持続的農業開発と住民組織の役割

持続的農業開発と住民組織の役割
―タイ東北部を事例に―
廣川 幸花
Hirokawa Sachika
<要旨>
Sustainable Agriculture and the Role of Community Groups
―A Case from Northeast Thailand―
This paper examines a case of sustainable agriculture development in Northeast
Thailand and aims to understand what kind of systems that cut costs and promot
e wide recognition are needed in order to change farming methods. In Thailand,
a sustainable agriculture policy was adopted after the concept of "sustainable
agriculture" in the 8th National Economic and Social Development Plan. The gove
rnment of Thailand adopted the philosophy of the "sufficiency economy" at the n
ational level after 1997, which was the year of the Asian financial crisis, and
promoted sustainable agriculture throughout its 9th and 10th plans. According
to the report by the NESDB, integrated agriculture is the most prevalent method
of farming among the different kinds of sustainable agriculture used by Thai f
armers. Integrated agriculture may contribute to the household food security an
d the balance of household income and expenditure. However, it is difficult for
small farmers to introduce a new method of farming if the cost of change is hi
gh. There are difficulties in the transition from one type of farming to anothe
r. This paper examines the reasons given by farmers who changed their farming m
ethods, and focuses on community groups as the main cost-cutter. In order to pr
omote a greater understanding of the strategies used by farmers' households and
communities, it is important to have a depth of knowledge about sustainable ag
riculture as it is practiced by various actors in villages.
keyword:複合農業(Integrated Agriculture)、住民組織(Community Groups)、
タイ東北部(Northeast Thailand)、持続的農業(Sustainable Agriculture)、小規
模農家(Small Farmers)

慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 政策・メディア専攻 後期博士課程3年
本研究の成果は、平成19年度から20年度に日本学術振興会による科学研究費補助金(特別
研究員奨励費、課題番号19・8389)と、平成21年度慶應義塾大学大学院博士課程学生研究
支援プログラムによる研究費補助金の助成を受けたものである。
200
1.はじめに
国連食糧農業機関(FAO)は2009年2月に開催された国際会議にて「増大する世界の
人口を養う食料を生産し、気候変動に対応するため、世界の農民は持続可能で生産
性の高い耕作システムに転換しなければならない」と述べた[FAO 2009]。東アジア
においても日本の環境保全型農業、韓国の環境農業、中国の緑色食品というように、
環境保全・食品の安全・食料供給安定の観点から、「持続的農業」は政策課題とし
て法整備が進んでいる。
とりわけ日本は、1995年から2004年の実績として政府開発援助(ODA)の農業・農
村開発分野においてDAC(Development Assistance Committee)諸国のODA全額の42%
を供与しており、農業・農村開発援助分野のトップドナーとしての国際的役割を担
ってきた[外務省 2007]。その中には「持続的農業開発戦略」(2005年、タイ対象)
