第1回 - 一遍と今をあるく

筆者の言葉
こ の 作 品 は 、ロ シ ア 人 墓 地 に 贈 る 私 の さ さ や か な ラ ブ ロ マ ン ス で あ る 。
日 露 戦 争 の 時 、捕 虜 厚 遇 の 模 範 施 設 と し て 松 山 収 容 所 が 開 設 さ れ た 。自
ら も シ ベ リ ア に 抑 留 さ れ た 経 験 を 持 つ 作 家 の 才 神 時 雄 氏 は 、戦 後 に 松 山
へ 移 り 住 み 、松 山 収 容 所 の 捕 虜 処 遇 の 実 態 と 病 没 し た ロ シ ア 将 兵 の 収 容
所 で の 生 活 を 調 査 し 、明 治 の こ の 時 代 、日 本 に は ま だ 武 士 道 が あ っ た こ
とを明らかにした。
才 神 氏 の 著 作 を 読 み 、ロ シ ア 人 墓 地 を 訪 れ た 私 は( 今 日 、改 修 さ れ 以
前 と は 見 違 え る ほ ど 明 る く 綺 麗 に な っ て い る )、 冷 た く 押 し 黙 っ た 墓 石
の 一 つ ひ と つ に も 、眠 り 続 け た ま ま に な っ て い る さ ま ざ ま な 物 語 が あ る
に ち が い な い 、と 才 神 氏 の 思 い を 追 体 験 し た の だ っ た 。そ し て 耳 を そ ば
だ て 、林 の 梢 を わ た る 風 音 を 聴 き な が ら 、こ の 異 人 た ち が 眠 る 墓 地 か ら
優しく暖かな物語を紡ぎだそうと、空に思いを泳がせた。
な お 、「 松 山 ロ シ ア 物 語 」 は 、「 松 山 ロ シ ア 人 捕 虜 収 容 所 外 伝 ~ ソ ロ ー
キ ン の 見 た 桜 」の タ イ ト ル で 、南 海 放 送( 脚 本 は 田 中 和 彦 チ ー フ デ ィ レ
クター・現社長)がラジオドラマに仕立てた。
そ し て 第 1 回 日 本 放 送 文 化 大 賞 を グ ラ ン プ リ 受 賞 作 品 と な り 、全 国 の
民放ラジオで放送された。
平成六年八月初旬のことである。
日露戦争時代のロシア人捕虜の実態を調査して
いる松山在住の作家倉沢啓介の元へ、岐阜県安八
ご う ど
郡神戸町役場から一通の封書が届いた。神戸町と
いうのは昔の下宮村のことで、ロシア人捕虜収容
じゅんあん
所の所長だった高野 殉 庵の郷里である。
封書から一枚の役場用便箋を取り出した倉沢は、
いちべつ
ワープロで打たれた文字を一瞥し、頬をゆるめた。
「貴殿がこの三月に当地にこられ調査された高
野殉庵の旧宅の土蔵から、高野が松山収容所長時代に書いたと思われるドイツ
語の文書類が見つかり、当役場の文化財保護課に譲渡したい旨の申し出が旧宅
の所有者からありました。ついては、閲覧のご希望がありましたら、当方へご
一報ください」
倉沢は神戸町役場へ電話をかけ、事情を聞いた。応対に出た係の者の話では、
どうやら松山時代の殉庵の日記らしい。倉沢は高ぶる気持ちを押さえながら、
明日にも神戸町の役場へ出向くことを伝えた。
三日後、倉沢は風呂敷をコピーした「殉庵日記」でふくらませ、松山へ帰っ
てきた。そして、その日からかれは書斎にこもってドイツ語で書かれた日記の
翻訳に没頭した。
今日では、地元松山の人たちでさえ知っている人が少なくなってしまったが、
九十年前の日露の開戦から約一月後に、明治政府は捕虜政策の重要な拠点とし
て伊予松山に捕虜収容所を開設している。政府は将校や傷病兵を優先して松山
に送りこんだ。
かれらは松山で、買物や道後温泉への入浴が許可されるなど観光客並みのお
もてなしを受けた。捕虜将校のなかには、革命気運の高まるロシア国内の情勢
を悲観し、市内の民家を借り受け、故国から妻子を呼び寄せる者もいた。戦争
中、松山では延べ七千人の捕虜が生活し、四国の田舎街は時ならぬ捕虜景気に
沸いた。
松山をとくに重要視した政府は、収容所長に陸軍騎兵大佐の高野殉庵を任じ
た。高野は陸軍きってのドイツ通として知られた国際派の俊才で、この時、四
十七歳であった。かれはドイツ留学時代に軍事書籍をことごとく読みつくし、
何冊か翻訳も手掛けている。また高野は健筆家としての名も高く、退役後、郷
里にこもって執筆した欧州見聞録は金港堂から出版され、明治の終わりから大
正にかけて広く人々に読まれ親しまれた。
ふりょ
てんまつ
ところで、陸軍省の『明治三十七、八年戦役俘虜取扱顛末』によれば、日本
国内の収容所で死亡したロシア人捕虜の数は三百七十三人である。この内、松
山は九十八人で各収容所中でも最も死没者が多い。
二か月経った十月のよく晴れた日の朝、玄関で妻をふりかえった倉沢は、今
日はミッション・スクールだと行き先を告げた。
意外な場所を聞き、少し驚いたのか妻はめずらしく視線をあげて夫を見た。
新聞社にも寄るかもしれんと言い残し、かれはいつもの着流しに草履がけで玄
ぎんもくせい
しろやま
関から庭に出た。銀木犀の匂いがつんと鼻をうつ。作家は城山の麓にある女学
校をめざし、まっすぐ歩き始めた。
神田雅子が一時限目の音楽の授業を終えて準備室にもどると、来客を告げる
