デーリィマン 2009 年 2 月号『時評』より転載 成長神話の崩壊を人間回復、農業復権の夜明けに 畜産システム研究所 所長 三谷克之輔 「済民」を切り捨てた貨幣経済 アメリカの市場主義経済は、食糧、エネルギー、資源および環境の危機を世界にもたらしなが ら金融危機とともに破たんしました。世界同時不況による需要の急速な減退は、日本の自動車、 家電をはじめ産業全体にも影響し、「雇用切り捨て」が大きな社会問題となっています。 経済とは「経世済民」、世を経(おさ)め、民を済(すく)う―という政治・統治・行政全般を意味す る言葉でしたが、貨幣経済が浸透した江戸時代後期には利殖を意味して使用されるようになり、 「今世間に貨殖興利を以(もっ)て経済と云ふは誤りなり」と批判も出ています。「貨幣はいつまでも 使用される」という民の信用によって流通していますが、貨幣経済はその民の信用に報いることな く、「済民」を切り捨ててしまったようです。日本の商いの伝統は「暖簾(のれん)」の信用を守り続け、 人を大切にすることでしたが、市場主義経済では会社の生き残りのために最初に人を切ることを 恥ともしないようです。また、このような貨幣経済の暴走を食い止めて国民の生活を守るのが政治 や行政の役割ですが、どうやら政治や行政まで「農業、福祉、医療を切り捨てても、経済成長が国 民を豊かにする」と誤解しているようです。 農業の近代化に「経済学のわな」 規制撤廃した自由市場経済により繁栄がもたらされるとした市場主義経済に理論的根拠と方 法を与えたのは経済学です。この「経済学のわな」はアダム・スミスの手から離れて経済学が成立 したときから抱えている問題です。学問の専門化が発生するときの宿命として、科学も経済学も人 間を切り捨てることで、専門の純粋性と客観性を維持し、その一方で現実世界から乖離してしまう のです。ことにアダム・スミスの「国富論」が経済学として独立して歩き始めたときに、彼のもう一つ の著作「道徳感情論」に示された人間の本性である共感を求めて行動する社会的存在が切り捨て られました。そして、「自由な市場で利益の最大化を求める利己的な行動が国の繁栄をもたらす」 という常識が成長神話とともに世間を闊歩(かっぽ)することになってしまったのです。農業の近代 化は「農業は生活である」という考え方を否定し、専門家は「農業経営から家計を分離すべきだ」と して生産コストの削減を求めましたが、そこに農業から農家を、人間を切り捨てる「経済学のわな」 があることにお気付きでしょうか。 日本の農業、農村の荒廃や畜産の危機は、アメリカに追随して食糧自給を放棄して工業化を 優先し、輸入穀物に依存した専業畜産を推進してきたことに起因していますので、これを推進して きた国の責任は大きく、国は責任を持ってこの危機に対処すべきです。当面の経営危機にどう対 処するかは、議論の時間的余裕がなく、財政出動でこれを救うしかありません。 富の唯一の源泉は農業である 2009 年の丑(うし)年は成長神話崩壊の夜明けに始まりました。豊かな生活のために経済成長 が必要であると言う成長神話は、人をモノと扱うまでに欲望を暴走させて、人と人、人と自然の関 係をズタズタに切り裂いてきました。今、その時代が終わろうとしているのです。貨幣経済で利益を 追求しても、「一方の得は一方の損」(モンテーニュ)で富の偏在は生じますが全体の富の増加は ありません。太陽エネルギーによってもたらされる自然の恵みを循環的に食物連鎖でつないで生 きているのが生物であり、生物の一員である人間が生きていくのを支えているのが農林漁業です。 資源のことを考慮に入れると「富の唯一の源泉は農業である」ことは普遍的な真理なのです。成長 神話の崩壊を人間回復、農業復権の夜明けとするには、世界は一つ、人と自然も一つであること に目覚め、他者と多様性を大切にして、ハイブリッド(雑種・混合)につながりながら共に生きること が必要です。これからは技術革新、効率化、コストダウンの方向だけでなく、「つなぐこと」で再生産 可能なシステムを創る時代です。 システムは自分の生き残りのためにシステムを食う合併で巨大化し、生産の多様性を失うとと もに、生産と消費を現場でつなぐ小回りがきかなくなってきました。現在の大きな市場は無くならな いでしょうが、生産と消費、都市と農村をつなぐ小規模の多様なネットワークが必要とされ、一人が 複数のネットワークとつながる時代が来るでしょう。畜産は輸入飼料に依存した経営をどう変革し て行くか、国内資源に依存した畜産をどう構築して行くかが問われていますが、固定観念を脱皮 するためには、生産、消費、流通、行政、研究等の関係者が複数のネットワークでつながり、生産 方式、流通の変革、農地法の改正等を共に学びながら未来を切り開いていく必要があります。畜 産は食の供給だけでなく、放牧による里山の維持管理に貢献し、放牧の美しい景観に市民が集い、 憩い、交流、学習、教育の場を提供することができます。畜産も生産と消費、都市と農村、人と人 をつなぐ仕事が必要になります。国民の血税2兆円を定額給付金として国民にばら撒くのであれ ば、我々でこれを集めて明るい畜産の未来を築く試みに使用すれば希望も生まれるでしょう。
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