコの木造邸宅コナックは改
修にて元の壮麗な姿に復元され、現在はゲスト・ハウスとなっているものもあります。中でもひときわ美しい
19 世紀のハゼランラル・コナーウは、一階部分がアート・ギャラリーになっており、二階部分が民俗博物館になっ
ています。
考古学博物館には、地元の出土品や、アマスィヤを統治したモンゴル・イルハニドゥのミイラなど、面白いコ
レクションがあります。川沿いにはカフェやレストラン、ティー・ガーデンが並んでおり、街のロマンチックな
雰囲気を味わえる落ち着いた場所です。チャカルラル丘の上からは、
市街の美しい眺望を楽しむことができます。
リラックスするのに最適な場所は、アマスィヤの近郊にあります。壮大な山々に囲まれたボラバイ湖は、日帰
り旅行で人気があります。アマスィヤから 63km 北東、標高 1050m の場所です。また、アマスィヤから 32km
行った所には、
「7 羽の白鳥の天国」と呼ばれる渡り鳥の保護地区があります。さらに 36km 行くと、テルズィキョ
イ温泉というホテルや宿泊施設を完備した温泉施設もあります。
伝統的なアマスィヤの民家の内装
メルズィフォンの時計塔
ハゼランラル・コナーウ、アマスィヤ
アマスィヤ地方は全体に果樹園が多く、世界で最も美味なリンゴの生産地です。
同じくイェシルウルマック川沿いのトカットには、セルジュク時代とオスマン時代の建造物があり、街の風景
に荘厳な絵画のような趣を与えています。これら歴史的な建築の中には、28 の塔を持つ城跡、11 世紀のガーリ
プレル・モスク、セルジュク時代の橋などがあります。
ボラバイ湖、アマスィヤ
34
トカットでも最も美麗な建築のひとつである 13 世紀のペルヴァネ・ベ
イ・ダールッシュシファス(ギョク メドレセ)は、
現在、
考古学博物館になっ
ています。
トカットは地域商業の中心地であり、タシュハン、スルハン、ヤージュ
オール・ハヌ、ガーズィ・エミール(ヤズマジュラル)ハヌといった交易
のための倉庫群が残されています。
市内中心のスル通りを歩くと、通りには宿、霊廟、市場やハマムなどが
建ち並び、トカットの素敵な町並みの眺めを楽しめます。
ガーズィ・エミール(ヤズマジュラル)ハンでは、600 年の伝統を誇
るトカットの名物、木版刷りの布を数多くご覧になれます。
伝統的な彫りと彩色を施された木版や壁は、トカットのコナック(邸宅)
にひときわの優雅さを加えています。
チェンゲル、トカット
紀元前 47 年、ローマ帝国は 4 つの都市、後の紀元 1 世紀にポントゥス
州となったコマナ、ゼラ(ズィレ)
、ネッカエサレア(ニクサル)、セバス
タポリス(スルサライ)を征服しました。
ニクサルはトカットから北東 55km のところにあり、かつてはダニシュ
メンドゥ首長国の首都だった都市です。市内には保存状態の良い城跡や、
彫刻が施された石造りの門が威容を誇る 12 世紀頃のチョレイ・ビュユッ
ク・モスクといった、トルコ初期の建造物が残されています。
アマスィヤの南、
トカットの西にはズィレがあります。ここは、
戦いで早々
と勝利をおさめたジュリアス・シーザーが、トカット産の上質なワインを
一気に飲み干して、有名な「来た、見た、勝った」を宣言した場所です。市
街を守る城郭跡の下には、1269 年建造のウル・モスクが復元されています。
木版プリントの布
バルルジャ洞窟、トカット
シヴァスは、中世には交易の重要拠点で、ペルシャとバグダットへ抜け
るキャラバン・ルートの分岐点に位置しています。1142 年から 1171 年
の間、ダニシュメンドゥ首長国の首都が置かれ、セルジュク時代には特に
重要な都市でした。現存する建築物や建造物は、この時代のシヴァスの威
光を物語っています。
19 世紀のマドゥマウン ジェラリン コナックとラティフオール コナッ
クは、かつての美しい姿に復元され、100 年前のトルコの田園地方での
良き暮らしを彷彿とさせています。
トカットのバルルジャ洞窟では沢山の化石を見ることができ、これもま
た見逃せません。
この洞窟は、全長 680m、5 階層で、8 つの大きな空間があります。鍾
