眠りについて/夢について

SHR No.81
眠りについて/夢について
保健管理センター 准教授 久保田 泰考
明日はサークルの旅行で6時出発だから早く寝よう、
というと
下の脳幹部には、網様体という神経細胞の集まりがあり、一定
きに限って眠れない、
というような経験をしたことはありません
の電気的なパルスを大脳皮質に送り、意識をクリアに保ってい
か?もしかしたら、スイッチを切るようにぱたんと眠れたら便利
ると考えられます。
この場所が脳梗塞などで損傷を受けると、深
なのに、
と思ったことがある方もあるかもしれませんね。
でも、想
い睡眠のような昏睡状態(覚醒障害を伴う中核意識障害)に
像してみて下さい:もし、あなたが自分で自分の電源をOffにで
陥ってしまいます―まさに目覚めのためのスイッチの下流が断
きる便利な(?)サイボーグだったら、ベッドに入っておやすみな
線してしまった状態です。
さい、
とスイッチを切ったら最後、自分では永遠に電源を入れら
れませんよ!
睡眠と覚醒のリズムをもう少し詳しく見てみましょう。眠りの
入り口、まさに意識がうとうとして途切れる瞬間、脳波(神経細
すぐ思い通りの時間に寝付けないのは不便なようで、私たち
胞の電気的な活動を反映します)は、
さざ波のような低振幅に
の睡眠をコントロールする体の仕組みは、長い進化の歴史を経
なり、全身の筋肉はダラリと弛緩します。
この時の前頭葉の血流
ているだけあってなかなかよく出来ていて、私たちはたぶん6−
変化を連続的に測ったデータを見てみましょう。
ちょうど寝入り
8時間も眠ればひとりでに目覚めることができます(一限の授業
ばなと一致して、脳血流も潮を引くように低下していきます。
さ
は寝過ごすかもしれませんが)。当たり前なようで、
これは実は
らに睡眠が深くなっていくと、それに応じて脳波のパターンも変
すごいことです―目覚まし時計のように前夜に起床時刻をセッ
化してだんだんとスローで大きな振幅の波が現れます(という
トする必要はありません。視床下部には睡眠と覚醒を切り替え
か、専門的には脳波・筋電図などの電気生理学的データから睡
るスイッチのような機能をつかさどる部位があり、おかげで自
眠の「深度」を定義しているのです)。睡眠の深度に応じて、前頭
動的にスイッチが入れられるわけです。
この視床下部より少し
葉の血流もほぼ段階的に低下していきます。
図:前頭前野皮質の酸素化ヘモグロビン濃度変化.
お示ししているのは研究のため健康な大学生のデータで、寝
でしょう?―目が覚めたのかも、いえいえ、被験者は目を閉じて
る前の覚醒状態から約90分間の昼寝中の脳血流変化を継時
寝息を立てており、筋電図で確認すれば身体も脱力し切ってい
的に計測したものです(図. Kubota et al., 2011)。縦軸は大脳
ます。実はこれはREM睡眠とよばれる状態で、
よく観察すると閉
皮質のヘモグロビン濃度で、脳血流の増加の指標として使われ
じられた瞼の下で眼球がクルクルと動いていることがわかりま
ます。
さて、計測開始から小一時間ばかりしたところで、再び前
す(一方、30分ごろに一回と、40分ごろに二回*マークで示さ
頭前野外側部の血流が上昇しています。
これは何を表している
れる血流増加は、
ごく短時間の覚醒を反映しており、REM睡眠
(2)
SHR No.81
とは区別されます)。急速眼球運動rapid eye movement―REM
ることを止め、自らの内なる声―神経回路の結合性のパターン
睡眠の名前の由来ともなっている現象ですが、意外なことにこ
に耳を傾けるようです。Tononiらのシナプス性ホメオスタシス
れが発見されたのは1950年代になってからのことでした。
どう
仮説(The synaptic homeostasis hypothesis: SHY)によれば、
して目玉が動くのかはいまだによくわかっていないのですが、
脳は一定の時間、外界からの刺激入力から切り離され、シナプ
私たちの研究データからは、眼球運動に一致して、前頭前野背
スの結合性を正常化し、神経細胞のホメオスタシスを回復する
外側の血流が増えていることが確認されます。REM睡眠以外
もしかすると
必要があるとされます(Tononi & Cirelli, 2014)。
の、ゆっくりした脳 波 活 動に特 徴づ けられる徐 波 睡 眠 s l o w
脳は眠っている間に、神経回路の活動の統計的規則性につい
wave sleep(SWS)
では、
この場所での血流は増加しないことか
てのサンプリングを行っており、
この統計的な情報に即して、不
ら考えると、
これはREM睡眠に特徴的な精神活動、つまり夢を
要な事柄を忘れ、重要な事柄を記憶しなおしているのかもしれ
見ることと関係しているかもしれません。
ません。脳がオフラインで示す電気的な活動パターンには、
こ
れまでの人生はもちろん、進化の過程で獲得してきたすべての
夢は睡眠へと移行した思考活動であるといわれます。6−70
記憶が、統計的な規則性という形で、反映されているのでしょ
年代に睡眠をコントロールする脳幹部の働きが強調されたころ
