イタリア美術の一考察(ローマの彫刻)

イタリア美術の一考察(ローマの彫刻)
鈴木 徹*・秋山信茂**
A Study of Italian Art (Roman Sculpture)
Toru SUZUKI, Nobusige AKIYAMA
ローマの町のある地域が地中海性気候と呼
建築のほか墳墓から出土した埋葬品などから
ばれ年間を通じて雨量が少なく温暖で過ごし
うかがうことができます,それらは彼らの高
やすいのは遥か古代の昔からだったのでしょ
度な文明を証明する証として貴重なものばか
うか,我々人間にとって最初に居住地を選ぶ
りでこのローマのヴィッラ・ジューリア国立
のにはその地の気候風土が重要な条件の一つ
博物館はエトルリア美術だけを取り扱う数少
なのは言うまでもないですが,あのエトルリ
ない博物館の一つです.当時エトルリア人は
ア人やローマ人がこの地を選んだ理由はなに
フィレンツェとローマの間,今で言うトスカ
か他に私たちの計り知れない重要な判断基準
ーナ州とラーツィオ州北部などを中心に住ん
があったのでしょうか.
でいました,彼らが何処からやって来てこの
そのローマは過去の歴史において中心的存
地に住むようになったかは専門家の間でも意
在であったことが多くそれぞれの時代に色々
見がまとまらず未だにはっきりとしていませ
な歴史の遺産をたくさん残してきました特に
ん.この「夫婦の寝棺」も墳墓がたくさんあ
芸術の分野ではその歴史を創っていった主人
るその地域の町チェルベトリから出土したも
公であったと言えるでしょう,その様な重要
のです.
な足跡をたどって行きながらローマの街とそ
エトルリア人の墓室は墓の中とは思えない
れぞれの時代に残された彫刻との係わり合い
ほど明るい彩色の壁画が壁全面に描き込まれ
を探っていこうと考えています.
ていてその空間は家の一室を思わせるほどで
数あるものの中から以下の四つの彫刻を選
石棺や陶棺を中心に壺,工芸品,彫刻などの
んでその彫刻から派生する様々な事に触れな
埋葬品が収められています.「夫婦の寝棺」は
がら考えていこうと思います.
その様なところにあったもので死後の生活に
必要な品一式が揃っていたとも言えるでしょ
1.「夫婦の寝棺」
う.夫婦の彫刻は他の時代の彫刻などによく
──紀元前530∼510年,テラコッタ製,チ
あるような悲壮感の漂うものではなくむしろ
ェルベトリ出土,長さ約200cm,ヴィッ
口元に「アルカイック・スマイル」を浮かべ
ラ ・ ジ ュ ー リ ア 国 立 博 物 館 ( Museo
ているくらい明るい表情をしています,宴な
Nazionale di Villa Giulia)所蔵.
どの時枕にひじをついて横になり夫婦が寄り
エトルリア人のことを知るためには住居や
添っているところですが,もしかしたら誰か
と話しているところかもしれません.
ギリシャ人たちが好んだ大理石の彫刻「カ
*すずき とおる 文教大学教育学部
**あきやま のぶしげ ローマ日本文化会館館員、
彫刻家
ービング」といって塊から削りだして形を形
成していきますがそれとは対照的にテラコッ
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『教育学部紀要』文教大学教育学部 第34集 2000年 鈴木 徹・秋山信茂
タという材質は粘土で形を作って行く「モデ
リング」と言われる付け足して形を形成して
2.
