略歴年表 (Yumej i Takehi s a & Loui s I c a r t ) 西暦 年号 竹久夢二 1884 1888 1894 明17 ・岡山県邑久郡に生まれる(造り酒屋の次男) 文学を志し、新聞等にさかんに投書する 文学同人雑誌「白樺」派に影響を受け続ける 1899 1900 1901 1904 明32 ・神戸中学校入学(8か月で中退) 明33 ・一家で福岡県へ転居 明34 ・家出し上京、早稲田実業入学 社会主義運動に触発され終生関わっていく 明37 明38 ・早稲田実業本科卒業 ・「中学時代」にコマ絵、「ハガキ文学」に図案入選 明40 ・社会労働運動の「平民新聞」にコマ絵掲載 ・読売新聞入社、時事スケッチ掲載 ルイ・イカール 東京美術学校設立 ・フランス・トゥールーズに生まれる(父は銀行家) ・カトリック系初等学校入学 演劇に興味を持ち、俳優を志す 1905 1907 1908 1909 1911 1912 1913 1914 1915 1916 1917 1918 1920 明42 ・初画集「春の巻」刊行 ベストセラーに 「白樺」出版元の洛陽堂から発売 大1 ・京都府立図書館にて第一回展覧会 大3 大4 ・日本橋呉服町に「港屋」開店 夢二デザインの絵葉書、千代紙、ポチ袋、和装小物等 を商い女性に大人気。デザイナーズショップの草分け 大7 ・セノオ楽譜「宵待草」の作詞・デザイン担当 ♪待てど暮らせど来ぬ人を・・・、爆発的ヒット曲になる 社会情勢 日清戦争 ア | ル ・トゥールーズ高等商業学校卒業 ・演劇界を目指し、パリに出る。 生活のため絵葉書工房で働く ・雑誌「演劇批評」ファッション誌「ガゼット・デュ・ボン・トン」 「フェミナ」などに表紙イラストを描く 帽子、ドレス等のデザインも手掛ける ・バルセロナで初個展 ・アメリカへ作品輸出開始 ・ブリュッセルにて「ボン・トン」誌主催個展 ・「ラ・バイヨネット」誌など大衆紙にイラスト発表 ・「戦争とユーモア画家」展出品 ・アメリカ向け版画印刷開始 ・パリで油彩画個展 1922 1923 1924 1925 1927 1928 1929 1930 大11 ・島崎藤村著作等本の装丁に活躍 大12 ・「どんたく図案社」・「図案と印刷」誌発刊が震災により挫折 大13 ・世田谷にアトリエ兼住居「少年山荘」完成 ・ニューヨークのワナメーカー百貨店で個展 昭2 ・自伝絵画小説「出帆」を都新聞に連載 ・レジョン・ドヌール五等勲章叙勲 ・版画入り豪華本の挿絵初担当、以後数多く手掛ける 昭5 広告ポスターを多く手掛けるようになる 1931 1932 1933 昭6 昭7 昭8 1934 1940 昭9 ・銀座資生堂で展覧会 ・「榛名山美術研究所建設」発表(*バウハウス運動に共感) ・アメリカに渡航、各地で個展 ・ヨーロッパ各地へ ・ベルリンのイッテン画塾(バウハウス系)で日本画講習会 台湾へ、のち日本帰国 ・信州富士見高原療養所にて永眠 ・アメリカ各地で個展巡回 幸徳秋水ら社会民主党結成 八幡製鉄所創業 日露戦争 ポーツマス条約、日比谷焼討事件 ヴ ォ | 伊藤博文暗殺 大逆事件(幸徳秋水ら死刑) 第一次護憲運動 第一次世界大戦勃発 ロシア革命 シベリア出兵、米騒動、第一次世界大戦終結 国際連盟加入 関東大震災 第二次護憲運動 ア | 普通選挙法公布 ル 張作霖爆殺事件 デ 世界恐慌 コ 満州事変 ・ニューヨークで油彩個展 国際連盟脱退 ・ドイツ軍侵攻のため、作品集が出版拒否される ヌ | 日独伊三国軍事同盟 第二次世界大戦(39∼45) <*注釈 バウハウス> 1944 1948 1950 「工芸と美術の融合」や「手による産業芸術」を教育理念 とするドイツ国立デザイン学校。 アメリカへの版画輸出ができなくなる ・パリ解放、版画制作再開 ・ニューヨーク、フィラデルフィアで油彩画展 ・モンマントルの自宅で死去 太平洋戦争(41∼45) (45)ポツダム宣言受諾・国際連合発足 (46)日本国憲法公布 朝鮮戦争(∼53) イカールと夢二に共通しているのは、画壇とは無縁な脇道から世におどり出ていった点にある。それが幸いし自由かつ広域な創作活動が可能だった為、 メディアや商業とも容易に結びつき、雑誌など印刷媒体が主な活躍場所となった。グラフィックデザイナー、イラストレーションの先駆とも言える。また、二人 とも特定の女性からインスピレーションを与えられている。夢二は、たまき、彦乃、お葉…、イカールは二番目の妻ファニーである。 国際連盟加入
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