う。夢がそうした活動を反映しているとすれば、その内容に古代
には、夢は脳幹部からの電気的な信号が大脳皮質を刺激して
の神々や人類の起源にまつわる神話が反復されていても不思
生み出されるランダムな活動の反映であり、それ自体に意味は
議ではないといえるかもしれません。
ないのだという説が主張されました。時はアメリカでフロイトの
精神分析理論が退潮し、生物学的な精神医学が興隆した時期
最後に、REM睡眠とは別の深い眠り
(徐波睡眠 slow wave sleep:
でもあり、
フロイト的な夢解釈が激しく排斥された時代でもあっ
SWS)が、認知症の予防に役立つかもしれないという最新の研
たのです。今日の神経学的知見によれば、むしろ夢見には前頭
究を紹介しておきましょう。
カルフォルニア大のManderらは、健
前野腹内側の活動が不可欠であることを明らかにしており、や
康な被験者を対象とした研究で、前頭前野内側におけるベータ
はり夢は何らかの高次の―おそらく意味がある精神活動を反
アミロイドという物質(アルツハイマー病の原因とされます)
映していそうです。
の 沈 着 が、S W S の 減 少と関 連していることを見 出しました
(Mander et al., 2015)。一般にアルツハイマー病では睡眠が
とはいえ、
どうして私たち
(哺乳類、そして鳥類も)は眠るので
障害されることがよく知られていますが、前頭前野の特定部位
しょう?何時間も体を動かせなくなってしまうわけですから、捕
の病変が睡眠の障害を引き起こしているようです。
さらに、彼ら
食者に襲われたらひとたまりもありません。睡眠は進化の上で
はSWSの減少が寝る前に学習した記憶課題の成績低下と関連
の最大の失敗だという研究者もあるくらいです。
もっとも、大学
していることを確認しました。そしてさらに興味深いことに、
生の皆さんに切実な話としては、睡眠はやはり試験対策には重
ベータアミロイドの沈着はSWSの減少を通じて、記憶課題の成
要で、脳の働きを高めるために不可欠であることは間違いなさ
績低下に影響を及ぼしているらしいことがデータ解析から明ら
そうです。
レム睡眠の後では記憶や様々な認知検査の成績が
かになってきました。つまり、前頭前野内側におけるベータアミ
向上することが、最近の研究でも繰り返し報告されています。
ロイドの増加は、睡眠の障害を通じて、記憶の障害を引き起こ
しているらしいということです。
とすれば、睡眠の改善は認知症
さてそれでは、眠っている間に苦も無く勉強できるという睡眠
の症状の改善のためにも重要なカギを握っているということに
学習みたいな方法はないものでしょうか(筆者の子供時代には
なります。
少年ジャンプの通販広告に「睡眠学習機」なるものが出ていま
した!)。実は最近も多くの研究者が睡眠中の学習の可能性を
Kubota, Y., Takasu, N. N., Horita, S., Kondo, M., Shimizu, M., Okada, T., … Toichi, M.
(2011). Dorsolateral prefrontal cortical oxygenation during REM sleep in
検討しています。残念ながら結果は否定的で、そのような夢の
humans. Brain Research, 1389, 83‒92.
テクノロジーは実用化されていませんが、
まじめな話、眠ってい
http://doi.org/10.1016/j.brainres.2011.02.061
る間に見た奇妙な夢を覚えていないのはむしろ幸せなこととい
Mander, B. A., Marks, S. M., Vogel, J. W., Rao, V., Lu, B., Saletin, J. M., … Walker, M.
うべきでしょう。
さもなくば、せっかく前夜勉強したヨーロッパ近
P. (2015). β-amyloid disrupts human NREM slow waves and related
代史の一エピソードが、夢で見たファンタジーに置き換わって
hippocampus-dependent memory consolidation. Nature Neuroscience, 18(7),
1051‒7. http://doi.org/10.1038/nn.4035
しまわないとも限りません。
Tononi, G., & Cirelli, C. (2014). Sleep and the price of plasticity: from synaptic and
cellular homeostasis to memory consolidation and integration. Neuron, 81(1),
実際、脳は眠っている間はオンラインで外部の情報を学習す
12‒34. http://doi.org/10.1016/j.neuron.2013.12.025
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