なぜ日本ハムファイターズは 観客動員数を伸ばすことが出来たのか

なぜ日本ハムファイターズは
観客動員数を伸ばすことが出来たのか
~スポーツマーケティングの観点から探る~
指導教員名:水越康介准教授
氏名:井上智圭
枚数:25 枚
1
目次
1
2
2-1
2-2
2-3
2-4
2-5
2-6
2-7
3
3-1
3-2
3-3
3-4
3-5
4
4-1
4-2
4-3
5
参考文献
はじめに
先行研究-スポーツマーケティング―
スポーツマーケティングの定義
スポーツマーケティングの歴史
スポーツマーケティングの発展
スポーツマーケティングの特徴
顧客ロイヤルティの創出
スポーツ・プロモーション・ミックス
先行研究まとめ
北海道日本ハムファイターズ
日本ハムファイターズの歴史
なぜ北海道なのか
日本ハムファイターズの取り組み
地域密着型球団としての歩み
北海道日本ハムファイターズが抱える問題
分析
顧客ロイヤルティ
スポーツ・プロモーション・ミックス
分析まとめ
おわりに
2
1
はじめに
プロ野球人気は低迷してきている。これは多くの日本人が感じていることであろう。特
に著者の出身地である大阪には熱狂的な阪神タイガースファンがたくさんおり、学校へ行
くと阪神ファンによって昨夜の試合について熱い討論が交わされていたり、一方で仕事か
ら帰った父親によってテレビを占領され見たい番組が見られなかったという愚痴があちこ
ちから聞かれたものである。しかし、ここ数年で様相は大きく変わってきたように思う。
まず、東京キー局による巨人戦の地上波中継が激減したことである。そう遠くない昔、
半年間かけて行われる全 144 試合ある巨人戦が全て地上波中継されていた。しかし、2012
年、巨人軍の主催試合における地上波中継数はわずか 22 試合で、そのうちナイターゲーム
はわずか 6 試合にまで減少した(「日テレ広告ガイド」HP より)。しかし、これと全く逆の
現象が起きているのが北海道日本ハムファイターズや福岡ソフトバンクホークスを始めと
する本拠地を地方に持つ球団である。特に 2012 年 4 月期における TV 札幌の視聴率 TOP10
は全て日本ハム戦であったほど、日本ハムファイターズは北海道という地に根付いてきて
いると言えるだろう(ビデオリサーチ調べ、集計期間 2012 年 4 月 2 日~29 日)。
プロ野球人気は全体的には落ち着いているかもしれない、しかし地域密着型の経営を始
めた球団は、むしろ以前よりも人気が出てきているのではないか。ここには、スポーツと
いうものが我々に与えてくれる多くの価値―例えば素晴らしいプレーに感動を覚えたり、
同じチームや選手を応援することによる観客同士の一体感や交流であったり、チームの本
拠地があることに付随した観光客の増加などによる地域活性化であったり―が関係してい
るように感じた。通常の一商品よりもスポーツというものは我々に非常に多くの価値を提
供してくれる。ここにスポーツマーケティングの面白みがあると考え、このテーマをより
深く考察してみることにした。
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スポーツマーケティング
ここでは、スポーツマーケティングとは何か、スポーツマーケティングの成り立ちやス
ポーツマーケティングの特徴について説明する。
2-1 スポーツマーケティングの定義
まず、スポーツマーケティングの定義について触れておきたい。久保田(2011)は「スポー
ツ組織がその活動を通じ、連携するステークホルダーとの協働により価値を創造し、その
3
価値についてコミュニケーションを行い、価値を高め、相互関係を効果的かつ効率的にコ
ントロールするための機能とプロセスである」と定義づけている(久保田(2011)、25 頁)。
しかし、日本におけるスポーツマーケティングの歴史は非常に浅く、様々な見方が存在し
ている。
スポーツには「見るスポーツ」と「するスポーツ」が存在し、従来の考え方ではどちら
か一方に重点を置くものが多かった。
「見るスポーツ」に重点を置いた広瀬(2002)は、
「競
技団体、スポーツに関する企業、および他の企業や組織がグローバルな視野に立ち、スポ
ーツファンとの相互理解を得ながら、スポーツに関する深い理解に基づき公正な競争を通
して行うスポーツ市場創造のための総合的活動である(広瀬(2002)51 頁)」と定義づけ
たが、同時にスポーツマーケティングは厳密さを要求される学問の領域に馴染まないので
はないかと言う疑問を呈している。
しかしながら、原田(2008)によると、通常科学としてのスポーツマーケティングは着
実に科学的進歩の波に乗って通常科学の発展過程をなぞっており、学問の形骸化と研究の
陳腐化を避けるべきだとし、スポーツという独自の現象を扱うマーケティング科学として、
新しい立場を模索していくことが出来るかどうかが重要であると述べている(原田(2008)
31 頁)。
本稿においては、最も解釈の幅が大きく、様々な視点からのスポーツマーケティングを
最もあらわしている久保田(2011)の定義を使用することとする。
2-2 スポーツマーケティングの歴史
そもそも“スポーツマーケティング”という言葉がいつ生まれたかというと、1979 年 8
月 27 日に発行された“Advertising Age”という米国の雑誌が発祥であると言われている
(久保田(2011)29 頁)。
マ ー ケティ ン グ の定義 が 初 めてさ れ た のは、 ア メ リカの National Association of
Marketing Teachers (NAMT)が 1935 年に「生産から消費に至る商品とサービスの流れ
に携わる諸事業活動を含む」と表現した。後に NAMT が解散し設立された American
Marketing Association は、1948 年に「生産者から消費者あるいは使用者への商品および
サービスの流れを導く諸事業活動の遂行」とし、人間が行為主体であることを強調する定
義づけを行った(原田(2008)15 頁)。
初め、マーケティングが向けていた視点は製造業・卸売業・小売業に向けられていたが、
1970 年代から 1980 年代にかけてマーケティング科学論争が巻き起こった。これによりマ
ーケティングの研究対象は多様化・複雑化していくこととなった。また、この時期、アメ
リカ合衆国を始めとする先進国で、サービス経済化が起こりサービスマーケティングの領
域が確立されていくこととなった。
4
首藤(2004)は、スポーツマーケティングとは、このような一連のマーケティング研究
や社会経済などの変化の中で、これらに対応する解決方法として登場する新たな視点であ
るとしている。つまり、テクノロジーや社会経済・生活環境の変化により新たな枠組みが
必要となり、それに応じた分析枠組み、ないしは問題解決の枠組みの一つがスポーツマー
ケティングであると述べている(首藤 2004)。
2-3 スポーツマーケティングの発展
スポーツマーケティングが発展していくきっかけとなったのは、1984 年にロサンゼルス
で開催されたオリンピックであった(藤本(2008)135 頁)。それまでオリンピックという
と赤字覚悟で開催されており、開催国にとって大きな負担となっていた。しかし、ロサン
ゼルスオリンピックでは国の財源を投入しなかったにも拘わらず、2 億ドル以上の黒字を計
上することが出来たのである。アメリカがオリンピックを興行的にも成功を収めることが
出来た理由として、現在にも引き継がれているスポーツマーケティングの手法があげられ
る。それが、今では当たり前となった独占放送権やオリンピック関連商品の販売許可の権
利の販売である。
また、スポーツマーケティングが発展していった要因として、スポーツ・スポンサーシ
ップは一番に挙げられるだろう。先に述べたように、オリンピックの運営というものは当
時、開催国にとって大きな負担となっていた。現在とは異なりオリンピックの準備・運営