を掲げたODAもあり、国内外において持続的農業への関心は年々高まっているとい
えよう。
本研究は、開発下の「貧困」地域の小規模農家を対象としたタイ東北部の事例か
ら、開発後進地域が経済発展において直面する経済格差の拡大や農業近代化に伴う
諸問題を理解し、その問題群を解決する一つの有効な手段として持続的農業開発、
特にタイにおいて持続的農業の一つとして位置づけられている複合農業(Integrate
d agriculture)に着目する。開発後進地域において「貧困」の最中に置かれた小規
模農家が、環境や食の安全に配慮するとされる「持続的農業」を導入している状況
は、市場が成熟していない地域において取引費用が高くなるために、一見すると経
済的合理性を欠いた行為のように思われる。しかし、後述のように、複合農業は小
規模農家が日々の生活の中で直面している実践的な課題――世帯単位の食料安全保
障や家計収支の改善――に応える手段として農民自身によって評価されている。タ
イ政府の開発評価では、持続的農業による環境保全や所得向上への貢献を強調する
が、導入する農家は依然として少数派にとどまっている。持続的農業に移行する際
の負荷を明らかにし、その負荷を低減させ、持続的農業の普及につながる制度的基
盤を明らかにする研究が急務であるといえよう。本研究は、持続的農業の導入を促
す制度的基盤として、農村内の住民組織が果たす役割を検討し、東・東南アジア域
内の農村開発援助の一考察につなげるものである。
201
2.問題の所在と研究背景
2.1 開発政策と農業の近代化
タイでは1957年の世界銀行の提言に基づいて1961年から第一次計画が始められて
以来、国家経済社会開発計画が5年ごとに策定されている。1970年代後半からは外
資導入と輸出志向型工業化によって飛躍的な経済成長を遂げた。増大した国民所得
は都市部にある工業セクターに傾斜的に配分され、農村部は労働力と食料の供給地
として位置づけられる。経済成長に伴い、市場経済は国家の周縁である地方の農村
部にまで浸透し、農業の近代化は資本財の調達や生産物利用の両面から農家経済が
市場への依存を高めることを意味していた。
農業の近代化は、農村の所得と購買力を上昇させ、生活様式の一新に貢献したが、
新たな問題を生み出した。1970年代以降のタイの農業経営の変化について北原は、
(1)水牛が減り、耕耘機が増えた、(2)非感光性(高収量)新品種が普及した、(3)肥
料・農薬・燃料の使用が格段に増えた、(4)灌漑網が発達し、二期作が増えた、(5)
農繁期の「ゆい」(交換労働)が減って賃雇労働者の作業が増えた、(6)果樹・野
菜・畜産等の近郊農業が首都圏周辺に増えた、(7)賃労働者が増えた、(8)道路が整
備された、(9)電気製品が多種はいるようになった、(10)村に商店が増え、品数も
豊富になった[北原 1985:118]と述べている。灌漑設備による水源への安定したア
クセスや、近代的投入財(化学肥料、農薬、農業機械)の購入といった諸条件を整え
ることのできる資本をもった農家には、生産性の向上により収益をもたらした。一
方、資本が十分になく、条件を整えられない農家にとっては、収穫高が増えず、世
界市場の作物価格の変動に対応できず、投資を回収できずに大きな債務を抱えるこ
とも少なくはない。
森林を切り拓くことによるタイの農地面積の外延的拡大は1970年代半ばには限界
に達したとされ[重富 1996:39]、新たな農地の取得は相続か購入となった。しかし
人口圧力が高まる中での均分相続制度の下、相続地は世代ごとに縮小し、農地を購
入できる農家は一部にとどまり、農地を失う農民が増加するという「農民層分解」
[田坂 1991:78-80]が進んだ。都市と農村の格差が広がり、1989年から1997年の間
に、農村から都市への移動労働者が急速に増えた[Pasuk 2002:122-123]と指摘され
ている。
202
「国民経済」という視点では経済成長には成功したが、社会的問題や環境問題が
持続可能な成長に懸念をもたらすことになったという認識のもと、タイ国家経済社
会開発の第8次計画(1997~2001年)では、開発戦略として「人間中心の開発」が強
調され、農業部門では「持続的農業」という概念が現れた。タイ政府の定義によれ
ば「持続的農業」とは、有機農業、複合農業、自然農業、アグロフォレストリー、
新理論農業1、という5つの農業を指し、「農業の仕事を続けたいと望む800万人も
の農家が、農村地域で永続的に農業を営むことを可能にするもの」[NESDB 1997:2
0]であるとされている。本稿ではタイ政府が進める「持続的農業」がどのように農
村に取り入れられていったのかを観察するために、「持続的農業」という用語を使
うときにはこのタイ国家経済社会開発委員会(National Economic and Social Deve
lopment Board: NESDB)の定義を用いることとする。第9次(2002~2006)、第10次(2
007~2011)計画では、国王の「足るを知る経済」哲学2がタイ発展の基本理念に据
えられ、引き続き持続的農業政策が推進されている。
2.2 タイ東北部と小規模農家
タイ東北部は面積・人口ともにタイ全国の1/3を占めている。タイ東北部では労
働人口の7割が農業従事者を占めており(2003年時点)[NSO 2003]、農業が重要な生
計手段となっている。農家は主に天水依存の水稲稲作、換金畑作物栽培に従事して
いる。土壌は、大部分が肥沃度の低い砂質土壌であり、ラテライトのやせた土地が
1
2