乳石や石筍で埋め尽くされた洞窟内の空気は喘息に効果があります。
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ディヴリーイ・ウル・モスクと病院、シヴァス
ディヴリーイ病院、シヴァス
ウル・モスクはダニシュメンドゥ首長国時代のものです。13 世紀に建
てられたイゼッディン・ケイカヴス・シファハネシ(病院と医学校)
、美
しい装飾のギョク メドレセシ神学校、2 本のミナレットのあるチフテ・
ミナレ・メドレセ、ブルジイェ・メドレセなどからは、セルジュク時代の
人々の美意識が感じられます。1919 年、シヴァスで行われた国民議会で、
外国の支配からトルコを独立させる決議が採択されました。
19 世紀当時議会が行われた建物は今日修復されてアタテュルク議会博
物館となっており、独立戦争や民族の歴史に関する展示があります。ブル
ジイェ・メドレセ内の考古学と石の美術館では、地元で発掘された出土品
や、浮き彫りで装飾されたイスラムの墓石などが見られます。19 世紀の
アカイラル住居博物館は民俗博物館となっています。
シヴァス市内では古くから上等な地元織物として名高い、素晴らしいシ
ヴァス絨毯が売られています。
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シヴリアラン村には、当地で生まれ、ここで生涯を過ごした有名なトルコの詩人アーシュック・ヴェイセル
(1884 〜 1973)の記念館があります。
シヴァスから 68km 南のカンガルは、紀元前 3 世紀ころガラテア人とともに来た、トルコで最も有名な血統
であるガラテアの犬、カンガル犬のふるさとです。金色の毛並みを持つカンガル犬は、牧羊犬として働いていた
能力を生かし、警察犬や番犬として活躍しています。カンガルから 12km 北東に離れた所にあるのは、有名な
バルックル・カプルジャ温泉です。36℃の温泉には重炭酸塩、カルシウム、マグネシウムが含まれ、皮膚病を
治すといわれる小さな魚が沢山泳いでいます。その他シヴァス近郊で有名な温泉には、スジャック・チェルミッ
キ(温泉)とソーウク チェルミッキ(冷泉)があります。
ギョクメドレセ、シヴァス
バルックル・カプルジャ(魚の温泉)、シヴァス
カンガル犬、シヴァス
ディヴリーイは、かつてはビザンチン帝国の辺境領でしたが、12 世紀から 13 世紀にかけてメンギュジェッ
キ首長国の首都となった街です。かなり離れた不便な場所ではありますが、観光客は 1229 年建造のウル・モス
クやメドレセを一目見ようとやって来ます。正門に施されたセルジュクの石彫は、生き生きと表現された動物や
花々が見事です。この地は、UNESCO の世界遺産に指定されています。
シヴァス
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38
ネヴシェヒル、カッパドキア
アンカラ南東部
古代に作られたクルシェヒルは、中世になってアヒ教団の本拠地となりました。この教団はイスラム教の一派
で、その倫理観と社会的な理念はアナトリア地方において精神面や政治面に非常に大きな影響を与えています。
この街にはセルジュク時代の素晴らしい建造物が数多くありますが、なかでも 1272 年に作られたジャジャベ
イモスク(かつての天文台)
、1230 年に作られたアラエッディン・モスク、アヒ教団の創始者の墓のそばにあ
るアヒ・エヴラン・モスクは見逃せません。
街の外れ、カイセリへの道路沿いにモンゴル統治時代の 1333 年に建てられた美しいアシュク・パシャの霊廟
があります。クルシェヒルの考古学博物館には主にカレホユックからの出土品を展示してあります。クルシェヒ
ル地方のカマン周辺は、カレホユックの遺物発掘の中心地で、現在も発掘作業が続けられています。
カレホユックの近く、ハッティとヒッタイトの居住地はトルコで最も大きな公園の一つである三笠宮記念庭園
になっており、33 種類、16,500 本の木が生えています。
ケシッキキョプリュ・ダム、クルシェヒル