には多額の公的資金が用いられていたからである。そこでロサンゼルスオリンピックの組
織委員長であったピーター・ユベロスはオリンピックの持つパブリシティに注目し、「権利
ビジネス」を完成させた(藤本(2008)135 頁)。
さらに、ネーミングライツの発展は近年の新たな傾向として挙げられる。ネーミングラ
イツとは、スポーツ施設の経営者が、施設の名前に企業名やブランド名を付ける権利を販
売するという手法である。このネーミングライツは 1990 年代に入ってから急速に発展して
おり、日本では 2002 年に味の素スタジアムが誕生したことを契機に、2007 年の時点では
プロ野球、J1・J2 リーグのサッカークラブチームが活動する 44 のスタジアムのうち、12
のスタジアムに企業名がついている。また、大阪府の泉佐野市が財政の悪化から、市の命
名権を売ろうとするというニュースは記憶に新しい。ネーミングライツはスポーツを離れ
たところでも広まりつつあるのである。命名権ビジネスのコンサルティングを手がけるベ
イキューブシー(千葉市)によれば、スポーツ施設以外を含めた国内の命名権市場は 40 億
円を超え、6 年前の 2 倍以上に成長している(『日経 MJ(流通新聞)、2012 年 1 月 4 日、
12 頁)。
5
2-4 スポーツマーケティングの特徴
スポーツマーケティングの考え方や実際に用いられるマーケティングの手法は、従来の
マーケティングと何ら違いはない。しかし、スポーツマーケティングの大きな特徴として、
スポーツにおけるプロダクトを通して得られるベネフィットが多様であるということが挙
げられる。ここでいうベネフィットとは、消費者にとっての利便性であったり有用性のこ
とである。フィリップ・コトラーによると、消費者はプロダクトそのものを求めているの
ではなく、プロダクトを通して得られるベネフィットを求めていると言う(久保田(2011)、
27 頁)。すなわち、スポーツによるプロダクト(ex.試合やチーム関連グッズ、スポーツ用品
等)は消費者に様々なベネフィットをもたらすのである。
では、その多様なベネフィットを生み出す要因は何かというと、通常のマーケティング
と比べ、その対象となる消費者が異なるという点である。一般の商品の場合その商品、す
なわちプロダクトに対する消費者はそのプロダクトを購入する顧客である。しかし、スポ
ーツにおける消費者は、そのスポーツを実際に行う側と観戦する側、そしてその両方を行
う者に分類される。これらの消費者を総称してスポーツ消費者という。久保田(2011)による
と、行う側を“参加型”
、観戦する側を“観戦型”と呼ぶ。参加型の消費者は、そのスポー
ツを行うことで技術の向上であったり体型の維持・改善であったり、仲間との交流を図っ
たりする。また、観戦型の消費者は試合を観戦する際、プレーをする選手たちと同じよう
にそのゲームに身を投じているような感覚を体験し、時にはその選手たち以上に勝利に歓
喜し敗北に絶望したりする。さらに、スポーツ観戦を通して選手から感動や喜びをもらい、
それを日常の生活の活力にしている人も多い。このようにベネフィットが多様であること
で、消費者となる対象が一般の商品の消費者よりも幅広くなるのである。
しかし、もちろん良いことばかりではない。消費者が幅広いということは、一人一人の
消費者が求めることはそれぞれ異なる。経営側は消費者が求める様々なニーズに応える必
要があり、その為に経営側は多大な経営努力が求められるのである。
2-5 顧客ロイヤルティの創出
たとえば、このブランドの洋服が好きだとか、この飲食店に足繁く通っているだとか、
特定のスポーツチームを応援しているような、そのプロダクトに対して深い愛情や忠誠心
を持つことを顧客ロイヤルティと呼ぶ。この顧客ロイヤルティを創出していく上で重要な
ことは、どういった層の顧客のロイヤルティを高めていくのかという中核顧客を設定する
ことと、そのために必要となるサービスである中核サービスを明確にすることである。そ
してその上で全体に一貫した活動を行い、顧客の反応に応じて新たなサービスも開発して
いかなければならない(廣田(2010)113 頁)。
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また、久保田(2011)はブランド・ロイヤルティには 3 つの段階があるとしている。
①
ブランド認知:知らないブランドばかりのときに、知っているブランドを選ぶ程度
②
ブランド選考:知っているブランド同士で、自分がより好ましいと思っているほう
のブランドを選ぶ
③
ブランド固執:そのブランドしか買いたくないという、ブランドに対する強い忠誠
心を示す
企業はもちろん③のような顧客を増やしていくことが求められる。その為にはまず認知度
を上げ、リピートしてもらえるような製品を作ったりサービスを提供していくことが求め
られる。さらに、スポーツチームのファンやサポーターは時に、経営側よりも効果的な宣
伝をしてくれるものである。
私の友人に、サッカーが好きな人がいる。彼は、大阪生まれ大阪育ちで、一度も大阪か
ら出たことはない。しかし、サッカーチームではベガルタ仙台のファンだと言う。仙台に
何か思い入れがあるかというと、全く無い。では、彼はなぜベガルタ仙台のファンとなっ
たのか。それは、応援をしているベガルタ仙台のサポーターの熱気に惹かれたからだと言
う。たくさんのサポーターが皆で同じレプリカユニフォームを身に纏い、フィールドで熱
戦を繰り広げる贔屓の選手に熱い声援を送り、サポーター同士が一体となって応援歌を熱
唱する。そういったサポーターの一体感というものが「私もこのチームのサポーターとな
りたい。」と思わせたと言う。
同じ消費者の立場ではあるが、ロイヤルティの高い消費者は時に生産者ともなり得るの
である。例えば口コミに代表されるような同じ消費者の立場からの声というものは、新た
な消費者の開拓に非常に有効であると言え、そういったロイヤルティの高い顧客を増やし
ていくことは、多くの相乗効果を産んでくれるのである。
2-6 スポーツ・プロモーション・ミックス
プロモーション・ミックスとは、組織が通常そのプロモーション目標やマーケティング
目標達成のために行っている広告、人的販売、販売促進、広報活動のミックスである(藤
本(2008)123-124 頁)。しかし、スポーツ産業が他の多くの産業を巻き込みながら発展
していくという性質上、それぞれのスポーツ組織に対応したプロモーション・ミックスの
開発が必要不可欠である。
イルヴィンらが示したと言われるスポーツ・プロモーション・ミックスは「広告」「パブ
リシティ」「パーソナル・コンタクト」「インセンティブ」「環境・雰囲気」「ライセンシン
グ」
「スポンサーシップ」の7つである(藤本(2008)、124 頁)。ここからはこれらのプロ
モーション・ミックスの要素について、藤本(2008)、原田(2008)を参考に一つ一つ確認
していく。
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① 広告…広告とは、ある組織によるアイディアや製品、サービスに関する非人的手法
によるコミュニケーション活動である。スポーツ・プロモーションとしての広告の
中にはスポーツ施設での看板、テレビコマーシャル、ダイレクトメール、野外広告、
インターネット広告、ネーミングライツ、ユニフォーム広告も含まれる。
② パブリシティ…スポーツ組織がスポーツプロダクトや事業に関する重要な情報を
各種メディアに提供することによって、それらのメディアに取り上げてもらうよう
にする活動のことである。例えばフロントスタッフや監督、選手の記者会見などが
挙げられ、パブリシティではその費用の大部分をメディアが負担するため、企業に
とって安価なプロモーションではあるが、メディアが発信する為、企業側の思惑と
は違った取り上げ方をされるという可能性もある。
③ パーソナル・コンタクト…これまでの伝統的なプロモーション・ミックスの中では