新理論農業(New Theory Farming)とは、1993年にタイ国王が提唱した農業理念であり、19
95年から王室開発プロジェクト委員会が理論に基づいた農業システムを普及させるプロジ
ェクトを行っている。水資源の乏しい東北部に適応できる工夫がなされており、限られた
土地の効率的配分、水資源の有効利用、多様な生産によるリスクヘッジが特徴である。基
本的には自給自足の達成が目的であり、余剰分については販売する。具体的には、稲作3
割、畑作3割、ため池3割、住居1割に土地を分割して利用することを提案している[NESDB
2004:14]。「足るを知る経済」に基づいて、新理論農業は3つの発展段階を想定しており、
第一段階で個人の自立の達成、第二段階でコミュニティレベルでの自立、第三段階では企
業など外部からの資本を導入し、さらに活動を拡大させ、国レベルでの自立を達成するこ
とができるとされている。
「足るを知る経済」哲学(The philosophy of Sufficiency Economy)とは、1997年12月に
タイ国王が提唱したもので、仏教の「中庸」思想に基づいている。1997年のアジア通貨危
機での経験を踏まえ、予期せぬ変化や行き過ぎに翻弄されない柔軟かつ賢明な発展を達成
することを目指す。「足るを知る(Sufficiency)」とは、節度(moderation)、合理性(reas
onableness)、自己免疫(self-immunity)の3つを主要な要素とし、コミュニティ・家族・
個人のあらゆるレベルにおける実践として「バランス」と「持続性」のある社会を目指す
ものである。[NESDB 2007:5-9]
203
多い。地下に岩塩層が広がっているため [岡 1997:4]、地下水は農業用にも飲み水
にも使えず、東北部での灌漑率は全国と比べて極端に低くなっている。降雨量も水
利もきわめて不安定である[福井
1988:38-41]。農薬や化学肥料を多用する近代農
業において水管理は必須だが、東北部ではその条件を満たせない地域もある。森林
伐採が進み、1961年の時点でタイ総面積に占める森林面積は53.3%だったが、1991
年には26.6%に減り、1991年時点のタイ東北部に占める森林面積は12.9%となってい
る[プラパン 1995:78-79]。森林の保水力が失われ た 結 果 、生態系の変化や土壌流
出を招くだけでなく、干ばつの発生頻度が増加するようになった。そのため収穫し
た米は、まず自給用に確保され、翌年の収穫が確実になるまでは販売されない。農
村内の農外就業機会は限られており、農閑期や不作の年は都市に出稼ぎをしにいく
。東北部は平常時においても、その環境的な資源の乏しさから出稼ぎする人が多く
、季節間労働者の国内移動率が全国で最も高い地域である。平均世帯所得(月額)か
ら見ると東北部は9,279バーツ、バンコクは28,239バーツで3倍の開きがあり(2002
年時点)[NSO 2002]、タイの中部・北部・東北部・南部の4つの地域の中では、東北
部は最も「貧困」地域と認識されている。
東北部において、1960年代になり化学肥料が導入されるまで金肥の購入はほとん
どなかった [重富 1996:43]。農業生産のうえで現金で購入すべきものは限られて
おり、労働交換によって労賃支出を抑えることが可能だった。しかし、1960年代以
降は化学肥料の普及、労賃の支払い、耕耘機の購入、衣服や生活用品の購入、教育
関連支出など現金支出は増加し続け、農家は借入金を増やしていかざるをえなかっ
た。化学肥料や農薬の多投による土壌劣位化や、キャッサバやサトウキビの連作に
よる地力低下を招いていることも指摘されている。
NESDB(1978年)による「協同組合の推進や灌漑の拡大、換金作物の普及は農業先
進地域でのみ適用可能であり、生産に重点をおいた開発計画では貧困の解決になら
ず、生産面を重視した開発プログラムでは、農業条件の良い地域の開発は可能でも、
最も貧困な地域での問題解決にはつながらない」という認識の下、1982年から1986
年の「貧困農村開発計画」では、タイ東北部の塩害改善、有機質による土質改善、
自家食用生産などが実施された[重富 2000:221-231]という。
開発下において農村人口の大多数を占めるのは小規模農家
3
3
である。所有農地が
「小規模農家」とは、タイ農地改革局が保有農地面積を基準に区分した“marginal farme
204
少なく、農閑期は保障のない日雇い労働に従事し、病災害や環境の変化など不確実
性に十分に対応するだけの資本がない。上述のようにタイ東北部は開発の弊害が顕
著な地域であり、わずかな農地で生計を立てている小規模農家にとって、森林伐採、
土壌浸食・塩害といった土地資源の劣位化は深刻な問題である。「貧困削減」のプ
ロジェクトにおいて、タイ東北部では主に土質改善や自家消費用作物の確保が推奨
され、政府、NGO、住民組織などを含めた多様なアクターによって「持続的農業」
が推進されている状況にある。
3.事例設定
3.1 調査概要
本研究の調査方法は、農村社会学などで実施されてきた「村落調査」であり、聞
き取り調査である。筆者は2004から2008年まで通算8回(各1ヶ月滞在)、タイ東北部
コンケン県の国立コンケン大学を拠点として、コンケン県の3つの農村で調査を実
施してきた。半構造型インタビューを用いた詳細な聞き取りを農家85世帯に行い、
必要に応じて同じ世帯の追跡調査や、村長、住民組織長、村役場、農業・農協銀行
にもインタビューを行っている。
本研究においてこの地域を分析対象として扱うのは次の3点からである。まず、
