「スリーシップ」 (リーダーシップ・フォロワーシップ・メンバーシップ) にかかわる 諸賢人のお言葉 ~チームや組織で「立ち位置」を決めていく知恵~ 社団法人日本経営協会 「スリーシップ研修」事務局 本稿は、社団法人日本経営協会のホームページに、 「諸賢人はかく語り記」として連載したコラ ムをまとめたものです。ホームページには、研修指導講師陣によるコラムなど多様な情報を掲載 していますので、ご興味のある方は下記サイトをご覧下さい。 <スリーシップ研修サイト <目 http://www.noma.or.jp/3-ship/index.html> 次> 1 リーダーシップの生まれるところ 1 2 一緒の絵を見る・・・誰が誰と? 4 3 資源は「関心」 、そして自分を使ってもらう意識 7 4 信頼の入り口としての、責任 10 5 来た球は打つ! 成果につながる行動の秘訣 13 6 支援という大きな「おはたらき」 16 7 同じ舞台に立つフィードバックとは 19 8 成長を共にするコミュニティへの道 22 9 わからなさから始まる? 26 10 変化する、行動する、他者と通路のある「私」 30 11 公共の場では、誰かが応答しないと・・・ 33 12 組織は、信頼を持ち寄ってつくられる 37 13 個人と組織が手を携えて進歩するために 40 14 立つ場所は、座っていた場所によって決まる 44 15 社会でどのようなシップを立てるか 48 コミュニケーション 平成 23 年 1 月 11 日 不許複製 編集・発行 社団法人日本経営協会 発行人 理事・行政本部長 〒151-0051 URL http://www.noma.or.jp 池田隆年( 「スリーシップ研修」事務局) 東京都渋谷区千駄ヶ谷3―11―8 スリーシップ研修のお問い合わせは下記までお願いします。 行政関連団体の方 行政本部公務協力グループ ℡03-3403-1847 [email protected] 民間企業の方 知創推進本部企業変革グループ 03-3403-1716 まえがき スリーシップとは、リーダーシップ、フォロワーシップ、メンバーシップという三つのシッ プを指します。私たちは「シップ」を、「自ら選ぶ姿勢」とか「能力を活かす心構え」ある いは「自分を生かす立ち位置」と翻訳し、その育成プログラムを開発しています。 仕事をしていると、まわりから色々な役割が求められます。そのリクエストに応じていくこ とはもちろん大切なことです。しかし一方で、単にニーズに対応し、求められた役割を果た すというのは疲れるものでもあります。「リーダーたれ」 「与えられた仕事を果たせ」 「求め られた成果を出せ」 、このような組織の圧力にいつでもさらされているからです。 私たちには、外からの求めに応じながら自分を高めていくことと同時に、自分で自分の立ち 位置を決めることも必要になっています。それは周囲に関係なく自分のありようを決めると いうのではありません。自分をうまく使っていくとか、他人に自分をうまく使ってもらう、 関係の中で自分を見ていくといった姿勢を大切にすることです。 さらに、その「姿勢」「立ち位置」は決して固定的なものではなく、状況によって変化して いくはずです。いやむしろ、環境に合わせて最適な役割を担っていく覚悟を持ち、自分を見 る視座を増やして「三角測量」していく知恵が大事になっているのでしょう。 自分も、周りの人達も、そして組織全体にとっても、より心地良い仕事のやり方が必要とさ れている今、私たちは、自分を客観的にみる視点としての「スリーシップ」を提案します。 正解が見つけにくい仕事生活において豊かな選択肢を可能にする地図を持ち、自分の中のリ ーダーやフォロワー、メンバーを発見し、開発していただきたいと念願いたします。 今回は、諸賢人のお言葉をそのような視点に関連づけて引用しています。本来の文脈から切 り離して使わせていただいているので、ご批判もあろうかと思いますが、どうかお汲み取り の上ご寛容のほどお願いを申し上げます。 私たちは「スリーシップ」の考え方、ならびに「スリーシップ研修」を皆様とともに育てて いきたいと思います。人材育成、能力開発に関わる皆様の、ご意見とお考えをお寄せいただ けましたらこれにすぐる喜びはありません。 (なお「スリーシップ」ならびに「スリーシップ研修」は本会の登録商標です。) 「スリーシップ研修」開発事務局代表 池田隆年 1 「リーダーシップの生まれるところ」 リーダーシップ、フォロワーシップ、メンバーシップの三つのシップを総合的に考 える「スリーシップ」に関連する、そして大きな影響を受けた諸賢人のお言葉を集め ていきます。 私たちが「スリーシップ」という枠組みの中に込めたいと考えているのは、組織開 発や人材育成の歴史の中で多くの方々によって培われてきたものを引継ぎつつ、そし て私たちが「より良く働く」「より良い組織を作る」「より良い行動をとる」ために必 要な姿勢をつくろうとするものだということを、少しでも示せれば幸いです。この試 みに対して、登場いただく諸賢人の皆様ははたして喜んでくれるでしょうか。 (なお、お言葉の引用にあたっては、敬称を略すと共に、一部表現を変えさせていた だいている部分があります) まず最初にリーダーシップについてです。 リーダーシップはどこから生まれてくるのだろうか。それは果たして、リーダーに なろうと思い立った人が本で勉強して、職場で学習して、定義に適った「シップ」を 発揮することなのだろうか。そんな素朴な疑問から入りたいと思います。 ● リーダーシップ(ジョン・ガードナー) 「リーダーは、フォロワーが権限を信じる姿勢になっていない限り権限をもっては いない。ある意味で、リーダーシップとは部下から授けられるものなのだ。」 ● 権力(ディヴィド・リースマン) 「人は他人に認められることによってのみ成功する。このようにすべての権力は (中略)実際あるいは想定上承認してくれる人達の手中にある。」 リーダーシップと権力に関する上のお二人の言葉は、同じ事を述べているように思 います。 リーダーシップは、こういう行動をしたから「ある」、しないから「ない」という 問題なのではなく、フォロワーから「リーダーである」 「リーダーシップを取っている」 と認められることによってようやく発生するのだと言うのです。権力というやや政治 的に表現されるパワーについても同様に、フォロワーの承認によって授けられるもの である。するとそのときフォロワーが、承認という行為によってリーダーにリーダー シップを授けているのだということになります。 1 ● リーダーシップ(金井壽宏) 「リーダーシップはフォロワーによって認められる。だれがリーダーなのかを決め ているのはフォロワーだ。 (そして)グループとしての成果がうまく上がっているのはそのリーダーのおかげ だと大半のフォロワーたちが認めたときに、はじめてリーダーとして受け容れられ、 その場にリーダーシップ現象が生まれるようになる」 ● リーダーシップ(増田弥生) 「リーダーシップがうまく成立しているとき、フォロワーはリーダーを完璧な人間 だと思ってついていっているのではなく、このリーダーの足りない部分を支えたいだ とか、このリーダーのいいところをもっと伸ばしてあげたいと思って、支援しながら ついていっている。」 もちろん前提として、その人のおかげで組織が成果をあげている、ということもフ ォロワーの心理には大きな影響を持ちます。確かに、結果として「成果」が上がって いない組織では、「権力」「権限」じたいも怪しいものとなり、いくら行動が認められ ていてもリーダーとして受け容れにくい状況となってしまいかねません。 つまりリーダーシップは、フォロワーがリーダーを支援したり補完したり育成した りする行動によってリーダーのリーダーシップを認め、一緒に創り上げ、成果を上げ ている<状態>ということにもなります。 ● ヒーロー型リーダー(ロジャー・マーティン) ヒーロー型のリーダーには、全責任をとって実権を行使しフォロワーの穴埋めをす ることが期待されてしまう。受け身で言いなりのフォロワーは身を引き、悪しき連鎖 反応によって冷笑的で無気力になる。これが「無責任ウィルス」の発生である。 その反対にここでは、よくある「オレについて来い」型で成果をあげようとするリ ーダーシップの副作用が示されています。いくらフォロワーが表面上「承認」してい ようと、フォロワーにこのように身を引かれてしまっては、リーダーシップはどこに も現われることがありません。それは、受け身で言いなりのフォロワーを育ててしま うことになるからです。 そのようにフォロワーから承認され、なおかつチームを指導し、フォロワーが成果 を上げられるように支援や補完やフィードバックをする、つまり「リードする」ため には、 2 「リードすることを学ぶには、まず従うことを学ばねばならない。(ロジャー・マ ーティン)」 そして、 「だからこそリーダーは自分の足りない部分を受け入れ、周囲にも見せて、助けを 求めたり、感謝しつつ協力を仰いだりすべきなのです。(増田弥生)」 このように行動できることは、結果としてリーダーにとって自己受容がうまくでき ていることなのでしょう。 つまりそれは自分を信頼できているとき、無理なく自己開示ができているとき、他 者の意見にストレスなく耳を傾けられるとき、そして周囲を信頼できているときのこ とです。 つまりそれは、自己認識と周囲からの評価が、それぞれ無理なく両立している<状 態>なのです。 「自己受容がうまくいっている時は自分に負担がかからずに疲れない。周りからは 自然体とみられる。(増田弥生)」 3 2 「一緒の絵を見る・・・誰が誰と?」 リーダーのリーダーシップを承認する側のフォロワーやメンバーが、単にリーダー の言動に従いフォローするという受け身ではなく、積極的に「承認する」とはどのよ うな姿勢や行為になるのでしょうか。いままでフォロワーとは、どちらかというと一 方的に従う側とされ、自発的に何かを「する側」として認められることが少なかった のです。 そこでフォロワーが、リーダーとその行動(リーダーシップ)を承認したりしなか ったりするいくつかの選択肢を見てみます。 ■ フォロワーの五つの選択肢(中竹 竜二) 1 自分自身の個としての成長を最優先 2 仲間(=フォロワー、メンバー)とともに成長する 3 リーダーを成長させる 4 リーダーを代える 5 組織を脱退する 一般的にフォロワー/メンバーにはこの五つの選択肢がある。 「個の成長」つまり自己を確立することが最初である。そして次に「仲間の成長」す なわちチーム全体を指向する。その上でリーダーへの関与(支援したり補完したり育 成したり)をして、もしうまく行かない場合はそのチームから脱退する。 たいへん分かりやすい選択肢です。簡単に口先だけでリーダーとそのリーダーシッ プを承認します、と言ってもあまり役にも立ちません。なぜなら、組織の中でなんら かの影響力を持つためには、自立した人どうしの具体的な行動が必要になるからです。 世の中には「承認」どころか、お互いが不適切な「依存」関係に陥っているチーム・ 組織はたくさんあります(これを「無責任ウイルスの発生」と評することがあります)。 それではお互いの行動は、良い影響力を持つことができません。 では「自立した個人」としての具体的な行動はどういうものでしょうか。 ■ フォロワーシップの要諦 (ロバート・ケリー) フォロワーシップの概念の底には二つの特徴があるらしい。 ① 独自のクリティカルシンキング。最高のフォロワーは「自分で考え」「建設的 批評をし」「自分らしさを持っている」「革新的で創造的な」個人 ② 積極的関与。最高のフォロワーは「イニシァティブを取り」「オーナーシップ 4 を引き受け」「積極的に参加し」「自発的で」「担当業務以上の仕事をする」 「クリティカルシンキング」とは、要は他者に流されずに感情にも左右されずに、 自分の頭でものごとを考える方法のことです。他人にも説明可能な自分の考えの軸を 作り、その評価軸によって自分の意見を形成していくこと。周囲はその意見に賛同で きるとは限りませんが、ああ、この人はこういう評価軸でチームに役立つ意見を言お うとしているのだな、ということが分かりやすくなります。 すなわち「クリティカルシンキング」は、組織に埋没せず、リーダーに盲従せず、 他人に依存せず、個人としての独自性を持って(個の成長・学習・自立を優先して、 その上で)チームと組織に貢献する考え方のことと理解できます。 もうひとつの「積極的関与」は、まさに「承認する側」のコミットメントのことで しょう。自分から一歩前に出て、役割を引き受け、組織のなかに新しい関係を創って いく、それこそがリーダーとそのリーダーシップを承認する行動となる。そしてさら にその行動は「担当業務以上の仕事」に結びついたり、 「期待以上の成果」を出すこと につながる、こう解釈しました。この種のコミットメントを仕事における相互承認と 呼んでもいいのではないでしょうか。 「相互承認とは、他者の中に私たち自身を認め、私たち自身の中に他者を認めるこ と。(ジョン・ホロウェイ)」 ところで、同様のフォロワーシップを別の表現で表している方がいます。 ■ フォロワーシップ (アイラ・チャレフ) ① 責任を負う(自分に対して。セルフアセスメントと自己管理をする) ② リーダーに仕える(影響を与える。ゲートキーパー役をする。選択肢の用意を する) ③ 異議を申し立てる(リーダーに耳を傾けさせる。フィードバックをする) ④ 変革に関わる(触媒として関わる。対立を避けない。