第76号

1997年5月 22日発行
ニ ュー ス
チ ャペル ・
76号
u)第
―
神 戸松 蔭 女 子 学 院 大 学
神戸松蔭女子学院短期大学
宗教 セ ンター
神戸市灘区作原伯母野山町
1-2-1
1997年5月 22日発行
主よ
、 リ ト
キ ス の平 和 を /
チャブレン 野 々目 晃 〓一
ベルーの首都 リ マの日本大使公邸 に突如 とし て発生
、
した人質事件 ︵
昨年十 二月十七 日︶ 以来 反体制武妻
グ ループ の大使 公邸占拠 は 一二七 日目、速 に強行手段
による決着を見ました。事件発生後 の早 い時点 で設定
された保証人委員会 が ベルー政府側 と武装 グ ループ の
、
、
双方を行き来 し て 彼 ら の主張を聞き また解決 のた
め の議歩 を双方から引き出 そうと懸命 に努め てまし た
、
。
、
が 不成功 に終 わ ってしま いました しかし ここで
保証人委員会 の中心人物 シプリ ア ニ大司教 の働 き に つ
いて考 え てみまし ょう。とく に政治 や社会政策 の専門
、
家 でもなく また法律家 でもな い彼 に 一体な にが出来
る のでし ょうか。彼 は ,︱ マ ・カトリ ック教会 木チカ
ン
され てこの 目 に いた です 、彼
から
聖
庁
任
命
役
就
人
が
によ って時折大使公郵内 で献げられ ている聖餐 合ヽ
サ︶
が この深刻な事件 の行方 に希望がある ことを示唆 し て
いると私 は思 いました。 それは人 々が この聖餐 でただ
一度す べての人 のため十字架 で死 に二 日目 に復活 され
たキ リ ストの犠牲を想起 し、彼と共 に生き、共 に苦 し
、
、
み 彼 によ って罪を取 された者 であ ることを感謝 し
バ ンを食 べぷどう酒を飲 ん でキリ ストの御体 と御m に
、 よ、 リ スト
あず かる交 わりを経験し ″
キ
の平和を″
主
と祈 り、平和と和解 の心をあらわす換拶をたが いにか
。
、
わすから です 私 は人質 の方 々のみならず どうか武
、
装グ ループ ま た保証人委員 の方 々が この大使公邸 で
の聖餐 に参加 し ているよう にと駁わぎるを得 ません で
した。なぜなら相対立し、惜 しみあう人 々が こうし た
、
悲惨な現実を越え て 聖餐 を通し てキ リ ストの平和を
、
求 め 和解 と連帯 を造 り上げ る希望 を抱く ことが でき
る、 ここに神 の解放 のみ業 が示 されよ、と念願 し てい
たから です。
、
﹁リ マ文書﹂ これ は世界 の主 だ ったキ リ スト教 会
、
やカトリ ック教会 また正教会 など の代表者 が 一九八
二年 一月 にリ マに集 ま っての世界教会協議会 の公式会
。
議 が作成 した声 明文 です それ には ﹁それ ︵
聖餐︶ に
あず かる人びとがす べて、神 の家 族 における兄弟姉妹
とし て陪席す るため に、 そ こに和解と参与 がなければ
。
、
、
、
ならな い また 社会的 経済的 政治的 な生活 のそ
れぞれ の側面 に常 に正義 にみち た関係が成 り立 ってい
るよう にと願 い求め るよう聖餐 にあずか る人 々に問 い
、
かけ続 けるため に この聖餐 がと りお こなわれる﹂と
あ ります。大使公邸 での聖餐 が仮 に人質 の人 々の参加
、
だけ に限られ ていても それは武芸グ ループや政府 代
表を念頭 に置 いて ﹁
十字架 の血 によ って平和を打ち立
、
、
、
て 地 にあ るも のであれ 天 にあ るも のであれ 万物
を ただ御子 ︵イ エス ・キリ スト︶ によ って御自分 と和
解 させられました﹂ ︵ョ ロサイ二 一一
〇 ︶ と あ る全 能
の神 に事件解決 の導きを求め る祈 りが献げ られ ていた
ことは間違 いあ りません。
、
一五 三二年 スペイ ンによ って滋亡 したイ ンカ帝国