ハジュ・ベクタシュ・ヴェリ博物館、
ネヴシェヒル
ネヴシェヒルとカッパドキアへ向かう道路は、14 世紀にハジュ・ベクタシュ・ヴェリがベクタシュ・スーフィー
教団を確立した町ハジュベクタシュを通ります。ここには霊廟やモスクとともに、教団の教義である愛と慈悲に
従う旋舞修道僧たちの住む修道院がありました。現在、これらの施設は博物館として一般に公開されています。
このあたりで豊富にとれる蜜やバラの色をした瑪瑙は、
この教団の信者によって使われたためハジュベクタシュ・
ストーンとも呼ばれています。街では素晴らしい瑪瑙のみやげものが手に入ります。考古学民俗誌学博物館も一
見の価値があります。
アシュク・パシャ霊廟、クルシェヒル
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ユルギュップ、ネヴシェヒル
ネヴシェヒルはカッパドキアへの入り口です。街には、一番高い丘の上
にあるセルジュク時代の城、偉大なヴィズィエル・ダーマット・イブラヒ
ム・パシャのために建てられたクルシュンル・モスクなどの歴史的な建物
があります。モスクとともに神学校、病院、図書館もあります。中庭にあ
る沐浴用の噴水には当時の銘文が残っています。ネヴシェヒルの博物館に
は、地元の工芸品が飾られています。
金、緑、グレーなど色とりどりの円錐形やキノコ型の岩、穴の空いた峡谷
など壮観で現実離れした風景ができあがったのです。
ローマ時代にカッパドキアとして知られていたギョレメ国立公園は、周
辺の自然を損なうことなく人間の手の入った世界でも珍しい地域です。岩
をくり貫いた住居は紀元前 4,000 年に作られたものです。
ビザンチン時代には教会や修道院が岩に穴を掘って作られ、その金色の
フレスコが周辺の風景の色を反射しています。今日でも、円錐岩の洞窟住
居と火山灰でできた家は、周りの風景に調和しながらとけ込んでいます。
300 万年前エルジイェス山(3916m)とハサン山(3268m)の巨大な
噴火により、ネヴシェヒルの回りの高原は石灰華、溶岩を含んだ軟らかい
石、火山灰、
泥で覆われました。風と雨によってこの脆い岩が浸食され、
赤、
40
ユルギュップは洞窟住居が作られた岩の麓にある人気の観光名所で、
カッパドキア観光の足場とするにはうってつけです。ユルギュップでは、
岩の家での人々の暮らしぶりを知ることができます。
絨毯やキリムを買いたい場合は、街に数多くの絨毯屋があり品揃えも豊
富です。店員達は、客にお茶やコーヒーやワインをすすめながら会話を楽
しみ、絨毯と同じように表情豊かでカラフルです。もし観光や買い物で飽
きたらなければ、ディスコなどの娯楽も充実しています。
また、ワインの名産地として、ユルギュップでは毎年 10 月に国際ワイ
ンフェスティバルが開催されています。
ケシュリック渓谷には、修道院とフレスコ画で飾られたカラ・キリセと
メイヴァル教会があります。幹線道路に戻ると、タシュクンパシャの村が
あります。ここには、14 世紀のカラマニドゥ・モスクと霊廟や神学校の
正面玄関の遺跡が街の片隅にあり、散策が楽しめます。
次のシャーヒンエフェンディ村の小道を 500m 東へ行くと、フレスコ
画の美しい 12 世紀のクルクシェヒットレルの教会があります。
ユルギュップの 50km 南のソアンルは、数多くの礼拝堂や教会、ホール、
家屋、墓地のある絵のように美しい谷です。8 世紀から 13 世紀に描かれた
フレスコ画を見ると、ビザンチンの絵画技術の歴史を知ることができます。
ユルギュップを過ぎて南へ行くと、人里離れたパンジャルルック渓谷に
着きます。
フレスコ画、暗闇の教会、ギョレメ
ギョレメ
ユルギュップ
ここにはあざやかなフレスコ画の描かれた 12 世紀の教会と 10 世紀に
建てられたケペズ教会があります。素朴なムスタファパシャ(シナソス)
の村に入ると、曲線を描き装飾を施された正面の壁面が、まるで別の時代
を思わせるような伝統的な石の家があります。
さらに南へ進むと、ケシュリック渓谷への道の西側にジェミルの村があ