人的販売に当たる部分である。人的販売とは、販売することを目的として潜在的顧
客に対して行う口頭プレゼンテーションと定義されている。しかし、スポーツ・プ
ロモーション・ミックスの場合、スポーツプロダクトの販売促進のみならず、認知
度の向上やイメージの向上・改善も含まれ、人を介しての販売、顧客サービス、リ
レーションシップ構築から構成される。
④ インセンティブ…スポーツ組織がスポーツ消費者の購買行動を刺激するために実
施する特別企画である。この中にはプロスポーツチームの子供無料デーなどのチケ
ット価格に関するインセンティブと、来場者へのチームグッズプレゼントや試合の
途中での打ち上げ花火などチケット価格には関係のないインセンティブがある。
⑤ 環境・雰囲気…スポーツ消費者が製品やサービスを購入する場所のデザインや雰囲
気づくり、または彼らの行動に関連する知覚的そして情緒的側面に影響を与える取
り組みである。たとえばプロスポーツの試合で提供されるコア・サービスは試合で
あるが、観客は試合だけでなくスタジアム内での雰囲気やファン同士の交流、施設
内の他の娯楽やエンターテイメントを楽しみに来ているのである。
⑥ ライセンシング…スポーツ組織のブランド戦略の一つである。スポーツリーグやそ
のチームがシンボル・マークやロゴ・マークを使った商品化の権利を販売すること
によって、スポーツ消費者を刺激するインセンティブとなっている。
⑦ スポンサーシップ…組織がスポーツイベントやスポーツリーグ、またはチームを利
用して行う統合的なマーケティング戦略である。分かりやすく言うと、例えばスタ
ジアムに広告を出していたり、ユニフォームに企業や商品名が出ているものは、そ
の企業がスポンサーとなってチームに出資してくれているということを意味する。
スポーツ消費者はどれか一つの要素に対してのみ反応を示すわけではなく、複数の要素
からの刺激を総合的に判断して反応を示す。よってスポーツ組織は、これらの要素を組み
合わせたプロモーション戦略を開発する必要がある(藤本(2008)、122-131 頁)。
8
2-7 先行研究まとめ
ここまでスポーツマーケティングの概念的な考え方やその特徴を見てきたが、一般的に
行われているマーケティング活動と共通する点が多く見られた。その中で通常のマーケテ
ィングと同じように考えることが出来ない要因は、スポーツにおけるマーケティングは、
その対象が参加型、観戦型、その両方という幅広い人々であるという単純なことなのであ
る。しかし、この対象が広いということがスポーツマーケティングをより複雑なものにし
ているのである。そこで、スポーツマーケティングは独自に発展をしてきており、特にス
ポーツ・プロモーション・ミックスにはスポーツならではの考え方が従来のマーケティン
グにより追加されてきている。例えば①広告に挙げられるネーミングライツや⑦スポンサ
ーシップはスポーツマーケティングにおける非常に特徴的なマーケティングの要素である。
では、なぜ近年になってスポーツマーケティングが取り上げられるようになってきたの
か。それは、サッカー人気の上昇に付随してクラブの経営難が取り沙汰されたり、2004 年
のプロ野球再編問題によるプロ野球球団の経営難が顕になったからだと著者は考える。特
にプロ野球球団を抱える企業の親会社には日本を代表するような大企業が多く(読売ジャ
イアンツ:読売新聞グループ本社、東京ヤクルトスワローズ:ヤクルト本社、阪神タイガ
ース:阪神電気鉄道 etc.)、球団経営は、球団の赤字を親会社に補填してもらい、赤字を補
填してもらっているからこそ、親会社の意向に沿うように球団経営を進める…という悪循
環に陥っていた。
しかし、この状況も次第に打破されつつある。特に 2004 年、本拠地を東京から北海道へ
と移転させ、大きく経営状況を改善させてきたのが北海道日本ハムファイターズである。3
章ではスポーツマーケティングの考え方と日本ハムファイターズの取り組みを照らし合わ
せながら、どのように観客動員数を増大させ、地域に密着する球団作りをさせていったの
かを分析する。
3 北海道日本ハムファイターズ
先に述べたように、プロ野球全体の人気が落ち着いてきている中で、日本ハムファイタ
ーズは不人気球団と呼ばれる時代を乗り越え、北海道へ移転後その人気を不動のものとし
てきており、観客動員数も大幅に伸ばしてきている。日本ハムファイターズは札幌移転後、
「北海道のファイターズ」になりきることを決意し、スローガンとして企業理念の「Sports
Community」、経営理念の「Challenge with Dream」、活動指針の「Fan Service First」を
掲げたのである。
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3-1 日本ハムファイターズの歴史
初めに、日本ハムファイターズの歴史について時系列で表にまとめた。
1945 年
日本野球連盟に加入
1973 年
球団名を日本ハムファイターズに変更
1988 年
本拠地を後楽園球場から東京ドームへと移転
2004 年
本拠地を現在の札幌ドームへと移転
2006 年
44 年ぶりに日本一に輝く
2007 年
球団史上初リーグ 2 連覇
図 1 :藤井(2012)184-185 頁、藤井(2011)56-59 頁を参考に作成
日本ハムは、1945 年から再発足した日本野球連盟に加入し、1946 年から球団名等を転々と
しながらも 1952 年には本拠地を正式に後楽園球場とし、その後、自前で本拠地を作り(完
成後わずか 9 年あまりで閉鎖)、1965 年に再び後楽園球場に再移転した。そして 1973 年、
前身の日拓ホームフライヤーズがわずか 1 年で球団経営を投げ出してしまったのに伴い、
日本ハムが球団経営に乗り出し球団名を日本ハムファイターズとした。また、1987 年を最
後に後楽園球場が閉鎖、翌 1988 年からは後身の東京ドームを本拠地として 2003 年まで活
動するが、東京ドームを本拠地とした 16 年間、1 度も優勝することはなかった。2004 年か
らは現在の札幌ドームに本拠地を移転し、札幌で迎える 3 度目のシーズンで実に 44 年ぶり
の日本一に輝き、翌 2007 年には球団史上初のリーグ 2 連覇を達成するなど、チームは順調
に活躍してきている(参考:Wikipedia、出典:藤井(2012)184-185 頁、藤井(2011)
56-59 頁)。
当時、関東には球界の雄、読売ジャイアンツを始め、ヤクルトスワローズ、横浜ベイス
ターズ(現横浜 DeNA ベイスターズ)、西武ライオンズ、千葉ロッテマリーンズという 6 球
団がひしめいていた。その中で日本ハムはメディア露出度も低く、ロッテと並んで“不人
気球団”と揶揄されることすらあった。この原因として挙げられるのが、フロントの経営
努力の無さである。1988 年、東京ドームで迎える初めてのシーズンにおいて日本ハムは今
までに無い好景気に沸いており、年間の観客動員数は全 12 球団中 2 位であった。1987 年
優勝の中日ドラゴンズや、関西で絶大な人気を誇った阪神タイガースよりも上だったので
ある。こうなった要因は、日本ハムが多くのスター選手を獲得していたとか、チームが一
体となって優勝争いをしていたとか、そういったことではない。
当時、東京ドームは日本発のドーム型球場であった。そこで、全国の野球ファンたちが
贔屓のチームを応援するではなく、ドーム球場の雰囲気を味わったり見物に訪れたりした
のである。また、同じく東京ドームを本拠地としていた巨人は、もちろん中々チケットが
取れない状況が続いた為、座席に余裕のある“不人気球団”の日本ハム戦にも多くの観客
が訪れたのである。しかし、このドーム好景気も長くは続かない。福岡ドーム(福岡
Yahoo!JAPAN ドーム)や大阪ドーム(京セラドーム大阪)、ナゴヤドームが相次いで建設さ
10
れ、日本ハムは再び低迷していった。この状況を打開すべく、2003 年、日本ハムファイタ
ーズは北海道への移転を決めた。