のイ ンデ ィオ の子孫 たちが ト ゥ木ク ・ア マルを指導者
とし てお こした大規模 な反乱 ︵一七八〇 ︱八 一︶を想
、
起 し て 武まグ ループ は経済危機 が日常化 し数多 く の
、
貧困者が発生 した こと で現政権 の責任を追求 し 貧 し
い民衆 の側 に立 って非合法的抗議手段を選びました。
、
結果 は残念 な こと に現政権 武装グ ループが自 ら の正
、
義 を相議 らず 仲保者 キ リ ストによる正義 と和解が実
。
現されず に終 わ ってしま いました ここに ﹁
解放 の神
、
学﹄ のあ り方を検索 し この世 の弱者 に対 する福音宣
、
、
教 を電大 な使命 とし 主 よ キリ ストの平和 を/と真
、
、
剣 に祈 り か つ音 闘し ているキリ スト教会 は 神が さ
ら に厳し い課題を与 えられたと厳粛 に受 け止 めざ るを
。
得ません
第76号 (2)
チ ャペル ・ニ ュー ス
1997年5月 22日発行
一
博
藤
後
青 年 期 の特 徴 は
、
な んと い っても
自 我 の目 覚 め であ
ると いえ る でし ょ
う。 青 年 期 の後 半
に入 っている皆 さ
、こ
れか ら こ
んは
の自 我 を確 立 し て
いく こと が課 題 と
。
なる でし ょう 青
、
年期 に入 ると人は
いろ んな こと を 根
本 的 に問 う こと を
、
始 めます一 例 えば
標を定め て生 き生きと活動 し ているとき には
し
な い問 いだと思 います。 私 も 四十
浮かんで︶
。
年ぐら上 剛は学生 でした 受 験 勉 強 の追 われ
、
てや っと大学 に入 ったのはいいのですが しば
。
らでヽ
するとこの問 いが でてきました 進 む べき
目標が見当たらないのです。﹁何 のため の人生
、ど
。
の様 に生きるべきか﹂と煩閣しました
か﹂ ﹁
、
こ は当
れ
時
﹁
二月病﹂ と名 付 けられ ど この
このような学生が多 くいた■ つて孔
大学 でも ・
キ ャンバスの中 は、 いろんな学生 たちがいろん
なサークルやクラブに入 って賑やかに活動 し て
、
どの
﹁
人 は何 のために生き ているのか﹂ また ﹁
ように生きるべきか﹂等 々の問 いです。 それら
の疑間 に対し て納 得 でき る説 明 はほと んど聞
、
かれないままに 目 の前 の受 験 勉 強 に追 われ
。
てきたというところではないでし ょうか
このように自 己を問 い、 自 己 の生 きかたを
、
問うと い ? ﹂と は 自 分 自 身 がし っかりと目
新 しく生 まれる
いるのですが、 その中 でし っかりしたも のを持
、
、
たず に 漢然と漂 い、
底無しの不安 どう にも ヨ
ント コール きない
ちに ら た日々 でし
で
か
れ
苛
立
た。 このような状 態 を フランク ルは ﹁
実存的
。
空虚﹂と呼んています 自分 の実 存を生 きる
ことができないでいる状態 です。人生を問うと
い ? ﹂とは、 自 分 のこれから の人 生 を自 覚的
に きようとするところから まれてくるので、
生
生
とは、
そのような問 いに真剣 に取り組むとい ?L
。
青年期 の特権 でもある でし ょう 大 人 になる
と、日 の前 のいろんな仕事 に追 われ て、 まと
も に取り組むこともなく日々が流れていきま え
、
青年期 はまた親友を求め 恋 人 を意 識 する
とき でもあります。 自分 以外 の他 者 と の関係
、
のなかで自分を見 つめ 他者 と の違 いを意 識
し、自分 の個性を発見することにもな ります。
、
そし て親友との出会 い、本 と の出 会 い 芸 術
、
作品との出会 いが 人 生 の問 いを 深め てくれ
るでしょう。 そしてこれまでの自分を こわし、
自分を新 しく つくりかえているのに気が つく こ
と になるでし ょう。人とは達うこの私 は、 これ