タイは1980年代から輸出指向型経済に移行し、農業近代化を導入してきた。その後
も「緑の革命」を積極的に推進していった東南アジア諸国に比べて、タイは1997年
から持続的農業を国家政策として推進していくことを開発計画の中で明記しており、
NGOや草の根レベルでの取り組みもある。次に、東北地域はタイ全国の中で最も経
済指標が低い地域であり、開発の弊害(森林伐採に伴う干ばつ・塩害、経済格差)が
顕著な地域である。そして、対象村は、いずれも東北部コンケン県にある100~200
世帯の平均的な中規模農村であり、持続的農業を取り入れている農家がいる点で共
通している。3村の違いとしては、コンケン市街地からの距離、市場へのアクセス、
住民組織の数やNGO活動の有無などが挙げられる。持続的農業を取り入れた農家の
割合も異なり、農法移行理由、負荷、制度との関連を観察する。
rs”(0.2~1.4ha)と“small farmers”(1.6~3ha)を本論では示すこととする。
205
3.2 調査対象の三村の特徴
対象地である3つの村は、コンケン県ムアン郡にあるBC村、ポン郡にあるNW村、
NP村である。
NP村は、コンケン市街地から国道2号線を南下し、南西に85kmほど離れたところ
に位置している。降雨量が不安定なポン郡の中でNP村は毎年水不足に悩まされる村
の一つである。村に灌漑設備はなく、乾季の干ばつ対策としてはため池を掘るのみ
だという。ポン郡の市場まで距離があるため、村内での夕方市や村人同士の作物交
換が定着している。村の半数の世帯が参加する強固な持続的農業の住民組織があり、
農業訓練や知識交換、有機肥料の集団買付などを行っている。
NW村は、コンケン市街地から75kmほど南下した国道沿いに位置する。降雨量が不
安定なポン郡に位置するため、水不足に陥りがちであり、2005年、2006年は干ばつ
に見舞われた。干ばつ対策としてはため池を掘り、村の共有池も利用している。多
数の住民組織が連携して活発に活動しており、他の県や村からも視察が来るほどで
ある。2つの国際NGOが組織を一部支援していて、政府の開発プロジェクトの対象村
でもある。コミュニティマーケットグループによる朝市が開かれており、村人は有
機農産物を売ることがルールになっている。村長と各組織の連携により、村ぐるみ
で持続的農業を取り入れようとしている。
BC村は、コンケン市街地から東へ15kmほどのところに位置している。にぎやかな
市街から近く、町の市場に近い。ナムポン川が村の中を流れ、村内に大きな池が複
数あり、水路も張り巡らされていることから、灌漑設備が整い、乾季にも水に困る
ことはなく、二期作が可能である。水資源が豊富だが、洪水が頻繁に起きている。
村長は「BC村は複合農業の村」というスローガンを掲げているが、複合農業を取り
入れている農家は一部にとどまっている。
4.農法移行の難しさ
タイ国内ではどのような農法が「持続的農業」として導入されているのだろうか。
2004年に発刊されたタイ国家経済社会開発委員会(NESDB)の評価報告書4[NESDB 200
4
同報告書では「有機農業はあまり実践されてないため、まだ調査の段階である」[NESDB 2
004:15] と書かれているため、有機農業に関しては[Ellis et al 2006:17-18]の研究で算
206
4:15]によるタイ国内の持続的農業が占める国土の内訳を見てみると、複合農業が5
28,000 ha、アグロフォレストリーが51,200 ha、新理論農業が35,200 ha、有機農
業が8,604 haとなっており、全国的にも圧倒的に多く複合農業が実施されているこ
とがわかる。複合農業とは「農地内に2つ以上の生産活動の組み合わせを行い、循
環的で環境に悪影響を及ぼさない農業」[NESDB 2004:14]と、同報告書において定
義されている。タイの複合農業の特徴は、減農薬・減化学肥料栽培と多品種少量生
産といえる。溜め池の魚、家畜、多品種の作物を組み合わせるために年中栽培が可
能となり、東北部では準自給自足型の農業経営として農家に取り入れられている。
なぜ持続的農業に占める「有機農業」の割合が極端に低いのか。タイで「有機農
産物」として作物を売るには、有機農業の認証を受けなくてはいけない。有機農産
物の民間の認証機関としては、1995年に“Alternative Agriculture Certificatio
n Thailand(ACT)”が設立され、1998年に “Organic Agriculture Certification
Thailand”に改称され、2001年に国際有機農業連盟(IFOAM: International Federa
tion of Organic Agriculture Movements)によって認定を受けている[大内2007:15
6 ] 。 肥料や土壌改良剤や害虫対策にはACTが規定したリスト以外のものを使用して
はならないと厳格な規格が設けられ、一定の移行期間が定められている。また、加
工と処理の段階においてACTの検査を受け、認証を受けなければならない。2002年
に は 、農業 ・ 農協省 に よ っ て 農産物 ・ 食品規格基準局(ACFS: Agriculture and
Food Commodity Standards)が設立され、2004年以降は政府機関として、農産品・
食品の品質基準について監督するととみに基準を満たすものについての認可を行っ
ている [Ellis et al 2006:14-16]。つまり、有機農業の認証を得るには、認証機