共感的行動を取る) ⑤ 道義的な行動を起こす(正当性の確信を持つ。適切に自分を守る) この五項目の中で、いままでなかった要素が⑤の「道義性」です。これについては あらためて考えますが、賢人中竹さんのいう「組織を脱退する」ということにも関係 してくるかもしれません。 私たちがフォロワーとして自立し、自信を持って行動し、リーダーに積極的な関与 をし、周りからもそう見られるためには、やはりそれなりにコツのようなものがあり そうです。それは自己管理スキルとしての「クリティカルシンキング」や「セルフア セスメント」だけではありません。 5 たとえばよく言われる、 「良い上司になる前に、良い部下になれ。(米倉誠一郎)」 とは、実際にはどういう行為なのでしょうか。 具体的な仕事へのヒントのひとつと考えられることは、 「フォロワーのときに上司にうまく影響力を振るうことが、のちにリーダーシップを 発揮すべき立場になった時に役立つ経験になる。(金井壽宏)」 という知恵です。フォロワーも部下としての(良い)影響力を蓄えなさい。それが 将来の準備になるのだよ、ということです。 さらにもうひとつのヒント、 「自分の周りはすべてお客様、そのひとりが上司。(上村 光のり)」 こう考えるといいかもしれないよ、仕事の仕方が楽になるよ、という方もおられま す。つまり、組織内部でも営業感覚を活かすと良いと言うのです。チャレフさんの言 う「フォロワーシップの要諦」は、リーダーに影響力を振るったり選択肢の用意をす ることでリーダーを「お客様」として扱うことだと理解すれば、それがフォロワーと しての「承認」になるということなのかもしれません。 さらにもうひとつ、自分の成長とチーム・組織の成長を両方考え合わせるならば、 「良い部下になる」とは、視点や視野を広げていく「手段」として捉えることもでき ます。別の立場(別の役割)になったつもりで組織全体を見る姿勢を持つことが、視 野を広げることにつながるからです。 ■ 社長目線の必要性(増田弥生) つねに『それはどういう意味があるのか。だれにとって良いことなのか』と問うこ とが大事だ。それは、上から(もしくは下から)目線で相手に質問するというより、 「『私たち』を主語にして、自分達に対する質問を一緒に答えるような姿勢」のことで ある。 フォロワーとしてこのような姿勢を持ち、さらに次のように言うことができれば、 フォロワーシップ行動を実践しつつリーダーとその行動を承認している(つまりリー ダーのリーダーシップにコミットしている)、ということになるのではないでしょうか。 「(リーダーに対して)あなたについてどうこう言いたいのではなく、『一緒に見て いる絵』について聞きたいのだ。(同)」 6 3 「資源は『関心』、そして自分を使ってもらう意識」 チームや組織は、リーダーとフォロワー(上司と部下)の一対一や上下の関係だけ で成り立っているわけではありません。私たちは職場で多くの仲間やメンバーととも に仕事をします。リーダー対メンバー全体、フォロワー同士やメンバー同士の関係、 私たちの職場ではこれらが大きな影響力を持ちます。 そのときもっとも大切なのは、他のメンバーへの「関心」ではないでしょうか。 チーム内ではメンバーである他人に「関心」を持つことが大事、とはあまりに当然 で見逃されがちです。しかし他者や周囲に無関心に仕事をしている人が多くなってい るという感想を多くの方から伺うのも事実です。組織の中で一人だけで自分の業務だ けをこなし、周囲に関わりなく自己完結型で仕事をしていくことはできないはずです。 「組織におけるもっとも希少な資源は『関心』である」(ジェフリー・フェファー) 「最大の敵は『無関心』」(加留部貴行) チームや組織では「関心」というものを「資源」として考えなければならない。 「チームや組織で、一人ではできない仕事をする」ということは、表現を換えると、 関心のありかを見つけ(資源を掘り起こし)、関心を集め(資源をつなげ)、関心の方 向を合わせる(目標を合わせて成果を上げる)という行動を、リーダーだけでなくメ ンバー全員で行うことにあります。ならば、その「関心」はどのように掘り起こすこ とができるのでしょうか。 ◆ 互恵的行為(カール・ワイク) あるメンバーが他者にとって価値のある行動を起こすと、それがいかなる行動であ れ、やがて自分にとって価値ある行動をもたらす。 ◆ ソーシャル・キャピタル(中島 豊) 直接的な見返りを求めない、というのがソーシャル・キャピタル(社会関係資本) に投資する際の「正しい姿勢」である。相互支援の精神を大事にし、他人を援助する ことで、めぐりめぐって自分に帰ってくる循環に投資することである。 メンバーにとって仕事が自己完結型ではない理由のひとつが、チームや組織におい ては各自の行動が他人に影響をもたらすことです。さらにそれが、良い影響を与え合 うこと、つまり「互恵的行為」 「相互支援」では、与えられた人が与えた人に直接お返 しをするというだけのことでもないようです。なにか価値ある(と思われる)行動は、 誰かに(価値あるものとして)受け止められ、それによってその誰かが起こす行動が 7 別の誰かに価値あるものとして受け止められる。そのようにして、「(いつかは分から ないが)やがて自分に返ってくる」という循環的な性質があるらしい。ここは大事な 点です。そうであるなら、 「関係の深さは、人が自らをさらけ出す中で、自分のために安心して要求できる価値 の量という観点から定義される」(E・H・シャイン) という関係も可能になるというものです。価値がうまく循環する関係においては、 「自らをさらけ出す」とか「要求する」こともりっぱな能力として認められます。 「要 求する」ことが自分に利益をもたらそうという意図ではなく、チーム全体に役立つは ずであるということから発せられたものと認められるからです。 組織内の「関心」はここから掘り出され、さらには「(関心を集めて方向を合わせ る)協働」がスタートします。 ◆ 協働(ロジャー・マーティン) 協働は二人以上の個人がひとつの選択をするために、責任の「意義のある共有をす る」ときにのみ発生する。 「共有すること」は、各当事者の選択能力におおよそ見合っ た責任を割り当てることを意味する。 「意義のある」とは、負担を共有する行為が成果 に重要な役割を果たすことを意味している。すなわち、協働者のいずれもが、片方の 貢献なくしては一貫したタスクの達成ができないということだ。 「協働」はこうして、チームや組織内の責任や貢献の問題に結びついて行きます。 例えばリーダーシップを発揮するとは、「自分に見合った」能力を引き受けて、周 囲からも認められるという責任をとる(責任を共有する)こと、と言い換えることも できます。フォロワーシップは、クリティカルシンキングと積極的関与に基づいてリ ーダーを承認するという「責任の共有」をします。同様にメンバーは、他のメンバー の貢献によってのみタスクを達成することができるので、責任を共有し、成果に結び つく役割を自覚的に果たして全体に貢献する。こうした行為がなければメンバーと認 められません。それが、 「組織の営みにおいては、『行為』が『目標』に先行する。(カール・ワイク)」 とされるゆえんです。 「メンバーが多様な目的を達成するための手段として相互連結活動(ここでいう 「協働」)を始めると、多様な目的から『共通の目的』へのシフトが起きる。そして課 業達成のための分業や利用可能なユニークな資源の駆使が指向されて、 『共通目的』か ら『多様な手段』が生み出される。(同)」 一般に考えられているのとは逆に、最初に協働という行為があって、目的が明確に なり、そして手段がハッキリする。 「関心」を軸に据えた組織とメンバーの関係とはこ 8 ういうことだ、と言われたらみなさん、どうお感じになりますか。 私たち自身も一人ひとりがチームや組織の中で「ユニークな資源」と認められて仕 事をしているはずです。ただし、単位としての個人がたまたま同じようなタスクを一 緒にやるという次元から、関心を元手にして責任を共有し、ユニークな資源どうしが 集まって有機的な「協働的行為」が行われる、つまり「目標に先行する行為」が行わ れる次元までにはなかなか至りません。 ◆ 協力(E・H・シャイン) 成果をあげるチームとは、任務の遂行に当たってどう協力すべきかをよく知ってい る集団のこと。 ◆ 協調(ジェフリー・フェファー) 我々はみな何らかの職位に就いているが、自分の職務をやり遂げ、目標を達成する ためには、自分の直接の命令圏に属さない人達との協調が必要になる。 ◆ 働きかけ(佐藤俊樹) 人間の営みの多くは、他の人間に対して命令や指令ではない形で働きかけるものに なっている。 ここでは、「協力」「協調」「働きかけ」を同じ意味のものとみなしてみました。 最初から目的が明確なチームであれば、協力の仕方はテクニカルで事務的な問題に なるかもしれません。しかしそうでない場合に協調行動を取る時は、職位・職階・職 制など所与の役割分担にはこだわらずに協力しなければならないこともある。さらに は直接の命令圏(組織制度上の影響圏)に属していない人、つまり自分とは利害が一 致していない人とも協力しないとならないこともある。そのとき私たちはどう行動し たら良いのかが問われてきます。 ひとつの考え方として、メンバーとしての協調的行動には、前述の「安心して要求 する」ことと同様に、 「自分をうまく使ってもらう」ということもあるのではないでし ょうか。お互いの「関心」が組織の資源ならば、 「要求する」と「利用される」ことは、 価値ある行動として同じ意味を持つのだと感じられます。 なぜなら「要求する」も「自分をうまく使ってもらう」も、 ① まず、私たちはチームや組織の中で影響しあっていると理解する、したがって ② 言ってもしょうがない、やっても意味がないということはないと分かる、 ③ 自分を資源として他人にうまく使ってもらうという姿勢を試せる、それは ④ 自分が言ったりやったりすることを利用する方法を考えてもらいたい、という メッセージとして発することになる このような「心の習慣」が生む行為なのではないか、と思うからです。 9 4 「信頼の入り口としての、責任」 多くの組織で共通している価値観というのがあるとしたら、そのひとつは、仕事と は協調と調整によって行うべきだというものだと思います。前回の「関心」は、その 前提となる「資源」であり、組織で働く私たちにはそれを元手にして「協調」と「調 整」をし、それによって元金を増やしていくことが求められているようです。 次のようなお言葉も、それに近い考えです。 ■ 個人と組織の成功とは(ジェフリー・フェファー) 組織における個人の成功は、他の人たちと仕事をすること、および彼らを通じて仕 事をすることがカギになる場合が多く、組織の成功は個人がそうした諸活動をいかに 調整できるかにかかっている。 チームワークの基本に関するお言葉ですね。 さらに別の価値観の例として、 「責任と権限」もあります。永年経営学者の方々が、 安定した組織運営をどう進めるかを考える中で言われてきたことです。 「 組織が個人に 期待する役割行動」は、規律重視で硬直的な官僚制組織と、より柔軟で自由な組織と では異なる、その意味で仕事上の個人の責任と権限は、次のように考えられています。 ■ 働き方とその評価(リチャード・セネット) ウェーバー型軍隊モデルの組織(官僚制)では、だれがどんな職務についても組織 が安定性を失わないように役割を一定し、定められた線を超えないようにすることが 暗に求められている。 (したがって)官僚制組織において「仕事ができる」とは、与え られた仕事以外はしないことともなる。 しかし自由主義的な傾向の組織モデルには、「期待以上の仕事をこなす人間が報わ れる仕組み」が組み込まれている。 皆さんがいま働いている職場が「官僚制」的性格の強いものでしたら誠に残念なこ とです。与えられた仕事以外をしないほうが自分にとって良く、与えられた仕事以外 に手を出すとかえって自分を危うくするからです。それでは協調も調整もあったもの ではありません。 しかし職場が「官僚制」ではなく「自由主義的」だとしたら、それは個人の責任と 権限において「協調と調整」という価値観を働かせようとしている組織ということが できます。日常のマネジメント行為が指示・命令ではなく、パワー(権力)の委任で 10 あったり、役割の委任であったり、仕事の交換であったりするはずです。 より極端には、サッカーのように、チームのなかで自分の役割を他人の役割と交換 しながら、その場で最適なポジションで仕事をする、という仕事の仕方になることも あるでしょう。 「期待以上の仕事をこなす」ことができるとしたら、そのような組織に おいてであるはずです。 官僚制でない組織(の理想形)では、仕事が階層別に責任と権限が分化して固定し ているわけではなく、柔軟に、そのつど、組織の期待とともに責任と権限の委任が行 われているのかもしれません。 ■ パワーの委任(ジェフリー・フェファー) 民主社会では、我々は細かな目的別に誰かにパワーをゆだねている。 ■ 影響力(増田弥生) 上司・部下のタテの関係を利用せずに相手を説得することを、「権威なき影響力」 という。 ■ 能力と役割(内山 節) 「能力」ということ以上に大事にしなければならないのは、「役割を引き受ける」 ということだ。 三人のご意見を並べてみました。これだけではまるでランダムに引用しているよう ですが、信頼の大切さを力説している大賢人がいますので続けてご紹介します。 ■ 組織と成果(ピーター・ドラッカー) 組織は、もはや権力によっては成立しない。