こうして日本ハムは東京を捨て、新天地北海道での再出発を誓った。しかし、何も不安
がないわけではなかった。何故巨人が球界を牽引し続けられているか、それは地元球団の
持たない地方での人気が断トツであったからである。かつて、巨人の試合は年間 144 試合
のほとんどが全国放送されていた。娯楽の少ない地方に住む人々にとって、シーズン中の
ほとんどの試合が中継される巨人を応援するのは至極当たり前の流れであろう。もちろん
北海道も例外ではなかった。日本ハムが北海道に移転しても、北海道民の多くが巨人ファ
ンであったし、また 1993 年に J リーグが発足してから、札幌にはコンサドーレという地元
密着型のプロサッカーチームが根付き始めていた。
しかし、球団の地道なファンサービスや新たな取り組みが実を結び、2010 年はナイター
41 試合が中継され、視聴率は 16.5%を記録した。この視聴率は阪神や広島、ソフトバンク
ホークスを抑えて 1 位である(ビデオリサーチより、2010 年)。さらに、2012 年の日本シ
リーズでは札幌地区での瞬間最高視聴率が 56.5%を記録するなど、北海道の人々にとって
日本ハムファイターズの試合は非常に関心の強いコンテンツとなっている(『日本経済新
聞』夕刊、2012 年 11 月 5 日、12 頁)。
日本ハムファイターズの 2011 年度の観客動員数は、クライマックスシリーズに進出した
影響もあり、190 万人と前年度より約 40 万人増加した(2012/06/26 『日本経済新聞』地
方経済面
北海道、2012 年 6 月 26 日、1 頁)。
図 2:http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/kankyaku.htm, http://baseball-freak.com/を元に
作成。但し、2004 年以前は水増ししていたことが発覚しているので、あくまで参考までに。
11
3-2 なぜ北海道なのか
日本ハムファイターズはなぜ移転先に北海道という地を選んだのだろうか。この理由と
して 3 点挙げられる。まず 1 点目は観客動員数の増加が期待できたことである。
当時、J リーグのサッカークラブであるコンサドーレ札幌が札幌を拠点として活動してい
た。コンサドーレ札幌が北海道に定着していっていたことは、日本ハムファイターズにと
って悪い事ではなかった。東京から北海道へ移転した理由として、地元ファンを定着させ
るという目的があったからである。コンサドーレ札幌は当時 J2 に甘んじており(J リーグ
が 2 部制に移行して以来、J1 にいたのは 2001-2002、2008、2012 の 4 シーズンのみであ
る)、J2 の人気自体日本では決して高いものではなかった(これは今もほとんどのチーム
に当てはまるかもしれない)。そんな決して強いチームではないコンサドーレだったが、地
元密着のプロスポーツは北海道で非常に愛される存在であった。
北海道日本ハムファイターズの前代表取締役社長である藤井純一氏によると、スポーツ
チームは地域を抜きにして語ることはできないと前置きした上で、北海道という地は絶好
の地であったと述べている。例えば日本の最大都市の東京には、様々な出身地を持つ人々
が大量に流入してくる。その理由としては、最先端の技術、流行、情報が集まる場所であ
るということが大多数の人々に当てはまるのではないだろうか。東京へ移住してくる人々
は、東京という土地に愛着があるわけではなく、東京の持つブランド力が魅力に感じるの
である。
一方で北海道は札幌という大都市を擁してはいるが、北海道の人々のルーツは、200 年前
は何もなかった土地を開拓し、自分たちで作り上げてきた土地であるため、北海道の地に
愛着とプライドを持っている。その開拓民としての DNA が現在の北海道民の強い帰属意識
を形成しており、広大な土地を持つ北海道民が一体感を持って「北海道民」としてのプラ
イドと土地に対する深い愛情を成しているのである。こうした北海道民のルーツから、北
海道では地元のプロスポーツチームを一体となって応援する土壌が出来上がっていたので
ある。コンサドーレ札幌のように地元密着を地道にやっていけば、日本ハムファイターズ
は北海道という地に根付くことが出来るはずである。
また、北海道という地は経営面でも非常に縁深い土地であったことも、移転先に北海道
を選んだ理由の 1 つである。北海道は日本ハムグループ各社に食材を供給する上で重要な
土地であった為、多くの支店や営業所を置いており、たくさんの従業員やその家族が生活
している土地でもあったのである。
2 点目は球場使用料の軽減である。当時本拠地としていた東京ドームは、高額の球場使用
料が発生することで有名である。一説によるとその利用料は 4 千万円にも上るとされてい
る。一方の札幌ドームは一試合の利用料金が 800 万円~1000 万円とされており、本拠地の
移動で年間約 20 億円もの経費削減が可能となったのである。
さらに、本拠地としている札幌ドームを所有している札幌市にとっても、プロ野球球団
12
を迎え入れることに大きなメリットがあった。2002 FIFA ワールドカップの開催候補地と
して名乗りを上げた札幌市は、新たなサッカースタジアムとして札幌ドームを建設した。
この札幌ドームはアリーナや野球にも使用できる多目的ドームであったが、ワールドカッ
プ以降は J リーグのコンサドーレ札幌がホームスタジアムとして使用する以外は安定的な
収入を得られておらず、赤字転落がほぼ確定的であった。また、プロ野球の公式戦が開催
可能なドーム球場は日本国内に 6 つあり、その中でプロ野球球団を抱えていなかったのは
札幌ドームのみであった。このように日本ハムファイターズが北海道にやってくることは、
ファイターズ側のみならず札幌市側にとっても好都合であった。
3 点目は北海道企業の球団経営参画である。日本ハムファイターズは地元密着を当初から
掲げていたため、JR 北海道や北海道新聞社といった北海道の有力企業 10 社にファイター
ズの株を所有してもらっている。さらに日本ハムファイターズ戦は HBC ラジオ(北海道放
送)が放送しているが、日本ハムファイターズ側は HBC ラジオ側に一切放映権料を要求し
ていないのである。広大な北海道と言う土地の全土に日本ハムファイターズを浸透させる
ため、メディアを有効に活用しているのである。
こうした地域密着路線によって、日本ハムファイターズは北海道の地域経済の発展にも
貢献してきている。民間シンクタンクの北海道未来総合研究所は 2009 年、パ・リーグを制
した日本ハムファイターズがレギュラーシーズンに道内で実施した 64 試合の経済効果が
229 億 2 千万円に達するとの試算を公表した。日本ハムファイターズは 2007 年にもリーグ
優勝を果たしており、その時よりも 8.8%多い金額となっている。これも観客動員数の増加
がもたらした結果といえる(『日経 MJ(流通新聞)』、2009 年 10 月 21 日、7 頁)。
3-3 日本ハムファイターズの取り組み
2003 年、日本ハムファイターズは 46 億円の赤字であった。もちろん経営自体にも問題
点はたくさんあったが、何よりも観客数が少ないということが重くのしかかった。そこで
観客増加の為、様々な観戦スタイルや割引チケットの販売に取り組んで行った。まずは“な
まらチケット”という、居住地や勤務先のエリアによって日替わりで良い席に格安で座れ
るというチケットである。これは様々な地域の人々に野球観戦を楽しんで貰おうという企
画である。
働く人向けに考案されたのが“730 チケット”である。多くのビジネスマンにとって、6
時プレイボールの試合に間に合わせることは難しい。そこで、7 時 30 分から入場できるチ
ケットを安く販売することで、会社帰りのビジネスマンを球場へと呼びこんだ。このチケ
ットは当時絶大の人気と実力を誇ったダルビッシュ有が登板する日は試合時間が短くなる
傾向があったため、2008 年からは“715 チケット”に名前を変え、7 時 15 分から入場でき