ります。
41
ウチヒサール、ネヴシェヒル
ユルギュップの 4km 北の壮観なデヴレント渓谷では、岩が風雨によっ
て浸食され、尖塔、円錐形、方尖塔形になっており、妖精の煙突と呼ばれ
ています。
時代)に作られたもので、その多くに 4 本の柱に支えられた中央の丸天
井があります。教会の北側には岩を彫って作られた墓があります。
ギョレメで一番有名な教会は、最も小さく最も新しいエルマル教会、忌
まわしい蛇がとぐろを巻いたフレスコ画の印象的なユランル教会、聖バル
バラ教会、チャルクル教会です。中心から少し離れると、新約聖書の場面
を描いた美しいフレスコ画のあるトカル・キリセ(留め金の教会)があり
ます。ギョレメの街は円錐形の岩と妖精の煙突がある谷の右手にありま
す。ここには、岩の中に作られたカフェ、レストラン、ゲストハウスなど
もあります。店では、たくさんの敷物やキリムが売られています。
2km 西のチャタルカヤ渓谷にある妖精の煙突は、独特なキノコの形を
しており、街のシンボルになっています。
ギョレメ屋外博物館は、フレスコ画で飾られた岩窟教会と礼拝堂が集
まっています。ここは、トルコ中央部で最も有名な場所の一つです。
礼拝堂のほとんどが 10 世紀から 13 世紀(ビザンチンからセルジュク
42
道に沿ってギョレメの外に出ると、この地域で最も美しい谷があります。
角を曲がる度におとぎ話から飛び出てきたような形の岩が現れ、時の流れ
に思いを馳せながら長い間見とれてしまいます。ウチヒサール要塞のてっ
ぺんからは、この地域全体が見渡せます。ウチヒサールの狭い通りに立ち
並ぶ店には、敷物、キリムなどの人気のある土産物が豊富に取り揃えられ
ています。ギョレメの北側の道沿いにあるチャヴシンには、後陣の 3 つ
ある聖ジョンのバプティスト教会と修道院があります。街には、礼拝堂と
教会があり、岩で作られた住居には今でも人が住んでいます。チャヴシン
からゼルヴェには、妖精の煙突が並んでいます。残念ながら、浸食によっ
て基礎部分が削り取られているため、ゼルヴェ渓谷の教会に入ることはで
きません。
ネヴシェヒル―ユルギュップ間の道路沿いにある、オルタヒサールと洞
窟要塞も見逃せません。バルカン渓谷の教会はギョレメ地方でも最も古い
時代の物です。ハルラッチ渓谷の近くには、ハルラッチ修道院が 10、11
世紀から谷を飾っています。
オルタヒサールの北のクズルチュクル渓谷は非常に美しく、特に夕暮れ
時には息をのむような素晴らしさです。谷には 9 世紀のウズムリュ教会
があります。
クズルウルマック川沿いにあるアヴァノスは、魅力的な建物が並び、手
工芸品が有名な町です。毎年 8 月に、この町では創造的で陽気な芸術観
光フェスティバルが開催されます。
ここでは陶器が最も有名で、工房で陶芸を体験することもできます。そ
の他、織物や組み紐も作られるようになりました。アヴァノスを南に下る
と、セルジュク時代の隊商宿の残るサルハンがあります。
カイマクル、マズ、デリンクユ、タトラリン、オズコナックの地下都
市は、迫害から逃れた 7 世紀のキリスト教徒によって使われていました。
彼らはビザンチンの偶像破壊運動などの迫害を避けこの安全な隠れ家に
逃げ込んだのです。これらの都市には穀物の貯蔵庫、馬小屋、寝室、台所、
通気口などが完備されていました。今日では、明かりも灯され、カッパド
キアツアーに欠かせない魅惑的な場所となっています。
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エルジイェス山、カイセリ
スルタン湿原、カイセリ
アヴァノスの西にあるギュルシェヒルはヒッタイトの碑文が刻み込まれ
た岩があり、近くのギョクチェテペにはゼウスのレリーフがあります。ネ
ヴシェヒルを南へ進むと、13 世紀の聖ジョンの教会があり、さらに奥に
は洞窟の教会と礼拝堂のあるアチュクサライがあります。
ビザンチンの要塞近くにはアナトリアに作られたセルジュク時代の最初
の宗教複合施設である 13 世紀のフナトゥ・ハトゥン・モスクと神学校、