信頼によって成立する。信頼とは好き 嫌いではない。信じ合うことである。そのためには、たがいに理解しなければならな い。 (そして)たがいの関係について、たがいに責任をもたなければならない。それは 義務である。 ランダムに挙げた「パワーを与え合うこと」、 「権威なき影響力を行使すること」、 「役 割を引き受けること」の三つですが、じつは同じ事のように思えてなりません。それ らが互いの関係の中で「責任」と「権限」という言葉を介して、 「信頼」という言葉に リンクしていると思われるからです。それは、どのようにしてでしょうか。 ■ 責任のはしご (ロジャー・マーティン) 1 まったく責任を引き受けない、投げ捨て段階 2 他人に問題解決をしてもらうが、次の機会に学ぶ段階 3 具体的な支援参加を求める段階(相手に助けをもとめる) 11 4 選択肢までを考える段階 5 選択肢の中で自信を持ってひとつの案を推奨できる段階 6 自主性をもって意思決定をする段階(選択を構造化し、選択肢をあげ、分析し、 最終決定をくだす) 一人ひとりがこのような責任のはしごを登って、互いに責任を取り合うと「信頼」 の段階も上がる。信頼の段階が上がれば、組織のなかに協調が生まれる。 「権限」や「影 響力」 「委任」は、表面上の階層・職位によってではなく、責任・信頼・協調の進み具 合にともなって自然に発揮されていく。 「責任のはしご」を登ることを、ドラッカーさ んは組織人の「義務」として表現した。このように捉えたいと思います。 私たちは職場で毎日、他人にゆだねる、助けを求める、要求する、選択肢を定める、 ひとつを選択するなどという、自分の「責任」に強く結びついた行動をしています。 そして同時に、「パワーを与え合う」、「権威なき影響力を行使する」、「役割を引き 受ける」、「自分を使ってもらう」という行動も選択しています。これらがすべて「信 頼」に結びつく行為となります。ここにおいてメンバー全員がおなじ「責任のはしご」 を意識して「諸活動の調整」が行われるならば、無責任ウイルスに冒されることなく 互いに責任を持ち、互いに信頼を持つ関係がつくられていくはずです。 12 5 「来た球は打つ! 成果につながる行動の秘訣」 賢人ドラッカーさんをはじめとして、経営理論や組織行動における成果とリーダー シップの関係については、多くの議論があります。その中で、人の能力を結集すると いう問題意識に焦点を当てた典型的なお言葉を取り出してみましょう。 まず、成果を上げるためのリーダーの役割は何か、というところから。 ● 強みの動員(ピーター・ドラッカー) 成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。弱みからは何も生まれな い。 結果を生むには、利用できるかぎりの強み、すなわち同僚の強み、上司の強み、自 らの強みを総動員しなければならない。 ● 成果(ウォレン・ベニス) リーダーシップの醍醐味は、他者の秘められた能力を発掘して活用することである。 ● リードと影響力(増田弥生) 組織においては、人の心に火をつけて使命感を呼び起こし、自分と同じ方向を向い て動いてくれるようリードしなくてはならない局面がある。 リーダーにはこのような行動が必要になります。 成果をあげるために資源を掘り起こし(関心を見つけ)、資源をつなげ(関心を集 め)、成果を上げる(関心の方向を合わせる)という行動によって、各人の具体的な強 み(能力)を引き出すお役目がリーダーには求められています。ただしこれはあくま で「リーダー側から見た」リーダーの行動です。 「成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基 礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近 の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない。 (ピーター・ド ラッカー)」 しかしドラッカーさんの言うこの「習慣的な姿勢と基礎的な方法」は、リーダー側 から見るだけでは捉えられないものだと考えます。人がそれに「優れる」ようになる ためには、別の視点、つまりフォロワーやメンバーの視点もなければなりません。 13 フォロワーやメンバー(部下)側からも、成果を出すためのリーダーへの働きかけ があります。それは「フォロワー/メンバー側から見た」成果を上げる行動であり、 その行動に対して自分達がどのように影響を与えるかという「姿勢と方法」でもあり ます。すでに見たようにリーダーシップの発揮とは、リーダーの行動と、フォロワー /メンバーの行動がピタリとシンクロすることが必要です。 ところで、成果に繋がるフォロワー/メンバー側の視点(「フォロワー/メンバー 側から見た」リーダーの行動への関与)は、最近では「部下力」という表現で多く語 られるようになってきましので、今度は、フォロワー側から見た「成果を上げるフォ ロワーの姿勢」を見てみましょう。 ● 部下力とは(上村みつのり) 上司、リーダーに親機能を求めない(すばらしい上司の幻影を追わない)。 一流の部下は、上司に提供する価値が高い。 ふたつ上の立場からものを見る。 部下力があるとは、リーダーに依存せず、自分から価値あるものを提供することだ。 それは、もしかしたら目の前のリーダーよりもっと上の、 「社長」目線でものごとを見 るからできることだ、と言うのです。 ● 部下力とは(村山 昇) 部下力としての上司マネジメントとは、どんな職場に行ってどんな上司についても、 『仕事の達成』ということを中心に据えて、上司という資源を最大限に引き出す能力 のこと。 これは逆向きではありますが、リーダーシップの定義とまったく同じになりました。 組織で仕事を達成しようとする意欲ある持つ部下(フォロワー/メンバー)は、受 け身で仕事をしない。チームのタスクを達成するためにも、むしろ上司を組織の資源 として活用する。リーダーをリードする。こんな意識で仕事をする人のようです。 このような部下は、現場で多くの経験を積み重ね、成果を上げるための実践的な知 恵や行動の規範を蓄えていくことに特徴があります。 そこで得られた実践的な格言としては、たとえば、 「人から頼まれた仕事はドンドン受ける(前田 仁)」 「上司や周囲の低い基準に流されず、自分で高い基準をもって行動する」 「人から協力してもらえる力があるかどうかが問題だ」 14 「上司や会社の支配下にある問題ではなく、まず自分がコントロールできることに意 識を向けて行動する」 「フォロワーやメンバーには『失敗する権利』がある」 「自分のやる気を左右できる人は、周りの人のやる気も左右できる(金井壽宏)」 このような意識を持って行動すること。これは実践的なコンピテンシー(成果につ ながりやすい行動特性)と呼べるでしょう。 たとえば、なぜ「人から頼まれた仕事」をドンドン受けたり、「高い基準で行動す る」のが実践的なのかといえば、 「フォロワーのときに上司にうまく影響力を振るうことが、のちにリーダーシップ を発揮すべき立場になった時に役立つ経験になる。(金井壽宏)」 ということが起きるのが仕事の現場だからです。 そして部下力のある人は、 「仕事の方からリクエストが来て、今しなければならない仕事に合わせて自分の能 力が『選択的に』開発される(内田 樹)」 というようなことが起こるのが仕事の現場だということを、実感として会得してい るからなのです。そういうスタンスで行動すると自分の能力が磨かれる、そう行動し たほうが自分の成長につながる、ということも分かっているのです。 部下力とは上司の評価を得るために仕事をドンドン引き受けて残業することだ、と いうのではなく、あるひとつの姿勢でリクエストを受けられる人、つまり、 「来た球は打つ!」とバットを構えている人が持っている能力のことかもしれませ ん。その人は周囲から、ある「習慣的な姿勢と基礎的な方法」を持っていると評価さ れ、自分の能力も上司の能力も引き出そうという準備ができていると評価される。 そしてその人は、 「自分で高い姿勢を持っている」「人に協力してもらう力がある」「自分を管理でき ている」 「(新しいことにチャレンジして)失敗する権利を留保している」 「自分のやる 気をコントロールしている」 こういう能力を持って行動している、と認められやすいのです。 そのように周囲から承認されることは、その人が部下・フォロワーとして成果を挙 げやすくなるばかりではなく、リーダーを通してチームや組織の成果に影響を与えや すくなる、そしてさらにその人は(すでに)リーダーになる準備をしている。こうみ なして良いのではないでしょうか。 15 6 「支援という大きな『おはたらき』」 「支援」という言葉は多くの意味を持っています。 その場で直接の手助けをしてあげる支援もあるでしょうし、ただ見守っていてあげ るという場合もありましょう。お互いの強みを引き出す行為というときもあるでしょ う。社会的にも組織の中でも、「こういう行動が支援である」「支援とはこうあらねば ならぬ」という正解見本を提示することはなかなかできず、もっぱら「そのときの行 為」 「その人の活動・おはたらき」に対する評価として「支援的であった」とされるも のかもしれません。 今回はまず、広い意味での「支援」を「ケア」という観点から述べられたものをご 紹介するところから始めましょう。 ◆ 広義のケア(最首 悟) 私たちの行動原理の根底は内発的義務であり、その内容は「かばう」とか「共に」 とか「世話する」とか「元気づける」であって、それを果たすとき、心は無意識のう ちに満たされるのかもしれない。 「内発的な義務」が、他の人に向けての広義のケアと いう形の行為やコミュニケーションとして現われる。 「ケア」は多様な内容(かばう、共に、世話する、元気づけるなどの)として現わ れる、というのがひとつの点。 もうひとつは、行動の原理が内発的(自発的)だということをおっしゃっています。 ボランティアの現場などでは、人は他人を助けようとする自発的な行為を通して人と の結びつきを強くしようとしますが、そのとき「支援」は、 「自分自身のしたいこととは無関係に、他人が自分にしてもらいたいと願っている ことを『する』。(キャロル・ギリガン)」という行為になることが多いようです。 ◆ ケアの倫理(キャロル・ギリガン) 何が正義に適うかという問いに主導される正義の倫理と、他者のニーズにどのよう に応答すべきかにこだわるケアの倫理とがある。 ここで言う「正義の倫理」とは、ひとつの価値観を打ち立てて、その基準に全員が 従って行動することを是とする、という意味で政治的で論理的なものです。ボランテ ィアと違って会社や組織の中では、他者のニーズにかかわらず「こうすべきだ」 「こう でなければならない」という口調で語られることの多いものです。 16 これに対して「ケアの倫理」に従う支援がある。それは、まず他者のニーズにどう 対応するかと考えることであり、さらに、それに正しく対応できるのかと内省がつき まとうことでもある。つねに「これでいいのか」と問いながら行われる行為です。 そのとき、支援する「私」は正義とか権威、会社の方針とか多数意見、もしくは「正 解」といった寄りかかれるものを持ちませんので、自分と他人の考えの違いに迷うこ とが多いにあります。寄りかかれる基準がないということは、自分のこれまでの考え 方や行動規範を捨てなければできないときもあるでしょう。 ◆ ケアリング(ネル・ノディングス) ケアリングとは充分な注意を払うこと。自分自身の個人的な準拠枠を踏み越えて、 他の人の準拠枠に踏み込むこと。 しかし私たちの日常の職場では、他人にそこまで踏み込んだ支援ができるかという と、そうではありません。職場で行われているのは職場のルールや規範や習慣に根づ いた支援です。 「お互い協力しあえよ」 「面倒みてやれよ」 「じゃないとまずいぜ」とい う、組織の要請や上司の指示に従っています。 「組織の必要(成果を出す)に適うため に、このように支援しあうべきである」という論理が働くのです。限られた時間の中 で決められた目的を達成すべきという「組織の論理」には強力なパワーがあり、通常、 組織・上司は管理者としての「正義の倫理」によって要請や指示をします。 「組織に必要なのはたゆまぬ心配り(ケア)であって、『余計な治療(キュア)』では ない。(ミンツバーグ)」あるいは、「エンパワーメントは人々から権限を奪う(同)」 という「組織の論理」が働けば、上司が自分の準拠枠を超えて「他人(部下)のニー ズ」すべてに対応することも、成果を度外視して部下を公平・平等に支援することも できません。「心配り」としての「ケア」も、「(なるべく)声かけをする」「一緒に飲 みに行って愚痴を聴く」といった消極的な意味合いに限られることが多いものです。 ところが多くの組織では、「かばう」とか「共に」とか「世話する」とか「元気づ ける」とか、他者の小さい声に対応する働きかけへのニーズも多くあります。そのニ ーズに端を発する、こちら(支援する)側の内発的な義務による働きかけもまた、チ ームや組織には欠かせないはずだと考えます。 ◆ 支援とは(今田高俊) 支援とは、何らかの意図を持った他者の行為に対する働きかけであり、その意図を 理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことをいい、最終的に他 者をエンパワーメント(ことがらをなす力をつける) (自分で問題解決をする力を身に 17 つける)することである。 ◆ 支援とは(金井壽宏) 人をケアすること。他者に自分の持っているものを授け、彼らが考えたやり方でや らせる。情報、リソース、応援の面で支えつつも、思い切って任せることそれがエン パワーメントである。 ここでは支援がはっきり「エンパワーメント」として位置づけられます。支援は、 ①他者の意図と目的を理解し尊重しつつ るアクションを行い ②その行為の質を維持、改善、向上させ ③他者へのエンパワーメントを大事にする、 という趣旨に沿って行われ、チーム内で「理解する」「授ける」「改善する」「任せ る」「応援する」などの行為として結実していきます。それが結果として現場に最も 近い人が意思決定できるようにするための「援助」 「補助」 「補完」 「保護」 「代弁」に なる、という意味で、自分と他人、そしてチームや組織の成長につながると考えられ るからです。それはまた、人に対する「気づきの促し」とも言えるのでしょう。 ◆ リーダーシップ(エイブラハム・リンカーン) リーダーシップとは、人の心に潜む天使の声に耳を傾けるように促すことだ。 この「エンパワーメント」を元にして、実践的な原則が導き出されています。 ◆ 支援の原則 (E・H・シャイン) 1 与える側も受け容れる側も用意ができているとき、効果的な支援が生じる 2 支援関係が公平なものであるとみなされたとき、効果的な支援が生まれる 3 支援者が適切な支援の役割を果たしているとき、支援は効果的に行われる 4 あなたの言動すべてが、人間関係の将来を決定づける介入である 5 効果的な支援は純粋な問いかけとともに始まる 6 問題を抱えている当事者(オーナー)は相手(クライアント)である 7 すべての答えを得ることはできない ここで使われる「介入する」 「問いかける」という実践的な行動は、 「治療」でも「管 理」でもなく内省を含んだ「ケア」のスキルであり、支援する側とされる側の意識が 出会って、つまり双方の用意ができたときに起こる<状態・おはたらき>である、と 捉えたいと思います。そのとき「支援」は一方的なものではなくなります。それはお 互いの準拠枠を踏み越える契機となり、 「正義の倫理」と「ケアの倫理」の両方に適う ものになると考えられるのです。 18 7 「同じ舞台に立つフィードバックとは」 引き続き支援からフィードバックへと重心を移しながら、賢人のお言葉を探ってま いります。 この「フィードバック」は、ドラッカーさんがマネジメントに重要なもののひとつ として挙げていることは有名です。ここではフィードバックを、 「正義の倫理」と「ケ アの倫理」に適いつつ、効果的な支援をするための柱として捉えていきましょう。 支援は他人のため「だけ」に行うもの、ではありません。集団の中で、組織と自分 の関係の中で、他人への支援やケアがどのように「はたらく」か、つまり支援の成果 が上がるかどうかは、それが相互的なものかどうかによって決まります。なにごとも 一方通行ではありえない、ということを再確認したいと思います。 ですので、組織の中の「相互の支援」は、「個の自立」と「個と組織の成長」に関 連づけてこのように表現できるかもしれません。 「支援のないところに『自立』はない、自立のないところに『支援』はない(不肖)」 ここで「自立」は、支援する側とされる側双方の「自立」を指していると捉えるべ きでしょう。このように「自立」と「支援」は関連して同時に進みます。そして「自 立」と「支援」による自分の成長と他者の成長を重視すると、 「相手の成長を助けること、そのことによってこそ私は自分自身を実現する。(ミ ルトン・メイヤロフ)」 と表現できるかもしれません。 ところで私たちは、フィードバックには、 「お互いに公(おおやけ)の場に立つということ」 という前提が必要だと思っています。それは支援が誰にでも聞かれる公開の場で行 われるべきものであるという意味ではありません。支援が「支援としてはたらいた」 とされるためには、まずフィードバック「する側」と「される側」が平等でなければ なりません。そして双方ともが、お互いに公平な立場に立って目標を共有する営みで あると考えるからです。 それは言い換えれば、双方が「求め/求められ」という関係で同じ舞台に立ち、支 援と自立が同時に成り立つことを意味するはずです。 では「公の場に立った」フィードバックとは、具体的にどんな性格を持つものでし ょうか。 19 ●フィードバックとは(E・H・シャイン) フィードバックとは、現在の進行状況が目標に向かっているか、外れているかとい うことを示して、人がゴールに到達できるよう助けるための情報であると定義される。 しかし、我々が求めている情報は、とりわけ支援を明確に求めている場合は、自分 の目標と関連する場合にしか役に立たない。支援者は相手が目指している目標が何か をはっきり知らなければならない。 最良のフィードバックは、強要されるものではなく、自ら求めたもので、具体的か つ明確であり、共通の目標に適合していて、評価的なものというより説明的なもので ある。 組織内では、相手と自分の「共通の目標」に適合していなければフィードバックに ならない、そう言われます。企業コンサルタントであった賢人らしい言葉です。 そしてさらに、 ●フィードバックの原則(E・H・シャイン) 1 発信者と受け手が、受け手の目標について合意していなければならない 2 提供者は説明と好意的評価(前向きな)を強調すべきである 3 提供者は具体的で明確でなければならない 4 受け手も送り手も、建設的な動機を持つべきである 5 (必要なら)否定的フィードバックも辞さない 6 送り手は観察、意見・判断を自分のものとしていなければならない 7 フィードバックは、受け手と送り手の準備が整ったタイミングが重要だ ひとつひとつが胸に染み込むお言葉です。雛がタマゴを破ってかえるとき、ひなが 内側から殻をつつき、親鳥が外側から殻をつつくたとえになぞらえても良いかもしれ ません。このフィードバックの原則は、OJTや評価面談でも通用するものだと思い ます。 ただし指導や面談でのテクニカルな話としては、いくつかのフィードバック・スキ ルがあるようですので、簡単にまとめておきましょう。 1 再現する 実際に起こったこと、話されたこと、行われたことを観察し、そのま まビデオテープのように再現する 2 質問する 起こったこと、行われたことの、そのときの感情や理由や周囲の状況 について問いかける 3 仮説する 起こったこと、行われたことのプロセス上の理由や、その場の状況の 変化などについて、こういうことではなかったかと意味の仮説を提示 20 する 4 指摘する 共通の目的がある場合、それに照らして良かった点を誉め、より良く なるための複数の方策を提案する 5 協議する 仮説や方策案について、双方でその可能性について話し合う 読んでお分かりいただけるとおり、これらのスキルは助言やアドバイスという意味 のフィードバックというよりは、相手にどのように自分で気づいてもらうか、あるい はどのように今後の針路を自分で選択できるようにするかという、エンパワーメント の方法という意味合いが強いのです。そして、 ● フィードバック・ループ(出典不明) 会話の中では、こうすればもっとよくなるという「ポジティブ・フィードバック」 を双方で行うことが、次(よりよい関係)につながる「投資」となる。 フィードバックにはポジティブなものとネガティブなものがあるようです。 相手の人格や能力を軽視して自分の権威に従わせ、行為とその結果を「あるべき姿」 に比較して点数付けすることは、ネガティブです。このネガティブ・フィードバック は、人事評価でもおなじみの「マイナス評価」になりがちな方法で、支援の方法とし ては人と人との関係性を固定しやすいものとされます。 それとは逆に、「どう良くするか」について相手に勇気や気づきや促しを与えるも のはポジティブです。このポジティブ・フィードバックをタイミング良く続けること によって、対面する双方の人の中に「関係性の変換」や「自分の準拠枠を超える」こ とへの準備が整って行きます。 それが人間関係への「投資」だと言われると、深く納得できるのです。 ● 関係性の変換(ロジャー・マーティン) 考え方の枠組みを組みなおすことが重要だ。自分の側の「私は正しい答えを知って いる」を、 「私には情報と経験があるが、すべてを知っていたり理解しているわけでは ない」に。他人に対して「無知で悪意がある」という前提を、 「相手には自分の見えて いないものが見えているかもしれない。それが私の理解に役立つかもしれない」に。 タスクに対しては「自分のやり方でものごとを見て行う」を、 「最善の選択をするため に両者(自分と他人)の知恵を結集する」に。 フィードバックでは、このような意識を互いに持つことが成否のカギであり、後述 する「対話」のきっかけになるということもできそうです。 「公の場に立つ」「同じ舞台に立つ」とはこういう意味です。 21 8 「成長を共にするコミュニティへの道」 人の集合体にはいろいろな名称が付けられます。グループ、チーム、課、部、隊、 会、講、団、そして団体、会社などなどですが、たんなる人の集まりがどのようにチ ームや組織になっていくのか、気になるところでもあります。 つまり支援やフィードバックが良好に行われることで、どう他者との関係が変化し、 それがチーム全体にどのように影響していくか。リーダー・フォロワー・メンバーが それぞれの役割として支援やフィードバックを行うとき、チームはどう変わるのかと いった問題意識が私たちにあります。 そこでまず、人が集まるのは目的を共有して、「最善の選択をするために自分と他 人の知恵を結集する」ためであることを再確認したいと思います。 ◆ チームとは(ピーター・センゲ) チームとは、結果を出すために互いを必要とする人々の集まりである。 ◆ グループからチームへ(カッツェンバック) チームとは、共通の目的、達成すべき目標、そのためのアプローチを共有し、連帯 責任を果たせる補完的なスキルを備えた少人数の集合体である。 職場でこのように強く意識して仕事をしている人は、いったいどれくらいいること でしょうか。 「結果を出すために互いを必要とする」とは、ふつうは単に「助け合い」をイメー ジすることが多いことでしょう。 「互いの必要」とは、一人ひとりが他人のために自分 しかできないようなことを進んでするという意味と、そうした能力と行為をお互いに 承認しあうという両方の意味があると思いますが、そこまで深く意識することはめっ たにありません。 また「連帯責任」とは小学校でも聞いた懐かしい表現ですが、これも、 「自分がミスをすればチーム全体が影響を受けるような、やりがいのある分担を進 んで引き受ける(カッツェンバック)」、 という積極的な意味に捉えたいと思います。本来は、こうした意識とスキルを共有 する集まりを「チーム」と言うのだ、ということです。 メンバーがこのような意識で行動することを「チームワーク」というならば、チー ムワークと、今まで検討してきた「支援」や「フィードバック」の意義は明確です。 22 ◆ 支援プロセス(E・H・シャイン) チームワークを築き、持続させるための支援プロセスは、 ・ チームの進歩を確認する ・ チームの進歩を再検討する ・ 有益なフィードバックを与える ・ メンバー同士の会話を始める ・ 前向きなフィードバックを受け入れる 一人ひとりが与えられた仕事(タスクワーク)を行っている人の集まりとしての「グ ループ」は、このような支援のプロセスを経て、積極的にチームワークを実践する「チ ーム」に変わり、さらに知恵を結集して成果を出す「組織」 「会社」 「団体」 「法人」に なっていきます。 したがってチームにとっては、ポジティブなフィードバックのスパイラルが回るこ とでチームワークが持続することが死活的な課題となりますが、それを動機づけるも のが「報酬」や「快感」という言葉で語られることがあります。ただしそれは、個人 のタスクの成果に対して直接支払われる「対価」「代償」ではなさそうなのです。 ◆ 枠組みが変わる(内田 樹) 個人的努力に対して個人的報酬は戻されない、というのが労働することである。個 人的努力は集団を構成するほかの人々と利益を分かち合うというかたちで報われる。 ◆ 互恵的行為(カール・ワイク) あるメンバーが他者にとって価値ある行動を起こすと、それがいかなる行動であれ、 やがて自分にとって価値ある行動をもたらす。 ◆ チーム内の関係(デヴィッド・グレーバー) 「各人は必要に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原理に基づいてお互い の財産やエネルギーを使い合う関係は、あらゆるところに見られる。 共通の任務を前にしたとき、人は仲間に「そのスパナを取ってくれ」と頼まれた際、 「代わりに何をくれる?」とは言わない。みなそれぞれの能力に応じて他人の必要に 応えている。 ◆ コミュニティ(ジェイムズ・コールマン) 各成員がコミュニティと一体化しているならば、コミュニティの利益となる各人の 行為は、自分自身で報酬を与えたり、他の成員によって報酬を与えられる行為である。 したがって各行為が内部的におよび社会的に誘発されて、より多くの快感をもたらす 23 正のフィードバックを持つシステムが存在している。 ここで使われる「報酬」や「利益」そして「快感」をどう捉えれば良いでしょう。 個人の報酬や快感という価値は、自分の行為に対する当然の代償などではなく、他 からたまたま与えられるものである。