るようになり、さらにお得なチケットとなっている。
13
また、曜日毎に“シニア&学生デー”、“レディースデー”、“ファンクラブデー”、“メン
ズデー”と対象を変えて半額チケットを販売した。この中ではレディースデーが特に人気
がある。日本ハムファイターズは女性ファンを多く持つことで有名である。新庄剛志やダ
ルビッシュ有といった“イケメン”たちを応援していた女性ファンたちが、彼らが日本ハ
ムファイターズを出た後もファンを続けているのである(斉藤祐樹等、“お目当て”を変え
ているファンも勿論いるだろうが)
。現在でも日本ハムファイターズの試合における観客の
55%を女性が占めている。(藤井(2011)、)
また、試合収入をアップさせるために高価格帯のチケットとして 13 種類のシーズンシー
トを販売している。中でも VIP シートは最も価格は高いが、選手のプレーを間近で見られ
るだけでなく、飲食デリバリーサービスやお手洗い、喫煙所などを完備した VIP ラウンジ
が設定されていたり、専用ゲートを使って入場が可能となるなどの特典が豊富で、セレブ
リティなファンだけでなく、コアなファンにも人気があり、現在空席待ちの状態となって
いる(藤井(2012)50-52 頁)。
2005 年のゴールデンウィークには“ファミリーシリーズ”と銘打ち、試合とは関係のな
いところでも楽しめる総合的エンターテイメントの企画が始まった。飲食ブースを設営し、
お好み焼きや日本ハムのソーセージを販売したり、普段はドームの中にあるショップも外
にテントを出し、縁日のような雰囲気を出した。テラスに設置したテーブルには家族が食
事を楽しみながらスクリーンに映し出される選手の映像を楽しんだり、スピードガンコン
テストなどのファン参加型のアトラクションも用意された。このファミリーシリーズは好
評を博し、以来毎年ゴールデンウィークに規模を拡大されながら企画されている。「スタジ
アムで野球とラーメン、一度で二度美味しい」をキャッチフレーズに、ラーメンフェステ
ィバルをスタジアムの横で開催した。結果は、3 日間で約 1 万食を販売し、売り上げの面で
も経営にプラスとなった(藤井(2012)、33 頁、87-88 頁)。
2006 年には“43000 プロジェクト”が始動した。これは、前年まで満員となったことが
なかった札幌ドームを、開幕戦を皮切りにして年間 3 回 43000 人で満員にしてやろう、と
いう企画である。当時の球団社長である藤井氏は、本気とも冗談ともつかぬような気持ち
でこの計画を口にしており、2005 年の 12 月にこの計画がマスコミ各紙に掲載された際、
焦る気持ちがあったという。
そんな藤井氏に積極的に協力を申し出たのは新庄剛志氏だったという。新庄氏も一度で
いいから札幌ドームを満員にしたかったそうで、事実札幌ドームを満員に出来たことが彼
が引退を決める決め手にもなったという。
そんな新庄氏の協力とは、彼流のサプライズ作戦であった。最初の守備につくときにバ
イクで登場したり、天井からゴンドラで登場してみたり、新庄氏を含む 5 人の選手たちで
懐かしの戦隊ヒーロー“ゴレンジャー”に変装して登場するなど、球場に足を運んだファ
ンを試合内容以外でも大いに楽しませた。
もちろん、球団側も努力を惜しまなかった。ある一人の担当者は札幌中のタクシー会社
14
にかけあい、市内を走る総計 6000 台のタクシーに告知ステッカーを貼らせてもらうように
交渉をまとめた。また、駅前からススキノまでを結ぶメインストリートでは、道の両側に
等間隔にファイターズの旗を並べた。
さらには、前を通るとセンサーが感応してダルビッシュ有選手や新庄氏のメッセージが
流れるしゃべるポスターを作ったり、新庄氏の使っている香水の香りがついたチケットの
販売も企画された。
札幌ドームを満員にするために、球団、選手、そして街が一体となった。こうした努力
が実を結び、2006 年の日本ハムファイターズ開幕戦の札幌ドームを 43000 人で満員にする
ことに成功したのである(藤井(2011)、107-110 頁)。
また、札幌ドームでは米メジャーリーグ流の球場運営を取り入れた物産展の常設や、2008
年からは「おやじナイト」というものを企画した。これは父親をターゲットに、希望者を
募ってグランド整備や、現役選手・コーチによるノック体験、さらには国歌斉唱やダンス
まで楽しめるなど、様々なユニークな試みを繰り返している(『日経 MJ(流通新聞)』、2009
年 1 月 5 日、17 頁)。
2009 年には日経優秀製品・サービス賞を受賞するきっかけともなった“乙女の祭典”が
企画された。この企画は女性社員が中心となって企画され、大好評を博した。特に話題と
なったのが“婚活シート”である。1000 人分の座席に応募してきた独身男女 50 人ずつが
交互に座り野球を観戦するというものであった。一般客の迷惑にならないか、会話が弾む
かなどの心配もあったが、一緒に旗を振って応援してもらうなど工夫した。2 回の実施で実
際に計約 100 組のカップルが誕生した(『日経 MJ(流通新聞)』、2010 年 2 月 15 日、7 頁)。
さらに、球団マスコット単独のディナーショーを業界で初めて行ったり、「企業球団から
地域球団へ」を合言葉に球団株主を日本ハム一本から JR 北海道、サッポロビールなどの地
元十社を招いた。また、道民球団として認めてもらうために、北海道移転前、球団職員が
約二百市町村に足を運び、現在も道内各地で少年野球教室や週末の試合開催、選手サイン
会とファン開拓を怠ることはない。
『日経 MJ(流通新聞)』
、2009 年 1 月 5 日、17 頁)。
またメディアの力を借りることにも抜かりはなかった。北海道はあまりに広い。例えば
北海道最東部の地根室から札幌までは、距離にして約 447km もある。東京から大阪が
500km 超であることを考えると、どれほどの距離か少しはイメージしやすいだろうか。と
にかくこれほどまでに広大な土地を網羅する為には、メディアの協力というものは必要不
可欠であった。北海道は CS やケーブルテレビの普及率が本州よりも低く、地上波での放送
が重要であったし、そもそも北海道には娯楽というものが少ない(藤井(2011)、82 頁)。
日本ハムファイターズの人気が出れば、視聴率に反映されることは間違いなかった。現在、
日本ハムファイターズ戦は 15%以上の視聴率を維持しているし(第 3 章 1 節に前述)、道内
にある 5 つのテレビ局すべてが日本ハムファイターズの応援番組を持つようにまでなって
いる。
このような様々な努力が実を結び、今では実数発表ではなかった時代と肩を並べるまで
15
に観客動員数を伸ばしてきた。また、2007 年には黒字転換にも成功している(藤井(2011)、
22 頁)。
3-4 地域密着球団としての歩み
前述の通り、北海道日本ハムファイターズはその活動指針として“Fan Service First”
を掲げていた。今までの日本のプロ野球選手は多くが、黙って野球に打ち込み、成績を上
げる事を第一とし、そうすることがプロ野球選手の本来の在り方だと考えていた。また、
昔からのプロ野球ファンにとっても、プロ野球選手は野球に専念することが望ましいと考
えている人もいるだろう。しかし、日本ハムファイターズは北海道移転を機に選手たちに、
すべての活動に対し、ファンサービスを優先させるようにした。
“Fan Service First”とは、
地域密着を掲げる日本ハムファイターズにとって、何よりも北海道、そしてファンを大切
にすることを宣言したものなのである。
そして、この“Fan Service First”に最も共感し、率先して実行したのが元日本ハムフ
ァイターズの新庄剛志氏である、と藤井氏は語っている。新庄と言えば、11 年間阪神タイ
ガースでプレーした後、2000 年オフにフリーエージェント権を行使して FA 宣言をする。
そして移籍先が MLB のニューヨーク・メッツに決まり、日本人野手として初めて(シアト