「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」
いくやり方です,想像しても分かるようにま
──161−180年,ブロンズに金メッキ,等身
ったく違った手法で作られたもので当然材質
大以上,カンピドーリオ広場(Piazza
の違いもありますが受ける印象は全くと言っ
Campidoglio)
[オリジナルはカピトリー
ていいほど違ってきます.削っていくやり方
ノ美術館(Museo Capitolino)所蔵]
は間違ったり削りすぎたりしたら台無しにな
もとはサン・ジョバンニ・イン・ラテラー
ってしまいますので,作業は準備段階から慎
ノ教会のところにあったこの騎馬像はミケラ
重にならざるを得ません,こうしたやり方だ
ンジェロによる設計で広場の整備が行われた
と形を作る上で面のでき方が硬かったり冷た
時にここに持ってこられて中心に据えられま
かったりする印象を受ける事がよくあります
した.ローマ時代にたくさん作られたであろ
(彫刻の出来栄えとは別に).それに反して粘
う皇帝の騎馬像もことごとく破壊されてしま
土を使って付け足していくやり方はいつでも
いましたが唯一現存するのがこの「マルク
取ったり付けたりが可能で形を作って行く上
ス・アウレリウス帝の騎馬像」です,その破
で作業上の制限が少なく好きなようにできま
壊を免れた理由はコンスタンティヌス帝の騎
すから 本来粘土が持っている軟らかさと自
馬像であると考えられていたからだそうです,
由のきくやり方が温かみを持った形を作りや
中世の歴史の波を無傷で越えられたのは運命
すいのだと思います.
的なことだったのでしょう.
エトルリア人は先にも書いたような墓室を
それにしても皇帝の騎馬像というものは大
作りその環境に合った材料と手法が選ばれた
きくて立派で威厳のあるものでなければなら
のだと思います,また当時は現代のように彫
ないのでしょうがこの像を前にするとそれ以
刻家が望むような好きな材料を使うことはお
上の何か神秘的な感じさえします,これが人
そらく難しいことだったと想像しますから当
間の手によるものなら我々は相当なことがで
時の材料と手法を考えるとその環境で最高の
きるものだなとつくづく感じます.
結果が得られたのではないかと思います.た
ブロンズでできているこの像はあまりにも
だこの彫刻を見るたびにあるべき所で見るこ
大きいことからいくつもの部分に分けられて
とができたら最高ではないかと思います,せ
鋳造されました,この鋳造方法は古くから伝
めてあのカンピドーリオ広場のマルクス・ア
わる「ロウ型鋳造」と呼ばれるやり方で作ら
ウレリウスの騎馬像のように本物を美術館に
れました.この方法は鋳造しようと思う形と
収め,コピーをもとの所に置いて墓の中をエ
同じ形のロウをつくり,そのロウの周りに砂
トルリア人が作ったとおりに見ることができ
をつけて鋳型を作り,その鋳型を焼き固めた
たら一番いいでしょう.
時にロウの部分が溶けてなくなるので,その
エトルリア人の作った彫刻の肉付けにはぬ
くもりのような軟らかさを感じます,それは
空洞となった場所に溶けた銅合金を流し込ん
で作るものです.
寛容でもあるけれども威厳を持った人たちの
ブロンズで彫刻を作る場合,石のように削
手によるものなのは間違いありません,この
っていってそのまま出来上がるのではなく,
遥か昔の彫刻家は現代でも遜色のない−いや
原型の形ができてからも型を取ってから前述
むしろ我々が失ってしまったものが大きかっ
の鋳造工程を取り鋳物の出来あがった後も部
たのではないでしょうか.
分に分けたのであれば溶接なりはめ込み形式
で原型どおりに一体化させる必要があります
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イタリア美術の一考察(ローマの彫刻)
しそのあとも表面をきれいに仕上げる仕事に
いることに近いものがあります.神から才能
たくさんの時間を費やさなければなりません.
を授かった彼らのような者だけがなしうるこ
おそらく石彫の場合と比べてたくさんの工
となのでしょうか.現代でさえも偉業を成し
程を踏まなければならなかった分だけ仕上が
遂げたと思うくらいですからピエタの像は完
るまでに時間がかかり大変だったことでしょ
成した当時の人々にかなり賞賛されたことで
う.またこの騎馬像は最終的には表面が鍍金
しょう,とくに当時の芸術家で伝記作家でも
されており今でも馬や皇帝の顔などに純度の
あったジョルジョ・ヴァザーリによる「この作
高い金がよく残っているのが見えます.