さらには「学習や成長を共にすること」や「一 人前になっていくこと」 「チームが進歩していくこと」によっても得られる。報酬や利 益はしたがって間接的に得られることになる。しかもそれはお互いを使い合い、利益 を分け合うという形で得られる。 私たちはこう捉え、それこそが「コミュニティ」の特徴だと思っています。すると、 ◆ 正統的周辺参加(エティエンヌ・ウェンガー) 学習とは共同体への参加のプロセスである。 人が一人前になるプロセスは、共同体の担い手をして身につけていかなければなら ない。ルールやスキルを獲得していくと同時に、他のメンバーからそのことが承認さ れ、(共同体の)周辺から中心へと参加の度合いを進めて行くことと平行する。 このようにグループやチームは、個人の報酬と利益を土台にして他のメンバーから 承認されていく過程であることと、さらにメンバーどうしが学習や成長を共にするこ と、そのふたつによってグループやチームが「コミュニティ」に変化していくことに 納得させられます。 ◆ 参加(苅谷剛彦) 人とつながり、ゲームに参加する事によって役割が見えてきて、それを担っている という感覚を通じて自己実現がある。 個人は、参加による快感や自己実現という報酬によって「コミュニティ」に貢献す る。つまり個人は、参加のプロセスで得られる成長の実感や、他の成員によって報酬 を与えられる行為、さらには利益を分かち合う行為などによってコミュニティの存続 を支えます。 参加による学習や成長の観点は、組織開発においてもこのような意味で大変重要な ものと捉えられると思います。 「学習とは、お互いが相手のメッセージを受け取るたびに、自分自身の認識を改める 用意ができていることである。(安富 歩)」 「『知識』は共有を前提にした情報である。しかもそれは教え合い、学び合い、考え合 うことができる。(出典不明)」 24 学習とそこで扱われる知識もこのような性格のものです。学習、知識、成長、これ らは共有可能なものなのです。したがって理想的な状態では、 ◆ 成長と信頼(カール・ロジャーズ) 成長促進的雰囲気の中にあるとき、私は自分自身、個々人、集団全体に対する深い 信頼を発展させることができる。 と言われるのであり、参加から信頼までがひと続きの道として理解できることとな ります。このような参加・学習・成長・信頼のサイクルこそが、チームにとって成果 が上がりやすい状態にあると考えて良いのではないでしょうか。 ◆ 組織学習(クリス・アージリス) 構成員が所与の課題について個別に対処するのではなく、課題の前提じたいを修正 していく学習が競争優位を生み出す。 知識の共有によって「成長を共にする」学習のダイナミズムがあることは、与えら れた課題を解決するということだけではなく、チームが課題そのものを自分達で掘り 下げて成果を出すという意味で、 「目的の共有化、最善の選択、知恵の結集」の核心と 考えられます。チームの進化とは、課題解決型からの脱皮ということかもしれません。 そして私たちは、リーダー/フォロワー/メンバーというシップを自覚的に身につ けて行動することが、学習のダイナミズムを生んでチームをコミュニティに変える大 きな条件になるのではないか、と考えています。 25 9 「わからなさから始まる?コミュニケーション」 組織の永遠の課題であるコミュニケーションについて考えていきます。 組織の中でリーダー/フォロワー/メンバーのスリーシップという、「姿勢」「心構 え」「立ち位置」を検討する時には、避けて通れないテーマです。 ■ コミュニケーションの幻想(アラン・マラリー) コミュニケーションに伴う最大の問題は、「コミュニケーションが成立した」とい う幻想である。自分の考えを述べる場合、普通は自分では自分の考えを理解している から、相手も同じように理解してくれたものと考えてしまう。 ■ 人は誰も、理解できることしか聞こうとしない(ゲーテ) コミュニケーションにはこのような落とし穴があることは経験上だれでも分かって います。話す側にも聞く側にも落とし穴がある、しかしこれを忘れがちなのです。つ い忘れて誤解を招き、理解したと思い込み、理解が得られたと思い込み、逆に将来の リスクを拡大しています。私たちは組織の中で(もちろん家庭でも同じですが)こう した現実と戦わなければならない、それを確認するところから始めましょう。 では、組織内コミュニケーションの役割はどういうものと捉えられているのでしょ うか。 ■ 管理型権力(ジル・ドゥルーズ) 管理型社会では、監禁・強制によって機能するのではなく、不断の管理と、瞬時に 成り立つコミュニケーション(合理的かつ効率的なコミュニケーション)によって動 かされている。 ■ 市場原理は、リスクをビジネスチャンスに変える貪欲さを持つが、それはリスク を分散させているだけでリスクを減少させているわけではない。「リスクの減少」「複 雑性・不確実性の縮小」が、コミュニケーションの役割だ。(出典不明) 管理型社会(合理的かつ効率的)や市場原理(効率性や費用対効果重視)のような、 大きな入り口から入ってしまいました。この領域でコミュニケーションの役割機能は このように捉えられているのです。 「データ」や「メッセージ」を合理的かつ効率的に 伝えるということと、情報を共有することによって管理とそれによる構成員の行為の 26 質を確保し将来のリスクや不確実性を縮減することという、組織存続にかかわる二つ の目的に関わっているようです。 すると「どう伝えるか」「どう伝わるか」という方法が焦点になってきます。 ■ コミュニケーション(P・F ドラッカー) コミュニケーションは、話し手の側ではなく聞き手の頭の中で発生するものである。 ■ コミュニケーション(アン・ミラー) 上手なコミュニケーションのために目指すべきは、自分の言うことをすべて、聞き 手の頭の中ですでに知っていることに結びつけることだ。 普段私たちは、 「自分で理解している(はずの)自分の考え」を、どう言えば伝わり やすいかとばかり考えて、相手のことを考えていないのかもしれません。とくに管理 者は、 「 組織のリスクや不確実性を縮減するためにはこうしなければならない」と考え、 「その正解や結論を正しく伝えよう」とすることが多いのでなおさらなのです。 しかし、どんな時でも「伝えられる側」「聞き手」の頭の中の状態に思いを寄せて 想像することの重要さを、賢人たちは強調しています。ではそれを実践するにはどう すれば良いのでしょうか。 ■ 「伝わる」こと(畑村洋太郎) 結果として、相手の頭の中に伝えたい内容を出来させることができなければ、意味 がない。伝える側が最も力を注ぐべきことは、 「伝える側」の立場で考えた「伝える方 法」を充実させることではなく、 「伝えられる側」の立場で考えた「伝わる状態」をい かにつくるか。 「伝わる状態」があると言うのです。それをどう作るかが問題です。ヒューマンエ ラーの研究を専門とする賢人は、これに続けて、例えばとして「(フォロワーとしての) 伝えられる側のポイント」にも言及しています。 ■ 伝えられる側(畑村洋太郎) 1 まず、我を通さず先輩に可愛がられ、「あいつは見込みがある」と思われる 2 ①解らない事を聞く ②基本的に自分で問題解決した上で聞く ③優れた先達 に思いを馳せ、想像の世界でその人と対話をしながら技術や知識を獲得する 実践的で現場感覚あふれる知恵だと思います。 どなたも、「見込みがある」と思われるところから先輩とのコミュニケーションが 27 始まると言われると、ああ、そういうことがあったかもしれないと感じ、 「想像の世界 で対話しながら」と聞くと、 「あの人だったらどうするかな」と考えた体験を思い出す でしょう。この知恵は、 「伝えられる側」の姿勢を「伝える側」も共有することの大切 さにもつながり、 「伝わる状態」に関連してきます。組織で効率を追及したりリスクを 縮減するといっても、このような一対一の関係をつくる知恵によって担われているこ とが多いのは、誰でも身に覚えがあります。 「伝わる状態」、それは「伝える側」と「伝わる側」の共同作業のことだからです。 それに関連して、最近、とくにリーダーにとって「対話」が必要だと言われること が多くなりました。「対話」とはなんでしょう。「対話」は「会話」とどう違うのでし ょうか。 私たちは以前に、 「フィードバック」が対話の入り口だとしました。それはまた「伝 えられる側」の立場や頭の中の状態に、どのくらい思いを寄せることができるかを問 題にすることかもしれません。 「会話は交流のための話し合い。対話は探求と発見のための話し合い。(堀 公俊)」 と言われます。 この場合も、探求と発見が「伝える側」と「伝わる側」の共同作業です。つまり相 互のフィードバックです。しかしこの作業の元をただせば、もともと相手のことはわ かるというところから始めるのか、相手のことはわからないというところから始める のか、の姿勢の問題も大きいのではないかと感じられます。 ■ エンパシー型コミュニケーション(平田オリザ) いくら察しようと努力しても結局は相手の気持ちはわからない。 それならば「もし自分がその立場だったら、どう考えどう行動していくか」という ことを考える相手理解の方法をとる。それは、もし○○するならそれはどういう自分 だろうかという形で、自分の中の他者を発見するのと同じ。 ■「つねに相手の立場に身をおいて、自分ならばどうするかを考えてみると、、、何ら かの結果がでる。いささか想像力がいるけれども、見返りはあるよ。 (シャーロック・ ホームズ)」 これは、相手に直に感情移入する「シンパシー」とは異なる、「エンパシー」と呼 ばれる想像と共感の方法です。 自分ならどうするかと想像するこのエンパシーという方法では、相手の立場を分析 して自分だったらどう考えるかを考えること、相手の気持ちや考えや行動の根拠を考 えること、相手と同じ立場に置かれたらどうするかを考えること、さらには自分の考 28 え方の枠の外に出ること、そうした自省的なスキルが有効とされるようです。 このように私たちは「わからない」から始めることによって、はじめてエンパシー 型のコミュニケーション(対話)を始めることができます。 「わからない」からこそ双 方で「自分の中の他者を発見」し、 「探求と発見のプロセス」が始まり、 「伝わる状態」 や「わかる状態」ができるとされるのです。 ■ コミュニケーションの基本(香山リカ) 言葉の蓄積への信頼が大事だ。言葉などすれ違うのが当たり前。失敗しても、こと ばの積み重ねがよいコミュニケーションにつながる。 ズレを大切にする。たとえ同じような志向性をもった相手であっても、だれかとコ ンビを組むことで「自分と相手のわずかなズレ」が見えてくる。 相手の立場に立って考えようとしない。他人のことは分からないし、相手の立場に は立てない、というところからスタートする。 『わからない、だから、教えてください』 しかしもっと踏み込んで、 「相手の立場にも立てない」という地点から始める場合も あるのでしょう。 「相手の立場に立とう」とすると、大きな誤解や幻想にはまることもある。心理学 者はそれを心配します。一層の覚悟を決めて「相手の立場には立てない」というとこ ろから始めることで、私たちは、言葉のすれ違いによる失敗などは良くある話だと受 け止め、しかしだからこそ、そのズレを埋めようと努力することになます。 するとここで言う「教えてください」の意味は、「あなたのことを教えてください」 や「あなたの理解していること、持っている知識を教えてください」に留まらず、 「(私を含めた)私たちのことを教えてください」とか、 「今の私たちの置かれている状況を一緒に考えてください」とか、 「一緒に見ている(はずの)絵のことを聞きたい」というメッセージを送って、 「伝 わる状態」「分かり合う状態」をつくろうと努力することである、となるでしょう。 ■ 対話(オットー・シャーマー) 対話は、ともに観るアート(技法)である。 私たちにできるのは、相手やメンバー全体に対してこのような働きかけを行い続け ることです。遠回りかもしれませんが、それが組織で効率性の追求とリスク縮減をす るための唯一の方策だと思われるからです。私たちは「コミュニケーションの成立と いう幻想」を「幻想」としてしっかり受け止めつつ、それでもなお、 「話してもお互いにわからないこその『対話』(加藤哲夫)」 を開始しなければなりません。 29 10 「変化する、行動する、他者と通路のある『私』」 コミュニケーションはわからなさから始めるしかない、しかしチームや組織内では、 わからなさをそのまま放置しない方策がさらに必要です。 ● コミュニケーションへの意志(村上 龍) もともとコミュニケーションというものは、最初から相手に伝わると約束されたも のではない。コミュニケーションの意志を示し続けることで、未知の文脈がやりとり され、互いに「浸透する」というような場合も多い。 コミュニケーションには、相手に「コミュニケーションをとりたい」という意志を 示し続けることも大事です。そして「互いに浸透する」とは、相手に関心を持ち(最 大の敵は無関心)、有意味だと考え(無意味な人はいない)、役割を承認し(それに対 応する自分の役割も承認し)、一緒に考えるという共同行為に参加することで進むので しょう。 「対話」は、まずはこのような「未知の文脈のやりとり」から始まります。 ●「対話」(デヴィット・ボーム) 対話が直接関係しているのは「意味」である。意味を共有し真実を分かち合うため に「対話」という行動をする。 