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山王と私

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山王と私
「ドイツ学園のこと」
山王1丁目在住会員
桑原幸子
山王2丁目にドイツ学園があったことはまだ多くの人々の記憶に残っていることでし
ょう。「ドイツ学園」とみんなが呼んでいた Deutch Shule は1925年・1991年(大正14年・
平成3年)の66年もの長い間、大森山王にありました。現在は横浜市にあり、広い運動
場を備えています。
山王小学校37回生の私は子供時代、ドイツ人家族が住んでいる家は知っていまし
たが交流はありませんでした。しかし、山王2丁目に住む私の同級生によるとドイツ学
園には運動場が無かったため、生徒たちはテニスコ−ト前の道路でよくマラソンをして
いたということです。また、私の子供たちはドイツ学園の子供たちと遊んだことや、ハ
ロウィンの仮装行列を覚えているといいます。山王小の父兄の中にも生け花を教えた
り交流をしていた方々もありました。私が大人になって知り合ったドイツ人は木や緑が
大好きで「大きな木の下での家族団欒や瞑想は生活に必要」と言っていました。かつ
て山王に木や緑が多かったのはドイツ人家族が住んで居たことと深い関連があるの
ではないでしょうか。
山王1丁目にあった「魚銀」という魚屋の店主を長年していた郷土史家の
後藤浅次郎氏のお話によると、大正11年の関東大震災後に横浜から大森に移って来
た当時、ドイツ学園はしばらく山王1丁目15番地にあり、その後山王2丁目に移った、と
いうことです。
昨年、横浜ドイツ学園のゾンタ−ク氏とお目にかかる機会がありました。
その際、現校長をはじめ先生方は横浜移転後に着任しており、生徒はどんどん入れ替
わるので、「大森ドイツ学園の記憶」を持つ人はゾンタ−ク氏以外は既にほとんどいな
いというお話でした。さびしい限りです。
今回、大森ドイツ学園跡地に70戸のマンションが完成し、新しく多くの住民をお迎え
することは私たちにとって本当に喜ばしいことです。これを機にドイツ学園のことを
なんらかの形でとどめておきたいという声があがり、近隣の方や
の協力もあって、「この地に1925年から1991年まで東京
大森貝塚保存会
ドイツ学園がありました」と
いう記念碑が建つこととなったのです(写真)。3月に桜の木の下に完成しましたが、
この大きな桜の木は「山王のシンボルツリ −」として是非残して欲しい、と言う近隣住
民の要望があって残された貴重な「山王の桜」であることを記しておきたいと思いま
す。
4月にはみごとに美しい桜の花と新しい記念碑を楽しむことができました。
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