ハーレイダビッドソン―大正のダンディたち

ハーレイダビッドソン―大正のダンディたち
大正十年当時、 東京赤坂に 宮沢モーターズ という米国のハーレイダビッドソンの日本総代理店
があった。
赤心社の商品部にいた塩出宇吉は、商品の仕入れや売り込みで、たびたび東京、大阪、神戸と歩き
まわっていた。そんななかで、彼は同社の宮沢社長と知り合う。そこで、見せられたのが展示品の舶
来オートバイだった。宮沢が乗っているのを見ると、随分便利で軽快そうである。 これはいけそうだ
ピンと閃くものがあった。
いかにも品よく黒光りしたサイドカー付きのハーレイが数台あった。全部セコハン(中古)だとい
う。宮内庁の払い下げで、皇族、とくに天皇などの行幸のとき、御召車の先導、側護、後護にあたる
六台の一部で、使用期間はたったの一年。期間がすぎると、宮内庁は気前よくそれをそっくり払い下
げてしまうのだという。宮沢モーターズはその販売も引き受けていた。オートバイ本体がセコで百二
、 三十円。新車の値段は彼の記憶にない。これがサイドカー付きになると二百五十円する。大学卒の
初任給が三十五、六円の時代である。
とりあえずハーレイの単車一台を自費で購入した。これまで平取から幌泉(現えりも町)までの区
間を、ほとんど毎日自転車で注文取りや集金に歩いている。これに使おうと考えた。
これが管内で評判になった。どこで手に入れたのかとか、なんぼしたんだとか、うるさいくらいで
ある。札幌や旭川の自転車店や、機械屋さんからも問い合わせがあった。こんなことがあったので次
に東京へ出かけたとき、二、三台の舶来車を取り合せて持ってきた。そのうちサイドカー付きが四、
五百円で売れた。一台で百五十円から二百円の儲けになった。東京までの旅費や滞在費がロハになる
ばかりか、ツリさえくる。これに味をしめて、その後数年で十数台を仕入れ、札幌や旭川で売った。
のちに宇吉はサイドカー付きを一台購入。これを乗りまわしていた頃、隣家で子どもが急病になっ
たことがあった。このとき、 彼の妻がその子どもを抱いてサイドカーに乗りこみ、浦河の病院まで駆
けつけたことがあった。新婚間もない頃のことである。偶然にも、 このときの光景を沼 彦次郎も高
木徳太郎も見ている。妙齢の女性を乗せて疾駆する塩出宇吉の艶姿である。「いまふうに言えばカッ
コ良かったっていうんだべなあ ・・・・・・」そのときの印象を二人ともそう語っている。
沼 彦次郎の妻ハルエは、嫁に来たとき(昭和四年)、彦次郎が大井喜三郎とともに英国製のオー
トバイを家の中に入れ、せっせとボロ布で磨いている最中だったことを記憶している。そんな具合で、
町の若い者たちはこの文明の先端をゆく舶来のオートバイに夢中になっていた。その代名詞になって
いたのがハーレイで、ほかにインディアンとか英国のスミスなどというメーカーのものがあった。い
ずれも一一五 cc から一二五 cc の排気量のもので、国産品もようやく出まわってきていたが、鋼板が
粗悪ですぐ錆がきた。点火系統も悪かった。
のちに武中自転車店がオートバイの販売を手がけるようになるが、それまで管内で売っている店は
どこにもなかった。好きな連中は、雑誌や新聞をみてはカタログを取り寄せ、注文を出す以外に手に
入れる方法がなかった。なかには札幌に出かける者もいたが、そのうち札幌の 金子商会 のように
売り込みに来る業者さえ現われた。セコとはいえ、安い買い物ではない。仕事にも使うが、荷物が運
べるわけではない。ある程度経済的に恵まれた者だけが、 買える代物だった。
免許こそ、役場に五十銭納めればすぐに交付されたが、ガソリンを手に入れるのが難題だった。浦
河であれば、奥田商店や武中自転車店で手に入れることもできたが、一歩町内を出ると、 静内の横浜
商店以外、管内でガソリンを売る店はなかった。
塩出宇吉にしろ沼 彦次郎にしろ、年に一度か二度、仲間と連れ立って札幌までのツーリングを楽
しんでいた。鉄兜、皮製の上下、半長靴といった航空兵のような出立(いでたち)で、砂利さえ敷い
ていなかった国道二三五号や三六号を、フルスピードでぶっ飛ばした。日高を抜け、沼ノ端、千歳、
恵庭と、両側を高い葦やイタドリでさえぎられた細い田舎道を、もうもうたる砂煙を上げ、爆音高ら
かにひた走る。どの車もマフラーを取り外してある。ドッドッドッドッと腹にこたえてくる音が快感
だった。
終戦まで島松には陸軍の大演習場があった(現在は自衛隊演習地)。塩出も沼も、ここでは軍人が
らみの嫌な思い出を持っている。沼たち一行は 何たる軟弱の徒 と叱られ、浦河に追い返されたと
いうし、塩出の一行は、爆音に驚いた騎兵の馬が暴走し、大目玉を食らったことがあるという。また、
この近辺でガソリンが切れ、買い求めに行った店で、身元調べやお説教やらを食い、腹を立てた一行
は次にこの店の前を通ったとき、古いタイヤを引きづって轟音と砂煙を思いきり浴びせてやって、溜
飲を下げたこともあったという。
札幌に入ると、浦河街道と呼ばれた創成川沿いの東通りを通って、市内に投宿する。まず宿舎で祝
杯をあげ、いい機嫌になったところで、一同打ち揃ってオートバイに乗りススキノへ繰りだす。酔っ
払い運転をとがめる道路交通法もない。
「どこからきましたか?」
「ええ、南の方から来ました」
「南の方は温かくていいでしょうねぇ ・・・・・・」
「ええ、すごくいいですよ」
日高の田舎から来たなんて言えなくてね 沼 彦次郎の弁である。
モガ、モボが闊歩(かっぽ)した時代、浦河にもその気分が流れこんでいた。それに触れた浦河の
若者たちが 舶来 のオートバイに跨がることで、大正、昭和初期の自由な空気を表現し、謳歌して
みせたのである。ハーレイダビッドソンは、多分その代名詞であったのであろう。
[ 文責 高田 ]
【話者】
塩出 宇吉 浦河町荻伏 明治三十六年生まれ
沼 彦次郎 浦河町大通二丁目 明治三十八年生まれ(平成三年
十月没)
高木徳太郎 浦河町大通四丁目 明治三十八年生まれ