対話では、話している双方に共通の新しい内容が絶えず生まれていく。そういう対 話では、話し手のどちらも、自分がすでに知っているアイデアや情報を共有しようと はしない。むしろ、二人の人間が何かを協力してつくるといったほうがいいだろう。 つまり新たなものを一緒に想像するということだ。 ● 対話(ケネス・ガーゲン) 変化力に富む対話は、まだ実現されていない「現実」の、未来図に加わる瞬間であ る。その対話における共創・想像的な瞬間をつくるために。 ● ことば(大庭 健) 人間の言語は、存在しないものについての思考を可能にし、そうした思考の交換を 可能にする。実際にはないものや、ありえないものについて私たちは語ることができ、 その語りを理解することができる。そうした言語によるコミュニケーションが進行す ることによって、人間の協業が進む。 30 「対話」に関わるお言葉をあらためて並べました。 「対話」というコミュニケーショ ンの意義は、効率性の追求やリスクの縮減という組織上の役割からだんだん離れ、新 たなものの想像であったり、未来図に加わることであったり、協業のための思考など であるということにポイントが移ってきました。 「対話」は、 「伝わる」ために使われる言葉の質や量というより、人と人はどのよう に創造的で共感的な姿勢に入るか、という「問い」なのかもしれません。 ● 多文化共生のコミュニケーション(北川達夫) 今は「多文化共生のコミュニケーション」がグローバルスタンダードなのだ。 それは対話によってお互いに変わることを、そして、一緒に生きていくことを探る こと。お互いの変わっていく変化を楽しむこと。 ●「共感」(カール・ロジャーズ) 共感は課程であって状態ではない。他者の内部を流れ行く瞬間ごとに変化する感じ をつかむことであり、しばらくの間、自己の視点や価値観を横において他者の世界に 入り込むことであり、相手の、現在変化しつつある認識を十分に知ろうとする積極的 プロセスである。 その「問い」に対するひとつの答えとして、対話は「お互いに変わること」や「一 緒に生きていくこと」を大事にし、 「他者の内部の変化に敏感に」 「他者の世界に入る」 プロセスなのだと言われます。なんだか「対話道」か「極意」のような話になってい ますが、具体的にはどういう実践が必要とされるのでしょう。 ● コミュニケーションの感度(春日武彦) コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、こだわり・プライド・被害妄想で ある。 ● コミュニケーションの感度(内田 樹) ならばそれを取り除くための方策は、こだわらない、プライドを捨ててよく笑う、 いじけない、である。 ● 最悪の話し相手(ウィントン・マルサリス) (最悪の話し相手、最悪の共演者とは)あなたがしゃべっているとき、あなたの話を 聴くのではなく、次になにをしゃべろうか(演奏しようか)と考えている人である。 たとえばこうした各界のプロフェッショナルたちの、 「現場的」で「身体的」な忠告 31 が参考になります。 「こだわり」 「プライド」 「被害妄想」がなく、共演者がお互いの演 奏をきちんと聴いている職場では、対話の実践がみられるのかもしれません。お互い の「呼びかけ」や「メッセージ」が浸透し、文脈として届き合っているのです。 ● ことばによる「呼びかけ」(竹内敏晴) 気持ちを述べるのと、相手に話しかけるのとでは違う。声が届くのと、話しかけら れるのとでは違う。 相手への働きかけ、呼びかけに気づくか気づかないかには理由がある。 「声が届かない」とは、相手と自分との関係を変えていくアクションを起こしていな い表われである。 ● コミュニケーションの特質 (マイケル・チウェ) コミュニケーションがうまく行くのは、単に発せられたメッセージが受け止められ たということだけではなく、(チーム内の)他の人々も同じようにメッセージを受け止 めたということに気づいているかどうかに依存する。 つまり、他の人々が知っているということを人々が知っていること(=メッセージ についてのメタ知識)がチーム内に存在すること、そういう状態をつくること。 届き合う状態は、各人が「相手と自分との関係を変えていくアクション」を起こす ことでつくられる。そのアクションが、チーム内でメッセージがどのように扱われる かを決める。つまり、誰がどういうメッセージを発して誰に受け止められるかに大き く影響する。チームメンバーには、 「相手との関係を変える行動、働きかけ」をしてい るかどうかが問われているのです。 そのアクションが、 「他者と意識の下でつながっている、 『他者と通路のある私』が出てくるところ(谷 川俊太郎)」 を用意します。「他者と通路のある私」とは、「相手との関係を変える行動や働きか け」をする「私」でもありますし、わからなさを放置せずに自分のシップ(姿勢)と アクション(行動)を省み、他者を巻き込んで同じ土俵に上がる能動的な行為のこと を言っているのだと思います。 32 11 「公共の場では、誰かが応答しないと・・・」 チーム内でコミュニケーションが成立したとは言えないことが多い。だからこそ相 手と対話を続けていく、その意志を示していく。これらはリーダー、フォロワー、メ ンバーのいずれにも共通する、チームづくりのための基本的なコミュニケーション作 法と思われます。 しかし一方で、多様な人が集まる集団では、一対一のコミュニケーションだけでな く、一対多、多対多など様々な局面でのコミュニケーションがあります。では、多様 なメンバーが相手との通路を確保し合ってコミュニケーションを成立させたいと願う とき、何を大事にしたら良いのでしょうか。 それを考えるには、社会学的な知見を参考にするのが良さそうです。というのも、 私たちが「チーム・組織・コミュニティ・会社・団体」という、いわば「おおやけ」 「公共の場」 「関係の場」にいることからこそ、その問いが生じているからです。いっ たい対話の「相手」は誰なのか。私は誰に向かって話しているのか。誰が応答してく るのか。さらには、 「他の人々が知っているということを人々が知っている」という状 態とはどういうものなのでしょうか。 ● 公共性(井崎正敏) 公共性とは、それぞれの私的領域を越えて、それぞれが対等の資格で、公開を原則 として、共通の関心のもとにコミュニケートする関係性のこと。 ● 共通分母(J・ロイシュ) コミュニケーションは、異種なものに「共通分母」を見出すこと。 ● 共通感覚/コモンセンス(ハンナ・アーレント) 私たちが他人とともに共同体のうちで生活できるようにする感覚であり、共同体の 一員とし私たちが自分の五感を使って他者と意志の伝達が行えるようにするものであ る。共通感覚は、構想力(想像力)を使ってこの任務を遂行する。構想力と表象の能 力とは、目の前に存在しないものを心の中で思い浮かべる能力のことである。 ● 公共的空間/言語による発話共同体(チャールズ・テイラー) (共感的関係(rapport)を創り出す言語的表現は)単に私にとっての(for me)意味で も、あなたにとっての(for you)意味でも、また私とあなたにとっての(for I 33 and you) 意味でもなく、我々にとっての(for us)意味となる。つまり、言語は公共的空間とよ びうるもの、あるいはそこからともに世界を概観する共通の視点を創り出すのであり、 我々を共通行為の参加者としてともに結びつける。 引用したお言葉では、コミュニケーション行為と「公共」または「共通感覚」 「共通 関心」 「共通行為」といったものが、不可分のものとして捉えられています。多様なメ ンバーが互いのコミュニケーションを成立させたいと願うとき、公共的な場で感覚・ 関心・行為を、つまり「経験」を同じくしていくことがあるというのです。 これをドラッカーさんは、 「同じ事実を違ったように見ていることを互いに知ることじたいが、コミュニケー ションである。」 「コミュニケーションが成立するには、経験の共有が不可欠である。」 という言葉で説明してくれたように思います。 ところで、感覚・関心・行為とか「経験」というものはことさら個人的なものであ り、 「公共」とか「共有」という概念になじまないとお考えになる方も多いことでしょ う。しかし私たちは現実に、多くの「コト」を共通体験し、 「デキゴト」に共有感覚を 覚え、 「他人(ヒト)ゴト」ではなく「自分ゴト」として社会的な共通認識を作り上げ ているのは確かです。個人的にからだで感じることから、それを「公共」的に捉える ことまでは、それほど離れているものではないと思われるのです。 このあたりから、社会学的考察に代わって行動心理学的な観察へと踏み込むことに なります。 ● 関係のエネルギーを高める身体(井腰圭介) レスポンス・アビリティ(レスポンサビリティ/応答責任能力)として、働きかけ られたらそれに対して応答をすべき責任を感じるメンタリティを持っていること(が 大事だ)。 公共的な場では、だれが応答するか決まっていないケースが多いから。 コミュニケーションを行う「公共の場」では、誰かがなにかを共有しているかもし れないけれど、その主体や担い手が誰か分からないことが多い。どういう「通路」が 誰と通じているかも実は分からない。もちろん決まってもいない。そういうとき、誰 かから何かを働きかけられたり呼びかけられたら、とりあえず自分の方から通路を開 けて「応答」しておくことが肝要だ。それが共通行為の参加者になる秘訣である。さ らには自分のメンタルのエネルギー、つまりコミュニケーションに向かう気持ちを強 34 める身体的な対処法でもある。と、やや強引に解釈してみました。 たとえばチームや組織のなかで、何かを頼まれたり問題を投げかけられたり、ひと り言を聴いたりしたら、とりあえずそれを自分への働きかけや呼びかけと考えて行動 してしまうこと。それは、「自分のかわりに誰かがやっている」とか、「自分がやらな くても誰かがやるだろう」という消極的な対応から、お互いの関係のエネルギーを高 めつつ、 「何か私にできることはあるか」「とりあえず自分がやっておこう」「誰かのかわり に自分がやろう」という積極的な応答をすることになるのだ・・・。 ● レスポンシビリティ/責任・応答(鷲田清一) 他者の声やささやかな訴えに対して「何か私にできますか」とすぐに応じる用意が あること。他者からの呼びかけに応じて考え、そして動くほうが、逆説的にひとを受 け身でなくす。つまり他者に認められる、他者の意識のあて先に自分がなるという感 覚が、ひとを突き動かす。 からだで感じたことや、受け取ったと感じたことへのこうした応答は、自分の周り に多くの感覚や関心や経験といったものを引き寄せて、 「共通感覚」をつくり上げてい くことでしょう。 「責任」と「応答」、それは言葉の定義上もともと結びついています。そして多く の人の応答の積み重ねが、 「公共の場」の良さ、すなわちチームや組織のコミュニティ 的な良さを強めて、自分ひとりのみならずチーム全体の能力を高めていくように思わ れてなりません。 ● 能力の共同性(竹内章郎) 能力は必ずしも個人の私的所有物ではない。自分の能力は決して自分ひとりで身に つけたわけではなく、他者に依存してきたし今後とも依存する。それだけでなく、能 力は、発揮にふさわしい周囲の人や環境や状況の存在によってはじめてこの瞬間に発 揮されるものなのだ。(そして、継承・共有・増加されるものだ)。 したがって、他者との係わり合い、コミュニケーションなしには、能力も生命も育 たず、私的所有物にもならない。 私たちは「能力」を、公共性あるものとして共同で育て、使うということを考える 必要がある。(それがコミュニケーションの役割ではないか) 35 ● 成長を促進するコミュニケーション(カール・ロジャーズ) だれかに耳を傾けることができたときの喜びや満足と、人に聴いてもらえる喜びと 満足と、自分自身に耳を傾けることができた(自分の内面で生じていることに触れる ことができた)喜びと満足。この三つが一致したとき。 今、この瞬間の私の「経験」が、 「意識」の中に存在し、意識の中にあることが「コ ミュニケーション」の中に存在するとき、その三つのレベルは一致する。 他者との係わり合いが個人の能力を高め合っていく。応答の積み重ねがチームや組 織全体の能力を共同で育てていく。他人の経験と自分の経験が同じように意識化され る。耳を傾けあうことで自分と他人とチームのあり様に気づく。それらはすばらしい 経験なのだと賢人たちは言っているように思います。 このように経験や学習や能力という側面からすると、対話の相手は目の前の人だけ ではなくチームや組織の全員でもあるでしょう。 つまり「私」は、「公共の場」において目の前の人を通して全員と対話をし、応答 をし、応答を待つのです。 36 12 「信頼を持ち寄ってつくられる『喜ばしい絆』」 信頼される人になりましょうとは、小学生のときから私たちが教え込まれてきたこ とですが、社会人として仕事をすればするほど、 「信頼されること」もしくは「信頼す ること」の大切さが身にしみて実感されます。 「いまや組織は、力に基づいてではなく信頼に基づいて構築される。(P・F・ド ラッカー)」 ということもまた、間違いのないところと思われます。以前に、信頼の入り口は「役 割を引き受ける」「自分を使ってもらう」「パワーを与え合う」などの行動だとしまし た。それらはすべて、「責任」とは何かを考えさせられる言葉でした。 ◆ 他者からの信頼(マルティン・ブーバー) 信頼を勝ち取るのは(中略)、自分が関係している人々との生活に、直接かつ率直 に「参加」し、そこから生じてくる責任を自ら背負うことによってである。 おっしゃる通りだと感じます。参加と責任は、「コミットメント」という言葉で説 明されることの多いものです。さらに「信頼を勝ち取る」 「信頼される」とは、コミュ ニケーションという相互行為(他者への応答)によることも確かだと感じます。 たとえば、 ◆ 信頼される人になる五箇条(土光敏夫) ・相手の立場になってものを考える ・約束をきちんと守る ・言うことと行うことは一致させる ・結果をこまめに連絡する ・相手のミスを積極的にカバーする この経済界の賢人の五箇条は、そのまま職場内コミュニケーションの基本作法とい っても良いものです。さらにこれは、リーダーシップにもフォロワー/メンバー/パ ートナーいずれの「シップ」にも共通する社会人の姿勢であることも納得されます。 学校や家庭でも同じでしょう。 ところでもっと実務的に、そして実利的に「信頼される」を考えると、それは仕事 の結果によって積み上げられていくお貯金のようなものだという方もいます。 37 ◆ 信頼されるとは(藤原和博) 様々な仕事を任され、そのつど信頼を積み上げてきたことが、自分自身の能力の向 上、人的ネットワークの構築を可能にする。自分が本当にやりたいことが見えてくる のは、一定の年齢に達してからであって、それ以前にまず、信頼の土台(信用蓄積) がないとリーダーシップも発揮できない。 自分のクレジット(信頼・信任)レベルを上げると、自由度が上がる。 ここでは、 「信頼」はひとつの「資本」であるという社会関係資本の考え方に近くな っています。クレジットとしての「信頼」はお金と同じで貯金できるのだから、自分 の自立のために信頼蓄積をしろよ、行動で評価してもらうことを続けていけよ、それ がリーダーシップの発揮につながり、社内で自分を自由にし自己実現を助けるのだか ら、というわけです。ちなみにこの賢人は、信頼と責任と自由を、たがいに相関関係 にあるものと考えていることが見て取れます。 しかし私には、 「自分のクレジット(信頼・信任)レベル」には「任される」と「任 す」、そして「信頼される」と「信頼する」が両方含まれていると思われます。つまり コミュニケーションという相互行為には、どうやったら信頼「される」だけでなく信 頼「する」人になり、信頼「し合う」ことによってチームや組織で成果を出せるかと いう問いかけがあるように思うのです。そこで「信頼する」について拾ってみます。 ◆ 自分への信頼(カール・ロジャース) 私は自分の内部で起きる感情、言葉、衝動、空想を「信頼」する。この方法で私は 意識化した自己以上のものを利用し、私の有機体全体(以上)の能力のあるものを引 き出している。 まず自分自身を信頼することが大切だと言うのです。そこから自分の能力が引き出 され、 「信頼する人」になっていくのだ、と理解しました。さらに、まず他人への信頼 が先にあってその上でコミュニケーションが開始されるのだ、という方もいます。 ◆ 他者への信頼(内田 樹) 私たちは「まず」他者を信頼し、「ついで」聴くのである。まず「コミュニケーシ ョンを開錠し」、それから「メッセージを聴く」のである。 他者への信頼はコミュニケーションの開錠だ、と言うのです。すると自分を信頼し、 他者を信頼し、それによってはじめてコミュニケーションが始まるという順番になる のでしょう。いずれも自分の行為として「信頼する」ことの重要性を指摘しています。 では実際に、他者への信頼とはどういう行為なのでしょうか。 38 ◆ 他者への信頼(中谷内一也) そもそも何のために他者を信頼するのか。信頼する、すなわち、その他者しだいで 自分がひどい目にあうかもしれないのに何かを委任するということは、自分が直接携 われない作業を代理人に任せるということである。 たとえば、チームや組織で仕事をすれば、必ず「自分が直接携われない作業」とい うものに出くわします。誰の仕事か決まっていないグレーゾーンも多く出現します。 そのときどう対処して委任するか、が「他者への信頼」の底にあると言うのです。 委任することや権限を委譲することは、双方にとってリスクを冒すことにつながり ますから、コミュニケーションの役割である「リスクを減少する」 「不確実性を縮減す る」とは矛盾する行為かもしれません。つまり「信頼する」は自分にとってのリスク です。ところが「他者への信頼」によってコミュニケーションが発動するなら、 「信頼 する」を「リスク」と捉えるか、共通の視点や公共性ある能力を得るための「投資」 と捉えるかによって、自分の立ち位置が変わることは確かなように思われます。 ◆ 信頼(アルフォンス・リンギス) 信頼という行為は、未知なるもののなかに跳び込むことだ。 ◆ 信頼(アンソニー・ギデンズ) 我々は、よく知らない相手と、多かれ少なかれ継続的な相互行為を行っている。 私たちが暮らしの中で行っている「信頼する」という行為がこのようなものである なら、私たちは常に、不確かな関係性に跳び込むことで「他人との最も喜ばしい絆(リ ンギス)」をつくっていこうとしているのでしょう。そして「信頼される」ためには、 他者から「信頼」という贈り物をいただくしかない、そのためにはまず自分から他人 を「信頼する」 (跳びこむ)ことから始めるしかない、そういう知恵を賢人たちは示し ているのです。いかなる親密な関係の組織の中であっても、私たちはその投資リスク を認識し、しかしあえてリスクを冒すものなのだと言っているのです。 投資としての信頼は、自分への信頼と他者への信頼を意味します。それによっての み引き出される自分の能力と、コミュニケーションが始まることによってのみつくら れる「信頼する・される」関係性があります。その能力と関係性を一人ひとりが「資 本」として持ち寄り、さらなる投資として集団の信頼を培っていくことで、コミュニ ティ(クレジットレベルの高い共同体組織)がつくられて行くのではないでしょうか。 ◆ 信頼(エマニュエル・カント) 信頼は、共同体における共通感覚である。 39 13 「個人と組織が、手を携えて進歩するために」 信頼への投資を行うことは、とくに若いフォロワーやメンバーにとって重要なこと です。どうやらそれが他者との通路をつくるだけでなく、ひるがえって自分の能力を 引き出すことにもなりそうだからです。そして、若いフォロワーやメンバーが自律的 に能力を引き出してくれることは、チームや組織にとってこんなに嬉しいことはあり ません。 さて信頼という行為は、個人として自立し、集団に参加し、他人に対する責任を背 負い、そしてコミュニケーション回路を開錠し、チームや組織がコミュニティへと成 長する共通感覚に身を寄せるところに出現します。どのような社会であっても私たち の行為の根っこは、それほど大きく違うものではないのでしょう。お互いに「信頼」 という資本を持ち寄って投資しあい、繋がることで、人間の営みが続いていくのです から。 それは私たちが現に生きている社会、すなわち市場原理が重視される経済活動でも 同じことです。 ■ コミュニティと相互信頼(フランシス・フクヤマ) 経済行為者たちがお互いに支えあうのは、相互信頼に基づくひとつのコミュニティ をつくっていると信じたからに他ならない。 ■ コミュニケーションとコミュニティ(桜井 洋) 経済市場、企業行動も、大きな動機は「コミュニケーション」である。市場もコミ ュニケーションの場。会社は一種のコミュニティ。互いに繋がることが、いちばん価 値のあることだ。 市場も相互信頼で動いている。コミュニティを、そしてつながりを、重視している。 ところがその一方で、どのような社会においても、 「信頼と依存は紙一重(アンソニー・ギデンズ)」 ということがあります。広く社会活動でもそうですが、とくに親密な組織では「信 頼する・される」という信頼関係が「もたれかかる相互依存」、すなわち「共依存」と 区別がつかなくなっていることもあります。そうした相互依存は信頼とは全く逆に、 組織としての活発な経済活動だけでなく内部でのメンバーどうしの成長をも阻害する ことでしょう。 40 また「信頼と依存」と同じように、チームや組織においては「チームワークと集団 思考」の違いについては見逃すことができない点です。 「集団思考のワナ」に陥りやす いのは、コミュニティになる前の「(だんだん結束が高まっている状態の)グループ」 に特徴的なことですから、この点についてしばらく「個」と「集団」を行き来しなが ら押さえておきましょう。 ■ 集団思考のワナ(アービン・ジャンス) 1 集団の力に幻想を抱き、リスクを楽観視する 2 集団にはモラルがあって当たり前という思い込みから、メンバーの意思決定に ついてモラルの側面を軽視する傾向がある 3 自分達の前提に疑問を投げかけるような情報や報告を軽視するように、つじつ まあわせを集団的に行う 4 敵を作る。その敵をステレオタイプ化する (後略) つまり人の集団は、既存の枠組みを守りたいがための行為に走る場合があるので注 意するように、という忠告です。集団思考のワナは、意図的に殻に閉じこもり、自分 達だけを守ろうとし、変化を恐れる心情ともいえます。これが集団内に発生する「無 責任ウイルス」の特徴でもあり、それに感染するとマイナスのフィードバック・スパ イラルに陥ること請け合いです。これまで使ってきた「役割」「責任」「支援」などの 言葉には、このようなマイナスの意味合いも含まれているので注意が必要なのです。 集団思考のワナとは、言い換えれば集団による個人主義のようなものです。個人主 義者は集団に属することで「私だけ」がどのような快や利得を得るか、と考えること で依存する。一方集団思考は、社会で活動するとき「集団としての私たちだけ」がど のように快や利得を得られるか、と考えて依存する過ちを冒すのでしょう。 しかし私たちは個人の「シップ」を考える中で、私だけの「快」や「利得」を追求 するのではなく、 「私が参加することで『チームや組織』のパフォーマンスがどのように向上するか」 「私をどう使ってもらうか」、あるいは、 「私を通して何が起きるか(中野民夫)」 という、真のチームワークにつながる問いを立ててきたはずです。 ■ 問いの変化(ヴィクトール・フランクル) 「私に必要なものはなんだろう」から、 「 私が必要とされているものはなんだろう」に。 41 「私」の問いがこのように変化することで依存から逃れられる。それが「私たち」 の問いになることで、チームや組織の中に集団思考に陥りにくい耐性ができるのかも しれません。個人の「シップ」を集団の「シップ」にしていくために、上記の言葉の 「私」を「私たち」に換えることが、 「私たち」というチーム・組織や会社が広く産業 界や社会の中で生きる知恵を生みだすのだ、と言えないでしょうか。 私たちは信頼やチームワークから離れて、つい集団思考や共依存という楽な方向へ 流されがちですが、本来は個人としても集団としても自律したいと願っています。 個人としては、 「各人が必要に応じて働き、必要に応じて受け取る(デヴィット・グレーバー)」 という「労働」「仕事」でも自律はあるでしょうが、それだけでなくさらに、 「自分の能力に応じて他人の必要に応えたい」 と願って行動すること(「活動」「おはたらき」)には、さらに大きな自律感がある のではないでしょうか。つまり依存の反対に自律があるならば、 ■ 進歩(イヴァン・イリイチ) 進歩は依存の増大ではなく、自己管理能力の増大を意味する。 という意味が良くわかる気がします。 自律とは通常、 「他者に依存せずに自分の中に確固たる『ものさし』をもつこと」 と言われますが、私たちは、 「私が必要とされているものはなんだろう」 と、問うことをその「ものさし」にしたいと考えるのです。「問い」と「基準」が このように変わることによって自己管理能力が高まっていくとしたら、私たちのスリ ーシップ的定義ではこう表現したいと思います。 「自律とは、経験したことのない新しい状況の中でも、状況を判断してそれにふさ わしい(つまり、必要とされている)自己を発動させることができることである」。 ■ 応化力(玄侑宗久) 自分の中にいろんな傾向があるにしても、それを良し悪しで考えないこと。そうす ると状況に応じて、私はこうにでもああにでもなりうるという「応化力」が増してく る。 42 このような「自律」の考えが、「私」個人だけではなく、チームや組織という人の 集団全般についても同じことが言えるのは、これまで見てきたことから明らかだと思 います。 「私たちは、(チーム・組織として)私たちが必要とされているものはなんだろう と考える。他の人たちを信頼し、その必要や呼びかけには自分たちから応えようとし ている。そしてさらに、私たちを通して何が起きるかと楽しみにもしている。なぜな ら、私たちは状況を判断してそれにふさわしい自己を発動させることができるからだ。 私たちは『こうにでもああにでもなりうる』と思うからだ。それが私たちという集団 を成長させる要因であり、私たちの基本的なシップとなる。」 こんな具合に、「私たち」がどのような状況におかれてもそこにふさわしい「私た ち」を発動させられることが、集団思考と共依存を避け、チームや組織の自己管理能 力の増大という進歩につながるのではないでしょうか。 43 14 「立つ場所は、座っていた場所によって決まる」 「立つ場所は、座っていた場所によって決まる(出典不明)」 という言葉があります。 