からこのように生きたいと いう自分を発見す る
ようになればしめたものです。青年期 の課題 は
達成 されたのです﹁ いつの間 にこのように変わ っ
たのか、自分 でも気が つかないのだけれども、
。
新 しい自分が生 まれ ている のです 二百 年 程
、
前 ルツーは 青年期 を第 二 の誕 生 と呼 びまし
た。 それは青 年 期 の新 し い自分 を さし ていま
した。
ョ ハネ によ る福 吉 書 三 章 一節 以 下 に は 、
ユ
ダ ヤ人 指重掌コニ,デ モと イ エスと の間 で交 わさ
れた ﹁新 し く生 ま れる﹂ と いう テー マに つい て
の会話が書かれています。 イ エスは ﹁
だれでも
、
新しく生まれなければ 神 の国を見ることはで
きない﹂と、 最 による新生 を説 かれるが、
ニ
ヨデモにはこの新生 が理解 できないのです。生
まれることをただ自然的なこととしか考えられ
ないのです。 イ エスはさらに説明を つけ加えて、
、
、
﹁
だれでも 水と霊とから生まれなければ 神
。
の にはいること はできな い と いわれた
国
﹂
、
﹁
水を霊﹂ の水 は 教会 での ﹁
水 による洗礼﹂
を意味しています。 これは新生 の外 見的 事 柄
、
、
ですが ﹁
霊 による洗礼﹂ は その新生 の内 実
を表現し ています。 次 の ﹁肉 から生 まれる者
は肉 であり﹂ の肉 は、自然的 、 世 俗 的 世 界 に
。
生 き ている生 命 を 意 味 し て います そし て
、
﹁
霊から生 まれる者 は霊 である﹂ の霊 は 神 の
、
こを受けたものが生きる超 越 的 彼 岸 的 生 命
を意味し ています。 イ エスは自 然的 、 世 俗 的
、
、
、
世界から 霊的 彼岸的世界 へと 生 の根 本
、
的転換をしなければ 神 の国 に入 ること はで
きない、すなわち救 いにあずかること はできな
いと教えておられます。 霊 による新 生 は、 青
、
年期 の第 二の認生 と同 様 いか にし てこのよ
うな新生 がなされるかは、わからないのです。
ただ今ま でと違 う新 しく生 まれ変 わ った者 が
存在 しているだけなのですれ そのような新生 に
あづかることができるのは、神 のみ知 りたもう
こと であり、 恵 み であ ると いえます。 松蔭 在
、
学中 に 青年期 の課題 である自 我 の確 立 と登
による
を
新
生
是
井
達 成 されます よう に祈 りま
。
す ︵
教授 ・教育学 と 本教主事︶
︱︱ これは入学感謝礼拝 でな された講話 の
要約 です︱︱
1997年5月 22日発行
ニ ュー ス
チ ャペル ・
(3)第 76号
紙上対談
礼拝奉仕活 動 ⋮
聖 歌 隊 に つい て
、
、
聖書 の朗読 礼拝 の司会 や祈祷 また オ ル
、
ガ ン伴奏、聖歌隊など礼拝奉仕お動があ って
。
皆 さんが これを分担し ています 今 回は この
。
うち聖歌隊 の活動を紹介 しまし ょう
、
早 や新学年度 も 一か月 が過ぎ 春 の光 に映 え
、
出 た木 々の新緑 に囲まれ 皆 さんはさぞかし
。
英 やかな学日生活 をお過ごし のこと でし ょう
さ て、今 日は日頃 チ ,ベルで聖歌隊 のご指導
を され ている梅村憲子先生 からそ の活動内容
。
、
に ついてお伺 いしまし ょう 先生 聖歌隊 と
。
はな にをす る団体 ですか
。
構村 ⋮そう ですね 聖歌隊 とは教会 の礼拝 て
。
聖歌を歌 って奉とす る合唱隊 の こと です 旧
約聖書 ではイ スラ エル民族 のなか の レビ人 と
呼ばれた支族 が神殿 で詩編を歌 ったと記 され
。
ています これ はいまから二〇〇〇年 も前 の
ことな ん です。 それがキリ スト教 の礼拝 にも
、
、
受 け構がれ 聖歌隊 がます先唱者 つま リブ
