あるかいど 第五十六号 夏号 目次 [小説] カタストロフィクション 雨やさめ 同じ月 ギフト みさと婆さんの枇杷の木 ゼロの視界 片雲の風に誘われて 赤井 晋一 小畠 千佳 善積 健司 高原あふち ゆ こ 山田 泰成 愛和荘 奥畑 信子 泉 ふみお 西田恵理子 堤にて 桜&桃 イン・ジャパン 池 誠 細見 牧代 塩の軌跡 4 14 47 57 71 84 102 128 115 151 139 向井 幸 高畠 寛 夏︵オムニバス︶ 木村 誠子 163 ﹁旅行記﹂ ﹁堕落論﹂は今⋮⋮ ﹁エッセー﹂ 2015・ワルシャワの心臓 佐伯 晋 185 号の反響 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 同人誌評︵文校関係誌︶ ・ 188 編集後記 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 表紙・扉絵 髙原颯時 デザイン 村尾雄太 227 226 224 221 あるかいど 55 同人名簿 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 54 ︻あるかいど ・ 号の反響︼ 54 だが、帰り際に子どもたちからかけら れた﹁また遊びに来てください﹂という ■民主文学 7月号 高原あふち﹁さなぎ﹂、︵﹃あるかいど﹄ と、校内で話題になる。しかし、三年に け、私がその体験を作文にして発表する 評論のベスト 入り︶ 号、発行所、大阪市︶は、中学生の私︵深 言葉が忘れられずに、その後も訪問を続 二〇一五年春季号 作者の個性や感性があふれて読み応えが 空 を 見 上 げ、 雨 を 飲 ん だ ﹂。 四 作 品 と も ふ ち﹁ 花 田 さ ん な う ﹂、 赤 井 晋 一﹁ 私 は 住 田 真 理 子﹁ 耳 の 奥 の 子 ど も ﹂、 高 原 あ 号 で は 小 畠 千 佳﹁ 噴 く ﹂、 評論家 横尾和博 ﹁あるかいど﹂は鮮度の高い興味深い作 い出す。私も参加することになり、お小 プの一人が﹁孤児院への寄付が夢﹂と言 二年生になり弁当を食べる三人グルー に起きている。そんな中学校生活の中で、 が割られたり、授業妨害など日常茶飯事 と言われるいわゆる底辺校で、窓ガラス だろう。私の通う中学は、大阪でも﹁底﹂ 行っていた頃だから、一九七〇年代初頭 ポルナレフの﹁シェリーに口づけ﹂が流 パターン化しているきらいがある。 私の成長を上手くとらえているが、少し て い る こ と に 気 が 付 い た ﹂ と い う 件 は、 と﹁突然、自分がまた施設に行きたがっ うに告げる。しかし、帰りの電車に乗る で当分来れそうにない﹂と、振り絞るよ で施設に行き﹁受験勉強が忙しくなるの ている。最後は﹁義務感﹂になり、一人 私の周りの友人も個性的に描き分けられ 様 子 を 素 直 に 描 い て い る と こ ろ が い い。 ながら、揺れつ戻りつしながら成長する 多感な女子中学生の気持ちに寄り添い なると、だんだん重荷になってくる。 あるが一長一短。小畠は小説にとりくむ になり、﹁さくら愛育館﹂に届けに行く。 遣いの中から少しずつ貯めて、瓶が一杯 新しい生き方を模索する話で爽やか感が 独身女性が父母との関係を回顧しながら 心とした皮膚感覚がよい。赤井は三十代 びに来てくれることの方が大事や﹂と言 ことをするより、一回でも多くここに遊 差し出すと館長が﹁思いつきでこういう そこは知的障害者の施設だった。お金を ﹁あるかいど﹂ ﹁豚小屋の礼節﹂木村誠子 ■文芸同志会通信 年前に大学で同 われ、困惑する私たち。 55 40 人誌﹁豚小屋﹂を創刊。その文学仲間の 号。 残る。また善積健司の書評﹁ボラード病﹂ 品 が 多 い。 真摯な姿勢、高原作品は認知症の老人男 過程を描く。時代設定は、ミッシェル・ 55 のキャラクターをかう。住田は聴覚を中 ■全作家文芸時評 山︶が、少女から大人になってゆく成長 10 水牛 住田真理子﹁耳 ﹁あるかいど﹂ 号、 の奥の子ども﹂も印象に残りました。 ■三田文學︵新同人雑誌評︶ 55 54 も興味深く読んだ。︵同書評は、エッセイ、 54 224 年もすれば仲間たちもそれぞれ変 その後の生活ぶりを、ぼくが訪ねて行く ナリズムの取材活動に匹敵する、という を記すというのが有効であるし、ジャー み物の形式として、訪ね歩いて得た情報 自 覚 認 識 が 届 い て い な い よ う に 読 め る。 場が合っているようだが、まだ作風への ん︵内村光良︶のお笑い風刺系コント劇 筆している。どうもこの作者は、うっちゃ 話。 遷の人生を過ごし、運命に翻弄されてい ことは幾度か述べてきたことである。 才気が空回りしているような気がする。 る。 