この言葉は、人の次の行動や将来の役割(立つ場所)が、今いる現状(座っている 場所)に規定されてしまうから注意しなさい、という意味だと思います。というのも 私たちは、色々な「立ち位置」、すなわち「立場」に絡めとられて仕事をしているから です。 ● 立場(園田圭介) 人は立場で生きている。社会とは「立場」と「立場」の関係性だ。だから社会の中 で人は「立場」がないと生きられない。だが環境が変われば「立場」もたやすく変わ る。「上下」の関係性が一瞬で逆転することもある。 ● 状況の定義(E・H・シャイン) 日常生活のプロセスは、『状況の定義』の連続だ。それによってどんな役割を我々 が演じるべきか、他人に対して何を望むべきかがわかる。 私たちは、自分の行為を振り返ってみると生活の中でいろいろな「立場」を使い分 けていることに気づかされます。 親として子どもとして、男として女として、利益関係者として通りすがりの通行人 として、そのときの状況を自分で定義することで立場を変更しています。私たちはご く自然に「状況の定義」を行い、役割を演じているわけです。 それは仕事においても同じで、上司として部下として、先輩として後輩として、リ ーダーとしてフォロワーとしてそのつど仕事に関わって行きます。常にひとつの立 場・役割(たとえば課長という職位)だけを演じ続けることは、場合によっては状況 の定義をサボり、与えられた仕事をただこなしていくことかもしれません。逆に言え ば、新たな仕事をおもしろくやっていくこととは、状況によって複数の立場・役割の 自分を持つことにあるのかもしれません。 チャレンジングに自分を演じ分けることは、この時代の要請かもしれないのです。 44 ● マルチレイヤー(多領域)で生きる(長田攻一) 私たちは、多元的な状況のなかで、複数の自己を同時に管理することを迫られてい る。 ここで言う「複数の自己」の意味として、別の賢人は「老い」を語る中で、定型的 な人間になることのつまらなさと「人格の可動域の広さ」の重要性に言及します。 ● 人格の可動域(内田 樹) 幼児期の自分も少年期の自分も青年期の自分も壮年期の自分も、全員が生きて今、 自分の中で活発に息づいている。そして、最も適切なタイミングで、その中の誰かが 『人格交代』して、支配的な人格として登場する。そういう人格の可動域の広さこそ が「手柄」だ。 私たちが仕事の中でこのような「可動域」を広げることができるなら、どの仕事に 対しても無理なく対処できるような気がします。なぜなら、 「こうにでもああにでもな りうる」として使える自分が多いほうが、状況に応じて能力の差し出し方が多様にな るという点で自分の守備範囲が広がっているからです。どのような仕事や職に対して も柔軟に取り組める「方策」を持てているからです。そして仕事からお呼びがかかっ た時に、自分が座っていたいくつかの場所から「複数の自己」、つまりその場に応じた 適切な(と思われる)人格や能力を持つもの、を立たせて挑戦させるという対処がで きるかもしれないからです。 それが自分にとっての、仕事における真摯な「状況の定義」ではないでしょうか。 ● 創発におけるリーダーシップ(カンスリー他) 創発におけるリーダーシップとは、舞台と状況を設定することである。だが(そう いうリーダーシップを取れる)彼らは、一歩下がって考えたり、無知をさらけ出した り、ときにはフォロワーになることもできる。人は、自分が何をしているのか本当に は分かっていない。この事実を隠さないほうがいい。 ● 部下力(上村みつのり) (部下力のある人は)仕事は矛盾だらけであるが、その各々のバランスを取ることが 大事と認識している。 ● バランス感覚(藤原和博) バランス感覚とは、世の中と自分の関わり方のことである。 45 リーダーとしての自分も、フォロワー/メンバー/パートナー/オーナー等々とし ての自分も、つねに自分の中で生きて、座る場所を得て息づいており、適切なタイミ ングで登場することができる。そのすべてが自分であってその行動には責任が持てる。 状況の定義をして複数の自己を管理しているという自覚があるので、ときに自分の無 知や、矛盾した状況やグレーゾーンに出会っても、バランスを取って自然に立つこと ができる。正解のない状態や「わからなさ」にも耐えることができるのです。 それができる人は、たぶん複数の自己を内部でファシリテートする「自分」という ものが自分の中にもう一人いるのです。そしてその「自分」は、仕事と自分の関わり 方を計りながら、座っている複数の自己どうしの話し合いを内部で円滑に進めている。 だから、このもう一人の自分のファシリテーション能力を育てることは状況の定義に つながり、バランス感覚を養い、自分の可動域を広げるのに役立っているのだ。こう 確信が持てているのでしょう。 であるなら、次の大賢人の言葉も理解できそうな気がします。 ● 人の価値(アルバート・アインシュタイン) ある人の価値は、なによりもその人がどれくらい自分自身から解放されているか、 ということによって決まる。 つまり自分自身から、すなわちこだわり、プライド、被害妄想といった「自我」か らどれほど解放されているかが人の価値を決めるということでしょう。すると、何を しているか本当にはわかっていないという自覚があるからこそ自分の中の複数の自己 を認める。さらに状況に応じて複数の自己のうち誰かを立たせる。それを是とする。 それを信頼と責任に裏打ちされた自由と呼ぶ。そういう姿勢に「自分自身からの解放」 という感覚があるように思われてなりません。 さて、このような意味で立つ場所は座っていた場所によって決まるのであれば、私 たちは意識するにせよしないにせよ、いつでもその「座り方」においてなにがしかの 「準備(自分の内部での話し合い)」をしているということになります。 そしてある時、誰かのなんらかの呼びかけによって、いきなり私たちの「立つ場所」 と「(その前に)座っていた場所」が顕わにされてしまいます。そのとき「今、ここで、 どういう準備をして座っていたのか」、それが私たちに突きつけられる「問い」なので す。 「チャンスは心構えのできた精神に味方する。(ルイ・パスツール)」 あるいは、 46 「私は自分の中にひとつの準備状態があったのだろうと考えている。自分でも気づか ずに持っていたものが、誰かが正しいボタンを押した時に出現してきた。 (カール・ロ ジャーズ)」 ということが見られたら、その人は正しい準備をしつつ座っていたのだ、というこ とがわかるのかもしれません。 ● 席のうずめ方(湯川秀樹) 空間というのは、物に席を与えるものだ。いろんな席があって、そのどの席を占め るかで粒子の特性が決まる。粒子じたいに名前があって identify されるのではなく、 席のうずめ方で(特性が)定まる。 47 15 「社会でどのようなシップを立てるか」 私たちはこれまで、 「良い言葉を使っていくことで、 『自分たちより大きいもの』につながっていける。 (エバレット・ブラウン)」 と信じて、賢人たちの多くの「良いお言葉」を使わせて頂いてきました。これらの お言葉をテコとして「自分を生かす立ち位置」を考えてきた最後に、より大きなもの への繋がりを求めてみたいと思います。 働く「姿勢」としてのスリーシップ観や、自律と自己管理の増大という「進歩」の プロセスは、どんな広がりを持っているのか。社会の変化や複雑化する一方のシステ ムにどう対応するか。その示唆を与えてくれるお言葉です。 ◆ リーダーシップ(ピーター・センゲ) リーダーシップとは、未来を構築していくためのコミュニティの能力のことである。 それは未来を実現していくために必要な、変革のプロセスに取り組み続けられる能力 なので ある。 リーダーシップを発揮するのは「上層部」にとどまらず、あらゆる人々である。 従来の考え方、習慣、そしてアイデンティティさえも手放すことのできる人々が、 リーダーとなることができる。このリーダーシップが生まれるのは、人々が本来の自 分を見出し深く結びつき、自分達が最も大切に思うものを実現する未来を生み出そう とする変革に、自分が果たす役割を自覚したときである。 ◆ リーダーシップ(オットー・シャーマー) 私たちの一人ひとりは独自の意識構造を構築しており、他人に同じものを期待する ことはできない。だから共通の領域が見えたときこそ、実際の変化を呼び起こすこと が可能になり、行動変容が起こる。 リーダーシップの原点は個人、集団双方の内面世界を変容させることだ。 ◆ 民主主義とリーダーシップ(シャロン・パークス) 人々を等しく社会に参加させる民主主義も、リーダーシップが不在なら機能しない。 公共というチェス盤の全体像を把握する力が、今日のリーダーシップには欠かせない のだ。 48 ◆ リーダーシップ(同) 民主主義のシステムでは、力関係が垂直型ではなく水平型になる傾向があり、ピラ ミッド型よりもネットワーク型のシステムが好まれる。そのなかで効果的なリーダー シップを発揮するには、想像力や実際的な考え方を磨くことで、信頼を築かなくては ならない。 リーダーは自己よりも巨大で複雑なシステムの中で行動している。このシステムを 独力で支配することはできない。しかし時にはみずからの権限を超えたリーダーシッ プを発揮しながら、システムに創造的に干渉することはできる。 このように気宇壮大なお言葉を聞くと、組織内のことだけを考えているわけにはい かなくなります。私たちは、個人-チーム-組織-コミュニティ-会社・団体-地域 -社会と、 「自分の立つ場所」と視野を広げて、すべて繋がるような形でリーダーシッ プをはじめとする「シップ」を捉えなければいけない、そう言われているように感じ ます。 リーダーシップ/フォロワーシップ/メンバーシップという「スリーシップ」に関 わるこれまでの諸賢人の「良いお言葉」には、当然のことながら「良い社会とは何か」 「良い共同体とは何か」「良い仕事とは何か」「良い行動とはなにか」といった、根本 的な問いが含まれていました。シップが「自分の立ち位置」のことだとすると、組織 内の小さな集団の中と広く社会の中とで区別することもありません。 すると「スリーシップ」の先に待っているものは、「パートナーシップ」であった り「シティズンシップ」であるかもしれません。 「オーナーシップ」や「フレンドシッ プ」であっても良いのです。ただいずれにしても、私たちは個人の次元と集団の次元 の両方で、適切なシップを立てて自己管理能力を高めていきたいと強く願います。相 互依存も集団思考も避け、既存の硬直化したシステムに「創造的に干渉」したいから です。それは会社組織だけの問題ではなく、広く人の心、広く人と人との関係、広く 地域、広く社会、広く民主主義を考える際にも必要なことなのではないでしょうか。 前述のように「状況の定義」をして、「可動域を広げ」たり「立場を変え」たりし て「複数の自己を管理」することは、けっこうハードな作業に思えるかもしれません。 さらに「未来を生み出す」だの「硬直化したシステムに創造的に干渉する」だの言わ れては、なおさら腰が引けそうになります。 しかし考えようによっては、 「どんな人でも世界についての個人的な地図を持っている。最も賢明な地図とは、 最も現実的で正確な地図のことではない。最も幅広く、豊かな選択肢を可能にする地 図のことである(ロバート・ディルツ)」 49 として、自分の地図の持ち方を変えれば良いのかもしれません。その地図の持ち方 が「内部で質の高い話し合い」をして「準備しつつ座っている」その姿勢だと考えま す。ひとつの「目の前の正解」だけを持とうとすると、与えられた役割や枠組みから 逃れられなくなりかねません。そうではなく幅広く豊かな選択肢を持っていくとは、 自分の中に幅広く豊かな「シップ」を育てていくことであり、仕事人生を歩いていく 際の実践的な知恵を意味します。それがすなわち「想像力や実際的な考え方を磨く」 ことのはずです。 それはまた、個人のふるまいの知恵として、 「人間は、みずから信ずるところのものである(チェーホフ)」 「我々は、そのふりをするところのものである(カート・ヴォネガット jr)」 という箴言によって表わされてきた座り方の準備なのだと感じます。 みずから信ずる、あるいはそのふりをするという行為は、自分を偽ったり、人に見 せるための演技をすることではありません。まったく逆です。それはいままで見てき た「関心」や「支援」や「信頼」や「成長」を土台にして豊かな選択肢を持つという、 行動的でチャレンジングな姿勢に違いないのです。それを続けていくことで私たちは 自分の足で立ち、ひいては他の人々に良い影響を与えることになるのだ、そう受け止 めました。 それならば私たちはどのような「シップ」を立て、どんな地図を持ち、それをどの ようにチームのみんなに示して行きましょうか。 ◆ 自分に出会う(出典不明) 自分が何を考えているかは、話し出してみないとわからない。言葉を話しながら、 私は自分自身に出会っているのだ。 ◆ 行為と話(ハンナ・アーレント) 行為を行為にするのは「話」なのだ。言葉抜きの行為はありえない。 話された言葉によって初めて、行為は位置づけられる。個は自分となるためにこそ、 共同体に加わって自分固有の物語をはじめなければならない。 ◆ 自己を立てる(木村 敏) 他者同士の集まりである「集団行為」のなかで、個人としての自己を立てるという ことは、集団を立てることによって自己を立てるという共役性が必要になる。他者と 集団が立たないと自己も立たない。 (了) 50
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