ル・マリナーズへと移籍することが決まっていたイチロー選手と同時ではあるが)MLB へ
と挑戦することになった。ニューヨーク・メッツで 3 年間プレーしたのち、
“SHINJO”と
して北海道へ移転することが決まった日本ハムファイターズの一員として日本球界へと復
帰した。“新庄剛志”の名はプロ野球好きでなくとも、一度は耳にしたことがあるだろう。
新庄氏はその奇抜な言動やパフォーマンスで度々世間の注目を集めた。しかし、北海道
日本ハムファイターズにとって新庄氏は単なる客寄せパンダであったわけではない。新庄
氏は誰よりもファンの事を第一に考えていた。移転初年度の 2004 年、日本ハムファイター
ズの監督を務めていたヒルマン監督は、「ファンが見て気持ちの良い行動」を心掛けるよう
に選手たちに細かく指導をしていたという。この「ファンが見て気持ちの良い行動」を率
先して行っていたのが新庄氏なのである。
例を挙げると、イニング交代時に走って戻る、ということは高校野球等ではごく当たり
前に実行されていることである。 “スポーツマンシップ”という言葉があるように、観客
はスポーツに対してある意味神聖にも思える行動に魅力を感じるのである。しかし、プロ
野球の試合ではチーム全員がこのようにきびきびと行動するという場面はあまり見られな
い。だが、このようなきびきびとした行動というものは、観客から見てもとても気持ちの
良いものである。プロ野球に入ると、こうした学生時代は当たり前であったスポーツマン
精神溢れる行動を重視しなくなってしまう。このプロ野球選手の怠慢とも呼べる行動に対
してチームの意識を改善していったのは、ヒルマン監督の指示と、ベテランの域に入って
16
いた新庄氏なのである。実力も人気もある新庄という選手が率先してきびきびとしたスポ
ーツマン精神溢れる行動をしていたことは、チームの特に若手選手達にとって非常に良い
お手本となった。
こうして新庄氏が示した“Fan Service First”の精神は、2006 年に新庄氏が引退した後
も選手達に受け継がれており、ファンから見て応援したくなるようなチームとなっている
のである。また、日本ハムファイターズ側も Fan Service First を試合で実現するために「常
に全力で戦う」、「最後まで諦めずに戦う」ということを選手に求めており、選手の評価に
も結び付いている。藤井氏は、新庄氏の奇抜なパフォーマンスよりも、こうした基本的な
行動を評価しており、地域密着を成功に導いたと自身の著書に記している(藤井(2011)
98-110 頁)。
3-5 日本ハムファイターズが抱える問題
ここまでで述べたように、日本ハムファイターズは順調にその人気を伸ばしてきてはい
る。しかし、ここ数年観客動員数が伸び悩んでいるという状況もある。2009 年には 1 試合
平均 27669 人だった観客動員数も 27027 人、27644 人、25813 人とほぼ頭打ちである。札
幌ドームのプロ野球開催時の最大観客収容人数が 43000 人であることを考えると、もう少
し伸びる余地はあるように思う。
しかし、最大の問題は本拠地である札幌ドームの営業権が持てないことである。パ・リ
ーグの各球団が球団経営の黒字化、安定化を目指し球団と球場の経営の一元化を目標にし
ている中で、未だ達成できていないのは日本ハムファイターズだけである。なぜ、札幌ド
ームとの経営を一元化することが出来ないのか。その理由は、札幌ドームは札幌市を中心
とする第 3 セクターが所有しているからである。
札幌ドームは、現在プロ野球チームである北海道日本ハムファイターズと、プロサッカ
ーチームであるコンサドーレ札幌という 2 つのチームが本拠地としているが、野球とサッ
カーの 2 つのチームが本拠地としているのは世界でもこの札幌ドームだけである。さらに、
東京ドーム(東京)・名古屋ドーム(愛知)・京セラドーム(大阪)・福岡 Yahoo!JAPAN ド
ーム(福岡)と札幌ドーム(北海道)の 5 つを合わせて 5 大ドーム公演と呼ばれる人気歌
手等による大型エンターテイメント興行の巡回公演も行われている。こうして野球やサッ
カーのオフシーズンにも札幌ドームは効率よくドーム使用料を稼いでいるのである(大坪
(2010)、47 頁)。
さらに、札幌ドームの収入はドーム使用料や広告看板料だけではない。球場内で行われ
る物品販売等の売上もその大部分が札幌ドームの収入となる。ここで 2010 年度と 2011 年
度の札幌ドームの決算を比べてみる。
・2010 年度
17
「札幌ドーム(札幌市)が 22 日発表した 2010 年度決算は売上高が前の年度比 23%減の
28 億円だった。北海道日本ハムファイターズの成績が不調だったことや東日本大震災の影
響で開幕が延びたことが響いた。11 年度はファイターズが好調なことから来場者数やグッ
ズ販売額の増加を期待し、2 年ぶりの増収を狙う(『日本経済新聞』、2011 年 6 月 23 日、1
頁)。」
・2011 年度
「札幌ドーム(札幌市)が 25 日に発表した 2012 年 3 月期決算は税引き利益が前の期の
5.8 倍の 2 億 3200 万円だった。新規のイベント開催が増えたほか、北海道日本ハムファイ
ターズの観客動員が好調で、飲食物販の売り上げ増につながった。売上高は前の期と比べ
27%増の 36 億 1700 万円だった。2期ぶりの増収増益となった。
ファイターズの11年度の試合日数はクライマックスシリーズの進出などで全 65 試合と
9 試合増えた。観客動員数は 190 万人で約 40 万人増えた(『日本経済新聞』、2012 年 6 月
26 日、1 頁)。」
2010 年度から 2011 年度では日本ハムファイターズの試合数が増えたことに伴い、ドー
ム使用料も増えているが、札幌ドームが増収増益に至った理由はそれだけではない。札幌
ドーム内を見渡しても、日本ハムファイターズが直営するグッズ販売店等は一つも見当た
らない。札幌ドーム内で営業することが出来るのは、公募で選ばれた販売主のみなのであ
る。残念ながら日本ハムファイターズは営業権を持っていない為、どれだけ観客を集めた
としても、その試合における観客からの収入はチケット料金のみなのである。
財政難に陥っている札幌市にとって、札幌ドームの収入という物は非常に大きいのであ
る。過去には、小泉政権下で「民にできることは民に任せる」との思想の下で、指定管理
者制度が推進された。すなわち、施設運営の素人である自治体よりも、専門家である民間
業者に任せた方が良いとの考えであった。しかし、札幌市は札幌ドームを手放さず非公募
(随意契約)で株式会社札幌ドームを指定管理者に指名したのである(大坪(2010)、43
-46 頁、134-139 頁)。
開業以来黒字経営を続けている、とも言われている札幌ドームを札幌市が日本ハムファ
イターズという現状での“お得意様”に都合の良いようにするとは考えにくい。日本ハム
ファイターズはこの札幌市にとって非常に都合の良い“お得意様”となってしまっている
状態を何とか切り抜け、黒字を延ばしていきたいところではある。
4 分析―北海道日本ハムファイターズ―
ここまで日本ハムファイターズの歴史や、北海道日本ハムファイターズの取り組みを見
てきた。この第 4 章では実際に日本ハムファイターズの顧客ロイヤルティのマネジメント
や、日本ハムファイターズのスポーツ・プロモーション・ミックスについて分析していき
18
たい。
4-1 顧客ロイヤルティ
北海道日本ハムファイターズはどのようにして顧客ロイヤルティをマネジメントしてい
ったのか。まず、前提として北海道にはこれまで一度もプロ野球球団が存在したことがな
かった。よって、地元のプロ野球チームを応援してくれるファンを創出していかなければ
ならなかった。そこで、日本ハムファイターズは地域密着球団を目指すことを宣言し、中
核顧客を北海道に在住する人々とすることを明確にした。しかし、それだけでファンが生