関にアクセスし、手続きをこなすための一般的な文書作成能力が必要となる。筆者
が対象としている東北部の小規模農家は、50代以上になると最終学歴が小学校卒業
も少なくはなく、文書作成能力は乏しい。また、作物に病気や害虫が発生しても
ACTの規定のリスト以外の物は使えないので、有機農業についての適切な技術や知
識を持っていることが前提となる。生産量が多少変動しても対応できる程度の農地
規模も必要であろう。東北部の小規模農家は、農村の「低所得者層」に位置づけら
れ 、金銭的な余裕はない。したがって生計のために失敗が許されない村人たちは農
法を一度に変えるのではなく、実験的に農地の一部に新しい農法を取り入れ、様子
出されている2004年時点の数値を載せている。
207
を見ながら徐々にその面積を増やしていくという方法を取る傾向がある。認証が必
要な有機農業よりは、認証を必要とせずに徐々に農薬や化学肥料を減らして作物の
種類を増やしていく複合農業の方が比較的取り入れやすいといえる。ただ、複合農
業は多様な作物を扱い、家畜や魚の育て方の知識を得ることも必要となるため、一
定の農業知識や経験が必要となる。
NESDBが200 4年に発刊した持続的農業の評価報告書によれば、持続的農業に移行
する際の農家にとっての障害として、次の3点が挙げられている。①土地所有権や
初期投資に関する問題、水資源の欠如、労働力の欠如という「物質的要因」、②池
掘り・古い土の除去作業への投資費用の欠如、貧困や借金という「経済的要因」、
③移行する動機がない、持続的農業に関する知識や訓練を得る機会が無い、支援を
受けられないという「社会的要因」である[NESDB 2004:16]。国家政策として第8次
計画に「タイの農地面積の20%を持続的農業にすること」を目標に掲げたにもかか
わら ず 、 第8次計画終了時には3%しか達成できなかった。そこには上記に挙げた移
行の難しさが一因となっている。
5.移行理由の分析
5.1 移行理由
調査対象地では、慣行農業から持続的農業に移行する農家が観察された。インタ
ビュー対象者の中には公的機関から有機農業の認証を受けている農家はなく、非認
証の有機農業や複合農業などに移行した農家であり、共通点は「減農薬・減化学肥
料栽培」である。「貧困」と呼ばれる地域で持続的農業に移行する農家の動機とは
どのようなものだろうか。彼らの移行理由とそれを取り巻く資源を中心に分析を行
っていく。
インタビューで移行理由についての自由回答(複数理由可)を聞き取った後、筆者
によって「家計」に関する理由づけ、「住民組織(グループ)」に関する理由づけ、
「自然環境」に関する理由づけ、「健康」に関する理由づけ、「その他」という5
つのカテゴリーに分けたところ、次のような結果となった。
まず、干ばつと塩害が深刻な地域で、村の半数が参加する持続的農業の住民組織
があるNP村での上位3位の理由づけは、①自然環境、②グループ参加、③家計とい
208
う順であった。次に、2つの国際NGOと多数の住民組織があり、村ぐるみで持続的農
業を取り入れているNW村では、①家計、②グループ参加、③健康という順である。
そして、大学プロジェクトが入り、村長が持続的農業を村のスローガンに盛り込ん
だBC村では、①家計、②健康、③グループ参加という順である。本稿では、3つの
村で共通に聞かれた「家計」と「グループ」に関する理由に着目する。
5.2 世帯消費の安定と世帯単位の食料安全保障に寄与する複合農業
理由に「家計」を挙げた農家で最も多かった意見は「化学肥料や農薬は高いから
できれば減らしたい」というものである。近年の原油価格高騰により、化学肥料の
市場価格も影響を受けている。対象村では2004年時点では1袋(50㎏)当たり500~6
00バーツ程度で購入できた化学肥料の価格が、2008年8月時点では同じ製品が1,300
バーツ程度にまで跳ね上がった。それに対して有機肥料は、2008年時点では1袋(50
kg)当たり100~400バーツ程度と安価に購入でき、また残り物の野菜や果物と砂糖
水を発酵させて作る有機肥料は無料で作れる。このように化学肥料等の外部投入物
を減らすことが世帯の支出を減らすことにもなり、持続的農業を推進しようと村に
訪れる役人は「有機肥料を使うと家計の節約にもなる」と村人に勧めている。化学
肥料の市場価格の高騰は、有機肥料の使用を促す追い風になっているといえる。
また、「家計」に関する理由として、「村の朝市で売るものは農薬を使わないと
いうルールがあるから」という市場を意識した意見がNW村では聞かれた。NW村では
村ぐるみで持続的農業を推進しようとしているため、朝市で売るものは農薬を使っ
てはいけない。農地で農薬や化学肥料を使うと最も身近な市場である村の朝市で売
る機会を逃すことになるため、使用を控えているという。
研究対象地で作られた非認証の有機農産物は、村の朝市でも、コンケン県ポン郡
の郡庁舎前広場の有機農産物市場でも、普通の作物より10%から20%ほど安く売ら
れていた。村人たちが言うには、仲買人を通さずに直販することと、化学肥料や農
薬を使わずに生産費用を抑えて作れるから安く売れるという。安いから作物はよく
売れて郡庁舎前の有機農産物市場
5
は人気だと言っていた。先進国もしくは首都の
バンコクなど認証システムが機能している場所では有機農産物はブランドとして付
5
タイ東北部コンケン県ポン郡の郡庁舎前広場に2002年11月から有機農産物市場が設けられ
ている。この市場で売られる作物には、農薬や化学肥料の使用有無を判別する検査がされ