品には,芸術の持つ一切の価値と力が認めら
この様にローマ時代に作られた皇帝の騎馬
れる」と言う賛辞が残されています.
像がルネッサンスの時代に都市整備の中で使
この彫刻は正面,左右どれから見てもピラ
われるということはとても贅沢なことですね,
ミッドの三角形のような形をしていますこれ
ましてや時の万能人ミケランジェロの設計に
は視覚的にとても安定している形です,もち
よって実現するなどと言うことはローマらし
ろん物理的にもぐらぐらして倒れそうなもの
い組み合わせだと思います.
よりもどっしりとして座りが良いところは見
ていても安心していられます.また緻密に仕
3.「ローマ・ピエタ」
上げられた細部を見ると衣服のしわのでき方
──ミケランジェロ・ブオナロッティ,1499
や人物の顔,手足の表情など単なる具象的表
年,大理石,高さ 1 7 4 c m,幅 1 9 5 c m,
現を超えたある種の力を持ち得た彫像になっ
サン・ピエトロ・イン・ヴァティカーノ
ています.
寺院(Basilica di San Pietro in Vaticano)
所蔵
マリアはキリストの母にして花嫁といいま
す,この像から受ける印象ではマリアが若す
ミケランジェロ24歳のときの作品です.大
ぎるように見えますね,またもし彫刻のマリ
理石を削って彫像を作る仕事は彼にとって天
アが立ったとしたならばキリストより背の高
職であったことは誰しもが認めることですが,
い人になるように思いますが,ここではその
それにしても早熟な天才彫刻家なのはこの彫
様なことより彫像としての美しさを得るため
刻を見て一目瞭然でしょう.このローマ・ピ
にこの様にしなければなかったというのが本
エタを彫るにあたって材料の大理石を採石場
当のところではないかと思います.キリスト
のあるカッラーラ(現在でも採石しているトス
が33歳で死んでいるから逆算してマリアの年
カーナ州の大理石の産地)までおもむき石の切
がいくつぐらいだからと言って現実に近いよ
り出しに自ら立ち会ったぐらいこの像にかけ
うにしたり,人間の実際の身長に合わせて作
る意気ごみがあったのです,おそらく採石場
ったりしてもこのような美しさを得ることは
まで行ったからには実際に切り出す部分の石
できないでしょう.また彫刻を作り上げる技
を自分で指定したのでしょう.
術だけでなく彫刻が出来上がってから置かれ
ミケランジェロが残した言葉の中に石塊の
る場所のことや,人々が彫刻を見る視点など
表面のマチエールなどから自分が思い描いて
も考慮に入れなければなりません.そうした
いる彫刻の形を重ね合わせて石の中の形をイ
事を総合してあらゆる面から見た「形の検証」
メージして余分な部分を取りのぞいて像を自
をして作り上げられたのです,ただ多くの部
由にするだけだといいます.日本の仏師など
分は緻密な準備と計算なしで芸術家の持ちえ
も切り倒す前の木の中に仏を見て自分は余分
ている天賦の才によるものが多かったと思い
な部分を取り除く作業をするだけだと言って
ます.
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『教育学部紀要』文教大学教育学部 第34集 2000年 鈴木 徹・秋山信茂
このようにローマ・ピエタはキリスト教の
瞬間を捉えている様子がよく判ります,また
中心たる所で生まれるべくして生まれてきた
すぐ後ろの壁にストゥッコ(漆喰)で作られ
作品としてキリスト教美術の真髄を示し宗教
た大きな布がカーテンのように風で大きくな
上でもその必要な全ての要素を含んだロー
びいて場面を強調し引き立てています.よく
マ・ルネッサンスの集約された彫刻であると
見ると布には細かい模様がほどこされ彩色さ
いえます.
れてもいて全体に宗教的な暗示を感じられま
す,また数あるベルニーニの彫刻の中でも扱
4.「コンスタンティヌス帝の騎馬像」
っている題材や彫刻の大きさといい一番スケ
──ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ ,
1662−68,大理石,ストゥッコ,等身
ールの大きいダイナミックな作品だと思いま
す.