マフペリ・ハトゥン霊廟があります。神学校は現在、
ショッピングセンター
となっています。
山を越えて、カッパドキアの西にはローマ時代にカイザリアとして知ら
れたカイセリがあります。この街は死火山であるエルジイェス山(標高
3,916m)の裾野に広がっています。冬になると、スキーに最適なゲレン
デができ、スキーヤーのための快適なホテルもオープンされます。
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その南には、簡素なつくりのセルジュクの古い様式でありながら、美し
く装飾された 1276 年建造のドネル・キュムベットがあります。セルジュ
クの主要都市であったカイセリは、教育の中心地でした。このため、遺跡
の中には神学校が多く見られます。
セルジュクの建築様式に興味を持たれた方はチフテ・メドレセ(グヤスィ
エとシファヒイェ)を訪ねてみてください。ここはセルジュク最初の解剖
学の学校で今日ではゲヴヘル・ネシベ医学史博物館となっています。そば
には、美しいサハビイェ神学校があります。
街の屋根付き市場の近くにあるのは、復元された 12 世紀のウルモスク
です。チフテ・メドレセの北にあるハジュ・クルチュ・モスクは、1249
年に建てられたものです。
エルジイェス山、スキー場
カイセリの北、古代カネッシュまたはカルムと呼ばれていたキュルテペ
は、ヒッタイトの初期の商業都市の一つです。紀元前 2000 年以来キュ
ルテペは、世界で最も古い自由貿易都市の一つでした。しかし今日では、
基礎部分しか残っていません。出土品の多くはカイセリの考古学博物館に
保存されています。
さらに進むと、スルタンハンがあります。ここには、13 世紀初期にセ
ルジュクのスルタンアラエッディン・ケイクバットによって作られた隊商
宿(キャラバンサライ)があり、旅行者には人気のスポットです。
カプズバシュの滝
スルタンハン
カプズバシュ滝はカイセリの 176km 南にあります。この美しい自然の
中には 30 から 70m の高さから落ちてくる 7 つの源泉があります。
ジュムフリイェット地区では 19 世紀のレシット・アー邸にアタテュル
クの所持品が展示され、アタテュルク博物館となっています。アタテュル
ク博物館の向かいには、歴史のあるギュプギュプオール邸が民族誌学博物
館となっています。
カイセリは、アナトリアで最も重要な絨毯とキリムの産地です。最も有
名な絨毯の産地はビュンヤン、最も有名なキリムの産地はヤフヤルです。
しっかりと織られた花柄の敷物は何世紀も昔からの伝統品です。カイセリ
の絨毯は地元の絨毯店で手に入ります。
カイセリの南にある、デヴェリには、ウル・モスク、セイイッディ・シェ
リフの墓、デヴェリの墓の 3 つの重要なセルジュク時代の遺物が残って
います。スルタン湿原周辺は様々な鳥類の生息地であり、鳥類学者や自然
を愛する人にとっては興味深い場所です。
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カラギョル湖、ボルカル山脈、ニーデ
エスキギュムシュから 10km 先には、ビザンチン時代の修道院と巨大な
柱地とフレスコ画のある教会があります。10、11 世紀のこれらのフレス
コ画はこの地域でもっとも美しく保存されています。
ヒッタイト時代のナヒタ、今日のニーデは火山の麓の谷にあります。か
つてはアナトリアから地中海沿岸への交易ルートを支配していました。
ニーデの城はセルジュク時代そのままの姿をとどめています。また、同時
代の優雅なアラエッディン・モスクもあります。
モンゴルの支配下にあった 14 世紀のスングルベイ・モスクと塔の形を
したアナトリアの典型的な様式のヒュダヴェンドゥ・ハトゥン霊廟も残っ
ています。15 世紀のアク・メドレセは考古学博物館になっています。
ニーデの南にあるボルはかつてのヒッタイトの集落でした。街の歴史的
建造物には、セルジュク時代のアラエッディン・モスク、オスマン時代の
屋根付き市場があります。