る。
209
加価値をつけた価格で売れるが、地方では認証システムを通っておらず、直販であ
ることからむしろ安く売られていることがある。
タイ東北部の農家には複合農業の一つとして「1ライ・プロジェクト」が取り入
れられている。そのモデルは、幅64mと奥行き25mの1600㎡(1ライ)の土地に、幅40m、
奥行き10m、深さ3mのため池を掘るというものである。池に雨を貯め、養魚、野菜、
果実の栽培と水田への補給用水を確保し、家畜とその排泄物を土壌還元させるもの
で、小規模な農地で天水に頼った農家の自立を可能にするという。
また、複合農業を取り入れている農家の作物は多様である。例えばNP村のNさん
(インフォーマント番号080812NP-2)は、2ヘクタールの農地に、白米、もち米の他
に、しかく豆、ヘチマ、にがうり, へびうり, トマト, ナス, ギンネム, ソリザヤ
ノキ, エンダイブ, タイサイ, ハクサイ, カミボウキ, タガヤサン, ミズオジギソ
ウ, 野菜からすうり, ようさい, コリアンダー, コブミカン, しょうが, 唐辛子,
ナンキョウ, めぼうき, レモンソウ, ココナッツ, グアバ, シュガーアップル, パ
パイヤ, ジャックフルーツ, マンゴー, タマリンドといった野菜や薬草や果樹を栽
培している 6 。多品種少量生産として、まず自家消費分を確保し、余剰分を売る。
多様で安全な作物は、世帯単位 の 食料安全保障(household food security)に寄与
している。
村人にとって、換金作物の生産性を高めることは生活を成り立たせる一つの手段
に過ぎず、家族を養うためには、多様な作物栽培による食糧確保や、森・庭の手元
の資源を用いるなど、世帯事情に応じたバランスこそが重要となる。複合農業の導
入は多様な自家消費用作物の確保によって世帯単位の食料安全保障を向上させ、近
代的投入物の費用を抑えることにより、世帯消費の安定に寄与しているといえる。
5.3 農法移行にかかる負荷と組織
次に、移行理由の「グループ」に着目する。これは村の住民組織に参加すること
や参加していなくても活動に関わったことをきっかけとして農法を移行した農家の
ことである。
世帯単位の食料安全保障を高め、世帯の支出を抑えたとしても、移行費用が高く
ては実現不可能である。結論を先取りすれば、住民組織にはその費用を削減する機
6
タイの作物名の日本語表記は、福井の「ドンデーン村の有用植物」[福井 1988:473-479]
の作物名を参考にしている。
210
能がある。NESDBが指摘した農法移行の障害については先述しているが、農法の移
行の際には必ず取引費用と機会費用が発生する。例えば、①持続的農業に関する知
識・技術をどこで得られるのか、有利な市場はどこにあるのかという情報の問題、
②それに関わる農家の不安や家族の不理解、③溜め池掘り、新しい技術・設備とい
った導入費用、④移行期間に関わる機会費用、などが調査を通じて明らかになった。
持続的農業を普及させるには、農家にかかる手間や取引費用、流通経路の確保等の
負荷をどのように軽減するかが重要となり、この点に組織形成が関わってくる。 次
節では「組織」の定義をして、特に組織活動が活発なNW村の村落資源フロー図を示
しながら事例分析を行う。
5.4 組織の定義
「組織」の定義について、重富は「自己が保有していない資源(経済主体によっ
て保有されている財やサービス)にアクセスする一つの方法」として理解し、「資
源交換の目的が継続的取引行為を通じて実現されるもの」[重富 1996:9-10]である
という。したがって、住民の自己組織化の歩みを、資源へアクセスするための対応
としてとらえたとき、それが発現する条件は他の方法である採取・占取や市場、政
策などとの比較で考える必要があり、これらの取引制度が効率的なところでの住民
組織化は成功しない[重富
1996:309-315]。つまり、タイ農村において開発のため
の住民組織は、資源の賦存状況、市場条件、政策的環境、コミュニティの構造など
の外部の客観的条件に規定されて形成される。これに住民の自己組織能力の形成を
ともなって組織ができる[重富 1996:283]という。本稿ではタイ農村における持続
的農業開発と組織の役割を検討するにあたって、資源、市場、政策、コミュニティ
といった要素を軽視することはできず、分析の説明において上記の定義を採用する。
5.5 村落資源フロー図と組織の役割
負荷の軽減にあたって、「グループ」が一定の役割を果たしていることを、村落
資源フロー図を用いて示したい。図1、図2はNW村の世帯を取り巻く資源フロー図を
1997年時点と2008年時点で比較したものである。
世帯を中心として、世帯内の範囲、村内の範囲、村外の範囲を境界線で示してい
る。太文字は、持続的農業に関連する組織や資源を示したものである。本論の村落
資源フロー図は、RRA (Rapid Rural Appraisal)のツールとして用いられる資源フ
211
ロー図 [菅野 2008:93]を基に、3つの領域(世帯内、村内、村外)に分けて応用した
ものである。
最終調査を行った2008年との比較として1997年に筆者が着目したのは次の2点か
らである。まず、1997年は第8次経済社会開発計画(1997~2001年)において持続的
農業が政策に位置づけられた年である。次に、1997年はアジア通貨危機があり、都
市の失業者が農村に吸収され、農村部がセーフティネットとしての役割を担ったと
いう経緯がある。国王は「足るを知る経済」を提唱し、経済危機を踏まえて国民に