まれることはない。ファンを生み出すにはファンと球団との間に多様の結びつきが必要と
なるのである。
そこで、ファンと球団とを結びつけるために、日本ハムファイターズは試合だけでなく、
試合以外の部分での活動を怠らなかった。北海道の有力企業や公共性の高い組織に球団へ
の出資を求めている活動も、より北海道に密着する為である。また、広大な土地を持つ北
海道において、地域自治体との関係も非常に重要である。年間 100 回を超えるキッズサマ
ーキャンプという名で少年野球教室を行ったり、2004 年時監督だったヒルマン氏も小学校
や婦人会の場で講演を行った。
次に中核サービスとして、日本ハムファイターズでは、“来場してくれた観客やテレビ観
客の視聴者に、夢や感動を与えることを最も重視するサービスと位置付けている”という
(廣田(2010)、114 頁)。そこで日本ハムファイターズでは、チーム編成・育成業務を担
当する一般社員のオペレーショングループが担当し、ゲーム采配はチームの監督・コーチ
が担当している。そして、その間に立つのがゼネラル・マネージャー(GM)である。GM
が両者の意思疎通を図ることで、相互連携を促進し、長期継続的に球団が目標とするチー
ムをつくることが出来るのである。また、選手を経営資源として評価する仕組みを作り、
チームの選手だけでなく、他球団やアマチュアの選手も一元管理している。
このようにチームが勝つためにはどのようなことが必要なのか、ということに対して日
本ハムファイターズはプロ野球以外の視点を持つ人材を求め、貪欲に“勝利”を目標とし
ている。勝とうと努力を続けるチームと初めから勝てないと諦めているチームでは、勝と
うと努力を続けるチームを応援するファンの方が圧倒的に多いのだから。また、第 3 章 4
節にて前述した Fan Service First もファンに夢や感動を与える極めて重要な中核サービス
であることは間違いない。
日本ハムファイターズは、ファンがファンを生み出す仕組みをつくる為に、新しいサー
ビスの企画も積極的に行っている。その足がかりとなったのが、3 試合満員プロジェクトで
あり、このプロジェクトの後、球団スタッフが自主的に様々なプロジェクトを企画し実行
19
するというサイクルが生まれたのである。その一例が“おやじナイト”である。おやじナ
イトでは、応募した父親がグランドスタッフとしてボールボーイ等に扮して試合の運営に
携わる。父親がグラウンドで試合の運営に携わっている姿を観客席から子どもが眺めるこ
とで、家族で楽しめる場を提供することが出来、さらにはスタジアムに滞在する時間をよ
り楽しくさせた。こういった取り組みは新たなファンを創出するだけでなく、既存のファ
ンもより満足させることが出来るだろう。
これらの取り組みの成果は数字にも表れている。サービス産業生産性協議会(東京・渋
谷)は 2011 年度日本版CSI(顧客満足度指数)をまとめた。前年度 24 位だった日本ハ
ムファイターズは 9 位にまで順位を上げ、レジャーイベントでは 4 位にランクインした(『日
経 MJ(流通新聞)、2012 年 3 月 21 日、4 頁)。こうした顧客満足度指数も示しているよう
に、ファンの日本ハムファイターズに対する満足度は非常に高く、顧客ロイヤルティの高
さが垣間見える。
満足度指
業界
順位
企業・ブランド名
1(1)
劇団四季
86.4
レジャーイベント 1 位
2(2)
東京ディズニーランド
85.7
レジャーイベント 2 位
3(-)
オルビス
82.2
通信販売 1 位
4(11)
都道府県民共済
81.1
生命保険 1 位
5(3)
アマゾン
81.0
通信販売 2 位
6(5)
宝塚
80.7
レジャーイベント 3 位
7(14)
帝国ホテル
80.6
シティホテル 1 位
8(4)
ファンケルオンライン
80.5
通信販売 3 位
9(24)
北海道日本ハムファイターズ
80.1
レジャーイベント 4 位
10(7)
住信 SBI ネット銀行
79.7
銀行 1 位
数
図 3 2011 年度日本版 CSI(顧客満足度指数)日経 MJ(流通新聞)2012 年 3 月 21 日、4
頁を参考に著者作成。括弧内は昨年度順位。但し、「自動車」「コピー・プリンター」「住設
機器サービス」の 3 業界を除く。
4-2 スポーツ・プロモーション・ミックス
第 3 章 3 節で前述したとおり、日本ハムファイターズは観客動員数の増加、そして何よ
り地元に根付いた球団作りをしていく為に様々な取り組みをしてきた。では、これらの取
り組みはスポーツ・プロモーション・ミックスに照らし合わせると、どの部分に当てはま
るのか検討していきたい。ただし、今回は観客動員数や地域密着球団としての日本ハムフ
20
ァイターズの取り組みを見てきたため、対企業がメインとなるライセンシングとスポンサ
ーシップについては分析対象外とする。よって①広告、②パブリシティ、③パーソナル・
コンタクト、④インセンティブ、⑤環境・雰囲気の5つを使って分析する。
・講演やサイン会、野球教室の開催…③、④
シーズンオフはスポーツ選手にとって、ファンとの触れ合いが最も重要な時期である。
シーズンを通して応援してくれたファンに感謝を伝えるとともに、北海道中を巡回しなが
らファンサービスを行っている。特に北海道には、ファイターズを応援してはいるが、中々
札幌ドームまで足を運べない人々もいる。そうした人々の元へ訪れることも地域密着球団
には必要である。また、子どもたちには野球教室を開催することで憧れの存在であるプロ
野球選手と直に触れ合えるということは、子どもを虜にし、家族での来場が期待できる。
また、野球そのものの普及も重要な役割である。
・球団マスコットのディナーショー…(①)、④
球団マスコットを広告塔と考えるならば①広告も当てはまるので括弧付で記載した。日
本ハムファイターズの球団マスコット“B・B”は 2004 年の北海道日本ハムファイターズ
誕生と同時に誕生し、背番号は当時の北海道の全市町村数である 212 としている。2006 年
からは北海道中の市町村を訪ね回り、地域密着球団としての象徴でもある。2011 年 6 月に
は北海道観光大使にも任命されている(北海道日本ハムファイターズ公式 HP より)。
・客層に合わせたシートの販売…④、⑤
様々な客層に合わせたシートを用意することで、消費者の購買行動を刺激し、またこう
いった企画がきっかけとなって、普段でも観戦に訪れるようになるロイヤルティの高い顧
客を生み出すことにもつながる。特に女性ファンの多い日本ハムファイターズでは、女性
向けの企画が好調である印象を受けた。
・満員プロジェクト…①、②、③、④、⑤
企画の規模も大きいことから、スポーツ・プロモーション・ミックスの全ての要素を取
り入れて成功させた企画である。メディアが取り上げ、街全体が盛り上がって協力をし、
社員一人一人の営業努力、特典付きチケットの販売、選手によるパフォーマンス等様々な
工夫が成された。一度も満員となったことがなかった札幌ドームを開幕戦で満員に出来た
ことは球団との距離が近い日本ハムファイターズのチームにも勢いをもたらし、この年 44
年ぶりに日本一を飾るという快挙も達成した。
・メディア…①、②、③
広大な土地を持つ北海道ではメディアに取り上げてもらうということも非常に重要であ
った。特に、巨人ファンが多かった土地であったため、身近さをアピールするためにも人々
の目に触れ、情報を耳に入れることは必要不可欠であった。日本ハムファイターズは HBC
ラジオに放映権を無料にして放送してもらった他、テレビ局に対しては放映権料を 8 本ま
では定価、9~10 本は 50 万円引き、10 本を超えると半額で提供することで、道内の隅々ま
で放送してもらえるような仕組みを作った(藤井(2011)、82 頁)。
21
・ファン参加型イベント…④、⑤
日本ハムファイターズは、他のどの球団よりもユニークな企画が目白押しである。特に
このファン参加型イベントは注目すべき点である。野球自体に興味がなくても、家族でイ
