シンガポールの『ドン・キホーテ』 シンガポール・ダンス・シアターが

ハーヴェイ版『ドン・キホーテ』
でのローザ・パク Photo: Emma Kauldhar
シンガポールの
『ドン・キホーテ』
シンガポール・ダンス・シアター
が、シンシア・ハーヴェイの新版
を世界初演。デボラ・ワイスがお
伝えします。
またひとつ、新たな『ドン・キホーテ』が生まれた。世界的
に人気であるゆえに、振付家にとってはハードルの高いこ
の作品。今回のハーヴェイによる新版は、長期的にも成功
を約束する、正攻法の演出だ。ヤネック・シェルゲンが芸
術監督を務めるシンガポール・ダンス・シアターのための
このプロダクションで、彼女は活気あふれる群衆シーンや
パ・ド・ドゥの数々を創りだしただけでなく、ダンサーに綿密
な指導を行い、彼らが実力を100%の出しきったといえる
仕上がりに持っていった。ブルース・マッキンヴェンによる
衣装装置も、場面ごとの雰囲気や親密さを描き出しながら
煩雑にならず、リッチで温かい配色設計なのに少女趣味
や過剰に陥ることのない、すばらしいものだった。
第一幕の街の広場では、カンパニーの全員が登場して
高度な振付をたっぷりと見せ、群舞もソリストもほとんどじっ
としている暇がない。だれもが自信たっぷりと、密度の濃い
対話を身体の動きで交わしていて、筋の運びに曖昧さが
まったくない。初日のキトリとバジルを務めたのは、ローザ・
パクとチェン・ペン。甲乙つけがたい生気と魅力の持ち主
だが、やはりここは、キトリの幕だ。跳躍を含んだソロまたソ
ロでバレリーナはスタミナを試されるが、パクは恐るべきテ
クニックと、それに見合う温かさを示した。フットワークには
一点の曇りもなく、鉄火肌だが心やさしい娘の造形が目に
楽しい。ペンもまたカリスマ性と確実なテクニックの持ち主
で、そのパートナーシップの前には、ガマーシュさえもが
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DANCE EUROPE
January 2015
引き立て役だ。この手のなよっとした役は、ともすれば演
技過剰になりがちなもの。だがエチエンヌ・フェレールは
間抜けというより端正で、気取っているが馬鹿らしさの皆
無な、計算された効果的な演技だった。闘牛士たちの入
場にも興奮を誘われた。ティモシー・コールマンのエスパ
ーダは登場の瞬間からスターであり、自分の魅力を自覚
している男の優位をかたときも崩さない。闘牛士たちの踊
りはペースが緩むところもなく技術的にも高度な振付を弾
けるように踊った。さらに、群舞の音取りが正確で、ミンク
スの曲のめりはりをよく再現していたのは、この幕で最も
満足させられた点のひとつだ。
二幕は、キトリとバジルの叙情的なパ・ド・ドゥで始まる。
恋人たちが真の意味で相手を慈しみあう場面は、ここがは
じめてだ。お遊びを交えた恋は、もはや過ぎたこと。心震
えるロマンスが、説得力をもって描かれる。そこへ割って入
る、ツァオ・ジュン演じるジプシーの首領と手下たちの踊り
は、実にエキサイティングな振付だ。ジュンは力の漲る跳
躍と強烈な存在感で、客席の温度をぐっと高めた。次いで
キホーテとサンチョ・パンサがジプシーの野営地に登場す
ると、魅力的な展開が待っている。恋人たちはテントの裏
に隠れるが、キホーテは理想のドゥルシネア姫の身に危険
が及んでいると思い込み、そのテントに突進していく。そこ
から、お馴染みの風車の情景へと進む。すったもんだの挙
句の森の情景は、水色と緑の美しい背景を前にロマンティ
ック・チュチュが乱舞し、静けさが海のように広がる。一幕
でメルセデスを力強く踊ったハイジ・ツォンカーが、ここで
は森の精の女王としてさらなる本領を発揮。女王のソロは
難しく、ここで失敗するダンサーが多いのだが、ツォンカー
は最後の難しいフレーズでもみごとに動きをコントロールし
ていた。アキラ・ナカハマのキューピッドは愛らしく、軽やか
なフットワークに加え、心弾むような満面の笑顔で観客を
魅了した。
第三幕は、サーカス的な様相を帯びることもままあるもの
だが、ハーヴィーはそうはしなかった。居酒屋の場面は忘
れがたい瞬間の連続で、バジルがロレンツォに対し、「キト
リがガマーシュと結婚するなら、自殺もいとわない」と泣き
落としにかかるところは、なんともいえず面白かった。マン
ネリに陥りがちな場面なのに、これは本当に面白かったの
だ。古典バレエのマイムの約束事の中でここまで可能な
のかというくらい自然で、だからこそ、客席も爆笑を誘われ
た。結婚式の場面は、ついに祝福の場を得た主役二人の
喜びが満ちる。技術的な要求をすべてクリアして、パクとペ
ンのパ・ド・ドゥは、豪奢にして端然、一片たりとも欠けると
ころがなかった。
別キャストでは、内田千裕と中村憲哉が主演。子猫がじ
ゃれあっているような恋で、華奢な内田は全編を通して羽
のような軽さ。中村は洗練された技術が魅力で、パートナリ
ングに腐心しすぎとも見えたが、それも好印象だ。二組の
プリンシパルの主演舞台に、ハーヴェイが彼らに伝えたも
のの豊かさが実感されたことだった。(訳:長野由紀)