「身の丈にあった生活」(自分自身の経済状態に合った生活、あるいは、国の経済
情勢に合った生活)を示唆した。この1997 年アジア通貨危機以降の雇用の吸収とい
う観点から、農業共同組合省は経済政策および対策を設定(1998年閣議決定) [厚生
労働省 1998]し、農村開発を促進している。ゆえに、資源フロー図としてはタイで
持続的農業を推進し始める1997年と比較することとした。
図1
1997年時点のNW村の世帯を取り巻く村落資源フロー図
出所:現地調査を基に筆者作成
212
図2
2008年時点のNW村の世帯を取り巻く村落資源フロー図
出所:現地調査を基に筆者作成
図1と図2を比較すると、NW村に関わる持続的農業の組織や資源のほとんどが1997
年以降にできたものであることがわかる。また、グループ同士の連携や、世帯との
関わりを視覚的に把握することができる。NW村には20近くのグループがあるが、そ
の中には活動を停止しているものもあり、2008年時点で主に活動しているグループ
は図2の通りである。
5.6 村の組織と持続的農業の推進
毎週土曜に開催されるNW村の朝市は、外部プロジェクトとは関係なく村人による
コミュニティマーケットグループにより1999年9月から始まった。ポンの町から
10km以上離れていることや日用品の購入という点から外部からの業者も受け入れて
いるが、村人が売るのは有機農産物という規定がある。2002年11月にポン郡の郡庁
舎前広場に地元の有機農産物市場ができた時点から、NW村がオルタナティブ農業ネ
ットワークに加わり、日本のNGOであるJVC(日本国際ボランティアセンター)と関わ
るようになった[日本国際ボランティアセンター 2001]。JVCは有機肥料の作り方を
村人に教え、そこで学んだ知識をもとに村人が2003年に有機肥料グループを設立し
た。有機肥料グループは家畜グループと連携して肥料を作っており、有機農産物を
213
推進するコミュニティマーケットグループや無農薬野菜グル―プとも協力し合って
いる。2000年にNW村に入ってきたキリスト教系の国際NGOワールドビジョンのスパ
ニミットは、有機肥料づくりに使う機械を有機肥料グループに寄付し、グループが
作った有機肥料を大量に買い取ることで支援をしており、2005年には1000袋の注文
をしている。並行して、2004年から2005年にかけて村の種子グループが村長の許可
を得て有機肥料使用を促すキャンペーンを行った。これは1人1ライ
7
の農地に有機
肥料を使用することを進めるもので、キャンペーンに参加しない場合は村で米を買
い上げてもらえなくなるという。有機肥料を使用しない農家から反対を受けながら
も実施された。
政府組織も様々な形で持続的農業を推進しようと村に関わっている。農業局のポ
ン郡の役人は1999年から毎月NW村に来て有機農業に関する知識の提供を行っている。
農業・農協銀行(BAAC: Bank for Agriculture and Agricultural Cooperatives)は
顧客に対して有機農業の知識を提供したり相談に乗ったりする。また、国際協力銀
行(JBIC: Japan Bank for International Cooperation)の円借款事業「タイ農地改
革地区総合農業開発事業」として、タイ農業共同組合省農地改革局(ALRO: Agricul
tural Land Reform Office)が実施機関となり、1998年から農道整備やため池建設
による複合農業推進、農民参加型による組織やネットワーク開発、有機肥料による
土壌改良と森林保全が進められており、NW村はその対象村として村内に30ものため
池建設が行われ、その後もALROの役人が定期的に村を訪れて複合農業の推進のため
に農業知識や訓練機会の提供を行っている。
なぜ、NW村にこれだけ多くの組織が形成されたのだろうか。重富によれば、資源
への他のアクセス方法(採取・占取)や政策・市場での取引制度が効率的なところで
は住民組織化にはならない。NW村の事例では、新しい農法の知識や技術を習得する
ために、外部組織から教えてもらった後、農家同士で経験・知恵の交換や訓練機会
を持つ必要があった。個人で対処することや、市場からサービスを購入するよりも
、村内に組織を作った方が農家にとって効率的だったといえる。言い換えれば、取
引費用を抑え必要な資源や情報にアクセスするために組織化が進められた。だが、
周辺の他の村落も同様の条件を備えており、その議論ではこれだけの組織が集中す
る理由を説明できない。調査から観察されたNW村の事例の特徴として、外部組織の
7
ライはタイの土地の単位であり、1ライは0.16haである。
214
積極的な関与があり、それに村長や農業知識に長けた村人たちが協力したからであ
ると考える。
住民組織の数の多さはNW村特有のものだが、重要なことは数よりも持続的農業に
関わる組織が村内に存在するか否かである。ではNP村、BC村の住民組織はどのよう
なものであったか。NW村の持続的農業に関わる組織(図2の有機肥料グループ、無農
薬野菜グループ、コミュニティマーケットグループ、家畜グループ)は、村外の組
織である2つのNGO、政府のプロジェクト、地元大学のプロジェクトといった複数の
アクターの影響を強く受けて形成されていった。それに対して、BC村は政府と大学
プロジェクトによる組織化、NP村では住民主体による組織化がなされていった。BC
村では農協の支援により1998年に持続的農業グループが設立され、地元大学の村落