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さらに南に進むと、重要なローマの都市ティヤナであったケメルヒサルがあります。数キロ先にヒッタイトの
遺跡とローマ時代の水道橋があります。
登山、トレッキング、リラクゼーションに最適な美しいアラダーラル(アラ山脈)国立公園は、ニーデの南東
50km に位置しています。最高峰はデミルカズック(3756m)です。公園を訪れるには、チュクルバーから入
ることをおすすめします。
ウル・モスクをはじめ、アクサライの歴史的建造物の多くは 14 世紀のものです。クズル・ミナレットはその
煉瓦でできた豪華なつくりでひときわ目を引きます。
周りには、
最も有名なセルジュク時代の隊商宿が 2 件残っています。街の 40km 西にはセルジュクのスルタン・
アラエッディン・ケイクバットによって建てられたスルタンハン隊商宿がそのまま残っています。また、ネヴシェ
ヒル方面に 15km 行くと、アーズカラハン隊商宿があります。
ニーデ
ウルモスク、アクサライ
スルタンハン・キャラバンサライ、アクサライ
ウフララ谷のメレンディズ川は、土手が浸食されてできた印象的な渓谷です。フレスコ画で覆われたビザンチ
ン時代の礼拝堂は、渓谷をくり貫いて作られています。よく知られているものには、アーチアルトゥ(ダニエル)
教会、ユランル(アポカリプス)教会、スムビュルリュ(ヒヤシンス)教会があります。
ギュゼルユルトゥの谷にもまた、先史時代から人々が住んでいました。
街に冠をかぶせたようなハサン山のシルエットはとても綺麗です。谷の地下都市、岩をくり貫いて作った施設、
建築物、教会、礼拝堂、モスクはカッパドキアと同じような特徴を示し、歴史的な繋がりを感じさせます。
有名な観光地であるギュゼルユルトゥの人々は親切で、宿泊施設やレストランも充実しているため快適な旅が
できるでしょう。
ヒルファンル・ダム湖のほとりのエヴレンにはフィッシュ・レストランがあり、湖畔で泳ぐこともできます。
アラ山脈、ニーデ
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タイル、クバッドゥー・アバッドゥの
夏用の宮殿
セリミイェ・モスクとメヴラーナ博物館、コンヤ
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アンカラ南部
コンヤは、現在もなお人々が住み続けるトルコ最古の都市です。ローマ時代にはイコニウムとして知られてい
ました。12 世紀から 13 世紀にかけての、セルジュク・トルコの首都であり、トルコでは主要な文化の中心地
のひとつです。文化的、政治的、宗教的に発展を遂げていた時代にメヴラーナ・ジェラーレッディン・ルーミー
が西洋では旋舞祈祷として知られるスーフィー教団をつくりました。
緑のタイルの鮮やかなメヴラーナの霊廟は、
コンヤで最も有名な建物です。霊廟と同じ敷地には、かつての祈祷所であった建物も残っています。この建物は
現在博物館として、メヴラーナの写本など教団にまつわる神秘的な工芸品などが飾られています。毎年、12 月
の前半に旋回祈祷の儀式が盛大に行われます。統制の取れたトランス状態の旋回や白い衣装をまとった男たちの
セマー(儀式)は見る物を神秘の世界へ誘い込みます。
メヴラーナ博物館
カラタイ神学校
アラエッディン・モスクは 1221 年に古代のコンヤ城の敷地内に建てられました。この時代の統治者であった
偉大なセルジュクのスルタン・アラエッディン・ケイクバットはコンヤ一帯を支配していました。モスクの一角
には、
セルジュクの宮殿の跡があります。
現在は博物館となっているカラタイ神学校では大胆で華やかなセルジュ
ク時代の陶器を目にすることができます。
モスクの反対側には、1258 年に建てられたインジェ・ミナーレがあり、正面口のセルジュク時代の素晴らし
い装飾が目を引きます。セルジュク時代の物としては、その他にスルチャル神学校とサーヒップ・アタ・コンプ
レックスがあります。コンヤを訪れた人は、その考古学博物館のすばらしさに目を見張るでしょう。コユンオー