ベントを目当てに球場に足を運び、日本ハムファイターズを知ってもらうことから始める。
さらに、こういったイベントは 2 人以上のグループで足を運ぶ場合が多いので、集客効果
も抜群である。
このように日本ハムファイターズの様々な企画は、スポーツ・プロモーション・ミック
スの要素をいくつか統合しながら実施されていることが分かる。また、地域に密着した球
団作りには、メディアの協力は不可欠であることも痛感した。北海道を走る夜のタクシー
ではファイターズ戦のラジオが流れ、それまでは野球と言えば巨人の話題であったが、今
ではファイターズの話題がほとんどだという(藤井(2011)、82 頁)
。やはりメディアの効
果というものは、特に娯楽の少ない北海道と言う地では計り知れないほどにその力を発揮
しているのである。
4-3 分析まとめ
4 章で分析してきたように、日本ハムファイターズの取り組みはスポーツマーケティング
の観点から見て、非常に理にかなっていると言える。様々な取り組みはスポーツ・プロモ
ーション・ミックスを効果的に統合して発信しているし、こうした集客のための努力は実
際に数字にも表れている。
この分析によって著者自身が感じたことは、スポーツマーケティングにおいて最も特徴
的なものは、
“人と人との関わり”であるということだ。スポーツマーケティングにおける
“商品”とは、“試合”が主なものとなる。では、その試合は誰が作り上げているのか。そ
れは実際に試合をする選手であり、戦略を立てる監督・コーチ陣であり、GM であり、球団
職員であり、社員である。そしてたくさんの人々が支えてくれている試合に足を運ぶファ
ンは、日本ハムファイターズの選手や組織を応援しに来てくれるのである。つまり、“商品
=人”なのである(少し聞こえが悪いかもしれないが)。
スポーツマーケティングにおいて、通常のマーケティングと異なる点を考えた時、“マー
ケティングの対象となる顧客の幅が広い”だとか“スポーツは様々な産業と関わりがある”
と言及される場合が多い。確かに球場へ足を運ぶファンの中には、札幌ドームの設備自体
が好きだとか、球場内のご飯が美味しいからだと言う人もいるかもしれない。しかし、多
くの場合は日本ハムファイターズや選手が好きだとか、球場の雰囲気が好きだとか、ある
いは試合とは関係のないところで行われる企画を目当てに訪れる人がほとんどだろう。特
に今まで球場に足を運んだことのない人が球場に訪れるようになるきっかけは“人”や“人
が作り出した企画”でしかないのではないだろうか。
日本ハムファイターズは、“人と人との関わり”の大切さに気付いたからこそ、観客動員
22
数を伸ばすことが出来たのだと著者は考える。だからこそ、地域を大事に思う北海道の人々
に受け入れられ、地域に密着した球団という新たな形で人々から愛される球団となれたの
ではないだろうか。スポーツマーケティングにおいて最も重要なことは、理論でも何でも
なく、“人間を大事にする”ということなのである。
5 おわりに
このようにして日本ハムファイターズが人気球団への歩みを進めていったことは、他の
“不人気球団”と揶揄されている各球団にとって非常に明るい希望であることは間違いな
い。ここまで日本ハムファイターズについて調べていく中で、最も印象に残った言葉があ
る。日本ハム球団前社長であり現在は近畿大学で教授の職に就かれている藤井純一氏の言
葉である。「私が北海道日本ハムファイターズの経営で実感したのは「お金がないと何もで
きない」ということ。ファンサービスも地元密着もお金が必要だ。きれいごとはさておき、
懐のうるおい具合で身軽さは変わってくる。(中略)努力のかいあって、パの試合にもセと
同等の観客が入るようになった。まだ親会社には頼っているが、稼がなくても何とかなる
といった空気はどの球団にもなくなった。勝ち負けだけでない、娯楽としての要素も高ま
ってきた。パ・リーグ球団の球界に対する発言力は確かに強まった。ほとんどゼロだった
ものが 50%くらいになった。ただ一方で、セの中心だった巨人は明らかに弱体化し、球界
はリーダー不在の状況に陥っている。
そんな過渡期に DeNA が登場している。なじむかどうかなど内向きの議論をするのでは
なく、これを機に、新たなビジョン作りに励むべきだろう。プロ野球はリーグとして事業
を始めたばかりの“ベンチャー企業”にすぎないのだから。」
(
『日本経済新聞』朝刊、2011
年 11 月 29 日、41 頁)。
プロ野球もビジネスの世界なのである。これまでのプロ野球という業界は巨人という超
人気球団があり、その放映権という事業の柱があった。特にセ・リーグの球団は、巨人戦
という大きな収入源があったため、企業努力を怠ってきたように思うし、パ・リーグ球団
は“不人気”と言われても現状に甘んじてきたのではないか。
そんな状況を打破していったのは日本ハムファイターズである。日本ハムファイターズ
が北海道という地で受け入れられたのは、ファン獲得の為に努力を惜しまず、また北海道
という地を盛り上げていこうという気持ちが感じられたからではないだろうか。また、こ
のように地道な経営努力やファンサービスによって応援してくれるファンや企業、地域が
増えていく事で、経済が回っていき、球団はより良いチームを作っていく事が出来るので
ある。
プロ野球が殿様商売であった時代は終わったのである。今後は、球団もファン獲得の為、
さらにはプロ野球界を盛り上げていく為にも様々な経営努力をしていくことが求められる。
23
日本ハムファイターズが北海道という新天地で観客動員数を増大させることに成功し、北
海道でのファイターズの人気を不動のものとしてきていることは、日本プロ野球界にとっ
ての大きな一歩であることは間違いないだろう。
日本に元気がない、と言われ始めて久しい。著者は平成生まれであり、生まれた時から
不況の足音が聞こえていた時代にしか生きたことがない。プロ野球界が先頭に立って日本
経済を盛り上げてくれることで、もう一度、活気に溢れる日本を見てみたいと切に願う。
日本ハムファイターズを追ってきて、プロ野球界にはそれが出来る力があると確信してい
る。
24
参考文献
大坪正則(2011)
『パ・リーグがプロ野球を変える
6 球団に学ぶ経営戦略』
、朝日新聞出版。
上條典夫(2002)『スポーツ経済効果で元気になった街と国』、講談社。
久保田正義(2011)『スポーツマーケティング入門』、秀和システム。
小林至&別冊宝島編集部編著(2002)『プロ野球ビジネスのしくみ』、宝島社。
首藤禎史(2004)『わが国のスポーツ・マーケティングの概念枠組みを求めて』、大東文化
大学経営論集、2 月 15 日発行第 7 号、53―77 頁。
原田宗彦編著(2008)『スポーツマーケティング』、大修館書店。
広瀬一郎(2002)『新スポーツマーケティング』
、創文企画。
廣田章光(2010)
「1 からのサービス経営」伊藤宗彦・髙室裕史編著『顧客ロイヤルティの
マネジメント』、碩学舎、108-124 頁。
藤井純一(2012)
『監督・選手が変わってもなぜ強い?
北海道日本ハムファイターズのチ
ーム戦略』、光文社。
藤井純一(2011)『地域密着が成功の鍵!
日本一のチームをつくる』ダイヤモンド社。
藤本淳也(2002)「生涯スポーツの社会経済学」、池田勝編著『スポーツ・スポンサーシッ
プ』、杏林書院、225-234 頁。
観客動員数(参考)
http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/kankyaku.htm
http://baseball-freak.com/
日本野球機構オフィシャルサイト
日テレ広告ガイド HP
http://www.npb.or.jp/
http://www.sales-ntv.com/jissen/baseball.html
北海道日本ハムファイターズ公式 HP
http://www.fighters.co.jp/
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