こ れ は 村 上 春 樹 も ど き だ な あ、 と 思 っ て 読 ん で い る と、﹁ 色 彩 を も た な い げるという、まさにシュミレーション小 の作品引用をもって、作品の結論につな 受容はない。︱︱村上オマージュで、そ 赦しはなく、痛切な喪失を通りぬけない を含まない静けさはなく、血を流さない によって繋がっているのだ。悲痛な叫び はむしろ傷と傷とによって、脆さと脆さ だけで結びついているのではない。それ くるは理解した。人の心と人の心は調和 できた。魂のいちばん底の部分で多崎つ 彼はようやくすべてを受け入れることが いう話であった。引用は、︱︱そのとき 出て来て、ぼくはその文学に納得すると ロジー﹁幻視コレクション︱語り継がれ というサークルで出会った。文庫アンソ 催 さ れ た 文 学 フ リ マ 東 京 で﹁ 大 阪 文 庫 ﹂ るかも知れない。善積健司氏は5月に開 蔓延していることへの風刺にはなってい 面 白 く、 世 相 の 受 け 取 り 方 の ゆ る さ が、 制とマッチしないのが、面白いといえば 個性的であるが、それらの個性が戦時体 にしては毒がない。登場する生徒たちも と続く。近未来の風刺小説的だが、風刺 その引率教師と生徒とのやりとりが長々 が制限され、出雲大社にいくことになる。 高校だかわからないが、学校の修学旅行 に、戦時情況となったらしい。中学だか 日本の自衛隊が海外に戦争に出たため 動の方向性を示すものであろう。 いるということになる。ひとつの文学活 ンでの短編小説作家として活動を行って 誌を舞台にし、猿川名は、広域文学ファ つまり善積名は伝統的な地域文芸同人雑 説 ア ン ソ ロ ジ ー 文 庫 に し て い る よ う だ。 と、テーマを決めて同人誌仲間が短篇小 このサークルの他の文庫を見てみる 説である。春樹的比喩こそ不足している ﹁塩と石﹂善積健司 が、この手法でもっても文学的小説にな 名で﹁私のマキナ﹂という幻視小説を執 る物語の前夜﹂などに猿川西瓜という筆 多崎つくると、彼の巡礼の年﹂の引用が ることを証明していて、その影響の受け ﹁詩人回廊﹂編集人・伊藤昭一 方の事例として面白い試みに思えた。読 225 40 ︵き︶ 待っている。 ▼初めての編集委員としての仕事 は、夏の合評で終わることになる。 いつも合評の時には、一番その作 品にとって重要なこと、絶対に外 せない部分を伝えるようにしたい と思っている。なかなか出来ない けれど。自分の価値観を捨て、そ の作品をどうすればいいのかを考 える。とても難しいが、作品と同 化 で き た と 思 え る 瞬 間 が 楽 し い。 ▼今回、編集委員になって、同人 誌の形になる前に﹁これだけは絶 対にやっておいた方が良い﹂をそ れ ぞ れ の 作 品 に 対 し 指 摘 で き て、 嬉しかった。事前合評の休憩時間、 たかつガーデンの庭園に出て青空 を見上げ、集中力を切らせなかっ た。相手にどんな言葉をぶつけた ら、その作品が持つモノが次の段 階へ向かうか、即興性を味わいな がら過ごした。▼と、偉そうに書 いたけれど、なぜか自作には絶対 にそれが出来ない。遠くに感じて 何も掴めない。不思議だ。 ︵よ︶ 発行日 2015 年 7 月 15 日 頒 価 1000 円(送料別) 発行人 編集人 編集委員 高畠寛 佐伯晋 木村誠子 小西九嶺 池戸亮太 高原あふち 善積健司 発行所 〒 545-0042 大阪市阿倍野区丸山通 2-4-10-203 高畠方 Tel:06-6654-1750 制 作 ㈱セイエイ印刷 〒 536-0016 大阪市城東区蒲生 2-10-33 Tel:06-6933-0521 Fax:06-6933-0241 E-mail:[email protected] 227 編集後記 ● 合 評 会 は 怖 ろ し い。 恥 を 曝 け 出 し て 審 判 を 待 つ。 自 分 の 手 を 離 れ、 原 稿 が﹁ 最 初 に 読 ま れ る ﹂ そ の ド キ ド キ 感 ● 一 作 品 三 十 分。 感じたこと気づいたことを読み手 の声で伝えてもらい、そのひとの 文字で書込まれた原稿が戻され る。 な ん と も 贅 沢 な 時 間 な の だ。 ﹁まだまだ書き直さな﹂と気づか されたり、宝ものとして残したく なる言葉を貰ったり●十四年くじ けつつ書いてこられたのは、合評 会があったからだ。読み手によっ て、こんなにも感じ方が違うのだ という発見。原稿提出後と、本が 出来上がってからの二度、スリリ ングで熱い時間を得る●書家で 百 二 歳 の 篠 田 桃 紅 さ ん は、﹁ 筆 は 絶望もさせなかったけれど、いい 気にもさせなかった﹂と。合評会 という場は、そんなナニカと出会 える。さらに、終了後のビールが あるかいど 56 号
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