ル博物館には、自然史に関する展示から古いキリムまで非常に幅広いコレクションがあります。博物館の敷地内
には、イゼッティン・コユンオールの家が復元され、裕福なコンヤの家庭生活の様子を再現しています。
メヴラーナ教団のセマーの儀式
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ベイシェヒル湖
ベイシェヒルへ向かって南下する途中に、湖のほとりにあるエフラトゥ
ン・プナールに立ち寄ると、ヒッタイトの珍しいモニュメントである噴
水を目にすることができます。トルコで 3 番目に大きな湖であるベイシェ
ヒル湖のほとりにあるベイシェヒルの周りにはセルジュク時代の興味深
い建物があちこちにあります。湖の南西は自然がそのまま残るベイシェ
ヒル湖国立公園になっています。モニュメントには、エシュレフオール・
モスクと神学校、湖の反対側にある夏用のクバッドゥー・アバッドゥ宮殿
があります。クバッドゥー・アバッドゥ宮殿の向かいのクズカレシ島には、
中世の城がもうひとつ建っています。ハジュ・アキフ島は訪れる人にやす
らぎと楽しみを与えてくれます。
コンヤの 10km 北のシルレには、ビザンチン時代のアヤ・エレニ教会と
フレスコ画で飾られた洞窟礼拝堂があります。北西にあるアクシェヒルは
13 世紀に頓知とユーモアの巨匠ナスレッディン ホジャが生まれたところ
としてトルコ中に知られ、街には彼の霊廟があります。13 世紀のウルモ
スクとアルトゥン・カレ・メスジディも一見の価値があります。サーヒッ
プ・アタの霊廟は街の博物館となっています。
50
コンヤの 45km 南にあるチャタルホユックは紀元前 8000 年の新石器時代の集落で、世界で最も古い街の一つ
です。考古学者は泥でできた家の屋根に空けられた穴が出入口であったと推測しています。アンカラのアナトリ
ア文明博物館には、有名な神殿(復元)とともに現地から出土した女神像や新石器時代のフレスコ画が展示して
あります。
コンヤの東 89km のカラプナール周辺には、火口湖が数多くあります。最も有名なものはカラプナールの
7km 南東にある美しいメケ・クレーター湖です。エレーリへ通じる道の北側には、カラプナールから 8km のと
ころにアジュ・クレーター湖があります。湖の真ん中に浮かぶ島は、自然の宝庫です。コンヤ地方で最も大きな
都市の一つであるエレーリの周りには、甘い実のなるイエロー・チェリーの木があります。エレーリの考古学博
物館にはヒッタイト、ローマ、ビザンチン、セルジュクの各時代の工芸品が並んでいます。
ナスレッディン・ホジャの記念碑、
アクシェヒル、コンヤ
メケ・クレーター湖、コンヤ
チャタルホユック
コンヤの東 180km、エレーリの南 18km に位置するヒッタイトの集落イヴリズでは、トルコで最も優れたヒッ
タイト後期の作品である王と豊饒の神のレリーフを目にすることができます。
かつてカラマン管轄区域の首都であったカラマンは、ペルシア語ではなくトルコ語を公用語として採用したト
ルコで最初の地域です。そしてトルコ語を使った詩を初めて創作した 13 世紀の偉大な詩人、ユヌス・エムレは
まさにこの地に住んでいました。
周囲を取り囲む要塞はセルジュク時代のものですが、街で一番目立つアラブオール、ユヌス エムレとアクテッ
ケ・モスク、ハトゥニイェ神学校はカラマニドゥの時代に作られたものです。
イブリズにある石碑のレリーフ、コンヤ
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伝統衣装を身にまとった少女達、タシュカレ穀倉地帯、カラマン
コンヤから 150km のカラマン地方は、
「1001 教会地区」と呼ばれて
おり、謎の多い神秘的な土地です。傾斜のなだらかな丘と谷に山々がそび
え、修道院、教会、礼拝堂が至る所にあります。写真を撮ったり、自然の
中を散歩したり探検するにはうってつけの場所です。この地域では、ヒッ
タイトの村落と記念碑などの遺跡が多数見つかっています。この地方で最