リ セ ンタ ーとな ってお祈 り の言葉 の出 だし の
、
ー
部分を歌 って これ に続 く会衆 の祈 りを リ
ドし ています。
。
そう ですか 聖歌隊 は礼手 でと ても大事な任
。
務を果 たし てきた のですね
。
格付 ⋮ そうな ん です よ そ のこと はいま でも
。
同 じ です とく にイ ー スターやクリ ス マスな
ど の大礼拝 ではよく練習を重 ねた聖歌隊 が必
、
要 になりました ので 四世紀以後 ヨl oッ木
の各地 には ス コラ ・カ ント ルムと呼 んだ合唱
。
の学校が設けられました そこでは聖歌 の教
。
授 と熟練 した聖歌隊員 の養成が図られました
現在 でも ョl pッパ各地 の大聖堂 には聖歌隊
。
学校が設置 され て礼拝奉と に励 ん でいます
、
教育音楽
では 本学が副専攻 ヨー スとし て ﹁
、
実習﹂ を設 け ている のは こうした聖歌隊学
。
校 の伝統 を総承 し ている ことになるのですね
、
梅村 ⋮それは少 々言 い過ぎ のよう ですが こ
、
うし て聖歌隊 に入る学生 は 一〇名 以内 で こ
うした学生 のほか はポ ラ ンティアとし て聖歌
隊 に入 って
く る学生 と
聴 議 生 など
で三〇数 名
になり斉え
練 習 は毎 週
、
月 火 の五
時 限 の九 〇
、
場所
は チ ャベ ル
分間
です一ま代
こ のほか夏
期 休 暇中 に
は 二泊 三 日
の合 宿 を し
。
て いま す
、
と ころ でその学生 たち の様子 に ついて 一言
。
間 かせ てくださ い
、
構付 ⋮みな と ても嬉 々とし て練習 し ていま
、
、
。
す な にしろ こんな に理想的 残 客効果満
、
点 のチ ャベルで練習出来 る のです から 学生
。
にと って本当 に幸 せな練習 環境 です 練習が
、
終 わるのが年後 五時 四五分 になります のが
。
ほん のち ょ っぴ り気 の毒 のよう に思 います
。
、
でも みんな楽 しく熱心 に歌 っています そ
、
、
れ に練習 は二人 以上 の合唱 ですから 上級生
、
下級生 など の隔 ては全 くなく と ても十良 し
。
にな って練習 に励 ん でいる のです 全 く微笑
。
まし い限 り です よ
。
そう ですか 皆通教ま で教 え ている私 たち に
。
と ってこれは衰望 のほかありませ んね と こ
ろ で練習由 は誰 の作品を主 に使 っているので
、
。
すか ま た ど のような礼拝 で歌 っている の
。
ですか
、
お村 ⋮前期 は易 し い的 後期 には大由 に挑戦
し ています。 モー ツアルト、 メ ンデ ルスブ ー
ン、 シ ューベルト、 ヘンデル、 フォーレやパー
、
セルの曲 で 二部 か二部 の宗教的合唱出を選
。
ん でいます 礼拝 は認生 日礼拝 や卒業感謝礼
、
、
拝 クリ スマス礼拝 それ に結婚式 このほか
入学式 や卒業式 など講堂 での学校儀式 で歌 い
ます。
いろ いろ聞かせ ていただきありがと うござ い
、
ました。 最後 にもう 一つ 聖歌隊指経者 とし
。
ての先生 の抱負 を語 ってくださ いませんか
。
構村 ⋮ そう です ね 隊員 の人数をもう少 し増
︵
次頁 へ︶
。
やし た い の です 合 唱 には多 く の人 数 が必要
。
、
です か ら 学生 の皆 さ ん いまか ら でも よ い
。
です か ら参 加 し てくだ さ い そ れ に奉 仕 の機
。
会 を も う少し増 やした いです ね たとえば ヌー
ン ・サ ー ピ スのとき な ど に。
前 田次 郎
藤 間繁 義
、
松 原 大 山根貞★本
7月 3 日 に終 わ る。
、
、
、
秋 山義 孝 岡崎 こ 本 村幸 来本 小池度 一
、
、
、
名 出 望 西川正ャ︵
、
◎ 神 戸 松 蔭 チ ャベ ル ・コンサ ー ト