大以上,スカラ・レジーア(王の階段 )
私たちはベルニーニの生きた時代を「バロ
の 踊 り 場 , ヴ ァ チ カ ン 市 国 ( Scala
ック」と呼んでいます.バロック美術はロー
Regia, Città del Vaticano)
マで開花しイタリア国内だけでなく海外にも
騎馬像が設置されている場所はローマ・ピ
伝わってそれぞれの土地で消化・吸収され根
エタのある場所のすぐ近くにあります,スカ
付いていきました,それだけに影響力が強い
ーラ・レジーアは教皇が寺院と住居との行き
高い芸術性を持った様式だったと言えます.
来に使う階段でサン・ピエトロ寺院の入り口
ベルニーニは実際,彫刻や建築などの仕事に
がある前廊の所にもつながっていて寺院にす
視覚芸術といえるバロックの精神性を存分に
ぐに入れるようになっています.
表現していった時代の申し子でありました.
その様な教皇が利用する階段の改修工事を
そのベルニーニの作品がローマを舞台として
手がけるにあたって同じく階段の踊り場にコ
町の中の至るところで見ることができるので
ンスタンティヌス帝の彫像を置くことが決め
す.
られたのです.コンスタンティヌス帝は「ミ
ラノの勅令」(313年)でキリスト教を公認し
ローマの町は色々な時代の要素を持ってい
その後 旧サン・ピエトロ寺院を建てた皇帝
て変化に富んでいます,当然芸術作品は広い
としてあまりに有名である.
範囲にわたっており美術館,博物館だけでな
その皇帝の像はマクセンティウス帝との戦
く遺跡,建物,モニュメント,教会などにも
いの前に「十字架を持ってして戦いに望めば
あり日本で言えば国宝級に値するような重要
勝利するであろう」という神からの啓示を受
作品を色々な所で見ることがよくあります.
けている場面を表しています.キリスト教で
とくに彫刻で言えば建物に付随していたり,
は迫害の時代から公認され平和の時代に移行
屋内外のモニュメントだったりします.長い
していった重要な転機であったことは言うま
年月が経過したものも多く保存,修復のため
でもありません.ローマには実際にその戦い
の努力を続けていかなければならないことは
の場となったテベレ川にかかるミルビオ橋も
色々な意味で難しいことですが,これら先人
ヴァチカン市国からさほど遠くない所にあり
たちの残した文化遺産を後世に伝えていかな
ます.
ければならない重要な使命を持っているロー
さてその彫刻ですが等身大以上ある大きな
マが未来も永遠に町並み,彫刻,人間とが高
ものでなお且つ人間の背丈以上もある台座の
度に共存する町であり続けてほしいと願いま
上に置かれています.皇帝を乗せた馬は後ろ
す.
の二本足だけで立っていて神の啓示を受ける
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イタリア美術の一考察(ローマの彫刻)
参考文献
「美術の歴史 」
H.W.ジャンソン著 美術出
版社
「彫刻」
−その製作過程と原理 ルドル
フ・ウィトコウアー著 中央公論美術出版
「人類の美術 」
第7巻・ローマ美術 ラヌ
ッツィオ・ビアンキ=バンディネルリ著
新潮社
「ベルニーニ」
「BERININ」
石鍋真澄著 吉川弘文館
アンドレア・ザネッラ著 フ
ラッテーリ・パロムビィー社
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『教育学部紀要』文教大学教育学部 第34集 2000年 鈴木 徹・秋山信茂
1.「夫婦の寝棺」
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イタリア美術の一考察(ローマの彫刻)
2.「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」
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『教育学部紀要』文教大学教育学部 第34集 2000年 鈴木 徹・秋山信茂
3.「ローマ・ピエタ」
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イタリア美術の一考察(ローマの彫刻)
4.「コンスタンティヌス帝の騎馬像」
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