も高い山はカラダー(2288m)で、地元の人々には天使ミカエルの古い
呼び名であるマハラチュと呼ばれています。山の頂上には、ヒッタイトが
建設した神殿があり、祭壇には碑文が残されています。また、4 世紀の修
道院、教会、礼拝堂からなるコンプレックスの跡もあり、名前をエンジェ
ル・ミカエル・コンプレックス(天使ミカエルの複合施設)といいます。
ここからは美しい眺めを楽しむこともできます。
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カラマンから 45km のマデンシェヒルでも、カラダー山の北斜面に教会と礼拝堂の遺跡があります。
カラマンの北 30km のデルベはキリスト教徒の初期の集落として歴史的にも重要です。ここは聖パウロが説教
をしに来たところです。
カラマンの東 48km のタシュカレの近くにはイェシルデレ渓谷のごつごつした北斜面にマナザンの興味深い古
い都市の跡があります。ビザンチン時代に建設され、細い小道、家屋、広場、貯蔵庫、礼拝堂、墓地(3km の
長さがあり、5 階分の高さがあります)など街全体が谷の岩肌をくり貫いて作られています。今日でも街の一部
が穀物の貯蔵庫に利用されています。
カラマン博物館
ギョルメリ橋、エルメネッキ、カラマン
アラハン
カラマンの南の険しい小道を上がっていくとビザンチン時代の美しい修道院であるアラハンの遺跡が残ってい
ます。また、信仰のために岩が削られている箇所もあります。この光景は溜息が出るほど壮大です。
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文化遺産は壊れやすいものです。
世界の文化遺産は、大きなパズルのようなものです。物体である遺跡は、私たちの起源、発展そして私たちの
現在の生活を洞察する力を与えてくれる全体像のかけがえのない一部なのです。遺跡は、私たちが他の文化を正
しく理解し、認識するのに役立ちます。新しい発見や新しい解釈がパズルに加わり、全体像がもっとはっきりす
るようになります。私たちは、将来の世代もこのパズルを楽しむ機会を持てるように、遺跡のひとつひとつを保
護しなければなりません。
私たちの文化遺産が地震、洪水などの自然災害および汚染や人間の行為などのようにゆっくりと作用するプロ
セスからのストレスにさらされていることを、多くの人が気付いていません。記念品として古代の陶器やモザイ
ク画の破片を集めるなどといった悪気のない行為でさえ、何千回と繰り返されると破壊的な影響を持つようにな
ります。石、金属または織物という物体に手を触れると、ごく少量ですが油脂、酸または汗がその表面に付着し
ます。遺跡に登ると、下部構造物が磨り減り、遺跡が破壊されてしまう場合があります。名前を書いたり、彫っ
たりする行為は、永久的な傷を与えてしまいます。大きなバッグやバックパックを持って狭く混雑した場所を歩
き回ると、物体を倒してしまったり、壁画に引っ掻き傷を付けてしまい、台無しにしてしまったりする場合があ
ります。私たちが知らないうちに、文化遺産の破壊に手を貸してしまうという場合が数え切れないくらい多いの
です。
2020 年には、毎年 16 億人の観光客が全世界を旅行すると予想されています。私たち全員が保存に協力し合っ
て、私たちの文化遺産の多様性と豊富さを楽しむことができるように、私たち自身の意識を高めていきましょう。
国際文化財保存修復センター(ICCROM)
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ツーリスト・インフォメーション・オフィス
トルコ共和国大使館・文化広報参事官室(トルコ政府観光局)
〒 150-0001 東京都渋谷区神宮前 2-33-6
TEL 03-3470-6380(9:00 〜 12:30 14:00 〜 17:30) FAX 03-3470-6037
URL http://www.tourismturkey.jp/
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