一年 を 通 し て演 奏 日程 か組 まれ て います。
。
ゼ ロ ピ ー ト ・シ リ ー ズ
近 々 の日程 は次 のよ う にな って いま す
ヽ
小 南 晃
畑 括 喜
音 回雅 人 の各 司舞 や先生 方
ノ
◎ オ ルガ ン ・レタチ ャー ヨンサ ー ト
。
前 期 の日程 と講師 は次 のと お り です
ピス後 宗 教センターて行
つています。
さ て、 読 者 の皆 さ ん、宗 教 セ ンタ ー では聖 歌
。
シオン会
隊 員 の中 込 みを い つでも受 け付 け て います
6日
0
4月 2
0 5月 1 ロロ
午 後 3時 開演
カ ンタ ータ ・シリ ーズ
︲日
6月 7 日0 7月 2
い
年 後 3時 開演
、
チ ケ ットは宗教 セ ンタ ーま で︶
詳細
︵
rイ
あ る いは練 習時 間 に直接 来 てく だ さ っても 構
いま せ ん。 心 か ら歓 迎 し ま す。
宗 教 セ ンタ ー便 り
雲歌隊やオルカン伴奏な
どの奉仕のほか 札 拝の司
会や理を朗説などの毒仕に
参tIした り 大 学 外 での
ポランテイア活動を行つた
り 理 を研究をするのが こ
の会の主な目的てす。信徒
の学生の曽さん ま た こ
れらの活動に参如希望の方
の大会を心から期待してい
ます。なめ ミ ーテインク
は毎週木曜日ヌーン サ ー
讃美を リー ドし 礼 拝を支える大切な役日を
担 つています。単にビアツや鑑盤楽器が弾け
れば そ れて出来るというわけてはなく 宗
数センターては寒薬者お一人お一人にチヤベ
ルオルカニス トによるレ ッスンを行つており
ます (毎週木曜 日)も
我ことは 7と 思う方は宗致センター (チヤ
ベル斜め前 0?開 32巧124)ま でご連絡 くだ
さい。
■女の可能性を豊fJに活かして 有 意義な
学生生活をイ
2日
4月 1
的 長谷川美保先生
7日
5月 1
口 鈴木雅明先生
6月 M日0 上野静江先生
。
◎礼拝奉仕 に協力 し てくださ い
。
礼拝と は神 に奉仕す る私 たち の行為 です
学生 の皆 さん にもそ の奉仕 の場 と機会があ り
ます。 以下 は奉仕活動 への参加 を呼びかけ て
いる ″
チラシン の内容 です。参加申込 みは宗
。
教 セ ンター ヘどうぞ
︱︱ 、
毎遭、月 火 曜日 P M 4 1 5 ∼5 4 5
テ やベルで練習しています。
◎入学感謝礼拝
学科別 にチ ャベルにお いて次 のよう に実施
された。 なお議話 はチ ャプ レンのほか本学教
。
授 や 日本聖公会 の司祭 の方 々が担︼ された
︵日時︶ ︵
講話︶
2日
4月 2
四 榔9 00 後藤博 一教授
4月 2日的 剛1 ⋮00 野 々自晃 二同祭
4 4国内 帥9 00 名出 望 司察
月
2
5日
4月 2
0 細9 00 中道政昭教授
M9 ︰00 松岡痩 一司祭
5月 1国内 A
5月 6日ゆ 皿9 00 古本純 一郎主教
3日
5月 1
的
胴9 00 勝村弘也教授
0日四
5月 2
榔9 00 松原 栄司祭
◎ カ レ ッジ ・アワー始 まる
キ リ スト教概説 の授業 の 一端 とし て前期、
、
後期 に各 3回実施 されるが チ ャブ レンのほ
3名 の聖公会 の司察 や先生方 が 当 さ
か次 の1
担
。
、
れる なお 前期 の期 日は5月 2
2日に始 まり
ご入学おめてとうございますb只 今 里 歌PFでは新
人生を集中です。戦の好きな方 大 歓迎いたします。
合喝の経験はなくてもフロの先生が一人一人丁寧に指
導してくださるので 綺 曜に欧わ`
うたえるようにな り
ます。主な活動は月 1回の誕生9礼 拝 夏 の合宿 ク
リスマスのキヤンドル サ ービスやチヤリテイーコン
サー ト等です。部コは不要ですので 費 味のある方は
チヤベルまたは宗教センターを訪ねてみてください。
第76号 (4)
ニ ュー ス
チ ャペ ル ・
1997年 5月 22日発行F