開発研修を受けた村人がリーダーを引き受け、96人のメンバーで活動をしている(2
008年時点でBC村の世帯は215戸、人口は808人である)。一方、NP村の半数の世帯が
属する持続的農業グループは、1997年の国王のスピーチをきっかけとして村の数名
の篤農家たちから始まった。持続的農業に関わる農業訓練や知識の交換を行い、小
規模農家でも取り入れやすい先述の「1ライ・プロジェクト」を推進し、複合農業
に欠かせない溜め池を掘る費用をグループから農家に融資した。成功した農家を見
て他の農家も興味を持ち、グループに参加する世帯数が増えていったという。NP村
では持続的農業に関連する組織は一つだが、住民主体で強い結束力をもとに活動し
ており、現在では村の半数の世帯が参加している。
上述のように、国家政策に伴い、多様なアクターによって持続的農業に関する働
きかけがあり、村内の持続的農業に関わる組織は増えた。最初は配当金や融資目当
てにグループに入った村人が、グループでの勉強会や意見交換に参加する中で持続
的農業を学び、実際に自らの田畑の一部に取り入れてみるといったケースがある。
具体的に「グループ」に関わる理由としては、「グループから有機肥料をすすめら
れたから」、「グループで他の人の経験を聞いて自分もやってみた」、「グループ
で学んで農薬の弊害を知ったから」といった意見が出た。このようにグループの農
民同士で経験や知識を交換する中で、持続的農業について知る機会を得ることがで
きる。他にBC村・NP村を含めた調査を通じて明らかになった住民組織の役割として
は、①グループで有機肥料をつくって販売する、②結束による政府予算の確保、仲
介人との交渉の機会、③有機作物に有利な市場を探す費用の削減、④流通経路の確
保が観察された。
215
これらの費用について、組織全体で負担する場合と家計のみで負担する場合とで
は、世帯にかかる時間的・経済的負担が大きく異なる。有機肥料作りを例にすれば、
個人の場合は材料の入手、適切な作り方の知識と技術、発酵までの時間と手間、余
剰分の活用方法まで考えなくてはいけないが、グループで行えば、集団の中で分業
することができる。住民組織の「費用削減機能」が事例から観察された。
また、外部組織であるNGOや大学プロジェクトが村内の組織に関わってキャンペ
ーンを行うことで、持続的農業への関心や知識を広めることができる。農法移行に
は、しばしば家族の同意が必要となり、村落共同体内の人間関係も無視できない。
ゆえに村落共同体としてどのような農業を奨励しているのかということは農法選択
に影響する。持続的農業に関連する住民組織が村に無い場合や村落共同体の合意が
得られない場合、農法移行の実現性は薄れてしまうことになる。
6.結論
先進諸国のように市場が成熟した社会では、認証システムの下に有機農産物はブ
ランドとされ、付加価値がついて価格が差別化され、生産者にとって生産意欲を生
む仕組みがある。しかし、タイを含めた東南アジア諸国では一部の大都市を除いて
まだ有機農産物の価値が価格そのものに十分に反映されていない地域がある。した
がって、タイ東北部の小規模農家の場合、有機農産物の販売価格によって生産者の
所得が向上するという目的よりは、地域的文脈の中で世帯単位の食料安全保障を向
上させ、世帯消費を安定させるための目的の方が強い。
本稿の限界としては、タイ東北部の農家が有機肥料を選ぶ際に安価な値段を理由
の一つにしていることについて、当然ながら化学肥料と有機肥料の価格差が開いて
いることが前提となる。原油安となって化学肥料の価格が下がった場合、使用率は
変わってくるかもしれない。また、本稿は小規模農家に焦点を当てており、中規模、
大規模農家にとっては資本の違いにより選択肢も変わる。
今後、政策として環境保全型の農法を普及していくためには、農法移行の際に生
じる農家の負荷を減らす必要がある。農家にとって環境保全型の農法が選択肢の一
つとなりえるか否かは、村落資源フロー図で示したように、その世帯を取り巻く環
境に左右される。そもそも情報がなければ選択肢として認識することはできず、取
216
引費用を削減できなければ導入はできない。そのためには「費用削減機能」を持っ
た住民組織の存在が欠かせないことは分析で述べたとおりである。住民組織の他に、
政府や村長によるキャンペーンや地元大学のプロジェクト活動など、農家の家族や
近所といった「周囲の理解」を得られる環境づくりも有効である。村内・村外の多
様なアクター(住民組織、NGO、研究者、地元の大学、近辺の農村組織ネットワーク、
地方政府、メディア等)の組み合わせによる協調がなされ、集落内・集落間の情報
を共有する制度的基盤が整備されていくことが重要である。
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廣川幸花(Hirokawa Sachika)
:慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 政策・メディア専攻 後期博士課程3年
住所:神奈川県藤沢市遠藤5322 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス デルタS203研究室
E-mail:[email protected]
論文投稿日:2009年 10 月 9日 / 審査開始日:2009年 10月 20日
審査完了日:2009年 11月 20日 / 掲載決定日:2009年 12月 4日
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