メモが机上にあった。
「倉沢啓介」と聞き覚えのない名前が記されている。とき
どき音楽関係の業者が彼女のいるピアス館まで訪ねてくるが、こんなに朝早く
の来客は初めてである。事務室へこちらから出向くことを連絡し、雅子は校庭
へ出た。抜けるような青空である。渡り廊下を行きながら、不意の訪問者を思
い描いた。事務室の話では客は二年前、理事長の紹介状を持って来校し学園に
残された明治時代の古い資料を読みあさっていた人だという。が、彼女にはま
ったく心当たりのない名前だった。
応接室で雅子を待っていたのは七十年配の男だった。
ぎこちなく初対面のあいさつを交わし、雅子は作家だと名乗る相手にソファ
を勧めた。
客は手にした茶封筒をテーブルに置き、ゆったりと
した姿勢でソファに大柄な体を沈めた。改めて見ると、
和服の似合うまるで野武士のような風貌である。とに
かく用件だけ聞こうと雅子は向かい合った。
客はじろっと若い教師の日本人離れした顔立ちに
視線を走らせた。
日だまりの中で、雅子のひときわ白い顔が緊張する。
「あなたに了解していただきたいことがおこりそう
なんです。それで失礼を顧みず、のこのこ出てきた次
第です」
と倉沢は来意を告げた。
「何のことでしょうか」
彼女は両手を膝の上にきちんと重ねた。
ちょっと間をおいて、倉沢はきいた。
「あなたは、ロシア人墓地をご存じでしょうね」
「ロシア人墓地?」
雅子は首をかしげた。
「城北に寺町といって、いくつもの寺院がかたまっている地域があるが、その
一角の山裾に松山で死んだロシア人捕虜の墓がいまも残されてます」
と作家は説明した。
「すいません。わたし、三年も松山で過ごしているのに何も知らないんです。
住まいと学校の往復だけの毎日ですから」
ややこしい話になりそうな予感が走って、雅子は遠回しに男の用件を断ろう
とした。
気配を察して、作家は改まった口調になった。
「失礼だが、先生は神戸市にお生れになって、神戸女学院を出て、こちらの学
校へ奉職されていらっしゃる」
「それが、何か?」
「もうひとつ、先生の母方の曾祖母にあたる方は明治のころのことですが、こ
のミッションで英語を教えていた」
と作家は遠慮がちに確かめる。
「それは、いま初めて聞くことです」
興味のわく話だったが、雅子は黙って相手の
言葉を待った。
「意外でした。私はあなたがこのことを知って
いて、松山へ来られたものと思ってましたから」
「曾祖母が松山の出身であることは知ってます。
それに……」
雅子は迷った。
すると、作家が代わりにいった。
挿絵(y.takahashi)
「外国人と結婚してますね」
「はい、そのように聞いてます。でも、それが何か……」
「結婚が明治のいつのころかご存じですか」
「いいえ。ただ相手の方はイギリスの商社員だったと聞きました。祖母と一代
とばしのわたしが、イギリスの血を継いでいるって、母からよくいわれて育ち
ました」
作家は二度三度うなずいた。
これは、ひょっとしてお見合いの身元調べなのか。
雅子は下唇を軽くかんだ。
「すいません、用件は何でしょうか」
時計に目を走らせ、彼女は思わず詰問調になった。
「いや、お気にさわるようなことを次々に申し上げて、どうか勘弁ねがいたい」
作家はあっさり詫びをいい頭を下げた。
「あっ、どうぞ気になさらないで下さい」
まるでサムライのような人だと雅子は感じた。
作家は肩にかかった蓬髪をかきあげ、大きな目でまっすぐ女性教師を見すえた。
それから次のようなことをいった。
今年は松山収容所が開設されて九十年
目にあたることもあり、松山市でも道後温
泉に続く観光の目玉として、ロシア人墓地
を見直そうという動きがある。地元紙の海
南新報でも「ロシア人捕虜のいた町」とい
うシリーズものの特集記事を出すことに
なり、倉沢に原稿の依頼があった。そこで
作家は以前から調査し、温めてきたものを
「物語」風に五十枚前後にまとめ、三回に
わけて発表する予定である。しかし二回分を書き終えたいま、物語の行く手に
大きな壁が立ちふさがっている。いま、その壁を壊すためにどうしても雅子の
理解と協力が必要だというのである。
まったく面識もない相手から突然、降ってわいたような話である。自分に何
の関わりがあるというのだろうか。雅子は困惑した。倉沢は風呂敷包みを開け
て、茶封筒を取り出した。
「ここに、一回分の原稿が入っています。勝手なお願いで恐縮だがぜひ読んで
いただきたい。その後でもっと具体的なことをお話ししたい」
かれは茶封筒を雅子の方へ差し出した。
「困ります」
「いや、しかし」
「どうしても、とおっしゃるなら、理事長を通してお話を持ってきてください」
と彼女ははねかえした。
「たしかに、おっしゃるとおりです」
つぶや
作家は独り言のように 呟 くと、しばらくソファに沈んでいた。
意外に素直な反応に雅子の表情が和らいだ。
倉沢は気を取り直した。
「ひょっとして大変な人まちがいをしたのかもしれません。そうだとしたらお
許しください。しかし、ともあれ原稿に目をとおしておいていただきたい。そ
の後、焼き捨ててもらってけっこうです」
倉沢は立ち上がり、深々と頭を下げた。